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2009.05.31 (Sun)

第76回日本ダービー

 ダービーのスタート時間が近付いてきたのでテレビの電源を入れてみて驚いた。何と東京競馬場は雨。それも降り続いていたのだろうか馬場は不良・・・・・。思わず、エッと唸ってしまった。こちらは快晴で暑いぐらいなのに、不良馬場なんて予想もしていなかった。これだと昨日、血統からみた日本ダービーなんて記事を書くのじゃなかった。まさか不良馬場になるとは思わなくて、飽く迄、良馬場を前提にして書いた記事なので、今日のダービーの不良馬場は寝耳に水であった。

 思い起こせば、私が最も競馬に熱中していた昭和40年代の日本ダービーは、決まって雨やがよく降り馬場が悪かった。それが最近の日本ダービーは、偶然なのかしらないけれど雨が降らなくて、馬場も良馬場というのがお決まりであった。それが雨の不良馬場。これだと昨日の予想なんてなんの意味もなくなり、改めてダービーの展開を考え直さなくてはならないと考えている間にダービーのスタート時刻が迫ってきた。

 でも何時以来の雨のダービーだろうか・・・。私が初めてテレビで観戦した昭和40年のダービーは雨の中、皐月賞を惨敗したキーストンが内枠を利して逃げ切った。また雷鳴轟く雨の中のダービーで勝ったのはアサデンコウだった。その翌年も馬場が悪かったが、この時もマーチス、タケシバオー、アサカオーの3強を尻目に逃げ切ったのはタニノハローモアだった。昭和44年も天候は良くなく、ドロンコ馬場の中、1番人気のタカツバキがスタート直後に落馬してしまい波乱となった中を勝ったのがダイシンボルガードだった。昭和46年のダービーも雨は上がってはいたが馬場は悪かった。そんな中、第4コーナー25番手の位置から大外を通って追い込んだのはサラ系の安馬ヒカルイマイだった。そして、その翌年の1972年(昭和47年)のロングエースが勝った七夕ダービー(7月に行なわれた)の時、私は東京競馬場にいた。あの時も確か小雨であるが降っていた。・・・・・おそらく、この年から以降、雨が降っていたという記憶は無い。それほど最近の日本ダービーは天候に恵まれていたのだ。さて、前置きが長くなってしまったので、そろそろ第76回東京優駿・日本ダービー(Jpn-Ⅰ・3歳、芝2400m、18頭)の回顧に移ろうとしよう。

 雨の中、18頭が飛び出した。最内のロジユニヴァースが真っ直ぐ行く。真ん中からジョーカプチーノ、さらにリーチザクラウンが行く。大外の人気馬アンライバルドは外から徐々に内に入って行き後方から行く模様である。ハナを奪ったのはジョーカプチーノである。向こう流しに入って飛ばす飛ばす。2番手を大きく引き離しにかかる。2番手にリーチザクラウン、3番手に5馬身離れてロジユニヴァース。その後にゴールデンチケットが行き、5番手にマッハヴェロシティとアントニオバローズ、さらにトライアンフマーチ、ケイアイライジン、アプレザンレーヴと続き、その直後にフィフスペトル、アーリーロブスト、アイアンルック、そしてトップカミング、セイウンワンダー、その外にようやくアンライバルドがいる。さらにはブレイクランアウト、ナカヤマフェスタがいて、最後方にシェーンヴァルトだがこの馬場で、この位置ではちょっとしんどいな・・・。

 ラップタイムは12.8---11.0---11.8---12.1---12.2---12.4と1000m通過が59秒9、1200m通過が1分12秒3と、この馬場にしては速すぎる。でもこれは後続を10馬身ぐらい引き離しているジョーカプチーノのタイムなので、2番手追走のリーチザクラウン以下は、ちょうど良いペースである。まもなく3コーナーから4コーナー、ここで後続が一気に詰めて来たが、外を通っているアンライバルドは道悪が苦手なのかもしれない。切れ味で勝負するタイプには苦しい展開となった。さあ、いよいよ直線に向く。先頭はリーチザクラウン、2番手に内をついてロジユニヴァース、アンライバルドは伸びそうも無い。あと400mを切ってから最内のロジユニヴァースが先頭に立った。ロジユニヴァースがインコースからスイスイと先頭に立つ。2番手にリーチザクラウン、後続は伸びてこない。先頭はロジ、ロジ強い。ロジ強い。最早、勝利確定。2番手にリーチザクラウン、アントニオバローズが接近。先頭はロジユニヴァースでゴールイン。

 1着ロジユニヴァース 2分33秒7、2着リーチザクラウン 4馬身、3着アントニオバローズ アタマ、4着ナカヤマフェスタ 1/2、5着アプレザンレーヴ 3/4。

 良馬場でやらせてみたかったというのが正直な気持ちである。時計が2分33秒7なんて、馬場が荒れて悪かった昭和40年代のダービーでも滅多にない遅いタイムである。ダイシンボルガードが勝ったダービーが2分35秒1でキーストンが勝ったダービーが2分37秒5である。あの時代と比べれば今は馬場が整備され仮柵使用で馬場が昔のように荒れてない。でも、この遅い勝ち時計ということを考えれば、ロジユニヴァースは相当な重巧者といえるかもしれない。もともと地力はあったが、一瞬の切れ味の無い馬なので、結果的に今日の馬場と最内枠が味方したように思う。なにしろこういった馬場は先行したほうが有利なのは明白である。そのことを考えれば、アンライバルドには逆風が吹いていたのかもしれない。

 ただ先行したほうが有利とは書いたが、逃げたジョーカプチーノは暴走といっても良い。結果的に前半が1分12秒3に対し、後半が1分21秒4もかかっているレースなんて、ほとんどお目にかかったことが無い。つまり大きく離れた3番手のインコースに位置したロジユニヴァースが最も良い位置取りだったということだ。これは横山典の好騎乗といってもいいだろう。でもここまで馬場が水分を含んで悪化していたとは予想外だった。確かにロジユニヴァースは強かったが、良馬場ではどうなっただろうかという思いが私の中にはある。だからあまり今日の結果は、今後のレースに参考になりそうもないが、とにかくロジユニヴァースは力のいる馬場だと圧倒的に強いことが判った。とはいえ、同じ父を持つアンライバルドと全くタイプが違うというのも面白い。血統というのは父親ばかりで判断してはいけないということである。
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2009.05.30 (Sat)

血統から見た日本ダービー

 明日、競馬の祭典、第76回日本ダービーが行われるので、久々に日本ダービー出走馬の血統を分析することにした。

 私は小学生の時から日本ダービーを観ているので、既に40年以上はダービーとお付き合いしている。あの頃は28頭という多頭数で行なわれていたので、運が左右し大外枠は不利といわれた。それが今ではフルゲートが18頭なので、枠の内、外関係なく、実力が出易いレースとなった。それで最近のダービーは比較的、人気馬が勝つ可能性が高くなり、とんでもない人気薄が勝つことも少なくなった。でも人気薄の馬が勝った場合でも、血統を調べてみると、なるほどという答えが返ってくるほどサブレッドにおける血統というのは普遍的価値がある。それで今回、ダービー出走馬の血統を調べれば、何らかの傾向が見られるだろうと思い行なってみることにした。

 それでは、まず過去10年間におけるダービー馬の父系ラインというものを書き出してみた。

アドマイヤベガ  サンデーサイレンス(ヘイルトゥリーズン系)
アグネスフライト  サンデーサイレンス(     〃     )
ジャングルポケット  トニービン(グレイソヴリン系)
タニノギムレット  ブライアンズタイム(ヘイルトゥリーズン系)
ネオユニヴァース  サンデーサイレンス(    〃     )
キングカメハメハ  キングマンボ(ネイティヴダンサー系)
ディープインパクト  サンデーサイレンス(ヘイルトゥリーズン系)
メイショウサムソン  オペラハウス(ノーザンダンサー系)
ウオッカ  タニノギムレット(ヘイルトゥリーズン系)
ディープスカイ  アグネスタキオン(ヘイルトゥリーズン系)

 過去10年間の日本ダービーの勝ち馬の父親は、圧倒的にヘイルトゥリーズン系が強くて7頭出ている。それ以外だとトニービン、キングマンボ、オペラハウスがダービー馬を輩出していることになる。

 この結果を見ると、現在の日本の競馬はヘイルトゥリーズンから出たブライアンズタイムやサンデーサイレンスの父系ラインから多くのダービー馬が生まれていることになるが、これは最近15年間、この傾向は変っていない。中でもサンデーサイレンスは種牡馬としては驚異的な成績を残し、その産駒の多くが種牡馬として成功している。このような事態に至っては、今後もサンデーサイレンス系の種牡馬を中心にして、まだまだヘイルトゥリーズン系が隆盛を極めることになるのかもしれない。

 それで、今年のダービーの出走馬18頭について、とりあえず父系だけを取り上げてみることにする。

ヘイルトゥリーズン系(ロジユニヴァース、アプレザンレーヴ、トップカミング、マッハヴェロシティ、ナカヤマフェスタ、ジョーカプチーノ、アントニオバローズ、セイウンワンダー、リーチザクラウン、アーリーロブスト、トライアンフマーチ、アイアンルック、アンライバルド)

 何とヘイルトゥリーズン系の馬が13頭もいる。やはり主流の血統だけあって他を圧している。その他の系統ではフィフスペトル(キングカメハメハ・・・・・ネイティヴダンサー系)、ケイアイライジン(ケイムホーム・・・・・ネイティヴダンサー系)、ブレイクランアウト(スマートストライク・・・・・ネイティヴダンサー系)、シェーンヴァルト(ジャングルポケット・・・・・グレイソヴリン系)、ゴールデンチケット(キングカメハメハ・・・・・ネイティヴダンサー系)ということなのであるが、ネイティヴダンサー系が4頭。

 つまり今回の日本ダービーは父系(サイヤーライン)からいうとヘイルトゥリーズン系対ネイティヴダンッサー系といった図式が成り立つ。これを見ると、今の日本の競馬界は一部の父系ラインで席巻されてしまい、血統的にバラけてなくて将来に不安を残す結果となった。これら以外の系統の馬がもっともっと活躍してくれないと、血の活性化といった意味では好ましくない。でも特定のサイヤーラインが淘汰の結果、残ってしまったのだからしょうがないが・・・・・・・・。

 この結果、やはり勝ち馬はヘイルトゥリーズン系から勝ち馬が出る公算が強くなった。現実からいっても今のところ1番人気に支持されているアンライバルドにしろ、2番人気のロジユニヴァースにしろ父が同じネオユニヴァースなのだから偶然とは思えない。また3番人気のセイウンワンダーも父はグラスワンダーと上記2頭とは異なるが、同じヘイルトゥリーズン系の種牡馬である。このことを考えると、ヘイルトゥリーズンから派生した種牡馬は、如何に日本の風土と馬場が合ったのか、その産駒たちは大活躍をした。だが、これだけヘイルトゥリーズン系の馬ばかりだと、どの馬が血統的に向いているか漠然としてしまう。それで今回はヘイルトゥリーズン系の13頭について母の父も調べてみた。

 ロジユニヴァース(ケープクロス)、アプレザンレーヴ(ハイエストオナー)、トップカミング(サクラバクシンオー)、マッハヴェロシティ(タイキシャトル)、ナカヤマフェスタ(タイトスポット)、ジョーカプチーノ(フサイチコンコルド)、アントニオバローズ(キングマンボ)、セイウンワンダー(サンデーサイレンス)、リーチザクラウン(シアトルスルー)、アーリーロブスト(マゼルトリック)、トライアンフマーチ(ダンシングブレーヴ)、アイアンルック(ヘクタープロテクター)、アンライバルド(サドラーズウェルズ)・・・・・・・・ブルードメアーサイヤーをとりあげてみても、力強い血統馬が多いと思える。

 ロジユニヴァースの母の父ケープクロスは馴染みがないが、ノーザンダンサー系の種牡馬で自身はマイラーであったが、産駒に名牝ウィジャボードを出していて2400mも問題ないと思う。アプレザンレーヴのハイエストオナーも馴染みが無い。この馬は芦毛のグレイソヴリン系で、力強いタイプの馬を時々輩出するので、この馬も侮れないと思う。ナカヤマフェスタのタイトスポットは無名の種牡馬だがリボー系である。スタミナ的には問題ないだろう。未知数がタイキシャトル、サクラバクシンオーといったマイラー系種牡馬を母の父に持っている場合だが、スピードがあるとはいっても東京の2400mで競ったときに最後の詰めで伸びないということもありえるので血統的には推せない。

 アーリーロブストの母の父マゼルトリックもどうだろうか? ニアークティック系という珍しい系統だがノーザンダンサーはニアークティック系だからスタミナ的には耐えられると考える向きもあるがマイナー種牡馬のことマイナス材料である。

 ところでどの馬が最適だということなのだが、2400mに適した馬ということになると何頭かいる。それらを挙げるとフィフスペトル、ナカヤマフェスタ、ブレイクランアウト、ジョーカプチーノ、アントニオバローズ、セイウンワンダー、リーチザクラウン、シェーンヴァルト、ゴールデンチケット、トライアンフマーチ、アンライバルド・・・・・これらは血統的に見て2400mという距離に適していると思う。ただし馬の個々の能力は別にしての話であるが、アンライバルドで気になったことであるが、大外というのが気になった。この馬は気性難を肝心な時に出さないだろうか・・・・・。絶えず大外を回って余計な脚を使ってしまい、最後に瞬発力が不発ということも有り得るし、岩田騎手が東京コースでもう一つ実績を上げてないことも気になる、また、ロジユニヴァースの最内も気になるところであるし、前走の皐月賞の負け方も頂けない。それで大穴党としてはシェーンヴァルトを単穴として買って、あとは・・・・言わないよ・・・・・・・。まあ、外れるだろうけど・・・・ダービーは馬券を買って参加するところに意義がある。結果は明日の午後3時45分には出ているだろう。
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2009.05.29 (Fri)

箸墓古墳の話題から

 奈良県櫻井市にある箸墓古墳の築造時期が西暦240年~260年とする調査報告があった。かつてから箸墓古墳を調査研究していた国立歴史民俗博物館のグループが報告したもので、この度、日本考古学協会の総会で発表するという。でも、それがどうしたと問われれば身も蓋もないが、この西暦240年~260年というと魏志倭人伝に記載された邪馬台国と時代が被るから、考古学者間の論争に今後、ますます拍車がかかることが予想されるので、考古学ファンには目の離せない調査報告という訳である。

 邪馬台国のことは中国の魏志倭人伝に詳しく記述されていて、元々、国は男が治めていた。でも国家成立から100年未満で倭国大乱が起き、邪馬台国も影響から逃れることは出来なかった。だが、卑弥呼という女子を王にたて、卑弥呼の弟が補佐する形で混乱を収め国を治めていた。やがて卑弥呼は魏の国に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。そして、「卑弥呼以て死す、大いに冢を作る」とあるように、魏志倭人伝に記載された247年頃に卑弥呼が死んだとある。

 つまり箸墓古墳が作られた頃と卑弥呼の死んだ時期が一致するということで、邪馬台国畿内説が強くなったと唱える学者が姦しくなったということである。箸墓古墳の築造年代のをどのように割り出したかというと、同古墳から出土した土器に付着した炭化物など20点を放射性炭素年代測定で出された結果だという。これで鳴りを潜めていた邪馬台国における九州説と畿内説を巡っての論争が、また再燃するのだろうなあと新聞の記事を読んで頭に浮かんだことである。

 帯方郡から倭国に至るには水行で海を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。始めて海を1000余里渡ると対馬国にいたる。大官は卑狗、副官が卑奴母離。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へ行く。・・・・・・まあ、こんな調子で魏志倭人伝には卑弥呼が治める邪馬台国への行き方が記載されているのだが、何故、九州説と畿内説に分かれたかというのは、この記述通りに道を辿るとすると九州説だと距離が合わない。畿内説だと方角が合わない。ということで説が分かれたということなのだが、南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至るという記述のところで、考古学者はこのまま行けば九州からはみ出るという人が出て、南ではなく東に行けば機内に収まるという人が出だし、方角を間違ったのだという。

 いわば邪馬台国があったのは九州だという人と、畿内だという人に分かれる要因になったのは上記のような理由であるらしいが、一般的に東大学派と京大学派で意見が分かれているという。九州説を唱える東大学派に対し畿内説を唱える京大学派の間で喧々囂々と長い年月言い合っている。でも考古学者の間では最近は畿内説を唱える人が多いという。それで今度の箸墓古墳の築造時期の発表で、今後、邪馬台国論争がどのように展開していくのか大いに注目されるのであり、私なんか、そんなものどっちでもいいと思うが、考古学の研究者にとっては大きな問題なのだろう。けども、魏志倭人伝における邪馬台国の記述は100%信頼していいものだろうか。あの記述に対して、信憑性を疑ってかかる学者もいてるぐらいだ。いずれにせよ太古の昔に夢を託すのはいいが、邪馬台国論争については何時も、子供の喧嘩のように思えてしかたがない。

EDIT  |  21:42  |  時事  |  Top↑

2009.05.27 (Wed)

ヘルマン・ヘッセ・・・・・『車輪の下』を読む

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 中学1年の時だったか夏休みの宿題で読書感想文を書く課題があって、何を読んでいいのか判らない生徒のために幾つかの推薦図書というのが挙げられ、夏目漱石『我輩は猫である』『坊ちゃん』、芥川龍之介の幾つかの作品に混ざって、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』も推されていたと思う。ということはさほど難しい小説ではなく、この年頃の少年、少女に読んで欲しいということで先生方は『車輪の下』を選んだんだと思う。が、生来のへそ曲がりの小生は、そんなもの読めるかと、スタンダールの『恋愛論』を判らないまでも、適当にまとめて提出した覚えがある。でも教師に、こんな物、読むのは早すぎると言われ憤慨したものだ。一応、『車輪の下』も読んだが、『車輪の下』というのは、如何にも大人に向う過程で少年が成長していき最後には挫折していく様を如実に表現した作品ということで、中学時代の小生にとっては月並みな話で面白くなかったという印象でしかない。

 簡単なあらすじをいうと、田舎町シュヴァルツヴァルトに住むハンス・ギーベンラート少年は天分のある子供だった。町中の誰もがハンスを優秀な頭脳の持ち主だということを認めていた。周囲はハンスが州の試験を受けて神学校に進むことが当然の成り行きであると考えていた。商人の父はハンスに将来の夢を託し、学校の教師はハンスがエリートの集まりである神学校に入り、チュービン大学に進んでくれることを望んでいて、それにより学校の名が高まることを期待しているのであった。そのことにより傷つき易い純粋な少年だったハンスは期待に応えるべく、ひたすら勉学に励むのであるが、一般の少年と違い少年らしい遊びも制限され、州試験合格のため過酷な勉強をおしつけられ、次第に孤独に陥り頭痛の発作にも悩まされる。どうにかハンスは優秀な成績で神学校に入学し、将来を嘱望されるのである。しかし、そこでの生活はハンスの期待を裏切るものであった。規則ずくめの味気ないものであったが、ハンスはそこでハイルナーという詩や文学を愛する自分とはかけ離れた少年と出会う。ハンスは親を疑うことさえ知らない少年だが、ハイルナーは自由奔放な空想家である。結局、ハンスはハイルナーの感化を受け入れてしまい、学校の成績も徐々に落ちていき、神経が衰弱してしまい、とうとう郷里に送り返されてしまう。彼に期待した郷里の人の見る目は辛辣であり、彼はおまけに少女に弄ばれてしまい、見習い工として出直そうとするが、同僚との軋轢があり、失意のどん底に陥ったハンスは川に身を投げてしまう。

 この話はヘルマン・ヘッセの少年時代の体験がダブっているのだから、自伝的小説とも言えるだろう。ただしヘッセは自殺などしなかったが、小説を読む限りドイツの神学校というのはたいへん厳しい学校であったことが窺える。中学の頃は勉強を強要されたものの必死になって勉強などしたことがない小生は、ハンスのような周囲の期待に応えるべく勉学に必死になれる心理というものが判らなかった。だから『車輪の下』という小説の何処が推薦図書に指定されるほど良いのか正直、判らなかった。勉強なんて親や学校の期待に応えるために励むのではなく、所詮は自分自身に跳ね返ってくるのだということを理解するのに数年を要することになるのだが、中学生の時に気がついていれば小生の人生ももっと変ってはいただろうとは思う。

 小生の中学時代というのは偏差値のことなどとやかく言わなかったし、塾に通っている生徒なんてほとんどいなかった。勉強していうる子は家でひそひそと努力していたのだろう。それで高校に入ってからは、のんびりした中学時代と違って周辺が一変したことは言うまでもないが、予備校に通う生徒がいたり、家庭教師をつけている家庭もあった。ただし小生は相変わらず暢気なものであったものの、高校の3年にもなると人並みの勉強はやっていたと思う。ということで高校3年の時、『車輪の下』を読み直し共鳴するものがあったような記憶がある。

 現在の高校生は、多くの子が塾に通い、ほとんどの子が大学まで進む。これだと少子化が進み過ぎて子供が少なくなった分、親の目が届きすぎて、期待が子供に注がれることは必至であるから、今の時代に中学生、高校生でなくて良かったと頭脳の弱い小生なんかはホッとするのでもあるが、人生なんてどうせ一生勉強なんだから、多かれ少なかれ、年齢の若い時に知識を詰め込むほうが効果的だということは、この年齢になってから判ることであるものの、多感な少年時代に詰め込みの勉強を強いられ周囲から期待を受けるとプレッシャーを感じないほうがおかしいだろう。とはいうものの若い時にもっと勉強をしていればよかったのにと後悔するのは、大人になった人の偽らざる心境である。これが少年時代に判っていればといいながら、少年時代には勉強意外に興味を持ち、そちらのことに気が向いてしまい勉強どころではないといったことが多々ある。つまり『車輪の下』というのは、少年時代よりも大人になってから判りえる小説かもしれないという気がする。
EDIT  |  20:21  |   |  Top↑

2009.05.25 (Mon)

高見山大五郎引退

 高見山大五郎こと東関親方が来月の16日で65歳の定年年齢に達し相撲界を引退される。高見山大五郎といっても若い人にはピンとこないかもしれない。で元横綱・曙の師匠といえば判るだろう。

 高見山大五郎・・・・1944年6月16日、ハワイのマウイ島に生まれる。本名ジェシー・ジェームズ・ワイラニ・クハウルア。19歳の時、当時の高砂親方(元横綱・前田山)に連れてこられて来日。東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の春場所初土俵、夏場所で序の口優勝、1967年(昭和42年)春場所で新十両。そして1968年(昭和43年)初場所で親入幕、この場所は9勝6敗で敢闘賞。1972年(昭和47年)名古屋場所で幕内初優勝。1980年(昭和55年)日本に帰化、日本名は渡辺大五郎。1982年(昭和57年)名古屋場所で自らスカウトした小錦が初土俵。1984年(昭和59年)夏場所、39歳11ヶ月で現役引退、東関襲名。1986年(昭和61年)2月、独立して東関部屋を興す。1993年(平成5年)1月、弟子の曙が外国出身初の横綱昇進。2001年(平成13年)1月、弟子の曙が引退。2009年(平成21年)6月、65歳定年で相撲協会を退職の予定。

 以上、高見山こと東関親方の簡単な略歴を記した。・・・・ジェシー高見山大五郎で親しまれた東関親方は、外国出身の力士のパイオニアとして言葉も文化もしきたりも何もかも違うハワイから単身来日し、日々、尽力し今日を築き上げ、相撲界に多大な功績を残し引退されることとなったので、私はここで簡単な記事を書くに至ったのである。

 いわば現在の外国人力士が角界で大活躍するようになったのも、高見山がいたからであり、彼がレールを敷かなければ、後から続く者などいなかった筈である。思えば高見山が新入幕で初土俵を踏んだ時の騒がれようといえば半端じゃなかった。外国人初の幕内誕生で、本場所の土俵におけるテレビ中継を凝視するように観ていたのが昨日のようである。あれから40年以上も経つのだなと、驚いている次第である。ただ巨漢力士ゆえに足元が弱く、型にはまったときの強さは本物で、横綱でさえ簡単に押し切られたが、組まれたときの脆さも同居していて、成績が伸び悩んだのもそのためである。

 身長192cm、体重205㎏という当時の関取としては図抜けた大型力士であった。でも小さな力士に組まれては簡単に転がされていたりして、負けるときの弱さが面白くて私は高見山の相撲を観ていたところがある。だが、そんな高見山が一度だけ13勝2敗で優勝したときは非常に嬉しく感じた。長い間、異国の地に来て、とうとう幕内の優勝まで成し遂げて、外国人初の優勝とは・・・・・・・・。今なら、なんら珍しくはないが、何でも最初に道を切り開いた人は偉いのである。彼がいたからこそ、後進の外国人力士はついていけたのである。彼が中途で投げ出せば、今日の外国人力士全盛に繋がっていたかどうか・・・。

 日本人にとっても耐え難いほどの特殊な世界である相撲界へ、外国人が飛び込んだときの気苦労、息苦しさ、辛さは想像を絶していたのではないだろうか。でも高見山はそれらの壁を乗り越え、日本人以上に日本人らしくなり、この度、45年間の長きに亘って在籍した相撲界から去られることになった。通算812勝842敗、97場所幕内在位、1430回幕内出場は何れも史上第1位である。怪我をしても休場せずに、何時までも愛嬌を絶やさず、相撲人気の隆盛に大きく貢献した力士、高見山大五郎よ本当に有難う・・・・・。たとえ偉大な関取でなくとも、人の記憶に永遠に残るだろう。高見山大五郎、本当にあなたは立派な関取でした。
EDIT  |  21:33  |  スポーツ  |  Top↑

2009.05.24 (Sun)

第70回オークス

 今日、東京競馬場で第70回優駿牝馬・オークス(Jpn-Ⅰ・3歳牝馬、芝2400m、17頭)が行なわれた。今年は牝馬にブエナビスタという強烈な末脚を持つ大本命馬がいて、この馬がどんな競馬を披露して勝つのかといったところに注目が集まっていて、人気もブエナビスタが単勝1.4倍と断然で、あとはレッドディザイア、ディジアーナ、ジェルミナルの順であった。

 定刻3時40分、17頭がスタートした。横一線からヴィーヴァヴォドカ、デリキッドピースが先行争いをするように第1コーナーを回る。どうやらヴィーヴァヴォドカがハナを奪ったようである。5馬身のリード。2番手にデリキッドピースで、3番手はまた5馬身、6馬身離れてディアジーナ。フミノイマージン、ダイアナバローズ、ハシッテホシーノ、マイティースルーと続き、ツーデイズノーチスとジェルミナルが併走して、そのあとにインコースを通って人気のレッドディザイア、さらにブロードストリート、パドブレ、サクラローズマリー、ダノンベルベール、が行って、ルージュバンブー、そしてようやくブエナビスタで、最後方にイナズマアマリリスというところ。まもなく3コーナーにかかる辺りブエナビスタは後方から2番手の位置。ハロンラップは12.4---11.3---12.3---12.5---12.5---12.5と1000m通過が1分01秒0、1200m通過が1分13秒5と3歳牝馬のレースとしては平均ペースか・・・・・・。でもブエナビスタは後ろ過ぎないか? 

 大欅の向こう側を通過した辺りから後続馬が仕掛けに入るがブエナビスタは外へ持ち出して後方から3番手辺り。馬群が徐々に固まってきて、いよいよ直線に入ろうというところ。先頭はヴィーヴァヴォドカ、2番手にデリキッドピース。ブエナビスタは外の後方。あと250m、ここでレッドディザイアが先頭に立った。ブエナビスタは外から先行集団をかわしにかかる。あと200m、レッドディザイア完全に先頭、逃げ込もうと懸命である。ブエナビスタは外側の5番手あたり、レッドディザイア先頭、ブエナビスタが伸びる。一気に伸びる。レッドディザイアが粘る。ブエナビスタが迫る。レッドディザイアかブエナビスタか。ブエナビスタ捉えたか。2頭ほとんど並んでゴールイン。

 1着ブエナビスタ 2分26秒1、2着レッドディザイア ハナ、3着ジェルミナル 3馬身、4着ブロードストリート 1馬身3/4、5着ディアジーナ 1馬身1/2。

 なんとも大胆なブエナビスタのレース振りで、薄氷を踏むような勝利である。だが桜花賞と同様のレースで、同じレッドディザイアを差し切った末脚には驚愕せざるを得ない。上がり3ハロンのタイムも33秒6とは素晴らしい。また1着から3着までが桜花賞と同じ着順というのも面白い。

 でも勝ったブエナビスタも強いが、2着になったレッドディザイアの強さにも感心した。この馬は、正月にデビューして、このオークスがやっと4戦目というキャリアでしかない。それでいてブエナビスタに堂々と渡り合ったのである。今後の成長が楽しみになった。結局、ブエナビスタのためのブエナビスタのオークスとなってしまった。昨年、秋の新馬戦で皐月賞馬のアンライバルドやリーチザクラウン相手に良い勝負をした牝馬だけのことはある。ダービーに出ていても面白かったのではないだろうか。秋には秋華賞に出て牝馬三冠を狙うのか・・・・。でも私は牝馬の三冠なんて興味が無い。牡馬相手に戦いを挑んだほうがワクワクすると思うけど。また凱旋門賞挑戦という話もあるそうだが、それは時期尚早だろう・・・・。
EDIT  |  16:33  |  競馬(国内レース)  |  Top↑

2009.05.23 (Sat)

今日は書くこともなくて・・・・・

 雨があがると暑くなる今日、この頃である。新型インフルエンザの感染者は相変わらず出ている模様だが、大阪や兵庫では一週間の休校処置をとられたおかげで、以降は急激な感染者の増加もなく徐々に沈静化していくのだろうか・・・・・・・?

 朝から耳鼻咽喉科へ行く。もう通い始めて1ヶ月半にはなる。でもなかなか良くならない。そのせいでまだまだ通院しなくてはならない。耳鼻咽喉科は近所になく、電車に乗って通院しているのだが、マスクを着用している人が意外と少ないことに驚いた。毎日、JRで滋賀の田舎まで通っているが、車内はマスク着用の人だらけ。やはり通勤時間とでは車内の混雑度が違うのか、マスクをしなくてもいいだろうという安心感があるのか判らないが、通勤時以外の電車内にはピリピリした雰囲気はない。どうも混雑度によって見極めているのかもしれない。

 朝、9時前には医院の前に到着したのだが、なんと診察時間には、まだ間があるのに、既に10人ぐらい並んでいる。医院が開く時間よりも早く着いたのに、待ち時間が40分とは・・・・・・。毎週、毎週、待合で待たされるのは何時ものことであるとはいうものの、花粉症の人やアレルギー体質の人が多いのかしらないが、鼻の不調を訴える人が大勢、耳鼻咽喉科に駆けつけるから、長い時間待たされる羽目に・・・・。

 診察時間なんて5分もかからないのに、待ち時間は何時も40分から50分。だから医者にかかるのは嫌なのだ。待合室を見渡すと、お年寄りから若いお姉ちゃんまで、だが何時も見られる子供の姿はなく、これも新型インフルエンザの影響なのか、子供は家の中に引きこもっているのだろう。これにより待合室は静まり返っていた。そんな静けさを破ったのが隣に座っていた男性の携帯電話の呼び出しコールだった。一般的に、病院や医院の待合室にいるならば、電源を切るなどして最低限のマナーは守って欲しいと思う。また、少なくともマナーモードにしておくべきだろう。当然のように待合室の中に携帯電話の呼び出しの音が響く。だが、驚いたことにけたたましい音ではなく、なんとも心地よいモーツァルトのホルン協奏曲K.447の冒頭のメロディが携帯電話から奏でられた。男性は慌てて携帯電話を取り出し、表へ出て通話をしていた。

 しかし、携帯電話の呼び出し音にモーツァルトのホルン協奏曲を・・・・・これには驚いた。待合室にいた人は、煩いなあと男性の方を凝視したが、曲名なんて誰も知らないだろう。小生はこんなマニアックなクラシック音楽の曲を呼び出しに使っている男性の顔をまざまざと見た。初老の人であった。ごく普通の何処にでもいそうな善良たる市民といった風貌の人であったが、携帯電話の呼び出し音、一つでその人のイメージまで変ってしまったから面白い。今は多くの人が音楽を呼び出し音に使わずに、黒電話のリリリリリーンを呼び出し音に使っている。

 でもJーPOPのヒット曲を待合室に奏でられたら、小生もこの男性を睨みつけたかもしれない。だから呼び出し音の選択も難しいところである。やっぱりモーツァルトというのは、医院の待合室で聴いても違和感がないことに驚いた次第である。
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2009.05.21 (Thu)

学生がいなくなった・・・

 新型インフルエンザの記事ばかり書くのも、うんざりするのだが、また書くことにする。今朝、何時ものように電車に乗る。相変わらずマスクをした人だらけで、マスクをしていないほうが少数という奇妙な電車内の光景である。まもなく電車が京都駅に到着して、多くの人が降りた後、京都からの乗客が乗り込んでくるという状況には変りはないが、何か何時もより人が少ない。次の山科駅で湖西線の利用者が乗り換えのため我々が乗っている米原方面行きの電車に乗車してくるのだが、非常に人が少ない。この山科駅でほぼ満員になるのだが、今日は空いている。

 電車は山科を出て逢坂山トンネルに入り大津に到着。ここでまた乗降者がいたが、一向に電車は混んでこない。そういうことで私は、空いた電車で通勤出来たので何時ものように通勤で疲れるということは無く、思わず恩恵に預かったのである。つまり昨日の朝、とうとう滋賀県から新型インフルエンザの感染者が出たことが判明し、滋賀県内の小、中、高と全ての学校が休校処置をとられたからである。さらに、道中、沿線に大学が幾つかあるが、その中で最大の学生数を誇る、立命館大学に通う学生が新型インフルエンザに感染したことで、同大学まで休校処置をとられ、電車の中がガラーンとしてしまったということである。

 要約すると滋賀県内の立命館大学のびわこ草津キャンパスの学生(ここのキャンパスだけで学生数は1万人以上を数える)がいないこと、それに沿線にある全ての高校が休校になったこと。結局、車内は社会人だけとなってしまった。社会人だけだと、この滋賀県内を走る電車って満員になることはないのだ。ということは、これまでは如何に学生、生徒で車内は埋っていたということが判明し、今日の朝の電車は何時になく静かであった。

 だが、たった1人の感染者が出ただけで、県内の学校が一斉に休校になるという異例の事態に驚いているのでもあるが、弱毒性といっても侮れないからである。それに、なかなか新型インフルエンザの勢いは衰えそうも無い。兵庫県や大阪府では、また新たに感染者が出ているし、東京、神奈川でも別ルートで感染者が2名出たから、一般市民は異常なほど、神経過敏になっている。これだと今後、市民もが何時までもウイルス対策に神経をとがらせなくてはならず、精神的にも参ってしまう。それこそ、こんな状況が何ヶ月も続くとしたら、それこそ大変である。

 今後、夏に向って気温が上昇していく。でもマスクを迂闊に放せないし、マスクを長時間着用すると蒸れてきて、かえって不衛生である。であるが、マスクを着用しないと危険度が増すから困ったものだ。気がつけば日本は、感染者の数でいくと、何時の間にかメキシコ、アメリカ、カナダに続いて世界4位というから、呆れてしまった。日本人は衛生に最も気をつける国家の一つであるが、皮肉にも感染者の数は異様に多い。神戸高校で国内感染者第一号が報告されてから、まだ一週間にもならない。それでいて、あの数字の伸びはなんだろう。

 感染ルートも判らず、突然のように神戸高校の生徒に発生し、何時の間にか大阪へ・・・・。本当に謎だらけ、まだまだ、感染者は増えそうだし、沈静化するのも今の段階では難しい。全く、招からざる客を背負い込んだものだ。何れにせよ、私はインフルエンザをうつされたくないので、暫くは人の多いところにも行かないし、出歩くのもやめるし、家にでも引きこもって本でも読んでおくとしよう。

 結局、自分でも何が言いたかったのか判らないが、早く平静を取り戻せるように祈っておくとしよう。
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2009.05.19 (Tue)

第134回プリークネスS

 少々、遅れたが先週の5月16日に、アメリカのボルチモアにあるピムリコ競馬場で行なわれた3歳トリプル・クラウンの第2戦、第134回プリークネスS(GⅠ・3歳、ダート9.5F、13頭)の結果を記すことにする。

 今年の三冠レース第2戦のプリークネスSは、ケンタッキー・ダービーに勝ったマインザットバードや、ケンタッキー・オークスに勝った牝馬レイチェルアレクサンドラ等13頭が出走して行なわれた。1番人気は牝馬ながらここまで10戦7勝のレイチェルアレクサンドラだった。そこへ立ちはだかる牡馬陣という図式が出来上がり、いざレースが始まったが、大外から敢然と先頭に立ったのがレイチェルアレクサンドラで、最内のビッグドラマと競り合うような形で終始先頭でレースを運んだ。3コーナーから徐々に後続を離し、直線で独走かに思えたが、最後の最後で脚色が鈍り、ケンタッキー・ダービー馬のマインザットバードが迫ってきた。とはいうものの1馬身差を保って、レイチェルアレクサンドラが逃げ切った。

 1着 Rachel Alexandra 1分55秒08、2着 Mine That Bird 1馬身、3着 Musket Man 1/2、4着 Flying Private 2馬身1/2、5着 BIg Drama 1馬身1/2。

 レイチェルアレクサンドラは11戦8勝2着2回、唯一の着外はデビュー戦での6着。前走のケンタッキー・オークスに続いてグレードⅠレースを連覇。当初、牡馬との混合である、3歳3冠レースの一つであるプリークネスSに参加の予定はなかったようだが、ケンタッキー・オークスに勝った後、馬主が変り、厩舎もスティーヴン・アスムッセンに移転したため、急遽、プリークネスSへの参戦が決まったようだ。尚、牝馬がプリークネスSを勝ったのは1924年のNellie Morse以来、85年ぶり5頭目となり、もしベルモントSに出走して勝つようなことがあるとするならば、史上初の牝馬2官冠となる。

 最後にレイチェルアレクサンドラの血統を記しておく。

 父Medaglia d'Oro------Sadler's Wells系、母Lotta Kim(母の父Rear-----Mr.Prospector系)

 
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2009.05.18 (Mon)

マスクだらけ・・・

 今朝、電車に乗ったらマスクをした人が多くて、ちょっと異様な雰囲気があった。でもマスクをしている人といっても車内に5割もいない。先週の金曜日には、数えるほどの人しかマスクをしていなかったので、土曜日、日曜日における兵庫県、大阪府での新型インフルエンザ感染拡大のニュースは、寝耳に水というか衝撃的だった。その結果、車内にはマスク使用の人が急激に増えた気がする。しかし今まで、長い間、電車通勤を続けてきたが、これだけ密室の車内ででマスクをした人が多いのを見たことが無い。まるで何処かの感染病の病棟に紛れ込んだような(勿論、行ったことはないが)錯覚に陥ってしまう。

 先週だと、マスクなどをやっていると、この人、何か風邪でもひいているのか、それとも咳き込んでいるのかと、あまり近くに寄りたくはなかったが、今日のように、感染拡大が確認されマスク使用者があれだけ増えると、むしろマスクをやってない方が、無神経な人のように見られるかもしれないので、私も仕方なくマスクの着用をした。でも長い時間、マスクを着けていると口の周辺に汗をかくので案外、不衛生なものなのだ。とはいうものの、飛沫からの感染を防ぐのには着用はやむを得ないと思う。

 ところで神戸高校、兵庫高校で感染者が出たというのも束の間、大阪の茨木市の関西大倉高校で感染者が大勢出たから驚いた。あの高校は、私の出身中学からも何人か通っていたので、文化祭に行ったことがあるが、茨木の駅からバスに乗らないと行けない学校で、山の中にあったと思う。かれこれ30数年前のことなので、今はどうなっているか知らないが、とにかく街の中にある学校でないから、感染者が学校内で続出したのではないだろうか。もし、街中の学校だったら、もっと感染者は増えていたかもしれない。

 結局、ゴールデウイークで海外へ多くの人が渡航して感染し、成田や関空、中部国際空港などで、感染者の入国を防ごうと水際作戦を行なったが、何の効果も無かったということになるだろう。おそらく感染しても潜伏期間があり、帰国した頃は異常がなく、検査をすり抜けた人がいて、その人から感染した可能性は高いだろう。既に感染ルートを明確に出来ないほど、拡がってしまった。でも今のところ、兵庫、大阪だけの感染者135人(18日18時現在)に留まっている。だが、これが一度、人口の集中している関東に飛び火した場合、急激に数字は鰻登りに上昇することも有り得る。

 テレビのニュースを見ていると地域によって温度差があり、比較的、東京のマスコミは関西の出来事ぐらいにしか考えていないところがあり、ヒステリックになるのも問題だが、今から対策を講じたほうがいいのではと考える。弱毒性でさほど重い症状にはならないというが、慢性の病気を持っている人に伝染すると死に至らしめるというからご用心。

 今日は土曜日に行なわれたアメリカの競馬プリークネスSの記事を書くつもりだったが、突然のことで内容を変更してしまった。しばらくは新型インフルエンザの記事になるのも仕方がないだろう。
 
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2009.05.17 (Sun)

第4回ヴィクトリアマイル

 東京競馬場は雨が降り芝が波打つほどの強風の中、第4回ヴィクトリアマイル(GⅠ・4歳以上牝馬、芝1600m、18頭)が行なわれた。1番人気は牝馬ながらダービー、安田記念、天皇賞に勝っている女傑ウオッカ、2番人気はオークス、秋華賞に勝っているカワカミプリンセス、3番人気はエリザベス女王杯に勝っているリトルアマポーラ、4番人気は8歳馬ジョリーダンス、5番人気は桜花賞馬レジネッタと、古馬牝馬の一流どころは一応、顔を揃えていた。でも馬場は荒れてはないが、悪天候の中、それに好不調の激しい牝馬のこと、波乱の結果も予想されたが・・・・・・。

 ゲートが開いた。ウオッカが好スタートを切った。府中の長い向こう正面を走る。まず内の方からショウナンラノビア、ブーケフレグランス、ブラボーデイジーらが行くが、先頭に立ったのは最内のショウナンラノビア、2番手にブーケフレグランス、3番手ブラボーデイジー、ヤマニンメルベイユ、セラッフィックロンプと続き、本命ウオッカはそのあとから行く。その直後にリトルアマポーラがつけ、マイネレーツェル、ザレマ、ジョリーダンス、サワヤカスマイル、ムードインディゴ、レッドアゲート、そしてカワカミプリンセスが行き、チェレブリスタ、アルコセニョーラ、レジネッタといて、1番後ろにヤマニンエマイユが続く。早くも800mを通過。ここでカワカミプリンセスが外から動く。馬群は3コーナーから4コーナーというところ。ペースは12.2---10.8---11.7---12.0---11.9と、800m通過が46秒7、1000m通過が58秒6と平均ペースである。淡々とレースが進み、4コーナーをカーブする。ウオッカは5番手から4番手へ楽な手ごたえで上がってくる。いよいよ直線コースに入る。先頭はショウナンラノビア、ブーケフレグランスというところだが、ウオッカは既に3番手、スパート体勢に入る。あと300mでウオッカは2頭の間を割って先頭に立った。ここからウオッカの独走。これでは勝負にならない。後続の争いはショウナンラノビアとブラボーデイジーだが、ウオッカは後続を突き放している。5馬身、6馬身と差が開く。雨の中、向かい風も何のその、武豊は一発、鞭を入れるだけでウオッカは大楽勝した。

 1着ウオッカ 1分32秒4、2着ブラボーデイジー 7馬身、3着ショウナンラノビア 1馬身、4着ザレマ ハナ、5着ジョリーダンス アタマ。

 リトルアマポーラは6着、カワカミプリンセスは8着。ここらはマイル戦は不向きなのは判っているが、レジネッタの16着はいただけない。仮にも昨年の桜花賞馬なんだが、その後、成績が上がらない。成績の維持が難しい牝馬とはいえ、現時点においてウオッカが頭抜けて強いことが証明された。既に最大のライバルだったダイワスカーレットがいない今、ウオッカの相手は牡馬しかいないのだろう。それにしても、私にとっては、あの黄色、水色襷のカントリー牧場産の勝負服は強いという印象しかない。昭40年代、それこそタニノハローモア、タニノムーティエ、タニノチカラといったカントリー牧場の馬が、ターフを暴れまくったことを思い出さずにはいられない。また東京のマイル戦での圧勝劇というと、1988年のニュージーランド・トロフィー4歳Sでのオグリキャップを彷彿とさせる。それにしても武豊は、本命馬に騎乗し好位置で競馬したときは完璧な乗り方をするなあ。 

 1988年ニュージーランドトロフィー4歳S、オグリキャップが関東初登場。今日のウオッカのような競馬をして度肝を抜いた。

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2009.05.16 (Sat)

二次感染?

 神戸の高校生に新型インフルエンザ感染を示す陽性反応が出たという。16日未明、厚生労働省は神戸市環境保健研究所が実施した遺伝子検査で、神戸の高校3年男子と同じ高校に通う2年の男子、2年の女子に新型インフルエンザ感染を示す陽性反応が出たとして、二次感染の疑いが強まっている。この3人は海外への渡航歴がないというのに、新型インフルエンザの感染を認められたということは、いよいよ国内初の人から人への感染ということになり、パンデミックが現実味を帯びてきたことになる。

 伝わっている情報によると3年男子の生徒は5月11日に悪寒を訴え、翌日に37.4度の発熱があり、医師の診断を受けた結果、簡易検査でA型陽性となったため医師の検体を神戸市に提出し、詳細検査を行なったところ新型インフルエンザの陽性反応が確認されたらしい。この高校生は抗インフルエンザ薬の投与で、現在は熱が下がり自宅療養中ということらしい。ただ、神戸市の検査方法が国の検査方法とマニュアルが違うということで、別の理由で陽性反応が出てしまったという可能性もあり、改めて遺伝子検査で詳細に調べるという。

 ところでもし再検査で新型インフルエンザと確認されれば、これは大変なことになる。これまで水際で食い止めようと空港などで検査を強行してきた。それが今までは功を奏して、日本では新型インフルエンザの拡大を防ぎ、次第に沈静化するまで見守るという処置のとりかたを行なってきたが、海外渡航の経験のない高校生が感染したとなると、いったい何処で感染したのかという疑問が生じることになる。すると高校生は誰から感染し、また彼らに伝染させた人は今、どうしてるのかということになる。先日、カナダ帰りの高校生が感染したと確認され、彼らは隔離された。が、神戸の高校生はどのような感染ルートで感染したのだろうか・・・・・・。さっぱり判らない。

 もし、高校生達が新型インフルエンザに感染していると明確な答えが出てしまうと、厚生労働省は第1段階(海外発生期)から第2段階(国内発生期)に行動計画を移さなければならない。こうなると地域の学校や企業への感染大流行を防ぐ意味で、抜本的な対策を強いられるのだから、迂闊に外出も出来なくなる。すでに神戸市は明日おこなわれる神戸祭をどうするか検討に入っているというし、イベントの中止や自粛要請など呼びかける模様だし、隣接の芦屋市にまで学校を休校するよう申し入れている。どうやら新型インフルエンザは、対岸の火事の如き様相でいて、我々も平静でおられたが、のんびり構えていられなくなってきたようだ。でも、感染が明確となったら、本当にいったいどのような経路で感染したのだろうか。この辺り、判明しない限りは、今後も日本の何処で、突然、感染者が現れるかも知れず、まことに不安である。
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2009.05.15 (Fri)

ザ・ローリング・ストーンズのアルバムを聴く『ホット・ロックス1』

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 このアルバムはローリング・ストーンズ初期のヒット曲ばかり集めた作品集であるが、全12曲の題名を聴くだけで唸ってしまう。12曲全てが少年時代に聴いたローリング・ストーンズの思い出として生きている曲ばかりだからである。収録曲は『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』『ハート・オブ・ストーン』『プレイ・ウィズ・ファイア』『サティスファクション』『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』『一人ぼっちの世界』『マザー・リトル・ヘルパー』『19回目の神経衰弱』『黒くぬれ』『アンダー・マイ・サム』『ルビー・チューズデイ』『夜をぶっとばせ』で、これらは1964年から1966年までの間に収録された曲ばかりで、題名を聞いてあの曲もこの曲も知っていると思われる方は、間違いなく50代以上の方でしょう。

 そういえば1960年代、ビートルズ旋風が吹き荒れた頃、このローリング・ストーンズというのもビートルズほど一般受けしなかったものの、日本のアマチュアバンドに多大な影響を与え、彼らの曲をコピーしようという少年バンドが、当時、巷に氾濫していた。勿論、我々もその中の一つではあったが・・・・・。中学生当時、仲間とエレキバンドの真似事のようなことをやっていて、我々もローリング・ストーンズの曲を一生懸命、下手なりに練習した覚えがある。結局、中学3年になり、受験だということで一人抜け、二人抜け、バンドは自然消滅したが、今でも上記にあるような曲はほとんどコピーしようと懸命になったものである。だから私は少年時代によく口ずさんだ曲は今でも諳んじるほど覚えている。『サティスファクション』『黒くぬれ(ペイント・イット・ブラック)』なんて曲は好きだった。だが、今でも口から出てくる曲というのはバラード調の曲が多く『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』『ルビー・チューズデイ』の2曲は私の十八番であった。

 『As Tears Go By』は、マリアンヌ・フェイスフルが歌って一度ヒットしているが、本来はミック・ジャガー、キース・リチャーズ、A・L・オールダムの3人が作った曲である。そして、ストーンズは既存の曲を自ら収録し、私としてはマリアンヌ・フェイスフルよりもミック・ジャガーが歌ったレコードの方を良く聴いた。

 It is the evening of the day
 I sit and watch the children play
 Smiling faces I can see but not for me
 I sit and watch as tears go by
 (以下、省略)

 ローリング・ストーンズにしては珍しいスローバラードである。ミック・ジャガーの恋人だったマリアンヌ・フェイスフルに与えた曲ではあるが、本家が歌うとまた違った味わいがあった。

 『Ruby Tuesday』は、1967年初頭に発売されたシングル盤で、確かB面に入っていたと思う。それでA面の曲が『夜をぶっとばせ(Let’s spend the night together)』であったが、私はこのシングル盤を買った同級生のT君に借りて両面を聴いてみたが、B面の『ルビー・チューズデイ』の方をより気に入ったことは言うまでも無い。

 いきなりミック・ジャガーのヴォーカルから入るが、何処かストーンズらしくない。何故だろうと考えたら、エレキギターの音がしないからであった。聴こえてくるのはリコーダーとストリングスとドラムとキーボードである。ロックバンドなのにアコースティックなサウンドであり、私はストーンズといえどもビートルズを意識したのかなあとも思った。実際、ビートルズには『エリナー・リグビー』『イエスタデイ』『イン・マイ・ライフ』『フール・オン・ザ・ヒル』といったアコースティックな名曲が綺羅星の如く存在していたから、ブルースぽくてブラックぽっいローリング・ストーンズが、このような曲を作るのかと思った。でも好きな曲なのでよく歌ったものである。

 She would never say where she came from
Yesterday don't matter if it's gone
While the sun is bright or in the darkest night
No one knows
She comes and gone

Good bye , Ruby Tuesday
Who could hang a name on you
When you change with every new day
Still I'm gonna miss you
 (以下、省略)

 キース・リチャーズのギター伴奏で『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』を歌うミック・ジャガー


 『ルビー・チューズデイ』を演奏するローリング・ストーンズ。なんとブライアン・ジョーンズがリコーダーを吹き、ビル・ワイマンがコントラバスを弾くなどとは実に興味深い。

 
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2009.05.13 (Wed)

京都観光5000万人突破

 京都に訪れる観光客の数が2008年度の一年間で5012万人に及んだと新聞に書かれていた。何年も前から観光客を京都に呼ぼうと京都市が躍起になって、修学旅行の誘致強化や冬枯れのの季節に嵐山や東山の花灯路などを実施し、それらが功を奏し念願の5000万人突破となったようだ。でもこの数字は多いのか少ないのかと問われれば、これといって新しい名所も増えず、昔からの遺産だけで食っている街にしては大した数字だと思う。しかし、千葉浦安の東京ディズニーリゾートだけで京都市の半分の2500万人が詰め掛けることを考えれば、大したことないなあとも取れるだろう。ただ、京都というところは何一つ、客を呼ぶために意図的に作られたような集客力のあるテーマパークもなく、企画された祭りもなく、各地にあるような大型商業施設も乏しくて、それでいて街の変化が遅い京都という街に5000万人の人が毎年、詰め掛けるというのは、それはそれで凄いことである。

 何でも物が集まった(集めた)東京を訪れる人は年間で1億人を超えるだろうが、その大半がビジネス絡みだということを考えれば、純粋に観光のみで訪れる人の多い京都は日本最大の観光都市と言い切ってもいいだろう。だが、修学旅行で京都に訪れる高校生、中学生などを見ていると、この子らが何処まで京都の良さを認識しているかどうか甚だ疑問だが・・・・・・。はたして寺社、仏閣、唐山水の庭園、ワビとサビ、京町屋の風景、これらを観て面白い、興味がある、いいなあ・・・・と思っている子は非常に少ないと考えられる。事実、今から20年ほど前だが、嵐山に多くのタレントが経営している店やタレントのグッズが売っている店の中が、修学旅行生で溢れかえっていたのに、ある寺院では観光ガイドが説明していてもつまらなさそうに欠伸をしていたり、興味なさそうに友達同士でお喋りをしている生徒たちを頻繁に見かけたからである。また、彼らはグループ活動の自由時間が与えられると、さっさと京都から電車で大阪に向ってしまった。大阪では道頓堀、新世界でたこ焼きを食べたり、芸人グッズを買ったりして、京都にいるよりも遥かに楽しそうである。

 つまり京都というのは観光都市であるが、それは歴史の上に成り立った特殊な街であると考えなくてはならない。悪く言えば東京のような現在進行形の街ではなく、新しいものが日常茶飯事に現れては消えるような所とは一線を画しているのだ。今、テレビでやっているような物を求めている中学生や高校生等は、京都よりも東京の原宿や渋谷、お台場に行くほうが楽しいだろう。なのに年間5000万人もの人が京都を訪れるかを考えてみると、そこには余所の街に無い京都独自の風情を味わいたいと思惟する人々の存在があるからだろう。やはりローマは1日にしてならずと言うが、京都も同様に1200年も前から都会であり続けた日本唯一の街だからである。根っからの京都人は物腰が柔らかく、奥が深く見える(一見だが)。それでいて人間観察は鋭く、1200年もの間、日本の治乱興亡の中で生きつづける方法論を見出してきた人達の末裔は、何処か排他的でもある。でもそれが都人なのであり、東京や大阪のような植民地が都会化したのとは違うということである。結局、先人達が産んできた伝統的な住居、衣、器、生活様式、これら一切合財が都の人の智慧で伝承されてきたものであり、そういった雰囲気が街のいたるところに、まだまだ残っている街なのである。だから修学旅行生が京都に来るのもいいが、まだまだ青臭い子供には、京都の趣を感じ取るには教養や経験が足りなさ過ぎると思う。彼らが大人になって、半生を振り返ったときに、ふっと行きたくなる街、それが京都なのだと思う。
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2009.05.11 (Mon)

無題・・・

 このところ暑くて参ったな。雨が降ると気が滅入るが、晴れたら晴れたで暑くなりすぎる。でも、これからは夏に向って暑くなっていくのだろうなあ。小生の大嫌いな夏がまたやってくるのである。もう、すでに衣替えが始まっているし、半袖の人も見受けられる。でもまだ5月の中旬に入ったばかりなのに、晴天だと30℃前後の気温が記録されるから歩いていると汗だくになる。早くも蚊は飛んでいるし、ゴキブリが出始めたし、蝉はまだ鳴いていないが初夏の香りがプンプンする。ああ、嫌だ嫌だ、夏は嫌だ。

 それはそうと日本人に新型インフルエンザの感染者がとうとう出た。感染者は大阪の高校生3人と引率の先生で、先月からカナダへ30人ほどで行っていたという。何もこの時期に行かなくてもと思うが、予定は変えられなかったのだろう・・・・・・・。現在は隔離されていて、病棟から出られないが、同じ飛行機に乗っていた人への感染は、本当に大丈夫なのだろうかと素人考えでは疑問を持ちたくなる。でも最近の高校生は贅沢になったものだ。修学旅行でも海外へ行くのが当たり前で、20年前は一部の私立高校が海外へ修学旅行へ行っていたぐらいだが、今は公立の高校が当たり前のように修学旅行は海外へ行くという。時代も変わったものである。しかし、今回は修学旅行ではないが、日程を見ていたら、いたるところへ行っているではないか。語学研修か何かで行ったのだろうか・・・?
しかし厳しい言い方をするならば、学校側も行く時期を外すか、中止にするかという処置に踏み切れなかったのだろうか。教育委員会もそうだが考えが安直すぎると思うけど・・・。海外なんて何時でも行けるでしょう・・・・。それも、また大阪の府立高校の生徒と先生というから、ある意味で恥ずかしい、ある意味で納得。

 大阪の人は物怖じしないから、外国へ行っても素のままで振舞う。言葉が不自由であろうがお構いなしという人が多い。日本人はシャイだと思われていても大阪の人は違う。つまり自由時間に高校生達は色んな所に出入りしたのではないだろうか・・・。注意を呼びかけていても、自分は感染しないとほとんどの人は考えているものなのだ。結局、その安易な考えが怖いのであって、高校生も例外ではなかっただろう。飽く迄、小生の推測で語っているのだが、二次感染だけは防いで欲しいものだ。
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2009.05.10 (Sun)

第14回NHKマイルC

 今日、東京競馬場で第14回NHKマイルC(GⅠ・3歳、芝1600m、18頭)が行なわれた。3歳馬のマイル戦。激しいレースが予想されたが、結果は先週の天皇賞に続いて意外なものであった。人気はブレイクランアウトが1番人気で、2番人気はアイアンルック、3番人気はサンカルロというものであったが、断然人気馬がいなくて人気馬は何れも末脚をいかすタイプの馬ばかりなので、はたしてどうかなあというのがあった。

 いよいよスタートが切られた。ゲートが開くやミッキーパンプキンが出遅れる。前に行く馬なのに出遅れは痛い。前々走でも出遅れているが、スタートが苦手なのかどうか・・・・。その間にゲットフルマークスが先頭に立つ。2番手にジョーカプチーノ、3番手以降はレッドスパーダ、グランプリエンゼル、フィフスペトルが続き、その後にスガノメダリスト、マイネルエルフ、ラインブラットが並んで追走。その後にタイガーストーン、ツクバホクトオー、そしてブレイクランアウト、アイアンルックの人気馬2頭が前後して進み、ダイワプリベール、サンカルロ、さらにティアップゴールド、アドバンスヘイロー、ワンカラット、そして出遅れたミッキーパンプキンが最後方で向こう正面から3コーナーにかかろうと言いうところである。ハロンラップは12.2---10.8---11.3---11.2と800mを45秒5で通過。まずまずのペースだが、ここから前の2頭が後続との差をさらに拡げる。先頭のゲットフルマークスと2番手のジョーカプチーノとの差は5、6馬身だが、3番手とは10馬身ほどの差がついてしまった。そして、3番手以降は固まっているという妙な展開である。ゲットフルマークスとジョーカプチーノが後続を離して、そのまま直線に向く。先頭はゲットフルマークス、2番手にジョーカプチーノ、アイアンルックは追い込みにかけたいが、前が塞がっているみたいで馬群を割れないようだ。あと300mあたりでジョーカプチーノがゲットフルマークスをかわして先頭に立った。後方からは何が来るか。ブレイクランアウトアイアンルックもこない。あと200m、完全にジョーカプチーノが先頭。2番手にレッドスパーダが上がってくる。その後にマイネルエルフ、グランプリエンゼルというところだが、先頭はジョーカプチーノ、あと100m、ジョーカプチーノ先頭、レッドスパーダ2番手、ジョーカプチーノ先頭でゴールイン。

 1着ジョーカプチーノ 1分32秒4、2着レッドスパーダ 2馬身、3着グランプリエンゼル 2馬身、4着マイネルエルフ クビ、5着フィフスペトル クビ。

 ブレイクランアウトは9着、アイアンルックは8着、サンカルロはシンガリの18着に終わった。つまり上位の馬は先行した馬ばかりということになる。先週の天皇賞は早く仕掛けた馬が全て沈没したのとは逆の結果になってしまった。要はどんな展開になろうとも勝てる傑出馬がいなかったということになるのだろうか。勝ち時計も速いが、前に行った馬がバテない展開にならないと後方一気で勝つのは難しいということだろう。でもジョーカプチーノか・・・・意外だったなあ。
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2009.05.09 (Sat)

国際グランプリ陸上大阪大会2009

 雨が降ると鬱陶しいが晴れると30℃近く気温が上がってしまう大阪だが、今日、長居陸上競技場で国際グランプリ陸上大阪大会2009が行なわれたので、久々に長居まで行って来た。

 私は意外にも陸上競技は好きで、オリンピックや世界陸上に限らずよく観るのだが、この時期、毎年行われている国際グランプリ陸上に来るのは久しぶりである。したがって長居の競技場に来るのも久しぶりということになる。過去には陸上の日本選手権や、サッカーの試合を観に何度か訪れたことのある馴染みの競技場だが、2002年のFIFAワールド・カップや、2007年世界陸上の舞台になったところでもあるので、一般的には良く知られているスタジアムである。

 初夏のような暑さの中、地下鉄の長居駅で降りて地上に出ると、そこは長居公園の入り口である。公園に入らないまでも5万人収容する長居スタジアムの白い屋根が目立っている。公園の木立を観ながら競技場へ向う。到着するやバックスタンド側の観覧席へ入るが、おお、意外にも人で埋まっているではないか。日本では陸上競技は人気がなく、人の入りが悪いのは今にはじまったことではないが、バックスタンドを中心に屋根で覆われて日陰になっている部分は、ほとんど人が座っていた。どうしてだろうと考えたら、国際グランプリの始まる前から、大阪の中学生、高校生による陸上大会が行なわれていたので、みんな、陸上部の部活の生徒達が仲間の応援に来ていたのだ。それで、スタンドには○○中学陸上部、○○高校・・・・と書かれたジャージーを着た生徒が大勢、詰め掛けていて、仲間に熱い声援を送っていたのである。

 中学生、高校生による陸上競技が終わると、今度は外国、日本のトップアスリートによる競技大会が始まったのである。

 長居競技場のバックスタンド側から、決勝点の方向を撮る。
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 バックスタンドからホームスタンドを撮る。
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 最終コーナーからホームストレートへと向うあたり。
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 女子槍投げ 「エーイ!」 100m先をデジタルズームで撮ったのでぶれました。三脚がいるのだが・・・・・。
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 男子110mハードルのスタート前。緊張の一瞬です。
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 「ヤー!」 男子走り幅跳び
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 男子1500mの攻防
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 男子棒高跳び クリヤーした
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 女子4×100mリレー 真ん中の日本チームは、43秒58の日本新記録を出す。写真は2走の福島千里から3走の渡辺真弓へバトンが渡ったところ。
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 日本新を出してマスコミから取材攻勢にあう4選手(北風、福島、渡辺、高橋)。
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 男子走り高跳び 2m28をクリヤーするドナルド・トーマス選手。このバハマの選手は2007年の世界陸上で2m35を跳び金メダル。バスケットボールのプレイヤーから、陸上の高跳び選手に転向して僅か1年半で金メダルを獲ったと話題になった。
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 男子800m これからラストスパートにはいる。
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 男子400m 43秒45のベストを持つ2007年世界陸上の覇者ジェレミー・ウォリナー(北京オリンピックでは銀)。選手紹介の時も俯いたまま。
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 400mの日本第一人者、金丸祐三、お得意の金丸ダンス(7レーン)。
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 金丸を抑えて悠々、優勝のウォリナー。優勝後のインタビューを受ける。
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 女子400mハードル 先頭を走るシーナ・トスタ(北京オリンピック銀メダル、ランニングウェアーがオレンジの選手)。

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 男子400mハードル 優勝したカーロン・クレメント(北京オリンピック銀メダル)の見事なハードリング。
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 女子走り幅跳び これから跳躍に入る井村久美子(旧姓・池田)。頑張れ元イケクミ。
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2009.05.07 (Thu)

洛北を歩く3

 植物園を歩いていると、日頃、見かけない花を見かけることがあるが、このモッコウバラもその一つである。下の写真はキモッコウバラ(バラ科)で、原産は中国。見事に咲いていたので、白人の2人連れ(何れも女性)が、記念写真を撮っていた。(小さな写真はクリックすると拡大します)
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 ヒラドツツジ(ツツジ科)
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 紀州司(ツバキ科)というツバキである。
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 コレオプシス(キク科)を3点
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 パンジー(スミレ科)
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 アイスランドポピー(ケシ科)
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 マーガレット(キク科)
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 キンセンカ(キク科)
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 ネメシア サンドロップ(ゴマノハクサ科)
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 何れがアヤメかカキツバタ・・・・・どっちでしょう? それともショウブかな・・・・。でもアヤメではないなあ・・・・・・。
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 咲いた咲いたチューリップの花が 並んだ並んだ 赤白黄色
 チューリップとはユリ科なんだなあ・・・・。
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 植物園を南側の正門から入って、北側の北山門を抜けると、北山通に出る。北山通を東に行き下鴨中通を下がると、京都コンサート・ホールが視界に入ってくる。1995年に竣工したクラシック音楽専用ホールである。大ホールと小ホールがあり、大ホールは1839人収容でドイツ・ヨハネスクライス社製のパイプオルガンがステージの後方に設置してあり、このホールはアリーナ形式でもワインヤード形式でもなく、シューボックス型のホールで、ウィーンのムジーク・フェラインザールの形を模倣していて京都市交響楽団の本拠地である。私は西本智実が国内デビューした時に京都市交響楽団を指揮したが、その1998年のコンサートの時に来て以来、その後、一度も訪れていない。また聴きに訪れたいものだが、暇がなく金もないのでご無沙汰している。
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 京都コンサート・ホールをさらに東に行くと、下鴨本通に突き当たる。それで、下鴨本通を下ると、白い立派な建築物が目に入ってきた。京都府立洛北高校である。そういえば私が中学の時、一番行きたかった高校が、この高校である。でも当時の京都は小学区制で、公立高校は学区内の高校しか入学出来なかったので、自分の住んでいるところを悔やんだものである。何しろ私が中学に入学した頃は、日本人でノーベル賞を受賞した人は、たったの2人。そして、その2人ともが洛北高校出身(旧制の京都府立一中)だったので、非常に憧れたものだ。でも、今は私立の高校にお株を奪われて、昔の光、今何処らしい・・・・・。でも、公立であるが、中高一貫教育を始めだして、かつての輝きを取り戻そうと躍起になっているらしい。
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 洛北高校の前を下がって行くと、再び下鴨神社が現れた。その後は、出町柳の駅前に行き、昔から馴染みの音楽喫茶に立ち寄って、モーツァルトにベートーヴェンにシベリウスを聴いて帰路についたのである。オシマイ

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2009.05.06 (Wed)

洛北を歩く2

 下鴨神社を出て西へ歩くと賀茂川に出る。出町柳辺りで鴨川より上流は東側の高野川と西側の賀茂川に分かれるが、高野川の上流は八瀬から大原へと遡る。一方、賀茂川を遡ると鞍馬山へと繋がるが、私は出雲路橋から北大路橋に向って歩いてみた。

 賀茂川の河原であるが、向こうの方に北大路橋が見える。その後背には鞍馬の山が・・・・。
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 賀茂川を上がって(北へ行くこと)行くと北大路橋に差し掛かるが、そこを抜けて僅かに行くと、賀茂川沿いに緑地帯が見えてきた。京都府立植物園である。日本最初の公立植物園で、1924年(大正13年)に開園という古い歴史を持ち、広さは24ha、12000種、12万本の植物で埋まっている。そういえば、ここの植物園に最後に入ったのは小学校の遠足だったから、それこそ40年以上前のことである。それで私は何となく懐かしくなり、吸い寄せられるように園内へ足が向ってしまった。

 それでは日頃、花より団子の小生のこと、ゆっくり花なんて観賞することもないので、ゆっくりと花を見ることにした。

 まずはネモフィラ、ハゼリンゾウ科で原産はカリフォルニアである。(小さな写真はクリックすると拡大します) 
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 ダイアンサス (ナデシコ科)
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 ハナビシソウ(ケシ科) 
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 アメリカヤマボウシ(ミズキ科) ハナミズキという方が馴染みがある。 
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 ラナンキュラス(キンポウゲ科)
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 カザグルマ(キンポウゲ科) ラナンキュラスと同じキンポウゲ科だといわれても、ウソー!といいたくなる。
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 パパウェル・ルピフラグム(ケシ科) 名前は長いがケシ科の花である。 ~赤く咲くのはケシの花 白く咲くのは百合の花 どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜開く  藤圭子の歌でした。
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 芍薬(シャクヤク)を3点。芍薬はボタン科である。一見、牡丹と見間違ってしまうが、よく見ると違う。立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
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 花の続きは、また明日。

EDIT  |  16:37  |  近場散策  |  Top↑

2009.05.05 (Tue)

洛北を歩く

 先月の30日に京都市街の洛北地域をぶらりと散歩したので、今回は写真を掲載して簡単な説明をしよと思う。

 京都の市内中心部は昔から洛内というが、それに対して周辺を洛外という。それでその境目はどの辺りから分かれているのかというと、これも明確なものはないが、私の認識では北は北大路通の辺りで、南は九条通辺り、西は西大路通辺りで東は東山通辺りと考えている。といっても京都の人以外だと判りにくいとは思う。また、人によってはもう少し範囲が狭くなるという人もいれば、もう少し広いのではという人もいる。よく考えてみれば、明治の中期ぐらいまでは鴨川より東、そして壬生あたりでも洛外と呼ぶ人が多かったと、私の若い頃、高齢者が言っていたことを思い出す。でもこれは時代によって市街地が広がってきたので、世代によって考えが違うという見方が出来る。私の姉なんかは口が悪いから、保津峡や東山を越えると京都とは呼べないという。

 まあ、何れにせよ洛内というのは京都でも狭い範囲に限られているということである。それで、その洛内でも洛北、洛中、洛南に分かれるのだが、これも京都の人にしか判らないだろう。これも漠然としていて、人によって意見の分かれるところである。現在の行政区では、中心部を上京区、中京区、下京区と分けているが、これに準じる部分が多いが、洛北地域というのは今では、もう少し北に伸びているように思う。そこで私は、その洛北地域を歩いてみたのである。

 京阪電鉄終点・出町柳駅で降りる。高野川をわたって賀茂川(鴨川)沿いを上がる。すると右側に鬱蒼と繁った森が見えてくる。それが糺の森である。この森は、かつて賀茂川と高野川が合流するデルタ一帯にあった森だが、その後に縮小され、現在では12万4000平方mの面積があり、旧山代原野の原生樹林ろ残す森林となっていいる。糺の森の中を歩いていると、朱色の鳥居が姿を現す。これが世界遺産の下賀茂神社である。

 下賀茂神社yの起源は古く正式には賀茂御祖神社といい、鴨氏の氏神が祀られている。起源は古く創建が何時なのかはっきりとせず、平安遷都よりも遥かに古く、天平時代に上賀茂神社から分置されたのが始まりというが、それ以前からあったという説も強い。

 糺の森は原始林のようで都市の中にある森とは思えないような雰囲気である。
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 奈良の小川とも言われるせせらぎ。
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 森と木漏れ日と・・・・。
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 瀬見の小川ともいうせせらぎ。
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 さほど大きい森ではないが、自然に近い形で残されている。
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 糺の森を抜けていくと下鴨神社の鳥居が姿を現す。
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 楼門である。
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 楼門を抜けて中に入ると舞殿(右側の建物)と本殿への入り口がある。でも本殿へは行かなかった。下鴨神社では正月の蹴鞠や、5月3日の流鏑馬、5月15日の葵祭と行事が多いが、蹴鞠はこの場所で行なわれる。
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 これは御手洗川である。この川の水源を御手洗池と言って、御手洗池の水泡を模して、加茂みたらし茶屋が発案した団子が『みたらし団子』である。つまりみたらし団子発祥の地ということになる。それは5個の串刺し団子を焦がすようにしたあぶり焼きに葛餡をかけたものをいう。よく余所の観光地に行くと、3個刺しやら醤油をかけただけのみたらし団子を見かけるが、あれは似て非なるもので、京都の人間から見ると、どうかなあと思う。原型は似ているが味付けなんかは、京都の物とは微妙に違っている場合が多いから、みたらし団子という名称よりも別の名称をつけたほうがいいだろうと思う。ところで、この神社の境内にある御手洗川の先に御手洗池があるが、今は水が湧き出てなくてポンプで吸い上げているような形である。したがって御手洗池は水が無くカラカラの状態である。尚、この橋の側に梅の木があって、その梅は光琳の梅と呼ばれている。尾形光琳の有名な『紅白梅屏風』のモデルになった梅だからである。
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 洛北散策はまだ続きます。
EDIT  |  11:39  |  近場散策  |  Top↑

2009.05.04 (Mon)

第11回高槻ジャズストリート

 大阪と京都のちょうど中間に高槻という人口35万人の街がある。キリシタン大名高山右近が城主だった城を中心に発展した街だが、この高槻市で10年前からジャズストリートという催しが毎年、GWのこの時期の2日間にわたって開催されている。

 詳しくはこちら↓
高槻 JAZZ STREET

 そもそもは「高槻を音楽であふれる、楽しい街にしよう!」という思いから始まったらしいが、回を重ねてだんだんと催しが大きくなってきて、今では市内の39会場で、延べ600近くのバンドが参加するイベントとなってしまったようだ。入場者数も今では10万人を超すとかで、この狭い郊外都市にジャズが溢れかえっているような感じさえ受ける。それで私は比較的、高槻は家から近いので以前から、このイベントの存在を知ってはいたが、今回、ちょっとだけ覗いてみようと思い、昨日の僅かな時間だけ高槻の数ヶ所のライヴを実感してきた。

 阪急の高槻市駅の周辺で三つのライヴが同時に行なわれていて、必ずしもジャズだけではないのだと思い、あちらこちらをうろついた。会場は2000人近く入る高槻現代劇場大ホールと少しキャパの小さな文化ホールを始め、公園やグラウンドに設けられた特設ステージや、松坂屋百貨店の屋上ステージとか、駅前の広場や高架下、神社の能舞台、教育委員会研修ホール、会社のホール、商店街の特設ステージ、そして市内中にあるカフェバーやライヴバー、ライヴハウス・・・会場として利用出来るところは片っ端からライヴ会場として利用し、全ての会場が入場無料というから嬉しい限りだが、よくぞ資金難に陥らないなあと感心したのである。

 これらの催しはボランティアの人が支え、各会場には募金箱が設けられ、また、このイベントのロゴをプリントしたTシャツなどを売り出したりして、資金に当てているのかもしれない。それでいて、よくぞここまでイベントが大きくなったものだと驚きを隠しきれない。参加バンドも多種多様で、ビッグバンドからコンボ、デュオ、トリオまであり、小学生ビッグバンドまで参加しているのには失笑したが、遠くは帯広の大学のバンドまで出演しているから驚嘆する。

 参加バンドはアマチュアが中心だが、名のあるプロも多数参加しているので聴きに行きたかったが、あいにく時間がとれなかった。来年はゆっくり聴いてみたい。参考までにどんなミュージシャンが参加しているかというと・・・・・・・・・・・。サックス奏者でグラミー賞にノミネートされたこともある、ジェームス・ムーディ。今年のモントリオール・ジャズ・フェスティバルの出演の合間に来日したウェイ・アウト・ウェスト。韓国人バンドのアリス・ジャズ・バンド。ギターとヴォーカルのデュオ、フライド・プライド。関西を中心に活躍しているサックス奏者・古谷充。渡辺貞夫の実弟でドラマーの渡辺文夫。・・・・数え上げればきりがないので、あとは名前だけ羅列する。どんな経歴の人かは興味があれば調べてください・・・・・岸ミツアキ、東雲まり、川嶋哲郎、小畑晴哉、中本マリ、noon、谷口英治、高橋知己、ROLLY、滝川雅弘、藤井貞泰、SINSKE、フィリップ・ストレンジ、ボンビ柿本、ラリー・マーシャル、山本久生、能勢英史、星野正生、宮下博行、森川奈菜美、大石学、セシル・モンロー、児玉有里子、井上弘道、魚谷のぶまさ、大曽学、小柳淳子、高岡正人、時安吉宏、西山瞳、蓑輪裕之・・・・・・もうやめた。まあ、盛大なイベントであると言うことです。

 ところで、高槻の駅前にある大きな商店街ではBGMにジャズが流れていたが、喫茶店やケンタッキー・フライドチキン、マクドナルド、ジーンズショップなんていう店は違和感がないが、呉服屋さんに老夫婦で賄っている八百屋さんまでジャズが流れているのは、実に滑稽であった。・・・・来年も来て見ようかな。

 中学生のビッグバンドだよ。『チキン』を演奏していた。
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 こちらは高校生のビッグバンド。我輩、行くところ行くところ、よくこのバンドに出くわすなあ。『マシュケナダ』だとか『ルパン3世のテーマ』のジャズアレンジ版を披露。去年の秋、神戸で観たときよりも数段、上達していた。
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 社会人のコンボ。高架下で暗くてすみません。演奏の合い間だった。
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 何ともコミカルなバンドだ。ラテンナンバー中心かな・・・。
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2009.05.04 (Mon)

第135回ケンタッキー・ダービー

 少々、遅れてしまったが、現地時間5月2日にチャーチルダウンズ競馬場で行なわれた第135回ケンタッキー・ダービーの結果を記載してみるとする。第135回ケンタッキー・ダービー(GⅠ・3歳、ダート10F、19頭)は水が浮いた泥濘のような馬場で行なわれ、人気薄のマインザットバードがインコースからスイスイと抜け出し、2着に6馬身3/4もの大差をつけて勝った。

 1着 Mine That Bird 2分02秒66、2着 Pioneerof the Nile 6馬身3/4、3着 Musket Man ハナ、4着 Papa Clem アタマ、5着 Chocolate Candy 6馬身。



 マインザットバードは人気薄だったが、戦歴は9戦5勝と、まずまずの成績。父はバードストーンというミスタープロスペクター系の種牡馬。母はマイニングマイオウン(母の父スマートストライク)というからミスタープロスペクターの3×5というインクロスである。

 ついでにケンタッキー・ダービーと同じ5月2日にニューマーケットのローリーマイル・コース(直線のみ)行なわれた第201回2000ギニーS(GⅠ・3歳、8F、15頭)の結果も記述しておくことにする。

 1着 Sea That Stars 1分35秒88、2着 Delegator 1馬身1/2、3着 Gan Amhras 3/4、3着 RIp Van Winkle クビ、5着 Mastercraftsman 1馬身3/4。

 レースはスタンド側を走った6番人気のシーザスターズと、内ラチ沿いを走った1番人気のデレゲイターが馬場中央に寄って叩きあいとなり、最後にはシーザスターズが突き放した。

 勝ったシーザスターズは4戦3勝で、父はケープクロス、母は凱旋門賞馬のアーバンシーで、半兄が英国アービー、愛ダービー、キング・ジョージⅥ&クイーン・エリザベスSに勝った名馬ガリレオという超良血なのである。

 なお、例年なら海外のレースの動画をアップするのであるが、最近は著作権問題で煩くなりUK側から異議申し立てがあったようで、You tubeの動画をブログに貼れなくなり、残念ながらレースを観ることが出来なくなったので、ご了承ください。
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2009.05.03 (Sun)

第139回天皇賞

 珍しく好天が続いている。GWに入って良い天気ばかりでそろそろ雨が降りそうな按配だが、今日の天皇賞は雨の心配もなく絶好の馬場コンデションで行なわれた。といいたいが絶好というのはどのようなコンデションを言うのだろうか。私はある程度、水分を含んだほうが馬のためには良いと思うが、テレビなんか観ていると、乾いていて速い時計で決着のつく馬場を絶好と言っている節がある。でも速い馬場は馬の脚を痛めやすく、必ずしも良いとは限らない。でもこれだけ好天が続くと、速い時計で決まる天皇賞になりそうな予感はした。なにしろホクトスルタンにテイエムプリキュア、シルクフェイマスといった逃げ馬が3頭も出ているし、コスモバルクやアサクサキングスあたりも前に行く馬だからレース展開は速くなるだろうことは予測できたのである。とは言うものの・・・・・・・・。

 第139回天皇賞(GⅠ・4歳以上、芝3200m、18頭)はフルゲートとなった。1番人気は菊花賞馬アサクサキングス、2番人気はジャパンCの覇者スクリーンヒーロー、3番人気は4歳馬モンテクリスエス、4番人気はアルナスライン、5番人気はドリームジャーニーだが、どの馬も頼りないといえば言葉は悪いが、昨年はウオッカやダイワスカーレットの古馬牝馬に牛耳られていた牡馬陣である。要は今の古馬の牡馬は絶対的な強い馬が不在で、アサクサキングスといえども絶対視できない弱みがある中で行なわれた。

 定刻どおり天皇賞のスタートが切られた。テイエムプリキュア、ホクトスルタン、シルクフェイマスの3頭が競り合うように前を行く。1周目の正面スタンド前でホクトスルタンをかわしてシルクフェイマスがハナに立つ。2番手にホクトスルタン、3番手テイエムプリキュア、4番手は5馬身ほど差があってコスモバルク、5番手スクリーンヒーロー、その外にネヴァブション、その後にアサクサキングス、最内にサンライズマックス、その外にアルナスラインがいて、その後にマイネルキッツ、そして、もう8歳になったデルタブルース。さらにドリームジャーニー、ポップロック、トウカイトリック、ヒカルカザブエと続き、モンテクリスエス、ジャガーメイル、ゼンノグッドウッドという順で1コーナーから2コーナーを回る。前半の1600mを通過。向こう正面でも隊列に変化はなく、ハイペースでレースは推移する。1000m通過が1分00秒2、1600m通過が1分37秒0、2000m通過が2分02秒7という速い展開である。これまでの天皇賞レコードは2005年度にディープインパクトが記録した3分13秒4だが、途中ラップで全て今回が上回っている。これだと天皇賞レコードが出そうだ・・・・・・。3コーナーの手前からホクトスルタンがシルクフェイマスをかわして先頭に立つ。坂の下りにかかる辺り馬群が固まってきた。ここでアサクサキンガウスが動く。先頭のホクトスルタンに迫る勢いでアサクサキングスが動く。また同様に内からスクリーンヒーローも動く。2番手、3番手に1番人気と2番人気が並ぶ。そして内から白い帽子マイネルキッツがその直後にいる。そして植え込みの外を通って、いよいよ直線コースに入ろうとする。先頭はホクトスルタンだが、その外からアサクサキングスが早くも先頭か・・・。内からマイネルキッツが来る。スクリーンヒーローは沈む。先頭に何と伏兵マイネルキッツが躍り出る。アサクサキングスは伸び脚がない。マイネルキッツの外からアルナスラインがやって来る。マイネルキッツ先頭で、アルナスラインが2番手、大外からドリームジャーニーが突っ込んで来るが、かなり差がある。先頭はマイネルキッツ、アルナスラインが競り合いに持ち込もうとするが、マイネルキッツは譲らない。アルナスラインが半馬身ぐらいまで詰め寄るがマイネルキッツが優勝。

 1着マイネルキッツ 3分14秒4、2着アルナスライン クビ、3着ドリームジャーニー 1馬身3/4、4着サンライズマックス ハナ、5着ジャガーメイル 1/2.。

 1番人気のアサクサキングスは9着。2番人気のスクリーンヒーローは14着。混戦天皇賞とは言われていたが、何とこれまで重賞勝ちどころかオープン級のレースにさえ勝った事の無い12番人気の6歳馬マイネルキッツが勝ってしまった。驚いた驚いた。イングランディーレが逃げ切った時も驚いたが、今回も負けず劣らずの珍事である。それも初の3200mを走るマイネルキッツが勝った。

 全てにおいて予測できなかった。いくら善戦続きとはいえ、これまで重賞を勝ってないのは決め手がないからである。それが同斤量の天皇賞で、それも堂々の勝利。フロックともいえず、インコースの経済コースを通りハイペースの展開に恵まれたとはいえ、アルナスラインを抜かさせなかったのだら強かったとしか言いようがない。ただ、苦言を呈するなら、この馬は、これまで28戦走っている6歳馬。最近好走するようになったが、もう上がり目が余りなく、今後の活躍が見込めるかというと??????????・・・・・

 つまり昔で言うところの5歳馬が台頭しないといけない春の天皇賞。今の年齢表記でいうなら4歳馬が弱すぎる。5着までが6歳馬、5歳馬、5歳馬、5歳馬、5歳馬が占め、4歳馬は着順掲示板に1頭も載らないと言う情けなさ。最も4歳馬の参加がモンテクリスエスとヒカルカザブエだけというから仕方が無いが、春の天皇賞は強い5歳馬(現4歳馬)が強い勝ち方を見せるというのが20世紀の常識であったのに、最近の春の天皇賞は一体どうなってしまったのだろうか・・・・・。この数年ではディープインパクトとメイショウサムソンぐらいだろうか、人気馬が人気馬らしいレースを見せてくれたというのは。

 今回、2000mまではディープインパクトの天皇賞レコードを0.3秒上回るペースでレースが動いていたのに、結局レコードに1秒も遅れをとったというのは、最後になって先行馬がバテたからというしかないが、最後の600m地点で既に先頭に立ち、そこから11.0---11.2---11.3の上がり33秒5で纏めたディープインパクトは、やはり別格のサラブレッドとしか言いようがないようだ。今回は最後の1ハロンで12秒0もかかっている。だからレコードタイムと1秒の開きが出来てしまったのだ。何ともつめの甘い古馬陣である。

 ところでマイネルキッツが勝ったのは驚きだが、血統的バックボーンはあったようだ。父チーフベアハートはカナダの名馬で、サイヤーラインはチーフズクラウン---ザンチヒ---ノーザンダンサーという一流の父系である。チーフベアハートは芝の実績しかなく、カナダの三冠レースのブリダーズS(1マイル半)を9馬身半差で勝っているし、1997年のブリダーズCターフにも勝ち、ジャパンCではエルコンドルパサーの4着という結果が残っている。いわば日本の馬場に合っていたのだ。だがこれまで産駒でGⅠを勝ったのは朝日杯フューチュリティSのマイネルレコルトぐらいで、長距離の重賞に勝った産駒がいなかった。でも一流馬がほとんど出てこなかったので、長い距離に使われた産駒がいなかっただけである。公営では大井記念(ダート2600m)に勝ったコウエイノホシが出ているが、中央では皆無。今回が初の3200mを産駒が走る事となった。だからマイネルキッツが勝った要因の一つは血統的なものということになるのだろうか・・・・・。でも、驚いた驚いた。単勝で幾らついたのだ・・・・・。
 
EDIT  |  17:58  |  競馬(国内レース)  |  Top↑

2009.05.02 (Sat)

明石海峡大橋

 姫路城に行く途中、舞子あたりを電車が通過した時、明石海峡大橋が視界に入って来たので、帰りに立ち寄ってみようと思い、姫路からの帰路の途中で寄ってみることにした。姫路からの帰りは山陽電鉄を利用したので舞子公園駅で降りて、橋の直下まで行ってみる。なるほど巨大な橋だ。過去に北九州市の若戸大橋(主塔間の長さ367m)や関門橋(同712m)、横浜ベイブリッジ(斜張橋、主塔間460m)、東京のレインボーブリッジ(同570m)等の吊り橋を観て来たが、明石海峡大橋は、やはり世界一の吊り橋というだけあってスケールが違う。なにしろ主塔の高さが297mで、主塔間が1991m。アンカレイジ(橋台)間の長さが3911mという長大さである。調査から完成まで実に40年の歳月を費やし1998年、完成するに至ったのである。参考までにいうと世界第2位の吊り橋は1998年に完成したデンマークのグレートベルト・イースト橋で主塔間が1624m、第3位が1981年完成のイギリスのハンバー橋で主塔間が1410mということになっていて、現在のところ明石海峡大橋は世界最長の吊り橋である。

 心地よい海風に誘われて舞子公園駅から国道2号線を跨る陸橋を渡って舞子公園へ入る。この海岸周辺は古代からの千鳥通う白砂青松の舞子浜。明治33年、兵庫県立都市公園として開園された。辺りは松林と白砂の浜とで形成された緑地帯である。ここに今から10年ほど前に突如として対岸の淡路島とを結ぶ巨大釣り橋が出現した。そこで私は橋の袂まで行き、また橋の添架施設として施工された海上プロムナードまで行ってみた。

 アンカレイジをフレームの中に入れて橋の全体を撮る。(写真はクリックすると拡大します)
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 主塔の高さは297m。横浜ランドマークタワーに匹敵する高さである。対岸の淡路島はぼんやりしている。 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守 と源兼昌が詠ったように千鳥が飛び交っていたのかもしれない。
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 橋の真下から。
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 橋の道路の下に設けられた海上プロムナードから須磨方面を撮る。
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 海上47mから海面を撮る。高所恐怖症の小生には、この写真を撮るのに冷や汗が出る。
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 海上プロムナードから道路の下を撮る。吊り橋のせいかよく揺れる。大型トッラクが物凄い音をたてて走っていくが、そのときは結構、揺れるので地震かと思って一瞬ドキッとする。
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 海上プロムナードから明石市内を撮る。真ん中あたりに明石の天文台が聳えている。この上がちょうど東経135度である。したがって日本の標準時は東経135度にあわせている。135度とはロンドンのグリニッジ標準時から9時間の時差があることを意味する。
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 明石海峡は海の交通の往来が頻繁なところ。カメラのフレームの中に大小、7、8隻の船が入ってくる。
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 舞子公園には移情閣(右の高い方の館)という重要文化財に指定されている建物がある。ここは中国の実業家・呉錦堂の別荘だったところで、後に兵庫県が神戸華僑総会から寄贈を受け、現在は孫文記念館となっている。孫文は中国の政治家で思想家で革命家である。辛亥革命を起こし、中国革命の父といわれ中華民国を建国した人物である。ところで何故、孫文記念館なのかというと、この舞子浜の地に、孫文が亡命中立ち寄ったことから、孫文記念館として運営されることになったらしい。
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 今度は橋を西側から撮る。Lookin' Good !
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2009.05.01 (Fri)

姫路城に行く

 昨日、陽気な気候に誘われて姫路城まで行って来たが姫路までは遠い。京都からだと悠に2時間はかかる。JRで行くと速いが料金が高い。私鉄だと阪急、山陽電鉄という行き方もあるが、それでもつまらないから阪急、阪神、JRを繫いで姫路へ到着した。姫路駅の正面に姫路城天守閣が見える。といっても1㎞ほど先だが。雲がまばらなほどの好天のなか、真っ直ぐ姫路城へ向う。姫路城には小学生の遠足の時に一度だけ来たことがあるので、40数年振りということになる。いや、一度、20年近く前に、姫路城の側にある姫路市立美術館へハンス・エルニ展を観に来たことがある。その時は近くに来たが、城内へは行かずじまいだったので本当に久々となった。それこそ世界遺産へ登録されてからは当然、初めて見参となった。

 姫路城、またの名は播州白鷺城。美しい白亜の天守閣を誇る名城である。1333年に赤松則村がこの地に砦を築いたことに始まるが、その後は、城主が度々、代わっている。山名持豊、黒田孝高、豊臣秀吉が治めていた時期もある。秀吉は三層の天守閣を築いたのだ。結局は関が原の戦いの後、池田輝政が城主になり姫路城の大改築を敢行し9年後に完成したというから、姫路城の原型は1609年~1610年に出来上がっていたものとされる。さあ、それでは城内へ・・・・・・。

 橋を渡って大手門を通ると三の丸広場へ入る。(写真はクリックすると拡大します) 
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 いきなり威容ある天守閣が聳えている。
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 テレビの時代劇でよく観られる光景だな。
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 さあ、これから菱の門へ向う。
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 菱の門は二の丸の入り口である。
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 だんだんと天守閣が近くなってくる。
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 堀の向こうに天守閣が・・・・・・。
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 姫路城の石垣は大阪城ほどではないが立派なものである。
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 狭間と呼ばれる小窓である。鉄砲や矢を放つための窓である。
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 これはお菊の井戸。『番町皿屋敷』のモデルとなった話に出てくる井戸。一ま~い、二ま~い、と皿を数える怪談があったでしょう。知らない人は調べてください。
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 鉄砲狭間。ここから火縄銃を撃った。
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 本丸にあたる備前丸から天守閣を撮る。まったく見事な天守閣である。
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 別角度から天守閣を撮る。
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 いよ、いよ天守閣へ入る。
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 入り口で靴を脱がされ、ビニール袋に入れてぶら下げながら天守閣内へ入る。見事に板張りである。江戸初期からの姿のまま、残っている数少ない城だから値打ちがあるのだ。
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 五層七階の最上階へ上がる。そこから姫路駅方面を望む。
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 こんな急な階段を昇り降りするのだ。靴下だと滑るのでご用心。足元のおぼつかない高齢者や足の不自由な人は絶対に天守閣へ行かないほうがいい。バリアフリーなんて設備は望むべくもないから・・・。
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 小天守側から撮る。
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 三つの小天守がある城も珍しい。一度も訪れたことの無い人は絶対に訪れるべき名城だ。これは間違いが無い。でも今年の秋には大改修工事が始まり、来年から数年にわたって天守閣が工事により覆いかぶされるので年内中に訪れるべきである。覆いが取れるのは2014年以降らしい。
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