2009.09.30 (Wed)
大学生だらけ
それにしても多い。車内は大学生と高校生ばかりだ。以前、阪急で大阪市内へ通っていた特は、電車内の大半が社会人であり、勤め人だった関係から車内は静かなものであった。それが、この滋賀県内を走るJRは高校生と大学生で車内がいっぱいになる。行きも帰りもであるが、帰りは開放感からマナーが悪いのはいつものことだが、最近の学生気質というのが、どうも昔と違っていて、呆れかえってしまう時がある。
まず、パンやらお菓子を食べる学生の多いこと。それとゲームをやっている学生の多いこと。それと携帯電話の画面と絶えず睨めっこしているか、Jポップを聴いているか、それ以外だと仲間でお喋りというパターンである。それにひきかえ読書に勤しんでいる学生の何と少ないことか・・・・・。大学生がこの状態だと本屋が儲からないし、出版不況というのも頷ける。齢半世紀を越えて老眼の進んだ小生でさえも読書はかかさないというのに・・・。なるほどゆとり教育の果ての大学全入時代の学生たちだからか。当然か・・・・とはいわない。この沿線の大学は有名大学が多いというのに・・・・、それでいてこの有様だから、近頃の大学生は本を読まないというのは、真実のようだ。最も社会人も本を読まないからしょうがないが、大学を出たからといってシェークスピアの名前を知らない者もいるし漱石、芥川、太宰等一つ読んだことのない無教養の大人が大勢いる時代だからしょうがないか。だから当然、ニーチェやデカルト、カントも読んでいるはずはないだろうなあ。
それに最近の大学の学園祭というのはタレントや芸人を呼んで盛り上げるそうだが、この傾向も我々の学生時代には考えられなかったことだ。少なくとも小生の頃の学園祭というと呼ぶのは文化人と決まっていた。時代だといえば時代かもしれないが、これはちょっとやそっとで日本の大学のレベルが上がらないぞ。・・・・だからといって、大学生の質が低下しようが、どうなろうが小生のしったことじゃない。この先、日本が斜陽国家になろうが、日本が沈没しようが、彼らは肩書きだけが欲しいのだから、勉強なんて二の次だろう。どちらにしても、あと30年生きていれるかどうかという小生にとっては、日本の未来なんてどうでもいいけど・・・・・。
2009.09.29 (Tue)
久々に遅刻した・・・
「お急ぎのところお詫び申し上げます。ただいま高槻駅付近の踏み切りで踏み切り障害があり、安全確認のため各電車の発車を見合わせております。なお連絡が入り次第、追ってご連絡いたします」
出たー! JRお得意の延着だ。最近、珍しく電車の遅れがなかったので、感心、感心と思っていたら、何のことはない。一度、遅れだすと5分、10分の遅れではすまないJRである。結局、拙者は当駅で30分以上も待たされたではないか。そういえば大阪行きも京都行きも全ての電車、列車を停めさせて安全確認を行なったという。その後の連絡によると、高槻~島本間の踏み切りで遮断棒が折れていたから、列車運行に支障がないか安全確認を行なったので、遅れは30分に及んだのである。
ああ、安全確認だけに30分を要するのか・・・・・。流石にJR西日本だ。かの福知山線の電車脱線転覆事故以来、安全確認は特に過敏になっているから、こちらとしても文句はいえないが、毎度、毎度、大幅に電車が遅れると文句の一つでも言いたくなる。おかげで始業時間から10分送れて職場に到着した。延着証明を貰っているからいいけども、昨年から何度、延着証明書を持って出勤したか判らない。本当によく遅れるJRである。もし、今日の事故が人身事故だとしたら、30分~40分の遅れではすまなかっただろう。
こんなことが度々あるからと思って職場には始業30分前に着くように、朝の早い電車に乗っているというのに、今日のように電車を2本も3本も運休してまで安全確認に時間をとられると、こちらとしては対応のしようがない。それに、どの駅も人で溢れてしまい、電車の中は超満員でどうにか京都駅に到着した。でも、ここから先は長い。疲れ果てて職場のある最寄り駅まで到着するも、今度はバスが超満員。もう開き直るしかないのだが、それでも遅れてなるものかと先を急ぐ自分がいる。しかしバスが例によって交通停滞に巻き込まれる。このような調子で、なんだかんだで10分の遅刻となってしまったのである。
本日の朝の通勤時間は2時間25分。疲れたのなんのって、腹をたててもしょうがないが、怒り心頭である。ああ阪急電車で通っていた頃が妙に懐かしい。もう仕事を辞めようかな・・・・・・・。やはり職住接近でないと、疲れが蓄積してしまう。こんなJRに頼らなければならない滋賀県の人は、本当に我慢強いなあ。我輩はせっかちなので、少し電車が遅れただけでイライラする。これでは長生きも出来ないかな・・・・。
2009.09.28 (Mon)
レトルト『カレーマルシェ』を食べる
先日、レトルトの『カリー屋カレー』の中辛を食べて全く辛くないから拍子抜けしたと書いたが、昨晩は、またまたレトルトカレーを食べた。今回のレトルトカレーは『カリー屋カレー』と同じハウス食品の『カレーマルシェ』の中辛である。前回の『カリー屋カレー』が頼りない味だったので、再びハウス食品のレトルトカレーだからどうだろうと期待しないで食べてみた。
結果から言うと適度の辛さとまろやかで上品な味に驚いた。前回に食べた『カリー屋カレー』よりも美味しいカレーと断言できる。価格も2倍以上するから美味しくて当然なのだが、同じハウス食品が出しているレトルトカレーだからあまり期待はしていなかった。でも同じレトルトカレーでこんなに違うものだろうか。『カレーマルシェ』は、マッシュルームと柔らかい牛肉が内包されていて、これがカレーのルーと絶妙な相性で、味にバリエーションを加えていて、上品な味付けと適度の辛さがうまく混ざり合っている。レトルトカレーだと今まで馬鹿にしていたが、『カレーマルシェ』を食べてみて、そのまろやかさに驚くと共に、レトルトでも料理店で食べるカレーライスの味に近付きつつあるということに気がついた。
でも何故、『カリー屋カレー』と『カレーマルシェ』で、これだけ違いがあるのはどうしてなのかといった疑問が生じてきたのである。それで色々と違いを調べてみたのであるが、それはまず入っている具が違う。かたやジャガイモと人参なのに対し、マッシュルームと牛肉ときているから、それだけで高級感がある。それと『カレーマルシェ』はソースそのものが違う。おそらくバターミルクパウダー、生クリーム、ホワイトルウ等が、このカレーのルウ自体をまろやかな味に変えさせているのだろう。
でも『カレーマルシェ』以外にも美味しいレトルトカレーがいくらでもあるだろうし、これから片っ端に食べてみようかなあ。今までレトルトカレーなど食べたことがなかった小生も、目から鱗が取れたような気分である。それでは次は何処のカレーを食べようかなあ・・・・。
2009.09.27 (Sun)
オールカマー、神戸新聞杯
いよいよスタート。大外から強引にマツリダゴッホが先頭に立った。2番手にエイシンデピュティ、3番手トーセンキャプテン、4番手マンハッタンスカイ、5番手スノークラッシャー、その後がダイシングロウ、デスラメンテ、そしてシンゲンとその外にドリームジャ-ニー。さらにマイネルチャールズ、トウショウシロッコ、さらにダイワワイルドボア、ハイアーゲーム、グラスボンバー、ダンスアジョイの順で通過。ハロンラップは12.5---11.5---12.4---12.3---12.3と1000mが1分01秒0。これは完全にマツリダゴッホのペースである。超スローにおとしてマイペースの逃げ。これだと後方は苦しい。4コーナーでシンゲン、ドリームジャーニーが共に仕掛けに入るも、マツリダゴッホはペースを上げる。直線に入りマツリダゴッホがスパート。後続との差が開く。その差は4馬身。あと200mを切ってからやっとシンゲンとドリームジャーニーが追い上げてくるが、マツリダゴッホの勝利は確定的。シンゲンとドリームジャーニーの競り合いが続き、どうにかドリームジャーニーが2着を死守するもマツリダゴッホは悠々ゴールイン。
1着マツリダゴッホ 2分11秒4、2着ドリームジャーニー 2馬身、3着シンゲン アタマ、4着トウショウシロッコ 1馬身3/4、5着マンハッタンスカイ 3/4.。
マツリダゴッホはこれで10勝中、8勝が中山での勝利という中山巧者振りを発揮。本当に東京だと走らないのに不思議な馬である。
阪神では菊花賞トライアルの神戸新聞杯(Jpn-Ⅱ・3歳、芝2400m、14頭)が行なわれた。人気は皐月賞馬のアンライバルド、アントニオバローズ、リーチザクラウンの順で、ロジユニヴァースがいないのが残念である。ダービーと同じ距離の神戸新聞杯。ダービーがどうしようもないほど水の浮いた不良馬場だったので参考にならあう、今日、初めて各馬の適性を見るようで注目したのだが・・・。
スタートが切られ、内からトモロポケット、外からリーチザクラウンが行く。だが第1コーナーをリーチザクラウンが先頭で回る。2番手にトモロポケットとレッドシャガーラ、4番手トップカミング、5番手アプレザンレーヴとセイウンワンダー。そして人気のアントニオバローズ、アンライバルドが行くが、アンライバルドはクビを上げてかかり気味である。そのあとは5馬身の開きがあって、イコピコ、その後にトップゾーン、トライアンフマーチ、さらにシェーンヴァルト、バアゼルリバー、1番後ろがワシャモノタリンという展開。スタートからのハロンタイムは12.6---10.4---12.1---12.5---12.3---12.5と1000m通過が1分00秒3、1200m通過が1分12秒5と、絶好の馬場にしてはスローペースである。淡々をリーチザクラウンがリードする。ほぼ一列縦隊で馬群が3コーナーを回り、あと1000mで後続が少しずつ上がっていく。アントニオバローズが先に行き、それを見てアンライバルドも行く。いよいよ直線コース。先頭はリーチザクラウン、レッドシャガーラとセイウンワンダーが2番手。アンライバルドは外の5、6番手の位置。あと300m、リーチザクラウン先頭。まだ余裕がある。セイウンワンダーが2番手。アンライバルドは4番手だが、その外から人気薄のイコピコが来た。あと200m、リーチザクラウン先頭もイコピコが一気に来た。アンライバルドはまだ4番手。あと100m、イコピコ先頭に立った。イコピコ先頭、リーチザクラウン2番手、イコピコ先頭、イコピコ1着でゴールイン。
1着イコピコ 2分24秒2、リーチザクラウン 2馬身、3着セイウンワンダー 3/4、4着アンライバルド 1馬身3/4、5着トップカミング 1/2.。
いや、驚いた。何と上がり馬のイコピコが見事に追い込んでレコードタイムで勝った。リーチザクラウンがマイペースで逃げ切りに持ち込んだというのに。リーチザクラウン騎乗の武豊も唖然としたことだろう。これで菊花賞戦線がますます混戦模様となってきた。アンライバルドは気性に難があって、今日のレースでさえかかっていたぐらいだから、もっと長距離でスローペースにおちる菊花賞において我慢できるだろうか。リーチザクラウンにしても3000mを逃げ切るのは至難の業であろう。セイウンワンダーにも突き抜けるほどの実力があるように見えないし、ナカヤマフェスタも人気するだろうが、本命とするには?マークがつく。そこでこのイコピコの勝ちっぷり。前を行く実力馬を全て差しきってしまった。でも、この馬は末脚勝負だけにスローな流れとなる菊花賞では、今日のように上手くはまるかどうか・・・・・。今年の菊花賞はトライアルを観てから、さらに難しくなったが、イコピコはステイヤーの体型をしていて血統的にも距離適性は問題ないだろうが・・・・・。それにしてもイコピコとは面白い名前である。ハワイ語らしいが。
2009.09.26 (Sat)
夏バテ?
つい10日ほど前は涼しくて、今年は秋の訪れが早いかなあと淡い期待を抱いていたのに、例年通りきっちり帳尻を合わせてくるから参った。また今年も例によっていつまでも暑いと言っていたのが、急激に寒くなり、本当に気持ち良く感じられる日が少なくて、秋が短いのだろうな。それで紅葉も11月の末から12月の始めにかけて見頃を迎えるのだろうが、このままの気候で推移すれば、またまた冴えない紅葉シーズンを迎えそうな按配である。秋が秋らしくなく、何時までも暑くて、突然、寒くなり、夏から一足飛びに冬のような気候に変わってしまい、植物の方も対応できず徐々に紅く葉が染まっていかないで、不ぞろいの紅葉となりそうな・・・・・楓の葉の上部だけが紅くて、その陽が当らない下部の葉は青いまま散っていきそうである。
そろそろ雨が降ってもいいのだろうけども、北からの高気圧が強くてなかなか雨が降らないから異様に暑いのだが、月別降雨量からいっても9月は1年を通しても雨のよく降っている月なのに、今年の9月は記録的な少なさである。結局は地球温暖化の影響なのかということになるのだろうけども、これ以上30℃超える日が続くと、いい加減うんざりする。ああ。雨が欲しい・・・・。
2009.09.24 (Thu)
レトルト『カリー屋カレー』を食べる
2人前分を盛ったので皿から溢れそうである。
昨晩、レトルトの『カリー屋カレー』を食べた。レトルトというのは昭和40年代に出てきたインスタント食品だが、カレーでいうと松山容子が外装パッケージに使われていた『ボンカレー』を思い出す。でも私は『ボンカレー』というものをこれまで一度も食べたことがない。不思議に思われるかもしれないが、事実だからしょうがない。それに子供の頃はカレーライスが大嫌いで、小学生の時の行事があると、必ずカレーライスが出てくるので食べるのに苦労した覚えがある。とにかく当時、カレーライスというものは子供が最も好きな食べ物だったのである。物のない昭和30年代といえば、今ほど色んな食べ物が出回ってなく、子供が好きな食べ物の代名詞のようなものがカレーライスだったといえば判るだろうか。だから子供会の行事があると、父兄が手を込んでカレーライスを作るのだが、あいにくカレーライスが大嫌いな私としては、食べられなくて大弱りしたものだ。皆、おいしそうに食べるので困ったものであるが、私が不味そうに口に運び、なかなか皿の中のカレーライスが減っていかないのを見て、呆然として「お前、カレーライス嫌いか?」「大嫌いや」と言うと「ウワー! カレーライス嫌いな奴がいるぞー」と冷やかされたものである。
何故、嫌いだったのかというと食感かもしれない。それにあのベトーとした感触と、何気に甘辛く、それでいてスパイスの匂いがきつく、私は苦手な食べ物であり、中学生の頃まで食べられなかったのである。それが高校生になった頃から、不思議と平気で食べられるようになったから、人の嗜好と言うものは歳によって変化していくものである。今では殆どの物が食べられるのだが納豆だけは何時でたっても苦手である。そもそも京都の人間は納豆なんて食べる習慣がなかったから、大人になって水戸納豆が出回っても、どうも拒絶反応がある。1000年の都のあった土地柄、見た目にも美しい料理が食欲を増すなんて考えている人が多く、納豆は見た目からして美味しそうに見えない。どうも粗野な坂東武者が貪り食べていたような栄養食品というイメージがあって、何も納豆を食べなくても、京のおばんざいを食べている方がいいではないかと思う。ただし健康食品として納豆は優れているとはいうけれど・・・・。と、何の話だったのか、カレーの話であった。
子供の頃に食べられなかったカレーライスが食べられるようになったのは、スパイスの匂いが平気になったのと、嗜好が辛口になってきたということである。それに高校一年の時、仲間と大阪の梅田まで映画を観にいったとき、仲間がカレーライスを食べるというので、仕方なく入ったカレー屋で食べたポークカレーライスが美味かったということだ。それ以来、カレーライスは普通に食べられるようになった。でも夏は食べた後の発汗が酷いのでけして食べないが、寒くなってくるとラーメンと共に時々、食べてみたいと思うのがカレーライスである。
そういうことでレトルト食品のハウス食品が出している『カリー屋カレー』の中辛を食べてみた。まず感想であるが、食べてからしまったと思った。まことに頼りない味であるというよりも、全く辛くないのである。これだと辛口を買えばよかったと後悔。それに何かとジャガイモが多く、食感的に歯応えがない。人参とジャガイモしか入ってないからクリームコロッケを添え物にして食べてみたのである。でも29種類のスパイスをブレンドしただけあって、風味はあるし好きな味ではある。それに何よりも1箱100円もしない価格設定だけに、スーパーで見つけても手が出そうである。しかし、辛口を買うべきであったと後悔する。
2009.09.23 (Wed)
お彼岸の墓参り
本音をいうとまだまだ暑いし墓参りなど行きたくなかった。でも先日、姉から電話があって、今日、我が家に行くから一緒に墓参りをしよう日時を指定してきたので、朝から何処へも行けなかった。我が家は祖先といっても、両親共に九州からやって来て住みついた流れ者。私と姉はこちらで生れているが、親父の墓は近くにある。近くに墓があるから盆と彼岸ぐらいは墓参りをやらないとバチが当る。しかし、先月のお盆には酷暑の中、たった1人で墓参りをしたのだから、今回は遠慮させてもらうつもりでいたが、姉が来るからついでにお付き合いとなってしまった。
朝から小雨が降り、曇天の今日、蒸し暑く山の中腹にある墓まで行くのかと考えたら鬱陶しくなってきた。これもシルバーウィークなんて余計なものをこしらえるから、このような羽目に陥ったのだが、時々、姉が我が家に来るからこればかりは断りようがない。墓は我が家から歩いて10分ほどの山の中、でも急勾配を登って行かなくてはならないので、これがけっこう大儀になる。姉は京都市の伏見区に住んでいるので、私の家まで電車を乗り継いで30分ほどかかる。だから滅多に墓参りは行けないから、折角の連休だからといいうことで、突然、墓参りに来るという。それで何時来るのかも判らず待っていたのだが・・・・。
今日のような暑い日は、涼しい午前中に用事を済ませばいいのにと思いながら、待ち人を待つが、なかなか来ない。昔から姉は時間に対してルーズであったが、この癖は今もなおらずといったところである。時間を厳守する私とは本当に同じ姉弟かと時々、感じることがあり、私とは性格も含めて何もかも違うので、姉とはいっても疎遠にしていることが多く、以前は、墓参りというと姉が娘をいつもよこしていた。でもその娘も家を出て1人暮らしをしている関係から、本人が来るしかなかったのだろう。
待ちに待って午後、姉はやって来た。相変わらず喧しい。気が強くズケズケ物をはっきりというので、時々、カチンとくるが頭の回転が早く、口で論争しても勝てないから私はいつも黙っている。とにかく昔から読書家で秀才だった姉には、弱みを握られている関係から、あまり逆らわないことにしている。
さて、墓参りに行くのはいいが、タクシーで行こうという。歩いても10分ほどのところなのに・・・・・・。確かにあの急勾配を歩くのはきついが、タクシーでワンメーターで行けるのではないだろうか。とにかく墓の入り口にあるお寺まで到着。1000円でおつりがあった。何時もなら私1人で、この坂を登って息を切らし汗を大量にかきながらやってくるのだが、タクシーだとあっという間に到着する。
花を供えて線香を焚いて合掌。でもあまり人が来ていない。5連休もあると墓参りも分散するのかな・・・・・・。とにかく墓参りも疲れるが、姉と行くと余計に疲れる。
2009.09.21 (Mon)
セルジオ・メンデス&ブラジル66を聴く
1970年に大阪で行なわれた日本万国博覧会の会場内にある万国博ホールで、セルジオ・メンデス&ブラジル66がコンサートを行なっていたことを思い出す。残念ながらチケットがなかったので、私は行けなかったが、当時、人気のあったグループなので盛況だったそうな。
この21世紀の世の中になってしまってからは、セルジオ・メンデスが表舞台に出る機会はすっかり減ってしまったが、1960年代はボサノヴァの大ブームがあり、当時は時の人といった印象があった。セルジオ・メンデスとは日本でボサノヴァ・ブームを巻き起こしたミュージシャンの1人で、ブラジル出身のピアニストである。幼少の頃からクラシック・ピアノを学び、やがてジャズに傾倒する。1941年生れであるから20代の年齢で既にヒットチャートに顔を出していたことになるが、その最初のヒット曲が結成したばかりのブラジル66といグループでのものである。ブラジル66とはセルジオ・メンデスが結成したブラジル65を解散して新たに結成したグループであり、メンバーはボブ・マシューズ(ベース)、ジョアン・パルマ(ドラムス)、ホセ・ソアレス(パーカッション)、ラニー・ホール(ヴォーカル)、ジャニス・ハンセン(ヴォーカル)の5人である。
セルジオ・メンデスがブラジル66を結成した1966年というのはボサ・ノヴァの人気が下降気味で、既にジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ビジョンといったボサノヴァの先駆者の人気が陰りを持っていた。そこへ現れたのがセルジオ・メンデスである。セルジオ・メンデスがブラジル65を前年に結成したものの、この時にはヒット曲に恵まれなかった。ブラジル65時代はジャズ的な要素が多く、大人っぽい渋みのバラードにピアノと打楽器がフューチャーされたナンバーが多く一般受けはしなかった。そこで新たに結成されたのがブラジル66である。こちらの方はポップス的要素があり、それをボサ・ノヴァ風にすることで人気を博したのである。
当アルバムはブラジル66としては最初のアルバムであり1966年9月に発売された。収録曲は10曲で、『マシュ・ケナーダ』『ワン・ノート・サンバ/スパニッシュ・フリー』『ジョーカー』『君に夢中』『チン・ドン・ドン』『デイトリッパー』『おいしい水』『スロー・ホット・ウインド』『がちょうのサンバ』『ビリンバウ』で『マシュ・ケナーダ』がいきなりの大ヒットとなった。ブラジル65でのジャズ色を弱めブラジル66ではポップス色を強めた結果でのことであるが、この曲のヒットにより世界的に有名になったのである。『マシュ・ケナーダ』はブラジルのシンガー・ソング・ライター、ジョルジ・ベン(ジョルジ・ベンジョール)の作品で、ブラジル66の出世作となったことはいうまでもない。この曲以外だとアントニオ・カルロス・ジョビンの作『ワン・ノート・サンバ』『おいしい水』、ハーブ・アルバート&ティファナ・ブラスの曲『スパニッシュ・フリー』、ミュージカル・ナンバー『ジョーカー』、ビートルズ・ナンバーの『デイトリッパー』、ヘンリー・マンシーニ作『スロー・ホット・ウインド』、そして『Going out of My head(君に夢中)』というヒット曲もある。この曲は日本でもヒットしたが、1969年にはフランク・シナトラが歌っていたので知っている人も多いと思う。
このアルバムを出して世界的に有名になったセルジオ・メンデス&ブラジル66はその後も既存の曲をアレンジして軽いボサ・ノヴァ調で歌いヒット曲を連発したが、中でもビートルズの『ザ・フール・オンザ・ヒル』なんかは見事なセルジオ・メンデス風で、ポール・マッカトニーの歌う『ザ・フール・オン・ザ・ヒル』よりも大衆受けしそうな曲に仕上がっている。
ところで1970年の大阪万国博覧会の時、セルジオ・メンデス&ブラジル66が会場内にある万国博ホールで演奏していて、残念ながらチケットがなく会場内に入れなかったということを最初に書いた。この時であったが、ホールの前の人工池の噴水が吹き上がり、そのイメージと爽やかなブラジル66の曲がマッチして旋律が頭の中に自然と浮かんでいたという思い出がある。
O aria aio opa opa
O OOOO aria aio opa opa opa
Mais que nada
Sai da minha frente
Que eu quero passer
『マシュ・ケナーダ』を演奏するセルジオ・メンデス&ブラジル66
『ザ・フール・オン・ザ・ヒル』の演奏。ビートルズとは雰囲気が違う。
2009.09.20 (Sun)
セントライト記念、ローズS
まず中山では菊花賞トライアルのセントライト記念(Jpn-Ⅱ・3歳、芝2200m、18頭)が行なわれた。ダービー馬のロジユニヴァースは菊花賞に向わず天皇賞、ジャパンC、有馬記念に向うようだ。私もそのほうがいいと思う。菊花賞向きの馬ではない。それでセントライト記念に出てきたのが、ダービー4着のナカヤマフェスタ、条件から3連勝中のアドマイヤメジャーといったところが人気していたようだが、レースは馬ゴミを早めに抜け出したナカヤマフェスタが、直線半ばで先頭に立ち、内のセイクリッドバレーを押さえ込んで勝った。また1番人気に支持されていた上がり馬アドマイヤメジャーは、ナカヤマフェスタの直後につけて3コーナーから上がっていこうとするが、馬ゴミを捌けず、大外を通ったものの追い込み不発で4着だった。
1着ナカヤマフェスタ 2分12秒0、2着セイクリッドバレー 1/2、3着フォゲッタブル クビ、4着アデオマイヤメジャー クビ、ヒカルマイステージ 1馬身3/4.。
阪神で行なわれた秋華賞トライアルのローズS(GⅡ・3歳牝馬、芝1800m、18頭)であるが、春2冠に輝いたブエナビスタが出走しておらず、したがって桜花賞、オークス共に2着のレッドディザイアが断然の1番人気で、ミクロコスモス、ワイドサファイア、ジェルミナル、ブロードストリートという人気順となった。レースの方は高速馬場の中、ハイペースで展開し、7、8番手から直線で馬群の間を割って伸びてきたブロードストリートと大外から一気に伸びたレッドディザイアとの追い比べになったが、ブロードストリートが僅かに勝った。勝ち時計の1分44秒7はレコードタイムであった。
1着ブロードストリート 1分44秒7、2着レッドディザイア クビ、3着グードグレイス 1馬身、4着ミクロコスモス 1馬身3/4、5着ボンバルリーナ 1馬身。
2009.09.19 (Sat)
シルバーウィークだとさ・・・
結局は景気対策として内需拡大を狙ってのものだろうが、このことによって人が大型連休を利用し、旅行や買い物やレジャーだといってお金を使ってくれることによって、人と物が動き経済が活発化するという事から、秋の大型連休導入を考えたのだろうが、こちらとしてはあまり嬉しくはない。まず、盆休みからまだ1ヶ月余りしかならないのに、庶民にそんな出費をする金がどこにあるというのだ。またこの不景気な時に、連休全て休める人がどれだけいるというのだろうか。多くの人は休み返上で出勤して汗を流しているだろうし、サービス業だと、まず休みは1日もないだろう。結局、全て休めてお金をつぎ込んで贅沢できる人というのは、一部の大企業に就労している人か、公務員か・・・・・ごく少数の人だけではないだろうか・・・・・。それに我々としては5連休よりも、一週間の真ん中に休みがある飛び石連休というのが案外、身体も心も癒すのに都合が良かったのだが、そういったものが無くなってきて、3日も4日も休日を続けられると、身体もなまるしだんだんと労働意欲がおちて来るのだが・・・・・・。いずれにしても政治主導で出来上がったシルバーウィークなど嬉しくも何にもない。それどころか出勤日数が、そのまま給料に反映するという派遣労働者のことは考えなくてもいいのか。彼らは連休が増えることで、実働出勤数が減り給料もダウン。それでいて増えた休日は、じっと金も使わず時間を潰さなくてはならないのだ。つまり、この秋の大型連休導入もお金持ち優遇の政策にしか見えないってことである。休みを増やすのもいいが、もっと考えなくてはならないことが山ほどあるだろう。どうも最近、この国の政治屋さんは人気取りの政策ばかりで実が伴ってないようで、困ったものです。
2009.09.17 (Thu)
内容がないから読まなくて結構です・・・・
そういえば昨日、鳩山由紀夫新内閣がスタートした。55年体制といわれた自由民主党結成以来、長い間、続いてきた自民党政権が崩壊し、民主党が政権を握った。自民党を結成した鳩山一郎が初代自民党総裁ならば、それを終焉させたのが孫の鳩山由紀夫というのも面白い。でも私は多大な期待はしておりません。自民党は腐っていたが、民主党も最大野党と言われていたものの、保守政党であることに変りはない。まあ、民主党が政権を握ったからって180度政策が変わってしまったのでは庶民は戸惑うばかりなのだが、取り敢えずは高見の見物としゃれ込みますか・・・・・・。
2009.09.15 (Tue)
ヒッチコックの映画『めまい』を観る
監督 アルフッレッド・ヒッチコック
出演 ジェームズ・スチュワート
キム・ノヴァク
バーバラ・ベル・ゲデス
トム・ヘルモア
ヘンリー・ジョーンズ
エレン・コービイ
【あらすじ】刑事だったスコティは犯人を追う途中に同僚を死なせてしまったショックで高所恐怖症によるめまいに襲われるようになり、事件で警察を辞めてしまった。そんな彼のもとへ友人から自殺願望のある美しい妻マデリンの監視を頼まれる。だがスコティはマデリンを尾行するうちに彼女の魅力の虜になってしまう。ところが、尾行途中に高所恐怖症のスコティの前でマデリンは突然、飛び降り自殺を図ってしまう。だがマデリンが亡くなったはずなのに、或る日、街角でスコティはマデリンと瓜二つの女性と出会ってしまう。そして、意外な真相が明らかになっていく。
何やら最近、ヒッチコックの数ある作品の中でも屈指の名作であると、急に評価が高まっている映画である。スリラーの達人ヒッチコックには『鳥』のような猟奇的な映画もあれば、格調の高い心理スリラーも多い。そういったところから見ると『めまい』は後者の方に属するのだろうか、前半のラヴ・ラマンス風から後半は一転してのスリルとサスペンス。この辺りの演出の巧みさは流石にヒッチコックと思わせるものがあり、一度は観ておくべき作品であろう。
最もヒッチコック自身は『めまい』を失敗作と語っていて、どうもスコティが依頼を受けて尾行するミステリアスな神経症のブロンド美女マデリンの役をキム・ノヴァクではなく、当初ヴェラ・マイルズで撮るつもりであったという。ところがよりによってヴェラ・マイルズが妊娠してしまって出演不可能になり、キム・ノヴァクの登場となったのである。しかし、彼女は個性が強く必ずしもヒッチコックが思い描いていたマデリンではなく、彼は不満タラタラで演出していたとも言われる。ヒッチコックはどちらかというとキム・ノヴァクのような魅惑的な女性ではなく、清楚でいてあまり目立たないヴェラ・マイルズのような女優を使うほうが、演出効果がより活かせると考えていたかどうか判らないが、ヒロインのキャスティングには何時までも不満を持っていたようである。ただ我々が思うにはヴェラ・マイルズのような女優にしては平凡な外見の女性よりも、キム・ノヴァクが演じた方が映画として納得できたであろうとは思うのだが、作る側と観る側では食い違いはあって当然だろう。
だが、こういったキャスティングの思い込みの違いを含めても、『めまい』は各所で、その後の映画界に影響を与えた映画として評価が高まっている。たとえば床が落ちるように撮ったい所謂「めまいショット」を言われる撮影方法であるが、その後、ありとあらゆる場面で、このショットを引用するようになったと言われ、スピルバーグなどがたいへんな影響を受けたと語っている。事実、彼の作品『E.T』等で踏襲しているし、またブライアン・デ・パルマなども自身の作品で似たような効果を期待して試みている。このようにヒッチコックは色々な方法で、よりよい効果を生み出す演出を巧に使い続け、長い間、スリラーの巨匠として絶えず第一線で活躍し続けた監督である。無声映画時代から、映画監督としてメガホンをとり、その後、イギリスからアメリカへ渡り、1980年に亡くなるまでえハリウッドでサスペンス映画を撮り続けた。スリラーのジャンルを発明し、次々と改良を加えていき皮肉とウィットに富んだ映画界の巨匠であるが、世界の映画界を見渡してみても、後世に影響を与えたといった意味では、最も輝いている監督かもしれない。
『めまい』のトレイラー
2009.09.13 (Sun)
京王杯オータムH、セントウルS、朝日チャレンジC
京王杯(GⅢ・3歳以上、芝1600m、16頭)
1着ザレマ 1分32秒1、2着アップドラフト 1馬身1/2、3着マイネルスケルツィ 1/2、4着ケイアイライジン クビ、5着サイレントプライド ハナ。
セントウルS(GⅡ・3歳以上、芝1200m、15頭)
1着アルティマトゥーレ 1分07秒6、2着スリープレスナイト 2馬身1/2、3着コスモベル 3/4、4着カノヤザクラ アタマ、5着マルカフェニックス 3/4.。
今日のレースではないけども昨日、阪神で朝日チャレンジCが行なわれた。こちらは2000mの伝統あるレースで、皐月賞馬キャプテントゥーレが出てきたので、こちらの方も記載しておくことにした。
朝日チャレンジC(GⅢ・3歳以上、芝2000m、16頭)
1着キャプテントゥーレ 2分00秒0、2着ブレイクランアウト クビ、3着トーホウアラン 1馬身3/4、4着テイエムアンコール クビ、5着サンライズベガ クビ。
キャプテントゥーレは4番手から狭いところを縫うように抜け出して、最後は3歳馬のブレイクランアウトとの競り合いになったが、そこは皐月賞馬の貫禄か競り負けなかった。これで昨年の皐月賞以来の勝利となった。またブレイクランアウトは古馬キャプテントゥーレより3kg軽い負担重量とはいえ、よく際どい勝負に持ち込んだものである。もしかしたら今年の3歳馬はレベルが高いのかもしれない。
2009.09.12 (Sat)
巨大アヒルにジャイアントとらやんに・・・
まずは地下鉄天満橋の駅を降りて、地上に出て大川(旧・淀川)の川岸に出るや、いたいた巨大アヒルが・・・・・・。天満橋からほど近い八軒家浜に現れた巨大アヒル『ラバーダック』である。プカプカと浮いている。
高さが9m50㎝。ユーモラスなアヒルである。
後ろから撮ってみた。オランダの芸術家F・ホフマンの制作による。
後方の天満橋とビルをバックにすると、その大きさが判るだろう。
次に現れたのが、ヤノベケンジ制作のアート船『ラッキー・ドラゴン』である。『ラッキー・ドラゴン』は、大阪の運河を行きかいするアート船で、船の中央にいるドラゴンが立ち上がって火を噴いたりする。
ヤノベケンジとは、大阪出身で現在も大阪府高槻市に住んでいる現代美術作家で大型機械彫刻家ともいうべき人である。彼は子供の頃、1970年の大阪万国博覧会の会場近くで育ち、その未来都市を身近に見てから、色々な空想をアートととして再現することに力を注ぐようになった芸術家である。今回はこの『ラッキー・ドラゴン』と数々の『とらやん』を出展しているのである。
『ラッキー・ドラゴン』を操縦する『とらやん』である。とらやんとは、ヤノベケンジ創作のキャラクターである。
時には銀色のドラゴンの口から火を噴いたりする。
これは中之島公園内に展示されてある、淀川水系の廃棄物で作った巨大魚である。
さてさて、今回のイベントの目玉の一つが、この『ジャイアントとらやん』である。これまで金沢や東京の六本木で展示されていたりして、すでに一般の人の間で知れ渡っているが、やはり大阪での展示だとホームタウンに帰ってきたという感じが強い。
大阪市役所の1階ロビーにいる『ジャイアントとらやん』は高さが7.2mで、時々、口や目や身体や手が動いたりして、お腹の扉が開くと、『とらやん』が姿を現す。
ヤノベケンジ創作のキャラクター『とらやん』である。バーコード頭にチョビ髭を生やし、放射線感知服《アトムスーツ》を着る浪速のとらやんである。
おっ、ジャイアントとらやんの目と口が動いた。
お腹の扉も開いた。
中之島にある京阪・なにわ橋駅の地下1階にあるアートエリアには大勢のとらやんがいた。
とらやんが『ラッキードラゴンのおはなし』を読む。
何とも奇妙な彫刻である。ジャイアントとらやんと観覧車に乗るとらやん。
ラッキードラゴン船に乗るジャイアントとらやんととらやんかな・・・・・。
何とも面白い水都大阪2009の催しであるが、来月の頭まで色々な行事があるというので、また覘いてみようと思う。では、また・・・・・。
2009.09.10 (Thu)
ヘンデル ハープ協奏曲を聴く
ヘンデルという作曲家の曲で何が1番有名なのだろうかと考えてみた。色々と作曲している人だが、同じ年に生れた大バッハと呼ばれるヨハン・セバスチャン・バッハに比べると扱いが小さく、知られている曲も少ない。意外にもヘンデルはオペラの曲が多くて、その他ではカンタータやオラトリオの作曲家といったイメージがある。やはりこのあたりはバロック時代の作曲家というところだろう。それでヘンデル作曲の有名曲ってなんだろうかと思い起こす。管弦楽曲の『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』も良く知れ渡っている。合奏協奏曲、オルガン協奏曲もあるが一般的にあまり有名ではない。室内楽曲も同様で、チェンバロ曲もバッハの曲と比較するから知名度がない。すると最も有名なのはチェンバロの曲で『調子の良い鍛冶屋』か、オペラ『セルセ』の中の『ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)』か、オラトリオ『メサイア』の中の『ハレルヤ・コーラス』のどちらかだろうと思い込んでいたところ、高校野球を観ていて思い出した。よく考えてみると誰もが知っている曲があった。これもオラトリオの中の曲で、『マカベウスのユダ』というオラトリオの第3幕の中の曲『見よ、勇者は帰る』である。『見よ勇者は帰る』なら、どんな人でも一度は聴いたことのある曲だと思う。よくスポーツ大会の表彰式で流される曲なので、メロディが流れると、ああ、あの曲かと判るだろう。でもほとんどの人は、だれの曲かも知らずに聴き流しているのだが・・・・・。
さて、ヘンデルの最も有名な曲は『見よ、勇者は帰る』ということであるが、今回はヘンデルの『ハープ協奏曲』について書くことにする。何だそれはなんていわないでくれ。この曲は正式には『ハープ協奏曲 変ロ長調 作品4の6、HWV294』という。そもそもオルガンの協奏曲として1738年に出版されたということになっているが、当初はハープ協奏曲だったらしい。初演は1736年ということで、オルガン協奏曲として楽譜が出版される以前ということになる。だからオルガン協奏曲第6番変ロ長調と、このハープ協奏曲は同じ協奏曲ということになる。それで、この『ハープ協奏曲』であるが、全3楽章からなっていて、15分以内で終わる可愛らしい曲である。冒頭のハープを含めた合奏が印象的な愛くるしい曲である。曲そのものは、これといって採り上げるほどのこともないが、あのバロック時代の荘厳なオルガン曲と違い、こちらは軽いタッチの聴きやすさが特徴でBGMとして充分効果がある。そもそもハープの曲自体が少ないから、この曲は数少ないハープの協奏曲の中ではよく演奏される曲なのであるが、どうも女性的な音色と思われているのか、好きだという人にお目にかかったことが無い。でも私は比較的、よく聴く曲ではある。
ところで、このゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルであるが、バッハと同時代の人で、バッハが音楽の父と言われるのに対し、音楽の母と言われることもあるほどの大作曲家ののだが、バッハの扱いに比べると小さく、せいぜいバロック時代の宮廷音楽家といった程度の認知度でしかない。真に寂しいことであるが、日本での人気はバッハの方が断然に優っている。でもイギリスではドイツから帰化したこともあって、ヘンデルの人気は高いという。最近ではサッカーのヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの入場曲『UEFAチャンピオンズ・リーグ賛歌』の原曲として、ヘンデルの曲がクローズアップされている。その原曲は『戴冠式アンセム』~『祭司ザドクHWV258』である。でもイギリス人がヘンデルのことを、ジョージ・フリードリック・ハンデルと言うのにはどうしても違和感があるなあ・・・・。
ヘンデル『ハープ協奏曲』第一楽章の演奏
2009.09.09 (Wed)
ビートルズのアルバムが・・・・・
ビートルズが解散して既に約40年。ジョン・レノンが亡くなってから29年。ジョージ・ハリスンが亡くなってからでも8年が経とうとしている。このアルバムを買おうとしている人たちの大半の人はリアルタイムで聴いたことがないのではと思うが・・・・・・。リアルタイムで聴いていた私なんかは、ビートルズ世代でも最も若い方に入るが、それでも半世紀以上生きているのだから、自分たちの青春時代よりも過去に存在したグループのアルバムを聴こうと、買い求める人がそんなに多いとは、ちょっと予想もしなかった。彼らは親が聴いていて、小さい時から馴染んでいたから改めて、高音質で聴くために買い求めるのだろうか。それとも今時の音楽にないメロディラインに新鮮さを感じたのだろうか・・・・・。
何れにせよ、現在はCDが売れないから、レコード会社がビートルズ頼みで発売したような気がしてならない。そもそもオリジナルテープから4年をかけて、音質を良くして完成させたリマスター盤である。でも私はあまり興味がいかない。何故ならCDの音質は嫌いだからである。いくら音質を良くしたからといっても、あのLP盤で聴き慣れた耳にとっては、あまりにも無機的で金属的な音質はどうにもならないだろう。確かにCDは扱いやすくて小型で便利である。曲の頭出しも繰り返し聴くことも、簡単だし、何よりも音が劣化しにくく、大事に扱えば半永久的に使える。でもあの温かくて柔らかい音質のレコード盤で育った者には、あのキンキンした硬質の音は耐え難いのである。だからあまり買いたいという欲が湧かないのである。
ところで、今回、ビートルズに関する調査を試みた機関があって、10代から70代にわたってビートルズの曲で最も好きな曲は何かと調査したところ、第1位が『Let it Be』だったそうだ。それで第2位が『Yesterday』で第3位が『Help』、第4位が『HEy Jude』という結果になったそうな・・・・・・。やはりなあと思った。こんな調査は何の意味もない。つまりビートルズの曲でも最も有名な曲ばかりが上位にきていて、けしてマニアックな結果が出ているのでもなかった。調査に参加した多くの人は、大半がビートルズをあまり詳しくなかったということになるのだろう。もし、ビートルズの曲を全曲、聴きまくった人にとっては、上記の曲は恥ずかしくてとても推せないのだ。調査された人の多くは、上記の曲しか知らなかったのではと思えてくる。結局、巷でよく聴かれる曲の頻度順に思えて仕方が無い。
少なくともビートルズを飽きるほど聴いた人にとって『Let it Be』なんて曲は、絶対に1位には入らない。この曲よりもっといい曲など山ほどあるだろうから・・・・・・。
何か文句ばっかり言ってしまったが、今回のリマスター盤は、一度、試聴させともらうことにする。それで納得がいく音質に届いているなら、もしかして買うかもしれない。でも私自身、ビートルズのLP盤はオデオン盤を含めて40枚ぐらい持っているし、CDも全部持っているから、何を今さらという気もするのだが・・・・・・・。
1965年に買った『ラバー・ソウル』の輸入盤。確か1500円から1700円ほどだったと思う。
1969年に買った『アビー・ロード』 ボロボロになったが、当時2000円したと思う。このアルバムが実質上、ビートルズ最後の録音となった。
アルバム『ラバー・ソウル』に収録されている『ノルウェーの森(Norwegian Wood)』。せめて、第1位に選ぶなら、この曲ぐらいマニアックなのを選んで欲しいと思う。(音声のみ)
2009.09.07 (Mon)
残暑が厳しくて・・・
今年は梅雨明けが遅く、8月の猛暑日も少なく、冷夏だといわれたが、ここにきて残暑が厳しく、9月に入ってから雨がさっぱり降らない近畿地方である。その影響で、大地が熱せられ、日が経つ毎に気温がどんどんと上昇していき、この数日は真夏のような気候になってしまっている。だからボチボチ、一雨欲しいところなのであるが、なかなか降りそうもない。
朝晩は涼しくなってきたから寝苦しくはないが、昼間の空を見ると入道雲があるし、陽射しの強さからいっても夏そのものである。いったい秋は何処へ行ってしまったのだろうか。もっとも仕事の帰りに田舎道を歩いて帰るのだが、途中、草叢から色々な虫の音色が聞こえてきて秋近しを感じ取れるのである。鈴虫、マツムシ、コオロギ・・・・軽やかな涼しげな音色に囲まれた中を歩いて来ると清涼感がある。さらに今日は、住宅街を歩いている最中、ピアノで奏でる『乙女の祈り』を聴いた。今時、ピアノでバダジェフスカの『乙女の祈り』を弾く娘がいるなんて信じられなかった。ピアノの練習としてはよくツェルニーの練習曲を弾いている場合が多いが、『乙女の祈り』とは何とも懐かしいではないか・・・・・・でも、あまり上手くはない。
長い道中、歩いて駅まで来ると汗ばんでくる。やはり、まだまだ暑い。夕方でも30℃はあるかもしれない。でもこちらは暑いのに、東京の涼しさといったらどうだ・・・・。このところ最高でも26℃~28℃ぐらいしか気温が上がらないという。いいなあ、涼しくて・・・・・。日頃、東京に住みたいなんて皆目、思わないが、京都に比べて、夏が短く秋が長いから羨ましく思う。考えてみると、今時の季節は、どうも日本列島の真ん中あたり、フォッサマグナから北、東は涼しくて、そっれより西、南は暑いようだ。だから、夏は大嫌いなので、夏だけは関東の方がいいかなって思う。ということで、早く秋が来てくれ・・・・・。
2009.09.06 (Sun)
新潟2歳S、小倉2歳S
新潟2歳S(Jpn-Ⅲ・2歳、芝1600m、18頭)はフルゲートの18頭が出走してきた。1番人気は牝馬のシンメイフジ、2番人気はクロフォードというところであったが、スタートからシンメイフジは最後方につけ、日本一長い新潟の直線コースでの追い込みにかけるようだ。でもペースは遅く、ゆったりとした展開である。直線で600m以上ある新潟の外回りコース。シンメイフジは1番外にコースを選択して進撃を開始。ここから追い比べとなったが、あと200mあたりから人気薄のフローライゼとシンメイフジの競り合いになった。だが、シンメイフジは競り落として1番人気に応えた。上がり3ハロンのタイムは推定で32秒9という2歳馬にしては上出来である。
1着シンメイフジ 1分34秒4、2着フローライゼ 3/4、3着クロフォード 2馬身1/2、4着ギュンター ハナ、5着スプリングサンダー クビ。
小倉2歳S(Jpn-Ⅲ・2歳、芝1200m、14頭)は出走馬中の9頭が牝馬。このあたりはマイル戦の新潟とは違い1200mのレースだけある。人気はサリエル、ジュエルオブナイルが分け合った形となった。スタートからオレンジティアラが逃げ、それを外から同じ勝負服のジュエルオブナイルが追う展開となった。アッという間に最後の直線コースに入り、オレンジティアラとジュエルオブナイルの勝負になり、ジュエルオブナイルが競り合いで優り抜け出したところを外からダッシャーゴーゴーがが迫ってくるものの、ジュエルオブナイルが振り切ってゴールイン。
1着ジュエルオブナイル 1分09秒0、2着ダッシャーゴーゴー クビ、3着オレンジティアラ 2馬身1/2、4着パリスドール 3/4、4着サリエル 同着。
以上、各地で2歳の重賞が開催されたが、とりあえず昨日の札幌2歳Sを勝ったサンディエゴシチーの3戦3勝は優秀である。図抜けた逸材ってほどではないが、昨年の北海道で重賞を勝ったロジユニヴァースもさほど強いとも思えなかったから、今後どのように成長するか判らない。やはり2歳馬のレースは、今後のことがあるので注目していきたい。
2009.09.05 (Sat)
神戸長田の街に鉄人が・・・・・
実は昭和30年代を代表する漫画『鉄人28号』の実物大モニュメントが建築中である。場所は神戸市長田区の若松公園内。先の阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けた長田の街。ここはかつてケミカルシューズ等の地場産業で栄えたところであるが、あの震災の爪痕がまだ完全に癒えた訳ではない。それで『KOBE鉄人PROJECT』と題して、阪神淡路大震災復興のシンボルとして長田区の商店主らが中心となって、神戸市出身の漫画家・横山光輝の代表作である『鉄人28号』の実物大モニュメントを作ろうというものであり、現在、頭を残して、ほぼ胴体が完成しつつある。そこで早速、小生が現場まで訪れて、写真を撮ってきたということで・・・・・。取り敢えずご覧頂きましょう。
JR新長田の駅から歩いて5分。駅の南西側にある若松公園まで行くと、幕に囲まれた巨大なモニュメントが目に入る。これが鉄人28号である。ちょうど年代的にいっても我々が、漫画で見てアニメになってからも見ていたという世代なので何か感慨深いものがある。先月まで東京のお台場に暫くの間、展示されていた『ガンダム』と似通ったモニュメントではあるが、私などは『ガンダム』と言われても、何のことかさっぱり判らないが、『鉄人28号』というと、幼少の頃から、少年時代にかけて馴染んだキャラクターである。
まだ頭がないから、いまいちよく判らないが、もう暫くしたら頭が付けられ色も塗られるのだろう。
斜め後ろから見るとこのような感じである。
大きな拳である。9月の末か、10月の初頭には完成するらしい。完成したら、また記事にしようと思うので、よろしく。
2009.09.03 (Thu)
新型インフルエンザの感染者が出た・・・・
帰ってからうがいをしろとか、手洗い励行だとか、朝起きるなり体温を計れだとか、マスクを着用しろだとか、そんなもの言われなくとも判りきったことだろう。今まで対岸の火事の如く、眺めるかのような対応をとっていたのに、いざ、感染者が1人出ただけで大騒ぎ。朝からマスクをどれだけの者が着用しているかどうか、確認のため会社の入り口に監視の者が立っていたから大笑いである。ホントにこの会社の連中はアホか!
戸外でマスクを着用したってあまり意味が無いだろう。マスクが必要なのは空気が動かない室内か、人が密集しているところなどで効果があるのだ。それを会社の門で待機して、マスクをつけて歩いているかどうかチェックして、していない者に注意を促がすって馬鹿じゃあるまいし・・・・・。
勤め人というのはみんな思慮分別のつく立派な大人だろ。そんないい歳をした大人に、マスクをしろだとか、手を洗えだとか、体温を計れだとか、いうこと自体が馬鹿げている。まるで小学生扱いだな・・・・・・・。最もいい歳をしているのに、内面は子供という大人はいっぱいいるが・・・・・・。
まあいいだろう。トイレで用をたしても手を洗わない輩が多いから、仕方が無いところもあるが、会社内でいくら清潔にして、用心を心がけても、肝心な電車やバスの中でマスクを着用していなければ意味が無いだろう。むしろマスクをつける必要があるのは、そのような不特定多数の人が利用する公共物の中だと思うが、いかがなものだろうか・・・・・。
それにしても新型インフルエンザは5月に大騒ぎした時よりも、今の状況の方が遥かに危険なのだが、電車の中でマスクをしている人が、ほとんどいない状態である。これだと何処からウイルスをうつされるか判らない。でもまだまだ暑いこの時期にマスクをするとムレてくるから、出来る限り回避したい。でも危険は危険である。すでに国内は新型インフルエンザで蔓延しているといっても言い過ぎではないだろう。感染者は統計が取れなくなるほど一気に増えすぎた。もう感染者は10万人以上出ているのでは・・・・・・・。
これだけ増えるとウイルスがうつる、うつらないも運がものいう。幾ら気をつけても感染するときは感染する。でも出来る限り万全を期す。ということで暑いけどもマスクをしようかなあ・・・・・。ただし電車の中とバスの中、または人の多い繁華街に限る。社内では必要ないだろう・・・。熱があれば大人なんだし自主的に休むだろうし・・・・・そんな判りきったことを、いちいち指図する会社の方がおかしいのではないだろうか・・・・・・・。
2009.09.02 (Wed)
司馬遼太郎・・・・・『燃えよ剣』を読む
和泉守兼定が一閃するところ血の海と化す。幕末の京都でその名を轟かした新撰組副長・土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎の時代小説である。
新撰組というと人はどのようなイメージを持っているのだろうか。人斬り集団だとか、壬生の狼だとか、坂本龍馬の敵だとか、明治維新を遅らせただとか、時代遅れの成り上がり侍だとか、けして良いイメージを持ってない人は多いと思う。でもけして彼らは野卑な暴力集団ではなく、ただ幕府方の京都守護職としての任務を遂行していた素朴な連中に過ぎないのだ。そういった新撰組の中で、隊を統率するがために自ら命を張った男、それが土方歳三である。
江戸の幕末時代、武州は石田村(現・東京都日野市)で「バラガキのトシ」と呼ばれた土方歳三は薬の行商の傍ら喧嘩に明け暮れる毎日であった。歳三の家は農家ながら豊な家であったが、家伝の石田散薬という骨折、打身に効く秘薬を歳三が売り歩いていた。その一方で町々の道場に立ち寄って剣術の修行をしていたのである。やがて江戸の柳町にある天然理心流・近藤道場に頻繁に出入りするようになり、そこの師範代となる。道場主は近藤勇である。また若手の師範代として沖田総司がいた。
いわば近藤道場は江戸の数ある道場の中では三流道場で経営も苦しかった。こんな近藤道場の連中が気に入った歳三は、道場主の近藤とは兄弟のような間柄であり、ここから新撰組を組織して訣別するまで深い深い縁で結ばれるようになる。ところで、ここで新撰組結成からその終焉までを書き綴っていてはスペースがいくらあっても書ききれない。ここでは司馬遼太郎『燃えよ剣』を読んだ上で記事にしているのだから、簡単に進めるとする。
新撰組というのはご存知だと思うが、幕末の頃、京都に潜伏した過激な尊王攘夷論者や不逞浪人の取り締まりを目的に結成されたいわば治安部隊のことである。江戸幕府方の会津藩の預かりで、隊の多くは関東の農民上がりである。そもそも文久2年(1862年)、江戸幕府庄内藩の郷士・清河八郎の呼びかけに乗じて集まった浪士隊の一つが新撰組へと発展したのだが、その中心になったのが近藤勇が経営する道場・試衛館に出入りしていた連中(土方歳三、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、山南敬助、斉藤一、原田左之助)である。しかし、実働は僅か5年ほどで、次第に薩長を中心とする勢力に押され、滅び行く幕府と共に消え去る運命にあったというしかなく、それでいて、現在、こんなにテレビや映画、小説などで採り上げられるようになったのも戦後のことである。
明治維新の後、新政府がスタートしたが、新撰組は長い間、テロ集団、人斬り集団として日本史の中でアンチヒーローとして扱われてきた。それは明治政府の重鎮達は主に、長州、薩摩、土佐出身者が多く、彼らの政敵としての新撰組だったからである。だから新撰組の生き残りであった永倉新八は名を変え、北海道で細々と大正時代まで暮らしていたいう事実があり、新撰組が表舞台に出てくるようになるのは、彰義隊員の孫だった子母沢寛が小説に書いてからであろう。
さて、この『燃えよ剣』は、司馬遼太郎の想像による部分がかなり含まれていて、彼が作り上げた剣敵・七里研之助を始め情人・お雪など小説を形成する上で欠かせない脇役をいたるところで登場させているが、二人とも重要なキーパーソンとなっている。でも独特の司馬史観というのがあって、近藤勇以下、相当の思い入れがあるのか、何れも人間性が判りそうなほど、鮮明に各自の性格まで表現しきっていいる。ただどこまでが事実であったか、果たしてそのような人物であったのか、飽く迄も小説の中で表現されている人物像であるということを頭の中に入れとおかないといけないであろう。よくNHKの大河ドラマを見て、あれが真実であったかのように思われている人を時々、見受けられるが、あれはドラマの構成上、面白くするがためにある程度、作家なり脚本家なりが想像も入れて付け加えられた部分もあり、必ずしも真実であったとはいいがたい。だから司馬遼太郎あたりの歴史小説の大家ともなると、書いていることが全て、本当にあった出来事だと信じている御仁が世間には少なからずいらっしゃるので、取り敢えず口を挟んでおくことにするが、それにしても、この小説からは土方歳三の人間ぶり、男臭さがプンプンと匂ってくるではないか。新撰組というのは近藤勇が局長であることは判りきった事実なのだが、『燃えよ剣』を読んでいると、新撰組において土方歳三の持つ意味が近藤以上に大きいことに気がつく。
近藤も土方と同じ多摩の農民の出であるが、武士になりくて、出世したくて道場をたたんで新撰組となったが、その近藤を支える役目の副長である土方が、実のところ実質的に新撰組を統率していたとしたら、近藤ファンはどう思うかしれないが、出世を夢見て、幕府の幕臣の末端にまで登りつめた近藤の側で、土方は生れついての喧嘩屋である。ただ戦を求めて、京都から、江戸、さらには奥州、函館と新撰組のただ1人の生き残りとして、最後まで戦うことを選んだ。彼には出世だの世の中の情勢などどうでもよかった。
当初、試衛館道場時代の仲間と共に、新撰組として動き始め、池田屋騒動での一件から、幕府方に認められ、やがてその名が知れ渡るようになろうとも、土方歳三は最後まで土方歳三であった。いわゆる「バラガキのトシ」であった。新撰組も時代の流れに逆らえず、翻弄され、一人抜け、二人抜け、何時の間にか、土方歳三の周りには誰もいなくなった。それでも彼は、逃げず、投降せず、最後まで官軍と戦う道を選んだ。たとえ馬鹿げていると思っても、土方歳三は世界の大局なんかどうでもいい。最後まで戦を求めては死を選ぶ。函館まで戊辰戦争を戦った新撰組幹部のたった一人の生き残りが土方歳三である。江戸幕府の生き残りである函館政府の幹部達の中で、榎本武揚、荒井郁之助、大鳥圭介、永井尚志といった連中は新政府軍に投降し後年に新政府に仕えているが、土方歳三だけが戦死した。明治2年(1869年)5月11日(旧暦)、函館の一本木関門付近で、新政府軍の一斉射撃を受け、馬から転落してとうとう亡くなった。35歳という若さである。
ところで司馬遼太郎が何故、新撰組の大勢の中から土方歳三を選んで小説の主人公にしたかのか判らないが、近藤のような無骨な顔に反比例していながらも一応の接客上手、出世指向の人間ではなく、絶えず2番手の位置から、自分の意の向くままに動くよう隊の規律と統率を固めた新撰組で、己の意志をぶつけることの出来た土方歳三という人物像の方が魅力的に見えたのかもしれない。鬼の土方ともいわれ、新撰組での厳しすぎる局中法度書も土方の案によるもので、士道に背くまじきこと、局を脱することを許さずといったことが取り決めとしてあり、これらに背いた者は切腹の刑が待っていたため、新撰組を抜け出そうとした者も数知れず粛清も多く、それでいて鬼の土方であり続けた。つまり新撰組の中で、組長の近藤を立てる意味で彼は嫌われ続けなくてはならなかったのだ。
いわば妥協を許さない男・土方歳三の生き様が司馬遼太郎の目に留まったのかもしれないが、冷酷無比なように思える土方歳三を妙に人間臭く描いていて、そのことがただ一つの救いなのかもしれない。
2009.09.01 (Tue)
涼しくなったが・・・・・
それにしても涼しくなった。今年は冷夏だったといわれる。確かに昨年の今頃だと、残暑が厳しくて、とても秋を感じ取ることなど不可能だった。それと比較すると、今年も場合は紫外線のなだまだ強い昼間は暑いが、夕方にもなると心地よい風が吹くようになった。田舎の職場なので、帰宅時には最寄のJRの駅までテクテクと歩くことになる。畑や水田、ため池、集落の中と歩いていくが、都会の中と違って季節感をモロに受けることになる。草叢の脇を歩くと鈴虫が鳴いているし、かと思うとツクツクボウシが行く夏を惜しむかのように音を奏でている。赤とんぼも舞いだしたし、小川のせせらぎの音も聞こえて来る。もうまもなくするとススキも見られるかも・・・・。こういった自然と共に季節感を味わえるのは、毎日、毎日、田舎まで通っているからであって、ビル群の谷間に通いつめていると、まず体感することは出来ないだろう。有り難いことである。
でも、その季節感を味わうがために、はるばるこんなところまで毎日、通っているのかと思うと、アホらしくなってくるのでもあるが、あと何年、通い続けることになるのだろうか・・・・・。やはりう都会の便利の良さを知っている者にとっては、自然や季節感をいくら体感できるといっても、便利の悪さといった代償をずいぶん払っていると思う。つまり都会と田舎では時間の流れるスピードが違うのである。年齢を重ねると、より月日の経つのが早く感じられるようになるが、毎日、通勤で無駄な時間を歩かさせられてると考えると、その間、何かが出来るのにと思ってしまう。まあ、マイナス思考の性格なのでしょうがないが、毎日の時間の無駄が1年でどれだけの時間を浪費しているの・・・・・・残念ことだが、現実だから仕方がない。とはいっても、毎日の通勤にかける時間のロスは計り知れない。