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2016.08.28 (Sun)

猛暑の中の一息

 昨日、今日とようやく猛暑が収まった。台風の影響なのか何なのか判らないけど、ホッと一息つける気温である。といっても摂氏30℃くらいなのだがそこからの5℃、6℃というと大きく違う。ことに夜が違ってくる。日中に36℃、37℃が日常化してくると夜中でも28℃、29℃の熱帯夜になる。ここが違うのである。要するに熱帯夜かそうでないかで違ってくる。つまり寝苦しいかそうでないか、そこが大きく違う。
 熱帯夜というのはとにかく堪える。昼間の暑さの疲れをを睡眠で回復させよと寝床に付くがまったく眠れない。暑くて暑くて寝られやしない。汗が滲み出てくるのだ。結局、睡眠で疲れをとろうとするものの寝れなくて、疲れが残ったまま翌日に行動を起こす。すると疲れが溜まって次第に疲労が蓄積し夏バテを起こす。全くいいことがない。今年のように記録的な暑さは(年々暑くなっている気がするが)ちょと参る。今年、大阪は観測史上最も暑い8月だったと言うが京都も似たようなもの。いずれにせよ小生の近辺ではさっぱりまとまった雨が降らなかった。これにより連日の猛暑が続き、これが身体に堪えたのである。今年は珍しく北海道に3回も台風が上陸したと言うから、何か気圧配置がおかしいのだろう。また新たに台風がUターンして日本列島へ向かっている。これあも東日本へ上陸の可能性が強いという。どうも東日本で台風被害等、雨が降り続き、関西はさっぱり雨が降らなくて記録的な猛暑が続いていたということか。どちらも勘弁してくれといいたいが、こればかりは神頼みということか。
 さて、昨日、今日と久々に凌げる気温だったが、このまま涼しくなると言うのでもない。また残暑がぶり返してくるのは決まっている。なにしろまだ8月も終ってないのだから・・・・。取り敢えず10月の声を聞くまでは秋風は吹かないのでしょうね。
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2016.08.21 (Sun)

陸上男子400mリレー

 オリンピック中継をほとんど観てないと言っているが陸上と水泳だけは観る。特に陸上は観る。小生は日本人が出てくるか出てこないか関係なく観ている。ほとんどの人は日本人が活躍できる種目を中心に観るだろうし、テレビもそのような中継をする。なので変わったオリンピックの観戦方法かもしれない。でも正直、オリンピックの中にはどうでもいい競技が増えすぎて、なんでこんなのがオリンピックの競技に入ったの(失礼)と言えるような競技もある。まあ事情は色々とあるが、オリンピックで最大のメイン競技と言えば誰がどう考えても陸上だろ。陸上競技というのは人間が生きていくのに必要な歩く、走る、跳ぶ、投げるという基本的な動作が競技になっている。つまり世界中の人間が行っている生活の延長線上にある中から生まれた競技と言えるだろう。だから競技人口は1番多く、身体能力が1番問われる競技と言えるだろう。あともう一つは水泳で、これは水の上の陸上競技みたいなもの。要するにオリンピックなんて陸上、水泳以外は人類の歴史上、発展する過程において生まれてきた競技といえるであろう。
 つまり、ただ速く走る。遠くに跳ぶ。高く跳ぶ。遠くへ投げる。この単純な動作の中で極限に臨んでいる人類の姿を観るのが好きなのである。でも陸上だけは小手先の器用さはつうようしない。身体能力が最も必要な競技である。それだけに筋力、体格といったものがどうしても劣る日本人は活躍できないでいる。以前は持久力が必要なマラソンがある程度の成績が残せたのだが、これもアフリカの高地民族(エチオピア、ケニヤ)が本格的に競技に参加するようになり、もう日本人にはほど遠いレベルにまで達してしまった。するともう日本人が陸上でメダルを獲るなんて絶対に無理と思われていた。
 さて、そんな中で昨日の午前、土曜日なので家にいて陸上を観ていた。すると日本の男子が陸上の400mリレーでなんと銀メダル。これには驚いた。一昨日、予選2位で決勝に進出していたのでそこそこいけるだろうとは思っていたが、ジャマイカはウサイン・ボルトが抜けていたし、アメリカも決勝では最強メンバーを揃えてくるだろうしと考えながら観ていた。するとバトンパスが見事で、第三走者・桐生からアンカー・ケンブリッジにバトンが渡ったときはトップだった。最後はジャマイカがウサイン・ボルトだったので引き離されたが、アメリカ、カナダの追撃を押さえて2位でゴールイン。これには観ていて驚愕、驚喜、もう形容のしようがない。日本の陸上史上画期的な出来事であるといってもいい。日本は同種目で北京オリンピックでも銅メダルを獲っているが、あのときはアメリカを始め数カ国が失格となり日本が繰り上がって銅メダルに輝いた。謂わば棚からぼた餅で貰ったものなので、今回のように堂々と2位でゴールインして銀に輝いたのとは価値が違う。それも37秒60と記録も立派。ケチの付けようがない。日本が陸上のトラック競技で銀メダルを獲ったのは、なんと1928年のアムステルダム・オリンピックの人見絹枝以来史上2回目で88年ぶりのことである。このことだけでいかに凄いことかと言うことが判明するが、当時とは短距離に向いている速筋に優れた黒人の参加が比べられないほど増えている中での銀メダル。だから賞賛されて良いのである。それも今回の日本チームは9秒台の選手がいない。100mのファイナリストもいないのに銀メダル。普通、10秒00×4で40秒。なのに日本チームは37秒60。いかにバトンパスの時に減速せずにバトンをミスなく渡せるか。これが全てだっただろう。アメリカなどは何時もバトンミスをして失格になったり、順位を落としたりしているが、チームプレーが悪く個々の能力に頼りすぎているのだろう。要するに陸上の短距離というのは黒人の壁が厚すぎて、日本人の持って生まれた身体能力ではとても及ばないが、そこをバトンパスという技術でカバーして見事に銀メダルを獲得した。小さくて筋力で劣っても工夫で克服したという典型な例であろう。久しぶりに陸上を観ていて良い気分になった。
 この話とは関係ないけど近所にケンブリッジ飛鳥の中学の先輩だという人がいて(ケンブリッジ飛鳥は大阪の淀川中学で陸上を始めた)、自慢していたが、ただ先輩というだけだろ。いったい何10年先輩なのだ。
 ところで陸上競技を観ながら記事を書いていたら、今、男子5000mでイギリスのファラーが2大会連続で5000,10000の長距離2冠を達成した。これはモントリオールの時のラッセ・ビレン(フィンランド)以来のことであるが、ラッセ・ビレンという懐かしい名前を久々に聞いたな。顎髭を生やしモントリオールの時は初めてのマラソンにも出て5位になった選手である。いやはや今大会は色々とエピソードが多い。



モントリオール・オリンピック5000m ラッセ・ビレン まだアフリカ勢が活躍する前だった

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2016.08.19 (Fri)

卓球にバドミントンに・・・・

 リオデジャネイロ・オリンピックをほとんど観てないのだが、テレビをつければ必ずニュースで採り上げるので、つい観てしまう。卓球が男女共に団体でメダル。バドミントンの女子はダブルスで金メダル。シングルスで銅メダル。卓球の男子は初のオリンピックでメダルを獲得。バドミントンは男女含めて金メダルは史上初。とはいえ、かつてどちらの競技も日本は世界一強かったといえば嘘! と若い人は思うかもしれないな。
 でも日本が強かったというのは小生が10代の頃の話であって、どちらの競技もオリンピックの正式競技ではなかったものである。卓球がオリンピックの競技に加わるのは1988年のソウル大会からで、バドミントンは1992年のバルセロナ・オリンピックからオリンピックの競技として追加された。つまりどちらも新参の競技で、皮肉にも日本が弱くなってからオリンピックの競技に採用されたのである。若い人からしたらバルセロナもソウルも古いオリンピックだという認識があるかもしれないが、小生のような年齢になると最近のオリンピックだなと考えてしまう。でも、もう20年以上前のオリンピックになってしまったのだな。
 結果としてどちらの競技もオリンピックに採用されたときは、中国が圧倒的に強くて、次に韓国。そしてアジア各国が続いて強いという中で、日本はかつての輝きを失っていた時代だったのである。すると日本はそれ以前、どれほど強かったかと言うことになるが、卓球は世界選手権というものがあって1950年代から60年代に男女共強かった。男子シングルスは1952年~69年の間で優勝7回、男子ダブルスは優勝4回。女子シングルスは優勝7回。女子ダブルスは4回。それが、その後は振るわず、国挙げて強化している中国の圧倒的強さの前に苦杯をなめるようになり、さらにエリート選手を国挙げて育成するようになった韓国にも後塵を拝するようになりメダルがますます遠くなっていた。
 バドミントンもかつては強かった。特に女子のバドミントン。バドミントンは世界選手権というものが行われるようになったのが遅くて1977年である。でもこの頃、日本のバドミントンは以前ほどの強さはすでになかった。すると日本のバドミントンは何時強かったのかというと、世界選手権がなかった時代である。でもここで疑問が生じるであろう。世界選手権がないのに何故、日本が強いって判るのかということだが・・・・・・。つまりテニスと一緒で世界選手がないかわりにウィンブルドンがあるように、バドミントンは全英オープン及びトマス杯、ユーバー杯というものが事実上の世界一決定戦だったのである。トマス杯は男子の国別対抗でありユーバー杯は女子の国別対抗ということになるから、個人戦となると全英オープンの優勝者の方が判りやすいだろうと思うので、全英オープンでの優勝者を記すとする。ちなみにバドミントンというのは戦前はイギリスが強く、戦後はデンマークが台頭する。その後にアメリカの時代になり、1960年代後半に日本の女子が強くなったのである。まず1967年に高木紀子が準優勝。1969年は湯木博恵が優勝、準優勝が高木紀子。1970年は竹中悦子が優勝。1971年はダブルスで湯木、高木組が優勝。1972年は中山紀子(旧姓高木)が優勝、湯木博恵が準優勝。ダブルスは相沢マチ子、竹中悦子組が優勝。1973年はダブルスで相沢、竹中組が連覇。74年、75年に湯木がシングルスで連覇。75年ダブルスで再び相沢、竹中組が優勝。しかし、1977年に世界選手権が始まると中国が台頭。日本は卓球と同じように、その後アジア各国が強くなり、やがて取り残されるようになったのである。
 しかしここに来て、ようやく復活の兆しが見えてきたようで、これも強化が実っている結果かもしれないが、それでいても国挙げての強化というのでもない。今でも企業、スポーツ・クラブ。あとは学校の部活頼みというのが現実である。
 今回、15歳の伊藤美誠という子が卓球の団体メンバーに加わって銅メダルを獲ったが、この子なんかは卓球の私塾から出てきた子である。母親が小さい頃から卓球をさせたというのは福原愛、石川佳純にもいえるが、伊藤美誠という子は英才教育で精神も鍛えられ心臓に毛がはえてそうである。静岡出身だが中学から大阪の中学に転校したらしい。でも中学や高校の部活の卓球部には属さず、関西卓球アカデミーというエリート選手を育成する私塾で鍛えているというから最近は選手育成も様々である。でもいずれにせよ日本の復活はなんか嬉しいと言うより以前に懐かしさがこみ上げてきた。
 ところで卓球を観ていて思ったのだが、最近はペンホルダーを使う人がいないのだなと思った。かつて日本や中国の選手はほとんどがペンホルダーで前陣速攻の卓球だった。それに対しヨーロッパの選手がシェークハンドでカットマンが多かった。でも今は中国人も日本人もシェークハンドを使い且つ速攻をする。時代を経て卓球もすっかり変わってしまった。もう小生の知っている時代とは何もかも違う。スポーツは絶えず進化し続けるんだなと納得した思いである。

高校時代の高橋・松友ペア

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2016.08.16 (Tue)

やっと盆が終った

 京都では今日、恒例の五山送り火が行われ盆が終ったなと実感するが、残暑が厳しくてすっかりへばっている。今年は梅雨も雨が降らなくて、梅雨が明けても連日の猛暑。もう参ったとしかいいようがない。どこか涼しいところへ避暑をしに行きたいものだが、金もないし暇もない。夜も連日の熱帯夜で寝苦しくて寝苦しくて、夜中に目が覚めるし眠りも浅い。この盆の間、墓参りに行ったが炎天下の山の上。行きたくなかったがこればかりは行かないわけに行かない。特に姉の子供二人がわざわざ仕事の合間をぬって東京から戻ってきたのに、墓参りが嫌だとは言えないししょうがない。
 久しぶりに会うなり、姪が京都は本当に暑いと愚痴を言っていた。東京は猛暑日があっても3日と続かなく、雨がそこそこ降るので冷却作用が働くのか30℃を切る日も出て来るという。こんな日はほっと一息つけるが、京都はまず35℃以下の日なんてほとんどない。連日連夜、炎暑、酷暑、熱暑、激暑・・・・もう形容のしようがない。また雨がさっぱり降らないのである。京阪神でも雷雨が時々あるのだが、不思議と我が家の近辺だけは雨も降らない。一昨日の夕方に空が暗くなり雷が鳴り出したのでいよいよ激しい雨が降るかと思ったら、お湿り程度。このときの雨で甲子園の高校野球は1時間半の中断を余儀なくされたらしい。つまり雷鳴は西の方角だったんだな。昨日も空が暗くなってぽつぽつと雨が降り出したと思ったら、直ぐに青空が戻ってしまい、その後にモワーとした暑さがやってきた。
 取り敢えず8月もようやく後半に入った。でも9月に入っても残暑は厳しいから、あと1ヶ月は堪え忍ばないといけないのだろうが、その前に水害が起こらない程度のしっかりした雨が一度でも降ってくれないかなと思う。
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2016.08.10 (Wed)

競泳男子4×200m

 オリンピックにあまり関心はないが、陸上と水泳だけは今でも観ることが多い。そんな中でリオのオリンピック水泳男子800mリレー、実に52年ぶりとなる銅メダルを獲得したと聞いて驚いた。一人200mを4人で繋ぐ800mリレーは日本人が苦手とする自由形の選手を4人揃えないと勝てない種目であり、その種目で銅メダルながら獲ったいう。
 そこで52年前のことを突然思い出した。小生が小学生の時の東京オリンピックで日本の水泳はまったく振るわず、アメリカのドン・ショランダーを中心とするティーン・エイジャーに押されまくり、日本期待の山中毅や田中聡子もメダルが獲れず、かつての水泳王国日本がメダル0という危機感が漂っていた。そんな中で水泳の最終種目が行われたのである。
 スタートからアメリカは強く段々と2位以下を引き離していく。アメリカの金は確実。2位も統一ドイツ(東西ドイツが一つの国として出ていた)がほぼ確実となった。問題は3位争いである。3位以下は大接戦。その3位争いに日本が加わっていた。日本は福井、岩崎、庄司と繋ぎ、いよいよアンカーにメダルが託されることとなった。アンカーは岡部。飛び込んで懸命に泳ぐ。さて、そのときの民放のアナウンサーの実況を思い出さずにはいられない。当時は東京オリンピックを中継するに辺り、NHKとは別に民放はアナウンサーを全国から選抜して実況を担当していた。そのときに800mリレーを中継したのが、関西テレビの松本暢章アナウンサーである(ちなみに陸上男子100mを実況したのが高校野球でお馴染みの朝日放送・植草貞夫アナウンサー)。かつて「前畑頑張れ」で有名になった河西アナウンサーがいるが、このときの実況も興奮していて、一日本人としての完全な応援実況となっていた。「アンカーは岡部」「750mをターンした。頑張れ岡部」「1位、2位はどうでもいい。日本頑張れ。日本頑張れ」「日本は3位。銅メダル」
 子供ながら随分と興奮した実況であると感じつつテレビの前で小生も応援していたものである。
 つまり水泳日本といわれた日本が水泳で低迷し始めた頃の中で得たたった一つのメダルだったのである。当時8分03秒8。優勝したアメリカは7分52秒1。今回の同種目、日本のタイムは7分03秒50。52年間で日本は1分記録を縮めたことになる。アメリカは7分00秒66。戦前、戦後間もなくは日本の自由形は世界でも際立って強かったが、その後の、アメリカ、オーストラリア等の科学的トレーニングとティーン・エイジャーの強化育成が上手くいき、その後、欧米諸国が続き、相変わらず根性論中心の練習方がまかり通っていた日本の競泳は世界から取り残されるようになり、もう自由形でメダルを獲るのは無理かなと諦めていた中で突然の復活。やはり水泳はなんだかんだ言っても自由形が強くないと世界で伍して戦えない。これを機にまた自由形が復活してくれればいいのだが容易ではないだろう。自由形こそ大きな西洋人が強く、厚い壁となっているので厳しいといえば厳しいが・・・・・・。
 ところで、この松本アナウンサーは、この実況から一ヶ月後には京都競馬場で「シンザンの三冠馬達成です」と戦後初の競争馬クラシック三冠を達成したシンザンが勝った菊花賞を実況しているのである。さらに三年後の阪神大賞典でキーストン骨折落馬。山本騎手との抱擁。この涙の実況をしたアナウンサーでもある。
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2016.08.06 (Sat)

リオデジャネイロ五輪とやら

 朝から暑くて早朝に目覚めた。それにしても暑い。昨日はとうとう京都は37℃を記録した。これから盆までが1番暑いのかな。まあ土曜日と言うことで朝からのんびりしていたので、ニュースでも見るかと思ってテレビの電源を入れた。すると番組変更があってリオ五輪の開会式を生中継していた。あーあと思いながら流れでつい観てしまった。オリンピックは好きではないので観る気もなかったのだが・・・。そうか、こんな時間に開会式を行うのか。ブラジルとの時差がちょうど12時間なので日本時間の夜中にやっていると思ったのだが、今は夜に開会式をやるようになったんだな。昔は昼間に整然とした行進をするのが開会式というものだったが、いつの間にかショウ化され今は夜に開会式が持ってこられ、選手がカメラを持って写真を撮りながら笑顔で楽しみながら列もばらばらに行進している。時代も変わったものである。それに国名を表記したプレートを持つ人がいなくて、デコレーションした三輪自転車に国名表示板を取り付けてオフィシャルが自転車に乗って選手団を先導するという形式。これは面白い演出だ。だんだんとオリンピックも常套的な演出はやらなくなったな。開会式の中にも社会的メッセージを演出の中にくわえなくてはいけないし、歌あり踊りあり。まさにエンタティンメントであり国際的な祭典だ。それと今回、思ったことだが、開会式を行うのは陸上競技場ではなくかの巨大サッカー場マラカナン・スタジアムだったということ。それでいて陸上競技場はアベランジェ・スタジアムという元FIFAの会長の名を冠した新たな物を建造したと言うから贅沢な話である。それとは関係ないが200ヶ国以上が入場するとなると時間がかかりすぎて見ている方が疲れてくるな。小生は途中でテレビを切ってしまった。
 ところで最近は選手入場までの間のショウが長い。ここで演舞や歌等の演出が行われるが、前回のロンドンではポール・マッカートニーが出てきてHey Judeを熱唱したのに驚いた。今回はアントニオ・カルロス・ジョビンの孫が出てきて『イパネマの娘』を歌った。さすがボサノヴァの国だ。でも考えてみたら、世界的に知られた音楽がある国って良いね。四年後の東京って誰が出て来るんだろう・・・・。そう考えたらちょっと日本は寂しいな。世界的に知られたものといったら歌舞伎、アニメといったところだろうが、音楽家というと坂本龍一、久石譲といった辺りになるのだろうか。でも世界的に知られたエンターティナーがいない。AKB48やジャニーズ系ではとてもじゃないが、ちょっと世界に出せるほどの芸がない。敢えていうならば海外で人気が出ているBABYMETALかX-JAPANぐらいだが、彼女たちは4年後もBABYMETALとして活動しているかどうかも疑わしい。まあ、そういうことは日本のオリンピック招致委員がどうにかするのでしょう。小生はオリンピックにあまり興味がないので、高みの見物といたしましょう。しかし、よく考えると東京も8月にオリンピックを行うのか・・・・。1964年の時は10月だったのに、今は大人の事情でということで8月に行うらしい。こりゃ選手が大変だ。ヨーロッパは日本より涼しいから8月でもいいし、今回のリオは今が冬なのでさほど暑くないから良いが、日本の東京の真夏の高温多湿の中で開催となると選手も覚悟が必要だな。マラソンなんて記録よりも忍耐力勝負となりそうな。熱中症や脱水症状で倒れる選手も続出だろう。ここは昔のように10月開催にした方が良いのではと思ってしまう。オリンピックも商業的な物よりも選手第一で考えるべきだろうとは思うのだが。どうも1984年のロサンジェルス・オリンピックから商業オリンピックになり徹底的に演出化されビッグ・ビジネスになってしまった。モントリオールの時は膨大な赤字で、一時はオリンピック開催に立候補する都市がなくて困っていたのに時代も変わったものだ。でもこれだけオリンピックが巨大化すると、もう小国では開催できないだろうし素朴なオリンピックは今や過去の物となってしまった。
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2016.08.01 (Mon)

8月に入った

 今日から8月。個人的には1年で1番嫌いな月である。児童や生徒は夏休みがあって浮かれる月だろうけど小生は大嫌いな月である。もっとも社会人でも盆休みや夏期休暇があって、海外旅行や国内旅行、海や山に行く予定を立てている人も多く、8月は嫌いじゃない人が多いみたいだ。小生も若いときはそんなに嫌いじゃなかったのだが、歳をとると共に段々とこの暑さに嫌気がさしてきて、大嫌いな一ヶ月となってしまった。つまり夏のレジャーとかといったことと無縁になってきて、余計に夏が鬱陶しくなってきたのである。でも今から40年ぐらい前の夏よりも確実に暑くなっていると感じるから余計に思うのかもしれない。
 我が家にエアコンが入ったのは小生が高校の時である。それ以前は扇風機だけだった。それでもどうにか我慢できたのだが、今じゃエアコンがない生活など考えられない。今日なんか朝の6時で室内温度がすでに摂氏29℃。つまり熱帯夜である。朝の6時と言ったら1日で1番気温が低い時間帯なのに、この気温である。ここからあとは気温が上昇するだけで、日中は室内でも摂氏35℃~36℃になる。こうなると家の中にいるだけで汗がしたたり落ちてきて、水分を摂らないと熱中症になりかねない。こうなるとエアコンを入れぱなしであって、節電がどうのこうのと言ってられない。まあ電気代が夏に跳ね上がるのもやむを得ない。小生は汗かきの体質なので、少し動いただけでも身体が熱くなる。したがって顔から背中からべとべと。これが気持ち悪くていらいらしてくるのである。だから夏の間は出来る限り冷房の効いた室内で動かず大人しくしていたいものだが、そうもいってられないから外出もするし用事もする。すると瞬く間に汗だくになる。こんな毎日を送らざるを得ない8月は当然、嫌いになってしまった。動くと暑いから動きたくない。暑いから思考力も鈍る。つまり何もしたくないというのが暑い夏である。もう仮死状態である。だからこれから一ヶ月、憂鬱な毎日を早く消化することを考えているのだが、暑いし忍耐がいるだけに季候の良いときよりも長く感じるからどうしようもない。早く9月の声を聞きたいものだが、あと30日もある。とにかく夏だけは早く過ぎて欲しい。
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