2015.05.31 (Sun)
リストのピアノ協奏曲第1番を聴く
ここのブログでフランツ・リストを採り上げるの初めてかな。あまりリストの曲で好きなのもないし、だからといって嫌いでもない。でもどちらかというと超絶的なピアニストであり社交界でも持て囃されたことばかりが話題になる。とにかくピアニストとしてのリストは大変な腕だったらしい。リストは1886年に亡くなっているので当然、録音は残ってないが、文献などを調べてみると称賛以外は見当たらない。ピアノの魔術師と言われどんな曲でも初見で弾きこなし、リストが亡くなって100年経っても彼を超えるピアニストは現れていないといわれ、指が6本あるのではないかという噂が広まっていたというから、その演奏技術は凄まじいものだったのだろう。その技術に同時代に活躍したピアノの詩人ショパンも認めていて、あのように弾いてみたい言っていた。グリーグも自身のピアノ協奏曲をリストに評価してもらいたく依頼したところ、リストは初見で完璧に弾きこなし、グリーグのピアノ協奏曲をほめたたえたという逸話も残っている。またリストの娘婿であったワーグナーの歌劇用のスコアを初見で、これまたピアノ用に編曲しながら即興で弾きこなし、メンデルスゾーンが作曲したピアノ協奏曲も本人の前で初見で完璧に弾き驚かせるなど、その卓越したピアニストとしての技術と能力は圧倒的であった。したがってリストの演奏会は評判を呼び、彼の演奏を聴いて衝撃のあまり気絶する観客がいたことは有名である。知れ渡っているところでは天才少女といわれたクララ・シューマンがリストの演奏を聴いて感動から号泣したというから、ピアニストとしての話題は書ききれないほどある。まさに奏者としてのリストはヴァイオリンのパガニーニと並び称される人物であろう。
さて、ピアニストとしてのリストはあまりにも有名だが、いざ作曲家としてどうかとなると交響詩などの開拓者として知られるが、ピアニストとしてのリストの存在が大きすぎて作曲家としてのリストは影が薄い。でも有名な曲も幾つかはある。ハンガリー狂詩曲ていうのもあるし、ラ・カンパネラという超絶技巧を必要とする練習曲もある。愛の夢なんていう有名なピアノ曲もある。そしてピアノ協奏曲第1番がある。
この曲は歴代の全ピアノ曲を含めても有名な部類に属する協奏曲で、初演は1855年で着想が1840年と言うから完成までに15年は擁している。でも聴いてみるとリストが作曲したピアの協奏曲とするには相応しい感じはない。技巧を聴衆に披露するといった協奏曲ではなく演奏時間も20分弱と短く、ピアノに関しては特筆すべきところの少ない協奏曲である。目を惹くのはピッコロとトライアングル。特にトライアングルがよく活躍する。過去にトライアングルを使用した協奏曲はあまり類をみない。しかし、これは彼の論敵であったフォルマリスト、ハンスリックの好餌となり、トライアングル協奏曲と異名を捧げられることとなった。しかし、あれほど多くのピアノ曲やオーケストラの作品を残しながら、彼の才能を最も発揮できるであろうピアノ協奏曲において大規模な作品をかけなかったというのは残念であったと思われる。
当時、リストは演奏旅行に追われじっくりと曲をまとめ上げる時間もなく、また造型的な手法につたなかったともいわれている。リストはイタリア旅行後にこの協奏曲に着手し、ウィットゲンシュタイン公爵夫人カロリーヌと、ワイマール近郊のアルテンブルクの別荘に落ち着いた1846年頃から本格的に取りかかり1849年には完成している。しかし、すぐには発表せず1853年にペンを加え、1855年の初演後にも3度ペンを加えている。つまりあれだけピアニストとし超絶技巧で即興演奏や初見も楽々にこなし、最高の人気を博したリストも、こと作曲に関しては超人的とはいかなかったということだった。
2015.05.27 (Wed)
まだ5月のはずなのだが
暑い。とにかく暑い。もう連日30℃超えでちょっと参っている。ちょっと早すぎるのではないだろうか。5月で暑い時はあるが、今年はずうっと暑い。昨日今日と京都は30℃を超えている。まだ5月なのだろうかと疑いたくなる。それというのも雨がさっぱり降らないからだ。いったいどうなっているのやら。4月の前半は毎日、雨ばかり降っていたというのに、4月の後半からは雨が上がって、さっぱり降らなくなった。時々、パラパラと降った日はあったが、まとまった雨はこの1ヶ月間ひとつもない。途中前線の通過で紀伊半島南部で雨が降った地域もあっただろうが、京都周辺は皆目降らない。したがって連日、熱せられるので気温が日々上昇。一昨日、昨日、今日と30℃超えて昨日は32℃ほどで今日は33.6℃を記録した。明日も30℃を超えると5月としては観測記録の更新らしい。あーあ、ウンザリする。早くも大嫌いな季節がやってきたことを痛感する。
まだ5月なのにといってもしょうがない。インドでは50℃近い気温が記録され、死者も大勢出ているぐらいだから、日本にも間接的な影響はあるのだろう。梅雨前線もあるが、こちらは沖縄の辺りで停滞していて、日本列島は長い間、高気圧の中にあり快晴の毎日。これでも湿気があまりないだけ救われるが、これに湿気が加わったらとても耐えられない。一気に季節が2ヶ月前倒しでやってきたみたいで、日が落ちて暗くなっても室内の気温がなかなか下がらない。部屋の窓も全開だ。室内気温も30℃を超えているからどうしようもない。かといってまだエアコンのフィルターも洗ってないし準備もしてないのでスイッチを入れることも出来ない。いきなりこれだけ暑くなると準備も何もあったものじゃない。まあ就寝する頃になると、どうにか過ごしやすい気温になってくるが、5月でこの気温はなんだか損をした気になる。5月の夜って心地よい筈なのにとんでもない。最近は温暖化が顕著だと言っても、これだけ暑い5月も記憶がない。暑い日があっても3日と続かない。3日晴れると次の日は雨が降っていたからである。とにかく5月と言うのは雨が多いから暑い日は続かない。しかし、今年のようにこれだけ快晴の日が続くと段々と地中が熱せられて暑くなる。結局はそういうこと。
4月前半の長雨とそれ以降の日照りによって野菜の価格が高騰しているようである。人間も天候に振り回されるが、野菜も同じようなもので、適度に雨が降って、適度に晴れるというようにいかないものかな。とにかく今年の天気ははっきりしすぎだな。
まだ5月なのにといってもしょうがない。インドでは50℃近い気温が記録され、死者も大勢出ているぐらいだから、日本にも間接的な影響はあるのだろう。梅雨前線もあるが、こちらは沖縄の辺りで停滞していて、日本列島は長い間、高気圧の中にあり快晴の毎日。これでも湿気があまりないだけ救われるが、これに湿気が加わったらとても耐えられない。一気に季節が2ヶ月前倒しでやってきたみたいで、日が落ちて暗くなっても室内の気温がなかなか下がらない。部屋の窓も全開だ。室内気温も30℃を超えているからどうしようもない。かといってまだエアコンのフィルターも洗ってないし準備もしてないのでスイッチを入れることも出来ない。いきなりこれだけ暑くなると準備も何もあったものじゃない。まあ就寝する頃になると、どうにか過ごしやすい気温になってくるが、5月でこの気温はなんだか損をした気になる。5月の夜って心地よい筈なのにとんでもない。最近は温暖化が顕著だと言っても、これだけ暑い5月も記憶がない。暑い日があっても3日と続かない。3日晴れると次の日は雨が降っていたからである。とにかく5月と言うのは雨が多いから暑い日は続かない。しかし、今年のようにこれだけ快晴の日が続くと段々と地中が熱せられて暑くなる。結局はそういうこと。
4月前半の長雨とそれ以降の日照りによって野菜の価格が高騰しているようである。人間も天候に振り回されるが、野菜も同じようなもので、適度に雨が降って、適度に晴れるというようにいかないものかな。とにかく今年の天気ははっきりしすぎだな。
2015.05.24 (Sun)
大阪城JAZZ Festivalに行ってきた
昨日、毎年、この時期に行われている大阪城JAZZ Festivalに行ってきた。今年で25回目だというが初めて行った。今までこの時期、用事とかち合ううことが多くこれまで行ったことがなかった。でも来年は資金難やらその他の都合で開催が危ぶまれているから今の間に言っておこうと思いついたからである。
大阪城JAZZ Festivalというのは大学生のビッグバンドのイベントである。関西の11大学のビッグバンドが集まって日頃の練習のたまものを披露するというものである。昨日と今日の開催で、昨日の土曜日に行ってきた。昨日は大阪大学、神戸大学、立命館大学、同志社大学、天理大学が演奏。あと関西の大学で学んでいる女子学生ばかりで結成されたガ-ルズ・バンドが演奏していた。
開場前から行列ができ、ほぼ席は埋まり盛況だったのだが、学生だけで毎年運営するのは大変らしく協賛企業もあることはあるが、来年以降も開催されるかどうかわからないという。それでも四半世紀行われてきたのだから大したものだ。でもこのジャズフェスの存在を知ったのも小生は10年程前だから、あまり広く浸透していなかったということか。
こういうイベントは企業の冠がついていないと続けて開催するのは難しいが頑張ってほしいものだ。
演奏の方は大学生ともなるとレベルは高く、各大学それぞれの個性が出ている。大阪大学は全てカウント・ベイシーの曲。神戸大学は何と鯱鉾の張りぼてを背中に貼り付けている女学生がピアノを弾き、段ボールで作ったお城の天守閣を頭にかぶった女学生がベースを弾く。また鎧甲姿の男子学生。全員が和装で刀をつけていたりして、間に寸劇をいれて演奏する。何とも奇妙な演出で盛り上げていた。どうやら今年は大坂夏の陣から400年ということで、その舞台になった大阪城で行われている演奏会だからということで考案したみたい。でもそんな被り物をしていても演奏は見事だった。立命館大学はMCが女子だったが、演奏はSwingin’ the Bluesを始め良かった。次に女子だけで編成されたガールバンドが登場。京大、阪大、神戸大、同志社、関学、立命館、甲南、龍谷、佛教、天理等、関西一円の大学で組織されたバンドで、全員が浴衣。浴衣でドラムを叩くのは大変だろうと思ったが難なくこなしていた、またMisty、A Foggy Dayの2曲はヴォーカルつき。京大の4回生らしいが、なかなか艶のある声で拍手喝さいだった。この後、休憩が入り残りのバンドの演奏が残っていたが、野外で暑く、用事もあったのでここで退散した。
場所柄から観光客も多く、外国人も何人か聴いていた。殊に浴衣姿のガールズバンドはお気に入りだったようでカメラで盛んに写真を撮っていた。来年は行われるかどうかわからないが、また行われるなら来てみようかな。ただし晴れを前提に。
ブログに写真をアップできなくなったので他人が投稿したYou Tubeの動画でも貼っておきます(昨年の様子)。
大阪城JAZZ Festivalというのは大学生のビッグバンドのイベントである。関西の11大学のビッグバンドが集まって日頃の練習のたまものを披露するというものである。昨日と今日の開催で、昨日の土曜日に行ってきた。昨日は大阪大学、神戸大学、立命館大学、同志社大学、天理大学が演奏。あと関西の大学で学んでいる女子学生ばかりで結成されたガ-ルズ・バンドが演奏していた。
開場前から行列ができ、ほぼ席は埋まり盛況だったのだが、学生だけで毎年運営するのは大変らしく協賛企業もあることはあるが、来年以降も開催されるかどうかわからないという。それでも四半世紀行われてきたのだから大したものだ。でもこのジャズフェスの存在を知ったのも小生は10年程前だから、あまり広く浸透していなかったということか。
こういうイベントは企業の冠がついていないと続けて開催するのは難しいが頑張ってほしいものだ。
演奏の方は大学生ともなるとレベルは高く、各大学それぞれの個性が出ている。大阪大学は全てカウント・ベイシーの曲。神戸大学は何と鯱鉾の張りぼてを背中に貼り付けている女学生がピアノを弾き、段ボールで作ったお城の天守閣を頭にかぶった女学生がベースを弾く。また鎧甲姿の男子学生。全員が和装で刀をつけていたりして、間に寸劇をいれて演奏する。何とも奇妙な演出で盛り上げていた。どうやら今年は大坂夏の陣から400年ということで、その舞台になった大阪城で行われている演奏会だからということで考案したみたい。でもそんな被り物をしていても演奏は見事だった。立命館大学はMCが女子だったが、演奏はSwingin’ the Bluesを始め良かった。次に女子だけで編成されたガールバンドが登場。京大、阪大、神戸大、同志社、関学、立命館、甲南、龍谷、佛教、天理等、関西一円の大学で組織されたバンドで、全員が浴衣。浴衣でドラムを叩くのは大変だろうと思ったが難なくこなしていた、またMisty、A Foggy Dayの2曲はヴォーカルつき。京大の4回生らしいが、なかなか艶のある声で拍手喝さいだった。この後、休憩が入り残りのバンドの演奏が残っていたが、野外で暑く、用事もあったのでここで退散した。
場所柄から観光客も多く、外国人も何人か聴いていた。殊に浴衣姿のガールズバンドはお気に入りだったようでカメラで盛んに写真を撮っていた。来年は行われるかどうかわからないが、また行われるなら来てみようかな。ただし晴れを前提に。
ブログに写真をアップできなくなったので他人が投稿したYou Tubeの動画でも貼っておきます(昨年の様子)。
2015.05.17 (Sun)
近江県? 琵琶湖県?
以前から言われているのだが全国的に滋賀県の知名度がないらしい。らしいというのは前から判っていることだが、かなり酷いという。そんなことどうでもいいではないかと思うが、滋賀県民の人にとったら屈辱的なのかな。もっとも小生も隣に住んでいても滋賀県にほとんど縁がなかったが、7年前に滋賀県に通うようになり縁が出来るようになり全く関係がないとはいえなくなったので、この話題に触れることにした。
関西の人は滋賀県の存在はみんな知っているが、遠方の人になると滋賀県と言われてもそんな県あった? とか聞いたことない? とか知らない。という人が多いらしい。小生に言わすとただの無知としか言いようがないが、自分の周辺からあまり出ない人はそんな程度だろう。関西でも関東の茨城、栃木、群馬あたりの場所が正確に言える人が少ないのが現実なのだから、滋賀県といわれてもピンとこないだろう。でも琵琶湖となると誰でも知っている。なら琵琶湖は何県にあるとなると知らないというからおかしな話である。ところで何でこんな話をするかと言うと、滋賀県の議会で県名変更を巡る議論か本気で巻き起こっているからである。莫迦らしい話だが事実なのだ。
きっかけは地域ブランド戦略サーベイ2013による都道府県名の全国認知度ランキングで他の複数県とともに最下位だったという結果になったからである。つまり滋賀県が47位というのではなく滋賀県と共に知らないと言われている県が他にもいくつかあり、その中に含まれていたということ。これが問題になり議論を深めているというではないか。
そもそも昔は近江の国と言われ、明治政府が1871年に廃藩置県を実行し、最大の町であった大津に県庁を置いた。その時、大津の所在地が滋賀郡だったところから滋賀県となったわけであり、水が豊かな土地を表す滋に、祝うという賀が地域性を表すという。まあ悪くない県名だとは思う。しかし知名度がないというのは地元の人にとては大きな問題なのかもしれない。だから香川県もうどん県としてPRしたり、大分県はおんせん県、鳥取県は蟹取県として観光PRなどして観光客を呼んでいる実態があるのだから。でも所詮、現実の県名ではないし意味がないと思うが、観光客を呼ぶのにはそうでもしないと知名度がないというのは辛いものがあるだろう。実際、日本全国で知られているというのは北の北海道、南の沖縄は地理的に言って誰でもわかる。あとは東京、京都、大阪・・・・となってきて、もう名古屋あたりになると白地図で場所を示せと言っても判らない人がけっこういるのが現実である。酷いのになると愛知県ではなく名古屋県て言った女性を小生は知っている。まあ、世の女性はほとんど地理オンチだが・・・。小学校で習ってから県の名前など教わることはないから無理もないが。当然、滋賀県を知らない人がいても不思議ではない。小生のように小学校3年生当時で日本全国のすべての県と県庁所在地及び主要都市、何があってどんな山があって川があって、何処に鉄道が走っていると判っていた者からすると、県名を47言えないということは考えられないのだが・・・・・。
本来、江戸時代の藩と言うのは自然国境の川だとか山で区切られていることが多く、こちらの方がより歴史的つながりがあった。当時は徒歩でしか庶民は移動手段がなかったので他の国へ行くということは武士階級以外ほとんどなかっただろう。だからそれでよかったのだが、明治時代に入り鉄道が発達し遠くへ移動できるようになったから、従来の藩制度では問題が多かった。そこで県を置くようになったのだが、その決めるときにかなり問題があったと言うしかない。
若い時、青森県の弘前に行ったことがある。そこの飲み屋で地元の人に弘前は津軽だが八戸は南部だ。だから人間の気質が違うと言われたことがある。八戸と弘前と言うのはそれほど距離が離れてないが、そのようなことを言うのだから昔の藩の方がより地域的愛着は強いだろう。それが明治になって県に移行する時に地域の特性など何も分かってない政府が無理に藩と藩をくっつけていったというのがある。だから文化的には違うのに行政的に同じになってしまったところは至る所である。小生の住む京都府でも保津峡を越えると丹波の国になる。さらに日本海側に行くと丹後の国になる。ここらになると京都市のある山城の国と言葉も違うし気候風土も違う。しかし、今では同じ京都府だ。でもここらなら滋賀県の大津や草津、近江八幡とかのほうが京都市との繋がりは深い。また大阪で言うと淀川より北は摂津の国、南は河内の国、さらに南へ行くと和泉の国。その三つの境目にあったから堺といわれるのだが、この三つとも人間の気性も違うし習慣も違う。言葉も微妙に違う。さらにいうなら神戸市や阪神間の町も摂津の国なのである。それより西へ行くと播磨の国。北へ行くと丹波、されに北は但馬。だから兵庫県はそれらを無理に引っ付けたり切り離したりして出来た県である。
つまり廃藩置県で県を決めるときはかなり強引に行ったとしか言いようがないが、滋賀県は昔の近江の国がそのまま滋賀県に名前が変わっただけで、昔の藩と地理的に何の変化もない。でも滋賀県と言う名が知られてない。このことは今に始まったことではなく、1990年、2009年にも同様の議論があったのだ。前回の時は県民にアンケートまで行い8割が今のままでいいと答え、1割の人が変えた方が良いと言った。その時、もし変えるなら何県がいいかという問いに対し近江県、琵琶湖県という返答が多かったのである。確かに近江米、近江牛、近江商人、湖国と言われるほどだから琵琶湖県。どちらも通りは良いが、それで知名度が上がるのかな。県名の知名度なんかどうでもいいと思うのだけど。名物と名産と人がいればそれだけで十分だと思う。滋賀県は琵琶湖、鮒ずし、比叡山、近江牛、近江米、イメージできるのは幾らでもある。知らない人はただの無知と言って無視すればいいだけ。滋賀県でも小生は悪くないと思うのだが。
関西の人は滋賀県の存在はみんな知っているが、遠方の人になると滋賀県と言われてもそんな県あった? とか聞いたことない? とか知らない。という人が多いらしい。小生に言わすとただの無知としか言いようがないが、自分の周辺からあまり出ない人はそんな程度だろう。関西でも関東の茨城、栃木、群馬あたりの場所が正確に言える人が少ないのが現実なのだから、滋賀県といわれてもピンとこないだろう。でも琵琶湖となると誰でも知っている。なら琵琶湖は何県にあるとなると知らないというからおかしな話である。ところで何でこんな話をするかと言うと、滋賀県の議会で県名変更を巡る議論か本気で巻き起こっているからである。莫迦らしい話だが事実なのだ。
きっかけは地域ブランド戦略サーベイ2013による都道府県名の全国認知度ランキングで他の複数県とともに最下位だったという結果になったからである。つまり滋賀県が47位というのではなく滋賀県と共に知らないと言われている県が他にもいくつかあり、その中に含まれていたということ。これが問題になり議論を深めているというではないか。
そもそも昔は近江の国と言われ、明治政府が1871年に廃藩置県を実行し、最大の町であった大津に県庁を置いた。その時、大津の所在地が滋賀郡だったところから滋賀県となったわけであり、水が豊かな土地を表す滋に、祝うという賀が地域性を表すという。まあ悪くない県名だとは思う。しかし知名度がないというのは地元の人にとては大きな問題なのかもしれない。だから香川県もうどん県としてPRしたり、大分県はおんせん県、鳥取県は蟹取県として観光PRなどして観光客を呼んでいる実態があるのだから。でも所詮、現実の県名ではないし意味がないと思うが、観光客を呼ぶのにはそうでもしないと知名度がないというのは辛いものがあるだろう。実際、日本全国で知られているというのは北の北海道、南の沖縄は地理的に言って誰でもわかる。あとは東京、京都、大阪・・・・となってきて、もう名古屋あたりになると白地図で場所を示せと言っても判らない人がけっこういるのが現実である。酷いのになると愛知県ではなく名古屋県て言った女性を小生は知っている。まあ、世の女性はほとんど地理オンチだが・・・。小学校で習ってから県の名前など教わることはないから無理もないが。当然、滋賀県を知らない人がいても不思議ではない。小生のように小学校3年生当時で日本全国のすべての県と県庁所在地及び主要都市、何があってどんな山があって川があって、何処に鉄道が走っていると判っていた者からすると、県名を47言えないということは考えられないのだが・・・・・。
本来、江戸時代の藩と言うのは自然国境の川だとか山で区切られていることが多く、こちらの方がより歴史的つながりがあった。当時は徒歩でしか庶民は移動手段がなかったので他の国へ行くということは武士階級以外ほとんどなかっただろう。だからそれでよかったのだが、明治時代に入り鉄道が発達し遠くへ移動できるようになったから、従来の藩制度では問題が多かった。そこで県を置くようになったのだが、その決めるときにかなり問題があったと言うしかない。
若い時、青森県の弘前に行ったことがある。そこの飲み屋で地元の人に弘前は津軽だが八戸は南部だ。だから人間の気質が違うと言われたことがある。八戸と弘前と言うのはそれほど距離が離れてないが、そのようなことを言うのだから昔の藩の方がより地域的愛着は強いだろう。それが明治になって県に移行する時に地域の特性など何も分かってない政府が無理に藩と藩をくっつけていったというのがある。だから文化的には違うのに行政的に同じになってしまったところは至る所である。小生の住む京都府でも保津峡を越えると丹波の国になる。さらに日本海側に行くと丹後の国になる。ここらになると京都市のある山城の国と言葉も違うし気候風土も違う。しかし、今では同じ京都府だ。でもここらなら滋賀県の大津や草津、近江八幡とかのほうが京都市との繋がりは深い。また大阪で言うと淀川より北は摂津の国、南は河内の国、さらに南へ行くと和泉の国。その三つの境目にあったから堺といわれるのだが、この三つとも人間の気性も違うし習慣も違う。言葉も微妙に違う。さらにいうなら神戸市や阪神間の町も摂津の国なのである。それより西へ行くと播磨の国。北へ行くと丹波、されに北は但馬。だから兵庫県はそれらを無理に引っ付けたり切り離したりして出来た県である。
つまり廃藩置県で県を決めるときはかなり強引に行ったとしか言いようがないが、滋賀県は昔の近江の国がそのまま滋賀県に名前が変わっただけで、昔の藩と地理的に何の変化もない。でも滋賀県と言う名が知られてない。このことは今に始まったことではなく、1990年、2009年にも同様の議論があったのだ。前回の時は県民にアンケートまで行い8割が今のままでいいと答え、1割の人が変えた方が良いと言った。その時、もし変えるなら何県がいいかという問いに対し近江県、琵琶湖県という返答が多かったのである。確かに近江米、近江牛、近江商人、湖国と言われるほどだから琵琶湖県。どちらも通りは良いが、それで知名度が上がるのかな。県名の知名度なんかどうでもいいと思うのだけど。名物と名産と人がいればそれだけで十分だと思う。滋賀県は琵琶湖、鮒ずし、比叡山、近江牛、近江米、イメージできるのは幾らでもある。知らない人はただの無知と言って無視すればいいだけ。滋賀県でも小生は悪くないと思うのだが。
2015.05.12 (Tue)
春台風
今日は5月の12日なのだが台風がやって来た。日本近海の海水温が5月だということで低いので、一時は猛烈に強い勢力を持っていた台風6号も急激に衰えてきて温帯低気圧と変わった。ただ前線を刺激し台風から遠いところでも雨を降らすのでやっかいである。それにしても何故5月に台風が接近? ということであるが、どうも太平洋の赤道付近の海水温が高く、その範囲が例年よりも東西に広がっているらしい。結局、台風が発生しやすい原因がその辺りにあるのだろうが、5月で6号と言うのは極めて多い。少ない年は5月の段階で発生は一つと言うこともある。発生も多いと接近も多いということになるかな。これは色々な気象条件が重なってこの様なことになっているのだが、1年を通しての予報は難しく、今年の台風発生の多さまでは予測できなかったようだ。でも何年かに一度、春台風が日本に上陸及び接近していた年がある。近年では4年前の2011年がそうだ。その前は2003年で、さらに前になると1980年だとか、1971年だとか1965年とかに春台風が日本に上陸及び接近しているので、何年かに一度はこういった年がある。最も早い年は1956年で、この年には何と4月25日に鹿児島県串木野市に台風が上陸していた。過去の記録を見ると今年が特別というのでもないが、それでも5月の台風接近はちょっと面食らう。6月の台風上陸でも驚くのだがら当然かもしれない。ついでに言うなら7号も既に発生していて来週にも日本の方向に来るというから、ちょっと迷惑である。
まだ沖縄は梅雨に入ってないとかで、今年はもしかして日本列島の梅雨入りが遅れるかもしれないと言われている。それは過去、春台風が日本に上陸接近した年は冷夏だったことが多く、もしかして今年もそうなるのかもということだ。すると作物の不作から野菜の価格が上がり生活の食費を切り詰める。まあ、あんまり良いことはない。昨今の地球温暖化傾向からこの様になるとは限らないが、なる可能性もあるということだ。何れにせよ春台風が日本に来るというのは珍しいことであり、あまりいいことではないと言えるだろう
まだ沖縄は梅雨に入ってないとかで、今年はもしかして日本列島の梅雨入りが遅れるかもしれないと言われている。それは過去、春台風が日本に上陸接近した年は冷夏だったことが多く、もしかして今年もそうなるのかもということだ。すると作物の不作から野菜の価格が上がり生活の食費を切り詰める。まあ、あんまり良いことはない。昨今の地球温暖化傾向からこの様になるとは限らないが、なる可能性もあるということだ。何れにせよ春台風が日本に来るというのは珍しいことであり、あまりいいことではないと言えるだろう
2015.05.10 (Sun)
不発弾撤去
昨日の朝、大阪の繁華街・なんばからほど近いマンションの建設現場から太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲で投下された1トン爆弾の不発弾の撤去作業が行われ、辺り周辺が警戒地域となり物々しい雰囲気となった。そもそも先日、更地になっているマンションの建設作業場で掘削作業中に見つかったもので、昨日の朝に撤去作業を行うことになっていた。それというのも辺りは繁華街で、すぐ近くには南海の難波駅もあり商業施設も多いし電車も走っている。したがって不発弾を撤去するには半径300mを立ち入り禁止にしなくてはならない。そしてなによりも電車までを停めなくてはならないのである。そうなると平日だと通勤・通学に影響するので土曜日の朝に撤去することが決まり、昨日、陸上自衛隊員が起爆装置となる信管を除去し無事に午前9時36分、爆発の危険がなくなったのでクレーンで搬出された。その間、およそ2時間。立ち入り禁止区域には1600世帯、2200人が暮らしていて、大阪市は住民に区域外への外出や避難を呼びかけ近くの小学校2校に避難した。また南海電車は午前7時半から2時間半、難波駅を発着する電車の運転を見合わせた。これにより周辺の商業施設も開店を午後からとし、出入りが禁止された地域は普段の賑わいが嘘のように人影が消えた。この日は土曜日、人出がとても多い地域で、とんだお騒がせな爆弾騒動だった。とばっちりを食らったのは何も知らない観光客で関空に向かう電車が停まるなど大騒ぎだった模様。
このほど見つかった不発弾は長さが1.8m、重さが1トン。まさに1トン爆弾。おそらく昭和19年末から始まった空襲で落された爆弾だろうが、戦後70年経った今でもこうして見つかるということは、まだ見つかる可能性もあるということだ。以前にも大阪市内で不発弾が見つかって同様の騒ぎになったから、まだ全国の何処かの都市で同じような騒ぎが起こるかもしれない。今年は戦後70年と言う節目の年であるから余計に思うところがあるのかも知れないが、まだ戦後処理が完全に終わってないなと痛感する。
ところであの太平洋戦争で、日本は200以上の街が空襲を受けた。よくマスコミで採り上げられる昭和20年3月10日の東京大空襲だが、それ以外はあまり知られていないものの3月12日に名古屋大空襲があり、3月13日に大阪大空襲、3月17日には神戸大空襲と軒並み大きな街が空襲に遭っているのだ。それ以降は北海道を除く日本の主要都市は全てと言ってもいいほど絨毯爆撃を受けて死者、負傷者も甚大。よくこんな愚かな戦争を続けたものだと言いたいが、いまさら言っても始まらない。
一般的に知られてないが、京都も20回以上の空襲を受け、主なものは6回の空襲で死者300人も出ている。それに原爆投下第一候補都市だったというと、ほとんどの人は驚かれる。またポツダム宣言受諾された8月14日に落された大阪砲兵工廠での爆撃。これにより亡くなった人ほど莫迦らしいものはない。もう日本の敗戦が決まっていたのに爆弾が落されたのだ。アメリカも指示命令が徹底していたのかと思うが何ともふざけた話である。これは軍需工場が大阪城内にあり、そこをめがけて落したのだが、近くの省線の京橋駅に落ち、一般市民が大勢死んだのである。結果、翌日に天皇の玉音放送がラジオを通じて放送された。日本は無条件降伏をした。それから70年、日本は復興した。だが今も不発弾が発見される。戦艦武蔵が発見される。巨大潜水艦イ400がハワイの沖で発見される。戦後70年というがまだ太平洋戦争の余波は残っているなあと感じる今日である。
このほど見つかった不発弾は長さが1.8m、重さが1トン。まさに1トン爆弾。おそらく昭和19年末から始まった空襲で落された爆弾だろうが、戦後70年経った今でもこうして見つかるということは、まだ見つかる可能性もあるということだ。以前にも大阪市内で不発弾が見つかって同様の騒ぎになったから、まだ全国の何処かの都市で同じような騒ぎが起こるかもしれない。今年は戦後70年と言う節目の年であるから余計に思うところがあるのかも知れないが、まだ戦後処理が完全に終わってないなと痛感する。
ところであの太平洋戦争で、日本は200以上の街が空襲を受けた。よくマスコミで採り上げられる昭和20年3月10日の東京大空襲だが、それ以外はあまり知られていないものの3月12日に名古屋大空襲があり、3月13日に大阪大空襲、3月17日には神戸大空襲と軒並み大きな街が空襲に遭っているのだ。それ以降は北海道を除く日本の主要都市は全てと言ってもいいほど絨毯爆撃を受けて死者、負傷者も甚大。よくこんな愚かな戦争を続けたものだと言いたいが、いまさら言っても始まらない。
一般的に知られてないが、京都も20回以上の空襲を受け、主なものは6回の空襲で死者300人も出ている。それに原爆投下第一候補都市だったというと、ほとんどの人は驚かれる。またポツダム宣言受諾された8月14日に落された大阪砲兵工廠での爆撃。これにより亡くなった人ほど莫迦らしいものはない。もう日本の敗戦が決まっていたのに爆弾が落されたのだ。アメリカも指示命令が徹底していたのかと思うが何ともふざけた話である。これは軍需工場が大阪城内にあり、そこをめがけて落したのだが、近くの省線の京橋駅に落ち、一般市民が大勢死んだのである。結果、翌日に天皇の玉音放送がラジオを通じて放送された。日本は無条件降伏をした。それから70年、日本は復興した。だが今も不発弾が発見される。戦艦武蔵が発見される。巨大潜水艦イ400がハワイの沖で発見される。戦後70年というがまだ太平洋戦争の余波は残っているなあと感じる今日である。
2015.05.06 (Wed)
メイウェザーVSパッキャオについて
先日の2日(現地時間)、アメリカのラスベガスで行われたボクシング世界ウェルター級王座統一戦について少し述べることにする。
小生、少年のころからボクシングが好きで今まで数多くの試合を観てきた。その間、様々なボクサーを思い出さずにはいられないが、今回のアメリカでのボクシングの試合の色々な顛末に驚いてしまった。それは世紀の対決だと言ってWBA・WBC世界ウエルター級チャンピオン、フロイド・メイウェザー(アメリカ)とWBO世界ウエルター級チャンピオン、マニー・パッキャオが対戦。マスコミも大袈裟に取り扱われ、ファイトマネーが218億円(メイウェザー)と144億円(パッキャオ)という呆れるほどの高額。また入場料の一番高い席が120万円、一般席でも18万円~90万円。テレビ観戦収入が7億円。当然のように日本でも無料放送はなく有料のWOWOWで放送したのみ。結局、全ての興行収入が480億円以上と言う膨大なお金が動いたというから驚きを通り越して呆れかえった。
確かに両選手とも優れたボクサーであって史上に残ることは間違いないが、ちょっと興行とはいえ膨大なお金が動きすぎではないか。昔はウェルター級の世界チャンピオンなんてマニアぐらいしか知らなかった。最も知名度があったのはヘビー級の世界チャンピオンで、ジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアノ、インゲマール・ヨハンソン、フロイド・パターソン、ソニー・リストン、カシアス・クレイ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマンと歴代のチャンピオンの系譜があってマイク・タイソンまではまさにヘビー級のチャンピオンが一番持て囃されたものだが、どうも最近は違うようだ。それはヘビー級にかつて存在したカリスマ性のあるボクサーがアメリカにいなくなってしまったからだろう。最近はクリチコ(ウクライナ)を筆頭にした旧ソビエト系のボクサーが強く、彼等はボクシング王国だったアメリカでの人気が低く、そのため知名度でもかつてのヘビー級チャンピオンほどのカリスマ性がないのである。今はデオンテイ・ワイルダーというアメリカ人ボクサーも出てきて救世主と言われているが、かつてヘビー級の黄金時代を築いたアメリカはもうひとつパッとしない。
かわりに中量級ボクサーに焦点がいきシュガー・レイ・レナードとボクシング・スタイルが似ているメイウェザーの人気が出てきたのである。メイウェザーはスピードと反応の速さで他を圧倒。そこへ巧みなディフェンスと的確なカウンターでこれまで無敗。それもスーパー・フェザー級から始まって、ライト級、スーパー・ライト級、ウェルター級、さらにスーパー・ウェルター級王者になり48戦全勝(26KO)というから素晴らしい。つまり昔でいうジュニア・ライト級からジュニア・ミドル級までの世界タイトルを奪取したということである。だから凄いのだが、さらに凄いのはマニー・パッキャオだろう。
パッキャオはフィリピン人だから小柄である。デビューはなんとライト・フライ級。50kgもないクラスである。昔はなかったクラスだが具志堅用高が長い間チャンピオンとして君臨していたクラスだ。その軽量クラスのパッキャオが年齢と共にクラスを上げ、何と11階級で渡りあるいているという異例のボクサーである。フライ級の世界王座から始まって、スーパー・バンタム級、フェザー級、スーパー・フェザー級、ライト級、ウェルター級まで王座を獲得するなど過去に前例がない。とくにオスカー・デ・ラ・ホーヤと対戦が決まった時は馬鹿げているとかミスマッチとか、デ・ラ・ホーヤが勝つに決まっていると言われたが、スピードで圧倒して世紀の大番狂わせを演じ、それ以来、ボクシング界の歴代でも階級を飛び越えた偉大なボクサーの1人と言われている。その2人が戦ったのだから世紀の一戦と言われたのだが、試合は凡戦もいいところだろ。2人とももう30代後半。既に峠を越した選手。昔ならとっくに引退している。もっとも今は生理学やトレーニング方法の進化で、どのスポーツでも引退年齢が遅くなっているが、2人とも全盛期の輝きはもうない。そんな対戦にあれだけ膨大な金が動くことが信じられなかった。それに今は3階級制覇なんて珍しいことでもなく、これだけ階級が細かくなり統括団体が4団体もあり世界チャンピオンが60人も70人もいる時代に世紀の対決だと言っても馬鹿げている。もっとも昔ならファイティング原田とカシアス・クレイが戦うことなど絶対にあり得ないが、今はプロモーターが実現させてしまって、その中かから人気を勝ち得た2人で在る。つまりあり得ないことを行ってしまった結果の産物としてあの大金が動いたのだろう。
もし昔で言うならエデル・ジョフレあたりがミドル級までタイトルを奪うと、それこそとんでもないボクサーとして語り継がれることになるだろうが、昔は階級も少ないし、世界チャンピオンも少ない時代。今のように5階級も6階級も制覇するなんて不可能。だから今の時代が生んだ2人のヒーローと言うことなのだろう。
小生、少年のころからボクシングが好きで今まで数多くの試合を観てきた。その間、様々なボクサーを思い出さずにはいられないが、今回のアメリカでのボクシングの試合の色々な顛末に驚いてしまった。それは世紀の対決だと言ってWBA・WBC世界ウエルター級チャンピオン、フロイド・メイウェザー(アメリカ)とWBO世界ウエルター級チャンピオン、マニー・パッキャオが対戦。マスコミも大袈裟に取り扱われ、ファイトマネーが218億円(メイウェザー)と144億円(パッキャオ)という呆れるほどの高額。また入場料の一番高い席が120万円、一般席でも18万円~90万円。テレビ観戦収入が7億円。当然のように日本でも無料放送はなく有料のWOWOWで放送したのみ。結局、全ての興行収入が480億円以上と言う膨大なお金が動いたというから驚きを通り越して呆れかえった。
確かに両選手とも優れたボクサーであって史上に残ることは間違いないが、ちょっと興行とはいえ膨大なお金が動きすぎではないか。昔はウェルター級の世界チャンピオンなんてマニアぐらいしか知らなかった。最も知名度があったのはヘビー級の世界チャンピオンで、ジャック・デンプシー、ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアノ、インゲマール・ヨハンソン、フロイド・パターソン、ソニー・リストン、カシアス・クレイ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマンと歴代のチャンピオンの系譜があってマイク・タイソンまではまさにヘビー級のチャンピオンが一番持て囃されたものだが、どうも最近は違うようだ。それはヘビー級にかつて存在したカリスマ性のあるボクサーがアメリカにいなくなってしまったからだろう。最近はクリチコ(ウクライナ)を筆頭にした旧ソビエト系のボクサーが強く、彼等はボクシング王国だったアメリカでの人気が低く、そのため知名度でもかつてのヘビー級チャンピオンほどのカリスマ性がないのである。今はデオンテイ・ワイルダーというアメリカ人ボクサーも出てきて救世主と言われているが、かつてヘビー級の黄金時代を築いたアメリカはもうひとつパッとしない。
かわりに中量級ボクサーに焦点がいきシュガー・レイ・レナードとボクシング・スタイルが似ているメイウェザーの人気が出てきたのである。メイウェザーはスピードと反応の速さで他を圧倒。そこへ巧みなディフェンスと的確なカウンターでこれまで無敗。それもスーパー・フェザー級から始まって、ライト級、スーパー・ライト級、ウェルター級、さらにスーパー・ウェルター級王者になり48戦全勝(26KO)というから素晴らしい。つまり昔でいうジュニア・ライト級からジュニア・ミドル級までの世界タイトルを奪取したということである。だから凄いのだが、さらに凄いのはマニー・パッキャオだろう。
パッキャオはフィリピン人だから小柄である。デビューはなんとライト・フライ級。50kgもないクラスである。昔はなかったクラスだが具志堅用高が長い間チャンピオンとして君臨していたクラスだ。その軽量クラスのパッキャオが年齢と共にクラスを上げ、何と11階級で渡りあるいているという異例のボクサーである。フライ級の世界王座から始まって、スーパー・バンタム級、フェザー級、スーパー・フェザー級、ライト級、ウェルター級まで王座を獲得するなど過去に前例がない。とくにオスカー・デ・ラ・ホーヤと対戦が決まった時は馬鹿げているとかミスマッチとか、デ・ラ・ホーヤが勝つに決まっていると言われたが、スピードで圧倒して世紀の大番狂わせを演じ、それ以来、ボクシング界の歴代でも階級を飛び越えた偉大なボクサーの1人と言われている。その2人が戦ったのだから世紀の一戦と言われたのだが、試合は凡戦もいいところだろ。2人とももう30代後半。既に峠を越した選手。昔ならとっくに引退している。もっとも今は生理学やトレーニング方法の進化で、どのスポーツでも引退年齢が遅くなっているが、2人とも全盛期の輝きはもうない。そんな対戦にあれだけ膨大な金が動くことが信じられなかった。それに今は3階級制覇なんて珍しいことでもなく、これだけ階級が細かくなり統括団体が4団体もあり世界チャンピオンが60人も70人もいる時代に世紀の対決だと言っても馬鹿げている。もっとも昔ならファイティング原田とカシアス・クレイが戦うことなど絶対にあり得ないが、今はプロモーターが実現させてしまって、その中かから人気を勝ち得た2人で在る。つまりあり得ないことを行ってしまった結果の産物としてあの大金が動いたのだろう。
もし昔で言うならエデル・ジョフレあたりがミドル級までタイトルを奪うと、それこそとんでもないボクサーとして語り継がれることになるだろうが、昔は階級も少ないし、世界チャンピオンも少ない時代。今のように5階級も6階級も制覇するなんて不可能。だから今の時代が生んだ2人のヒーローと言うことなのだろう。
2015.05.05 (Tue)
もうGWも終わります
今日は子供の日。でも明日は3日の振り替え休日で余分に休日が増えたと言ってる諸氏も多かろうが、有給を巧く使えば12日位は休めるのかな。でも今年は暑い日が続いているので外出するにしても夏の様相。もう半袖のポロシャツで十分だ。
昨日と一昨日は例年行っている高槻ジャズストリートに出かけていた。ただ雨が心配だったが、3日はどうにか持ちこたえたが、昨日は午前中パラパラと降っていたので野外の演奏は聴く気が起こらなかった。が、午後から晴れ間が見えたので昼から出ていき、主に室内の演奏を夜遅くまで聴いていた。何時もなら写真を撮ってブログにアップしたいのだが、パソコンの調子が悪く、写真を載せられなくなったから記事は書かないことにした。
3日の日は主に屋外のビッグバンドを聴いていたのだが、違う場所で聴きたいバンドが同時に演奏したり、移動に時間がかかったりするので、あまり廻れなかった。そして暑すぎた。雨が降りそうだったのだが、降らずに湿気だけがあって気温も高いから歩いていると汗がダクダク。それに人出も凄いから演奏会場にも簡単には入れないのでちょっと疲れたかな。それと3日が日曜日なので天皇賞とぶち当たったが、もう最近は競馬に力が入ってないし、どうせ馬券も買ってないから録画をとって帰宅してから観ることにして夜の10時頃までジャズを聴いていた。ただ日野皓正はまた観れなかった。ところで学生バンドを幾つか聴いて思ったのだが、最近はカウント・ベイシーやグレンミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン辺りよりもゴードン・グッドウィンの曲を演奏するところが増えたなあと言う印象。それだけ10年程前よりも難曲を学生がこなせるようになったということだろう。演奏レベルは間違いなく上昇していると感じた。
2日の日も外出していたので3日間連続家に居なかったことになる。流石に疲れたので今日は家にいたのだが、このところ外出しても外国人が多いと感じる今日このごろである。西洋人も多いがアジア人も多い。ただ一見すると判らないが中国語圏の人がとても多い。人混みの中から中国語らしき話し声が頻繁に聴こえてくる。この前などはテレビのクルーが撮影していると思ったら何と台湾のテレビ局だった。日本もだんだんと外国人が増えてきたな。だてにクールジャパン政策を行ってないなと感じる。でも今まで日本と言う国はミステリアスであるが、国際的には経済力ほど知られていなかったということだろう。それがYou tubeの投稿により徐々にクールな国として認知度が急激に増していったようだ。文化や食い物、歴史、治安、おもてなし等、色々と日本の良いところが外国人に受け入れられたのか知らないが、確実に数年前より外国人が増えていることを肌で感じる。とにかく多い。小生の最寄り駅でも外国人を普通に見かける時代になった。いったい何処へ行くのか判らないが、駅前のコンビニで買い物をしている白人をよく最近見かけるのだ。時々は黒人も見かけるが、日本ももしかして少子化の影響で移民を受け入れないといけなくなるかもしれないが、今の現状は、その前兆のような気がしてならない。
昨日と一昨日は例年行っている高槻ジャズストリートに出かけていた。ただ雨が心配だったが、3日はどうにか持ちこたえたが、昨日は午前中パラパラと降っていたので野外の演奏は聴く気が起こらなかった。が、午後から晴れ間が見えたので昼から出ていき、主に室内の演奏を夜遅くまで聴いていた。何時もなら写真を撮ってブログにアップしたいのだが、パソコンの調子が悪く、写真を載せられなくなったから記事は書かないことにした。
3日の日は主に屋外のビッグバンドを聴いていたのだが、違う場所で聴きたいバンドが同時に演奏したり、移動に時間がかかったりするので、あまり廻れなかった。そして暑すぎた。雨が降りそうだったのだが、降らずに湿気だけがあって気温も高いから歩いていると汗がダクダク。それに人出も凄いから演奏会場にも簡単には入れないのでちょっと疲れたかな。それと3日が日曜日なので天皇賞とぶち当たったが、もう最近は競馬に力が入ってないし、どうせ馬券も買ってないから録画をとって帰宅してから観ることにして夜の10時頃までジャズを聴いていた。ただ日野皓正はまた観れなかった。ところで学生バンドを幾つか聴いて思ったのだが、最近はカウント・ベイシーやグレンミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン辺りよりもゴードン・グッドウィンの曲を演奏するところが増えたなあと言う印象。それだけ10年程前よりも難曲を学生がこなせるようになったということだろう。演奏レベルは間違いなく上昇していると感じた。
2日の日も外出していたので3日間連続家に居なかったことになる。流石に疲れたので今日は家にいたのだが、このところ外出しても外国人が多いと感じる今日このごろである。西洋人も多いがアジア人も多い。ただ一見すると判らないが中国語圏の人がとても多い。人混みの中から中国語らしき話し声が頻繁に聴こえてくる。この前などはテレビのクルーが撮影していると思ったら何と台湾のテレビ局だった。日本もだんだんと外国人が増えてきたな。だてにクールジャパン政策を行ってないなと感じる。でも今まで日本と言う国はミステリアスであるが、国際的には経済力ほど知られていなかったということだろう。それがYou tubeの投稿により徐々にクールな国として認知度が急激に増していったようだ。文化や食い物、歴史、治安、おもてなし等、色々と日本の良いところが外国人に受け入れられたのか知らないが、確実に数年前より外国人が増えていることを肌で感じる。とにかく多い。小生の最寄り駅でも外国人を普通に見かける時代になった。いったい何処へ行くのか判らないが、駅前のコンビニで買い物をしている白人をよく最近見かけるのだ。時々は黒人も見かけるが、日本ももしかして少子化の影響で移民を受け入れないといけなくなるかもしれないが、今の現状は、その前兆のような気がしてならない。
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