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2011.09.24 (Sat)

目が充血

 火曜日に目が少し赤かったものの大したことはなかったので気にもしていなかったが、その日の夜中、目が覚めると目やにと涙が出て目がなかなか開けられないので、鏡で見てみると目が真っ赤ではないか。おまけにショボショボするし痒い。それで眼科に行きたかったが簡単に休むわけにもいかず。今日、病院の眼科に行って来た。

 眼圧を計るといって機器の上に顎を乗せて額を付けて、計測する方の目を開けて一点を見つめる。すると風が飛んでくるように眼球に当たる。こうして左右の目の眼圧を計って、そのあとに光を目に当てられて診断を受けた。結局、結膜炎だろうということなのであるが、もしかして、はやり眼の可能性があるので生活面で注意するように言われた。はやり眼とは流行性角結膜炎といって、ウイルスが感染して発症するのである。ということは人に感染する恐れがあり、私生活で気をつけてくれと念を押されてしまった。

 まず、常に石鹸で手を洗い流水で洗い流す。タオル、洗面器は別にし、使用したタオル、洗面器は熱湯を通すこと。非常にきつい時は風呂に入らない。飲酒を避ける。眼帯をすると治癒が遅くなるので眼帯はしないというもので、まあ、随分と面倒なものを背負い込んだものだ。もっともただの結膜炎かもしれないが、結膜炎でも厄介だ。とにかく眼が痒くてショボショボして目やにが出る。目やにが出るとまつ毛にひっついて鬱陶しいし、眼が開けにくい。本当にロクでもない。

 なんでこんなものにかかったのか判らない。小生は目の病気になったことは一度だけある。20代のころに両目が赤くなった。でも眼科に通わず一週間で完治した。この頃は若いし体力もあったから気にもしなかった。でも、今回は加齢しているし、身体の至る所にきしみが出ている。ほうっておく訳にもいかず、耳鼻咽喉科、内科に加えて眼科も暫く通ううことになるのかな。・・・・・・も、けっこう毛だらけ、猫灰だらけだ。

 これによってパソコンを開くのも自粛しないといけないかな。なにしろパソコンを見るということは目を酷使しているようなものだから、ブログ更新もますます出来なくなるなあ。もっとも、このところほとんど更新はしていないが・・・・・・・・・。
EDIT  |  16:46  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.09.21 (Wed)

お騒がせ台風15号

 先日まで沖縄近辺をノロノロと西の方角に動いていた弱い勢力の台風15号が、奄美諸島の近くで急遽Uターンするや今度は真っ直ぐ北東の方角へ進み出し、それと伴って勢力を増して今朝、日本列島に近付いてきた。でも電車は動いている。気は乗らないが出勤しなくてはならない。近畿に最も接近するのがお昼頃だと言っていた。それでそれまでに職場に行こうと早目に家を出た。いつも通り仕事に向かう人が歩いているが、電車に乗ってから気がついた。どうも高校生がいない。この時間帯は高校生が多数乗っているものだが、1人もいない。どうやら暴風波浪警報が出ているようだ。それで学校は休校になったのだろう。台風が来ると学校が休みになるので高校生は喜んでいるだろう。でも社会人はそうはいかない。生活がかかっているし、簡単に休むわけにはいかない。だから台風なんて迷惑以外のなにものでもない。たとえ警報が出ようが交通機関があれば出勤しなくてはならない。いっそのこと電車が完全に停まってくれれば出勤のしようがないが、今日のように朝から平常通り動いていると出勤しなくてはならない。それも、これから台風が接近するというのに。電車に揺られ滋賀県のとある駅に着く。すると周辺は激しい雨が降っていた。バス停の前は傘をさした人が長い列を作ってバスを待っていた。ずぶ濡れになりながらも。あーあ、ここまでして出勤しないといけないのか。といっても仕事には予定というものがあって締切期日までに間に合わせないと、その分、どこかで取り返さなくてはならない。それが休日出勤にもなるし、残業をする羽目にもなる。それなら台風が来ようが無理をしてでも仕事を消化した方がいいということで、みんな出勤するのだろうが・・・・・・この悲しい雇われている人たちの性・・・・・虚しいねえ。

 結局、お昼頃、確かに強風が吹いて雨も激しく降り続いていた。でも社内のコンクリートの建物の中に居ると外がどうなっているのかさっぱり分からない。午後2時頃に静岡県の浜松に上陸したという。それで関東を夕方から直撃ということで東京の方は大変な模様。こちらは何事もなく台風が去っていったから、帰宅時は涼しかった。いずれにしても
今年は台風もよく来るし、巨大地震もあったし、自然災害に矢鱈と見舞われる年のようだ。まあ、どちらにしても有り難くはないが・・・・・。もう今年はこれで最後にしてほしいものだ。


 
EDIT  |  20:18  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.09.19 (Mon)

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展に行く

P1020476.jpg


 もう立秋も過ぎたというのに何時までも暑い。南の海上で台風が二つも居座っているから熱い大気ばかりが漂っていて、そこへ湿気まで齎すからよけいに暑いのだろうな。また沖縄近海に停滞している台風が、今週には北上と共に東へ進路を変えるという。またまた招かれざる客が来るのか・・・・・うんざり。

 さて、今日は京都の岡崎にある京都市美術館に行ってきた。目的はフェルメールといいたいが、こちらはどうせ行列してなかなか入れないだろうから、同じ美術館で開催している『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』を観に行くためである。

 暑い中、10時前には美術館に到着。案の定、『フェルメールからのラブレター展』は大行列。待ち時間・・・・・不明。皆、朝の何時から並んでいるのだ。こちらはテレビで特集番組を放送したぐらいだかすごい人気だ。何しろ世界で30数点しか油絵がないという寡作の画家フェルメールの『手紙を読む青衣の女』が修復後、本国オランダより先駆けて京都で世界初公開されるとかで、かなりの遠方からわざわざ観に来ている人もいるという。そこへ他のフェルメールの絵を2作品、そして同時代のオランダの画家ピーテル・デ・ホーホ、ヘラルト・テル・ボルフ、ハブリエル・メツー等も展示されている。とはいうものの展覧会としてのボリューム感に欠けるのでは・・・・・・・。とにかく昨今のフェルメール人気は物凄い。そういえば私が若い頃にもフェルメール作品が他の画家の作品に混じって本邦初公開されたことがあったが、あの当時はこれほど人気がなく、館内は結構空いていたというという記憶がある。その後、フェルメールの価値が急騰したというしかないだろう。いや、本当にすごい行列だ。

 こうしてフェルメール展に入ろうとする長蛇の列を尻目に、私は『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』の会場に入った。でも、こちらの方も大入りだったが・・・・・。ところでワシントン・ナショナル・ギャラリーという美術館は名前の通りアメリカのワシントンDCにある国立美術館である。アメリカ、いや世界でも屈指の美術館であるが、私はこの美術館が誕生した経緯について少しばかり興味があったので、訪れてみたということなのだが・・・・・。

 ナショナル・ギャラリーは国立の美術館ながら、1人の富豪がその誕生に関与している。それはアメリカの資産家であるアンドリュー・メロンである。アンドリュー・メロンは1855年に銀行家トーマス・メロンの長男として生まれたが、父とは関係なく材木事業で成功し財を成し、父親の銀行事業に参加。そこから手を広げ石油、鉄鋼、造船、建設業界にも事業を展開し1890年代にはとうとうジョン・ロックフェラー、ヘンリー・フォードと並んでアメリカ三大富豪と呼ばれるようになるのである。その後、政界に進出し財務長官として所得税減税、公共支出削減等の経済政策を実施し、一応の成果を上げ、世界大恐慌の後に辞任。その後、駐イギリス大使として英国生活を送る。ところが、この英国時代にロンドンのナショナル・ギャラリーを訪れ、その威容さと大量の美術品の所蔵に感激。かねてから美術収集家でもあったアンドリュー・メロンは母国アメリカにも国立美術館を造りたいと思うのである。こうしてアンドリュー・メロンは自己の所有する美術品と現金1000万ドルを寄贈。これを基に首都ワシントンDCに国立美術館(ナショナル・ギャラリー)を建設することとなる。こうしてナショナル・ギャラリーは建設が始まるが、完成を見ずしてアンドリュー・メロンは1937年に亡くなってしまう。

 アンドリュー・メロンは亡くなるが、その意志を継いだのが長男であるポール・メロンであった。ポール・メロンは1907年生まれで父アンドリューが亡くなった時、ポールは30歳だった。エール大学を卒業し銀行には半年務めただけで金儲けに奔走した父と違い若い時から芸術、文学の方に興味を持ち、その後にイギリスに渡りケンブリッジ大学に入り文学士の学位を得て、さらに大学院修士号の称号をも得ている。そして30歳で父の莫大の財産の相続人となり、彼はもっぱら膨大な大金を使う方に奔走したという夢のような生活を送るのである。

 結局、ポール・メロンが親の意志を継いでナショナル・ギャラリーを完成させたのである。それからというもの、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、その後、美術愛好家の寄贈によって所蔵数が増加していったという興味ある美術館となった。それで今回は日本初公開となるゴッホの自画像を始め、主に印象派登場までと印象派以降まで網羅して展示されていた。コロー、クールベ、ドービニー、デュプレ、ブーダン、マネ、バジール、ピサロ、ドガ、シスレー、モネ、ルノワール、カイユボット、ピサロ、カサット、ゴーギャン、ロートレック、シニャック、セザンヌ、スーラといったお馴染みの画家ばかりの展示であったが、こういった主に19世紀の絵画だけでもこれだけの所蔵品があるワシントン・ナショナル・ギャラリーの実力を垣間見た気がした。

 ところで、私が何故これだけアンドリュー・メロンとポール・メロンのことを書いたかというと、高校生の頃にポール・メロンの名を知ってメロン家について調べたことがあったからだ。実は私は高校生の頃、競馬に夢中になっていて、日本の競馬だけでは飽き足らず、ことにヨーロッパ競馬に興味を持ちだしたのであった。それでMill Reefという一頭の名馬の出現により、ポール・メロンの名を知ることとなるのだが・・・・・・・。実際にポール・メロンは資産が30億ドルから50億ドルあるといわれ、石油、鉄鋼、エレクトロニクス関係の一流会社の株、ヴァージニア州、西インド諸島の保有地に散在する広大な別荘用地、ニューヨークとワイントンにある貸しビル、莫大な絵画のコレクションを所有していた。そしてアメリカとヨーロッパに繋養している100頭前後のサラブレッドとシンジケート組織にある種牡馬の株を有し、競馬にも惜しまず資金を投入した。つまりポール・メロンは美術愛好家でもあり、競走馬のオーナー・ブリーダーでもあった。潤沢な資金でヴァージニア州のアッパービルにロックビー牧場を持つ。「売り家と唐様で書く三代目」という川柳があるが、日本では大金持ちは三代以上続かないというのが相場だが、ポール・メロンも三代目である。アイルランド移民の祖父トーマス・メロンはピッツバーグで銀行を設立。南北戦争後の復興景気の波に乗り成功。その息子アンドリューのことは書いた。そしてポール・メロンである。ポール・メロンは大馬主となり、自国アメリカでアーツアンドレタース、フォートマーシー、シーヒーローと言った一流馬の馬主となったが、競馬界で彼の名を有名にしたのは1968年にロックビー牧場で産まれたミルリーフによってである。

 アメリカ産のミルリーフは競馬の母国イギリスでデビューする。1970年2歳のときに新馬でデビュー。翌年、1971年にイギリスのダービー、キング・ジョージ6世&クィーン・エリザベスS、凱旋門賞と勝ちまくり、1972年に引退するが通算14戦12勝2着2回という準パーフェクトの成績を残し、当時において1年先輩の三冠馬ニジンスキーよりも上の評価をされたものである。ミルリーフは種牡馬としても成功。直仔からはイギリス・ダービー馬のシャーリーハイツ、リファレンスポイント、フランス・ダービー馬のアカマス。その系統からは日本でもイナリワン、オサイチジョージ、ミホノブルボン等を輩出している。つまり20世紀屈指の名馬と言われた

 そういった事情もあって、メロン家が造った美術館がワシントン・ナショナル・ギャラリーであるという現実。そういった興味も手伝って長々と書かしてもらった訳なのであるが、結局、メロン家の話ばかりで肝心な展覧会のことはほとんど書かなかったかな。まあ、これも御愛嬌とかでお許しください。



EDIT  |  17:05  |  美術  |  TB(1)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.09.15 (Thu)

へとへとでございます

先ほど帰宅したところである。

忙しいというのでもないのに残業とは・・・なんと不可思議な会社だろうか。おかげさまで田舎だし、こんな時間帯にバスはほとんど走ってないから、くそ暑い中3キロもの道のりをテクテク歩いて最寄り駅まで辿り着いたら汗塗れ。駅の自動販売機で冷たいペットボトルのお茶を買ってがぶ飲みしてしまったではないか。いったい何のための残業なのか? バカみたい。
EDIT  |  22:08  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.09.12 (Mon)

・・・・・・・まだまだ暑い・・・・

 仲秋の名月。今夜は満月であるが、これだけ暑いと気分が出ない。一週間前ノロノロ台風がやってきて記録的な雨を降らせ、そのあとの数日は涼しかったものの、それ以降、全く雨が降らずだんだんと日中の気温が上がってきて、ここ数日は真夏並み。夜も熱帯夜に逆戻りで秋の入り口に来て夏がぶり返してしまった。これだと暑くて寝れやしない。おかげで毎日、寝不足気味だ。

 ・・・・・・早く涼しくなってくれないかな。
EDIT  |  20:36  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.09.05 (Mon)

4日ぶりの青空

 まことに迷惑な台風がようやく去って台風一過かといいたいが今朝も雨だった。一昨日の午前中に四国東部に上陸したが、四国を抜けるのに7時間以上を費やしたという。その後、岡山県に再上陸して日本海に抜けるまでどれだけの時間が経過したことか。その間、紀伊半島を中心に各地に大量の雨を降らせた。結果、水害が続出して、日本海に抜けてからも雨が断続的に降り続き、今日の昼過ぎまで空はどんよりと厚い雲に覆われ、雨が時々降っていた。まあ、なんとも執念深い台風かと思った。さらに温帯低気圧に衰えても、今度は北海道に大量の雨を降らそうとしているのだから困ったものだ。

 9月は台風のシーズンだが、9月の入り口に来る台風はまだ夏台風の様相だから、強い高気圧に阻まれて行く手を塞がれてしまい、今回のように長い間、とどまり甚大な被害になったようなものなのであろうが、これが秋台風のような猛烈な台風だったら被害はさらに増していただろうと思える。でも台風シーズンは始まったばかり。これから1ヶ月以上、台風から目を離せない。これから発生する台風の方が強烈な台風が多いから油断はできないということなのだが、台風の進路を変えることは我々人類には不可能。やってきたならそれなりの対応で身の安全を保つしかできない。ただ、願わくば日本から逸れてくれればいいのだが・・・・・・・・・・・。

 今日の仕事帰り、ようやく雲の合間から青空が見えた。やっぱりスカッと晴れてくれる方が気持ちいい。それに、これだけ雨が降り続くと気が滅入るものなんだなと痛感したが、それに反して、涼しさを持ってきてくれたのは有り難い。ただ本格的な秋は、まだまだ先のようだが。
EDIT  |  21:02  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.09.03 (Sat)

ノロノロ台風通過中

 せっかくの土曜日、台風が通過中。何とも迷惑な台風である。さほど強い台風ではないが、時々、強い風が吹くから厄介である。それに雨が伴うから出かけるわけにもいかない。雨が降ると傘が必要になる。でも傘をさして歩いていると突然の突風によって傘が松茸のようになり、傘の骨が折れてしまうのでどうしようもない。さっさと台風が通り過ぎればいいのに、まるでジョギング並みのスピードで台風が北上しているので、なかなか突風がおさまらないから誠に困ったのものである。もう2日間、風が強く雨も降ったり止んだりという状況に変化はない。今日、昼前にやっと高知県に上陸したというのに、3時間経過しても未だに四国を抜け出してないというから過去にお目見えにかかったほどのないノロノロ台風だ。雑用を済まそうと思っていた土曜日なのに迂闊に出かけて行くにも行けず、無駄な一日を家の中で過ごしてしまいそうだ。まさに招かれざる客といえそうだが、なんでこんなに進行が遅いのかというと、強い高気圧が東と北に居座り台風の進路が阻まれているからだという。また西から東に流れるジェット気流が日本上空に流れているものだが、今年は北の方に気流があるため台風も東の方へ行かないという。それでゆっくりゆっくり北上しているということなのだが、こんな台風、過去にあまりお目にかかったことがない。

 あーあ、これで貴重な休日の土曜日が潰れてしまった。来週の土曜日は出勤だし、今日こそは溜まっている用事を済まそうと考えていたのだが、お天気ばかりはどうすることもできない。しかしよりによって土曜日に合わせて台風が来なくてもいいのにと空を仰いで憤慨しながら燻っているのである。
EDIT  |  15:35  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
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