2008.03.31 (Mon)
映画『007ロシアより愛をこめて』を観る
監督 テレンス・ヤング
出演 ショーン・コネリー
ダニエラ・ビアンキ
ロバート・ショウ
ペドロ・アルメンダリス
ロッテ・レーニャ
マルティーヌ・ベズウィック
【あらすじ】国際犯罪組織スペクターの首脳部は、英国情報部のジェームズ・ボンドへ復讐する目的で、ソヴィエト情報部の最新暗号解読器を手に入れるのに、ソヴィエト情報部のクレッブから英国情報部長Mのもとに、トルコ支局長ケリムからロマノワというソヴィエト情報部の女が、ジェームズ・ボンドの写真を見て一目惚れしたので、彼に会わせて、女をロンドンに連れて逃げてくれたらソヴィエトの暗号解読器を盗み出すと言ってきた。そしてボンドはイスタンブールへ飛び、ロマノワという美女も現れる。解読器は盗み出せた。でも彼女は飛行機での脱出をきらい、列車で行くことを望んだ。それで2人の護衛にケリムがついた。でもケリムはソヴィエト情報部の刺客に襲われて死ぬ。さてボンドとロマノワの行く手には・・・・・・・・・。
私が007という映画を知ったのは小学生低学年の頃である。街の映画館に掲げられてある看板を見て知ったもので、スパイ映画だと知ったのは、小学校も高学年になってからである。でも、まだ007シリーズの映画を観ていなかった。それよりも007の映画に触発されて、亜流のスパイ物のテレビ・ドラマがよく放映されていて、それらを観てから007シリーズの映画を観てみたいと思うようになった。
テレビでは『0011ナポレオン・ソロ』『スパイ大作戦』『0022アンクルの女』なんていうスパイ物が、テレビの画面を賑わせていた。それからまもなく007が日本に上陸した。これはシリーズ5作目になる『007は二度死ぬ』の日本ロケによって、主演のショーン・コネリー等が来日したためである。当時、この撮影クルーは東京、神戸、姫路、鹿児島とロケをして回り、ボンド・ガールというのが話題になった。それで日本人女優の浜美枝がショーン・コネリーの相手役に選ばれたものである。だから、私が初めて観た007シリーズは『007は二度死ぬ』であった。でもこの映画は、何だかおかしな映画で、変てこな忍者部隊が出てきたり、日本人に変装したショーン・コネリーが日本人に見えないなど、出来栄えとしては芳しくなかった。
私は『007は二度死ぬ』を観てから、過去に作られた007シリーズを観るようになったのだが、そんなシリーズの中で最も出来が良かったのが、『007ロシアより愛をこめて』ではないだろうか。でも、この映画は、最初に上映された時、『007危機一発』という邦題であった。その時は、観てなかったと先ほど述べたが、主題曲は良く知っていた。マット・モンローの唄う『ロシアより愛をこめて』である。この曲はラジオで初めて聴いた時、良い曲だと思った。それが007の主題曲だとも知らずメロディはよく覚えていた。高校生になってから『007ロシアより愛をこめて』をリバイバル上映で観たとき、エンディングで流れるマット・モンローの主題歌に感激したものであるが、映画は旅情的で、イスタンブールからオリエント急行に乗り、最後は水の都ベニスで終わるのだが、私は、この映画でショーン・コネリーの相手役をやっていたボンド・ガールがたいへんな美人だったので、とても印象に残っていた。その人はダニエラ・ビアンキだったが、イタリアの女性で、何とも妖しい眼をしている魅力的な女優であった。
ところで、最近の007は観たことがない。観たいとも思わない。ジェームズ・ボンド役の俳優も、今は誰がやっているのだろうか・・・・・。ピアース・ブロスナンのボンドは一度も観たことがない。ティモシー・ダルトンもだが、ロジャー・ムーアも数本を観ただけだ。すでに007はイアン・フレミングの原作から逸脱して、完全な映画用の脚本で製作されていてる。だから最近の007シリーズは、完全に商業ベエスに乗ってしまい、派手なスペクタクルだけを売りにした娯楽映画に堕落している。せいぜい『007サンダーボール作戦』辺りまでだろうか、007が007らしかったのは・・・・・。この映画が最初に作られたときは、低予算でヒットすると思われてなかったように思う。それが大ヒットでシリーズ物として続編が、作られていったように思う。『ドクター・ノオ』『ロシアより愛をこめて』『ゴールド・フィンガー』『サンダーボール作戦』『007は二度死ぬ』『女王陛下の007』『ダイヤモンドは永遠に』『死ぬのは奴らだ』『黄金銃を持つ男』『私を愛したスパイ』『ムーンレイカー』『ユア・アイズ・オンリー』・・・この辺りまでは観たかなあ・・・・。でもだんだんとつまらなくなってきて、とうとう観なくなった。それが007シリーズなのである。
マット・モンローの唄う主題歌(オリジナルオープニング・クレジット)
『007ロシアより愛をこめて』のTrailer
2008.03.30 (Sun)
第38回高松宮記念
いよいよスタートである。ゲートが開いたが、その瞬間、何と最内の本命馬スズカフェニックスが前のめりに躓いた。あわや落馬寸前である。1200mのレースで、このアクシデントは大きい。さて、先行争いである。大外の桃色帽2頭、ローレルゲレイロとエムオーウイナーが押して押して先頭を争う。そこへ芦毛のフサイチリシャールも行く。向こう正面あたりでようやくローレルゲレイロが先頭に立つが、エムオーウイナーとフサイチリシャールも食い下がる。そしてマルカフェニックス、キンシャサノキセキ、ナカヤマパラダイス、インコースにブラックバースピン、ファイングレイン、その後ろにペールギュント、スーパーホーネット、プレミアムボックス、プリサイスマシーン、キョウワロアリング、リミットレスビッド、さらにはタマモホットプレイ、その内にようやくスズカフェニックス、後方にはマイネルシーガルとトーセンザオー。3コーナーでスズカフェニックスが馬群に入って行く。4コーナーを回る。ローレルゲレイロ、フサイチリシャール、エムオーウイナーと並んで直線に入る。ここでフサイチリシャールが先頭に立つ。ローレルゲレイロが2番手。スズカフェニックスは、まだ中団の馬群の中。ここでフサイチリシャールが完全に先頭。でもローレルゲレイロも粘っている。その後ろからキンシャサノキセキが迫る勢い。残り100mでキンシャサノキセキが先頭に立つ。さらにそれを追ってファイングレインが伸びて来る。またローレルゲレイロも巻き返す。ここからファイングレインとキンシャサノキセキの争いになる。その時、馬群を割ってスズカフェニックスが一気に襲ってきた。でも前の2頭には届かない。最後はファイングレインが僅かにキンシャサノキセキをかわしていた。
1着ファイングレイン 1分07秒1、2着キンシャサノキセキ クビ、3着スズカフェニックス 1馬身1/4、4着ローレルゲレイロ 1/2、5着スーパーホーネット クビ。
ファイングレインは5歳の牡馬。父はフジキセキ。奇しくも深夜行われたドバイ・シーマ・クラシックを勝ったサンクラシーク(Sun Classique)と同じフジキセキ産駒である。これで24時間以内に海外と国内のGⅠレースを、フジキセキの子供が勝つこととなった。また2着に入ったキンシャサノキセキもオーストリア産のフジキセキ産駒である。今日は本当にフジキセキに縁のある日だ。
なお、中山で行なわれたマーチS(GⅢ・4歳以上、ダート1800m、16頭)は、結果だけ記しておくとする。
1着ナナヨーヒマワリ 1分51秒6、2着マコトパルビエロ クビ、3着フィフティーワナー 3馬身、4着レオエンペラー クビ、5着アドマイヤスバル 1馬身。
2008.03.30 (Sun)
ドバイ・ワールド・カップ・デー
●UAEダービー(GⅡ・3歳、ダート1800m、10頭)
1着Honour Devil 1分48秒6、2着Royal Vintage 4馬身1/4、3着Cocoa Beach 3馬身3/4、4着Light Green 1/4、5着Strike the Deal 1馬身1/4、8着イイデケンシン。
●ドバイ・デューティー・フリー(GⅠ・北半球産馬4歳以上、南半球産馬3歳以上、芝1777m、16頭)
1着Jay Peg 1分46秒2、2着Darjina 1/2、3着Archipenko ハナ、4着ウオッカ 1馬身1/4、5着Finsceal Beo 1/2、9着アドマイヤオーラ。
勝ったのは南アフリカ産馬のJay Pegで、逃げ切りだった。ウオッカは好位置につけたが、直線で伸びきれなかった。アドマイヤオーラは後手をふんで後方からの競馬となり、直線で詰めたものの9着に終わった。Jay Pegは17戦9勝、昨年のケープ・ダービー、ケープ・ギニーと南アフリカのGⅠを勝っている。
●ドバイ・ワールド・カップ(GⅠ・北半球産馬4歳以上、南半球産馬3歳以上、ダート2000m、12頭)
1着Curlin 2分00秒15、2着Asiantic Boy 7馬身3/4、3着Well Armed 1/4、4着A P Arrow 3/4、5着Great Hunter 1馬身、12着ヴァーミリアン。
日本のダート王ヴァーミリアンは、前半は中団につけていたが、各馬が仕掛けに入ると後方に置かれ、とうとうシンガリまで下がってしまい、あとは離れる一方の大敗であった。土の質が合わないとか、輸送に問題はなかったかというのもあるが、ダートにおいては、日本の馬はまだまだ勝負にならないという気がする。
勝ったカーリン(Curlin)は、昨年のアメリカ3冠レースのプリークネスSで、ケンタッキー・ダービー馬ストリートセンス(Street Sense)を破り、ブリダーズ・カップ・クラシックにも勝っているアメリカの超一流馬。ここでは格が違った。最初から好位置につけ、直線で後続を引き離す圧勝劇を演じた。まさに独壇場。これで10戦7勝、2着1回、3着2回という安定感。
なお日本馬の参加はなかったが、シーマ・クラシック(GⅠ・4歳以上、芝2400m、16頭)を制したSun Classiqueについて少々。この馬はオーストラリア産の5歳牝馬で15戦9勝。南アフリカのGⅠを3勝している競争馬で、父は日本のフジキセキである。最近は日本の馬も種牡馬として良い馬を輩出するようになったものだ。その昔、名馬の墓場といわれた日本の馬産界。時代は確実に変化しているようだ。
2008.03.29 (Sat)
日経賞、毎日杯
中山では古馬の日経賞(GⅡ・4歳以上、芝2500m、13頭)が行われ、昨年の有馬記念に勝った中山巧者マツリダゴッホが出てきて注目された。人気も堂々の1番人気。なにしろこのマツリダゴッホは、勝ち鞍の7勝中5勝(残りの2勝は札幌)が中山コースというから、よほど中山のコースが得意なのだろう。問題は久々なのとトップハンデだけ・・・・。
スタートが切られるやヨイチサウスが行く。2番手に9歳馬シルクフェイマス、3番手に道営馬コスモバルク、4番手に本命マツリダゴッホ、そして人気の1頭トウショウナイト、その後にディープインパクトの全兄ブラックタイド、さらにはタスカータソルテ、10ヶ月ぶりのココナッツパンチ、マキハタサイボーグ、ゴールドアグリ、人気のアドマイヤモナーク、ラッキーブレイク、レッドドラゴンと続き、正面スタンド前を通過。スローペースを嫌ったのか、1コーナーからシルクフェイマスがヨイチサウスをかわして先頭に立った。向こう正面に入り、シルクフェイマスがリードを5馬身以上拡げる。1100m通過が1分07秒9、相変わらずのスローペースである。3コーナー手前ではシルクフェイマスが、その差をさらに拡げようとするが、後続が仕掛けると差は一気につまり、マツリダゴッホが早くも先頭を窺う体勢に入った。直線に入るやマツリダゴッホが早くも先頭。内にヨイチサウス、外にコスモバルクが2番手の位置。しかし、マツリダゴッホがここから差を拡げる。流石にGⅠ馬の貫禄か・・・。今日のメンバーでは1枚違う。すでに1着は確実、問題は2番手争いだ。ここで実力馬トウショウナイトが2番手に上がる。外からステイヤーのアドマイヤモナークもやって来る。でも1着は堂々マツリダゴッホ。
1着マツリダゴッホ 2分32秒7、2着トウショウナイト 3馬身、3着アドマイヤモナーク 1馬身3/4、4着コスモバルク 1馬身3/4、5着ブラックタイド ハナ。
やはりマツリダゴッホは強かった。地力はついている。でも中山コースということで、東京や京都、阪神だとどうか・・・・・という疑問が残る。こんなに強い勝ち方をするから、春の天皇賞に出ればどうかなあとも思うが、昨年春の天皇賞は、いいとろがなく11着、秋の天皇賞は15着。京都や東京だとこの有様である。距離も合わなかったというのもあるが、だらしなさすぎた。ただ、今日のレースを観る限り、力をつけているようなので、今年の春の天皇賞を走らせてみるのもいいかももしれない。
阪神の毎日杯(Jpn-Ⅲ。3歳、芝1800m、14頭)は、皐月賞の最終便。混戦の3歳馬。このレースも何が勝つか解らない。一応は新馬戦で大勝した1戦1勝のアドマイヤコマンドが1番人気。2番人気がマイネルスターリー、3番人気がヤマニンキングリー・・・何とも頼りない馬ばかり。
スタートするやロードバリオスが行く。それをクリノダイシス、サブジェクトが追う展開。さらにテイエムチーター、マイネルスターリー、アドマイヤコマンド、ロスペトリュス、そして、ヤマニンキングリー、ディープスカイ、リヴザルト、その後に差があってオースミパーク、オリエンタルロック、シャイニングデイ、ミダースタッチが後方グループ。いよいよ各馬が仕掛けに入る。阪神の外回り、長い直線コースに入る。ロードバリオス先頭。その外にテイエムチーターとサブジェクトだが、ロードバリオスが粘る。あと200m、外からディープスカイが先頭に立った。ディープスカイが抜け出す。内にロードバリオス、ディープスカイ先頭、2番手争いだが、アドマイヤコマンドが、そしてミダースタッチが叩き出される。でも1着はディープスカイ。
1着ディープスカイ 1分46秒0、2着アドマイヤコマンド 2馬身1/2、3着ミダースタッチ クビ、4着ヤマニンキングリー 1/2、5着ロードバリオス ハナ。
勝ったディープスカイはこれが2勝目。今年の3歳馬はオープン馬でも条件馬でもあまり差はないのかもしれない。はたして今年の皐月賞はすんなりマイネルチャールズで決まるのだろうか・・・・・・。
さあ、今日の夜中はドバイ・ワールド・カップ・デーに出走している日本馬達の応援をしよう。
2008.03.27 (Thu)
アンリ・バルビュス『地獄』を読む
銀行員の職を得ようとするための活動をしようと、30歳になる主人公の男はパリにやって来た。その活動の間、旅館で部屋を借りることになったのだが・・・。その借りた部屋の壁の割れ目から、隣室が覗けることに彼は気がついた。それで彼は、その穴から隣室で起こる全てを垣間見ることになる。
まず隣室に現れたのが女中である。それも真っ白な手首、仕事に荒れてやや黒ずんだ手。顔はぼやけて、はっきりしないが魅惑的な女性である。次に現れたのが若い女だった。香水と花の匂いが流れてくる。女はカーテンを閉め、あられもない姿を見せる。その次は幼い男女が姿を現した。2人とも恋に憧れている。つまり恋人同士になろうと夢見ているのだった。また互いに別のものを求めていながら、愛欲だけで繋がっている不倫のカップルがいる。同性愛者の女性二人がいる。不倫の妻とその夫の冷め切った関係が見てとれる。病苦におかされて死んでいく寂しい老人がいる。また、その老人と結婚しようとする優しい女もいる。血みどろになって生まれてくる赤ん坊もいる。こうして次から次へと隣室に人は、現れては消え現れては消える。主人公の男は、壁の穴を通して人間の真実の姿を見ることに熱中し、やがて孤独であり、持たざるものを欲望していく人間の地獄があることに気がつく。
この『地獄』を書いたアンリ・バルビュスは1873年に生まれ、早くから象徴派の詩人として評価され、その後にはジャーナリストとして頭角を現してくる。またジャーナリストとして活躍する一方、小説も書き出し、世紀末の不安と社会への不満を世に伝えようとばかりペシミズムの色濃い小説を世に出すのであった。こうした一連の中で『地獄』は発表されたのだが・・・・・・・・・・。でも出歯亀小説だといわれたりして、旅館の出入りする人たちの様々な情痴の世界を覗くという卑猥な好色小説の趣があるとも言えるが、この小説の本質はアンリ・バルビュス自身が言うには「これは私の時代の青年たちの精神状態の少しくロマン的な心理研究である・・・・」「この小説はあらゆる教理と宗教への力強い攻撃だ。もちろんその中心的要素をなす神をも含めて」・・・・・この小説の哲学は、肉体の快楽も苦痛も全て泡沫夢幻である。人間は常に孤独である。いかなる時にも、一瞬といえども心の融合はありえない。しかし、人間は天地萬物の中心である。その人間を人間たらしめるのは、孤独に徹した心である。したがって人の心にこそ真実はふくまれている。しかし、この小説の最後には、そのままのものとしての人間苦の肯定、悲惨なる人生への愛へと主人公の思いが傾く、やがて青年はパリから立ち去るのである。
2008.03.25 (Tue)
サントリー ザ・プレミアム モルツを飲む
久々に缶ビールを飲んだ。サントリー ザ・プレミアム モルツというビールだ。日頃、缶ビールなどは飲まない。缶入りだと日頃は発泡酒を飲むことの方が多く、缶ビールは価格からいってやや高目なので余り飲まない。常日頃、飲むビールはほとんど瓶ビールで、缶ビールを飲んだのは何時以来だろうか・・・・・・。でも久々飲んでみたが、何か缶入りというだけで安っぽく感じる。同じ種類のものなら瓶入りの方が旨く思うのは、グラスで飲むからだろうか・・・・・。今回飲んだサントリーのザ・プレミアム モルツは、麦芽100%、天然水100%、アロマホップ100%使用しているとかで、評判のビールなのである。香り高いヨーロッパ産アロマホップを100%使用だという。アロマホップを通常のビールの2倍使用し、ビール本来の旨さを追及し完成したと説明書きにある。・・・・・華やかな香り、深いコクと旨みをお楽しみくださいとも書いてある。でも飲んでみたけども、その違いが解るほどの絶対味覚を持っている人っているのだろうか。利き酒する人や、コーヒーのテースティングする人や、ワインのソムリエといった限られた職業の人しか解らないような気もするが・・・・・。所詮、味覚なんてその時の体調にもよるし、同じものでも美味しく感じるときと、不味く感じるときがあると思う。だから人間の舌なんて、100%完璧であるとは思えないから、麦芽100%、ホップ100%といわれても、普通のビールと比較して、さほど差があるようにも思えない。
でもビールと発泡酒を飲み比べた場合、その違いは誰にでも判るだろう。発泡酒はビールに比べると水臭いように思えるし、どこか頼りなく感じる。この違いは何処から来ているものかというと、麦芽の使用比率の違いとホップの違いが、この味の差、コクの差となって出てくるのである。ビールは麦芽、ホップ、酵母、水などの決められた原料を使い、麦芽の使用比率が3分の2以上ないといけないことになっている。対する発泡酒は、麦芽を原料の一部として使われていて発泡性がある種類のことを言う。この場合麦芽使用比率が低く、ビールよりも苦味も足りなくあっさり感がある。だから飲んだ気がしないという人も多く、ビールに比べると物足りないように思うのは当然であろう。しかし、発泡酒は発泡酒で、飲みやすいし軽いしビールよりも好きだという人も少なくない。つまりビールであれ発泡酒であれ、人の味覚や嗜好は十人十色ということになるのかもしれないなあ・・・。
2008.03.24 (Mon)
アガサ・クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』を読む
そんな中で、姉はアガサ・クリスティの小説を気にいってたらしく、『カーテン』というアガサ・クリスティの死後に出版された単行本を買って読んでいた。『カーテン』は、アガサ・クリスティ自身が死んだ直後に出版してくれと、生前に書き残していた小説であった。だから書き下ろしのようなものではないが、最後の作品となった。一方、アガサ・クリスティが世に出てくるきっかけとなった小説が『スタイルズ荘の怪事件』である。
話の内容を簡単に言うと・・・・・第一次世界大戦の最中、イギリスの片田舎にあるスタイルズ荘へ、旧友の招きにより戦争で負傷したヘイスティングズは静養に訪れた。しかし、そこで女主人の富豪エミリー・イングルソープが、深夜、密室の中で毒殺されたのである。そこでヘイスティングズは、近くの村で再会したベルギー警察の名探偵エルキュール・ポワロに助けを求めることとなる。こうしてエルキュール・ポワロの緻密な推理が始まるのである・・・・・・・・・・・・。
この小説は1920年に世に出て、アガサ・クリスティは瞬く間に有名になるが、彼女は謎だらけだった。推理小説を書くのだから作家自身も謎めいていた方が興味深いが、アガサ・クリスティの場合は余りにも人見知りをする性格から、人前に出るのを極端に嫌がっていたというのが真相らしい。聞くところによるとアガサ・クリスティは1890年、イギリスの生まれで、11歳の時、すでに短編小説を書いていたという。18歳で長編小説を書き、23歳でアーチボルド・クリスティ大尉と結婚している。その後、第一次世界大戦が起こり、彼女は薬剤師として働き、この時に毒薬の知識を得たという。
このような知識と鋭い観察力、叡智に優れ推理小説を書くようになるのだが、人見知りする性格のため、ジャーナリストのインタビューや取材を拒絶していたという。だからアメリカやイギリスのジャーナリストから「ミステリーのグレタ・ガルボ」と呼ばれていたのである。
また、1926年に傑作『アクロイド殺人事件』を発表するが、その年、突然のように失踪事件を起こしニュースとなる。結局、事件発覚後から11日経って、彼女はヨークシャーの保養地に偽名で宿泊していることが判明したという。それで失踪の原因ははっきりと解らないままであった。・・・・・このようにしてアガサ・クリスティは美貌のミステリー作家ということもあって、謎が謎を呼び人気を博したのである。また、アガサ・クリスティは、作家本人がミステリアスであり、謎めいていて、人生そのものからして推理小説のようであり、書く本も売れに売れた。その後に『オリエント急行殺人事件』『ABC殺人事件』『そして誰もいなくなった』『ナイルに死す』・・・・・・数々の傑作を残して1976年に亡くなったのである。でも、その後も彼女は生きていると思われたのは、至極、当然のことである。
2008.03.23 (Sun)
スプリングS、阪神大賞典
中山のスプリングS(Jpn-Ⅱ・3歳、芝1800m、16頭)は、今年の3歳牡馬陣の頼りなさを象徴するように人気が割れた。一応はショウナンアルバが1番人気、サダムイダテンが2番人気、ドリームシグナルが3番人気ではあったが・・・・・。
スタートするや1番人気のショナンアルバが勢い良く出て行く。先行争いから1、2コーナーのコーナーワークで最内をついたスマイルジャックが先頭にたった。2番手にアポロドルチェ、3番手にショウナンアルバ。しかし、ショウナンアルバが向こう流しに入るやかかってしまった。クビを上げてしまい騎手の蛯名も止めようがなくショウナンアルバは一気に先頭に立ってしまった。2番手にスマイルジャックで、3番手にアポロドルチェ、そのあとは2、3馬身離れてドリームシグナル、シンワラヴ、アルカザン、レインボーペガサス、オーロマイスター、フローテーション、アサクサダンディ、レッツゴーキリシマ、ダイワワイルドボア、ウォーボネットが差もなく続く、そのあとは6、7馬身離れて人気のサダムイダテン、ベンチャーナイン、アイティトップといったところ。ペースは速くなく、12.6---11.3---12.4---12.0---12.5と1000m通過が1分00秒8、このペースで中山コースということを考えれば先行している馬が有利であることは歴然としている。この時点で既にサダムイダテンは争覇圏外ということになる。
さあ、4コーナーをカーブする。ショウナンアルバ、スマイルジャック、アポロドルチェ、ドリームシグナルと続く。直線に向いてショウナンアルバとスマイルジャックが並ぶ。内にシンワラヴ、その後ろにアポロドルチェ、ドリームシグナル。あと1ハロンというところで、スマイルジャックが先頭に立つ。ショウナンアルバも粘っている。追うドリームシグナルは伸びない。その時に内の方からフローテーションが一気に伸びて来た。でもスマイルジャックが先頭。フローテーションが迫るが、半馬身まで詰め寄ったところがゴールだった。
1着スマイルジャック 1分48秒9、2着フローテーション クビ、3着ショウナンアルバ 1馬身1/2、4着アサクサダンディ クビ、5着アルカザン クビ。
勝った6番人気のスマイルジャックがようやく2勝目で、2着のフローテーションも、前2走とも惨敗していて11番人気だったので馬券的には荒れてしまった。
ところで、今年の3歳馬は走るたびに人気馬が見事に崩れてしまう。これで皐月賞はマイネルチャールズが1番人気に支持されるのは確実となった。でもこの調子だと、マイネルチャールズもどうなるか解らない。競馬に絶対はないと言われるが、今年の3歳牡馬ほどレースごとに勝ち馬が替わるのを今まで見たことがない。これほど毎回、人気馬が総崩れだと、まるで籤引きで勝ち馬を決めているように思える。これだと皐月賞は、正当な予想では馬券も当らないだろう。人気薄のアナ馬を総流しで買ってみると面白いかもしれない。
一方、阪神では古馬の阪神大賞典(GⅡ・4歳以上、芝3000m、13頭)が行われた。メイショウサムソンこそいないが、関西の天皇賞を目指す古馬の有力どころが長丁場に顔を揃えてきた。この中で1番人気はポップロックで、2番人気がアドマイヤフジ、3番人気トウカイトリックであった。
阪神の内回りコース。スタート地点は2コーナーを回りきったところ。ゲートが開くやドリームフライトが行く。見た目にも超スローペースである。2番手にアドマイヤジュピタ、3番手ポップロック、4番手アイポッパー、5番手マヒオレとペガサスファイトが併走。その後ろにアドマイヤフジ、そしてトウカイエリート、トウカイトリックの同じ勝負服が並んで追走。その後にダークメッセージ、メトロシュタイン、そして兵庫公営のチャンストウライ、最後方にエーシンダードマンという展開。レースはスローで淡々と進む。正面スタンド前を通過して2週目に入る。2周目に入り向こう正面、ペガサスファイト、トウカイトリックが少しだけ動く。3コーナーでペースが上がる。ここまで1000m通過が1分03秒8、2000m通過が2分09秒7である。ほぼ13秒台だったハロン毎のラップタイムが11秒台に上がる。各馬が仕掛けに入った。そして13頭が固まって直線に入る。
先頭はここでアドマイヤジュピタに替わる。内にドリームフライトがいるが、2番手にアイポッパーが上がる。外にポップロック、あと200m、アドマイヤジュピタ先頭、アイポッパー2番手、3番手ポップロック、その後がトウカイトリック、内からトウカイエリート、アドマイヤフジはちっょと届かないか・・・・・。先頭はアドマイヤジュピタ、2馬身以上差が開いた。アドマイヤジュピタが堂々の1着。
1着アドマイヤジュピタ 3分08秒7、2着アイポッパー 2馬身1/2、3着ポップロック クビ、4着トウカイトリック 3/4、5着トウカイエリート 1馬身1/4。
アドマイヤジュピタは、今年になって初めての重賞制覇となり、前走の日経新春杯で4着に敗れた借りを返したこととなり、天皇賞の有力馬となった。あと今日のメンバーにメイショウサムソンやマツリダゴッホ、それにドリームパスポート、アサクサキングス、アルナスライン、ロックドゥカンブ、アドマイヤモナーク、ドリームジヤーニー、デルタブルース、インティライミ、トウショウナイトが加わるかもしれないが、グランプリホースのマツリダゴッホは距離が長いから出走を見合わせるかもしれない。
2008.03.23 (Sun)
大阪の地下鉄で冤罪事件が・・・・・
今まで女性専用車両というのはあったが、男性専用車両を導入するかどうかという検討を行うというのも驚きであった。何故、こんなことになるのかというと、痴漢行為での冤罪事件問題が発覚したからである。
事の起こりは2月1日の金曜日夜8時半頃であった。事件は大阪市営地下鉄御堂筋線の動物園前~天王寺間で起こった。走行中の車内、ドア付近に立っていた58歳の男性会社員が突然、近くにいた女性に声をかけられたという。女性は突然、男性に「お尻触ったでしょう」と言った。男性は否定した。すると女性はうずくまって泣き出した。男性はきょとんとしていると、横から若い男が詰め寄り「触りましたね」と言った。
男性会社員は次の駅で降ろされるや、痴漢の現行犯で逮捕され取り調べて締め上げられたという。もしこれが現実に男性が痴漢行為を行ったとしたら、当然のように現行犯逮捕で問題は無いのであるが、その後の取調べで3人の証言があまりにも食い違うので、被害者の女性を問いただすと、女性は交際相手の男とぐるになって、示談金目当てに痴漢をでっち上げたのだった。
この痴漢事件問題で、犯人扱いされた男性会社員は警察に22時間も身柄を拘束され、大変な剣幕で怒鳴られ、精神的にも肉体的にも大きな苦痛を被ったという。こうして事件は冤罪であることが発覚したが、このようなケースは最近、少なからずあるという。これまで男性が満員電車で女性に痴漢行為を働く輩が多く、しかたなく電鉄会社は女性専用車両を導入せざるを得なかったのだが、このようなケースが増えてくると問題である。
以前は、か弱い女性に対して厚かましい男性が痴漢行為を行うという図式があった。それが立場が逆転して、女性から逆に「痴漢をした」と言いがかりをつけて、示談金を奪い取るケースも出ているというから問題だ。それに今回のケースは、その女性に話を持ちかけたのが若い男であり、女性がその計画に乗るという悪質な冤罪事件である。それにいくら立場の弱い女性といえども、間違ってもそんな計画に加わるというのは異常である。
これだと男性なら誰もが冤罪被害の当事者になりうると考えられ、出来ることなら満員電車を避けたくなる。でも朝の通勤通学時間帯は、どの電車に乗っても満員で、出来る限り女性に近付きたくないものであるが、現実問題からいってそれも避けられない。
そもそも社会通念からいって女性専用車両なんて設けなくてもいいものだが、痴漢行為を行う男が絶えないから、このような情けない事態となっているのである。また、それを逆手にとって女性が男性に冤罪行為を働くという新手の事件が時々あるというから、まさにこの世の中、いったいどうなっているのだろうかと思う。もし、仮に女性専用車両に続いて男性専用車両が導入されたら、冤罪に怯える男性も安心できるというものであろうが、実に情けない世の中である。本当に日本は末期的に来ているのではないだろうか・・・・。
事件のあった地下鉄御堂筋線。朝のラッシュ時は、10両連結で2分間隔で乗客を捌いていても追いつかない。これだけ満員だと、何もしないでも隣に若い女性が立っているだけで気をつけなければならない。やりにくい時代になった。
2008.03.22 (Sat)
フラワーC
スタートすると人気のブラックエンブレムが最内枠を利して難なく先頭に立った。2番手にはビービーモデナ、3番手にデルマベガ、4番手にマイネウインク、その外にハイエストホワイト、向こう正面中間地点で、8枠の桃色帽子2頭、スペルバインド、スペシャルディナーがハイエストホワイト、マイネウインクをかわして上位に上がっていく。その後ろにはカレイジャスミン、マイネフルーレ、アロマキャンドルがいて、レッドアゲート、そしてムードインディゴ、後方にプティマカロン、最後方にシングライクバード。3コーナーにかかろうとして、800の標識を通過。1分01秒4と例によってスローペース。これだと後方の馬では届かない。先頭のブラックエンブレムにスベルバインドが外から馬体を併せるように接近した。4コーナーにかかる。ここでまたブラックエンブレムが半馬身ほどリードする。2番手にスペルバインド、3番手にマイネウインク、ビービーモデナ、外からスペシャルディナーが並んで仕掛けようとする。これからいよいよ直線コース、ブラックエンブレムが最内コースを通って先頭。2番手に8枠の2頭、スペルバインド、スペシャルデイナー、外にハイエストホワイト、カレイジャスミンが迫ってくる。でも先頭はブラックエンブレム、馬場の中央からレッドアゲートがやって来る。先頭はブラックエンブレム、ここでまた突き放そうとしている。2番手に上がってきたレッドアゲートが迫る。3番手以下が離れてしまって、この2頭の争いとなったが、ブラックエンブレムが逃げ切ってしまったようだ。
1着ブラックエンブレム 1分49秒5、2着レッドアゲート アタマ、3着シングライクバード 2馬身1/2、4着マイネウインク アタマ、5着ムードインディゴ 1馬身。
このレースはブラックエンブレムがマイペースで逃げ切ったのに、シングライクバードは最後方からの競馬を強いられた。直線の短い中山での中距離レースである。先行馬が有利なのは解りきっているはずだか、シングライクバードは1番後ろからの競馬となった。これだと勝てというほうが無理だ。でもシングライクバードは、東京コースだと見せ場があると思えるので、その時は要注意である。
これでブラックエンブレムは桜花賞に出走出来る事となった。でも中山と違って大回りの阪神外回りコースで桜花賞は行なわれる。当然、今日のようにスローペースとは行かないだろう。もっと前半から速いラップを刻む平均ペースとなるだろう。そして、470mもある長い直線コースでの叩き合いとなる。はたして大混戦の桜花賞。桜の女王に輝くのはどの馬か・・・・・・。少なくとも去年のようなダイワスカーレット対ウオッカという図式にはならないだろう・・・・。
2008.03.20 (Thu)
モーツァルトのピアノ協奏曲K.466を聴く
フリードリッヒ・グルダ(ピアノ)、指揮クラウディオ・アバド ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
数多いモーツァルトの曲で、ピアノ協奏曲は重要な位置を占める。ことに20番以降、ケッヘル番号で言うと466番より後の曲は何れも傑作ぞろいである。そんな中で、この20番のニ短調協奏曲は人気が高い。それはモーツァルトが最初に書いた短調のピアノ協奏曲であり、2曲しかない短調のピアノ協奏曲の中でも最初に作曲されたものであるからかもしれない。だが、そんな解説を付け加えなくても、K.466のニ短調協奏曲は名曲である。全3楽章で長さにすると30分程度の曲であるが、曲全体を緊張感のある不安な旋律で覆いつくされていて、何処か薄幸の天才のその後を案じているように聴こえるから不思議である。
この曲は1785年に作曲されているが、1785年というとモーツァルト29歳の頃の作品である。モーツァルトは1781年に故郷ザルツブルグを追い出され、ウィーンで生活を送ることとなる。この頃の生活費は、貴族、社交界でのコンサートであり、モーツァルトは生涯で21曲のピアノ協奏曲を作ることとなる。
曲は第1楽章が397小節、第2楽章が162小節、第3楽章が429小節あり、第1楽章のアレグロ、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンがユニゾンで最初の8小節を弾くと、金管と木管がそこに加わり、やがて不安な第一主題の旋律が奏でられる。ピアノが加わるのは77小節目からで、哀愁のある悲しげな旋律である。この当時のモーツァルトの私生活を垣間見るようで、曲そのものが重苦しい。それでいて優雅であり高貴なのはモーツァルトたる所以であろうか。第2楽章はピアノ・ソロで始まる。この楽章の冒頭部分が映画『アマデウス』のエンディングに使われて、随分と有名になったもので、モーツァルトらしさが散りばめられ典雅でいて郷愁を誘う癒されるメロディである。第3楽章は、ロンドと呼ばれる楽章。軽快な第一主題がピアノで奏でられ、発展して91小節まで続き、92小節目からは第二主題が現れる。ソナタ形式なので主題のあと、展開部が続き、カデンツァが入り、第一主題、第二主題が僅かに再現され終結へと向う。
こうして文章で書くと、どんな曲なのかよく解らない。それがモーツァルトなのかもしれないが、この神童の作る音楽というものは、私のような浅学非才の者から見ると想像を超えた曲の展開が続くので、何度聴いても新たな発見がある。考えてみればモーツァルトというのは、僅か35年の人生で600以上もの曲を残しているのだから、そんじゅうそこらの音楽家達とは比較もできないだろけども、初めて聴く曲でも、ああモーツァルトだということが解る曲が多い。それでいて全ての曲が似ているようで似ていない。おそらく彼には考えて作ったという曲が存在しないのではないだろうか・・・・。これはまさしく選ばれし者の神の使いかもしれない・・・。そう感じるのがモーツァルトの音楽なのである。
ピアノ協奏曲第20番第1楽章の演奏。フリードリッヒ・グルダ(ピアノ、指揮)
ピアノ協奏曲第20番第2楽章の演奏。フリードリッヒ・グルダ(ピアノ、指揮)
2008.03.20 (Thu)
『私家版・青春デンデケデケデケ』芦原すなお著を読む
高校時代にロックに目覚めてバンド活動をやったことがあるという人は多いだろう。私は高校時代は自分の才能の無さにあきれて、ただ音楽を聴くだけで、ロックバンドをやっている連中を羨望の目で見ていた覚えがあるが、そんな人にはおあつらえ向きの小説が、この『私家版・青春デンデケデケデケ』である。
時は1965年の3月、主人公の「ちっくん」こと藤原竹良は中学を卒業して、これから香川県にある観音寺第一高校に入学するのである。そんなうきうきした春休みの最中、ラジオから流れ出る曲を聴いて電気が走るような衝撃を受ける。その曲はザ・ベンチャーズの『パイプライン』であった。ちっくんは、それまで家にあった古いヴァイオリンを独習する少年であったが、主にクラシックを聴いていた。それが突然のようにエレキ・サウンドに目覚めるのである。
高校に入ったちっくんは漠然とバンドを作ってみたいと思うようになるが、なにせ田舎町のこと、ロックを聴いているものが少ないし、ロックたるものを良く知らない。それに、バンドを作るにも術がなかった。そんな或る日、彼は軽音楽部の部室を訪ねるのである。そこにいたのはやせっぽちの眼鏡をかけた少年で、名前を白井清一といった。彼はギターが巧く、その場でベンチャーズの『ドライビング・ギター』やアニマルズの『朝日のあたる家』のイントロを弾いた。ちっくんは彼を気に入り、バンド結成を示唆するのである。こうして集められたメンバーは、他に浄泉寺というお寺の息子の合田富士男、ブラスバンドで太鼓を叩いている岡下巧である。このように4人でバンドを結成し彼らはバンドと共に成長していくのである。
物語は家庭でのこと、学校でのこと、アルバイトでのこと、恋愛のこと、将来のこと、これら起こりうる彼等の日々を、バンドの成長と共に、高校3年間に渡って書き綴られていて、高校3年の時の文化祭のコンサートがクライマックスになっている。
この小説は1991年の上半期直木賞を受賞することとなり、翌年には大林宣彦監督で映画化もされた。でも残念ながら私はその映画を観ていない。
ところで芦原すなお自身が数年後、私家版の『青春デンデケデケデケ』を出版するに至るが、私が読んだのはこちらの方である。私家版の方は400字詰め原稿用紙で783枚という大長編である。直木賞を受賞した方は原稿用紙400枚に纏められた小説なので、作者本人としては不本意だったのだろう。映画の方も短い『青春デンデケデケデケ』版の映画化なので、私家版はエピソードが多くなっていて、より面白くなっている。
ところで芦原すなおという人は1949年生まれであるから、団塊の世代といっていいだろう。この年代の人はいわゆるエレキ世代で、ベンチャーズに触発され、エレキ・バンドを作った人が多い。するとその直後にビートルズの洗礼を受け、瞬く間に全国各地に似非ビートルズのようなアマチュア・バンドが出現するのだ。この物語で言うところのロッキング・ホースメン(小説内でのバントで名)もそんなグループの一つであろう。ベンチャーズが出て、日本にエレキ・ブームが起こった頃は、私は小学校の低学年であった。テレビで『勝ち抜きエレキ合戦』というような番組が当時にはあって、アマチュアのエレキ・バンドが腕を競うのである。私は喧しい音楽だなあといった認識でしかなかったが、テレビでベンチャーズの『ダイアモンド・ヘッド』『パイプライン』『キャラバン』『十番街の殺人』といった演奏を聴いて、上手いなあと幼心にも感心していたものである。それが高校生あたりになると、実際にバンドを作って演奏してみたいという衝動にかられるのであろう。天啓を受けたちっくんのロッキング・ホースメンはベンチャーズの曲を練習する。でもベンチャーズはインスルメンタルなので唄が無い。
やがて彼らは唄いたい欲望からビートルズの曲を懸命に練習する。この小説の中で出てくるビートルズの曲・・・『すてきなダンス』『パーティーはそのままに』『プリーズ・プリーズ・ミー』『アスク・ミー・ホワイ』『ミズリー』『イット・ウォント・ビー・ロング』『オール・マイ・ラヴィング』『キャント・バイ・ミー・ラブ』『ア・ハード・デイズ・ナイト』『恋する二人』『恋におちたら』『家に帰れば』『ユー・キャント・ドゥ・ザット』『アイル・ビー・バック』『ヘルプ』・・・・そしてちっくんが最もビートルズの曲で好きだという『アイ・フィール・ファイン』。
ビートルズの『I Feel Fine』という曲を聴いてもらえば解るように、曲の出だしが「ボム・・・・・・・・・・・・・グワ・・・・・」という不思議な効果音で始まるなどと曲に纏わる様々な解説まで加わっていて、1960年代のポップシーンにやたらと詳しく書かれてある。私は作者と比較すると年齢は下になるが、聴いていた音楽も一致する部分がかなりあり、非常に懐かしく読ませてもらった。この小説に出てくるバンド、シンガー、曲のほとんどを私も知っていて、小学生ながらとてもませていたガキだったと痛感するのである。思えば私が住んでいる京都というところは、昔から保守的のように思えて実は、時代を先取りする気風があることを感じる。私が小学生の頃は、クラスの大半の子がビートルズの曲の幾つかを知っていたし、PPMやボブ・ディラン、ジョーン・バエズのフォーク、アニマルズ、ローリング・ストーンズあたりならレコードを持っている子が何人かいた。
そんな中で、私は自分で言うのも何だが、人より洋楽を余計に聴いていた。だからペトラ・クラーク、スプートニクス、ピーターとゴードン、コニー・フランシス、タートルズ、クリフ・リチャード、リック・ネルソン、ペリー・コモ、デイブ・クラーク・ファイブ、マインドベンダーズ、ジョニー・リバーズ、ジャンとディーン、ドリフターズ(念のために言いますが、いかりや長介)のバンドではありません)、シャングリラズ・・・・これらの『青春デンデケデケデケ』に出てくるバンド、シンガーの名前を聞いても私は全て知っていた。
このようにロック、エレキ、といった音楽に手を染めるのは不良といわれた時代である。だから私もこのような音楽を毎日聴いていると、公に人には言えなかった苦しみがある。本当に今となっては隔世の感がある。でも、この時代に数多くの洋楽を聴いたことが、私自身の音楽的素養として残っていて、今となっては人並み以上に色んな音楽を知りえたことを有り難く感じているのである。だから、この小説を書いた芦原すなおという人も、相当な音楽的教養に満ち溢れた人であると、私は読んでいて判明したのである。まさに『青春デンデケデケデケ』は、エレキ狂いの60年代の若者の青春ドラマである。
2008.03.19 (Wed)
お詫び
トホホ!
2008.03.17 (Mon)
チベット暴動に思う
あー、何と切ないことか・・・。中国はまたも同じやり方で、暴動を弾圧してしまうのか・・・。思い出すのは1989年の6月。民主化を求める人民の大規模な運動が中国で拡がった。でも結局は、中国共産党の人民解放軍によって武力弾圧されてしまった。本当に中国共産党政府のやり方は、昔から一つも変わってない。一党独裁による悪い面ばかりが出てしまって、社会主義国家の理想とする精神とはおよそほど遠い。何故にいつもこうなんだろうか・・・・・。
そういえば、現中国の国家主席である胡錦濤(こきんとう)は、かつてチベット自治区の共産党書記であった。1989年1月にチベット自治区の共産党書記に就任すると、2ヶ月後の3月7日には、ラサ市内に戒厳令を布告している。これは昔から独立を求めているチベット民族の運動を弾圧するためで、その頃は、特に独立運動が激しかったのである。この時、胡錦濤はチベット人の虐殺を行ったとされる。それから3ヶ月後には例の天安門事件である。民主化要請の人民に対し、中国政府は武力行使に出て死者も多数出たものであるが、この時、チベットのラサにおいて胡錦濤は、民主化運動のチベットへの波及を防御するためラサを戒厳令下に置いたのである。それで胡錦濤は、チベット自治区の最高責任者として4年間君臨し、中国共産党の中央政府の信頼を勝ち得、2003年3月、とうとう江沢民の後任として中華人民共和国共産党政府の国家主席に就任するのである。
そもそもチベットという所は、中国の西域にあり、住民の大部分がチベット人なのである。この広大な高原にある自治区全体でも人口は少なく270万人。その約93%はチベット人だという。中国全土では漢民族が94%占めるのとは、大きく違っている。またチベット仏教を信仰している人も多く、ダライ・ラマ14世を師と仰ぐ人も相当数いるのだ。
チベット自治区は、満州民族が支配していた清の時代から、独立意識が強く、1911年の辛亥革命により、清王朝が崩壊し、1913年にはダライ・ラマ13世がチベット独立宣言をしたものである。それが1933年、ダライ・ラマ13世の死去。1940年ダライ・ラマ14世が即位することとなる。でも1949年、毛沢東による中華人民共和国の建国。これにより中国共産党の人民解放軍がチベット東部を占領、1951年にはラサまで進駐してしまう。チベット民族は黙っておらず、1956年にチベット動乱が始まりだす。ところが、1959年にダライ・ラマ14世は亡命することとなる。それ以来、ダライ・ラマはチベットの地を踏むことも無く、今日まで来ているのだが、胡錦濤は何をチベットに求めているのだろうか。
中国にとって少数民族の独立運動はやっかいなことなのかもしれないが、中国の当局は独立運動による国家分裂に反対し、安定を維持する人民戦争を発動すると表明し、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世を名指しで非難したのである。かつて大量の資金を投入して、経済発展で民族緩和を図ろうとした中国中央政府の思惑が外れ、他の少数民族にまで独立運動が飛び火する懸念が出てきたのである。
結局、多民族国家でありながら、漢民族支配により蔑ろにされる少数民族。それに対し中国政府は強力な経済発展により、資金援助で民族間対立を緩和しようと試みたが、所詮、分裂主義と非難する中国政府の庇護の下で経済的利益を上げるのは漢民族の資本家ばかりで、貧困層の多いチベット民族からすると漢民族支配は憎悪の対象でしかない。
中国は北京オリンピック開催のため、色々と露呈した問題を血眼になって一掃しようと必至であるが、既に漢民族でさえ、農村部を中心に貧困層から不満が続出しているという。そもそも社会主義国家というのは、まず第一に人民の生活安定を考えるべきであるのに、無理にオリンピックを開こうと躍起になっている。国民なきオリンピックなんて開催する意味があるだろうか・・・・。チベット民族の大暴動が今の中国の闇の部分を現していると思う。何も中国が抱える問題は、毒入りギョーザだけではないようだ。毛沢東時代の文化大革命の頃から、中国共産党の悪しき姿勢は40年以上経っても何ら変わってないのだ。この調子だと、中国が真の民主国家になりえるのは、はるか未来の事のように思えてならない。
2008.03.16 (Sun)
中山牝馬S、フィリーズレビュー
中山牝馬S(GⅢ・4歳以上牝馬、芝1800m、16頭)
1着ヤマニンメルベイユ 1分48秒4、2着マイネカンナ 1/2、3着キストゥヘヴン 1馬身1/2、4着ニシノマナムスメ クビ、5着ハロースピード クビ。
フィリーズレビュー(Jpn-Ⅱ・3歳牝馬、芝1400m、16頭)
1着マイネレーツェル 1分22秒5、2着ベストオブミー ハナ、3着レジネッタ アタマ、4着ラベ クビ、5着ビーチアイドル クビ。
結果の通りフィリーズレビューは大混戦となった。人気のエイムアットヒップ、エーソングフォーは崩れ、今年の3歳路線を象徴してるような波乱となった。この調子だと本番の桜花賞もどうなることやら・・・・・。今のところ、トールポピーが桜花賞馬候補の1番手かも知れないが、今年は去年のように傑出した馬がいないので、蓋を開けてみないと解らない。だから馬券的な妙味はあるけども、胸わくわくといった桜花賞にはなりそうもない。まさに牡馬、牝馬とも絶対本命なきクラシックロードである。実はこの方が面白いという人は多いけど・・・・・・・・・。
2008.03.16 (Sun)
マイルス・デイヴィスを聴く
マイルス・デイヴィスという人は、絶えずジャズの方向性を模索し続け、時代の先取りをしたジャズ界の巨人といえるだろう。1926年イリノイ州に生まれ、すぐにセントルイスへ転居。父は歯医者、母は音楽教師と黒人としては非常に裕福な家庭で育った。13歳の誕生日にトランペットを買ってもらってから次第にジャズへのめりこんで行く。高校でジャズ・バンドを結成。この頃にチャーリー・パーカーの生演奏に遭遇して衝撃を受ける。高校を出るとすぐにニューヨークのジュリアード音楽院に入学、まもなくチャーリー・パーカーの楽団に加わり頭角を現す。さらには名アレンジャーのギル・エヴァンスと出会い9人編成のリハーサル・バンドを結成。商業的には成功しなかったが、アンサンブルは見るべきものがあって、時代の多くのジャズメンに模倣されることとなる。これらは『クール・ジャズ』と呼ばれ、ウェスト・コースト・ジャズなどは、この流れであろう。
クール・ジャズとは、それまでの既存のスウィング・ジャズともビバップとも違う新しいジャズの印象をもたらすものであった。マイルス・デイヴィスは1950年代になるとビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン等とモード手法によるアドリブを確立し、このスタイルは60年代以降のジャズ・ミュージシャンに多大な影響を与えることとなる。さらには60年代末期、ロックの技法を取り入れ、複雑なリズムを駆使した演奏を試みて、フュージョン世代にまで刺激を与えている。このようにマイルス・デイヴィスというのは、ジャズ界のみならず、現代音楽の中でも大きな輝きを放っている巨大な一等星なのである。
マイルス・デイヴィスのトランペット奏法というのは、ディジー・ガレスビーのような卓越したテクニックは持ち合わせてないが、中音域を生かした独自のトーンで、聴き手を夢中にさせる。マイルス・デイヴィスは数々の名演が残されているが、このアルバムはオムニバスのようなものである。だからといっては何だが、あまり統一感はないが、彼のミュージシャンとしての真骨頂が垣間見える。
収録曲は『Autumn Leaves』『Well You Needn't』『Dear Old Stockholm』『I Wanted For You』『Love For Sale』『How Deep Is The Ocean』『Tempus Fugit』『Yesterdays』『Kelo』『Enigma』『Somethin' Else』『It Never Entered My Mind』である。『サムシン・エルス』以外は他人の曲であるが、アルバムの頭の曲『枯葉』を聴いただけで、マイルス・デイヴィスがただならぬトランペット奏者であることが解る。この『枯葉」は、誰もが知っているメロデイなのに、何故か新鮮に聴こえる。ミュートを駆使した実にクールな演奏で、アルト・サックスのキャノンボール・アダレイを完全に食っている。ちなみにピアノはハンク・ジョーンズで、ベースはサム・ジョーンズ、ドラムスはアート・ブレイキーである。
また『サムシン・エルス』はマイルス・デイヴィス本人の曲の中でも優れたもの。キャノンボール・アダレイとのサックス、マイルス・デイヴィスのトランペットかけ合いが実に面白い演奏である。
ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)と共演した時のマイルス・デイヴィス。曲は『So What』
2008.03.15 (Sat)
ファルコンS、阪神スプリングJ
スタートから各馬がガリガリと行く。先頭に立ったのはコスモジャイロ、2番手にメイプルストリート、3番手にルルバンブルー、その後にメジロガストン、ダイワシークレット、ジェイラッカー、さらにその後、ナリタアタッカー、リバータウン、マルブツイースター、シルクビッグタイムと続き、リーガルアミューズ、マヤノベンケイ、ミリオンウェーブ、ナムラブレイブといて、その直後に武豊騎乗のダノンゴーゴーがいる。ダノンゴーゴーの後方には、テンシノボストン、セレスハント、少し離れて最後方コスモランゲル。このような展開で3コーナーから4コーナーへ、相変わらず先頭はコスモジャイロである。直線に向いて先頭はコスモジャイロ、内にメジロガストン、その外にメイプルストリートも接近するが、それらをかわしてルルバンブルーとマルブツイースターの競り合いに変わる。この2頭の叩き合いか・・・・・と思った瞬間、その外から後方4番手につけていた武豊のダノンゴーゴーが一気に襲い掛かってきた。ダノンゴーゴーはあっさりと先頭に踊り出て、そのままゴールインしたのである。
1着ダノンゴーゴー 1分09秒0、2着マルブツイースター 1馬身1/4、3着ルルバンブルー クビ、4着ダイワシークレット 1馬身3/4、5着マヤノベンケイ ハナ。
この日は武豊39歳の誕生日である。そして見事に自らのバースデー・プレゼントとなった。
なお、阪神スプリングジャンプ(GⅡ、芝3900m、12頭)は、結果だけを記しておくとする。
1着エイシンニーザン 2着コウエイライト 3着エイシンペキン、4着クルワザード、5着マンテンフラワー・・・・以上。
2008.03.14 (Fri)
無題
ただ、一言、言わせて貰うならば、FC2ブログの方から一方的に新管理画面に替えられてしまった。それで、書く気も意欲も、やる気も失せてきたのである。本音を言わせて貰うならば、旧管理画面の方が書きやすかった。それに新管理画面の場合、一端、記事を載せてしまうと、誤字脱字があっても修正ができないのである。だから間違った文字を発見しても、修正ができないから、そのまま恥を晒す様な形で何もできないのである。過去の記事の管理というところを開いても、編集ができない。いったいFC2はどういうつもりなのだろう。編集もできないような管理画面では、書き損じ・・・いやいやキーの打ち損じもできないではないか・・・・。ブログに掲載する前に、何度も読み直せと言われれば、それまでだが、こちらは仕事で疲れて帰ってきて、そこから半分眠っているような目を擦りながら、才能の欠片もない頭を使いながら、どうにか智慧を絞って書いてるのに、いちいち読み直せるか・・・それに時間も無い。だから翌日、読み直したとき、自分で書いた記事に誤字や脱字、言い回しのおかしい部分があることに気がついて、修正しようと思うのに、それが今の管理画面だとそれも不可能なのである。何かやり方があるのかもしれないが、以前の管理画面なら簡単にできたものができなくなった。これだと、何のための新機能かわかりゃあしない。だから私はブログを書く意欲がなくなりつつあるのだが・・・。今までFC2ブログは使い勝手がよいので気に入っていたのに、新管理画面になって使いづらくなってきた。困ったものだ・・・・・・・・・・・・・。
2008.03.12 (Wed)
ビージーズを聴く
ビージーズというのは5年前にモーリス・ギブが急逝するまで現役のグループだった。と最近、若い衆に言われて驚いた。何故、驚いたかというと、私が小学生の頃から存在するグループだからである。ザ・ビージーズというのは、ギブ三兄弟の甘いヴォーカルが売りのポップ・グループであることは知られているところだろうが、私が知っているビージーズというのは5人組であった。バリー・ギブの長兄、ロビン・ギブ、モーリス・ギブの双生児と、ドラムスのコリン・ピーターセン、ギターのヴィンス・メロニーが当初のメンバーであった。彼らはオーストリアで1963年にデビューした。でもその頃のビージーズを私は知らない。私がビージーズの名前を最初に聞いたのは1967年だったと思う。『マサチューセッツ』の大ヒットによってである。甘い声で~~Feel I'm going back to Massachusetts~~と囁くように唄われる。私は当初、コーラス・グループかと思ったぐらいである。
その頃、音楽雑誌で調べてみて、The Bee Geesというのは、イギリスのマン島で生まれたギブ三兄弟が、一家のオーストラリア移民によってオーストラリアで結成されたポップ・グループであるということが解ったのである。だからデビュー当初は、ビートルズやローリング・ストーンズ、アニマルズ、ビーチ・ボーイズ、ドアーズといったグループとなんら変わらないエレキ・ギター・サウンドのロック・グループ、ポップ・グループだったのである。
1967年に『マサチューセッツ』の大ヒットによって日本でも知られることとなったビージーズ。ここからヒット曲が目白押しである。アメリカでのデビュー曲となった『ニューヨーク炭鉱の悲劇』『ホリデイ』『ワールド』、1968年『ワーズ』『獄中の手紙』『ジョーク』、1969年『若葉の頃』、1970年『アイ・オー・アイ・オー』、1971年『メロディ・フェア』・・・・・とにかく覚えやすい甘い旋律と、メロウな声が日本でも受けたのか、カバーする日本のグループも多かった。このあたりビージーズはメロディメーカーといってもいいだろう。
だが私が知るビージーズは1970年代前半までである。1970年代後半からのビージーズというのは、当時のディスコ・ブームと相成ってディスコ・サウンドに近い曲が多く、私の知り得たビージーズではなかった。でも1977年末から1978年8月まで32週間に及び、ビージーズの曲がアメリカのヒットチャートで1位を独占し続けるという記録を作ったりして、売れに売れていたようだ。しかし、すっかりサウンドは変わっていて、かつてのメンバーであったコリン・ピーターセン、ヴィンス・メロニーの他人はとっくにいなかった。結局、兄弟だけのビージーズになり、その後も『愛はきらめきの中に(How Deep Is Your Love)』『Stayin' Alive』『Night Fever』等、数々のヒット曲を出し続けることとなる。
その後、ビージーズがどのような曲をリリースし、どのような活躍をしていたのか、私の知る範囲ではない。でも息長く、40年も第一線で活躍してきたグループであるということは、彼等の音楽性というのは、時代を超越した普遍性が備わっているのか、それとも絶えず、潮流に乗る術を心得ていたのか、これも私の知らないところである。ただ、私が言えることは、甘いサウンドと優美なメロディに包まれた彼等の歌声は、青春の甘酸っぱさを含んでいたということだ。あの日に聴いた『若葉のころ』のように・・・・・・・・・・。
『マサチューセッツ』を歌うザ・ビージーズ
2008.03.11 (Tue)
映画『お熱いのがお好き』を観る
監督 ビリー・ワイルダー
出演 ジャック・レモン
トニー・カーティス
マリリン・モンロー
ジョージ・ラフト
ジョージ・E・ブラウン
パット・オブライエン
【あらすじ】禁酒法時代のシカゴで、聖バレンタインデーの虐殺を目撃したサックス奏者のジョーと、ベース奏者のジェリーはギャングに追われることとなる。それで何とかシカゴから逃げ出そうと、フロリダへ行く楽団の団員募集に応募し、晴れて楽団に入ることに成功した。ところが、この楽団は女性ばかりの楽団であった。そこでジョーとジェリーは女装して、ジョセフィンとダフネと名乗ることとなった。こうして巧く潜り込みフロリダへ出発する。でも楽団には色気ムンムンのウクレレ奏者でシンガーのシュガーがいた。当然のようにジョーはシュガーに恋してしまう。それでどうにかフロリダへ楽団は到着したが、そこにはギャングの一行も現れた・・・・・・・。
この映画を私が観たのは小学校に入った頃である。母と姉に映画館へ連れて行かれ観ていたが、私にはあまり面白味が判らなかった。ただ覚えているのはコケティッシュな女の人が出ていて、面白い歩き方をしているなあと思ったぐらいで、その人がマリリン・モンローだと知ったのは、それから4、5年経ってからのことである。
私が小学校高学年になってから、テレビで『お熱いのがお好き』を放映していた。その時はストーリーも含め、この映画の持つエッセンスやユーモアが十分楽しめて、これはかなり傑作のコメディ映画であると感じたものである。でもよく考えてみると、トニー・カーティスはともかく、ジャック・レモンの女装は誰がどのように見ても女とは思わないだろうし、現実では考えられないような無理な設定である。でもそんな虚構性に目を瞑って、馬鹿げてるとは思いながら最後まで大笑いしながら観てしまう。とにかくビリー・ワイルダーの見事な演出もあって、マリリン・モンロー、トニー・カーティス、ジャック・レモン等の持ち味が生きていて、ウィットにとんだ洒落たコメディである。
でも聞くところによると、この当時、マリリン・モンローは精神状態が安定しておらず、撮影に遅刻してきたり、とにかく奇行が目立ったという。それで、、映画をモノクロで撮るということに対して不平を言ったり「ワイルダーは独裁者」発言したりしたため、ビリー・ワイルダーは随分とモンローに手を焼いていたようだ。またトニー・カーティスは、モンローとのラブシーンを「ヒトラーとキスするようなものだ」と発言。まさに映画の出来とは正反対で、撮影時の雰囲気は最悪だったらしい。
映画の撮影は最悪・・・でも、やはりそこはプロフェッショナルである。私生活と切り離して演技に没頭できる役者達を含めた脚本家、監督、映画関係者らは、そのような裏話、スキャンダラスな一面を彼らは微塵も感じさせないでいる。その結果、ハリウッド映画史上に残る傑作映画が生まれたとしたら、結果オーライというべきか。つまり仲良し同士の集まりよりも、互いに反目しあっていて凌ぎを削り、火が出るような一触即発のような中で撮影される方がいい作品が出来るのではないだろうか。結局、この頃のマリリン・モンローの私生活は行き詰っていて、この3年後には謎を残して死んでいく。自殺なのか他殺なのか・・・事故死なのか・・・・何かとお騒がせなマリリン・モンローではあったが・・。
映画の挿入曲"I Wanna Be Loved By You"を唄うマリリン・モンロー
2008.03.10 (Mon)
清水寺をぶらり
京都の年間の観光客数は4800万人を超えている。この数字は年々増加していて、あと数年で年間5000万人の観光都市にするつもりらしい。これは不可能な数字でもないが、厳しい数字でもある。何故なら修学旅行生が昔ほど京都に来なくなったからである。つまり中学生、高校生には寺社、仏閣といった古めかしいものを見るよりも、もっと面白いものがあるからかもしれないが、それでいて京都へ訪れる観光客は増加しているという。それはこのところ外国人観光客の数が伸びているということもあるが、日本人の一般観光客が確実に増えていることも一因しているのだ。そんな観光都市・京都の中で最も人が訪れる場所が清水寺なのである。でも時々「しみずでら」と読んでしまう人がいて、こちらとしては閉口してしまうが・・・・。
この清水寺というのは、平安京遷都以前から建っていた歴史ある寺院で、創建は778年。法相宗から独立して北法相宗の大本山となる。開基は延鎮上人である。
仁王門。清水寺の正門である。応仁の乱の後の15世紀末の再建。
仁王門から境内へ入ると三重塔が見える。高さは約31m。三重塔としては日本最大級の高さである。この塔は1632年の再建。
有名な清水の舞台。高さが約13mで、この舞台のある本堂は国宝となっている。1633年の再建で、世界文化遺産に登録されている。昔はここから飛び降り自殺する人もいたという・・・。それこそ清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・・というが、本当に飛び降りてしまっては身も蓋もない。
こちらは子安塔。泰産寺ともいう。清水寺の本堂から離れた場所にある。三重塔で高さは約15mと小型、寛永の頃の再建である。
2008.03.09 (Sun)
弥生賞、中京記念
例年、この弥生賞を勝つとダービー馬になる確率が高いが、今年は大混戦。その中で人気は、ブラックシェル、マイネルチャールズ、アインラクス、フサイチアソート、キャプテントゥーレが単勝倍率で10倍以内という人気の割れ方。ここら辺りも今年の牡馬陣に軸となる馬がいないという証明になっている。でも最近の弥生賞の勝ち馬、昨年がアドマイヤオーラ、一昨年がアドマイヤムーン、3年前がディープインパクトと全て、古馬となっても活躍しているし、弥生賞の勝ち馬は今後の大レースで重要な役割を果たすことは必至だから注目される一戦となる。とはいえ、今年は難しい。とりあえず中山で3戦2勝のマイネルチャールズは、現状では1番手かもしれないが・・・・。
いよいよ弥生賞(Jpn-Ⅱ・3歳、芝2000m、16頭)がスタートした。今年は先行する馬が少ないのでホッカイカンティがゆったりとハナを奪った。それを観てすぐにマイネルチャールズが2番手につける。その後の3番手はシングンリターンズ、4番手にミッキージェット、5番手にタケミカヅチ、6番手にキャプテントゥーレが続く。さらにテラノファントム、ブラックシェル、スズジュピター、ダイシンプラン、オリエンタルロックが行き、ピエナエイム、ベンチャーナイン、アインラクス、フサイチアソート、ライムライトシチーが後方から追走する。ペースはとても遅く、スタートから12.2---11.5---12.4---12.8---12.9と1000m通過が1分01秒8、これだと先行馬有利である。こうなると2番手につけているマイネルチャールズは絶好の位置ということになる。松岡騎手の判断か、3コーナーで早くも仕掛け気味に先頭のホッカイカンティをかわす体勢に入る。それにつられてタケミカヅチ、キャプテントゥーレが3、4番手まで上がってくる。いよいよ直線コース。先頭はホッカイカンティがスローペースから逃げ込みを計ろうとするが、すぐにマイネルチャールズがその外から先頭に出ようとする。その後ろではタケミカヅチが接近。坂にかかってブラックシェルもやっとエンジンがかかってくる。あと100m、ここでマイネルチャールズが先頭に立った。タケミカヅチが2番手で、ブラックシェルがやっと外から上がってくる。あとゴールまで僅かのところ、マイネルチャールズが完全に先頭。2番手にタケミカヅチ、外からブラックシェルが接近してくる。ブラックシェルが先頭に肉薄するが、マイネルチャールズが先頭でゴールイン。
1着マイネルチャールズ 2分01秒8、2着ブラックシェル 3/4、3着タケミカヅチ 1/2、4着キャプテントゥーレ 1馬身1/2、5着テラノファントム ハナ。
今年の3歳牡馬で重賞を2勝した最初の馬となったマイネルチャールズ。これで中山コースは4戦3勝。得意中の得意なのでダービーはともかくとして、皐月賞の最有力候補となったことは確かである。混戦に強く先行も出来るので、このあたりは強みである。でもけして完璧な内容というのでもなく、他を圧しているとは言えず、飽くまで現時点ではということになる。この馬はスローペースで展開が向いていて勝つべくして勝った。でも上がりが35秒1と平凡すぎる。あんなにスローペースだったら34秒台前半で上がれる脚がないと絶対的な存在とは言いがたい。時計は馬の実力を測る一要素でしかないが、あれだけスローペースなら速い時計で上がれないと、末脚の切れる馬に差される可能性はある。たまたま今年の3歳馬はどの馬も頼りなくて、どんぐりの背比べのような連中ばかりなので、今のところ勝っているが、これからどんな伏兵が現れるか解らないし・・・・・・。思えば昨年の弥生賞のアドマイヤオーラの勝ち時計は2分00秒5であった。今日のレースよりも1秒3も速い。それでいてアドマイヤオーラは34秒8で最後を纏めている。また一昨年のアドマイヤムーンは、今年と似たような勝ち時計2分01秒5で勝った。でもアドマイヤムーンは34秒7とマイネルチャールズよりも切れる脚があった。3年前のディープインパクトは、今さら言うまでもないだろう。確実に33秒台、34秒台前半の時計で確実に末脚を伸ばしてくる馬だった。そういうことを考えると、今年の3歳馬は最近の10年で、もっともレベルが低い世代といわれても仕方が無い。まだ、今後の成長力でどうなるか解らないが、現時点でマイネルチャールズかクラシック候補一番手に数え上げられることは確実なようだ。けども何か迫力が無いなあ・・・。
中京記念(GⅢ・4歳以上、芝2000m、18頭)は結果だけ・・・・・・。
1着タスカータソルテ 1分58秒4、2着センカク ハナ、3着ワイルドファイアー ハナ、4着ワンモアチャッター 1馬身1/4。
最後になるが昨日、不可思議な出遅れとシンガリ負けを喫したサンアディユは、今日、心不全で急死したという。何かおかしいと思ったが・・・・・・残念である。
2008.03.09 (Sun)
『限りなく透明に近いブルー』村上龍著を読む
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が世に出て30年以上なるだろうか。まだ二十歳を少し出たばかりの若者が書いた小説ということで話題になり、1976年上半期の芥川賞を受賞した作品である。戦後生まれとしては中上健二に次いで二人目の受賞だった。でも店頭にこの本が出回って評判になっていたあの頃、手にとってページをパラパラと捲りわずかに読んでみたが、すぐに嫌になり買う気も起こらなかったことを覚えている。
小説の内容はリュウという19歳の若者を中心に、彼を取り巻く男女が、ハウスと呼ばれる米軍基地の周辺にある家で、日夜、何をするでもなく、ただ、ドラッグ、SEX、パーティーに明け暮れるという話で、ストーリーらしきものが無い。話の中では、登場する人物・・・・・リュウ、リリー、オキナワ、レイ子、モコ、ケイ、カズオ、ヨシヤマ・・・・等が淡々とヘロイン、LSD、ハシシ、ニブロール、モルヒネといった薬に手を染め、酒をあおり乱交パーティーを繰り広げ、ジャズやロックを聴く。でもやがて、彼らは徐々に散り散りになっていく・・・・・・。
村上龍がこの小説を何のために書いたのか私は今でも理解できない。何を言いたかったのかも釈然としない。私は村上龍とさほど歳は違わないから、彼の感性は判らないでもないが、小説として読んでいると面白くもなんとも無い。ただ目的の無い男女が集まって、毎日、ダラダラと薬をやり、酒を飲み、たまにレッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、マイルス・デイヴィスといったロックやジャズを聴き、時にはSEX三昧、また米軍基地からやって来た黒人兵も加わって乱交パーティーを繰り広げる。ただあるのは詩的な文体と、日常的な生産性からの逃避、堕落的会話・・・・。およそ主体性の無い無秩序な若者を描く上で、彼等の生き様を視覚的な表現で捉えきった文体には見るべき物はあるが、ただ意味の無い彼等の日夜の行動、及び言動は到底、私の理解しうる範疇を逸脱していて、この小説の意図するところは私には判明しない。
この小説は1970年頃の、まだ全共闘運動が盛んだった頃の話であるが、当時の熱い革命ごっこをやっていた連中の裏ではノンポリシーの若者が大勢いたことも確かであり、一方で麻薬に手を染め、ドロップアウトしていった少年少女も多く、高度経済成長期という日本が繁栄して行く過程の陰で、このような闇の部分も少なくは無かったということなる。
村上龍自身、東京都下の福生に住んでいて、そこは米軍横田基地の周辺にあるハウスという住居の多い地域であったという。それこそ米軍兵が往来し、彼らを通してドラッグが手に入る。必然的にそのような輩が集まる。いわば日本の中の反日本的な社会で生活する間に、どっぷりと浸かってしまう。それが何時しか社会から隔離されたような、何ら経済性のないアナーキーな世界。このような世界を知り、このような小説を書くに至らせたのであろうが・・・・・。小説の中では、リュウはこのような仲間達の中で、クールに彼らを鳥瞰図的に見ているようなところがあり、したがって自分を見失っていたものの、遂に自己というものを発見することとなる。
全編的にドラッグの世界にいるような、非現実的な表現で覆われていて、けして読み易いという小説ではなく、とくに常人の世界に浸かりきっている私のような凡人では、麻薬の世界は想像の域を超えているだろうし、村上龍の持つ感性には到底到達できそうもないので、この小説を吸収しきれることは一生有り得ないだろう。現に『限りなく透明に近いブルー』の評価は真っ二つに別れ、芥川賞選考の時は、大いに揉めたという。でも村上龍の世界に共鳴できる人は同様にいる訳だから、人の意見は尊重すべきである。よく小説のなかで全体に一貫しているテーマはと何かと考える時があるが、この小説の中では鳥がキーワードになると思う。主人公リュウは言う「リリー、鳥が見えるかい? 今外を鳥が飛んでいるだろう?」「俺は知ったんだ、ここはどこだかわかったよ。鳥に一番近いとこなんだ、ここから鳥がきっと見えるはずだよ」「俺は知ってたんだ、本当はずっと昔から知ってたんだ、やっとわかったよ、鳥だったんだ」「鳥は殺さなきゃだめなんだ、鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔してるよ、俺が見ようとする物を俺から隠してるんだ。俺は鳥を殺すよ、リリー鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ」・・・・リュウは鳥に何を連想していたのだろうか・・・・・。
2008.03.08 (Sat)
オーシャンS、チューリップ賞
中山のオーシャンS(Jpn-Ⅲ・4歳以上、芝1200m、16頭)は高松宮記念を目指すスプリンターが挙って顔を揃えた。この中で断トツの1番人気に支持されたのがサンアディユ、2番人気がドラゴンウェルズ、3番人気がアイルラヴァゲインであった。
電撃の6ハロンのスタートであるが、なかなかスタートが切られなかった。ゲート内でサンアディユに何が・・・・・。ようやくスタートとなったが、そのサンアディユが立ち遅れた。何ということか1200mの短距離レースで出遅れるとは・・・・それも5、6馬身は出遅れている。この段階で圧倒的1番人気が圏外へ去ったようなものだ。何だか波瀾要素が・・・・。
先頭はエムオーウイナーが立った。それを7枠の2頭、アドマイヤホクト、ナカヤマパラダイスが追う。その後にはアイルラヴァゲイン、コパノフウジン、プレミアムボックスがいて、トーセンザオー、クールシャローン、リキサンファイター、ドラゴンウェルズと続く、さらにリキアイタイカン、ブラックハバースピン、ウインレックス、タマモホットプレイ、キョウワロアリングが後方から行き、1頭出遅れたサンアディユが懸命に追うが厳しいものがある。
第4コーナーを回って、いよいよ直線コース。先頭はエムオーウイナー、それを追うアドマイヤホクト、ナカヤマパラダイス、その外にプレミアムボックス、最内にアイルラヴァゲインが追走。坂の途中でエムオーウイナーが頑張っている。ここでナカヤマパラダイスが2番手に上がる。あと100m、エムオーウイナーがまだ先頭。それに馬体を併せる様にナカヤマパラダイスが迫る。その外からプレミアムボックスもやって来る。ここから3頭が並んだ。並んだ。激しく叩きあって、最後には外のプレミアムボックスが僅かだけ出た模様。
1着プレミアムボックス 1分08秒9、2着エムオーウイナー ハナ、3着ナカヤマパラダイス クビ、4着アイルラヴァゲイン 3/4、5着リキサンファイター クビ。
出遅れた1番人気のサンアディユであるが、最下位の16着に終わった。あれだけ出遅れると勝てないだろけども15着の馬からも離されている。スタート前、ゲート内で何かあったのだろうか? 結果が悪すぎるから気になってしまう。何もなければいいが。
阪神ではチューリップ賞(Jpn-Ⅲ・3歳牝馬、芝1600m、16頭)が行われた。今年の3歳牡馬はどの馬が強いのか、さっぱり解らないが、牝馬に関しては目下のところ2歳牝馬の女王トールポピーがリードしているだろう。それで、そのトールポピーがこのレースに顔を出してきたので注目された。距離もコースも桜花賞と同じだし、昨年のウオッカやダイワスカーレットのように、このレースから羽ばたくだろうか非常に興味が持たれた。
人気はやはりトールポピー、オディールが上位人気で3番手にスペルバインドが支持された。さあスタートである。ダッシュ良く数頭が激しく先行争いをする。そんな中でエアパスカルが行った。ユキノサッシュが2番手、3番手にコウヨウマリーン、メイショウジェイが4番手、ヤマカオーキッドと続き、マルチメトリックが行って、その直後にトールポピーが追走。さらにムードインディゴ、スペルバインド、ハイカックウ、オペラセリア、ジョイフルスマイル、ギュイエンヌ、そして追い込みからオディール。その後ろは2頭、ニックバイエフォー、メジロアースラという展開である。スタートからゆったりとしていて800mを48秒7、1000mを1分01秒3、で通過。どのように解釈してもスローペースである。今時、2400mのレースでも、1分01秒3での1000m通過は遅いといわれる。それなのにマイル戦での1分01秒3はあまりにも緩いペースである。これだと先行馬有利である。そのせいかエアパスカルは脚色が快調である。エアパスカルを追って、コウヨウマリーンとヤマカツオーキードが続く。さらにその外にはトールポピーが来ている。あと200m、ここでトールホピーが2番手に上がろうとする。でも先頭はエアパスカル、まだ2馬身ほどの差がありそうだ。その時、大外をついてオディールが極め付けの脚色で追い込んできた。あと50m、エアパスカル先頭、でもトールポピーが、さらにオディールが3頭並ぶようにして叩き合う。さあ、ゴール前である。内のエアパスカルに対して、真ん中のトールポピー、外のオディールが迫る。ゴール前になって3頭が叩きあい、揃ってゴールイン。
1着エアパスカル 1分35秒8、2着トールポピー ハナ、3着オディール ハナ、4着スペルバインド 1馬身1/2、5着ヤマカツオーキッド 1馬身1/4。
結局はスローペースに持ち込んだエアパスカルが逃げ切った形となったが、今回のレースを観る限り2着、3着のトールポピー、オディールの方が力は上の馬である。あと、このメンバーにリトルアマポーラ、ポルトフィーノが加わって桜花賞を争うこととなりそうだが、牡馬よりは牝馬の方が勢力分布ははっきりしているようだ。
2008.03.06 (Thu)
このところ体調も悪くて・・・・・
最近は体が動かないだけではなく、目も悪くなった。視力が落ちてしまい読書が辛くなった。だから老眼鏡は必需品であるし、飛蚊症かもしれず糸状のゴミのようなものが目の中で浮遊している。うーん、本当に歳はとりたくない。それに健忘症かどうか解らないが、とにかく物忘れがひどくなった。ことに人の名前をよく忘れる。まだ身近の人間の名前を忘れるところまではいってないが、テレビの中で見かける人の名前をのべつ幕なし忘れまくっている。若い頃は、母がすぐに忘れるので、なんでこんなに・・・・と思っていたが、私も最近は物忘れが酷い。物忘れが酷いだけならいいが、暗記も出来なくなった。だからブログを書くのも一苦労するのである。それに、このところ連日の残業で、これまでのようにブログの更新が難しくなってきた。毎日、帰宅してからパソコンの前に座り、何を書こうかと考えている間に、1時間位は経過してしまうのであるが、タイトルだけ思いつきで決めてしまうと、意外と文が浮かんでくるものである。とはいうものの、褒められた文章ではなく、読み直してみても恥ずかしくなるほどの拙文で、よくブログなんか書いているなあと落ち込む毎日である。
また後日、読み直すと誤字脱字が多くて、その度に血の気が引いてしまう。キーを打つ手も遅くなったし、指が思うように動かない。でもこうして下らないブログを更新しているのは何のため・・・・と考えるが、大した意味は無い。でも何れ止める時が来るであろう。その時は、本音で書きたいことをズバズバ書いてみることにする。罵詈雑言、辛口、毒舌、褒め殺し、何でもござれで、世の中の不条理に敢然と挑戦してみようと思う。でもそれは何時のことだろうか・・・・・・。
2008.03.05 (Wed)
テンポイントの死から30年
こうして書いてみると、はるか昔に1頭の馬が死んだことがあるというぐらいで記事にするなと文句を言われそうであるが、この馬の場合は単なるサラブレッドの死という悲哀の話だけでは片付けられない数奇な運命が過去にあったから、ここで改めて記事にしたまでである。だから、この話を知らない人は、騙されたと思って読んでもらいたいと思うのである。
テンポイントは1973年4月19日、北海道は早来町の吉田牧場で産まれた栗毛の牡馬である。父は英国ダービー馬ネヴァーセイダイを父に持つコントライト、母は桜花賞馬ワカクモである。つまり母系の血からも期待されて産まれてきた競争馬なのである。でも何故、そんなに期待されていたかというと、母ワカクモが幽霊の子といわれていたからである。ワカクモを幽霊の子と言ったのは、故・寺山修司であるが、このように書くと話が複雑そうに思うであろう・・・・・それでは話を昭和27年まで遡って進めるとしよう。
1948年(昭和23年)に産まれたクモワカという牝馬がいた。この馬はセフトを父に、月丘を母にして産まれ、競走馬としては京都競馬場の杉村政春厩舎に預けられた。なかなかの素質馬であり、1951年(昭和26年)の桜花賞で2着となり、その年の秋、牝馬ながら菊花賞に出走し4着と健闘した。だからここまでは順風満帆だったのである。それが、翌年の1952年(昭和27年)、古馬となったクモワカに試練となる運命が待ち受けていた。
この年の冬、京都に致命的な馬の伝染病である伝貧(伝染性貧血症)が蔓延した。そこでクモワカも診断を受け、運悪く伝貧と診断されてしまったのである。これにより即刻、クモワカを殺処分せよという上からの命令が下ったのである。でも関係者は、こんなに元気なクモワカが伝貧の筈がないと診断結果撤回、及び再検査を求めたが、、彼等の主張が通るものでもなく、当時の慣習の例に倣い「疑わしきは罰せよ」とばかり早く処分するべしと厳しい要求を突きつけられたのである。けどもクモワカの関係者は絶対に認めたくもなかった。それでクモワカの殺処分を請け負った男がいて、彼はクモワカを連れ出して殺処分するために京都競馬場から忽然と姿を消したのである。これでクモワカは死んだだろうと当然みんな考えていた。何故なら死亡届が出ていたからである。だが、この死亡届は偽の死亡届で、肝心のクモワカは飛び出した男と連れ立って北海道へ旅立ったのである。それで行き着いた先は早来町の吉田牧場であった。
吉田牧場に辿り着いたクモワカは、一応に種付けされ、子供を産み続けた。ところが、殺処分命令により死亡したことになっている馬の子供を登録することは法律上不可能だった。それならとばかり、クモワカの関係者は子供が産めるというのは、伝貧に感染していない証拠とばかり裁判を起こす。裁判は通り、こうして北海道当局による再検査の結果、クモワカとその子供達は非感染であるとようやく認知されたのである。
伝貧ではなかったクモワカには、既に数頭の子供がいたが、当り前のように競走馬に成りえなかった。そして、クモワカの子で最初に競争馬として登録されたのがカバーラップⅡ世との間に産まれた牝駒である。1963年(昭和38年)に産まれた鹿毛の牝駒は、クモワカの無念を晴らすべき母の名前をひっくり返してワカクモと名付けられた。やがて、ワカクモは2歳になり母クモワカと同じ京都の杉村政春厩舎に預けられ、競争馬として調教されたのである。
ワカクモがデビューしたのは1965年(昭和40年)の秋だった。死んだ筈のクモワカの子が競走馬として出てきたのである。でも寺山修司が幽霊の子と呼んだワカクモは強かった。母の無念を晴らすべく運命を知っていたかのように、母の勝てなかった桜花賞に勝った。これだけでも快挙であろう。結局、ワカクモは1969年まで現役を続行し、通算53戦11勝とまずまずの成績で引退した。でも幽霊の子は現実として登場し、新たなる一族の話はここで終わらない。
ワカクモが引退し故郷の吉田牧場に帰ってから、最初に産まれた牝駒はオキワカと名付けられた。このオキワカはクモワカの孫になる。オキワカは1972年産まれで、父がリマンドであった。通算で45戦6勝し、繁殖に上がってからはダービー2着のワカテンザンや東海公営で大活躍したワカオライデン等を輩出した。・・・・・そして、1973年(昭和48年)4月19日にワカクモから第2子が誕生した。それは栗毛の非常に美しい牡馬だった。父は新種牡馬のコントライト。この馬は高田久成さんに買われ、新聞の記事になるようにとテンポイントと名付けられた。このようにテンポイントは競争馬としてのスタートを切ったのである。
預けられた厩舎は栗東の小川佐助厩舎で、メインの騎手は鹿戸明であった。1975年(昭和50年)の夏、北海道でデビューし圧勝した。2戦目は300万特別のもみじ賞だったが、これも9馬身差を2着につける圧勝。3戦目は阪神3歳Sである。今で言うところのGⅠレースである。だがここでも7馬身差の圧勝。このようにしてクラシック候補と言われるようになる。ところが華奢な馬で逞しさに欠けていた。見るからに美しく白い流星が額に通っていた。だから人気は呼んだが、生来付き纏う悲劇性が奇しくも祖母クモワカと似通っていた。だから関東入りしてからというものは、3歳時(旧馬齢表記)の快走が鳴りを潜め、稀代の快速馬トウショウボーイの後塵を拝した形となった。この頃のテンポイントは、ダービーのレース中の骨折もあって見せ場がなく、秋の菊花賞はトウショウボーイに雪辱したものの上がり馬グリーングラスに足元を掬われ、所詮は早熟な馬だったと囁かれだしたものである。
2008.03.04 (Tue)
映画『太陽がいっぱい』を観る
監督 ルネ・クレマン
出演 アラン・ドロン
マリー・ラフォレ
モーリス・ロネ
エルヴィーレ・ポペスコ
【あらすじ】貧しいアメリカの青年トム・リプレーは、お金持ちの放蕩息子フィリップを連れ戻して欲しいと彼の父親から頼まれナポリにやって来た。フィリップは仲間と空き放題の生活をし、美しい恋人のマルジュを連れていた。トムはそんなマルジュに惹かれていた。一方、フィリップは父の元へ戻る気などなく、フィリップ、マルジュ、トムの3人はヨットで海に出る。だが、フィリップはトムにヨットの操縦をさせ、その間、マルジュと遊興に耽っていた。貧乏なトムは次第に自分とは境遇の違いすぎるフィリップに殺意を抱くようになる。やがて些細なことからマルジュはフィリップと言い争いになり、ヨットを降りてしまう。ヨットの上でトムはフィリップと2人だけになってしまう。トムはフィリップとトランプをやっている最中にナイフで刺してしまう。トムはフィリップの死体を錨にロープで縛り海に投げ捨てた。・・・・・こうしてトムはフィリップの身分証明書の写真を自分に貼りかえて、フィリップのサインを真似、フィリップになりすまし財産を頂こうとするが・・・・・・・・・・・。
20世紀の二枚目俳優アラン・ドロンの出世作。この『太陽がいっぱい』はパトリシア・ハイスミスの原作による映画化で、1999年には『リプリー』という同じ原作による映画化もされている。
この作品は監督が『鉄路の闘い』『禁じられた遊び』『居酒屋』等の名作を撮ったルネ・クレマンだし、音楽はフェリーニの映画『道』『カビリアの夜』『81/2』で頭角を現したニノ・ロータで、映画は大ヒットした。1960年というとフランス映画はヌーヴェルバーグの嵐の中に巻き込まれていた。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ルイ・マル、アラン・レネに代表される映画の波があり、そんな時代にあって、ルネ・クレマンの撮った映画は難解ではなく、解りやすい映画が多く、それが人気を呼んだのかもしれない。
ルネ・クレマンの演出と、映像、ニノ・ロータの美しい音楽、そこへ天下の二枚目アラン・ドロンが出演ときていては、ヒットしない筈がないというものである。この時、アラン・ドロンは弱冠25歳で実に若々しい。
アラン・ドロンは1935年生まれ、1956年の映画『女が事件にからむ時』で俳優デビュー。この『太陽がいっぱい』で一躍スターダムに伸し上がってからでも、ルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』『山猫』、ミケランジェロ・アントニオーニ、ルイ・マル、ゴダール等の巨匠、名匠の映画に多数出演し人気を不動のものにしたのである。
私はこの映画を何度も観ているが、上手く出来た傑作だと思う。それにヌーヴェルバーグ全盛のフランス映画界にあって、ルネ・クレマンの映画は商業主義的な娯楽作品ではあるが、そういった通俗性を感じさせない普遍性がある。海上でのヨット、そこへ殺そうと思っている人物と2人っきりになる。殺すのには絶好のシチュエーションである。そして、トランプを始め出す2人、やがて2人の会話からフィリップはトムが自分を殺そうとしていることに興味を持つ。「君は俺を殺して、それからどうする・・・・」
このような殺人を犯すまでの演出が巧で、観る側をどんどんと話の核心に引き込んでいく。まさしくサスペンスの真髄である。そこへ旅情的な映像とニノ・ロータの美しい音楽が郷愁を誘い、絵になる役者アラン・ドロンが填まった演技をする。実にこのあたり巧くできていた。まさに太陽がいっぱいの映画である。
『太陽がいっぱい』のハイライト・シーン集
ニノ・ロータ作曲の『太陽がいっぱい』のテーマ曲(動画はなし)
2008.03.03 (Mon)
スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルトを聴く
だからこのアルバムをジャズというカテゴリーに収めてしまうのには無理があるが、スタン・ゲッツというジャズのテナー奏者が参加しているので、一応はジャズのカテゴリーに入れてみた。でもこのアルバムを聴く限りボサノヴァの色が強い。でもジャズとボサノヴァの融合と感じてもいい訳であり、要は聴く側の取り方であろう。
最近はボサノヴァと言っても、往年の人気はなく、どのような音楽なのか知らない人の方が多いだろう。思えば1960年代の日本は、ボサノヴァ・ブームであった。最も日本人に受けたのがセルジオ・メンデスだうろけども、その流行の始まりは、このアルバムに入っている最初の曲『イパネマの娘』のヒットによってもたらされたのである。独自のリズムとクールな感性が調和した心地よい曲で、ジョアン・ジルベルトとアストラッド・ジルベルトが唄っている。
そもそもボサノヴァというのは、1950年代中頃にブラジルのリオデジャネイロに在住しているミュージシャンによって生まれた音楽で、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ヴィニシウス・ジ・モライス、ナラ・レオン、ロベルト・メネスカル、バーデン・パウエル等が中心的人物である。彼等は元々、ブラジルでジャズを演奏していた。それがやがて、独自のサウンドを編み出したのである。それがジャズ・サンバでありボサノヴァである。
一方、戦後間もなくからトミー・ドーシー楽団、ベニー・グッドマン楽団でサックスを吹いていたスタン・ゲッツが、クール・ジャズ奏者として頭角を現し、やがてヨーロッパ渡って行ったが、アメリカへ帰国するや否や、新しい音楽であるボサノヴァを知ることとなる。それによってスタン・ゲッツは『ジャズ・サンバ』を録音してしまう。こうしてスタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトが一緒に共演してアルバムを作ることとなるが、簡単には行かなかったようだ。
この『ゲッツ/ジルベルト』を録音する間、ジョアン・ジルベルトはボサノヴァを理解しないスタン・ゲッツを罵ったという。また強引にレコーディングに参加したジョアンの夫人アストラッド・ジルヘルトに対し、スタン・ゲッツは「アストラッドは飛び入りだから、彼女に印税を払わなくていい」と言ったり、とにかく平穏のまま終わらなかったという。でも才能と才能がぶつかり合い、ここに傑作なアルバムが完成したのである。
このアルバムは日本でも人気を呼び、ここに一大ボサノヴァ・ブームが起きたのだ・・・・。でも1970年代に入り、そのブームにも陰りが見え、今やボサノヴァも消えかかろうとしている。でも時々、ボサノヴァを聴くがも何故か心地よく耳障りもいい。ディキシー・ランド・ジャズのような暑苦しさもく、何処か都会的でクール・ジャズのような趣がある。やはりボサノヴァは、ジャズではないが、ジャズに近い音楽だということはいえるだろう。
アストラッド・ジルベルト(ヴォーカル)、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)による『イパネマの娘』
ジョアン・ジルベルト(ギター、ヴォーカル)、アントニオ・カルロス・ジョビン(ピアノ)による『イパネマの娘』
2008.03.02 (Sun)
中山記念、阪急杯
中山記念(GⅡ・4歳以上、芝1800m、16頭)は天皇賞に向う馬や安田記念に向う馬など多彩なメンバーとなった。人気は前走のアメリカJCCに勝ったエアシェイディが1番人気、カンパニーが2番人気、コンゴウリキシオーが3番人気であった。
スタートが切られるややはりコンゴウリキシオーが行く。それをカンパニーがマークする。1、2コーナーを回って向こう正面に入る。コンゴウリキシオーのリードは2馬身から3馬身、カンパニーとプリサイスマシーンが2、3番手、その後ろ3馬身ほど差があってレオエンペラーが4番手。チョウサンが5番手、ロイヤルキャンサー、エイシンドーバー、トラストジュゲムと続き、リキッドノーツ、その内に人気のエアシェイディが追走。さらにマルカシェンク、リザーブガード、グラスボンバー、10歳馬アサカディフィート、その外にヨイチサウス、シンガリの位置はジュレップという展開である。1000m通過が59秒7とゆったりしている。この辺りコンゴウリキシオーのリードは4馬身、カンパニーがいてプリサイスマシーンと続き、その後は、また4馬身ほど差がついているが、各馬も仕掛けに入る。4コーナーを回り後続馬も徐々に接近する。さあ直線コース、ここまで逃げていたコンゴウリキシオーが、意外にも早く脚色がなくなる。かわって先頭にたったのがカンパニーであった。それを追うのがエイシンドーバー、その後ろからマルカシェンク、エアシェイディはようやく馬群を抜け出してきたものの、先頭とは差がありすぎる。あと200m、カンパニー先頭、完全に先頭。2番手にエイシンドーバー、そして、マルカシェンクが3番手、その後からエアシェイディが迫ってくる。でもカンパニーが先頭でゴールイン。2着にエイシンドーバー。
1着カンパニー 1分47秒3、2着エイシンドーバー 1馬身3/4、3着エアシェイディ 1馬身1/4、4着マルカシェンク クビ、5着アサカディフィート 1馬身1/4。
阪急杯(GⅢ・4歳以上、芝1400m、16頭)は高松宮記念を目指すスプリンターが多数、顔を揃えた。1番人気はGⅠウイナーのスズカフェニックス。2番人気は前走の東京新聞杯に勝ち、ようやく2勝目を上げたローレルゲレイロ。3番人気はフジキセキの子で外国産馬というキンシャサノキセキ。4番人気は4連勝中のマルカフェニックス。
ゲートが開くやナスノストロークが出遅れてしまうが、後はまずまずのスタート。ここで前走、逃げ切って勝ったローレルゲレイロがハナを奪う。2番手にオースミダイドウがつける。その後はテイエムノブシオー、芦毛のフサイチリシャール、オークス馬ローブデコルテ、ハイソサエティー、ダンスフォーウィンが続き、その直後、本命スズカフェニックスが武豊を鞍上にして虎視眈々と上位を狙っている。スズカフェニックスの後ろにはペールギュント、ウインレックス、シンボリグラン、キンシャサノキセキ、マルカフェニックス、アンブロワーズ、アグネスラズベリがいて、最後方は出遅れたナスノストローク。
各馬、余り差がなく4コーナーを回る。ここでフサイチリシャールが4頭の1番外を通り接近する。さあ直線、ローレルゲレイロ先頭。オースミダイドウとフサイチリシャール、ローブデコルテが追うが、この間をついてスズカフェニックスが抜け出し単騎2番手に上がる。でも先頭のローレルゲレイロは粘り強い。あと200m、ここからまたローレルゲレイロの脚色が鋭くなる。でもスズカフェニックスはローレルゲレイロに迫る。ただ1頭迫る。3番手にはローブデコルテ、4番手争いは混戦模様。先頭はローレルゲレイロでスズカフェニックスが一完歩ごとに迫るが、とうとうローレルゲレイロは逃げ切った。
1着ローレルゲレイロ 1分20秒7、2着スズカフェニックス アタマ、3着ローブデコルテ 2馬身1/2、4着ウインレックス 1馬身1/2、5着キンシャサノキセキ ハナ。
ローレルゲレイロは、これで重賞2連勝。それまで1年以上も勝てなかったのが不思議なぐらいである。馬が勝ち味を覚えたのかもしれない。でも流石にスズカフェニックスも強かった。
2008.03.01 (Sat)
ザ・ローリング・ストーンズのアルバムを聴く・・・・・『モア・ホット・ロックスⅠ』
私が中学生の頃の話であるが、仲間とバンドの真似事のようなことをやっていた。それは当時の日本の少年達の多くが、英米のエレキ・バンドに憧れたように、ビートルズやローリング・ストーンズの曲をコピーしたものであった。でもビートルズというのは、コピーするにはコード進行とか、かなりテクニックが必要で、ギターを始めたばかりの少年達にはとても歯がたつようなものではなかった。それで我々は比較的にコードも覚えやすく、ある程度まで形になりやすかったローリング・ストーンズの曲をコピーしていた。・・・・といっても『アズ・ティアーズ・ゴーバイ』『ルビー・チューズデイ』のような有名曲しかできなかった。その中でも最も我々が得意としていたのが『テル・ミー』ではないだろうか。
『テル・ミー(Tell Me)』という曲は、私が初めてローリング・ストーンズを意識した曲である。1963年にイギリスでデビューしたザ・ローリング・ストーンズというのは、リーダーであるブライアン・ジョーンズとヴォーカリストのミック・ジャガーが中心になり、キース・リチャード、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンの5人で形成されているグループであった。でもビートルズと違って、黒人音楽のブルースをベースにした曲を唄っていた。だから当初、取っ付きにくいというか、当時のポップスの白人バンドでは異色の存在であった。
ローリング・ストーンズはデビュー曲からしてチャック・ベリーのカバー曲『カム・オン』であった。出すアルバムもリズム&ブルースのような音楽が主体で、他のイギリスのリバプール・サウンド(もっともストーンズはロンドン出身だが)のグループとは一線を画していた。そんな頃であろうか、彼らの最初のオリジナル曲として発売された『テル・ミー』を聴く機会を得た。
『テル・ミー』は1964年の4月にイギリスでリリースされたキース・リチャード、ミック・ジャガー2人の最初のオリジナル・ナンバーだったのである。私はこの曲を聴いて、ビートルズを聴いた時に受けた衝撃とは別の意味で瞠目したのであった。
イントロから奏でられるギターの調べとドラムのドンに続いて、ミック・ジャガーの声で・・・・・
I want you back again
I want your love again
I know you find it hard to reason with me
But this time it's different darling you'll see
You gotta tell me you're coming back to me
You gotta tell me you're coming back to me
この曲を聴いて当時の少年達はさっそくコピーしたものである。あの頃の日本のグループ・サウンズのグループまでもが『テル・ミー』を演奏していた。それも決まってアイドル的で実力派でないザ・タイガースやオックスといったところが、よく演奏していた曲である。それでオックスなどは、この曲を演奏し始めると失神するので、失神の曲とまで言われるのであった。とにかくローリング・ストーンズが好きになった人は、この曲を聴いてから好きになったという人が多く私もその1人である。
ところで、この『モア・ホット・ロックスⅠ』というアルバムは、ローリング・ストーンズの初期のベスト曲集である。最も64年~68年に作られた曲が中心になるので、ストーンズのオリジナル曲ばかりではなく『テル・ミー』『ザ・ラスト・タイム』『ノー・エクスペクテーションズ』『チャイルド・オブ・ザ・ムーン』『シーズ・ア・レインボウ』『グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』『アイム・フリー』『アウト・オブ・タイム』『ロング・ロング・ホワイル』と以上の曲がミック・ジャガー、キース・リチャードの共作によるもので、残りの『ノット・フェード・アウェイ』『イッツ・オール・オーヴァー・ナウ』『ポイズン・アイヴィー』『バイ・バイ・ジョニー』がカバー曲である。
この当時のストーンズは飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、ビートルズを追うナンバー2的なグループであったが、残念ながら曲風からビートルズのように万人受けはしなかった。でも玄人好みというか、甘ったるいポップスに辟易していた不良少年風のエレキ少年達は挙ってストーンズの曲を演奏していた。
その後、ローリング・ストーンズは不良じみたバンドらしく、ブライアン・ジョーンズの脱退、直後に変死。ミック・テイラーの加入。ミック・テイラーの脱退。ロン・ウッドの加入。色々と変遷があり、まだ現役のグループである。ミック・ジャガーやキース・リチャードは、まもなく60代半ばという年齢に達しようとしている。なのに何時までも若いなあと感嘆の声すら上げたくなる。まさに不良爺さんの集団だ・・・。
『テル・ミー』を演奏するザ・ローリング・ストーンズ。オリジナル・メンバーのブライアン・ジョーンズがギターを弾いている。