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2018.06.16 (Sat)

映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観る

『サウンド・オブ・ミュージック』1965年制作、アメリカ映画

監督 ロバート・ワイズ

出演 ジュリー・アンドリュース
    クリストファー・プラマー
    ペギー・ウッド
    エリノア・パーカー
    ダニエル・トルヒット
    ニコラス・ハモンド
    へーザー・メンジャース

【あらすじ】オーストリアのザルツブルク。時は1938年。妻を亡くしたトラップ大佐と子供7人が生活していた。この家に修道院からマリアが家庭教師としてやって来た。実は退役軍人のトラップ氏は今までどの家庭教師も長続きしないので困っていた。そこへやってきたのがマリアである。マリアは伸び伸びとした教育法で厳しくはなかった。そのことにトラップ大佐は最初、反感を持つがマリアが来てから逆に家庭内が明るくなったのでトラップ大佐は感謝の念を抱くようになる。いつしかマリアはトラップ大佐を愛するようになるが、その重荷から修道院へ逃げ帰る。しかし、トラップ大佐の子供達が押しかけてきてマリアに戻ってくれるように頼み込む。修道院の院長の励ましもあって結局マリアはトラップ家へ戻る。
 ちょうどその頃ヒトラーのナチスが台頭し、オーストリアをドイツと併合するべき瀬戸際にあった。そのきな臭さはトラップ家にも迫ってきた。トラップ氏には男爵夫人という婚約者がいた。彼女はナチスへの併合もやむを得ないと考えている一人。結局、トラップ大佐とはそりが合わず男爵夫人はトラップ家から去る。そんな大佐であったが自分がマリアを愛していることに気がつく。やがてトラップ大佐とマリアは祝福されて結婚。一家は祖国オーストリアへの愛を貫くためには亡命するしかないと結論に達しアメリカへの亡命を考える。こういった中で行なわれた音楽祭。トラップ家は音楽祭で合唱。大佐も『エーデルワイス』を歌う。一家の優勝が決まった頃、トラップ一家は自由を求めて山道を歩いていた。

 この映画は日本で一番人気のあるミュージカル映画であろう。この映画を観たのは小生は小学校6年の時ではないかな。姉と一生に観に行ったのである。『ウエストサイド物語』が大好きだった姉が同じ監督のミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観に行くのは判っていた。それに便乗して小生もついていったというわけだ。でも当時の姉はビートルズに狂っていたのだが、ミュージカルだけは好きだったな。
 実はこの話は実話であってマリア・フォン・トラップの自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団』から来ている。この原作が映画化され『菩提樹』(1956年、西ドイツ映画)として知られている。これがアメリカではミュージカル化されたのである。1959年、リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタイン二世の作詞作曲によってブロードウェー・ミュージカルとして上演され大ヒットしたのである。物語もさながら音楽が良かったのであろう。このミュージカルから『ドレミの歌』『私のお気に入り(My Favorite Things)』『ひとりぼっちの山羊飼い』『エーデルワイス』といったスタンダードナンバーが生まれた。『My Favorite Things』はジョン・コルトレーンが1960年に録音しジャズのスタンダードとなった。『ドレミの歌』は1961年にペギー葉山が日本語で歌い、これも日本ではなじみの歌となった。つまり映画化されたのが1965年であるが、その6年前にブロードウェー・ミュージカルとして既に作品や曲が有名になっていたので映画化されたときは曲が知られていたと言うことである。ただブロードウェー・ミュージカルで有名だったジュリー・アンドリュースが映画のマリア役を演じて歌ったので、より映画が栄えたと言うことだろう。ジュリー・アンドリュースは4オクターブが出る声の持ち主で、ブロードウェー・ミュージカルでは『マイ・フェア・レディ』のイライザを演じていた。しかし『マイ・フェア・レディ』が映画化されたとき、イライザ役を演じたのはさほど歌えないオードリー・ヘプバーンだった(歌は有名なゴースト・シンガーであるマーニ・ニクソンが吹き替え)。理由はジュリー・アンドリュースは映画出演をしたことがないというだけだった。結局は同年に制作されたミュージカル映画『メリー・ポピンズ』で映画初出演を果たしアカデミー賞主演女優賞まで受賞することになり、映画『サウンド・オブ・ミュージック』のマリア役を演じることになる。これも当時としては当然の配役あったと思われる。映画はアカデミー賞の作品賞に輝いたのだが、ジュリー・アンドリュースの主演女優賞はノミネートだけに終り2年連続オスカー女優とはなれなかった。
 さて最後に、この映画で原作者のマリア・フォン・トラップ自身が通行人として出演していることを書いておこう。

ドレミの歌


私のお気に入り


エーデルワイス


ひとりぼっちの羊飼い

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2018.02.09 (Fri)

君の名は。を観て

 正月に映画『君の名は。』が地上波テレビでやっていた。あの映画、最初は真剣に観ていなかったが水彩画のような美しい画面に加え、だんだんとストーリーの面白さに引き込まれてしまいとうとう最後まで観てしまった。男女が入れ替わるという設定はこれまでにもあったが今回のは話が複雑。どうも2人は3年の時差の中で入れ替わっていて、すでに女子高生の三葉は男子高生の瀧が高校生の時はこの世の人ではないという怪奇きわまりない話の設定で、三葉が住んでいる飛騨の糸守という町は3年前に彗星が落ちて町が全滅する。つまり男子高生と女子高生は3年の隔たりがあって入れ替わっていた。それも必然からである。その後、2人が入れ替わることが突然なくなったのは女子高生の三葉が死んでいたと言う現実から来ているのだが、何だかんだと話が進み瀧は再び三葉に入れ替わって糸守町を救うために獅子奮迅の活躍をする。こうして事実と逆らって何故か糸守町は救われたという。まあここまででもネタバレしているのだが、ついでに言うと最後に2人が出会うシーンがある。それは彗星の衝突から8年後のことであり、三葉は社会人になり東京で暮らしていた。そして電車に乗りドアの所に立っているとなんとなく記憶の中にあった人物を併走する電車のドア側で発見。急いで次の駅で降りる。一方、22歳になっていた瀧も8年間ある女生を記憶の中にとどめていた。すると併走する電車のドアの所に立っている女性と目が合う。その女性は遠い記憶の中にあり漠然と追い求めていた女性だった。お互いが併走する別々の電車に乗っていて互いを認識し合い、それぞれ次の駅で降り互いを探し出す。そしてなんとなく来た須賀神社の前の男坂の階段(女坂もある)で互いを発見。三葉は階段を降りる。瀧は階段を上る。すれ違う。瀧は階段を上って振り返る。そしてお互い観たことがある様な気がするといい「君の名前は」と聞いて映画が終る。つまりハッピーエンドで終るのだが、まあこれはフィクションだから違う電車で発見して次の駅で降りて互いを探し当てるなんて無理なことが出来てしまう。それとも須賀神社というキーワードが2人を結びつけたのか。それは作者・新海誠しか知らないところであろう。
 それはそうと併走する電車で知り合いを観ることがあるのかどうかとなるとこれは実際小生も二度ほど体験しているのだ。『君の名は。』の映画ではおそらく総武線と中央線が並んで走っているところだろう。降りた駅は千駄ヶ谷か・・・・。まあ須賀神社に近い駅だからそこら辺りだろう。最近、東京に行ってないので詳しくは判らない。まあこういうのは複線区間では無理。最低でも複々線はないと有り得ない話である。それもほぼスピードが同じくらいで走る区間に限られている。それで最初に違う電車で知り合いを発見した話に入ろう。まず最初は30年ぐらい前かな。当時、小生は阪急京都線で大阪市内まで通っていた。そしていつもの時間、通勤特急の最後尾に乗るのだった。その日は中には入れず対面側のドアの所に押し込まれた。車内はぎゅうぎゅうで息苦しい。初夏の日だったのかな。十三について人が結構降りた。少しほっとしたがまだ混んでいる。どうせ次の駅で降りるからそのドアの所に立っていた。十三からは阪急は三複線になる。線路一本を挟んで宝塚線の急行が走っていた。最初はこちらが前を走っていたが、途中から宝塚線の急行が並ぶように走り出しカーブの関係であちら側が追い抜きだした。そして電車の車内の中がよく見える。すると向こうの電車のドアに会社の同僚が立っていた。向こうもこちらを発見。笑ってしまった。これが最初。
 次は10年ほど前になるかな。今度は阪急とJRとの間の話である。これも出勤の時でこちらは阪急の電車の車内でつり革を持って外を眺めていた。そして阪急とJRが併走する区間が長岡天神と大山崎の間にある。その昔、省線の誇る特急つばめ(蒸気機関車が牽引)を新京阪(現・阪急京都線)の電車が追い抜いたという逸話のある区間だ。その僅かな時間で昔の知り合いを併走するJRの車内に発見。歳はとっていたが向こうもこちらに気がつき手を振ったから間違いない。それ以来、彼とは会ってないから彼だったのかは不明。でもおそらく彼だろう。だから映画『君の名は。』の最後のシーンのようなことは起こりえるのだと思った。まあお互いが電車を降りてから発見できるかは別だが・・・・。それにしても上手く練り上げられて面白い映画であった。この映画にはSF、ファンタジー、伝承、神事、コメディ、ラヴストーリー、色々と込められていて見所満載であった。

おそらく映画ではこういうシチェーションだったのだろう

EDIT  |  16:24  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2017.11.01 (Wed)

ゴッホ~最期の手紙~

 最近映画をほとんど観ない。それはあのシネマコンプレックスに映画館が変わってしまったというのもあるが、それ以前に観たいなあと思える映画が少なくなったということだろう。それならDVD化されて観た方が良いかと思うからである。多少画面は小さいが今のテレビは大きいし逆にシネコンは画面が小さくなったのであまり観たときの感動は変わらないだろうと思えるからである。そういうことで最近、ほとんど映画館に行かなくなった。何時映画館に行ったかなあと考えたらスター・ウォーズのエピソード3から行ってない。
 だがこれは観てみたいと思う映画が明後日から上映されるという。それはイギリスとポーランドの合作映画『ゴッホ~最期の手紙~』である。実はこの映画ちょっと驚く。登場人物が全て油絵で描かれている。それも例のゴッホ調のタッチの油絵である。聞くところによるとゴッホの最後の自殺の謎について色々と説があり、その謎について追求していく映画らしいのだが全編油絵アニメーションだという。それもゴッホの絵が動く如く話が進行していく。こんな映画過去のあったのかな・・・・・。
 制作者側は世界から画家やその卵やらを600人集め、製作所のあるポーランドのスタジオで長い間缶詰させて絵を一コマ一コマ描かせたという。1人あたり何百枚描いたんだろう。インターネットで世界中から画家を募集し、まずゴッホの描く絵を習得することから始め、描けなければ特訓。そして描けなければこの企画から降りて貰うことから始め、合格した人は毎日、スタジオに籠もり絵を描き続けたという。それもアニメーションにしなければならないので一つの絵を描くと写真で撮り、次に少しだけ動いた絵をまた描くという驚嘆すべきことを延々と続けなければならない。聞いただけでオレには絶対無理と思ってしまう。
 一応、人物に演技をやらせ、その映像を元に作画していくという。これに日本人でただ1人絵を描き続けた女性が1人いると言うから驚くが、烏を描いていて途中黒から青に変えさせられたときはメンタルが崩壊したという。それで96分の映画に仕上がっている。まあ普通のアニメーションも大変だが、それをゴッホ調の実際ある絵が動いて物語が展開していくという。聞いただけで興味が湧く。おそらく過去のアニメーションでも最も大変な制作過程だと思う。だから筋書きはともかくゴッホの絵を90分以上見続けることになる映画。これは一度観てみたいと思うが、話題を呼んでシネコンで並ばないと行けないのだろうなあ。だから知らぬ間に終ってしまい、結局はまたDVD化されてDVDで観ることになるだろう。でも早く観てみたいものだ。



EDIT  |  16:46  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2017.03.03 (Fri)

映画『俺たちに明日はない』を観る

『俺たちに明日はない』1967年制作、アメリカ映画

監督 アーサー・ペン

出演 ウォーレン・ベイティ
   フェイ・ダナウェイ
   ジーン・ハックマン
   マイケル・J・ポラード
   エステル・パーソンズ
   デンヴァー・バイル

【あらすじ】時は1930年代、不況の中のアメリカはテキサス。刑務所から出てきたばかりのクライド・バロウはある家から車を盗もうとして彷徨いていた。それを見ていたウェイトレスのボニー・パーカー。パーカーは家の車が盗まれそうになるので声をあげて男に近づく。ところがお互いが気に入ったのか馬が合ったのか2人は行動を共にするようになる。クライドはボニーの前で食料品店に入り強盗をする。それを見ていたボニーは彼の大胆さに興味を持ち、やがて2人で銀行強盗に入り成功する。こうして2人で犯罪を繰り返すようになり、ガソリンスタンドの店員モスがそこに加わり、3人で強盗を重ねていく。やがて指名手配までになるが、彼等はゲームを楽しむかのように犯罪を次から次へと成功させる。そして新聞に報道され彼等の名は知れるところとなる。ところが警察も黙っていない。でもその捜査網の中を抜けるように犯罪を重ねていき、やがて終幕を迎えることとなる。ボニーとクライドは隠れ家に帰ってくる途中で草むらに隠れた大勢の警察官から一斉射撃を浴びる。

 我が青春の映画と言ってもいいかな。アメリカのニューシネマはこの映画から始まっている。謂わばアンチヒーローものである。何故、この映画のことを記事にしたかというと、先日のアカデミー賞授賞式の会場で作品賞を発表するときのプレゼンテイターがウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイだったからである。このときフェイ・ダナウェイが「ラ・ラ・ランド」と言って歓声が上がったが、あとで関係者が違うといってとんだハプニングになった今年のアカデミー賞授賞式だったが、今から約50年前にボニーとクライドを演じた2人がプレゼテイターをしていたことに驚いたのである。当初、この2人誰だか判らなかった。無理もない歳をとりすぎている。あのときのボニーとクライドの面影が何処にもない。
 この映画が上映されたとき小生は中学生だった。何処の映画館で観たのか覚えてない。でもラストシーンがあまりにも衝撃的だったのでこの映画は何時まで経っても忘れない。物語としては実話である。ボニー・パーカーは1910年生まれ。クライド・バロウは1909年生まれ。ボニーもクライドテキサス州の生まれでボニーは16歳で高校の同級生と結婚するも夫が銀行強盗の容疑で刑務所に入れられる。そしてウェイトレスとして働いていた。クライドは子供の頃から素行が悪く、動物虐待をやっているところをよく目撃されていて、17歳でギャング団に入り、自動車泥棒を繰り返していた。そんなある日にクライドはボニーの母親の車を盗もうとしてボニーに見つかる。こうして出会った2人であるが、やがて犯罪に手を染めていくようになる。銀行強盗に入って警察をあざ笑うかのように逃走する。しかし多くの殺人、強盗を繰り返しているのに当時のアメリカの世相は暗く、世界大恐慌の直後。禁酒法時代の最中、世の中の人は憂さ晴らしをするネタにしたかったのかボニーとクライドを何故か英雄視した。実際彼等は貧乏な人から金は奪わなかったのだ。新聞報道も彼等の犯罪を度々載せていて、その度に民衆はボニークとライドの犯罪をこっそり応援するようになったという。でも警察の方はメンツも何もあったものはない。どうにかしてボニーとクライドを逮捕しようと躍起になっていた。やがて居場所が知れて、待ち受けていたテキサス・レンジャー4名。ルイジアナ州の警察官2名による機関銃の一斉射撃を浴び死亡。車には弾痕の痕が。2人は蜂の巣になる。通説にはボニーとクライドは80発の弾丸を浴びたという。ラストシーンが衝撃的だったが、この映画の影響は大きくアメリカン・ニューシネマの始まりだと言われた。所謂、栄華に満ちあふれたアメリカだけじゃなく、こういった闇の部分が溢れていると言うこと。世の中の恥部であったが、彼等は富裕層をぶち壊すかの如く銀行強盗を繰り返す。実際にはアンチ・ヒーローなのだが、何故か2人の若い男女は何時しかヒーローとして大衆層から扱いを受ける。ボニーとクライドは銀行強盗をまるでスポーツを楽しむかのように行い逃走する。1930年代とは世相も暗く、何故かこういったチンピラ2人が持てはやされたのだろうか。大衆は持って行きようのないやるせなさをボニーとクライドに託していたのかもしれない。世の中を潰してくれとばかりに・・・・・。
 ところでこの実話が映画化されたのが1967年。まさにアメリカが参加したベトナム戦争が泥沼化した時代。世情は政府を許さないとばかり各地で反戦運動が頻繁に起こっていた。そんなときにボニーとクライドの実話の映画化。この映画はヒットした。社会現象にまでなった。その後のアンチヒーロー物の礎ともなった記念碑的作品である。
 時は1934年5月23日、ルイジアナ州北西部にあるビヤンヴィル郡の街アーケディアから離れた道路を走っていた1934年型フォードV8は雨霰の弾丸を受け。死亡。儚くも美しく散ったボニーとクライド。アンチヒーローが何故か美しかったという終幕。また演じていたフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティはとても恰好良かった。

フォギー・マウンテン・ブレイクダウンのメロディに乗って逃げまくる


実際のボニーとクライド

EDIT  |  20:20  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2017.02.05 (Sun)

映画『スター・ウォーズ』を観る

『スター・ウォーズ』1977年制作、アメリカ映画

監督 ジョージ・ルーカス

出演 マーク・ハミル
   ハリソン・フォード
   キャリー・フィッシャー
   アッレック・ギネス
   ピーター・カッシング
   アンソニー・ダニエルズ

【あらすじ】遠い昔、遥か銀河系の彼方で帝国軍と反乱軍が争いをしていた。反乱軍は帝国軍のデススターの設計図を奪い逃走。それを追う帝国軍のダース・ベイダー。帝国軍に捕らえられた反乱軍のリーダーであるレイア姫からの命を受けた2体のロボット、C3PO、R2D2は惑星タトゥイーンに漂着。R2D2はレイヤからのメッセージとスターの設計図を託されていた。ここで2体のロボットは少年ルーク・スカイウォーカーと出会う。ここでルークはR2D2のメッセージを見てしまう。R2D2は夜中にオビ・ワンにメッセージを届けようとする。その後ろを追うルーク。共に野盗タスケンの襲撃に遭い老人ベン・ケノービに助けられる。しかしベンこそが名を変え細々と暮らしていたかつてのジャダイの騎士オビ・ワンであった。ここでオビ・ワンはライトセーバーをルークに渡し昔の話を始める。こうしてルークは父がジェダイの騎士であったことを知り、オビ・ワンと共に帝国軍と戦うことを意識する。やがて宇宙海賊ハン・ソロ出会いハン・ソロの相棒チューバッカや反乱軍の兵士と集合。レイア姫の救出と建造中の攻撃要塞デス・スターの破壊へと旅立つ。

 この映画を観たのは1978年の夏だった。随分と話題になっていた。小生も社会人になって間がなく徹夜明けで観たせいか映画館の中で居眠ってしまいあまりよく覚えていないので当初の印象は面白くなかった。SFと聞いていたがなんだかスペース活劇のような映画だった。つまり根本にあるのは日本のチャンバラ映画。ジョージ・ルーカスは黒澤明を師とするぐらいだから影響を受けまくっていたのだろ。ジェダイというのは時代劇の時代だったいうし、ライトセーバーを振り回すジェダイの騎士はまさに日本の侍の姿である。しかし全身白い鎧で覆われたた兵士ストームルーパーや旧ドイツ軍のヘルメットに黒い顔面マスク全身黒ずくめでマントを覆っているダース・ベイダー。これらの登場人物の名前をすぐに覚えられず、筋書きも荒唐無稽で最初に観たときはのめりこめなかったものである。しかし2回3回と観てくると面白い映画だと気がついていったものである。それが続編が作られたと知るや観に行った。ここで新たにヨーダという小さな老人が登場する。さらに話が複雑になっていき、3作目も作られ帝国軍と反乱軍との戦いが終結。ここで全て話に辻褄が合う。だからスター・ウォーズは1作目を観るよりは3作通じてみた方がより面白いと言うことが後に判るのである。結果として3作目で意外な展開になるが、このスター・ウォーズ・シリーズの第1作こそが本編であり、公開当初は『スター・ウォーズ』というタイトルで、後にルーカス自身がスター・ウォーズは9部作にする予定だと語った時、新たなる希望なんて副タイトルがつけられ、さらにダース・ベイダーの過去の話である3部作が作られたときは『スター・ウォーズ』はいつの間にかエピソード4となっていた。だから今の若い人は『スター・ウォーズ』第1作はどの映画だろうかと思うんじゃないだろうか。今は、さらにスター・ウォーズ・サーガの新作が作られ一大大河SFとして記憶されているみたいだが、やはり『スター・ウォーズ』といえばルーク・スカイウォーカーが初登場したこの1977年の作品のことを指すだろう。まだCGもない時代、アナログ撮影で色々な手法で撮影した。今となっては古いといった感は否めないがCGで処理してしまう安直さに比べると重みのある映像であり手作りの良さがあった。今やスター・ウォーズはディズニーの手に渡り監督もルーカスが手を引いてしまった。まあだんだんとつまらなくなるだろうけどアメリカ映画もドル箱は手放せないのだろう。だからヒットシリーズを何時までも追い続けるのだ。でもレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーも最近亡くなったし今になって40年前の映画だったと気づく。そりゃ小生も年とるはずだ。


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2016.10.29 (Sat)

映画『スタンド・バイ・ミー』を観る

『スタンド・バイ・ミー』1986年制作、 アメリカ映画

監督 ロブ・ライナー

出演 ウィル・ウィートン
    リヴァー・フェニックス
    コリー・フェルドマン
    キーファー・サザーランド
    ケイシー・シマシュコ
    リチャード・ドレイファス

【あらすじ】ある男がのどかな田舎道に車を停め、助手席に置いてある新聞に目をやる。それは弁護士が刺殺されたという記事であった。その刺殺された弁護士というのは、少年時代に親友だったクリス・チェンバースである。ある男はゴードン・ラチャンスといい作家であった。ゴードンはその記事を見て遙か昔の12歳の頃の瞑想にふけるのである。ここから少年時代の回想へ話は進む。
 ゴードンと何時もつるんでいる4人は、よく木の上に建てた簡易小屋でたばこを吹かしたりトランプをしたり、痴話話をよくやっていた。4人とも何か心の中に傷があり癒やされていなかった。ゴードンは兄を事故で亡くし、両親は期待していた長男を失った痛手から立ち直れないでいたが、次男のゴードンには期待もしていなかった。
 クリスは家庭に問題があり周囲から白い目で見られていたが、実は正義感が強く友人思いの優しい少年である。テディは粗野で乱暴で家庭環境も良くなく暴力を起こす父がいたが、軍人として勇ましい活躍をした父をある意味で尊敬していた。バーンは気が弱く少し太っていて、のろまだったが不思議とこの仲間と馬が合った。
 ある日バーンが兄とその仲間との話を盗み聞きする。それは3日前から行方不明になっている少年の死体を見つけたというものだった。しかし、兄たちは盗んだ車のことがばれるのが嫌で警察に届けなかったという。その話を聞いたバーンは早速、仲間に話すと4人で死体を見つけ英雄になろうと行動に起こす。こうして少年4人は延々と線路伝いを歩き始めるのである。

 この映画はホラー作家スティーヴン・キングのホラーでない短編を下地にしてロブ・ライナーが監督した秀作である。オレゴンの田舎町。行方不明になた少年の死体を見つけようと冒険に旅立つ4人の少年。ストーリーは単純だが、その中には色々な要素が含まれていて、淡く切ない少年の心象が見事に描かれている。4人それぞれが持つ悩み葛藤、将来の不安、少年達の会話から見て取れるが、これらが内包され作品の根幹となっている。
 タイトルのStand by Meはそばにいてくれとか支持してくれとかといった意味になるが、性格は違えど少年時代の親友は掛け替えのないもの。大人になってからの関係と違い利害というものはない。ただ純粋無垢で粗野で正直でお互いがぶつかり合う。こういった関係は大人になってから無性に懐かしく感じるものだが、このような感性をを捉えきっている映画だと思う。少年時代に見た感じた思った原風景というものがここにあり、集約された作品である。
 この映画の最後の方で、不良の年上の少年達に脅されながらも友情から気弱なゴードンがピストルを持って構えるところは、あたかも危うい関係に見えて実際には信頼関係で繋がっているという一面を垣間見るものであり、大人にはない甘い切ない少年時の無鉄砲な行いを想起させるものである。謂わば大人への奥底に潜む邪気を擽る映画と言えば良いだろうか。また最後にベン・E・キングの歌うStand BY Meがエンディング曲に使われ郷愁を誘う。


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