2017.12.08 (Fri)
やっと入れた
全く更新できなかった。というのもPCが勝手に仕様変更の画面に変わってしまったから全てがやりにくくなったということ。最近のPCは迂闊に最新の更新は出来ないなあと思った。更新のお知らせが来ていたからクリックしたら2時間ほどPCの画面が青画面。そしてやっと終ったと思ったら前のやり方が通用しなくて、一からやり直し。知らぬ間にお気に入りが全て消えているではないか。これ焦った。パックアップしておくべきだった。それでようやく今、ブログの画面に入ったのだが、今度はブログもおかしくなっている。せっかく書いた記事も載らないときあるし、過去の記事もいつの間にかいくつか消えてしまった。そして、写真も載せられなくなった。そうにかすれば載せられるのだけど、PCを新バージョンに更新すると前のやり方では動かなることが多い。だkらしばらく放置しようかなとも考えた。まあ見に来る人もほとんどいないブログだが、それでも10年は続いたからな。でも世の中ブログの時代でもない気がする。世はインスタだとかフェースブックだとかツイッターだとかSNSがなければ生きていけないのかな。小生未だにガラケーの携帯を使ってる。電車の中で携帯を出すと古いなあというような顔をされる。まあしょうがない。スマートフォンが是非必要とは思わないし携帯なんてメールが送れて電話さえ出来れば良いと考えているから現状でも良いかな。あとは帰宅してPCを開けば良いことだし。でも最新バージョンに更新したのは失敗だった。
2017.06.04 (Sun)
固定電話で考えること
今まであまり考えなかったのだが、このところ家の固定電話についてよく考えるようになった。それは何故かというと、最近はほとんど家の固定電話から通話したことがないからだ。それというのもこちらから電話をかける場合や相手側からかかってくる場合は全て携帯電話で処理しているという現実に気がついたからだ。そして使いもしない固定電話の請求書が毎月送られてくる。ほぼ2000円弱。何ともバカらしい。
もう固定電話の契約を切ってやろうかと思うが、世の中そう簡単にはいかない。何故なら今の世の中において書類を書き込むとき、ほとんど家庭内の固定電話の番号を書き込まなけらばならないからだ、謂わば信用問題に関わるのだろう。だが若い人で一人暮らしを最近始めたという場合、おそらく固定電話を付けてないだろう。大部分の人がスマートフォンの時代である。だからもう固定電話の番号書き込み欄をやめてしまって、携帯電話の書き込み欄だけで良いのにと思うが、我々の年代になるとやはり固定電話の番号書き込み必要になる。つまりこちらから固定電話を使うことはなくても、時々かかってくるのが固定電話の煩いルルルルルルルルル・・・・という音。仕方なく出るとほとんどがセールスの電話。もう用がない電話ばかり。こちらからはかけないのに毎月、電話代を払っているからどうしようもない。もう早く携帯電話の番号書き込みで全て書類が通るように時代がついてきてほしいろいうのが最近になって思
うことである。
もう固定電話の契約を切ってやろうかと思うが、世の中そう簡単にはいかない。何故なら今の世の中において書類を書き込むとき、ほとんど家庭内の固定電話の番号を書き込まなけらばならないからだ、謂わば信用問題に関わるのだろう。だが若い人で一人暮らしを最近始めたという場合、おそらく固定電話を付けてないだろう。大部分の人がスマートフォンの時代である。だからもう固定電話の番号書き込み欄をやめてしまって、携帯電話の書き込み欄だけで良いのにと思うが、我々の年代になるとやはり固定電話の番号書き込み必要になる。つまりこちらから固定電話を使うことはなくても、時々かかってくるのが固定電話の煩いルルルルルルルルル・・・・という音。仕方なく出るとほとんどがセールスの電話。もう用がない電話ばかり。こちらからはかけないのに毎月、電話代を払っているからどうしようもない。もう早く携帯電話の番号書き込みで全て書類が通るように時代がついてきてほしいろいうのが最近になって思
うことである。
2017.03.14 (Tue)
またまた久しぶりで
また更新の間が開いてしまったな。といってもなかなか時間が取れないというのが一因だろうけど、ブログ更新への熱も冷めているからしょうがない。書くことは山ほどあっても書くのも簡単にいかない。年金生活者で一日中自由な時間があれば良いが、働いている身としてはなかなか時間が空かない。もっとも年金だけで生活できる人ってのは少数で、ほとんどの高齢者はごく少額の年期を貰ってあとはパートタイマーで働いているというの実情だ。これから少子高齢化が進み、若者が減っていく中で高齢者が増えていくと大変なことになると言われている。当然、働きたくなくとも働き続けなくてはならない。国は70歳以上でも働いて貰うような方向に持って行くようだが、健康であれば働けるだろうが実際は杖をついていたり車いす生活の70歳も多い。昔は70歳なんて平均寿命だった。当然、ご隠居さんお年齢だった。それが現役で働いてくれと言うのはいかがなもんか。多くは生活のためやりたくもない労働を強いられていているに過ぎない。頭から定年のない自営業や職人なら関係ないだろうが、多くの勤め人は給料を貰っていて、ある年齢になると何れ辞めなくれはならない。そのときにそれ相応の老後の蓄えがあれば良いが、そんな人は一部だろう。小企業、零細企業で長年勤めても蓄えなどなく老後の生活に四苦八苦。待ってるのは下流老人。いやな話だが、こういった人が実際には多い。だから70歳過ぎても働き続けなくてはならない。ああ現実は厳しい。これが経済大国と言われた日本の今日の姿なのだ。昔、日本の政治家で人口を減らそうと言っていた人がいた。その頃は急速に少子高齢化が進むことなど考えなかったのだろう。今は日本の人口は減少に向かいだしたが高齢者ばかりが増え、労働に必要な人口は確実に減っている。こんな事態に誰がした。
まあぼやいてもしょうがないが、小生もやりたくもない労働を何時までも続けなくてはならないのかと思うと憂鬱になってくる。身体が何時までも動けば良いけどな、働くのを辞めた頃は動けない身体になっていたというのでは話にならない。それだけは避けたいものだが・・・・・。
まあぼやいてもしょうがないが、小生もやりたくもない労働を何時までも続けなくてはならないのかと思うと憂鬱になってくる。身体が何時までも動けば良いけどな、働くのを辞めた頃は動けない身体になっていたというのでは話にならない。それだけは避けたいものだが・・・・・。
2016.12.04 (Sun)
早くも師走
とうとう師走になってしまった。毎年言うことだが、年々月日が経つのが早くなるような気がする。小学校時代の1年とこの歳になっての1年とでは全く別の時空が流れているのではないかとさえ思う。物心がついた頃というのは何月だとか何日だとか言った意識はなかったが幼稚園に入り季節感がなんとなく判ってくる。小学生になり一学期が来て夏休み。二学期に入り冬休みになり正月が来る。そして三学期になり春が来て学年が上がる。こうして1年のサイクルを意識するようになる。この頃は学習することが多くて何でもかんでも覚えなくてはならない。全てが新しい見聞で満たされていて経験値となって積み重なっていくのだが、その経験値が増えていくに従って、年齢を重ねるごとに経験値が薄くなり時間の流れがより早く感じるようになるのかもしれない。つまり一度覚えてしまうと覚える苦労がなくなる分、長く感じられる苦役というものがなくなり早く感じられるようななるのかもしれない。習慣というものだろうか。毎日やっていることを繰り返すとだんだんと時間が短く感じられるようになる。しかし、突然環境が変わり新しいことを行うと何もかもが初めてなので、なれるまでが大変で不思議と時間が経たない。しかしいったん慣れると時間の経過がそれまでより早く感じられる。これは小生の体験上で言ってることだが20歳までは比較的時間が経つのは遅かった。当然、20代よりも30代の方が時間の経過が早く感じられ、40代ではさらに加速され、50代でまた加速。気がつけばこの歳だ。
ある人によると年齢分の1がその人の時間の感じ取れる速度らしい。10歳なら10分の1。30歳なら30分の1。50歳なら50分の1。これがその人の1年の速度の感じ方であるという。一理ある説だな。 ただし老人になり生きる目的もなくなったら時間が経つのも遅く感じる人もいると言うから判らない。年老いてもなにか新しいことにチャレンジしている人は生き生きしているのはそのためだろう。やはり人間はなんか一生、生き甲斐を求めて生きるべきだろうと思う。何もやることがない。生きる楽しみがない。こうなると悲惨だとは思う。ただし健康であることが第一ではあるが。
ある人によると年齢分の1がその人の時間の感じ取れる速度らしい。10歳なら10分の1。30歳なら30分の1。50歳なら50分の1。これがその人の1年の速度の感じ方であるという。一理ある説だな。 ただし老人になり生きる目的もなくなったら時間が経つのも遅く感じる人もいると言うから判らない。年老いてもなにか新しいことにチャレンジしている人は生き生きしているのはそのためだろう。やはり人間はなんか一生、生き甲斐を求めて生きるべきだろうと思う。何もやることがない。生きる楽しみがない。こうなると悲惨だとは思う。ただし健康であることが第一ではあるが。
2016.11.06 (Sun)
やっと入れた
この所、ブログの管理場面に入れなくて困っていた。というのもセキュリティの問題からパスワードを変えろというではないか。何ヶ月かに一回こういう画面が出て来るときがあるけど、まだパスワードを変えて半年もならないはずなのに、また変えろとは実に面倒くさいな。何度か変えているから新しいパスワードを求められてもすぐに浮かばない。以前パスワードを打ち込むとき、前に使っていたパスワードを使ってしまい管理画面に入れないときがあった。仕方なく現在使っているパスワードを知るために管理先にメールを送るという面倒くさいことを行った。何度かパスワードを変えると、今使っているパスワードが判らないときがある。最近のインターネット界は段々と高度複雑化した悪質な犯罪が増えているのでしょうが無いとは思うが、新しいパスワードを考えるのがまた面倒くさいし、すぐに浮かばない。本当になんとかならないものかな。
2016.05.08 (Sun)
おそ松くん
今年になってからのことであるが、電車の中で女子大生らしい二人が会話しているのが聞えて聞き耳をたてるのでもないが「『おそ松さん』が面白い」と耳に入ってきた。『おそ松さん』? 小生が小学生の頃、少年サンデーに連載している漫画『おそ松くん』というのがあったが、関係があるのだろうか。そして会話を聞いているとどうも一松だとかチョロ松だとか十四松だとか言ってるので、やはりあの『おそ松くん』に間違いがないようだ。でも『おそ松さん』だからな。それで、小生が調べてみると、どうやらテレビの深夜枠でアニメ『おそ松さん』として放映されているようだ。当然、観たことがないので詳細は知らないが、昔のおそ松くん達が成長し、社会人になってからの話だという。それが、女性の間で意外にも人気があると聞いて驚いているのだ。
『おそ松くん』とは昭和37年から漫画週刊誌である少年サンデーに5年に及び連載された赤塚不二夫のギャク漫画だが、当時は六つ子という設定が破天荒すぎてハチャメチャなギャグ漫画だったという記憶がある。確か松野おそ松を長男に、以下カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松の六つ子とそれを取り巻くチビ太、イヤミ、ハタ坊、デカパン、ダヨーン、トト子と個性豊かなキャラクターがいてバカらしくもありナンセンスあり、それでいて面白い。昭和41年にはアニメ化され、ここからさらに人気が出たのか、当時イヤミのシェーが大流行した。それ以外にもおでんばかり食べているチビ太、頭の天辺に何故か旗を立てているハタ坊、縞模様の大きなパンツを何時も穿いているデカパン、ダヨーンが口癖のダヨーン。唯一、普通のキャラクターがトト子だったぐらい。とにかくふざけた漫画だったのか当時のPTAには評判が悪かったように思うが、それは時代というものであり、あの頃は髪が長いグループ・サウンズやエレキ・ギターを弾いていたら不良扱いする教師達が現実にいた時代だから、それはしょうがないかな。とにかくビートルズが来日公演を行う時、日本武道館を使用することになった。ところが神聖なる日本の武道を行う会場を訳のわからん音楽をしている西洋乞食に貸すとは何事だと発言した有識者がいた時代であった。またタイガースやスパイダース、テンプターズ、オックスといった当時、昇竜の勢いで人気のあったGSのグループが、髪が長いという理由だけで紅白歌合戦に出れなかったのである。今の若い人には信じられないだろうが、戦前の質実剛健、男尊女卑、軍国主義・・・・・・こういった精神から抜けきれない大人がまだ大勢生きていた時代だから、やむを得ないだろう。つまりこの時代に戦前のお堅い日本の価値観が変化しつつあったというか、破壊者が出てきたのも確かであり、赤塚不二夫のナンセンスなギャグ漫画なんて典型だった。
ところで話は変わって『おそ松さん』であるが、原作者の赤塚不二夫がすでに亡くなっているのだが、原作者とは全く関係のないところでアニメは制作されたと言うことになる。まあ本人が生きていたらどう言うか判らないが、何でこんな昭和の戦後の高度成長期のギャグ漫画が、今の時代に新たなリメイク(この場合はリメイクとは言わないが)で、アニメとして放映されるているのか小生としては理解に苦しむが、試みとしては面白いかもしれない。ただ一回も『おそ松さん』を観たことがないのでなんともいえないが、昔の『おそ松くん』を知らない若い女性が興味を持っていると言うこと自体、惹き付ける要素がこのギャグ・アニメにあるのだろう。でもおっさん化したイヤミやチビ太は出てくるのかな・・・・・・。三本出っ歯で、口髭、気障でザンス、ザンス、おフランスが口癖で一番存在感のあったイヤミ。年取ったイヤミのシェーというのをまた聞いてみたいものである。
『おそ松くん』とは昭和37年から漫画週刊誌である少年サンデーに5年に及び連載された赤塚不二夫のギャク漫画だが、当時は六つ子という設定が破天荒すぎてハチャメチャなギャグ漫画だったという記憶がある。確か松野おそ松を長男に、以下カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松の六つ子とそれを取り巻くチビ太、イヤミ、ハタ坊、デカパン、ダヨーン、トト子と個性豊かなキャラクターがいてバカらしくもありナンセンスあり、それでいて面白い。昭和41年にはアニメ化され、ここからさらに人気が出たのか、当時イヤミのシェーが大流行した。それ以外にもおでんばかり食べているチビ太、頭の天辺に何故か旗を立てているハタ坊、縞模様の大きなパンツを何時も穿いているデカパン、ダヨーンが口癖のダヨーン。唯一、普通のキャラクターがトト子だったぐらい。とにかくふざけた漫画だったのか当時のPTAには評判が悪かったように思うが、それは時代というものであり、あの頃は髪が長いグループ・サウンズやエレキ・ギターを弾いていたら不良扱いする教師達が現実にいた時代だから、それはしょうがないかな。とにかくビートルズが来日公演を行う時、日本武道館を使用することになった。ところが神聖なる日本の武道を行う会場を訳のわからん音楽をしている西洋乞食に貸すとは何事だと発言した有識者がいた時代であった。またタイガースやスパイダース、テンプターズ、オックスといった当時、昇竜の勢いで人気のあったGSのグループが、髪が長いという理由だけで紅白歌合戦に出れなかったのである。今の若い人には信じられないだろうが、戦前の質実剛健、男尊女卑、軍国主義・・・・・・こういった精神から抜けきれない大人がまだ大勢生きていた時代だから、やむを得ないだろう。つまりこの時代に戦前のお堅い日本の価値観が変化しつつあったというか、破壊者が出てきたのも確かであり、赤塚不二夫のナンセンスなギャグ漫画なんて典型だった。
ところで話は変わって『おそ松さん』であるが、原作者の赤塚不二夫がすでに亡くなっているのだが、原作者とは全く関係のないところでアニメは制作されたと言うことになる。まあ本人が生きていたらどう言うか判らないが、何でこんな昭和の戦後の高度成長期のギャグ漫画が、今の時代に新たなリメイク(この場合はリメイクとは言わないが)で、アニメとして放映されるているのか小生としては理解に苦しむが、試みとしては面白いかもしれない。ただ一回も『おそ松さん』を観たことがないのでなんともいえないが、昔の『おそ松くん』を知らない若い女性が興味を持っていると言うこと自体、惹き付ける要素がこのギャグ・アニメにあるのだろう。でもおっさん化したイヤミやチビ太は出てくるのかな・・・・・・。三本出っ歯で、口髭、気障でザンス、ザンス、おフランスが口癖で一番存在感のあったイヤミ。年取ったイヤミのシェーというのをまた聞いてみたいものである。