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2017.05.18 (Thu)

昔の美術展の型録が



 美術展というのは若いときから入れて何10回行ったかか判らないが、最近、家の押し入れを片付けていたら10数年前に行った美術展の型録が出てきて懐かしくなって見ていた。そういえば当時は型録を買っていたんだなと思った。そして、どんな物が展示されていたのかと中のページをめくる。後になって判るのだが、随分と貴重な絵が来ていたんだなと驚く。
 それこそ印象派の語源となったクロード・モネ『印象・日の出』だとか、ドミニク・アングルの『泉』『トルコ風呂』、ゴッホ『夜のカフェテラス』、フェルメール『窓辺で手紙を読む若い女』、ベラスケス『マルガリータの肖像』・・・・・その他、列記してみるとレンブラント、ドラクロア、ゴヤ、ドガ、ダヴィッド、フラゴナール、ジェリコー、ラファエロ、ロートレック、コロー、ミレー、ムンク、ユトリロ、モディリアーニ、ピカソ・・・・・・きりがない。まあ、とにかく美術館通いを行ったものだ。それで一時だけ型録を買っていたのだが、これがけっこう高いから買わなくなったのだが、よく見れば何度か来ている絵があるね。あちら側の美術館の都合もあるだろうが、難度も来る絵と門外不出の絵とあるような気がする。同じ画家の絵でも人気のある絵はなかなか来ない。そういえばルノアールの裸婦の絵とかモネの睡蓮の絵とかいうのは世界中で何100枚出回っているのだといいたくなる。でも型録を見ることによって、あのときはあんな絵が来ていたのだという発見がある。意外と知られている絵が来ていたという展覧会がある。でも最近はだんだんと美術館にも行かなくなっている。もう絵も食傷気味ではあるのだが、フェルメールほど寡作となるとどれが来ても貴重ということにはなるんだけど。
EDIT  |  19:21  |  美術  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.07.17 (Sun)

ダリ展に行く



 このほど京都岡崎にある京都市美術館で開催中のダリ展に行ってきた。スペイン現代絵画の巨匠サルバドール・ダリって人気があるんだね。大勢の人でごった返していた。ダリって1989年まで生きていたから、その奇抜な風貌もよく目にしていた。とにかく太い眉にギョロ目、そして針金のように一直線に伸びているあの口髭。絵よりも先に顔が脳裏に焼き付いている。一見して個性が強い人なんだなあと想像する。画風もそうなんだがぶっ飛んだ人なんだろう。実情は知らないが・・・・。
 小学校の頃、姉が持っていた画集の中に一枚のダリの絵を見つけたのが最初の出会いだった。懐中時計なんだろうか、布団のようにふにゃっと折れ曲がっていいる。金属のはずなのだが柔らかい溶けた飴のように台の上から半分垂れ下がっている。なんだこりゃと思った。この絵を見たときは衝撃だった。それはピカソの絵を見た時の印象とも違うもので、非常に興味深く感じたものである。それから月日が経ちダリの画集を姉が買ってきたことを思い出す。そして画集を捲るや奇妙な絵の連続。これは現実を超えてしまっている。それまでにピカソを始めブラックだとかマティスだとかミロだとかフォービズムだとかキュービズムだとかいった抽象画は知っていたが、それらとも違う奇々怪々な絵ばかり。それは当時少年だった小生には衝撃的な物ばかりであった。でも表現方法は写実的なのである。それでいて現実を超越していた。有り得ない現実を写実的に描いている。けしてピカソのような物体をデフォルメして再構築していると言ったような絵ではない。とにかく仰天する絵ばかりだった。それ以来、ダリという人物を知りたいと思いが募ったが、運良くまもなくテレビでダリの人物像なる番組を放映していて観ることが出来た。やはり予想通り奇人だった。こんな絵は凡庸な人では描けないだろうと思っていたから、それを裏切らない人であった。とにかく面白い。「ダリの作品はダリにも判らない」と冗談のようなことを平然という。あの口髭はどうなってるのかと聞かれ「水飴で固めている」と発言するなど、言うことも普通の人ではない。しかしこれは自分自身がアートであり、それを演じているようなところがある。なのでダリの人物像の本質が見えない。しかし本当に親しい人の中では繊細な気遣いを見せる常識人だったとも言われ、実際のところはよくわからない。
 ところで今回のダリ展であるが、日本では10年ぶりに開催される本格的なダリ展だという。初期の作品からキュービズムに影響を受けていた時代から、ルイス・ブニュエルと共同で制作した映画『アンダルシアの犬』の映像展示。そして独自の道を行くシュールリアリストとしてのアート作品の数々。何か画集ではなく実際に大きな作品を生で鑑賞するとダリの絵は圧倒され、その奇抜さに飲み込まれてしまう。現実ではないことを克明に写実する。夢の中のことを現実で起こっているかのように表現する。彼には現実だの虚構など垣根はないのか。今回、油彩画、映像、宝飾品、書籍、スケッチ、水彩画等、多くの作品が網羅してあって、久しぶりにダリの真実に触れた気がする。でも彼の頭の中はさっぱり解明できない。ダリの関心事は精神分析を超えて量子力学、相対性理論まで及んだと言うから、絵の題材は世の中の見える範囲に留まってなかったのであろう。この世に見えない物が、彼には見えたのかもしれないと思えてくるのであった。

ダリのドキュメンタリー映像

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2015.02.14 (Sat)

チューリッヒ美術館展に行く

 神戸市立博物館で開催中のチューリッヒ美術館展へ行ってきた。チューリッヒ(英語圏の人はズーリックというが)と言うからにはドイツ語圏の美術館である。だがドイツではなくスイス最大の都市であることは誰もが知っている。そういえば1970年代はヨーロッパに行くと、このチューリッヒが交通の拠点になっていたものだ。長らく飛行機に乗ってないので今は知らないが・・・・。
 ところでスイスと言う国は四国より少し広いぐらいの国で大きくはないが、永世中立国でスイス語というのがなく、したがってドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の四つが公用語として使われていて、あと山岳地帯の山村で使われている言語があるなど多言語の国家である。そのなかでも過半数の人はドイツ語を話す。だからチューリッヒはドイツ語圏にある都市だということは判る。一方、西部のジュネーブはフランス語圏に属する。つまり一つの国でこれだけの言葉が公用語として使われているのも面白い。
 まあ、こんなことはどうでもいい。チューリッヒ美術館展とやらに行ってきた。副題として印象派からシュルレアリスムまでとタイトルがついている。つまり近代絵画から現代絵画の流れを展示してあるわけで、その近代絵画の変遷が分かる仕組みとなっている。
 会場に入るやいきなりセガンティーニの油彩画が登場。以前、セガンティーニ展に行ったときに記事にしたことはあるので今回は割愛する。次にホドラーである。しかし、ここらは時代的に印象派と被るが印象派には属さないだろう。次にモネである。これこそ印象派の元祖。縦2m、横6mの睡蓮の絵がお出迎え。いったいモネは睡蓮の絵をいったい何点残したのやら・・・。次にドガ。そしてロダンの彫刻。ゴッホが2点、ゴーギャン、セザンヌときて、アンリ・ルソー。ナビ派に入りボナール、ヴァロットン、そしてムンクが数点。抽象的になる前のムンクである。表現主義の絵画からキルヒナー、バルラハ、ベックマン、ココシュカ。そしてフォーヴィズムとキュヴィズム。ここらになるとかなり抽象的であり、現代絵画と言えるかもしれない。マティス、ヴラマンク、ブラック、ピカソとお馴染みの画家が数点ずつあって、シャガールが6点、さらに時代が新しくなりカンディンスキー、イッテン、ジャコメッティ、モンドリアン、レジェ、クレーときて、キリコ、エルンスト、ミロ、タンギー、マグリットとシュルレアリズムの大家がいて、サンバドール・ダリの『薔薇の頭の女』という小品が1点だけ展示されていた。でも何故かこのダリの小品が気にいってポストカードを買ってしまった。ダリの絵は小生、意外にも気に入っているものが多く、正直、あのぶっ飛んだ絵に魅せられ部屋に複製画でも貼っておきたいものだが、貼っておくほどのスペースも我が家にはないから貼ってないが、ダリの絵は何時も衝撃を受ける。小生にとって最初に観たときにハッとした絵はピカソではなくダリなんだな。
 しかし、今まで絵画の展覧会って何回行ってるやら数えきれない。もう印象派や中世の宗教画なんかの展覧会は見飽きたと言ってもいいぐらいだ(それでも開催されれば行ってしまうのだが)。ミロあたりになってくると、ただの装飾品にしか見えなくなってくる。やっぱりある程度のリアリズムは必要だなとは思った次第である。
EDIT  |  16:09  |  美術  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.11.09 (Sun)

ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展に行く



 今、京都市美術館で催されているボストン美術館 華麗なるジャポニスム展なるものに行ってきた。華麗なるジャポニスムと言うからには日本の作品が数多く展示されているjのと、日本の美術や工芸品に影響を受けた西洋美術というものも展示されているのである。そもそもボストン美術館と言うのは仏画、浮世絵、刀剣、絵巻物といった日本の美術品が大量にコレクションされていることで知られていて、今回はその里帰り展覧会のようなものであるが、19世紀に起こったジャポニスムに影響された印象派の絵も同時に展示されている。今回の目玉はクロード・モネの大作『ラ・ジャポネーズ〈着物をまとうカミーユ・モネ〉』で、今回の日本で行われる展覧会のために2013年2月より修復が行われたという。絵画の剥離部分を安定させ、古いニスやワックスを取り除き本来の姿に戻したらしい。修復にあたり赤外線反射と紫外線による絵具の分析、蛍光X線による顔料の特定、断面のサンプル採取による層構造チェック等の調査が行われ、1年かけて修復を経て色鮮やかに絵が蘇ったのである。そして、修復後初の公開で日本を巡回することとなった。今回は華麗なるジャポニスムと言うことで、日本から渡った葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿などの浮世絵、その他工芸品。また日本美術に影響を受けた西洋画家たちの作品。モネ、ドガ、ルノワール、ロートレック、カサット、ゴーギャン、ゴッホ、ムンク、ボナール、シニャック・・・・・・油彩画、エッチング、リトグラフ、木版画・・・・およそ150点ほど展示されていたが、何故にボストン美術館にこれほど多くの日本美術がコレクションされているかと言うのはボストン美術館 浮世絵北斎展に行った時のブログでも述べたと思うが、モースやフェノロサ、ビゲロー、そして岡倉天心等が関わっていることはいうまでもない。そして、ジャポニスムに影響された画家の1人がホイッスラーでもあり、今回は隣の近代美術館ではホイッスラー展が同時に開催されているというから、似たような企画はやめてほしいなあと思ったが、美術館の都合上仕方がなかったのかな。それにしても、もう日本には門外不出の大作以外の絵画はほとんど企画展で展示尽くされた感があるが、まだ日本で展示されたことのない有名な絵画はあるのかな。まあ運び出せない壁画やフレスコ画、巨大な油彩画以外はほとんど日本に来たとは思うが、それでも世界には埋もれている名作があるのだろう。もっとも良い企画の展覧会を開催しても、画家によって人気があったりなかったりで、これだけで人の入りが違うのだから、どうしようもないのである。日本ではゴッホ展を開催するとなると、何時も凄い行列が出来るが何故なんだろうか。不思議な現象である。
EDIT  |  10:54  |  美術  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.10.05 (Sun)

ホイッスラー展に行く



 京都国立近代美術館で開催中のホイッスラー展に行ってきた。ホイッスラーと言うと小生はイギリス人とばかり思っていたが実はアメリカ人だった。何故なら1834年にマサチューセッツ州ボストン郊外で生まれながらパリで美術を学び、その後はロンドンを拠点に画家として活動していたからである。そもそもホイッスラーの父が土木技師で鉄道建設の仕事で父についてロシアに移住する。この時ホイッスラーは8歳でサンクトペテルブルグに数年間住んでいた。1851年にアメリカにもどり一端は陸軍士官学校に入るが、途中でやめてワシントンで地形図の銅版画工として働き、1855年からはパリに住んでいた。ここでアトリエに通い絵の勉強すする。ここでクールベの絵に感銘を受け、ラトゥールやルグロと知り合い、その他の印象派の画家たちと交流を保ちつつ1859年にはロンドンにも居を構え、ロセッティ兄弟と友好関係を持つ。この頃からロンドンのロイヤル・アカデミーに出品したり、パリでも同様で次第とホイッスラーの絵が注目を浴びるようになる。さらに40代半ばで1年間ヴェネチアに住みイタリア美術に触れるなど絵画への探究心は留まるところを知らない。
 ホイッスラーはアメリカ人だが、画家としてのキャリアはヨーロッパで築かれ、また一方で当時の印象派の画家たちと同様に日本の美術品からの影響を受けている。当時の日本の美術、工芸品を目の当たりにしてインスピレーションを得て、色や形の調和を主眼とした独自の画風を確立し、ジャポニズムの先駆者として後に影響を与えたことは確かなようである。ホイッスラーは耽美手主義の画家ともいわれるが、その背景には現実世界と二次元平面に再現するよりも、色彩と形態の組み合わせにより調和のとれた絵を構築していったのである。絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成るもの。そして自律的なものであるとし精神的には印象派の絵画と相通じるものがる。だが、彼の絵はけして明るい色彩の絵ではなく、原色を使わない落ち着いた色彩の絵が多いので一般的に印象派とは一線を画している。
 1862年にロンドンで万国博覧会が開かれ、この時に日本の美術、工芸品が数多く展示されていて、当然のようにホイッスラーはそこで日本の美術に出会ったのであるが、殊に浮世絵に関心を持ったのである。中でもホイッスラーの代表作である『ノクターン、青と金色―オールド・バターシー・ブリッジ』の構図は完全に日本の浮世絵の影響であると指摘されている。彼は広重、北斎の描く浮世絵の風景にかなり触発されたと言えよう。このように彼の画風は同時期の印象派とは違い独自のものであるが、日本ではあまり知られていない画家である。同時期に多くの印象派の画家が日本に紹介され、多くの絵が知れ渡ることになるが、それと比較するとホイッスラーは知名度では劣る。それは彼がパリよりもどちらかというとロンドンを拠点にしていたというのもあるが、同じ日本の浮世絵に影響を受けながら印象派のように色鮮やかでなく、どこか色彩が地味なのは彼が浮世絵の色もあるが、それ以上に浮世絵の構図や主体とするもの、それら西洋絵画にない表現力に感銘を受けたからではないだろうか。
 今回のホイッスラー展はアメリカ、イギリス、フランス等から油彩画、水彩画、エッチング等、代表作130点が展示されていて、日本では27年振りとなる。でも人気はあまりなく、それこど集客力の多いゴッホやルノアール、モネ等の印象派展やミレーの展覧会に比べれば人もまばらであった。でも人は少ない方がゆっくり鑑賞できてよかったかな。
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2014.05.17 (Sat)

ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎に行く




 現在、神戸市立博物館で開催されているボストン美術館 浮世絵名品展 北斎に行ってきた。何だか長いタイトルだが、つまりボストン美術館が所蔵している葛飾北斎の浮世絵作品の展覧会と言うことである。
 ボストン美術館というのは1870年設立と言うからヨーロッパの美術館に比べると歴史は新しいが、所蔵品は50万点を数える世界でも有数の民間美術館である。古代から現代まで世界中の美術工芸品を展示しているが、日本の美術を多く所蔵していることでも知られ、仏画、絵巻物、浮世絵、刀剣、美術館の敷地内には日本庭園まである。それで今回はボストン美術館が所蔵する葛飾北斎の里帰り展覧会である。
 ところで何故にボストン美術館が日本美術を大量に所蔵しているかということなのだが、まず、ボストンは鎖国を解放した日本と貿易を真っ先に貿易港として関係を深めたことに端を発している。そして、その中で3人のアメリカ人の名前が浮かびあがってくる。エドワード・モース、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲローである。
 モースはマサチューセッツ州の動物学者である。1877年に初来日し大森貝塚を発見し、3度かの来日を繰り返し、この間に東京帝国大学の教員となり日本の陶磁器や民俗資料の収集に励む。1892年、モースは帰国し日本陶磁器5000点をボストン美術館に譲渡。さらに日本を絶賛しフェノロサやビゲローが来日するきっかけを与える。、
 フェノロサは1878年来日。フェノロサは日本美術のコレクターとなり、東京帝国大学で政治学、哲学、経済学を教える。フェノロサの講義を受けた者には岡倉天心や坪内逍遥がいる。フェノロサは来日前に美術学校で絵を学んだこともあり日本美術には大きな関心を示し、教え子の岡倉天心と近畿の古寺の美術品を訪ねて調査をしたり東京美術学校を設立に尽力したりする。また狩野派の絵画に心酔するあまり狩野永悳に師事し、狩野永探理信という画名を頂いているほどだ。そして廃仏毀釈の時代の中で多くの捨てられた日本の美術品を集め、やがてそれらの多くの作品がボストンに渡ることとなる。
 ビゲローはモース3度目の来日の際、一緒に来日する。当初は短期の観光のつもりだった。しかし、日本の文化と伝統に触れ、心底から日本が好きになる。一時帰国以降は7年間日本に滞在し、三井寺に入門、月心という法名を得て、日本の画家や美術研究者に援助をするなど日本の美術界の発展に貢献する。さらに奈良時代から江戸時代までにおける美術工芸品を大量にコレクションする。彼の集めた作品は肉筆絵画4000点、、浮世絵版画34000点と絵画だけでもこれだけあり、これ等もボストンへ渡ってしまう。
 これで何故にボストン美術館がこれだけ日本の美術品を大量に所蔵しているかか判るだろうと思われる。明治維新後、西洋列強に追いつこうという思想が蔓延するあまり、日本古来の伝統は重んじられなくなり、西洋崇拝が進み、さらに神道復活で廃仏毀釈が進み多くの仏教寺院が壊され、仏像や壁画、多くの物を失ったのである。おそらく当時の浮世絵なんて言うのはゴミ扱いされていたかも知れず、上記のアメリカ人が日本の美術を称賛しなけらば今、絶賛されている北斎の作品の多くの作品も失われていたかもしれない。はたして明治維新と言うのは大きな改革ではあったのか。こう言った面から見ると100%良かったとは言い切れない出来事ではあったかもしれない。

 さて北斎の展覧会であるが、浮世絵版画と言うのは一つの作品でも何枚刷られたのか分からない。だから富嶽三十六景といっても全世界でどれだけあるのだろうか・・・・・。今回、富嶽三十六景だけで21点展示されていた。有名な『神奈川沖浪裏』赤富士と言われる『凱風快晴』に2点は今までに何回観たやら。葛飾北斎が為一と名乗っていた頃で既に北斎は70歳という円熟の域に達していた時に『富嶽三十六景』を描く。3万点はあるという北斎の作品の中でも、この作品群によって価値が不動のものとなるが、現在でも海外でその評価が高く上記のようにアメリカに持ち去られたのであるが、フランスにも渡り印象派の画家に大きな影響を与えたことは周知の事実である。
 今回は北斎の名を浸透させた『富嶽三十六景』以外の作品が多く、展示され春朗と名乗っていた若い時の作品から、最晩年の作品まで140点以上が展示されていて、大勢の人がつめかけていた。しかし思うに、当時の日本人にはこういった作品が注目されることもなく、何故に西洋人によって評価されたのだろうか。伊藤若冲にもいえるが、日本人が忘れ去ったような絵師や画家が西洋人によって評価され、日本で突然のように名が高まるということが時々あるが、北斎なんかはその最初の人かもしれない。おそらく明治維新以降は暫くの間、北斎の名も消えかかっていたのだろうと察しられる。

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