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2009.01.25 (Sun)

2009大阪国際女子マラソン

 久々にマラソンの記事でも書くことにする。マラソンは子供の頃から観るのが好きで、君原、寺沢、円谷、重松、宇佐美の時代から宗兄弟、瀬古、中山、児玉といったあたりは日本の男子マラソンが強かったのでよく観ていた。それがいつしか日本の女子の方が強くなり、今は女子マラソンを観る機会が増えたものの、このところ観ることも減っていた。だが、何気にテレビの電源を入れると、大阪国際女子マラソンのスタートが切られようとしていた。それで観る羽目におちいったのだが、注目は2ヶ月前の東京に出場した渋井陽子が雪辱を期して出てきたということ。またママさんランナーとして北京オリンピックの10000mに出場した赤羽有紀子も出ること。そして、小出監督の秘蔵っ子で21歳の脇田茜が初めてマラソンに出るということ。こういったメンバーを見ていると、やはり観なくてはならないだろうということになり、テレビの前に2時間半も陣取ってしまった。

 この大阪のマラソンというのは、長居公園スタートの御堂筋と長堀通との交差点が折り返しになるのだが、比較的平坦で記録の出易いコースとされている。そして、この競技場のある長居公園であるが、かつては競馬場と競輪場のあったところで、その後、都市公園として整備され、陸上競技場、球技場、野球場、相撲場、プール等があり、立派な運動公園となっている。またここの公園内にある周回コースは1周が2813mあって、大阪のアマチュアランナーのメッカともなっている。それは2813mを15周すると、ちょうど距離がマラソンと同じ42195mだからである。つまり1周を走ってタイムを計れば自分の実力が判るということになる。たとえ1周だけでもマラソン選手の凄さが垣間見れるのである。

 そういえば今から、40年ぐらい前は、ここの周回コースを使って大阪府の中学駅伝大会というのをやっていて、昭和30年代に大阪で無敵を誇った吹田三中のエースが沢木啓祐だったと、私の中学の時の体育教師が話していた。沢木啓祐は、その後、茨木にある大阪府立春日丘高校に進学して、インターハイに出場。1500m、5000mで優勝。順天堂大学時代には海外遠征をもして頭角を現し、時の世界記録保持者ロン・クラークを破った時は、大きなニュースになったものである。メキシコ・オリンピックでは期待されたが、レース中にスパイクされ、不本意な結果となったが、当時のトラックの長距離種目において全て日本記録を塗り替えたという名ランナーであった。特に日本で行なわれたユニバーシアード大会での5000m、10000mでの金メダルは見事なものであった。その人は今や、日本陸連の強化委員長であるから時代は進むものである。

 さて、いよいよマラソンのスタートが切られた。最初の5㎞が17分25秒だという。このペースでいくとゴールでは2時間26分58秒である。みんな互いに牽制しているのか・・・・。渋井は知られている選手なので、詳細は省くが、赤羽選手と脇田選手は気になる存在である。赤羽は城西大学時代、全国大学女子駅伝で4年連続区間賞に輝いたことがある。社会人になっても記録が伸びて、10000mで31分15秒34の記録を持っているスピードランナーである。また脇田も女子駅伝の強豪である兵庫県の須磨学園高校時代に、全国高校駅伝優勝メンバーのアンカーとして1年生ながらテープを切ったエリートである。こういったスピードランナーに加え10000mの日本記録保持者(記録30分48秒89)の渋井陽子もいる。なのにスローペースである。でもスローペースと言っても、100mで換算するなら20秒8~9で走っていることになる。我々だとほぼ全力に近いスピードで走らなければ付いていけないことになる。それを42kmも、このペースを維持しないといけないから、女子とはいえ一流のマラソンランナーは、どれだけ凄いか判るだろう。

 序盤はスローペースで15、6人の集団であったが、その後、スプリットタイムが17分台を維持していて、ペースが上がってこない。

【More・・・】

 レースが動いたのは大阪城を出たあたりだろうか。集団がバラけだし、渋井が徐々にペースを上げていき、付いてきたのは赤羽だけとなってしまった。サバイバルレースの様相から、脱落していく選手が増え、いよいよ2人のマッチレースとなるかと・・・・5km間のスプリットタイムも一気に16分台前半に上がる。これだと後続の選手はつけない。2ヶ月前の東京で後半失速した同じ選手とは思えない。30km過ぎて、一騎打ちからさらに渋井がペースを上げると、とうとう赤羽も置かれていきだした。今回こそはという渋井の執念というか捲土重来をかけての必死さが伝わってくる。それまでのゴール予想タイムが2時間25分台だったものが、ペースアップにより短縮されてきた。35km以降は独走になってしまい、長居周回コースに入ってからもペースは衰えず、結局、2時間23分42秒で優勝した。

 でも彼女は2時間19分41秒で優勝した2009年9月のベルリン・マラソンから優勝がなかったという。この間、5回走って勝てなかったというのは、いったいどうなっているのだろうか。スピードもあるし、持久力もある。でも脆さが同居していて、勝ち続けることが困難な選手なのだろう。でも今回の勝利を期に、最も変って欲しい選手である。勝った瞬間はよほど嬉しかったとみえて躍り上がっていた。彼女は初マラソンが21歳の時の大阪で、当時、初マラソン世界最高タイムの2時間23分11秒で優勝して、華々しくデビューしたが期待ほど活躍できず、オリンピックのマラソン代表には、まだなったことがない。今回の優勝で陸上の世界選手権マラソン代表の座を射止めたが、次回も今回同様の走りが出来るとすれば、正真正銘、彼女は成長したことになるだろう。夏のベルリンが注目である。
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