2010.02.28 (Sun)
中山記念、阪急杯
ところで昨日の夕方、五輪フィギュア女子の演技を観て不愉快になったという記事を書いた途端、大変な人の数が当ブログに訪れた。その日のうちに193名の方が訪問されたの驚いている。193名という数字は人気サイトにとっては少ない数字だろうが、このブログは人気ブログではなく、毎日、20人~40人ほどの人しか訪れないというマイナーサイトであることを考えれば、この記事の反響の大きさに驚愕した次第である。
おそらくほとんどの人は昨日の記事のタイトルに惹かれて訪問された方が多いのだと思われる。タイトルは少しばかり過激だったかもしれないが、同調してくれた人も多かったように思う。何故なら拍手マークにクリックしてくれた方も多数いられたようであるからだが、同調できなかった人もいらっしゃるのは十分、承知しているつもりである。とはいえ、記事に対してはまだ言い足りなかったと思っているぐらいだ。
ところで日本人がキム・ヨナの点数が高すぎるという声が多いのに対し、韓国では浅田真央の銀メダルは妥当しないという声が多いということも付け加えておこう。浅田真央のフリー演技で最後の方に、スケート靴を氷にひっかけてつまずきかけた時があったが、こんな演技なのに浅田真央の得点は高すぎるというのだ。でも浅田真央の演技に対して審判団はきっちり減点しているし、ノーミスではないからあの考えられない得点差に繋がっているのだ。しかし、キム・ヨナは3回転と言いながらも実際に1度は2回転半しかジャンプしていないのに、回転不足として減点されるどころか加点されているからおかしいという専門家が多数いる(海外メディア)。このように考えると、海外での世評も気にせず、また相手を讃えることなど一切しない韓国メディア、ファンの厚かましさはあきれるばかりで、自画自賛もいい加減にしてほしいと言いたくなる。中国といい韓国といい近隣の国の人は、なんでもっと謙虚になれないのか・・・・それに比較すると本当に日本人は奥ゆかしいねえ。でも日本人で良かったよ・・・・・・。
なんだか競馬の話をせずに昨日の続きのようなことを書いてしまった。それで今日の競馬は結果だけ記すことにする。
中山 中山記念(G-Ⅱ・4歳以上、芝1800m、16頭)
1着トーセンクラウン 1分51秒7、2着テイエムアンコール 5馬身、3着ショウワモダン クビ、4着セイクリッドバレー ハナ、5着ドリームサンデー 1馬身1/2。
阪神 阪急杯(G-Ⅲ・4歳以上、芝1400m、16頭)
1着エーシンフォワード 1分21秒4、2着ワンカラット 1馬身1/2、3着サンカルロ ハナ、4着トライアンフマーチ 1馬身1/4、5着テイエムアタック 1/2。
2010.02.27 (Sat)
五輪女子フィギュアを観て不愉快になった・・・
そこで思ったこと・・・・・何処がそんなに素晴らしいの??? 確かにフィギュア・スケートの要素であるスピード、ステップ、スピン、ジャンプどれをとってもノーミスであり、演技の構成も良くて、選曲とスケーティングも合っているし、表現力もあるから見栄え点が加点されたというが、世界史上最高得点という高度な値には届いていないような気がした。もっとも私は昔から人が採点する競技は嫌いで、女子の体操も含めフィギュアの採点方法がさっぱり判らず、いつしか観なくなったのだが、相変わらず不可思議なほど高い点数がつく選手がいるのだと再確認するにいたってしまった。
今回、キム・ヨナの演技にケチをつける訳ではないが、ジャンプで4回転を跳んだのでもなくて3回転半も跳んでない。キム・ヨナが跳んだのは3回転である。この3回転ジャンプというのは上位の選手ならほぼ跳ぶだろう。でも彼女の点数は異様に高い。高すぎる。あとのステップ、スピン、スピードは1級品だろうから高得点になったのは納得するが・・・。だが2位の浅田真央との比較でいうならば、フリーの演技だけで18点以上もの差がつくものなのか・・・・・この点数を見て審判団に疑惑の目を向けたくなった。キム・ヨナは全体的には優勝するだけの演技をしていただろう。とにかく全選手の中では最も優れていたことは確かである。でも驚異的な点数を叩き出した要素は何かあるはずである。表現力か・・・・・。妖艶な容姿と流し目か・・・・。それとも彼女の仕草か・・・・。これらも含めて加点されるなら子供っぽい浅田真央なんか敵うわけはなかろう。でも危険な3回転半を浅田真央が2度跳んで成功させても、この点数差では何の意味もないだろう。いいたくはないが最初から出来レースだったのではと疑いたくなる。採点は審判員9人で行なうらしいが、今回の女子フィギュアではショート・プログラム、フリー共に、異様に高得点を出したキム・ヨナと3位になったロシェットの2人の母国である韓国とカナダの審判が、その9人の中に入っていたという。当然、日本の審判員は含まれていない。これはおそらく政治力というものが裏で加わっているのではないかと勘繰りたくなる。
正当な採点を審判団がやってないとはいわないが、誰もが観てもあれほどの点数の開きはないはずだ。だからキム・ヨナの演技が終わった段階で、もう次の演技者・浅田真央がどれだけ完璧な演技をして、3回転半を跳ぼうが4回転を跳ぼうが既に逆転は不可能であったという事実がある。キム・ヨナが世界史上に残る演技をしていたのなら納得するが、観た限り首を傾げたくなってしまい不愉快になってしまったのだ。過去、私はペギー・フレミング(グルノーブル金メダリスト)の頃から、女子フィギュアは知っている。だが、キム・ヨナが今回出した高得点は、過去のドロシー・ハミルやカタリーナ・ヴィット等、比較しても飛びぬけている。
私はけして国粋主義者でもないし、ナショナリズムなんて大嫌いだから、浅田真央が何位になろうが最初から興味もなかったので、気にもしていなかったのだが、今回のフィギュアを観て胡散臭さばかりが残ってしまった。ああ。もう2度とオリンピックなんて観ないことにした。観なくても新聞は書きたてるし、テレビでは朝から晩まで報道するから、どうしても観てしまうことになるが、何だ韓国のあのバカ騒ぎは・・・・国家挙げて騒ぐほどのことか。これだからオリンピックやワールドカップは嫌いなのだ。
2010.02.25 (Thu)
暖かすぎる・・・
小生が毎日、通っている湖国は近畿の豪雪地域である。でも昨年は異様な暖冬で職場の近辺は積雪しなかった。これは非常に珍しいことだと地元の人は言う。今年は昨年よりは寒くて積雪も見られた。だから年々、暖冬化傾向にある中で、今年の冬は平均的な冬であったかもしれない。実際に毎日、駅までの帰路を歩いていても厳しい寒さが身に降り注いでいる。それで駅に向うまでの途中に、電光の温度表示板があって、その数字を毎日見ながら、今日は寒かった、今日は暖かかったと確認し納得するのだが、つい10日ほど前は2℃、3℃という表示が当たり前で、朝なら0℃といった数字もお目にかかれたものである。ただしここの温度表示は氷点下の表示がなく、それで0℃よりも低いと、すべて0℃として電光表示板では表示されないのだ。なので、実際には毎日、朝は氷点下だったのだろう。とにかく朝の冷え方は慣れない人にはとても堪える寒さである。
なのに今日の温度表示板は16℃という数字を示しているではないか。何と10日ほど前の気温と比較すると14、5℃は違う。日本各地も異様に気温が高い状態は続いている。奈良では23℃ほどまで気温が上昇したという。夏日、一歩手前の温度である。また関東では春一番が吹いたというから、春も近いのだろう。でもまだ2月なのである。このまま、すんなり春がやってくる筈がない。寒の戻りは絶対にあるはずだから・・・また、春に向って一歩前進、二歩下がるといったような足踏み状態が続くだろうし、今週に入ってからの気温上昇には驚きながらも、気にもしていないのだが・・・・・。結局は『早春賦』の歌詞ではないけれど、~春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと声も立てず
というように春とは名ばかりで風は冷たく寒さを感じる今の季節なので、頬に触れる風は冷たいはずであったが、昨日、今日といった暖かさは春を越えて初夏を感じさせる。やはり異常かも・・・・・。今日の帰り歩いていると汗ばんでしまった。まだ2月なのに、奈良東大寺二月堂のお水取りも終わってないというのに、なんていうことだ。着ていく服にも困るが、電車の中の空調も調整が難しいだろう。
とにかく桜が開花してしまいそうな温かさの中で戸惑うのだが、こんな眠くなるような暖かさの日は僅かしかなく、しばらくするとジトジトと湿気のある梅雨があるし、その直後の酷暑が憂鬱になってしまう。だから行く冬は惜しまないけども、春は出来る限り長く長く存在感を示して欲しいと思う。5月に入るなり30℃を越す真夏日があったりするから、今の間に楽しんでおこう。とにかく真夏日になると、何のやる気も起こらなくなって、ただ暑い暑いとだらけているだけだから、やはり春はありがたき存在である。それが最近は春が短くて、冬から一足飛びに夏がやって来るといった印象がある。もはや日本の大部分の地域で四季を感じ取れなくなっている。そう考えると、確実に地球温暖化の影響が及んでいるのだということが判るので・・・・・・・何か侘しいなあと、年々その思いが強くなっていき、産業優先の顛末から、やがて地球は取り返しのつかないところまでいってしまうのかもしれない。
2010.02.24 (Wed)
トニー・ベネットを聴く

小学生の頃であるが、ラジオから魅惑的な男性の声で歌われる曲が流れていた。
I left my heart in San Francisco
High on a hill it colls to me
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars
The morning fog may chill the air I don’t care
My leve waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you
San Francisco
Your golen sun will shine for me
スローバラードの印象に残る曲であった。それで中学生の姉に何という曲なのか聞いてみた。姉は「トニー・ベネットの『霧のサンフランシスコ』」と言った。それ以来、私の中でトニー・ベネットは大人の雰囲気を持つ魅惑的な声の歌手というイメージが焼きついてしまったのである。
トニー・ベネットは1926年にイタリア移民の子供としてニューヨークで生まれ、1950年にコロムビア・レコードと契約して歌手としてデビューし、数々のヒット曲を出したアメリカ・ポピュラー界の大御所であることは、今さら言うまでもないが、私が少年時代に聴いた『I left my heart in San Francisco』の印象が余りにも強くて、トニー・ベネット=『霧のサンフランシスコ』という認識でしかなかった。この曲は300万枚以上のミリオン・セラーになったのだから、トニー・ベネットの代表作に違いないのだが、それ以上にトニー・ベネットとこの曲が切り離せなくなったことは確かなようである。だから私なんかはトニー・ベネットは一発屋歌手だと長い間、思い込んでいたぐらいである。でもトニー・ベネットは1950年にデビューしたときの歌『Bulevard of Broken Dreams』がいきなりヒットして、若くして歌手として認められている。その後1952年に『Because of You』でミリオン・セラーを記録、さらに『Cold, Cold Heart』はゴールド・ディスクとなるヒット。その後も、『Rags to Riches』がゴールド・ディスク、ボロディン作曲の歌劇『イゴーリ公』の~ダッタン人の踊りのメロディーに詩をつけた『Stranger in Paradise』を歌って大ヒットと『霧のサンフランシスコ』を歌う以前から大物歌手として歌ってきているキャリアも何も私は当時、知らなかったのだが、あの甘い独自の声を初めて聴いたときから、当時、流行りつつあったロックビートな曲とは一線を画す大人の歌があるのだということを子供心にも覚ったものである。
『霧のサンフランシスコ』の大ヒットから、数年後、トニー・ベネットは映画『いそしぎ』の主題歌を歌って再び登場。この頃には、トニー・ベネットが一発屋ではないということを知ってはいたが、それ以上のことは知らなかった。それからまもなくアメリカ・ポピュラー界の王道を行く歌手というものは、このような人を言うのかと納得したものである。そのようなきっかけから私は、当時よく聴いていたビートルズを始めとするリバプール・サウンド以外でもトニー・ベネットの曲はよく聴くようになっていた。
そんな頃だろうか、トニー・ベネットが初来日した。中学生だった私は当然、トニー・ベネットの公演など行けるはずもなく、その後も、トニー・ベネットは何度か来日しているが私は残念ながら、一度も生のコンサートに行ったことがなく現在に至っている。それから間もなく、大ヒットした映画『ある愛の詩』の主題曲をトニー・ベネットが歌って、この曲もヒットする。これ以降、私は海外のポピュラーを聴かなくなってしまうのだが、その後もトニー・ベネットは歌手生活を続けているようで、円熟の域から枯淡の境へとさしかかり、4年ほど前には生誕80年の記念アルバムをリリースしたのだが、その共演者が錚々たるメンバーである。ポール・マッカートニー、バーブラ・ストライサンド、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ジェームス・テイラー、エルヴィス・コステロ、セリーヌ・ディオン等・・・・・・。
こうして今年84歳になりながらも歌い続けているトニー・ベネットであるが、私は小学生の頃に聴いた、あの『霧のサンフランシスコ』の印象の間々、甘い歌声と共に私の心の中に生き続けているのである。
アンディ・ウィリアムズと共演するトニー・ベネット・・・・シティ・メロディを歌う
2010.02.22 (Mon)
暖かい
でも、まだ啓蟄には早いだろう。一時的な暖かさであろうが、このところ寒い日が続いたので、今日のような春を思わせる日はありがたい。比叡山は霞んでいたし比良山系は見えなかった。空気が澄んで晴れた日は湖西の山々の稜線がくっきりと浮かび上がるのに、今日は見事な春霞である。小生のいる職場は丘の上にあるので、湖面が見渡せるし、湖の向こう側に聳える山々も扇のように壁を作っている。その麓の町並みもかすかにだが見えている。まあ、何と自然環境の恵まれたところであろうか。山を切り開いて造成したところに職場があって、この丘の上に来るまで田んぼの中を毎日歩いているから季節の変わり目を感じることは出来るのだが・・・・。やはり便利の良い都会にいる方が何かと都合がいいし通勤時間がかかるから引っ越せばと言われても引越しする気は毛頭ない。
もう田舎の職場に通うようになって、まもなく2年になろうとしている。実に早いものである。とはいうものの一向にこの地域には慣れないなあ。どうせ、また寒の戻りがあるだろうし、湖国の冬はまだ終わったというのでもない。そういえば踵に皹がいって痛くてしょうがない。乾燥肌なのか皮膚がガサガサである。手も荒れているし毎日長い距離を歩くので、靴の底の減り具合も早い。本当に良いことは何もないのか・・・・・・。と自問自答してみるが、毎日、30分以上、連続で歩かされるので少しは健康的になったかなあと思ってはいるのだが、それにしてはこの方に通うようになってから、ずっと医者通いしているのはどういうことなのだ・・・・。それに歯医者にも行きたいのだが、通勤に長い時間がかかるから、予約しても指定された治療時間に間に合わないという悲しさである。もういい加減に嫌になってきた。
・・・・何やらまた愚痴っぽくなってきたので、今日はこの辺りでおしまいにするとしよう。
2010.02.21 (Sun)
第27回フェブラリーS
それで東京競馬場で行われた第27回フェブラリーS(GⅠ・4歳以上、ダート1600m、15頭)であるが、ダートのGⅠだけども今回はグラスホースが多数参戦してきた注目されたのである。芝のスプリナターであるローッレルゲレイロ。ダービー2着のリーチザクラウン。それにレッドスパーダ、スパーホーネット。でもダートだとどうかという問題がある。はたして結果は。
人気はダートで10戦8勝というエスポワールシチーが断然の人気で、以下、サクセスブロッケン、リーチザクラウン、ローレルゲレイロ、テスタマッタと続いた。
いよいよスタートである。好スタートからローレルゲレイロがおして先頭を奪う。流石に芝のスプリンターである。スピードが違う。レッドスパーダ、エスポワールシチーもダッシュがいい。ローレルゲレイロ先頭。エスポワールシチー2番手、レッドスパーダ3番手。ダイショウジェット、サクセスブロッケン、ケイアイテンジンが続き、ザレマ、スーパーオーネット、トーセンブライト、リーチザクラウン、テスタマッタと固まって追走。さらにスーニ、グロリアスノア、ミリオンディスク、ワイルドワンダーが一団で後方に待機。先頭から殿まであまり差がなく、3コーナーへかかり馬群が固まってきた。早くも4コーナー、先頭はローレルゲレイロ、2番手にエスポワールシチーで直線に入る。先頭はローレルゲレイロ、その外にエスポワールシチー、あと400m、ここでエスポワールシチーが早くも先頭に出る。あっという間に2番手以下を突き放す。2番手にサクセスブロッケン、テスタマッタも進出。上位は完全にダート馬ばかりになった。あと200m、完全にエスポワールシチーが先頭。リードは4馬身。2番手はサクセスブロッケンかテスタマッタか。テスタマッタが2番手に上がる。でも先頭はエスポワールシチー、完全にリードを奪い、最後は余裕残してゴールイン。
1着エスポワールシチー 1分34秒9、2着テスタマッタ 2馬身1/2、3着サクセスブロッケン 3馬身1/2、4着ケイアイテンジン 6馬身、5着グロリアスノア 1馬身1/2。
エスポワールシチーの圧勝に終わったが、次走はドバイで走るというが、この馬がダートのレースで、どこまで通用するか観てみたいという気もする。それにしても芝の一流馬でおダートのレースは慣れないのか厳しいものがあったようだ。ローレルゲレイロが7着。リーチザクラウンが10着。レッドスパーダが12着。スーパーホーネットは殿大敗となった。われわれはどうしても芝のレースばかりに目がいきがちだが、ダート馬は、ダートの世界だと芝の一流馬も寄せ付けないのだから、やはり凄いといえるだろう。でもそれらを乗り越える馬がいてこそ競馬は面白くなるのだが・・・・・・。
2010.02.20 (Sat)
土曜出勤
今日なんか土曜日であるからして電車の本数が少なくて大いに弱った。とくに京都駅から電車が極端に少なく、おかげで京都駅で長々と寒い中を待たされた。ホーム上の人もまばらである。土曜日の早朝から出かける人などほとんどいないだろう。すでに沿線にある大学は休みに入っているし、そのせいで電車内も空いていたから座れたが、みんな眠そうな顔をしている。何時もならウジャウジャいる高校生も土曜日ともなると少ない。ことに近江の国は私立高校が非常に少なく、公立高校の生徒は休んでいるから、車内も閑散としていた。でも公立高校は休んでいるのに、私立高校は毎週の土曜日でも登校しているのか・・・・。これだと公立高校と私立高校では、年間の授業時間に相当の差があるように思うが、これで公立高校は大丈夫なのか・・・。他人事ながら心配になってきた。だが、進学校といわれるところの公立高校の生徒は、おそらく予備校や塾に通っているのだろうから金のかからない公立に通っても、結局は私立に通わせるのと変わらないほどの金がかかるのではとも思ってしまう。大学全入時代といっても、出来る限り有名な大学に入ろうと思うとやはり時代を問わず狭き門なのだろう。こちらとしては遥か大昔のことだが、受験生だった時代を思い出してしまった。
やがていつもの駅に到着。ここから職場までバスなのだが、土曜日だからバスの便が皆目ない。あーあ、ここでまた寒い中を待たされて、ようやく職場に到着。・・・・ほんとにロクでもない。こんな按配だからやる気が出るというのでもない。・・・・・眠くて寒くて、どうしようもない。それに出勤したのはいいが、ずいぶん休んでいる人が多いではないか・・・・。ますますやる気が失せてしまった。
それで、どうにか無事に仕事を終え帰宅したのだが、いったい何のための出勤だったのだろうか。これで今日、済ませる筈だった用事が出来なくなってしまった。ホントに宮仕いは辛いねえ・・・。ということで今日もこれといった記事は書けなかった。
2010.02.18 (Thu)
またまた、書くことがない・・・
今日、バンクーバー・オリンピックでスノーボード男子のハーフパイプが行なわれ、注目の国母和宏選手が出場した。結果は日本人選手の中では最高の8位で、一応、面目を保ったといえよう。とはいえ、気に入らない人も多かろうと思う。国母選手は9日の日に日本選手団の一員として成田空港から出発する時、日本選手団の公式スーツを着崩したとして、糾弾され強制送還だとか、出場させるなといった声まであがっていた。結局は本人に謝罪させ、今回の出場となったのだが・・・・・・。彼は公式スーツのズボンを一部の若者の流行である腰パンという穿き方にして、Yシャツをの裾をズボンの外に出し、ネクタイを緩めだらしないスタイルで現れ、それがテレビを見ていた人の心象を悪くしたのだろう。抗議が日本オリンピック委員会に殺到したという。
うん、確かにこんな型破りの奴は過去にはいなかっただろう。日本ではスポーツマンらしくという思いが一般人にはあるし、日本を代表していくのならという国民の目もある。だから国保選手のだらしない格好はけして褒められたものではない。それで小生はどう思うかって・・・・・・。小生はどうでもいいという感想を持っている。
確かに公式の場で、公式のスーツを着崩したというのは前代未聞ではあるが、こいつに良識を求めるのは酷であろう。所詮はモラルが欠如した今時の若者となんら変わらないからである。つまりおつむの弱い奴がオリンピックの代表になってしまったから、何を言っても始まらないのである。世の中の社会モラルというものが、彼の通念にはないからであって、4歳の時からスノーボードを始めて、11歳でプロとして大会に出まくっていた彼には、おそらく世の良識というものが著しく欠如している可能性もある。要は勝てばいいのだといった安易な考えで横綱にまで駆け上がった朝青龍と似ているかもしれない。連中に品格を求めるのは酷だろう。もし品格を問われるのなら、代表に選ばなければ良かったのだ。彼は以前から問題児だったはずである。おそらく日本のメダル候補だからという理由で、代表から外せなかったのだろう。今さら良い子ぶってもらっても困る。亀田兄弟にも言えるがヒールは最後までヒールであってくれ。だから今回の問題はどうでもいい。国母選手もある年齢になるとどうせ判るようになるだろうし・・・・。
話は変るが藤田まことが亡くなった。大動脈破裂だという。一昨年の5月に食道癌の手術を受け、いったん復帰したが、昨年11月に慢性閉塞性肺疾患で休養し、一昨日の夜、吐血し病院に運ばれ、昨日の朝、亡くなったという。藤田まことというと、私の世代では『てなもんや三度傘』の印象が非常に強く、「俺がこんなに強いのは当たり前田のクラッカー」「耳から手突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか!」といった台詞を小学生の時、よく真似したものだ。毎週、日曜日の夜6時になると『てなもんや三度傘』を観るのが楽しみで、よく笑い転げたものだが、今の笑いは質が変わってしまって正直、私には観ていても笑えない。だからテレビも観なくなったのだが、『てなもんや三度傘』関西の笑いが全国的に認知されていた頃のお化け番組であったが、笑いにも計算された上品さがあった。それに比べると昨今の吉本はやや品性に欠けてないだろうか・・・・・。ただギャグを連発するだけで、会場は大笑いの渦のようだが、あれで笑える人も羨ましい。皮肉屋の小生としては何処が面白いのか判らないような芸人が最近は多すぎてテレビからますます遠ざかるばかりである。あーあ、昭和はますます遠くなりにけり・・・・・。
2010.02.16 (Tue)
何も書くことがない
さっき帰宅してテレビをつけてみたら、バンクーバー・オリンピックのスピード・スケート男子500mで日本人選手が銀と銅を獲ったと報道していたが、オリンピックにはあいにく興味がない。興味がないというより興味がなくなったというほうが適切ではある。私は1964年のインスブルック・オリンピックのころから冬季オリンピックの記憶はあるが、あの頃の日本は弱くて、メダルどころではなかった。やっと地元開催の1972年の札幌オリンピックで日の丸飛行隊が70m級・純ジャンプで金銀銅を独占して、なんとか面目を保ったが、それまで冬季オリンピックの日本人メダリストといえば、1956年のコルチナ・ダンペッツオ大会でのアルペン・スキー回転で銀メダルを獲った猪谷千春のみという弱さであった。このときはアルペン3種目で全て金メダルを獲ったオーストリアのトニー・ザイラーが有名になり、のちに『白銀は招くよ』とういう映画にザイラーが出演し、その映画を観たという覚えがある。
その後、ジャン=クロード・キリーが同様にアルペン3冠王に輝いたという歴史もあるが、日本勢はただ参加するだけという状況が長らく続いていたものだ。それが80年代位から日本の選手も冬季オリンピックでメダルを少ないながらも獲るようになった。でも、それに反比例するように私の中からオリンピックというものの存在がだんだんと小さくなっていく。なんでだろうと考えたが、もう飽きてきたとしかいいようがない。スポーツ全般に興味がなくなってきたからかもしれないが、もはやオリンピックは20世紀の遺物でしかないと思っている。
1896年に近代オリンピックが始まったが、あの当時だと世界中の選手が一堂に介すなんてことはなかった。だから開催する意味があったのだろう。それが、交通機関の発達により、世界中の何処へでも簡単に行ける時代になった今だと、世界中の選手が集まって、同時期に色々な競技を行う必然性があるのだろうか。要は開催する地域のインフラ整備がなされることとと経済効果があるから各国の都市は開催を立候補するのではないだろうか・・・。それにテレビの放映権の問題もあって膨大な金が動く。それに色々なスポンサーがオリンピックを利用して一儲けしようと企んでいる。金まみれ薬まみれ・・・・昨今のオリンピックなんて商業主義が行きすぎてあまりいい印象はない。それに世界選手権、ワールドカップなんていうのもあって、オリンピックの合間の年に、選手たちは毎度のように手合わせをしている。だから4年に1度だけ顔を会わして競技で競い合うってことはなくなっている。だからオリンピックに新鮮さはない。だから今更、観る気が起らないとでも言っておこう。・・・でも言っておきたいが、私自身はスポーツは好きなのだ。でも21世紀の現在、オリンピックという大きな大会は必要性はないと考えている。各競技にはそれぞれ世界選手権があって、オリンピックとどのように差別化しているのだろうか・・・・。ただその競技だけを開始する世界選手権と違って、色々な競技を一斉に行うだけのように見えるが・・・・。それにマスコミと様々な商売を当て込んだビジネスマン達が、ハエが集るかのようにオリンピックの開催を熱望し促しているだけではないのか。結局、オリンピックの開催の裏で行われる様々な駆け引きのほうが、繰り広げられる競技よりも面白いかもしれない。
オリンピックというのはアスリートにとっては夢舞台かもしれないが、今日あるのは純粋なスポーツのイベントではなくなってしまい、選手を利用して金儲けを企む族のための祭典と思えなくもない。そう考えると、私としては最早、オリンピックに熱中できなくなってしまったのである。
2010.02.15 (Mon)
アップデート
以上のようことが書いてあったが、つまりBIOSのハードウェア初期設定にCPUのパフォーマンスが十分に発揮できない場合があることが判明したから、ディスクでアップデートをやれということなのである。ああ、面倒くさい。買ってから、もう二週間はなるけど、今頃送ってくるなよといいたい。
ということで、今からアップデートを試みますので、今日は更新いたしません。
2010.02.14 (Sun)
ダイヤモンドS、きさらぎ賞
東京のダイヤモンドS(GⅢ・4歳以上、芝3400m、15頭)は今時、珍しい長距離レース。かつては秋の天皇賞が3200mで行なわれていて、それを彷彿とさせるレースとして何故かレースを観るたびに懐かしくなる。今回は春の天皇賞を目指す15頭が出てきて人気はフォゲッタブル、ヒカルカザブエ、モンテクリスエスの順だったが・・・・・。
3コーナーの手前からのスタートで、ドリームフライトの先導で始まった。ドットコムとベルウッドローツェが2番手、3番手の位置。正面スタンド前を通過。ゆったりとしたペースで、ベルウッドローツェが2番手に上がる。ドットコム、ビエンナーレ、ヒカルカザブエ、エーシンダードマン、コバノジングーと続き、ダイワワイルドボア、モンテクリスエス、フォゲッタブル、トウカイトリック、ハーマジェスティ、メイショウドンタク、メインストリーム、ポップロックの順で向こう正面を通過。1000mを1分03秒0、2000mを2分07秒2で通過。この距離を考えると、それほど遅くはない。3コーナーで各馬動き出す。直線に入り、ドリームフライトが逃げ込みに入る。それをベルオッドローツェがかわそうという勢い。ドリームフライト粘る。粘る。ベルウッドローツェが頑張る。あと200m、ここで外からようやくフォゲッタブルが伸びてきた。フォゲッタブルが伸びる。先頭はまだドリームフライトだが、ここでベルウッドローツェがかわすか、その時、フォゲッタブルが外から先頭に立った。フォゲッタブル先頭。2番手はベルウッドローツェか、メインストリームも来た。でも先頭はフォゲッタブル。フォゲッタブルが1馬身以上リードして、ゴールイン。
1着フォゲッタブル 3分32秒6、2着ベルウッドローツェ 1馬身1/4、3着ドリームフライト クビ、4着メインストリーム アタマ、トウカイトリック 1馬身1/4。
京都ではクラシック・レースに縁の深いきさらぎ賞(GⅢ・3歳、芝1800m、11頭)が行なわれた。1番人気は末脚の鋭い3戦2勝の芦毛馬レーヴドリアン、2番人気は朝日杯3着のダイワバーバリアン、3番人気は新馬に勝ったばかりのインペリアルマーチであった。
スタートが切られた。向こう流しの長い直線コース。メジャーテーストが先導する。2番手にインペリアルマーチ、3番手シャイン、その後はダイワバーバリアンとクォークスター、さらにネオヴァンドーム、ステージプレゼンス、その後5馬身あいてサライズクォリア、ダノンハラショー、アドマイヤロイヤルと追走し、人気のレーヴドリアンは1番後方という位置。先頭のメジャーテーストは4、5馬身リードして3コーナーから4コーナーに向うところ。ハロンラップは12.8---11.1---11.4---12.3---12.8と1000mが1分00秒4。先行馬は力を温存している模様である。いよいよ直線。メジャーテースト先頭。レーヴドリアンは大外の最後方。ここから届くのか・・・・・。先頭はインペリアルマーチかクォークスターか。あと200mを切った。ネオヴァンドームが内から伸びて先頭に立った。ネオヴァンドーム先頭に立つや外にふくれた。大外からレーヴドリアンが一気に追い込んできた。凄い脚で肉薄してくる。でもネオヴァンドームが先頭。ネオヴァンドームが先頭。レーヴドリアン一気に迫る。一気に追い込んだが僅かの差でネオヴァンドームが勝った。
1着ネオヴァンドーム 1分48秒6、2着レ-ヴドリアン、3着ステージプリンス、4着インペリアルマーチ、5着ダイワバーバリアン アタマ。
2010.02.13 (Sat)
『THE ハプスブルク』展に行く

『THE ハプスブルク』展覧会チケット
今、京都国立博物館で行なわれている『THE ハプスブルグ』という名の展覧会に行ってきた。美術展に行くのも久々なら、京都国立博物館に行くのは何時以来だろうか。少なくとも10年以上は行ってない。京都で展覧会というと決まって、岡崎の京都市美術館か、京都国立近代美術館というのが決まりだったのに、今回は東山七条にある京都国立博物館で開催というから、京都駅から寒い中をエッチラオッチラと歩いてみた。昔なら阪急で河原町駅まで行き、そこから京阪電車に乗り換え、七条駅で降りれば近いのだが、今は滋賀県へ毎日、JRで通っているから京都駅まではJRで行けば無料ということでJRに乗ったのだが、京都駅から三十三間堂前の京都国立博物館までだと2㎞弱はある。この距離だと毎日、駅から職場まで歩いているからなんてことはないが、街中を歩くので矢鱈と信号につかまる。なのでなかなか到着しない。ほとんどの人は京都駅からだとバスに乗るそうだが、この程度の距離なら私はたいがいは歩く。
京都駅近くの塩小路高倉の交差点で上がり(北へ行くという意味)七条通に出て東へ歩く。間もなくすると鴨川にかかる七条大橋に出て橋を渡り、京阪の七条駅をスルーしてさらに東へ歩くと緑に囲まれた広大な敷地を持つ京都国立博物館の南門へ到着した。本当に何年ぶりだろうか。京都に住んでいてもこの東山七条なんて、最近はほとんど来た事がない。もっとも40年以上前は、この近くの女子高に私の姉が通っていたから、何故か女子高の文化祭とやらを見にきた覚えがあり、この辺りは良く知っている。京都国立博物館の南側は三十三間堂だし、ここから東に歩いて坂を上っていたところに姉の通っていた高校があった。姉はよく考えてみると私立の高校に通っていたのか・・・・・。今は京都でも屈指の進学校だと言うが・・・まあ、そんなことは私には何の関係もないが、姉の子供も皆、成人してしまったことだし、懐かしい話ではある。
さて、今回の展覧会は1869年に日本とオーストリア=ハンガリー帝国が国交を樹立してから140年が経ち、それを記念してウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の所蔵品から絵画、工芸品を120件、展示したということである。何だか敷居の高い展示品ばかりということになるのかな・・・・・まあ、いいか。
ハプスブルグというと神聖ローマ帝国皇帝のルドルフ1世(1273年~1291年在位)から始まったヨーロッパ屈指の名門といわれる王家だが、スイスから始まって、一時はオーストリアからハンガリー、スペイン、フランス、イタリアにまで広がっていったと思うが、フフリードリッヒ3世、マクシミリアン1世といった時代から、フランツ・ヨーゼフ2世、マリア・テレジア、マリー・アントワネット等の時代を経て、ヨーロッパの歴史に翻弄され続けたといった印象が強い。近代になりヨーロッパ各国で革命や戦争が起こり、次第に王家は縮小していき現在も細々と末裔が生き続けているのかな・・・・・・。まあ、世界史はさほど詳しい訳でもないから、といっても人並み以上は知っているつもりだが(私の言う人並みというのが微妙だが)。まあ、ハプスブルグ家のことはもういい。ようするに今回はハプスブルグ家に関係する美術展ということである。ただ、ハプスブルグ家といっても歴史は長く、国家も数ヶ国に跨っているので、関係した画家も多く、展示されている絵画も多い。ざっと画家の名前を羅列してみるとしよう。ジョルジョーネ、ベルナルディーノ・ルイーニ、ロレンツォ・ロット、ラファエロ・サンティ、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、パリス・ボルドーネ、ティントレット、バルトロメオ・パッサロッティ、ヴェロネーゼ、ルカ・ジョルダーノ、ジョヴァンニ・アントニオ・ブッリーニ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ、グイド・カニャッチ、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・スルバラン、バルトロメオ・エステバン・ムリーリョ、フランシスコ・デ・ゴヤ、アンドレアス・メラー、ハンス・フォン・アーヘン、ヨーゼフ・ヘッケル、フランツ・クサファー・ヴィンターハルター、フランツ・デ・ハミルトン、アルブレヒト・デューラー、ルーカス・クラナッハ、ペーテル・パウル・ルーベンス、バルトロメウス・スプランゲル、ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ、アンソニー・バン・ダイク、レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン、ヤーコブ・イサークスゾーン・ファン・ライスダール・・・・・もうやめた。全てを書いていられない。とにかく欧州の著名な画家がハプスブルク家と何らかの形で繋がっていたということなのである。
この中ではベラスケスの『白衣の王女マルガリータ・テレサ』が目玉のようだが、どれもこれも時代が物語る重要な絵画ばかりである。でも1人の画家を展示する展覧会と違って、これだけ中世・近世の巨匠の絵を並べると、印象派以降の絵画が塗り絵のように思えてくるから面白い。でも人が多すぎて、とても絵を鑑賞する状況ではなかったので、私は一通り見渡すや、さっさと出てしまったが・・・・・。
2010.02.11 (Thu)
雨、雨、くもり雨
でもなんでこんなに雨ばかり降るのだろうか・・・・・まるで菜種梅雨のようによく降る。前線もせり出しているし、まさか気候が1カ月以上も前倒しになったのでもあるまいが、このところの暖かは春到来を感じさせる。その前が強烈な寒波だったのに、この気候の変動はどうなっているのか。
啓蟄はまだ先だが、虫が土の中から出てきたりしないだろうなあ。とはいうもののまた平年並みの寒さに逆戻りするだろうから、このまま春がやってくることはないが、全体的に見てみるとやはり暖冬気配なのだろうなあ。日本海側では相も変わらず積雪量が凄いが、こちらは雨ばかり、本当に困ったものだ。外の重苦しい空を眺め、何もしないで結局はごろ寝をしていたという日であった。とにかく無駄な過ごし方をしてしまったが、気が晴れないと何もやる気が起こらないから、冬の日の日射しというものは有り難く感じるものである。外が暗いから室内までが暗く、本を読めなかったというのがどうしようもなかった。蛍光灯をつけろと言われそうだが、あいにく蛍光灯もいかれていてチカチカして交換しなくてはならなかったのだが、この雨で何処も出かける気がしなくなった。それで本が読めなかったかという訳なのであるが、歳をとると老眼がすすんで小さい文字が読みにくくなるから薄暗い日は辛いものだ。そろそろ老眼鏡の度数の強い眼鏡に変えなくてはいけないかもしれない。
とにかく建国記念日という国の誕生の日に、こちらは老いを感じないわけにはいかなくなった日でもあった。ああーあ・・・・・・・。若い感性と柔軟で吸収力と記憶力に優れた若い脳が欲しいよ。それと眼鏡をかけなくてもいいような視力のある目と・・・・。10代の時に戻りたいとは思はないが、10代の時の身体に戻りたいとはいつも思うこの頃である。
2010.02.11 (Thu)
トルストイ・・・・・『クロイツェル・ソナタ』を読む

トルストイというとなんか『戦争と平和』に代表されるように、長編で理屈っぽい小説が多いように思うが、この『クロイツェル・ソナタ』はさほど長くはないし、読みやすい作品である。
早春の頃、汽車に乗っている数名の乗客がいた。彼らは職業もバラバラなら年齢も様々である。語り手である私を含め車内にいる老紳士、婦人、商人、弁護士等が離婚について意見をいいあっていた。ただ一人だけ会話に加わろうとしない紳士がいた。彼は話しかけられても加わろうとせず、態度もどこかぎこちなかった。
列車は進み会話は弾む、みんなそれぞれの意見をたたかわすがこれといって決め手のある意見はない。ある婦人は停車した駅で立ち去った老紳士が言った意見に対し「ああいう人は本当に大切なことが判ってないのです」と言って、結婚は愛によってきよめられる神聖なものだとと唱える。するとそれまで会話に参加しなかったぎこちない態度の紳士が口を開いたのである。「いったいどんな愛が結婚を清めてくれるというのだ」。婦人は「真実の愛です」という。すると紳士は「真実の愛とは何だ」と問い返し、そこから彼の持論が展開していくのである。結局、話の終結は彼が妻を殺してしまったということで、一同は沈黙してしまったのだが・・・・。列車が次の駅にて停車し、婦人と弁護士は別の車両に移ってしまい車内はそれまでの熱い会話が途絶え静寂していた。そのとき、語り手の私とぎこちない紳士と目が合い、彼が自身を延々と語り始めるのである。
彼は妻を殺すにまでに至った半生を語りだす。彼は公爵ポズドヌイシェフといい、ロシアの貴族生活は退廃していて、正装して舞踏会で若い貴婦人との出会いや物色することが立派なことだと考えていた。でもやがて、こんな社交界の女も商売女も所詮は同じと思うようになり、ドレスを着て着飾る上流階級の女も売春宿の女も男の前では同じだと言い放つのである。そして、上流階級の令嬢が大はしゃぎする両親の手で、梅毒男と結婚させられた例をいくつも知っているといい、自分は他の連中とは違うのだと、心に言い聞かせ自分に相応しい純潔な娘を見初めて結婚して、結婚後は愛人を作らず、妻との愛を育むのだと語るのだった。
ポズドヌイシェフは、妻が友人トルハチェフスキーと浮気していることに気が付き婦喧嘩の末に妻を刺してしまった。そして妻は平常心を失い、やがて死亡してしまうのであるが、トルストイはいったい、ポズドヌイシェフの語りから何を訴えたかったのか・・・・・・。ただ禁欲的な愛を説いているのだとしたら、あまりにも常套的な展開でありすぎると思えし、いささか短絡的過ぎる。もっとも19世紀の帝政ロシアという時代背景を考えるよりも、これは男女間にある普遍的なテーマであるかもしれないが、現在でも通用しそうな道徳的なものを説いている。
紳士は妻を殺してしまった今の心境と真実の愛を求めて苦悩し、挙句の果てに妻を殺すことに至るまでの深層心理が複雑に交錯し、それが列車内でも絶えず態度に表れていたのかもしれないが、彼の告白で女性の見方が徐々に変わっていくという描写でも判るが、トルストイ考える男女の性的関係は極めてストイックであり純潔であるということが披歴してある。男女間の性的な関係は大別して三つあり、まず女性は男性の性欲に支配され絶対的貞操を要求される。次は女性も権利の平等を要求し性欲を自由に満たす。最後は男女間に精神的結びつきはなく、惰性による醜悪な性欲の満足があうだけという。それでトルストイは性的欲望こそ、人間の生活の様々な悪や不幸、悲劇の源であると考えているようだ。
・・・・・・あまりこの作品に対して深く追求するのはよそう。男女間の性的関係に関する考えは、時代、土地柄、職業、身分、意識、それぞれで違うだろうし、トルストイが説くような事象も多く存在するだろうが、あれから100年以上が経過、社会がより複雑化してしまった。だからすべては適用されないだろう。でも彼が指摘した男女間の情念というものは、現在でも立派に通用するだろう。
2010.02.09 (Tue)
キリン、サントリー経営統合交渉決裂
でも何故、経営統合の話が持ち上がったのだろうか。日本国内の企業が相次いで再編する中で、キリンもサントリーも、今後の人口減少で国内市場に期待できなくなったことから、海外へ向けて大いなる進出を計るうえで、統合は必要であると考えたのかもしれない。でもお互い個性の強い会社同士である。交渉途上ですでにもめていると言う情報は入っていた。キリン側は統合比率を2対1ぐらいで話を進めていたらしい。でもサントリー側は譲らず、結局は交渉が決裂してしまった。こうして世界で戦える食品、飲料の総合会社の誕生は泡と消えてしまったのだが、はたして統合すれば何もかもいいことばかりなのかどうか・・・・・。マイナス面もあると思うのだが。
キリンというのはかつての大財閥であった三菱グループの一角としてビールを製造販売して伸し上がってきたのに対し、サントリーは鳥井家が中心になって日本発のウイスキー会社として君臨してきたのである。それがサントリーも近年はウイスキー以外のビールや、飲料水全般を製造販売して大きくなった特殊な会社である。それがお互い相容れない社風が真っ向から対立したのかもしれない。
ただ私なんか思うが、企業の個性が強いから互いに切磋琢磨してライバルとして、相手を尊重しつつも自社を伸ばすことに夢があったのではないだろうか。それが同業者同士が再編ばかり繰り返し、強大企業になったからといって、いっそう発展があるかというと、結果的からいって疑問符がつくのではないだろうか。かつての合併や統合は大きいほうが小さいほうを吸収する形で合併したりしているが、かつてのスカイラインを生んだプリンス自動車なんかにもいえるが、日産に吸収され暫くはよかったものの、今となってはトヨタの後塵を拝している。それで今回は大きいほうのキリンがサントリーをおそらく吸収しようとしたのかもしれない?
ただサントリーの創業者一族は名うてのツワモノだったということか。簡単には条件を呑まず譲らずといったところか。ただ関西の人間にとっては、これで良かったという人は多い。キリンと統合すると、どうせサントリーも東京に本社を移してしまうことが目に見えているからだ。今や関西発(大阪)の大企業の多くが、東京に本社を移してしまった。いったい何100社あるのだ。結局、大阪の地盤沈下を嘆いている関西財界人の多くも、裏ではきっちり東京にシフトを移しているではないか。これだと自分で自分のクビを締めている様なものだ。これで大阪、関西の経済衰退を防げるのか・・・・。企業がどんどんと出て行ってしまうのに、地盤沈下が防げるはずなどないと思うけど。こうして企業の東京集中が強化され、どの企業も個性がなくなり、だんだんと日本全体が沈没していくという図式が判らないのだろうか・・・・・・。企業は育まれた土地にあるから個性があるのに、何でもかんでも同じ地域に集まると、烏合の集のようになってしまうかもしれないし、没個性ばかりが寄り集まって、どこも似たり寄ったりということもありうる。だからある意味で、今回のキリン、サントリーの経営統合交渉の決裂は、関西の人にとっては嬉しいニュースかもしれない。要するにサントリーは、もうこれ以上大きくならなくてもいいから、何時までも文化事業に投資する優良企業であって欲しいと願うのみである。
2010.02.08 (Mon)
立ち食いうどんが食いたい・・・
今週は比較的に暖かいらしいので、雪は降らないだろうから安心だが、相変わらず風が強く都市部の寒さと比べると厳しいことにかわりはない。でもそんな中を毎日、帰宅時にテクテク歩いていると、JRの駅まで到着する頃には身体が温まっていることが多く、歩いていても気持ちがいい。ただ顔を撫でる空気が冷たくて鼻孔から鼻水が出てきてしょうがない。もっとも蓄膿症気味なので鼻水はよく出るが、鼻孔から水が出てくるとあまり気分のいいものではない。やはり低音にさらされるとよくないのかなあ・・・・・。
どうにか駅に到着。電車に乗ろうとするが、このJRはよく遅れるのだ。これまで延着することはしばしばだとブログ上で何度も書いてきたが、ただでさえ電車の本数が少ないのに、遅れると駅で20分、30分待たされることが時々ある。すると寒いホーム上で電車を待っている人は少なく、改札口の前のスペースに大勢の人が待機している。つまり彼らは暖かい改札口の前で電車を待っていて、電車が接近してくるとホームに姿を現すのである。
そこで思ったのだが、何故、滋賀県には立ち食いうどんの店がないのだろうか・・・・・・。以前、大阪に通っていた頃には、帰宅時、腹が減っていて、家に帰るまで我慢が出来ない時など、よく駅の中や駅前にある立ち食いうどんをよく食べたものである。大阪市内から出る電車は5分に1本ぐらいの間隔で走っているのだが、そんな時は1本、2本ぐらい電車をパスしてうどんを食べてから乗車して帰路についたものである。それが滋賀県だと、電車は15分に1本しかなく、駅に到着するや電車が行ってしまった直後なんかは、寒い駅で寒風吹きさらしの中で15分も待つのは苦痛である。こんな時、駅構内の立ち食いうどんを食べれば、空腹も癒されるし身体が温まるし、何よりも時間つぶしが出来るのだが・・・・・ないものはないからどうしようもない。
何で滋賀県に立ち食いうどん店がないのか不思議である。大阪や京都にはあれだけの店舗が各駅にあるのに、滋賀県ではお目にかかったことがない。もっとも地元民に聞くと、米原の駅に立ち食いうどんの店があるらしいし、かつては湖西線の駅にも2、3店舗あったらしいのだが、米原よりも以西の滋賀県内の駅ではほとんどないという。滋賀県人は食べるのが遅いから、駅周辺に立ち食いうどんの店がないというのではあるまいし、何故にないのか解せないのだが・・・・・・。
滋賀県のように電車と電車の運転間隔が15分もあると、その間、充分うどんやそばを食べていられ、食べ終わる頃にちょうど電車がやって来ると思うのだが、立ち食いうどん店がほとんどないというのは不思議なところである。まあ立ち食いというのは忙しい都市部の人の食習慣であるから、のんびりした滋賀県の人のライフスタイルに合わないのかもしれないが、駅構内に立ち食いうどんの店舗があれば、本当に助かるのだがないものねだりかなあ。
ところで私が、ここでいっている立ち食いうどんというのは、当然、かけうどんのことである。丼鉢に関西風の薄い出汁にうどんが入った熱いうどんのことである。東京だとかけそばを食べる人が多いだろうが、関西ではうどんが主である。それもかけうどんなんて言わない。大阪だと素うどんという。昆布、鰹の出汁に薄口醤油が入った大阪風うどんのことで、立ち食いに都合がいい食べ物である。この場合、讃岐うどんだとコシが強く麺が太いので出汁がのらない。だから麺が柔らかい大阪うどんに限る。ソバの方が好きだという人がいるが、私は断然に饂飩派である。関西風の薄い出汁だと饂飩の方が合う。ソバは東京風の濃い口出汁の方が合うだろうと思う。
そして、冷え切った身体を温めるのに、熱い出汁に入ったきつねうどん、天麩羅うどん等を食べて温まってから帰路に着く。こんな光景、滋賀県に通っている間はありえないだろうなあ・・・・・。ああ、虚しい。
2010.02.07 (Sun)
共同通信杯、シルクロードS
共同通信杯(G?・3歳、芝1800m、13頭)はここまで2戦2勝アリゼオが抜けた人気で注目され、2番人気はダノンシャンティ、3番人気は堅実なハンソデバンドだった。レースは1、2コーナーのところにあるポケットからからのプリングがスタート。
ゲートが開くやロジスプリングがやや立ち遅れる。先行争いはカワキタコマンド、ハンソデバンド、ダイワアセット、人気のアリゼオと続き、タイムカード、タイセイレジェンド、ナシュワンヒーロー、アースステップがいて、そのあとにガナール、リザルヴ、ダノンシャンティの順で位置し、ロジスプリングが2馬身差で続き、さらに2馬身差で最後方からカシマストロングといった展開である。レースは早くも3コーナーにかかろうかというところである。ハロンラップはスタートから12.8---11.1---12.3---12.8---12.6で、800m通過が49秒0、1000m通過が1分01秒6という緩やかさである。これだと直線だけの攻防となりそうである。先行馬が有利なことには変わりはない。カワキラコマンドが先頭で、ハンソデバンド、アリゼオの順で、スローペースのままいよいよ直線に入る。
インコースにカワキタコマンド、その外にハンソデバンド、アリゼオは3番手の位置。あと400m、カワキタコマンドとハンソデバンド。わずかにハンソデバンドが出ようというところ、ここでアリゼオが迫る。アリゼオが迫るが、ハンソデバンドが粘る。粘る。粘る。あと200m、まだハンソデバンドが先頭だ。ハンソデバンドが先頭。アリゼオも接近、アリゼオも接近。あと100m、ダノンシャンティが外から伸びる。ダノンシャンティが外から並びかける。3頭の争いになった。ハンソデバンドが粘る。ハンソデバンドがが粘る。外のダノンシャンティが伸びる。アリゼオは3番手。ハンソデバンド、ダノンシャンティ、ハンソデバンド、ダノンシャンティ、ほとんど並んでゴールイン。
1着ハンソデバンド 1分48秒2、2着ダノンシャンティ ハナ、3着アリゼオ クビ、4着ダイワアセット 2馬身、5着アースステップ 1馬身1/4。
スローペースからの直線勝負になったが、末脚が目立ったのはダノンシャンティ。でも先行したハンソデバンドが結果的には粘りきった。意外と力が発揮できなかったのあhはアリゼオである。こういったスロ-ペースだと行きたがってしょうがないようだ。もっと平均ペースの流れのほうがほうがこの馬には向いているのかも・・・・・・・。でも、3歳馬のクラシックロードはこれからである。弥生賞あたりになるとほぼ力関係が明確になってくるだろう。
一方、京都ではシルクロードS(GⅢ・4歳以上、芝1200m、16頭)が行われた。こちらのほうは結果だけ記すことにする。
1着 アルティマトゥーレ 1分08秒1、2着ショウナンカザン 1馬身3/4、3着シンボリグラン 3/4、4着シャトウライン クビ、5着ラインブラット 1馬身1/4。
なんと1~3着を関東馬が独占した。昨年から関東馬の巻き返しが急になったが、関西勢も安閑としてられなくなったのではないだろうか・・・・・・・。
2010.02.07 (Sun)
薄っすら雪化粧
午前7時半になってようやく窓のカーテンを開け外を見て驚いた。なんと雪化粧ではないか。どうりで冷えるはずだ。昨日から雪は降ってはいたが、夜中に降り続いていたのかもしらない。といってもほんの雪化粧程度だが、最近は暖冬が毎年のように続いているので積雪は滅多にない。京都でも市内は時々、積もるだろうが京都府の洛西の方になるとなかなか積もらない。京都は京都でも舞鶴だとか宮津といった丹後地域になつと毎日のように積もるのだろうけども、京都府は縦に長いから京都市より南部はあまり雪が積もらない。もっとも昔の国でいうならば保津峡を抜けると丹波の国なのだから、気候もかなり違うようではある。
ところで土曜に雪が降り、日曜の朝に雪化粧ということは、滋賀県だとどうなるのあか。おそらく積雪が京都とは比較にならない。よくぞ休日に降ってくれたものだ。もし平日の出勤日に降られて積雪すると、また大混乱である。でも今日までは寒いらしいが、今日の日中から暖かくなるというから大助かりである。おかげで今は、すっかり雪が解け青空が顔を出している。これで陽が照り続けるとどんどんと温度が上がり午後には10℃を超えるだろう。とにかく今日は日曜日でよかった。
2010.02.06 (Sat)
これからは新しいパソコンから更新します
2010.02.04 (Thu)
何を書こうかと悩みつつも・・・
若い女性が書く日記のようなものなら、その日の行動をただウダウダと書き綴るだけでも、興味本位で読んでみようとは思うだろうが、こちらはいい歳をしたオッサンが書いているから、オッサンの私生活なんて知りたくもないだろうというのは判る。それなのに日頃の愚痴ばかり書いてしまうのは何故だろうかということになるが、つまり書きたい記事は山ほどあっても、いざパソコンを立ち上げて書こうという段階になると、頭の中が空っぽになってしまい何を書いたらいいのか迷っている間に、1時間ほど経過してしまうからだ。だから思いつきでいきなり書けるものでもないから、ついその日に出くわした気に入らないことなどをグダグダとボヤキながら書いてしまうという悪癖、悪習に染まっているのだ。
人のブログを見ると日記のようなスタイルが多いが、この手のものは若い人だったら許されるかもしれない。でも私のような年齢になると、自分の一日の出来事を書いていても意味が無い。だから趣味のブログに拘ったはずなのだが・・・・・・最近、皆目、書けていない。
・・・・こうしてぼんやりしている間も、また時間が経過していく。それなら本のことでも、映画のことでもいいから書けということになるのだが、2年以上も書いていると、どういうものを書けばいいのか迷ってしまうときがある。でも言っておきたいが、けしてネタが枯渇したというのではない。ただ何から書けばいいのか、またどういう切り口で書けばいいのかか思案中に、2、3時間経過して、結局、何を言いたいのか判らない内容のブログを書いてしまっている。
・・・・・結局は、今日も意味不明の内容で申し訳ないが、最近になって思う。ブログを書き続けるというのは実に難しいものである。自分の浅学菲才さを恨む。もっと頭が良ければよかったのだが・・・・・・・・。
2010.02.02 (Tue)
只今、悪戦苦闘中

ノートパソコンを買ったのはいいが、ただいま悪戦苦闘中である。引越しをしなくてはならないが、古いほうのパソコンが重くて思いどうりにいかない。とにかくモニター画面が突然落ちたりするから困ったものだ。それでやむなく一括の引越しを諦めて、こまめにちょっとずつ中身を移す事にした。
それにしても新しいパソコンは軽い。動作が速くて気持ちがいい。それに気がついたことだが、ウインドウズ7はウインドウズXPに比べると、各段に立ち上がりが速く、シャットダウンも簡単ですぐに電源が切れてくれる。これだと何かにつけ使い勝手がよさそうである。それに画面が横長になって、より映像がくっきり鮮明になってきた。パソコンというのは、僅か数年でこんなに進化するのだから驚いてしまう。5年以上使っていたデスクトップ・パソコンはメモリが256MBだったのに対し、今回のノート・パソコンは4GBだから、実に16倍である。よく考えてみると、たった256MBのメモリで、よく最近の容量の大きいサイトを何度も何度も見ていたものだと感心してしまう。よくぞ5年間も潰れず、頑張って下さいました。旧パソコンよありがとう。
ただ喜んでばかりいられない。ノートパソコンはデスクトップに慣れてしまうと、たいへん使いにくい。まずキーボードが打ち難い。キー自体が小さいかもしれないし、キーの凹凸が少なく指にしっくりこない。だからよく打ち間違う。だが、小生はデスクトップを使う前は、ウインドウズ98搭載のノートパソコンを自由自在に使っていたのに、やはり自分自身、10年経つと昔のように素早くキーが打てなくなっている。これは悲しい現実だが仕方ない。10年前に使っていたノートパソコンは、よくフリーズを起こし手を焼いた思い出がある。ウインドウズ98の時代のパソコンはよく故障もしたし、フリーズを頻繁に起こすので厄介な代物であったが懐かしくもある。それに比較するとXP型のパソコンは故障もせずフリーズもほとんど起こさず小生は気に入っていたが、流石にこのところ調子が悪く、新しいパソコンを買う羽目になってしまったと言う訳である。
さあ、これから使い続けることになるであろうウインドウズ7搭載のノートパソコンであるが、まだ使い辛く愛着がわいてこない。でも今後は、このパソコンからブログを更新することが多くなるだろうが、まだ完全に引越しが終わったのではないから、暫くはデスクトップからの更新になるだろう。でも取り敢えずはデスクトップの旧パソコンが何時、潰れてもいいように態勢を整えて、それ以降は徐々にノートパソコンからの書き込みになるであろう。といっても、このブログ、そこまで続けられることやら・・・・・。何れやめるだろうけども、もう暫くは更新を続けさせて下さい。
2010.02.01 (Mon)
しるもしらぬも あふさかのせき
外がすっかり暗くなり帰宅時間になったが、ここからが湖国の厳しさを味わうことになる。職場一帯のアスファルトの路面が溶けた雪でビショビショである。それでいて解けずに残っている雪が路面に付着して歩いていると靴の中まで水分が侵入してくるから堪ったものではない。いや、参った参った!
これだととても駅までの道のりを歩けるはずがない。仕方なくバスで駅まで行くことにしたのだが、あいにくの大停滞で乗ったバスが動かない。結局、3㌔ほどの距離なのに、バスは30分以上かかってしまった。これなら普段歩いている時よりも時間がかかっている。何てことだ。かといって雪が降り続ける中、グチョグチョの路面を探るように歩くのも辛い。それでバスに乗らなければならなくなったのだが、どうにか駅まで着いて電車に乗る。瀬田川も雪が降っていて、膳所の駅や大津の駅も雪かきをしたかのような痕跡が残っていた。それで逢坂山トンネルに入る。2000m弱のトンネルを抜けて滋賀県から京都府に入る。すると何のことはない。雪の降った形跡がなく、降っているのは雨だった。
あーあ、滋賀県までは雪が降っていたということか。そういえばこの京都府と滋賀県を隔てる逢坂山は、かつて蝉丸が詠ったように関所のあったところである。平安時代の中期以降は不破の関、鈴鹿の関と並んで3関とされた逢坂の関が設けられていて、これらは都のあった機内(摂津、河内、和泉、大和、山城)を防御するために設けられた関所で、この当時はこれらの関所より東は全て関東と言われていたのである。つまり滋賀県は機内には近いものの関東という扱いでもあったのだ。それだけに逢坂山を越えるだけで気候が一変する様子を見てしまうと、大昔の人の知恵というのは科学だけで計れない奥深さがあるなあと感じたのでもある。
でも、これからも先、この自然の厳しい近江の国へ通い続けなくてはならないかと思うと・・・・・ゾッとする。やはり大阪へ通っていた頃とは何かにつけて厳しいと痛感するのである。そこで蝉丸の詠った歌を思い出した。
これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関