2ntブログ
2016年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT  |  --:--  |  スポンサー広告  |  Top↑

2016.10.29 (Sat)

映画『スタンド・バイ・ミー』を観る

『スタンド・バイ・ミー』1986年制作、 アメリカ映画

監督 ロブ・ライナー

出演 ウィル・ウィートン
    リヴァー・フェニックス
    コリー・フェルドマン
    キーファー・サザーランド
    ケイシー・シマシュコ
    リチャード・ドレイファス

【あらすじ】ある男がのどかな田舎道に車を停め、助手席に置いてある新聞に目をやる。それは弁護士が刺殺されたという記事であった。その刺殺された弁護士というのは、少年時代に親友だったクリス・チェンバースである。ある男はゴードン・ラチャンスといい作家であった。ゴードンはその記事を見て遙か昔の12歳の頃の瞑想にふけるのである。ここから少年時代の回想へ話は進む。
 ゴードンと何時もつるんでいる4人は、よく木の上に建てた簡易小屋でたばこを吹かしたりトランプをしたり、痴話話をよくやっていた。4人とも何か心の中に傷があり癒やされていなかった。ゴードンは兄を事故で亡くし、両親は期待していた長男を失った痛手から立ち直れないでいたが、次男のゴードンには期待もしていなかった。
 クリスは家庭に問題があり周囲から白い目で見られていたが、実は正義感が強く友人思いの優しい少年である。テディは粗野で乱暴で家庭環境も良くなく暴力を起こす父がいたが、軍人として勇ましい活躍をした父をある意味で尊敬していた。バーンは気が弱く少し太っていて、のろまだったが不思議とこの仲間と馬が合った。
 ある日バーンが兄とその仲間との話を盗み聞きする。それは3日前から行方不明になっている少年の死体を見つけたというものだった。しかし、兄たちは盗んだ車のことがばれるのが嫌で警察に届けなかったという。その話を聞いたバーンは早速、仲間に話すと4人で死体を見つけ英雄になろうと行動に起こす。こうして少年4人は延々と線路伝いを歩き始めるのである。

 この映画はホラー作家スティーヴン・キングのホラーでない短編を下地にしてロブ・ライナーが監督した秀作である。オレゴンの田舎町。行方不明になた少年の死体を見つけようと冒険に旅立つ4人の少年。ストーリーは単純だが、その中には色々な要素が含まれていて、淡く切ない少年の心象が見事に描かれている。4人それぞれが持つ悩み葛藤、将来の不安、少年達の会話から見て取れるが、これらが内包され作品の根幹となっている。
 タイトルのStand by Meはそばにいてくれとか支持してくれとかといった意味になるが、性格は違えど少年時代の親友は掛け替えのないもの。大人になってからの関係と違い利害というものはない。ただ純粋無垢で粗野で正直でお互いがぶつかり合う。こういった関係は大人になってから無性に懐かしく感じるものだが、このような感性をを捉えきっている映画だと思う。少年時代に見た感じた思った原風景というものがここにあり、集約された作品である。
 この映画の最後の方で、不良の年上の少年達に脅されながらも友情から気弱なゴードンがピストルを持って構えるところは、あたかも危うい関係に見えて実際には信頼関係で繋がっているという一面を垣間見るものであり、大人にはない甘い切ない少年時の無鉄砲な行いを想起させるものである。謂わば大人への奥底に潜む邪気を擽る映画と言えば良いだろうか。また最後にベン・E・キングの歌うStand BY Meがエンディング曲に使われ郷愁を誘う。


EDIT  |  16:15  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.10.23 (Sun)

嵯峨・嵐山をぶらり

 ようやく秋らしくなったので気の赴くまま風の赴くまま足が自然と嵐山に。久しぶりに来たのだけど人が多い。まだ紅葉の季節ではないので、その頃ほど多くはないが人出が多い。ただし日本人よりも外国人の方が多い。とくにアジア人が多い。なかでも中国人。韓国人。あとは東南アジア系の人たち。渡月橋で写真を自撮りしている人はほとんど外国人である。西洋人も多いのだが、圧倒的にアジア人が多く、中華系の人が大半を占める。こりゃアジア人に乗っ取られたなという感じが強くなる。べつに外国人を悪く言うわけではないが、とにかく大きい声で話すし群がるし行儀が悪いからちょっと迷惑ではある。最近、大阪でわさびの問題があったしバスのチケットの問題。南海電鉄の車内放送の問題が取りだたされているが、これだけ文化の違う外国人が急に増えると色々とトラブルも起こるのは当たり前かもしれない。ただ今まで日本は外国人観光客が少なすぎたぐらいだから、対応が遅れていたというのもある。これまでだと外国人観光客と言っても個々に来る西洋人が中心であまり問題は起こらなかった。それが最近、急激に裕福になったアジアの観光客が団体で大勢やってくるようになったから様々な問題が起きているのは確かであり、ここで日本人との間でトラブルがよく起きるようになっている。昨日なんか嵯峨にある京都のある民家の庭に中国人グループが無断で入って記念写真を撮っていた。この家の持ち主が気づいたらとうなるのだろうと思いながら通り過ぎたが、どうせ注意したところで言うことをきく連中ではないしな。それどころか大きい声で逆に文句を言ってくることがある。またJRの嵯峨嵐山駅の近くの踏切では2人の警備員が立っていた。踏切に警備員とは変だな思い聞いてみた。すると思わぬ答えが。最近は踏切のなかに立ち入って写真を撮る外国人が絶え間ないので警備員を常駐させて注意喚起するという。中国辺りでは高架の鉄道が多く市街地の近くで踏切がないから珍しい。それで線路の中に入って写真を撮るらしい。でもこれが最近問題になっていて、踏切の遮断棒が降りてチンチンチンと警報音が鳴っていても撮っている者がいるという。これでは事故が起こらない方がおかしい。実際、電車が急ブレーキをかけたことはあるらしい。だから警備員を立たせることになったという。
 今までアジアの人はあまり裕福ではなく、あまり海外へ観光で出かけることはなかった。それが裕福になり国際マナーも身につかず出かけていった結果、母国と同じ習慣で平然と押し通してしまう。こういうところで問題が発生するのはやむを得ないが徐々に解決していかないとしょうがないだろ。彼等の中ではマナーが自体追いついてないのだ。
 さて常寂光時から大覚寺の方に向かって歩いてたときのこと、後ろから急いで接近する足音が聞えた。このとき、付近に小生以外はいなかった。つまり裏通りの人があまり歩かないような所を歩いていたのである。すると後ろから急いで接近して来た人は中年の女の人1人だった。小生に近づくなり何かを言っているのだがさっぱり判らない。中国人らしい。小生がチュンゴーレンと言うけど、相変わらず何か言っているが聞き取れない。相手も困った顔をしている。英語もしゃべれないみたいだし道に迷ったのかな。地図も出さないし、1人でいるしどういう事態なのかさっぱり判らない。中国人なら団体で行動する人が多く、女性1人で嵯峨の人通りの少ないところを歩いていうることすら珍しい。仲間とはぐれたのかな。結局、こちらも色々と喋るが意思の疎通が全く出来ず女性は泣きそうな顔をしてどこかへ小走りで去っていた。いったいどうしたのかな・・・・・・。中華系でも香港や台湾やマレーシア、シンガポールの人は英語で聞くが、中国本土の人は英語が喋れない人が大勢、日本へ観光に来ている。そして日本人に中国語で聞いても日本人は全く理解できない。中国は広く北京語なら日本人でも習っている人は多いが、七大方言といって使う漢字も違うし発音も違う。国が広いとそれだけ方言も多い。上海語、広東語なんてまだ良い方だが、内陸部の田舎の言葉で言われると北京語に精通している日本人でもさっぱり判らないだろう。こういうとき、やはり英語は強いと言うことがよくわかる。悔しいが英語は国際語であり共通語なのである。したがって日本人には中国語よりも英語で聞く方がまだ答えられるというものである。それなら筆談すればという人もいるだろうが、今の中国って簡体字が進みすぎて日本の漢字を読めない中国人が増えているのが現実なのだ。一方、台湾や香港の人は繁体字で日本の漢字を読める人は多い。これだから大陸の中国人で筆談しても意味合いが違う場合も多くこれも難しい。
 それにしても今の季節でこれだと紅葉の季節になると、どれだけの外国人で埋め尽くされるのだろうか。いや、これからは外国人がどんどん増え、日本も人種雑多な国にならざるを得ないのかもしれない。つまり言い換えれば、まだ日本は海外に比べると本格的な国際社会と言えてないのかも。

渡月橋と後背の嵐山・愛宕山・小倉山 


天龍寺のそばにある竹林の小径。まだ人はそれほど多くないが大半は中華系アジア人である。日本人の方が少ないぐらい。

EDIT  |  10:05  |  近場散策  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.10.20 (Thu)

なんだか暑いな

 もう10月20日なのだが、この暑さはどうなってるのって言いたい。先週は一気に気温が冷えて、晩秋の入り口かなと思っていたら、昨日今日とこの暑さ。季節が1ヶ月戻ったような夏日で、長袖でいると汗をかく。今年は気候がおかしいが(毎年こんなこと言ってるが)、ここにきてまたおかしい。10月の20日にもなって半袖で十分だといのは過去にも記憶が無い。とにかく暑い。おそらく直射日光の下では30℃を超えているかもしれない。秋の長雨というけど、今年は台風が接近したとき以外は雨がほとんど降らないから、このようなことになっているのかもしれない。とにかく暑い。夜でも11時を回らないと25℃より下がらないというのは、やはりおかしいだろ。これだけら着る服にも困るが、夜寝るときも困る。厚手の布団を出したかと思ったら途端に熱帯夜が待っていた。布団を被るまでもない。しかし朝になると今の季節は気温が下がってくるので夜中に身体が冷えて急いで布団を被る有様である。したがってこういう時に風邪をひくのだろう。
 もう10日ほどで11月。立冬も近くなってきたのだが、この暑さのぶり返しは強烈すぎて、ちょっと身体に応える。夜になるとようやく涼しい風が吹き出した。でもこの調子だと11月か12月に一気に寒くなるんだろな。
EDIT  |  19:52  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.10.14 (Fri)

えっ! ボブ・ディラン

 昨日、本年度のノーベル文学賞が発表されシンガー・ソング・ライターのボブ・ディランが受賞することになった。このとき正直に思ったことが、えっ! ボブ・ディランである。この文学賞は毎年、村上春樹が貰うか貰うかとわくわくされ、ハルキストといわれる人が毎年、この時期になるとそわそわするらしい。結局、今年も駄目で誰が貰ったかというとボブ・ディラン。これには驚いた。どちらかというとグラミー賞が妥当だと思っていたので、音楽家がノーベル賞を受賞するなんて意外も意外としか思わなかった。でも当ブログですでに三回記事にしているぐらいだから、最近のノーベル賞受賞者で最も有名な人と言っても過言ではない。ところでミュージシャンがノーベル賞を受賞したなんて史上初のことだろう。文学賞というのは作家や詩人、ライタ-に与えられるのが一般的である。だが、今回はシンガー・ソング・ライターである。異例中の異例といってもいい。しかるに何故、ボブ・ディランにノーベル賞が与えられたのかと言うことだが、偉大なるアメリカの音楽の伝統の上に立って、新しい詩的表現を創造してきたというのが選考された理由みたいだ。そもそもボブ・ディラン(本名ロバート・ツィンマーマン)は今世紀屈指の詩人ディラン・トーマスから名前を頂いているぐらいだから詩的な表現を好むようだが、彼が、フォークソング界にデビューしたときは強烈な歌詞で旋風を巻き起こしたようだ。
 手元に彼の出世作となったアルバム『The Freewheelin』のLPがあるが、その歌詞の訳詞を見ても強烈である。『風に吹かれて』~どれだけの道を歩けば お前は人間を人間と認めるのか いくつの海を渡れば 鳩は砂の中で休めるのか いくたび砲弾が飛び交えば 武器は完全に禁止されるのか その答えは 我が友よ 風に舞っている~
 『戦争の親玉』~お聞き 戦争の親玉達 鉄砲を作り 死の飛行機を作り 大きな爆弾を作るお前達 城壁の向こうに隠れ 机の向こうに隠れているお前達 言っとくけど俺にはお前の仮面の下の正体は判ってるんだぜ~
 これらの歌詞は当然、当時のアメリカの体制批判であり、こういったことを歌を通してまざまざとボブ・ディランはやっていた。所謂プロテスト・ソングとしてのフォーク・ソングをボブ・ディランは歌詞で強烈にアピールしていた。かといってボブ・ディランはこういった攻撃的な歌詞ばかりではなく『ダウン・ザ・ハイウェイ』『くよくよするな』『はげしい雨が降る』のような内省的な歌詞も多く、全般的に認められたのはこのような部分だろう。彼が出てきた1962年63年といえばアメリカで公民権運動が盛んになりケネディ大統領がもたらした自由主義的風潮を背景にして、体制内改良主義的な非暴力闘争が大きな盛り上がりを見せた時期であり、ボブ・ディランが当時支持されたというのは時代精神を抜きにしては語れないであろう。でも当時は右翼団体を非難することさえ至難だった時代。こういったことを公然と行ったボブ・ディラン。このボブ・ディランは当初は日本で受け入れられなかった。というのもかのしわがれ声と歌い方である。日本人が好む叙情的なフォークソングとは相反していたからである。当時、日本の若者の多くはPPMやブラザース・フォアーのようなハーモニーの綺麗なフォークソングを好んだ。無理もない。ボブ・ディランの神髄は歌詞の内容にあるのだから。英語が直接伝わらない日本人にはボブ・ディランの影響をすぐに受けることはあまりなかった。でも、彼の詩の強烈さはやがて徐々に理解され、日本でもボブ・ディランの影響を受けるフォークシンガーが次第と現れるようになる。髙石ともやだとか高田渡だとか岡林信康だとか中川五郎だとかフォークルなんかもそうかもしれない。灰汁の強い関西フォーク、アングラフォークなんかは代表格だろう。時代がそうさせたのだ。ボブ・ディランはそういった詩的表現が得意で、プロテストソングから徐々に脱皮し、後年は音楽の幅を広げていったものだが、その根底にあるのは体制批判であった。今も現役であり、相も変わらずしわがれ声で朗々と歌いまくる。その名声からいってノーベル文学賞に値はするだろうが、ただミュージシャンが過去にノーベル賞を貰ったことなど皆無なので、小生はただただ驚いているのである。でも、これからはノーベル文学賞の受賞者の傾向が変わるかもしれないな。


EDIT  |  19:24  |  時事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.10.08 (Sat)

秋が来ない

 なんだか蒸暑いね。10月に入ったものの一向に秋めいてこないんだけど。今週は台風が日本海をかすめていった。その影響で離れたとところでも雨が降ったが、そのときだけはいったん涼しくなるのだが、翌日には夏日だ。いや真夏日の日もあった。本当に10月なんだろうな。なんだか夏のような日が何時までもだらだら続いていたら損をした気分になる。秋の心地よい風がさっぱり吹かない。日が落ちて夜が深まってきてやっと涼しくなるかなと言うところである。今日なんか雨の予報だったが、さっぱり降らなくて湿度が高いだけに体感的には気温以上に暑く感じ、歩いていると汗が額から落ちてくる。もっともすっかり秋の装いの人もいる。ことに女性は長袖の人が多くなった。さらにカーディガンまで羽織っているから暑くないのかと思ってしまう。小生は未だに半袖シャツを着ているから暑がりの方なのかもしれない。一般的に男性より女性の方が寒がりなのかな。男性は相変わらず半袖の人が多いけど女性は先週よりも半袖の人が減った。こちらは女性ではないのでよくわからないが、よく長袖なんて着れるなと感心する。一方、女性から見たらどう思っているのか知らないが、今日は正直の話暑いよ。長袖なんてとてもじゃないが着れる涼しさではない。事実、電車の中では冷房が入っているし、それでいて電車に乗ってきては寒いといっている女性がいた。その女性と小生とではどちらがおかしいのかな。女性は冷え性の人がいると言うが、この暑さでも暑くないのかな。もっとも生まれつきというのもあるだろうが、遺伝的なものもあるかもしれない。何故なら小生の母親は大変な暑がりだった。南の島の生まれのくせに暑がりなのである。また姉も暑がり。こういうところは似ているかもしれない。実際の話、フィリピン出身の女性が近所にいるが日本の夏はあまり堪えないらしい。でも冬は耐えられないという。一方、日本に観光で来ている白人達。この人らはほとんど半袖のTシャツ、短パン姿が多い。これは男性女性問わず共通している。白人は12月でも半袖の人がいるから、日本の関西の寒さ程度では寒くないのかもしれない。それだけ動物というのは何代もの間で環境に適応するのかもしれないが、困るのは昔より夏が長くなってきているという現実。こればかりは堪える。もう10月でも最近は夏の延長みたいになってきて、秋が短く、突然のように寒くなる。もう心地よい秋の風を満喫する時期が短くなり、残暑から一足飛びに初冬になる。あーあ、気持ちいいと感じられる日が最近はほとんど無いことにいらつくのであるが、こればかりは人間の力ではどうすることも出来ない。食欲の秋、読書の秋、秋の夜長とは言うが、一向に秋めいてこないから、読書もする木が起こらない。目が悪くなったというのもあるが、来週ぐらいから空気が入れ替わって秋めいてくると言うが本当かな。
EDIT  |  16:38  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.10.02 (Sun)

10月に入ったのだが

 なんだかすっきりしないな。初秋の雰囲気がない。未だに熱帯夜になるし、昼間は30℃を越えるときもある。先日なんか京都は33℃だからもう真夏である。いったいどうなっているのやら訳がわからない。最近は何時までも暑いというのが毎年のことになりつつあるが、今年は格別に暑い。まだ夏と言ってもいいぐらいの気温でありカラとした心地よさがなくじめじめして不快感が抜けないでいる。それに台風が次から次へと次へとやってくるから涼しくなる暇が無い。18号が来週の真ん中辺りにやって来そうであり、本当に碌でもない。夏が大嫌いな身としては秋が短いとなんか損をしたような気になる。これも年齢からくるものなのかなといいたいが、拙者は若いときから夏は大嫌いだったのであまり関係ない。とにかく汗かきで少し歩くと身体が熱くなり頭から額から背中が汗だくになる。もうこうなったら冷房の効いたところへ避難したくなる。時々、汗をかかない人を見かけるがうらやましい限りである。とにかく夏は苦手であり嫌いだ。でも年々、夏が長くなる。もう生きていくのが嫌になるなるな。高校生の頃は10月になると衣替えといって制服が冬服になったものだが最近では何時までも半袖で通せるから確実に夏が長くなっている。今日は本当に10月2日か? と問いたくなる。昔の9月2日という雰囲気の気候だ。夜でも涼しくなればいいのだが、未だに夜は室内で25℃を越えているから冷房を入れてしまう。朝方になってようやく25℃を切るという有様。全くどうなっているのやら早く秋らしくなって欲しいのだがこればかりはどうしようもない。今日も朝からむしむしして心地よさの欠片もない。取り敢えず来週に接近するであろう台風が気になるな。
EDIT  |  09:02  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
 | BLOGTOP |