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2017.08.06 (Sun)

Frankelという競争馬

 このところ、あまりに暑いのですっかり思考能力が麻痺している。それで当分の間は文章を考えるのはやめて他人が掲載したYou Tubeを見ていて、面白そうなのを当ブログに載せて少しだけ文を追加しようと思った。そこで最初に載せようと思ったYou Tubeの動画は競馬の動画である。最近は競馬のことを全く記事にしていなかった。まあ馬名をいちいち書き込むのが面倒臭いといえばそうなのだが、それ以前に小生の心に残る競争馬がなかなか現れないというのが最大の原因だろう。どの馬も見事に期待を裏切ってくれるので(笑)
 そこで日本の話ではなく海外の競馬の話であるがFrankelという馬がいた。成績が14戦全勝で今世紀最強という評価が下され、人によっては史上最強だと評価する人もいる。
 Frankelは2008年イギリスで生まれ2010年から2012年にかけてイギリスでレースを行った名馬である。父がイギリス・ダービー、アイリッシュ・ダービー。キング・ジョージを勝った名馬Galileo。ただしこの馬はマイル路線ばかり中心に走ったから不思議である。2011年の2000ギニーで2着に6馬身ちぎって勝ち能力の高さを示すとヘンリー・セシル調教師はダービーに行かずにFrankelはマイル路線ばかり走ることとなる。謂わばかつてのBrigadier Gerardの路線を行くこととなる。セント・ジェームズ・パレスS、サセックスS、クィーン・エリザベスⅡSとマイルのグループⅠレースばかり走り3歳まで9戦全勝。古馬になりロッキンジSを楽勝したあとアスコットのクィーン・アンS(Ⅰ・マイル)に出走。ここで脅威の11馬身差を2着につけ、そのあとサセックスSを楽勝。そしてとうとう10f88ydのインターナショナルSに挑戦。ここも7馬身差をつけ圧勝。そして14戦目がチャンピオンS・これも10fでここは1馬身3/4差で勝った。1馬身3/4差で物足りなさを感じるのはそれまでが圧勝続きだったからである。この成績により歴代競走馬のレイティングでシーバード、ブリガディアジェラード、テューダーミンストレルといった競争馬と肩を並べる評価が下された。でも21世紀に誕生した競走馬では最高の評価がなされた。ただ何故、強豪がひしめく12fや2400mのレースに出なかったのかなと思う。この距離のグループ1レースで勝ったなら文句なしの歴代1位の評価もなされたのに勿体ないとは思う。そして種牡馬の初年度から日本のオークスにソウルスターリングが勝った。ただFrankelはこの国際化時代においてイギリス以外で走らなかった。これがフランスやアメリカ、ドバイとかで走り14戦全勝ならもっと人気になり評価もされていたに違いない。

 11馬身差で勝ったクィーン・アンS
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2015.06.11 (Thu)

アメリカで37年ぶりに三冠馬誕生

 このところPCが重くなって更新が出来ないでいるが、何とアメリカで37年振りに三冠馬が誕生したので、久々の競馬の記事を書くことにした。
 もう競馬の記事は今まで書きすぎたので自粛していたし、あまり書きたくもなかった。また競馬の人気もだんだんと下降して行って盛り上がりも欠けている。書いたところで関心もあまり持たれないだろうから書かなかったのである。先日の日本ダービーでドゥラメンテが勝って、その強さを発揮したが、オルフェーヴル級の実力はあるかもしれない? と思わせた。ただどこかで墓穴を掘る可能性がるかもしれないとは感じている。それと、はたして長い距離が持つのかどうか。まあ、今後のレースで成長を見届けられるかもしれないが、最近はどうも確実に成長しない馬ばかりで期待ばかり裏切られてるからね・・・・・・。
 なのでよほどのことがない限り競馬の記事を書かないことに決めた。でも37年振り12頭目のアメリカ三冠馬誕生と言うと記事にしなくてはならないだろう。先日の6日のことなので少々、古い話になるが、ベルモントSで2着に5馬身1/2の差をつけてアメリカンファラオが逃げ切って、何と1978年のアファームド以来の三冠馬が誕生した。アファームドが走っていたのは私がまだ20代前半の時であった。その私がもう還暦に届く年齢だから如何に長い間アメリカで三冠馬が誕生しなかったことか。つまりアメリカの競馬においてベルモントSの1マイル半という距離が異様に長くて、ほとんどの馬がこの距離の長さに失速してきたのだ。アメリカの競馬では9ハロンあたりが適正距離ではないだろうか。日本やヨーロッパでは2400mというのがチャンピオン・ディスタンスといわれるがアメリカでは長過ぎるのだ。したがってケンタッキー・ダービーの10f、プリークネスSの91/2fからベルモントSでは12fに距離が一気に伸びる。ここで過去、二冠馬が度々、失速して三冠の栄冠を逸している。それがとうとう37年振りにその壁をアメリカンファラオが撃ち破った。ケンタッキー・ダービーでは3番手から外を回って差し切り、プリークネスSでは泥んこ馬場の中、逃げ切って圧勝。ベルモントSも逃げて最後に引き離す圧勝劇。
 でも考えてみたら、37年間も三冠馬が出なかったといっても、セクレタリアトが1973年、シアトルスルーが1977年、アファームドが1978年と6年の間に3頭も三冠馬が出たのだから出るときは出るのだ。その後の37年間出なさすぎというのが考えものだ。本家イギリスではもう三冠馬そのものが死後になっていて、セントレジャーにダービー馬が出てこないのが当たり前になっている。日本でも最近はダービーに勝っても菊花賞に出ないようになりつつある。セントレジャーも菊花賞も例外的に今の競馬事情に合わない距離だから仕方がないが、アメリカの場合2400mでも長いとされるのだから、特殊なお国柄なのだろう。競馬も芝生ではなくダートがメインだからして、ヨーロッパや日本、豪州あたりとは違う競馬を行っているとしかいいようがない。
 ところでアメリカンファラオだが、スペリングを見るとAmerican Fharoahとなっている。これだとアメリカンファロアだろ。どうも馬名登録の時にミスってこの様な馬名になったらしいが、アナウンサーも普通にアメリカンファラオと叫んでいるからこれでいいのだろう。昔、昔、イギリスにPotooooooooという競走馬がいた。現在ではPot-8-Osで血統書に残っているが、後年、アメリカンファラオの事情を知らない人が大半になった頃には、このアメリカンファラオも、アメリカンファロアと呼ぶ人がいても不思議ではない気がする。
 このアメリカンファラオであるがデビュー戦が5着だったものの、その後は無敵の7連勝。セクレタリアトまではいかないが、最近の20年では屈指の名馬になる可能性がある。今後のレースに興味が持たれるのである。

ベルモントSの映像


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2011.10.22 (Sat)

明日、オルフェーヴルが三冠に臨む

 何ともいえぬほど暖かい10月下旬。暖かいのを通り越して気色悪い湿気を十分含んだ生温さ。夕方から雷混じりの激しい雨が降った京都南部地方。ことに京都の淀競馬場がある伏見区西部。ちょうど私の家から直線距離にして京都競馬場まで約4kmほどだから、我が家の周辺で雨が降っていたら競馬場でも同様の雨が降っていることが多いので、明日の朝まで如何ほどの雨が降るのか知らないが、此の雨が明日の菊花賞にどういった影響を及ぼすのか興味あるところである。

 それにしても盛り上がらないな・・・・・・。経済の恒久的沈滞ムードがギャンブルにまで影を落としているのかもしれないが、6年前のディープインパクトが菊花賞を迎える前とは一転して盛り上がりに欠けすぎる。それはデビュー戦からいきなり衝撃的だった天才馬ディープインパクトと違って、オルフェーヴルの戦歴が余りにも地味だからだろうが・・・・・・。まさか皐月賞、ダービーと勝ち、神戸新聞杯まで勝ってクラシック三冠にオルフェーヴルが臨戦するとは正直なところ私も考えてなかったので無理もない。昨年の夏、新馬戦で勝ったものの2戦目の中山での芙蓉Sでは牝馬ホエールキャプチャに頸差で敗れているし、3戦目の重賞(京王杯2歳S)では10着(勝ち馬グランプリボス)に大敗している。年が明けて今年、シンザン記念では2着(勝ち馬レッドデイヴィス)、きさらぎ賞では3着(勝ち馬トーセンラー)と惜敗続き。この時点でまだ1勝馬だったのだ。それがスプリングSに勝ってからというものの、皐月賞、日本ダービー、神戸新聞杯と4連勝。勝ちっぷりも段々と安定してきたから、いよいよ三冠確実だという声が上がってきた。すると史上7頭目の三冠馬誕生か・・・・。

 まてよ、過去、二冠馬で三冠を懸けて菊花賞に挑んだ過去の名馬たち・・・。クモノハナ、ボストニアン、コダマ、メイズイ、タニノムーティエ、ミホノブルボン、ネオユニヴァース、メイショウサムソン等は何れも三冠獲りに失敗。クモノハナはハイレコードに頭差で敗れ三冠を逸しているし、ボストニアンもダービー以降に成長したハクリョウに完敗している。またダービーまで無敗の7連勝だったコダマは秋緒戦に格下のフランケルに敗れたから調子を落とし菊花賞でもいいところのない5着。そして三冠確実と言われ記念のカップまで用意されていたメイズイの悪夢がある。メイズイはダービーで当時としては驚異的な2分28秒7で走破し2着のグレートヨルカに7馬身をつけ、秋緒戦のレースでも完勝。そして菊花賞に堂々の1番人気で出走。鞍上の森安重勝騎手も自信満々で「敵はレコードタイムだけ」と豪語した。こうしてスタートが切られたが、何とメイズイのハナを抑えて飛び出したのが差し馬のコウライオーだった。森安騎手は慌ててメイズイに気合を入れる。するとあっという間にコウライオーをかわしてメイズイが何時ものように先頭に立つ。こうして快速メイズイは快調に飛ばした。1週目のスタンド前から、1、2コーナー、向こう流しと後続を引き離して飛ばす飛ばす。スタンドの大観衆はメイズイの快速にため息を漏らした。これで三冠は確実だと誰もが思ったが・・・・・・・・・メイズイは3コーナーの坂の上りあたりから徐々に後続の集団に差を詰められてきた。3コーナーの坂の下りから後続が一気に接近。メイズイ危うし。でも観衆の誰もがメイズイは脚をためている。直線で再びスパートするとダービーと同様に差は開くと予想していたのだ。ところが直線に入るや、メイズイは寄れてしまい失速。グレートヨルカ、コウライオー、パスポートあたりが競り合う後続でもがいていた。三冠を期待して詰めかけた大観衆が信じられないと言った目で、ズルズル後退するメイズイに目をやった。メイズイは6着だった。だからメイズイでも三冠馬になれないのだから今後も三冠馬は出ないだろうと言われていた翌年にシンザンが登場して、23年ぶりに三冠馬になったという経緯がある。

 でも、その後も三冠馬はなかなか出なかった。私が最も記憶にあるのはタニノムーティエである。ダービーまで何と15戦12勝2着2回という驚異的な戦歴。そのほとんどがムーティエ街道といわれた大外コースから進出して直線で驚異的な末脚で相手をなぎ倒してきた。当然、ダービーに勝った時点でシンザン以来の三冠馬と声が上がっていた。でも秋緒戦の朝日チャレンジCでよもやのシンガリ大敗。タニノムーティエに一体、何が起こったのか? ・・・・・のど鳴りという病気に罹っていたのである。結局、勝ち目のない菊花賞にタニノムーティエは出走してきた。このレースで引退をさせるという。そして最後の直線に入ろうというとき、タニノムーティエは何時ものように大外を通って好位に上がってくるのであった。この瞬間、ファンはどっと叫んだが。ここまでだった。直線で失速して11着に終わる。

 その後、ヒカルイマイ、カブラヤオー、カツトップエースといった春の二冠馬が出たものの菊花賞の舞台にも立てなかった。そしてシンザンから19年後にミスターシービーがに三冠馬になったかと思ったら、翌年もシンボリルドルフが三冠馬になった。皮肉なものである。あれほど出現しなかった三冠馬が2年連続で出てくるなんて不思議なものである。この当時に競馬を始めた人は三冠馬はさほどの偉業とも思わなかったのでは・・・・・・・。

 しかし、その後も三冠馬は簡単には出なかった。トウカイテイオーは無敗でダービーまでを制したが同レースで骨折していた。ミホノブルボンも無敗でダービーを制し、秋の京都新聞杯も勝ち、無敗で菊花賞に臨んだがステイヤーのライスシャワーに差され2着に終わり三冠を逸す。1994年、シンボリルドルフからちょうど10年後の年にナリタブライアンが史上5頭目の三冠馬に。

 その後はサニーブライアンが皐月賞、ダービーを勝つが故障。今世紀になってネオユニヴァースが皐月賞、ダービーを勝つ。でもその後は生彩を欠き、菊花賞に出走したもののザッツザプレンティの3着に敗れる。こうして満を持して2005年にディープインパクトが現れあっさりと無敗の三冠馬となったのは記憶に新しいところであるが、その翌年に地味なタイプのメイショウサムソンが二冠馬となり菊花賞にも出きた。しかし、ソングオブウインドのレコード駆けの前に4着に敗れる。その後は、2冠馬の出現もないし、またダービーに勝ってもウオッカ、デイープスカイ、ロジユニヴァース、エイシンフラッシュのように菊花賞に出てこないといったことが慣習化してしまい、菊花賞の質そのものが問われだしたりしている。でも、今回、三冠を懸けてオルフェーヴルが菊花賞に出てくることは昨今では珍しく有難いことである。これで久々、熱い菊花賞になりそうだ。

 ところで私は、過去、三冠馬出現の瞬間をほとんど京都競馬場に行って観ている。ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクト。しかし、明日はおそらくテレビ観戦になるだろうと思う。私も若くなくなってきたので、人混みにまみれて競馬を観る体力が失われてきた。翌日が休みならばいいが、翌日も早朝に起きて出勤しなくてはならない。だから競馬場に行って立ち続けると翌日からの仕事に差し支えるからなのだが、若い時なら必ず競馬場に行っていただろう。本当に若いというのは羨ましい。

 さあ、結果は如何に。発走は明日の午後3時40分である。


 ナリタブライアンが三冠を達成した菊花賞

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2010.07.04 (Sun)

オグリキャップ死去

 昨日の7月3日、北海道の優駿スタリオンステーションでオグリキャップが亡くなったという。放牧中に骨折し、高齢のため安楽処分にされたという。25歳であった。今から20年ほど前、大フィーバーして競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップである。そのオグリキャップがとうとう亡くなった。

 オグリキャップの存在を初めて知ったのは東海公営に詳しい競馬仲間によってもたらされた情報によるものであったが、そのオグリキャップが中央入りしたという情報も入っていた。でも公営の実力馬が中央に転厩してくることはよくある。でも芝生の馬場に戸惑って公営時代ほどの成績を上げられずに消えていく馬も、また同様に多かった。だからオグリキャップが栗東の瀬戸口厩舎に入ってもさほど気にもならなかった。でもオグリキャップは笠松の鷲見厩舎時代に12戦10勝2着2回という素晴らしい成績だったので、中央デビューの時のペガサスS(GⅢ・3歳、芝1600m)に出てきたときは注目した。

 1988年(昭和63年)3月6日の阪神競馬場。この時に私はパドックにおいて初めてオグリキャップと対面した。芦毛なのであるが、まだ若駒のこと黒っぽくて芦毛には見えなかった。レースは中団から進出し直線で末脚を爆発。ラガーブラックに3馬身の差をつけて勝った。ほう、意外と走るなあというのが最初の印象であった。次走は阪神の毎日杯(GⅢ・3歳、芝2000m)であった。この時も勝ったので、もしかしてオグリキャップはとんでもなく強い馬かもしれないという印象に変わっていくのを自分の中にもあったことを思い出す。でも残念ながら、オグリキャップはクラシック登録がなく皐月賞、日本ダービー、菊花賞には出られず裏街道のレースに出続けることになる。

 毎日杯から半月後に皐月賞が行なわれ、人気薄のヤエノムテキが勝った。2着はディクターランドだった。その結果に私は驚嘆した。何故なら、共に毎日杯でオグリキャップに子ども扱いされていた馬だったからである。これからオグリキャップ伝説が始まっていくのであるが、中央入りしてから重賞6連勝。この中には2着を7馬身千切ったニュージーランドT4歳S、古馬のランドヒリュウを破った高松宮杯、ダービー馬のシリウスシンボリやダイナアクトレス、フレッシュボイスといった一流古馬を倒した毎日王冠が含まれている。

 こうしてオグリキャップは3歳馬でありながら天皇賞に出走した。でもこの日、初めて中央入りして2着に敗れる。勝ったのは1年間勝ち続けているタマモクロスである。タマモクロスは、春の天皇賞、宝塚記念に続いて、秋の天皇賞に勝ち8連勝を記録した。オグリキャップとタマモクロスという2頭の芦毛馬の対決に競馬界は大いに盛り上がった頃である。この2頭はジャパンCでも顔合わせし、タマモクロスが2着、オグリキャップが3着。勝ったのはアメリカから参加のペイザバトラーだった。

 年末の大一番、有馬記念でタマモクロスは引退することが決まった。ここでオグリキャップは勝たなくてはいけなかったが、見事、タマモクロスに雪辱。なお、このレースにはスーパークリーク、サッカーボーイといった今となっては懐かしい面々が名を連ねていた。

 翌、1989年、元号が昭和から平成に変った。しかし、オグリキャップは長期休養を強いられていた。脚部不安からである。もともと脚が曲がっていて丈夫ではなかった。復活戦は9月のサンケイ・オールカマーであったがレコード勝ち。次は毎日王冠であった。このレースは天皇賞馬イナリワンとの死闘となったが鼻差で制し、いよいよ天皇賞。でもスーパークリークと武豊に巧く乗られ2着に敗れる。次はジャパンCに出るのかと思っていたら、京都のマイル戦、マイル・チャンピオン・シップに出てきた。このレースも死闘となり、武豊のバンブーメモリーが勝利目前という時、奇跡的に最後の末脚が爆発、このレースを制す。するとインタビューで騎手の南井克己が涙で答えた事を思い出す。

 ところが陣営は一週間後のジャパンCにオグリキャップを出走させた。ちょっと無茶ではないかという声に反発して、オグリキャップはニュージーランドのホーリックスとまたも死闘を演じ2分22秒2という当時の世界レコードで2着。この時にオグリキャップ人気はフィーバーしたように思う。とにかく出るレース出るレース、一生懸命走り、結果を残して来た。何時の間にかオグリキャップの縫いぐるみが商品として売っていたし、世はまさに競馬ブーム。殊に女性ファンが大勢、詰め掛けるようになっていた。その原動力の一因がオグリキャップというのはいうまでもない。でも流石に有馬記念は疲労していたのか5着と凡走。ファンはがっかりした。

 1990年、この年もオグリキャップは現役。でも出てきたのは5月の安田記念。ここは武豊が初めて乗って圧勝。しかし、宝塚記念は故・岡潤一郎が乗ってオサイチジョージに敗れる。謎の敗戦といわれた。その後、脚部不安から休養。復活レースが天皇賞。ステップレースを使えなかったというのが問題で、新コンビ増沢末夫を鞍上に出走したが着順掲示板がらついに消えてしまう6着という惨敗。

 ジャパンCも出走。でもいいところがなく11着。もうオグリキャップの復活は有り得ないと誰もが考えていた。だが、陣営は引退レースとして有馬記念を選んだ。鞍上は再び武豊。

 こうして1990年12月23日、オグリキャップ最後の出陣の日が来た。私はこの日の早朝、京都6時17分到着のひかりに乗って中山競馬場に向った。あの日の中山競馬場は異様な雰囲気が漂っていた。入場者数178000人という数字が表すように立錐の余地も無いほど観衆で埋っていた。そんな中でグランプリが始まり、オギリキャップは3コーナーから進出。直線で先頭にたちメジロライアンの追撃を抑えて優勝。見事復活した。すると期せずしてオグリ! オグリ! の大合唱。

 2度と経験できないのではないかという状況に出くわし感嘆したことを覚えている。あれから20年、一時代を築いたオグリキャップはこの世を去った。公営から上がってきて中央競馬を席巻し競馬ブームの立役者となり、オグリキャップ現象なるものまで生み出した。これはまことに稀有なことであり、今の競馬界を見るとあの時のフィーバーぶりが嘘のようでもある。もう2度とああいった雑草魂を持った競争馬は出てこないのかもしれず寂しくもある。シンボリルドルフやディープインパクトといった最初からのエリートではなく、ハイセイコーにも繋がるサクセスストーリーに人は牽きつけられたのである。

 そういえばオグリキャップを世話していたのが瀬戸口厩舎の厩務員だった池江敏郎さんである。また、その人の実弟がディープインパクトの調教師だった池江泰郎さんだった。池江調教師も来年で競馬界を去られる。時代は確実に流れているのだ・・・・。


オグリキャップのラストラン。私もこの大観衆の中の1人だった。
 
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2010.03.08 (Mon)

ウオッカ引退

 今年のドバイ・ワールドCを目指して渡航していた日本の6歳牝馬ウオッカガ引退を発表した。先日、ドバイの新しい競馬場メイダンで行なわれたマクトゥームチャレンジⅢ(GⅢ・4歳以上、オールウェザー2000m、14頭)に出走したウオッカは、絶好位置につけて積極的にレースを進めたものの直線で伸びず8着に終わった。勝ったのは同じ日本から出走した4歳牝馬のレッドディザイアだったというのは何とも皮肉めいているが、どうやらこのレース中に鼻出血を発祥したとかで、陣営は引退に踏み切ったようだ。そういえば昨年の秋の天皇賞で勝った時も鼻出血をやらかし、その後は国内レースに出れなかった。癖になったというのではないだろうが、レース中の鼻出血となると能力を出しきれないところがあり、今回、最後の直線で伸びを欠いたのも鼻出血が響いた可能性もある。結局、3年連続でドバイに遠征し、4戦0勝と結果は残せなかったが、これは仕方が無いだろう。でも充分働いたことだし、ここらで引退するのも納得がいく。通算26戦10勝2着5回3着3回の成績だが、10勝の内訳はGⅠが7勝と抜群で近来希に見る女傑として語り継がれていくことになるだろう。

 昭和18年のクリフジ以来64年ぶりに牝馬として日本ダービーに勝った時は驚いたが、古馬になってからも安田記念2連覇、秋の天皇賞を最大のライバルだったダイワスカーレットを大接戦の末に倒したことと、ジャパンCを日本の牝馬として初めて勝ったことなど印象的なことばかりが思い出される牝馬であった。でもGⅠ7勝を勝ったというが、牡馬のように安定感があって何連勝もしてきたというのでもなくスランプもあった。だが記録以上に記憶に残る競走馬として、いよいよ繁殖に上がるのである。どういう子供が出てくるのか興味深いが、とりあえずは日本に帰らず、アイルランドに渡って世紀の競走馬シーザスターズ(2000ギニー、ダービー、凱旋門賞)と種付けをするという。シーザスターズとウオッカの間に出来た子供がこれまた楽しみであるが、それより先に、2008年にウオッカの全妹が外国人オーナーであるダーレー・ジャパンに競り落とされている。

 このウオッカの全妹は今年3歳だから今夏以降にデビューが待たれるのだが、馬主が何とドバイのマクトゥーム・ファミリーであるというのも面白い。どうやらウオッカと同様に角居厩舎に入るようだが、競馬というのは引退する馬がいる傍で、その弟や妹がすぐにデビューしてくるのだ。だから引退は寂しいなんていってられない。競馬は血を残すことで進化してきたのだ。何時までも感傷に更けてられない。ウオッカの子供達、弟妹達にも期待しよう。そして今年の夏には、いよいよディープインパクトの子供達がデビューしてくる。はたして父を凌駕する子供の誕生が見られるか・・・・競馬とはそういった楽しみがあるからやめられないのだ・・・。
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2009.05.30 (Sat)

血統から見た日本ダービー

 明日、競馬の祭典、第76回日本ダービーが行われるので、久々に日本ダービー出走馬の血統を分析することにした。

 私は小学生の時から日本ダービーを観ているので、既に40年以上はダービーとお付き合いしている。あの頃は28頭という多頭数で行なわれていたので、運が左右し大外枠は不利といわれた。それが今ではフルゲートが18頭なので、枠の内、外関係なく、実力が出易いレースとなった。それで最近のダービーは比較的、人気馬が勝つ可能性が高くなり、とんでもない人気薄が勝つことも少なくなった。でも人気薄の馬が勝った場合でも、血統を調べてみると、なるほどという答えが返ってくるほどサブレッドにおける血統というのは普遍的価値がある。それで今回、ダービー出走馬の血統を調べれば、何らかの傾向が見られるだろうと思い行なってみることにした。

 それでは、まず過去10年間におけるダービー馬の父系ラインというものを書き出してみた。

アドマイヤベガ  サンデーサイレンス(ヘイルトゥリーズン系)
アグネスフライト  サンデーサイレンス(     〃     )
ジャングルポケット  トニービン(グレイソヴリン系)
タニノギムレット  ブライアンズタイム(ヘイルトゥリーズン系)
ネオユニヴァース  サンデーサイレンス(    〃     )
キングカメハメハ  キングマンボ(ネイティヴダンサー系)
ディープインパクト  サンデーサイレンス(ヘイルトゥリーズン系)
メイショウサムソン  オペラハウス(ノーザンダンサー系)
ウオッカ  タニノギムレット(ヘイルトゥリーズン系)
ディープスカイ  アグネスタキオン(ヘイルトゥリーズン系)

 過去10年間の日本ダービーの勝ち馬の父親は、圧倒的にヘイルトゥリーズン系が強くて7頭出ている。それ以外だとトニービン、キングマンボ、オペラハウスがダービー馬を輩出していることになる。

 この結果を見ると、現在の日本の競馬はヘイルトゥリーズンから出たブライアンズタイムやサンデーサイレンスの父系ラインから多くのダービー馬が生まれていることになるが、これは最近15年間、この傾向は変っていない。中でもサンデーサイレンスは種牡馬としては驚異的な成績を残し、その産駒の多くが種牡馬として成功している。このような事態に至っては、今後もサンデーサイレンス系の種牡馬を中心にして、まだまだヘイルトゥリーズン系が隆盛を極めることになるのかもしれない。

 それで、今年のダービーの出走馬18頭について、とりあえず父系だけを取り上げてみることにする。

ヘイルトゥリーズン系(ロジユニヴァース、アプレザンレーヴ、トップカミング、マッハヴェロシティ、ナカヤマフェスタ、ジョーカプチーノ、アントニオバローズ、セイウンワンダー、リーチザクラウン、アーリーロブスト、トライアンフマーチ、アイアンルック、アンライバルド)

 何とヘイルトゥリーズン系の馬が13頭もいる。やはり主流の血統だけあって他を圧している。その他の系統ではフィフスペトル(キングカメハメハ・・・・・ネイティヴダンサー系)、ケイアイライジン(ケイムホーム・・・・・ネイティヴダンサー系)、ブレイクランアウト(スマートストライク・・・・・ネイティヴダンサー系)、シェーンヴァルト(ジャングルポケット・・・・・グレイソヴリン系)、ゴールデンチケット(キングカメハメハ・・・・・ネイティヴダンサー系)ということなのであるが、ネイティヴダンサー系が4頭。

 つまり今回の日本ダービーは父系(サイヤーライン)からいうとヘイルトゥリーズン系対ネイティヴダンッサー系といった図式が成り立つ。これを見ると、今の日本の競馬界は一部の父系ラインで席巻されてしまい、血統的にバラけてなくて将来に不安を残す結果となった。これら以外の系統の馬がもっともっと活躍してくれないと、血の活性化といった意味では好ましくない。でも特定のサイヤーラインが淘汰の結果、残ってしまったのだからしょうがないが・・・・・・・・。

 この結果、やはり勝ち馬はヘイルトゥリーズン系から勝ち馬が出る公算が強くなった。現実からいっても今のところ1番人気に支持されているアンライバルドにしろ、2番人気のロジユニヴァースにしろ父が同じネオユニヴァースなのだから偶然とは思えない。また3番人気のセイウンワンダーも父はグラスワンダーと上記2頭とは異なるが、同じヘイルトゥリーズン系の種牡馬である。このことを考えると、ヘイルトゥリーズンから派生した種牡馬は、如何に日本の風土と馬場が合ったのか、その産駒たちは大活躍をした。だが、これだけヘイルトゥリーズン系の馬ばかりだと、どの馬が血統的に向いているか漠然としてしまう。それで今回はヘイルトゥリーズン系の13頭について母の父も調べてみた。

 ロジユニヴァース(ケープクロス)、アプレザンレーヴ(ハイエストオナー)、トップカミング(サクラバクシンオー)、マッハヴェロシティ(タイキシャトル)、ナカヤマフェスタ(タイトスポット)、ジョーカプチーノ(フサイチコンコルド)、アントニオバローズ(キングマンボ)、セイウンワンダー(サンデーサイレンス)、リーチザクラウン(シアトルスルー)、アーリーロブスト(マゼルトリック)、トライアンフマーチ(ダンシングブレーヴ)、アイアンルック(ヘクタープロテクター)、アンライバルド(サドラーズウェルズ)・・・・・・・・ブルードメアーサイヤーをとりあげてみても、力強い血統馬が多いと思える。

 ロジユニヴァースの母の父ケープクロスは馴染みがないが、ノーザンダンサー系の種牡馬で自身はマイラーであったが、産駒に名牝ウィジャボードを出していて2400mも問題ないと思う。アプレザンレーヴのハイエストオナーも馴染みが無い。この馬は芦毛のグレイソヴリン系で、力強いタイプの馬を時々輩出するので、この馬も侮れないと思う。ナカヤマフェスタのタイトスポットは無名の種牡馬だがリボー系である。スタミナ的には問題ないだろう。未知数がタイキシャトル、サクラバクシンオーといったマイラー系種牡馬を母の父に持っている場合だが、スピードがあるとはいっても東京の2400mで競ったときに最後の詰めで伸びないということもありえるので血統的には推せない。

 アーリーロブストの母の父マゼルトリックもどうだろうか? ニアークティック系という珍しい系統だがノーザンダンサーはニアークティック系だからスタミナ的には耐えられると考える向きもあるがマイナー種牡馬のことマイナス材料である。

 ところでどの馬が最適だということなのだが、2400mに適した馬ということになると何頭かいる。それらを挙げるとフィフスペトル、ナカヤマフェスタ、ブレイクランアウト、ジョーカプチーノ、アントニオバローズ、セイウンワンダー、リーチザクラウン、シェーンヴァルト、ゴールデンチケット、トライアンフマーチ、アンライバルド・・・・・これらは血統的に見て2400mという距離に適していると思う。ただし馬の個々の能力は別にしての話であるが、アンライバルドで気になったことであるが、大外というのが気になった。この馬は気性難を肝心な時に出さないだろうか・・・・・。絶えず大外を回って余計な脚を使ってしまい、最後に瞬発力が不発ということも有り得るし、岩田騎手が東京コースでもう一つ実績を上げてないことも気になる、また、ロジユニヴァースの最内も気になるところであるし、前走の皐月賞の負け方も頂けない。それで大穴党としてはシェーンヴァルトを単穴として買って、あとは・・・・言わないよ・・・・・・・。まあ、外れるだろうけど・・・・ダービーは馬券を買って参加するところに意義がある。結果は明日の午後3時45分には出ているだろう。
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