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2010.07.31 (Sat)

鼻出血

 今朝、耳鼻科で診察中、鼻腔から鼻出血した。鼻から吸い取る時、鼻の奥の粘膜に傷がついたのだろう。大量の鼻出血で耳鼻科に3時間も足止めを喰らった。なにしろ止血処理をしてもなかなか止まらないから、出て行くにも行けないという困ったことになり、ただいま鼻血の方はようやくとまりつつあるが、左の鼻に薬を塗ったガーゼを詰め込んで、息がやりにくくてどうしようもない。それに右の鼻は日頃から、よく詰まるのでさっぱり息ができない。それで口で息をしているという有様である。

 ガーゼは火曜日まで取ってはいけないというから、困ったことになってしまった。はたして寝れるのかどうか。起きている間は口で息をしていてもどうにかなるが、いざ寝るときになると鼻が通じないと寝れたものではない。

 あと3日間も、この状態だとかなりきついがしょうがない。とりあえず明日も体調がよければ更新使用とは思うが、皆目、寝れなかったらブログ更新出来るかどうかわからない。ということで、報告だけで今日は終わろうと思う。
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2010.07.29 (Thu)

久しぶりの雨

 昨夜半から雨が降っていた。何日ぶりの雨だろうか。今年は梅雨も梅雨明けもメリハリがありすぎて、梅雨の時は物凄い降り方で、それが数日続いたかと思うと梅雨明け。すると今度は一滴の雨も降らない日が10日以上も続き、日ごとに気温が上昇。それで猛暑の夏というイメージがすっかりこびりついてしまった。でもまだ7月である。8月になってないのに、もう随分前に梅雨が明けて夏が長らく続いているような錯覚にさえ陥る。熱中症になる人も例年以上に多いというから、今年は格別に暑いのだろう。夏は毎年暑いのは当たり前だが、梅雨明けからこれだけ快晴で強烈な日差しの日が続くというのも珍しい。なので当然、温度計も鰻登りになるだろうし、家の中も灼熱地獄である。こんな時にエアコンをつけないで家の中に居れたものではないから、とにかく水分を摂取して軽目にエアコンを入れるが、それでも暑い。でも日中はとりあえずは我慢している。でも夜中の1時、2時になっても熱帯夜というのには参った。それも、このところ10日ほど熱帯夜が続いていた。就寝時にはエアコンを切るのだが、すぐに室内が暑くなってとても寝れたものではない。まず、風がなく、蒸せるような暑さが室内に漂っている。ウトウトしてもすぐに目が覚める。気がつくと汗をビッショリかいているし喉もカラカラ。起きて冷蔵庫に冷やしてある麦茶を飲む。この時の麦茶の何とおいしいことか・・・・・・・・・・。喉を潤して再び布団の上に横臥するが相変わらず寝れない。寝返りをうつも無駄な抵抗である。全く寝れないで朝になる。だから身体がだるくてしょうがない。こんなこと長い間続いているが、結局は夏負けしていることになるのだろう。でも食欲はあるから大丈夫と思っても、次第に疲れが溜まっているような気がする。

 それで昨日からの雨、これは嬉しかった。今日は午前中だけ降ったが、熱地獄から開放されたような気分だ。でも暑いことは暑いのだが、太陽がサンサンと輝く空と雲に覆われた空と比べると身体に差して来る紫外線の強さが違う。今日は蒸し暑いのだが、夕方になると昨日までとは汗のかき方が違っていた。今日の雨で気温がいくらか下がったのだろう。ただ熱帯夜開放とまでいくかどうか。とにかく蒸し暑い。気温は下がったが湿度が増した。しかし、また所によっては大雨になる可能性もあるという。どちらにしても小生の住んでいる地域ではなさそうだが、災害を齎すほどの雨はいらないが、気温を下げてくれる程度の雨なら歓迎する。

 暫く降り続いて、ここらで涼しい夜を齎してくれないものか。そうでもしないと快適な睡眠には程遠い寝不足の毎日を当分の間、過ごさなくてはならない。でも間違ってもエアコンのスイッチを入れっぱなしで寝ることだけは避けているのだ。エアコンの冷たい空気の下で寝ると、何時も朝、倦怠感があって身体の調子が悪くなるからだが、これも夏バテの一つらしい。やはり天然の風が齎す冷気に晒されて寝るのが1番である。でも真夜中にも係わらずさっぱり風がないから困ったものだ。無風の上に湿気と熱帯夜。もういい加減参った。住んでいるところも悪いのかもしれないが、とにかく大嫌いな夏は早く去ってくれ。

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2010.07.28 (Wed)

ピート・シーガーを聴く

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 ピート・シーガーって誰だ? と思われる向きもあるかもしれない。ことに若い人には馴染みない名前であろう。でも我々フォーク・ソングを聴きまくった世代にとっては大御所的な名前である。

 そもそもフォーク・ソングって何だということになるが、元々は民謡のことである。民謡だからといっても日本の民謡とは趣が違っている。そこはアメリカのこと、民謡という表現はちょっとおかしいかな。いわばアメリカのトラディショナル・ソングというものだろう。でも現在でフォーク・ソングというとアメリカの商業音楽のジャンルの一つであり、ポピュラー・ソングの一翼を担っている音楽である。アメリカでの民謡というと黒人音楽もあり白人音楽もある。ジャズもあればブルースもある、カントリーもあるしゴスペルもある。それらの中で伝統的に歌われ続けた楽曲をフォーク・ソングという言い方も出来るが、細かく言うと管楽器ではなく、弦楽器、バンジョーやギター一つで歌われた曲といいたほうが判り易いかもしれない。だから当然、黒人っぽい曲もあるが、もっと細かく言うならば現在のフォーク・ソングに繋がるものとしては1940年代に始まるフォーク・リヴァイヴァル運動が挙げられる。そして、その運動の中心の1人がピート・シーガーなのである。

 ピート・シーガーは1919年生れであるから、20代でフォーク・リヴァイヴァル運動に加わってウィーヴァーズのメンバーとして活動していた。ウィヴァーズというのはピート・シーガー、リー・ヘイズ、フレッド・ヘラーマン、紅一点のロニー・ギルバートからなるモダン・フォークの元祖グループと言われる。1949年にウィヴァーズは活動を開始。翌年に『グッドナイト・アイリーン』が全米で№1のヒットとなる。ところがウィヴァーズのヒットと共にピート・シーガーの政治活動が非米活動委員会の的となり、赤狩り旋風の真っ只中、ブラックリストに載ったピート・シーガー及びウィヴァーズは活動を制限されるようになる。つまりこの時代からフォーク・ソングというのはプロテストソングが多かったということになる。

 ピート・シーガーは『天使のハンマー』『花はどこへ行ったの』といったフォークソングの代表曲を当時残しているが、それから10年後、よりプロテストソングの代表曲として、フォーク・ブームの渦中にあったピーター・ポール&マリーがカバーして大ヒット。こういった一連のフォークソングの流れの中で、ピート・シーガーというのは現代のフォークソングに繋がる激流の中においては源流といえるかもしれない。彼は父が音楽学者、母がヴァイオリニストという音楽一家の家庭に生まれているので、子供の頃からクラシック音楽は聴いていたにせよポピュラー音楽を聴いていたかどうかというと大いに疑問が残るが、17歳の時にフォーク・フェスティヴァルで聴いたバンジョーの音に魅せられ、ハーバード大学進学後もドロップアウトしてフォーク・シンガーの道に進んでしまう。21歳の時にはウッディ・ガスリーと出会い、オールマナック・シンガーズを結成。労働運動の集会を主に回り活動するようになる。こうしてプロテストソングとしてのフォーク・リヴァイヴァル運動へと発展していくのだが、ピート・シーガーはフォーク・ソングというジャンルの中では絶えず、第一人者であり続け、彼を慕った後のフォーク・シンガーは枚挙に遑がないぐらいだ。もしピート・シーガーが出現していなかったらボブ・ディラン、ジョーン・バエズ等、多くのフォーク・シンガー達はこの世でフォーク・ソングなるものを歌っていたのかどうか・・・・・疑問視されるだろう。

 ところでこのCDに収録されている曲はフォーク・ソングの代表的な曲ばかりである。『天使のハンマー(If I Had A Hammer)』『Goodnight Irene』『John Henry』『漕げよマイケル(Michel Row The Boat Ashore)』『Guantanamera』『わが祖国(This Land Is Your Land)』『花はどこへ行ったの(Where Have All The Flowers Gone?)』『Turn! Turn! Turn!』『勝利を我等に(We Shall Overcome)』・・・・・ピート・シーガーの作によるものやトラディショナルな曲もあって、現代フォークの黎明期の曲とはこういうものだということがよく判る。こうしてプロテストソングを歌っていたシンガー達は、何時の間にかオリジナルを歌うようになり、フォーク・ソングも多様化していきロックと融合したり、日本ではニューミュージックと言われるように変化していったのだが、ピート・シーガーの歌を聴くと、洗練されていなくとも何故か心に響く。本来、フォークソングというのはこのようなものだったし、今よりメッセージ性の強いものだった。それが愛だの恋だのと歌うようになってきて、段々とフォークソングは様変わりしていったのかもしれない。つまりピート・シーガーの時代のフォーク・ソングというのは素朴で単純でありながらも社会と連動していた歌だったのだ。

 今、ピート・シーガーはご老人であるが、今のメッセージ性に欠ける歌をどのように思っているかは知る筈もないが、歌は外向的なものからより内向的なものへと変化してしまった。最早、歌で市民運動を盛り上げるといった時代ではなくなってしまった。それ故にフォーク・ソングの本来の役目は終わってしまったような感じさえするのだが・・・・・・。


 『天使のハンマー(If I Had A Hammer)』を歌うピート・シーガー。
 


 老いたピート・シーガーが歌う『花はどこへ行ったの(Where Have All The Flowers Gone?)』


 『勝利を我らに(We Shall Overcome)』を歌うピート・シーガー(音声のみ)。

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2010.07.26 (Mon)

第60回キング・ジョージⅥ&クィーン・エリザベスS

 ちょっと遅れたが、24日にイギリスはアスコット競馬場で行なわれたビッグレース、第60回キング・ジョージⅥ&クィーン・エリザベスS(G-Ⅰ・3歳以上、12F、6頭)の結果を忘れない間に記載することにする。

 今年のキング・ジョージは寂しくて6頭だけの出走となった。それというのも今年の英国ダービーを驚異的な時計で圧勝したWorkforceが出走するからで小頭数となってしまった。、それに対して古馬陣では今年に入って重賞3連勝中のHarbingerが出走して対決ムードだったが・・・・・。人気は圧倒的にWorkforceで以下Harbinger,アイリッシュ・ダービー馬のCape Blancoの順だった。

 レースは最低人気のConfrontがハイペースでひっぱり、2番手をCape Blanco、その外側に断然人気のWorkforceがつけ、その直後にHarbingerがマークするという展開である。でも決着はあっさりとついた。アスコットの直線に入り、4番手につけていたHarbingerが外側から一気に抜けて、何と2着に11馬身もの決定的な差をつけてキング・ジョージ史上、最も速いタイムで優勝した。

 1着 Harbinger 2分26秒78、2着 Cape Blanco 11馬身、3着 Youmzain 3馬身1/4、4着 Daryakana クビ、5着 Workforce 2馬身1/4。

 勝ったHarbingerは9戦6勝2着1回3着1回の成績。今年に入ってからは重賞4連勝。見事に1975年に名馬Grundyが記録したキング・ジョージのレコード2分26秒98を35年振りに更新した。また2着につけた11馬身という差は当然、キング・ジョージ史上最大である。これでHarbingerは凱旋門賞に向かうというが、こんな馬を相手にして日本のヴィクトワールピサは勝負になるのかな?

 兎に角、見事な勝ちっぷりであった。それに比べるとWorkforceは皆目、いいところがなかった。どうしたのだろう・・・・・・・。ちなみにHarbingerの血統であるが、父Dansili-----Dnzig系、母Panang Perl(父Bering-----Native Dancer系)である。


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2010.07.25 (Sun)

兎に角暑すぎる

 なんだこの暑さは。毎年暑いけど、今年は梅雨が明けてから通り雨一つなくカンカン照りの毎日で、35℃超えの日が連日である。昨日の糞暑い日にも出勤しているので、先週は海の日に加え土曜日も出勤。結局、世間は4日間のところ6日間働いているからバテてしまった。昨日は帰宅が11時ということで、パソコンを1度も見ずに、今、ようやくパソコンを開けたが部屋が暑すぎる。それで何も書く気がおきないのだが・・・・・・。

 今年の暑さは偏西風の流れが蛇行しているのが影響しているような事を言っていたようだ。そんな年が何年かに一度訪れるようだが、これだけ安定した夏の高気圧が日本列島上空に張り出していたら暑くもなるかなあ。そのせいで家の中にいてもエアコンなしだと汗がタラタラと噴出してくる。昨夜から水をどれだけ飲んでいることやら、2ℓではすまないだろう。薬缶を沸騰させ、麦茶をこしらえて冷ましてから筒のようなプラスチックの容器2つに麦茶を入れて冷蔵庫で冷やす。このところ夜になると必ず実行している。すると夜中でも冷蔵庫を開けて冷えた麦茶がのめるからいい按配なのだが、これだけ暑いと飲む勢いの方が勝っていて冷えた麦茶がすぐになくなってしまう。しょうがないから昼間からコンビニに走り、2ℓ入ったペットボトルのお茶を買ってきてがぶ飲み状態である。とりあえず熱中症にはなりたくないので水分はこまめに摂取する。発汗が凄いのですぐに喉が乾いてしまう。寝ていても夜中に何度も目が覚める。暑くて暑くて熟睡なんて出来るはずもなく、ただ喉が渇いて麦茶を飲みに冷蔵庫を開けにいく。これが朝、起きるまでに2回、3回ぐらいは毎日行なっている。それでも朝起きると喉がカラカラだからよほど寝ている間に汗をかいているのだな。

 結局、日曜日だといっても書いた記事はこのような内容でお粗末極まりないが、まあ、どうにかこうにか生息しているということを報告したかっただけで・・・・・・この暑い時に記事の更新もやる気が起こらないということで、このあたりで失礼いたします。
EDIT  |  17:28  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2010.07.23 (Fri)

暑いが明日も出勤

 何という暑さだ。もう早くも参った。日中の暑さは当然ながら、連日の熱帯夜ですっかり寝不足になってしまった。全ての窓を明けて風通しを良くして寝ているのだが、暑くて暑くて寝れたものではない。なにしろ真夜中の3時でも室内気温が30℃ときていてはとても心地よいとはいえないだろう。この暑さで寝れる人というのはどんな人なのだろうか、本当に羨ましく思う。こちらは連日の睡眠不足で身体が毎日、毎日、だるくてしょうがない。それで朝、早めの電車に乗って空いた席に座って寝ていこうと考えた。何時もより時間が早い電車はどうにかすれば座れることがある。また座れなくともこの人なら次か次の次あたりの駅で降りるだろうという人の前に立ち、予想通りその人が立ち上がって空いた席に腰を掛けるということが最近は多い。そして冷房が効いた車内で心地よく居眠りしながら小1時間眠りに入るのである。・・・・といっても本当に寝てしまうと大変なことになるので、目を瞑ってウタウタしているだけだが、これが妙に気持ちがいいのである。それですっかりリフレッシュされ、朝から仕事にかかれるのである。また昼は暗いところで脚を伸ばせるような場所を見つけては昼寝をするのである。昼寝は僅か15分ぐらいだが、これが思っている以上に身体のだるさが抜けるのでほぼ毎日やっている。日本でもシェスタの習慣を取り入れてはと思うが、働き蜂の国では無理かな。本当に日本人に生まれて良かったと思うこともあるが、それ以上に日本以外に生まれてみたかったと思うほうが多い。日本人って働き蜂といっても実は仕事が嫌いだろう。お金のために否応なく働いている人が多い。それならもっと心に余裕を持ちたいものだが、どうも右も左もつまらない奴ばかり。だからこのご時世、スケールの小さい人間ばかりが増えてきて話をしても面白くない。教養の抽斗がみんな少ないから、毎度、似たような話題ばかり。こちらは何度も聞かされているというのに、また、あの話題か・・・・ということが1度や2度ではない。だから私はこの手の痴話話には関心がすっかりなくなってしまった。

 それはそうと明日も出勤だ。暑いし身体もバテ気味だがしょうがない。それで明日は帰宅も深夜になる可能性がある。つまり更新も出来ないということである。とにかく今週、いや、今月は仕事ばかりだ。暑いのにいい加減にしてくれといいたいが・・・・・・・。このところブログの内容がお粗末だな。まあ、こんな時もあるでしょう。何れ、また復活いたします。それまでは愚痴ばかりになりそうだ。
EDIT  |  21:23  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2010.07.21 (Wed)

あーあ、草臥れた

昨晩からの熱帯夜で睡眠不足であったが早朝からすでに暑い。身体はだるいが起きなければならない。さあ、支度をして家を出る準備をしていた時にグラグラと震度2ほどの地震が起こる。揺れ方からいって直下ではなく少し遠いなあと感じていたが、しばらくしてテレビに地震情報が入る。震源地は奈良県南部、宇陀では震度4を記録だとさ。でもゆっくりしていられない。こちらはこれから出勤なのでテレビを消して家を出る。

 家からJRの駅まで10分ほど。ところが何時もと様子が違う。駅まで歩いて行くのだが、駅から引き戻ってくる人が多いことに気がつく。どうにか駅に着いてその理由が判明。午前6時10分、吹田駅で人身事故が発生。上下とも電車が全て停まっているという。電車は20分遅れやら30分遅れやら続出。「どうなってるんや!」と駅員に食って掛かる者がいる。でも駅員は7時半頃にならないと電車が動かないという。ということで近くの阪急電車で振替え輸送をしているから阪急の駅に行ってくれという。ここで待ってても電車は来ないという。しょうがないから振替え輸送の証明書のような紙切れを貰って阪急の駅に向う。これで先ほど駅から引き戻ってくる人が多いことに納得。みんな阪急の駅に向っていたのだ。ちなみに小生の家は阪急の駅の方が近く、いつもは阪急の駅を通り過ぎてJRの駅まで歩いているのだ。

 こうして阪急電車で京都へ向うことにした。しかし普通電車が来たので乗ったのはいいが、この普通の方があとからくる快速急行よりも先に河原町に着くという。しょうがないのんびりと行こうか・・・・。西向日、東向日、洛西口、桂、西京極と駅に着くごとに仕事へ行く気が失せる。西京極に着いたとき、ここで降りて仕事をサボって高校野球の京都府予選でも観にいこうかなんて思ったりもするが、小生が行かないと仕事が進まないなあと思い直して降りずにいた。やがて阪急は地下へ入る。西院、大宮、そして烏丸の駅に到着。ここで京都市営地下鉄に乗り換え。周囲を見渡すと小生と同じ振替え輸送用の証明書を持って改札口を抜けている者ばかり。階段を降りるとすぐに電車が来た。五条を過ぎて地下鉄京都駅にやっと到着。

 さあ、ここまではいいが、ここから先が問題だ。ここからはJRしかない。やはりバイパスのない滋賀県へ行くにはJR頼みなのだ。私鉄はほとんど京都市内から東へは敷設されてないので、滋賀県はこういったときは陸の孤島状態になる。どうにか改札機を抜けてホームへ向うが、何とホームに上がる階段のところに人が溢れている。ホーム上は人が満杯らしい。でも電車はまだ来てない。ああ、小生はこの時、何処かに遊びに行こうかと考えた。何でここまでして出勤しないといけないのだ・・・・。莫迦らしくなってきたことはいうまでもない。

 やっとホームの上に上がるが、人、人、人だらけ。米原行きの電車がようやく来たが、とてもホーム上の人を捌ける様な状況ではなく、僅かな人を乗せただけで出発。それでも車内は超満員。はたして今日は午前中までに職場に着くのだろうか・・・・・。しばらくしてアナウンスがあった。次の電車はただいま向日町を発車いたしましただとさ。これだと完全に遅刻だ。もういいか。開き直ったからにはどうでもいい。悠々と遅刻してやろうと考えた。すると米原から来た電車が折り返し運転をするということで、急遽、この電車に乗った。始発なので空いていた。でも空席は既にない。80分遅れで出発。でも次の山科で大勢の客が乗り込み、早速、超満員。なかなか発車しないし人いきれで気分が悪くなる。大津でさらに人が乗り込み、膳所、石山と・・・・。ぎゅうぎゅう詰めで車内が暑苦しい。

 ・・・・どうにか最寄り駅に到着。延着証明を貰う。遅れは90分だとさ。嘘いえ。もっと遅れているぞ。すでにクタクタ。でもここから職場まで行かなければならない。しかし何時もより時間がずれているからバスがない。歩いていってもいいが、この炎天下では歩く気がしない。しょうがないか。ここでも開き直った。周囲を見渡すと職場の人間が大勢いるではないか。みんな遅刻だ。これだと仕事にならないだろう。大阪から職場が移ってきたのだから、大阪市内、大阪府、または兵庫県から通っている人が多いのだ。小生のように京都府在住というほうが希だ。これだとみんな、今日の通勤時間は3時間を越えているのではないだろうか。よし、ゆっくり行こう。

 結局、9時半頃に到着。小生でも3時間近くかかったことになる。これだと新幹線なら東京までいってしまうではないか。ようやく職場に着いたが草臥れすぎてしまい帰りたくなった。でもどうにか仕事を消化して、帰宅時間になり駅まで歩いて改札口まで来ると、こんどは高槻駅付近で線路内に立ち入った者がいて、それにより電車がまた遅れているという。それで12分送れで何時もの最寄り駅に到着。

 何か草臥れた1日であった。それで帰宅してから新聞を読むと、どうやら飛び込み自殺のようなことが書いてあった。飲食店経営者の男性が飛び込んだらしい。でも本当に迷惑だ。どんな事情があったにせよ、もう電車への飛込みだけはやめてくれ。頼むからやめてくれ。切にお願いしたい・・・・・・。あれだけの人が迷惑すのだから。
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2010.07.19 (Mon)

祝日出勤

 今日は何の日? 海の日だったかな。こんな祝日、あまり馴染みがない。何時出来た祝日なのか覚えてない。知らぬ間に出来ていた。もっともこの時期の祝日といって学校行ってる児童、生徒達は夏休みに入るのであまり嬉しくもないだろう。結局は社会人のために設けられた祝日のような気がする。暑い時期に休んでもらおうと思って・・・・。それなら今日、出勤している小生はどうなるんだ。まったく今月は忙しい。今週の土曜日も出勤だし、8月に入っても土曜出勤がある。とにかく盆休みまでは忙しい。

 しかし、今日は暑かった。早朝からムッとする暑さで爽やかさの欠片もない。いよいよ本格的な夏がやってきた。大嫌いな夏だ。とにかく耐えなければならない。こんな暑い日の祝日出勤は嫌だ。電車の本数も少ないし、バスもほとんど運休だ。取り敢えずは電車に乗る。京都までは空いていたので座れたのだが、京都から乗り換えた電車は意外に乗客が多かった。クロスシートの固定席はほぼ座られていたので仕方なくドアの側にある補助シートに腰掛けた。何時もの高校生軍団はいなかった。でも大学生がやけに多い。理由は判らないが多い。沿線にはマンモス大学があるから、そこの学生で車内は埋っている。

 何時もより10分ほど遅く職場に到着。兎に角暑い。顔から汗がタラタラと落ちてきて目に入る。背中に汗が流れ落ちる。気持ち悪くてしょうがない。昼まで仕事を消化し食堂へ行くが例によって休み。コンビにで買ったおにぎりと調理パンを食べる。ああ、何とも惨めな。食堂も閑散としているではないか。これだから祝日出勤は嫌なのだ。嫌といってもでない訳にはいかない。

 仕事を終えて暑い中を歩いて帰る。バスが少ないから歩くしかない。酷暑の中を延々と歩く。最寄り駅に着く頃には汗まみれ状態である。早く電車が来ないかな・・・・。やっと来た。乗ったのはいいが、案外混んでいる。ああ、行楽帰りの人と一緒か。とにかく騒がしい。疲れていたので空いた席に珍しく腰を掛けたが、周囲が小学生の集団であった。その喧しいことこの上ない。よくこれだけ騒げるよ。7、8人ぐらいいるがキンキンした声で騒ぐからこちらは居眠りも出来ない。京都駅でようやく大半の乗客が降りたので車内も静かになったが、こちらは疲れだけが残った。あーあ、まだまだ盆休みまで土曜出勤が何度かある。暑い時こそ休みたいのだが何故か忙しい。だから早く盆休みにならないかなと小生は思わない。どちらかというと早く秋にならないかあと思っている。それほど夏は嫌いなのだ。でも、この調子だとブログ記事もマンネリ化しそうだな。もうマンネリしているけど。暑いから書く気も起こらなくなってきた。暫く中断しようかな。
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2010.07.18 (Sun)

アイビスサマーダシュ

 祇園祭りの山鉾巡行も終わったし近畿は梅雨明けしたのかな? 昨日からカンカン照りで暑い暑い。動かなくとも首筋から頭から額から背中からジワーと汗が滲みでてくる。1年で1番嫌な季節だ。これからほぼ2ヶ月間耐えるしかないか・・・・。

 この暑い中、新潟競馬場では名物のアイビスサマーダッシュ(G-Ⅲ・3歳以上、芝1000m、18頭)が行なわれた。このレースも創設から10年になるが、すっかり名物レースとなった。なにしろ日本の競馬場で直線が1000mもあるところなんて今までなかったし、このレースが始まったときは新鮮だった。とにかくスタートから猛スピードで真っ直ぐ突っ走るだけという力のレースが面白くてローカル競馬ながらも人気のあるレースである。

 それで今年もスピード自慢の18頭が集まった。1番人気はメリッサで、2番人気はカノヤザクラ、3番人気はジェイケイセラヴィだった。でもレースはスタートから6歳牝馬のケイティラブが先頭にたち、そのまま後続を寄せ付けずに逃げ切った。

 1着ケイティラブ 53秒9、2着ジェケイセラヴィ 3/4、3着マルブツイースター 1馬身、4着アポロドルチェ ハナ、5着シャトウライン クビ。

 人気のメリッサはシンガリの18着、2番人気のカノヤザクラは10着といいところがなかった。とにかく馬場がパンパンで速い時計での決着となってしまい駆け引きなど関係なくなってしまった。結局は人気薄の牝馬ケイティラブが勝ち、このレースでの牝馬の強さを強調する結果となった。ところで53秒9というと時速で言うなら66.79㎞/hということになる。これは1000mを走った平均スピードなので、瞬間スピードはもっと出ているだろう。これは計測が不可能なので判らないがハロン毎のラップが判るので計算すると、この日のケイティラブは9秒9を記録しているから200mでの平均最大スピードは時速で72.72㎞/hある。やはりサラブレッドのスピードは並大抵ではない。チーターならもっと速いだろうが、まず1000mも走らないだろうし全力疾走も僅かな距離に留まるだろう。それから比べるとサラブレッドは2000m、2400m、3000mという距離でもスピードが持続しているから凄いのである。これは人間が産み出した走るためのマシーンといった言い方も出来るが、血の通ったマシーンだから愛着がわくのである。そこは車と違うところである。車のように性能さえ向上させれば無限大にスピードが増すというものでもない。それは飽く迄、動物だから思うようにならないのである。だから予想通りにいかないし、何が起こるか判らない。結局、それが競馬というものなのである。
 
EDIT  |  17:09  |  競馬(国内レース)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2010.07.17 (Sat)

ハイドンの『皇帝』を聴く

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 ワールドカップが終わったが、試合を何試合か観ていて思ったことがある。試合前、対戦国両国の国歌を必ず演奏するが、よく聴き慣れている国家があれば、まったく聴いたことのない国歌もある。私がよく聴いて知っているのがフランスの『ラ・マルセイエーズ』で、以下、アメリカ、ドイツ、イングランド、イタリア、ブラジル、アルゼンチン、韓国という順になるだろうか。最も我が国の『君が代』を忘れてはいけないが、曲調はともかく日本人でありながら、個人的にはあまり好きにはなれない。それは・・・千代に八千代に・・・という歌詞がどのように考えても主権在民の精神と異なるからである。かといって、今更、国歌を変えられないだろうが・・・・・・・。

さて、取り敢えず『君が代』はおいといて外国の国歌を比較するとどんなものだろうか・・・・・。やはり国歌となると重厚なほうがいいかなと思ってしまう。そういった見地からするとアメリカ国歌は有名だが曲調が軽い。フランスも有名だが重厚ではない。イタリアやブラジルなんかは調子のいい曲で、国民性が現れていると思う。すると何処の国歌が重厚なのかというと、私が知っている限りではイングランド国歌『ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン』とドイツかなというところである。最も個人的な好みで言っているので、人によっては意見が分かれるところであろう

 ところでドイツ国歌を知っている人はともかくとして、クラシック音楽の詳しい人は、ドイツ国歌を聴いて「あれ!」と思うのではないだろうか。メロディそのものがハイドンの弦楽四重奏曲『皇帝』の第2楽章と同じだから、国歌を知らなくて聴いていると驚かれると思う。

 そもそもハイドンの弦楽四重奏曲『皇帝』は、ハイドンがオーストリアに対する愛国心から作曲したもので、4楽章からなる曲で1797年に曲が完成している(まだ、この頃はオーストリアという国は誕生していないが、都合上オーストリアということで・・・)。ハイドンはかつてイギリスを訪れた時に、イギリスの国民が何かの機会に英国国歌を歌うのを聴いて、羨ましく思い感銘を受けたという。当時のオーストリアはフランスのナポレオン軍に対するアレルギーがあり、ハイドンがオーストリア国民の士気を鼓舞するために感動的な国歌が欲しいと考えたのであろう。こうしてハイドンは『皇帝讃歌』を作曲したのである。そして、1797年2月12日、オーストリア皇帝フランツⅡ世の誕生日に、ウィーンのブルク劇場で初演されたという。結局、民衆に支持されオーストリアの国歌に制定されたのである。その後、ハイドン自身もこの旋律が気に入って、変奏曲として弦楽四重奏曲の第2楽章に組み込まれ、弦楽四重奏曲 ハ長調 作品76の3『皇帝』として現在は弦楽四重奏団によって度々、演奏される人気曲となっている。

 ところがである。現在のオーストリアの国歌は、このハイドンの曲ではなくモーツァルトの曲である(?)。ハイドンの『皇帝』はドイツの国歌として残ったのである。ヨーロッパの歴史を考えると、国境線が戦争ごとに変化するのでオーストリアの歴史も複雑である。この曲はオーストリア=ハンガリー帝国の国歌でもあったし、いわばドイツ語民族の国歌といってもいいかもしれない。その後、ドイツ国歌として残り、ヒトラーの時代、『世界に冠たるドイツ』なんていうタイトルで歌われていた。その後、第2次世界大戦集結後、歌詞が変えられ、西ドイツ国歌として歌われ続けたということである。さらにベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一。現在もドイツ国歌として歌われているのだが、こういった歴史を考えると曲の重みがいっそう感じられる。でもドイツ国歌を聴くときと違い、弦楽四重奏曲として演奏された『皇帝』は同じメロディでもずいぶんと優しい曲に様変わりするから面白い。


ハイドン 弦楽四重奏曲第77番 ハ長調 作品76-3『皇帝』第2楽章の演奏


 ドイツ国歌斉唱

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2010.07.16 (Fri)

先ほど帰宅しました

 今日も局地的豪雨があった。職場の近辺では午後に雷鳴と共にスコールのような雨があり、帰宅の時はどうなるかと杞憂したが、見事に晴れ間が戻ってきた。でも遠くの方には積乱雲と黒い雲が見え、あの付近では物凄い雨が降っているのだろう。でもこちらは幸いにも影響なくJRの駅に到着。すると電車が全て遅れていた。

 ああ、今度は電車の延着か。それも京都南部で落雷があって、軒並み電車が遅れているという。それでも遅れは当初、7分ほどだったがたいへん電車が混んでいる。混んで何時電車内で浴衣姿の女性がチラホラといるではないか。何だろうと思ったら、7月16日、祇園祭の宵山の当日ではないか。宵山なんて何時行ったかな・・・・。30年ほど前になるかもしれない。拙者、京都の住民なのだが・・・・。

 最近は京都の四条界隈はとんとご無沙汰である。滋賀県へ通勤するようになってから京都駅はいつも素通りしているのだが、京都駅で降りることはまずない。ヨドバシカメラの京都駅前店が出来ると降りるようになるかもしらないが、それまでは降りることもないだろう。京都駅前周辺なんて小生の寄る店はほとんどない。学生時代から今出川、丸太町付近の店は何軒か知っていたし、それ以外だと河原町から祇園にかけてだと行った店も多い。しかし、京都駅前なんて小生のテリトリーではない。最近こそ色々な店が増えたが、我々が若い頃の京都駅周辺なんて何にもなかったところだ。ただ大きな駅があるのみ。あとは丸物百貨店があったぐらいだ。やはり小生にとっては京都の遊び場というと四条から三条ということになってしまう。でも最近はご無沙汰している。

 不思議なもので滋賀県に通うようになると、休日に京都の繁華街へ行こうという気が起こらなくなってしまった。だから休日になると日頃乗らない阪急電車に乗り、大阪の方へ出かけるようになってしまったので京都とは縁遠くなっている。でも滋賀県の人にとっての1番身近な都会は京都なのだろう。それで滋賀県のこんなところから祇園祭りの宵山へ行こうとする人が大勢いるから驚いた。このあたりからだと四条通付近に行くのに1時間以上かかるだろう。それに電車が遅れていてなかなか到着しない。やっと宵山の会場である四条烏丸近辺に到着しても、長時間おれないだろうに・・・・。そして家まで帰ろうと思うならば、午後10時がタイムリミットではないだろうか。また今日のように電車が遅れていると、滋賀県の奥まで帰るには大変だろうと思うけど、そんなことはお構い無しに祇園祭宵山へ来るみたいだ。あの辺りから京都の四条付近へ来るのなら、神戸から来るほうがよほど楽かと思えるほど、滋賀県は交通の便が悪い。JRが全てのようなところがあり、JR頼みなのに、それがベタ遅れだから、せっかく宵山に来ても帰りの電車を気にしなくてはならないとは鬱陶しいことこの上ない。

 こちらとしては他人事なのでどうでもいいが、もし小生が滋賀県の東部に住んでいるなら、宵山なんて行かないだろう。とにかく人に揉まれて疲れて、そこから1時間以上かけて混んだ電車に乗って帰る。楽しむということは疲れるということなのだ。特に今日のように電車がベタ遅れだと何時、帰れるか判らないだろうに・・・・。

 まあ、人の楽しみに口を挟むのはこれ以上はよそう。疲れるのを覚悟で滋賀県の奥の方から出かけてこられるのだから・・・・・。それはそうと京都駅を出て電車が動かなくなり長い時間、立ち往生したではないか。長岡京駅付近で落雷があり、信号が故障したという。それで各電車に遅れが出ているのだ。何とも罪深い雷だが、それとともに豪雨があったようだ。各河川も増水しているし、京都の付近も路面が濡れている。

 何時動くのか判らずでイライラしたが、ようやく電車が動き出しやっと自宅のある最寄り駅に到着。そして帰宅したが、時計は8時をとっくに回っていた。残業もせず、寄り道もせず、真っ直ぐ帰ってその時間とは如何に・・・・。職場を5時半に出ているというのに・・・・・何てことだ。いい加減にしておくれ!
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2010.07.15 (Thu)

またしても豪雨

 昨日は昼時、激しい雨に見舞われて往生したことを書いたが、今日もまた激しい雨に見舞われた。昼間も激しい雨が降ったが、よりによって帰宅時にスコールのような雨が降り出した。職場を出て歩いていると突如としてドーというような音を立てて雨が降り出した。こちらはどうすることも出来ない。急いで道路脇の軒下に避難しようと思い周囲を見渡すが何処にもない。それで大急ぎでバス停まで走るが、バス停近くに来ると雨がやんでしまった。何ということだ。その結果、全身がビショ濡れで、ズボンの膝より下は色が変っているし、靴も靴下も充分すぎるぐらい水分を含んでいる。

 昨日、穿いたズボンや靴、靴下を帰ってから干していて、朝になっても乾いてないから別の靴を履いて来たと言うのに、2日も連続でこの有様では仕舞いに履く靴がなくなってしまう。家から歩いていける職場なら草履でも出勤できるが(そんな服装だと入れてくれないだろうが・・・)、こちらは一応、遠方から電車に乗って通っている身分である。田舎を走る電車とはいえ、あまりお粗末な服装で電車にのれないだろう。なのに通勤で穿いている靴が2足も雨でベトベト。ああ、困ったなあ。これだと明日はスニーカーで出勤するしかない。本当に困った。

 それにしてもよく雨の降るところである。また降り方も半端ではない。こんな雨だと傘なんて役に立たない。これだと合羽を頭から被り、釣り人が穿くような腰まであるゴム長姿で歩かないと対応できない。もっとも琵琶湖に近いところだとそれほど降ってないというのに、職場のあるところは雨が降ると何時も滝のような雨が降る。これは山際だからかもしれないが、もういい加減にして欲しい。

 大阪から近江の国へ職場が移ったときに辞めればよかったかな。夏は何時もこんな調子だし、冬は雪が積もるし、駅から遠いし、電車は本数が少ないし混むし、各停で通わなくてはならないから通勤時間が余分にかかるし、寄り道するところもないし、帰ってからの時間が足りないし、本当に摂り得がないではないか。敢えていいところといえば電車に乗っている時間が長いので本を読む時間があるということだが、車内は学生、生徒が多く無作法で喧しいので頭にはいらない。お前等静かにせえ!

 ああ、また転職したくなったよ。もうこの歳で雇ってくれるところもないが・・・・・・。職住は接近している方が絶対にいいなあ。往復4時間弱の通勤なんて、それだけで時間の無駄だ。
 
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2010.07.14 (Wed)

激しい雨

 今日は朝から京都府南部に大雨洪水警報が出ていた。でも出勤する時は雨なんか降っていなかった。空を見上げるとどんよりと厚い雲に覆われていて、何時でも雨が降りそうな様相であった。電車に乗って近江の国に入り、2時間ほどかけて職場に到着。近江の国も曇天で鉛色の空である。これはすぐにでも降る状況にあったのだが、午前中はほとんど降らなかった。それが、正午になりそろそろ食事時間だという頃になって、土砂降りの雨に変ってしまった。

 これは大変だ。昼食を摂るのには500m歩いて行かなければならない。何時もそこで食べているのだが、そこまで激しい雨の中、歩いて行かなければならない。これは困った。少し待ったが一向に小降りになる気配がない。しょうがないから強行突破。すると一瞬でずぶ濡れになってしまった。大きめの傘をさしているのだが、ほとんど役に立たない。これほど激しい雨は久しぶりである。何と表現したらいいのだろうか。豪雨、土砂降り、滝のような雨、バケツをひっくり返したような雨、滝のような雨・・・・・どれも当てはまるが、こんな凄い雨、何時以来だろうか。30年近く前、1時間に83ミリという雨に出会ったことがあるが、そのときと似通っていた。とにかく雨の降り方が物凄いので道路が冠水している。道路の側溝からも水が噴出してきて、道路が川のようになってしまい、何処を歩いても一緒。もう靴の中まで水が侵入、下半身はどっぷり水に浸かったような感じである。これだけ激しい雨の中を歩きやっと到着。食事を終え、再び帰ろうと思ったが雨は先ほどと同様、一向に衰える気配がない。これだと昼からの始業時間に影響するので、何時までも待っている訳にはいかないから、またまた強引に出て行った。何時もならこの距離も気にならないのだが、これだけ酷い雨だと500mという距離がとんでもなく長く感じられる。

 職場に戻ったら、ズボンもずぶ濡れ、靴も水分を含んで重いこと重いこと。靴下もビッショリ濡れ気持ちが悪いので、靴の中に紙を敷いて水分を吸収しようとするも余りにも水分を含んだ靴は、ちょっとやそっとでは乾かない。仕方なく午後からは濡れた靴と靴下で仕事を消化したが、足元が気持ち悪くて気分が最後まで乗り切れない。こんなことなら昼食用の弁当でも買ってきて、事務所の中で食べるという選択肢もあったのだが、あとの祭りである。結局、上から降ってくる雨は大きめの傘をさせば、頭、肩といったところは濡れなくてすむが、腰より下はただ濡れるのみ。とにかく大雨警報が滋賀県にも影響を及ぼし、とうとう餌食になってしまった。

 こういった物凄い雨が降るというのは梅雨の末期にはよくあるというが、これだけ短時間で激しい雨が降るというのは梅雨も終わりに近付いている証拠である。とにかく今日は雨に悩まされた格好となった。結局は昼飯時にしか激しい降り方をせず、あとは降ったり止んだり。つまりこちらが昼食時に出て行くのを知っているかのように降りだし、それ以外では小雨だった。要するに雨にもなめられ意地悪をされているかのような降り方にただ呆れるのを通り越して笑えてくる。これも地球温暖化の影響なのか・・・・。昔よりも局地豪雨になりやすいのは確かで、こんなことが毎年、夏になると繰り返される。ところで、まだ京都府南部は大雨警報発令中だが、夜中に降るならこちらとしても困らない。でも洪水になるほど降られるのだけは御免だ。
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2010.07.12 (Mon)

液晶テレビ

 先週、テレビが潰れたので新しいテレビを買った。テレビはあまり観ないのだが、ないと困るのも事実である。だから買ったのだが、どちらにしろ来年の今頃までにはデジタル対応テレビが必要になってくる。我が家のテレビはブラウン管の21型という今頃にしては小型であり、4対3の旧式画面である。それで来年の今頃、もし潰れてなかったらチューナーを買ってデジタル放送に対応しようと考えていたが、どうもテレビが古すぎてチューナーがつけられるテレビではないようなので、このテレビは廃棄して新しいテレビを買うべきかどうか迷っていたので、ちょうどいい時期に潰れてくれた。かれこれ20年ぐらいは使っているかもしれない。でもあまり観ないから、痛まずに今まで故障もせず奉公してくれた。でも内部には誇りも溜まるだろうし、部品も痛むだろうし、とうとうスイッチを入れても画面がすぐに消えるという状況になり、新しいテレビを買ったのである。

 それで大きな家電販売店まで行くのも面倒くさいから、近くに電気屋があったのを思いだし電話を入れてデジタル対応のテレビを何でもいいから持ってきてくれというと、いきなり来たのがシャープ、アクオスの32型ワイド画面のハイビジョンのテレビである。でも6畳間には大きすぎる。液晶テレビなので薄型で壁いっぱいまで下げられるが、横に長く、画面が鮮明ときている。これだと何時ものポジションから観ると矢鱈に大きく感じる。それにハイビジョンだから肌理が細かく、明るくて色鮮やかである。これだと今までのブラウン管テレビはいったいなんだったのだろうか。

 もっとも我が家は流行に乗り遅れているから、今更ながら驚いているが、大方の家は32型のワイド画面なんて当たり前に持っているだろう。こんな綺麗で色彩豊な画面でドラマやアニメやスポーツ中継を観ていたのだなあ。これだと夢中になるかな・・・・。といってもテレビが格段に良くなったからといって、私はテレビの前に齧り付く性質ではないから、今までと一緒で朝の10分~20分ぐらいしか観ないだろうが・・・・・。ならば、何故、そんな大きなテレビを買ったのだと問われそうだ。

 つまり電気屋に何でもいいから間に合わせでいいからといったのが間違いの元であった。すると電気屋は金儲けで、しめたとばかり我が家の家の居間には勿体ないようなデカイテレビが来てしまったということである。それで、せっかく来たので観ていたら、なんと選挙の番組ばかり。こんなの真剣に観る奴って、政党の関係者か党員、あとは選挙運動に係わっていた連中ぐらいじゃないのかなあ。よくぞ、こんなくだらないものをテレビのほぼ全局が長時間の特集番組を組んで放送するから呆れかえってしまう。誰が当選して誰が落選して、民主が敗北して自民が勝利したなんてほざいても、こちらの生活が変わる訳ではない。それに自民も民主もたいして変らないのに、与党だ野党だとまるで方向性の違う党かのように言うから笑ってしまう。はっきり言うと共産党が与党になるない限りあまり変り映えしないだろう。でも共産党が与党になることなどまず有り得ない。日本人なんてたいていの人は考えが保守的であり、あまり変って欲しくないと思っている。また180度、体制が変ると逆に戸惑うだろう。現況で満足している人が多いのだ。いや、諦めているのかもしれないが・・・・・・・。

 ところでサッカーはスペインが念願の初優勝。決勝戦は全てを観たのでもないが、相変わらず決勝になると両チームとも動きが堅いねえ。でも結果的には巨人ぞろいのオランダではなく、日本人とあまり身長が変らないスペインが勝ったというのは、将来、日本にもワールドカップ優勝の可能性は秘められているということだ。それにスペインのパスを繫ぐサッカーは日本も見習うべきであり、日本の今後を考える意味で面白い。サッカーというのは体格がいいだけでは勝てないのだ。また1人1人の技が優れていても勝てないだろう。つまりチームワークと優れた戦術と精神力が必要である。だから日本は、組織力と団結力で戦うのに適しているから、今後、サッカーにおいて希望が持てると思う。今回の日本代表はそういった面では前回のドイツ大会の時の日本代表よりも優れていたのだろう。個々の能力では前回大会の代表があっただろうが、それでいて前回は1度も勝てなかった。要するにサッカーという球技は、そのようなものだということで、また4年後の日本代表に期待するとしよう。
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2010.07.11 (Sun)

⑥サッカーに対しての蘊蓄を述べる・・・・・

 今回で6回目となるが、そろそろ終わりにしようか。そうしないとワールドカップ自体が終わってしまう。あと決勝を残すのみだからなあ。

 1982年のスペイン大会でイタリアが優勝したが、それから4年後の1986年、1970年に開催したメキシコで再びワールドカップが開催された。そもそも1986年の大会は当初、南米のコロンビアで開催されるはずであった。ところが参加国が前回から24に増え、経済的負担が大きくなったことに加え、経済情勢も悪化していたコロンビアの開催は難しくなった。さらに追い討ちをかけるよに武装ゲリラの問題があって、コロンビアは開催を返上、急遽、一度、開催経験のあるメキシコに決まったという経緯がある。

 でもメキシコも1985年に大地震に見舞われ25000人の人が亡くなり、開催が危ぶまれたが幸いにもスタジアムの損傷は少なく予定通り開催された。ところで、この大会の予選で日本はこれまで最も本大会出場へ近付いた。結局、韓国に敗れワールドカップ出場はならなかった。

 この大会はマラドーナのためのマラドーナによるマラドーナの大会となってしまった。前回のスペイン大会でデビューしたマラドーナだが、若さのあまり空回りしてしまい不発に終わったが、この1986年の大会では気力も体力も精神的にも充実して手のつけられない選手になって帰って来た。大会の初戦、アルゼンチンは日本を破って出場した韓国を3対1で倒し、2戦目は前回の優勝国イタリアとの対戦。新旧交替期のイタリアとマラドーナを中心に選手が若返ったアルゼンチンとの対決は1対1。この試合でマラドーナは得点する。3戦目はブルガリアで2対0と勝利。アルゼンチンは決勝トーナメントに進出。

 1回戦でアルゼンチンは同じ南米のウルグアイと対戦。1対0で勝ち、準々決勝でイングランドと対戦。この試合で史上に残る2つのゴールが生まれることになる。まず、後半の6分、マラドーナがイングランドのゴール前、両チームの選手が殺到していた。その時、イングランドのホッジのバックパスをカットしたマラドーナがゴールを決めた。だがあとでよく見ると手によるゴールであった。ゴールは認められアルゼンチンは先制した。このゴールをマラドーナ自身『神の手ゴール』と言った。だが、この3分後、マラドーナ自身による文句のつけようのないスーパーゴールが生まれる。ハーフウェイラインあたりからドリブルで次々とイングランド選手を抜き去りゴールを決めた。まさに歴史に残るゴールであった。イングランドはリネカーが1点を返したが、2対1でアルゼンチンが勝利。このあたりからマラドーナが本領を発揮しだす。準決勝に進出したアルゼンチンはベルギーと対戦。ここでもマラドーナガ獅子奮迅の活躍で2得点。スコアは2対0、マラドーナとアルゼンチンは決勝へ駒を進めた。

 決勝の相手は西ドイツであった。けして強いとは思わないが確実に勝ってくる西ドイツである。この大会の準々決勝で万年優勝候補のブラジルを延長戦後のPK戦でようやく倒してきた優勝候補筆頭のフランスだったが、そのフランスを準決勝において2対0で倒してきた西ドイツであった。

 決勝戦はアステカ・スタジアムに115000人もの大観衆集めて行なわれた。前半21分、フリーキックを頭で合わせたブラウンが先制ゴールしてアルゼンチンがリード。さらに後半10分、マラドーナ、エンリケ、バルダーノとボールが渡りアルゼンチン2点目。だが、粘り強い西ドイツ。後半28分、ブレーメのコーナーキックをフェラーが頭で落としルムメニゲがスライディング・ゴール。後半36分には、またもコーナーキックからベルトールトが頭で流してフェラーが決めて同点。決勝戦は延長かと思われたが、後半39分に、マラドーナの必殺のスルーパスが通りブルチャガが走りこんで決勝ゴール。こうしてマラドーナ率いるアルゼンチンが2度目の栄冠を手にした。

 結局、このメキシコ大会まではワールドカップ中継を真剣に観ていたなあと今になってよく思う。でも、この4年後になるとサッカーそのものがより守備的になり、ますます得点が入りにくくなった。1990年のワールドカップはイタリアで行なわれたが、何処も守備重視にサッカーを変えてきたように思う。前回優勝のアルゼンチンは精彩を欠き、4年前の優勝が嘘のような出来栄えであった。でもPK戦をユーゴスラビア、イタリアと続いて勝ち、どうにか決勝へ進出。決勝は2大会連続、アルゼンチン対西ドイツの対戦となった。

 アルゼンチンは決勝へ進出したものの累計イエローカードが溜まり決勝戦に出られない選手が何人かいたFWのカニーヒャもそうだった。試合としては面白くなく、西ドイツは徹底的にマラドーナをマーク。マラドーナがボールを持つと複数名でディフェンス。これでマラドーナは孤立。でも西ドイツもなかなか得点できずに後半も終盤に突入。均衡が破れたのは後半40分。クリンスマンをセンシーニが倒しPK。これをブレーメが決め西ドイツが前回の雪辱を果した。

 この1990年のイタリア大会の3年後、日本にもようやくプロサッカー・リーグのJリーグが誕生。日本代表も次第に力をつけていくようになる。さて、ここまでサッカーの記事を書いてきたがこれにて終了することにする。これ以降のことはほとんどの人がご存知なので書く必要性もないと思われる。日本人にもワールドカップが身近に思われるようになってきたののが90年代以降である。でも私の中からはワールドカップが遠ざかっていく。誰もが注目しなかった頃の方が私としては熱中できた。今のように視聴率が深夜にもかかわらず40%だとか50%だとかいった数字をたたき出すようになると、何故か自分の中でワールドカップが醒めていくのが判る。歳をとったからという言い方も出来るが、新聞もテレビも大特集を組み誰もが話題にする。しかし、その存在すらあまり知られてない頃から注目してきた者としては、もういいかなといった思いがあるのも事実である。それに、昔は観ようと思っても放送すらない。だから伝説の選手という言い方が出来、神秘性もあった。現在のように試合を隅々まで放送するようになると、最早、秘密兵器的選手もいなくなり、突如として現れてはスーパープレーを連発することは有り得なくなった。今では控えの選手の情報までが露出され、プレーそのもので驚嘆することもなくなってきた。

 つまり過剰報道、情報過多が齎したつまらなさといったものがあって、これが今のサールドカップの面白さを半減させているようにも思える。私としては、やはりサッカーはどんな選手がどんなプレーをするか判らなかった時代の方が、よりワクワクして観られたという気がしてならないのである。

 1986年メキシコ大会。アルゼンチン対イングランド戦。この試合で2つの伝説的ゴールが生まれた。


1986年メキシコ大会決勝戦。アルゼンチン対西ドイツ。


 1990年イタリア大会決勝戦。アルゼンチン対西ドイツ。2大会連続同じカードとなった決勝。西ドイツとしては最後の大会となった。

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2010.07.10 (Sat)

土曜出勤

 今日は久々の土曜出勤だった。早朝に家を出てJRの駅に向うが人通りが少ない。駅のホームにも余り人がいない。それに電車の本数も少ないので、ホームの上で15分も待たされた。次回からは休日ダイヤを調べてから家を出るべきだ。電車が来たが電車の車内も空いている。おかげで楽々と座れたものの、クラブの試合に行くのか、喧しい中学生が途中の駅から乗ってきて騒ぐので居眠りが出来ない。暫くして京都駅に到着。

 休日ダイヤの悲しさで、またまた京都駅で10分以上、電車待ちの状態。京都駅から以東は電車の本数が半減するので、ホーム上で待っている人も多い。ようやく米原行きの普通電車に乗るが、京都駅で降りる人が大半で、車内はガラガラの状態である。乗っているのは小生と同様、休日出勤のオヤジか、あとは私立の高校生。滋賀県は私立高校が数えるほどしかないので乗っている高校生も疎ら。平日の車内は如何に県立の高校生ばかりで占められいるかがよく判る。平日の朝の車内は高校生だらけなのだが、今日は高校生がほとんどいないから悠々と座席に腰をかけて出勤をなった。でも、最寄り駅から職場までが遠いではないか。しかし、バスの便が普段ほどなく朝から仕方なく歩く。トボトボと歩くが7月のこの時期、30分も歩くと汗でビッショリである。既に仕事にかかる前から疲れているではないか。ホント、土曜出勤は碌なことがない。

 盆休みに入る前は毎年忙しいが、今月は特別に忙しいのか・・・・・。今月は土曜出勤だけではなく、祝日である海の日まで出勤だから、皆目、暇がない。今日も先ほど帰宅したばかりで、ただ疲れだけが残っている。この調子だと、ブログ更新もままならない。しばらくブログを中断してもいいのだが、一旦、中断すると再び書く気が起こるかどうか・・・・・・。とにかく暇がない。こんな状況だから、ブログ更新も今ひとつ気が乗らない。そのせいでもあるまいが、このところサッカーの記事ばかりになっている。ワールドカップ開催中なのでしょうがないが、サッカー以外の記事も書いてみたいが時間がない。そういえばワールドカップの決勝はオランダ対スペインという結果になったが、意外だという人と当然だという人がいる。どちらが勝っても初優勝だが、オランダは過去に準優勝が2度あって、今回は1978年以来、3回目の決勝進出。一方のスペインは初の決勝進出である。なのでどっちが勝っても初優勝になるが、スペイン等は何時の大会も優勝候補だった。スペインのサッカー無敵艦隊といわれ、過去にも度々、いいところまで勝ち進んだものだが、今まで一度も決勝に駒を進めたことはない。

 スペインという国は世界でも屈指のサッカー大国。レアル・マドリッド、バルセロナといったヨーロッパ中に轟いているビッグクラブがある。なのにお国代表のチームは、これまで思うような成績を挙げてこなかった。スペインというのは実は民族が一つではなく、マドリッド、バルセロナでも違っている。だからスペイン代表といっても一枚岩ではなく、国の代表よりもクラブを優先したり、地域のクラブチームが勝つほうが嬉しいという人も多い。それでスペイン代表チームが、これまでのワールドカップで成績が芳しくないのは、国民全体の後押しが足らなかったのではないだろうか。それが今回は初の決勝進出でスペインの国内も盛り上がっているようだ。もし、優勝でもするとスペイン国内はどうなるのだろう。大変な騒ぎになるだろう。一方は、3度目の決勝進出で今度こそと願っているオランダである。はたしてどんな決勝戦になるだろうか。日本時間、12日の真夜中に試合は行なわれる。もういちどだけ寝不足になろうか・・・・・。

 ああ、結局、またサッカーの記事になってしまった。でも、まだサッカー記事をもう少し書かないといけないだろう。ワールドカップが終わってから、本来の記事を書くことにするか。でも、今月は忙しいから、あまり更新はできないだろが・・・・・。
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2010.07.08 (Thu)

記事が・・・・・・・・・・・

 先ほど書いた記事が消えてしまった。パソコンがたまにおかしくなるときがあって、せっかく書いた記事が途中で消えてしまった。だから今日は記事無しだ。また書けばいいが、そこまで暇人ではない。帰宅してからやることはいくらでもある。帰ってビールを飲みながら下らないテレビを観るのもいいだろうが、何時も何時も興味深い番組があるとは限らない。それなら最初から観ないほうがいい。そういうことで私は1日の間で、テレビは朝の15分しか観ない。もっとも観たい番組があると帰宅してからも観ることはあるが、この数年、ほとんど夜にテレビを観たことがない。何故、観ないかというとテレビを観だすと何にも出来なくなるからだ。

 テレビというのは受身であるから、情報はいくらでも入るが、じっくり考える余裕を与えてくれない。もっと思考力を身につけようと思うなら、あの受像機のスイッチを入れないこと。すると意外と暇が出来るのだ。結局、如何にテレビに毒された生活を送っているか判るようになる。それでテレビを観ないのなら何をするかって・・・・。することはいくらでもある。勉強するもよし、会話するもよし、読書するもよし、音楽を聴くのもよし、ただしテレビゲーム・・・・・・・ちょっと困る。動く映像から逃れているのに、また動く映像に触れるのか。一週間の間、たとえ1日でもいいからテレビを観ない日をつくることを心がけてみては如何かな。

 ところで今日は、何の記事を書いたかというと、選挙について書いたのだが、記事が消えてしまった。まあ、たいしたことは書いてないから記事が飛んでしまってもいいが、再び同じ内容の記事は書く気が起こらないから、今日はこのあたりで失礼するとしよう。
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2010.07.07 (Wed)

何時もと逆

 今年の梅雨は空梅雨か? と思うほど雨が降らないが、降る所では激しく降っているようだ。でも、今年はこの湖国でもあまり降らない。昨年も一昨年もゲリラ豪雨に悩まされたところなのに、今のところ音沙汰無しである。したがって暑いのなんのって、冷房の効いた室内から外へ出るとモワーっとした熱い空気に晒される。少し歩いただけで汗ばんでくるぐらいだ。今日なんか、帰宅時にどれだけバスに乗ろうかと思ったが、バス停で待っていてもなかなかやって来ない。それでようやく1台来たけども既に満員。これだと停留場で待っている人の大半が乗れないだろう。それで次のバスをみんな待つのだろうか・・・・。待つみたいだ。皆さん、根気がある。小生はとても待ってられないので歩くことにした。30分歩くと全身汗だらけになるからバスに乗ろうと思ったが、何時来るか判らないバスなど待ってられるかい。10分か15分も待てば来るだろうが、それだけの時間があるのなら、かなりの距離を歩ける。それでテクテクと歩くことになったのだが、こちらが駅に到着した頃、バスも到着したようだ。でもこちらは汗ビッショリ、バスに乗った人は涼しい顔をしているが、この区間の料金を払っている。結局はどちらを選ぶかだが、もし雨の日なら確実に徒歩の方が早く駅に着く。でも汗をかて、雨にも濡れてベトベトになる。これだから何時もバスに乗るか歩くか迷うところだが、職場から駅までの距離が微妙な距離だから迷うのだろう。これが5㎞も離れていると歩こうかという選択肢はなくなるのだが、3㎞という距離が何時も何時も悩ませるのである。

 それはそうと、近江の国は雨が降っていなかったというのに電車に乗っていると、何時もと逆パターンだということに気がついた。トンネルを2つ抜けると京都の市街地に入る。するとこちらの方はいくらか雨が降った形跡がある。さらに電車に乗って、小生の自宅のある最寄り駅まで来ると、路面が濡れているではないか。それに空気が幾分、涼しいぞ。帰宅してから聞くと、午後3時以降に30分ぐらい激しい雨が降ったという。ほう、珍しいことがあるものだ。何時もだと職場の近くで豪雨にあい、やっと帰宅したと思ったら自宅の方では一滴の雨も降っていないということが多かった。ところが今日は、何時もとは反対で小生の家のある周辺では降っていたというから、今年もゲリラ豪雨は健在だと思った。ただ例年と違い降る地域が予想できない。今朝は天気予報で夕立のような雨が降るかもしれないといっていたが、地域は限定していなかった。今日は大阪~京都にかけて降ったのだろうか。何時も降る滋賀県は雲の切れ目も見えて暑かった。それが、小生の地元の方が涼しいという嬉しい誤算。これで熱帯夜から開放だろうか。あまりゲリラ豪雨は歓迎できないが、雨が降った後は涼しくなるので身体が楽になる。でもゲリラ豪雨が多くなると梅雨明けが近いということである。そして梅雨が明けると・・・・・毎日、毎日、35℃突破・・・毎日、熱帯夜。とうとう嫌な夏が来る。この季節だけは毎年、憂鬱になる。ああ、早く9月にならないかなあと思う・・・・・・・。ホントに夏は苦手だ。
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2010.07.05 (Mon)

⑤サッカーに対しての蘊蓄を述べる・・・・・

 1978年のFIFワールドカップ・アルゼンチン大会で地元アルゼンチンが初優勝したが、その翌年、日本でワールドユース大会(20歳未満の選手によるサッカーの世界大会)が開催された。この時もアルゼンチンが優勝したのだが、その原動力となったのがディエゴ・マラドーナである。彼は18歳で既に世界のトップクラスの技とサッカーセンスを持っていた。またフィジカル的にも強く、小柄なのに決勝のソビエト戦では二の腕を捉まれながらも倒れず、相手を引きずるようにしてドリブルで抜いていく。何だ、この選手は、末恐ろしいなあと観戦していた日本人の誰もが感じたであろう。こうして世界の舞台に登場したマラドーナは、それから3年後の1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会にアルゼンチン代表としてデビューした。

 このスペイン大会は、参加国数がこれまでの16ヶ国から24ヶ国に増え、より世界的イベントとしてパワーアップした大会となった。試合方式は4チームずつ6組に分けて1次リーグを戦い、上位2チームが2次リーグに進出。2次リーグは3チームずつ4組に分かれて戦う。そして各組1位のチームだけが準決勝に進出できるというものだった。この大会は前回優勝のアルゼンチンが優勝メンバーを大半残している上、そこへ若き天才ディエゴ・マラドーナが加わった。でもアルゼンチンは開幕試合のベルギー戦で0対1で敗れ波乱のスタートとなった。大会を通して1番注目されたチームはブラジルであった。

 テレ・サンターナ監督が率いるブラジルは、ミッドフィルダーにジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンといった才能溢れた選手を擁し、黄金のクアルテット、黄金の中盤といわれ、非常にイマジネーションのある芸術的なプレーで観衆を魅了した。アルゼンチンと共に優勝候補だったブラジルだが、ブラジルの方が好調であった。1次リーグからブラジルはソヴィエト戦こそ2対1と苦戦したが、その後はスコットランドに4対1、ニュージーランドに4対0。中盤の4人がゲームメークをやりながら、互いにパスで相手を翻弄し、またドリブルで抜いていきシュートもする。まさに変幻時代のサッカーで勝ち進んでいった。

 2次リーグではそのブラジルとアルゼンチンがとうとう対決した。アルゼンチンはキャプテンのパサレラを始め、ケンペス、アルディレス、ベルトーニ、タランティーニ、フィジョール、オルギン、ルイス・ガルバンといった前回の優勝時のメンバーが残っていて、優勝候補であり、そこへディアスと21歳の天才マラドーナを加えて戦力アップしていたものの、ブラジルほど好調でもなく、それでいて実力で2次リーグに進出。そしてブラジルとアルゼンチンが戦った。

 得点は意外と早く入った。前半11分エデルのフリーキックがクロスバーに当って跳ね返ったところをジーコが押し入れた。さらに後半21分、ブラジルはファルカンのクロスをFWのセルジーニョが頭で合わし2点目。30分にはデイフェンダーのジュニオールがジーコからのパスを受けシュート。これが決まりブラジルが3点目。アルゼンチンはマラドーナがマークされ、彼はイライラが募ったのか、とうとう後半42分、ブラジルのバチスタを蹴りレッドカードで一発退場。若きマラドーナは本領を発揮せずアルゼンチン・チームと共に大会から去った。

 一方、ブラジルは次の試合でイタリアと対戦。これまで眠っていたイタリアのFWパオロ・ロッシが突如として狼煙を上げる。前半5分長いクロスを頭で合わせて先制ゴール。ブラジルは12分にジーコの必殺スルーパスを受けたソクラテスが同点ゴール。でもイタリアは25分に再びロッシがパスミスをカットしてゴール。後半には23分、ファルカンがミドルシュートを決め同点。しかし、29分、ロッシがハットトリックを決め3対2、その後、ブラジルも怒涛の攻撃をかけるがイタリアが勝利。ブラジルもスペインの地から去ってしまった。

 決勝は7月11日、レアル・マドリードの本拠地、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた。決勝はイタリアと西ドイツの顔合わせである。戦前、両リームとも評価が高いというのでもなかった。殊にイタリアは八百長問題から長い間、出場停止を喰らっていたロッシが、今大会からチームに参加。1次リーグでの戦いぶりからしてイタリアが決勝に出てくるなんて誰も想像できなかっただろう。それが2次リーグからのロッシの突然の大活躍でイタリアが決勝進出。一方のチームは西ドイツだった。西ドイツも決勝に残るとは思えなかったが、伝統の力強さに加えゲルマン魂で勝ち抜いてきた。特に準決勝のフランス戦は死闘だった。延長に入り、3対1から同点に追いつき、PK戦を制して決勝に出てきた。決勝戦の前半はファールが多く欠伸が出るような試合展開だった。それが後半の12分にジェンティーレのクロスをロッシが身体を倒すように得点してイタリアがリードすると、これまで守備的だったイタリアが動き出した。24分、タルデリが得点。36分にはブルーノ・コンティの速攻からセンタリング、それをアルトベリが得点して3対0。試合は決まってしまった。西ドイツは終了間際にブライトナーのゴールで1点を返すのが精一杯。

 イタリアはブラジルに続いてワールド・カップ3度目の優勝を44年ぶりに成し遂げた。でもこの大会、最も素晴らしいサッカーでファンを魅了し続けたのはブラジルであり、またプラティニ、ジレス、ロシュトー、トレゾール、ティガナ、ジャンジニといった面々を擁し熟成されたシャンパンのような見事なサッカーを展開したフランスであった。つまり必ずしも決勝に残ったチームがいいサッカーをしていたというのではなかった。それとワールドカップ初登場で2次リーグで敗退したが、末恐ろしさを感じさせたマラドーナ。彼は4年後のメキシコ大会でスーパースターとなる。


 2次リーグ、アルゼンチン対ブラジル戦。


 2次リーグ、イタリア対ブラジル戦。


 決勝 イタリア対西ドイツ戦。

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2010.07.04 (Sun)

オグリキャップ死去

 昨日の7月3日、北海道の優駿スタリオンステーションでオグリキャップが亡くなったという。放牧中に骨折し、高齢のため安楽処分にされたという。25歳であった。今から20年ほど前、大フィーバーして競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップである。そのオグリキャップがとうとう亡くなった。

 オグリキャップの存在を初めて知ったのは東海公営に詳しい競馬仲間によってもたらされた情報によるものであったが、そのオグリキャップが中央入りしたという情報も入っていた。でも公営の実力馬が中央に転厩してくることはよくある。でも芝生の馬場に戸惑って公営時代ほどの成績を上げられずに消えていく馬も、また同様に多かった。だからオグリキャップが栗東の瀬戸口厩舎に入ってもさほど気にもならなかった。でもオグリキャップは笠松の鷲見厩舎時代に12戦10勝2着2回という素晴らしい成績だったので、中央デビューの時のペガサスS(GⅢ・3歳、芝1600m)に出てきたときは注目した。

 1988年(昭和63年)3月6日の阪神競馬場。この時に私はパドックにおいて初めてオグリキャップと対面した。芦毛なのであるが、まだ若駒のこと黒っぽくて芦毛には見えなかった。レースは中団から進出し直線で末脚を爆発。ラガーブラックに3馬身の差をつけて勝った。ほう、意外と走るなあというのが最初の印象であった。次走は阪神の毎日杯(GⅢ・3歳、芝2000m)であった。この時も勝ったので、もしかしてオグリキャップはとんでもなく強い馬かもしれないという印象に変わっていくのを自分の中にもあったことを思い出す。でも残念ながら、オグリキャップはクラシック登録がなく皐月賞、日本ダービー、菊花賞には出られず裏街道のレースに出続けることになる。

 毎日杯から半月後に皐月賞が行なわれ、人気薄のヤエノムテキが勝った。2着はディクターランドだった。その結果に私は驚嘆した。何故なら、共に毎日杯でオグリキャップに子ども扱いされていた馬だったからである。これからオグリキャップ伝説が始まっていくのであるが、中央入りしてから重賞6連勝。この中には2着を7馬身千切ったニュージーランドT4歳S、古馬のランドヒリュウを破った高松宮杯、ダービー馬のシリウスシンボリやダイナアクトレス、フレッシュボイスといった一流古馬を倒した毎日王冠が含まれている。

 こうしてオグリキャップは3歳馬でありながら天皇賞に出走した。でもこの日、初めて中央入りして2着に敗れる。勝ったのは1年間勝ち続けているタマモクロスである。タマモクロスは、春の天皇賞、宝塚記念に続いて、秋の天皇賞に勝ち8連勝を記録した。オグリキャップとタマモクロスという2頭の芦毛馬の対決に競馬界は大いに盛り上がった頃である。この2頭はジャパンCでも顔合わせし、タマモクロスが2着、オグリキャップが3着。勝ったのはアメリカから参加のペイザバトラーだった。

 年末の大一番、有馬記念でタマモクロスは引退することが決まった。ここでオグリキャップは勝たなくてはいけなかったが、見事、タマモクロスに雪辱。なお、このレースにはスーパークリーク、サッカーボーイといった今となっては懐かしい面々が名を連ねていた。

 翌、1989年、元号が昭和から平成に変った。しかし、オグリキャップは長期休養を強いられていた。脚部不安からである。もともと脚が曲がっていて丈夫ではなかった。復活戦は9月のサンケイ・オールカマーであったがレコード勝ち。次は毎日王冠であった。このレースは天皇賞馬イナリワンとの死闘となったが鼻差で制し、いよいよ天皇賞。でもスーパークリークと武豊に巧く乗られ2着に敗れる。次はジャパンCに出るのかと思っていたら、京都のマイル戦、マイル・チャンピオン・シップに出てきた。このレースも死闘となり、武豊のバンブーメモリーが勝利目前という時、奇跡的に最後の末脚が爆発、このレースを制す。するとインタビューで騎手の南井克己が涙で答えた事を思い出す。

 ところが陣営は一週間後のジャパンCにオグリキャップを出走させた。ちょっと無茶ではないかという声に反発して、オグリキャップはニュージーランドのホーリックスとまたも死闘を演じ2分22秒2という当時の世界レコードで2着。この時にオグリキャップ人気はフィーバーしたように思う。とにかく出るレース出るレース、一生懸命走り、結果を残して来た。何時の間にかオグリキャップの縫いぐるみが商品として売っていたし、世はまさに競馬ブーム。殊に女性ファンが大勢、詰め掛けるようになっていた。その原動力の一因がオグリキャップというのはいうまでもない。でも流石に有馬記念は疲労していたのか5着と凡走。ファンはがっかりした。

 1990年、この年もオグリキャップは現役。でも出てきたのは5月の安田記念。ここは武豊が初めて乗って圧勝。しかし、宝塚記念は故・岡潤一郎が乗ってオサイチジョージに敗れる。謎の敗戦といわれた。その後、脚部不安から休養。復活レースが天皇賞。ステップレースを使えなかったというのが問題で、新コンビ増沢末夫を鞍上に出走したが着順掲示板がらついに消えてしまう6着という惨敗。

 ジャパンCも出走。でもいいところがなく11着。もうオグリキャップの復活は有り得ないと誰もが考えていた。だが、陣営は引退レースとして有馬記念を選んだ。鞍上は再び武豊。

 こうして1990年12月23日、オグリキャップ最後の出陣の日が来た。私はこの日の早朝、京都6時17分到着のひかりに乗って中山競馬場に向った。あの日の中山競馬場は異様な雰囲気が漂っていた。入場者数178000人という数字が表すように立錐の余地も無いほど観衆で埋っていた。そんな中でグランプリが始まり、オギリキャップは3コーナーから進出。直線で先頭にたちメジロライアンの追撃を抑えて優勝。見事復活した。すると期せずしてオグリ! オグリ! の大合唱。

 2度と経験できないのではないかという状況に出くわし感嘆したことを覚えている。あれから20年、一時代を築いたオグリキャップはこの世を去った。公営から上がってきて中央競馬を席巻し競馬ブームの立役者となり、オグリキャップ現象なるものまで生み出した。これはまことに稀有なことであり、今の競馬界を見るとあの時のフィーバーぶりが嘘のようでもある。もう2度とああいった雑草魂を持った競争馬は出てこないのかもしれず寂しくもある。シンボリルドルフやディープインパクトといった最初からのエリートではなく、ハイセイコーにも繋がるサクセスストーリーに人は牽きつけられたのである。

 そういえばオグリキャップを世話していたのが瀬戸口厩舎の厩務員だった池江敏郎さんである。また、その人の実弟がディープインパクトの調教師だった池江泰郎さんだった。池江調教師も来年で競馬界を去られる。時代は確実に流れているのだ・・・・。


オグリキャップのラストラン。私もこの大観衆の中の1人だった。
 
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2010.07.03 (Sat)

女医

 今日は久々に激しい雨が降った。このところ雨が降らずに真夏日が続いていたが、朝から強めの雨。土曜日なので朝は何時もより遅めに起床したが、それでも5時半という早起き。もう10年間ばかり早寝早起きが続いているので、休日だからといって昼前まで寝ていることは絶対にない。日が明けるのが遅い冬でも朝の6時半には目覚めている。なので朝、目が覚めた時に激しい雨が降っていたから、こんな日に耳鼻科に行かなくてはならないのかと、まずそちらの方が気になった。でも家を出る頃になって雨が上がってしまった。耳鼻科到着が朝の8時40分。9時から開院なのに、何でこんなに早く行くのかというと、長い間待たなくてはならないようになるからだ。開院と同時に来ると、まず10人以上は並んでいるから待ち時間も半端ではない。内科とかなら近所に三つぐらいあるから、こんなに早い時間に行くことはないが、耳鼻咽喉科となると意外に少ない。それで電車に乗って一駅。15分ほどかけて毎週、通院しているのいである。それで今日も、耳鼻咽喉科に開院20分前に到着したが、既に入り口には5人ほど先客がいた。この方達はいったい、何時から待っているのだと呆れてもいるのだが・・・・・。

 さて、開院して診察が始まったが、外は激しい雨が降っていた。おかげで涼しいが、こんな土砂降りの中の通院も嫌なものだ。暫くして名前が呼ばれていざ診察を受ける。やっとかと思いながら中に入ると・・・・・・何と、いつもの医者がいない。それで診察室で座っていた医者は何と女医さんであった。この○○耳鼻咽喉科は個人の医院だが、通いの医者が他にもいることは知っていた。でも、これまで院長以外に診て貰った事はない。でも、今日は院長が居らずに替わりに歳の頃は、30代後半だろうかといった感じの女医が座っていた。

 こちらは驚くやら、不覚にもやや動揺をした。これまで色々な医者に診て貰っているが、過去に女医さんに診てもらった事と言えば、たったの一回のみ。一度、目蓋の裏にものもらいが出来てしまい、大学病院の眼科に訪れた時、診察に応じてくれた医者が女医だった。そのときは眼科には女医が多いと聞いていたので、さほど驚かなかったが、いざ診察されると何故か、やけに緊張したことを覚えている。それで今回となるが、何時も診てもらう男性で年配の医師が不在で、急遽、私よりずっと若い女性医師に診て貰うとなると、何時もと勝手が違うから症状を説明するのも苦労したが、過去のカルテを見て、大方のことは判るみたいなので流石に若いとはいえお医者さんだと感じた。

 また、何時もなら事務的にこなされる診察だが、今日は少し違っていて、鼻の中に薬を塗ったガーゼのような物を詰め込まれた。これは鼻の通りをよくするとかという処置で、一旦、処置された後、小生は診察室の奥の方で待たされた。2、3人診察したあとで、再び診察を受けることとなた。鼻腔から鼻汁やらを吸い込まれ、その後にネプライザーで吸引した。これで無事、終了。何時もより診てもらった時間が長い。やはり同じ、診察でも医者によって微妙に処方は違うものだと感じたのだが、今後も長い間、通院していると女医さんに当たる事もあるのかなあと思った次第である。でも何だか若い女医に診てもらうと、こちらも余所行きな態度になっているし、余計に身体に力が入ってくるから不思議である。まあ、医者というのは男性がほとんどだから、滅多に女性医師に診てもらう事はないけども、最近は女性医師が増えているという。特に20代の医師の3人に1人は女性だという。でも産婦人科とかには多いが、内科や外科ではあまりいないし、耳鼻科も少ないような気がしたが・・・・・・・。

 ただ女性で医師になろうとする人は、小生のような凡人とは心構えや頭の構造及び、全てが秀でているような人がなるのだろうか・・・・・。人の健康を預かる職業である。生半可な勉強では医師にはなれないだろうし、よほど長期に亘り意志をを強く持って目指さないと挫折するだろうにと考えるのだが・・・・・・最近の女性はほんと強くなったものである。

 ただ女医さんに診てもらった感想から言うと、痒いところろに手が届く診察で細かいところに気がつく。時には女性医師に診てもらった方が、案外、違った発想で治りにくい病気も治癒するかもしれない。女医さん、また診察をお願いいたします。
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2010.07.01 (Thu)

連日の熱帯夜

 今年は春先からその後も雨がよく降った。ところが入梅した途端、あまり雨が降らない。もっとも九州の方では降りすぎるぐらい降っているのだろう。でも私の住む地域に関してはさっぱり降らない。そのせいで早くも連日の30℃超えが続き暑い暑い。

 職場から最寄り駅まで歩いて帰るが、汗だくになってどうにか駅に到着。喉はカラカラで、思わずペットボトルに入ったお茶をがぶ飲みしてしまう。早く電車が来ないかなと待ちわびて、冷房の利いた電車の中でホッと一息つく。家に帰れば帰ったで2階の部屋の中は蒸し風呂状態。エアコンを入れてもあまり冷えない。なにしろ古いエアコンだから効果があまりないのだろう。でもエアコンがないととても部屋の中に居れたものではない。

 とはいえ、就寝するときはエアコンを切るようにしているのだ。朝までエアコンを入れっぱなしだと身体の方がおかしくなってしまう。出来る限り窓を全開して天然の風にあたるようにしているのだが・・・・・・・。さっぱり風がなく熱帯夜である。そんな中で寝ていると寝汗をかくし喉が渇く。寝苦しくて熟睡なんて出来るはずもなく、毎日、寝不足である。

 せめて昼間、しっかりと雨が降ると湿気が抜けてカラッとするから夜なんて気持ちがいいのに、さっぱり雨が降らずに湿気だけが漂っていて、蒸し暑いからとても寝られたものではない。やはり梅雨がないと夏が想像以上に長く感じるのだ。すでに小生の感覚では真夏である。すると6月の末から真夏ということになる。これだと夏が3ヶ月ぐらい続くのか・・・・・・。これだと身体もたない。勘弁してくれといいたい。せめてこの季節だけでも関西から逃避行したいね。それ以外の季節は構わないけど、夏の京都なんか住めたものではない。昔は打ち水しただけで涼しくなったが、今の時代は大して意味がない。昔はエアコンもなく、蚊帳をつって寝ていたが、それほど夜が暑かったという印象はない。なのに、このところの夏は異常な暑さである。

 いったいどうなってしまったのかしらないが、一言で地球温暖化といってしまってもいいものなのか。昔の風情があった夏はまだ良かったが、最近の夏はただべらぼうに暑くて、風情も何もあったものではない。だから、一足飛びに10月にならないかと、今頃になると切に思うのである。
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