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2012.10.28 (Sun)

第146回天皇賞

 今日は1日中鬱陶しい空模様。朝方は雨がひっきりなしに降っていたが昼からはさほど降ってないもののどんよりした曇り空。昼間なのに暗くて暗くて秋深しを感じた。そんな中、東京競馬場で第146回天皇賞(G-Ⅰ・3歳以上、芝2000m、18頭)が行われた。今年の秋の天皇賞はオルフェーヴルが不在で、それ以外の主なところは出てきてメンバー的には面白いが絶対的な本命馬はいない。一応、3歳馬でダービーハナ差2着から好調維持にフェノーメノが東京得意で内枠に恵まれて1番人気。休養明けだが宝塚記念で2着だったルーラーシップが2番人気。3歳馬で明らかにマイラーだが5連勝で負けなしのカレンブラックヒルが3番人気。夏に札幌で復活したダークシャドウが4番人気。一昨年のダービー馬だがそれ以降は勝ち鞍のないエイシンフラッシュが5番人気だった。

 定刻3時40分にスタートが切られた。東京の1コーナーのポケットからスタートするトリッキーなーコース。スタートしてすぐにカーブがある。内から早くもシルポートがダッシュよく飛び出す。大外からカレンブラックヒルも好位置につける。2コーナーを回ってこれから長いバックストレート。先頭はシルポートで早くも5馬身、6馬身とリードを広げる。2番手にカレンブラックヒル、3番手に差がなくダイワファルコン。4番手に1番人気のフェノーメノ。5番手にアーネストリーと続き、そのあとにジャスタウェイ、トランスワープがいて、さらにサダムパテック、フェデラリスト、ダークシャドウ、トゥザグローリーが並ぶようにして中団を形成。さらにトーセンジョーダン、その内にエイシンフラッシュがいて、ジャガーメイル、ルーラーシップ、ナカヤマナイトで、後方にはマイネルスターリー、ネヴァブションが追走。その間に先頭のシルポートが大きくリード。2番手を25馬身以上話している。ハロンごとのタイムは12.5---11.2---11.1---11.2---11.3と1000mを57秒3で通過。ただし2番手以降はさほど速くもない。3コーナーから4コーナーにさしかかってもシルポートのリードは20馬身以上。しかし徐々に追い上げていく。2番手カランブラックヒル、3番手ダイワファルコン、2、3馬身離れてフェノーメノ絶好の位置。そのあとは集団である。いよいよ4コーナーを回って直線に入る。シルポートはまだ大きくリード。シルポート大きくリード。大きくリード。400mのハロン棒を通過。まだ10馬身リード。カレンブラックヒルとダイワファルコンが2番手。そのあとにフェノーメノ。シルポートがリード。あと300mを切ってもシルポートが5馬身リード。このあたりインコースからエイシンフラッシュが伸びてきた。あと200m、シルポート先頭。シルポートが先頭だが後続が一気に迫ってくる。カレンブラックヒルも来るが、インコースからエイシンフラッシュが一気に伸びてきた。外からはフェノーメノだ。しかし、エイシンフラッシュの伸びが良い。エイシンフラシュが先頭に出た。エイシンフラッシュ、エイシンフラッシュ。エイシンフラッシュが先頭、エイシンフラッシュが先頭。外からフェノーメノも来る。フェノーメノも来る。さらにルーラーシップもやってくる。しかし、エイシンフラッシュ先頭、エイシンフラッシュ先頭。フェノーメノ2番手。エイシンフラッシュ1着でゴールイン。

 1着エイシンフラッシュ 1分57秒3、2着フェノーメノ 1/2馬身、3着ルーラーシップ 1馬身1/4、4着ダークシャドウ 3/4馬身、5着カレンブラックヒル アタマ。

 何とエイシンフラッシュは1年半ぶりの勝利である。仮にもダービー馬。その後の低迷が嘘のような快勝だった。ただしこの馬は長い脚が使える馬ではない。あのときのダービーも超スローペースからの上がりの競馬になり、瞬発力で勝ったようなもの。ただし3ハロン程度なら33秒を切る脚を持っているので、その末脚を上手く鞍上のミルコ・デムーロが引き出したといえるだろう。2着のフェノーメノは正攻法の競馬だったが、また勝ち切れなかった。今のところビッグレースでの善戦マンである。カレンブラックヒルには距離が長過ぎたようだ。あと今日のメンバーにオルフェーヴルと3歳牝馬3冠のジェンティルドンナが加わるとジャパンCが面白くなりそうだが、ただ今年のダービー馬ディープブリランテの引退は残念である。
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2012.10.27 (Sat)

モーツァルトのセレナードK.361を聴く

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 いきなりモーツァルトのセレナードK.361なんてケッヘル番号でタイトルを書いてしまうととっつきにくそうだが、これはモーツァルトの作品を時代系列的に配列した番号で、曲を指定する時に便利が良いので一般的によく使われるのであって、正確にはセレナード第10番 変ロ長調 KV.361『グラン・パルティータ』というのが正しい。でもクラシック音楽の曲名をいう場合、どうしてもややこしいので、モーツァツトの作品はケッヘル番号で言う方が判りやすいのである。もっともこの曲は『グラン・パルティータ』という名称がついているので、そちらで呼ぶ方がいいかもしれない。ところでケッヘルと言うのはなにかというと、膨大な数のモーツァツトの作品を表すために19世紀中ごろにルートヴィヒ・フォン・ケッヘルという人がモーツァルトの全作品を作曲順に並べた番号と言えばいいだろう。つまりモーツァルトの作品を表す場合の世界共通認識番号である。

 これでケッヘル番号の話はもういいだろう。それでは次に、このセレナーデとうのは何かと言うとドイツ語でSerenadeと書く。本来はスペイン語に由来するセレナーデとは夕べの音楽のことであり、所謂、クラシック音楽によくあるが、ジャンルの一つである。たとえば交響曲、協奏曲、歌曲、合唱曲、室内楽曲、器楽曲と色々なジャンルがあるが、その中の一つと言ってもいい。ドイツやフランスではセレナーデ、イタリアではセレナータ、イギリスではセレネイドと言われ、日本では小夜曲と訳されている。主に夜、宮廷等で演奏されたからであろう。一般的に恋人、女性に捧げられた曲が多く、従って曲調が穏やかで優しいというのが特徴である。代表的なのはモーツァルトの『アイネクライネ・ナハトムジーク』である。さらにもっと詳しく言うと、モーツァルトの時代によく演奏された音楽ジャンルで、ソナタと言われる形式と違って、楽章の数が多くメヌエットを二つ以上持ち、緩急の対比を重んじている。しかし、交響曲や協奏曲等に比較すると自由な形式なので娯楽性が高く、当時の上流社会の人々の注文によって作曲された作品が多く、セレナーデだけに及ばず、デヴィルティメント、カッサシオン、ノットゥルノなどの名称も持っていた。ことにベートーヴェン以降はあまり盛んでなく、セレナーデはモーツァルト時代の方が流行っていた音楽だったのである。

 それではこの『グラン・パルティータ』であるが、13管楽器のためのセレナーデともいわれ、編成は通常の八重奏(オーボエ2、クラリネット2、ホルン2、ファゴット2)にホルン2、バセットホルン2、コントラバスを加えての13管楽器という異例の作品となっている。なるほど『ガラン・パルティータ』(大組曲)と言われるほどだから、当時のセレナーデでは大編成である。全7楽章で、第1楽章ラルゴ、第2楽章メヌエット、第3楽章アダージョ、第4楽章メヌエット、第5楽章ロマンツェ、第6楽章主題と変奏、第7楽章ロンド。

 作曲年代は明確ではないが、凡そ1783年~1784年辺りとされている。1781年ミュンヘンに滞在していたモーツァルトがミュンヘン宮廷管弦楽団のメンバーのために計画された曲であるが、当初は現在演奏されている形のものから2本のホルンを除いた11楽器で、楽章数も4楽章だったとされ、結局はミュンヘンで曲が完成せず、ウィーンに持ちこされて完成。この当時、珍しい楽器だったクラリネットが加えられていたのである。この曲は豊かな色彩美とテュッティと独奏が頻繁に交代し、独奏は主としてクラリネットが受け持つという当時としては斬新さであった。従ってどうしてもクラリネット奏者に銘酒を置くことが不可欠となる。その他にも2本ずつのクラリネットとバセットホルンの四重奏、2本ずつのオーボエ、バセットホルン、ファゴットの六重奏等、実にユニークな組み合わせの演奏が興味を惹くのである。

 そういえば、この曲で思い出されるのは、映画『アマデウス』である。サリエリが探し求めていたモーツァルトと初めて遭遇した時のこと、ウーンの宮廷で演奏会が開かれようとしていた。大勢の人で埋まる宮廷。サリエリはモーツァルトを探していた。そして、人のない一室に入ったサリエリ。そこには今日差しだされる料理と共にお菓子が置いてあった。サリエリはお菓子のつまみ食いをしていたら、突如として若い男女が飛び込んできて、慌ててサリエリは隠れた。すると若い男女はけたたましい声を発しながら追いかけっこをしていた。男は野碑で下品であった。男はどうやら女に結婚を申し込んでいるようだ。その時、別室から曲が流れだした。すると若い男は突然、真顔に成り「僕の曲だ。勝手に始めた」と言って部屋を飛び出していった。一部始終を観ていたサリエリは、演奏されている大広間に入って仰天する。今、まさに演奏されている曲の指揮をやっていたのが、先ほど女と戯れていた若い男と同一人物だったのである。サリエリの回想によると・・・・・甲高い声をあげ、女と転げまわっていた。あの下劣な男がモーツァルトだった・・・・ということになる。

 サリエリはこの『グラン・パルティータ』についても回想している。・・・・ごく普通の譜面だった。出だしは驚くほど単純だ。バスーンやバセットホルンがぎこちなく響く。錆ついたような音。だが突然、その上にオーボエが自信に満ちた音色、そしてクラリネットが引き継ぐと甘くとろけるような調べとなる。猿に書ける音楽ではない。初めて耳にする音楽。満たされぬ切ない想いに神の声を聞くようだった。・・・・・そしてサリエリは嫉妬した。「何故、神は、かくも下劣な若造を選んだのだ」以上、映画『アマデウス』から抜粋。このサリエリとモーツァルトの出会いの時に流れていた音楽。それが『グラン・パルティータ』だったのである。


 セレナーデ第10番K.361第案3楽章(音声のみ)

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2012.10.26 (Fri)

中勘助の『銀の匙』を読む

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 最近はこの明治時代末期から大正時代初期に書かれた小説『銀の匙』がけっこう話題に成っている。2003年に岩波書店が行った『読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫100〉』キャンペーンにおいて『銀の匙』は夏目漱石の『こころ』『坊っちゃん』に次いで第3位に選ばれたという。また超進学校として名高い神戸の灘中学校では、国語の橋本武教諭が教科書代わりに教材として使い進学実績を飛躍的に伸ばし一躍『銀の匙』が有名になった。この授業はどのようなものかというと、1934年、東京高等師範学校を出た橋本武は私立の灘中学校に国語教師として赴任。その頃の教え子には遠藤周作がいる。戦後、新制になった1950年に教師歴10年を越えた橋本武はある試みをする。それは教科書を使わず、中学校の3年間を通して中勘助の小説『銀の匙』を一冊読みあげる授業であった。

 ただ単に作品を読破して読解力を高めるだけではなく、作品に深く入り込んで作品の出来や主人公の心情の追体験等も重視し、授業ごとに配布するプリントには頻繁に横道に逸れる仕掛けが施されていて、多角的に色々な方向へ興味を促がす工夫が成されていたという。当時、その授業を見学した山岸徳平(東京教育大学教授)が、横道へそれ過ぎではないかと批判したというが、橋本武は当初からそれが目的だったようである。結果としてこの授業を受けた最初の生徒たちの中から6年後に東大に15名が合格したのである。その後はトントン拍子に灘中学校、高校が超進学校への道を歩み出したことはいうまでもない。しかしながら、橋本武の目的は生徒を東大に合格させるのではなく、結果としてそのようになったと1984年に灘校を退任した橋本武本人は説明している。

 さてさて、ここでその教材として利用された小説『銀の匙』とはどういうものかということになるが、この小説は著者中勘助自身の自伝的小説であるとされる。主人公の私は本箱の引き出しに昔からしまってある小箱の中から銀の匙を見つけ、そこから回想に入る。この銀の匙は幼い頃に茶ダンスで見つけ母に「これをください」といったところ、「大事にとっておおきなさい」といわれ、それ以来、今まで大事にしてきた物である。この匙にいわば幼い日の想い出がこびりついているものであり、伯母と過ごしたあの日の数々が蘇ってくるのである。主人公は生まれるとき難産で、元来からひ弱で生まれるとまもなく腫物が酷く、それこそ頭から顔など一面に吹き出物があり漢方の先生にお世話に成り続けていた。漢方の先生は腫物を内攻させないため毎日、真っ黒な煉薬と烏犀角を飲ませていた。だが、幼い子に飲ませるには普通の匙では具合が悪いので伯母がどこからか小さな匙を見つけてきて、始終薬を含ませてくれたのだという話を聞き、銀の匙を今まで大事に保管していたのである。いわば銀の匙は主人公と伯母さんを繋げる想い出の物だった。伯母さんは私を育てるのがこの世に生きている唯一の楽しみだった。家はなし、子はなし、年はとってるし、何の楽しみもなかった伯母。そして伯母に何もかも頼り切っている私こと主人公。なにしろ何処に行くにも伯母の背中にかじりついている有様であった。そんな幼い日の記憶を鮮明に、子供が書いたかのような目線で描ききっているので夏目漱石が高く評価し、中勘助の『銀の匙』は陽の目を見るようになったのである。これほど大人になっても子供が書いているような文体を知らないと漱石は価値を認めたのである。この作品の独創性を誰よりも強く感じたらしい。

 小説『銀の匙』は前篇、後編とに分かれるが、前篇は中勘助が27歳の時、後編はその翌年に書かれたものである。前篇は伯母との想い出が大部分を形成し、後編は小学校から生意気盛りの中学生までの記述である。私は東京の神田で出まれた。伯母は私を縁日やお寺、神社によく連れて行ってくれた。やがて私の家は神田から小石川へと引っ越した。小石川は田舎で、私は新しい環境で色んな経験をする。隣に住んでいるお国さんと友達になった。私はお国さんが初めての友達で、それも女の子であった。やがて二人は仲好くなるが、お国さんは小学校へ上がろうとする。私も小学校へ上がらなけらばんらないが、私は小学校へ行くことを拒んだのである。それでも伯母さんのとりなしで小学校へ行くようになる。このようになにかと私のそばには何時も伯母さんがいたのだった。

 後編になると当初は伯母さんは出てこないが、白眉ともいえる伯母さんと再会するところがある。幼い日に我が子以上に可愛がってくれた伯母との再会であるが、伯母は目を悪くしていたので再会してもすぐには私とは判らなかった。私と判ると伯母は涙を流して喜んだ。私は伯母にとっては自慢の甥であったのだ。それから伯母はまもなくして死んだのである。つまり全編通して伯母さんと言うのは小説の中の最も重要な人物であり、瓶の匙は伯母さんと共に生きていると言えよう。また、これら全編が自らの想い出話でありまた美しい散文でもある。しかし、中勘助は青年の頃は詩や歌を愛読していて散文形式の書物には関心がなかったようである。それが大学で英文科から国文科に転じ、そこから散文を書くようになったみたいだが、ほとんど誰からの影響も受けず詩の形式によって独自の世界を表現することであったという。そういった形で描き切ったのが『銀の匙』であろう。

 結局、このような新鮮な文体を書いたところ、他の作家に見られない独自性と言うのが教材として使った灘校の橋本教諭の意図するところであったかもしれない。主人公の揺れ動く心を汲み取るには子供しかわからない部分がある。でも小説は大人になってから書いたものがほとんどであり、実際に中学生には判りがたい部分がある。それが中勘助の『銀の匙』にいたっては子供から見た印象をありのまま描いたような表現がいたるところに点在している。そういった感受性を認知出来る中学生の教材としては最適であると感じとれたのかもしれない。まさしく大人は自分が子供であったことを忘れているといったことを思い起こさせる小説である。
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2012.10.21 (Sun)

第73回菊花賞

 このところ競馬の記事ばかりになっているがしょうがないか。今日は絶好の秋晴れの中、京都競馬場で伝統の第73回菊花賞(G-Ⅰ・3歳、芝3000m、18頭)が行われた。今年の菊花賞はダービー馬のディープブリランテが結局出てこられずず、ダービー2着のフェノーメノが来週の天皇賞に回り、3、4着のトーセンホマレボシ、ワールドエースの池江勢が故障というから、なんかメンバーが手薄になってきた感がある。あとは皐月賞馬でダービー5着のゴールドシップが1強のような様子になったが、何しろ距離は3000m。この距離で台頭してくる馬がいるかどうかというのに興味がいった。単勝売上1番人気は圧倒的にゴールドシップ、2番人気はマウントシャスタ、3番人気はロードアクレイム、4番人気はフェデラルホール、5番人気はスカイディグニティだった。

 スタートが切られた。最内のゴールドシップはあまり出が良くなく下がっていた。最後方からの競馬である。1周目の3コーナーの坂、ハナに立ったのはビービージャパン。2番手にトリップ、内にコスモオオゾラ、4番手にタガノビッグバン、その後からは固まってフジマサエンペラー、ニューダイナスティ、内にフェデラルホール、エタンダール、マウントシャスタ、アーデント、ベールドインパクト、ユウキソルジャー、さらにはロードクライム、ラニカイツヨシ、後方から2番手でゴールドシップ、シンガリの位置にダノンジェラードで正面スタンド前を通過。淡々としたペースであってハロンタイムが13.0---11.9---12.2---12.2---11.6と1000m通過が1分00秒9と平均ペースである。けしてスローではない。1、2コーナーを回って相変わらず先頭はビービージャパン。リードは2馬身、2番手にフジマサエンペラー、コスモオオゾラ、タガノビッグバン、アーデント、ニューダイナスティの順で向こう正面を通過。ゴールドシップは後方から2番手の位置だが、芦毛の馬体が外から行った行った行った。外から上がって行く。3コーナーの坂の上りで5番手から4番手まで接近。これから坂を下って4コーナーの位置だが、先頭はこのあたりからマウントシャスタが先頭に出たが、その直後にゴールドシップが早くも上がってきた。そして直線に入る。マウントシャスタとゴールドシップ、マウントシャスタとゴールドシップ。ゴールドシップ先頭、ゴールドシップ先頭。まだ先は長い。後続も追い上げに入る。先頭にゴールドシップ、ゴールドシップ。外からベールドインパクトとスカイディグニティも伸びてきた。あと200m、ゴールドシップ、ゴールドシップ、外のスカイディグニティが伸びる。伸びる。しかし、ゴールドシップ先頭、ゴールドシップ先頭。2番手にスカイディグニティが上がる。でも先頭はゴールドシップ、ゴールドシップ。1馬身半ほどリードしている。2番手にスカイディグニティだが、ゴールドシップが先頭でゴールイン。

 1着ゴールドシップ 3分02秒9、2着スカイディグニティ 1馬身3/4、3着ユウキソルジャー 2馬身、4着ベールドインパクト アタマ、5着ラニカイツヨシ 1/2馬身。

 予想通りゴールドシップが勝ったが意外にも着差はつかなかった。でもあのロングスパートで最後まで末脚が持つとは実力がこの中では抜けているからであろう。血統的には昨年の3冠馬オルフェーヴルと配合が同じで父ステイゴールド、母の父メジロマックイーン。血のなせる技かもしれないがスタミナにも裏付けがあったのだろう。少々、強引なレース運びだったが力で押し切ってしまった。ここに入れば役者が違っていた。こらからは古馬との戦いになるが、オルフェーヴルとの対決も楽しみである。ところで芦毛なのに何故ゴールドシップなのかな? シルヴァーシップにすればよかったのにとも思うが・・・・・。
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2012.10.17 (Wed)

珍しく更新、ただし意味不明

珍しく帰宅してから更新している。ということは帰宅が早かったということである。もっとも急いで職場を出て帰宅の途についても病院へ直行することがあるので、帰宅は遅くなる場合がある。でもそろそろ身内の者も退院できそうなのでyヤレヤレというところである。それにしても今年は10月になってもらしくない。先日にようやく秋らしくなったと思ったら、またまた日中は日射しが強くて汗ばむような天気であった。昨日の晩は湿気が多く雨の降る前の前兆があったが、やはり今日は午前中から雨が降り出した。帰宅時には一旦は雨が上がってくれたものの、職場を出て駅までの長い道のりを歩いている途中に降り出した。最少はポツリポツリだったが、だんだんと雨足が強くなってきたから歩くスピードを上げていったら、水溜りにはまり靴はビチョビチョ、ズボンも膝から下はずぶ濡れ。どうせ降るなら職場を出る前に降ってくれないと・・・。それなら最初からバスに乗って帰るのに、かなりの距離を歩いてきてから雨が激しくなってきたから、そうなると駅まで歩くしかなく、そんな中を何時もより早く歩いてきた。どうにか駅に到着した、靴下まで濡れて気持ちが悪い。それで病院に行くのはやめて帰宅したから、こんな時間帯にパソコンを開いているという訳である。

 それにしても今年の天気ははっきりしすぎだ。秋というのはけっこう雨が多く、それによりだんだんと涼しくなっていくものであるが、どうも高気圧の勢力が強いのだろう。晴れの日が一週間も10日も続く。すると毎日熱せられ、だんだんと気温が上がってくる。そして雨が降るときは激しく降る。まるで夏のようだ。これは日本近海の太平洋の海水温が高いせいだろう。そのせいで台風も接近している。もう10月の後半に入っているというのに、台風が日本の近くに来るのもおかしいが、未だに上着が必要ないというのもおかしい。いったい地球はどうなってしまったのだ。

 それでも確実に冬はやってくるのだが、秋が短いというのは寂しいな。もっとも初冬の雰囲気も嫌いじゃないが、氷点下になるほど寒いのも御免だ。まあ最近は京都周辺で氷点下になることは少なくなったが、それでも毎年、冬の間に一度や二度は氷点下になるほど冷える日がある。こうなると手がカサカサになるほど荒れるし、踵もひび割れができる。もう若い時のような弾力のある肌でなくなっていることを痛感するのだが、歳とともに乾燥肌になっていき、寒い日には足も手もザラザラである。すつとひび割れが知らぬ間に出来ていて痛いの何のって、これだから歳をとりたくなのだが加齢は生物である以上仕方がない。不老長寿の薬があるといいのだが・・・・・・と思ったが、要もないのに何時までも生きているというのも辛いかもしれないので、やはり寿命はあったほうがいいか。まあ取り敢えずは今を生きるしかないが、老人にはなりたくないなあ・・・・。
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2012.10.14 (Sun)

第17回秋華賞

 記事にするか迷ったが最近は更新率が低すぎるので書くことにした。なんで書くことをためらったかというとG-Ⅰレースといってっも牝馬限定のレースは好きではないからだ。それも桜花賞、オークスなら3歳クラシックだから権威もあると思うが、最近出来た3歳牝馬限定のG-Ⅰレースなんてどうでもいい。ましてや牝馬3冠なんて価値は薄い。小生は牝馬の価値は良い産駒を残すこと。それと牡馬を相手に勝ってこそ価値が上がるものと考えている。したがっていくら牝馬限定の中で3冠を獲得したからって興味もない。それで今日の第17回秋華賞(G-Ⅰ・3歳牝馬、芝2000m、18頭)にジェンティルドンナが史上4頭目の3歳牝馬3冠をかけて出走してきたので取り敢えずは書いてみたのだが・・・。

 そもそも小生が競馬に興味を持った頃は牝馬の3冠レースなんてなかったから、秋は牡馬に混ざって菊花賞に出てきたものだ。たとえば桜花賞、オークス2冠のカネケヤキ。カネケヤキは菊花賞に出て野平裕二が鞍上で大逃げをうった。3000mの菊花賞で大逃げをうち後続を慌てさせたものである。このときカネケヤキは最後の直線半ばまで逃げのびあわやという感じであった。最後はシンザン、ウメノチカラ、オンワードセカンド、サンダイアルといった牡馬の強豪ににかわされたが5着に粘りレースを大いに盛り上げたものだ。

 それが1970年秋にビクトリアC(後のエリザベス女王杯)という重賞が創設されてから牝馬は菊花賞にほとんど出てこなくなった。それが20世紀に入りウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタといった牡馬相手にG-Ⅰレースまで勝つような名牝が一気に出現し大いにターフをわかせた。やはり牡馬との混合レースで勝つまくる牝馬の方が興味がいく。なので牝馬限定の3冠は所詮、牝馬限定のものでしかない。過去、牝馬3冠馬といえば3頭出ていて、メジロラモーヌ、スティルインラブ、アパパネといるが、何れも牡馬混合の重賞レースでは全て負けているどころか、ほとんど惨敗といってもよい。それならエアグルーヴ、ウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタあたりの方が強い牝馬であるというイメージがある。ということであまり牝馬限定のレースは記事にしたくないのだが、前述したとおり最近はブログ更新率が極端に低いので記事にする。

 さて史上4頭目の牝馬3冠をかけてジェンティルドンナがレースに臨んだが・・・。レースはスローで展開したが、向こう正面から一気にチェリーメドゥーサが馬群から抜け出し後続を引き離し始めレース展開が急変した。10馬身ほど大きくリードし4コーナーを回っても脚色が衰えない。あと200mでも先頭。人気のジェンティルドンナは外を回り届くかなという位置。そして内から対抗馬のヴィルシーナも同様に追い上げる。でもチェリーメドゥーサが粘る粘る。あと50mまで先頭だったが、ジェンティルドンナとヴィルシーナが並ぶようにして一気に迫りかわし切った。あとは2頭のマッチレース。結局、外から伸びたジェンティルドンナがハナの差で制し史上4頭目の3歳牝馬3冠馬の栄冠に輝いた。

 1着ジェンティルドンナ 2分00秒4、2着ヴィルシーナ ハナ、3着アロマティコ 1馬身1/2、4着ブリッジクライム 1/2馬身、5着チェリーメドゥーサ ハナ。

 ジェンティルドンナが3冠馬の栄光に輝いたものの、桜花賞、オークス、秋華賞全て2着がヴィルシーナだったというのは面白い。そういえば昔、昔、カツラシュウホウという皐月賞、日本ダービー、菊花賞全て2着だった不運な馬がいた。カツラシュウホウは皐月賞はクビ差(勝ち馬タイセイホープ)、日本ダービーハナ差(勝ち馬ダイゴホマレ)、菊花賞1/2馬身差(勝ち馬コマヒカリ)何れも僅差の2着であった。ついでにいうなら翌年の春の天皇賞でもクビ差の2着(勝ち馬トサオー)だったので、ヴィルシーナはカツラシュウホウほどではないが、不運な馬ではある。

 しかし、今後ジェンティルドンナに求められるのは牡馬と戦って勝てるかどうかということだが、既にシンザン記念で牡馬相手に勝っている。でもこのときはメンバーが弱すぎる。今後、牝馬3冠の価値を上げるには、ジェンティルドンナがどれだけの活躍が出来るかどうかにかかっている。何しろ先輩3冠馬の3頭が牡馬混合のレースだと良いところが何一つなかったので、ジェンティルドンナには期待するところが大である。
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2012.10.12 (Fri)

ようやく秋を意識した

 今年は10月に入っても昼間の気温が高く、暑くて暑くて歩いていると汗ばんでくる。真夏日まではいかないが充分25℃を超えている。これだと暑いのは当然だ。それでいてて朝はひんやりとしているのだから服装にも困ってしまう。上着は着る必要もないので家を出ていくとき、半袖にするか長袖にするか何時も迷ってしまう。それで幾分、肌寒いが半袖を着て出ていく。何故なら今の時期は電車の中が暑いのだ。もう冷房を切っているから外の方が涼しい。それで電車に乗るとちょっと暑いかなと感じてしまう。昔の電車なら窓が開いたので涼しい風が入ってきて心地よかったのだが、今時の電車は窓が固定されていて開かない。だとすると空調に頼るしかないのだが、冷房を切っている電車が多く、車内が混んでくるとだんだんと車内が蒸し暑くなってくる。だから電車から降りるとホッとする。かといって冷房を入れると冷え過ぎるから難しい季節ではある。

 また朝と昼間の気温差が10℃ほどあって、午後から残暑かと思わせるほど暑くなるので、半袖で出てきたのは正解であった。本当に今年は秋がやって来るのかなと思うほど昨日までは暑かった。それが空気が入れ替わったのかもしれない。すっかり秋めいてきた。今季、初めて長袖を着て出勤した。街を行く高校生も上着を着だした。小生の高校の頃は10月1日になると一斉に冬服を着たものだが、今ではとても10月の頭から冬服など着れそうもないな。それほど昔と比較して暑くなっているのだ。それだけ今は秋が短くなってしまい、暑いのから一気に寒くなる。なんだか暑いのが嫌いな小生としては昔の方が住みやすかったという印象がある。残念だが地球温暖化が進んでいるのかも・・・・・・。まあ、取り敢えず秋らしくなったので、これから秋の夜長を楽しませてもらうとするか。
EDIT  |  21:01  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.10.08 (Mon)

第91回凱旋門賞

 昨日の10月7日、フランスのロンシャン競馬場で恒例の第91回凱旋門賞(G-Ⅰ・3歳以上、240m、18頭)が行われた。今年は日本からオルフェーヴルが出走することで大いに興味をもたれ、そこへイギリスのクラシック3冠こそ逃したが2000ギニー、ダービーを制した2冠馬Camelot、フランス・ダービー馬のSaonois、ヴェルメイユ賞を勝ち、昨年の凱旋門賞2着のShareta、コロネーションCを連覇しているSt.Nicholas Abbey等の18頭が顔を揃えたものの、昨年の覇者DanedreamやSnow Fairy、So You Thinkの顔がなく、 ややメンバー的には物足りないところもあるが面白いレースになるだろうと予想された。馬場は前日に雨が降り幾分重く成った分、これが各馬にどのような影響を与えるのかというところであったが、1番人気は日本のオルフェーヴル。2番人気がCamelot、3番人気はSaonoisという順だった。

 全馬がゲートインしてスタートが切られた。オルフェーヴルは大外からのスタートである。鞍上はフランスのクリストフ・スミヨン。スタートから明らかにスローペースである。先頭はオブライエン陣営のラビットErnest Heminway、2番手に外からスーとRobinhood、そのあとにMikhail Glinka、内にSolemiaといったところが先行集団である。人気のCamelotは中団の内、その前後にSt.Nicholas Abbey、Saonois、Shareta、外側にアヴェンティーノ、オルフェーヴルは後方から2番手の外側。スローペースは相変わらずだが、徐々にErnest Hemingwayが2番手との差を拡げフォルスストレートで4馬身、5馬身ほどリード。2馬手以降は17頭が固まったままだが、最後の直線に入るあたりでオルフェーヴルは外からやや前に出る。そしてロンシャンの直線に入る。ここで人気薄の牝馬Solemiaが先頭に出る。Meandreもいい位置。オルフェーヴルも好位置に上がってくるが、Camelotは行き脚が悪い。Saonoisも伸びそうもない。あと300m、ここでオルフェーヴルがSolemiaに並びかける。そして先頭に出る。オルフェーヴルガ出た。オルフェーヴル先頭。あと200m、オルフェーヴル完全に先頭、オルフェーヴルが先頭。でも内によれていきながらも2馬身から3馬身リード。あと100m、オルフェーヴル先頭。内ラチ沿いまでよれてやや走りにくそうだが先頭。しかし、またSolemiaが迫ってきた。かわしたはずのSolemiaが迫ってきた。あと50m、オルフェーヴル先頭、オルフェーヴル先頭。Solemiaが接近。3番手以降は千切れた千切れた。Solemiaが来た。あと10m、Solemiaが出た。オルフェーヴルは2着。

 1着Solemia 2分37秒68、2着オルフェーヴル 1/2馬身、3着Masterstroke 7馬身、4着Haya Landa 1馬身、5着Yellow and Green 18馬身。

 またしても日本馬の凱旋門制覇はならなかった。でも大外からオルフェーヴルはライバルたちを尻目に置き去りにした。そして後続を千切りだしたが、1頭の伏兵に足元を掬われた形となった。それも12番人気のノーマークの牝馬。先行していたSolemiaをオルフェーヴルはかわし切った筈だったが、内によれている間に一気に迫ってきて最後にかわされてしまった。本当に競馬はわからない。もしSolemiaの勝因を上げるのなら重い馬場ということになるだろうか。3着のMasterstrokeも先行していた馬だし、Solemiaも先行して好位置で競馬をしていた。後方から伸びて来たのはオルフェーヴルだけで、間違いなく一番見応えのある末脚を見せていた。ただし肝心なところで内にもたれていき、差し返されての2着は惜しいすぎる。そういえば英国3冠馬のNijinskyが最後の競り合いでいったんは先頭に立ちながら、外によれている間にSassafrasに差し返されて2着に終わったことを思い出した。オルフェーヴルは肝心のところで悪い癖が出てしまったのか、それとも苦しがってよれたのか判らないが、逃がした魚は大きかった。

 それにしても勝ったSolemiaの快走だけは予想外だった。今までG-Ⅰの勝ちもない平凡な牝馬だったのに、大一番でこの勝ち方。時計のかかる馬場だと強いみたいだ。通算で13戦5勝2着2回3着3回着外3回。血統は父がPoliglote-----Sadller's Wells系、母Brllklyn's Dance(Shirley Heights-----Mill Reef系)とスタミナが勝っている血統のようだ。それにしても凱旋門賞は本当に牝馬がよく勝つレ-スだ。

 日本馬の凱旋門賞制覇の悲願はまたもならなかったが、来年以降も挑戦し続けなくてはならないだろう。あと何年かかるか判らないが・・・・・・。



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2012.10.07 (Sun)

カール・ヤストレムスキーの名を久々に聞いた

 またまた久しぶりの更新である。相変わらず雑用に追われていてなかなかパソコンも開けないという情けなさ。昨日から三連休、どうにか僅かの時間をさいてブログ更新を試みようと思い立ち書いてみることにする。

 少々ニュースとしては古いが先日、アメリカ大リーグで実に45年ぶりと言う打撃部門での三冠王が出現したというからこれは記事にしなくてはならないと思いたったまでである。その選手はデトロイト・タイガースのミゲル・カブレラである。カブレラなんて言う名前だと西武ライオンズにいた選手を思い出すが全くの別の選手である。この様な名前はラテン・アメリカには多いのだろう。

 ところで私が野球の記事を書くことはあまりないが、それは興味が年々、薄れてきているからである。殊に日本のプロ野球なんて最近はテレビでも観ることはほとんどない。翌日の新聞で結果を知るぐらいかな・・・。何故、興味が薄れていったのかというのは、当ブログ上でたびたび書いているからここではその訳は述べない。でも少年時代は結構、野球は好きだったとは思う。だが他人と違って、私は興味持つととことん探求する癖があり、少年時代に日本の野球以上に大リーグに興味を持ったものである。

 それは小学生の頃の話であるが、アメリカの大リーグのチームが来日していた。そして、日本のプロ野球の選抜チームとよく試合をしていた。でも大リーグのチームは桁外れに強く、ほとんどの試合で日本のチームはやられていた。特に長打力には雲泥の差があり、当時の狭い日本の球場では大リーグの選手たちは軽々とオーバーフェンスをこなしてしまうのだった。何と大リーグは凄いのだというのが少年時代の印象である。だが、これで大リーグの一部の選手がやってきただけにすぎず、アメリカではこのような凄い選手がウジャウジャいるのだという認識に変わり、実際には選手を観ることも出来ないが、よく新聞の小さな大リーグ記事に目を通していたという記憶がある。

 あの頃は今のようにBS放送もなく大リーグの中継を観ることも出来ない時代だったので、よく大リーグのチームが秋になると来日して日本のプロ野球チームと試合をしていた。そこでしか垣間見ることが出来なかったのだが、その頃に知ったのがカール・ヤストレムスキーという名の選手だった。ボストン・レッドソックスの外野手で1967年にアメリカン・リーグの三冠王に輝いたのである。それから何と45年、大リーグに三冠王が出なかった。それは大リーグの拡張政策により球団が増えすぎて、より専門分野の打撃に突出した選手が多くなったことと関係あるかもしれない。殊にイチローのような安打製造機のような選手は長打を捨てているから、どうしてもホームランバッターは首位打者が獲れないので二冠までは獲れるが三冠は獲れない打者が数多くいる。その間に日本では三冠王が野村克哉、王貞治、落合博満、ブーマー・ウェルズ、ランディ・バース、松中信彦等が三冠王に輝いている。日本の場合は昔から球団数が12と変化がないし、選手数も同様なので大リーグよりも三冠王は当然のように獲りやすいであろう。しかし、大リーグも16球団で行われていた時代では三冠王が数多く出ている。ところで三冠王とは打率、本塁打、打点の三部門全てでトップの選手をそのように呼ぶのだが、大リーグは歴史が長い。大リーグ初期の頃は三冠王の認識がなかったようだ。それに当時の打撃タイトルは曖昧で、打点王がタイトルとして認められるようになったのも1920年からとされる。したがって最初の三冠王は1922年のロジャース・ホーンズビー(セントルイス・カージナルス)ということになる。でも1909年にタイ・カッブ(デトロイト・タイガース)がこの三部門でトップに成っているが、まだ三冠王の認識はなかったとされる。それは当時、ボールの質が悪く飛ばなかったのでホームラン数がとても少ない。それでホームランと言うのは今ほど重要視されていなかったからである。参考までにいうと1909年のタイ・カッブのホームラン数は僅か9本である。それがボールの改良があって飛躍的に飛ぶようになりホームラン数も倍増する。そこへベーブ・ルースの出現と相成ってホームランがファンの注目を浴びるようになる訳である。

 さて、その後の三冠王であるが、時代順に列記すると1925年にロジャー・ホーンズビーが2度目の三冠王。1933年ジミー・フォックス(フィラデルフィア・アスレチックス)、同年チャック・クライン(フィラデルフィア・フィリーズ)とアメリカン・リーグ、ナショナル・リーグで三冠王が同時に出ていることに興味がいく。それと当時はオークランドではなくフィラデルフィアにアスレチックスがあったことと、同じ都市のチームからそれぞれ三冠王が出てフィラデルフィアの人は熱狂したことだろう。そして翌年の1934年に鉄人ルー・ゲーリッグ(ニューヨーク・ヤンキース)が3冠王。1937年にジョー・メドウィック(セントルイス・カージナルス)が三冠王。実はこのジョー・メドウィックが最後のナショナル・リーグの三冠王ということになり、その後75年間もナショナル・リーグは三冠王が出てないことになる。惜しい人はウィリー・メイズ等いたことはいたが、何れの選手も三冠王を逃してきているのだ。

 1942年には最後の4割バッターだったテッド・ウィリアムズ(ボストン・レッドソックス)、1947年2度目のテッド・ウィリアムズ。1956年ミッキー・マントル(ニューヨーク・ヤンキース)、1966年フランク・ロビンソン(ボルチモア・オリオールズ)が三冠王になっているが、このロビンソン前年までナショナル・リーグのシンシナティ・レッズにいた。それで史上初の両リーグでMVP獲得者となり、また史上初の黒人監督でもあった。そして翌年の1967年にポーランド系のカール・ヤスストレムスキーが三冠王を獲得。ミゲル・カブレラはそれ以来ということになる。

 ところでカール・ヤストレムスキーであるが、この人は1961年に大リーグデビューし引退する1983年まで実に23年間ボストン・レッドソックス一筋である。今では考えられないが当時は当たり前だった。思えば史上最高のワールド・シリーズといわれる1975年のシリーズにボストン・レッドソックスの3番レフトで出ていたなあ。ちなみにこの時のレッドソックスの4番がキャッチャーのカールトン・フィスクだった。結局、このレッズとのワールド・シリーズは好試合の連続で第7戦まで縺れたことを思い出す。シンシナティ・レッズにはチャーリー・ハッスルこと安打製造機ピート・ローズ、ケン・グリフィ、ジョー・モーガン、ジョニー・ベンチ、ジョージ・フォスター、トニー・ペレス、シーザー・ジェロニモ、デーブ・コンセプシオンといった面々が揃いビッグ・レッド・マシーンと呼ばれていた。レッドソックスもヤストレムスキー、フィスク以外に、日米大学野球でお馴染みだったフレッド・リン、守備力で図抜けていた右翼手ドワイト・エバンス等もいたが、残念なことに新人で後に大選手となるジム・ライスが怪我をしてワールド・シリーズに出れなかったのが大きく、結局3勝4敗でレッドソックスは敗退した。でもボストンのフェンウェイ・パーク名物のグリーンモンスターの前を守る左翼手のカール・ヤストレムスキーはとても印象深かった。先輩の三冠王であるテッド・ウィリアムズといいカール・ヤストレムスキーといい長きにわたってボストン・レッドソックスの左翼手はボストン市民の輝ける星であった。

 今回、45年振りに大リーグ打撃三冠王が出現したことで再び名前が出てきたカール・ヤストレムスキーのことをこの場に及んで語らしてもらったまでであるが、意外にも史上最強打者ベーブ・ル-スが三冠王になっていないのだな。


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