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2015.04.30 (Thu)

4月も終わり

 今日は4月30日。4月も終わり。1年の3分の1が終わったことになる。4月と言うのは寒くもなく暑くもなく良い季節の筈なのだが、今年はちょっとおかしいようだ。前半は雨ばかりでそれこそ梅雨のように、3日も4日も雨が降り続け、日照時間が平年の半分もいかないという有様でひんやりとしていたというのに、4月の17、18日以降はさっぱり雨が降らなくなり、今度は夏のような暑さが続いている。これは予想できたことだが、今年ほどはっきりしている年も珍しい。何時もの年なら3日晴れたら4日目ぐらいは雨というのがお決まりだった。今年のように前半の雨ばかりは困ったが、逆に後半の晴れ続き。晴れはこれといって困らないが連日地表を熱せられると気温が段々高くなる。したがってこのところ夏日ばかり。少し前は4月では異例の雪が降ったというのに、今度は北海道でも30℃と突破と言うから一体どうなっているのやら。ちょうどゴールデンウィークに入ったので好天はいいだろうが着る服に困る。半袖で上着なしでもいいが夜になると気温がぐっと下がるので上着を離せないという。ここが真夏とは違うところである。しかし、花見の季節が雨ばかりでシートを敷いて美味しい物を食べて酒を飲もうとしていた人達もがっかりだろうから、さぞや欲求不満だったろうが、皮肉にも桜が散ってからは晴ればかりで気温が上昇。一気にビアガーデンが流行るというおかしなことになっている。でもろそそろ雨が降るのではと言う気もするが、これから本格的にゴールデンウィークに入ろうとしているのに、また天候の悪戯で雨が降りそうな予感もする。まだ判らないが、4月にこれだけ晴れの日が続くのも異例なのだ。もう10日以上も雨が降ってない。それだけ4月の前半に雨が降り続いたからと言って、降りだめ出来るものでもなく、あくまで天候は天候だ。大自然には逆らえないのだし、こればかりは神のみぞ知ると言ったところか。
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2015.04.26 (Sun)

ハービー・ハンコックのアルバム『テイキン・オフ』を聴く



 何年か前にハービー・ハンコックのアルバム『処女航海』を紹介したことがあるが、今回のアルバムはハービー・ハンコックが初リーダーとして出した最初のアルバムである。つまり『処女航海』を出す3年前の1962年5月に録音されたものである。この2年前にハービー・ハンコックはプロのピアニストとしてデビューしていて、謂わばグリネル大学で音楽と電子工学を学び(両方とも博士号を修得)ながらプロのミュージシャンであったというから、そりゃ才能豊かだったと想像できるし11歳で既にシカゴ交響楽団と共演したというから天才肌である。1960年の20歳の時ブルーノート・レーベルでセッションマンを経験。スタジオ・ミュージシャンとしてキャリアを積み、1962年に当アルバム『TAKIN’ OFF』をリリース。
 このアルバムは大ヒットした『Watermelon Man』が最初の曲として収録されていることで有名となったのであるが、メンバーにデクスター・ゴードン(ts)を迎えたことでバンドに厚みが加わり一躍ジャズ・シーンに躍り出たのである。このアルバムを出した翌年にはマイルス・デイヴィスのバンドに呼ばれ約5年間苦楽を共にする。その後の活躍も華々しいものである。ジャズからフュージョン、ジャズ・ファンクやヒップホップといったジャンルとのクロスオーバーを果たし、グラミー賞をいったい何度受賞していることやら。とにかくマイルス亡き後の現在のジャズ界の大御所と言えそうだ。そんなハービー・ハンコックの出発点がこのアルバムなのではないだろうか。
 収録曲は『Watermelon Man』『Three Bags Full』『Empty Pockets』『The Maze』『Driftin’』『Alone And I』の6曲。メンバーはピアノがハービー・ハンコック、テナー・サックスがデクスター・ゴードン、トランペットがフレディ・ハバード、ベースがブッチ・ウォ-レン、ドラムスがビリー・ヒギンスである。ハービー・ハンコックが22歳と本当に若い。現在75歳になる大御所が瑞々しく溌剌として、それでいて控え目に鍵盤を叩いている。このアルバムがリリースされ、しばらくしてからは『Watermelon Man』が大ヒットし、カバーする人が続出するのだが、驚いたのはジャズ・ヴォーカル界の大御所ジョン・ヘンドリックスが歌詞をつけて歌っていたこと。それほど曲が当時の商業音楽界に影響を与えたということになるのだろう。後にはハービー・ハンコック自身も1973年のアルバム『ヘッド・ハンターズ』でエレクトリック・ジャズのフュージョン版としてリメークしているのも判るが、この曲はハービー・ハンコック本人にしても特別な曲なのかもしれない。ただこのアルバムがリリースされた1962年当時はいきなり受けたというものでもなく、翌年のモンゴ・サンタマリアによるヴォーカル・カバーがヒットしてから、このが注目を浴びる形となった。その影響により『Watermelon Man』というとヴォーカル曲のような印象がある。でもハービー・ハンコックはインスルメンタルこそジャズの命と言った流儀があり、この曲こそが自身をファンクに導いたと言っている。
つまり原典がこのアルバムにあることは彼も理解しているのであろう。どれだけ彼が進化しよりエレクトリックになろうとファンクになろうとクロスオーバーしようと、このアルバム『テイキン・オフ』こそが彼のキャリアのスタートなのである。また今聴いても、このグルーヴ感は一つも失われていない。

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2015.04.25 (Sat)

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読む

 この小説は僅か3日間の話であるが当時から多くの人に支持されたのか大ベストセラーとなり発表されてから60年以上で6000万部売れたという。
 16歳の主人公ホールデン・コルフィールドはクリスマス近くのある日、成績不振で三度目の高校を除籍させられることとなり自宅のニューヨークに戻ろうとするが、両親に合わせる顔がなくインチキで汚い世界に絶望しながらも、なお人恋しい気持ちら、他社との触れ合いを求めて、三日二晩を彷徨うこととなる。
 名門私立の学校教育にホールディングが嗅ぎとり盛んに反発する現代社会の虚偽、虚飾、無神経、弱肉強食、卑俗などは彼を不適応者としてはじき出した元凶でもある。放浪中、彼が孤独のあまり近づいてゆく人間たちも、結局は金が目当ての売春婦やポン引き、有名人にのぼせるオフィスガール、本質を見抜けない女友達、信頼しきれない教師といった人物ばかりで孤独感、厭世観をつのらせる。それでも修道尼、子供、凍りついた池のアヒルなど無力なものへの愛情は忘れてはいない。無垢な世界に対する愛情が夢想させたものは人間不信の原因としての言葉の放棄であった。かくして家出を決行し、遠い地で誰とも口をきかずに暮らそうと決意するのだが、幼い妹フィービーの愛情に救いを見い出し思いとどまる。
 この小説の描写は強烈で発表当時は発禁処分を受けたりして何かと話題になったと言われていて、主人公がニューヨークを放浪して帰宅したのち幾日か経過して君に語りかけるのだが、それが口語体でより攻撃的であった。殊に酒、煙草、セックス、売春の表現等が盛んに出てくるので当時の道徳感からいって受け入れられなかったのは当然としても、一方で欺瞞に満ちた大人へ反抗する主人公に共感する若者も多く、それは今でも共通するものである。こういった内容で、それ故に体制側も規制することもあり、病めるアメリカの一部分を象徴していて、ジョン・レノンを暗殺したマーク・チャップマンやレーガン大統領を狙撃したジョン・ヒクリーも愛読していたなど、何かと話題になる小説であった。
ところで主人公ホールデンは頭髪の半分は白髪であるというユーモラスな描写は、そのまま見事な象徴となっている。子供から大人への不安定な季節にさしかかった感性は多分に自己矛盾を孕んでいるからだろう。ヘビースモーカーで年齢をごまかして酒を飲むという大人のポーズと、雑誌を買いに行くのにオペラに行く途中なんだと体裁を作ったり、軽蔑しているはずの映画の主人公気どりを演じてみたり、裕福な弁護士を父に持った都会育ちのエリート意識がついちらついていたりする幼さも併せ持っている。これらと真実なもの純粋無垢なものへの強い希求、虚偽への憎しみが共存している点に、ホールデンの魅力がある。この一風変わった題名はスコットランド民謡『ライ麦畑で会うならば』を一部入れ換えたもので、ライ麦畑で遊びに夢中なあまり断崖から転落しそうな子供たちのつかまえ役なりたいというホールデンの救い主たらんとする夢の表明である。誰しもある少年時における体制への欺瞞。言ってみればホールデンは代弁者のようなものである。
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2015.04.19 (Sun)

加山雄三を聴く

 このタイトルからして珍しく思われるかもしれない。小生は洋楽一辺倒で聴いてきたから日本の歌手の曲なんてほとんど聴いてない。が、幼少の頃は親がラジオを聴いていたので春日八郎や三橋美智也、美空ひばり、島倉千代子なんていうのはよく知っていた。また当時の家にハンドル式の蓄音器があってSP盤で藤山一郎、ディック・ミネ、淡谷のり子、東海林太郎の曲なんてよく歌っていた。それが家にテレビが来た。昭和33年のことである。その頃に覚えた曲は『月光仮面』『まぼろし探偵』『少年ジェット』『鉄腕アトム(実写版)』『赤胴鈴之助』『少年探偵団』といった少年向けドラマの主題曲。または『ローハイド』『スーパー・マン』『ララミー牧場』等のアメリカの輸入ドラマのテーマ曲だった。またテレビでは歌番組が頻繁にあって、このころに多くの歌手を知ることとなる。やがて小生は小学校に上がる。
 あれは昭和36年の秋だった。宝塚ファミリーランドという今はない遊園地に学校から遠足に行った時、当時に人気のあった坂本九と森山加代子が来ていたのを思い出す。みんなギャーギャー言い出す始末。小学校の低学年ならこんなものかな。高学年ならもっとワーワーキャーキャー言いだすだろうが・・・・。ちょうどその頃に『上を向いて歩こう』だとか『じんじろげ』『パイのパイのパイ』が流行っていたのでガキどもも顔と名前は知っていた。また映画にも連れて行ってもらって、時々は外国映画も観にっていたものだ。学校の仲間と東宝の怪獣映画を観に行ったのを覚えている。それが『大怪獣モスラ』だった。そもそも怪獣映画は『ゴジラ』から始まったのだが、その頃はまだ小生が生まれた頃で知る筈もなく、リアルタイムで観た最初の怪獣映画としては『モスラ』だったのだ。この時に双子歌手ザ・ピーナッツを知り、『シャボン玉ホリデー』をよく観るようになる。そしてクレ-ジー・キャッツの歌もよく歌った。また東宝映画で若大将シリーズの加山雄三の映画を何本か観ることとなる『ハワイの若大将』『海の若大将』『エレキの若大将』等。この時に母から戦前の大物俳優である上原謙の息子であることを教えられ、加山雄三の母も小桜葉子という女優で、芸能人の両親で生まれた加山雄三。映画を観てその名を知ることとなったのだが1966年(昭和41年)だった。ちょうそビートルズが来日すると言うので大騒ぎしていたころに加山雄三が颯爽とテレビの歌番組で出てきた。『君といつまでも』『夜空の星』『蒼い星くず』『お嫁においで』『夜空を仰いで』『旅人よ』・・・。時期も時期、スパイダースやブルー・コメッツ、寺内タケシといったエレキサウンドのグループ(GSと言われ出したのはもっと後だった)が出だした頃と時を同じくして。一方ではジョーン・バエズやPPMの影響でフォーク・ソングが密かに歌われ始めていた時代である。
 加山雄三は盛んにヒット曲を連発していたので矢鱈テレビに出ては歌っていた。それもエレキを弾きながら。また曲名と作詞、作曲のテレップが画面に出て作詞・岩谷時子、作曲・弾厚作が気になって当時調べてみたら、加山雄三の作曲の時のペンネームであることを知る。加山雄三が尊敬する團伊玖磨、山田耕作、2人の名前を合わせてペンネームにしたという。つまり日本のシンガー・ソング・ライターの先駆け的な人であり、ちょうどビートルズが来日した時でもあり、自作自演することがステータスの様になっていた頃である。人気俳優の子として生まれ、ちゃっかり親の七光を利用しているようで実は親以上に色んな才能を持っていたというから羨ましい限りだ。光進丸という自ら設計した船舶を保有し操る姿が映画やテレビで披露され、日本で最初にサーフィンをした人として採り上げられ、スキーも上手く、ピアノも弾き、ウクレレも弾く、絵も描き、料理の腕も素人の域ではないというから、当時は恰好のいい兄貴的存在であり、多くの少年があのようになりたいと思っていたのも事実であろう。それ以外にも加山雄三の逸話は幾らでもあるが、ここでは語りきれない。ビートルズが来日した時に4人と一緒に会食したというし、何かとエピソードの事欠かない人である。本来は俳優なのだが、小生なんか加山雄三の映画は若大将シリーズの数本以外は黒澤明の『椿三十郎』『赤ひげ』ぐらいしか観たことがないので、テレビで自作の曲をランチャーズと共に歌っている姿ばかりが記憶にある。ヴェンチャーズと共演していたのもこの頃かな。その後はワイルド・ワンズを生みだし共演したり、今はバラエティ番組でよく顔を見かける。もう80歳近いというのに何時までも気が若いなあと敬服するばかりである。本当に~かわらないいつまでも~
 なお加山雄三と言う芸名(本名・池端直亮)は加賀、富士山、英雄、小林一三(阪急・東宝創設者)から一字ずつ採られたと言われていたが本人曰く、祖母に姓名判断で付けてもらった名前らしい。、


『エレキの若大将』で『君といつまでも』を歌う。後にシングル盤が発売されたが~いつまでも~のところのメロディが違っている


『お嫁においで』


つい最近のテレビ番組でBABYMETALが好きだと言っていた。いや何時までも気が若いねえ(7.38あたり)。

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2015.04.16 (Thu)

16分の11

 やっと僅かな時間だが今日は晴れた。何時以来かな。先週の土曜日に僅かな時間だけ御日様が射したが、それ以来だ。日曜日は1日充曇っていて時折パラパラと小雨が降り、月曜日、火曜日は朝から晩まで雨。昨日は朝が雨、その後は寒い風が吹き荒れまた雨も降り注ぐ。そして今日になってやっと晴れた。これこそ春らしい。この4月は日照時間が不足しているらしいな。まあ、これだけ雨ばかり降ると当然かもしれないが、ちょっと雨が多すぎる。春に3日連続の晴れ間はないらしいが、今年の場合は3日雨で1日晴れというペース。ちょっと異常だ。今日は4月16日、タイトルの16分の11と言うのは4月になってから11日間も雨が降っているという意味なのである(大阪地方)。この雨で花見どころではなかったということは先日も書いたが、何10年振りとかで、とにかく雨の多すぎる4月である。日照時間も例年の4月の3分の1らしい。したがって4月も中旬に差しかかるというのに寒いのなんのって。もうダウンは片づけてしまったので出せないから薄着の上着を着ているがちょっと冷える。肌寒いというものではない。この前、関東では雪や雹が降っていたみたいだ。関西ではそういったことはないが、日が射さないから布団も干せない。まったく春らしくない。ポカポカとした日がないのだから呆れてしまう。今日はおそらく4月2日以来の快晴だった(それも午前中のわずかな時間)。いったいどうなってるの・・・・・。
 もっとも明日の朝にかけて、またも雨が降ると言っているから、ウンザリするが、これだけ日照時間が不足していて寒いと言ってても、また突然のように暑くなるから春を味わっている暇もなく、突然のように夏のような日がやって来て、急に暑い暑いと言いだすのだ。まったく良い気候の日が少なくなったなあと感じる今日、この頃である。
EDIT  |  20:54  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.04.12 (Sun)

発車メロディ

 先日、久しぶりに大阪環状線に乗った。といっても大阪以外の人はあまり判らないだろうから説明しておくと、東京で言う山手線である。大阪市街を一周しているJRの電車である。でも小生はあまり乗らない。それは乗る必要があまりないからなのだが、つまり大阪の難波、道頓堀、心斎橋といったあたりの繁華街に通ってなくて乗る必要もないからで、乗る必要に迫られると言えば関空に行く場合か舞洲、または天王寺や鶴橋から近鉄に乗りかえる時ぐらいである。したがってあまり乗らない。普段は圧倒的に地下鉄を使う。それともう一つの理由は電車が古くて汚いということ。101系を含みi103系なんていう外観が昭和30年代の電車を今でも走らせているのだ。勿論、内装を変えて台車やモーターは新しくしているだろうが、外装はそのままだ。何で大阪市内の根幹線である環状線にこんな古い車両を使っているのかというと競合する私鉄がなかったからである。だから何時までも古い車両を使っていたのだ。東京のJRの通勤車両がどんどんと新しいのに変わるのに、50年以上も前の車両外観を使用しているなんてとても考えられない。全く乗客を莫迦にした話だ。けして新しい車両が良いとは言えないが、客に対して誠意がないと見られても仕方がない。赤字路線ならいざ知らず環状線は黒字も黒字、JR西日本のドル箱ラインなのである。それなのに駅は汚いし電車は古い。まさに国鉄時代のお荷物を引きずっている。国鉄時代なら親方日の丸的な経営方針でサービスも悪かったし、それこそ東京中心で動いていて新しい車両はまず東京近郊でデビューさせ、そのお古の車両を関西に持ってくるということが多かった。なので関西は私鉄が充実したのだ。綺麗でサービスの良
い私鉄に乗客が流れ国鉄はポンコツといったイメージしかなかった。だから昔から関西は阪急や京阪、近鉄と言った私鉄のサービスが充実した私鉄王国と言われ続け、国鉄は場末の汚い田舎の電車といったイメージでしかなかった。少なくとも昭和の時代はそうだった。それが民営分割化され、JRグループになり、東京本部の御伺いをたてなくても自らの方針で何でも経営できるようになった。だから東海道線や山陽線、福知山線等、続々と新しい車両をデビューさせスピードもアップ。駅も綺麗になって行った。こうして料金さえ除けばJR西日本は私鉄を凌駕するようになってきた。その結果、私鉄から客を奪っていたのだ。
 そんな中で何故か環状線だけがぽっかりと取り残されたように約50年間も古い車両走らせていた。競合する私鉄ラインがないということで何もしないでも客は増える。まさに殿様商売である。でも世間の評判は芳しいものではなかった。それはJR側にも当然聞えていたようだ。そしてついに来年、環状線に新車がデビューすることとなり、JR西日本も重い腰を上げ徹底的に環状線にてこ入れするようになったようだ。まず各駅の改装から始まって色々と考えたのだろう。このほど電車の発車する時にメロディを流すのだが、それが各駅でそれぞれのメロディを流し出した。こういうことは東京のJRではだいぶ前からやっていたことだが、関西では島本駅で到着を知らせるメロディにサントリー・オールドのCМ曲(行政上では島本町内にサントリー山崎蒸留所がある)が使われたのが最初で、それ以降はあまり進展しなかった。それが大阪駅にやしきたかじんの『やっぱすきやねん』が去年から流れ出し、このほど環状線全19駅で発車メロディが使われ出したのである。しかし、あんまり意味があるとは思えない。東京の山手線に乗って恵比寿駅で『第三の男』や高田馬場駅で『鉄腕アトム』のメロディを聴いてもあまり意識しなかった。何でこの曲になったのと理由を聞いて、ああなるほどとは思ったが無理やりにこじつけているなあと言った印象でしかなかった。別に駅ごとのメロディが悪いとは言わないが、無理にそのメロディを持ってこなくても全駅同じメロディでもいいのにと思ったものである。そういうことで大阪環状線もこのほど駅ごとに違う発車メロディを使うようになったのだが、その各駅のメロディのリスト見て笑ってしまったのだ。まさに東京のごり押しメロディと変わりない。
 取り敢えずリストアップすると次のようになる。
大阪駅~福島駅『夢想花』円弘志、野田駅『一週間』ロシア民謡、西九条駅『アメリカン・パトロール』フランク・ミーチャム、弁天町駅『線路は続くよどこまでも』アメリカ民謡、大正駅『てぃんさぐぬ花』沖縄民謡、芦原橋『祭』芦原橋太鼓集団『怒』、今宮駅『大黒様』田村虎蔵、新今宮駅『新世界交響曲第4楽章』ドヴォルザーク、天王寺駅『あの鐘を鳴らすのはあなた』和田アキ子、寺田町『Life Goes On』韻シスト、桃谷駅『酒と泪と男と女』河島英五、鶴橋駅『ヨーデル食べ放題』桂雀三郎、玉造駅『メリーさんのひつじ』マザ-・グース、『森のくまさん』アメリカ民謡、大阪城公園駅『法螺貝』オリジナル、京橋駅『大阪うまいもんの歌』ゆかいな牧場、桜ノ宮駅『さくらんぼ』大塚愛、天満駅『花火』aiko、~大阪駅。
 このリストを見て笑ってしまった。想像もつかなった。ただ新今宮駅の『新世界交響曲』だけは想像がついた。この駅の北東部は通天閣があって一帯を新世界と言うので、この曲を使うのは判っていた。でもドヴォルザークの新世界はアメリカのこと。通天閣あたりは昔ルナパークと言って遊園地があったからいいが、現在は下町も下町。コテコテ、ケバケバな大衆繁華街。しかも隣はあいりん地区と言うドヤ街、およそドヴォルザークの新世界のイメージとはかけ離れている。どの駅の曲も強引に理由づけてごり押ししただけにしか思えないし選曲に苦労しただろうな。無理に曲を持ってこようとすると何かと理由づけて持ってくるしかない。結局こうなったてことだろう。そこに、やしきたかじん、和田アキ子、河島英五、大塚愛、aikoなんていう大阪出身の歌手を当てはめただけ。それなら同じaikoでも『三国駅』という阪急宝塚線にある駅を歌った曲があるが阪急は使う気もないようだ。その曲を小生も一度か二度だけ聴いたことあるが、さっぱり印象に残らなかったかな。
 本音で言うならば環状線の発車メロディなんて意味のないことでJRも関心を呼ぼうと思わないで、もっと他のことでサービスしてほしいと思う。またメロディは5秒ほどと短すぎて、聴いても何の曲かあんまり判らない。せめて10秒ほど流すべき。


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2015.04.11 (Sat)

雨ばかりで桜も散った

 今年ほど天候に恵まれない春も珍しい。というのは関西の花見の話なのだが、今は遅咲きの桜が咲いている。でもメインになるソメイヨシノはすっかり葉桜になってしまった。一部、まだ咲き残っているソメイヨシノもあるが、先週からの雨で花弁はすっかり落ちてしまった。三月の間は天気のいい日もあったが、ソメイヨシノが満開になった途端、連日の雨では花見もなにもあったものじゃない。今月に入って晴れたのは4月2日だけというから呆れかえる。後の日は曇りのち時雨か雨。前線が停滞して3日も4日も降り続くとうんざりしてくる。1日中降らなかった日は今日ぐらい。先週の金曜日からこの1週間、何処かで必ず雨が降っていた。これですっかりソメイヨシノが散ってしまい、満足に花見を満喫した人と言うのは平日休みの人だけだろう。それも先週の木曜日だけ晴れたのだから。夜桜も雨に濡れ、雨がやんでも寒くて花冷えの毎日。寒くてゆっくり桜の観賞どころでもないかな。もっとも小生はシートを敷いて、桜の花の下で酒を飲んでおいしい物を食べるという趣味はあまりないので、花見に行こうという気もしないものの、ソメイヨシノに一斉に花がパッと咲くものは観ていても艶やかである。それもソメイヨシノというのは人間が生みだしたもので全てクローンである。したがって樹の寿命も短く、人の手によって増やされ続け、全国各地に広がっていった品種なのだが、桜の花が咲いて、散った頃に葉が顔を出すと言った特色がある桜なので人気があって、今や桜の代名詞になってしまった。そして今咲いているのは山桜とか、八重桜等の種類である。これらは花弁が幾重にもなって色も濃いから美しくはあるが、葉まで一緒に芽を出すのでソメイヨシノのように辺り一面が乳白色になるということはない。でもこれが本来の自然の桜の姿なのだが、今や花見=ソメイヨシノといった印象あって、今年は花見には行けなかったという諸氏。これから八重桜で花見でも如何がかな。ただ八重桜が群生しているところが少ないんで、奈良の吉野でも行きますか。
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2015.04.05 (Sun)

今年の花見は

 3日ほど前に京阪神ではソメイヨシノが満開になった。東京では既に満開で散りかかっているというのに近畿では遅れて満開。京阪神は関東よりも西にあって緯度も低いところにあるのに桜の開花が遅いのかと毎年のように思う。それはおそらく太平洋側に面している関東と違って京阪神は瀬戸内海側にあるからかもしれない。それでも例年よりも早く桜が満開になったのだが、今年は天候に恵まれない。桜が満開になる前は天候が崩れなかったのに、満開になった途端に雨の日が続くというから花見に行こうと目論んでいた人にとっては迷惑な雨である。
 そんな中で快晴の日が一日だけあった。4月2日である。でも木曜日、平日である。金曜日は雨、昨日はかろうじて雨が降らなかったがどんよりとした1日。今日の日曜日は夜中からしっかりと雨が降っている。花散らしの雨になりそうだし、これだけしっかりと降ると花見も何もあったものじゃない。そういうことで唯一、天気予報で晴れると言われた木曜日に京都の花見の名所に行ってきた。
 JR京都駅から山陰線に乗るのだが超満員。平日だよ。どうなってるの・・・・。花見を求めて大勢の人がつめかけてる模様。とても平日とは思えない。それも外国人が多い。日本の桜を目当てに、この季節に外国人が急激に増えるとは言われている。それだけ日本の桜も世界的に有名になったのかな。とくにこの季節、西洋人観光客が増える。京都駅は成田や関空でもないのに石を投げれば外国人に当たるといった状態だ。さて、山陰線の乗り場に来て、いざ円町まで行こうとするが電車は既に混んでいる。まだ発車まで15分以上あるよ。困ったな。この山陰線は一部が単線なのでローカル線扱いだ。したがって20分に一本しか電車がない。しかも4両しかない。この時期は大勢人がつめかけるのが判っているのだから、季節特別便として増両すればいいのにといってもJRは幹線を優先的に整備しているので、春と秋しか乗降客が増えない山陰線には力を入れてない。しょうがない。こうして満員の電車に乗り込む。中国人も多いが、西洋人がとにかく多い。みんな何処に行くのかな。嵐山かな?
 超満員になってからやっと発車。ノロノロ走る山陰線。円町は三つ目なので10分そこらで到着するが疲れた。そこから西大路通りをひたすら歩いて平野神社に到着。ここは京都の桜の名所の一つである。鳥居の辺りから既に多くの屋台が出ている。その間を通り抜け、さらに満開の桜並木をも通り抜ける。ここも外国人が多い。桜のトンネルを抜けると枝垂れ桜があり、一面が乳白色に染まっているような感触におちいる。しかし暑い。もう初夏のような感触だ。外国人はみんな半袖のTシャツだ。至る所で写真を撮りまくっている。
 小生、その後は平野神社からバスに乗って出町柳まで行った。鴨川沿いを歩くためだ。鴨川の桜も満開だ。至る所で花見をしている人がいる。学生も多い。外国人の団体が花見をしているのに出くわした。日本の文化がここでも・・・・。
 鴨川から冷泉通沿いの疏水べりの桜並木の写真を撮りながら歩く。ここも外国人が多い。いったいどうなってるの。発電所の前を通って東へ行くと平安神宮へたどり着くが、ここは中国人の団体に遭遇。相変わらず煩い。とにかく大変な人出である。これが日曜日だったら、そこに日本人が加わるからさらに増えるのだろうと思ったら来年以降が恐ろしい。
 さてさて、平安神宮から東大路通に向かうとミヤコメッセの前を歩くこととなる。すると今度は黒のスーツ姿の若者が大勢いる。どうやら立命館大学の入学式の日だったのだ。関西で最大の学生数を誇る大学である。以前は大阪ドームで入学式を行っていたが、最近はここで入学式をやっていたとは知らなかった。そういえば今出川付近では同志社が入学式を行っていた。京都の私大はこの日が多いのか。小生は大学に入学した遥か40年以上前のことを思い出した。

 汗ばむ陽気の中を円山公園まで歩く。ここの桜を見るためだが、なんとも恐ろしいほどの人の数。ここは枝垂れ桜が一本あるが、そこより西側の広場は一面、シートを敷いて花見客が立錐の余地もないほど埋まっている。日本人だけではなく中国人の何組がシートの上で酒を飲んで騒いでいるし、西洋人ばかりの組もシートを敷いてビールを飲んで日本の弁当を食べている。こりゃすっかり花見と言うのは世界でも認知されたんだと納得。小生もどこかで休憩しようとしたが座るところもない。まさか、こんなに人出が多いとは思わなかった。また西洋人が此処でも多い。屋台で売られているたこ焼きや焼きそば、お好み焼き、焼き鳥、ソーセージを片手に日本酒を飲んでいる西洋人もいる。ただこちらは唖然とするのみ。
 さらに円山公園から八坂神社の人混みを抜け四条通を通って木屋町へ。この高瀬川沿いも桜が咲いている。四条下がったところにある名曲喫茶『フランソワ』に久々に入りコーヒーを飲みんがら休憩。以前はショパンの曲が流れたいたが、この日はモーツァルトの21番のピアノ協奏曲、5番のヴァイオリン協奏曲が流れたいた。ここはリクエストできないんだな。以前近くにあったミューズ(今は焼き肉店の場所)はリクエストが出来たのだがな。珈琲とトーストを食べて、高瀬川沿いを桜を眺めながら三条まで歩く。
こうして久々の平日を花見しながら歩く。夜は待ち合わせしていたので木屋町の夜桜を見ながら某レストランで食事。しかし疲れた。この日、万歩計は25000歩を超えていた。ただ写真を撮っても掲載できなくなったのが残念である(PCの調子が悪いため)。
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