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2014.07.27 (Sun)

酷暑

 今日は不思議と雨が降っているが、一昨日あたりから猛烈な酷暑である。小生は既にバテ気味でウンザリしている。当初、今年の夏はエルニーニョ現象が起こるので・・・・色々と言われていたが、どうもエルニーニョ現象が今だ起こらずとんでもなく厳しい暑さとなっている。まあ予想されたことだが、これからまだ8月を迎えるので戦々恐々、熱中症にならないようにこまに水分補給するようにしているが、これだけ高温多湿だと発汗が凄くて水分補給しても間に合わない。1日3ℓぐらいは飲んでいるだろう。スポーツドリンクにお茶に、水に・・・・・・。それでも追い付かない。外出して10分でも歩こうものならその後は全身から汗が噴き出してくる。やはり連日35℃以上の猛暑になると直射日光の強さからして違う。昨日なんか青天井で雲がみあたらないほど快晴。秋の快晴は心地よいが真夏の快晴は勘弁してほしい。とにかく外に居るとすぐにでも冷房の効いた建物中にすぐに避難したくなる。それでも暫くの間は汗がほとばしるのでどうしようもない。かといって家で冷房を入れて閉じこもっていても日中はあまり効かないほど外は暑い。要するにどうしよもないということだ。従って何にもする気が起こらない。1年でこの夏だけはいらないのだが、確実に毎年来るからね。それも年々、暑くなるような感じだ。どこそこで39℃なんてニュースを聞くともうため息しか出てこない。何しろ朝から既に暑くて、少し動いただけでも汗をかくから何をする気も起らないのだ。せめて湿度だけでも低かったらこれほど発汗はしないのだろうが、相も変わらず湿度が高く、そこへ猛烈な気温の上昇で瀕死状態である。でまだ7月。これから1ヶ月以上ただ耐えるしかないのか・・・・とため息が出るが、ほんとに金があるなら何処かに避暑に行きたい気分である。

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2014.07.22 (Tue)

梅雨明けしたらしいが・・・

 昨日、近畿地方は梅雨明けしたと発表された。梅雨入りが6月4日で梅雨明けが7月21日ということで梅雨の期間は平年通りということであって、何時もの年並みと言うことなのである。しかしである。梅雨なんてものがほとんどなかったのに梅雨明け宣言されても違和感を覚える。近畿中部においては平年の半分も雨が降ってない。大阪市内はほぼ平年の降雨量のほぼ5割らしいのだが京都南部は3割も降ってないだろう。全くの空梅雨だったのである。だから関東で驚異的な局地豪雨があったり雹が降ったり、長野で大規模な土砂崩れがあったり九州でも同様に降ったし東海地方でも集中的に降ったらしいのだが・・・。
何故か我が家の周辺はお湿り程度の雨が10分ほど降っただけである。この梅雨の間、台風が接近してもほとんど雨が降らなかったので、1日中雨が降った日と言うのはたった1日だけだった。それほど雨の降らない梅雨だった。それでも日本全体では空梅雨だったという印象はないのだろう。降る所では記録的な豪雨が繰り返されたからだが、近畿地方中部はさっぱり降らなかった地域のエアポケットの真っただ中に入っていたのだろう。だから梅雨がなく夏が余計に長く感じるのだ。それで毎日、暑くて早くも夏バテ気味なのだが、夏はこれからが本番だ。ようやく子供たちが夏休みに入ったようなので、これから2ヶ月近くは暑い気温の中で耐えなければならないのかと思うとぞっとする。
 毎年言っていることだが小生のような夏が大嫌いな者は、何時も秋が来るのだが待ち遠しい。よく春よ来いと言ったような春を待ちわびる歌や句もあるが、それに比べると秋を待ちわびる歌や句は少ない。不思議なものだが昔から日本人は越冬をして春が来るのを望んでいたようで、秋をあまり待ち望んでいなかったのかな、つまり秋の先には辛い冬が待っているからか。おそらく雪国の人はそうだろう。でも近畿の中部だと冬と言っても積雪はほとんどないし着込めばどうにかなる程度の寒さで、酷暑の夏を考えればまだしのげる。だから小生は1年で夏が終わった時が一番ホッとする時期でもあるが、最近は何時までも暑いから行く夏を楽しむこともなく10月でも夏のような日がある。それで気持ちいいなああと感じた途端、一気に寒くなる。つまり秋が短いのだ。いつしか四季がなく二季になりつつある。全くロクでもない・・・・・。
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2014.07.20 (Sun)

ただただ暑い

 昨日の午後、東海地方の大雨で新幹線が運行を停止していた。それを聞いてえっと驚いた。京都周辺ではさぱり雨が降らず、ただ暑い日が延々と続いているだけで、梅雨なんてものはないのに等しいい。いったいどうなっているのかしらないが雨が降らない。この前の台風の時でも雨がほとんど降らなかった。今は寒気団が日本列島の上空に居座り何処へ南から暑い高気圧が張り出してきて積乱雲が各地で発達し、このような局地的に豪雨をもたらす積乱雲が発達したのだろう。それでとんでもない激しい雨が突然降り出し新幹線を停止させるのだから、いったいどんな雨が降ったのだろうか。何だか京都周辺だけは全く雨が降らないくて毎日、毎日、暑いだけ。昨日は高校野球の京都府大会に行っていたが、ちょっと曇っているときはいいけど、雲が途切れると途端に強い日差しが身体を襲ってくるる。ジリジリと紫外線が・・・・。あっという間に汗がほとばしり背中から顔までベトベトである。これだから夏は嫌いなのだ。頭からタ濡らしたタオルを被り水分を補給する。それでも汗は止まらない。去年の今頃は入院していたので毎日、冷房の利いた院内でリハビリに励んでいたので、夏の暑さは半分しか体験していなかったが、今年は二年ぶりに夏を全て体験することとなる。
 そのせいかどうかしらないが今年はとくに発汗が酷いような気がするのだ。ペットボトルで水分を摂取するが、毎日、3本から4本飲んでいる。それでもすぐに喉が乾いてしまう。医者に水分を充分摂ってくれと言われているので、これだけは心掛けているのだが、それにしても暑い。帰宅すると何時も全身が汗だらけ。小生はこんなに汗っかきだったかな・・・・。今日も朝からカンカン照りだが、天気予報では今日も大気は不安定のので局地的な豪雨が予想されるという。でもそれを聞いて、いったいどこの国の話だといわんばかりに思ってしまうほど、我が家の周辺では雨が降らない。局地的豪雨はいらないがせめてお湿りだけでもあれば少しは涼しくなるのだが、さっぱり雨が降らない。そして雨が降らないまま梅雨明け宣言されるのかな。
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2014.07.14 (Mon)

ワールド・カップも終わった

 ブラジルで一ヶ月に及び開催されていたサッカーのワールド・カップもドイツの優勝で幕を閉じた。時差の関係でほとんどの試合が日本時間の未明か早朝に行われたということで観戦していた人もあまりいないのかもしれないな。日本の場合はグループ・リーグ敗退が決定した段階で水が引くようにワールド・カップへの関心が薄れていったのは何時ものこと。つまり日本以外の試合を真剣に観ている人と言うのはサッカー・マニアだけであって、残りの大半は日本の動向だけに興味があったということに他ならない。普段はサッカーに見向きもしないのにワールド・カップになると突然のように俄ファンが激増する。こういうのがあまり好きではないので小生は日本戦を緒戦の前半以外、全く生中継で観なかった。もっとも最近のワールド・カップは何処がやろうと真剣に観たこともないが・・・。それで今回もニュースを観て結果を知るぐらい。ほとんどの試合は未明か朝に試合を行っている場合が多く、仕事人は出勤時と被さることもあり録画で観た人がほとんどだろう。でも決勝は早く目が覚めたついでに寝転びながら観ていた。ドイツVSアルゼンチンは三度目の決勝の顔合わせと言うことでハラハラ試合だったが、なかなか両チームとも得点できず、0―0で延長になってしまった。延長前半で得点が入らず、これはもしかしてPK戦で決着かと思っていた延長後半の8分、ドイツのシューレルが左サイドを突破。クロスを入れるとゲッツェがそのボールを胸でトラップして左足でシュート。それが見事に決まりドイツがこの1点を守り切り4度目の優勝をした。このゴールはなかなか見事なもので、ドイツは1990年以来の優勝となった。また南米で開催されたワールド・カップでは史上初めてヨーロッパのチームが優勝したこととなった。
 しかしである。ドイツの優勝を予想した人がどれだけいただろうか。まだクローゼが出ているのかと思った人も多いだろう。日韓ワールド・カップの時から出ているのだから。ラーム、シュヴァインシュタイガー等のベテランも多い。それでいて上手く若手が加わって今回は見事に噛み合ったような気がした。決勝でアシストしたシューレルとゴールを決めたゲッツェは共に若い。でもドイツはグループ・リーグ緒戦の対ポルトガルでは4対0と圧勝だったが、ガーナ戦は2対2と引き分け、アメリカ戦でも1対0と辛勝。トーナメントに入っってからもアルジェリア戦では2対1と苦戦し、準々決勝の対フランス戦で競り勝った。強豪フランスに最少得点差だが勝ったのは大きく、準決勝でブラジルにまさかの7対1で圧勝。これで完全に調子に乗ったかな。決勝は苦戦したが、ドイツ伝統の組織サッカーがアルゼンチンのメッシを封じ込め優勝してしまった。
 ドイツと言うのはけして派手なサッカーではないが、何時の大会でも大崩れしないしとにかく粘り強く、けして諦めないサッカーである。こういうと1982年のフランス戦をすぐに思い出すが、1974年の決勝でもオランダの方が有利と言われながら逆転勝ちで優勝した。とにかく簡単には負けない。渋いサッカーだがとことん食らいついてくる。そういったイメージのあるドイツ・サッカーである。一時は新旧交代期で低迷気味だったが、それでもグループ・リーグで敗退したりはしない。まさにゲルマン魂だ。かつての日本サッカーはドイツ・サッカーを学んだ。クラマーに教わったチームは奇跡的にメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲った。技術は下手でもクラマーは日本チームには大和魂があると言った。それが今の日本のサッカー・チームにはそういった精神的なものが欠けているような気もするのだが・・・・。
もっとも体格的にドイツ人ほど恵まれてないし、それを補うには何かが足りない。それは何だろうか。日本がワールド・カップで好成績をあげるのは何時のことになるか分からないが、ドイツと同じことをしていても勝てないだろうし、かといって南米勢のような個人技も持ってない。はたして小生が生きている間に日本がワールド・カップでベスト4以上の成績を収めることが出来るかどうか、これさえも難しいのではと思う。でも日本サッカーは何かを掴み挑戦し続けなければならない。巨大な壁に跳ね返されながらも・・・・・。
EDIT  |  19:41  |  スポーツ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.07.13 (Sun)

映画『アイ・アム・サム』を観る

『アイ・アム・サム』2001年制作、アメリカ映画

監督 ジェシー・ネルソン

出演 ショーン・ペン
   ミシェル・ファイファー
   ダコタ・ファニング
   ダイアン・ウィースト
   ロレッタ・デヴァイン
   リチャード・シフ

【あらすじ】知的障害のため7歳の知能しかない父親サム・ドーソンは、スターバックスで働きながら1人娘ルーシーを育てている。ホームレスの妻はルーシーを生むとすぐに姿を消してしまったのである。サムは娘にビートルズの曲名からルーシー・ダイアモンドと名付ける。どうにかこうにか父娘は理解のある人々に囲まれ幸せに暮らしている。だが、ルーシーが成長し7歳になる頃にはルーシーはサムの知能を超えようとしていた。それで、ある日、家庭訪問に来たソーシャルワーカーは、サムの養育能力は欠けていると判断しルーシーを保護する。どうしてもルーシーを取り戻したいサムは法廷で闘う決意をし敏腕弁護士リタのもとを訪れることにする。しかし、サムがリタを雇うお金もなく断られてしまう。しかし、リタは自分が社会奉仕の仕事もできることを見せつけるために弁護を引き受けることにした。でもサムにとってはどうみても不利な裁判である。サムの友人たちは知的障害者ばかり。裁判でごく普通の証言が出来ず、隣人アニーも外出恐怖症を乗り越えて証言台に立つが、相手の検察官にやり込められてしまう。やがてルーシーは条件付きで親権は認められたものの里親のランディと暮らすこととなる。だがサムはその家の近所に引っ越してくる。それを知ったルーシーは毎日のように夜中に家を飛び出してサムのところへ会いに行く。

 知的障害者の父親が健常児の娘を育てていくという父子家庭の愛情を描いた秀作である。サム・ドーソンはホームレスの女との間に娘をもうける。そもそもそれが物語の始まりである。サムは知的障害者であるがビートルズの大ファンでビートルズのことなら何でも知っていた。そして生まれた女の子にルーシーとつけたほどだ。そのサム・ドーソンをショーン・ペンが演じているが、これが好演で本当の知的障害者ではないかと思えるほどである。少年と大人が混じった障害者を演じることの難しさ、またサムを取り巻く共演者が全て好演している。ショーン・ペンはこの役を演じるにあたりロスにある障害者の施設を訪れている。施設には自閉症や知能、学習能力の遅れなど発育系の障害者、てんかんや脳性麻痺など神経系の障害を持つ成人が100人ほど生活している。ここで多くのことを学びとったショーン・ペンが演技に活かしたことは当然としても、この映画では共演者のブラッドとジョーがこの施設のオーディションで受かりサムの友人役で出ている。尚、ネルソン監督は障害者をリサーチする上で「こういった障害を持つ親たちを見ていて一番興味を持ったのは、彼等は一般的な知性と言ういう意味での能力には欠けているけども、何事ももけしてネガティブに受けとらないということでした。どんなに小さなことでもポジティブに受け止めるのです」ということを知る。それが元となり知的障害者への偏見がなくなり映画の演出に効果を齎すのである。つまりこの映画は演出と演技者の好演と脚本の良さが上手く交ざり合い、そしてビートルズが大きな意味を持っている。サムはビートルズのに関する出来事や場所や日付や時間を正確に暗記しているという偏執ぶり等、物語の中の多くのシーンでビートルズが登場している。彼の部屋にはジョン・レノンの大きなポートレートが貼り付けてあるし、娘にまでルーシーとつけたほどだ。しかし、これは大きな意味があるという。ネルソンとジョンソン(脚本担当)が実際にリサーチしていく中で施設にいた人々のすべてが、一番のお気に入りはビートルズと答えたという。彼等はビートルズの曲なら何でも知っていたし、ビートルズに関することならとても詳しかった。その影響力に感銘し、映画の中で多くのビートルズの曲と共に事象や出来ごと、語句が引用されているのだ。ただビートルズの曲は著作権法の問題もあってオリジナルは簡単に使用できず、劇中ではシェリル・クロウ、エイミ-・マン、サラ・マクラクラ等によってカバーされたものが使われている。
 それでは最後に映画内で使われたビートルズ・ナンバーを記載しておくとする。
『Lucy in the Sky with the Diamonds』『Two of Us』『Across the Universe』『I’m Looking Through You』『Strawberry Fields Foever』『Golden Slumbers』『You’ve Got to Hide Your Love Away』『Blackbird』『Mother Nature’s Son』



サウンドトラック(音楽のみ) 映画に使われてない曲も入ってます。

EDIT  |  10:11  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.07.10 (Thu)

ブラジル・サッカーが崩壊した

 台風8号が通過中。勢力が衰えたとはいえ沖縄では猛烈な暴風雨が吹き荒れた。そもそも7月でこれだけ大型の台風が日本に来るなんてと思いたくないが、最近は50年に一度とか観測史上初とかいったことが頻繁に起こるが、それだけ日本近海での海水温が高いということなのだろう。やっぱり地球温暖化の影響か? 喜ばしいことではないが、是が現実なのだ。
 それはそうとワールド・カップの準決勝でブラジルがドイツに1対7で大敗した。信じられないでいる。サッカー王国ブラジルと自他ともに認めるところであるが、ブラジルがこれだけの大量失点を食らったのを見たことがない。ネイマールが骨折していなくなりディフェンスの要で主将、精神的な支柱でもあったチアゴ・シウバが累積カードが溜まり出られなかったというのもあるが、ブラジルがドイツの上手い攻めにズタズタに引き裂かれてしまった。試合開始当初はそうでもなかったが、11分にコーナーキックをミュラーに決められて先制され、23分にクローゼに2点目をを入れられると焦りから攻撃と守備が絡み合わず、僅か6分の間に4失点。前半だけで5対0。後半に入ってもドイツは2点を入れ7対0。最早どうすることも出来ない。試合終了直前に1点を入れるが何の慰めにもならない。ブラジルVSドイツという南米、ヨーロッパを代表する強豪国同士でいい試合をするかと思ったら意外な結果に唖然とするしかない。それもブラジルのホームやっているのにこんな大敗を喫するとはブラジル・サッカー史における屈辱的な試合となった。1950年のブラジル・ワールド・カップでウルグアイに1対2で逆転負けしたブラジルではマラカナンの悲劇として自殺者まで出し、後世まで語り続けられているが、今回のはさらに酷い結果になりミネイランの悲劇となってしまった。つまり今回のブラジルはネイマールの得点力に頼るところも多く、チームとしては完ぺきではなかったのかもしれない。代わりの選手が穴埋めできないというのはチームに何処か目に見えない穴があったのだろう。タレント豊富なブラジルでも今回のような若いチームだと何かがきっかけで破綻をきたす。それに相手がドイツと言うのも悪かった。ドイツのチームは組織力と結束力高く、それでいてフィジカル的にも精神的にも強い。そこへ粘り強さとスタミナもあるからブラジルといえども一度リズムを崩すとつけこんでくる。結果的にはブラジルの欠点とドイツの長点が全て出た試合だったような気がする。
 小生は子供の頃、ブラジルのサッカーに魅せられてサッカー・ファンになったから今回の結果を見て一抹の寂しさを感じないでもない。ただ今回のブラジル・サッカーを観ていてあまり魅力を感じないのも確かではあった。
 小生が思うに、ブラジルのサッカーが一つのスタイルとして1番輝いていたチームは1982年のスペイン大会だろうと思う。黄金の中盤を一体として個人技ありパスワークあり、イマジネーションのある身惚れるような見事なサッカーをしていた。ただ優勝したイタリア戦でロッシのハットトリックにより敗れ去ったが、この時のブラジル・チームこそが大会の華であった。その後のブラジルは個人技も優れていて強くはあるが、どこか物足りなさもある。どちらかと言うと数人のスター・プレーヤーに依存している面が少なくない。なのでチームとしては何か魅力に欠けていたというのが本音である。それが今回ネイマールとチアゴ・シウバが欠けていて、先制され2点目をあっさり失い、パニック状態を起こしたようだ。だからチームとしては完成されてなかったってことだろう。それでもブラジルのサッカーと言うのは魅了してやまないのだが。

1982年ワールド・カップのブラジル代表チーム


1982年ワールド・カップ ブラジルVSアルゼンチン戦
アルゼンチンはケンペス、パサレラ、アルディレス、ベルトーニ、タランティーニといった前回優勝のメンバーに天才マラドーナが加わった。対するブラジルはジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの黄金カルテットとエデル、オスカー、ジュニオールとタレントぞろい。好試合になったがこの大会でデビューしたマラドーナは、バチスタの執拗なマークにいらついて足蹴りを加えレッドカードで一発退場となった。

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2014.07.06 (Sun)

ペレス・プラードを聴く



 ペレス・プラードって誰だって若い人は思うだろう。所謂、ラテン音楽というジャンルでの中のマンボの王様といわれたのがペレス・プラードである。昭和40年代後半から50年代にかけてザ・ドリフターズの『8時だよ!全員集合』という人気番組が生放送されていたが、この中で加藤茶がつるつる頭の鬘を被り突然寝転がると場内が暗くなり赤いスポットライトが浴びせられる。すると艶めかしい音楽が流れる。すると加藤茶はストリッパーのような演技を行い「ちょっとだけよ。あんたも好きね」と囁く。それを見ていかりや長介が止めに入るという何時もお馴染みの一場面が展開される。毎週、この演出が行われるのだが、観に来ていた人(子供が多かったが)がやんやの喝采を送る。これを観るために大勢つめ掛けていたような気もするが、この曲が当時は話題になったものである。つまりこの曲の元がペレス・プラード楽団の『タブー』である。
 ペレス・プラードは1916年にキューバで生まれた。当時はまだ社会主義国家ではないキューバだった。父が新聞記者で母が教師というインテリ家庭に生まれ幼い頃からピアノを習っていたので音楽の素養が身に付き、何時の間にかハバナのクラブで演奏するようになる。そして既に既存の音楽であったルンバにアメリカで流行っていたスウィング・ジャズの要素を入れマンボ音楽を演奏するようになった。でもキューバではあまり受け入れられることもなく彼はメキシコへ渡る。これが第二次世界大戦終結から3年後の1948年である。彼の地でペレス・プラードは自らの楽団結成し人気を博すようになる。なので我々はメキシコの人だと言ったイメージがある。
 やがてペレス・プラード楽団はヒット曲を立て続けに出すようになりショウ・ビジネスの本場アメリカに進出。最初のヒット曲は1949年の『エル・マンボ(Que Rico El Mmbo
)』で、翌年の1950年『マンボNo.5』が世界的にヒットし一躍有名になるのである。その後、『マンボNo.8』、1955年には映画『海底の黄金』で使われた曲『セレソ・ローサ』は何とアメリカのヒットチャートで10週間連続1位、26週連続チャートインという快挙を成し遂げる。さらに1958年『パトリシア』は全米のヒットチャート1位であり40万枚の売り上げを記録するなど一世を風靡するほどであったが、その後のロックンロール等の台等でマンボは次第と下火になりペレス・プラードは活躍をメキシコへと移すのである。
 でも日本には人気絶頂期の1956年に初来日以降、17回も来日していることなど隠れた人気を得ていた。1950年代の日本の若者がズボンの裾を細くしたマンボズボンと言うものを穿くなどして影響も少なくなかったのだ。謂わばラテンブームの火付け役で在り、マンボスタイルの楽団が日本でも数多く結成されたことは言うまでもない。日本ではロカビリー・ブームというものがあったが、一部ではマンボ・ブームのようなものもあったらしい。実際、その時代を私は知る筈もないが、後のフォーク・ブーム、エレキ・ブームが起こる前は、そういったジャンルの音楽が若者の間で流行っていたということである。それが時代を経て、突然、ドリフターズのコントにペレス・プラードの『タブー』が使われるということは、当時のミュージシャンの中には影響を受けた者が数知れずいたということであり、ペレス・プラードの名は後世まで轟いているのである。しかし、ペレス・プラードは1989年にメキシコで亡くなっている。地元メキシコでは彼の足跡を讃え派手に葬式を行ったが、母国キューバは社会主義国家と言うこともあり、その死は僅かな報道で伝えられただけであった。

Mambo No.5


Tabu(動画はなし) 「ちょっとだけよ あんたも好きね」

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2014.07.03 (Thu)

久しぶりの雨

 今日は久しぶりの雨。何時以来かなというほど雨が降ってなかった気がする。いや、パラパラ程度のお湿りならあったのだが、雨らしい雨となると何時だったかなというほど雨が降ってなかった。東京近辺ではこのところ記録的な豪雨があったりするのだが、反対に近畿地方はどこも雨が降らず、観測史上最も雨の降らない6月だったそうだ。京都に関しては6月の降雨量が僅か61mmだというではないか。平年値では214mm降っているのだから、今年は如何に雨が降ってないかよく判る。この前、東京近辺では1時間に100mm以上降ってマンホールから水が噴き上げていたな。いった何処の国の話だと思えるほど、こちらでは降らないのに不思議な気象現象だ。それほど近畿地方は雨が降らないで気温も上昇気味。道理で毎日、暑い筈だ。ムシムシしてどんよりと曇っているが、汗がタラタラとしたたり落ちるって感じである。梅雨の筈なのにといっても降らないから湿度があって気温も高い。これから本格的な夏を迎えるのに今からこれでは先が思いやられる。空梅雨もここまでくると呆れかえるしかない。今日は午後から雨が本格的に降りだしたので涼しかったが、また明日から空梅雨傾向のまま梅雨が明けてしまうのかな。今日はたまたま雨が降っただけなのかな。そして、これから先はまた降らないかもしれない。降った時は単発で集中的に降ると言った今年の傾向だが、近畿地方中部に関しては単発でも大して降らないから、日照り状態と言ってもいい。これだけ降らないと渇水がよく問題になるのだが、こと京阪神に関しては水の供給源である琵琶湖が枯れることなどあり得ないので、その点は心配ないのだが作物の方に影響が出る。反対に北日本とかで冷夏が心配され、こちらも作物に影響がある。どちらにしても今年の夏は地域によって差があり過ぎるな。
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