2011.01.31 (Mon)
1月31日
今日は隣の福井県で豪雪。北陸線がほとんど動いてない有様で、したがって米原から長浜、高月、塩津、敦賀にかけては電車も豪雪に悩まされた模様。当然、湖西線も同様。あいにく職場のあるところではそれほど雪が積もらないからいいが、湖国は絶えず雪の心配をしなくてはならない。大阪あたりにいると雪はロマンチックだという人もいるが、滋賀県に通うようになってから、雪はもういらないと思うようになった。とにかく雪がどっさり降ると何かにつけて不便であるから雪はも見たくもない。でも冬はまだ長い。滋賀県では弥生3月が終わるまで油断はできない。でもその先は、また暑いのだろうなあ。年々、春と秋が短くなり夏と冬が長くなる。だんだんと四季というものを感じなくなっているが、まさか歳のせいでもないだろうな。4月の初旬までは寒いのに、4月の終わりごろには半袖で過ごせるのだから春が短く感じるのは気のせいでもないだろう。すると確実に地球温暖化の影響があるのかも・・・・・・。もっとも異論を唱える人もいるが、子供のころはもっと春や秋が長くて、四季がはっきりしていたように思うのは小生だけではないだろう。
2011.01.30 (Sun)
根岸S、京都牝馬S
根岸S
1着セイクリムズン 1分23秒0、2着ダノンカモン 1馬身1/4、3着ダイショウジェット 3馬身、4着エーシンクールディ 1馬身3/4、5着ティアップワイルド 1馬身3/4。
京都牝馬S
1着ショウリュウムーン 1分33秒7、2着ヒカルアマランサス 1馬身3/4、3着サングレアズール 1/2馬身、4着レディアルバローザ 3/4馬身、5着リビアーモ 1/2馬身。
2011.01.29 (Sat)
今からこれを観るのだ
このところ体調の悪さも手伝って、スランプ気味で何をする気にもならなかったが、ようやく知的好奇心が自分の中でふつふつと湧き上がってきた。それでCDショップで見かけたオペラのDVD2枚を思わず買ってしまった。
モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』とプッチーニ『トゥーランドット』である。何で買ったかというと、2枚で5000円札を出すとおつりがあるほど安かったからである。今までオペラのDVDを何十枚も買ったが、ほとんどが7000円、8000円とかいった価格で、大量に買える代物でもなかった。なにしろオペラという芸術は高くついてしょうがない。最近でこそ5000円以下のDVDが出回りだしたが、5年ほど前では考えられなかったものだ。とにかく総合芸術といわれるオペラである。プロの歌手が豪華な衣装を着て演じながら歌を歌い、それを演出する者がいて、伴奏をプロのオーケストラが行うだけでなく、序曲から間奏曲、フィナーレと全て生演奏で聴かせてくれる。これだとオペラの公演でチケットが万単位になるのも頷ける。なので当然、DVD化されても高い筈である。でも、なかなか生の公演を観にいけない者としては、DVD化は嬉しいものであって、少々、高くても無理をして買っってきたものだ。しかし、一度に何枚も買えるというものでもない。とにかくオペラのDVDは高かった。
それが以前、グラモファン、フィリップスから出ているオペラが安価で出ていたのに続き、DENONが1枚3000円以内でDVDのオペラー・シリーズを売り出したのである。それで2枚買ったという訳である。あとから考えてみるともう1枚余分に買えばよかったと思うが、どうせ全て観れるというものでもないから、今後にするとして、今から今日買ったオペラを観ようと思う。ウシシシシ・・・・・・・。
ところで今日買ったDVDであるが、モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』は、ウィーン国立歌劇場がアン・デア・ウィーン劇場で行ったライヴ収録である。演出はロボルト・デ・シモーネ、ドン・ジョヴァンニがカルロス・アルバレス、騎士長がフランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒで指揮がリッカルド・ムーティである。
プッチーニ『トゥーランドット』は2002年のザルツブルク祝祭大劇場でのライヴ収録である。演出がデイヴィッド・パウントニーで、トゥーランドットにガブリエーレ・シャナウト、アルトゥムにロバート・ティアー、指揮がワレリー・ゲルギエフというから興味深い。
さあ、今からじっくりと観るとしよう・・・・・・・Don Giovanni,a cenar teco m’invitasiti,e son venuto.
ただし、このオペラを観たからといって記事にするかは不明である。小生、オペラなどいくらでも観ているから・・・・・・・。
2011.01.28 (Fri)
1月28日
週末なのでゆっくり帰ろうと思い、駅までのんびりと歩いて駅まで到着。すると神戸の方で人身事故だという。あーあ、またか。このところあまり事故の影響を受けていなかったのに、JR名物の人身事故がまた起こった。これによりダイヤがまた大幅に乱れる。新快速は運行停止。甲子園口~姫路間は電車が全面ストップで、阪急、阪神、山陽電鉄で振り替え輸送を行っているという。
小生は3分遅れで電車に乗れたものの、これが満員ではないか。新快速が運休なら混むのは当然。仕方なく車内の奥の方に行き、じっと耐えていた。山科で出入りが激しく、京都駅でごっそりと下りたと思ったら、それ以上の人間が乗ってきて再び満員。しょうがない。新快速が走ってないから各停に乗らざるを得ないのだ。
ところが京都駅から乗ってきた若い女2人連れ。OLか女子大生かしらないが、こいつらに腹が立った。満員の電車なのに、そのうちの1人が紙ケースに入ったショートケーキをスプーンですくって食べだしたのである。おい、そこの女、何も満員電車の中で立って食わなくてもいいだろう。非常識きわまるとはこのことだ。横に立っているおっさんが服に付かないかと心配そうに見つめていたが、一向にお構いなく、その若い女はショートケーキを食べきってしまった。一時KYというのが流行ったが、KY以前の問題だ。家まで我慢できないか。それに揺れる車内でしかも満員である。隣の人の服にケーキのクリームとかが付かないかどうか気にならないのだろうか。不可思議な女である。最近、日本人は羞恥心を忘れたが、これは切実な問題である。このような女が母親になるのだから困ったものだ。これで子供に躾ができるのだろうか。最近、電車の中で物を食べる輩が急増しているが、本当に日本人のマナーもどんどんと低下していく。また誰も注意しなくなったから、このような愚かな行いを平然とやってしまう。物事の常識、非常識、これが判断できない若者が増えているが、年配者でも非常識な奴が増えたから、一概に言えなくなった。誠に困ったものだ。
ところでこの女、ケーキを食べ終わるなり、相方としゃべっていたが、「うちの高校の男、糞ばっかりやった」とけなしていたが、お前の方が糞女だろ。もっと良識を弁えろ。
2011.01.26 (Wed)
1月26日
今日は万全な体調でもないが出勤した。まだ喉も痛いし、咳も出るし微熱もある。だがしょぼくれた会社の勤め人は休ませてくれない。ギリギリの数で仕事をこなしているので、1日休んだだけで翌日の出勤依頼の電話がかかってくる。本当に病気もできない。働きほどの給料を休暇を貰ってないのに、ちょっと休むと出てきてくれとうるさいこと・・・・・・。もう早く、こんな仕事から足を洗いたいよ。といっても辞めるのも簡単にいきそうにもないが・・・・・。
仕方なく悪い体調で出勤したが、今日の寒いこと寒いこと身体に染みる。比良山系は相変わらず雪に覆われている。今日は晴れてはいたがカラカラの風が吹き、体感温度はどれほどだったのだろうか。風邪気味の身体だと堪える。健康体でもきつい仕事だが、今日は「特にきつく感じられた。どうにか熱のぶり返しがなく仕事を終えて、強烈な寒い向かい風の中を駅まで歩き、いざ電車に乗ろうとしたら、全ての電車が定刻よりも遅れていた。ああ、また始まった。湖国名物の延着だ。とにかく強風が吹くだけで電車が遅れるのだ。湖西線の電車も米原経由で東海道線に回って来るので毎度のように電車が遅れる。雪で遅れる。強風で遅れる。信号トラブルで遅れる。人身事故で遅れる。安全確認で遅れる。急病人が出て遅れる。遅れる条件は無数にある。でも寒い時期、本数の少ない電車を待つのさえ、身体の芯まで冷え切るのに、予定より電車が遅れると30分近く待たされる時がある。とにかく1時間に4本というダイヤはどうにかならないか。単線ならいざ知らず、複線で草津からは複々線なのにこの本数である。都会のようにとは言わないが、帰宅ラッシュの時間帯でも1時間に4本とは寂しい限り。駅の時刻表を見ていると、あまりにも本数が少ないので情けなくなる。俺はよくぞ、こんな田舎まで毎日、通勤しているものだと自分自身であきれ返る。
極寒のホームで電車を待ち、ようやく暖房のきいた電車に乗って帰宅の途につく。そして我が家の最寄り駅に到着。我が家の付近もそこそこ田舎なのだが、最寄り駅のダイヤを見ると、朝のラッシュ時は1時間に10本以上の電車が停車する。昼間は少ないが、それでも8本ある。田舎に住んで都会に働きに行くというのが一般的だが、田舎に住んでいるのに、働きに行くところがさらにド田舎とは、やってられないわ。
2011.01.24 (Mon)
熱が出た
それでまた数日間、更新をやめることにする。気をつけているのだが、体調を崩しやすいなあ。もう歳かも。
この調子だと明日、出勤できるかどうか判らない。そういうことでそろそろ床につくことにする。
2011.01.23 (Sun)
AJCC、平安S
スタートしてミヤベランベリが押し出されるように先頭。2番手にはマルカボルト、サンライズベガ、コスモファントムも差がなく続く。そのあとにトーセンジョーダンがいて、ダイワジャンヌ、シャインモーメント、ピサノエミレーツ、アサティスボーイ、2馬身あとから殿のダンスインザモアで向こう正面中間地点から、まもなく3コーナーにかかろうというところ。ハロンタイムは13.0---11.9---13.0---12.8---12.7と攻め馬並み。800m通過が50秒7、1000m通過が1分03秒4という超スローペース。したがって3コーナーから急にペースが速くなる。ミヤビランベリが先頭だが、マルカボルト、サンライズベガの3頭が並んでいる。そのあとトーセンジョーダン、コスモファントム、ダイワジャンヌも固まって追う。600のハロン棒通過。4コーナーにかかり前が固まってきた。400のハロン棒を通過して直線に入る。ミヤビランベリ先頭、ミヤビランベリ先頭。マルカボルト2番手、その外からトーセンジョーダンが伸びて来た。あと200m、内でミヤビランベリが粘る。ミヤビランベリが粘る。トーセンジョーダンが外から出る。トーセンジョーダン先頭。大外からネヴァブションも伸びる。トーセンジョーダン先頭、ミヤベランベリも粘る。しかしトーセンジョーダンが1着でゴールイン。
1着トーセンジョーダン 2分14秒2、2着ミヤベランベリ 3/4馬身、3着ネヴァブション 3/4馬身、4着コスモファントム 1/2馬身、ダイワジャンヌ アタマ。
ン-
京都の平安Sはダートのレース。1番人気は関東から遠征のマチカネニホンバレ、2案人気はダイシンオレンジ、3番人気はインバルコだった。ゲートが開くがボクノタイヨウのスタートが悪い。好ダッシュからトーホウオルビス、ダンアミックグロウが先頭に出ようとするが、トーホウオルビスが僅かに先頭。ダイナミックグロウ差がなく続く。この2頭で後続を引き離す。3番手にダイシンオレンジ、そのあとにドリームライナー、ピイラニハイウエイ、マチカネニホンバレ、パトードール、タマモクリエイト、タガノクリスエス、ナニハトモアレ、インバルコ、サクラロミオ、ピースキーパー、メイショウシャフト、2馬身あいてロングプライドが最後方。早くも3コーナー、淡々とした流れ。トーホウオルビスが先頭、外からダイシンオレンジが2番手に上がり直線に向く。先頭はトーホウオルビスだが、ここでダイシンオレンジが先頭に出る。ダイシンオッレンジ先頭。差が開いた。2馬身、3馬身リード。2番手にピイラニハイウエイ、マチカネニホンは伸びが悪い。あと200m、外からインバルコ、サクラロミオが並んで伸びてくる。内にピイラニハイウエイが粘る。先頭はダイシンオレンジ、ダイシンオレンジ。インバルコとサクラロミオが来た。インバルコとサクラロミオが来た。ダイシンオレンジに接近。でもダイシンオレンヒが粘りこんだ。
1着ダイシンオレンジ 1分51秒5、2着インバルコ ハナ、3着サクラロミオ クビ、4着ピイラニハイウエイ 1馬身1/2、5着マチカネニホンバレ 3馬身。
2011.01.22 (Sat)
GDPが中国に抜かれる
ところで国内総生産って何だ? ということになるが、国内総生産とは国内で1年間に行われた生産活動によって産み出された価値額の合計ということになる。つまり経済を統計的に把握するのに用いられる指標で、国内で産み出された付加価値の総額のことといえばいいのだろうか。またこの国内総生産の伸び率が経済成長率ということになる。
このように書くと、いよいよ日本は落ちぶれる経済大国だといった印象が強まっていきそうだが、そもそも考えてみるとこれまでGDPが世界第2位だったという方が不思議なぐらいだ。国土は狭くアメリカや中国の20数分の1。それでいて人口は1億2700万人。それもどんどんと労働人口が減りつつあり老人が増加の一途。アメリカは人口が3億1千万人、中国に至っては何と日本の10倍強の人口を誇る。こんな超大国と肩を並べてきた方が奇跡に近いのだ。だから中国に追い抜かれたからってどうなんだということになるが、これまで日本人の意識の中にあった自負、自信というものが徐々に薄らいでくるのかもしれない。
日本という国は敗戦の痛手から奇跡的に立ち直り、戦後はなりふり構わず前進してきた。その結果、世界第2位という経済大国になり、いつしか世界の中で先進国として認めれれるようになり、これまでアジアの最先端国としての誇りを持ってきたのである。それが中国にGDPで抜かれることが確実になると、世界の注目はアジアでも中国に目がいくことになる。そういった意味では斜陽国家といわれることになるかもしれないが、これも考えようではないだろうか。
今まで中国は近代化が遅れていただけである。毛沢東の時代に文化大革命があり、共産党一党独裁の統制下で資本主義を遠ざけていた。それが結局は近代化に遅れたことを悟り、資本主義を導入するようになり、急速に経済発展を為してきた。つまり毎年、10%前後の経済発展を達成している。一方、日本はというとバブル崩壊以降、ほとんど足踏み状態といってもいい。これだと追い抜かれるのは当然である。だが、我々にとっての問題は、そんな名目上のことよりも国民の生活が向上したかどうかの方が大事なのであって、中国に抜かれたからって失望している人がどれだけいるのか・・・・。それに昔から世界一の人口を誇る中国のことである。その原動力は膨大な人口に支えられているところが多く、マーケットとしても大きいのが一因しているし、中国が本気で経済発展を進めるといずれは世界1になるであろうということはとっくの昔に言われていた。これまで眠れる獅子だったのである。でも、中国は数字の上では確かに世界2位の経済大国になったかもしれないが、所得格差も激しく1人当たりのGDPは日本の10分の1以下というお粗末さである。また漢民族以外は虐げられている部分もあり、民主化の動きも封じられ、国民のストレスはどうなっているのか。近くの国でありながら、まだまだ不可解なことが多く、GDPが世界第2位なら第2位である国らしく、論理的で文化的である真に豊かな大国に成長してほしいものだ。また日本は日本で中国に臆することなく、近代化の先進国として揺るぎない自信を保ちつつ、内需拡大はもちろんであるが、もっと大人の国になってほしいと思う。とにかくGDPというのはその国の経済力を窺う意味ではいいが、その国の豊かさな指標とは関係ない。日本人が住みたいと思うような豊かな国は、必ずしもGDPの指標で判断したりしないでしょう。これからの日本に求められるのはもっと違う意味での豊かな国ということになると思うけど。
2011.01.20 (Thu)
1月20日
今日も朝、踵にクリームを塗って出て来たのだが、外の冷たい空気にさらされている間に踵の罅割れが大きくなり帰宅の時、職場からJRの駅までの距離を歩くのに一苦労だった。今日は帰宅してから降圧剤をもらいに近所の内科まで行かなければならないし仕事も定時で終了。どこも寄り道しないで大慌てで帰るも自宅に到着が8時前。その足で内科医院まで行かなければならない。ああ面倒くさい・・・・とは言ってられないので、しぶしぶ内科に行く。こうして薬だけを貰いにくる者もいるが、何時も閑散としている近所の内科医院。しかし、珍しく4人も待合室にいたではないか。あいにくこちらは薬を貰いにきただけなので、すぐに薬を貰って帰宅。食事をして風呂に入りよやく今、落ち着いているのだが、あと1時間ほどで寝ないといけない。こうして1日が暮れていく。本当に貧乏暇なしだ。
2011.01.18 (Tue)
1月18日
湖西の山々は厚い雲に覆われ頂が見えない。比叡山は山全体の姿をさらけ出しているが、それよりも北に連なる山は厚い雪雲に隠れてしまっている。おそらく琵琶湖を挟んで西側の山は雪が舞っているだろう。とにかく湖西地方になると平地でも10㎝、20㎝ぐらいの積雪はあるのだから山の上の方ではかなりの雪が降っている模様だ。とにかくスキー場もあるぐらいだから当然と言えば当然であはる。山を越えれば若狭の国なのだし。
それにしてもノートパソコンは使いにくい。キーが打ちにくいから長いブログが書けない。それで、このようなつまらない小学生が書きそうな夏休みの日記のようなものを書いているのだが、書くのも根気がいることは確かだ。それにこのところ肩が痛いし、背筋から腰にかけても痛みがあるし、左手の手首も痛い。こんな体調だからキーを打つ手も疲れてしまうのだ。これだからなかなか面白い記事が書けないのだ。もっとも書く前に何を書こうかある程度、考えておかないとまったく纏まりがなくてしまりのない記事になってしまう可能性がある。それでなくとも文才がないというのに人に伝えようと無駄な抵抗を試みている。これまでこんな愚行を続けてきて、はやくも3年4か月、こんどはブログやめどきが難しくなってきた。まあ、やめなくてもいいのだが記事を書くと疲れるのでそろそろやめることも考えている。それでは今日はこのあたりで・・・・・さらば。
2011.01.17 (Mon)
1月17日
それにしても今は自宅の窓から外を見ると快晴なのだが湖国はどうなのだろう。こちらはすっかり雪も溶けているし、雪が降ったという形跡もとどめてないが朝は寒かった。今朝も間違いなく氷点下を記録していただろう。それにしても今年の冬は久々に寒い冬である。何時以来だろうか。昨年の夏も酷暑だったが今冬も珍しく寒い。最近の冬は暖冬というのが決まりだったのに、どうやらラニーニャ現象が影響しているのかもしれない。
結局、今日も休みだったのだが、すっかり出不精になってしまい家に籠ったままである。腰が痛いし肩も痛いし出ていくのにも億劫になる。若いころのように身体がむずむずしてじっとしていられなくなり要もないのに出ていくということはすっかり無くなってしまった。これも歳をとった証拠かも。でも結構いい骨休みになった。しかし、休みが続くと今度は出勤するのが苦痛になるんだなあ。それに寒い時期、朝がだんだんと起きれなくなる。毎日、まだ日が明けてない頃に起床して出ていき日中は建物の中にいるし。それで帰る時も真っ暗。まるでモグラだ。いずれは陽が長くなってくるがだろうが・・・・。今日のように昼間、見事に晴れたのもこの数日では珍しい。こうして外の青空を眺めながらキーを打っているが、こうして何もやらずぼんやりと過ごすもあまりないことである。たまにはいいかなあとは思う。でも明日からまた過酷な仕事が待っていると考えるとそろそろ憂鬱になってくるのだなあ。ということで、また昼寝でもするか。
2011.01.16 (Sun)
京成杯、日経新春杯
それではレースの話に入ろうか。中山の京成杯(G-Ⅲ・3歳、芝2000m、16頭)は3歳のクラシックを占うレース。距離も2000mで皐月賞と同じ。1番人気はスマートロビン、2番人気はフェイトフルウォー、3番人気はジャービス、4番人気はヌーベルバーグ、5番人気はコウヨウレジェンドだがどの馬もキャリアが浅く確たる本命馬もおらず混戦が予想された。
ゲートが開くがメイネルギブソンがよれて出た。1番人気のスマートロビンもあおって出た。あとはまずまず。先行争いはジャービス、ヌーベルバーグあたり。先頭はどうやらジャービス、2番手に牝馬のヌーベルバーグ、3番手はインコースにつけているフェイトフルウォー。そのあとプレイ、ユウセン、コウヨウレジェンド、馬群が切れてマイネルメダリスト、ノヴァグロリア、デボネア、マリアビスティー、さらにタナトス、メイショウトチワカ、マイネルギブソン、さらにインナージョイ、スリーケインズと続きシンガリにスマートロビン。スタートからのハロン毎のラップは12.6---11.0---12.4---12.0---12.3と800mが48秒0、1000mが1分00秒3とスローペース。先頭とシンガリまではバラバラである。この展開でシンガリのスマートロビンは苦しいか。ここからスマートロビンは外を通って上がっていく。早くも3コーナー、先頭ジャービス、2番手ヌーベルバーグ、3番手フェイトフルウォーで4コーナーから、まもなく直線に入ろうとするが、スマートロビンはようやく中団の大外の位置。ここから追い上げられるのか? 先頭はジャービス、2番手にヌーベルバーグとプレイ、先頭にジャービス、先頭にジャービス、あと200m、インコースにいたフェイトフルウォーがジャービスの外に持ち出して先頭に出た。フェイトフルウォーが先頭。スマートロビンは大外だが伸びが悪い。そしてデボネアが伸びた。マイネルメダリストにプレイも頑張る。先頭はフェイトフルウォー、フェイトフルウォーが先頭。デベネアが伸びた。デボネアが並びかける。この2頭が抜けた。内のフェイトフルウォー、外のデボネア。並んだ並んだ。2頭並んでゴールイン。でもわずかだがフェイトフルウォーが優勢か。
1着フェイトフルウォー 2分00秒9、2着デボネア ハナ、3着プレイ 2馬身1/2、4着マイネルメダリスト アタマ、5着メイショウトチワカ 1/2馬身。
フェイトフルウォー以外の人気馬は総崩れ。スマートロビンはスタートで後手を踏んだ。ここで全てが決まったようだ。結局、真ん中よりも前にいた馬ばかりで決まった。中山コースで多頭数の競馬になると、後方一気の競馬は難しいものがある。さて、次は京都の日経新春杯(G-Ⅱ・4歳以上、芝2400m、13頭)である。ここは昨年のジャパンCでタナボタ式に勝ったローズキングダムが出てきたが有馬記念は取り消した。はたしてその影響はあるのかどうか、当然のように1番人気である。。2番人気はルーラーシップ、3番人気はヒルノダムールと4歳馬が占めた。
スタートが切られた。外からビートブラック、内からメイヨウクオリアが前に出てきたがビートブラックが先頭に立った。2番手にメイショクオリア、その外にゲシュタルト、4番手ルーラーシップ、5番手ナムラクレセント、その外にエーティーボス、さらに外からコスモヘレノス、その後のインにローズキングダム、そしてヒルノダムール。さらに芦毛のホワイトピルグリムがいて、2馬身あとからウィルビーキング、ドモナラズで最後方からオートドラゴン。ハロンラップは12.6---10.8---10.8---12.7---13.2---12.6で、バックストレートからガクンとぺースが落ちている。1000m通過が1分00秒1、1200m通過が1分12秒7。3コーナーの坂の手前から早くも馬群が固まりつつある。ビートブラックがわずかだが先頭で坂を下っていく。ここらでペースが一気に速くなる。ルーラーシップが外から一気に先頭を窺う勢いである。ローズキングダムはインコースで我慢か。4コーナーを回り直線に入る。先頭にビーロブラック、その外にゲシュタルトとルーラーシップだが、ここでルーラーシップが先頭に立った。ルーラーシップが先頭、ルーラーシップが先頭。ヒルノダムールが2番手。あと200m、ローズキングダムはインコースの5番手ぐらい。先頭はルーラーシップ、ルーラーシップ2馬身リード。2番手にヒルノダムールだが、ローズキングダムがようやく来た。でも2番手争い。ナムラクレセントとヒルノダムールとの2番手争いか。先頭はルーラーシップ。ルーラーシップ先頭で快勝。
1着ルーラーシップ 2分24秒6、2着ヒルノダムール 2馬身、3着ローズキングダム ハナ、4着ナムラクレセント 1馬身、5着ホワイトピルグリム 5馬身。
未完の大器の良血ルーラーシップが快勝した。ダービー5着の後、半年間ぶりの競馬で鳴尾記念に勝ち、その勢いで有馬記念に挑戦したものの6着。でもここで快勝した。これからどのように成長するか楽しみな1頭である。一方、ローズキングダムだがまだ本調子ではないような気がした。目指すは春の天皇賞だろうが・・・・・。
2011.01.15 (Sat)
高校生が多かった・・・
それはそうと今日は高校生をよく見かけたもので、いつもの土曜日よりも多い気がした。それも集団で見かけるのだ。なんでかなと思ったら、どうやら大学のセンター試験の日だったようで、試験が終わって集団で帰るところだったのかもしれない。大学の入試と言えば小生もはるか昔に経験をしたことがあるが、今のセンター試験というのはなかったので、仕組みがよく判らない。こんなのは何時から始まったのだ。センター試験の前には共通一次といったような入試制度もあったようだが小生はこれも知らない。よく考えたみたら小生はよほど古い時代に高校生活を送っていたんだなあと、今更ながら驚いてもいる。だが、この間、それだけの月日が経過しているようには思えず、月日の経過がだんだんと速くなっていくように思える。要するにこちらはそれだけ歳を重ねているということになるが、そのあたりの自覚がないので、心の中は何時までも18歳のままであり外見ばかりが老いている。
こちらが無駄に馬齢を重ねている間も、その頃、まだ存在すらもないような者が生まれ大きくなっていくのだ。今年の大学センター試験を受けている高校3年生は平成4年~5年生まれだそうだ。ついこの前、昭和天皇が崩御して平成に年号が代わったとばかり記憶しているのに、もう平成23年だから驚かずにはいられない。ただ我々の頃と違い若者を取り巻く環境はすっかり変わってしまったし、我々の頃と違って夢を持てない時代にもなってきているし、それでいて大学進学率は小生の時代よりもかなり高くなっている。この経済不透明な時代に大学を出たって就職口がないときているのに、皆さんよくぞ大学に進もうと決心したもんだ。それというのも高校出ても仕事がないから取り敢えずは大学に進んでおこうというものかもしれない。もしかして4年後ならもしかし景気が回復しているかも知れないという淡い期待を抱いているのかも・・・。これだと大学進学率が上がるよなあ。もっとも少子化により18歳年齢が年々、少なくなってきて大学の門も広がっている。でもレベルの高い大学は何時の時代も問わず狭き門であることにかわりはない。
・・・・・・とにかく受験生はベストを尽くし頑張ってもらいたいと思う。
2011.01.13 (Thu)
森鴎外『青年』を読む
この小説は森鴎外が最初に書いた長編小説である。森鴎外という人は陸軍の軍医であったが、日露戦争から帰ってきてこの『青年』を書いている。森鴎外48歳の時の小説で長編第一作にしては『青年』なんていう熟年の小父さんが書く内容のタイトルでもないと思うが、読んでみると『青年』というタイトルと反して若くして書いたのではないことは一目瞭然として解る。ここには生きることへのテーゼを絶えず問いただしている。
主人公小泉純一は作家を志して東京にやってきた。中学時代は学校の授業以外に聖公会の宣教師のところへ行ってフランス語を勉強していて、小説家になりたいという決心だけは持っていた。純一は裕福な家庭で生まれ生活に困窮することはなかった。こうして東京は上野の初音町に下宿した。東京での生活は忙しかった。作家の大石路花に訪問したり、路花から始まって色々な人間と係り合いを持っていくようになる。もっとも彼を色々な人に合わせたのは中学の時の同級生であった瀬戸によるものである。瀬戸は美術学校に通っている。東京での純一は交際範囲が広がり、一番仲が良かったのは医科大生の大村で、大村から啓発的され彼と議論を交わす。さらに純一は3人の女性に心を惹かれ(お雪、おちゃら、坂井れい子夫人)、この中で坂井夫人に恋心を抱く。坂井夫人は高名な学者の未亡人である。坂井れい子未亡人は純一の住んでいるところからそれほど離れていないところに住んでいて、純一は観劇に行ったとき偶然にも坂井未亡人と会い知り合いになる。未亡人は純一にも関心を示してくれて、純一は未亡人に勧められ自宅までフランスの書籍を借りに行く。やがて会うごとに親しくなり、いつしか未亡人とも交渉を重ねるようになる。だんだんと純一の頭の中を坂井未亡人が支配するようになる。そんなある日、未亡人から正月を挟んだ数日間、箱根に来ないかと誘われる。純一は箱根に赴くが、そこで目にしたのは画家の岡村と一緒に歩いている坂井未亡人の姿だった。純一は衝撃を受け、未亡人に対する気持ちが失せていく。結果として、純一は未亡人もただの肉の塊だったと失望し、現実と理想とのギャップに隔たりを感じる。こうして何かが書けそうな気が湧いてきた純一は元日に東京へ戻り今こそ小説を書こうという気がしてくるのであった。
この物語の主人公純一は明治時代の青年である。今のように情報過多の時代ではなく、またバーチャルの世界で生きることのできる仮想現実の世界もない時代である。全てが人と人との係り合いを抜きにしては生きていけない時代、また係り合いの中から人間として成長していく時代であった。そんな時代にあって啓発され理想が理想を生み、頭の中も身体も何もかも真っ白けの純粋な青年が、やがて精神的、肉体的、世間的、人間的に全て成長していく様を描いたものである。小説の主題となるのはそういった成長過程での内面の展開であり、物語のあらすじよりも大きな意味を持つのである。
2011.01.11 (Tue)
1月11日
電車が会社のある最寄り駅に到着。やはり雪化粧だ。湖国は違うねえ。京都は雪が降った形跡もないのに、近江の国はまったく景色が違う。道路の雪は溶けているが、生垣などの上には白く雪が堆積している。どこもかしこも雪が積もったであろうという証拠を残していて、道路の上は部分によっては氷が張っている。でも、今日の冷え込みも放射冷却によるもので、積雪は昨日のことらしい。その雪が翌日になっても残っているということは、昨晩から今朝にかけて相当、冷え込んだものと思われる。それでいたるところ道路に氷が張っていたのだ。
日中は晴れていたので、気温が昨日よりも上がったようで、ポカポカしていた。しかし、これも日なたに出ればの話で、日陰に入ると底冷えがする。そこが滋賀県だ。絶えず風が吹いているから、体感温度は気温計の示す温度よりも寒く感じる。
取り敢えず、今朝は冷えたが、日中は穏やかな天気で、これといって何もない日であった。しかし、この何事もない平凡な日の方がホッとする。連休明けの日としてはまずまずだったのではないかなあ。明日も平穏無事でありますように・・・・・。今日はこれといってネタがなくて申し訳ない。でも平穏な1日を送ることの大切さを最近は身にしみて感じている次第である。
2011.01.10 (Mon)
今日は何の日・・・
それはそうと今年の新成人は124万人らしい。少ないなあという感想を持ったのだが、団塊の世代の頃は常に200万人を超えていたから、若者の数が減っているという事実は証明されたわけである。昨今は成人式で一部の連中が酒を飲んで暴れるという愚行をやらかしているが、これも恒例行事となったようで驚かなくなった。それというのも若者が夢を持てない時代になったからかもしれないが、こんな日本にしたのは我々、大人だから偉そうなことは言えない。でもこのままでいいはずはないのだが・・・・・・。
本当に未来を見渡して何もいいことがない我が国である。景気低迷による就職難で大学を出ても就職できないから、フリーターは増えるし何時クビになるか判らない派遣社員で食いつないでいる若者も多い。これでは将来の人生設計なんて何も出来ないだろう。社会に出てのスタートから躓くとリセットが難しいお国柄なので、中年になってから収入に相当の個人差がついていることになる。これでは夢なんか持てないだろう。
最近、新聞で留学する学生が減っているという記事を目にしたが、実際にピーク時の8割まえで減っているという。留学して外国へ行っている間に就職戦線に乗り遅れるという不安から留学を避けてしまうケースもあるというからだ。でも今後の日本を切り開いていかなければならない学生が内向き志向になってしまうと将来の日本は明らかに低迷してしまうだろう。すでにアジアでの最先進国という肩書はあやしくなってきて、今や中国に抜かれつつあり、韓国にも追い上げられている。かつてのエコノミックアニマルは何処へ行った。エコノミックアニマルとは働きすぎる日本人を西洋人が揶揄していったことから来ているのだが、馬車馬のように日本人は働いてきた。けしてエコノミックアニマルがいいとは言えないが、それしか資源のない日本では生きる道しかなかったのだ。それが若者が夢もなく内向き志向になると、50年後、100年後の日本は今の国際的地位から間違いなく凋落する。先進国なんて言っているが、すでに形骸化しつつあり、政治もだめ経済もだめ、そこへ文化もだめとなってくるといよいよ問題が山積である。あまり言いたくはないが、民主党に変わっても一向に風向きが変わらないし、ますます政治は混迷してる。これでは経済もなかなか上向きに転じないだろうし、ますます若者の働き口も狭まってしまう。もうみなさん、日本を捨てましょうか・・・・・・・。結局、舵取りのいなくなった日本丸の行くへは神のみぞ知るところとなるのか、でもこれではいけないのだろうが・・・・・・。
2011.01.09 (Sun)
シンザン記念
でも多くの冠馬名をつけるオーナーたちに混じって、1頭、1頭、個性的な馬名をネーミングしている金子真人のようなオーナーもいるのだし、ディープインパクト記念なんかはあって然るべきだとは思う。このあたりが柔軟な考えができないJRAの欠点であることは今まで再三指摘しているのだが、半官半民の人たちは我々とは考え方が違うらしい。・・・・・と2011年、最初のボヤキを言わしてもらった。
さあ、レースの話に移ろう。今日は京都でシンザン記念、明日は中山でフェアリーSというどちらも3歳馬の重賞が行われる。そして、今日は京都のシンザン記念である。このレースに3頭ものディープインパクト産駒が出てきた。話題のディープインパクトの子供たちは、今年の3歳が最初で、昨年の夏からデビューしだしたが、すでに昨年の2歳馬が41勝をあげている。これはJRAの新種牡馬産駒における初年度の新記録だという。まだ距離が短い2歳馬のレースに限ってもこれだけの勝ち星を子供たちがあげているのだ。これが本来はステイヤーだとも思えるディープインパクトの血は距離が延びてこそ面白いと考えていたのに、意外に活躍しているから驚いている。すでにヨーロッパでもディープインパクトの子供が2頭走っているし、今後、ディープインパクトは種牡馬としても可能性は大いにあると思う。
またまた話が横道にそれてしまった。話を戻そう。シンザン記念(G-Ⅲ・3歳、芝1600m、16頭)は1番人気が牝馬のドナウブルー、2番人気がアドマイヤサガス、3番人気がオルフェーヴルであったが、絶対的な本命馬がおらず混戦が予想された。スタートが切られたがバラバラのスタート。3、4頭出遅れるが長いバックストレートの先行争い。シゲルソウサイ、シャイニーホーク、レッドデイヴィスが前に行くが、シゲルソウサイが先頭に立った。2番手にシャイニーホーク、3番手レッドデイヴィス、4番手アドマイヤサガス。その外にドナウブルー、続いてヒカリトリトン、ツルマルレオ。内からマルセリーナ、ドリームバロンといて、ワイズリー、ヴィジャイ、オルフェーヴルがいて、マーベラスカイザー、トキノゲンジが続いてシゲルシャチョウでシンガリの位置がギリギリヒーローである。早くも3コーナーの坂の上り。前の2頭、シゲルソウサイ、シャイニーホークが5、6馬身ほど後続を引き離している。800のハロン棒を通過。ハロンラップは12.2---11.2---11.7---12.1と前半の800m通過は47秒2の平均ペース。でも前の2頭が7、8馬身リード。後続はさほど速くもない。坂を下って3番手のレッドデイヴィスが前を追う。そして4コーナー植え込みの向こうを通って直線に入る。先頭はシゲウソウサイ、シャイニーホークの2頭。3番手にレッドデイヴィスだが、レッドデイヴィスが伸びる。あと300m、ここで前の2頭をかわしてレッドデイヴィスが先頭に出た。早くも先頭。あと200m、レッドデイヴィスが一気に出る。後続を引き離そうという勢い。レッドデイヴィス先頭、レッドデイヴィス先頭。2番手にはアドマイヤサガスとマルセリーナが進出。そして外からオルフェーヴルがいい脚で突っ込んでくる。内からはマルセリーナが伸びる。だが、先頭はレッドデイヴィスが抜けている。2馬身近くリード。2番手にオルエーヴルが上がるがレッドデイヴィスが先頭でゴールイン。
1着レッドデイヴィス 1分34秒0、2着オルフェーヴル 1馬身1/2、3着マルセリーナ 1/2馬身、4着アドマイヤサガス 1馬身1/4、5着ドナウブルー 2馬身。
勝ったレッドデイヴィスは最後の脚色が際立っていた。アグネスタキオンの産駒でブルードメアサイヤーがトニービンというから2400mぐらいでも大丈夫なような気がするが、残念ながら騸馬(去勢された牡馬)である。したがってクラシックレースには出られない。なんで去勢されたのだろうか。アメリカ、オーストラリアなら珍しくないが、日本ではあまり騸馬の活躍例がない。レガシーワールド、マーベラスクラウンの例もあるが、実数からいっても少ないのだ。騸馬が重賞を勝ったことも最近では珍しい(記憶にないだけかも知れないが)。でもジャパンCには出れるから、それまでは裏街道かな。
2011.01.08 (Sat)
ビル・エヴァンスのアルバム『ワルツ・フォー・デビー』を聴く
この『ワルツ・フォー・デビー』というアルバムはいつ聴いてもみ耳に心地よい。ビル・エヴァンスの確かなピアノとスコット・ラファロのベースが場を和ませてくれる。つまり癒しの音楽なのだ。モダン・ジャズには珍しく、そこにはクラシック音楽を聴いているような整然とした空気が漂う。何故かなと考えてみたら管楽器が鳴ってないからだ。当アルバムの曲はビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)といったビル・エヴァンス・トリオの演奏によるものであるから、数多いトリオの中でも当トリオのメロディラインは全てビル・エヴァンスンのピアノに委ねられているが、ドラムスとベースというリズムセクションとのインター・プレイが聴きものである。それがいわゆる同じコンボでも、トランペットやサックスフォンの入った演奏とは多少違っている。
ビル・エヴァンスは白人であるが故、白人ピアニストの多くがクラシック音楽を習っていたのと同様、幼い頃からピアノを学んでいて10歳でモーツァルトを弾きこなしていたというから高度なピアノテクニックは折り紙つきのものである。また彼は早くからジャズにも触れ、ジャズピアニストとしての下地は若い頃にすでに出来上がっていたのである。せれ故にラベル、ドビュッシーといった20世紀まで活躍したクラシック音楽の巨匠の影響をも大きく受けていた。彼のピアノは繊細で大胆ではないが、木目細かで典雅なピアノタッチにインター・プレイは後のハービー・ハンコック、キース・ジャレット、チック・コリア等に多大な影響を与えている。
ところで当アルバムは1961年6月25日、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで行われたライヴ録音である。このときのライヴは当アルバムともう1枚の『サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』に全て収録され、ジャズの名盤として名は通っているが、この時の録音が貴重な録音となってしまったのである。何故なら、このときベースをを弾いていたスコット・ラファロが、この録音から2週間も経たない7月6日に交通事故で亡くなってしまうからである。まだ25歳の若さであった。ラファロはジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアはたったの6年で終焉。またこれによりビル・エヴァンス・トリオは輝きを失う。ビル・エヴァンスにとってはベースはスコット・ラファロ以外に考えられず、インター・プレイもスコット・ラファロがあってこそ可能だったのであるから当分の間、ビル・エヴァンスはトリオとしての活動を停止していた。つまりスコット・ラファロの存在がいかに大きかったかということになるが、確かにインター・プレイという、これまでのドラムス、ベースというメロディ・ラインを提供しないリズム楽器の可能性を高めたのはビル・エヴァンス・トリオの功績によるものである。
インター・プレイとはリズム楽器であるベースとドラムスがピアノとともにテーマのコード進行を互いに独創的に展開して干渉しあうというものである。ことにラファロのベースはテクニック、アドリブのひらめき4ビートランニングのみに囚われることなく積極的に高音域で対位旋律を弾きリズムとしてのベースの概念を打ち破り、その後のベース奏者のお手本になったことはいうまでもなく、ビル・エヴァンスの内省的なピアノとの愛称は抜群であった。
ただラファロは麻薬常習者で性格も粗暴だったという。またビル・エヴァンスも麻薬常習者でヘロインを長年において常用していた。その影響は大きく、このヴィレッジ・ヴァンガードのライヴから2年後の同会場でのライヴのときには、右手の指が腫れあがったから右手の神経にヘロイン注射をしたため右手が使えなかったので左手のみでの演奏を行うといった逸話がある。その後、ヘロインを断つことを心掛けるも亡くなる51歳で亡くなるまで麻薬との関係は断ち切れなかったようだ。
『ワルツ・フォー・デビー』の演奏でピアノを弾くビル・エヴァンス。
2011.01.07 (Fri)
1月7日
極寒の今日は仕事も忙しく年末よりもより多くの消化しなくてはならない。おかげで、3日出勤しただけでフラフラのヨタヨタ。これでは先が思いやられる。身体中痛いしなんでこんなに忙しいんだよ。そのせいでもあるまいが、一向に趣味の記事を書く気が起らない。目いっぱい仕事して、くたくたになり帰宅。もうパソコンを立ち上げるのも面倒くさくなる。とにかく仕事が忙しくてブログの更新も滞り気味だが、時間がないからしょうがない。帰宅してから就寝までの間の時間が以前よりも大幅に縮小されている。これだから遠距離通勤は厭だったのだが、やむを得ない。せめて会社が駅に近ければ、もっと通勤時間を短縮できるのにと思いつつ、今日の帰りも吹雪のような天候の中、テクテクと急いで歩いていたのである。それで帰ってからバタンキューの毎日であった。
2011.01.06 (Thu)
1月6日
それにしても今日は寒かった。最高気温は5℃もなかっただろう。午後からは厚い雲が多い、それが雪交じりの雨に変わった。午前中は湖西の山々も見えていたのに、いつのまにか雲のベールで包まれ雪がちらほら、そして雨も降りだして寒い寒い。退社してからは駅までの3㎞を傘さして歩く。でも冷たい風と雪交じりの雨が容赦なく身体を痛めつける。寒くて傘を持つ手の感覚がだんだんと無くなってくる。次第に鼻から鼻水が流れ出てくる。日頃から鼻が悪いので、よく鼻水は出るのだが、今日の場合は何時もとは違って寒さのために出てくる鼻水で口元まで流れ出てくる。仕方なく鼻をすするが鼻水は止まらない。なんとか駅までたどり着き、電車が来たので乗り込んだら車内は暖かく何時の間にか鼻水は止まる。それにつれて京都駅まで来ると雨なんか降った様子がない。またまた湖国だけの現象か。参った。逢坂山(おうさかやま)、東山と2つのトンネルを抜けるだけで天候が一変するから、油断が出来ないのである。こうなると明日の朝が心配である。雪が積もっているという可能性もあるから、毎日、湖国へ通勤するには覚悟も必要である。大晦日には会社の周辺も10㎝ほど雪が積もり、車がさっぱり動かないということだったので、明日の朝、もし雪が積もるとバスには乗れず(バスが雪のための渋滞につかまって動かない)、雪上を歩いて出勤しなくてはならないかも・・・・・・。そのためにスノーシューズを買っておいてあるのだが、これまで出番は一度のみで、昨年も一昨年も暖冬だったから目立った積雪はなあったものの、今年の冬は何年ぶりかの寒い冬がやってくるという予報もある。でも本音をいうんらば雪は降ってほしくない。明日の朝は雪が降らないように祈っていようか・・・・・。
2011.01.05 (Wed)
1月5日
もっと給料が上がる時代に社会に出ていれば違っただろうが、こちらは経済が高度成長をしているときは、まだ一生懸命勉強に励んでいた。社会に出る前に第一次オイルショックというのがあって、狂乱物価の時代となり、街からトイレットペーパーが消えた。その後、低成長時代に入り料も抑えれれる。その後、バブルというのもあったが、あれは偏った業種だけが甘い汁を吸っただけで、こちらは一向に恩恵を受けなかった。会社は儲けただろうに・・・・・・・。その後、転職したので浮上することは一度もない。
あーあ、せめて高度成長期に一度、会社勤めを経験したかった。いざなぎ景気と言われ毎年、給料が17%平均で上がっていった。すると5年で給料はほぼ倍になる。これこそ池田隼人ではないけども所得倍増だ。もっとも給料だけではなく、物価も上がるので贅沢感はあまりないだろうが国に活力が漲っていく。だから夢もあったのだ。今の日本は先行き不透明で明るい話題は何もない。そこへきて給料は据え置きだし、買い控えようという動きが支配している。つまり国自体に活気がないのだ。もう老成化している。それでいて従業員の給料を抑えている企業は、コツコツと儲けている。これでは働く気力も萎えるというものだ(とうの昔にないけども・・・・)。どうせ小生は働けるのもあと10年あるかないかだが、若い連中も労働意欲が失せていくだろう。その後の日本の企業は・・・・・。いよいよ斜陽国家だ。もうどうにでもなれ。小生はさっさと仕事を辞めて貯めたお金で死ぬまで好きなことをして暮らすよ。
2011.01.03 (Mon)
1月3日
あまり食べると身体が動かなくなるから、動かないといけないのだが3日間、出不精で家から一歩も出ていない。正月に訪問するところもないし、来客もすっかり無くなった。もっとも今日は、姉が子供を連れてやってきたが、2時間ほどいただけで相変わらず忙しく去って行った。正月らしさもないし、こちらも特別なことは何もしないが、食いものだけは充分にあるから買うわないと腐ってしまう。それで食べてばかりというのも困ったものだが、明日あたりから始動開始と行こうか。どうせ明後日からは仕事だし・・・・・やる気はないが。
2011.01.01 (Sat)
2011年元日
ところで夜になってからは恒例のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを観ている。今年は地元オーストリア出身のフランツ・ウェルザー=メストを指揮がするということで注目されていた。メストは現在50歳と若い。だが、これまでクラウス・テンシュテットの後任としてロンドン・フィルの音楽監督に就任したのに続き、かつてジョージ・セルの時代に一流のオーケストラにのし上がったクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任。さらにはチューリッヒ歌劇場の音楽監督、そして2010年からウィーン歌劇場音楽監督に就任など新進気鋭の指揮者である。
このニューイヤー・コンサートの行われるムジークフェラインのグロッサー・ザールはキャパシティが1600余人とあまり大きくないが音響が大変素晴らしく。世界屈指のホールとしてその名が知れ渡っている。流石に建設から140年も経過している伝統的ホールである。それはそうと今年のニューイヤー・コンサートであるが、演奏を観ていて気になったことがある。なんとまた女性団員が増えているではないか。第1ヴァイオリンでコンサートマスターの隣に1人、後ろのほうにもう1人。第2ヴァイオリンに2人。まだ僅かであり、それもヴァイオリン奏者にしかいないようだが(以前はハープ奏者だけだった)、あの保守的なウィーン・フィルだけに驚きを隠せない。でも今やベルリン・フィルは女性団員が数多くいるし、日本のオーケストラは女性がいないと何処も成り立たないほどだから、かのウィーン・フィルも時代の波には逆らえないようだ。いずれここも女子団員が増えていくのだろう。でも20世紀までは考えられない光景であった。
こうして2011年の元日も終えよううとしている。今年は平穏無事な1年であってほしい。何事もなく・・・・・。