2010.04.29 (Thu)
薬師寺に行く
中国は長安、洛陽の街をモデルにして本格的な都を造営していったのだが、その頃の都の面影は今の奈良にはない。とにかく784年に私が住んでいる近くの長岡京に都を移してから、その後、1200年の間にかつての平城京はすっかり寂れてしまったということになるのかどうか、昔の平城京というと今の奈良市街地を含め、大和郡山市まで含んでいたから、かなり広大な都であったことが窺えるものの、今では全国の県庁所在地がある市の中でも奈良市はけして大きいとはいえない街になってしまっている。でも、その風情といい格式といい今でも街の各所に見られることがあり、その点に関しては全国各地の県庁所在地とは少し違うなといった趣はある。でも近鉄の西大寺駅から新大宮駅に向う途中に広大な平原があり、その付近一帯がかつての平城宮跡であることを思わせるが、現在、この平城宮跡で平城遷都1300年祭が行なわれて、大勢の人がつめかけ活気に満ち溢れている。でも小生はブームや流行に流されるのも嫌だが、とにかく人並みが凄いので行く気も起こらない。でも奈良は何も平城宮だけが奈良ではない。かつて平城京という広大な都を偲ばすお寺や神社はいくらでもある。奈良市街地近くには東大寺、興福寺、春日大社もあるが、かつての都の西の端にあたる西ノ京というところがある。ここには薬師寺と唐招提寺がある。
それで本日は薬師寺に行ったので、その報告を兼ねて記事にしてみたのであるが・・・・・。薬師寺ていうのは東塔といわれる美しい三重塔で有名であるが、あまり訪れる人はいない。場所が中途半端なところなので、おそらく奈良の観光といえば東大寺、興福寺、奈良公園、あとは法隆寺か飛鳥というパターンなのだろう。でも東大寺からそれほど離れているのでもなく、それでいて観光客が少ないことに驚かされる。
薬師寺は古いお寺で玄奘三蔵で馴染み深い法相宗の大本山である。そもそも天武天皇の時代の680年に発願され、持統天皇によって本尊開眼されたのが697年、文武天皇の御代により堂宇の完成にいたるが、その場所は飛鳥。つまり平城京が出来る前からあった寺院である。それが、平城遷都と共に現在地へ移ってきたのである。
当時は南都7大寺の一つで、東西の塔が並び立つ大伽藍は壮麗であり絢爛である。が、幾多の災難にあい東塔を除く諸堂が灰燼に帰し、昭和42年から失われた多くの諸堂の復興が始まり、現在は見事に甦っている。
近鉄西ノ京駅のすぐ近くに薬師寺はあるが、薬師寺を撮るのには駅の西側方向に向って20分ほど歩いたところに、大池というため池がある。この池から薬師寺を撮るのが一般的である。左から金堂、西塔、東塔が聳え、背景には若草山が見える。
この写真の左端であるが東大寺大仏殿が望める。
西塔である。1981年、453年ぶりに再建され東塔よりも高く造られた。。それは500年後、東塔と同じ高さに落ち着くであろうという計算から導き出された高さである。
こちらは国宝の東塔である。なんともいえない見事な塔である。三重の塔だが裳階(もこし)があるので、六重の塔に見える。この日は東塔の中を公開していた。東塔は今秋から解体修理に入る。今後、10年間は東塔を拝めないから、見に行けるのも今の間だけである。
西塔の側から金堂と東塔を眺める。
手前が金堂で奥が大講堂。金堂は1976年に復興、大講堂は2003年に復興。薬師寺式大伽藍という見事な形式が見られる。
金堂に安置されているご本尊。薬師如来を中央に、両側に月光菩薩、日光菩薩が並んでいるが、あわせて薬師三尊像といい、この写真は薬師如来像で国宝である。なんとも神々しい。・・・・・この写真は望遠で金堂の外から撮ったものであって、金堂の中では撮影禁止である。
今回、久々に訪れた薬師寺である。そういえば私が学生の時には東塔以外なかったが、あの頃には薬師寺名物・高田好胤管主が健在で、面白い説法を聞くのが楽しみだったが、時代も流れているのだと痛感した。
2010.04.28 (Wed)
今日は暖かかった
しかし、よく雨が降る。一昨日は降らなかったが昨日は、朝から降りっぱなしで一日中、雨だった。、そのせいで気温も下降し、4月の終わりとも思えないような冷え方で、喉の調子までおかしくなった。それで今日は雨が残るのかと心配したが、朝から快晴で気温も上昇。久しぶりに春らしい爽やかな天気であった。午後からはやや暑いかなあとも感じるほどで、例年だともっと気温が高いような気がするが、この程度の温度なら清々しい。でも、日本のどこやらは激しい雨が降った降ったらしいのだが、こちらとしたら自分の今、居てるところしか判らない。とにかく連日、低温が続き天候が不順で野菜の価格が高騰している。これから良い気候が続いて作物も順調に育つように祈っている。
明日から世間ではGWに入るところが多いが、はたしてこの期間中の天気は如何なものなのだろうか。小生はとりあえず骨休めの休日となりそうで、日頃の溜まった疲れを出来る限りとりのぞきたい。日頃、疲れがないようでいて、最近は身体のいたるところが痛いから困っている。歳のせいともいえるが、歳のせいにはしたくない。でもそろそろガタが来ていることは確かだ。休みだからといって遠出だ旅行だといっていた頃が懐かしい。最近は旅行に行くよりも家の中で閉じこもっていたいと思うことが多くなり、方々へ行かなくなった。それに今まで色々と体験し見聞し知識を得てきただけ、何を見ても感動しなくなった。これからはよほどのことがない限り驚愕することも感嘆することも可能性としては薄いかもしれない。これを知恵の哀しみというらしいが、オバケか異星人でも見ない限り心が躍ることも少ないような・・・・・・何だか感受性が乏しくなると寂しいものがある。若いときの研ぎ澄まされた感性は歳が重なると復活は難しい。中年になっても若い時の趣味や夢を何時までも追いかけている人がいるが、あの純粋さが羨ましくなる時がある。私なんか年齢と共に趣味嗜好がどんどんと変わっていったので、少年時代に見て覚えた感動を再び味わいと思っても、今の年齢であの頃と同じもの同じ事を見たり体験なりを試みても、よくこんなもので喜んでいたと思うときがある。だからすっかり感性が鈍感になっているのだと痛感している。ああ、もっと澄み切った心を持ちたいものだ。
2010.04.26 (Mon)
どうでもいい日記・・・・・
話は変るが、今日は暖かい日であったが、また雨が降りそうな按配になってきた。とにかく3月、4月といい晴れた日が3日と続かないから、冷え冷えした日が多い。昨日の朝なんか気温が摂氏一桁の温度で、とても4月下旬とは思えない。日中はどうにか10数度もで気温が上がったが、カラカラの空気で乾いていた。だから日向にいてもあまり暖かくは感じなかった。今日は昨日よりも湿気が増しただけ体感温度も暖かく感じたが、また雨が降ると肌寒く感じるかもしれない。
要は晴れた日が続くと大地が熱せられて気温が日を追うごとに上昇するのだが、これだけ雨の降る日が多いと気温がなかなか上昇しないのである。こんな年も珍しいだろう。昨年の4月はというと、今頃は新型インフルエンザの話題が出始めた頃で、あまり雨ばかり降ったという記憶は余りないが、昨年、あれほど大騒ぎした新型インフルエンザはどうなったのだろうか。今年になって沈静化したのかどうか判らないが、マスメディアが全く報道しなくなった。でも感染した国家は3月の時点で60数ヶ国に及び、死者も2万人近くにまで増えているというから感染が治まったというのでもない。でも日本国内では既に過去の出来事であったかのように誰も話題にしなくなった。ところが第三諸国では感染拡大しているところがあることをお忘れなく。これからGWに入り海外に渡航する人も多いと思えるので、最新の注意を払ってもらいたいと思う。
私のように昨今、すっかり出不精になってしまうと、これといったウイルスを貰うのでもなく安全なのだが、小金持ちは短い期間に忙しく海外を周られる。それで疲れてウイルスを貰ってきたというのでは洒落にならない。くれぐれもご用心・・・・・。ところで小生は何をしようかなあ。GWは寝転がって読書三昧とでもしようかな・・・・。大した本を読むわけでもないが。
2010.04.25 (Sun)
フローラS、アンタレスS
あまり妙味のあるレースではないが、簡単に結果だけでも記事にしておくことにした。まずフローラS(G-Ⅱ・3歳牝馬、芝2000m、15頭)であるが、1番人気はサンテミリオン、2番人気はブルーリングアレー、3番人気はベストクルーズ、4番人気はアグネスワルツ、5番人気はアスカトップレディであった。このレースはメジロジェニファーが放馬してしまい発走が大きく遅れてしまった。でもレースの方は逃げたアグネスワルツを3番手で追走したサンテミリオンが、4コーナーで2番手に上がり、直線でかわしさい勝った。2着もアグネスワルツだった。
1着サンテミリオン 2分00秒2、2着アグネスワルツ 1馬身、3着ブル-ミングアレー 1馬身3/4、4着アマファソン アタマ、5着アスカトップレディ 2馬身。
アンタレスS(G-Ⅲ・4歳以上、ダート1800m、15頭)は4歳のトラセンドが1番人気、同じく4歳のフサイチセブンが2番人気、3番
2010.04.24 (Sat)
ルノワールの絵を観に行ったが・・・
可愛いイレーヌのチケット
一度、ルノワール展のことは記事にしたことがあるが、またルノワールの展覧会に行ってきた。以前、記事にしたときは京都の国立近代美術館だったが、今回は大阪中之島の国立国際美術館での開催である。題して『ルノワール 伝統と革新』である。展示品は日本初登場となる作品も含めて80点以上の作品が館内に並べてあった。
肌寒く雨が降る中、中之島の美術館までルノワールの絵を観に行ってきたが、新しい発見はなかったなあ。ルノワールというのは日本では最も人気のある画家の1人で、過去、ルノワール展というものが何度、この日本国内で開催されたことやら・・・・・。それで今回、初物として目玉だったのが『可愛いイレーヌ』というタイトルの油彩画である。1880年の作というからオーギュスト・ルノワール自身にとっては作風の転換期にあたる作品である。この『可愛いイレーヌ』を描いた翌年にルノワールは大作『舟遊びの人々の昼食を』を描いたのである。つまり脂が乗り切っていた頃の作品であった。今回、展示されていた作品は色々な美術館で所蔵されているものを集めたのだろうけども、初期の作品は僅かで、ほとんどが『可愛いイレーヌ』よりも後の作品が多く展示されていたのである。
ルノワールというのは印象派の画家と思われているが、彼が印象派らしき絵を描いていたのは初期の頃で、彼自身画風がだんだんとが古典回帰とも言うべき作風に変って行く過程にあって、何故か私の好きな作品が、この転換期に多いように思う。これから10年もすれとルノワールは豊満な肉体をした裸婦を頻繁に描くようになるのだから、1880年前後はルノワールが何かを模索していた時期だと思える。印象派風の絵を描くことに見切りをつけ、彼はあまり風景画を描かず、裸婦を描くようになった。でも、これが肖像画家ルノワールとして、女性と裸婦を描く画家として親しまれているとしたならば、彼は40歳あたりで絵の作風に変遷が見られたということになる。
オーギュスト・ルノワールは1841年生まれで、『可愛いイレーヌ』を描いたのが39歳のときである。でもこの可憐な絵に代表されるような作風は影を潜め、まもなくすると『水浴の女』に代表される豊満な裸婦を描くようになる、これらの肖像画はルノワールの中で、どのような位置を占めるのか判らないが、ルノワールの裸婦は、ドガの踊り子と共に絵のモチーフとしては誰でも知っている連作のようなものであるが、私としてはルノワールの裸婦画がどうも好きになれない。この裸婦の絵がとても多いのでルノワールの絵が好きになれないのかもしれないが、日本ではルノワールを好きな人は多い。でも私がルノワールの裸婦を描いた作品群が嫌いなのは生理的なもので、別に理屈があるというのでもない。感覚的に嫌いなだけである。だが、少女を描いた可憐な絵は何故か微笑ましくて、ルノワールらしいぼんやりした輪郭が絵をさらにやさしく見せる。
それでルノワールは好きか嫌いかどちらなのだと問われれば、私にとっては嫌いな画家とだけいっておこう。もっともセザンヌほど苦手ではないが・・・・・。
ところで今回の展覧会では、美術史の新しい視点からルノワールの絵を探ろうとX線を用いて絵を光学調査し、画家ルノワールの技法を解説していたが、私にとってはこんなものどうでもいいことである。画家が何色を多く使っているとか、先に何を描いたかなど興味がない。そんなものよりも画家が、このように画風を変えていく状況において、どういった心境の変異があったのか、それともただ飽きただけなのか、そういったことの方が人間としては興味がいく。それにしてもルノワール展に来る人は女性が多いような気がするが・・・・・・・。
2010.04.22 (Thu)
チック・コリアのアルバム『ライト・アズ・フォーエヴァー』を聴く
チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァーというグループがある。ジャズ・ピアニストであるチック・コリアを中心としてフローラ・プリム(ヴォーカル、パーカッション)、ジョー・ファレル(テナーサックス、フルート)、スタンリー・クラーク(ベース)、アイアート・モレイラ(ドラムス、パーカッション)というメンバーである。ジャズというよりもフュージョンブームの勢いで世に出たグループであるが、このグループが出した2枚目のアルバムが当アルバムである。収録曲は『ユア・エヴリシング』『ライト・アズ・フェザー』『キャプテン・マーヴェル』『500マイルズ・ハイ』『チルドレンズ・ソング』『スペイン』であり、チック・コリア最大の人気曲『スペイン』の初演ヴァージョンが入っている。『スペイン』は冒頭からロドリーゴの『アランフェス協奏曲』第2楽章のメロディがチック・コリアのエレクトリック・ピアノで奏でられ、そこから一転してスキャットとフルートによるテーマが出てくる。この曲は今ではすっかりジャズのスタンダード・ナンバーとして演奏される機会も増えたが、初めて聴いた時は異色のジャズだと思ったものである。
全体的にこのアルバムはボサノヴァ風でもありスペイン風でもあるかのような曲が多く、軽い曲調が連続するが、チック・コリアもベースのスタンリー・クラークもリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成する前はスタン・ゲッツ・クァルテットのメンバーだったことを考えればある程度は納得がいくだろう。こうして1970年代のジャズ・シーンを席巻したミュージシャンの1人であるチック・コリアであるが、ジャズ歴は長いといえよう。
1941年生まれというから現在68歳である。アメリカのマサチューセッツ出身で、父親がトランペット奏者、でベースも弾き作曲もアレンジもするバンドリーダーであった。その影響でチック・コリアはジャズに親しんで、10歳ですでに自分のバンドを結成し、学校や地元のクラブで演奏をしていたという。彼はピアノを弾くが、この時は主にトランペットを吹いていて、ドラムもやっていたという。高校時代にはラテンに傾倒し、この頃の体験がラテン・ジャズを志すきっかけになったのかもしれない。
チック・コリアは1968年から数年間、ハービー・ハンコックに替わってマイルス・デイヴィスのバンドに加わり研鑽を積んだのだが、この時代にはドラムを叩いていたりして、彼の万能ぶりが発揮されているが、結局、ジャズ界の巨人であるマイルス・デイヴィスのバンドにいて色々な体験をしたことがその後に繋がるのである。この時代のチック・コリアは修行時代でもあり、ジャズに真剣に取り組まなければならない時期でもあった。それが、後のリターン・トゥ・フォーエヴァーの結成に活かされるのだが、これがフュージョンとしてジャズと他のジャンルの音楽との融合を試みたある種の音楽として、雄飛していく。当初、クロスオーバーといわれたフュージョンの原点にあったのは、マイルス・デイヴィスのバンドにいたことによるだろう。その後、チック・コリアは1980年代以降も依然として創造的な音楽性を模索しつつ活動している。
チック・コリア・エレクトリック・バンドの演奏『スペイン』 エリック・マリエンサルがサックスのソロを吹いている。
2010.04.20 (Tue)
ラヴェル・・・・・『ピアノ協奏曲 ト長調』を聴く
サンソン・フランソワ(ピアノ)
指揮 アンドレ・クリュイタンス
パリ音楽院管弦楽団
モーリス・ラヴェルというと『ボレロ』が余りにも有名だが、真髄はピアノ曲だと思う。19世紀においてピアノの曲はほぼ完成しているが、20世紀における現代ピアノ音楽の確立はドビュッシーをラヴェルの2人によって成されたのではないだろうか。そんなラヴェルの協奏曲ト長調は『ボレロ』を作曲した3年後の1931年に完成している。
ラヴェルは1927年から1928年にかけてアメリカへ演奏旅行に行って成功を収め、再度の渡米を考えていた時に、自分で演奏する曲をという意図のもとに作られた曲である。2度目のアメリカ演奏旅行は結局、ラヴェル自身の健康上、その他の理由で実現しなかったが、初演はラヴェル自身のピアノではなく、ラヴェルは指揮棒をふり女流ピアニスト、マルグリット・ロンのピアノとラムルー管弦楽団によって行なわれた。
全3楽章、20ほどの曲だが、全体的に19世紀のロマン派とは区別されるべきピアノ協奏曲といってもいいだろう。第1楽章の始まりから鞭が一閃。そこから軽快なリズム。一転してピアノのアルペジオ。何とも風変わりなピアノ協奏曲である。やや東洋風の旋律をも醸しつつ、流石にオーケストレーションの大家らしく際立ってカラフルな曲である。楽器編成もピッコロ、フルート、オーボエ、コーラングレ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、トライアングル、ウッドブロック、鞭、ハープ、そしてピアノとと多岐にわたっていて大編成ではないが、色彩豊な音色を奏でる曲といってもいい。ラヴェル自身は書簡でモーツァルト、サン=サーンスと同じような美意識で書いたといっているが、第2楽章がモーツァルトのクラリネット五重奏曲に感化されたというだけあって中間部の木管楽器がそれを彷彿とさせる。
曲調はアグレッシブであり古典的なところもあり、一言でいい表せないが、当時の最先端の音楽であったジャズの要素を各所で取り入れていて、第1楽章のピアノとホルンとフルートでの協奏部分がジャズのブルースを連想させるし、19世紀の音楽と違って色々な要素を含みつつ、ラヴェル自身の解釈によってラヴェルでしか出来ないピアノ協奏曲を書き上げたのである。
時代から言ってもちょうど日本で言うと、昭和の初期にあたり世界各国で色々な音楽が影響を受け合った時代でもあり、ラヴェルは当然のようにアメリカのジョージ・ガーシュウィン作曲の『ラプソディ・イン・ブルー』に驚いただろうし、事実、その後にガーシュウィンから教えを請われている。でもラヴェルは「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから二流のラヴェルになる必要はない」とまで言っている。そんなお互いが影響を受け合った時代に作曲されたラヴェルのピアノ協奏曲ト長調である。この曲は色んなエッセンスとスパイスが混じりあった20世だからこそ出来上がった曲なのである。でもこの曲の第3楽章の終盤、日本の映画『ゴジラ』のテーマとよく似たメロディが繰り返されるが、まさか伊福部昭が引用したということはないだろうなあ。
ラヴェル 『ピアノ協奏曲 ト長調』の演奏(第1楽章)
ミケランジェリ(ピアノ)
指揮 セルジュ・チェリビダッケ
ロンドン交響楽団(1982年4月8日) 盟友の共演。
2010.04.18 (Sun)
第70回皐月賞
スタートが切られた。大外からアリゼオが行くか。いや行かない。バーディバーディが先頭に立った。1、2コーナーを回って先頭に立った。2番手にゲシュタルト、ハンソデバンド、サンディエゴシチーと続き、アリゼオは5番手の外側の位置。内にリルダヴァル、ネオヴァンドームがいて、その後にローズキングダム、そしてエイシンアポロン、内にヴィクトワールピサと人気馬が前後している。さらにシャイン、エイシンフラッシュ、レッドスパークル、ダイワファルコン、ガルボと一団で続き、ヒルノダムール、レーヴドリアン、トーセンアレスといった順で向こう正面を通過。これから3コーナーに向うところである。スタートからのハロン毎のタイムは12.1---10.9---12.4---12.1---12.6と800mを47秒5、1000mを1分00秒1と馬場を考えれば平均ペースだろう。でも各馬が固まってきた。先頭とシンガリまで差がなく固まってきた。先頭はバーディバーディ、ヴィクトワールピサはインコースいっぱいの中団の位置。ローズキングダムはそのやや斜め前の位置。いよいよ4コーナーを回って直線に入る。中山の直線は短いが、先頭はバーディバーディ、2番手にゲシュタルト、3番手にアリゼオだ。外目に出ようとしたヴィクトワールピサが内に切れ込むようにして抜け出す構え。ローズキングダムは馬場の真ん中の好位置。あと200m、ここでヴィクトワールピサが抜け出した。早くも抜け出した。最内をついて抜け出した。アリゼオが2番手。ローズキングダム、エイシンフラッシュが伸びてくる。1番外からヒムノダムールが来た。ヒムノダムールが来た。しかし完全にヴィクトワールピサが先頭。2着争いは激しい。3、4頭が並んでいる。でも先頭はヴィクトワールピサでゴールイン。
1着ヴィクトワールピサ 2分00秒8、2着ヒルノダムール 1馬身1/2、3着エイシンフラッシュ ハナ、4着ローズキングダム ハナ、5着アリゼオ 3/4。
ヴィクトワールピサは乗り替りの心配もなく勝った。内でじっと我慢していいところで末脚を活かした。中山だとこのような馬は取りこぼしが少ない。ローズキングダムは切れ味勝負だが、今日のような馬場だと辛いか。ダービーでの巻き返しに期待する。また何時も善戦するエイシンアポロンが11着に大敗したがどうしたのだろう。故障でもしたのか? でもなかなか見応えのあるレースだった。
2010.04.17 (Sat)
御室桜も散りだした
JRの定期を持っているので、使わない手はないと京都駅まで行き、山陰線に乗り換えて花園駅で降りる。私は本来なら、御室に行く時は阪急で嵐山まで行き、嵐電で御室まで行くのが通例だったのだが、今回はJRで行くことになたから、御室の仁和寺までは少しばかり歩かなくてはならない。JRの花園駅から少し西に行くと双ヶ丘というひょうたんのような形をした小高い丘があって、その丘の東側を真っ直ぐ北へ1kmほど歩くと御室に到着する。道中、双ヶ丘の側に長泉寺といって吉田兼好の墓がある小さなお寺の前を通る。そういえば吉田兼好と仁和寺とは縁が深いが、仁和寺はそもそも宇多天皇が開基した関係から皇室ゆかりの寺院とされる。したがって通称で御室御所とも言われた。
JR花園駅から歩いて15分ほどで仁和寺の二王門前へ到着。ここの桜を見ようと人が大勢つめかけていた。そして、境内を真っ直ぐ歩いて中門を潜り、左手一帯が御室桜である。全部で約200本。遅咲きの里桜で樹高が低いことでも有名である。
五重の塔を背景に入れてみた。
こちらは御室桜とは違って枝垂れ桜であるが、仁和寺の桜は相対的に遅咲きなのか?
御室桜をバックにして記念写真を撮る人の何と多いことか。確かに樹高が低く、花びらが目の高さよりやや上にあるぐらいで、ソメイヨシノと似ているが少し違う。
中門から二王門の方面を撮る。二王門の向こうには双ヶ丘が・・・・・。
ところで仁和寺の御室桜が何故、樹高が低いかというと、ここの地層は岩盤が固く根が深く張れないからだとされていたが、最近では岩盤は普通であるが、粘土層であるため土中に酸素や栄養分が少ないので根がのばせないからだという説が強まっている。何れにしても名物桜であることに変りはない。
2010.04.15 (Thu)
今日も寒かった
帰宅時も冷えたが、今日は厚着なので、さほど寒さが応えなかった。それでも会社から駅までの道のりを30分かけて歩くと身体は冷え切ってしまう。鼻水は出るし喉は痛いは、鼻が悪いので辛いものがある。ようやく何時もの駅に到着。何時もどおり電車は15分に1本しかこない。ラッシュ時でも¥関係なしなので、ホームに帰宅を急ぐ人で溢れている。
そんな中で目立った女子高生が2人いた。駅のホームで鞄を投げ出して、鞄が音をたてて落ちたと思ったら、2人ともホーム上の地べたに胡坐をかいて座りだした。ああ、みっともない。2人ともショートパンツかスカートか区別がつかないほど短いスカートを穿いている。髪はロングの茶髪で、眉毛は剃ったあとに薄く書いているのだろう。2人は音を出してJ-POPを聴きながら、お菓子を食べだした。ホーム上にいる大勢の人は遠巻きに眺めるだけで、ただ呆れたというしかめ面をしている諸氏もいることにはいるが、彼女等は周囲にお構い無しで大きい声で喋っているが、その内容はけして褒められたものではないし、また話し方が下品そのものである。
こんなことを言いたくはないが、お里が知れる。また、制服なので何処の高校か判るだろうに・・・・・。彼女達の行いによって、そこの高校の他の生徒までいいように思われないだろうということを全く認識していない。彼女達は高校の看板を背負っているという重責は微塵もないだろうけど、誰も注意できないというのも困った社会だ。一時、流行ったヤマンバギャルに近いものがあって、清潔さの欠片もない。
大阪と違ってあまりギャルっぽい子はいないと思っていたが、こんな高校生、今時、大阪にはいない。あれだけ制服のスカートを短くしている子はまず大阪では見られない。これこそ時代遅れのヤンキーギャル・ファッションなのか? あまり苦言を呈したくないが、久々に見苦しい女子高生を見たので記事にしたまでだが、彼女達に羞恥心というものはないのだろう。ちょっと都会へ出て女子高生ファッションというのを勉強してきたらといいたくなってきた。今時だと田舎しか、こんな格好している子はいない。でもまだルーズソックスを履いていないだけましだが・・・・・・。
2010.04.14 (Wed)
寒すぎる
今年は真冬の2月の末が暖かくて、桜の開花が早まったものの、3月になってから雨が多くて、異常なほどの寒の戻りで桜がなかなか満開にならず、三週間も桜の花が咲いていたという珍現象が起こったかと思うと、4月に入ってからも雨が多く、また暑い日も間にはあって、寒暖の差が激しすぎる。先週の土曜日が上着いらずの半袖姿の人が目立ったというのに、今日は1ヶ月季節が逆戻りしたかのような寒さである。
でも快晴だったし、ポカポカ陽気になるはずのお天気なのに、薄着だと風邪をひきそうになるような寒さであった。これはおそらく空気が乾いていたのと、風が強かったのが影響していたのだろう。気温というのは観測した温度だが、実際には気温以上に身体で感じる温度は低かったから、4月の中頃で、この寒さは応える。つまり陽射しはあったものの、カラカラの湿気で、そこへ強い強い風が吹いていたから、とてつもなく寒く感じたのである。
よく体感温度と言われるが、実際に温度計で記録された温度よりも、我々にとっては体感温度の方が日常において現実的である。今日のように風が強いと、たいへん寒く感じるので、帰宅時に歩いていると湖国の厳しい寒さが風邪と共に襲ってくる。ところで風速が1m/s増すと体感温度は1℃低くなるという。これはリンケという人の説であって、L=t-4×√2という式で表せる。すると今日は風速がどれだけあったのか知らないが、おそらく風の強さだけで、いうならば体感温度で10℃位は違うだろう。・・・・あーあ、それだけで毎日、着る服に困る・・・・・。
2010.04.13 (Tue)
マイルス・デイヴィスのアルバム『バグス・グルーヴ』を聴く
このアルバムはマイルス・デイヴィスを中心とするハード・バップの誕生を予感させるオールスター・セッションによる録音である。メンバーはトランペットがマイルス・デイヴィスで、ヴァイブ・ヴィブラホンがミルト・ジャクソン、ピアノがセロニアス・モンクとホレス・シルヴァー、ベースがパーシー・ヒース、ドラムスがケニー・クラーク、テナー・サックスがソニー・ロリンズという豪華な面々である。録音が1954年6月と12月で、タイトル曲の『バグス・グルーヴ』はセロニアス・モンクのピアノ、ミルト・ジャクソンのヴァイブ・ヴィブラフォンが参加し、12月に録音。『エアジン』『オレオ』『バット・ノット・フォー・ミー』『ドキシー』は6月に録音されたもので、ピアノがホレス・シルヴァー。テナー・サックスにソニー・ロリンズが加わっている。
収録曲は前述のように『バグス・グルーヴ』(テイク1)、『バグス・グルーヴ』(テイク2)、『エアジン』、『オレオ』、『バット・ノット・フォーミー』(テイク2)、『ドキシー』、『バット・ノット・フォーミー』(テイク2)であるが、全曲で中心になっているのがマイルス・デイヴィスであることは間違いがないが、このセッションの面白いところはマイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクの唯一の共演であるが、最初の『バグス・グルーヴ』(テイク1、2)で2人は共演するものの、やはりマイルスのトランペットが光っていて、セロニアス・モンクは随分と控えめで、あまり存在感がないのは残念だ。それにしても冒頭からのマイルスが吹くトランペットのフレーズは今まで何回聴いたことか・・・・・・。この曲の作曲はミルト・ジャクソンでマイルス・デイヴィスのソロの後、ミルト・ジャクソンがソロを担当する。このミルト・ジャクソンが奏でるヴァイブ・ヴィヴラフォンという楽器はジャズでは余り聴かれないが、もちろんミルト・ジャクソンが第一人者である。ヴァイブ・ヴィヴラフォンは打楽器だが鍵盤楽器でもあるので、奏者は打楽器系とピアノ系に分かれるといわれる。ミルト・ジャクソンはファンキーなブルースを得意としていてMJQでも定評のあるところではあるが、MJQについては何れ当ブログでも書こうとは思っている(何時のことやら)。ミルト・ジャクソンの演奏は、この『バグス・グルーヴ』でも彼の持ち味を活かしていて、このモダン・ジャズのスタンダード・ナンバーでもある当曲は最良の演奏であろう。
『エアジン』『オレオ』『ドキシー』は曲調が変るが、何れも作曲がテナー・サックス奏者のソニー・ロリンズである。ソニー・ロリンズの若き頃の代表曲を演奏しているというから聴き応えのあるアルバムではあるが、ここではピアノがセロニアス・モンクからホレス・シルヴァーに替わり、それぞれが持ち味を出し、殊にソニー・ロリンズが輝いている。マイルス・デイヴィスとソニー・ロリンズという才能ある2人がぶつかり合って昇華させているのもこの時代ならではかもしれない。またホレス・シルヴァー、パーシー・ヒースも面白い。
『バット・ノット・フォーミー』はジョージ・ガーシュインのバラード曲である。彼らが演奏すると、ガーシュインも再構築されてしまう。彼らの個性と持ち味が活用されるので、常套的なガーシュインの演奏とはやや違っているものの、結局、絶えずスタイルを変え続けたマイルス・デイヴィスと飽く迄もスタイルを変えなかったソニー・ロリンズが、裸でぶつかり合ったセッションが聴けるのも、このアルバムならのいいところである。
『Oleo』の演奏。動画はなし。
『バグス・グルーヴ』の演奏でヴァイブ・ヴィヴラフォンの妙技をみせるミルト・ジャクソン。
2010.04.12 (Mon)
雨の日と月曜日は
Nothing is realy wrong
Feeling like I don't belong
Walking around some kind of lenely clown
Rainy days and mondays always get me down
Funny but it seems I always wind up here with you
これはカーペンターズの曲『雨の日と月曜日は(Rainy Days and Monday)』の歌詞の中の一節である。簡単にいうと月曜日と雨の日は何時も憂鬱だといった意味なのだが、今日は朝から雨の月曜日だった。おまけに朝の電車が遅れていて、何時もよりも混んでいた。姫路のまだ西にある網干の方で信号の故障があったから各電車が遅れていたらしいが、岡山の手前で起こったことが、100㎞以上も離れたこちらにまで影響するなんて流石にJRである。おかげで電車が遅れたからバスまで満員。それに雨が降っているから憂鬱である。
雨が降っていたのに、何か気持ち悪いほど生暖かい空気が漂っていて春の清々しさは何処にもない 。それが、夕方からは風が出てきて、やや肌寒く感じるようになったから、雨で大気が冷やされたのかもしれない。でも雨がポツリポツリとしか降っていなかったので、帰宅時には駅まで歩いて行ったものの、京都に入り我が家の最寄り駅に着いたら強い雨が降っていた。傘をさして駅から自宅に向うが、雨、風共に強く、家に到着した時は、膝から下がずぶ濡れだった。
それにしてもよく降るな。3月が雨ばっかりとぼやいていたが、4月になっても相変わらずよく降る。ことに休み明けの月曜日は、ただでさえ気分が乗らないのに、そこへ雨が追い討ちをかける。しっかりとした雨足で、地面に叩きつけるように降る。こちらとしては傘をさしても、鞄から靴から、靴下まで濡れたし、帰宅してから室内で干している。それにしても、こんなに3月、4月に雨が降っていいものだろうか。今降って肝心な梅雨時に降らないってことはないだろうなあ・・・・・。
簡単ではありますが、今日はこれで失礼!
2010.04.11 (Sun)
第70回桜花賞
さて、どんよりとした天候の阪神競馬場で第70回桜花賞(G-Ⅰ・3歳牝馬、芝1600m、18頭)が行なわれた。混戦の模様という戦前の評価の通り断然人気はなく一応、アパパネが1番人気の中でスタートが切られた。
ゲートが開く。以前と違ってスタートしてからの直線が長いので、一気に飛び出す馬はいないが、今回はこれといった逃げ馬もいない。それで押し出されるようにオウケンサクラが先頭に立った。宰初の1ハロンが12.6秒もかかっているように各馬ソロっと出た感じである。それでオウケンサクラがハナを奪ったのだが、これには驚いた。2番手にレディアルバローザ、アプリコットフィズとアパパネがいて、その外にエーシンリターンズ、さらにワイルドラズベリー、アニメイトバイオ、コスモネモシン、ジュエルオブナイル、タガノエリザベート、ギンザボナンザ、シンメイフジ、ラナンキュラス、プリンセスメモリー、サウンドバリアー、ステラリードと18頭が差がなく続くき、向こう正面を通過して早くも3コーナーにかかろうとする。スタートからのハロンラップは12.6---11.2---11.8---11.9---11.4で800m通過が47秒5、1000m通過が58秒9と平均ペースといっておこう。ただ馬場を考えればやや遅い。
あまり順位に差がなく4コーナーから直線に向く。先頭にオウケンサクラ、レディアルバローザが2番手。内にアプリコットフィズ、外にエーシンリターンズ、あと300m、オウケンサクラ先頭。アパパネは5番手あたりか。オウケンサクラがまだ粘っている。エイーシンリターンズ2番手、外からアパパネが3番手に上がる。あと200m、オウケンサクラ先頭、エーシンリターンズ、アプリコットフィズ、その外にアパパネがいる。オウケンサクラ先頭。後ろからショウリュウムーンも迫ってくる。先頭はオウケンサクラ、アパパネ、アパパネが伸びる。アパパネとオウケンサクラ、アパパネとオウケンサクラだが、外からアパパネが出る。僅かに出る。さらに外からショウリュウムーンが襲い掛かるがアパパネ先頭でゴールイン。
1着アパパネ 1分33秒3、2着オウケンサクラ 1/2、3着エーシンリターンズ クビ、4着ショウリュウムーン 3/4、5着アプリコットフィズ 3/4。
予想通り混戦ではあったが勝ったのが1番人気のアパパネで、2着が3番人気のオウケンサクラというあたり妥当な結果となりレースとしては大人しかった。もっと前半から積極的に逃げる馬が2、3頭いればレースがもっと面白かったのにと思いながら観ていたが、今年の3歳牝馬は今のところ、実力的にちょっと物足りないような気がする。
2010.04.10 (Sat)
桜も散りだして・・・
山崎聖天は正式には観音寺といい、平安時代の899年に創建された真言宗派の古いお寺である。でも京都の洛西、乙訓地域の人以外は、ほとんど知らない桜の名所である。天下分け目の天王山の山麓にあって、鄙びた田舎の山寺といった雰囲気を醸しだしているが、観光寺ではないので、桜が満開の時以外は誰も訪れないお寺である。でも小生、このお寺は子供の頃から良く知っている。小学生の頃、天王山ハイキングといって頂上まで登る途中にあったお寺なので、御馴染みであった。すぐ近くにはアサヒビール大山崎山荘美術館があって、こちらの方は結構、人が訪れるものの、こちらの方の山崎聖天は誰も訪れない。でも先週は花見客が多かったのではないかと推測できるのだが・・・・。
小生の自宅から歩いていける範囲にあるが、知らない人だとどこから参道に行けばいいのか判らないほど目立たない山寺である。阪急大山崎駅から西国街道を京都方向に向って15分ほど歩くと、左側に寺へ向う参道がある。JR東海道線と阪急京都線のガードを潜ると山崎聖天の鳥居が現れた。仏教寺院なのに鳥居があるとは・・・・・。でもこんなお寺、日本各地には数多くある。この寺の場合、観音菩薩や歓喜天を始め神仏両方を祀っている関係から、お寺なのに鳥居があるのだが、初めてくる人は神社と勘違いするかも・・・・いや、今時の若者は神仏の違いさえ判らない人が多いから、気がつかないかも・・・・・・・。また神社造りの建築物があるのも特徴。これは明治天皇の命によるとされる。
境内には桜が植えられていて、桜の名所として名高いのだが・・・・・・。
もう散り始めて数日はなるかなあ・・・・。
この手前の木はほとんど咲かないで、ほぼ葉桜になっている。
本殿へ向う階段だが、人っ子1人いない。いや、女性1人と天王山ハイキング中の中年男性数人を見かけたが。
今日は暑い。本殿まで登るのもアホらしくなってきた。それで側道のゆるい階段を下りていったのだが、桜の花びらが石畳の上に散っていた。もう3日もすれば完全に桜の花は散り行くだろう。また来年まで桜とはおさらばだ。
お寺の参道を降りていくと、阪急電車の線路の向こうにJR東海道線の線路が見える。ちょうど特急列車が通過していくところであった。
2010.04.08 (Thu)
電車が混みだした
ところで、今日からやけに電車が混んでいる。どうしてかなと思ったら、今日から学校が始まったのである。学校を出てからすでに30数年にもなるので、学生、生徒、児童が何時まで春休があるのか、それとて判らない。そういえば本日は4月8日であった。我々の頃も4月8日が始業式の日だったということを思い出してしまった。それで電車が混みだしたのか・・・・・。もっとも大学生は2、3日、前から電車の中で見かけるようになったが、小中高の始まりが今日からなのであった。
何時ものようにも最寄の駅から電車に乗る。すると同じ車内に小学生低学年の子が3人乗っていた。男の子1人、女の子2人の三人組なのだが、3人とも小さく、親の付き添いはないようで、京都駅で降りたようだ。でもこんな小さい時から私立の小学校に通わすなんて、ちょっと可哀想だなと感じた次第である。おそらく、この子らは地元の子供達と離れ電車に乗って通学しているのだ。なので、家に帰っても近所の子供とは遊ぶことも希なのだろう。一般的には学力関係なく地元の公立の小学校に入れるのが筋だろう。それだと帰ってからでも学校でも、共通の仲間同士で遊べるし、近所の友達は全て同じ学校に通っているから、孤独感は少ないだろう。でも私立の学校に通うとなると子供が1人寂しく、大きなランドセルを背負い長い時間を要して通学しなければならないのである。やはり見た目にもいい感じはしない。結局、親のエゴではないだろうか。まあ、いくらか親心があるかもしれないが・・・・・。
最近は小学校でも教室内が荒れていることがあるというから、授業が成り立たないこともしばしばだとか。だから親とすれば、少々、通うのに時間がかかっても、お金がかかっても、うちの子供だけは私立の小学校に入れたいと考えているのだろう。そうすると試験のある私立は、躾の出来てない子や、素行の悪い子が少ないので、親としては安心だという話を良く聞く。でも子供自身が納得しているというのならいいけども、小学校に入る年齢の学童なら、そこまで事情を理解していないだろう。したがって親が無理やり入学させた場合が多い。でも見た目には、小さい身体に大きなランドセルを背負った小学生達は明らかに疲れている。それでつい頑張れよと心の中で叫んでしまった。
それにしても混んでいる。仕方なく混んだ電車に乗り込む。車内は社会人から、大学生、高校生、中学生から小学生で乗っていて、昨日までの混み方と一味違っている。大阪だと社会人を中心に、色々な人が電車内を占拠するが、近江の国の電車内では、学生、生徒なしではやっていけないかもしれない。それで、始業式の今日、高校生達が電車に大勢乗り込んできて、車内がいっぺんに賑やかに立った。つまり私としては、電車に乗り込む高校生が増えて、彼らがよく騒ぐので始業式の日が判ったまでである。でも何れにせよ、電車内は空いている方が小生としては有り難いのだが・・・・・・。
2010.04.07 (Wed)
久米正雄『受験生の手記』を読む
久米正雄の『受験生の手記』というと中学生の時、読書感想文の課題図書の一つに指定されて読んだ覚えがる。何でこの小説が選ばれたのか知る芳もないが私は当時、教師の嫌がらせかと勘繰ったぐらいだ。とにかく主人公が勉強ばかりしているといった印象があった。それで国語の教師も、我々、生徒にこの主人公ぐらい勉強するようにと説いた。しかし、私は大きなお世話であると言いたかった。久米正雄がこの『受験生の手記』を書いたのが大正時代の初期である。今の大学と違ってごく僅かな選ばれたエリートしか大学に進学できなかった時代の小説である。だから主人公が勉強ばかりしているというのは当たり前であり、勉強の虜のような連中しか大学に行かなかったのだから当然である。中学時代の教師が、この主人公である健吉は1日10時間を勉強するのだといって力説していたことを思い出すが、それを我々のような昭和時代の凡人に対し、同様の勉強をやれというのも所詮、無理な話ではあるが、教師という立場から何かと向学心をつけさせようと苦心惨憺していたのだろう。大人になった今だから、判ることだが中学生の頃には、何故、勉強するのか私自身もよく理解していなかったというのが本当のところで、もっと勉強していればよかったと後悔するのは誰しも同じだろう。
話を『受験生の手記』に戻すが、ここでこの小説のことをウダウダ書いてもあまり意味はない。なにしろ旧制時代の一高を受けようとする受験生の話なので、現在とはかけ離れすぎていてあまりリアルではない。だから簡単なあらすじだけを書いておくとする。
・・・主人公の健吉は一高の受験に一度失敗している一浪である。また翌年の受験に備えて、東京の義兄の家に居候して受験勉強に励んでいた。とはいうもののなかなか集中できない。さらに、義兄の姪にあたる澄子に淡い恋心を抱くようになる。それから間もなく健吉の弟である健次がやはり受験のたやってくる。弟も一高受験するためで、兄弟で同時期に同じ学校を受験するのであった。やがて運命の試験が始まり、その結果、健吉はまたも不合格。一方の弟は合格であった。傷心している健吉にさらに追い討ちをかけるかのように、澄子が弟の健次に恋をしていることが判る。健吉は汽車に乗り田舎に帰る決心をするが、途中、下車して猪苗代湖に入水自殺を計る。
大正時代の受験生にありがちなナイーヴで繊細な神経を持ち合わせたエリート達。こんな例はいくらでもあったのではないだろうか。男女七歳にして席を同じゅうせず。と言われた時代のお話であるからして、旧制の高等学校を受験するエリート学生たちは、今の高校生のように恋愛経験などあるはずもない。だが、思春期に入っている年代だから当然のように好みの異性に恋心を抱くことは想像できる。それが受験失敗から、恋心を抱いている女性が、よりによって自分の弟が好きであったという現実が、彼を自殺に追いやったとしたら何とも切ない話である。最も戦後の学制改革で旧制の高等学校はなくなり、男女別学から男女共学になった。全てが戦前と変わってしまった。今の高等学校は誰でも入れるし(もちろんレベルの差はあるが)、大学の進学率も飛躍的に上がり、選り好みさえしなけらば高卒の全員が大学に入れるようになった。こんな時代だから、健吉のような壊れ易い繊細な神経を持っている生徒は希少価値になりつつある。でも今は贅沢になった分だけ、どうしようもなく甘やかされて自立心欠如から引き篭もりになっている児童、生徒も増えたというが、健吉の持つ繊細とは雲泥の差がありそうだ。
ところで作者の久米正雄であるが、彼自身は推薦で一高に入っているので浪人の体験はなく、どこで小説の題材を拾ってきたのかは不明であるが、久米正雄は、その後に東大文学部に入り卒業後、師事していた夏目漱石の長女筆子に恋するが、直後に夏目漱石が亡くなったので漱石夫人に結婚の許しを請うている。結局、結婚は敵わず筆子はよりによって同門の小説家だった二枚目の松岡譲と結婚する。このことについて、久米正雄は後々まで色々と記述していて、よほど悔恨していたとみえる。そういった久米正雄の性格から考えると、一高の受験失敗よりも恋していた女性に裏切られたことによって自殺したということの方がストーリーの中においては、重要性をおびていたのかも知れない。もっとも松岡譲とは久米正雄の晩年に和解している。尚、『受験氏の手記』を言う小説は短編、中篇を集めた『学生時代』という小説集の収められている。
2010.04.05 (Mon)
ゆとり教育見直し
とりあえず小学校の教科書を来年度から変えるらしく、学習指導要領を文部科学省が全面改定し学習内容を充実させ新指導要領に基づいた新しい教科書を使用するという。新しい教科書は現行教科書と比べ、平均ページで全体で25%、算数で33%、理科で37%増え、基礎の反復や実験、観察が増えたらしい。ところで何故、ゆとり教育が見直されるかというと、どうも日本の小学生、中学生の学力が落ちていることから、ゆとり教育の見直しがされるという。それで日本の児童、生徒の学力が本当に落ちているのかどうかということになるが、どうも本当らしい。経済協力開発機構が世界15ヶ国の15歳を対象に実施する国際学習到達度調査によると日本の生徒の学力低下は明確であるという。
2007年度の国際学習到達度調査によると、日本の生徒の学力は、読解力15位、数学10位、科学6位となり、読解力にいたっては最下位という有様で、日本の未来を担う10代の生徒達がこれでは我が国の将来は暗いと思ったのだろうか、ようやくゆとり教育を見直すというから滑稽である。
そもそも私の世代ではゆとり教育っていわれても、あまり実感がない。我々は詰め込み教育時代の世代なので、何でもかんでも叩き込まれ、やたら覚えろ覚えろと強要されたので、ゆとり教育というものがよく判らない。それで今は円周率が3.14と教えないで3でいいなんて何処の誰が言い出したのか?
でもおかしなもので、その昔は詰め込み教育がよくなくて、全人教育が必要だということで、ゆとり教育を推奨したのでは・・・・・・といいたいが、実は教員達が土曜日も休みたいとか言い出したというのが学校週5日制の始まりだと噂では聞いている。労働問題から発展し、教員達も世間の企業並みに週休2日制をということで、生徒達が犠牲になったのではないのか。
まず1992年の9月から公立の小中高の学校が毎月第2土曜日を休日になった。その後、1995年4月から第2、第4土曜日が休日になる。そして、2002年の4月から全国の公立の学校が毎週土曜日を休むようになり、その結果、ゆとり教育が行き過ぎて学力低下を招き、このほどのゆとり教育見直しということなのだが、何ともおかしな話である。
当時の文部省は学校週5日制にしてしまうと生徒達の学力低下が起こるのが予測できなかったのだろうか・・・・。考えてみると判るが、毎週土曜日の授業がカットされるのである。年間にしてどれだけの授業時間が無くなるのだ。その結果、教わる内容が低下することも見えていただろうし、それでいてゆとり教育といって全人教育を試みたつもりだが、結果としたら逆効果だったとしかいいようがない。全人教育とは程遠い、道徳の欠如した生徒・児童が増殖し、学級崩壊にも繋がっている。結局はゆとり教育からの歪ばかりが浮き彫りにされてしまった。
無理もないのだが、全人教育だといって土曜日を休みにして読書を薦めても生徒達の読書量が増えるわけではなく、テレビを観るか、テレビゲームをするか、携帯電話を弄るか、パソコンを弄るか、あとは外へ出て遊ぶだけといった状況になるのは判りきっているだろうし、昔と違って今は勉学意欲を失わせる媒体が身の回りに転がっている。そんな環境下において勉強を自主的にやる子はよほど出来た子だろう。こんな子は放っておいても自分で学ぼうとするからいいが、大部分の子はそうはいかないのだ。無理にでも勉強を強いる環境下におかないと勉学意欲がわいてこないもので、課題を与えて、学習させないと身につかないだろう。それを頭から授業時間を削ってしまい、教える内容を削減した結果、日本の生徒達の学力低下を生んでしまったのは明白なのに、何を今更、ゆとり教育を見直すとは・・・・・・。
公立の学校がゆとり教育実施から土曜日も休みにした関係で、この間、都会では詰め込み教育を相変わらず続けている私立学校が躍進してしまったことは偶然の産物だけでは済まされないだろう。10代の間は何でも吸収してしまうほど能が活動的である。この年代に何もかも覚えておくと将来、忘れないことが多い。それでいて、ゆとり教育を押し進めた結果、読解力がなく、観察力がなく、物覚えが悪く、道徳心がなく、辛抱強さがないような若者がだんだん増えているような気がするのだが。
時代とはいえ、全般的な知力は私よりも年配の人の方が若者よりも明らかに勝っていると思う。やはりゆとり教育は見直されなければならないだろう。それで、今の大学生ぐらいから下の年代は土曜日休日が当たり前だと思っているだろう。昔は土曜日も学校が当たり前だったのだ。でも、大学出たばっかりの先生もゆとり教育世代である。はたして日本の子供達の学力再生を達成できるかどうかは、これからにかかっているが、現実的に失った10年は大きいような気がする。
2010.04.04 (Sun)
ダービー卿チャレンジT、産経大阪杯
スタートして先行争いからマイネルファルケが先頭に立つ。ショウワモダンが2番手、ゲイルスパーキーが3番手、その後にはサニーサンデー、フィフスペトル、リザーブガード、セイクリッドバレー、ドモナラズ、アップドラフト、タケミカヅチ、ヤマニンエマイユ、アーバンストリート、マルタカエンペラーと続き、アンノルーチェ、トライアンフマーチといて最後方に4馬身離れてファリダットという順で間もなく3コーナー。ハロンラップは12.4---11.8---12.1---12.0---12.0と800m通過が48秒3と古馬オープンのマイル戦とは思えないような超スローペース。これだと前にいないと勝てない展開である。ファリダットが4コーナーで一気に仕掛けるが1番外に回される。短い直線に向いてマイネルファルケが逃げ込みをはかる。2番手にショウワモダン、3番手サニーサンデー、4番手フィフスペトル、また前の2頭が仕掛ける。あと200m、マイネルファルケとショウワモダンが引き離す。ここでショウワモダンが出た。2番手にマイネルファルケ、ショウワモダンが1番身出た。2番手にマイネルファルケ、ショウワモダン1着でゴールイン。
1着ショウワモダン 1分34秒3、2着マイネルファルケ 1馬身、3着サニーサンデー 1馬身1/2、4着フィフスペトル クビ、5着セイクリッドバレー アタマ。
何とほぼ道中の位置取りで決まったといってもいいような前残りの競馬となってしまった。中山でスローペースになるとこういったレースになりがちである。展開も何もないから観ていてもつまらないレースは時にしてあるが、最初から判っていてもどうしようもない展開にはまってしまったようだ。
阪神の産経大阪杯(G-Ⅱ・4歳以上、芝2000m、12頭)には天皇賞に向うであろうドリームジャーニーが出てきたが、斤量の59㎏が小柄なこの馬には辛い気がするし、阪神の内回りコースといい2000mといいドリームジャーニーには向いていない。それでも昨年のグランプリをダブルで獲った馬だから無様なレースは出来ないが・・・・・・。
スタートが切られた。ゆったりとした展開からショウナンライジンがハナを奪う。2馬身あとにサンライズベガ、3番手フィールドベアー、4番手テイエムアンコール、そのあとにヤマニンキングリー、エアシャトゥーシュ、タスカータソルテと続き、ホッコーパドゥシャ、サクラオリオン、あらにゴールデンダリアとドリームジャーニーが併走。最後方に4馬身離れてシェーンヴァルトという展開で。向こう正面から3コーナーにかかろうというところであるが。スタートからのハロンタイムは12.1---11.1---12.8---12.3---12.0と800m通過が48秒3、1000m通過が1分00秒3とスローペースである。この展開でドリームジャーニーは差しきれるのか?
阪神の2000mは内回りコースを使うので直線が短い。600のハロン棒を通過する辺りからドリームジャーニーガ外を通って上がっていく。12頭が固まって4コーナーから直線に向いた。ドリームジャーニーは1番外。先頭はフィールドベアー、ヤマニンキングリーが2番手、3番手テイエムアンコール。残り200mとなった。ドリームジャーニーは1番外の7、8番手で伸びがない。先頭はテイエムアンコール、テイエムアンコール。あと100m。テイエムアンコールが出た。フィールドベアーが2番手。外からゴールデンダリアとドリームジャーニーが迫ってくる。しかし、テイエムアンコールが先頭。テイエムアンコールが粘りこんだ。
1着テイエムアンコール 1分59秒5、2着ゴールデンダリア 3/4、3着ドリームジャーニー ハナ、4着フィールドベアー クビ、5着タスカータソルテ 3/4。
勝ったのが6番人気のテイエムアンコールで2着が9番人気のゴールデンダイラというから、如何に今の古馬の牡馬がだらしないかということである。ドリームジャーニーにしても昨年の宝塚記念と有馬記念を勝った馬だから勝って当然なのだが、この馬は小柄でいて脚質的な問題から安定した成績が残せなくて、取りこぼしが多い。この結果からすると天皇賞に行くのかどうか判らない。この馬には3200mが長いような気もする。もしかして宝塚記念に直行するかもしれない。さあ、来週は桜花賞である。再来週が皐月賞だ。競馬ファンにとっては忙しい忙しい。
2010.04.03 (Sat)
今年の桜は・・・
今年の桜はボリューム感がないということだ。まだ、満開になってないところが多いからしょうがないといえばしょうがないのだけども、どうも木によって咲き方にバラつきが見られるのだ。8分咲きがあるかと思えば、すぐ近くには、まだ5分咲き程度の木もある。また同じ京都市でも様々で、地域差で咲き方が全く違うのだ。桜の木は植物なので、日の当たり具合や寒暖の差によって多少、差が出るのは仕方がないというものの、今年ほど咲き方にバラつきが見られる事も珍しい。それほどこの数週間が寒かったということと、雨が多いということに起因するのかもしれない。
とにかく2月の下旬の高温続きで、桜がとんでもなく早い時期に開花した。つまり桜がわずかに開き始めたのである。だが、その後は雨ばかり降った関係からか、天候が不順であり寒い日が多かったので、やや開きかけた花が、その状態で待ちぼうけを喰らっているような、なんともおかしな咲き方をしている木々が多い。一本の木を見渡しても全体が咲いているのではなく、蕾のまま開花せずといった芽があるかと思えば、見事に開花している場合もあって不揃いな咲き方をしているのだ。それに、花が開きかけた状態で長い時間、経過しているので花が萎れている場合があって、見事な満開とはいえなのだ。
桜の花というのは満開になるとすぐに散るのだが、満開になる前は花が強くて、少々の雨ではなかなか散らないものなのだが、これだけ開花しだしてから満開までに時間が長いと、桜の花びらも元気がなくなってくるのかもしれない。だから、今年の桜は見事な満開になるのだろうか。今日、3日現在では満開というのには早すぎるが、満開になってもはたして例年にも増して見事な桜の咲き方が見られるのかどうか、今から危惧しているのである。それにしても寒い。これだととても夜桜見学どころではないなあ・・・・・。
2010.04.01 (Thu)