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2012.04.29 (Sun)

第145回天皇賞

 今日、第145回天皇賞が行われたが、その京都競馬場へ行って来た。久々に競馬場へ行った。最近は年齢を重ね競馬場で人混みに揉まれると翌日に疲れが残るので皆目、競馬場へ行かなかった。なので競馬場に足を運んだのは数年ぶりのこととなる。春の天皇賞に関してはメイショウサムソンが勝った時以来である。でも過去を振りかえると私は京都競馬場で行われた春の天皇賞に何度来たか数えられないほど来ている。初めて来たのが昭和41年だから今から46年前のことである。ただしこのときは自転車に乗って競馬場の向こう正面にある宇治川堤でラジオを聴きながら観ていたのである。このときはキーストン、ダイコーター、ウメノチカラ、ハクズイコウ、ブルタカチホ、チトセオー、ハツライオー、ミハルカス、エイトクラウン、ヤマドリ、カブトシロー、タニノライジングといった夢のようなメンバーだったが、勝ったのは尾形厩舎のハクズイコウだった。このときは3分19秒4のレコード勝ちだったが、当時の京都はダートコースがなく、全レース芝で行っていたから馬場が禿げあがっていて今のように馬場が整備されていないので、内ラチいっぱいを走る馬が少なくそれでいて、このタイムは立派である。でもこのメンバーはほとんどシンザンの後塵を拝した馬ばかりだった。今思えばシンザンというのは時代を超越した強さがあったと思う。実際に現場で見たことがないが、みんなが思っている以上に底力があったのではないだろうか。ただ時代が古すぎるので今とは比較ができないが、今の調教技術で鍛えて今の馬場で走れば名ステイヤーだったシンザンならば、現在の馬に混じってもそん色ないような気がしないでもない。ただ今の競馬は時計が当時より格段に速くなってはいるが・・・・・。

 今日は昨日に続いて暑かった。阪急の水無瀬駅からバスに乗る。意外と早く競馬場に着いた。久々に来て驚いたことが一つ。京阪電車が全面高架になっていたこと。高架の淀駅から直接競馬場の正門へ繋がっている連絡歩道橋が出来ていた。もう淀駅から住宅街の狭い道路をトロトロと歩いて競馬場へたどり着くといった光景はなくなってしまったようだ。なんだか寂しいね。今年の春の天皇賞は4冠馬オルフェーヴルが注目で、どのような競馬をするかに興味が注がれていた。前走で大ポカを演じ2着に敗れて以来、色々といわれるオルフェーヴルである。潜在能力は歴代屈指なのに気性が悪く、それがレース中に出てしまわないか。これさえなければ化け物のような馬であると評価が定まりつつある。それで今日の京都競馬場は高速馬場であり、それがオルフェーブルにどのように出るか。それが取捨選択の大きな要因でもあった。・・・・しかし、人が多い。ぞっとする。昨今は競馬の人気も下火で売り上げも年年低下していると聞くが、今日は子供連れが多く女性も非常に多い。20年前のオグリキャップがいたころの競馬場のような雰囲気であった。それもオルフェーヴルが出走するからだろう。もしこの馬がいない天皇賞だったら、これほど人も来なかっただろうと推測出来る。だが、この人の多さはちょっと疲れる。飯を食うにも一苦労だ。私はどうせ食堂やレストランは行列が出来るし、弁当を買うにも並ぶことになるだろうからと思い、バスに乗る前にコンビニでおにぎりとサンドウィッチとお茶を買ってきたのだが、食べようと思っても座るとことが何処にもない。ベンチは全て埋まっている。芝の上も人だらけ。しょうがないから階段のところの隅に腰掛けて小さくなりながら昼飯を食べた次第である。ああ情けない。

 暑くて疲れたが、写真を撮りに10レースの前からパドックに行くが人が多すぎて前に行けない。それで10レースに出走の各馬が出ていったらパドックから幾分人が減るだろうと考えていたが甘かった。一向に人が減らない。何時までもパドックに居座っている人ばかり。目的は同じだろう。かのオルフェーヴルを見るためなのだ。それで2時半を回り、10分かそれ以上待っていたら、天皇賞に出走の18頭が現れた。パドックに詰めかけた人がカメラを持ってシャッターを一斉に押す。携帯で撮っている者も多い。凄い人気だ。オルフェーヴルは460kg。単勝は1.3倍とは圧倒的人気だ。各馬がパドックを何周かすると止まれの声で騎手が騎乗する。

 これは騎乗を待っている武豊騎手。
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 昨秋の天皇賞馬トーセンジョーダンと岩田騎手。
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 断然1番人気のオルフェーヴルと池添騎手。
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 一昨年の覇者ジャガーメイルと四位騎手。
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 前走の阪神大賞典でオルフェーヴルに土をつけたギュスターヴクライと蛯名騎手。
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 打倒オルフェーヴルに燃えるウインバリアシオンと武豊騎手。
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 最近は冴えないがGⅠホースのローズキングダムと後藤浩騎手。
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 ディフェンディング・チャンピオンのヒルノダムールと藤田騎手。
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 各馬がパドックを出て行った。それでこちらも馬場前の立ち見に向かうが人、人、人で溢れていて、入れない。これは大変だ。レースを現場に来てテレビで観るほどバカなことはない。なんとか人混みをかき分けて中に入る。が、予想以上に人が多い。これで競馬人気が下火とは・・・・・・今日は特別か。返し馬が終わっても人が去らない。何時もなら馬券を買いに多くの人が立ち見から立ち去るのだが。みんな既に馬券を買っているのか、それとも馬券を買わず観戦だけなのか。予想以上に女性が多いから意外と俄オルフェーヴル・ファンか???

 人気はオルフェーヴル、ウインバリアシオン、トーセンジョーダン、ギュスターヴクライ、ヒルノダムールの順で、いよいよファンファーレが・・・すると手拍子を打ち出す。なんでこんなに騒ぐのかね。興奮を押し殺せないみたいだ。超満員の中で、私の前にいた小さい若い女性は大声を出して、ファンファーレと同時に手拍子をするのはいいが、手を上げて手拍子をするから私の顔の前がパチパチと喧しくてしょうがないし目障りだ。まだレースも始まっていないのに熱くなり過ぎ。もっとも20年前から、G-Ⅰレースはこのような光景が当たり前になってはいるが、私のような古い競馬ファンはついていけないな。

 さて、レースが始まった。第145回天皇賞(G-Ⅰ・4歳以上、芝3200m、18頭)がスタートした。オルフェーヴルは後方から行くようだ。向こう正面からのスタートで1周半する。ゴールデンハインドとビートブラックの2頭が行く。3番手はナムラクレセント。馬場が高速なのでペースは速目である。1000m通過がちょうど1分。正面スタンド前を通過して1、2コーナーを回る。2周目のバックストレート。前の2頭が後続を大きく引き離す。単騎3番手はナムラクレセント、さらに大きく離れて4番以降は集団である。その先頭にユニバーサルバンク、その後からケイアイドウソジン、トウカイトリック、トーセンジョーダン、ギュスターヴクライ、フェイトフルウォー、モンテクリスエス、トウカイパラダイス、ウインバリアシオン、ジャガーメイル、クレスコグランド、ヒルノダムール、オルフェーヴル、コスモロビン、ローズキングダムと続くのであるが、このあたりから行かないといけないのにオルフェーヴルが上がっていかない。どうしたのか。前の2頭は遥か前だ。2006年のディープインパクトはここから一気に外をついて上がって行ったがオルフェーヴルはどうしたのだ・・・・・。いくら瞬発力があるといっても前が離れすぎている。3コーナー下りからビートブラックが先頭に立った。後続も仕掛けに入るが、オルフェーヴルはまだ後方だ。どうした池添。ビートブラックは早くも4コーナーから直線に入る。大きくリード。後続が迫るもまだまだ大きくリード。オルフェーヴルは大外を通って仕掛けるが行きっぷりが悪い。これはピンチだ。4コーナーから直線に入る時、1頭大きく外に膨らんだオルフェーヴル。いよいよピンチ。ここから届いたら奇跡に近い。どんどんビートブラックはゴールに向かう。もう逃げ込みは確実だ。2番手争いはトーセンジョーダンが伸びてきた。ウインバリアシオンも伸びてきた。オルフェーヴルは大外から懸命に脚色を延ばすが何時もの脚色がない。はじけてこない。その間にビートブラックは逃げ込んでしまった。

 1着ビートブラック 3分13秒8、2着トーセンジョーダン 4馬身、3着ウインバリアシオン 2馬身、4着ジャガーメイル クビ、5着ギュスターヴクライ 1馬身1/2。

 オルフェーヴルは信じられない11着。どうしたオルフェーヴル。惨敗の敗因が判らない。何時もははじける末脚がジリ脚で終わってしまった。オルフェーヴルガ何時もの脚を直線で使ったならば、勝つのは無理でも2着には上がれた筈だ。オルフェーヴル自身の上がり3Fタイムは34秒0。しかしウインバリアシオンは33秒5で3着に入っている。それよりも後ろにいたのに末脚が冴えなかったというのは他に敗因がありそうだ。これで凱旋門賞挑戦は消えてしまったかも・・・・・。

 勝ったビートブラックはG-1どころか初の重賞制覇。騎手の石橋修もG-Ⅰ初制覇である。ビートブラックはこれまで菊花賞3着というのはあるが、過去重賞でもいいところはなかった馬で今日は14番人気。単勝も万馬券である。今日は高速馬場で前残りが多いのは判っていたことだ。それでいてオルフェーヴルは終始、後方のままで最後の直線で4、5頭追いぬいただけ。誠に解せない惨敗であった。本当に競馬は判らない。競馬に絶対はないということだ。


 レースが終了後の優勝記念写真。ビートブラック陣営勢ぞろい。
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 天皇賞馬ビートブラック。父がミスキャストというのも地味で、予想外といえば失礼であるが、来場のファンは溜息、焦燥感でしらけてしまった。
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 今後、オルフェーヴルが復活するのか、それとも負けが続くのか、それは判らない。でも突然、強かった馬が勝てなくなることもある。そうなると評価は下がる一方なのである。でも、オルフェーヴルは史上最強だ。そういった声を今日は至る所で聞いた。それほど近走の勝ち方は際立っていたし、前走は負けてより一層、強さだけが印象に残った馬だ。たった一つの敗戦が今後の戦いに影響を及ぼすのか、これからのオルフェーヴルこそ、大いに注目されることになりそうだ。でも今日の敗戦は原因が判らない。
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2012.04.28 (Sat)

ようやくのGWだが・・・

 連日、忙しく仕事量の多かった今月も終わりいよいよ黄金週間に突入する。拙者もおかげさまでカレンダーの赤い表示の日は休めるから骨休めにはなるかな。でも拘束から逃れるとあっという間に時間がすぎていくのだろうなあと思いつつも黄金週間、これといって予定はないが、取り敢えずは日頃、忙しさにかまけて怠っている用事が多く、これを消化することを最優先に済まさないといけないだろう。

 それにしても暑いな。今日の暑さは初夏のようだ。一体、何度あったことやら。少し前まで今年は何時になく雨も多くひんやりした日が続き、春がなかなか来ないで何時までも冬のようだと言っていたもの束の間。いったん晴れる日が続くと気温が見てる間に上昇。もう上着どころか長袖のシャツを着ていても暑い。半袖で充分なぐらいだ。つい10日ほど前まで厚目の上着が離せないと思っていたら、2、3日前から一気に暑くなり冬から春を通り越して一足飛びに夏になってしまったようだ。まあ、これは予想通りではあったが、いざ気温が上昇するとこの気温の変化に身体がついていけない。それでいて朝は気温が、まだ低いから上着を着るものの、日中はどんどんと気温が上昇して汗ばむようになってくる。これだから体調を崩しやすいのだ。

 あいにく明日からGWということで小生も人並みに休ませてもらうので、朝早くから起きなくてもいいので睡眠だけは充分とらせてもらうが、どうせ寝られやしないのだ。なにしろ長年、5時起きの癖が身についているから休日だと言っても何時までも寝ていられるものではない。でも寝なくてはならないというプレッシャーから解放され、べつに寝なくてもいいかといった安堵感でリラックスできる分、寝れるといった方がいいだろう。それでせっかくの連休だから有意義に使いたいものだが、ダラダラとどうせ過ごしてしまうのだろう。まずは明日であるが、何時もの日曜日と同じように過ごそうかと思うが、明日になってみないと判らない。世間の人は海外旅行をするのかな。昨年が震災の後だったので行くの控えた人が多かったから、今年は反動で海外へ行く人が多いだろう。でも小生は短期間で海外へ行くの日程的にはきついと思うので過去GWに渡航したことがない。いずれにしても体力が若い時のようにないので、長時間の飛行機旅はぞっとする。なので行こうという気も最近は起こらない。旅は列車が一番楽なんだけどな・・・・。海外だとそういう訳にもいかないだろう。

 しかし、なんだかんだと言っても家にいるのが一番楽なことに変わりはない。
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2012.04.22 (Sun)

今週は日曜日が雨

 昨日こそ予想外に雨が降らなかったから用事がはかどったのだが、今日はやや風が強くて雨がしっかり降っている。なので買い物に行くのを躊躇した。したがって食材が不足していたものの昼食は冷蔵庫に入っている物で済ませた。そして腹が膨れて満たされるものが満たされると、昼から最近買ったものの読んでいない書物を読もうと思いたった。なにしろ外は薄暗くて雨がシトシト降っている。こんな日曜日こそは家で燻って読書でもしているのが最善である。ところがである。昨晩は寝れなくて寝不足気味。それで昼間になって眠くて眠くてしょうがない。それで活字を追う目がトロンとして瞼がすぐに塞がってしまう。しかたなく音楽を聴くことにしたのだが、知らぬ間に寝てしまっていて、耳元メロディが奏でられている。困ったものだ。寝たいときに寝られず昼間に眠くなる。これだと昼夜逆転だ。

 それにしても週末に安ると必ず雨が降っているなあ。合間の平日は好天続きが多いのに、土曜日か日曜日になると雨ばかり。どうせあと一週間もすれば黄金週間がやってくるのでカレンダーの日付が赤い色で掲示されている日は休めるから、今週は雨でもいいかなとは思う。でも今年の春は休みの日に雨が降るというジンクスがあるようだし、4月の末から5月の初頭にかけて雨が降る続くということはないとは思うが、20年ほど前には4日も5日もGWに雨が降り続いたことがあったので判らない。けしてこれといって出かける用事もないのだが、すっきりとした心地の良い快晴の休日に出かけたという記憶が最近はない。それほど3月ごろから土曜日になると雨が降っていた。

 今週こそ日曜日に雨が降っていたものの土曜日も曇天だった。来週の天気まで判らないが、GWは好天が続くことを祈るとしよう。ただし晴れる日が多くなると気温が上昇し30℃をこえることもありうるので、それも辛いものがあるが・・・・・・。それにしても春は雨が多い。夏に降ってくればいいのに盛夏の頃は皆目、雨など降らないのだからな。困ったものだ。

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2012.04.19 (Thu)

雨にバカにされた

 今は午後10時をだいぶ回っているが、先ほど帰宅したところである。午後8時に職場を出ようと思ったら何と雨。それも強く降っている。昼間は日射しが強くて摂氏20℃をこえるなど初夏のような日射しだったのに、帰る頃に雨が降るなんて寝耳に水だ。ついてない。残業したら雨が降るのか・・・・。定時で終わると雨に濡れずに済んだのに・・・・・。午後8時を回るとバスの便がほとんどない。バス停に行っても案の定、大勢並んでいた。しょうがないので歩くが何しろ距離が長いから、駅に着いた頃は足元はボトボト、肩もビショビショ。あーあーなんでこうなるの。でもこの時間帯は電車が空いている。煩い高校生がいないのでホッとした。しかし、延々と近江の国を電車が走り、車窓に叩きつける雨を見ながらまどろんでいたが、京都駅に着いて驚いた。雨が降ってない。それどころか雨が降った形跡もない。あーあ、また滋賀の方だけが雨か。もうこのような現象には慣れたが、近江の国だけが雨で、京都に来ると誰も傘を持っていなかったということがこれほど度々あると、いい加減うんざりする。それも帰宅時だけ雨に降られるとは・・・・。何だか雨にまでバカにされているようで、腹が立つなんてどころではない。

 それに、また明日から雨が降り、どうせ土、日ともに一日中、雨が降るのだろう。平日は晴れて、休日は雨に邪魔をされるパターンにはもう慣れたが、もうそろそろ土曜日にすっきり晴れてくれないかな。
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2012.04.15 (Sun)

第72回皐月賞

 今日は朝から晴れて春らしい暖かいお天気。こんな絶好の日に第72回皐月賞(G-Ⅰ・3歳、芝2000m、18頭)が中山で行われた。ただし中山は稍重と渋っている。これが各馬にどのように左右するか。人気は割れて1番人気はグランデッツァ、2番人気はワールドエース、3番人気はディーププリランテ、4番人気ゴールドシップ、5番人気アダムスピークであった。これは前哨戦でことごとく勝ち馬が変わり互いの直接対戦が少なかったからこのように人気が割れたのだろうが、中山コースで行われるだけにコースどりや騎手の乗り方一つで着順が大きく変わりそうである。

 いよいよスタートが切られた。18頭が1コーナーへ向かうが、スタートしてすぐに人気のワールドエースが躓いたようになり後方に下がった。これはアクシデントである。そういえばワールドエースの父ディープインパクトが同じ皐月賞でスタートして躓いて大きく出遅れたが、それでも勝った。はたしてワールドエースはどうなるか・・・・・・。さて、その間にメイショウカドマツとゼロスが先行争い。1、2コーナーを回ってこの2頭が競り合うように先行する。2頭が5馬身、6馬身、7馬身とリードする。メイショウカドマツが前にいたが外からゼロスが前に出てリードする。離れた3番手に何とアダムスピーク、4馬手にディーププリランテ、2馬身あいてトリップとコスモオオゾラ、そのあとにモンストールとロジメジャー、さらにスノードン、ペールドインパクト、そのあとにアーデント、サトノギャラント、そしてマイネルロブスト、フジマサエンペラーがいて、そのあとにグランデッツァ、シルバーウエイブで最後方にワールドエースとゴールドシップである。その間に前の2頭はどんどんリードする。スタートからのハロンタイムは12.4---11.1---12.3---11.9---11.4で1000m通過が59秒1。馬場を考えるとペースは速いだろう。早くも3コーナーの手前に先頭ゼロスがさしかかる。4、5馬身差でメイショウカドマツ、さらに7、8馬身開いてアダムスピーク3番手、3馬身差でディーププリランテ。先頭から最後方まで大きく離れてバラバラの展開である。3コーナーにかかり後続馬が仕掛けに入るが、ワールドエースは大外から上がっていく。ゴールドシップはインコースから上がっていく。3コーナー、4コーナー、先頭はゼロス、まだ大きくリード。2番手にメイショカドマツ、3番手以下はまだ離れている。中山の直線は短いが先頭のゼロスはまだ大きくリード。2番手メイショウカドマツ、ゴールドシップが内を利して一気に進出。ワールドエースは大外も大外。大きく各馬が内と外に広がっている。先頭はゼウス。ゴールドシップが来た。あと200m、ゼロス先頭だが、ここでゴールドシップがかわした。ゴールドシップが先頭、ゴールドシップが抜けた抜けた。あと100m、2番手争いは熾烈だ。ディーププリランテとコスモオオゾラ、ディーププリランテとコスモオオゾラが伸びる。さらにようやく大外からワールドエースが伸びて来た。でも先頭はゴールドシップで3馬身リード。2番手はディーププリランテかコスモオオゾラか、大外からワールドエース、ワールドエース。ワールドエースが勢いがいい。でもゴールドシップが2、3馬身リードして1着でゴールイン。

 1着ゴールドシップ 2分01秒3、2着ワールドエース 2馬身1/2、3着ディーププリランテ 3/4馬身、4着コスモオオゾラ ハナ、5着グランデッツァ 1馬身1/4。

 結果的にはゴールドシップの完勝だったが、コースの選別が大きな分かれ道になったようだ。向こう正面でゴールドシップとワールドエースは共に最後方の位置。ところが3コーナーでどちらも上がっていくときに、ゴールドシップは各馬が馬場が渋っているので外に膨れたところをうまくインから一気に進出したのに、ワールドエースは大外を通るしかなかったのか前にとりつくまでに時間がかかったようだ。4コーナーをで大外に回らされ、そこから前をとらえようとしたが、いい脚を使っても既にゴールドシップは前にいた。結局は中山コースを上手く乗りこなした内田博騎手のファインプレーといえそうだ。ただスタート直後に前の馬と接触して躓いてシンガリからの競馬を余儀なくされたワールドエースも見事だった。どちらかというとこの馬の脚質は東京の方が向いているだろう。これでダービーが面白くなった。ワールドエースの末脚が活かされるだろうし、ゴールドシップも血統的に言ってダービーの方が向いていると思える。

 今回ディープインパクトの仔が5頭も出ていて結果的には2着3着だった。しかし、その前に立ちはだかったのがステイゴールドの仔のゴールドシップというのも興味深い。それにしても昨年のオルフェーヴルといい、ステイゴールドの仔はさほど多くないが確実に大物を出すものだ。
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2012.04.14 (Sat)

タイタニックの遭難から100年

 ブログ更新は一週間ぶりとなる。どうも4月になってから残業が多くて忙しくブログ更新が満足にできなくなってしまった。帰宅時間が遅くなるからどうしても書く時間がないのだが・・・・・・。

 大阪の桜は散りかけているようだが京都周辺の桜がようやく満開になった(3日前が一番見応えがあったようだが)。でも朝から今にも雨が降りそうな雲行きだったので桜の花を見には行かなかった。どうも今春は土曜日に成ると雨がよく降る巡りあわせのようだ。朝から快晴だったらカメラを持って写真でも撮ろうかとも思ったが、はっきりしない天気では行く気も起らず雑用を済ませに出かけた。午後からは晴れてきたが何をいまさらである。まあ、しょうがないか・・・・・・・。

 ところで今日はタイタニック号の話をするとしようか・・・・。今からちょうど100年前の1912年4月15日午前2時20分、北大西洋において当時、世界最大と言われた豪華客船タイタニック号が沈没した。犠牲者の数は1513人(諸説あり)で海難史上もっとも大きな事故である。詳しく言うとイギリスのホワイト・スターライン社のオリンピック型豪華客船2番船であるタイタニック号。建造当時、全長269.1m、全幅28.2m、全高53m、46328総トンという世界最大の客船であった。船底は2重構造となっていて船体も喫水線上まで防水隔壁で16の区画に分けられていて、もしそのうち2区画に浸水しても沈没しないように設計されていて、100年前の水準では世界最高のハイテク客船であり浮沈船と言われていた。

 さて、そのタイタニック号であるが、1909年3月31日に起工された。造船を請け負ったのは、北アイルランドのベルファストにあるハーランド&ウルフ造船所である。2年後の1911年5月31日に進水し、1912年初頭にはほぼタイタニックは完成。そして1912年4月10日、いよいよイギリスのサウザンプトン港からニューヨークに向け処女航海に出発したのである。エドワード・J・シミス船長以下、乗員乗客合わせて2200人以上を乗せ一路、北大西洋へ・・・・・。まだ航空機の存在がなかった当時、ヨーロッパと北アメリカを結ぶ航路は花形でありドル箱の航路であった。ただ気に成る事は双眼鏡が行方不明だったことと北大西洋海上において流氷群が目立っていたということだった。タイタニックは何事もなく順調に航行してスピードを上げていた。最高速度23ノットのフルスピードでニューヨークに向かっていた。しかし、ホワイト・スターライン社のライバル会社であるキューナード・ラインの高速客船ルシタニア、モーリタニア(共に26ノットを誇る)に比較するとスピードでは劣っていた。でも豪華さでは勝っていたが、何故かこの処女航海の時のタイタニックはブルーリボン賞受賞(大西洋を最も速く横断した船舶に与えられる賞で東回りも西回りも当時はモーリタニア号が持っていた)を目指すかのようにフルスピードでモーリタニアの記録に挑戦するかのようにニューヨークに向かっていたという。そして、4月14日の深夜11時40分、北大西洋ニューファンドランド沖に達したとき前方450m先に高さ20mに及ぶ氷山を見張り台にいる船員が肉眼で発見。運悪くこの日は靄がかかっていたので発見が遅れたという説もあり、もし双眼鏡を使っていたとしても氷山を発見するのは難しかったかもしれない。なにしろレーダーがない時代の航海である。慌てた見張り員フレデリック・フィリートは鐘を鳴らしブリッジへ電話で連絡。22.5ノットで進んでいたタイタニックは急いで全力後進。しかしあまりにも氷山までの距離は近すぎた。左に旋回するように舵をとって避けるが船首からの衝突を逃れたものの右舷を氷山はこするようにかすめていった。

しかし、建造当時浮沈船と言われたタイタニックである。当時としては最新の設備が施されていて防水隔壁16区画に分けられ2区画まで浸水しても大丈夫とされていたが、実際には90mに及ぶ損傷で、浸水領域は6区画と限度を超えていた。これだと間違いなく沈没することが明らかになったのである。ただちにタイタニックは遭難信号を発するが結局は約100km離れたところを航海していたキューナード・ライン社の客船カルパチア号が応答し救助に向かったのであるが、その間にタイタニック号は轟音をたて海の藻屑となったのである。カルパチア号が現地に到着したのは沈没から2時間40分後の午前4時であった。

 以上、これがタイタニック誕生から沈没までの詳細である。その後、タイタニック号遭難事件のことは、たびたび映画化され本になり伝わるところである。ジェームス・キャメロン監督の映画『タイタニック』を観て、この話を知った人も多いだろうと思われる。ただ多くのことが伝えれれているものの謎が多いのも事実である。何故タイタニックはフルスピード航行していたのか・・・・。とてもブルーリボン賞を狙える設計ではなかったという。それでも乗船していたジェームス・ブルース・イズメイが飛ばせと言っていたという説もある。この男はオーナーでありながら船と運命をともにせず助かっている。その他には倒産寸前だったホワイト・スターライン社が保険金を得るために故意に沈めたとか、姉妹船のオリンピック号とすり替えられていたという説やら出てくる始末で、これらは憶測の域でしかない。しかし、タイタニック遭難事件はその後の船旅に大きな変革をもたらした。救命ボートも現在では乗客全員が乗れる程度は確保されているし、より安全に航海できるように改革はなされた。ただそれでも起こるのが海難事故である。結局は人間の驕りがあったとしか思えない。所詮、人間の造ったもの、自然界の脅威には太刀打ちできるものではない。今から100年前、タイタニック号の遭難は我々、人間に大きな警鐘を齎したはずだったが、その後の人類は同じ過ちをたびたび繰り返しているものの、今ではタイタニックの5倍もあるような巨大客船が航海している。こんな船必要なのかと思うけど、人間の欲望はとどまるところをしらないようだ。その後、ホワイト・スターライン社は皮肉にもライバル会社だったキュナード・ライン社に吸収され、キュナード・ライン社は現在でも豪華客船クイーン・エリザベス号(90400トン、全長294m)、クイーン・ヴィクトリア号(90049トン、全長294m)、クイーン・メリー号(148528トン、全長345m)を就航させていて、現在の客船はタイタニックの比ではないほど巨大化している。これだけ巨大化してしまうと、いったん事故が起こるやその遭難者の数も甚大なものになるだろう。でも現在、タイタニックの悲劇は忘却されたかのようだ。明日、タイタニック号遭難から100年を迎えるに当たり、もう一度、我々、人類に過信がないか見つめなおした方がいいかもしれない。


EDIT  |  20:09  |  時事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.04.08 (Sun)

第72回桜花賞

 ようやく春らしい気持のいいお天気となった。でも朝は放射冷却が効いて寒かったが3分咲きの中、3歳クラシックレース第一弾、第72回桜花賞(G-Ⅰ・3歳牝馬、芝1600m、18頭)が快晴の阪神競馬場で行われた。今年は何時もより関東馬が強く前哨戦をことごとく制し、2歳女王だったジョワドヴィーヴルが前走で凡走したので突如として混戦模様となった。でも1番人気は復活を期待してジョワドヴィーヴル、2番人気はシンザン記念で牡馬を倒したジェンティルドンナ、3番人気はアイムユアーズ、4番人気はヴィルシーナ、5番人気はサウンドオブハートだった。

 2コーナーを回り切ったあたりからのスタート。ゲートが開くやエイシンキンツェム、マイネエボナ、大外からアラフネが行く。そのあとは大魔神の持ち馬ヴィルシーナで、エピセアローム、サンシャインと続き、イチオクノホシ、アイムユアーズ、ジェンティルドンナ、サウンドオブハート、メイショウスザンナ、ダームドゥラック、トーセンベニザクラ、ファインチョイス、内にオネガハートランド、そして外からジョワドヴィーヴル、パララサルー、そしてシンガリの位置からプレノタートといった順で早くも3コーナーを回る。先頭はアラフネで2馬身リード。2番手にマイネエボナ、3番手エイシンキンツェムで800mの標識を通過。スタートから12.7---10.9---11.3---12.2のハロンラップで47秒1で通過。平均ペースである。3コーナーから4コーナーを通過。徐々に後続も押し上げる。このあたりでヴィルシーナがじわじわと4番手にあがる。エピセアロームのいい位置。各馬仕掛けに入り、いよいよ直線コースに入ろうというところである。あと400mにさしかかり先頭はアラフネ、2番手にヴィルシーナが上がってくる。ジョワドヴィーヴルはまだ後方の外。アラフネ先頭だが、ヴィルシーナがここで先頭に立った。アイムユアーズが接近。先頭にヴィルシーナ、2番手アイムユアーズ、ジョワドヴィーヴルは大外の13、4番手の位置。あまり鋭いことはない。あと200m、ヴィルシーナ先頭、ヴィルシーナ先頭。アイムユアーズが伸びる。この2頭の競り合いだが、その外からジェンティルドンナが来た。ジェンティルドンナが来た。この3頭が抜けた。外のジェンティルドンナが出た。ジェンティルドンナが出た。内のヴィルシーナも頑張る。しかし、ジェンティルドンナが1着でゴールイン。

 1着ジェンティルドンナ 1分34秒6、2着ヴィルシーナ 1/2馬身、3着アイムユアーズ 1/2馬身、4着サウンドオブハート 1馬身3/4、5着メイショウスザンナ クビ。

 1番人気のジョワドヴィーヴルは大外からジリジリと差を詰めたが6着どまりだった。どうも前走といい行きっぷりが悪い。勝ったジェンティルドンナも2着のヴィルシーナも6着のジョワドヴィーヴルもディープインパクト産駒。これでディープインパクト産駒は2年連続の桜花賞制覇となった。来週は皐月賞だが、ここでもディープインパクト産駒が大挙出走する。もしかして今年はディープインパクトの直仔が大暴れするかも・・・・・・・・。

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2012.04.07 (Sat)

もう4月7日だが

 入学式のシーズンである。でも何かおかしい。何故なら桜が満開になってないからだ。ソメイヨシノは毎年、ちょうど今頃が見ごろを迎えるのだが、今年に関してはまだまだ。もっとも近江の国に毎日、山城の国から通勤しているのでそのあたりの桜しか見ていないが、まだ蕾のところも多く咲き始めもチラホラという程度である。しかし、今日、大阪市内の方へ出かけていいたのだが、大阪の方は京都、滋賀よりも早く5分咲き、7分咲き、一部では満開のところもある。つまり大阪の方が暖かいのか、それとも日当たりがいいのか。もっともヒートアイランド現象というのもあって、都心では熱がこもっているというのもあるが、大阪は一足先に満開になるようだ。もっとも東京の方はそろそろ満開というところも多いという。昔は桜前線は西から東へ、南から北へというように進んでいったものだが、近年は必ずしもそのようにはならずというところか。

 それにしても寒い。4月の7日ともなると、日なたに出るとポカポカと暖かい日のに、今日は晴れ間がのぞいても風が冷たくて早春のような気候である。それに雨も多く、先は日嵐のような天気だったが、その後も強風が吹き、なかなか暖かくなってこない。一体どうなっているのかしらないが、昔に比べると最近は温暖化の傾向があって、年々、桜の開花が早くなっていたのに、今年に関しては30年以上前よりも桜の開花が遅い。どちらかというと寒さに強い小生が、未だに厚手の外套着を離せないというから、寒がりの人には耐えられない4月となっている。昨晩から降るはずのない雨も降っていたし今朝も寒かったし天気が安定しないのだ。まるでドイツの4月のように天気の移り変わりが激しくて寒いのだ。

 こんな様相だから桜を見に出かけようという気も起らないのだが、来週の週末あたりだともう満開の桜が散り始めているかもしれないな。もっとも小生は桜満開の木の下でビニールシートを敷いて、酒を飲んで宴会をしたいとも思わないが、桜の写真を撮りに行くぐらいならいいだろう。でも来週の土曜日たとえ満開だとしても、またまた雨が降っているかもしれないし晴れても桜が葉桜になっているかもしれない。まあ、どれもこれも天候次第ということか。いくら桜が満開でも土砂降りの雨だと写真を撮るどころの話ではないからな。
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2012.04.04 (Wed)

外人部隊はいらない

 昨今、高校野球は見なくなった。なぜかというと、このところ都会の私立の野球学校ばかりが優勝するからだが、北国の陸奥の学校が活躍すると応援したくなる・・・・・・・といいたいのだが、これは公立高校に限っての話で、昨年、青森の光星学院が第二大阪代表だと小生はブログに書いたことがある。それで今年は昨年の選手が卒業してメンバーが入れ替わったと思いっていて、新チームになっても強く明治神宮大会も優勝した。そして開催中だった選抜大会でも決勝まで出て来た。本当に強いなあと思い、これで東北の人に勇気を与えられるし良かったなあと思っていたのだが、レギュラー選手の出身地を調べて愕然とした。

光星学院監督 仲井 宗基 大阪府生まれ 
1(右) 天久 翔斗(沖縄・石垣市)
2(左) 村瀬 大樹(宮城・仙台市)
3(捕) 田村 龍弘(大阪・大阪狭山市)
4(遊) 北條 史也(大阪・堺市)
5(一) 武田 聖貴(岩手・北上市)
6(三) 大杉 諒暢(大阪・八尾市)
7(投) 城間 竜兵(大阪・大阪市)
8(中) 木村 拓弥(神奈川・川崎市)
9(二) 岸川 賢汰(大阪・堺市)

 これだと昨年の同校チームと大して変わらない。地元青森の選手がいない。ベンチ入りの18人を含めると2人いたが、これだと応援する気にはなれなくなった。結局、大阪代表の大阪桐蔭に負けてしまった。でもテレビ報道は陸奥に優勝旗が渡らず残念とだけ伝えて地元八戸の熱狂ぶりを画面で映していた。

 この学校に限らず東北や地方にはこのような高校が多いという。野球留学といえば聞こえはいいが、ただ学校を有名にしたいがために有力な中学生を集めているのではと勘繰りたくなる。困ったものである。高野連は腐っているが、このようなことに平然と目をつむっているのだろうか。これだと地元の生徒だけでチームを組んでいる県立高校の野球少年は浮かばれない。もう昔の三沢高校のような高校は出てこないのかな・・・・・・。寂しいね。
 
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2012.04.03 (Tue)

爆弾低気圧

 今日は春の嵐が吹きまくった。朝は重々しい雲が漂っているものの穏やかな風が吹いている程度だった。正午ごろになっても風はほとんど吹いていなかった。それが午後2時半ごろか、突然、豪雨とともに稲光がして突風が吹き荒れた。街頭の並木が猛烈に揺れている。まさしく爆弾低気圧である。低気圧は寒気と暖気の差が激しいと発達するが日本海の上空の寒気が例年よりも温度が低く、そこへ南から例年よりも暖かく湿った空気が流れ込んだため、24時間以内に24ヘクトパスカル以上下がった爆弾低気圧が発生したらしい。中心気圧が970ヘクトパスカル以下というからまるで台風並みだ。でも春にこのような爆弾低気圧が発生するのも目ずらしい。これによって春の嵐のごとく、豪雨、雷、雹、突風、竜巻・・・・・これらが自然現象として発生する。しかし、このような低気圧が日本海で発生するのも稀有な例らしく、如何にことしの春はおかしいというしかない。何時まで経っても気温が低いし、桜も例年ならもうとっくに開花していて、満開近しという時期である。それが小生の自宅周辺はまだ蕾のところが多く、開花しだした桜の木もチラホロというところ。それに今年は黄砂もあまり飛んでこないし、まだ春一番が吹いていない。

 帰りはこの嵐のせいで軒並み電車が運休。JRの新快速、快速電車はすべてストップ。各駅停車しか走っておらず、それも大幅に延着。どの電車も超満員。やれやれ、自然が齎したこととはいえ、帰宅するのに往生した。夏や秋の台風でもないのになんてことだ。まだ4月になったばかりだというのに、寒い時期での台風並み低気圧。こんなの初めてだ。しかし、最近の天気はなんかおかしいが、一体どうなっているのだろうか。3日前の土曜日にも嵐のような天気だったし何時までも気温が低い。もしかしてこれが春一番? そんな訳ないだろ。それにしても変な天気だった。まさにメイストームではなくエイプリルストームだ。
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2012.04.01 (Sun)

ダービー卿チャレンジT、サンケイ大阪杯

 昨日は悪天候だったが今日は一転して春らしい気持のいい天気。こんな中で中山ではダービー卿CT、阪神でサンケイ大阪杯が行われた。

 まずダービー卿チャレンジT(G-Ⅲ・4歳以上、芝1600m、16頭)であるが中山のマイル戦。激しい競馬が予想された。人気はダイワファルコン、アプリコットフィズ、ガルボのい順だった。ツクバホクトオーが逃げ、サトノタイガーが2番手、テイエムオオタカ、ミキノバンジョー、ダイワファルコン、ガルボと続く。あっという間に4コーナーを回り中山の短い直線コースに入る。ツクバホクトオーが意外に粘る。粘る。粘る。あと100mを切る。ツクバホクトオーがまだ先頭。外からガルボが来た。内からオセアニアボス、外からネオサクセスも伸びる。だがガルボが真っ先にゴールイン。

 1着ガルボ 1分33秒5、2着オセアニアボス クビ、3着ネオサクセス クビ、4着ツクバホクトオー 1/2馬身、5着ダイワファルコン クビ。

 阪神ではサンケイ大阪杯(G-Ⅱ・4歳以上、芝2000m、14頭)が行われた。メンバーはけっこう揃って、G-Ⅰウイナーを差し置いて1番人気は4連勝中の上り馬フェデラリスト、2番人気は天皇賞馬トーセンジョーダン、3番人気はナカヤマナイト、4番人気はジャパンCウイナーのローズキングダム、5番人気は宝塚記念馬アーネストリー。

 ゲートが開いた。コスモファントムがいいスタートから前に行くが意外にも有馬記念から久々のトーセンジョーダンがハナを奪う。仕方なく先頭に立ったようなもので超スローペース。2番手にコスモファントム、3番手フライングアップル、そのあとにフェデラリスト、ナカヤマナイト、アーネストリー、ローズキングダム、ダンツホウテイ、ナリタクリスタル、ソリタリーキング、ショウナンマイティ、メイショウカンパクといった順で1000m通過。タイムは何と1分05秒2。馬場は渋っているがそれにしても遅いペース。でも3コーナーからペースが一気に上がる。4コーナーを回って阪神の内回りコースの直線に入る。先頭はトーセンジョーダン。2番手にコスモファントム。外からフェデラリストが伸びて来た。早くもフェデラリストが先頭か。内からトーセンジョーダンが盛り返す。あと200m。フェデラリストが先頭。トーセンジョーダンが2馬手。後続が迫ってくるがこの2頭が抜けている。先頭にフェデラリスト、2馬手にトーセンジョーダンだが、あと50mを切った。すると大外から一気にショウナンマイティが2頭を差し切った。

 1着ショウナンマイティ 2分05秒5、2着フェデラリスト 1馬身1/4、3着トーセンジョーダン クビ、4着ローズキングダム 3/4馬身、5着ナカヤマナイト 3/4馬身。

 最後に本日未明(現地時間31日)に行われたドバイ・ワールドCの結果を記すとする。ドバイのメイダン競馬場で行われた国際競馬のドバイ・ワールドC(G-Ⅰ・北半球産4歳以上、南半球産3歳以上、AW2000m、13頭)昨年、日本勢のヴィクトワールピサ、トランセンドが1、2着を独占し溜飲を下げたのであるが、日本勢のエイシンフラッシュ、トランセンドにとっては、今年は厳しい結果となった。スマートファルコンが出遅れて後手を踏み前に行けず。逃げたトランセンドも勝ったMonterossoに絶えずつつかれ3コーナーで早くも失速。後方にいた日本ダービー馬のエイシンフラッシュも直線で末脚が不発。勝ったのは昨年3着のMonterosso。

 1着Monterosso 2分02秒67、2着Capponi 3馬身、3着Planteur 1/2馬身、4着So You Think 1/2馬身、5着Zazou 2馬身1/4。

 日本勢はエイシンフラッシュが6着、スマートファルコンが10着、トランセンドはシンガリの13着だった。残念。


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