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2015.07.26 (Sun)

久しぶりに山鉾巡行を見に行った

 一昨日の24日、祇園祭の山鉾巡行に行った。といっても後祭というもので、昨年から復活した後祭の巡行である。昭和40年までは祇園祭の山鉾巡行と言うのは2度行われていて、それが交通事情の影響もあり7月17日に山鉾全てを巡行させるということになり、今まで行われていたのだが、このほど大船鉾の復活により巡行は2回に分けて行われるようになった。そして、学生の時以来、それこそ40年振りぐらいに山鉾の巡行を見に行ったのだが暑かった。17日の巡行に比べると山鉾の数も少なく、長刀鉾を始めとする多くの鉾は後祭には参加しないが、一番最後に巡行するのが復活となった大船鉾である。出発が烏丸御池~河原町御池~四条河原町~四条烏丸と17日とは逆のコースで巡行する。
 しかし梅雨も明けていてカンカン照りの陽射しで蒸し暑いこと蒸し暑いこと、汗がタラタラと流れ出るので参った。でもこの暑いのに大勢の人出。それも外国人観光客が多い。小生が学生の頃はよく山鉾巡行を見に来たものだが、明らかに今の方が外国人が増えている。巡行の沿道には人が何重にもなり見学しているが、其処ら中に外国人がいる。そしてみんなカメラを構えている。外国人用の英語で書かれたパンフレットを手に持って、山や鉾が通るたびにパンフレットの説明書きを読みながら見学していた。西洋人が多いのだが、中国人も当然多い。ただ一見、日本人なのか中国人なのか判らないが、中国人は髪が短くサングラスをしている人が多い。何故なのかな。それに原色の服を着る傾向があるようだ。だから何となく判る。ただ浴衣姿の男女7、8人のグループを見かけたのだが、これが中国人だったから驚いた。浴衣で京都の町を歩くというサービスがあって、観光客が浴衣を着て町を練り歩くのだろうが、中国人が浴衣を着るとあまり様になってない。それはあの鼻緒のついた下駄を履く習慣がないからだろう。どうも歩き方がおかしいのだ。日本の若者は花火大会や祭りなどで浴衣を着る習慣が子供時からあるので、比較的に歩き方も備わっているが下駄や和服になれてない中国人がそのような装いで日本人のふりをしてもすぐにばれる。まあ恰好から日本を楽しもうとしているのだろうが、歩き方がどうみても不格好である。それは日本の女性がハイヒールを初めて履いた時にも言えるのだが。
 とにかく大股で外股で歩くものではないのだがな。だから彼等が歩いているのを見てすぐに日本人ではないと判った。するとやっぱり中国語で喋っていた。
 それにしても暑かったな。この時期に日本に来る外国人はどう思っているのだろうか。気温が高いだけならともかくとして、湿気があるから日陰に入ってもむっとしていて、汗がじわっと滲み出てくるので、すぐに冷房の利いたところへ行きたくなる。小生も山鉾巡行の見学もほどほどにして直後に冷房の利いた喫茶店へ涼みに行った。
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2015.07.19 (Sun)

芥川龍之介の『トロッコ』を読む

 何をいまさら短編の『トロッコ』を読むなんてタイトルでブログを書こうと思ったのかと思われる向きもあるだろう。文庫本にして僅かに8頁。実に短い小説である。もっとも芥川龍之介の小説と言うのにあまり長いのはないが。ところで、この国民的作家の短編小説『トロッコ』なんて小学生の読書感想文で課題にあがったりするぐらいだが、この短編小説を何故採り上げたかというと今、話題の人である又吉直樹が文学に嵌った最初の小説だということで採り上げてみた。
 又吉直樹がこのほど芸人として初の芥川賞を受賞した。それも処女小説『火花』でいきなり受賞したのである。これには驚いたが素直に拍手を送りたい。そもそも私が又吉直樹の存在を強く意識したのは何年か前のNHKのテレビを観てからである。それは『仕事ハッケン伝』というドキュメンタリー番組で、今と違う仕事についていたらどんな人生を送っていただろうというコンセプトのもとに著名人が一企業に一週間入社し、特別待遇もなく一社員として体験を積むという番組であった。たまたまその時、小生はその番組を観ていて、その時の印象がとても強かったので、又吉直樹の名前を意識したのである。それは大手コンビニエンス・ストアで新商品のパスタ(弁当)を二つ売り出すためにキャッチコピーを考えるというものだった。彼は広告販促企画部に配属され、ミーティングにも参加し新しい商品を売り出すために苦心した挙句、プレゼンテーションで結果を残し見事、そのキャッチコピーで商品が店頭に並んだのである。確か「末っ娘が生まれました。かわいがってください」(双子です)というものだった。これは社員にも好評で、上司にもお墨付きをもらい見事に溶け込んでいた。
 その時の印象で、この男、なかなか文案を考える才能があるなと思って注目していたのである。それまでも顔は知っていたが、なんか長い髪にあまり喋らない地味な芸人ぐらいにしか感じ取っていなかったのだが、これから印象が変わったというか、書店で彼が書いたという本を見つけた。それが『カキフライが無かったら来なかった』(せきしろとの共著)という自由律俳句と散文で構成されている書物だった。思わず手にとって立ち読みした。すると何時の間にか引き込まれていて、なかなか秀逸でこなれた文体を書くなと驚いたものである。すると今年の1月に、その又吉が純文学の雑誌『文学界』に小説を書き、それがいきなり増刷。単行本にもなりベストセラー。そしてそして芥川賞受賞。あれよあれよと何時の間にやら文壇に登場してしまった。その又吉直樹が中学校の教科書で『トロッコ』を読んでから文学と言うのは面白いと思い本を読むようになったという。彼は太宰治の大ファンで、かつて住んでいたところが、その昔・太宰治が住んでいたところだったと著書に書いているが、どうやら類は友を呼ぶで縁があったのだろう。ただ『人間失格』を読んで実に面白い小説だと思い、毎年正月には読むという。やっぱり感性が小生とは違うということか。これぐらいの繊細さがないと小説は書けないということかな。やっぱり小生のような凡人には判りかねます。
 ところで『トロッコ』の何処が面白いと又吉少年が感じたのかと言うと『トロッコ』を読んで救われたという。読んだときに「めっちゃわかる」と感じたらしい。文学で感じた初めてのあるあるというか、自分しかわかりえないと思っていた感情を自分以外の他者が描いてくれていることへの感動があったというのだ。
 『トロッコ』と言う小説は実に短い。良平が8歳の時、小田原~熱海間を走る軽便鉄道の敷設工事が始まり、良平は工事をしている土工がトロッコで土を運搬するのをたびたび見ていた。土工は土を載せて線路を下っていき平地に来ると土を捨て、今度は線路を押して登っていく。それを見て良平は自分も土工になりたいと思った。
 2月のある日、良平は6歳の弟と弟と同じ年の少年と遊んでいて、土工がいないのを見計らって3人でトロッコを押してみた。押して登りトロッコに乗って線路を下って遊んでいると土工に見つかり怒鳴られてしまう。それ以来、良平はトロッコに触ることを避けていたが、10日ほど経つと、2人の若い男がトロッコを押していた。良平は「おじさん押してやろうか」というと「おお押してくよう」というので良平は嬉しくなって一緒に押した。
一緒になして押しているのが楽しかった。5、6町押すと下りになる。良平は土工と一緒にトロッコに乗った。風を切ってトロッコが下っていく。トロッコが平地で停まるとまた押すという繰り返し。
 やがて雑木林を抜け海が見えるようになる。何時の間にか家から遠いところまで来てしまったことに気が付き、トロッコを押していても楽しくなくなってくる。次第と土工がもう帰ってくれればいいのにと思うようになる。さらに進むと一軒の茶店があった。土工はそこでお茶を飲み良平はイライラする。茶店から出てきた土工が駄菓子をくれたが、良平はあまり喜ぶことが出来なかった。さらにトロッコを押しすすむと、また茶店に出くわす。土工はまた茶店に入る。すでに日暮れにかかっていた。良平は帰ることばかり考えていた。
茶店から出てきた土工は良平に向かって俺たちはトロッコを押して行った先で停まるから「われはもう帰んな」と言われ良平はたった一人で帰っていく。泣きそうになるが泣いている場合ではないので、線路の上を走り出した。途中、貰った駄菓子まで捨てて良平は走った。行きと帰りでは風景が異なるため不安を感じないではいられない。良平は汗で濡れた着物が気になって羽織まで脱ぎ捨ててしまう。日が落ちいよいよ暗くなっていく。良平は焦って来る。次第に「命さえ助かれば」と思い、すべりながら躓きながらも走り続ける。やがて村はずれの見覚えのある工事現場が見えてきたときには泣きたくなったが泣かずに走った。村に帰ってきて良平を見た村人が「どうした」と声をかけたが良平は返事をせずに自宅へ急いだ。そして自宅に到着するなり良平は大声で泣き出す。泣き声を聞いて両親
がやってくる、さらに近所の人もやってくる。みんな、なんで泣いているのか聞くが良平はただ泣き続ける。
 時が過ぎ、26歳の良平は妻子と東京にやって来た。現在は雑誌社で校正の仕事をしている。今でもあの時のことを思い出すことがある。思いだすのには理由がある筈だが理由はない。ただ塵労に疲れた彼の前には今でもやはり、その時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すじ断続している。
 以上が『トロッコ』のあらすじであるが、僅かこれだけの話である。短編小説というのは盛り上がる前に終わってしまうといった難しさがあり、この短い間、小説の中に色々な思いを凝縮しなくてはならないので、長編よりも難しい部分がある。だから小生は短編が苦手なのだが、又吉少年は中学で、この『トロッコ』の各所に面白さ、興味深さを汲み取っている。やはり才能ある人は捉えどころが違う。
 結局何だろう。少年の時に感じていたものが、大人になって感じなくなった。小生なんか屈折していて皮肉ばかりいっていた少年だったので、又吉少年のような鋭い繊細な感性は持ち合わせない。謂わば彼の敏感なレーダーが感じ取った微小な空気を小生は感じないのである。大長編で感動することはあったが、こういったごく短い短編でその面白さを体現出来ない小生にとっては、小説家に到底なり得ない感性しか持ち合わせてないと思った。それ故に又吉直樹が芥川賞を受賞したというのは偶然ではなく、彼が小説を書く上で既に持ち合わせていたものがこのほど具現化されただけに過ぎないのだといっていいだろう。いや才能を持った人は何処に埋もれているかわからないものである。ところで小生が『火花』を当然、読んだろうと思うだろうが、まだ読んでないのだ。小生はへそ曲がりであって、ブームの中には巻きこまれたくない。いずれブームが去って静かになってから密かに読もうと思っている。あしからず。

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2015.07.19 (Sun)

台風11号の余波Ⅱ

 昨日の朝まで雨が降っていた。でも記録的と言われるほど降ったとは思わなかった。確かに一昨日の午後から勢いの強い雨が降り続いてはいたが、鉄道が大変なことになっていたようだ。JRは大雨の影響で電車がストップ。酷い場合は満員の電車が深夜に4時間も立ち往生。気分の悪い人が大勢出て救急車に運ばれたという。なんでこんなことになったかと言うと雨量計がある一定を超えると電車を停めるらしい。昨日は土曜日で小生、出かけようと思ったのだがあいにく関西のJR在来線はよりによってすべて運休。なんてこった。台風の影響がここまで大きいとは。
 踵を返して阪急に乗ろうと思い最寄りの駅に行くも、ホームには大勢の人。しょうがないJRの客がみんな流れてきているからしょうがない。それも特急は運休。各駅停車も20分から30分間隔の運転。それも徐行運転。電車が到着した時は既に満員。え、これに乗り込むのと思いながら満員の電車に乗り込む。あーあ、土曜日で午前9時も過ぎているのにこのラッシュアワー並みの大混雑。台風の余波はまだ解消されてなかった。でもJRと違いフットワークの軽い私鉄。対応も早い。JRが全面運休と言うのとは違い動かしている。いったいどうなっているのやら。
 路線の長さが違うというのは理解できるが、大阪環状線までが運休しているから意味が判らない。それでいて高速鉄道の新幹線は動いているのにおかしい。なんでこんなことになるのやら説明も何もない。ただ大雨の影響により運休と言うだけ。訳が判らない。対応が悪すぎる。危機管理がどうなっているのやら。大雨の影響だけと言うのなら私鉄は全て動いているのにJR在来線だけが全て運休。まさかの事態に事情を知らなくて駅に詰めかけた乗客は大迷惑。しょうがないから私鉄の駅まで行くこととなる。最近、大勢来ている中国人観光客。大きなキャリーケースを持って何人かのグループが駅の中で何が起こったのかと言う顔をして汗だくになりながら右往左往していたが、この時、日本に観光にやってきた外国人は運が悪いとしか言いようがないだろ。
 結局、JRが完全に動き出したのは夕方。いやはや、とんでもない週末だった。
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2015.07.17 (Fri)

台風11号の余波

 なんだかノロノロとした台風がやってきて今日一日、雨が降りやまず。それどころか午後になってからの方が雨が激しかった。昨日は夜に四国に上陸して今日、午後に山陰から日本海へ抜けて勢力も衰えたのだが、夜半までは風も強かった。これにより昨日の間に終業式を行ったところも多く、何かと7月のお騒がせ台風の余波は大きかったようだ。被害そのものはさほど大きいものではなかったが、とにかく台風の速度が遅く上陸してからもなかなか進まず、したがって雨が長い間、降らし続けていた。この台風のような時、外出するのは厭なんだが仕方がない。とにかく雨が強く風もある。ちょっと駅まで歩くだけで膝から下がビショビショである。それに傘が思うようにさせない。風があるから傘があおられ下手をすれば松茸のようになり上半身まで濡れる。こう言った時には傘はあまり役に立たない。それに電車も遅れ気味。ロクなことがない。
 それはそうと今日は京都の祇園祭の山鉾巡行の日であった。動く博物館ともいわれる山鉾。これ等が長刀鉾を先頭に京都の中心街を巡行する伝統の祭りだが、もしかして台風の影響で中止となる可能性もあった。だが、中止されることもなく激しい雨の中、無事に行われたようだ。過去、祇園祭の巡行が中止されたというのは1962年に一度ある。この時は阪急が四条大宮から河原町まで延伸工事をしていて、四条通の地下を掘る工事をやっていたため、この年だけ中止されたらしい。したがって悪天候で中止となると1880年代に一度だけあったらしい。つまり余程のことがないと山鉾巡行の中止はないのである。過去、どんな激しい雨でも強行されていたけ中止されたらしい。したがって悪天候で中止となると1880年代に一度だけあったらしい。つまり余程のことがないと山鉾巡行の中止はないのである。過去、どんな激しい雨でも強行されていたのだ。のだ。絨毯にビニールを被せて雨を凌いでいた。鉾の上にいる人は滑るので大変だし危険である。それでも今まで強行して巡行は行われてきた。ただ今回は台風と言うことで、もしかして強風が吹くと鉾が倒れる可能性があるということで、午前9時の巡行開始の2時間前に強行が決定されたという。昨日の宵山は台風接近で提灯をはずしていて、それでも多くの人がつめかけていたようだ。例年、祇園祭と言うのはあまり天気が良くなく、快晴と言うのは5年に一度ぐらいらしい。まあ、何時も梅雨時と言うことで時期的にも雨が多いのはしょうがないが、それにしても質の悪い台風がやって来たものだ。ただ人災被害が比較的少なかったというのは救われるが。それにしてもよく降るな。今でも降り続いているからな。
EDIT  |  19:55  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.07.12 (Sun)

とんでもなく蒸し暑い

 昨日といい今日といい発汗が凄い。気温は7月だから暑いのはしょうがないとしても、ちょっと異様なほど蒸し暑い。暑い時は日陰に入ると少しは和らぐのだが、日陰に入っても汗が止まらない。いったいどうなってるのいいたいほど蒸し暑い。気温は35℃を超えているというのでもないがとにかく暑い。つまり湿気があり過ぎて不快指数が頂点に達している感じである。それはどうやら台風のせいだろうと思うが、台風が三つも南太平洋で発生して、仲良く並んでいた。10号は中国の方に行きすでに消えてしまったが、9号と11号がまだあって、9号の方は西の方から踵を返してまた東の方向に向かいそうだし、日本にとっては11号が問題である。まだ進行方向ははっきりしないが高気圧の縁を進む傾向にある台風であるが、下手したら日本列島に上陸するかもである。
 またよりによって台風二つが齎す熱気と湿度によりとんでもなく暑い。ただ気温が高くても湿気があまりなければカラっとして直射日光避ければある程度は凌げるのだが、この異様な湿気の高さが身体に影響する。とにかく汗が次から次へと出てくるのでタオルを持って外出するのだが、タオルがすぐにビショビショになる。もう降参するしかない。なんという気持ちの悪さ、いくら水分を摂取しても追い付かない。もう冷房の効いたところで涼んでいるしかない。でも夏はこれから本格的になる。ああ、今から憂鬱だ。
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2015.07.05 (Sun)

今日の朝、昼、食べたもの

 本日は曇り。雨が降りそうで降らない。気温は高くないが湿度がある。梅雨の真っただ中なのでしょうがないがムシムシしている。
PCの調子が思わしくないので更新をやめよと思ったが、日曜日に更新しないと更新する日もないので、少しででも更新しておこうか。
とはいうもののいきなり何を書こうかと思ってもすぐには浮かばない。アドリブじゃブログを書けないってことだが、最近は想像力も枯渇しているから以前ほど書けなくなった。とはいっても何かを書くとするか。といっても書けないので、今日、何を食べたっかって話でもするか。
 朝は小生、パンを食べた。何時も朝はご飯を食べない。したがって毎朝パンを食べているというか、朝からご飯はほとんど食べたことがない。意外に思うだろうが、京都の人間って朝はパンの人が多い。食パンと牛乳という人も多い。なので主に食パンだが、菓子パンを食べる時がある。まあ食べるのは白餡の入っているメロンパンを食べるのだが、これが京都のスーパーでしか売ってないのだ。最大手の全国規模のパン製造会社のパンならどこのスーパーでも売っているが、これはあまり美味くない。ありきたりの味で特徴がない。それで食べるのは京都のパンメーカーが作っている白餡いりのメロンパンか、これまた京都のパンメーカーが作っているカルネ。それらを買い置きして朝に食べるのである。それ以外だと食パンになるかな。なので朝はトーストとゆで卵にコーヒーか牛乳。朝から米をほとんど食ったことがない。
 今日の昼はピッツァとビール。宅配の○○○ピザである。何時もの日曜なら何かを作るのだが、今日は面倒くさくなってつい宅配を注文した。しかし値段が高い。味の方はまあまあだが価格を考えるとちょっと莫迦らしい。だからできる限り日曜の昼は自分で作るようにしているのだが、考えてみたら小生、米をあまり食べてないな。これはもう何十年もの習慣になっているのでいまさら変えられないが、それにしても米が主食の日本人としては少ないかもしれない。かといって今さら、米をもっと食べろといって食べられるものではない。米は夕食だけかな。もっとも外食で時々、丼ものとか食べたりするから案外、ご飯も食べているのだが、家にいるときは朝、昼はほとんど米を食べない。これは昔からだ。そういえば小生が小学校四年の時に豚の餌のような給食が始まった。あの時の給食は非常に不味くて臭く、脱脂粉乳にパサパサのコッペパン、そしてお粗末な惣菜がついていた。アルマイト制の容器に入っていて、贅沢な今の子ならとても食えないだろうと思えるほど酷いものだった。今は給食でも美味しくなり米が出されるというが、時代も変わったのだな。その影響で小学生のころは朝でも小生は米を食べていたのだが、中学になって給食が無くなった。それ以来昼はパンを食べるようになったという訳だ。つまり朝も昼も米を食べず、どちらかというとパンを食べることの方が多い。習慣というものは簡単に変えられないものだ。でもあの不味い給食が今、食べられるだろうかと考えてみた。子供のころは好き嫌いというものがあったからだが、小生、高校に入るまでカレーライスが嫌いだったのだ。それが今では普通に食べられるし、今は嫌いなものがないというから人間の嗜好品って変わるものだ。ただ小学生のころの給食は不味かったことを覚えている。今の小学校の給食は美味しいらしいのだが、一度食べてみたいものである。結局、何を言いたいのか自分でもわからないが、今日はこのあたりで失礼。



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2015.07.03 (Fri)

2分の1

 昨日でほぼ1年の半分ということかな。6月が終わった段階で1年の半分と言う雰囲気だが、実際には2月が28日しかない関係から7月の2日~3日がだいたい1年の半分というところだ(閏年があるので)。それにしても月の経つのが早い。もう半分か。いやんなるねえ。今年は何もしてないではないかと何時も思ってしまう。まあ、何かはやっているのだろうが、無駄に時間を過ごしてきただけとしか思わないからしょうがないが、もっと何かできただろうと考えるのは毎度のことなのだが、後悔は先に立たずで今更、考えてもしょうがない。もうあと何十年生きられるか判らないから、最近はあまり考えないようにしているのだが、取り敢えず先を見て生きるかな。とこの先も書くつもりでいたが、ここまで打つのにかなりの時間を要している。PCもガタがきて重くなってきた。かといって潰れたというのでもないが、かなり使い古しているからブログを書く気も失せる。だから更新率が年々、減ってきているのだが、そろそろ当ブログも閉鎖する時が近づいてきたかな。とはいっても10年は続けるつもりでいるが、継続は力なり、よくこんな下らないブログを8年近くも続けていると思う。もう惰性で最近は書いているからな。話題には事欠かないが、PCの前に座ってもブログを書く以前に他のことをやっているから、次第と更新しなくなった。それに写真を載せられなくなったからというのもある。写真がないと記事にリアル感がない。何れ新しいPCに買い替えるが、それまでは蝸牛のようにノロノロと更新していくしかないかな。
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