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2018.06.03 (Sun)

2018大阪城JAZZ Festival

 何年か前に記事にしたと思うけど(2015年5月24日の記事)、あのときは来年以降はこの催しが行なわれるかどうか危ぶまれていたものの、どうにか細々と開催されていた。一昨年は大阪城という名称が付いているのに神戸のハーバーランドで開催されたり何が何だかわからない。つまりスポンサーが付かないと言うことか、その後は協賛企業が増え開催も続いている。これも良かったんではないかな。とにかく学生の自主運営の催しだから続けるだけでも大変だ。そういうことで昨日久しぶり行ってみたんだが暑すぎた。
 以前は5月開催だったのに6月開催。今の時期は晴れると炎天下では暑い。大阪城の野外音楽堂だから椅子の上に座っているだけで熱中症になりそう。若いときなら平気だったけど、色々と疾患を患っている小生は途中で退散した。何しろ午後1時から6時ぐらいまでやっているから時間は長い。休憩挟んで出演バンドも今日は7バンド。明日も開催があり、明日も出演バンドは7バンド。全員大学生なんだが企画バンドが5つ。残りの9が大学のサークルのバンド。順にいうと佛教大学、関西学院大学、天理大学、京都大学、甲南大学、同志社大学、立命館大学、神戸大学、大阪大学。関東からの遠征組もある。
 今日は1日目で最初から観たが必ずしもその大学所属ばかりではなく他大学のメンバーも奏者に入っているみたい。佛教大学もピアニストは同志社大学生だし、その他の大学もそういう所もある。このあたりは大学の体育会系の運動部に比べてかなり自由でいいんではないだろうか。服装も雑多で各自の個性がありふれている。楽器を演奏してなかったらそこらの若者だ。
 演奏の方はと言うと大学生になると上手いね。プロ級の奏者がうじゃうじゃいる。トランペットもハイノートなんて当たり前。曲はカウント・ベイシー、デューク・エリントンとその他が多い。コンテンポラリーな曲を演奏するときもある。関学はすべてカウント・ベイシーのナンバーだった。企画バンドの全員浴衣姿のガールズ・バンドはオバタラなんて演奏していた。そのあと野郎ばかりのバンド。これがノリノリでお調子者の集まり。しかし楽器を持たせると辣腕揃い。もうプロのバンドと言ってもいいぐらい。会場に着ていた外国人もリズムに乗って大喜び。その後、休憩に入るが暑すぎてへばったので後半の天理大学の演奏途中で退散した。炎天下だと軽く30度を超えている。いくら水を飲んでもおいつかない。みんな椅子に座らず後ろの芝生席に座っている。ここは木陰があり、みんな炎天下を避けている。直射日光のあたる椅子席の中央はハンディカムを持った人が動画を撮っているか、暑さが平気な若者達がいるが、頭にタオルを乗せている。でもみんな日陰のあるところへ集まっているので端っこの方が混雑しているのだ。この後、日が西によっていくと日陰も多くなり椅子席へみんな移動するのだろうが、、小生は午後1時から会場にいるので、午後3時にはへばってきたので退去した。まあ目当てのバンドがあるって言うのでもないが、パンフレットのメンバー表を見るとところどころ高校時代から名前の知っている奏者が各大学に散らばっている。だから上手いんだな。ただ室内の会場というわけにはいかず、夕方からなら観れるが日中で聴くには暑すぎた。なにしろ座席表面からして熱いのだから。

3年前の同催しの雰囲気

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2018.04.22 (Sun)

ウェス・モンゴメリーのアルバム『フルハウス』を聴く

 ウェス・モンゴメリーというジャズのギタリストがいた。いたってことは既に故人になっているっとことだが、亡くなったのが1968年6月15日と言うからほぼ50年前である。でもジャズのギタリストってまず第一に名前が挙がるのがこの人だからな。ジャズ界においてギターってのはいかに日陰の存在であったかが判る。ジャズのギターってビッグバンドでは存在するがコンボではあまり出てこないからさほど目立たないのだろう。実際に彼もジャズ界の世界で頭角表すのは1960年と遅い。彼は1923年生まれだから37歳の時である。このときはキャノンボール・アダレイが彼の演奏を観て気に入りレコーディングさせたアルバム『The Incredibke Jazz Guitar Of Wes Montgomery』で評判を呼び、彼は一気にジャズのギタリスト界で有名になる。それまで彼は生まれたインディアナポリスのローカルなジャズギタリストにしか過ぎなかったのである。もっとも彼は兄と弟と組んだザ・モンゴメリー・ブラザーズというジャズ・トリオでアルバムも出している。しかしアメリカは広い。いい腕を持っていてもジャズの辣腕ミュージシャンは数知れない。彼が有名になるわけがない。ましてやジャズでは地味なギタリストである。ただ彼の奏法は変わっていてオクターヴ奏法だが彼は親指1本で弦を弾くのである。だから音色が他のギタリストとは異なる。つまりベーシストのような音色のギタリストであった。これは彼が深夜しか練習する時間がなく煩い音を出せなかったからピックを使わず指で弾いていたことによるものである。ウェスは有名なミュージシャンにありがちな薬や酒、女に溺れることもなくただ真面目に朝から夕方近くまで労働者として働き、その後はバンド活動を行なっていたのである。こんな生活が長く続きキャノンボール・アダレイに見いだされるまでジャズでの演奏だけでは食っていけなかったのだろう。ただ一度、ライオネル・ハンプトン楽団の一員になり全米を回っていたのである。これは1948年から1950年のことで彼が25歳から27歳の頃であった。ただ彼は大の飛行機嫌い(小生と一緒だ)。結局、2年で楽団を辞めてしまいインディアナポリスの引っ込んでしまう。こうして細々と演奏活動をしていたときに彼の名が拡がり、一躍ジャズギタリストの寵児となる。
 そして当アルバム『フルハウス』を1962年に出すのである。メンバーはウェス・モンゴメリー(ギター)、ジョニー・グリフィン(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)という豪華なメンバーである
収録曲は『Full House』『I’ve Grown Accustomed To Her Face』『Blue’N’Boogie』『Cariba』『Come Rain Or Come Shine』『S.O.S』『Born To Be Blue』で、これはバークレーでのライヴ録音でありウェスのギターが冴え渡っていて名盤として通っている。ウェスが世に出るやこの独創的なギター奏法はジャズギタリストに影響を与えることとなるが簡単に真似が出来るものではない。ロックギタリストにもその影響力は及んだが、ほとんどのエレキギタリストはピックで弾くから音色が変わってくる。やはりこの音はウェスしか出せないのだ。
 最もウェスは兄にギターを買ってもらい独学で学んだと言うからやはり唯一無二の存在なのだろう。彼はギターの先輩チャーリー・クリスチャンのレコードを聴き漁り20歳の頃には完全にコピーできるまでになったという。ところでこの『フルハウス』が出た頃、彼はジャズギター界で飛ぶ鳥を落とす勢いだったにも関わらず、何故かポップスの曲をアルバムで出すようになる。ビートルズの曲を出したのもこの後で、彼にとってはジャズ界ポップス界とあまりこだわっていなかったようだが、残念なことに彼はジャズが変わりつつあった1968年に心臓発作で亡くなっている。まだ45歳だった。これは若いときの無理な労働が後年まで響いているとも言われているが・・・。
 ところで小生がウェス・モンゴメリーの名を知ったのもビートルズの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を発表してからである。そのときにジャズのギタリストだと聴いて驚いた覚えがある。当時イージーリスニング風の曲を多数録音し色々と批評もあったようだが、彼は彼で考えていたのだろう。当時はロックが全盛でジャズ界は曲がり角に来ていたからな。小生が中学から高校にかけての頃だったが。


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2017.12.18 (Mon)

ジョン・コルトレーンのこと

 ジョン・コルトレーンのこと知ったのは20歳になる前の高校生の頃だったと思う。当時、ジャズをそんなに知っていた訳でもないのに、ときどきジャズ喫茶に通っていた。暗い中で黙々と紫煙が漂っていて独特の雰囲気があってロック喫茶とは明らかに違っていた様な気がする。主に社会人や大学生が多かったが、小生も大人ぶって通っていたのかな。ロック喫茶と違いインストの曲が多い。ヴォーカルのパンチのあるロック好きの連中はジャズが嫌いと言っている者が多く誘っても誰も来なかったのだがただ1人N君がジャズ好きだと知って一緒に行ったことがある。その彼はジョン・コルトレーンが好きだったのだ。当時の高校生にしては珍しい。
 小生はどちらかというとマイルス・デイヴィスの方が好きだったが、彼はジョン・コルトレーンを中心に聴いていたのだ。そして彼の薫陶を受け小生もジョン・コルトレーンを次第に聴くようになっていた。彼によるともうコルトレーンはこの世の人ではないという。コルトレーンは1967年に亡くなっていたので小生がジャズ喫茶に通っていた頃は既に他界して3、4年は経ていたのだった。だから当時のラジオのジャズ番組(あまりなかったが)はコルトレーンをよく流していたように思う。またジャズ喫茶に行ってもコルトレーンの『至上の愛』をよく聴いたように感じる。また当時はジャズの王様ルイ・アームストロングが亡くなった時期であり自分の中でちょっとしたジャズブームがあったように記憶する。ちょうどビートルズが解散してビートルズ・ロスみたいなものがあったのだろう。ロックよりもジャズに一時期傾いていたのだ。
 でも小生はマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ハービー・マン、セロニアス・モンクを頻繁に聴いていたので不思議とスウィング・ジャズを聴いていなかった。つまりビッグバンドを聴くようになったのは後のことである。時代考証から行くと先にモダンジャズ、コンボジャズよりもスウィング・ジャズの方が古いのだが、小生の中では反対なのであった。だから曲は知っていてもデューク・エリントン、カウント・ベイシー、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン辺りのビッグバンドを聴くようになったのは20歳過ぎてからになった。つまり先にコンボからジャズに入ったのでジャズって多くて5人ぐらいで演奏するものだと思っていたから、デューク・エリントン楽団が17.、8人で演奏する『A列車で行こう』の映像を初めて観たとき違和感を覚えたのである。所謂、これがモダンジャズの前に人気のあったスウィング・ジャズでありビッグバンドというものであった。でも戦後の日本で流行ったアメリカから来たジャズというものはこちらの方が主体であり、ヴォーカル付きの商業音楽でありダンス音楽のバックバンドというものの基本はビッグバンドだったのだ。それが少人数でヴォーカルがなくなり聴かせる音楽として飛翔していったのがモダンジャズだと聞いた時の驚きは隠せない。当時はビッグバンドとコンボは全く別の音楽だと認識していたから、ビッグバンド=スウィング・ジャズよりも後から出て来たのがコンボ・ジャズでありモダン・ジャズだと知るのだった。当時はジャズと言ってもただ聴くだけでそのなれそめだとか歴史とかを知っていたのでもないから無理もないが、ただ小生の中ではコンボ=ナイス、ビッグバンド=オジン臭いというのも何処かにあったのだろう。スウィング・ジャズを何処か敬遠していたように思う。それが歳をとるとともに何の関係もなしにビッグバンドを受け入れるようになっていったと思う。それはクラシックでオペラだけは敬遠していたが、いつの間にかオペラも盛んに観るよう聴くようになっていたというのと似ているが。
 まあそういうことで若い頃はジョン・コルトレーンをよく聴いたもんだ。高校の頃コルトレーン・ファンのN君が言うのはコルトレーンが1966年の7月に来日してコンサートを何箇所かで行い行けなかったのは残念だと言った。其れを聞いて小生は驚いたのである。あんた幾つからコルトレーンのファンなんだと・・・・。小生もませている方だと思ったが彼はオレ以上だと。もっとも彼の父親がかなりのジャズ好きでよくジャズが家の中で流れていたという。なるほど。そういう家庭環境でないと小学生からジャズは聴かないでしょ。また彼は幼少の頃からピアノを習っていたがバイエルの練習とかに飽きてジャズの曲をよく弾いていたという。楽器が真面に弾けない小生とは音楽の素養が違うところだなあと思ったものだ。
 ところでこのコルトレーンの最初で最後の来日公演を彼に聞くまで小生は全く知らなかった。それというのもその一週間前に華々しくビートルズの来日公演をマスコミが採り上げたからである。つまり外タレの公演をビートルズだけは華々しく報道したがマニアックなコルトレーンの来日公演は全くといって報道がなかった。もっともその頃、小生はコルトレーンのコの字も知らなかったから無理もない。当時、ジャズ界で知っている人ってルイ・アームストロングとグレン・ミラーとベニー・グッドマン、それとヴォーカルのナット・キング・コールぐらいだった。高校になるとジャズに興味を持ち一気に知識が増えたものだが、1966年当時なんてその程度の知識しか持ち合わせてなかった。
 さてジョン・コルトレーンの話に戻ろうか。コルトレーンって第一線って言うか認められてジャズ界で活躍するのはほぼ10年ぐらいにしかならない。キャリアは長いのに・・・。つまりジャズメンの間でもなかなか頭角を現さなかった。最初はディジ・ガレスピーにつき、次はマイルス・デイヴィスと組むがクビ同然となる。そして拾ってくれた人がセロニアス・モンクと大物ばかり。そして再びマイルス・デイヴィスと一緒にバンドを組む。このときは前回と違いマイルスはコルトレーンの進歩に驚き押しも押されぬジャズ・サックス奏者と頭角をようやく現すのである。そして名盤『カインド・オブ・ブルー』の録音に参加。そして自らリーダーのバンドを結成。この頃はマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、ジミー・キャリソンといった面々と組み数々の収録をした。そしてコルトレーンはやげてフリージャズや無調音楽をやるようになりより難解になっていくが、小生はジャズって言語はコルトレーンの死後なくなったように思う。スタイルは継承されているが、実質にはジャズはより高度化しフュージョンやらなんやら説明がつかなくなっていった。そのジャズの最晩年期にジャズ界で一際、輝いたのがジョン・コルトレーンだと思う。結局、コルトレーンの命を縮めたとされる肝臓癌であるが、実際にはその前からヘロインを多用していてその副作用が一因にあると思える。でも僅か40歳で亡くなるとはもったいない。小生が盛んにコルトレーンを聴いていた頃、既にこの世の人ではなかったんだから。もうコルトレーンが死んでから50年、早いものだ。


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2017.08.12 (Sat)

Somebody Stole My Gal

 大阪の地下鉄御堂筋線なんば駅の北側の改札を抜けると地下街に出る。その地下街を東に向かって歩くとエスカレーターが目に入るところがある。エスカレーターは地上に出るようになっている。さらに地上に出るとまっすぐ南のほうへ歩く。すると左側になんばグランド花月が目に入る。いわゆるこれがお笑いの殿堂。吉本興業の本拠地である。でも小生一度も入ったことがない。というよりも吉本のお笑いなんて興味もない。こう書くと関西人違うわと言われそうである。まあそれはいいとして、実際に吉本新喜劇なるものが関西で毎週テレビで放映していて、これがけっこうな視聴率を稼いでいて、これを観ないと生きてる気がしないという人までいるぐらいだ。それだけ関西では吉本の笑いが浸透しているぐらいなのだが、この吉本新喜劇が始まるときにテレビで流されつ曲がある。~タラララッタラ タラララッタラ タラララッタララ フンワカフンワ フンワカフンワ フンワカフンワワ~とこのように聴こえる。いかにもお笑いのお囃子の曲のごとしで、うまい曲をもってきたなあ思った。と書くと吉本のオリジナルと違うのかと言われそうであるが、オリジナルではないのである。
それならなんという曲かというと『Somebodey Stole My Gal』という曲である。作曲者はレオ・ウッドで1918年というから大正時代に作曲された曲である。アメリカのポピュラーソングでいろんな人がカバーしている。でもベニー・グッドマンやカウント・ベイシーなどがこの曲を収録しているからジャズの曲だと思ってしまう。でもベニー・グッドマンのビッグバンドが演奏している同曲を聴く限り吉本新喜劇のテーマソングとはちょっと雰囲気が異なる。それなら吉本新喜劇で流れる『Samebodey Stole My Gal』は誰の演奏だということになるのだが、これはピー・ウィー・ハントのバンド演奏によるものである。ピ-・ウィー・ハントはトロンボーン奏者でこの曲をディキシーランド風に演奏したので、ちょっとコミカルに聴こえるのである。もともとは誰かがあの娘を奪っていったという題名どおりコミカルに聴こえるはずのない曲なのだが、ピー・ウィー・ハントの録音したレコードを聴くと確かにコミカルである。それを吉本興業が使用したということになるだろう。だからこの曲を演奏するジャズメンは笑われてしまうのである。


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2017.05.04 (Thu)

第19回高槻JAZZ STREET




 GW真っ只中。昨日と今日、高槻のジャズストリートが開催されていた。もう19回目になるという。出演バンドも788、会場も63会場。でも今年はよく行く高槻城の城跡公園が諸事情で使えず、会場の変更等があって、よく行く桃園小学校の会場等を含め、撮影は写真も含め、録音も禁止になってしまった。従ってカメラも持って行かなかったので写真を一切撮ってないので現地の様子もなし。しょうがないと言えばしょうがない。最近はスマートフォンで動画が撮れるし、そこから動画をYou Tubeに載せて公告を貼り付けて少しでも稼ごうという人が増えたからなのかメイン会場は一切才撮影禁止になってしまった。そういった関係で毎年、よく行く城跡公演会場は行かなかったし、小さい会場は入れないし、プロミュージシャンが大勢出ている現代劇場は入るのに行列の並。仕方なくまず桃園小学校に入った。ここでは屋台が出ていてテーブル席があり飲酒も出来るのだが、規制が厳しくなったみたいだ。禁煙は判るとしても、日傘は禁止(雨が降れば合羽を着ろと言うことか)、飲食物の持ち込み禁止、ペット入場禁止。録音、録画、写真撮影禁止ってなんだかホール会場並に厳しくなった。一応、小学校の校庭が演奏会場なんだけどな。ちょっと煩すぎないか。たとえば学生達の部活でこの会場に出演しているバンドの親たちなら、子供の演奏しているところを録画したり写真を撮ったりするだろう。それも禁止と言うからちょっと考え物だなと思う。プロばかりが出ているのじゃないからな。アマチュアバンドがプロに混ざってステージに立つのにと思いながら見ていた。それならアマチュアのバンドとプロのバンドを会場ごとに分けるしかないだろ。なんかおかしなことを主宰者側はやっている。去年まで何も言わなかったのに今年になって突然、規制が厳しくなった。
 まあぼやいてもしょうがない。来たからにはビールを飲んでB級グルメを食べながら二つのバンドの演奏を見ていた。最初は社会人のファンクバンド。のりが良い。ヴォーカル付きでギター、ベース、ピアノ、ドラムスに金管、木管が数人。フュージョンのような感じだがヴォーカルが必ず入る。オープニングとしては盛り上げるのに良いかもしれない。とにかくMCが面白いしよく喋る。
 その後は高校生のバンド。この会場では二日間で唯一の学生バンドである。所謂ビッグバンドなんだが、よりによって難曲ばかり演奏する。最近のビッグバンドは昔の定番のグレン・ミラーやベニー・グッドマンなんて演奏しない。シング・シング・シングなんて演奏しているのは大方が吹奏楽団だ。ジャズを専門に演奏しているところは最近は難しい曲ばかり演奏する傾向にある。なんなんだろう。これが流行かな。ゴードン・グッドウィンやマイケル・カミーロとか最近は人気だが、今日はライアン・ヘインズなんてレパートリーに入っている。それも一筋縄で行かない曲ばかり。ただ今時の高校生は難曲をサラッと演奏するから10年前に比べるとレベルが上がったものだ。そのなかでも驚いたのはピアノソロの女子。延々とピアノソロを弾く女子高生。これが完全にアドリブだと言うではないか。大体、高校生のソロってほとんど耳コピーで覚えたフレーズを演奏するのだが、即興でソロを弾きこなす。もうプロ並みだな。また男子高校生がソロでギター演奏をする。これもアドリブなのだが、またこれが凄い。これだけ速弾きをする高校生ギタリストを見たことがない。この男子もプロと言われても判らないだろう。今の高校生は音楽環境が我々の時代と違って幼いときからそういった中にいると高校生でこれぐらい上手い子がいても不思議ではないかも。我々の時は小中でリーコーダー、ハーモニカぐらいしか楽器は習わなかった。ブラスバンドや吹奏楽なんて高校生になってから始める者ばかり。今は始める年齢も早いし、ましてやジャズを中高生が演奏するなんて40数年以上前では考えられない。まあ生まれた時代が違うからしょうがないが羨ましくもある。
 三時頃にこの会場を出てあちらこちら行ったが、毎年言うようにジャズばかりじゃないんだな。民謡バンドもあるし、和太鼓のグループもいる。J-POPのようなもの、ジャズストリートと言ってもジャズばかりじゃない。まあ音楽にジャンルはなくてもいいが、これもジャンルの垣根が低くなっていったということだろう。ただある飲み屋の会場の前を通ったとき、ビートルズのThis Boyが聴こえてきた。なんだ完全にビートルズのカバーバンドじゃないか。もう何でも良いのかと思ってしまった。ジャズストリートというよりもロックストリートと改名したほうがいいのでは・・・・。それとも催しのタイトルもミュージック・ストリートに変えてしまうとか。こうなるともっと出演バンドが増えて、これ以上会場を増やせないからタイトルを変えるわけにも行かないだろうけど。
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2016.12.25 (Sun)

マイルス・デイヴィスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』を聴く



 このアルバムを採り上げるのはもっと後にしたかったんだが、来年あたりでこのブログ10年になるし一区切りでやめようかと考えているので、もうそろそろ記事にしてもいいかなと考えたまでである。このアルバムはジャズのバイブル的なアルバムと言ってもいい。ロック界における『サージェント・ペパーズ』みたいなものである。最近、このアルバムのLPのことをテレビのCMで採り上げていたから思い出したと言うことなのであるが、若いときにもっとも聴いたジャズのアルバムである。ジャズ史上において世界で1番売れたアルバムだとされ、それだけに評価も高く普遍的な価値のあるアルバムだと言えよう。すでに発表されて半世紀以上になるというのに未だに売れ続けているアルバムなのである。言い換えればこのアルバムを聴かずしてマイルス・デイヴィスは語れない。モダン・ジャズは語れない。よく言うたとえ話として無人島にもしLPレコードを5枚持って行っていいといえば、小生は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『リボルバー』『アビィ・ロード』『クリムゾン・キングの宮殿』に加えて『カインド・オブ・ブルー』を持って行きたいと最近考えるようになった。
 よくジャズに名盤はなく名演奏があるというが、即興性の高いモダン・ジャズにおいてアルバムを何度も聴くことよりも生演奏を肌で感じる方がいいとは思う。が、このアルバムだけは不思議と何度も聴いてしまう。何故だろうか。アルバム全体的に通じるブルーな雰囲気が漂うのがいいのかミュートの効いたマイルスのトランペットの噎び泣きがいいのか判らない。ただ理由はなく聴きたい音楽がある。それが『カインド・オブ・ブルー』かもしれない。
 録音は1959年の春である。トランペットのマイルス・デイヴィス。アルトサックスのキャノンボール・アダレイ。ピアノのビル・エヴァンス及びウィントン・ケリー。テナーサッックスのジョン・コルトレーン。ベースのポール・チェンバース。ドラムスのジミー・コブ。今は亡き人も多く伝説のプレイヤーばかりだが、当時は必ずしもそうではなかった。コルトレーンなんか名声を得るのはこれから数年後のことだし、ただ1人の白人ビル・エヴァンスもここから飛翔する。ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、キャノンボール・アダレイはこのアルバムに参加してことで有名になったようなものだ。
 当時、ジャズ喫茶でレコード盤に針が落とされチリチリチリという雑音からピアノとベースの序奏。そしてズズズズズズズーンーソーファット(小生にはそのように聞える)と音が奏でられたときは痺れが止まらなかったものだ。若いとき、ジャズのレコード盤を持ってなくてジャズ喫茶やラジオ(もうこの頃はあまりジャズの番組はなかった)でしかジャズは聴けなかったから、『So What』が店内に流れ出すと聞き耳を立てたものである。ご存じではあると思うが『Kind Of Blue』という曲はなく収録曲は5曲だけ。『So What』『Freddie Freeloader』『Blue In Green』『All Blues』『Flamenco Sketches』である。タイトルのカインド・オブ・ブルーはアルバム全体のイメージから来ているのだろう。冒頭の曲『So What』は、その後、色々なところで演奏されているのだが、このアルバムの『So What』だけは別格なのである。どう言えばいいのだろうか偶然の産物なのか恐ろしいほどの完成度を持っている。他の曲もそうなんだが、メンバーの気持ちが見事に調和した結果だろうが全て名演奏。他のアルバムでも良いものは多いが、この『カインド・オブ・ブルー』のフィーリング、ニュアンス、漂う雰囲気。ただならぬクール感。これぞモダン・ジャズの神髄である。ところで『So What』であるが曲名のタイトルとしては? がつく。なんでこんなタイトルの曲があるのかと疑問が湧くが、マイルス・デイヴィスの口癖だったという。意味は「それで何」「それがどうしたの」「そんなのどうでもいい」とか色んな意味があるだろうが、日本人からしたらその言葉の意味するところがあまりよくわからない。でも最近、これはマイルス・デイヴィスが言ったのではなく友人だったデニス・ホッパーがの口癖だったようだ。まあ、そんなことはどうでもいいが、そのSo whatを曲にしたのである。ビル・エヴァンスのピアノとマイルス・デイヴィスのトランペットがベースの上にSo Whatと同時に叫んでいるように聞えてしょうが無い。偶然の産物か必然的に生まれたかは判らない。即興性の強いモダン・ジャズの世界において『カインド・オブ・ブルー』は奇跡の1枚のようなアルバムであるといえよう。


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