2ntブログ
2013年04月 / 03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT  |  --:--  |  スポンサー広告  |  Top↑

2013.04.30 (Tue)

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2013に行って来た

 雨天だった今日とは違って好天の昨日、大津のびわ湖ホール付近で行われているラ・フォル・ジュルネびわ湖2013に行ってきた。と書いたところでラ・フォル・ジュルネって何のことだと思われるだろう。そもそもラ・フォル・ジュルネとはフランス語でLa Folle Journeeで、フランスのナントで1995年の初めて行われたクラシック音楽の祭典のことである。

 毎年1月下旬からの5日間、ナントの8会場でで午前9時から夜の11時までの間、一斉に短時間のコンサートがお行われる。年ごとにテーマやジャンルが指定され、世界中のアーティストを迎え、低料金で演奏を提供することによってクラシック音楽の新しい聴衆を開拓するというコンセプトで開催されているので、クラシック音楽初心者でも楽しめるようになっている。でも始まった1995年は赤字で、その後にその意図を判る人が増え、資金提供者も急増。2003年には黒字に転換。今ではナントの12の会場で同時併行的に約45分のコンサートが5日間で300公演行われるほどになったのである。こうしてナントでの成功に影響され、ポルトガルのリスボン、スペインのビルバオでも同様の催しが行われるようになると、2005年からはとうとう東京でもラ・フォル・ジュルネが始まったのである。その後、この音楽祭典は金沢でも始まり、2010年からは新潟と大津のびわ湖でも開催されるようになったという訳である。現在ではさらに増え、九州の鳥栖、リオデジャネイロ、ワルシャワでも行われている。ちなみにラ・フォル・ジュルネの名前の由来であるが、これはアーティスティック・ディレクターであるルネ・マルタンの考えに基づいたものでモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』の基になるポーマルシェの戯曲『狂おしき1日、あるいはフィガロの結婚』の原題(La Folle journee,ou le Mariage de Figalo )から来ている。この戯曲が当時の世間のとって革命的な作品であったことから、従来のクラシック・コンサートに対する人々の価値観を転換することを目標とするこの音楽祭の名に採用されたということらしい。それで今回4回目になるラ・フォル・ジュルネびわ湖2013であるが、初めて小生はこの祭典に訪れてみた。過去、3回あったのだが何れも高槻ジャズ・ストリートと日程が合致し来ることが出来なかった。ところが今年は日にちがずれたので好都合になり初めて来てみたということだ。今年のびわ湖のラ・フォル・ジュルネは4月27~29日の3日間の開催だったので日程的にはちょうどよかったのである。

 さて、それで3日目のプログラムを見てみるろロビーや野外の湖畔で行われる無料コンサートとは別にホールで行われる有料コンサートの方は中ホール、小ホールはほとんどチケットが売り切れという。残念、他に隣接するピアザホールでも行われるが、こちらは出演者がロビーでの無料コンサートと重複するので行かなくてもいいだろうと考え、チケットがまだ完売してない大ホールのコンサートの方を注目した。すると29日は3回公演が行われ何れも当日券が売られているという。それはいいことを聞いた。それならと思い、昨日は朝早く起きて午前10時前にはびわ湖ホールに到着した。それでようやく買ったのが、この日に大ホールで行われる2回目の公演。現田茂夫指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団演奏のベルリオーズ『幻想交響曲』のチケット。しめしめ、1500円で大フィルの幻想が聴けるとは・・・・・。こんな企画の音楽祭典がないとこの価格ではとても聴けないからね。でも空席がまだあるという。殊に大ホールでのフルオーケストラの演奏は3回ともチケットが売れ残ると言うから滋賀県はクラシック音楽の愛好家が少ないのかな。特にこの日に行われる大ホールの3回の演奏の中でも2回目だけが交響曲の演奏である。おそらく滋賀県の人達、あんまりベルリオーズの幻想交響曲に馴染みがないようで、1回目と3回目に行われるフランスのラムルー管弦楽団の曲目の方が、チケットの売れ行きがいいようであった。こちらは2回とも大曲ではなく、序曲やオペラの挿入曲が中心だから聴きやすいかもしれない。ところで今回の催しのテーマはフランス、スペインの音楽だから演奏される曲も全てフランス、スペインの作曲者の作品ばかり。それで小生もベルリオーズを聴くことになるのだが・・・・。

 困ったことにチケットを買うために早く来たのだが、開演時間が午後の2時45分。余りにも時間があり過ぎる。それでロビーや屋外の湖畔での無料演奏を聴こうと思うが1時間半か2時間ほどの間隔で行われるから、その間、時間をもてあまし過ぎる。仕方なく琵琶湖畔で湖をぼんやり眺めていた。ポカポカ陽気で気持ちがいい。釣り人多し、犬の散歩中の人も多し、でも退屈だ。それで昼前からロビーのレストランで簡単な料理と共にワインをがぶ飲みした。日頃、ワインなんか飲まないが、この日はフランス音楽中心と言うことでフランスのエスプリに触れるのもいいだろう。白ワインを一本飲みきった。昼間から何をしているのやら・・・・。でもまだ時間がある。表に出て今度は屋台が出ていたのでワカサギの天麩羅をつまみにビールを飲んでいた。それでようやく開演。

 実のところびわ湖ホールの大ホールに入るのは初めてである。中ホールは一度だけあるが、初めてのホールにはワクワクする。小生、過去色々なホールに行った。大阪ならフェスティバルホール、ザ・シンフォニーホール、厚生年金会館大ホール、いずみホール、京都なら京都会館、京都コンサートホール、神戸なら神戸文化ホール、神戸国際会館ホール、名古屋なら愛知県芸術会館コンサートホール、東京なら東京文化会館、NHKホール、サントリーホール等・・・。何れも20年以上前のことになる。それで最近は加齢と共にご無沙汰である。それこそ交響楽団の演奏会なんて10年程前の京都市交響楽団のコンサートから皆目、行ってない。

 大阪フィルに関しては何度か聴いている。かつて朝比奈隆で薫陶を受けた歴史のあるオーケストラである。小学生の頃にフェスティバルホールで初めて聴いたかな。その後は20歳の頃におっさんの指揮でブルックナーの7番を聴きに行ったことがあるが、不覚にも船を漕いでしまった。当時はブルックナーなんてほとんど聴いたことがなくて、聴いていても実に退屈な音楽だと記憶している。それが朝比奈隆と大阪フィルは、その後にブルックナーの演奏で評価を得るようになったから判らないものだ。ところで今回、その大阪フィルがフランスもののベルリオーズの幻想交響曲を演奏すると言うから非常に興味が湧いたのである。本来、大阪フィルは朝比奈時代から無骨なオーケストラとして通っていた。N響のように万能な機能的オケではなく、独墺系音楽には強いがフランスをはじめとするラテン系音楽に弱いとされていた。それが朝比奈亡き後に大植英次が音楽監督に就任してオーケストラの指向がいくらか変わってきたみたいで、今回は神奈川フィルの音楽監督である現田茂夫がタクトを振ってどのような幻想が聴けるのか注目していたのである。

 さてさて開演時間が近づいてきたので大ホールに入った。席は3階席。エスカレーターで上がっていくと琵琶湖が一望できる一面ガラス張りのロビーに到着。そこから客席へ・・・・。入った感想は意外と小さい。天井は4階席まである割にはあまり高くない。コンサートよりもオペラ公演が多いホールだからステージまでの距離はあまりなく客席はバルコニーまで続いている。キャパシティは1800人余りだからコンサートホールとしてさほど大きくない。ザ・シンフォニーホール、京都コンサートホールと同じ程度か。ただしあちらはアリーナ形式でステージの後ろにも客席があるので、もっと近く見える。ここはその点に関しては3階からだとステージまでは遠く感じる。もっともフェスティバルホールのように大きくはない。ただしフェスティバルホールは3000人弱も入るが音響は抜群で、天井に近い席でも明瞭な音が聴こえてくる。その辺は大きいだけのNHKホールとは違う。それでこのびわ湖大ホールはどうなのかというところである。

 定刻より5分ほど遅れて始まった。現田茂夫はグレーの燕尾服を着て現れた。4階はいくらか空席が目立つがほぼ埋まっている。演奏が開始。現田茂夫は初めてお目にかかる指揮者だ。けっこう動く指揮者だ。両手もよく動く。指揮台も広く使っている。身体ごと動く指揮者だなと思った。フランス音楽には向いているかも。問題はフランス音楽に向いてそうもない大フィルの方だが意外と重々しくなく軽いノリの演奏で、1、2楽章は終わった。テンポも普通。3楽章田舎への風景と題される楽章。終盤のティンパニを乱打するところを注目していた。女性奏者1人を含めて4人でティンパニを叩いていた。雷鳴の咆哮だ。しかし、あまり響かないね。このホールは・・・・。音響が良いって噂だったが、少なくともサントリーホールのように響きすぎなくても、ザ・シンフォニーホールぐらい響いてくれたら心地よいのだが。それにしても現田茂夫はよく動く指揮者だ。かつてフリッツ・ライナーなんてハンガリー出身の指揮者がいた。弾丸ライナーなんていわれライナーの指揮するベートーヴェンの5番の演奏は滅法速かったが、ライナーは身体は立ったままでタクトだけを小さく振るので滑稽だった。ライナーとはまるで正反対だ。これだと終楽章のコーダできっと飛び上がるぞ。

 いよいよ終楽章の5楽章に入った。この楽章はかつてスタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』の冒頭に使われたので知っている人も多いだろう。4楽章の断頭台の行進と共に有名だ。ワルプルギスの夜の夢と題された楽章。この楽章が始まるとき、打楽器奏者が1人左の舞台袖に引っ込んだ。おそらく終楽章の途中から鳴らされる鐘を叩きに行くのだろうと思って、何処で鳴らすのかなと探っていた。過去の演奏会では客席から鳴らされたこともあるから様子をうかがったのだが、どうやら袖で鳴らすようだ。

 チューバの怪しい音色と共にカーン、カーンと鐘が叩かれる。この楽章のクライマックスの始まりだ。そして盛り上がってきていよいよ圧巻のコーダに入る。現田指揮者の動作が大きくなってきた。背中は汗が滲み出てる。随分と激しく動いているからな。さあ終盤に近付いてきたぞ。飛び上がるか飛び上がるか・・・・やはり小さくだが飛び上がった。予想通りだ。この曲の終盤は飛び上がる指揮者が時々見受けられるので、一つの見せ場でもある。こうして盛り上がって演奏が終わった。ブラボーと叫ぶ人が多い。長い拍手。時間にして50分を少し超える演奏なので平均的と言えるが大フィルにしてはテンポは速目かな。こうしてアンコールもなく演奏が終わった。感想は可もなく不可もなくというところ。大フィルのフランスものも意外と聴けることが分かったのは収穫。それにしてもこれで1500円とは確かに安い。また来年も時間が許されるなら来よう。なにしろ交通費はICOCA定期を持っているからタダである。


今回のチケット S席は2000円だったが
P1020924.jpg

びわ湖ホールの全景。手前が大ホール、奥が中ホールで小ホールは地下にある。
P1020908.jpg

ホールのすぐ前は湖岸である
P1020898.jpg

比叡山が見える
P1020892.jpg

こちらは近江富士
P1020897.jpg

ちょうど遊覧船ミシガンが通りかかった
P1020903.jpg

ホールの前の湖畔では地元大津の中学生のマーチングバンドの演奏が行われていた
P1020919.jpg

ロビーではハープ・デュオのファルファーレ(松村多嘉代、松村衣里)の演奏が行われていた
P1020921.jpg
EDIT  |  15:52  |  音楽(クラシック)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.28 (Sun)

室生寺に行く

 先週の話であるが女人高野と言われる室生寺に行ってきた。何時以来だろうか。随分と久しぶりになる。若い頃だったから、これまた30年以上前のことだろう。京都からだと結構、遠いので滅多に行けない寺ではある。何しろ三重県との県境に近い奈良の山の中にあるお寺だから、その気にならないと来ることもない。何処にあるかというと奈良県宇陀市。かつては宇陀郡室生村であった。それが周辺の幾つかの町と村が合併して宇陀市となったがとても市と言えるようなところではない。とにかく山奥。近鉄大阪線室生口大野駅で降りて路線バスで4、5㎞ほど室生側沿いの一本道を登って行く。道路の両側は山である。かれこれバスで20分。寂しい山村の到着。この山村に室生寺はある。奈良時代の末期、この地で皇太子山部新親の病気平癒の祈願が興福寺の5人の高徳な僧によって行われ、これによって卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたとと言われている。
 室生寺はそれ以来、山林修行の道場として、法相・真言・天台等、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われてきた。その他、厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女人の参拝を許したことから女人高野として親しまれているのである。

 室生寺は真言宗室生寺派の山寺で宇陀川の支流室生川にかかる太鼓橋を渡ると正面に本堂がある。そこを右に折れ暫く行くと仁王門がある。仁王門を通り石段を上がると正面に金堂がある。左には弥勒堂を見てさらに石段を上がると如意輪観音を本尊とする本堂がお目見えする。そしてその左後方の石段の上には何とも神々しい五重塔が姿を現すのである。さらに五重塔から400段の石段を上がると空海を祀る奥の院御影堂がある。即ち石段を上がり続ける典型的な山寺で、鄙びた中にも平野部にある寺にはない大自然と調和した伽藍の見事な佇まいに思わず見とれてしまう。ただし奥の院まで来ると流石に息が上がってしまう。でも昼間なのに杉の大木が鬱蒼と立ち並んでいて暗い木陰を冷気がわたる。まさにこれこそ室生寺独自の魅力であろう。


室生寺の仁王門をくぐるといきなり石段が続いている。石段の上には金堂が構えている。
P1020837.jpg

室生寺の金堂。平安時代の初期の建造物で、釈迦如来立像が御本尊である。もちろん国宝である。
P1020840.jpg

 こちらは金堂から少し上がったところにある本堂である。潅頂堂と呼ばれ室生寺の本尊如意輪観音菩薩像が安置され、真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であることから本堂おも呼ばれている。建立は1308年で国宝。
P1020843.jpg

本堂の左後方。石段の上に五重塔が姿を現す・
P1020842.jpg

この風景は写真集とかでもあまりにも有名である。
P1020844.jpg

これを見たくてみんな室生寺を訪れるのである。
P1020847.jpg

 総高16.1m。野外に建つ五重塔としては日本一小さい。勾配が緩い軒の出の深い檜皮葺の屋根は、朱塗りの柱、白い壁心地よい対照を保つ見事なまでの秀麗さである。建立は平安時代初期といわれ、室生山最古の建築物である。1998年9月の台風で杉の大木が倒れ大きな損傷を蒙ったが、2年後に修復落慶した。
P1020848.jpg

光を浴びて神々しい。
P1020864.jpg

やや上から見下ろす。
P1020852.jpg

五重塔を抜けると400段の石段がある。その上に御影堂のある奥の院がある。
P1020855.jpg

これは奥の院にある舞台造りの位牌堂である。どこか清水の舞台を連想させる。
P1020859.jpg

室生寺境内には南北朝時代に東奔西走した公卿北畠親房とされる墓があるが、ここでははなく五條市の賀名生(あのう)にある説が有力。
P1020866.jpg
EDIT  |  10:10  |  名所・名刹探訪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.27 (Sat)

グランフロント大阪へ行ってみた

 グランフロント大阪と言ったところで関西以外の人にはさっぱり何のことかわからないだろう。なので簡単に説明するとしよう。一言で言うと昨日にオープンした都市型の大型ショッピングゾーンを含めた新しいエリアのこと。このように片づけると何だつまらんってことになるが、ただこれまでと中身はちょっと違っている。そもそも明治時代から大阪駅の北側に広大な梅田北ヤードと呼ばれる地域が存在した。総面積は24haというから広大である。そして、それらは大阪駅周辺の発展を妨げてきた。大阪駅周辺は梅田と言って南側を中心に広大な繁華街として商業ゾーンを確立しているのだが、唯一、大阪駅北側の梅田北ヤードと言う広い一帯が、商業ゾーンとは別世界の様相であった。それらは鉄道貨物を扱う梅田貨物駅を中心とした地域で、何本ものレールが走っていて、それらの上を貨物列車が行きかっていた。ここで鉄道貨物を集積し、またここから出発していたのである。これらの多くの貨物を取り扱うので広大な敷地を有していたのだが、いささか平成の時代になると大商業ゾーンのすぐ隣にあるのは何かと不都合な面があった。それに赤字国鉄の抱える負の遺産そのものであった。これら広大な梅田北ヤードがあること自体、街全体が活性化しないのである。梅田という一大商業ゾーンの活性化を妨げる形として梅田北ヤードが長い間、邪魔をしていたということになる。そこで国鉄時代の負の遺産を売却して再開発をという試みが30年も40年も前から行われていたのだが、なかなか進まず、何度も何度も実現しそうで計画が頓挫してばかりで、平成時代に入りようやく動き出し、ここにきてグランフロント大阪と言う名の一つの形として実現したという訳である。

 それでこのほどグランフロント大阪オープンしたので早速、行ってきた。小生は過去にこのような新しい大型商業施設がオープンするごとに野次馬根性で剥き出しで行ってみるのだが、何時も期待を裏切られることが多く、従って今回も大きな期待を持たずに足を運んだのであるが・・・・・・。感想から言うと一日で回りきれないほど大きい。大きいだけなら別段驚きはしないが、過去の大阪にあった商業施設とはコンセプトが明らかに違っているからだ。それでちょっと驚いた。最近でいうと阿倍野のキューズモールや大阪駅のステーションシティがオープンした時も、当ブログで採り上げたと思うが小生はあまり肯定的な意見を書かなかった。何故なら今まで大型商業施設が出来ても、決まってあるのはファッションの店舗とおしゃれなレストランとスイートの店。そして映画館。あとは癒しの空間が僅かながら設けられている程度で、若い女性は喜べど、おっさんが行って面白いものではなかったという印象が強い。それがグランフロント大阪は今まで通りファッション、レストラン等が中心なのではあるが、今回ナレッジキャピタルといった体験ゾーンが加わっていて、なかなか飽きさせないような空間が幾つかあったということ。たとえばパナソニックの大型ショウルームが3フロアーに跨って色々なことが体験できるようになっていること。また舞台公演からビジネスユースまで対応できる多目的劇場ナレッジシアター。学術、ビジネス、カルチャー等、様々な利用シーンに対応できる本格的コンベンション施設コングレコンベンションセンター。企業や研究機関によるエキサイティングな技術や活動を、大人から子供まで楽しく、判り易く紹介する展示エリア、アクティブラボ。ナレッジキャピタルのコンセプトを発信する自主企画イベントや展示会等を開催するイベントラボ。上質なカフェメニューを楽しみながら電子端末や書籍を通して新たな発見も出来るカフェラボ。その他、各企業が趣向を凝らしてショウルーム兼店舗を出している。ダイキン、積水ハウス、アシックス、コカコーラ、ヤマハリビング、タカラ大阪HDC、au、ドコモ、ソフトバンク、ダウンズステアーズコーヒー、サブウェイ野菜ラボ、サントリーウイスキーハウス、ワールドワインバーバイピーロート、アップバンクストア、ポールネンドあそびのせかい、エナレッジ、好日山荘、ジャストカーテン、サンワカンパニー、カリテスタイル、ウッドワンプラザ、SCANTEAK、SOHBI、C terrace、そしてロート製薬が何と無農薬野菜を栽培し、薬膳フレンチの店を出しているかと思えば、世界で初めてマグロの完全養殖に成功した近畿大学が、その養殖マグロの専門料理店を出した。この養殖マグロは天然と違って赤味が少なくトロの部分が多いマグロとしても有名である。早速、今日は長蛇の列で人気も大変なものである。あとはロボットの展示コーナーやその他色々とある模様だが、広すぎて回りきれない。またメルセデスベンツの展示と試乗体験ができるコーナー等。

 まあ、これまで色々な大型商業施設が完成しては覗いてみたが、あまり小生の気を引くようなものはなかったところが多いが、今回のグランフロント大阪は少し違うなあとは思っている。それでリピーターとして今後も何度か訪れるかもしれない。何しろ世界中のビールが飲める店や、日本中の清酒が飲める店もあるしなあ。でも今は大阪に来ることも少なくなった。何しろ毎日、毎日、滋賀県に通っている身であるから・・・・・・なかなか忙しくて来れないなあ。


大阪駅側からグランフロント大阪と見るとこのような感じである。2棟の商業ゾーンの上に3棟の高層ビルが立つ(奥はインターコンチネンタルホテル)。さらにその奥に高層マンションがあるが見えない。
P1020886.jpg

地下の入り口からは人工の滝が・・・・・・・
P1020882.jpg

中はこのような空間も・・・・
P1020878.jpg

角度を変えてパシャ
P1020879.jpg

吹き抜けの空間が多い
P1020880.jpg

商業ゾーンの屋上に上がってみた
P1020872.jpg

大阪駅から西梅田の光景を
P1020876.jpg

 今回、グランフロント大阪として開発されたが、まだ梅田北ヤードの3分の1程度が開発されたにすぎない。残るこの広大な土地はどうなることやら。まだ計画が具体化されてない・・・・・。緑地にする案もあるが・・・・・。
P1020874.jpg
EDIT  |  20:35  |  近場散策  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.21 (Sun)

マル・ウォルドロンのアルバム『レフト・アローン』を聴く

P1020731.jpg

 マル・ウォルドロンと言うとなんだかジャズの伴奏ピアニストといった印象が強い。それはビリー・ホリディの最晩年の伴奏ピアニストだったからだろうが、それ以前もチャールズ・ミンガスのバンドでピアノを弾いていたのである。実際、さほど目立つ演奏ではない。最もビリー・ホリディ亡き後はエリック・ドルフィー、ブッカー・リトルのコンボでの録音が残っているし、その後に活躍の場をヨーロッパに移し日本人の彩紋洋実と再婚したことで日本とは係り合いを持つようになる。それがきっかけで来日も多く、日本での録音も残っているが、どうしてもマル・ウォルドロンというとビリー・ホリディのピアノ伴奏者としてのキャリアを抜きにして語れない。それほど不世出のジャズ・シンガーとの出会いは大きかったようだ。そもそもこのアルバムは1957年から約2年半ビリー・ホリディの伴奏ピアニストだったマル・ウォルドロンが、59年7月17日に亡くなったビリーの思いでにアルバムを捧げようと思いついたことから制作されたのである。従ってアルバムジャケットの右側に黒く映っている女性はビリー・ホリディである。

ビリー・ホリディの最晩年を伴奏ピアニストとして演奏活動を行っていたマル・ウォルドロンであるが、マル・ウォルドロンの書いた曲に彼女が作詞することがあった。しかし一度もそれらの曲はレコーディングされることがなかった。それでビリーが亡くなった直後に彼女に捧げるトリビュート・アルバムの制作に取り掛かったのである。しかし、ビリーに匹敵する歌手など存在しない。それで肉声の代わりに友人のアルト・サックス奏者ジャッキー・マクリーンを起用したのである。ビリーとジャッキーはバラード表現に対するムードやアイデンティティが近いとマル自身は言う。こうしてアルバムのタイトル曲は録音された。まるで肉声のようなジャッキーのアルト・サックスが哀愁のメロディを切々と歌い上げられた名演である。実際にはビリー・ホリディが作詞したものをマル・ウォルドロンが作曲した曲で録音されてないというのは実に残念である。本来ならこの『レフト・アローン』はマル・ウォルドロンのピアノの伴奏にビリーの肉声が乗っかる筈だったのだろう。それでもこの曲は人気がある。かつてジャズ喫茶ではよく流れていた。いや、今でも人気があって、この曲を聴いてサックスを習いたいと思った御仁は無数にいる。我が周辺にも何人かいた。彼らがその後にサックスを続けているかは知らないが、マル・ウォルドロンはこの曲によって殊に日本では知られているようなものだ。実際、このアルバムの人気はタイトル曲の『レフト・アローン』によるものであり、アルバムの中でこの曲だけ演奏に参加しているジャッキー・マクリーンの歌い上げるようなアルト・サックスの咽び泣きがなんともいえないのであって、まさにビリー・ホリディの鎮魂の曲として相応しい演奏である。

 2曲目以降は『Cat Walk』『You Don’t Know What Love Is』『Minor Pulsation』『Airegin』で最後のトラックにはマルがビリーの想い出を語ったインタビューが収録されている。3曲目の『You Don’t Know What Love Is(恋を知らないあなた)』はトリオの名演である。この曲はビリー・ホリディの愛唱歌でもあった。なのでマルが当然のようにこの曲を当アルバムに収録したことは判るような気がする。ところでこのアルバムの奏者はジャッキー・マクリーン以外では、ピアノは当然マル・ウォルドロン、ベースがジュリアン・ユーエル、ドラムスがアル・ドリアースである。


『レフト・アローン』の演奏(音声のみ)

EDIT  |  09:52  |  音楽(ジャズ)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.14 (Sun)

お好み焼きを作って食べる

 小生、時々であるがお好み焼きを作って食べることがある。そういえば子どもの頃にはお好み焼き店が近所に数件あった。昭和30年代なんて今ほど食い物が豊富でなく、マクドナルドもケンタッキー・フライドチキンもミスター・ドーナッツも巷にはなく、当然のようにコンビニエンス・ストアもない。そんな時代にガキが少々のお金を持って行くところと言えば駄菓子屋であり近所のおばちゃんが焼いているお好み焼き屋であった。それで土曜日にでもなると午前中で学校が終わるので、小銭を持ってお好み焼きを食べに行くのであった。

 今のようにお好み焼き店もチェーン化していなくて、近所のお好み焼き屋で食べるのが当時の子供の主流であっただろう。またおばちゃんが1人で焼いているところが多く店も近所だけで数軒あったように思う。でも店によって微妙に味が違うので、次第に好みによって行く店が決まっていたように思う。それで当時主流だったお好み焼きであるが、今では当たり前になっている関西風と言われるお好み焼きではなく、まず鉄板の上に溶かしたメリケン粉を薄くクレープの生地のように丸く敷き、その上にキャベツをてんこ盛りにする。そして天かすや紅ショウガ、イカ、豚肉とかをトッピングして、ひっくり返す。焼けてきたら卵を焼いてその上に生地をかぶせ、最後にソースをかけて、カツオの粉、青ノリ等をかけて出来上がり。熱い熱いといいながら鉄板にあるお好み焼きをコテで切り、コテの上に乗せて食べる。間違っても小さく切って皿の上に乗せて箸で食うような食べ方はしなかった。これだと冷めてしまうから美味しくないのである。

 ここで気がつかれたかと思うが、焼き方が今でいう関西風のお好み焼きではなく、明らかに広島風の焼き方である。つまり昭和30年代は関西でもこういった戦前の洋食焼きのスタイルの店も多かったのだ。それが何時の間にか粉も具も混ぜこぜにしてた焼き方が主流になってしまったのである。おそらくこれは大阪に本店のあるお好み焼きチェーンが全国展開する途上で、開発した焼き方であろうと思える。また昔はマヨネーズなんてつけなかった。それが戦後まもなく例の大阪のお好み焼きチェーンがマヨネーズとカラシを混ぜたものをソースに乗せて味付けをする。これが全国展開する中で関西のお好み焼きとして知られるようになったのだろう。だから関西風は混ぜこぜのお好み焼きにソースとマヨネーズを乗せて食べる。こうして広島風と区別されてしまうようになった。しかしお好み焼きなんて名前の通りどのように焼いてもいいのだし、関西風だ広島風だというのもおかしなものである。こんなもの10軒店があれば、10軒とも異なっていてもいいぐらいだし具に何を入れようが構わない。でも何時の間にかイカ、豚、天かす、ショウガ等を入れるのが当たり前になってしまったかな。

 本来、お好み焼きなんて言うものは江戸時代中期に生まれた麩焼きがその起源とされる。麩焼きというのは水で溶いた小麦粉を薄く焼き味噌を塗って食べるというもの。それが時代が進み明治になると味噌の代わりに餡を巻く助惣焼きなるものが流行したと物の本に書いてある。それが大正時代になると東京ではもんじゃ焼きに発展し、大阪ではベタ焼き、チョボ焼きに代わっていった。昭和になると洋食焼きが出てきて、これが後のお好み焼きとなるのである。いわばB級グルメの王道となるのだが、けして上品な食べ物ではない。下町にあって近所の人が下駄ばきでやってきて食べていくというのが、小生の子供の頃の光景であった。

 さて、話が長くなってしまったが昼にお好み焼きを作って食べた。小生が作ると大きくなる。丼鉢に溶かしたメリケン粉、卵、天かす、キャベツ、ショウガ、イカを入れてしまう。ここにベーキングパウダー、山芋、隠し味に色々と入れるが・・・・・・。それをかき混ぜてホットプレートで焼く。本来ならば大きな鉄板があればいいのだが無い物は仕方がない。ひっくり返した時にどうしてもホットプレートの真ん中の温度が下がるから、鉄板のように美味しく出来ないのだ。なにしろ鉄板に比べるとホットプレートは薄いからどうにもならない。こうしてどうにか完成。

 それを皿に移してコテで切りながら食べる。小生は昔からお好み焼きは箸で食べないのだ。まあ、これが関西では一般的なのだが、最近は大阪でも鉄板の火を切って、生地を細かく切ってから皿に乗せて箸で食べるという店が増えてきたが、これだとあまり美味しくない。やはり鉄板の上で切りながら一つ一つを熱い熱いと言いながらコテに乗せて食べるのが本来のお好み焼きの食べ方と思うのだがな・・・・。


キャベツもたっぷりと・・・・・
P1020762.jpg

マヨネーズはつけない。シンプルであるが直径22㎝の大きなお好み焼き。
P1020765.jpg
EDIT  |  15:22  |  食・飲  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.13 (Sat)

早朝からグラグラと・・・

 今朝の5時33分に地震が起こり布団から飛び出した。小生は土曜日でありながらいつもの癖で既に目が覚めていた。それで揺れが始まるとともに起きあがって箪笥と書架を抑えていたが、結構、長く揺れていて少々、戸惑った。揺れは震度3から4の中間という感じだった。それで急いで情報をつかむためにテレビをつけた。すると震源は淡路島で震源地付近では震度6弱だという。また香川県や徳島県、大阪の岬町では震度5弱を記録するなど、関西では、あの阪神淡路大震災以来の震度5以上を記録した。どうりで揺れが何時もとは違うとは思ったが、震源地で震度が6とは驚いた。それもM6.0という規模。

 震源地は1995年1月17日の阪神淡路大震災を起こした野島断層よりも南の地区。淡路島中部付近であり阪神淡路大震災の余震という可能性もあるらしい。18年も経って余震? と思われるかもしれないが、1891年の濃尾地震の余震とみられる地震も今なお見られるというから地球の歴史からいえば18年なんて短いもの。ただ直下型で発生した今回の地震が周辺の活断層を誘発する危険がないものかどうか、それが一番懸念されるところである。よく言われる東海、東南海、南海の3連動で起きる巨大地震への影響はないのか、それとも関係性は薄いのか、それは地中で起こることなので判断しにくいということもあるが、いずれにせよ関西で久々に起こった大きな揺れには面食らった。時間的に言っても早朝だし、まだ目覚めてない人も多かったろう。この揺れでたたき起こされたのではないかな。もっとも今の20歳以下の人は阪神淡路大震災のことも記憶にないだろうが、震度5とかの地震が滅多に起こらない関西だけに、いざ起こると大騒ぎである。

 おかげで今日はJRが運行取り消しになった路線が多く、たとえ動いていても徐行運転区間が多く大混乱。それで私鉄で代替輸送していた模様であるが、私鉄でさえも始発から運休していたところが多く、午前8時頃には動き出していたが、トロトロと徐行運転を行うので何処の駅も乗客で埋まっていた。それにしてもやっと土曜日になり出かけようとしていた小生も出鼻をくじかれた。先週は土、日とも爆弾低気圧で出て行けず、そして1週間待った今日になって出かけようとしていたところだったのに、またまた地震で妨害された格好。どうも天候、天災にこのところ邪魔される。でも高速で走る新幹線が順調に動いているのに、新幹線よりも遥かに低速な在来線が軒並み運行停止というのはどうなっているのだろうか。これだともし東南海、南海、といった巨大地震が来たら本当に何もかもマヒしてしまいそうだ。JR西日本さん、しっかり頼みますよ。それと地震に免疫のない関西の人々。関東や東北の人に比べると地震に対する心構えにやや欠けるところがあるようで危機感もあまりない。でもいつか来るから備えだけは怠りなく。最も小生も他人に言えるほどのことはしてないが・・・・・・。しかし、地震だけは突然のようにやってくるからどうしようもないな。

EDIT  |  17:19  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.07 (Sun)

そば飯

P1020828.jpg

 どうも昨日からの爆弾低気圧が日本列島で猛威をふるっているようで、京都周辺では大したことはなったのだが、雨は今朝になっても止まずに降っていて土曜日、日曜日ともに雨降りだとどうしようもなく気が滅入ってくる。2日間とも出かけられず、雨の合間をぬって今日の午前にスーパーにに買い物へ行くのが精一杯。それで昼飯であるが、残飯があったので片付けようと思い焼きそばを買ってきてそば飯なるものを作ってみた。

 そば飯なんてあるのかと思われる人もあるだろう。しかし、昔から神戸では食べられているソウルフードである。いわゆるB級グルメというもので、神戸の下町・長田では昔から食べられている。今は全国的に知られるようになったのかどうかよく判らないが、焼き飯と焼きそばを合わせたような食べ物である。

 ご飯の余りと豚肉、青ネギ、キャベツ、ピーマン、そして焼きそばさえあれば作れる。でも冷蔵庫を開けてあまッている物は何をを入れてもいいだろう。ニンジンをいれてもいいし、ニラを入れてもいいだろう。それでソースをかけて炒めるだけ。今は焼きそばそースというものが売っているから、これをかけたただ炒めるのみ。それで最後にドロソースをかけて出来上がり。香ばしい匂いに食欲がわく。これをビールとともに食べるのである。

 まあ手ごろな食いものであるし原価は安いものだ。土曜、日曜とも出ていけず食材も揃わなかったが、こういった有り合わせで作るとなるとこのような食事しか作れない。さほど味わって食べるものでもなく、腹の足しになれば十分である。ただそば飯も豚肉ではなく、ここに煮込んだ牛筋を入れると旨味度がアップするのだが、残念んがら時間がなく豚肉で済ました。それで食べてみたが、ちょっとソースの方に食材が食われている感がぬぐえないが悪くはない。

 ところで外は相変わらず曇っているし何時また雨が降り出すか判らない。昨日の雨が花散らしの雨になってしまいどこの桜も葉桜になりつつある。もう花見も出来ないが、先週に花見に行けなかった人はさぞや残念だろう。どうせ小生は花より団子のので、花見をしつつ酒を飲むなんてことには興味もないから関係ないが、見事にソメイヨシノは昨日、今日で散りました。また来年まで待つしかないか。それとも遅咲きの八重桜で花見でもすすしかないかな。
EDIT  |  12:50  |  食・飲  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.04.06 (Sat)

爆弾低気圧・・・

 4月になり暖かい毎日であったが、今日、明日と爆弾低気圧が日本列島を縦断するというから、今日はせっかくの土曜日にもかかわらず外出を控えた。しかし、我が家の周辺は一向に雨も風も強くならず、未だにそよ風が吹き雨も小ぶり状態。これだったら外出したのにと後悔。

 そういえば昨年の4月も爆弾低気圧が通過して、台風並みの天候だった日がある。確かに昨年の爆弾低気圧はすさまじいものだった。だが、今年は局地的なものなのかもしれない。朝から雨が降っていたが、強い雨にもならず暴風が吹き荒れると聞いていたのであるが、その風も一向に強くならず拍子抜けがした。それでテレビをつけてみたが強風で傘が差せないとか、飛行機が欠航しているとかのニュースを放映していた。やはり爆弾低気圧は各地で猛威をふるっているのだと納得。しかし我が家の近辺はそんな様子は何処にもないから再度驚く。もう夜になってしまったが、今は雨が降っておらず風もほとんどない。それともこれおから雨、風ともに強くなるのだろうか・・・・・。何れにせよお騒がせの爆弾低気圧である。何も土曜、日曜にまたがってこなくてもいいのに。全く迷惑な話だ。
EDIT  |  20:01  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
 | BLOGTOP |