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2012.02.25 (Sat)

土曜日恒例の雨

 やっと土曜日かと思ったら朝から雨。不思議と昨年の秋から土曜日になると雨が降る。偶然とはいえ呆れかえる。もっとも今年の冬は暖冬ではなく久々に寒い冬だったので雨降りが少なかったが、昨晩からの雨が降り続いていて、今朝には止むだろうと考えていたのだが・・・・・・・。止まなかった。それで、今日、せっかくの休日、用意を済ませようと思ったが、行動範囲がこれで狭くなってしまった。自転車に乗って雨合羽なんて羽織っていられないし本当に鬱陶しい。傘をさして出かけていく。

 朝早くから1ヶ月ぶりに耳鼻科に行く。薬が切れたからだが、このところ鼻をかむと右の耳が痛いので、耳も診てもらおうと思い出かけて行った。しかし、この痛かった原因はどうやら耳垢が溜まっていたかららしい。それで綺麗に耳の中を掃除してもらったら、すっかり痛みがとれているではないか。不思議なものだ。鼓膜が見えなかったというからどんだけ溜まっていたのだ。我ながら不摂生には呆れかえる。もっとも耳かきで耳掃除は時々、やっているつもりなのだがなかなか綺麗に取れないよううだ。なにしろ自分では見えないから、手探りでやるしかないのだが、隅々までは耳垢が取れてなったのだろう。それが徐々にたまり瘡蓋がk出来ていたという。ほっとけばもちろん中耳炎・・・・・。やはり放っておかずに医者にかかるほうが間違いがないということか。餅は餅屋だな。
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2012.02.22 (Wed)

アタマきたー!

 今日定時で仕事を終えて家路に就いたのだが、何とJRの電車に乗っていて最寄駅の一つ手前の駅まで来るや、そこから電車が動かなくなった。どうしたのだろと思っていたら暫くして車内アナウンスが。「先ほど茨木、富田間の踏切でバイクと電車が接触する事故があり、現在、電車が運行休止しております」だとさ。

 あーあ、家路を急いでいたのになんてことだ。それで何時動くか判らないという。しょうがないから電車の中で待機していたら、阪急電車に振り替え輸送をするということで仕方なくJRの駅を出て阪急の駅まで歩くことにした。しかし、京都府内では阪急とJRの駅が何処も一㌔ほど離れているのだ。しかも夕方から降り出した雨が強くなってきているではないか。暗い夜道を強い雨の中、傘をさして阪急の駅に向かってトボトボ歩く。あーあ、情けない。何でこうなるの。JRの電車に乗っていた人が一斉に阪急電鉄の駅に向かっているので長い人の列が出来ているではないか。何とも奇妙な光景だ。

 ようやくずぶ濡れになって阪急の駅に到着。すると見てる間に阪急の駅のプラットホームは人で埋まってしまった。阪急で通勤している人は何時もより人が多いので何事だと感じただろう。しかし、すぐには電車はやってこない。イライラする。早く帰るつもりが・・・・・・。一つ手前の駅で足止めを食らうなんて何てついてないのだ。次の駅まで三分ほどで着くのに、阪急の駅まで15分歩いて、駅で電車を10分待つ。結局、何時もより40分遅く帰宅した。ほんとに頭にくる・・・・・。これだからJRほ厭なのだ。阪急で通勤していたころは、こんなこと一度もなかったのに・・・・・・。
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2012.02.21 (Tue)

ポール・マッカートニーの新アルバム『キス・オン・ザ・ボトム』を聴く

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 以前からポール・マッカートニーがスタンダード・ナンバーばかりをカバーしてアルバムをリリースするとは聞いていた。それがこのほど発売になったので早速買い求めて聴いてみた。そもそもビートルズ時代からカバーはお得意だったポール・マッカートニーである。しかし、これまではほとんどがロックン・ロール・ナンバーがメインのカバーであった。それがこれまでの趣を一新してジャズ・スタンダード・ナンバーのカバーである。これは実に珍しい。収録曲は『手紙でも書こう』『ホーム』『イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン』『もう望めない』『グローリー・オブ・ラヴ』『ウィ・スリー』『アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ』『マイ・ヴァレンタイン』『オールウェイズ』『マイ・ヴェリー・グッド・フレンド・ザ・ミルクマン』『バイバイ・ブラック・バード』『ゲット・ユアセルフ・アナザー・フール』『インチ・ワーム』『オンリ-・アワ・ハーツ』の14曲である。

 この曲名群を見て何だと思った方が大半だろう。スタンダードと言ってもほとんど無名な曲ばかりである。3曲目の『イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン』以外は知られてない曲ばかり。『ホーム』『オンリー・アワ・ハーツ』の2曲だけは今回ポールがこのアルバムのために書きおろした曲なので当然誰も知る筈がないが、それ以外だと無名曲の羅列である。スタンダードと言っておきながら無名曲が多い。でもこれがこのアルバムのコンセプトらしい。ポール自身が言うには「僕が重視したのは、有名な曲は選ばないということだった。古典的なスタンダードと呼ばれている曲のなかにも、みんなになじみのないものがたくさんある。(そんな曲をカヴァーという形でよみがえらせて)うれしいサプライズをプレゼントしたいという気持ちもあった」ということらしい。

 ポールは子供の頃、アマチュアのジャズ・ミュージシャンだった父ジムの奏でるピアノを楽しみにしていたという。要するに父がよくポールに聴かせていただろう古い曲がメインになっているようだ。そういった頃の思い出がこのアルバムに反映されたといってもいい。ポールの父の世代が歌っていたような古い曲を何時かやりたかったのだそうな。正月に家族や親族が集まってみんなカクテルやベビーチャムを飲みながらポールの父はピアノを弾いて、それをみんなで歌うといった家庭がマッカートニー家だったのである。そういえばポール・マッカートニーはビートルズ時代にもロックン・ロール・ナンバーではない『ザ・テースト・オブ・ハニー』『ティル・ゼア・オブ・ユー』等をアルバムに収録しているから、古い時代を偲ばせるスタンダードも得意としていただろうし、『ベサメムーチョ』なんていうラテン・ナンバーをも歌う姿を映画の中で披露しているぐらいだ。何もロックばかりを聴いていたのでもなく、ジャンルを超えてありとあらゆる曲を聴きこなしていたと捕えるのが正解だろう。だから彼の作曲する曲自体、色んな要素が含まれているのでもある。『イエスタデイ』はどこかバッハを連想するし、その他の曲でもカントリー風あり、ジャズ風あり、ラテン風あり、東洋風あり、それがポール・マッカートニー・サウンドと言えるかもしれない。実に幅が広いと言わざるを得ない。

 ところで今回、このアルバム収録に関わったミュージシャン達であるが、まず女性ジャズ・ピアニストでヴォーカリストのダイアナ・クラール、スティ-ヴィー・ワンダー、エリック・クラプトンがいる。そして、このアルバムをプロデュースした人がトミー・リピューマで、今までジャズ界で活躍していた人であるが、かつて日本のイエロー・マジック・オーケストラを欧米に紹介する功績などでも知られているが、今回のアルバムを制作するにあたり選曲にも加わったらしい。それと、このアルバムではポール・マッカートニーが楽器を弾かず、ヴォーカルに徹しているなどロックでは知ることのできないポール・マッカートニーの一面を垣間見られる一枚となっている。



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2012.02.19 (Sun)

第29回フェブラリーS

 ダートのレースはあまり面白くないが、今年最初のG-Ⅰレースなので記事にすることにした。第29回フェブラリーS(G-Ⅰ・4歳以上、ダート1600m、16頭)が今日、東京競馬場で行われた。昨年の覇者でありドバイ・ワールドCで2着になって、ジャパンCダートでも2連覇というダートの王者トランセンドが大いに注目されるレースであった。人気も圧倒的で、2番人気のワンダーアキュート、3番人気エスポワールシチーを圧倒していた。さあ、結果は如何に。

 ゲートが開くや何時もダッシュよく出てくるトランセンドの反応が鈍い。出てこない。どうしたのか・・・・。そこで先頭に立ったのがセイクリムズン、2番手にトウショウカズン、3番手グランプリボス、そのあとにトランセンドで、それをマークするようにエスポワールシチーという展開。これが混戦の一因になったといえよう。少なくとも逃げるか、2番手から抜け出して勝っていたトランセンドが、今日は逃げれない。直線に入ってもトランセンドは伸びてこない。さあ、何が来るか。外からワッとやってきた。あと300m。外から7番人気のテスタマッタが一気に伸びて来た。そこから後続を突き放しゴールイン。

 1着テスタマッタ 1分35秒4、2着シルクフォーチュン 2馬身、3着ワンダーアキュート 3/4馬身、4着ダノンカモン ハナ、5着エスポワールシチー 1馬身。

 トランセンドはいいところがなく7着の惨敗。トランセンドが連を外すのは一昨年の4月以来となった。これでドバイ・ワールドCへの参戦は見送られるかもしれなくなった。本当に競馬とは判らないものだ。
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2012.02.18 (Sat)

今年初の積雪

 今朝、随分と寒いなあと思ったので、外が明るくなるのを待って窓を開けてみると何と雪化粧。今年の冬は寒い寒いといいながらも我が家の周辺では一度も雪が積もっていなかった。それで今季初の積雪。それほど積もったというのでもないが屋根は真っ白。それにつられて朝の気温も氷点下。今日は好運にも土曜日だったので真っ暗な時間帯に起きて、湖国まで出勤する必要もなかったので、外が白々と明るくなるまで布団の中でくるまっていた。そしてようやく午前7時に起床。吐く息が白くもう外は明るくなっていたので窓を開けたという訳である。

 だが、出かける時間帯には雪は溶けかかっていたが、京都市内はまだ積もっているのだろう。小生の住む近辺は京都府内でもあまり積雪のないところ。京都市内で積もっていてもこちらは積もってない場合が多く、今年もこれまで積雪はなかった。午前9時に家を出て大阪市内へ向かうが、やっぱり大阪の方は晴れていて雪が降った形跡もない。京都よりも大阪は暖かいのだな。でも今日は大阪でも底冷えのする寒さだった。

 夕方、大阪市内から電車で我が家へ向かう。すると高槻を出たあたりから晴れていた空が突然暗くなり、横殴りの雪が降り出した。午後3時位からまたまた雪が降り出したということだが、どうもその境目がそのあたりということか。我が家に着いてからも雪は降っていた。今は止んでいるので積もりはしないだろうが、今日は本当に休日で助かった。我が家の周辺で雪化粧、夕方にまた雪が降るといった日には、職場の周辺は確実に積もっているだろう。するとバスはノロノロ運転だし、歩くと靴がビショビショ、ずぶ濡れになることは判り切っている。今日は本当に土曜日で良かった・・・・・・。仕事が休みの日にはいくら雪が降ろうが寒かろうが、湖国に行く必要がないからな。

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2012.02.15 (Wed)

エマーソン・レイク&パーマーのアルバム『タルカス』を聴く

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 1970年代前半に活躍したロック・グループの一つにエマーソン・レイク&パーマーがいた。いたというものの昨年夏、一夜限りの再結成コンサートがロンドンであったらしいが・・・・・。

 このエマーソン・レイク&パーマーというのはキング・クリムゾンにいたグレッグ・レイクとナイスにいたキース・エマーソンの2人が互いのバンドを離脱して、新たにアトミック・ルースターにいたカール・パーマーをドラマーに加えて1970年6月に結成されたロック・グループである。つまり3人のファミリーネームをくっつけただけのグループ名という単純なものである。が、音楽性で言うならば他のロックグループとは大きく違っている。それは何かというとリードギター奏者がいないということ。これが決定的なところであろう。ロックのメロディラインはリードギターが奏でるものというイメージが当時は誰にもこびり付いていたから、EL&Pを初めて聴いたときはちょっと驚いた。それでどういった編成かというとキーボードのキース・エマーソン、ベースのグレッグ・レイク、ドラムスのカール・パーマーという3人編成である。最小編成であるが、同じ頃活躍した3人グループ、グランド・ファンク・レイルロードとは音楽性では180度違っていた。

 さて、EL&Pが結成される以前といっても1年もならないのだが、1969年秋、キング・クリムゾンのアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』がビートルズの『アビー・ロード』を追い抜いてアルバム・チャートの1位になったと話題になっていた。その時、キング・クリムゾンでベースとヴォーカルを担当していたのがグレッグ・レイクだった。私は既に『クリムゾン・キングの宮殿』を聴いて気に入っていたので、新しいグループEL&Pも注目していたのである。そして、最初のアルバムが1970年秋に発売され、翌年の1971年の5月、EL&Pの2枚目のアルバムとしてリリースされたのが『タルカス』である。

 ところでタルカスって何だろう? 発売当時に思ったことであるが、急いで辞書で調べたものだ。でも何の意味もないという。キース・エマーソンが突然閃いた単語だというから、辞書にも載っているはずがなかった。アルバム・ジャケットからして変てこな動物が描かれている。この動物がどうやらタルカスらしい。当然、架空の生き物で、アルマジロのようであるがキャタピラーがついている。どうもこのタルカスという架空の動物が火山の中から現れて地上の物を片っ端から破壊しつくして最後には海へ帰っていくというストーリーを音楽で表現しているのである。全20数分の組曲で、噴火、ストーンズ・オブ・イヤーズ、アイコノクラスト、ミサ聖祭、マンティコア、戦場、アクアタルカスからなる。

 全編、シンセサイザーが幅をきかしていて、いわばプログレッシブ・ロックの王道をいく音楽づくりだった。だが当時、私のロック仲間はこういったジャンルのロックが嫌いで、ロックはギターの激しい響きがないと駄目だという者が多く、みんなハードロックを中心に聴いていた。それで私はピンク・フロイドもそうだがEL&Pを聴いているというと不思議がられたものである。でもビート中心になるハードロックよりもより至高な音楽を追求しているものだと思ったが、なかなか彼等には受け入れてもらえなかったものである。

 ところで、このEL&Pが1972年の7月末に来日した。既に夏休みに入っている時期なので聴きに行けると思い早目にチケットを買った。だが、突然、友人に誘われて夏休みに入る直前にアルバイトでためたお金で北海道に行くことにした。勿論、鈍行列車を乗り継いだ貧乏な旅であるが、EL&Pのチケットを買ったことを忘れていた。これだとどうしても予定が重複してしまう。それで仲間の誰かに行く者がいないか打診した。しかし、誰も行くという返事がない。それほど私の周囲はプログレッシブ・ロックを嫌っていたのだ。やむを得ず、私の姉にチケットを渡すと意外にも行くといった。もっとも姉はEL&Pは『展覧会の絵』を聴いて知っていたから馴染みはあったらしい。

 だが、この甲子園球場で行われたEL&Pのコンサートは散々だったとか・・・。姉の話によると聴衆が暴走してコンサートが途中で中止になったらしい。私は行ってないので詳細は知らないが、スタンドで聴いていた1人が球場のフェンスを乗り越えて内野の仮設ステージに走りだしたため、それにつられたのか連鎖反応で多くの聴衆が続いた、これで主催者側は電源を切ってしまったのである。コンサートで酔うのはいいが度を越して暴徒化してしまっては話にならない。当時はまだ海外のロック・バンドへの警備体制が確立されていなかったので無理もないが、EL&Pのメンバーは「日本人は気が狂っている」と言い残して去っていった。

 結局、EL&Pは1980年に解散するまで活動したが、全盛期以外は私は知らないので、彼らのその後を語ろうにも語れないというもどかしさがあるものの、ギタリストのいないロック・バントして確かに彼等は輝いていた。今となっては懐かしい限りだ。

 
 EL&P『タルカス』の演奏(音声のみ) 


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2012.02.12 (Sun)

共同通信杯、京都記念

 久しぶりに競馬の記事を書くとするか。今日は東京で3歳馬による共同通信杯、京都で古馬による京都記念が行われた。まず東京の共同通信杯(G-Ⅲ・3歳、芝1800m、11頭)であるが、注目のディープインパクト産駒ディーププリランテが出走してきた。今年の3歳はディープインパクト産駒が大活躍で、その中でも最も大型馬のディーププリランテが目下のところクラシック候補一番手だという声も聞かれていて、久しぶりに出走してきたので大いに期待されたが・・・・・・。

 レースは16㌔+体重のディープリランテが逃げた。かかりながらもスローペースに落として、そして直線に入りスパートをかけたのだが、意外にも伸びず3番手の内で追走していた芦毛のゴールドシップが一気に先頭に立ち快勝した。

 1着ゴールドシップ 1分48秒3、2着ディーウプリランテ 1馬身3/4、3着スピルバーグ ハナ、4着ストローハット 1/2馬身、5着コスモオオゾラ 1馬身1/4。

 これで今年のクラシック路線は判らなくなってきたな。でも何頭か無敗の馬がいて、これからの対決次第で勢力地図が変わっていきそうである。アルフレード、ベストディール、ワールドエース、アダムスピーク、グランデッツァ、そしてゴールドシップ、ディーププリランテといったあたりに注目が行くが、ベストディール、ワールドエース、アダムスピーク、ディーププリランテ等はディープインパクトの子供というから今年はディープインパクト産駒VS他の産駒ということになるのだろうか。それに牝馬でもジョワドヴィーヴル、ジェンティルドンナというディープインパクト産駒がいるので、今年のディープインパクト産駒からは目が離せないところである。

 一方、京都の京都記念(G-Ⅱ・4歳以上、芝2000m、9頭)はスイートマトルーフが逃げ、それを5馬身はどあとの単騎3番手で追走したトレイルブレイザーが4コーナーでしかけ、直線入り口で先頭に立ち、後続から追い込んでくるダークシャドウ、ヒルノダムール、トーセンラー等を尻目に快勝した。武豊が久々の好騎乗というところか。

 1着トレイルブレイザー 2分12秒4、2着ダークシャドウ 2馬身、3着ヒルノダムール 1馬身1/4、4着トーセンラー 1/2馬身、5着ロードオブザリング 1馬身3/4。
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2012.02.11 (Sat)

時間が欲しい

 このところ時間がない。ブログの更新も週一回ペースかな。兎に角、暇がない。以前ならもっと更新できたものだが、近江の国へ通勤するようになってから時間が足らないと感じつつもそれなりに更新を続けてきたつもりであった。ところが、最近は加齢とともに疲れが溜まるようになったので、帰宅してからついついブログ更新も億劫になりつつある。近江の国へ通勤するようになってもう三年半になるが、最初は物珍しさもあって色々と書いていたものだが、もうすっかり飽きてしまった。以前でも通勤に1時間以上かかっていたが、今はその倍はかかっている。すると往復で通勤時間は4時間かかっていることになる。何という無駄な時間を浪費していることか。これだからブログ更新が出来ないのだ。なにしろ定時で終わって寄り道もしないで必死で帰っても家に到着するのは夜の8時。なので僅かの残業でも帰宅は遅くなる。朝は朝で真っ暗な5時には起床しなくてはならないし家にいる時間がどうしても少なくなる。だからといって仕事を休むわけにもいかないし・・・・・とにかく毎日が早く過ぎすぎて、それでいてやりたくない労働と余計な通勤時間で自由になる時間が非常に少なくなった。暇な時間があればもっと書けるのだが現実は厳しい。

 休日は休日で雑用に追われているし、雑用さえ済ませば自由な時間が出来るが、若い時よりも制約が増えてしまった。これも仕方がないことなのだが、1日48時間ぐらい欲しいと思う今日この頃である。よく仕事がない日はやることがないからといって暇だから昼ごろまで寝て、午後はパチンコへ行くといっている人の話を聞くことがあるが、小生にとっては暇だから何もやることがないという事は考えられない。休日も大概は午前7時には起きているし、家にいて空いた時間があると必ず何かをやっているからだ。それが読書の場合もあるし、映画をやオペラを観ている場合もあるし、音楽を聴いている場合かもしれない。兎に角、聴きたい音楽もあり過ぎるし観たい映画もオペラもあり過ぎる。かといって休日だから必ず家にいるというのでもなく、出かけている場合も多いからブログ更新がままならないというのもしょうがないかな・・・・・。

 しかし、早く仕事を辞めたいものだが、それなりの年齢にならないと辞めるわけにもいかないだろう。年金支給の年齢も引き上げに成るかもしれないし、生活に困らない程度の収入は確保できないと仕事を辞められるものでもないだろう。まあ、小生は物欲はあまりないから生活に困らない程度の金さえあれば貧乏でも構わないが・・・・・・。高級車に乗りたいと思ったことは一度もないし、大きな家に住みたいとも思わないし、贅沢な食事をしたいとも思わないし、高級クラブに行って若い綺麗なネエチャンと遊びたいとも思わないし、いい服を着たいとも思わないし、それに、そういったことは加齢と共に段々と無頓着になってきた。ただ歳をとってくると共に色んなところが悪化してきて医者にかかることが増えてきたのが厄介である。なので医療費が嵩むということ・・・・・・・これだけが想定外である。でも小生は物欲はないが知的好奇心が人一倍強いので、世の中のありとあらゆる書物を読みたいとは若い時から常に考えていた。なので死ぬまでにどれだけの本を読めるかだが・・・・・。最近は目が悪くなったので読書ペースが急カーブをするように落ちてしまい残念である。それ以外だと映画も観たい。オペラも、ミュージカルも、クラシック音楽も聴きたい、ジャズも聴きたい・・・・・・。それと若い頃、絵を描いていたが会社勤めを始めてから中断を余儀なくされた。それ以来ウン10年。また時間があれば絵を描きたいと思う。なので暇がない。古城や寺社巡りもやりたいしなあ・・・・・・・。なので時間がない。死ぬまで飽きないだろう。でも時間がない・・・・・。これが今のところの悩みなのである。
 
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2012.02.04 (Sat)

『小澤征爾さんと音楽について、話をする』小澤征爾×村上春樹を読む

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 対談集を読むことなんてあまりないのだが、これまで音楽について語ることがなかった日本の代表的指揮者小澤征爾と現役日本人作家で最もノーベル文学賞に近いと言われる村上春樹が音楽について語るというタイトルに惹かれて一気に読んでしまった。この対談集は正月に読んだのだけれども、これまで忙しさに翻弄されてブログにアップ出来なかった。だが、このまま記事にしないで放っておくのも勿体ないと考え、今頃になってようやく記事にしたまでである。

 ところで小澤征爾はこの数年、体調が悪く食道癌の手術を受け音楽活動も大幅に縮小するにいたった訳であり、その療養とリハビリテーションの間に少しずつ対談が行われたようである。そこで売れっ子作家で音楽好きの村上春樹が小澤征爾から話を引き出す形で対談が進んでいく。これまで村上春樹は小説を読んでいても音楽の造詣は深いことは判るが、この対談集を読んでみて思ったのは、私の想像以上に多くの数のレコードやCDを聴きこんでいることが判明したのであり、また、それに応えるかのように小澤征爾が色々な裏話を含めこれまで活字ないなるようなこともなかった事まで語っているので実に興味深い対談集であった。

 たとえばカラヤンとバーンスタインとの違い。グレン・グールドのこと。サイトウ・キネン・オーケストラのこと。マーラーの音楽に出会ったときのこと。カルロス・クライバーのこと。オペラとの出会いとブーイング等・・・・・。

 小澤征爾は若い頃、シャルル・ミュンシュやレナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤンに従えた指揮者であり、トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団といったオーケストラで常任指揮者および音楽監督を務め、その後にウィーン国立歌劇場で音楽監督と、その略歴は大指揮者そのものである。一方、村上春樹は『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』等の小説で知られているが、大学を出てからジャズ喫茶を経営していたことは一般的にあまり知られていない。つまりジャズに関しては玄人だしクラシックも同様である。でも本来は我が家からそう遠くない京都の西山光明寺(当ブログでも以前に紹介した)で祖父が住職をしていたこともあるという家庭(高校は神戸高校、大学は早稲田だが)。なので私も身近に感じる作家ではある。数年前にはフランツ・カフカ賞を受賞するなど日本人作家としては今、もっとも世界で名が知れ渡っていることは間違いない。そういった国際的に有名人2人が行った対談である。

 小澤征爾は桐朋学園短期大学を出てすぐに貨物船に乗り込み単身でフランスへ渡り、1959年見事にブザンソン国際指揮者コンクールで第1位を獲得したことは彼の著書に書いてあるが、その後から現在まであまり自らを語ることはなかったので、この対談集で小澤征爾の半生を知ることもできるし音楽に対してのポリシーみたいなものが判り易く伝わってくる。それと言うのも音楽に関しては評論家真っ青ともいうべき村上春樹が独自のとらえ方で小澤征爾からうまく話を引き出している。所謂、プロの音楽家としての小澤と飽くまでも聴き手としてファンとしての村上が語る音楽へのアプローチの仕方が実に面白いのである。

 それと驚いたのが小澤征爾がジャズやブルースが好きだっていうこと・・・・。シカゴの滞在中、週に3日、4日はブルースを聴きにクラブに通っていたらしい。ニューヨークでは黒人のヴァイオリン奏者にハーレムのジャズクラブに連れて行ってもらったとか。秋吉敏子もよく聴いたとも言っている。そして一番驚いたのが1964年、アメリカに来演中だったビートルズの生演奏をシカゴで聴いたらしいが、観衆が叫びまくって音楽が何一つ聴こえなかったと(笑)。また意外と言えば意外だったのは小澤征爾が森進一、藤圭子をよく聴くということ。いや、驚きの連続で、これまで指揮台でタクトを持ってベートーヴェンやブラームス、ラヴェル、マーラー、『エフゲニー・オネーギン』『マダム・バタフライ』を振っている姿しか判らないが、これだけ色々なことを語ると小澤征爾という人間が妙に身近な人として思えるようになってきたから面白い。それと共に村上春樹の音楽好きは筋金入りだという事実。これまで私が思っていた村上春樹像というのも考え直さなければならなくなった。私もこれまでジャンルを問わずに音楽を聴きこんでいたことは自負していたが、この人の聴きこみは想像以上。作家と言う職業柄、自宅にいて音楽を聴く時間を作ろうと思えが作れるであろうが、ここまでジャンルに拘らずに聴きこんでいる人も滅多にいないだろう。とにかく2人とも対談から意外な一面が垣間見られ眼から鱗の取れる一冊であった。
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2012.02.02 (Thu)

今日の寒さは猛烈だった

2月に入った途端に猛烈な寒波がやってきた。ことに今日の寒さは最近では一番寒いかも・・・・。しかし意外にも雪はちらつくが、職場のある付近は積もるほどでもなくホッとした。ただし目と鼻の先にある彦根や米原、長浜は大雪であるから面白い。その影響で新幹線は徐行運転を行っていた模様。

 ところで今日の寒さは猛烈だったが、これは風が強かったせいでもある。とにかく木々が揺れるほどの強風だし、実際の気温以上に寒く感じてしまう。体感温度は間違いなく氷点下である。朝も寒かったが日中もほとんど気温が上がらず、帰宅時になってさらに寒くなった。職場から最寄駅まで寒風吹きすさぶ中をテクテクと歩くが鼻水がとまらない。耳も痛いし手足の指先も痛くなってくる。だが、もし風がなければそれほど寒くはないだろうなとは思う。そもそも私の子供のころはもっと寒い日があった。最近は温暖化の影響か知らないが、毎年、暖冬傾向にあったから今年の冬は格別に寒く感じるのかもしれない。

 ようやくJRの最寄り駅まできたのはいいが、湖西線は豪雪でほぼ不通。東海道線や北陸線も猛烈な雪で新快速がのきなみ運休。普通しか走ってないが大幅に遅れているではないか。結局、35分遅れの電車に乗る。電車の屋根は見事に雪が30㎝ほど積もっている。窓は雪が吹きこんだのだろう。雪のような氷のような塊が窓にへばりついている。こんなの滋賀県に通うようになってから初めてだ。おそらく電車は猛吹雪の中を走ってきたのだろう。一度、ラッセル車が除雪するところを見たいものだが、滋賀県でも今日のような積雪は珍しいらしい。でも、電車に乗って京都駅についたころには窓にへばりついていた雪や氷や氷柱はすっかり溶けていた。やはり滋賀と京都とは違うということを実感する。でも、この寒さはもうころごりだ。まだ明日も寒さが続くと言っているが、そのあとは並みの寒さに戻るらしいのでやれやれである。大阪に通っていたころには、雪で悩まされることも無かったのに・・・・・。ぼやいてもしょうがないが、よくぞこんなところへ職場ごと移ったものだ。滋賀の人には失礼だが、何一ついいところがないのに。いいところって空気がいい。土地が広い。緑が多い。琵琶湖がある。人が少ないぐらいか。裏を返せば店がない。交通の便が悪い。駅から遠い。都市とは距離感が違うのでやたらと歩かされる。もういい加減、疲れて来たなあ・・・・。
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