2016.12.25 (Sun)
マイルス・デイヴィスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』を聴く
このアルバムを採り上げるのはもっと後にしたかったんだが、来年あたりでこのブログ10年になるし一区切りでやめようかと考えているので、もうそろそろ記事にしてもいいかなと考えたまでである。このアルバムはジャズのバイブル的なアルバムと言ってもいい。ロック界における『サージェント・ペパーズ』みたいなものである。最近、このアルバムのLPのことをテレビのCMで採り上げていたから思い出したと言うことなのであるが、若いときにもっとも聴いたジャズのアルバムである。ジャズ史上において世界で1番売れたアルバムだとされ、それだけに評価も高く普遍的な価値のあるアルバムだと言えよう。すでに発表されて半世紀以上になるというのに未だに売れ続けているアルバムなのである。言い換えればこのアルバムを聴かずしてマイルス・デイヴィスは語れない。モダン・ジャズは語れない。よく言うたとえ話として無人島にもしLPレコードを5枚持って行っていいといえば、小生は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『リボルバー』『アビィ・ロード』『クリムゾン・キングの宮殿』に加えて『カインド・オブ・ブルー』を持って行きたいと最近考えるようになった。
よくジャズに名盤はなく名演奏があるというが、即興性の高いモダン・ジャズにおいてアルバムを何度も聴くことよりも生演奏を肌で感じる方がいいとは思う。が、このアルバムだけは不思議と何度も聴いてしまう。何故だろうか。アルバム全体的に通じるブルーな雰囲気が漂うのがいいのかミュートの効いたマイルスのトランペットの噎び泣きがいいのか判らない。ただ理由はなく聴きたい音楽がある。それが『カインド・オブ・ブルー』かもしれない。
録音は1959年の春である。トランペットのマイルス・デイヴィス。アルトサックスのキャノンボール・アダレイ。ピアノのビル・エヴァンス及びウィントン・ケリー。テナーサッックスのジョン・コルトレーン。ベースのポール・チェンバース。ドラムスのジミー・コブ。今は亡き人も多く伝説のプレイヤーばかりだが、当時は必ずしもそうではなかった。コルトレーンなんか名声を得るのはこれから数年後のことだし、ただ1人の白人ビル・エヴァンスもここから飛翔する。ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、キャノンボール・アダレイはこのアルバムに参加してことで有名になったようなものだ。
当時、ジャズ喫茶でレコード盤に針が落とされチリチリチリという雑音からピアノとベースの序奏。そしてズズズズズズズーンーソーファット(小生にはそのように聞える)と音が奏でられたときは痺れが止まらなかったものだ。若いとき、ジャズのレコード盤を持ってなくてジャズ喫茶やラジオ(もうこの頃はあまりジャズの番組はなかった)でしかジャズは聴けなかったから、『So What』が店内に流れ出すと聞き耳を立てたものである。ご存じではあると思うが『Kind Of Blue』という曲はなく収録曲は5曲だけ。『So What』『Freddie Freeloader』『Blue In Green』『All Blues』『Flamenco Sketches』である。タイトルのカインド・オブ・ブルーはアルバム全体のイメージから来ているのだろう。冒頭の曲『So What』は、その後、色々なところで演奏されているのだが、このアルバムの『So What』だけは別格なのである。どう言えばいいのだろうか偶然の産物なのか恐ろしいほどの完成度を持っている。他の曲もそうなんだが、メンバーの気持ちが見事に調和した結果だろうが全て名演奏。他のアルバムでも良いものは多いが、この『カインド・オブ・ブルー』のフィーリング、ニュアンス、漂う雰囲気。ただならぬクール感。これぞモダン・ジャズの神髄である。ところで『So What』であるが曲名のタイトルとしては? がつく。なんでこんなタイトルの曲があるのかと疑問が湧くが、マイルス・デイヴィスの口癖だったという。意味は「それで何」「それがどうしたの」「そんなのどうでもいい」とか色んな意味があるだろうが、日本人からしたらその言葉の意味するところがあまりよくわからない。でも最近、これはマイルス・デイヴィスが言ったのではなく友人だったデニス・ホッパーがの口癖だったようだ。まあ、そんなことはどうでもいいが、そのSo whatを曲にしたのである。ビル・エヴァンスのピアノとマイルス・デイヴィスのトランペットがベースの上にSo Whatと同時に叫んでいるように聞えてしょうが無い。偶然の産物か必然的に生まれたかは判らない。即興性の強いモダン・ジャズの世界において『カインド・オブ・ブルー』は奇跡の1枚のようなアルバムであるといえよう。
2016.12.23 (Fri)
豚まんを食べる
豚まんなんて書くとそれなんだと言われそうだな。豚まんとは所謂、中華まんとか肉まんとか言われる関西での呼称である。昔の話だが大学生の頃、関東出身の友人に豚まんって何? と聞かれてから肉まん、豚まんの違いを意識するようになった。要するに同じものなのである。ただ関西では肉まん、中華まんといわれてる物が関西では豚まんといわれ続けていたと言うだけの話である。今はコンビニやスーパーで普通に関西でも肉まんとして売られているから若い子は、むしろ豚まんというと別の物と思っているかもしれないかな。
それなら何故、関西では豚まんといわれるのかだが、関西では肉というと牛肉のことを指すからである。なので豚の肉は豚肉、鶏の肉は鶏肉(関西ではカシワとも言う)と区別する。つまり肉=牛肉なのである。だから全国的に言われる肉まんという言い方だったら牛肉が入っていると思ってしまうからわざわざ豚まんと言い方が長い間、慣習化しているのである。
関西では昔から豚よりも牛の肉の方が需要が高かったからなのだが、豚を食べるようになったのは比較的新しいことになるかもしれない。それは何故かというと但馬牛という牛の原産地が近くにあったからである。現在で言うならば兵庫県の北部、但馬地方原産の牛を但馬牛と言うが、この牛が極めて良質の肉だったといくことが判り、この但馬牛からやがて神戸牛、松阪牛、その他への和牛へと発展するのだから、牛肉の需要が昔から高かったというのは判るだろう。つまり豚肉は関西では後に普及したと言うことである。一方、関東を始めとする地域では豚肉の普及度の方が高かった。それで肉といえば豚だと思っている人が多かったというだけの問題である。でもそれは最近では崩れてきて、関西でも豚まんって何? と言う若者が増えてきた。でも大阪には551の蓬莱の豚まんという関西では誰もが知っている豚まんがある。これが新大阪駅の構内で売っていて、大阪に出張したビジネスマンが新幹線で夕方に帰るときによく551の豚まんを買って新幹線の車内で、それも新大阪~京都の間でみんなが食べ出すので、車内が豚まんの臭いで充満するときがある。なので豚肉が嫌いな人には堪えられない臭いだろうなと想像する。
でもこの豚まんという呼称は全国的に知名度が低く、肉まん、中華まんがという呼称が広まってもなんだか、昔から豚まんで慣れ親しんだ耳には違和感があるというか、別の物という気がしないでもない。スーパーで井○屋の肉まんなんて袋に入って売っているが、どうも購買力を注がれない。やはり関西では老舗の豚まん店が多く、大阪や神戸にはとくに多い。神戸には老祥記という小ぶりの豚まんを作って売っている店もあるが、今回食べたのは老祥記よりやや大きめの皇蘭という店の豚まんである。これも神戸の南京町に店があり年に数回食べる。でもスーパーやコンビニ売っている肉まんよりも割高である。でも違う。それだけ味がしっかりしているし生地も旨味成分が含まれていて、工場大量生産の肉まんとは一線を画している。やはり豚まんといえど拘りは持ちたいものである。たこ焼きにも言えるが、銀だこ・・・・・あれはたこ焼きって言うのとはちょっと違うと思ってしまう。それは小生が関西育ちと言うことの証明かもしれない。
2016.12.20 (Tue)
ホームドアを考える
先日、大阪のJR新今宮駅でおかしな男が数人の女性を背中から押し、60代の女性はホームから線路上に落ち、電車が慌てて急ブレーキをかけ、あと5mのところで停止したという。まあ頭のおかしい奴もいるものだが、ホームドアがあればこういう危険はなかっただろう。また最近、盲目の人がホームから転落して電車に轢かれ死亡した例もある。今は忘年会シーズンで酔っ払いも多く千鳥足でふらふらしてホームから転落ということも多いという。それで安全のため設置が急がれているのがホームドアと言うことになる。
でも昔は駅のホームから転落しても今ほど大騒ぎしなかった。つまりホームドアなんて考えがなかった時代だから記事としても取り扱いが小さかった。でも最近はホームドア設置が出来る時代になったので急に駅のプラットホームの危険性を耳にすることが多くなった。というのも最近は急速にアジアの国が発展し、最近になって敷設された鉄道というのはほとんどホームドアが設置されているからだ。ことに韓国の地下鉄はほとんどの駅にホームドアがついているから日本の都市鉄道のホームドアの設置度の遅れが目立ってしまうのだ。最近は韓国人は日本のJRや私鉄、地下鉄を見てホームドアがないことを馬鹿にして韓国の方が進んでいると発言する人が多いと言う。でも当たり前だろ。韓国というのは日本より半世紀遅れて1974年に地下鉄が最初に開通した。それも日本の技術援助と円借款のおかげである(韓国ではそのことを知らない人が多いが)。そのときのソウル地下鉄1号線は日本の車両であり、日本人が運営システムから何もかも指導したことさえ忘れているのかもしれない。つまりホームドアというのは近年になってから開発されたもので、最近になってホームドア、ホームドアと煩く言うようになっただけである。考えてみればそれ以前の駅というのはホームドアという概念はなく、ホームに柵はあっても自動で動くホームドアなんてものはなく、危険であるのは承知でもあったがホームドアという考えはなかったから、最近のように駅の危険性をこれだけ、やいやい言うようなことはなかった。それに昔の方が電車は混んでいたし、プラットホーム上に人が溢れていようがなんとか凌いでいたというのが現実である。
それが1981年2月5日に神戸の新交通システムであるポートライナーが開通した。そして1ヶ月後の3月16日に大阪のニュートラムが開通。どちらも無人運転でスクリーンドアが設置されていた。ここから事情が変わる。こういうものが既に実現していたのだが、既存の鉄道では設置が難しかったのである。なにしろ日本の鉄道は複雑でありすぎる。都市交通で言うならJR、地下鉄、私鉄各社があり、それらが入り乱れ、総合乗り入れもある。また電車の車両規格が違い、5枚扉、4枚扉、3枚扉、2枚扉。色々とあり、車両の長さも違うので、いざホームドアを設置するにも簡単にはいかないのである。よく東京の山手線のホームドア設置率が高いのに同じような大阪の環状線のホームドア設置は何故進まないのかという声が上がるが、山手線は全て同じ規格の車両で統一しているからホームドアの設置は容易である。一方、大阪の環状線は実は環状線と言うが、同じ線路内に奈良行きだとか和歌山行きだとか関空行きだとか京都行きだとか違う路線の電車まで乗り入れている。まあ土地買収の問題もあり今更、複線を複々線、3複線化出来ないので同じ線路上に違う路線の電車が走っているからこういうことになるのである。それで仕方なく、JR西日本は環状線の新車両を全て3枚扉に統一し4枚扉の車両を走らせないようにしてようやくホームドアを設置することにしたらしい。でも駅自体古くホームドア設置した場合の重量に耐えられるかが問題になり、こちらの方の強化も必要だという。だからホームドア設置もすぐには実現できそうもない。
さらに地下鉄は悲惨だ。韓国の地下鉄は1号線以外は1980年以降に開通したものばかりだからホームドア設置も簡単だったと言えよう。ところが日本は事情が違ってくる。日本の地下鉄開通の歴史は1927年の東京の浅草~上野間に始まって、1933年の大阪・梅田~心斎橋間。地下鉄ではないが1931年に京阪(現・阪急)の京都・西院~大宮間。1933年、阪神の岩屋~三宮間と地下を電車が走っている。また地下駅化に伴う一部の地下鉄道は1928年、神戸有馬電鉄の湊川駅。1933年、京成の上野駅。1938年、関西急行(現・近鉄)の名古屋駅。1939年、阪神の梅田駅。1941年、名鉄の新名古屋駅。
これだけ戦前から地下化が進んでいると今の基準に合わすのは難しい。地上駅と違い工事もより難工事になり費用も莫大になるのでホームドア設置も遅々として進まない。ことに古い路線ほどそうである。でも車両の長さとドアの数さえ合わせれば比較的設置費用が安くて工事の簡単なロープ式ホームドアなら設置しているところも増えた。まあ韓国のように完全密封型スクリーンドアは無理ではあるが、簡易方式なら設置できるだろう。それと韓国は日本の私鉄のような民間鉄道がほとんどなく国が出費している公社のような鉄道がほとんどだから統一できるというものだろう。でもアメリカやヨーロッパの鉄道は日本と同様で一部しかホームドアってものが存在しないのだが(モスクワには世界初のホームドアがあるが)、アジアの諸国の都市鉄道では最近に開通したものが多く全てスクリーンドアが設置されている。したがって日本に大勢来るアジアの観光客は日本の鉄道にホームドアがないことに驚いているみたいだ。意外と日本はハイテクの国なのに遅れていると思ったかもしれない。つまりこの20年で急速に鉄道が敷設されたアジアの都市の鉄道とは違い、日本は100年前から都市に鉄道が敷設されていたので時代遅れと思われるのも仕方がない。なので日本の駅にホームドアがないから未開だという韓国人は事情を知らないだけ。また韓国にあるスクリーンドア・システムは日本のナブテスコが開発したものなんだけどと突っ込みたくなる。でも危険防止のためホームドアはあった方が良い。これからは日本は高齢化社会が急速に進み駅での安全をより強化しないといけなくなる。したがってホームドア設置は急がれるのである。
これからこういった簡易式なロープ型ホームドアが増えるかもしれない(JR高槻駅)
でも昔は駅のホームから転落しても今ほど大騒ぎしなかった。つまりホームドアなんて考えがなかった時代だから記事としても取り扱いが小さかった。でも最近はホームドア設置が出来る時代になったので急に駅のプラットホームの危険性を耳にすることが多くなった。というのも最近は急速にアジアの国が発展し、最近になって敷設された鉄道というのはほとんどホームドアが設置されているからだ。ことに韓国の地下鉄はほとんどの駅にホームドアがついているから日本の都市鉄道のホームドアの設置度の遅れが目立ってしまうのだ。最近は韓国人は日本のJRや私鉄、地下鉄を見てホームドアがないことを馬鹿にして韓国の方が進んでいると発言する人が多いと言う。でも当たり前だろ。韓国というのは日本より半世紀遅れて1974年に地下鉄が最初に開通した。それも日本の技術援助と円借款のおかげである(韓国ではそのことを知らない人が多いが)。そのときのソウル地下鉄1号線は日本の車両であり、日本人が運営システムから何もかも指導したことさえ忘れているのかもしれない。つまりホームドアというのは近年になってから開発されたもので、最近になってホームドア、ホームドアと煩く言うようになっただけである。考えてみればそれ以前の駅というのはホームドアという概念はなく、ホームに柵はあっても自動で動くホームドアなんてものはなく、危険であるのは承知でもあったがホームドアという考えはなかったから、最近のように駅の危険性をこれだけ、やいやい言うようなことはなかった。それに昔の方が電車は混んでいたし、プラットホーム上に人が溢れていようがなんとか凌いでいたというのが現実である。
それが1981年2月5日に神戸の新交通システムであるポートライナーが開通した。そして1ヶ月後の3月16日に大阪のニュートラムが開通。どちらも無人運転でスクリーンドアが設置されていた。ここから事情が変わる。こういうものが既に実現していたのだが、既存の鉄道では設置が難しかったのである。なにしろ日本の鉄道は複雑でありすぎる。都市交通で言うならJR、地下鉄、私鉄各社があり、それらが入り乱れ、総合乗り入れもある。また電車の車両規格が違い、5枚扉、4枚扉、3枚扉、2枚扉。色々とあり、車両の長さも違うので、いざホームドアを設置するにも簡単にはいかないのである。よく東京の山手線のホームドア設置率が高いのに同じような大阪の環状線のホームドア設置は何故進まないのかという声が上がるが、山手線は全て同じ規格の車両で統一しているからホームドアの設置は容易である。一方、大阪の環状線は実は環状線と言うが、同じ線路内に奈良行きだとか和歌山行きだとか関空行きだとか京都行きだとか違う路線の電車まで乗り入れている。まあ土地買収の問題もあり今更、複線を複々線、3複線化出来ないので同じ線路上に違う路線の電車が走っているからこういうことになるのである。それで仕方なく、JR西日本は環状線の新車両を全て3枚扉に統一し4枚扉の車両を走らせないようにしてようやくホームドアを設置することにしたらしい。でも駅自体古くホームドア設置した場合の重量に耐えられるかが問題になり、こちらの方の強化も必要だという。だからホームドア設置もすぐには実現できそうもない。
さらに地下鉄は悲惨だ。韓国の地下鉄は1号線以外は1980年以降に開通したものばかりだからホームドア設置も簡単だったと言えよう。ところが日本は事情が違ってくる。日本の地下鉄開通の歴史は1927年の東京の浅草~上野間に始まって、1933年の大阪・梅田~心斎橋間。地下鉄ではないが1931年に京阪(現・阪急)の京都・西院~大宮間。1933年、阪神の岩屋~三宮間と地下を電車が走っている。また地下駅化に伴う一部の地下鉄道は1928年、神戸有馬電鉄の湊川駅。1933年、京成の上野駅。1938年、関西急行(現・近鉄)の名古屋駅。1939年、阪神の梅田駅。1941年、名鉄の新名古屋駅。
これだけ戦前から地下化が進んでいると今の基準に合わすのは難しい。地上駅と違い工事もより難工事になり費用も莫大になるのでホームドア設置も遅々として進まない。ことに古い路線ほどそうである。でも車両の長さとドアの数さえ合わせれば比較的設置費用が安くて工事の簡単なロープ式ホームドアなら設置しているところも増えた。まあ韓国のように完全密封型スクリーンドアは無理ではあるが、簡易方式なら設置できるだろう。それと韓国は日本の私鉄のような民間鉄道がほとんどなく国が出費している公社のような鉄道がほとんどだから統一できるというものだろう。でもアメリカやヨーロッパの鉄道は日本と同様で一部しかホームドアってものが存在しないのだが(モスクワには世界初のホームドアがあるが)、アジアの諸国の都市鉄道では最近に開通したものが多く全てスクリーンドアが設置されている。したがって日本に大勢来るアジアの観光客は日本の鉄道にホームドアがないことに驚いているみたいだ。意外と日本はハイテクの国なのに遅れていると思ったかもしれない。つまりこの20年で急速に鉄道が敷設されたアジアの都市の鉄道とは違い、日本は100年前から都市に鉄道が敷設されていたので時代遅れと思われるのも仕方がない。なので日本の駅にホームドアがないから未開だという韓国人は事情を知らないだけ。また韓国にあるスクリーンドア・システムは日本のナブテスコが開発したものなんだけどと突っ込みたくなる。でも危険防止のためホームドアはあった方が良い。これからは日本は高齢化社会が急速に進み駅での安全をより強化しないといけなくなる。したがってホームドア設置は急がれるのである。
これからこういった簡易式なロープ型ホームドアが増えるかもしれない(JR高槻駅)
2016.12.13 (Tue)
ちょっと間隔があいたが
久しぶりの更新になるのかな。なんだか忙しくてPCを開いてなかった。実の姉が大腿部を骨折している関係からか家を留守にすることが増えたのである。まあ今はリハビリ中であって、まもなく退院するだろうからもう行くこともないだろうけど、歳をとると女性は骨が弱くなる人が多いから要注意。男に比べると骨密度が低いのだろう。姉は母に似て魚が嫌いだったから、ことにカルシウム不足かもしれないし筋力は弱い。でも口は達者なので小生、ちょっと疎遠にしていたところもあるのだが、実の姉だけに無視は出来ないので、入院したと聞いて駆けつけた。でも意外と元気だった。
手術してから回復は早く、もう杖ついて歩いているという。電話で話したが退院して自転車に乗って買い物行くだとか言っていたが大丈夫かな。そもそも昔から大人しくしてなくて家にいたことがなかった姉だ。性格なんだろうな。実の姉とは思えないほど性格も何もかも違う。それに比べると姉の夫は実に物静か。似たもの同士というのとは違うけど馬が合うのかな。姉の夫も銀行を定年退職し今は家でFXをやっているらしい。一方、姉は何時電話してもいなかった。いったい何処へ行っているのか判らない。慌てん坊で駅の階段を踏み外して骨折したというから話にならない。もっと落ち着いてくれと言いたいが持って生まれた性格って治らないものだ。小生も姉のことを言えないが、そろそろ歳を考えろと言いたい。
手術してから回復は早く、もう杖ついて歩いているという。電話で話したが退院して自転車に乗って買い物行くだとか言っていたが大丈夫かな。そもそも昔から大人しくしてなくて家にいたことがなかった姉だ。性格なんだろうな。実の姉とは思えないほど性格も何もかも違う。それに比べると姉の夫は実に物静か。似たもの同士というのとは違うけど馬が合うのかな。姉の夫も銀行を定年退職し今は家でFXをやっているらしい。一方、姉は何時電話してもいなかった。いったい何処へ行っているのか判らない。慌てん坊で駅の階段を踏み外して骨折したというから話にならない。もっと落ち着いてくれと言いたいが持って生まれた性格って治らないものだ。小生も姉のことを言えないが、そろそろ歳を考えろと言いたい。
2016.12.04 (Sun)
早くも師走
とうとう師走になってしまった。毎年言うことだが、年々月日が経つのが早くなるような気がする。小学校時代の1年とこの歳になっての1年とでは全く別の時空が流れているのではないかとさえ思う。物心がついた頃というのは何月だとか何日だとか言った意識はなかったが幼稚園に入り季節感がなんとなく判ってくる。小学生になり一学期が来て夏休み。二学期に入り冬休みになり正月が来る。そして三学期になり春が来て学年が上がる。こうして1年のサイクルを意識するようになる。この頃は学習することが多くて何でもかんでも覚えなくてはならない。全てが新しい見聞で満たされていて経験値となって積み重なっていくのだが、その経験値が増えていくに従って、年齢を重ねるごとに経験値が薄くなり時間の流れがより早く感じるようになるのかもしれない。つまり一度覚えてしまうと覚える苦労がなくなる分、長く感じられる苦役というものがなくなり早く感じられるようななるのかもしれない。習慣というものだろうか。毎日やっていることを繰り返すとだんだんと時間が短く感じられるようになる。しかし、突然環境が変わり新しいことを行うと何もかもが初めてなので、なれるまでが大変で不思議と時間が経たない。しかしいったん慣れると時間の経過がそれまでより早く感じられる。これは小生の体験上で言ってることだが20歳までは比較的時間が経つのは遅かった。当然、20代よりも30代の方が時間の経過が早く感じられ、40代ではさらに加速され、50代でまた加速。気がつけばこの歳だ。
ある人によると年齢分の1がその人の時間の感じ取れる速度らしい。10歳なら10分の1。30歳なら30分の1。50歳なら50分の1。これがその人の1年の速度の感じ方であるという。一理ある説だな。 ただし老人になり生きる目的もなくなったら時間が経つのも遅く感じる人もいると言うから判らない。年老いてもなにか新しいことにチャレンジしている人は生き生きしているのはそのためだろう。やはり人間はなんか一生、生き甲斐を求めて生きるべきだろうと思う。何もやることがない。生きる楽しみがない。こうなると悲惨だとは思う。ただし健康であることが第一ではあるが。
ある人によると年齢分の1がその人の時間の感じ取れる速度らしい。10歳なら10分の1。30歳なら30分の1。50歳なら50分の1。これがその人の1年の速度の感じ方であるという。一理ある説だな。 ただし老人になり生きる目的もなくなったら時間が経つのも遅く感じる人もいると言うから判らない。年老いてもなにか新しいことにチャレンジしている人は生き生きしているのはそのためだろう。やはり人間はなんか一生、生き甲斐を求めて生きるべきだろうと思う。何もやることがない。生きる楽しみがない。こうなると悲惨だとは思う。ただし健康であることが第一ではあるが。
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