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2014.08.31 (Sun)

とうとう8月も終わり

 8月31日、明日から9月。気分的にはホッとするというか、ようやく夏が終わるという気がする。かと言って8月から9月に入って突然に秋が来るというのでもないが、気分的なものである。でも今年の夏はうだるような日が続いた去年とは違って、大阪では猛暑日がなかったというではないか。京都は猛暑日はあったがそれでも去年に比べると随分と少なかったらしい。全国的にみても局地的に豪雨が続き、水害や土砂崩れが頻繁に発生し、死者も多く出ている等、酷暑だった昨年とは一転した天災の多い夏だったと言えよう。これも地球温暖化がもたらす弊害か。今年は偏西風の流れがおかしく、高気圧の張り出しも東に寄っていて、それが局地的な大雨を降らす一因になっているらしい。高知でもそうだったが先週の広島は観測史上最高と言うような物凄い雨が短時間で降り続いたがため、土砂崩れを起こし大勢の人が亡くなった。大変悲しいことである。近畿では福知山などで水害の被害が出ているが、小生の近辺ではそういった被害は出なかった。つまり全体的に言うと雨の多い8月だったと言えるが、記録的な冷夏だった1993年のようなシトシトとした雨の多い年ではなく、もう呆れかえるほどの豪雨が1か所で数時間降り続く夏だった。結局はこういった降り方が各地に災害を齎したのである。北は北海道から九州、沖縄まで含めた長い日本列島が何らかの災害に見舞われた夏だった。
 近畿に関しては大阪の8月における猛暑日0というのは21年振りのことで、神戸、和歌山も猛暑日が0。京都、奈良、大津が1日~5日ほどの猛暑日を記録したのみと言うから涼しい夏だっと言えよう。もっとも猛暑日というのは35℃以上のことで、30℃以上の真夏日はほぼ毎日だから暑いことにはかわりはない。でも最近の20年間が異様に暑い夏が続いているので、今年は例年の夏とは少し違っているかなと言う感じはするが、今から40年、50年前の夏と言うのはこんなものだったのだ。この20年位がおかしいのであって、昔の夏の方が涼しかったものだ。最近は35℃以上の真夏日を記録するのが当たり前となっているから、間隔が麻痺してしまっている。小生が子供のころの夏と言うのは、最高が33℃程度で暑いと言っていたからなあ。考えてみればエアコンがなくて扇風機で夏を過ごしていたし、夜は蚊帳を吊っていた。それでも夜は窓を開けて寝ると心地よい風が入ってきたものだ。今では考えられない。今ならエアコンがないと熱中症で倒れてしまうほどだ。いった地球はどうなってしまったのだろうか。
EDIT  |  09:53  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.08.24 (Sun)

更新頻度が落ちます

 盆明けから忙しくて更新できないでいる。おそらくこれからもこの程度の頻度で更新するしかないかな。もっともこのブログもそろそろ終わってもいいかなとは考えているっが、閉鎖するまでは至らない。気が向いたときに振り返って更新するればいいのであって、いずれ時間があれば更新はするかな。もう小生もだんだんとリタイアが近い年齢に差し掛かってきたので、完全にリタイアすれば時間が出来るだろうから、次第と更新が増えるだろう。ただそれまでには、まだ時間がある。従って忙しい合間を縫って更新するしかない。まあ世の中の無数あるブログの中ではちっぽけなブログではあるが、これまで言いたいことはい言ってきたので、これからも独自色は出してカタツムリが進むようにごくわずかではあるが、たとえ一ヶ月に一回でも存在しているということを伝えればいいかな。それではこれからもマイペースで、たとえ更新ペースが極度に落ちるとは思うが更新することにしよう。
EDIT  |  09:41  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.08.17 (Sun)

ジョン・コルトレーンのアルバム『至上の愛』を聴く



 ジャズの初心者がジャズと言うジャンルの音楽に触れてみるものの、ジョン・コルトレーンのこのアルバムを聴くとおそらくジャズが嫌いになるかもしれない。所謂、そういった類のジャズであり難解と言えば難解、前衛的と言えば前衛的である。1964年に出されたこの『至上の愛』はジョン・コルトレーンがインド哲学に心酔し、その結果として生まれた作品であり、タイトルの『至上の愛』は究極の愛を意味するものである。シンプルで魂や精神性を追求したメロディは神への祈りにも似て敬虔である。彼は創造主を讃え、人間の卑小さを認識することで、自己反省しようとしたに違いない。大衆化して肥大化したロックを取り込みジャズに消化しようとしたのがマイルス・デイヴィスなら、コルトレーンはジャズを純然たる自然発生的な感情反応の表現へ絞り込んでいこうとしたのだろう。インド哲学への傾倒や、無心に延々とソロを吹き続ける方法論などはマイルスと違った形で時代へ反応しながらジャズ原理主義的な色彩を強めっていった。
 12歳で楽器(クラリネット)を手にしたコルトレーンだったが、楽器への興味を強めていったものの、高校卒業後は働きながら音楽学校に通うなど、20歳になるまではパッとしたエピソードはない。その後も酒場のバンドで食いつないだりしていた。ただ1955年にマイルス・デイヴィスのバンドに大抜擢され一躍フットライトを浴びかけたものの多くのブーイングが彼に待ち構えていて散々だったといえよう。さらに57年再びマイルスのバンドに迎えられたとき、人々はようやくマイルスがやろうとしているモードジャズという方法論を理解し得る人材であることを認めるようになる。そして60年に独立し自分のバンドを組んだコルトレーンは、次第に前衛的な音楽要素を多く組み入れるようになりフリージャズの大きな求心力となる。
 彼の真摯な音楽的探求の姿勢は、多くのジャズ・ファンを魅了するようになり、コルトレーンはマイルスと共に崇高なアーティストと言われるまでになった。コルトレーンは商業化されていく60年代の音楽シーンを憂慮し、自分をピュアな状態に追い込むことでジャズをまっとうしようとしたのではないだろうか。それ故に未だに彼を崇拝するジャズ・ミュージシャンやリスナーが後を絶たないのは、そこに惹かれるからだろう。それほどコルトレーンは20世紀後半のジャズに多大な影響を及ぼしたのである。
 このアルバム『至上の愛(A Love Supreme)』は組曲であり、Acknowledgement(承認)、Resolution(決意)、Pursuance(追求)、Psalm(賛美)からなる。メンバーはジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルビン・ジョーンズ(ドラムス)で構成され、各自がそれぞれの持ち味を発揮し見事なサウンドを作りだしている。まさにジャズ史上に残る名アルバムである。

『至上の愛』音声のみ

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2014.08.14 (Thu)

盆休みだが蒸し暑いだけ

 どこも盆休みに入っているのだろう。電車に乗ると家族連れが多いし、繁華街に出ても人出が半端じゃない。小生はこれといって行くところもないのだが暑いのだけは勘弁だ。家にいても汗だくになる.。それで、どうしようもなく冷房を入れてしまうのだ。
 昨日は墓参りに行った。山の上にあってここを登って行くとなると全身水を被ったような汗まみれとなるので、行きしなはタクシーで行った。流石に盆だ。墓参りに来る人が多い。でも墓地は青天井で暑いこと暑いこと。雑草をむしり取って墓石に水をかけてさらに磨く。見る見る間に汗が頭から滴り落ちてくる。持ってきた水を飲むが、それでも追い付かないほど汗をかく。盆と言うのは墓参りと決まっているのだが、この暑い盛りに墓に行くのだけは辛いものがある。かといって墓が近くにあるだけに行かないという訳にもいかず、面倒くさいと思いながらも盆には必ず墓参りに行っている。
 墓地は山の中腹にあるので蝉は鳴いているが、不思議と一番喧しいクマゼミでhなくアブラゼミが鳴いている。そしてツクツクボウシが鳴いていた。それにしても蒸し暑い。今年は盆以降は曇り空で蒸し暑い日が続くと言う。去年のようなカッーとした強烈な暑さではないが、気温はさほど高くなくとも湿度の高いムシムシした残暑が続くと言う。それを聞いてぞーっとするが、まだ半月ほど8月が残っている。あーあ、毎年、この季節は耐え凌いでいる感じだが、そのせいで何もやる気が起こらない。昨年、大病を患ったので、夏は殊のほか慎重にならざるを得ない。とにかく小生は発汗が酷いので、知らぬ間に体内の水分が抜けているのだろう。だから何時もペットボトルを持ち歩くようにしているが、すぐに空になるほど飲んでいる。するとまた汗が出る。こんなことの繰るかえしだ。せめて湿気だけでもなければいいが、日本の夏は多湿だから最悪だ。取り敢えず秋らしくなるまではひと踏ん張りするしかないかな。
EDIT  |  15:45  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.08.10 (Sun)

ただいま台風11号通過中

 盆休みに入る直前、よりによって台風11号がやってきた。その前の台風12号が九州西部を通過して大雨を降らしているのに、またやってきたから水害が齎されている。昨日の午前中、雨風共に強かったのが午後から雨風が収まって今朝までは静かなものだった。とにかく台風がゆっくりゆっくり北上してくるので、長い間、雨が降り風も吹く。これまで降った雨の量が半端じゃないところに追い打ちをかけるように、また台風がやってきたから冠水やら土砂災害の危険をはらんでいいる。本当にロクでもない。それが盆休みとレジャーに向かう人が足止めを食らい大混雑となっているようだ。盆の前に台風ってあまり聞いたことがない。やはり最近想定外のことばかり起こるようであるが、これも珍しいことではなくなった。高知のよさこい祭りは一端中止、各地の花火大会も中止、そして、とうとう昨日から開催の高校野球が54年振りに開幕日順延となるなど、それらのものを楽しみにしていた人も多く、まことに迷惑な台風である。
8月の上旬と言うのは、暑い太平洋高気圧が張り出していて、まず台風が日本列島を横切ることなどほとんどない。それで盛夏も盛夏で猛烈に暑くなるものだが、何だか今年はおかしい。去年もおかしいと思ったが、今年は別の意味でおかしい。ただ台風が通過したので猛烈な暑さは和らいだ。ただ昨晩から今朝まで、窓を閉め切って寝ていたので暑いこと暑いこと。朝から眠くてしょうがないが、まあ甚大な被害が出ないことを祈るとしよう。
EDIT  |  10:12  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.08.03 (Sun)

映画『永遠の0』を観る



『永遠の0』2013年、東宝公開

監督 山崎貴

出演 岡田准一
   三浦春馬
   井上真央
   濱田岳
   新井浩文
   吹石一恵
   風吹ジュン
   夏八木勲

【あらすじ】司法試験に落ちた26歳の佐伯健太郎は進路に迷っていた。そんな健太郎は祖母松乃の葬儀の日に驚くべき事実を知る。それは、葬儀の日に号泣した祖父健一郎と自分との間には血の繋がりはないということだった。血縁上の祖父は別にいて、その名は宮部久蔵といい、優秀な0戦の操縦士だった。だが60年前の神風特攻隊で戦死。宮部久蔵のことは何も知らされてなかったが、姉と共にその宮部久蔵のことを興味から調べることとなる。すると昔の操縦士仲間は口をそろえて腕は確かだが臆病者だという。0戦乗りとしては天才的であるが、生き延びることを考え、空中戦になると真っ先に離脱したという。宮部久蔵は妻松乃に「必ず生きて還る」と言って戦地へ赴いていたのである。だが、たった一つの約束事の「必ず家族のもとへ還ると」と公言していた男が何故、特攻隊に志願して死を選んだのか。それは健太郎にとって謎だった。そして調査を進めていきたどり着いた結果が、思いもよらぬものだった。

 この映画は今年の正月映画として上映され、多くの人の涙を誘ったという。原作は言わずと知れた百田尚樹。放送作家として活躍する一方、小説でもヒットを連発する百田尚樹のデビュー作にして一大ベストセラーとなった同名小説を「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督が映画化した戦争ドラマである。小生、この映画が上映されていても観に行ったと言うのでもなく戦争関連の映画は嫌いだから観る気もなかった。だが知り合いの家の女子大生が「是非観てください。大泣きしてしまいました」と言うので、このほどDVDが発売されたついでに観てしまったという訳である。
 そういえば今年の1月、当ブログにおいて0戦と神風特攻隊のことを書いたと思う。なので、ある程度、特攻隊のことは知っていた。だが、いざこうして物語として観てみると確かにジーンとくるものがあり考えさせられることも多い。歴史的事実なのだが、現在とは何もかも違いすぎる。平然と生きることが出来ない。戦時中の最中だとはいえ、狂気、異常な時代の中で敢然と生き延びることを選択する。だがこれが許されない。それ故に宮部久蔵は臆病者と言われ続けた。しかし、調べ続ける間に、祖父は実は臆病者ではなく、自分が死ぬことによって残された妻と子供の将来が壊れることを一番恐れていたということを知って健太郎は、祖父に対して誇りをもつようになる。そして最後に究極の事実が・・・・・・。これは言ってしまうといけないだろう。ミステリーのからくりを教えるようなものだから。
 ところでCGを今まで莫迦にしていたが、この映画の戦闘シーンは迫力がある。事実にも忠実で、0戦は真珠湾奇襲の頃、白っぽいグレー(餳色とされるが諸説ある)に塗装された二一型。ラバウルでの二二型、敗戦濃厚の昭和19年~20年の特攻隊に使われていた濃緑色の五二型0戦、さらには迷彩色に彩られた0戦等、かなり細密に再現されている。個人的には翼が長めの二一型がもっとも0戦らしいと思うが・・・・・。最も戦争関連の映画は好きではないが、航空母艦赤城等も含め、ムスタングやワイルドキャット、ヘルキャット等、戦闘シーンも含めセットでは此処までの映像表現が出来るかどうか、ややSF映画の映像っぽいところもあるが、見せどころは満載である。しかし思うところ、こういった物語はあの当時、起こっていた現実が今となってはあまりにも架空の話のようで、あまりにもかけ離れた世界の話でしか思えないのは、今となっては古すぎるからに他ならない。今や平成になって26年、昭和でさえも四半世紀以上前になってしまった。ましてや昭和16年~20年の戦時下という時代。だんだんとあの時代を語れる人が少なくなってきた。そういった意味では何故に平成の今、このような映画が製作されたか、考える意味では大きな役割を果たしたと言えよう。


EDIT  |  16:47  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.08.02 (Sat)

とんでもなく蒸し暑い

 とうとう8月に入ってしまったかというよりも、やっと8月になったかという感じである。とにかく京都市周辺では今年の6月、7月の降雨量が平年の3割程度だったので、もう1ヶ月以上夏が続いているようなものだ。なにしろ毎日、夏日か猛暑日しかないのだから。もうこの暑さにウンザリする毎日。今日は台風11号が九州の西を北上しているので、珍しく朝からポツリポツリ雨が降っているが、湿度が凄くて汗が滴り落ちる。顔も首も背中も汗でベトベト。肌着が濡れてどうにもならない。ポロシャツを夏はよく着るのだが、潮を吹いていて乾くと白くなっている。いった今日の湿度はどれくらいあるのだろうか。不快も最高潮。夏の日差しこそないが、ムシムシしてサウナ風呂にいるような暑さである。この台風の影響で九州や四国では大変な雨が降っているらしい。でも何故か我が家周辺は雨がさほど降らない。だから気温も高く、それ以上に湿気がありすぎるので、より身体に堪える。晴れ間も見えず雲の切れ間もないが、雨はお湿り程度。これだから余計に暑いのである。
 今日は土曜日で朝から出かけてきて先ほど帰宅したが全身汗まみれ。もう頭髪まで水を被ったように濡れている。額から汗が落ちて目に入る。もうどうしようもない。全く今の時期、どうにもこうにもならない。この高温多湿という特有の気候のせいなのだが、日本に来る西洋人はおそらく参っているだろう。京都は外国人が非常に多いが、皆、Tシャツと短パン姿の人ばかり。それでも暑いのではないだろうか。向こうのように空気が乾いていたらせめて35℃あっても身体にさほど堪えないが、こちらのように湿度が高くて、それでいて35℃以上なると、体感温度は欧米の暑さとは質が違うのでバテてしまう。それでいて夜も熱帯夜だから、寝苦しくて睡眠不足となる。ホントよくこの暑い時期に日本に来るものだ。でも夏さえなかったら日本は治安も良いし住みやすい国なのだが・・・・・。ただ夏があるがため、けして住みやすいとは言えない時もある。しかし、よく考えてみたら、子供のころは夏がこれほど暑いとは感じなかったのだが・・・・。当時はエアコンなんてものが各家庭についてなかった。それでいてエアコンが欲しいなんて思わなかった。扇風機で充分だったのだ。それに夜は蚊帳を吊ってその中で寝ていたものだが、今の時代に蚊帳の中で寝ろって言ったら無理だ。どう考えても子供のころの夏よりははるかに暑くなっているのだろう。はあ・・・ため息しか出ない。まだこれからが本格的な夏だと言うのに・・・・。
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