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2008.09.29 (Mon)

バスが動かず

 今日は1日中、雨が降り続いている。今年の9月は雨が少なく残暑も厳しかったが、一昨日あたりから一気に気温が下がり、今日はしとしとと降り続く雨の影響か、何と11月中旬の気温だという。これだと着る服に困る。この前まで暑い暑いと汗をぬぐいながら歩いていたのに、今日なんか半袖では身に堪えるほどの気温の低さである。でも、だからといって上着を着ていくと、電車の中は混んでいるので人いきれでムンムンする。

 さて、朝のことであるが、何時ものように電車が職場の最寄り駅に到着して、バスに乗り換える。そして定刻にバスが出発する。だがバスは進まない。雨が降り続いているからなのかどうか車が多くて一向にバスが動かない。結局、何時もより倍の時間を要してバスが目的地に到着した。何故、雨が降っているとバスが動かないのか、その理由を考えてみたがよく判らない。私は電車の便のよいところに住んでいるので、電車を頻繁に利用するから車などにはまず乗らない。だから、そのあたりの事情がよく判らない。それで職場に行ってから、地元に住んでいる職場仲間に聞いてみると、どうやら雨が降ると、駅まで車で送る人が増えるという。なるほど、そういった事情があるのか・・・・・。このあたりは駅から離れたところに住んでいる人が多く、駅まで自転車やバイクでやってくるというが、雨が降ると事情が変り、奥方が車に乗って、主人や子供達を駅まで送ると、その折り返しで、車に乗って帰っていくという。だから車の数か一気に増えるのかなあ・・・・・・。

 こんな調子で、いつもより職場への到着が遅れてしまったのであるが、帰りは帰りでさらにいらついた。今日は帰宅時も雨がしっかりと降り続いていた。それで今日は残業もなく定時に帰れると、バス停に到着したのはいいが、10分待っても15分まってもバスがやって来ない。またまた交通停滞とやらに巻き込まれているのか、待てども待てどもバスの姿が見えないでいた。それで、私は駅まで2km余りの距離を歩こうかどうか迷っていた。雨が降っていなければ歩いただろうが、しっかりと雨は降り続いている。だからこれだけ涼しい時に雨に濡れるのも辛いなあと思案に耽っていたら、バスがようやくやって来た。それも3台連なって・・・・・・・なんてことだ。これを団子運転というのだが、バス停に集まっていた30人以上の人も、3台に分乗すればさほど混まないだろうと思ったのである。だが先客がバスの席をすべて座っていて、バスの中は混んでいた。バスが遅れているだけ、乗客が増えているのだろう。バスが動き出したが、中は混雑して暑いたらありゃしない・・・・・。

 それに雨の日特有の交通停滞に巻き込まれ、バスがさっぱり動かず。バスの前方に目をやると、乗常用者が見事に連なっているではないか。対面一車線づつの県道である。しかも駅に向うほうだけが混んでいる。それにこの付近の信号は長く、赤になると2分間は変らない。バスの中で10分、15分、20分・・・・・・・動かない動かない。いらいらする。何時もなら早いときには7分から8分で駅に到着するというのに困ったものだ。とうとう何時も乗る電車が駅に到着する時間になっても、まだ駅前には程遠いところをトロトロと走っている。これだと歩いたほうがよかったと思うが、いまさらどうしようもない。

 それで駅前の停留所に到着したのは、バスに乗ってから25分後のことであった。結局、私がバス停に到着してからだと40分かかっていることになる。だからバスでの通勤は嫌なのだ。ホント、どうにかならないだろうか・・・・・・。たった2kmほどの距離なのに、職場から駅までバスに乗って40分なんて、あまりにも時間の浪費だと思うけど・・・・・。だれか駅から職場まで、地下トンネルでも造ってくれませんか。それだと毎日、歩いて通うのだが。そのほうが時間が読める。歩いているより時間がかかるバスなんて乗りたくないものである。
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2008.09.28 (Sun)

産経賞オールカマー、神戸新聞杯

 秋の深まった感のある今日、東西で重要な産経賞オールカマーと神戸新聞杯の2つのレースが行なわれた。天皇賞目指す面々が登場した産経賞オールカマー(GⅡ・3歳以上、芝2200m、14頭)は昨年のグランプリ・ホースのマツリダゴッホが登場した。当然のように断トツの1番人気である。2番人気はエアシェイディ、3番人気はアドマイヤタイトルというだけに勝って当然のレース。中山巧者で知れ渡っているマツリダゴッホだけに負けられないレースであろう。

 スタートからシャドウゲイトが行かなかったので、キングストレイルがハナを奪った。そこへマツリダゴッホが2番手につける。中山の2200mは外回り。つまり1コーナーから4コーナーまで直線コースがあまりなくほとんどがゆるいコーナーという特殊なコース。従って前に行ったほうが有利なのは判っているが、前にいけない馬は辛いところである。それを楽々、2番手につけられるマツリダゴッホ、流石に正攻法である。3番手にエアシェイディ、その後にスクールボーイとミストラルクルーズがいてゴーウィズスウィンドが続き、その直後にシャドウゲイトがこんな位置。そしてマイネルキッツにトウショウシロッコ、う内にスウィフトカレントがいて、エリモハリアー、ブラックアルタイルが並んで追走。その後に差があってアドマイヤタイトルとコスモプロデュースが最後方の位置。1000m通過が1分01秒8と遅く、前残りの展開。800のハロン棒を通過。キングストレイル、ゴーウィズウィンド、ミストラルクルーズ、エアシェイディ、マツリダゴッホと順に固まっている。3コーナーでシャドウゲイトが一気に先頭に出てペースが上がる。直線に向いてキングストレイルシャドウケイ゛ト、マツリダゴッホと続き、内のキングストレイルがスパート。それをマツリダゴッホが追う。しかし、あと100mであっさりとマツリダゴッホが先頭に立つと。最後は抑えて勝利。

 1着マツリダゴッホ 2分12秒0、2着キングストレイル 2馬身、3着トウショウシロッコ 3/4、4着マイネルキッツ 1馬身、5着エアシェイディ 1馬身1/4。

 やはりマツリダゴッホは強かった。これで20戦9勝中、7勝が中山で挙げた勝利ということになる。残りの2勝は札幌でだから小回りの右回りが得意ということが実証された。しかし、秋の天皇賞は東京コースだけに、そこが問題になるだろう。東京でも勝つ様だと真のチャンピオン・ホースになれるのだが・・・・・・・・・・。

 曇天で雨がパラつき肌寒い阪神では菊花賞トライアルの神戸新聞杯(Jpn-Ⅱ・3歳、芝2400m、18頭)が行なわれた。1番人気はダービー馬ディープスカイ、2番人気はこの夏の上り馬オウケンブルースリ、3番人気はダービー3着のブラックシェル、4番人気はダービー2着のスマイルジャック、5番人気はヤマニンキングリーだった。

 阪神の外回り2400mコース。つまりダービーの右回りと思えばいい。ゆったりとしたスタートからミツキーチアフルが先頭に立つ。2番手にスマイルジャック、3番手にロードアリエス、4番手にヒルノラディアン、5番手に外からメイショウクオリア、内にヤマニンリュパン、その後にモントクリスエスがいて、そしてディープスカイである。ダービーの時よりも前に位置している。その後にヤマニンキングリー、さらにスエズ、ブラックシェル、エイシンブイダンスが続き、後方集団はフローテーション、ハンターキリシマ、ナムラクレセントにオウケンブルースリ、ベンチャーナイン、アインクラスといった展開である。スタートから12.9---11.1---12.3---12.5---12.2---12.4と遅く、1000m通過が1分01秒3、1200m通過が1分13秒7。スローペースで淡々として3コーナーから4コーナーへかかろうとする。ディープスカイはじんわりと5番手の外に上がってくる。さあ直線コース。先頭にミッキーチアフル、追うスマイルジャック、ロードアリエス、その外からディープスカイ。あと200m、ディープスカイが迫る。あと150m、ディープスカイが先頭に立つ。そして、ブラックシェルが追い上げてくる。そらに外からオウケンブルースリがやって来る。でもディープスカイは、これらを退けて勝利した。

 1着ディープスカイ 2分25秒3、2着ブラックシェル クビ、3着オウケンブルースリ 1/2、4着ベンチャーナイン 1馬身3/4、5着ロードアリエス クビ。

 ディープスカイは安定した勝ち方だったが、はたして菊花賞に行くのか、それとも天皇賞に行くのか・・・・・・・。両方出るという手もあるが、これは無理か・・・・・・。ところで最大の上り馬オウケンブルースリは強い競馬を披露した。メンバー中、最速の上がりタイム34秒5で、後方集団から追い上げてきた。この馬は菊花賞でも人気するだろう。あとはこのメンバーにマイネルチャールズ、ダイワワイルドボア等のセントライト組みが加わりそうだが、どうも菊花賞も小粒になりそうだ。
EDIT  |  17:45  |  競馬(国内レース)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.28 (Sun)

ポール・ニューマン死去

 ポール・ニューマンが亡くなった。一昨日の26日に癌で亡くなったという。今から2ヶ月ほど前に遡るが、ニューヨークのウェイル・コーネル・メディカル・センターから出てきたポール・ニューマンの姿を写した写真を見て愕然としたものだ。車椅子に力なく座っている老人こそ、かのポール・ニューマンそのものだったからである。痩せこけて皺がよった姿を見ていると痛々しくて、かつてスクリーン狭しと躍動した彼の面影は何処にも無かったからである。おそらく癌の病状が末期的にまで進行していたのだろう。余命は数週間と言われていてポール・ニューマンも自ら「死にたい」と漏らしていたという。

 ポール・ニューマンというと我々の年代にとっては、ハリウッド映画そのものだった。最初に観たのはテレビの映画劇場で放映されていた『傷だらけの栄光』(1956年)だった。かつて実在した名ボクサー、ロッキー・グラジアノの伝記映画であるが、それをポール・ニューマンが見事に演じきって、俳優としての名声を確立した作品となった。でも私にとってはその頃のポール・ニューマンはあまり知らない。『ハスラー』(1961年)というビリヤードで食っている男ファースト・エディ(これも実在の男)を演じた名作もあるが、映画館で観たポール・ニューマンの最初の作品はジョージ・ケネディと共演した『暴力脱獄』(1967年)だった。翌年には自ら監督した『レーチェル・レーチェル』というのもあった。そして、1969年のアカデミー作品賞にノミネートされた『明日に向かって撃て!』という西部劇で、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスと出演し評判を呼んだ。ちょうどアメリカン・ニューシネマ・ブームの真っ只中で、時代こそアメリカの西部開拓時代の話だが、内容は立派なアメリカン・ニューシネマの青春映画であった。この頃のポール・ニューマンは脂が乗り切っていたのか、次から次へと名作、大作への出演が相次ぎ、アカデミー賞作品賞に輝いた『スティング』(1973年)で、またまたロバート・レッドフォードと組み、見事に詐欺師を演じている。その翌年にはスティーヴ・マックイーンと共演したことで話題となった大作『タワーリング・インフェルノ』も忘れられない。

 でもポール・ニューマンは演技派俳優として誉れ高かったが、アカデミー賞主演男優賞を受賞したこともなく(ノミネートは7回に及ぶ)、私生活で反戦運動に積極的に参加したり、ル・マン24時間耐久レースに出場したりするから、アカデミー会員は彼を嫌っているのかとも揶揄されたりしたが、1986年の作品『ハスラー2』でようやくアカデミー主演男優賞を受賞することになり、この時ポール・ニューマンは60歳を出ていて、彼の俳優人生においては晩年に差し掛かっていたから皮肉なものである。俳優としては全盛期に賞をもらえず、やや演技が枯れだした頃に賞に輝くなんていうのは、いかにもポール・ニューマンらしいところである。

 ポール・ニューマンは1925年にオハイオ州クリーヴランドの裕福にユダヤ人家庭に生まれた。要所の頃から児童演劇団に入るが当初は演技に興味を示さず、高校を出て暫くはセールスの仕事を行なっていたが、大学に進み第二次世界大戦を挟んで、卒業と同時に演劇の世界に身を投じることとなる。エール大学に進み、そこでの演技が認められ、1952年アクターズ・スタジオに入る。この頃、アクターズ・スタジオにはジェームズ・ディーン、マーロン・ブランドも在籍したという。

 こうして俳優の道を進み、当初は第二のマーロン・ブランドと称されたこともあるが、その後、マーロン・ブランドとは違った味を出し、アメリカ映画界の一時代を築く俳優となる。近年は作品こそ減ったが、やはり僅かな出演場面でも存在感があって、長年の映画界を背負って立った風格を偲ばせる。なお1958年に結婚した女優のジョアン・ウッドワードとは50年連れ添った仲だという。今時のハリウッドでは考えられないが、これもポール・ニューマンらしい実直さが現れているだろう。享年83歳、ご冥福をお祈りいたします。

 『ハスラー』のファイナル・ゲーム。


 『明日に向かって撃て!』のシーン集。ビリー・J・トーマスの唄う挿入曲『雨に濡れても』の曲に乗って・・・・・。


 『スティング』の名シーン集。


EDIT  |  09:56  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.27 (Sat)

またまた残業で・・・・・

 またまた更新が3日ぶりになってしまった。一昨日、仕事を終えて帰ろうとしたら、突然のように超勤だといわれた。何の連絡もなくいきなり言われて仕方なく仕事を続けたが案の定、帰宅が遅れてしまい更新が出来なくなってしまった。仕事上、帰宅が遅くなるのはやむを得ないが、何の連絡もなく超勤をやってもらうのが当然のように思われているのが癪に障る。そもそも昔から気に入らない会社だが、仕事が出来ない、やらない不良分子が矢鱈と多い会社であることは否めない。こちらは精根尽きるまで必死になって働いているのに、仕事でミスを連発する連中が多いのには呆れ果てる。毎度、毎度、同じようなミスをやらかしておいて、よくぞ平然としていられるものだ。したがって連中が毎度、同様のミスばかりを繰り返すおかげで、こちらは仕事上、彼らの超勤のお付き合いをしなければならない。まあなんとも理不尽な話ではある。こんな会社に長らく奉仕している私もおめでたい人間だと思うが、高学歴でいて、役職も立派なのに仕事も出来ず、気も配れない。それに口では10人前の御託を並べ、毎度、ミスをしては何の反省もない連中がわんさか居る。それでいて一部上場の大企業の従業員だとプライドだけは高いし、給料だけは人並み以上に貰っているから始末が悪い。正直言ってお前等は、年収300万以下の派遣社員よりも仕事が出来てないではないか・・・・・・。

 なんやら書きたくなかったが、あまり毎度、毎度、同様の内容で超勤を強いられるので、いい加減に頭にきたから、ブログの意図から外れた内容を書いてしまった。しかし、世の中、ふんぞり返っている連中に限って、ロクな奴がおりませんなあ・・・・・・。もっと身を粉にして働けと言いたい。
EDIT  |  07:07  |  その他  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2008.09.24 (Wed)

内閣なんかどうでもいい、それよりも・・・・・

 なんだか麻生太郎新内閣が発足したという。どちらかというと赤がかかっている小生から見ると自民党や公明党の息のかかっている内閣なんて、ひとつも期待していないのでどうでもいい。顔ぶれを見ても小物ばかりで、期待度0というところである。はたしてこの面々で何時まで続くことやら、それにしても2世、3世大臣ばかりで、困ったものである。政治というのは祭り事というが、これほど世襲制が顕著に現れると代を重ねるごとに胡散臭くなる。新しい血を入れて活性化させたいものだが、地方選挙区がある限り2世、3世議員は必ず当選してしまう。それは選挙に必要な地盤、看板、鞄という三要素を彼らは持ち合わせているからである。たとえ能力が無かろうとも当選してくるのだから、困ったものである。

 今回、首相に選出された麻生太郎だって吉田茂の孫(母方)だし、母方の曾祖父・牧野伸顕は明治維新の立役者の一人、大久保利通の息子ということを考えれば、彼だって政治家一族である。才能があれば政治家の息子が政治家になってもいいが、かならずしもそうではないだろう。それほどの器ではなくとも親が政治家というだけで、その息子までが政治家になる。実力が見えない世界だけに彼らはぬくぬくと2世、3世議員としていられるだけなのだが・・・・・・。

 今回、麻生内閣の顔ぶれを見て笑ってしまった。何と小渕優子が特命担当大臣として少子化対策担当に任命された。34歳で入閣し戦後最年少だという。本当に人材難なのか・・・・・・・。彼女は親父の小渕恵三が2000年5月に急逝したとき、急遽、群馬5区から立候補し、圧倒的の票数で当選してから、まだ僅か8年にしかならない。そりゃ、若いから思い切っったことは出来るだろうが、それほどの実力があるのだろうか・・・・。昨年の9月に子供を出産したはがりの母親だからということで、少子化担当に任命されたというのなら、お笑いである。彼女こそ、親の七光りで、それこそ地盤、看板、鞄がなければ、ただの人だった筈である。所詮、日本の政治レベルというのはこの程度なのである。またそれを選ぶ選挙民、つまり日本国民の民度というのも、この程度なのである。だから今回の麻生内閣には、何の期待もしておりません。それよりも私が気になるのは、三井住友銀行がアメリカ証券首位のゴールドマン・サックスに、2000億円規模の出資をする方向にあるということと、三菱UFJフィナンシャル・グループがモルガン・スタンレーに9000億円の出資をし、さらに野村ホールディングスが波状したリーマン・ブラザースのアジア太平洋、欧州・中東部門の買収を決めたということ。これで日本の金融機関の存在感が高まるなんて書いてある新聞もあるが、本当に大丈夫だろうか・・・・・。世界大恐慌の前触れだという専門家もいるぐらいだから、もっと慎重にことを運んで欲しいとは思うが・・・・・。

 今から80年以上前、大正時代の日本は大正デモクラシーを謳歌し、景気が良かったが、1923年9月1日の関東大震災で未曾有の被害を出し、1927年には金融恐慌が起きて銀行が軒並み潰れていった。この頃に有名な鈴木商店が倒産したのである。そして2年後の1929年11月、金解禁が決議され実行された。だがその直前の10月にニューヨークで株の大暴落が起こり、世界大恐慌へと突き進んでいったのである。結局、時の浜口雄幸首相、井上準之助大蔵大臣が、あいついで凶弾に倒れてしまう。彼らは見事に政策を誤ったというが、誰も彼らを攻められないだろう・・・・・。つまり政治と経済とは直接的には関係が無いように思えて、実は密接な関係があるもので、何の策もとらなかったり、あまり愚策ばかりを労していても困りものだから、優れた先見の目が必要となる。新内閣、何の期待もしていない内閣だが、舵取りだけは誤ってもらっては困る。

 1929年の世界大恐慌から日本は、やがて東アジア侵攻へと突き進み、気がつけば全面戦争へと突入してしまったのだから・・・・・・・・。何だか昨年夏のサブプライムローン崩れの金融危機が起きてからは、アメリカはすっかりおかしくなってしまった。このままだとアメリカと共倒れということにはならないだろうなあとは思うが、一寸先は闇だ。私は何かきな臭いものを感じるのだが・・・・。将来がどうなることやら、もう、早く死にたいわ!
EDIT  |  21:03  |  時事  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2008.09.23 (Tue)

仕事の帰りに・・・・・

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 久しぶりに仕事の帰り居酒屋へ行った。総勢7名でビールを中ジョッキで何杯飲んだかわからない。私は若かった20代の一時期は、それこそ毎日のように飲み歩いていたものである。居酒屋、立ち飲み屋、割烹は勿論のこと、スナック、バー、ラウンジ等、よくあんなに行ったものだと呆れ返るが、ああいった無駄金も時間の浪費も人生の糧になると考えて、人に誘われるなり、また仲間が居ない時は一人でも酒場をうろついていた。或る時は帰りの電車がなくなり、店を出たものの知らぬ間に、どこかの店の軒下で朝まで酔いつぶれて寝ていたことがある。またあるときは、気がつけばスナックのママのマンションの部屋で寝ていたとか・・・・・・・。まあ、若気のいたりで随分と無茶をしたものである。

 ところが30代に入ってからは、皆目、飲みに行かなくなった。飽きたというのか、或る日、つまらないと思うようになってしまった。こうなると足が酒場から遠ざかってしまい、すっかり酒に弱くなってしまう。でも肝臓にはいいので、昔、肝臓が悲鳴をあげているといわれ、一時期、酒を断っていた時期もある。結局はその行いが幸いして、肝臓の機能を回復させることが出来たのか、最近は、そこそこ飲むことは飲む。でも、ほとんどは家に帰って、焼酎をロックかお湯割で飲む程度で、まったく仕事の帰りに飲みに行かなくなった。

 したがって昨日の晩は、何ヶ月ぶりかしらないが、久々に良く飲んだ。私自身、生ビールを中ジョッキで何杯飲んだのか覚えていない。最低でも5杯は飲んでいるだろう。その間に、チューハイをジョッキで飲んでいるし・・・・。でもビールぐらいでは、何杯飲んでも酔わないので、知らぬ間に体中がビール漬けのような感覚に陥ってしまう。その間、焼き鳥、餃子、大根の煮込み、串揚げ・・・・・何を食べたかあまり覚えてないが、とにかく久々に良く飲んで、帰宅は・・・・・・・・湖国の駅前にある某居酒屋チェーン店で飲んで、そこから帰るので帰宅がすっかり遅くなってしまった。だから更新は朝になってしまったのである。
EDIT  |  07:40  |  食・飲  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.21 (Sun)

セントライト記念、ローズS

 今日の中山競馬、阪神競馬はそれぞれ悪天候の中、菊花賞トライアルのセントライト記念、秋華賞トライアルのローズSが行なわれた。

 中山のセントライト記念(Jpn-Ⅱ・3歳、芝2200m、18頭)はマイネルチャールズが出てきて注目されるがやはり1番人気である。2番人気にクリスタルウイング、3番人気がキングスエンブレムであった。でもマイネルチャールズは8月の札幌記念で古馬に混ざって出走したが、勝ち馬のタスカータソルテから6馬身離された6着で、好位置から伸びなかった。3歳馬の強豪がこんなにだらしなくていいのかなあとは思うが・・・・・。

 馬場はやや重、雨が降っているようである。スタートからネオスピリッツ、シルクマンハッタン、マイネルチャールズが先行する感じで1コーナーを回るが、中団の最内にいたリノーンリーズンが脚を折ったのか外側にふられる様に転倒した。そのせいで後方に居いた数頭があおりをくらってフジヤマラムセスが落馬。他の何頭かがバラけてしまった。いきなりのアクシデントであったが、前にいる各馬は順調。ネオスピリッツ、シルクマンハッタン、マイネルチャールズの順で、クリスタルウイング、キングスエンブレム、ノットアローン、ダイワワイルドボア、キングオブカルト、そしてフサイチアソート、タケミカヅチ、ナリタダイコク、ダイバーシティ、コンベンションと続くが、この後に差があってロードニュースターがいて、カラ馬のフジヤマラムセスが続き、また差があってドットコム、アイティトップが最後方。3コーナーから4コーナーでマイネルチャールズが動く。先頭のネオスピリッツに並び掛ける。それをマークするようにノットアローンが追い通しで迫ってくる。

 直線に入る。先頭にマイネルチャールズ、それを追うノットアローン、この2頭の争いが、2頭で競り合う。その外からダイワワイルドボアが迫る勢い。最後は前の2頭をかわしダイワワイルドボアが勝った。

 1着ダイワワイルドボア 2分14秒6、2着マイネルチャールズ 1/2、3着ノットアローン ハナ、4着ダイバーシティ 1/2、5着ナリタダイコク 1馬身1/2。

 阪神競馬場ではローズS(Jpn-Ⅱ・3歳牝馬、芝1800m、18頭)が重馬場で行なわれた。1番人気は桜花賞馬のレジネッタ、2番人気はオークス馬のトールポピー、3番人気は重巧者のメイショウベルーガだった。

 スタートするがトールポピーの出が良くない。長いバックストレート。エアパスカルが行く。ダイワスピリットが2番手。その後にジョーイロンデルとブラックエンブレム、内からブライティアカペラ、その外にオディール、ハートオブクィーン、トラストパープル、そしてトールポピーとレジネッタのクラシック・ホース2頭が行く。そらにメイショウベルーガ、オグリオトメ、ローズカットダイヤ、メイショウアサガオが続き、その外にマイネレーツェルとムーデインディゴ、少し離れてウォーターリメインという展開でゆったりした3コーナーから4コーナーにかかる。いよいよ直線コース。エアパスカルが逃げる。あと200mまで頑張る。インコースからトールポピーが来るが、まだ4番手から5番手。そして外からレジネッタ、マイネレーツェル、ムードインディゴが競るように伸びてくる。やはり内より外の方が伸びがいいのか、トールポピーは苦戦している。あっという間にレジネッタ、マイネレーツェル、ムードインディゴの3頭が抜け出して。3頭で競るが真ん中のマイネレーツェルが僅かに出たか・・・・・。

 1着マイネレーツェル 1分47秒3、2着ムードインディゴ ハナ、3着レジネッタ クビ、4着オディール 2馬身1/2、5着メイョウベルーガ 1/2。

 2番人気のトールポピーは6着であった。来週は菊花賞トライアルの神戸新聞杯だ・・・・。
EDIT  |  17:30  |  競馬(国内レース)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.20 (Sat)

朝日放送旧社屋の解体が始まった

 大阪の大淀にある朝日放送の旧社屋の解体が始まった。今年の6月22日で放送業務が終了し、その後、福島区堂島川沿いの新社屋に移転したことにより、旧社屋が解体されることになった。

 朝日放送とっいっても全国的には馴染みが無い放送局かもしれないが、同系列のテレビ朝日とは別会社である。でも朝日放送という名前はテレビ朝日誕生以前からの名前で、今では全国各地にある○○朝日放送とは違って、唯一、地名のつかない朝日放送である。別名ではABCともABC朝日放送ともいう。

 ところで何故に放送局が解体されるからといって記事にしたかというと、この放送局は我々にとっては実に馴染み深い放送局だったからである。

 そもそも朝日放送は1951年11月11日、大阪中之島の朝日会館(朝日新聞大阪本社の中にあった)内に設けられたラジオ局である。それが1959年6月1日、大阪テレビ放送と合併し、テレビ、ラジオ両方を放送するようになる。そして、この頃に『いとはんと丁稚どん』、ミヤコ蝶々、南都雄二の『夫婦善哉』、『てなもんや三度笠』等の放送で人気を博し、1966年6月1日に現在取り壊し中の旧大淀社屋に移転したのである。

 だから私は、朝日放送というと、この大淀時代の社屋しかしらないが、まあよく行ったものである。スタジオ見学にも行ったが、この社屋の中にABCホールがあり、ここでの試写会に何度か行った覚えがある。またこのホールでは当時の人気番組、『スチャラカ社員』『てなもんや三度笠』『新婚さんいらっしゃい』『プロポーズ大作戦』『探偵ナイト・スクープ』等の生放送、収録がなされた。だから私にとっても、関西の人にとっても馴染み深い放送局であったということになる。

 そういった訳で、大淀の朝日放送付近を探索してみた。

 旧社屋は人っ子一人居ない。すでに塀が設けられ中には立ち入れない。いよいよ取り壊しが始まるようだ。
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 朝日放送旧社屋の全体。
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 社屋の向こう側にある鉄塔は大阪タワーと言って、朝日放送専用の電波塔である。1966年に朝日放送が、この地に移転してきた時、同時に建てられた。高さは160m。かつては一般の人も展望台に上がれたが、1997年に立ち入り禁止となった。大阪の塔というと通天閣が歴史といい知名度といい優るが、高さではこちらの方が優っている。でも、この鉄塔も社屋同様に取り壊される。
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 一方、こちらの建物は旧ホテル・プラザ。1969年に建てられ、翌年の大阪万国博では外国人客が多数宿泊した高級ホテルであった。運営は朝日放送の関連会社であるが、1990年代に入り、付近に
阪急インターナショナル・ホテル、ウェスティン・ホテル、ザ・リッツ・カールトン・ホテルと次々にオープンし、ホテル・プラザは老朽化と共に客足が途絶え、1999年3月末で閉鎖された。その結果、このホテルも同様に壊されることになった。
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 この建物はザ・シンフォニー・ホールであり、1982年秋にオープンした、日本初のクラシック・コンサート専用ホールである。そもそも朝日放送創立30周年記念事業の一環として建築され、運営も朝日放送が行なっている。

 キャパシティは1704人と手頃で、日本初のアリーナ形式のホール。ステージの後ろにはパイプ・オルガンが設置してあり、ステージを囲むように客席が並んでいる。このホールの誕生後、全国にコンサート専用ホールが建設されるようになるなど、この手のホール建築ラッシュの先駆けとなった。残響2秒に拘っていたのか、響きは豊であるが、マーラーのような大編成の交響曲を演奏するとやや騒々しくなる。でも音質が豊潤で柔らかく演奏者にも評判がよいホールである。だから当然のように、朝日放送が移転しても、このホールだけは残されることが決まっている。
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 ザ・シンフォニー・ホールの南側にある公園から写す。ザ・シンフォニー・ホールの背景には取り壊されるホテル・プラザと大阪タワーが望めるが、この眺めも見納めか・・・・・・・・・。
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 テレビ局が壊されて、その跡地には何が建てられるのか私は知らない。いずれ時代の流れに沿って、風景は変るだろうが、テレビ黄金時代を知る人には忘れられない場所となるかもしれない。今の光景を記憶に留めて、私は現場をあとにした。

 『てなもんや三度笠』の映像。

EDIT  |  17:56  |  近場散策  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.18 (Thu)

エミール・ゾラの『居酒屋』を読む

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 エミール・ゾラの『居酒屋』という作品は、それ自体が長編の小説なのであるが、『ルーゴン・マッカール叢書』の中の第7巻にしか過ぎない。つまりルーゴン家、マッカール家の2家族における血統と環境の問題をテーマにして、これら家族に派生する登場人物を労働者、農民、商人、ブルジョワ等の社会における階層に配置して、彼らの生活を性格、行動の類型性を通して描きあげよとうとした叢書なのである。ゾラはこうした文学的立場を自然主義と名付け、その科学的、理性的性格を強調しようとしたのである。

 『ルーゴン・マッカール叢書』は、バルザック『人間喜劇』に影響を受けたゾラが、一つの家族を中心として、その強力な遺伝的因子をになった5代に及ぶ人物を各作品に廃止て、様々な環境におかれたそれらの人物がどのような行動をするかを実験し、試みることによって、現代の人間とその社会という奇怪な化け物じみた巨大な謎をあばこうとした物語である。

 すなわちルーゴン・マッカール家系の第1代のアデライード・フークが、ルーゴンとマッカールという2人の男性との間に生まれた3人の子供達と、その子孫たちの話が中心となり、第1『ルーゴン家の運命』から第20巻の『医師パスカル』まで、25年かけてゾラが書き綴った作品群なのである。だから『
居酒屋』だけを取り上げても、その作品像は僅かしか垣間見ることが出来ないだろうが、全20巻の中で最も読まれているのが『居酒屋』ということになるのだろう・・・・・。

 ジェルヴェーズとランチエは、2人の子供を連れパリにやって来た。だがランチエは女遊びを覚え他の女と蒸発してしまう。夫の仕打ちに耐えてジェルヴェーズは子供のために洗濯女として懸命に働く。その姿に感心したブリキ職人クーポーは、ジェルヴェーズに結婚を申し込む。当初は断っていたジェルヴェーズも熱意に折れ、2人は結婚し、いくらか貯蓄が出来る。

 2人は蓄えで洗濯屋を開きたいと考えるが仕事中に屋根から落ちたクーポーが大怪我をしてしまい蓄えは治療費に消えてしまう。これを知った隣人のグジェは、彼女の夢を叶えようと回転費用の援助を申し入れ念願の洗濯屋を開く。店は繁昌していくが、怪我以来、酒癖のついたクーポーは店の稼ぎを酒代につぎ込んでしまう。さらには逃げたはずのランチエまでが店に入り込んでしまいジェルヴェーズも、この男の誘惑に負けよりを戻してしまう。

 こうして2人の男との放縦な生活を始めたジェルヴェーズは、徐々に勤勉さを忘れてしまい、後は転がり落ちるように酒に溺れていく。

 『ルーゴン・マッカール叢書』の主要人物の職業は大臣、官使、代議士、医師、新聞記者、実業家、牧師、画家、技師、炭鉱夫、鉄道員、女優、売春婦、豚肉屋、兵士、百姓と様々であるが、この『居酒屋』の場合は、どうみても労働者階級を描いていて、当時の書評は「労働者階層の悲惨を描いていて、労働者階層を卑しめ中傷するものだ」とさんざんであった。でも当時、スキャンダルとして評された小説も、現代では文芸の思想の中心テーマであるから面白い。まさに19世紀においての実験小説として書かれたのである。20巻の中の1巻にしか過ぎない小説だが、結局、『居酒屋』だけが、今現代でも読まれるのは、今の小説のテーマと合致するということなのだろうか・・・・・・・・・・。こうして『居酒屋』は書かれ、次の物語『ナナ』へと続くことになる。
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2008.09.17 (Wed)

ブログ開設一周年

 本日でブログ開設からちょうど1年になりました。最初は1年持つだろうかと懸念していましたが、どうにかこうにか書き続けてきました。でもその間、色々とありまして、突如としてブログが消えてしまったりして当惑したことを思い出します。それはFC2側のサーバーが不調で、そのような事態に陥ったのですが、そのせいで記事に貼り付けた写真が消えてしまいました。そのときにはバックアップをしていればよかったのにと後悔しましたが後の祭りです。でもいずれ消え去るブログですから、何らかの妨害があれば、次こそはブログが消滅するでしょう。

 まあ1年間、飽きもせず気ままに300余のブログを書いてきましたが、生来の皮肉屋だからあまり読んでいて気持ちの良いブログを書いたつもりはありません。だから読んでいて立腹された方も多数いらっしゃると思います。そのせいでブログをやめろとコメントに書かれたこともあります。しかし、そんなことを言われたぐらいではやめません。反対意見はあって当然ですから、このようなコメントは歓迎するのですが、困ったことはアダルト・サイトをコメントのところに貼り付けてくる者がいるということです。どういうつもりかしらないけれど、こんな愚行を度々、繰り返してきます。よほどの暇人なのでしょう。まあ、相手にはしませんが・・・・・・。

 さて、1年書いてきましたが、当ブログは私にとっては2度目のブログになります。昨年の9月にこのブログを始めたのですが、その前に一度だけ9ヶ月書いていたブログを事情により閉鎖しました。
それは一人の男の書き込みにより、中断を余儀なくされました。だから今後も、このブログが続いているかは判りません。誰かの嫌がらせがあれば閉鎖せざるを得ないでしょう。つまりこのブログが続くか続かないかは神のみぞ知るところであります。

 ・・・・・・・・ということで、2年目に向けて、当ブログをよろしくお願い申し上げます。
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2008.09.15 (Mon)

朝日チャレンジC

 敬老の日の今日、変則開催となったが阪神で競馬が開催され、重賞の朝日チャレンジC(GⅢ・3歳以上、芝2000m、13頭)が行なわれた。

 このレースは昔から秋シーズンの開幕を飾るレースとして行なわれている。そういえば1970年の同レースで秋緒戦のタニノームーティエが、大差ドンジリ負けを喫するというショッキングなことがあった。またその3年後には、タニノムーティエの弟タニノチカラが復活の狼煙を上げたレースとしても記憶にある。

 今年はそんな中、13頭が出走してきたが1番人気はドリームジャーニー、2番人気はニルヴァーナ、3番人気はキャプテンベガ、4番人気はトーホウアラン、5番人気はアドマイヤメインであった。

 レースはニルヴァーナが平均ペースで逃げて、それをトーホウアランが追い、中団からキャプテンベガ、後方の3番手からドリームジャーニーが追走する展開であった。直線に入ってもニルヴァーナは逃げ粘り、そこへトーホウアランとキャプテンガベガがかわそうとするところを外から一気にドリームジャーニーが差しきって、小倉記念に続いて重賞を連勝した。これによりドリームジャーニーは秋の古馬戦線で有力馬の1頭に数えられるようになった。

 また海外の話であるが、14日にフランスのロンシャンで凱旋門賞に繋がる重要なレース2つが行なわれた。まずニエユ賞(GⅡ・3歳、2400m、7頭)はフランス・ダービー馬のヴィジョンデタ(Vision d'Etat)が勝ち、ヴェルメイユ賞(GⅠ・3歳、4歳牝馬、2400m)はフランス・オークス馬のザルカヴァ(Zarkava)が勝った。共に6戦6勝で凱旋門賞の有力馬の1頭ということになる。

 あと英ダービー馬のニューアプローチ(New Approach)に、今年に入ってキング・ジョージを含めGⅠ5連勝中の4歳馬デュークオブマーマレード(Duke of Marmalade)等も参戦してくるとなると、今年の凱旋門賞はメイショウサムソンにとって、たいへん厳しい戦いとなりそうである。
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2008.09.14 (Sun)

第232回セントレジャーS

 9月13日(日本時間は深夜)にイングランド中部にあるドンカスター競馬場で第232回セントレジャーS(GⅠ・3歳、14F132yd、14頭)が行なわれた。

 セントレジャーSというと、3歳クラシック・レース3冠レースの最後に行なわれる長距離レースで日本で言うところの菊花賞に相当するというよりも、菊花賞がセントレジャーを規範にしているので、さぞや盛り上がるレースかと勘違いしそうだが、今や風前の灯といわれるセントレジャーS。距離が約2937mと長いので、3歳の有力どころはほとんど回避してしまい、10月の凱旋門賞に出走する。そのため最近はあまりメンバーが揃わないレースとして固定化している。でも今年はオークス馬のルックヒア(Look Here)やアイルランド・ダービーを勝ったフローズンファイヤー(Frozen Fire)が出走してきたので注目された。

 1番人気はやはりフローズンファイヤーで、2番人気はルックヒアであったが、勝ったのは4番人気のランフランコ・デットーリ騎乗のコンデュイ(Conduit)であった。結果は次の通り。

 1着 Conduit 3分07秒92、2着 Unsung Heroine 3馬身、3着 Look Here 3馬身1/4、4着 HIdu Kush 5馬身、5着 Enroller クビ。なお1番人気のFrozen Fireは7着に沈んだ。

 勝ったConduitは8戦4勝で、GⅠレースは初勝利。父がDalakhani(Mill Reef系)で母がWell Head(母の父Sadler's Wells)という血統。
 
EDIT  |  09:22  |  競馬(海外レース)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.12 (Fri)

秋競馬が始まる

 いよいよ明日から秋競馬が始まる。JRA(日本中央競馬会)にはシーズン・オフは無いのだけれど、この7月、8月の間の2ヶ月間はサマー・シーズンと言って夏のローカル競馬開催となる。したがってこの間、GⅠレースは当然のことながら、一線級はほとんどが休養に入るので、さほどメンバーが揃うはずもなく、競馬に対しては最も興味が失せる時期でもある。それで退屈な2ヶ月を乗り越えて、いよいよ明日から競馬の秋シーズンが始まろうとしている。

 夏の間のローカル開催から中山、阪神での開催となり、これから秋のGⅠシーズンが待ち受けているのである。ただ、今年の場合はこれといって注目すべき話題もなく、いくらか寂しい秋競馬ではある。そんな中で最初に興味が注がれるのは、10月の初頭に行なわれる凱旋門賞だろうか。

 今年はメイショウサムソンが勇躍出走の構えであり、既にフランス入りして順調に調教も進められている模様である。ただ9月14日のフォワ賞(GⅡ・4歳以上、2400m、ロンシャン)をステップレースに使う予定だったのに、結局、出走を見合わせてしまい凱旋門賞をぶっつけで臨まなければならなくなった。私はフォワ賞で好成績を挙げれば本番も面白いと考えていたが、いきなり凱旋門賞をステップレースなしで使うとなると、残念ながら勝ち目は無いと思っているので、ややがっかりしているのだが・・・・・・・・・。はっきり言ってメイショウサムソンはディープインパクトほどの期待は出来ないだろう。5着に入れば大善戦だと思う。惨敗でも仕方がない。ただメイショウサムソンの血統がヨーロッパ主流の血統だというのが唯一の強みではあるが、大きな期待は出来ないなあ・・・・・。

 次にカジノドライヴがアメリカのブリダーズCへ参戦という予定もあるが、どうだろうか・・・・。この馬は故障が多く、ベルモントSも直前になって出走を取り消してしまった。だからブリダーズC挑戦のプランもあるといっても、ゲートが開くまで信用できないところがある。まあ、あまり期待せずに待っておこう。

 それから牝馬のウオッカが今年の秋の成績次第では来年、長期にわたる海外遠征するかもしれないというが、これもあまり実現しそうも無いので頭の片隅に置いておこうと思う。

 ここまで海外へ遠征しようとする馬の話題ばかり出したが、国内に目を向けてみる。でもやはりあまり話題は無い・・・・・・。秋競馬で3歳牡馬はどれだけ強くなったのか・・・・・・。古馬はどの馬が強いのか・・・・・。そして、12月28日の有馬記念まで、今年の後半戦の競馬が延々と続く。さあ、頭をひねって予想をして、馬券を握り締めて、パアッーとウサを晴らそうか・・・・・・・・。
EDIT  |  20:40  |  競馬(雑感)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.09.11 (Thu)

2008大阪クラシック

 この前の7日の日曜日から今週末の13日土曜日にかけて、~御堂筋にあふれる音楽~2008大阪クラシックという催しが行なわれている。今年で3回目ということで、この催しもどうやら定着しそうな見通しなのである。

 7日間の期間中、御堂筋の16会場と大淀のザ・シンフォニー・ホールを含めた17会場で大阪フィルのメンバーを中心にして、各会場で演奏会が繰り広げられている。7日間で計65公演。一部有料もあるが、無料の会場が多く、興味深い演奏曲目が目白押しである。

 バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ドヴォルザーク、スメタナ、フランク、ボッケリーニ、マスネー、ブラームス、ワーグナー、サラサーテ、グリーグ、コダーイ、レスピーギ、バルトーク、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー、ドップラー等・・・・・・プログラムはクラシック音楽の作曲者の有名曲が網羅されているが、その中にビートルズの曲も含まれている。

 プロデュースは大フィルの音楽監督である大植英次ということで、各会場とも賑わっているようである。残念ながら私は、ますます大阪から職場が遠のいてしまったので、行くことも出来ないが、日頃からクラシック音楽なんて聴くことの無い人は、一度足を運んでみては如何とは思う・・・・。好き嫌いは別にして、日頃、聴くことも無いジャンルの音楽というのは新鮮ではあるから、案外、目から鱗が取れるということがあるかもしれない。とはいうものの、昨年の今頃、これと同じような内容の記事をブログに書いてみたら、ある男に毒づかれてしまったことを思い出す。

 彼がいうには、クラシック音楽は体制派音楽で保守的音楽だから聴かないという。まあ、聴く聴かないは各自の勝手だが、クラシック音楽が保守的音楽で体制派音楽というのは、明らかに間違っている。彼は音楽史というものを勉強したことがないのだろう。今の音楽しか聴いてない耳で語るなら、クラシックは保守的であり、体制派といえるかもしれない。でもクラシック音楽と一言で言ってもバロックあり、古典派あり、ロマン派あり、現代音楽ありで、時代から言うとヴィヴァルディ、バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、ワーグナー・・・・・・マーラー、プロコフィエフと17世紀から20世紀という長い間にわたっての全てを含めてクラシック音楽と読んでいるのだから、それら全てを一概に体制派音楽と決め付ける彼の暴論にはあきれてしまって、反論する気すら起こらなかったが、ここまでくると詭弁としか言いようがない。まあこういった変わり者は無視していうならば、クラシック音楽というのは癒しの効果が大きくて、電気音楽に無いアコースティックの魅力がある。

 それも昔の人が丹精籠めて、五線譜に音符を書き綴り、曲が出来上がったのである。今のようにリズム中心で、ビートが小刻みに動く音楽ばかりを聴き慣れている人にとっては、確かに古臭く思うかもしれないが、メロディの宝庫であることに間違いは無い。正直なところ、20世紀のポップスはクラシック音楽からのメロディをどれだけパクッているか、ここではいちいち説明しないが、星の数ほどありそうで・・・・・・パクりという言い方が悪ければ引用とでも言っておこう。ポップスの曲でヒットしたメロディーの原曲はクラシック音楽であったというのは、幾らでもあることで、20世紀の多くの作曲家が超えられない壁がバッハやモーツァルトとだけ言っておこう。ポール・マッカートニーでさえもヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと比較すると、小物に見える。だからクラシック音楽は偉大なのである。
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2008.09.10 (Wed)

ぼやきもほどほどに・・・・・

 ブログの更新も3日ぶりである。・・・・もっと頻繁に更新を試みたいのだが、このところ帰宅が遅くなってしまい、どうしてもパソコンの前に座ることができない。これも遠距離通勤の定めかもしれないが、とにかく疲れます・・・・・・。

 考えてみれば今年の春までは自宅のある京都から大阪市内へ阪急電車で通っていたというのに、今ではJRで湖国の田園地帯までチンタラチンタラと通う羽目になってしまったではないか。また職場が駅から近ければいいが、そこから路線バスで20分以上乗らないと着かないので、通勤時間も半端じゃない。こんなこと、もう三ヶ月以上繰り返しているが、最近は疲れがひどく電車の中では眠ってばかり、帰りの電車に乗るのもいいが、9時を過ぎるとかなり空席が目立つ。そこへ腰掛けてときどき車窓に映る自分の顔を眺めていると、なんだか虚しくなってくる。あと何年働けばいいのだろうか・・・・・。

 こんな調子だから毎日、早く帰宅できるわけではなく、残業が入ると帰宅も当然のように遅くなる。したがってブログの更新も滞ってしまう。それにブログをやめてもいいのだが、もうまもなく当ブログ開始から1年になろうとしているので、せっかくここまで続けてきたのだから、簡単にやめてしまうのも馬鹿らしい、せめて3年は続けたいとは思うが、だんだんと書く時間が削られているような気がする。

 でも読んでいる人は少なくとも、更新ペースは落ちようとも、惰性で書き続けようとは思う。しかし、何のため書いているのだろうかと自問自答するときがある。・・・・・・・よくわからないが、結局はただ意味もなく、世の中に対して皮肉を言うのが好きなだけだという結論に達したのである。つまり嫌われる性格の持ち主だということになる。・・・・ホント、自分で自分がイヤになる。
EDIT  |  21:02  |  その他  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2008.09.07 (Sun)

尾崎紅葉の『金色夜叉』を読む

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 尾崎紅葉が今から100年以上前に書いた小説である。1897年~1902年に読売新聞に連載され、後年に『新小説』に新続編を発表するが、続編は未完に終わっている。

 そういえば熱海の海岸に昔から貫一と宮の像があって、明治時代に如何に人気のあった小説であったということの証明にもなるが、『不如帰(ほととぎす)』『婦系図』等と共に新派劇の古典となり、さらには映画、流行歌等によっていっそう有名になった小説であろう。・・・・・といっても最近は『金色夜叉』という題名さえも知る人は少なくなった。とにかく古い小説であり、また読みづらくておそらく今の若者が敬遠する小説の一つかもしれない。

 父母に早く死別して間貫一は鴫沢隆三の家に養われ、そこの娘である鴫沢宮と許婚の間柄であった。が、美貌の宮をカルタ会で見そめた銀行家の息子・富山唯継は宮に求婚し、結局、宮は富沢と結婚することとなった。その償いとして鴫沢家の両親は貫一を将来洋行させようといった。でも納得のいかない貫一は不本意ととらえ、熱海の海岸で宮の本心を確認しようとした。ところが宮はの心はすっかり富山に傾いていることを知る。貫一はその場で絶縁を告げ、泣きすがる宮を蹴倒し行方をくらました。以来、貫一は高利貸しの手代と成り金銭の鬼と化した。貫一は同業の赤樫満枝に慕われていたが動じずすつかり冷酷な人間に変っていた。一方、富山と結婚した宮は夫と愛しえない。何時しか悔恨の宮から貫一の元に詫び状が届く。だが貫一は開封しようともしない。しかし、或る日、また届いた手紙をふと開けてみると、死を願う哀れな宮の現状が記されてあった・・・・・・・。

 明治30年代の話である。その頃のエリート中のエリートであった一高生・間貫一は、身寄りがなくて鴫沢家に養われて同居していたが、そこの娘である宮と許婚の関係になった。今ではあまり聞かれない話であるが、今から100年前にはよくあった話である。ちょうど日清戦争から日露戦争の間の頃で、ブルジョワ階級の台頭を背景に、金と愛の争いを描いたスケールの大きい小説なのだが、和漢混淆、雅俗折衷のこった文学で同時代の夏目漱石の小説と比較しても読みにくい文体である。

 ~未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず~  

 こんな書き出しで始まるが慣れてないと読み辛い。だから現在では読む人もあまりいないのかもしれないが、明治文学を代表する小説であることに異論はない。エリートの中のエリートである間貫一が何故、許婚裏切られたというだけで、ここまで人間が豹変してしまうのだろうか・・・・・。鴫沢宮は美貌であったがため、経済的な理由で男性の従属物であった明治期の女性の男性へ対抗する唯一の武器を備えていた。たとえ学士という当時の超エリートで将来は保証されていた身にせよ、経済的に不安定な貫一よりも銀行家のという富豪の富山へ宮の心は移っていったが、心中、貫一を思う心は残っていて、やがて富山の冷酷さにあってなおさら貫一へひかれていくか、すっかり貫一は報復の鬼と化していた。しかし、時代は違えども小説の題材としては今でもありがちな話でストーリーで通俗小説の域を出ることは出来なかったようだ。ただ尾崎紅葉が完成の途中で亡くなってしまい、当時の読者は話の完結を知ることが出来ず残念な思いであったことは想像できる。だが、もしかして完結を知ってしまえば、案外つまらない結末であったということも予想できるので、話は未完で終わった方が良かったのかもしれない。

 最後に熱海の海岸で貫一が宮に絶縁状を叩きつけるところがある。その時の貫一の台詞は余りにも有名なので、その部分を抜粋してこの記事を終えるとしよう。

「ああ、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜かぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるものも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜・・・・・・十年後の今月今夜・・・・・・一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも忘れんよ! 可いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・・・・月が・・・・・・月が・・・・・・曇ったらば、宮さんは何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ」

 しかし、阪神間の人にとって1月17日は、別の意味で忘れられないが・・・・・・(阪神淡路大震災の日である)
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2008.09.06 (Sat)

モディリアーニ展に行く

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モディリアーニ展

 今、大阪・中之島の国立国際美術館で催されているモディリアーニ展に行った。暑さがぶり返し、テクテクと中之島の会場まで歩くが、陽射しは強烈。またまた30℃突破の真夏日となったが、こんな日にアスファルト・ジャングルのようなところを歩くとたまらない。ただでさえ、国立国際美術館は交通の便の悪いところにある。最寄の駅となると地下鉄の肥後橋駅かJR東西線の新福島駅だろうが、どちらからも徒歩で10分以上はかかる。10分以上というと1㎞弱はあるから、炎天下に歩くとけっこうつらいものがある。でもこの催しは来週で終わってしまうから、しかたなく今日行ったまでだ。でも真夏に美術展なんてあまり気乗りはしない。それでブラブラと堂島川沿いを歩いて、会場まで行ったが、人がそこそこ来ているではないか。やはり人気画家の一人ではあるなあと妙に感心する。

 1階のエントランスを通ってエスカレーターで地下1階に行き、そこでチケットを買い、地下3階の展示会場まで降りて行く。

 モディリアーニというと、私が高校の頃、定期入れにモディリアーニの人物画を入れている女の子がいた。やはりその頃から、一部の人に人気があったのだ。彼の描く人物画というものは、一目瞭然で誰が見てもすぐに判る。アーモンド型をした黒目の無い眼。長い首と長い顔。あまりにも特徴的である。こういった画風は何処から影響を受けてこのような絵画に到達したのだろうかと、昔はよく想像したものだが、彼の原点にはプリミティヴィズムにあるといわれる。つまりアフリカやオセアニア、東南アジアにあるような原始美術の影響を色濃く受けているという。

 アメデオ・クレメンテ・モディリアーニは1884年にイタリアはトスカーナ地方の町リヴォルで生まれ、21歳の時にパリに来ている。両親はユダヤ人で当初は彫刻家を目指していたのだ。それが画家に転じ、色々と模索している中でカリアティッドというものに出会う。ここからモディリアーニ風の絵が生まれてくるのであるが、他のエコール・ド・パリ派の画家と同様、なかなか世に出てこれるものではなかった。そんな時、彼は有力なパトロンて出会う。それがポール・アレクサンドルである。アレクサンドルは医師で美術愛好家だったが、モディリアーニの作品に最初に関心を持った人として知られ、暫くの間モディリアーニのパトロンであった。このようにしてモディリアーニが世に出てくるようになるのだが、自身が35歳という年齢で亡くなったのは至極残念である。

 ところで今回の展覧会は、モディリアーニといっても油彩は20数点に過ぎず、大部分が裸婦を描いた鉛筆のデッサンで構成されている。展示順序としてはモディリアーニがプリミティヴィズムの発見からパリに到着して、ポール・アレクサンドルと出会うまでと、実験的段階への移行、カリアティッドの人物像及び前衛画家の道へ進もうとしていた。

 その後、モディリアーニはカリアティッドからの変遷を余儀なくされ、仮面を描いていたりして何かを模索している中、トーテム風の肖像画を描き出す。でも志半ば、35歳の時にモディリアーニは結核性髄膜炎に罹り、まもなく死亡した。でも長い顔と長い首、一色に塗られた細い目が印象的なモディリアーニの絵は、徐々に人気が出たようである。それはそれまでのヨーロッパに無かったカリアティッドとして熟し、一際人気を博した。

 このようにモディリアーニは、西洋美術だけではない地域の影響を作品に色濃く残し、それでいて古典的肖像画との統合等、新しい試みを絵に反映させていった。結局、それがモディリアーニ独自の画風を生み、エコール・ド・パリの一派として彼の名は知れ渡ることになったのだろう・・・・・。結局、モディリアーニの展覧会に行ったものの、あまり印象に残ることもなく、私は淡々と観て周り、早めに会場出てしまった。でも油彩画は400点しか描いてないモディリアーニでも、まだ日本に来ていない絵は無数にあるのだろうなあ・・・・・。
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2008.09.04 (Thu)

新学期になって感じたこと・・・・・

 9月に入ってから通勤時に高校生が大勢乗ってくるようになった。ずいぶんと賑やかである。私が通勤で通う沿線には高校が多いのだろう。色々な制服の高校がある。私もこんな時代があったのだと思い出さずに入られないが、今時は詰め襟学生服やセーラー服の学校が減ったようで、女子の制服もチェック模様のスカートが増えたように思う。

 聞く所によるとこの頃は子供少子化の影響で、何処の学校も生徒の確保に必死で、ことに私立は経営努力を怠ると生徒が集まらないので、あの手この手で生徒集めに躍起になっている。だから可愛らしい制服を売りにするところもあるという。また女子高、男子校が共学化に踏み切ったり、大学の併設校、付属校になったりして、指をくわえていては高校といえども経営難に陥るので、とにかくアピールするものを訴えていかなくてはいけない時代になっているようだ。

 そういえば私が高校の頃は、中学を出て全員が高校に進むというのでもなかったから、いまほど高校が到る所にあるわけではなかった。なのに進学率が上がるにつれ、新設の高校が乱立したように思う。特に私が高校を卒業した頃あたりから、知らぬ間に聞いた事のない高校があちらこちらに建っていた(主に公立の新設高校)。そこで疑問に思ったことであるが、団塊の世代を筆頭にして、年々、子供の数が減っていき、団塊ジュニア世代ではやや増えたものの、50年というスパンで見ると生徒数は減少しているのに、高校の数は増えていく。私は今から20年以上前に、将来の高校は定員割れするところが確実に増えてくると思っていたが、やはり現実問題としてその傾向は現れているようだ。だが私立高校は簡単に潰すわけには行かないので、進学率を高めたりして生徒を確保しようとするが、公立高校は県や府や市の補助金で運営されているので、高校を簡単に改革するわけにもいかず、やむなく生徒減少から廃校や統合に追い込まれているところも目立ち始めている。

 中学時代の知り合いで、大阪に引っ越した友人の母校(公立高校)は、数年前、出身高校が廃校して別の高校と統合され名前が変わったという。それで母校が無くなるということほど寂しいものはないと言っていた。まさにその通りである・・・・・。

 現実問題として、これからますます少子化が進むと、この学校の統廃合はますます進むだろうし、生徒の集まり易い名門校以外は、存続の危機すらある。だから大学にも同じことが言えてしまう。いよいよ大学全入時代に突入するという。つまり高校を卒業した者は、選り好みさえしなければ全員大学に入れる時代になったという。でも当然、学力無い者でも入れるのだから、当たり前のように学問についていけない学生もでる。こうなれば大学生と言っても何の価値もない・・・・・・・・。だから大学に入るのも、ブランド名のある大学に進むことにみんな必死になる。結局は競争激化で、相変わらずの受験地獄なのである。ある意味で、今の子供は可愛そうに思う。

 昔のように兄弟が多く、3人兄弟、4人兄弟、5人兄弟など珍しくなく、ほとんどの家は貧乏という時代だったら、兄弟全員が高校に進むことは無かった。兄弟の中で学力優秀な者だけが上の学校に進み、残りの兄弟は中学を出て働いた。だから中学出だからといって何も恥じることは無かった。だが、今のように子供が少ないと、親は子供に過渡の期待をかける。それこそ小さい時から習い事をさせ、家庭教師をつけ、進学塾に通わせる。そして進学校、高偏差値の学校に行かせようとする。これでは子供は可愛そうだなあと思うが、親心だと言って子供には金をつぎ込んで出来る限りの教育を積まそうとする。

 このように子供が少なくなると、目が行届きすぎてこのような現象が起こるのだろうが、全員が全員、優秀な学校に行けるのではないし、その中では当たり前のように過激な競争社会が生じるのだ。結局、総高学歴社会になったとしても、上下の差は出来てしまうのだから、今も昔もなんらかわらない。それなら人間らしい少年時代を送らせた方が全人教育のためにはいいだろうにとは思うけど、親心としては、自分の子供だけは出来る限りの高学歴をつませたいのだろう。

 それでこのところ、電車に乗ってくる女子高生のグループの話を聞いていて、感じたことであるが、最近の高校では英語検定、漢字検定、数学検定を実施していて、生徒達は躍起になって英語検定2級や準2級を目指すのだそうな。中には中学ですでに準2級の資格がある子がいるという。そこへ漢字検定2級だとか、数学検定準1級、2級・・・・・・。これらの資格を得るとメリットがあるという。それでいて授業は7時間授業に8時間授業の日もあるという。私立だと土曜日も授業だし、早朝の講習もあるという。そこへ塾に行く子や予備校にいく子・・・・・・ああ、ほんとうに今の子供は忙しそうだ。私は30年以上前の高校生でよかったなあと、彼女達の会話を聞いて、ホッとしたのである。
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2008.09.02 (Tue)

日本丸は沈没寸前

 とうとう9月に入った。でも暑さがぶり返してきて、湿気が漂っていて不快な日がこのところ続いている。でもそのことと福田康夫首相が突然退陣したことと関係はないだろう。昨年の首相就任から約1年、またも短命の首相に終わってしまった。

 そういえば8月1日に内閣改造に踏み切ったばかりで、それから僅か1ヶ月。まったく突然の辞任である。ところがその辞任を決断した理由というのが妙である。
「新しい布陣のもとに政策の実現を図っていかなければならないと判断し、辞任を決断した」
「今が政治空白を作らない一番いい時期と判断した。臨時国会が順調にいくためには、私がやるより、ほかの方がやっていた方がよりよくなるのではないか」だとさ・・・・・・・。

 つまり首相になってはみたものの、あまりにも重責で荷が重いと感じたのだろうか、自分はそれほどの器ではないと、ここにきてそのような思いに辿り着いたのだろうか・・・・・・。そんなこと最初から判っている。あんたは当初から、一国の宰相というような人材でないことは判っていたが、それにしても酷い。前任の安倍といい、福田といい、2世、3世の首相はやはり頼りない。思えば昨年7月の参議院選挙から、ねじれ国会を経て、福田首相が舵取りをする日本丸はまったく進路が見えなくなった。

 だが政権を投げ出したとか身勝手だとか世間は袋叩きに福田首相を罵るが、私は何もいう気はない。首相就任時から何の期待もしていなかったし、何時まで持つかと皮肉っぽい目で観察していたので何の驚きも無い。そういえば福田康夫首相の顔を見て、私の母は昼行灯みたいな人と言ったのを思い出す。巧いこと言うなあと感心したが、老人に昼行灯と言われるようでは実力の限界が見えている。ここらでやめどきかも・・・・・・・。でも元禄の時代に昼行灯といわれた凡庸な家老・大石内蔵助が、赤穂浅野家のお家断絶以降は昼行灯の評価を覆す、名家老振りを発揮したのとは大違いで、最後まで昼行灯にしか過ぎなかった福田康夫首相である。まあ期待はしていなかったが、これから日本丸は船頭を失ったわけだから、暫くは荒波の中を彷徨わなくてはならないのだ。ただでさえ、ポンコツ船日本丸の行く手には、障害が多すぎるというのに、もう船頭は嫌だといって、舵取りをやめてしまっては、船は何処へ向うか判らない。無責任だとは言わないが、日本丸の乗員・乗客の命を預かっていると思うぐらいの男気が欲しかった。この調子だと、いよいよ日本丸は沈没か・・・・・・・。このままだと凡庸な首相たちによって、水面下に没してしまい、浮上しない潜水艦になってしまいそうである。

 いっそのこと自民党は政権から手を引きますか・・・・・・・・・・。それも一考かも・・・・・・・。
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