2011.02.28 (Mon)
2月28日
さて今日は1週間の始まり。気のりはしないが、気合いを入れていざ出勤といいたいが、月曜日の朝から雨。自宅を出るときはパラパラと小雨だったのに、電車に乗って滋賀県へ入り、何時もの駅に到着するや土砂降りの雨。バスの停留所に行ってバスを待つ間、傘をさして待つが激しい雨で靴と靴下が・・・・・・・。バスが到着して乗り込んだ。ひとまずホッとするが、職場の近くで降りるものの、ここでも土砂降りの雨。仕方なく500mほど激しい雨の中、降られながら足元を見て歩く。水が浮いているところがあるので、出来るかぎり水溜りのないところを選んで歩く。ようやく職場に到着。靴も靴下も濡れて気持ちが悪い。一応、替えの靴下を持っていたので穿き替える。靴は浸水しているので、ロッカーの上に置いて乾かすことに。
無事、仕事を終えて朝、履いてきた靴を履くが・・・・・・・まだ乾いていなかった。流石に暖かいとはいえ2月。なかなか乾かない。しかし、替えの靴はないので履いて帰る。あいにく帰宅時は雨がすっかりあがっていたので濡れることもなく駅まで歩いて電車に乗る。やれやれ・・・・・・。そして自宅のある最寄り駅に到着。もうすでにあたりは暗い。それでいつもより時間的に速かったので、普段とは違う道を歩いていく。これがいけなかった。なんと真っ暗の中で水溜りに足をとられ靴がまたもビショビショ、それも左足だけ。なんで空はもう雲もないのに水溜りがあるのだ・・・・。すると道路工事をやっていて、アスファルトに穴が空いていたのだ。そこに水が溜まっていたらしい。ああ、とんでもない。この2月から3月にかけて、毎年、道路工事やっているのを見かけるが、これも公共事業なのか? だとしたらこちらはいい迷惑である。そのおかげで明日は違う靴を履いていかなくてはならない。本当に週の始めからロクなことがない。
2011.02.27 (Sun)
中山記念、阪急杯
中山記念は昨年の有馬記念の覇者ヴィクトワールピサが出てきて断然の1番人気、2番人気はリルダヴァル、3番人気はリーチザクラウン、4番人気はキャプテントゥーレ、5番人気はレッドシューターだった。言お伊代スタートが切られた。スタンド前からのスタート。スーとキャプテントゥーレが行った。皐月賞を勝った時のように先頭に出る。リルダヴァルとミッキードリームが並んで2番手。そのあとにマルカボルト、キョウエイストーム、ダイシングロウと続き、内にアロマカフェ、レッドシューターがいて、2、3馬身の間隔を開けて本命ヴィクトワールピサが行く。直後にリーチザクラウンとトーセンクラウンで最後方にトーセンキャプテンといった順で3コーナーにかかろうかというところである。スタートからのハロンタイムは12.8---11.5---12.0---12.2---11.6で800m通過が48秒5、1000m通過が1分00秒1と遅いペースである。3コーナーから4コーナー、ここでヴィクトワールピサにエンジンがかかった。馬群の外を通って上がっていく。4コーナーで一気に先頭を窺う気配。そして、これから直線に入ろうというところ。先頭はキャプテントゥーレ最内をついている。外からヴィクトワールピサ。キャプテントゥーレ先頭、外からヴィクトワールピサが並びかける。あと200m、ヴィクトワールピサがキャプテントゥーレを捉えて先頭に出ようというところである。ここで一気に出た。ヴィクトワールピサ先頭、ヴィクトワールピサ先頭。強い、差が開いた開いた。2番手キャプテントゥーレ、リーチザクラウンが伸びてくる。先頭はヴィクトワールピサ先頭、ヴィクトワールピサ先頭。2馬身以上リードしてヴィクトワールピサ1着でゴールイン。
1着ヴィクトワールピサ 1分46秒0、2着キャウテントゥーレ 2馬身1/2、3着リーチザクラウン ハナ、4着マルカボルト 1馬身、5着レッドシューター 1馬身1/2。
ヴィクトワールピサは強かった。でもここでは負けるわけにもいかない。ここで負けていたらドバイなんていってられないだろう、これでドバイ・ワールドカップでブエナビスタと再び激突することになる。1ヶ月先が楽しみだ。
一方、阪神では阪急杯が行われた。短距離戦に16頭、しんどいレースになりそうだ。1番人気はガルボ、2番人気はワンカラット、3番人気はスプリングソング、4番人気はサンカルロ、5番人気はフラガラッハだった。
きれいなスタートから2、3頭で先行争い。ショウナンカザン、コスモセンサー、外のコスモセンサーが先頭に立った。2番手にショウナンカザン、サワヤカラスカルとスプリングソングが並走で3番手。内からガルボ、外がワンカラット、さらに外からサワノパンサー、そのあとにビービーガルダン、サンカルロ、ケイアイデイジー、マイネルレーニア、ゼットフラッシュ、コパノオーシャンが追走し、さらにフラガラッハ、テイエムカゲムシャと続きシンガリに芦毛のトシギャングスターで早くも3コーナーから4コーナーへ、16頭が一団となってきた。阪神の内回りコースの直線に入る。先頭はコスモセンサー、ショウナンカザン2番手。あと300m、スプリングソングとサンカルロ、サンカルロの伸びがいい。あと200m、ここでサンカルロが先頭に出た。サンカルロ先頭。外からフラガラッハ、フラガラッハがやってきた。馬場の真ん中からワンカラット。内からガルボが来る。ガルボが来る。先頭はサンカルロ、サンカルロ先頭。ガルボが2番手か。1着はサンカルロ。
1着サンカルロ 1分20秒1、2着ガルボ 1馬身1/4、3着フラガラッハ 3/4馬身、スプリングソング 1馬身、5着ワンカラット クビ。
2011.02.26 (Sat)
ジリオラ・チンクェッティを聴く

この名前を聞いてすぐに判る人は間違いなく50歳以上の方でしょう。私が小学生の頃、姉が一生懸命、聴いているラジオから若い女性の声で・・・・・ノノレターノノレターと歌っている楽曲が聴こえてきた。実際はNon ho l’eta non ho l’etaと言っていたのだが、小学生にイタリア語が判るわけはない。でも今、聴いてもそのように聴こえてしまうが。この歌はジリオラ・チンクェッティが歌う『夢みる想い(Non Ho L’eta)』という曲であった。古い人なら知っておられよう。日本人も当時よくカバーしていた。
この曲を最初に聴いたのは1964年だったと思う。イタリアの歌姫ジリオラ・チンクェッティの出世曲といってもいい。ジリオラ・チンクェッティは1963年、この曲でサンレモ音楽祭登竜門カストロカーロ新人コンテストに優勝。さらに翌年、サンレモ音楽祭に出ていきなりの優勝を飾り一躍有名になったのである。このときジリオラ・チンクェッティは何と16歳。さらに勢いに乗ってユーロビジョン・ソング・コンテストにも出場して、イタリア人としては初の優勝。こういった経緯があって日本のラジオでも『夢みる想い』がよく流れていたのである。そういえばこの1964年は、東京オリンピックの開催された年で、新幹線が開通した年でもあったからよく記憶しているが、姉はビートルズを聴きまくっていた。それと同時にフランス・ギャル、コニー・フランシスといった女性歌手の曲も聴いていたように思う。そんな中に混じって当然ジリオラ・チンクェッティの曲もあった。当時、小学生だった私には誰がアメリカ人で、誰がフランス人で、誰がイタリア人なんて理解できない。それで姉はジリオラ・チンクェッティが歌っているのはイタリア語だといった。フランス・ギャルはフランス語で歌っている。コニー・フランシスは当然、英語である。何度も聴き比べをしているとだんだん英語、フランス語、イタリア語の響きというものが何となく判ってくる。それで日本人にとって真似をしやすいのがイタリア語だと直感したのである。
それから5年後、ジリオラ・チンクェッティが歌う『雨(La Pioggia)』が日本でも大ヒットした。すぐに覚えられるメロディで、ラジオから流れてくるのを何度か聴いていてる間に、ローノンカンビオマイ ノノンカンビオマイとメロディとともに歌詞が次第に出るようになっていた。それほどイタリア語というのは日本人とっては歌いやすかったのである。それでボビー・ソロ等のカンツオーネを始め、イタリアの曲をよく聴いていたような気がする。
さて、翌年の1970年、大阪で開かれた万国博覧会。そのオープニングのイベントの一つにジリオラ・チンクェッティが出演していた。彼女は万国博ホールで歌っていたようであるが、当日、私は会場にいたもののチケットがなく見ることはできなかった。とにかく、あの当時、ジリオラ・チンクェッティは日本で人気があった。日本人歌手の弘田三枝子、伊東ゆかりなどもカバーしていたほどである。それは本国のイタリアでの人気を凌ぐといわれていたが、その後も『つばめのように』『太陽のとびら』等ヒット曲を何度かだし、1979年に結婚。生まれた子供の育児に専念するためさっさと引退してしまったのである。それ以来、私はジリオラ・チンクェッティの名前を忘れていたのだが、何年か前にテレビのコマーシャルでジリオラ・チンクェッティの『雨』を聴いて、再び昔の記憶が蘇ってきたことがある。だが、ジリオラ・チンクェッティは1989年に復帰し、1993年にはライ日してコンサートを開催しているらしい。また最近はサンレモ音楽祭にも出ているということで、齢60を超えても活躍しているとのこと。皆目知らなかったのは私だけなのか・・・・。昨今の音楽事情に詳しくないので知らなかったが、今時の人にどのように聴こえるのだろうか・・・・。ちょっとばかり興味がある。
『夢みる想い』を歌うジリオラ。チンクェッティ。この頃、まだ17歳という若さだった。
『雨』を歌うジリオラ・チンクェッティ。CMでこの曲を知ったという方も多いだろう。
こんなのもあったなあ。『雨』日本語バージョン。
2011.02.25 (Fri)
2月25日
このブログを更新するにはブログIDというものやらパスワードやらを書き込まないと編集画面には入れないのだが、日頃はこんな面倒なことはやらなくていいのだが、時々、セキュリティの関係からか、IDやパスワードが必要になる。それで、今日はその日に当たっていたのか、いつものようにブログ更新をしようと思い、FC2の登録ページに入ろうとしたが入れない。IDとパスワードが間違っていたようだ。
考えてみると、パソコンっていうのは実に面倒である。何かにつけ、このパスワードやIDというものが存在する。セキュリティ強化のためには仕方がないが、時にはパスワードを忘れてしまう。パソコン立ち上げのときのパスワードと、ブログのパスワード、またはセキュリティソフトのパスワードやID等があって、時々、混同したりしてしまう。そのおかげで今日は、なかなかブログ更新画面に入れなかった。困ったものだと思ったが、メモ帳を見ていたらどうにか記載されたのが載っていて、どうにか入れたのである。
こんなことがあるから、パスワードを全て一緒にしようかなあとも思うが、これもあまり好ましくないから、それぞれ違うパスワードにしているのである。それでこれがいけなかったのだ。何度か試みたがブログ編集画面に入れないというのは哀しいものだ。もし今日、入れなかったら永遠にブログの更新ができなかったというのが大げさであるが、しばらくは更新できなかったかもしれない・・・・・。でもどちらにしてもこのところ、ブログらしいブログを書いてないけれども・・・・。あまり中高生の日記のようなブログにしたくないのだが、困ったことに下らない日記風になりつつある。でも訪問者はいてるようだ。
もっともネットサーフィンをしていたら、我がブログに到着することともあるだろう。それで2度と訪れない人が大半であろうが、今まで書いてきた記事の中で、目に留まれば一応、目的は果たせていると思う。誰かに読まれればさえいいのだから、もっとも読まれるのが目的でない場合もある。誰かに訴えたいから書いていることもある。しかし、日記というのは本来は自己の中にしまっておくものなのに、それを人に公開するというのはどういう心理なのだろうか。時々ブログを書いていて考える。小生の場合は趣味関係が多いから、日記風ではないが、女子高生のブログなんて言うのは、名前も写真も住んでいるところも学校名も公表している。それで毎日の行動まで記録しているのだ。これは流行りかも知れないが恐ろしくないのだろうかと思う。ストーカーが出現しないだろうか・・・・・。きっと隠れファンがいるように思えてしょうがない。小生のような親爺だとストーカーされることもないだろうが、それでも自分の写真や名前や住んでいるところなど絶対に明かせない。もっともどのあたりに住んでいるかは、過去記事を読めば判るだろうが、知らない人が小生を探しだすことはまず不可能。まあ、小生の昔の知り合いに、記事の内容でバレた場合もあるものの、まず面識ない人にバレることはない。それで思ったのだが、毎日、電車に乗るが、この乗客の中で何人の人がホームページなり、ブログを開設しているのかと・・・・。高校生は半分近くが携帯電話でブログをやっているのではないかと思うが、社会人は意外とやっていないと思う。それは面倒臭いからである。
小生も何かと面倒な時がある。でもここまで続けてきたのだし、あともう少しで記事数が1000を超える。すると更新ペースを落とそうかと思う。その時は、もう日記風の記事はやめて、完全に趣味の記事だけで更新しようと思うが、更新ペースは随分と落ちるだろうなあ。週1回か月に2回か3回、こんなものだろう。こうでもしないと読書ができないのである。ブログ更新をやめればもっと本を読めるなあと考えたら、もっと更新ペースを落とせばいいのである。すると下らないグダグダ記事はやめた方がいいだろう。でも、もう少しだけ続けるが・・・・・。
2011.02.23 (Wed)
バド・パウエルのアルバムを聴く『シーン・チェンジス』

バド・パウエルのアルバムを聴く・・・・・『シ-ン・チェンジス』
バド・パウエルというとこのアルバムの冒頭の曲『クレオパトラの夢』で有名であるが、それも一般的にこの曲が知れるようになったのはテレビのCМで使われてからのように思う。でも古くからのジャズファンの中ではバリバリのジャズピアニストであり、それも天才肌のピアニストである。彼は1924年生まれというから日本流で言うなら大正13年である。何と大正生まれだったのである。彼のピアノのプレイとテクニックぶりからとても大正時代に生まれた人のようには思えないし、また彼が作った曲は真新しく感じられる曲が多い。
彼はチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー等とともにビバップを確立したが、バド・パウエルの場合はジャズ・ピアニストととして優れていたので、このようなビバップはお得意だったのかもしれない。もともとビバップはコードの変化をスピードアップして複雑化することだった。そういったジャズプレイの遊びから始まって、盛んに演奏に取り入れるようになったのだが、コードとメロディを同時に演奏できるピアノという楽器で彼の才能が自由に活かされたのであろう。
バド・パウエルは音楽一家の家庭に生まれたから音楽の素養は幼いころに身についていたのである。祖父はフラメンコ・ギタリスト、父はストライド・ピアニスト、兄はトランペッター、弟もピアニストというから音楽が溢れた家庭で育ったことになる。そして小さいことからクラシック音楽を習い7歳でドビュッシーやリストの曲を弾きこなしていたというから早熟なピアニストだったのである。それが10歳でジャズに興味をを持ち13歳でプロのバンドに加わっていたという逸話がある。なので彼のテクニックからして、ポピュラー曲のコード進行をヒントにテンポやアクセント、和音の構造まで変化させて違う曲をつくってしまうビバップというジャズの手法を試す場にあって、バド・パウエルのように古典から現代音楽までの知識とテクニックを備え、それを鍵盤の上で再構築する。まさに彼のビバップの申し子のようなジャズプレイヤーだったのである。
しかし、天才にありがちな精神的疾患が彼にはあり、麻薬とアルコールに溺れていった。演奏の歳には好不調の波が激しいといわれ、多くの録音にも呻き声を発しながら演奏していることが窺える。結局、彼は有り余る才能を持ちながら41歳の若さで1966年に亡くなっているて、今では彼が残した多くの録音でしか演奏を聴くことができない。
このアルバムの『クレオパトラの夢』を聴くとエキゾチックであり、それでいて速いテンポでまくしたてる。曲の流れを無視してブツブツを曲に合わせながら声を出しながら左手でブロックコードを叩きこむ。今ではモダンジャズの代表曲のように言われるが、当時としてはさぞや斬新なプレイスタイルだっただろう。
熱演するバド・パウエル(1962年)
『クレオパトラの夢』を演奏するバド・パウエル・トリオ(音声のみ)
2011.02.22 (Tue)
地震の話題・・・
今回、ニュージーランドのクライストチャーチ付近で起こったM6.3の地震により被害大とのこと。クライストチャーチはニュージーランド第2の都市だけに被害が甚大とのことで、地震国に住む我々も遠い外国で起こったことではすまされない。ニュージーランドは地震の多い国だから余計に気になるのだ。ニュージーランドは太平洋プレートとオーストラリア・プレートがぶつかり合う境界線のちょうど上にあり、世界でも地震の多い国であることは知れ渡っている。
それならユーラシア・プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、太平洋プレートという4枚のプレートが地下深くで衝突している日本列島はどうなるのか・・・・・・。とにかく地球には10数枚のプレートがあって、それらが絶えず動いていて、たがいが押し合いへし合いしている。それで、いずれ破壊が起こる。それが地震のなのだが、世界中で起こるM7以上の地震は年間で100回ほどあるらしいが、その10分の1は日本近辺で起こっている。つまり世界一の地震国といってもよい。嗚呼恐ろしや・・・・・・。
あまり考えたくないが事実だからどうしようもない。近畿の人は阪神淡路大震災を体験しているので、あの揺れの恐怖心を忘れてないだろう。ところで最近、東京からこちらへ流れて来た若者がいうには「関西は大きな地震があるから怖い」といった。でも「震度3程度の地震なら関東の方が多いだろう」と返すと、「震度6以上の地震なんて関東には来ないから大丈夫」なんて暢気なことをいうではないか。それで大正12年の関東大震災のことをいうと「あんなの大昔のことだから、もう来ない」だとさ。
皆目、彼は判ってなかった。地震は間隔があけばあくほどエネルギーが蓄積され起こると巨大になり怖いのだ。それで彼によると、東京の若者は大地震といっても大方はよその話で、東京では自分が生きている間は巨大な地震が起こらないと考えている者が多いという。本当かよ。信じがたい。いずれ大地震は起こるのだ。つまりそれほど長い間、東京近辺では巨大地震が起こってなかったということだ。ただ大地震を体験したことのない人ばかりになってしまい、体験を語れる人がいなくなってしまったのだ。しかし、阪神淡路大震災が起こる以前は、関西の人は、関西には大きな地震は起こらないと本気で思っていたものだ。
大地震なんて日本に住む限り何処で起こるか分からない。もし活断層がないと思っていても、隠れ断層というのがあって、発見されてないだけかもしれないのだ。それほど日本は地震が多い国だ。用心にこしたことはない。災害は忘れた頃にやってくる。明日の東海、明後日の東南海、南海・・・・・何時来るや判りません。ただ本音をいえば、自分が生きている間は体験したくないかな・・・・・・。
2011.02.21 (Mon)
2月21日
それにしても何を筆者は言いたいのか・・・・・。要するに書くことがないのである。月曜日は週の始動の時。でも休み明けで頭も身体もボウーとしている。仕事モードにまだ入ってないということだ。昔からブルーマンデーというが、まさに青い月曜日。気分が乗らないし憂鬱である。電車に乗っている人の顔を拝むと、月曜日はほとんどの人の顔が死んでいる。金曜日の顔と大違いだ。やはり花金とは正反対。青い月曜日。いや灰色の月曜日かも知らないなあ。これに雨でも降っていたら全く憂鬱な1日であったろうが、晴天でまだ気分的にも救われた。身体の方は休み明けで元気なのだが、心の方が死んでいるからどうしても気が乗っていかない。それも月曜日だかかもしれない。
こうして1週間が始まって徐々に身体も頭も戻ってくるのだが、木曜日あたりになると気分的には乗ってくるが、は身体の方は反対に疲れが蓄積して思うようにいかないものだ。それで金曜日になると疲れも吹っ飛んでしまう。翌日から休みだと思うからなのか気分的にハイになる。ところで朝からだるそうに仕事を処理しているのに、帰り際になると元気を取り戻す奴がいる。こういう奴は年から年中、月曜日なのかも・・・・。まあ、どちらにしろ仕事が嫌いという者は実に多い。働いて賃金が出なければ、誰も働いたりしないからなあ。労働とは食うて行くための手段にしか過ぎないと考えるならば、もし人間、食べなくても生きていけるなら誰も厭な労働などしないだろうし、現金強盗とか、窃盗とかも減るだろう。とはいえ、今度は何のために生きるのかといったテーゼが出て来ると思う。こうなると哲学の域になってくるから今日はこのあたりでやめることにする。
2011.02.20 (Sun)
第28回フェブラリーS
第28回フェブラリーS(G-Ⅰ・4歳以上、ダート1600m、16頭)は東京競馬場のダートコースで行われた。人気はトランセンド、セイクリムズン、フリオーソ、バーディバーディ、ダノンカモンの順で行われたが・・・・・。
ゲートが開く。一斉に16頭が飛び出した。トランセンドが行く。マチカネニホンバレも行く。どうやらこの2頭だが僅かにトランセンドが先頭に出た。2番手にマチカネニホンバレ、ダイシンオレンジが3番手、そのあとはメイショウタメトモ、セイクリムズン、そしてコスモファントム、バーディバーディ、ライブコンサート、クリールパッション、ダノンカモン、パワーストラグルと続き、さらにシルクメビウスフリオーソがいて、オーロマイスター、ダイショウジェット、そして1頭離れてビクトリーテツニがシンガリというところで早くも3コーナー。ここでトランセンドにマチカネニホンバレが並びかけ、4コーナーにかけて馬群が固まってきた固まってきた。前の2頭が快調でいよいよ直線に入る。先頭にトランセンドとマチカネニホンバレ、トランセンドにマチカネニホンバレ。3番手にバーディバーディ、先頭の2頭は快調に逃げる。後続はなかなかつめてこない。バデーィバーディが来た。あと200m、ここでトランセンドが単騎先頭に立った。トランセンドが先頭。2番手はマチカネニホンバレだが、バーディバーディが伸びて来た。バーディバーディが伸びて2番手に上がった。先頭はトランセンド、先頭はトランセンド。2番手にバーディバーディだが後続が一気に迫ってきた。でも先頭のトランセンドは抜けている。2番手はバーディバーディ、フリオーソが一気に来た。フリオーソが一気に来た。フリオーソが強襲してバーディバーディを捉えたが、1着はトランセンドでゴールイン。
1着トランセンド 1分36秒4、2着フリオーソ 1馬身1/2、3着バーディバーディ クビ、4着ダノンカモン 1馬身1/4、5着マチカネニホンバレ クビ。
ダートのレースは先行した方が有利なのだが、今日のようにトランセンドが逃げ切ってしまうと尚更、そのように思う。でもフリオーソが最後に強襲したように時々、追い込んでくる馬がいるから侮れない。でもどちらかというと芝の競馬の方が見ごたえがあることは確かだ。全てのレースが芝生で出来ればいいのだが、芝生がどうしても傷むのでダートコースでのレースが昨今では多くなっている。それで、それもやむを得ない。昭和40年台は中央競馬のほとんどの競馬場でダートコースがなく、芝生が禿げていて哀れなものだった。芝生コースではなく土コースだと我々は言ってた。そういった時代があるからこそ、ダートコースを何処も設けたのだが、これからはオールウェザーコースの設置を考えてもらいたいと思う。アメリカでも徐々にオールウェザーコースが増えつつあるから、いずれ主流になるかもしれない。
2011.02.19 (Sat)
巨大板チョコが出現
場所はちょうど明治製菓の工場のあるところだ。今まで見たことがなかった。最近、建てられたのだろう。それで明治製菓のホームページを急きょ調べてみて判った。ちょうどバレンタインディーを翌週に控えていた2月8日に設置されたという。ホームページによると現在、工場の建物を建て替えており、これを機に何か地元の方やお客様に元気をお届ける明治製菓らしい仕掛けが出来ないかを検討していた結果、チョコレートは明治を象徴する当社の看板商品『明治ミルクチョコレート』を模した巨大看板『ビッグミルチ』を制作。地元の方を始め、JRを利用する多くの方に、この『ビッグミルチ』を通して、驚きやお菓子の持つ楽しさ、面白さを感じていただけばと考えている・・・・・・とのことでこの巨大看板を制作したらしい。
それで明治製菓の大阪工場の敷地に高さ27.6m、幅165.9mもの巨大看板が出現したのである。現在販売している明治ミルクチョコレートの約38万枚分の大きさで、世界最大のプラスティック制広告看板としてギネス世界記録に申請中だとのことである。ところで明治製菓というのは東京資本の企業である。何故、大阪に・・・・・。大阪というとグリコがあるが、どうも巨大看板は大阪に似合うなんて思われているのかもしれない。とにかく目立つ。場所から言うと高槻市朝日町。このあたりは昔から工場が並んでいるところであり、この明治製菓の大阪工場も、この地で生産を始めてから55年になるという。そういえば私の記憶の中には、物心ついたときからすでにあったので古い工場ということになる。
阪急電車から見えるのだが、場所はJRの線路沿いにある。だからJRに乗るとより大きく見えるのだろう。それで私は巨大看板のところまで行ってみたのだが・・・・・・・。
看板は工場の敷地内にあり、中には当然入れない。それでいい具合の撮影ポイントがない。仕方なく近寄れるところから撮ったのだが・・・・・・。

JR東海道線のガードを潜って反対側に出てみた。すると全体がよくわかる。まだ田んぼが所々に広がる大阪の郊外である。

ちょうどJRの特急『はるか』が通過した。電車と比較すれば大きさがよく判るだろう。

現物の明治ミルクチョコレートだが・・・・・。久しぶりに食べてみた。私が子供の頃、明治の板チョコといえば贅沢品だった。それが今では、アーモンドチョコを始め色々と趣向を凝らしたチョコレートがいっぱい出回り、今では板チョコというのはあまり見向きもされなくなった。それだけ時代が贅沢になったということである。

2011.02.18 (Fri)
気温差が激しい
すっかり真冬に逆戻り尋常ではいられない寒さになり、駅のプラットホームでは寒風が吹きす抜けるので身体が底冷えした。電車が例によってなかなか来ないからホームにある待合室に入ろうと思ったが、こちらは満員。どれで残念したが、ホームの上は寒くて寒くて凍えそうだった。よりによって今日は薄着だったから寒風がとても堪える。もう立春も過ぎたというのに、寒さがぶり返し・・・・・といっても、まだ2月だから寒いのは当たり前だが、それにしても暖かい日があるかと思えば、突然のように寒くなる。
関西では昔から奈良のお水とりが終わらないと本格的な春はやってこないといわれるが、お水取りは3月の話である。まだまだ先だ・・・・・・。弥生になって花粉症が街で囁かれ出し、奈良のお水とりが始まり、中国から黄砂が大量に飛来してくる。啓蟄が過ぎて、菜の花が咲き・・・・・といっても、菜の花畑もすっかり見なくなった。つくしが顔を出し、桜の開花が話題になる。こうして春が本格的にやってくるのだが、小生、あまり春が好きではない。いや、春が嫌いというのではなく、春が来るとすぐに、そのあと大嫌いな夏が来るから、さほど春を待望しているというのでもない。春そのものは心地よくて嫌いではないが、春は短いし、ほとんど冬か夏しかないように感じる。寒い寒いといっていたのに、急に暑くなったりするからだ。つまり炬燵の中に足を突っ込んでいたのに、その2週間後には扇風機の世話になることも最近では珍しくない。春なんて極わずかだろう。あっという間に冬から夏になる。春は何処へ行ったの? と思いたくなるほど良い気候の日が少ないのだ。これは何も春だけではなく秋にも言えるが、本当に心地よい気候の日が少なくなった。
冬から一足飛びに夏、また夏からあっという間に冬になる。四季があるはずなのに・・・・昨今は二季のみ。だんだんと冬と夏が目立ち始めた。春も秋も遠慮がちに知らぬ間に通り抜けていく。もっと厚かましくてもいいのに・・・・。それなのに夏と冬は厚かましく何時までも居座っている。もっと遠慮してくれればいいのにと思いながら春を待つ。
2011.02.16 (Wed)
ヴェルディのオペラ『椿姫』を観る
ミレイユ・ドランシュ、マシュー・ポレンザーニ、ジェリコ・ルチッチ、ダミアーノ・ピンティ
エンリコ・マラベッリ、ジェヌヴェーヴ・ケンメルラン、オリヴィエ・エルナンデーズ
指揮 佐渡裕 国立パリ管弦楽団
合唱 ヨーロッパ・コーラス・アカデミー

『椿姫』とはフランスの作家アレクサンドル・デュマ・フィス(通称・小デュマ)が書いた小説のタイトルである。それを基にしてフランチェスコ・マリア・ピアーヴェが台本を書き、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全3幕からなるオペラである。そもそもヴェルディは1852年にパリで戯曲版『椿姫』を観て感動し、早速オペラにしたくなりヴェルディ自身のオペラ『リゴレット』の台本を書いたピアーヴェにオペラ用の台本を依頼するのである。この台本は1853年1月に出来上がり、ヴェルディは4週間で作曲してしまい、3月6日にはヴェツィアのフェニーチェ劇場で初演のはこびとなった。しかし、この作品はヴェルディがフェニーチェ劇場から作曲依頼を受けていたのである。
それにしては作曲開始から初演まで3ヶ月足らずというのには驚く。『椿姫』は3幕4場で上演時間が2時間を超えるオペラである。なのに、このスピードで作曲され、また初演にまでこぎついたことが奇跡的だとも言われている。よほどヴェルディは、このオペラに力を注いだに違いない。これだけの大作になると完成したスコアを写譜するだけでも1ヶ月位はかかると現在の作曲家は言う。ましてや初演となると歌手も演出家も全部、新しい歌を覚えなくてはならない。すると半年から1年位の準備期間は必要だとされている。それを物凄いスピードで初演までたどり着いてしまったという。しかし、初演は大失敗だっと伝えられている。当初、娼婦を主役にしているという理由で国の検閲にひかかっていた。道徳的な視点から問題視されたのである。だが、ヒロインが最後に死ぬということで上演が許されたという。それで初演をしたものの、明らかに準備不足から様々な不具合があったとも伝わっている。それになによりも主役のヴィオレッタ役のドナテリという女性歌手が、とんでもないデブで、結核で痩せ衰えながら死んでいく女にはとても見えなかったというから、ミスキャストだったのかもしれない。もっともヨーロッパでのオペラ公演では、昔からベッドが潰れるのではないかというような巨漢のヴィオレッタ役が過去には何人もいたことから、向こうの人はあまり体格には気にしなかったのではとも思えるが、少なくとも日本人から考えれば結核で死ぬ人が太っていては悲壮感がないように思える。
実際にヨーロッパでは、昔から肥った女性歌手がヴィオレッタを演じていたことが多く、それがイメージとして残っていたのか、オペラはデブのおばさんが大きな口を開け、金切り声を張り上げるといった印象がある。それでオペラを臭い、ダサい、悪趣味、成金芸術だとかいって敬遠する人も多かった。ウン、確かに臭い。でも昨今は細くて綺麗な女子歌手が増えた。これだけでも興味が湧いてきそうだが、最近は演出の妙味もあって、オペラ自体も変化している。時代背景も現代に持ってきたりして斬新な演出を試みたりする。ただ『椿姫』は余りにも感傷的な内容で小生はあまり好きではないが、そのベタな内容が功を奏してか今では人気演目である。
『椿姫』第1幕、全員で『乾杯の歌』を歌う。最近はこういった現在に時代を持ってきた演出が多い。
2011.02.14 (Mon)
ドカ雪で・・・
さあ、大変。どうして帰ろうか・・・・・・・と悩んだ。朝から積雪があるとスノーシューズを履いてくるのだが、朝は晴れていた。まさか昼からの雪でこんなに積もるとは考えてもいなかったから、普通の通勤用の靴しか履いてない。これだと積雪の雪の上を3㎞も歩けない。しかたなくバスに乗ることにした。バスも順調に動いているかどうかわからないが・・・・・。取り敢えずバス停まで歩くが、やはり靴の中にまで溶けた雪の水分が侵入してくきた。靴下まで濡れて気持ち悪い。雪が容赦なく降り注ぎ傘をささないと頭が濡れて風邪をひきそうである。もうあたりは暗いし、足元は大勢の人間が雪を踏み込んだ足跡で雪が溶けている。滑るしベトベトしるし、歩きにくくてしょうがない。やっとバス停までたどり着く。これ以上、この靴では歩けない。それでバス停に到着したが、バスを待つ人で溢れている。みなさん考えることは一緒。歩くよりもバスに乗る方が無難と考えたのだろう。でもバスがこない。やっと2台並んで来た。乗り込むが満員。バスは発車するが、案の上ノロノロ運転。一般の車が何時もより多いので交通停滞を起こしている。それに雪が積もっているからスピードをださないのだ。ひとつもバスが動かないからいらいらする。歩いている人の方が速いぐらいだ。ゴム長靴を履いていたならば気にせず歩くのになあ・・・・・・・。
バスは少し動いては停止、また動いては停止。何時も乗る電車を乗り過ごし、その次の電車も乗り過ごす。結局、歩くと30分の距離なのに、この日はバスで50分もかかってしまった。なんてことだ。210円払っているのに・でもしょうがないか。駅のプラットホームに行くと運良く電車が到着した。すぐに乗り込んだが、この電車も雪の影響で延着してのであった。遅れている電車に運良く、待ち時間なしで乗れたのは幸いだが、小生の自宅がある最寄り駅に到着したが、雪は溶けて残っていない。ああ、結局、滋賀県内だ、があれだけのを記録していたのだ。流石に滋賀県だ。湖国だ。でも積雪はしょうがないとしても、駅から職場まであんなに遠いと歩けないからなあ。こうなるとたちまち陸の孤島化してしまう。駅から職場まで歩いて10分以内なら、積雪でも無理して歩くのだが・・・・・・。3kmでは雪の上をスニーカーでは歩けないし皮靴でも無理だ。本当に困ったものだ。職場はもっと街中に造るべきだなあ。
2011.02.13 (Sun)
共同通信杯、京都記念
まず共同通信杯(G-Ⅲ・3歳、芝1800m、13頭)であるが、今年の3歳牡馬は今のところ抜けた馬がいなくて混沌としている。何が一体強いのかということになるが、よくわからない。それで今日は昨年の暮れのラジオNIKKEI杯を勝ったダノンバラードが1番人気に支持されたものの、重賞勝ちがこの馬だけだから1番人気になっただけ。その時のメンバーも手薄だし、時計もかかっている。のので今日は試金石でもあった。そして2番人気はバルシャザール、3番人気はナカヤマナイト、4番人気はサトノオー、5番人気はディープサウンドだった。
スタート。まずまずのスタートからタツミリュウがポンと出たが、向こう流しに入ってすぐに外からディープサウンドが先頭に立った。2番手にタツミリュウとユニバーサルソングだが、ベルシャザール、ビッグロマンスも差がなく続く。そしてオンリーザブレイヴ、ミヤビファルネーゼ、ダノンバラード、内にナカヤマナイト、外からサトノオー、さらにダブルオーセブン、ロビンフットと続き、シンガリからニジブルームというところ。ハロンごとのタイムは13.1---11.5---12.2---12.4---12.4と1000m通過が1分01秒6のスローペース。馬群は3コーナーから4コーナー。先頭とシンガリまで差がなくディープサウンドが相変わらず先頭。そしてこれから4コーナーを回りきって直線に向こうというところ。先頭はディープサウンド、2番手にユニバーサルソング、ディープサウンド先頭、ユニバーサルソング2番手。ダノンバラードはまだ後方の外。内からナカヤマナイトが接近。ここでユニバーサルソングが先頭に立った。あと200m、ここでユニバーサルソング先頭。ディープサウンド粘る。内からナカヤマナイト、ナカヤマナイト、ユニバーサルソングが先頭だが、ここでナカヤマナイトが先頭に立った。ナカヤマナイトが先頭、ユニバーサルソング粘る。ナカヤマナイトが僅かに先頭、ユニバーサルソングが2番手、ベルシャザールも来るが、まだ4番手。ナカヤマナイトが先頭、ユニバーサルソングが粘って、ナカヤマナイトが1着でゴールイン。
1着ナカヤマナイト 1分48秒5、2着ユニバーサルソング クビ、3着ディープサウンド 1馬身1/4、4着ベルシャザール 1/2馬身、5着ダブルオーセブン ハナ。
スローペースで前に行った馬が粘って内からすくったナカヤマナイトが勝った。これではあまり参考にならない。それにしても今年の3歳馬は、これでますます混沌としてきた。
次に京都記念(G-Ⅱ・4歳以上、芝2200m、12頭)だが、こちらは有馬記念3着であっといわせたトゥザグローリーが1番人気に支持され、以下、ヒルノダムール、ダノンシャンティ、オウケンブルースリ、メイショウベルーガの順で、これは距離が2200mというところが、この人気になったようだ。
ゲートが開いた。セラフィックロンブ、プロヴィナージュあたりが前に出たが、どうやらセラフィックロンブが先頭。2番手にプロヴィナージュ、3番手にトゥザグローリー、4番手ビッグウィーク、5番手にメイショベルーガ、外にヒルノダムール。そのあとにホワイトピリグラム、シャドウゲイト、ダノンシャンティと続き、ロードオブザリング、ヒカルカザブエで最後方からオウケンブルースリで向こう正面を通過。ハロンラップは12.6---11.3---13.2---12.5---12.2で1000m通過が1分01秒8とスローペースである。あまり馬群がバラけず3コーナーの坂を上る。先頭はセラフィックロンブだが、シャドウゲイトが3番手に上がってきた。坂を下りペースがアップする。セラフィックロンブ、プロミナージュ、シャドウゲイトの順であるが各馬が固まってきて、これから直線に入ろうというところ。先頭にセラフィックロンブだが4頭、5頭が横に広がった。先頭はセラフィックロンブ、外からヒルノダムールとビッグウィーク。ヒルノダムールの伸びがいい。ヒルノダムールが先頭か、しかしトゥザグローリーがその外から来る。さらにメイショウベルーガも伸びる。あと200m、ここでトゥザグローリーが並んだ。トゥザグローリーが先頭に立った。トゥザグローリーが先頭に立った。メイショウベルーガも来た。2番手はヒルノダムール。先頭はトゥザグローリー、メイショウベルーガが来た。先頭にトゥザグローリー、2番手にメイショウベルーガが上がる。1着はトゥザグローリー。
1着トゥザグローリー 2分13秒9、2メイショウベルーガ、3着ヒルノダムール 1馬身、4着ダノンシャンティ 1馬身1/2、5着ロードオブザリング アタマ。
このレースも上がり勝負になってしまった。どうも最近はスローペースになることが多く、前にいて切れ味があれば勝てるが後ろにいては届かない。もう少し平均ペースになってくれればいいのだが・・・・・・。
2011.02.12 (Sat)
2月12日
せめてもう少し暖かいか天気が良ければ出かけたであろうが、今年は寒い日が多くてつい出不精になる。でも家にいてもよく人が訪れる。近所のおばさんに、宅配便に、郵便局員に、そのたびにピンポンと音が鳴り煩くてしょうがない。かと思うと電話が鳴って出て行くと鬱陶しいセールスの電話だったりで、まったく落ち着いていられやしない。もう固定電話を外してやろうかと思うけど、なかなかそのようにはいかない。しかし、度々セールスの電話がかかってくる。それも似たような内容の電話だ。もうかけてくるなと断っているのに、何度もかけて来るから頭にくる。先方は契約したいからかけてくるだろうが、こちらとしては用のないない電話などに出るだけ時間の浪費だ。だから最近は家にいたら家にいたでひとつも落ち着かない。こんなに煩いと出て行った方が落ち着くかなあとは思うが、これといって行くところもない。この歳になると大方の遊びはやりつくした感があって、もうそんなものに金を払おうとも思はない。だから家にいて出来る限りの本を読もうとしているのだが、目が悪いからすぐに疲れるし眠くなる。そこへ来客の呼び鈴とけたたましい電話の音が交互になる。本当に煩い。社会の柵から抜け出せない間は、ゆっくりできないってことなんだろうか・・・・・・・。もっとも孤独では生きていけないが・・・・・。
2011.02.11 (Fri)
雪だ
でも今日は朝から用事があって京都駅まで出て行ったのだが、意外にも我が家の周辺よりも雪が降ってなかった。常なら我が家の近辺(京都の大阪より)よりも京都市内は雪が降る。それが木造家屋の屋根は薄っすらと白くなっているものの、さほどの積雪ではなかった。この後、四条方面に行ったが、こちらも道路は濡れてはいるがチラホロと雪が降っているものの、大した降りではなかったようだ。こうして用事を済ませ、午前11時頃に河原町から阪急に乗って大阪へ向かう。特急に乗って地下を走っている間は暗いので居眠りしたいたが、何時の間にか地上に出たいた。でも外は暗い。厚い雪雲で覆われていたからなのだが、不思議なことに桂あたりだと薄化粧なのに、長岡天神の方が雪がよく降ったという痕跡が残っていた。そして天王山を抜け大阪府に入ると積雪量が目だって多いことに気がつく。さらに進んで高槻、茨木、摂津、吹田、そして大阪市内へ入る。しかし、幾分、溶けてはいるが駐車場に停められている車の屋根やボンネットには雪が積もっている。
こうして正午には大阪の梅田に到着。気温は1℃。大阪の正午の気温にしては珍しく低い。それにところどころ雪がの残っていた。京都市内はほとんど積雪した痕跡がなかったのに珍しいことがある。これだともしかして滋賀県は雪が降ってなかったかも・・・・・・まあ、そんなことはないけども、時々、こういった現象があるとはいう。つまり今回の降雪は京都よりも大阪の方がよく降っていたということになる。大阪市内というところは滅多に積雪などないところである。雪は降ることは降るが数年に1回、雪が積もるかどうかという程度で、今回も珍しいことになる。それで中之島近辺まで歩いてみた。
すでに午後1時。でも堂島川の遊歩道にはまだ雪が溶けずに部分部分残っていた。この写真は中之島の堂島川べりの遊歩道から堂島方面を眺めたところ。

遊歩道の芝生の上はまだ雪が残っていた。

堂島川にかかる橋の歩道は雪が残っていて、歩くとグシャグシャと音がする。かなり水分混じりの雪で靴がベトベトになる。橋の上から西の方角を見る。

それにしても珍しい雪の降り方であった。それも電車に乗って気がつくという。まあ、滅多にない現象といってもいいだろう。
2011.02.10 (Thu)
2月10日
それにしても京都の方では晴れているのに、湖国ではこのような天気である。まことに恨めしい。それに加えて肌に突き刺すような冷たい風が吹いている。琵琶湖からの風である。このあたりまったく風を遮るものがない。湖西の山から吹き下ろされる冷たい風が琵琶湖をスルーして湖東にまで及ぶのだ。手も足も冷たくてしょうがない。足の指先に感覚がなく痛い。マスクをしていても鼻水が滴り落ちる。おそらく氷点下の気温の真っ只中にいるのだろう。こんな調子で、一日中鬱陶しい天気であった。昼間はみぞれまじりの雨だったし、冷えて冷えて室内も温度が上がらない。しかし、帰りは雨がやんでいた。だが寒さは相変わらずで、凍てつくような中をエッチラオッチラ歩いて最寄り駅まで到着。今日は電車の延着はなさそうだ。めでたしめでたし。でも電車を待っているときの寒いこと。駅のホームを強烈な冷たい風が吹き抜けるから底冷えがした。しかし電車がなかなかこない。とにかく電車の本数が少ないから待ち時間が長い。それでいてよく延着する。気候の良い時期ならいざしらず真冬のプラットホームでの電車待ちほどバカらしいものはない。寒いしなかなか電車がこないし、寒いし腹が減るし。
・・・・・・せめて立ち食いそばなりうどんなりの店が駅構内にでもあれば、ちょっとの間にうどんでも食べて時間がつぶせるし腹も膨れるし身体もあったまるのにと思いながら電車を待つ。しかし、なぜに滋賀県の駅は立ち食いそば屋がないのだ。大阪では頻繁に見かけるのに、街自体に立ち食いそば屋がない。不思議なところだ。それとも立ち食いのうどんやそばを食べる習慣がないのか。もっともマクドナルドやケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナッツなら駅の側にあるけど、あんなもの大の大人が食べるものか。拙者が食いたいのはきつねうどんだ。アメリカから来たハンバーガーやチキンなんか食べたいとは思わない。何故、駅に立ち食いそば屋がないのだ。まったく不思議なところだ滋賀県は・・・・・・。
2011.02.08 (Tue)
2月8日
それにしても今日の電車は山科からは高校生が少なかった。なぜかなと思ったらどうやら滋賀県の公立高校の入学試験があったからのようだ。でも私立高校の生徒は電車に乗っていたが、数からしたらしれている。つまり滋賀県は公立の高校が圧倒的に多いからである。といっても公立高校(全て県立)が分校1校を含めても59校しかないが、それでも私立高校の10校に比べると遥かに多い。先日、滋賀県の私立高校の入試があったが、電車の混雑度にあまり影響していなかった。それが今日になると何時もより高校生が少ないなあと実感したぐらいだから、よほど私立高校が少ないかということになる。これは何も滋賀県に限らず、大都市のない県はどこも私立高校が少ないから当然ではある。だとすると滋賀県の中学生は県立一本で入試を受けるのか・・・・・・。そういうことになるか。もっとも滑り止めに私立を受ける子もいるだろうが、何しろ圧倒的に私立が少ない関係で、そういう訳にもいかない。でも、大津だとか草津だとか、どちらかというと滋賀県南部の中学生は京都にある私立を受けるようである。大津や草津なら京都駅まで10分~20分ほどで行けるから、京都市内の私立高校に通っている子がとても多いのである。ところが県北部の彦根、長浜あたりになると京都まで通えないから、公立の高校を受けて落ちるとどうするのだろうか・・・・・。他人事ながら気になってくる。今は中学を出て働く子は非常に少ないから本当にどうするのだろう。我々の頃は今よりも高校が少なかったし中学を出て働く者も多かったから中卒が珍しくなかった。今だと希少価値なのかなあ。
そういうことで今日は高校生があまり電車に乗っていなかったが、逆に中学生が大勢乗っていた。やはり高校生に比べるとどこか幼い。また高校生と違って皆、名札をつけているし、女の子ならローファーではなくスニーカーを履いている。スニーカーを履いて白いソックス。実に初々しい。中学生ってこんなに初々しものだったかな。よく考えてみると滋賀県だからかもしれない。3年ほど前までは毎日、大阪市内の方へ通勤していたから、どうしても大阪の基準で物事を判断してしまう癖がついた。要するに大阪の中学生に比べるとすれてないのだ。大阪の公立中学はどうしようもなく荒れているところが多い。どこの中学とは言わないが、授業に出ないでタバコを吸っている奴もいるし学校を飛び出していく奴もいる。すれて生意気で、教師を教師とも思ってない。服装は乱れているし、言葉使いも酷いものである。滋賀県でも不良に含まれる中学生もいるだろうが、大阪あたりと比べると比較にならないほど少ない。だからというのでもないが、滋賀県の中学生が実に初々しく見えたのである。今朝なんか職場へ向かうバスに中学生の女の子が5、6人ほど職場の近くにある高校へ向かうため同乗していた。そして、降りるなり「ありがとうございます」と1人1人が運転手に礼を言って降りて行った。実にすがすがしい。大阪ではまずありえない光景であった。この1件があって、今日は比較的、気分良く仕事を終えたが、職場を出て最寄り駅まで歩く途中、雨がポツリポツリ、これは大変だ。傘も持ってない。急いで駆け足。どうにか雨に濡れずに駅まで到着。ああ、くたびれた。大慌てで走ってきたから息が切れてしょうがない。なんで走らされないといけないのだ。今日の行きは爽快だったのに、帰りは息がゼイゼイか・・・・・・。本当に駅から職場まで遠いとロクなことがない。大阪の頃のように、会社まで駅から歩いて5分という訳にはいかないなあ。そこは滋賀県だと諦めてはいるが・・・・・。疲れるなあ。毎日、毎日・・・・・・。
2011.02.07 (Mon)
2月7日
とにかく電車の中は不特定多数の人が出入りするので空気は衛生的ではない。朝なんかの混んだ電車の中はウイルスが舞っているのではと思ったりする。だから小生はマスクをやっているのだが、それにしても滋賀県は電車の中で物を食べる奴が多い。なんとも無神経な奴らだが、衛生的にも褒められたものではない。ゴホゴホと咳をして飛沫が飛んでいる中、平気の平左で物を食べているからあきれ返ってしまうのだ。帰りの電車内は、必ず1人か2人は何かを食べている。パンであったりスナック菓子であったり、あられや煎餅の類が多く、電車に乗って読書をしていると袋を開ける時の音と、匂いとともにボリボリと物を食べる音がする。どうもあの音は読書する時の妨げになるのか、気になる音であるから誰かが何かを食べだしたことがすぐにわかる。彼らはそんなに口の中が寂しいのかな。それともお腹がすいてしょうがないのかな。それとも家まで我慢が出来ないのかしらないが、あまり褒められたものではない。そんなもの何をしようと勝手だといわれそうだが、一応は公共マナーというものがあるだろうに。小生の若いころは、通勤電車の中で物を食べる者などいなかったものだ。時代とはいえ、今は当たり前のように食べている奴が必ずいる。本当に困ったものだ。
見ていても卑しく感じるしモラルはどうなっているのか。育ちも悪いのかと勘繰りたくなる。最もJRの電車は長い距離を走るからかもしれないけれど、阪急で通勤していたころには、こういった輩はあまりいなかった。時々、見受けることはあったものの、この滋賀県を走るJRでは毎日、どの車両に乗っても何らかを立ち食いしている奴が必ずいるから呆れてしまう。ことに夕方、6時、7時の電車に乗ると大概こういう奴がいる。もう見慣れたとはいえ、不衛生であり見苦しくもある。さらにいうならば男だけではなく、女もいるから呆れかえるのだ。もう日本人は恥を忘れたのかもしれないなあ。
2011.02.06 (Sun)
東京新聞杯、きさらぎ賞
まずは東京の東京新聞杯(G-Ⅲ・4歳以上、芝1600m、16頭)であるが古馬のマイル戦。安田記念に向けてのマイル戦。1番人気はダノンヨーヨー。弐番人気はゴールスキー、3番人気はフラガラッハ、4番人気はシルポート、5番人気はスマイルジャックだった。
スタートしてシルポートとファイアーフロートの2頭が競り合うように先頭争いをする。長い向こう長しであるが先頭にシルポート、2番手にファイアーフロート。3番手はやや離れてカウアイレーン、そのあとにスマイルジャック、ゴールスキー、キングストリート、フラガラッハ、マイネルレーニアと続き、ネオヴァンドーム、オーシャンエルプス、ショウワモダン、リクエストソング、ダノンムローといて、さらにキャプテンベガ、ゼットフラッシュ、シンガリの位置に1番人気のダノンヨーヨーというところ。前の2頭が飛ばし3コーナーを回り4コーナーへ、600のハロン棒を通過。ハロン毎のラップは12.3---10.5---11.3---11.5---11.9で800m通過が45秒6、1000m通過が57秒5といいペース。まもなく4コーナーを回って直線に入る。前の2頭が5、6馬身離している。先頭はシルポート、2番手にファイアーフロート。ダノンヨーヨーは大外のシンガリ。先頭はシルポートだが、スマイルジャックが上がってきた。でもまだシルポート先頭、シルポート先頭。あと200m、ここでスマイルジャックが先頭に立った。スマイルジャックが先頭。キングストリートも伸びて来た。ダノンヨーヨーはmだ中団。先頭にスマイルジャック、キングストリートが来た。3番手は4頭、5頭が横一線。先頭はスマイルジャック、キングストリートが接近。でもスマイルジャックだ。
1着スマイルジャック 1分32秒5、2着キングストリート ハナ、3着ゴールスキー 1馬身、4着キャプテンベガ アタマ、5着オーシャンエルプス ハナ。
続いて京都では3歳馬によるきさらぎ賞(G-Ⅲ・3歳、芝1800m、12頭)が行われた。このレース、昔は中京で行われていた。当時、関西馬がクラシックレースを目指すのに左回りを経験させるため、ここを使い、その後にクラシックレースを制覇する事が多かった。つまりゲン担ぎのいいレースだった訳だ。それで勝ち馬からダイコーター、マーチス、タニノムーティエ、ヒカルイマイ、キタノカチドキ、インターグシケンと中京時代にはこれだけのクラシックホースが出ている。その後、1987年に京都の名物レースとなったが、それからでもハクタイセイ、スペシャルウィーク、ナリタトップロード、ネオユニヴァース、アサクサキングスとクラシックホースが出ている。だから関西馬にとってはここを使うことで、クラシック路線の主役をはれるということになる。それで今年は12頭が出てきたが、まだ今年のクラシック路線は混とんとしている。一応、1番人気はウインバリシオンで、2番人気はオルフェーヴル、3番人気はトーセンラー、4番人気はコティリオン、5番人気はメイショナルトだったが、はたして結果は・・・・・・。
スタートが切られ長いバックストレートが続く。だがリキサンマックスが先頭に出てとばす。2番手にメイショナルト、3番手にセトノシャンクス、その内にリアライズペガサス、5番手カーマイン、そのあとにウインバリシオンとタナトス。そのあとにマーベラスカイザーとオルフェーヴル、さらにトーセンラーがいて、3馬身離れてコティリオンとギリギリヒーローで、これから3コーナーの坂に向かって行こうというところ。その間にリキサンマックスは7、8馬身の差をつける。800のハロン棒を通過。ハロンラップは12.4---11.3---11.6---12.4---12.5と800m通過が47秒7、1000m通過が1分00秒2とスローペース。これだと前残りの展開だが、後方はじっくりと構えすぎだ。3コーナーを下り、トーセンラーが4番手に上がってくるも先頭のリキサンマックスは大きくリード。2番手も3番以下を離すバラバラの展開。4コーナーを回り直線に向く。先頭にリキサンマックスで大きくリード。2番手メイショナルト、3番手にカーマイン。先頭リキサンマックス3馬身リードしている。2番手にメイショウナルト、そのあとは5、6馬身離れているがトーセンラーが伸びてくる。先頭はリキサンマックス、2番手もメイショウナルト、この2頭で決まるか。あと200m、トーセンラーが突っ込んでくる。オルフェーヴルも伸びてくる。だがリキサンマックスがリード、まだリード。あと50m、リキサンマックスが逃げ切るか。トーセンラーが来た。トーセンラーが来た。トーセンラーが捉えた捉えた。最後に捉えた。
1着トーセンラー 1分47秒6、2着リキサンマックス クビ、3着オルフェーヴル 1馬身1/4、4着ウインバリシオン 1馬身1/4、5着メイショウナルト 1/2馬身。
勝ったトーセンラーは父ディープインパクトのような脚を使って差し切った。上がり3Fのタイムが33秒4で、完全に前残りの競馬だったが豪快に追い込んだ。馬体も430kgと父のように小さい馬。今後の成長が気になるが、ディープインパクト産駒としては2頭目の重賞ウイナーとなった。
2011.02.05 (Sat)
大相撲の八百長問題に触れてみる
このところ八百長問題で揺れる相撲界。あまり関心はないが一応、触れることにする。私が子供の頃、テレビが各家庭に出回り始めたが、その頃はプロレスの人気が凄かった。いわゆる力道山の人気である。戦後、日本は敗戦の焼け跡から立ち直りつつあったが、戦勝国アメリカに対してのコンプレックスは大きかった。ちょうど昭和30年台前半で、物資も乏しく貧しかった日本。敗戦の痛手から完全に立ち直ってなく、当時の大人たちはどこか元気がなかったように思う。そんな頃に力道山が登場し、大きな外人レスラーを力道山が空手チョップで倒す。街頭テレビの前は黒山の人盛り。ちょうどそんな頃、我が家にもテレビが来た。するとたちまち近所のガキどもが、テレビを観に我が家へ集まった。まだ、そんな時代であった。そこで我々のようなガキどもは月光仮面や鞍馬天狗等をよく観ていたが、大人たちは野球、相撲、そしてプロレスをよく観ていた。その中で断トツのヒーローが力道山であったことは言うまでもないが、そのプロレスが誰も八百長だということはあの当時もちろん知るはずもない。
八百長というと言葉は悪いが、プロレスは仕組まれたストーリーがあるということは、今日では多くの人が認めるところである。もちろん中には真剣勝負もあるだろうが、プロレス黎明期の力道山の試合の多くはショー化された格闘技であったことは確かなようである。でも我々は真剣勝負として見ていた。敵役を演じた外人レスラーたちの多くは、そういった敵役でファイトマネーを稼いでいたということである。だから、現在では純粋なスポーツとして報道されることもなく、プロレスは飽くまでも格闘技ショーという扱いになっている。いわば興行的な際物として多くの人はとらえているのである。もっともプロレスをショーだ、演出だというと怒る人もいるが、彼らは体力の極限に近いところで戦っている。いや演じているのだ。でもそれを八百長だからといって揶揄する人もいない。それはプロレスラーの体つきや技をを見ればわかるように、並大抵の鍛え方でないことは確かであって、八百長だ、ショーだと一言で片づけられない見事な試合をリング上で繰り広げてくれるから、どうしても目が釘付けになってしまうのである。つまり虚の中に実があって、実の中に虚がある。たとえ筋書きがあって最後は誰が勝つと判っていても、その試合の内容に魅せられてしまうと熱くなってしまうのである。そういった視点で見ると、所詮、素人には八百長なのか、真剣勝負なのか判るというものではない。最後にはいい勝負、いい闘いを観たという満足感の方が先に立ってしまいプロレスがショーといわれようと、そんなものはどうでもよくなるのである。さて、話は変わって大相撲の八百長問題であるが、プロレスとどう違うのかというと、多くの人は相撲は国技であって真剣勝負だと思っているということ。そこで出た膿のような八百長騒ぎで65年ぶりの本場所中止かという激震が走っているようだ。多くの相撲ファンは固唾を飲むように事の行方を見守っているようである。
ところで相撲ファンでもない私は、昔から相撲は八百長があっただろうと思っているので、何の驚きもないのだが、熱心で神聖な相撲ファンはさぞやがっかりされたことであろう。でも昔から、週刊誌が大相撲の八百長問題を記事にして、再三指摘してきたのだし、今まで表沙汰ならなかっただけで、何をいまさらという感じがしないでもない。それが今までおそらく協会からのもみ消しや、隠蔽工作もあって大きな問題ともならなかった。でも今回は3人が八百長を認め、関わった力士が14人もいるという。だとすると問題は大きのかもしれない。
昔から7勝7敗の力士は千秋楽に勝ち越す場合が多いといわれているし、カド番の力士が給金を直すことは知れ渡っている。これなんかも八百長とは言わないが相手が温情で勝たせてくれる手を抜いてくれる。つまり無気力相撲に繋がるのだ。今回の八百長騒ぎにおいても、疑惑のある力士のほとんどは何連勝もする力士ではなく、下手すれば幕下へ落ちるであろうという十両の力士である。十両か幕下で、この番付の違いが収入に天と地ほどの差があるから問題なのであろう。十両だと100万円以上の月給があるが、幕下になると15万円の手当が出るだけという。すると当然、実力で相撲をとっているといずれ幕下へ転落する。こうなる以前に十両でおれるように星勘定を試みる。ここでお互いが助け合いの精神で、勝ち星の譲り合い、金券の受け渡し、あるだろうとは昔から言われている。
今回、表沙汰になったのは野球賭博を捜査した警視庁の捜査員が押収した力士のメールに星を回し合っていたやりとりが残っていたので、動かぬ証拠として問題になったということなのであろう。でも、相撲は2人だけで取り合う格闘技である。2人にしか判らない。でも如何に真剣勝負に見せて、八百長を行うかという前提があり、真剣勝負でいて、実は演技をしていることになる。これだとひいき筋は応援しているのに裏切られた気にもなろう。でも多かれ少なかれ、スポーツには紙一重で八百長問題が絶えず付きまとっていることをお忘れなく。ただ表面に出ないだけのことの方が多いだけであって、本人が吐かなければ誰もわからないのである。
過去には大リーグのホワイト・ソックスの八百長事件があったし、日本でも西鉄ライオンズの黒い霧事件があった。サッカーでもイタリアでは度々、八百長問題が取りざたされる。いわばスポーツは表裏一体のところで、真剣勝負と八百長が絡んでいるのだ。そのことは何時の時代でもなくならないだろう。ことに大金が動けば動くほど、その可能性は高いということだろう。
2011.02.03 (Thu)
今日は節分らしい・・・・・
ところで何故、豆まきなのかというと豆は魔滅に通じるといい、鬼に豆をぶつけて邪気を追い払う。こうすることによって1年の無病息災を願うのである。こうして鬼は外、福は内と掛け声をかけて豆をまく。
だが、最近は豆まきをあまりやらなくなったのでは・・・・・・・。まいた豆は汚くて口に入れれれないし、豆をまいたら散らかるだけで、掃除もしないといけないし、面倒くさいという人も多い。そこで最近の習慣として恵方巻きというのが急激に広がった。本来は大阪だけで行われていた習慣で、どういう因果かしらないが、今や全国的に広がった行事である。まあ、事の顛末はどうであれ、豆まきよりも現実的で、主婦からすると太巻きずしを何本か買っておけば、晩飯を作る手間が省けるというから、これほど都合のいい習慣はない。豆をまいた方が節分らしくていいのだが豆では腹はふくれない。ただ部屋が散らかるだけという主婦もいる。でもそういう問題ではないのだが・・・・・。古くからの習慣には大きな意味があると思うけど・・・・・。かといって恵方巻きにも意味がるのだろうけども・・・・・・。
2011.02.01 (Tue)
2月1日
でも日の出の時間が早くなった。この2ヶ月ほど家を出る頃になって、ようやく外が白々していたのに、このところ出かける時間にはそこそこ明るくなっている。帰りこそは退社する時にすでに暗いが、徐々に日が長くなっていくのだろう。こうして日照時間がだんだんと長くなっていき、暖かくなっていくのだろうが、湖国においては相変わらずの強風が吹き続いている。この風が収まりだすと春めいてくるのだろうけども、それはまだまだ先のことである。
啓蟄にもまだ早いし、その前に梅が咲くかなあ。でもまだ比良山系の稜線は白い冠を被っている。この雪化粧がとれないことには春はやってこない。もっとも春が来てしまうと、すぐに暑くなるからあまり春を待望しているというものでもないが、雪だけは御免こうむりたい。ところで、このところ書く記事もなく、くだらない日常ばかりを綴ってつないでいる気がするが、大変申し訳ない。また気が向けば趣味の記事を書こうと思うので、しばしお待ちくだされ。それでは・・・・・・。