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2015.06.28 (Sun)

カウント・ベイシーのビートルズを聴く

 カウント・ベイシー・オーケストラが何枚かビートルズの曲ばかりを演奏したアルバムを何枚か出している(PCの調子が悪く写真を載せられなくなったので残念だが)。最初に出したのが1966年でちょうどビートルズが来日した年だが、録音が5月3日~5日となっている。つまり来日の1ヶ月半前になる。まだビートルズがアイドルとして華々しく活躍していた時期である。この1966年の後半からビートルズはライブ活動中止の宣言をし、スタジオ・レコーディングのみの活動を行うようになる。そのちょうど転換期にジャズの大御所カウント・ベイシーはビートルズの曲をジャズのビッグバンド風にアレンジしてアルバムを出すのである。この頃はジャズも改革期であった。殊にマイルス・デイヴィスなどはロックに負けじとばかり革新的なアルバムを出すようになるが、この流れにビッグ・バンドは明らかに取り残されていた。このころのカウント・ベイシーは迷っていたのではないだろうか。映画音楽や有名なポップな曲をレコーディングしたりして、その一連の流れの中でビートルズの曲を演奏していた。謂わばカウント・ベイシーらしくなかった。
 このビートルズの曲ばかりを集めたアルバムを出した時、カウント・ベイシーは61歳でジャズ界の重鎮であった。それが若者の代表であった流行りのビートルズの曲を演奏していたのだ。時代の流れに逆らえなかったのかな。バンドとしての方向性が見えなかったのかもしれない。もっともサミー・ネスティコというコンポーザーと巡り合って、その後は低迷時期を脱するが、正直なところこのアルバムを聴いてあまり感銘を受けない。どうもサウンドが古臭い。当時ビートルズのカバーをするバンドが続出したが、ヴォーカル曲をインスルメンタルでカバーするのは難しいものがある。ましてやジャズのビートでアレンジすると古くさくなる。もっともウェス・モンゴメリーになると斬新なビートルズになるのだが、カウント・ベイシーはビートルズを演奏するにはサウンドが古典的すぎるのだ。
 まあこれは個人的な意見だが、同じ頃にセルジオ・メンデス&ブラジル66がビートルズのカバー曲を出していた。あちらの方は見事なセルジオ・メンデスのサウンドでビートルズとは違った魅力ある。しかし、これはこれでいいのだろう。一応はベイシー・サウンドだし。
 収録曲は12曲で『Help』『Can’t Buy Me Love』『Michelle』『I Wanna Be Your Man』『Do You Wan’t To Know A Secret』『A Hard Day’s Night』『All My Loving』『Yesterday』『And I Love Her』『Hold Me Tight』『She Loves You』『Kansas City』とビートルズ初期を中心にお馴染みの曲ばかりを収録している。カンザス・シティだけはビートルズの曲ではないがビートルズ自身がカバーしてアルバム『フォー・セール』に入っている。だから全てビートルズのジャズ・カバーと言ってもいいだろう。だがあまり聴いていてもインパクトに欠けていて心に残らない。やはりベイシーはベイシーらしくあってほしい。このアルバムは謂わばお遊びみたいなもかもしれないが、正直言って同時代の音楽から古くさく想われたのは仕方ない。最小限の音符で最大のスウィング感を生みだすというカウント・ベイシー・サウンドだが、この1960年代の若者の目新しいサウンドについていってないというのが、当時の若者だった小生の感想だ。今の激しすぎるサウンドを生まれた時から聴きまくっている今の若者からしたら、カウント・ベイシーはむしろ新鮮かもしれないが、小生としたらベイシーのビートルズは路頭に迷った中で仕方なく出した音楽にしか聴こえない。ジャズがロックンロールやビート・ポップスと呼ばれる当時の若者音楽に人気が奪われていく最中、よほど焦っていたのかな。それはマイルス・デイヴィスにも言えることなのだが・・・・・・・・。

当時、準楽団員だったビル・ヘンダーソンが歌う『イエスタディ』


『ミッシェル』


『キャント・バイ・ミー・ラヴ』

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2015.06.27 (Sat)

蒸し暑い毎日です

 なんだか蒸し暑いな。昨日は久しぶりに本格的な雨が降って気温が下がったものの今日は、ずっと曇っていて蒸し暑いこと蒸し暑いこと。気温は26℃位だが湿度計が65%もある。そりゃ蒸し暑くなるはずだ。今年はエルニーニョ現象が出てきているから梅雨がなかなかあけないだろうといわれているものの、我が家の周辺ではこれまで雨がほとんど降っていなかったから、連日30℃ほどあって昨日やっと雨が降った模様。だから今のところから梅雨の感じなんだが、南九州では大変な量の雨が降っている。つまり降る所では降り過ぎているのだが、前線が停滞してというよりも西から東へ前線が移動しても同じ緯度あたりでうろうろしているから何時までも降り続けるのだろう。一方で京阪地方はほとんど降ってない。だkら暑いのなんのって。最近の地球温暖化現象で夏日が増えたが、当然のように真夏日も増えている。昔なら6月に入って衣替えなんて言ってたが、平成以降ではとても6月まで待ってられない。最近は5月でも真夏日になることが多く、とえても上着なんて着ていられるものでもない。小生は特に暑がりなので、5月に入ってすぐに上着を着るのをやめている。じゃないと暑くて発汗がすごいからシャツだけである。それも腕まくりをやっていた。ホントは半袖を着たいのだが、雨が降ると一気に気温が下がるので、晴雨兼用で一応は長袖を着ていたが、6月になるともう半袖にしてしまった。ただ電車の中で冷房を利かし過ぎている時があるので、ひんやりと感じる時があり、今の季節は着るものも難しい。それにしても、この暑いときに上下黒のスーツを着た学生さんをよく見かけるが、就活中なのだろう。毎日、何社か回るのかな。いや、大変だね。また営業マンもスーツ姿で大変だと思う。日本という国はイギリスなどと比べると暑くて、多湿であるからしてスーツにネクタイ姿なんて冬以外いらないと思うのだが、着ないといけないのかな。省エネだといわれているのに、服装ぐらいすずしくてもいいのにと思いんがら、どうも日本人というのは妙に格式ばったところがあって、正装するのが慣習化しているようだ。これこそ痩せ我慢だと思うのだがな。
 そういえば日本へ観光に来ている西洋人はみんな短パンTシャツだ。軽装もいいところ。いかに日本が高温多湿の国かよくわかる。西洋人は冬でも半袖の人がいるから、寒いのには免疫があるから平気かも知れないが、暑ければそれなりの服装をすればいいのだが、どうも日本の社会というのはそれを許さないという暗黙の了解に近いものがある。困ったものだが軽い服装で出勤するとグダグダ言う奴がいるからな。自慢じゃないが小生、ネクタイなんてもう親父の葬式から締めたことがない。どうだと自慢するわけでもないが、暑いのに無理に暑い服装をしたくないだけなのだが、みなさんこの蒸し暑い時期でもスーツでネクタイ姿の人が多い。見ていても暑苦しい。額や首筋には汗がびっしょり。いや着たくないけど着ているのでしょうね。ご苦労さんです。でも世の中、もっと柔軟にならないかな。
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2015.06.21 (Sun)

BABYMETALのCDを買った




 笑わないでほしい。べつにロリコン趣味でもないが、このほど発売されたBABYMETALの輸入版CDを買った。小生、1980年以降にリリースされたCDを買うのは初めてである(クラシック、ジャズの系統は除く)。ましてや日本のアイドル系のCDを、この歳になって買うなんて今まで想像も出来なかった。でも買ってしまった。自分でも何故だか判らない。所謂ポップ・ミュージックと言う流行りの音楽ジャンルは1970年台で聴くことを止めているので興味もわかなかった。当然、日本のJ-POPなんて論外な音楽だった。それが小生に手を出させるというのはBABYMETALに何かがあるからだろう。10代の少女たちが辣腕のミュージシャンをバックに踊って歌いまくる。アイドル文化の盛んな日本では珍しいことではない。アイドル・グループは数えきれないぐらいある。でも何故かBABYMETAL以外は興味がいかない。つまり小生に興味を持たせたのだ。だからアイドル・ユニットのCDを買うという前代未聞の行いをやってしまったのだ。ただ国内版なら買わなかっただろう。そして、先日とうとうアメリカ版とヨーロッパ版のCDが発売された。その結果、日本のグループのCDを輸入版で買うというおかしなことになってしまった。国内版より価格が安いからなのだが、おかしなものだと自分でも思う。それ以前にBABYMETALは今まで海外で正式にCDが発売されたことがないのだから不思議だ。それでいて昨年と今年、欧米ツアーを行っている。昨年はフランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、カナダ、レディ・ガガのアメリカ・ツアーのサポート・アクト。今年はメキシコ、カナダ、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、イタリア、オーストリア。そしてイギリスでメタルのバンドに与えられる賞を二つ頂いてドラゴンフォースとコラボ演奏をした。とにかく海外での話題ばかりが先行するグループと言うかアイドル・ユニットである。こんなグループも珍しい。
 今まで外国でCDが発売されてないのに海外ツアーをこれだけ行うのも異例なのに、単独コンサートでこれだけ集客力があると言うのも珍しい。またあちらの人が日本語で一緒に歌う。映像を観ていても実に不思議である。最初に何でこんなにBABYMETALのことを知っているのだと思ったが、その要因はYou Tubeにあったということだろう。2010年に組まれたユニットだが、マイナー・デビューでミュージック・ビデオをYou Tubeで配信した。すると海外の人が繰り返し観るようになった。そして徐々に知れ渡っていき、昨年の初頭にギミ・チョコがYou Tubeで配信されるや否や海外で爆発的にクリックされるようになり、このミュージック・ビデオは既に2800万回以上再生されている。でもAKB48だとかモーニング娘だとかももいろクローバーZとかいったアイドル・グループに比べると再生回数は少ないだろう。BABYMETAL関係の動画は全て合わせても7000万回はいってないらしい。これは仕方がないだろう。とにかく日本の国内でのマスコミへの露出が極度に少ないからこの程度のもなのだ。おそらく日本人でも、まだ知らない人の方がはるかに多いぐらいだ。でも驚くのは、この再生回数の60%は海外で再生されているという現実だ。それも世界中から。北米、南米、ヨーロッパ、アジアとコメントの欄を見るとドイツ語、フランス語、ロシア語で書かれているのやらアラビア語まで交ざっている。ほとんどは英語だが、とにかく海外での人気が日本より優先されていることが判る。これも稀有な例だろう。何故なのかなあと思う。英語ではなく日本語で歌っているのに、その歌詞を外国人が知っている。You TubeでBABYMETALのcoverをやり、それを投稿している人の数の多さにびっくりする。歌のカバーから、ダンスのカバー、楽器のカバー。何でこんなに海外で受け入れられたのだろうか・・・・・。
 キャッチーな曲、激しいリズム、それでいてKAWAII。まさに日本の文化なのだろう。アイドル文化のない欧米では異色な存在として採り上げられ度々、論争の的ともなっている。持ち上げる人も多いがヘイターも多い。メタルと言っているがこんなのはメタルじゃないという声は相変わらず多い。まあ、メタルだろうがメタルじゃないだろうが、どうでもいいことだとは思うが、本人たちはKAWAII METALだといいonly oneを目指しているというから意に介してないようだ。でも確かに面白い音楽をやっているね。だから小生が興味を持ったのであるが、これから真似をするバンドが出てくるかもしれない。韓国に既にパクっているなあと思えるグループが存在する。でもあのバックバンドのようなメンバーを揃えられるのかな。大村孝佳、Leda、藤岡幹大、BOH、青山英樹、前田遊野といったサポート・バンドがあるからこそBABYMETALは映えるのだが、そこに中元すず香(SU-METAL)のヴォーカルが上手く融合して成り立っている。そこへ水野由結(YUIMETAL)、菊地最愛(MOAMETAL)が絶妙な合いの手を入れ、不思議な空間が辺りを支配する。妙に音楽は攻撃的であり可愛らしくもある。これが魅力なのかな。でも思うところCDを聴く限りライブの方が面白いだろうと思わせるグループである。また露出が極端に少ないからベールに包まれていて、これが却って興味を注がれる。握手会だとかサイン会だとか、変にサブ的なもので人気を挙げるようなことを一切やらず、音楽のみで細々と活動を行っているアイドルと言うのもあまり見かけない。だから露出はミュージック・ビデオとライブのみと言うことなのだろう。
 ところで今回買ったCDだが以前出された国内版と収録曲は変化ない。ただ違うのは歌詞カードが入っていて、これがローマ字で書かれていること。でもあちらの人には歌いにくいだろうな。それとボーナス・トッラクスとして昨年11月ロンドンのアカデミー・ブリクストンで行われたライヴ録音『Road of Resistance』『Gimme Chocolate!!』の2曲が入っている。さらにDVDが入っていて、こちらはOfficial Video Clipsとしてお馴染みの6曲が入っている。ただ聴いて思ったことを言おう。既にYou Tubeで聴いて周知の曲ばかりなのだが、音質はあまり良くないなあと感じた。バンドの音が喧しすぎる。これならYou Tubeで聴いている方が音のバランスは良い。でも持ってても悪くないなあとは思う。
 さて、このBABYMETALというのは期間限定アイドル『さくら学院』から出てきた派生ユニット(重音部)だというのは知られているのだが、このヴォーカルを務める中元すず香と言う子はキャリアが長いのだね。広島のアクターズ・スクール出身で、2008年には可憐Girl’sとしてアニメ・ソングを歌ってCDを出しているし、ミュージカルにも出ている。さくら学院の一員として活動する傍らでBABYMETALとしてデビュー。どうりで度胸が据わっているはずだ。でも一つ上の姉・中元日芽香がアイドル・グループ乃木坂46にいるというが、ほとんど見かけたことがない。同じく芸能生活していて妹ばかりが大きくなっていくが、姉としての本心はどうなんだろうか。このあたり気になるが。

今年1月、埼玉スーパー・アリーナでのライブ映像『Road of Resistance』(この映像6.43あたりで「かかってこいや!」というところがあって、勇ましいと感じた)


かつて可憐Girl’sとしてアニメソング『Over the Future』を歌う。1番小さくて口もとにほくろのある子が中元すず香。当時、小学校5年生。


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2015.06.20 (Sat)

血液検査

 2週間ほど前に血液を抜かれ、このほどその血液検査の結果が返って来た。もうこの歳になると身体のあちらこちらがひずみを起こし若い時のようにいかないので、検査も定期的に受けないと行かない。したがって何時もその検査結果が気になってしかたがないのだが、今回、意外と結果が良かったので安堵している。なにしろ一昨年のちょうど今頃、脳幹梗塞になり1ヶ月半入院生活を送る羽目になったから気をつけるようにしているのだ。朝、起きて立ち上がるとフラフラする。これはおかしいと思い、病院に行くとMRIの検査を受けさせられ、結果、脳幹梗塞と言われすぐに入院した。それ以来、血圧を絶えず気にするようになるし食事の量も減らし、アルコールも控えるようにしている。たまにビールぐらいは飲むがアルコール度の強い物は、それ以来ほとんど飲んでいない。ホント、以前と大違いの生活だ。夜、寝る前に焼酎を飲んでいたころとは180度違う生活している。それでも病気になる人はいるのだから生活習慣を変えたからってと思う人がいるだろうが、生活を改善しないとやはりいけないだろう。とにかくあと最低でも20年は生きたいからね。それもただ生きるのではなく動ける健康な体を維持して生きたいのだから、生活を改善しないわけにはいかないのだ。だから美味しい物を食べ歩くこともやめ、アルコールも出来る限り控え、糖分と塩分の摂取も加減し、有酸素運動も行い、体脂肪も減らすように心掛けているのだが、これが簡単ではない。人間て言うのは基本的に楽な方に走る傾向にあるから、それを我慢して節制するということを維持するのが難しいからだ。でも節制あるのみで、何も努力しないよりはいいだろう。
 さて血液検査なのだが、これで全てが判るということではないが、或る程度のことは判る。以前は血糖値が高く気になっていたのだが、今回は血糖値が基準値内に収まりホッとしている。さらに言うなら総コレステロールも基準値内だ。ただHDLコレステロールの値がちょっと低い。一応は基準値内なのだが、もっとHDLコレステロールの値を上げた方が良いらしい。普通はコレステロールと言うのは値が低い方が良いと思いがちだが、これは善玉菌がそれだけあるかと言う値で、悪玉菌を退治してくれる善玉菌はある程度多い方が良いということである。
 結果として今回は改善が見られたということで、これからも生活改善を続けなければ意味がない。長生きしても寝たきりでは何も面白くないし、他人の世話になりたくないからだ。小生の場合、親父が60歳過ぎて倒れ、20年以上、身障者として生きていたから、その二の舞だけはなりたくないのである。ところで40歳超えている人で、不摂生な生活を送っている人は知らぬ間に身体が錆つくように痛んでくるので、おっせかいではあるが気をつけた方が良いと思う。
EDIT  |  16:50  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.06.14 (Sun)

幻の大投手・澤村栄治の映像が・・・・・

 先日の11日夜、NHKの番組『クローズアップ現代』を観た。日頃はテレビは観ないのだが、この日は帰宅していてそのタイトルに興味が湧いてテレビのスイッチを入れた。タイトルは『よみがえる幻の日本シリーズ』である。何のことか最初は判らず、観ているとどうやら日本のプロ野球が始まった年の最初の日本一決定戦の映像が見つかったというのだ。それは東京洲崎球場での一戦。東京巨人軍VS大阪タイガースの試合。昭和11年12月11日の試合の映像で、僅か2分余りの映像だが観ていてぎょっとした。1人の投手の背中が映っている。背番号が14番。振りかぶって全力投球。なんと伝説の投手・澤村栄治ではないか。
 これまで試合で投げている映像が残ってないとされ、僅かに正面から軽く投げている上半身の映像しか残ってなかった。それが一塁側から撮られた全力投球の模様がはっきりと見て取れる。これは神奈川県に住む主婦が、亡き父が昭和11年に撮ったとされる8ミリ映像に興味を持って、何気なく動画をインターネットでアップしたところ、これを観て驚いた人がいて、そこから幻の映像がこのほどNHKで放映されたということである。これまで他人に晒されることなくお蔵入りしていたのが、こうして大衆の前に幻の映像が公表されることとなり衝撃度は大きいと言える。
 個人の趣味で8ミリを撮っていても、公に公開されることはなく、後年に個人の家で見つかって歴史的映像だと判明することは多々あるが、今回も全く同様である。その価値も判らない女の人が公開したことから発覚したという現実。映像と言うのは大変価値があり、まさに百聞は一見にしかずである。
 澤村栄治。大正6年2月1日、三重県宇治山田市(現・伊勢市)出身。京都商業に進み甲子園に3度出場。当時は無名校で打線が非力の中、強豪相手に孤軍奮闘。通算で3勝3敗。未完の大器の片鱗を見せる。その後、中退してベーブ・ルース、ゲーリッグを要する全米軍を相手に17歳の時、静岡の草薙球場での試合で9三振を奪う快投を演じ0対1で敗れる。これで澤村栄治の名は一躍広まることとなり、その後、職業野球に身を転じ大活躍するも昭和19年12月2日、太平洋戦争末期、東シナ海で輸送船に乗っていたところ潜水艦により撃沈。帰らぬ人となる。享年27歳。東京巨人軍に所属し通算105試合登板で63勝22敗。防御率1.74、554奪三振。ノーヒット・ノーラン3度と言う偉業を達成。戦後は本格派の投手に与えられる沢村賞が創設されるなど日本プロ野球史に輝く伝説の投手である。
 ところで、この映像を見て意外だと思ったことがある。それは澤村栄治の投球フォームが思っていたことと違っていたこと。これまで残っていた写真では左足を大きく上げている写真が残されていて、ああいった投げ方をしているのかと思っていたのだが、この動画ではあまり足を上げず素早いモーションから右足で蹴り上げて右腕を振り下ろすというもの。
 全く思っていたものとは違っていた。でも聞くところによると左足を大きく上げるときもあったらしい。だが普段はあまり足を上げなかったという。球速はかなり速かったらしいが、こればかりは今と比較のしようがない。小生の今は亡き親父が一度だけ、澤村栄治が試合で投げているのを観たことがあると言っていた。でも、その時は全盛期を過ぎていて、横から投げていてドロップ(大きな縦のカーブを当時はドロップと言った)が多かったらしい。これは戦争で召集され、手榴弾の投げ過ぎにより肩を壊し速い球が投げられなくなってからの澤村を親父は観たのだろうと思う。だから19歳の時の、全力投球をしている澤村英治の映像は希少価値なのである。いやはや世の中、何処にお宝映像が残っていることやら、映像と言うのは出来る限り残すべきであると思ったまでである。
 ところで、この洲崎球場というのは江東区の埋立地にあり、当時は満潮になると球場が冠水するなど劣悪な球場だったらしい。よく、こんなところでプロ野球の日本一決定戦を行うものだと思うが、当時は職業野球と言って大学野球よりも低く見られていて、神宮球場等が使わしてもらえなかったのだろう。まさにプロ野球黎明期にはそういった苦労が多かったようである。でも時代は2.26事件があった昭和11年。きな臭い時代である。まさにこれから戦争へと突入していく時代。召集され澤村栄治が戦地へ行かなければならなかったというのは今思うと実に残念である。

尚、この映像は何時、消されるか判らないので今の間に観ておきましょう。

EDIT  |  08:01  |  スポーツ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.06.11 (Thu)

アメリカで37年ぶりに三冠馬誕生

 このところPCが重くなって更新が出来ないでいるが、何とアメリカで37年振りに三冠馬が誕生したので、久々の競馬の記事を書くことにした。
 もう競馬の記事は今まで書きすぎたので自粛していたし、あまり書きたくもなかった。また競馬の人気もだんだんと下降して行って盛り上がりも欠けている。書いたところで関心もあまり持たれないだろうから書かなかったのである。先日の日本ダービーでドゥラメンテが勝って、その強さを発揮したが、オルフェーヴル級の実力はあるかもしれない? と思わせた。ただどこかで墓穴を掘る可能性がるかもしれないとは感じている。それと、はたして長い距離が持つのかどうか。まあ、今後のレースで成長を見届けられるかもしれないが、最近はどうも確実に成長しない馬ばかりで期待ばかり裏切られてるからね・・・・・・。
 なのでよほどのことがない限り競馬の記事を書かないことに決めた。でも37年振り12頭目のアメリカ三冠馬誕生と言うと記事にしなくてはならないだろう。先日の6日のことなので少々、古い話になるが、ベルモントSで2着に5馬身1/2の差をつけてアメリカンファラオが逃げ切って、何と1978年のアファームド以来の三冠馬が誕生した。アファームドが走っていたのは私がまだ20代前半の時であった。その私がもう還暦に届く年齢だから如何に長い間アメリカで三冠馬が誕生しなかったことか。つまりアメリカの競馬においてベルモントSの1マイル半という距離が異様に長くて、ほとんどの馬がこの距離の長さに失速してきたのだ。アメリカの競馬では9ハロンあたりが適正距離ではないだろうか。日本やヨーロッパでは2400mというのがチャンピオン・ディスタンスといわれるがアメリカでは長過ぎるのだ。したがってケンタッキー・ダービーの10f、プリークネスSの91/2fからベルモントSでは12fに距離が一気に伸びる。ここで過去、二冠馬が度々、失速して三冠の栄冠を逸している。それがとうとう37年振りにその壁をアメリカンファラオが撃ち破った。ケンタッキー・ダービーでは3番手から外を回って差し切り、プリークネスSでは泥んこ馬場の中、逃げ切って圧勝。ベルモントSも逃げて最後に引き離す圧勝劇。
 でも考えてみたら、37年間も三冠馬が出なかったといっても、セクレタリアトが1973年、シアトルスルーが1977年、アファームドが1978年と6年の間に3頭も三冠馬が出たのだから出るときは出るのだ。その後の37年間出なさすぎというのが考えものだ。本家イギリスではもう三冠馬そのものが死後になっていて、セントレジャーにダービー馬が出てこないのが当たり前になっている。日本でも最近はダービーに勝っても菊花賞に出ないようになりつつある。セントレジャーも菊花賞も例外的に今の競馬事情に合わない距離だから仕方がないが、アメリカの場合2400mでも長いとされるのだから、特殊なお国柄なのだろう。競馬も芝生ではなくダートがメインだからして、ヨーロッパや日本、豪州あたりとは違う競馬を行っているとしかいいようがない。
 ところでアメリカンファラオだが、スペリングを見るとAmerican Fharoahとなっている。これだとアメリカンファロアだろ。どうも馬名登録の時にミスってこの様な馬名になったらしいが、アナウンサーも普通にアメリカンファラオと叫んでいるからこれでいいのだろう。昔、昔、イギリスにPotooooooooという競走馬がいた。現在ではPot-8-Osで血統書に残っているが、後年、アメリカンファラオの事情を知らない人が大半になった頃には、このアメリカンファラオも、アメリカンファロアと呼ぶ人がいても不思議ではない気がする。
 このアメリカンファラオであるがデビュー戦が5着だったものの、その後は無敵の7連勝。セクレタリアトまではいかないが、最近の20年では屈指の名馬になる可能性がある。今後のレースに興味が持たれるのである。

ベルモントSの映像


EDIT  |  19:47  |  競馬(雑感)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.06.06 (Sat)

更新できない

 このところPCのパフォーマンスが急激に低下したので更新も簡単にできなくなった。たったこれだけの文字を打っていてもなかなか進まない。もう使い倒しているパソコンだけに無理もないが、だんだんと酷くなってきた模様。写真はすでにアップできなくなったし、動画も観れなくなってきた。これだとPCの意味がない。とにかく音声が出てきても画像の方の動きが悪いのだ。もう当PCも寿命が来たようだ。でも新しいPCに変えたいのだがウインドウズの基本ソフトが新しくなるので、それまで待とうと思っているのだが、もうこれだけ重くなるとどうしようもない。これだとブログ更新もままならない。ということで暫く更新できないかもしれない。
EDIT  |  22:48  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
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