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2013.09.29 (Sun)

ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』を聴く




 この『ペット・サウンズ』というアルバムはザ・ビーチ・ボーイズにとって11枚目のアルバムになる。その当時、ビーチ・ボーイズというのは調子のいいサーフィン音楽が主流の曲が多く、音楽的に余り認められてなかったように思う。『サーフィンUSA』『ファン・ファン・ファン』『アイ・ゲット・アラウンド』『サーファー・ガール』何て言う馴染みのある曲があったが、日本で言う湘南サウンドのような音楽であった。もっともビーチ・ボーイズの中心的人物であるブライアン・ウィルソンは南カリフォルニアの出身でサーフィン・ミューシックの申し子でありながら海が怖くてサーフィンなんて一度もやったことがないらしい。この辺りが日本の加山雄三とは大きく違っているところである。

 さて、ビーチ・ボーイズというとまず1963年のヒット曲『サーフィンUSA』が挙げられるが、この頃と当アルバム『ペット・サウンズ』は趣が大いに違っている。謂わばそれまでのザ・ビーチ・ボーイズと違っているのだ。最も小生はこの『ペット・サウンズ』がリリースされた1966年頃というのはビーチ・ボーイズなんてあまり興味もなく好きでも嫌いでもなかった。それが同じ年、『グッド・バイブレーション』を聴いて認識が大きく変わったことを覚えている。初めて聴いたとき、「ええ、ビーチ・ボーイズがこんな音楽を作るの」という驚きだった。それは良い方に期待を裏切ったということである。それまでどうでもいいと思っていたビーチ・ボーイズが、この曲で認識が変わっってしまったのである。ちょうどその頃にアルバム『ペット・サウンズ』が出ていたのだろうが、当時はビートルズばかり聴いていたので、ビーチボーイズのアルバムまで手が回らずというところであった。当時はまだ12歳かそこらだったからアルバムなんて当然のように高価なものは買える筈もない。せいぜい小遣いを貯めてシングル盤を買うのが関の山であった。

 結局、この『ペット・サウンズ』を全曲聴くのは何と小生が社会人になってからであった。つまりアルバムがリリースされてから10年以上経ていた。それも友人の持っていたものを聴いただけである。ただ風変わりな曲が多いというのと、小学生の頃に聴いていたビーチ・ボーイズ・サウンドというものとは違っていたということである。でもその時はあまり印象に残ってなかった。つまりこのアルバム『ペット・サウンズ』を意識するようになったのは恥ずかしながら、CD時代になって当アルバムを聴きこむようになってからである。要するに20年ほど前のことである。

 ビーチ・ボーイズというのはブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソンの三兄弟が中心メンバーで、後は時代によってメンバーが入れ替わっているのも全時代を通じて興味が持てなかった理由だろう。ただ曲自体はブライアン・ウィルソンが大半を書いていたように思う。それでこの『ペット・サウンズ』がビーチ・ボーイズのビーチ・サウンドから何故に変革したのかというのは、ビートルズの『ラバー・ソウル』に影響をされたからだという。そこでブライアンはそれまでのツアーを辞めスタジオにこもって新しい音楽を模索し、スタジオ・ミュージシャンと共にソロに近い形で録音したという。これはまさしくビートルズが行ったことと同じ試みであった。それでブライアンはビーチ・ボーイズとして本来から定評のあった美しいハーモニーに加え、オルガン、ハープシコード、フルート、自転車のベル、テルミン、犬笛等を駆使してダビングを繰り返し録音している。したがって他のメンバーはヴォーカルおよびコーラスのみとなっている。曲は13曲。この中には『Let’s go away for awhile(少しの間)』『ペットサウンズ』のようなインスルメンタル曲も入っている。

 それでこのアルバムが1966年にリリースするわけだが、それまでのビーチ・ボーイズのサウンドとは食い違っていたのかファンはとまどい売り上げの方は芳しくなかったし酷評もされたらしい。結局、此の事がその後のブライアン・ウィルソンの心の傷となって蝕むことになるのだが・・・・・・。でも、このアルバムは玄人筋に評価され、特にビートルズのポール・マッカートニーは影響を受けたと言い、翌年になってあの大傑作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を生むことになる。ということはビーチ・ボーイズは商業的に成功していたサーフィン・サウンドの頃よりも商業的に成功しなくても『ペット・サウンズ』でこそグループの評価が高まったという皮肉なことになる。

 それで今でもビーチ・ボーイズはメンバーを入れ替えて活躍しているのであるが、ほぼブライアン・ウィルソンのバンドと言ってもいいだろう。ブライアンあってのグループであり、ブライアンあっってのビーチ・ボーイズなのである。そこがジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター誰が欠けてもビートルズとは言えないのとは大いに違っていたということである。一時、ビーチ・ボーイズなんて言うのはグレン・キャンベルまで加わっていたぐらいだ。なので小生もビーチ・ボーイズのメンバーが時代によって、誰が加わっていたのかもよく知らない。ただ絶えず中心にいたのがブライアン・ウィルソンだったということには変わりはない。


『Wouldn't It Be Nice(素敵じゃないか)』を演奏するザ・ビーチ・ボーイズ(1971年)

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2013.09.28 (Sat)

ようやく秋が・・・?

 一昨日から秋のそよ風が吹きだしたのかめっきり涼しくなった。今年は台風の後、さっぱり雨が降らないのに突然空気が入れ替わったように一昨日から一気に秋らしくなった。でも今日なんかは太陽が燦々と輝いていて、直射日光を浴びるとけっこう暑いのだが、夏の暑さではなく明らかに秋の陽気というところだ。ようやく夏が去って、これでやれやれというところかな。とにかく今年の夏は長くて猛烈に暑かった。それが、このところは鈴虫や松虫が鳴いていたりしてめっきり昆虫も秋模様である。先週なんかはまだツクツクボウシが鳴いていたのに、この変わりようはなんだ。小生は夏が一番嫌いで秋が一番好きなんだが、昨今は何時までも夏で、また突然のように冬がやってくるから秋がとても短く感じる。それに10月に入っても夏が復活かというような暑い日もあるので、本当に秋だなと感じるのは11月である。でも11月の間に一気に気温が下がって行くので早くも冬支度の様相になるのでもある。つまり秋が短いということかな。暑い暑いといってたのに急に冬が来る。本当に秋らしく心地の良い日が少なくなった。小生が高校生の頃は、9月までは夏服で、10月になると衣替えといって詰め入りの学生服を一斉に着て登校したものだが、これは今では当てはまらない。10月から一斉に上着を着ると、暑くて暑くてどうしようもないだろう思う。それだけ温暖化が進んでいるのかも・・・・・・・。だから今は個人によって夏服を着てもいいし、冬服を着てもいいということになっているのではないだろうか。ただ今時のの高校はあまり詰め入りの学生服を着ているところが少なくなったし、女子もセーラー服のところが希少価値となってきた(京都に関しては我々の高校のころからセーラー服の高校はなかったが)。なので衣替えといってもピンと来なくなったな。もっとも社会人は職種によっては真夏の猛暑日でも背広を着なくてはならないし、衣替えも何もあったものではないが、今の季節は半袖の人もいるし、長袖を着ている人もいる。さらには上着を着ている人も当然いる。また電車の中も様々で、冷房の入っている車両があるかと思えば、冷房を切っている車両もある。でも冷房を切るとまだ暑く感じるかな。最近の電車は窓が開けられない車両が増えたので、一方的に冷房を切られると車内がむっとする時がある。それで昔のように窓の開けられる車両が懐かしく感じられるのだが、昔は良かったなんて小生は敢えて言わない。昔は良かったなんて言うと、それこそ老化の始まりだからである。もっとも小生は若者ではないが、今の便利良さを考えれば、もう昔に戻れないかなという思いもある。ただ気候に関しては30年、40年前のまだ地球温暖化が顕著になる前のころの方が住みやすかったかというのはある。
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2013.09.23 (Mon)

オーネット・コールマンのアルバム『ジャズ来るべきもの』を聴く

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 このアルバムが録音されたのは1959年5月のことである。アルトサックスがオーネット・コールマン、ドン・チェリーがコルネット、チャーリー・ヘイデンがベース、ビリー・ヒギンスがドラムス。最初にこのアルバムを聴いたのは20歳頃のこと。もうかなりジャズを聴きこんでいたと思うが、最初に聴いたときは随分と違和感があったように思う。当時、小生はモダン・ジャズのコンボばかりを聴いていたが、それまでのビ・バップ、ハード・バップ、クール・ジャズ、モード・ジャズとは一線を画していたのはすぐに判った。でも当時、ジャズの歴史もあまり詳しくなく、このアルバムがフリージャズと言われていることも知らなかった。とにかく聴いて最初は不快な感じがしたのを覚えている。初めて聴いたときは既に、このアルバムがリリースされてから15年ほど経っていたと思うが、このようなアルバムが存在することを知らなかった。とにかく不思議なジャズがあるものだという当時の感想である。それは何故かというとピアノがまず入ってない。サックスとコルネットが全面に出ていて、バックのベースとドラムスが小刻みにビートを刻む。何とも言えぬ雰囲気があった。それまで聴きこんでいたマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンとは明らかに違っていた。ただし聴いていて心地よいという感じはしなかった。所謂、これがフリージャズというものだと知るのはその後のことであるが・・・・。

 オーネット・コールマンは1930年3月、テキサス州フォートワースに生まれた。14歳の時に買ってもらったアルトサックスを独習した彼は、近所の仲間とバンドを組んでナイトクラブに出演するようになる。20歳でロサンジェルスに行くもののなかなか仕事にありつけず、職を転々としながら独学で音楽理論を追求する。そして1958年に最初のアルバム『サムシング・エルス』を発表。その翌年、当作品の『ジャズ来るべきもの』をリリースしたのである。最初の曲『ロンリー・ウーマン』からコールマンのアルトサックスとドン・チェリーのコルネットガ前面に出て定型的なコード進行の制約から逃れ、楽曲の構成も従来の手法から離れ、自由度の高い演奏を繰り広げることで成し得た演奏であるがが、サックスとコルネットガ微妙にずれたことで不協和音が醸し出す不思議な曲である・2曲目の『イヴェンチュアリー』は一転して激しいリズムと共に、ビ・バップから脱却した自由なアルトサックスが高速でメロディを奏でるが、最早メロディと言えるのか・・・・。このアルバムが録音された時期はハードバッブ後期、マンネリを打破する為のモード奏法や、さらにはファンキー・ジャズ何て言う代物も出回っていた。でもそれらはしっかりとアレンジされ、演奏のスタイルがある程度読めたものであるのに対し、このオーネット・コールマンのバンドがやった試みは当時としては理解の範囲を逸脱していたものだろう。この頃によりジャズはより自由度を増したと言っても過言ではないが、マイルス・デイヴィスはこのフリージャズを認めていなかったらしい。

 時代の変革期というものはそのようにして始まるものだろうが、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーから始まったスウィング・ジャズの破壊からモダン・ジャズが誕生した当時は簡単に受け入れられなかっただろう。そこでビ・バップ、ハード・バップといった戦後のモダン・ジャズの隆盛が始まるのだが、それも1950年代も末期にして必然的にフリージャズという物が生まれたのかもしれない。その後、これらから前衛ジャズへと波及していくのだろう。その転換期にあったのが当アルバムである。

 ただ聴いていて心地よいかというと小生は疑問符を打つ。20世紀の音楽は破壊と創世の歴史だが、シェーンベルクなんていう調性を脱し無調音楽に入り12音技法を生みだしたが、これなんか不協和音が多く、けして大衆受けする音楽ではなかった。その当時から大きく時代は進みジャズの世界でも変革期が幾つかあり、このオーネット・コールマンが試みた音楽もそれに近いところである。聴いていて不協和音が多く、それまでのジャズとは違っているのが判る。要するにコールマンとドン・チェリーのコンビで繰り広げられている音楽は謂わば、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーの再来のようなものであるかもしれない。実際にはバップをさらにデフォルメし抽象化しグロテスクにした。でもその後の前衛ジャズに比べると随分と古典的に聴こえるのだから、慣れというのは恐ろしい。つまり基本的にジャズのスタイルは崩してなく、今聴きなおすと初めて聴いた時ほど驚くこともない。それほどジャズというのは自由度の高いジャンルの音楽なのだということである。


 オーネット・コールマンの『Lonely Woman』静止画のみ



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2013.09.22 (Sun)

台風の後は快晴の日々だが

 何だか毎日、暑い日が続いている。湿気がなく夜中なんかは冷えるのだが、日中は太陽が燦々と輝いて気温が上昇。連日真夏日になる。先週、台風が去ってから快晴の毎日で、だんだんと暑くなっくる。それにしても今年の9月の天気はメリハリがつきすぎだろ。雨が降らなくて、1週間に週末だけ降る。こういった状況が続いていた。ことに先週は台風のせいで、京都や滋賀では記録的な雨が降り、桂川や由良川の氾濫が起こった。かと思えばその後は今日まで雨がひとつも降らない。そして、気温が少しずつ上昇。この3日ほど、日中は暑くてたまらない。まだ湿気がないからいいが、ここに湿気が加わると夏と変わらない。その延長で夜も気温が高くエアコンを入れるのだが、床に就くときはエアコンを切って窓を開けて寝る。すると今度は気温が下降。明け方はひんやりとして布団をかぶらなくてはならない。何という気温差だ。これだから体調も崩しやすい。夏の疲れが今頃出てきて、そこへ朝と晩で気温差がある。全く身体の方がついていかないのだ。そして雨が降らないし、日中は気温が上がる。昼は夏でも夜中はもうすっかり秋である。まだ9月だから日中は暑いのだが、今年ははっきりしていて、雨の降らない日が続きすぎて暑くなる。雨が欲しいなあと思うと降りすぎる。困ったものだ。あまり天候に文句をいってもはじまらないが、もう少し適度に雨が降らないものだろうか。先週の台風18号は、例年の9月1ヶ月分の降水量よりも遥かに多い雨をたった1日で降ったから、ほとんど氾濫が起こったことのない桂川が氾濫した。それで1週間経過したが、まだ水位が以前より若干高いのだ。本当にどれだけ降ったんだと言いたくなる。

 そして今週は珍しく週末も快晴。それで気温も上昇しそうだ。ただ雨が欲しいと言っても、先週のように降られると、暑くても我慢した方がいいかなとも思う。どうせ気温は日照時間とか日射の角度の差とかで徐々に秋めいてくる。でも突然、暑いのから寒くなりそうなので秋は短いのだが。


 
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2013.09.16 (Mon)

とんでもない大雨だった

 昨日の深夜、ノエル賞、フォア賞の結果を今朝にブログで書くつもりだったが、何と正午まで台風18号の大雨のせいで近くの公民館のようなところに避難していたので書けなくなってしまった。昨夜から夜通し激しい雨が降り続き、近所の川が氾濫するという前代未門の事態が起こりつつあったので、早朝の5時に役所の係員が車で避難するように町中を回っていた。実際に桂川が氾濫して嵐山の渡月橋が冠水した。土産物屋や旅館が床上、床下浸水するなど数10年に一度という記録的な雨が降り続いたためだが、我が家の方でも避難勧告が出たから、避難せずにはいられなかった。とにかく信じられないほどの雨が降ったということだが、小生、避難所で半日生活したというのも初めてであった。そこで乾パンではなく缶に入ったカステラパンと水が配られた。そして毛布と。それにしてもよく降ったな。京都や滋賀ではかつて経験のないほどの雨が降ったことになる。本当に迷惑な台風だ。ところで特別警報が発令されていたんだな。8月から適用されたばかりなのに早速か・・・・・・。ロクでもない。せっかくの祝日がぶち壊された。

 ところで昨夜、ノエル賞とフォア賞が行われた。既に昨夜、ノエル賞でキズナが英国ダービー馬と接戦の末、日英ダービー馬対決を写真判定で制したと伝えたが、そのあとに行われたフォア賞では、オルフェーヴルが抑えながらも3馬身差を2着につける圧勝であった。これで凱旋門賞が大いに面白くなった。ただ同じ日に行われたG-Ⅰのヴェルメイユ賞を制したトレ-ヴが、これで4戦4勝になり、日本馬のライバルの1頭として立ちはだかることとなった。さあ、日本の競馬界の夢が実現するか、凱旋門賞に期待するとしよう。
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2013.09.15 (Sun)

これから台風が・・・

 今は午後10時過ぎ、外は激しい雨が降っている。台風はこれからやってくるのかな。来なくてもいいのに。ところで先ほど、フランスはロンシャンで行われていた競馬のニエル賞を見ていたら、キズナが英国ダービー馬のルーラーオブザワールドと接戦になりハナ差で勝利を奪い取った。10頭立ての後方二番手から進み、最後の直線で脚色を伸ばし内から伸びてきた英国ダービー馬との競り合いを制した。これで俄然、凱旋門賞が面白くなった。また武豊も久々に上手く乗ったようだ。このあとはオルフェーヴルが登場するが、この辺でおさらばするとしよう。詳しいことはまた明日にでも・・・・・。
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2013.09.14 (Sat)

夏が復活

 昨日といい今日といい暑くてしょうがない。昨日なんか30℃超えどころか京都は35℃超えの真夏日を記録。今日も引き続き汗ばむような暑さ。おまけに湿気があるのでより暑く感じられる。とはいってもこのところ10月でも暑い日があるから、しょうがないかなとは思うが、先週が涼しかっただけにこの暑さのぶり返しにはウンザリさせられる。先週の感じだと、今年の9月は涼しいなあというものだっが、そうはいかなかった。やっぱり暑さのぶり返しがあった。それもこれも台風18号が接近しているせいでもあるだろう。強力な台風ではないが、台風は南の熱気まで運んでくるからどうしても暑くなるようだ。それにしても暑い。暑くて汗ばっかりかいているから水分ばっかり摂取している状態だ。雨でも降れば涼しくなるのだろうが、今日は先日の予報では雨の筈だった。ところが雨など一滴も振らない。それで暑いのだ。今週は晴れた日が続いていて、だんだんだんと地表温度が上がり、ここにきてのこの暑さ。8月のように、うだるような暑さというものではないが、ここにきての連日の夏日には参った。明日は雨でも降るのかな・・・・・。今のところ予報では雨模様であるが、こればかりは判らない。台風がゆっくりと近づいてきているが、だんだんと東へ向きを変えつつある。台風の接近は有難くないが少々の雨なら歓迎する。とにかく雨でも降らないと涼しくならないからどうしようもない。つまり台風が逸れて適度の雨だけを降らせて来れば、こんな良いことはないのだが、台風がもたらす雨は決まって大雨で、各地に被害をもたらすことが多く困ったものである。

 先週は秋が早いかなと感じたものの、今秋になって覆された気分になって、来週になるとどうなるのか。長期天気予報では9月は暑くて秋の訪れは遅くなるというものだった。でも先週の涼しさだと見事に外れたなと思っていたのだが・・・・やはり予報通り暑いのかもな。たまには天気予報より良い方向で筈れてくれればこちらも嬉しいのだが、良いようには何事も運ばないね。
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2013.09.08 (Sun)

東京オリンピックに物申す

 2020年の東京オリンピック開催が決定した。でも小生は口が腐ってもおめでとうとはいわない。むしろオリンピックに嫌悪感さえ抱いた。小生はオリンピックが嫌いなのは当ブログで再三に渡って書いてきたから当然の意見ではあるが、それに引き換えマスメディアのあの騒ぎようは一体どうなっているのだ。万歳、万歳のオンパレードだ。日本はここまで民度の低い国家になり下がってしまったのか。安部首相なんかわざわざアルゼンチンまで招致へのプレゼンテーションへ行ってしまったではないか。アホか・・・。そもそもオリンピックは国が開催するものではなく都市が開催するものである。なのに一国の宰相がアピールしにいくとは何事だ。そんなもの都知事に任しておればいい。本当に最低の首相だな。これでオリンピック誘致に成功したから、消費税も上げやすくなっただろう。もしかして、そのための招致ではなかったのか。それにオリンピックを起爆剤に経済の活性化を目論んでいることはありありだ。最早、オリンピックに頼るしか方法がなかったというよりも、それが一番手っ取り早いのだろう。

 そもそもこれは石原慎太郎がアドバルーンを上げたのが始まりだ。その本人は今は都知事ではない。それで2016年にも東京はオリンピック招致に名乗り出て失敗している。それでホッとしていたらまた懲りもせず、またオリンピック招致に立候補した。それで今回はマドリード、イスタンブールが相手なので、何れも問題を抱えている都市が相手だから開催都市に選ばれる可能性が高かったのは判る。しかし、日本国内で抱える山積した問題を後回しにしてまでオリンピックを開催する意味があるのかどうか。既に2016年の招致運動で150億円~200億円もの無駄な税金を浪費しているというのに今回の招致運動でさらに75億円もの無駄金を使おうとしている。それで招致に成功したからオリンピックの経済効果でそれに穴埋め出来ると思っているのか・・・。確かにインフラ整備やその他のことで経済が活性化するかもしれない。実際に東京都の開催実行委員は3兆円の経済効果が見込まれると試算しているらしい。

 しかし、こんなの仮に経済が潤っても東京の周辺だけの話だろう。東京以外はどうなってもいいのか。石原慎太郎が都知事時代にオリンピック開催に乗り出した。理由は閉塞感の打破である。今の日本を活性化するには東京でオリンピックを開催することだというものだった。小生はアホかと思った。東京でオリンピックを開催したところで日本が活性化すると思っているのか。東京だけは物と金がどんどん集まって、確かに活性化して豊かになるが、地方との格差はそれ以上広がるばかり。結局は東京のためのオリンピックでしかない。それと過去に一度開催しているのに、また開催するという厚かましさ。これを厚顔無恥という・・・・・・。

 そもそも政治、経済、文化の一局集中が地方の衰退の最大の要因だとされるのに、それを助長する今回の開催決定。それは何も地方だけの問題ではない。東京都だってオリンピック特需を見計らって再開発をするにあたり貧困層を締め出そうとしているのだ。2008年の北京オリンピックがそうであったように、臭いところには蓋をしよという試みが当然、行われるだろうし、富裕層と貧困層の二極化が今後、一層強まるのは確実だろう。今の日本には夢が必要だといって開催するらしいが、どなたのための夢なのだろうか。ただアスリートのための夢だろう。あとはこの巨大プロジェクトで潤う人、及び関係者だけの話である。ただ国威発揚のためなら止めてほしい。最早オリンピックなんて20世紀以前の遺物でしかないのだから。それでも開催するのだから困ったものだが、何も東京都民だっていいことばかりではないだろう。オリンピックによって警官や自衛隊が大量に動員される。ことにテロ対策には敏感だ。それにより東京はより街の管理が進む。そこら中、警備員が蔓延ることになることは目に見えている。今でも東京は電車に乗っても街に出ても、何処かしこも人が多過ぎて小生はもう行くのが嫌になっているのに、今後、行かないといけない事情が出来てもおそらく断るだろう。今後、さらにオリンピック開催に向けて集中度が増すことが明確になった。それに対処するために警備がさらに強化されるのだ。まだ7年後とはいえ、もう準備に入るだろうし、何処も大混雑で更に住みにくい街になるだろうな。本来から住む気はないが以前は出張とかで度々、行っていた。もう最近は行かなくなったし行く気もない。それでオリンピック開催決定で、余計に行く気が失せた。

 ところで話は変わるが福島の原発問題はどうなったのだ。東日本大震災への復興支援はどうなったのだ。これらの震災難民という人たちが未だに故郷を追われてひっそりと仮住まいで暮らす状況が続いているという。それらを差し置いてオリンピック招致成功か。今後、負の方は忘却され、オリンピック一色になってしまうのかもしれない。困ったものだ。まあオリンピックは大嫌いであるが東京以外で開催するなら、ここまでは小生も物申さなかったのだが、開催が決まってしまった以上、何を言ってもしょうがない。しかし、これ以上、国の税金を無駄遣いしないでほしい。東京都のお金だけで開催してほしいと思う。こう言っても国がいらん大金を投入するだろうが・・・・。最も小生、最近は健康状態があまり良くないので、あと7年五体満足で生きていられるかどうか、そちらの方が気になるので東京オリンピックがどうのこうのと言ってる場合ではないが・・・・・。
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2013.09.08 (Sun)

ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』を読む

 この小説も入院している間にそれこそ40年数年ぶりに読んだのである。これも長い小説で岩波文庫で全4巻だったかな。子供のころは確か『噫無情』という題だったように思うが、最近は『レ・ミゼラブル』と原題で表記されることが多くなった。これも今時の流行りかな。でもフランス語でレ・ミゼラブルと言ったって何の意味か判らない。小生は昔のように『あゝ無情』のタイトルの方が判りやすいと思うのだが・・・・。

それにしても長い小説だ。あらすじを簡単に説明しようにも簡単に行かない。それでも簡単にあらすじを書くとするか。餓えのため泣く甥や姪のためにパンを盗んで19年もの長期間懲役を科せられたジャン・ヴァルジャンは、釈放されたのが1815年ワーテルローの戦いの年であり、既に46歳になっていた。だが惨めな姿をしたジャン・ヴァルジャンに街の人々は扉を閉ざす。そんなジャン・ヴァルジャンにミリエル司教は彼を人間としてもてなす。なのにジャン・ヴァルジャンは徒刑の間に悪を身に染み込ませてしまったのか、司教大事にしていた銀の食器を盗んでしまう。翌朝、憲兵に捕えられたジャン・ヴァルジャンを司教は許し贈り物として与え、ついでに銀の蝋台も与える。これをきっかけに立ち直り善と徳の道へと向かうようになる。
]
 ジャンはマドレーヌと名を変え北部フランスのに住みつき、町の発展につくし人望を集め市長となる。しかし、前科者は社会復帰を認められていない。往年のジャンを知っている冷酷無情な警部ジャベールは彼を快く思っていない。折から誤ってジャン・ヴァルジャンとして捕えられた男があり、ジャンは一夜の苦悩の末、自らの正体を告白し男を救う。結果としてジャベールに前科者として逮捕され、終身刑の判決を受け脱獄する。

  ジャンは市長時代に薄幸の女フォンテーヌにその死の床でした約束を守って、人非人のテナルディエ夫婦のもとで惨めな幼年時代を送っていた娘コゼットを救い出す。パリにコゼットと共に居を構えたジャンは、ようやく愛するべき子を得て心的にも人間として成長する。ところがジャベールの追及はここにも及び、2人はとある僧院に身を潜め、ここでコゼットは美しい娘に成長する。やがて僧院を出て街中でひっそり暮らす2人が散歩の道で出会う青年マリウスと、コゼットはひそかに恋心を抱き合うようになり、ジャンはそれに嫉妬する。

  折しも1832年6月、共和党の反乱が起こり、マリウスもそれに加わる。ジャンもそれを知ってバリケードをに赴き、スパイとして捕えられていたジャベールを逃がし、傷ついたマリウスをコゼットを奪う者として半ば憎みながらも、地下水道を通って救い出す。その出口で再度まみえたジャベールは2人を送り届けるとセーヌに身を投げる。傷いえたマリウスとコゼットは結婚し、取り残されたジャンは衰弱していくが、ジャンの正義と慈愛の心を知ったマリウスはコゼットトと共にジャンを訪れ、2人の愛に包まれてジャンは息を引き取る。その枕もとにはかつてミリエル司教から与えられた銀の燭台が灯されていた。

 以上、簡単なあらすじだが、これだけ長い話を簡単にあらすじにするのは難しい。もっと色々と込み入った話が含まれているが、それらを事細かに書いていては字数が幾らあっても足りないので、簡単に纏めてみたのだがそれでも小説の大雑把な筋書きしか判らないだろう。

 ヴィクトル・ユゴーは1845年~1862年までかけて書いたというから、内容が濃くて長い。その主題となるものは惨めな人を作る出している者への憤りから生みだされたものとされ、タイトルのLes Miserables(惨めな人々)という題の通りの小説である。社会への悪を告発し人間性の善の成長を讃え、さらに時代の風俗の全体像を描き出すことに勢力を注いでいる。・・・・・法律と習俗とがるために、社会的処罰がうまれ、それによって文明のただ中に人工的に地獄が生みだされ、神のつくりたもうべき宿命が人間のつくる運命によってもつれさせられて・・・・・とヴィクトル・ユゴーは言っている。こうしてユゴーは悪に立ち向かう良心の芽生えと成長をする人間としてジャン・ヴァルジャンを登場させたのである。しかし、ヴィクトル・ユゴーがこの小説を書かないまでも、善と悪というのは何時の時代でも存在する。しかし、善と悪は紙一重のところがあり、現在社会のように、より複雑な世の中になると簡単にはいかないのが現実である。善の行為だからと行っていても実はそれが間違っていた行為だということは大いにありうるし、善だ悪だと白黒はっきり分別できない場合も多々ある。それだけにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の小説は長すぎるにしては判りやすい小説ということはできるだろう。何が善で何が悪だと読んでいても明確なのである。したがって小学生用に短く書き直された『レ・ミゼラブル』もあれば、コゼットに焦点を当てた少年少女向け小説やコミックもあるぐらいだ。謂わば思慮分別の判断がまだ出来ない小学生に読んでもらいたいのか、その類いの『レ・ミゼラブル』版が過去に幾度となく出版されている。でも小生は全容を知るには、映画や少年少女向けではなく完全版で読むべきだと思う。でも長いからあまり読んでいる人はいないだろう。それに話が今となっては時代錯誤も甚だしいというのもある。でもユゴーという人の人間性がよく表れている。今の日本にこの様な善悪の判りやすい小説が誕生するかと言ったらあり得ないだろう。
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2013.09.01 (Sun)

気がつけば9月

 何時の間にやら9月になってしまった。なってしまったななて暢気なことを言っているが、何しろ6月と7月はほとんど病院にいたという記憶しかないから、この夏はほぼ1ヶ月ほどの体験でしかないのだが、格別に暑かったかな。大阪や京都では17日間猛暑日を記録するなど殺人的といってもいいほどの暑い毎日だった。たった1ヶ月での夏体験でバテバテになってしまった。

 あの17日間というの体温以上の日ばかりで参ってしまった。家の中にいても汗がタラタラ、医者から水分を充分摂れと言われているので往生した。冷たいお茶ばかり飲むと胃のほうも疲れるので、出来る限熱いお茶を飲むようにしていた。しかし、熱いお茶を飲むと身体も熱くなるからさらに汗が出る。するとシャツも汗でベトベト。なんだかんだで選択ばかりしていたかな。

 今日は昨日の午後から降り出した雨で朝から幾分か涼しいのでホッとするが、それでもムシムシする。湿気があるのかな。それでも真夏の灼熱地獄から比べれば過ごしやすい。それでもまだまだ残照が厳しい日が続きそうで、もうしばらくはエアコンのお世話になりそうである。そして、待望の秋が来る。皆は春が来るのを待ち焦がれるみたいだが、小生は昔から秋が来るのを何時も待ち焦がれていたものだ。やはり個人的には秋が一番好きかな。
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