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2014.09.28 (Sun)

先日のこと

 先日の土曜日、宇治の知り合いのところに野暮用で出かけることとなった。それで京都駅から滅多に乗らないJR奈良線に乗った。小生は奈良方面に行く場合は何時も便数も多く速度も速い近鉄を使うのだが、知り合いと言うのはJRの駅に近いところに住んでいるので仕方なくJR奈良線を使ったという次第なのである。ところが朝の9時台というのに電車は混んでいた。何で? と思ったが外国人観光客でごった返していたからだ。特に中国人が多い。至る所で中国語が飛び交う。カメラを持ってそこら中を撮りまくっている者もいる。そして声が大きい。マナーがあんまりよくない。こちらはドアの入口で小さくなって立っていた。何だ中国は反日教育を徹底して行っているのに年々、日本へ観光に訪れる人が増えているという矛盾したところがあって、口で反日を叫びながら心の中は親日なのではと思ったりする。そして中国人に交ざって韓国人もいる模様。こちらの国も子供のころから徹底して反日教育を行いウリナラファンタジーといわれる歴史教育を子供のころから教え込まれているのに不思議と日本へ大勢来る。どう考えても不思議な現象だ。まあ、それはいいとして西洋人の姿も多い。つまり何故、この奈良線と言うローカル線(まだ一部単線部分が残っているのでピストン運転出来ない路線)にこれだけの人が乗っているのは外国人観光客が大勢乗っていたからだと理解した。でもいったい何処へ行くのかな? 宇治の平等院でも行くのかなと思っていたら、突然、大柄な白人女性が小生に「アイナリ」と言ってきた。アイナリ・・・・何を言ってるのか判らなかった。すると女性は英語で書かれた観光ガイドの雑誌を見せて再び「アイナリ」と言ったので、観光ガイドを見せてもらったらInari Taishaと書いてあったので納得。どうやら伏見稲荷大社に行きたいらしい。おそらくアングロサクソン系の人でInariをイナリと発音せずにアイナリと発音したので小生はさっぱり判らなかったのである。
 それで小生、京都駅を出ると東福寺の次が稲荷駅なのでafter the nextといったらthank youと女性が返してきた。そして稲荷駅に到着してその女性は小生に一瞥して降りて行ったのだが、何と大勢の中国人と韓国人、それと西洋人も一緒になって降りて行ったので車内はあっという間に空席が目立ち、小生は空いた席に腰をかけたとのである。要するに外国人観光客のほとんどが伏見稲荷大社へ行くのが目的だったということ。でも何で・・・・・と思ったが、以前から伏見区に住んでいる姉が伏見稲荷へ来る観光客が凄い勢いで増えていると言っていた。昔なら京都に来る観光客は清水寺、金閣寺が首位を争う観光地だったのだが、最近は伏見稲荷が外国人に一番人気のある観光地らしいのだ。それはインターネットの普及でYou Tubeの投稿動画を見た外国人がアメージングだとかクールだとかいってあの朱色に塗られた鳥居のトンネルを潜って見たいと思ったのか知らないが、この数年、京都の中でも急激に人気が出たスポットだという。それと関係する話なのだが、アメリカの大手旅行雑誌Travel+Leisureの世界人気観光地ランキングの2014年版で、とうとう京都が世界一位に選ばれたというから、それで白人も増えてきたのだと思ったのである。今まで日本の観光地は知られてなかったというのもあるが、観光地人気ランキングでベスト10に入ってなかったが、一昨年と昨年に京都がランキング・ベスト10入りしたことは知っていた。ところが今年、その雑誌でベスト1に輝いたという。そしてその京都の中でも伏見稲荷大社が第1位だというから驚いた。それで稲荷駅で外国人観光客が大勢降りて行ったというのは、そういった事情があったのだと判ったのだが・・・・・何処がそんなに良いのかな・・・・・・。伏見稲荷なんて10年ぐらい前は、正月以外は訪れる人も少なかったところなのにと思いながら、外国人には日本人には判らない物に興味を持つから面白いものだと苦笑するしかなかった。

※当ブログでは2008年2月16日に伏見稲荷大社のことは記事にしているので参考にしてください。
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2014.09.21 (Sun)

ブラームスのクラリネット五重奏曲を聴く



 クラリネット五重奏曲と言うとモーツァルトの五重奏曲が最も有名だが、ブラームスにも立派なクラリネット五重奏曲がある。昔はよく聴いたのだが、最近はほとんど聴かなくて小生の中では忘れられた曲になっていた。それがである先日、大フィルのメンバー5人がこのブラームスのクラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115を演奏しているところに出くわした(地下駅のそばにあるアートミュージアムのようなところで無料で演奏していた)。それで聴いている間に昔日のことを思い出したまでである。渋いが良い曲なのである。またブラームスはクラリネット三重奏曲と言うのも作曲していて、ブラームスの室内楽は地味ながらなかなか優れた作品が多い。もっとも同時代のチャイコフスキーやドヴォルザークのようなメロディが溢れんばかりに流れる煌びやかな曲がなく、旋律が沈んでいる雰囲気がありどうしても重苦しい。それ故にあまり人気がないかもしれない。しかし、それでいて小生は一時期、ブラームスを頻繁に聴いていた時期があった。30代の頃だったかな。最も人生で悩んでいた時期かもしれない。どうもメランコリックになるとブラームスが聴きたくなったのかな。今となったら当時のことを思い出そうとしても思い出せない。今はもうそろそろ老後を如何に有意義に過ごすか、それを考える年齢になってきたから30代の頃のことを振り返ることもなくなった。でも、あの当時、ブラームスに陶酔していたかな。今でもブラームスの交響曲1番、3番、4番はよく聴くし、弦楽六重奏曲の1番も相変わらずよく聴く。そういった中でクラリネット五重奏曲も何度か聴いた曲でもある。でもそれ以来、聴いたこともなかった。
 それで20年以上の時を経て真剣に聴いてみたが、ちょっと長いかな。4楽章の曲なのだが40分ぐらいある。もっともダイナミックな交響曲だと40分なんてあっという間だが、室内楽はやはり全楽章を通じても退屈する部分がある。それは致し方がないものの、此の年齢になると聴くのも忍耐力がなくなってきている。途中で聴くのを止めようかと思ったりもする。小生はこう言った時は、その曲の楽譜を買ってきて、スコアを見ながら聴くようにしてきたのだが、残念がらこの曲のスコアを持ってない。スコアを見ながら聴くと我を忘れて没頭できるのである。昔はそういった聴き方をよくやっていたものだ。こうして曲を覚えていったものである。またやろうかな。
 ところでこのブラームスのクラリネット五重奏曲はブラームスが58歳の時の1891年に完成した。ブラームス晩年の曲である。ブラームスは作曲活動から引退を考えていて、作曲に対する体力衰えを感じていたのだが、1891年春にマイニンゲンを訪れて事情が一変する。同地の宮廷には優れたオーケストラがあり、そのオーケストラに居たクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトを独奏者に起用したコンサートに足を運び、ブラームスは感銘を受けたのである。こうして引退を考えていたブラームスに、またふつふつと作曲への意欲が湧いてきたようで、此の年の夏ブラームスは、保養地イシュルに滞在し、一気にクラリネット三重奏曲とクラリネット五重奏曲を完成させたのである。 けして多作ではないブラームスが2曲もの大曲を1ヶ月もかからずに書きあげたのは異例のことだった。よほど創作意欲が湧いていたのだろう。こうして同年には初演され好評を博すのである。
 全4楽章からなり第1楽章のアレグロはソナタ形式で、弦楽器が奏でる主題に対してクラリネットがアルペジヨの上昇楽句を吹きながら加わるところは、どこかモーツァルトのクラリネット五重奏曲を連想させないでもない。第2楽章はアダージョで、クラリネットが陶酔感を奏でる。第3楽章はアンダンティーノ、第4楽章はコン・モートといずれも短いが、終楽章のコーダでは第1楽章の第1主題が再び現れやがて曲は終結する。
 全体的な感想としては晩秋の澄み切った空気の中で黄昏ながら聴くのにちょうどいい曲である。


スコアを見ながらクラリネット五重奏曲をどうぞ

EDIT  |  09:17  |  音楽(クラシック)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.09.20 (Sat)

メタリック ナノパズル 姫路城を作る



 先日、大型家電製品量販店の一角にある玩具コーナーを通った時、メタリックナノパズルというものが視界に入ってきて、暫く見ていたら妙に興味が湧いてきて思わず買ってしまった。なので買ってしまった以上、作らなくてはならない。それでいざ作り始めたのだが、困ったことに細かすぎて老眼の入った目にはとても見えない。それで仕方なく双眼ルーペというものを買って頭に着け、拡大鏡を通して説明図を見ながら制作したというもので、苦労したが2日がかりでどうにかこうにか完成させた。
 このメタリックナノパズルは超細密レーザーカットによるハイクオリティーメタルモデルで、パーツを外して、組み合わせて行けば立体オブジェが出来上がるというものである。その際、ハンダも接着剤不要でペーパークラフトのように曲げたり折ったり差し込んだりして組み立てていき、完成品は手のひらに乗るミニチュアサイズである。
 しかし、このような物に夢中になるのは、子供のころに作ったプラモデル以来である。だが作りだしたもののラジオペンチやピンセットで差し込んでいかなくてはならず、これが想像以上に一苦労。なかなか入ってくれず、下手に差しこむと簡単に折れてしまうので往生した。それでどうにかこうにか作ったものの草臥れてしまった。あまりにも細かい作業なので目が疲れるし、意外と肩もこる。でもいざ、作り出したら必死になる。このメタリックアノパズルはシリーズ化されていて、姫路城以外にも五重塔やピサの斜塔、凱旋門、タワー・ブリッジ、エンパイア・ステート・ビル、観覧車、帆船、戦車、飛行機、スター・ウォーズ・シリーズ、タイタニック号・・・その他にも色々とあるが、もう作らないかな。作っていてイライラした。もし仕事から完全にリタイアして、暇が出来たら絵を描くか彫刻のようなものをするか、プラモデルを作ったりしてみれば面白いかなとは思う。もっともその時になって見ないと判らないが、やっと忙しい仕事から解放されたが、やることが何もないというのでは困ったものだし、今の間にやりたいことを模索しているのである。趣味は多い方が時間は潰れるしね。



EDIT  |  15:14  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.09.14 (Sun)

スティーヴィー・ワンダーのアルバム『Key Of Love』



 スティーヴィー・ワンダーをさほど聴いたというのではないが、小生の少年時代からその名前は轟いていた。それでいて現在64歳だという。ということは小生とそんなに変わらない。すると何歳から歌っているのだと・・・・・・・。
 スティーヴィー・ワンダーは1950年生まれである。でもデビューは11歳と恐るべき早さである。それで名前を古くから知っていたのだな。
 スティヴィー・ワンダーは6週間の早産で生まれ、保育器内での過量酸素が原因で生まれてすぐに目が見えなくなる。しかし、それがハンデとなることなく盲目であるがため音感が鋭かったのだろう。幼い頃からピアノ、ハーモニカ、ベースを演奏していたという。また歌も歌っていてリズム感もあり、デトロイトの街角で歌やダンスを披露していた。そして11歳の時、自ら作曲した『Lonely Boy』をミラクルズのロニー・ワイトの前で歌い、気に入ったワイトはスティーヴィーと母親をモータウンへのオーディションに連れて行くのである。こうしてモータウンの社長ベリー・ゴーディの前で歌と演奏を披露しモータウンと契約する。1961年11歳の時に最初のレコーディングを行い、1962年にデビュー・シングルが発売される。しかし、層の厚いアメリカのショウビジネスではなかなか芽が出ず、スティヴィー・ワンダーが知られるようになるのはモータウン・レビューの一員として全米ツアーをする。そして、この時のツアーで廻ったシカゴでの演奏を記録した音源が1963年5月にアルバムとしてリリース。これがアメリカのビルボード・ヒット・チャートで大ヒット。これで一躍、スティーヴィー・ワンダーの知れ渡るようになるが、まだこの時、13歳、まだ幼すぎる。モータウンの幹部たちはこれから声変わりするだろうと予想されるスティーヴィー・ワンダーとの契約を打ち切る者もでいた。事実としてスティーヴィーが出た2本の映画もヒットしなかった。ただし同時期にシルビア・モーイと共作した作品が含まれたアルバム『アップタイト』ば大ヒット。そしてシングルカットされた『Nothing’s Too Good For My Baby』『With A Child’s Heart』、ボブ・ディランのカバー曲『風に吹かれて』がヒットする。
 それと並行して彼は同じレーベル仲間に楽曲を提供。モータウンの作詞作曲部門の契約を結ぶなど若い頃から才能を発揮しまくっていた。そういった経緯もあって当時から大御所の感があったのだ。だから小生なんかはもっと年配の人かと思っていたほどである。しかし、自分とはあまり年齢の違わない人であることに驚いたものである。
 1,970年にはモータウンから自作のプロデュース権を獲得し音楽出版会社タウラス・プロダクションを設立し、自らの模索していた音楽を演奏するスタイルを確立、当時開発されたばかりのシンセサイザーを駆使しほとんどの楽曲を自ら演奏してアルバムを作っていた。このころでまだ20歳である。まさに盲目の天才である。
 1973年には交通事故に遭い味覚と嗅覚を失うがリハビリで回復。このころから活動が音楽以外の慈善活動、平和運動にまで幅が広がり、彼自身の音楽活動も絶頂期にあった。1974年のグラミー賞で自身初の受賞を果たし、1975年のグラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞。そして1976年に当アルバムである『Songs In The Key Of Life』が発売される。このアルバムは2枚組で、当時の全米アルバムチャートで14週1位となる大ヒットを記録。この年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その後のステーヴィー・ワンダーの活躍は大方の人はご存じだろうから記さないが、未だに老いを見せず活躍中で、もう何度来日しているだろうか・・・・・。
 尚、このアルバムの中の楽曲『愛するデューク(Sir Duke)』は最近、テレビのCМで流れていたので知っている方もおられよう。この曲は彼が尊敬するジャズ界の公爵デューク・エリントンに捧げられたものである。彼はデューク・エリントンとナット・キング・コールを尊敬していたという。

Sir Dukeを歌うスティヴィー・ワンダー


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2014.09.10 (Wed)

テニスについて思ったこと

 昨日の朝、テニスの全米オープンが行われ日本人で初めて四大大会の決勝に錦織圭が進んだということで、日本中が俄テニスファンになったかのような騒ぎであった。それも生中継は有料のWOWOWのみで、この中継を観たいがために急遽WOWOWに加入した人が続出したというではないか。それを聞いて小生は失笑したが・・・・。
 快挙には違いないが、どうも日頃無関心なくせにこういうときだけ熱中するというのはどういうものなのかな。もっともテニスと言うのは昔からウィンブルドンを始めBS放送で中継はあった。でもテニスファンしか観ていなかっただろうと思う。それほど日本人のテニスプレイヤーの活躍がこれまであまりなかったということである。でもテニスと言うのはお坊ちゃん、お嬢ちゃんがよくやっているスポーツと言うイメージがあり、国内のテニス人口は多いとは思う。ただ世界的トッププレイヤーがこれまでほとんど出なかったから、メジャー大会での中継も視聴率はあまり芳しいものではなかったと記憶している。ただ小生は若い頃、クリス・エバートが出ているといつも観ていたかな。男子ではボルグとマッケンローのネットプレーが面白かった。でも日本人と言うと昔はウィンブルドン女子ダブルスで沢松和子、アン清村が優勝したことがある。最近では伊達公子がウィンブルドン、全豪、全仏でベスト4まで行ったこともあった。ただし男子となると、その活躍はお寒い限りだったのだ。それが四大大会のシングルスで男女初めての決勝進出となるとそりゃ大騒ぎになるかな・・・・。
 そういえば小生が小学生の時、東京オリンピックが開催された。それで直前に文芸春秋だったかどうか忘れたが、過去のオリンピックでメダルを獲得した人が出てきて、座談会みたいなものをやり、その対談集と言うものが掲載されていた。そして、その時に熊谷一弥という人がいたことを知るのである。
 この人は1918年の全米選手権(今の全米オープン)で日本人として初のベスト4に進出した人で、その2年後のアントワープ・オリンピックでシングルス、ダブルス(柏尾誠一郎と組む)共に銀メダルを獲得する。つまりオリンピック史上最初の日本人メダリストである。それで、小生は昔はオリンピックでもテニスが行われていたのだと知るのである(今は復活している)。つまり、その熊谷一弥以来の全米オープン・ベスト4進出ということで錦織圭は快挙だとされたのである。四大大会を通しても1933年の佐藤次郎以来と言うから、日本男子のテニス界は低迷していたのだ。それが降ってわいたように決勝進出だから、大騒ぎになるのも当然と言えば当然かもしれない。ただ小生はテニスやバレーボールに関しては男子よりもラリーの続く女子の方が面白くて、男子はあまり今まで観てこなかった。だから今回も興味はなかった。もっとも若い頃はありとあらゆるスポーツ中継を観たものだが、だんだんとスポーツに関心がなくなり、今ではほとんど観ないかな。
 それで今回、残念ながら錦織は決勝でクロアチアのマリン・チリッチに敗れ優勝はならなかった。それで思い返すと、今から9年前の2005年10月に世界スーパー・ジュニア・テニス選手権(U―18)が大阪の靱テニス・センターで開催された。その時にチリッチも錦織も共に出ている。そして錦織は準決勝でフランスのジェレミー・シャーディに敗れ、決勝に進出したチリッチもジェレミー・シャーディに敗れている。ところで優勝したシャーディは、その後の活躍はあまり聞かない。ジュニアの時の実力よりも、それから大成出来るかどうかが問題なのだろう。今回は準優勝だった錦織だが、彼にはまだ先がある。今後の活躍に期待するとしよう。
EDIT  |  19:48  |  スポーツ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.09.07 (Sun)

9月に入った

 昨夜、激しい雨が降った。しかし日中はとても蒸し暑かった。もう9月に入ったが初旬では夏の続きという感じで蒸し暑いのは当然としても、相変わらず短時間で局地的に激しい雨が降り、たちまち浸水被害が出る有様。今年の夏はこのようなのが続いているがなんかおかしいな。今朝も雨が降っていたが、雨がやむと突然、雲の切れ間から日射しが射し急にモワーとした空気が漂い始め今は大変に蒸し暑い。今の時期は残暑も残っていて室内にいてもエアコンがなくては耐えられない。もっとも8月の暑い時期に比べると幾分は救われるが、まだ秋には程遠い。それにしても最近は疲れが激しいな。いくら寝ても疲れが抜けないでいる。もうそれぐらいの歳になっていたと今更気がつくのだが、戻れるならというよりも何をやっても疲れなかった若い時の身体が欲しいなあとつくづく思う。ため息をついてもしょうがないが、だんだんと確実に老いてくるのだな。やはり年齢は嘘をつかない。
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