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2017.09.27 (Wed)

Strawberry Fields Forever

あれは1967年に入って間がなかったと思う。ビートルズの新曲が発売されたと言って新曲をラジオで流していた。それが『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』と『ペニー・レイン』だった。この2曲がカップリングでシングル盤として発売された。だから当時の洋楽ヒットチャートを賑わしラジオでよく流れていたといった印象があるが、当時に聴いたときは変な曲だと思った。まだ『ペニー・レイン』はトランペットがやたら目立つ曲だけどすぐに馴染めたものの『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』に関してはなかなか馴染めなかった。冒頭から何の音だと思った。するとLet me take you dawn ‘cause I’m going to Strawberry Fieldsとジョンのけだるい声で歌われる。今まで知っていたビートルズの曲とは違うなあと思い変なのと感じたのである。当時、小生は中学に入学し趣味も嗜好も変換期ではあった。だがこと音楽に関しては当時は姉の影響が強く洋楽や映画も姉の影響から好きになっていたように思う。そして当時、ビートルズのファンであった高校生の姉の影響でビートルズの曲を聴くようになった小生もビートルズが変わりつつあると言うことを子供ながら感じ取っていたのかも知れない。
今となっては1967年というのは西洋商業音楽史において大転換期であったと言われるが、当時、中学生だった小生にはその渦中にあり、その変換機を肌で感じてはいたもののすぐに馴染めなかったものだ。それは日本の音楽史においても変革期ではあった。それまでの歌謡曲が細分化されだした頃で、演歌、ムード歌謡、GS、フォークソングetc.。海外の影響が日本の音楽界まで左右していったのである。今考えると、ビートルズがコンサートを中止し、スタジオにこもりだし実験的音楽を発表するようになった最初のの曲が『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』ではなかっただろうか。それまでビートポップスのグループのような曲ばかり歌っていたビートルズがこんな曲を出した。だから当時は違和感でしかなかった。するとラジオで新曲が流れ出すと間もなく姉がシングル盤の『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』『ペニー・レイン』を買ってきた。今考えると最後の方のオデオン盤ではなかったかと思う。それを姉は毎日、ステレオプレーヤーで聴いていた。だから当然、小生も曲を覚えてしまった。
今はそのシングル盤は手元にない。その後何度か引っ越ししたから何処かへ行ってしまったのだろう。また姉の買った物だから管理もいい加減だし何処で消失したかも判らない。従って手元にはない。でもオデオン盤で黒ではなく赤い半透明のシングル盤だったと記憶している。当時はポップスなんて、まだシングル盤が中心の時代で、ほとんどの人はLP盤なんて買わなかったというよりも買えなかった。LP盤のコンセプトアルバムが出されるのが、この年の夏のビートルズ『サージェント・ペパーズ~』からで、だから商業音楽史において1967年は大変革期といわれるのである(最もその前のビーチ・ボーイズのアルバム、ペットサウンズの影響もあったらしいが)。それまでのヒット曲ばかりを集めた感のあるアルバム盤からアルバム自体で一つの物語や概念で統一し寄せ集め感から脱皮したLP盤がリリースされポップスの歴史を変えた。そのアルバムこそ『サージェント・ペパーズ~
』だった訳である。これ以降、商業音楽は変わっていく。でも初めて『サージェント・ペパーズ~』全曲をラジオで聴いたとき何処が良いのかさっぱり判らなかった。なんだか昔のコンサートばかりやっていたアイドルのビートルズ時代の曲とはかけ離れどれもこれもそれまでのビートルズとは毛色の違う曲だと感じた。そして、その1967年の夏休みに高校生の姉がアルバム『サージェント・ペパーズ~』を誰かから借りてきた。誰が持っていたんだろ。おそらく中学時代の級友でエレキバンドをやっていた他校の男子高校生からだと思う(姉は私立の女子校に通っていた)。当時の女子校生はシングル盤のヒット曲は聴くがアルバムまで買って聴く人はほとんどいない時代。当然アルバムを持っていたのはほとんど男子だった。まあビートルズのアルバムをほとんど買いそろえたのは高校生になってからの小生であって、姉が実際にビートルズのアルバムを買ったのは確か三枚か四枚ぐらいだったと思う。
さて、この『サージェント・ペパーズ~』のアルバムを一週間ほど毎日聴いた。するとその良さがだんだんと判るようになり、ついでに『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』の曲も理解できるようになったというのが真相だろう。その後、この『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』はアルバムSgt.の制作の伏線になるというから同一線上の曲作りが当時から行われていたんだと後になって納得した覚えがある。
ところで『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』のタイトルを姉は当時、苺畑よ永遠にといっていた。だが後に調べてみてリバプールに実際ある孤児院の名称だと言うことを知る。ジョン・レノンがリバプールの郷愁を曲にしたのだろうか。この曲に触発されポール・マッカートニーが『ペニー・レイン』を作ったとされているから、でも『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』の歌詞を調べてみると郷愁とはあまり関係のないジョン独自の人生哲学のような歌詞である。でも最初に聴いたとき変な曲でしかなかった『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』であるが、今となってはビートルズの数ある曲の中でも好きな曲の一つになっているから不思議である。それはアルバム『サージェント・ペパーズ~』にも言えるのだが。そして今年はそのアルバム『サージェント・ペパーズ~』が発売されて50年だとい言う。もうそんなになるのかとただただ驚嘆した。


ところで『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』『ペニー・レイン』2曲は、その後サウンドトッラク盤の『マジカル・ミステリー・ツアー』に収録されたが、当時、中学生だった小生はアルバムを買う経済力もなく、EP盤(直径17cm)の『マジカル・ミステリー・ツアー』を買った。これはシングル盤の大きさだが33回転の2枚組で6曲入り。ただし『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』『ペニー・レイン』の2曲は入ってない。The Fool On The Hillを聴きたいがために買ったものだが。当時LPは高価だった。

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2017.09.22 (Fri)

ブログ開始から10年

 いつの間にか当ブログ開始から10年経ってしまったようだ。10年って一言で片づけるのは簡単だが、生まれた赤ん坊なら小学校4年生になるし、小学校4年生なら大学生になっているし、20歳なら30歳になっているから、10年って長いんだ。ただし小生にとっては50代から60代になっただけ。あまり変わらない。それよりもこの間に入院も経験したし体力が衰えてくるのが判るし、情けないやら歯痒いやら。まあ継続は力なりで、たいしたブログではないけれど、中断もせずによく続けてこれたものだ。しかし、パソコンの方が10年も持たないので(使い方が荒いし使用頻度も凄まじい)、この間、パソコンを買い換えたりもしたが、今のパソコンも写真が載せられなくなったので、またブログ更新もやる気がなくなってきた。この間、OSもウインドウズ7からウインドウズ10に変わっているし、世の中、みんなスマートフォンを持っている時代。10年って大きいのだって痛感する。それでこのブログであるが、更新を続けるかどうかは判らない。もう写真を載せないブログなら更新できるけどもあまり面白くないだろ。取り敢えずはブログを閉鎖するまでもないので、気が向いたときに更新するとするか。でも世の中、もうブログの時代でもないけどな。
EDIT  |  18:54  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2017.09.17 (Sun)

ちょっと体調を崩した

 少し前から体調を崩した。夜と朝との気温が違いすぎて寝冷えしたのかも知れない。とにかく身体が重くて怠い。それで熱を測ったら38度を超えていた。そして近所の医院に行くと血液を抜かれ解熱剤を貰ってきた。今では熱が下がりようやく動けるようになったが季節の変わり目は難しいなあ。
 さて、三連休になったものだがよりによって台風でぶち壊されるというつきのなさ。9月は台風は多いけど、よりによって三連休に来るか? 昨日こそはまだ上陸してなかったが、それにともなう雨が一日降っていた。そして今日と明日は台風のモロの影響がありそうだ。碌でもないな。外出も出来ないし溜まった用事も済ませならないし、大人しく家の中で燻っているしかないかな。それでは・・・・・。
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2017.09.05 (Tue)

平日の昼間のJR

この前、久しぶりに平日の真っ昼間にJRに乗った。高槻と京都の間を乗ったのだけど電車の本数が少ないので驚いた。一時間に4本しかない。それも、この間はほぼ各停しかない。しかし高槻より以西。西明石と高槻の間はさほど本数は減ってない。それは午前11時から午後3時までの間は西明石~京都を走っている207系及び321系のサイドシートの通勤型車両の各停が全て高槻で西へ折り返すからである。だから高槻と京都の間は一気に本数が減る。つまり半分に本数が減ると言うこと。知ってはいたが、いざ経験してみると唖然とする。それだけ京都府は大阪、阪神間に比べると人口が少ないということなのか。国鉄時代は昼間も西明石~京都を通勤型車両が走っていたものだが、赤字の国鉄時代とは違い民営化されたJR.。もう昔と違い採算が合わないと削る。人があまり乗らない路線は当然本数を減らすのだ。それに人口が増えていた時代と違い日本の人口も減りだした。従って通勤時間の大量の乗車率が見込める朝と夕方のラッシュアワーは本数が一気に増えるものの乗車率の低い昼間は見事に本数が減ると言うこと。でも高槻以西は本数が減らないというのを見ると愕然とする。したがって昼間は高槻以東は快速が各停に変わって運行している有様。
 しょうがないと思うが、この快速変じての各停が食わせ物だ。何故かというと8両でくるかと思えば12両で来たりする。この辺りの両数だとさほど混まないが、時々、221系の車両がやってくる。するとほとんどが6両編成なのである。これだとまずホームの先端の方に立っていると電車が前に止まらない。したがって慌てて車両の扉のあるところまで走らなければならない。要するに電車がやってこないと何両編成か判らない。前もって表示される駅もあるが、表示板に量数が出ない場合もある。だから6両編成でやってこられると困るのである。また12両の半分の編成しかないから車内が当然のように混んでいる。だから電車の姿がホームから見えたとき、223か225系の電車なら良いが221系だと6両編成の場合が多いので愕然とする。それよりもまだ東海道線に旧式の221型が走っていことに驚くが、JR西日本はJR東日本に比べると資本投資をあまりしない。というよりも私鉄の力が今でも強いから物事は簡単にはいかないのか。こと車両に関しては私鉄の方が断然に良い。でも国鉄時代に比べれば随分と良くなった方だけどな。もっと運賃の方を安くしてくれば良いのに。20キロ以内は私鉄よりも運賃が安いが、それを超えると私鉄との運賃格差が格段に違う。JRの方が断然高くなる。小生の家からだと京都に行く時はJRの方が阪急よりも運賃が安いのに、大阪駅になると逆転。三宮になるとダントツに阪急が安くなる。それも遠距離になるほど運賃の割高感が増すJR。それも私鉄と競合しない都市部以外だと余計に運賃が高い。これだとなかなか遠距離も乗ろうと思わないJR..。もっとどうにかならないかと思う。豪華列車を走らすのも良いが世の中は金持ちだけではないからな。

ホームからこの車両が見えると6両かと思ってしまう

EDIT  |  16:52  |  鉄道  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2017.09.02 (Sat)

朝晩だけは・・・

 もう9月に入ったんだね。やっと朝と晩は涼しくなって凌げるようになったが日中はまだ30℃を超えたりして暑くなる。ただ8月のような異様な湿気はないからまだましだ。でも東京の方は涼しい夏だったらしい。僅か直線で300キロぐらいだし、同じ日本でも違うものだなと思う。こちらは延々と灼熱地獄が続き残暑も厳しかった。もうバテバテでどうしようかと思うほど暑かった。
 やっと9月に入り朝と晩は熱帯夜から解放されエアコンがなくても居れるようになった。窓さえ開けていれば涼しい心地よい風が入ってくる。でもまた暑さがぶり返すかもしれないし油断は大敵だ。最近は9月でも夏のような暑さになるときがあるから困ったものだが、ただ連日のように暑いわけではないしようよく日中、外に出て動いても大丈夫という所までやって来た。まあ取り敢えず暑い夏をようやく乗り越えたという感がある。めでたしめでたし。でも最近、秋は短いんだな。年々、夏が長くなるようなものだし良い季候だなあと思ったら一気に寒くなるからね。
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