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2012.01.29 (Sun)

シュレルズを聴く

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 その昔、シュレルズという黒人の女性コーラス・グループがいた。いたと書いたが今も歌っているかもしれないが詳細は知らない。1960年代前半に最も活躍したグループだから現在だとかなりのお歳である。でも小生はこのシュレルズが歌ってヒットした曲をリアルタイムで聴いていたというのでもない。それなら何故、シュレルズを今回とりあげたかというと、ビートルズが彼女等の曲をカバーしていたからである。

 1966年だったろうか。ビートルズの来日を記念して発売されたアルバムがあって、そのアルバムを高校生の姉が借りてきた。今は手元にないから忘れたが『ステレオ! これがビートルズVol.1』というタイトルのアルバムだったと思う。それは日本で発売されなかったビートルズのデビュー・アルバムの日本版のようなもので、収録曲の中に『Boys』『Baby It’s You』が入っていた。それでこの2曲のオリジナルが共にシュレルズであったということを知るのである。なので当然、小生はシュレルズの曲がヒットを連発していた当時は知るはずもない。しかし、初期のビートルズは他人の曲を頻繁にカバーしていたので、そのオリジナルが矢鱈気になるというのでもあった。そういう理由で小生はシュレルズを後に聴くようになったのである。

 シュレルズというのは1958年にアメリカのニュージャージーで結成された黒人の4人で組織されたコーラス・グループである。メンバーはシャーリー・オーエンス、ビバリー・リー、ドリス・ケナー、エディ・ミッキ・ハリス。彼女達は高校の同級生で、当初はアマチュアとして活動していたが、あるきっかけからレコード・デビューすることとなる。こうしてポケロスという名で活動していたアマチュアのグループがザ・シュレルズと名を変えてプロ・デビューするのだった。デビューから2年間はこれといったヒットに恵まれなかったが、1960年にキャロル・キング、ジェリー・ゴフィンのコンビによる曲『Will You Love Me Tomorrow』が全米1位に輝くのであった。この曲はシュレルズ最大のヒット曲で彼女達の代表曲となり、その後にベン・E・キングやデイブ・メイスン等がカバーしているし、作曲者のキャロル・キングも自身のアルバム『つづれおり』の中に入れている。そして、この曲のシングル盤B面に収められていたのが『Boys』だったのである。

 それから2年後、シュレルズは『Baby It’s You』をヒットさせるのであるが、この曲をビートルズはデビュー・アルバムである『プリーズ・プリーズ・ミー』に前述の『Boys』と共に収録しているのであった。こうして小生はビートルズを通してこれらの曲を知ることとなったのであるが、シュレルズがその後にヒット曲を出したということはほとんどなかったように思う。つまりシュレルズの全盛期は明らかに1960年代前半であったといえよう。でもヒット曲の数こそ少ないとはいえ、その後、多くのミュージシャンが彼女達の曲をカバーしていることからして、与えた影響は多大なものであるといえよう。シュレルズは元々ゴスペルやリズム&ブルースといったところをルーツに持つだけあって、色々な要素を含んだ音楽性に後発のミュージシャンが彼女達の織りなすサウンドに聴き耳を立てたことだろう。それだけにシュレルズは長い商業委音楽の歴史において、特筆すべきグループであることは当然である。残念ながら、その後はヒット曲とも縁がなくなり、70年代以降となるとその名前さえも忘れられてしまったかのような感じがするものの1996年シュレルズは見事にロックの殿堂入りを果たしている。


 『Will You Love Me Tomorrow』を歌うシュレルズ(1964年)


 『Baby It's You』を歌うシュレルズ(動画なし)


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2012.01.28 (Sat)

今週も無事終わりました

 この一週間は強烈に寒かった。雪が降ったものの降り積もったというほどでもないが、風が強くて厳しい冷え込みに見舞われた。朝の気温は連日氷点下。帰宅時はいくらか気温は上がるが、湖東の空気は冷たくて歩いていると頬に刺さる風は突き刺すように痛い。冷たい風に顔面をさらされ続けると鼻水が出てくるのでマスクをしているのである。もっとも最近は冬になると着用することにしている。インフルエンザが流行っているようだし、電車の中でもせきやくしゃみをしている人も多い。たとえ風邪をひいていなくともバスや電車の中ではマスクをするようにしている。所謂、自己防衛である。もともと風邪をひきやすい体質なので、仕方なしにマスクをつけているのだが、最近は私と同様の人が多いように思う。風邪やインフルエンザは人から伝染する可能性が高いので必然的にそうなってしまう。電車の中でゴホンゴホンとやっている人を見かけると出来る限り近付かないようにしているのだが、またそのような人は無神経というかマスクもしていない。その飛沫から病原菌は移る場合が多いのだが本人は平然としている。なのでこちらがいくら気をつけていても周囲の人が気配りをしてくれないと、どこから風邪やインフルエンザをもらってしまうかもしれない。それで最善の策としてマスクをしているし、手も洗う、うがいの励行。これらも心掛けている。しかし、いくら気をつけていようが伝染する時は伝染する。毎日、電車やバスに乗るし、色んな不特定多数の人がいるし、おそらく風邪の病原菌、インフルエンザのウイルスから身を守るのは難しい。でもマスクをyらないよりはやった方がいいだろう。

 ところで今日は朝からクビが痛くてどうしようもない。どうやら寝違えたようだ。左にクビが回らない。あまり寝違えることはないが、何ヶ月に一度ほど寝違いが起こる。なぜ起こるのかさっぱりわからない。この寝違いが起こると少々、憂鬱になる。この記事を書いていてもクビが回らないので意外にもキーが打ちにくい。肩コリはあまりならないからいいが、それ以上に寝違いは厄介だ。このところの寒さのせいで身体が硬直しているのだろうか。とにかく困った困った・・・・・。借金はないがクビが回らない。
EDIT  |  17:01  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.01.22 (Sun)

愛想なしで・・・

 木曜日の午後から雨が降り出したら、金曜日も土曜日も雨。そして今日の朝まで続いていた。今日の午前中も雨こそは降らなかったが、重苦しい暑い雲が空を覆っていて今にも泣き出しそうな空模様。この厭な天気で部屋の中は乾かない洗濯物がぎっしり。それで今日の午後になってようやく用事を済まそうと思い出かけて行き、先ほど帰宅したばかりである。なので今日もブログらしい記事が書けずじまい。

 また来週から一週間、遠距離通勤と残業で帰宅は遅くなるだろうし、また第一級の寒波も到来して雪に悩まされるかもしれないと思ったら憂鬱になってくるが耐えるしかないだろう。・・・ということで今週の日曜日は愛想なしで申し訳ございません。

 
EDIT  |  17:57  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.01.19 (Thu)

冷たい雨

 このところ忙しくて疲れているが、今日は珍しく定時で帰れた。ただし帰宅時はシトシトと冷たい雨が降り続いていた。この真冬の中、それも降りしきる雨の中3㌔もの距離をと黙々と歩き続けと身体はすっかり冷え切ってしまった。なにも早く帰れる日に雨が降らなくてもいいのにとブツブツといいながら歩いていたが、本格的な雨は12月の8日以来だとか・・・・・・いや、これは大阪での話。湖国では雪が毎度のように降っている。雪でなくとも雨のような水分を充分含んだ大粒の雪も降る。なので久しぶりの雨という気がしない。それでもこのところ空気がカラカラに乾燥している。湿度計は30%を切っているのではないだろうか。

 今日の雨は乾燥した空気に潤いを与えてくれるから有り難い雨なのかも知らない。とにかく小生なんかは手もカサカサ、足もカサカサ。踵は罅割れして痛いし、手も荒れている。指なんかは乾燥しきっているからお札をめくれない。コンビニで買い物をして、財布から1000円札を取ろうとしたが、指の腹が乾燥して湿り気がないからお札がめくれない。ああ、情けない。歳をとるとだんだんと脂分が抜けて乾燥肌になるが顔も乾いている感じだし、また皺が増えたかな? 本当に歳はとりたくないな。

 またこれほど乾燥すると静電気が身体に溜まって時々、金属片にお触るのが怖くなる。ドアのノブを触る時も要注意である。指の先から青白い火花が出てバチッと音が聞こえるほどの静電気を発する時がある。だからといって夏がいいかといえば、小生は夏が冬よりも嫌いだから、夏を待ち望むということはないが、これだけ乾燥すると辛いものがある。せめて夏の空気が乾いていると夏もそれほど嫌いにはならないと思うが、夏になると冬とは一変して湿度計が80%を超えたりするから耐えられない。一度、逆になってくれないものだろうか・・・・。まあ、無理だろうが、最近は春、秋が短くて夏と冬しかないからな。さて、愚痴を言ってもしょうがない。せっかく早く帰宅したのだから旨いものを食って部屋を暖めてさっさと寝るとしよう。
EDIT  |  20:51  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.01.14 (Sat)

今週も寒かった

 無事に今週も終わったが寒い日が多かった。というよりもほぼ毎日が寒かった。例によって湖国は連日の雪化粧であり朝の寒さは半端ではない。3日前の帰宅時には雨交じりの雪が降る中を延々と歩いていると身体の芯まで冷え切った。3kmの道のりを歩くのは大変だが、バスを待っていてもなかなかやってこないのでしびれを切らして歩き始めたのだが、雨とも霙とも判別できないような状況で傘をさして歩くのも辛いものがある。とにかく冷えて冷えて、傘を持つ手がかじかんでくる。よく見ると霙ではなく雪のようだ。街灯が少なく真っ暗なので、よく判らない。こうして、どうにかこうにか駅まで30分かけた歩いてきたが、肩やらズボンの裾はベトベト。冷え込んでしまって身体が膠着してしまった。早く電車が来ないかなと思っても、時間が来ないとやってこない。10分ほど待って電車がやってきたので乗り込むが、車内の暖かさにホッとする。

 それが電車に乗って京都駅まで来ると雪など降った形跡もない。あーあ、毎度のことながらいい加減に嫌になる。傘なんか持っている人が見当たらない。傘を持ってる人は近江の国から電車に乗ってきた人ばかり。さらに電車の乗って我が自宅のある最寄り駅まで来ると空には雲もなく星が輝いていた。

 それにしても年が明けたが相変わらず忙しい。ほぼ毎日、残業がある。おかげでこのブログも更新頻度が低くなるばかり。景気は悪いが仕事は多い。そして毎日が寒い。本当に最近は良いことが何もないが、暫くは耐え忍ぶしかないか・・・。
EDIT  |  16:23  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.01.08 (Sun)

黒糖焼酎『皆既日食』を飲む

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 酒の記事を書くのは久しぶりかな。正月、いざ焼酎を飲もうと思い買いに出ようとしたが、よく考えれば戸棚に貰いものの焼酎があったことを思い出した。そして、飲んだのが奄美の黒糖焼酎『皆既日食』。最も黒糖焼酎というのは奄美大島の特産品なのであるが、確か余所ではない筈である。焼酎と言うと日本の主に西南地方で作られているが主に九州が多いだろう。麦焼酎、そば焼酎、芋焼酎、色々とあるが黒糖焼酎と言うのは奄美諸島に限って焼酎製造を認めてきたので奄美の特産品と言うことになる。その訳はというと昭和28年、奄美諸島が日本に返還されるのに伴い日本の税法を適用するにあたり、黒糖酒は酒税法上焼酎として扱われず税率が高いことから、焼酎扱いを望む島民の要望もあり、取扱いに関して議論がなされたのである。そこで当時の大蔵省は振興策の一環として、米麹使用を条件に熊本国税局大島税務署の管轄地域に限って黒糖原料の焼酎製造を特認したということである。そして、現在まで黒糖焼酎と言うと奄美諸島の特産品となっている。なので泡盛は沖縄で作られていても今は奄美では作られていない。

 ところでこの『皆既日食』という焼酎は、鹿児島県大島郡龍郷町大勝(奄美大島)にある町田酒造が2009年7月22日に見られた日本国内では46年ぶりと言われた皆既日食を記念して製造発売された黒糖焼酎である。このときの皆既日食は主にこの鹿児島の南西諸島では観察することが出来たと言われ、そういったことがあって奄美各地の酒造会社は記念の黒糖焼酎を製造し、『皆既日食』はその一つと言えよう。

 一般的に黒糖焼酎は比較的柔らかく、癖が少ないといわれ、素朴にして味わいまろやかな口当たりが特徴であるが、実際飲んでみると焼酎には変わりはない。ただ麦焼酎や芋焼酎と比較するとやや甘みがあるかなといった気はするが、さほどの差があるものではない。
でも何故、この焼酎が家にあるかというと親類から送られていたから手元にあるのだが・・・・。小生、そんなに酒に凝ることもないし、銘柄なんてなんでもいいのだが、母親の里が奄美大島であるから、昔一度、この龍郷町大勝と言うところに行ったことがあるので懐かしく感じたのである。それで昼間から手羽先を肴に飲んでいるのである・・・・・ウッシッシー。
EDIT  |  16:56  |  酒類  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.01.07 (Sat)

もう年が明けて7日・・・

 年が改まって早くも7日。もう出勤して2、3日たつが、正月で家に居る時の時間の経過は驚くほど早いのに、何故に仕事となるとあんなに時間の経過が遅いのはどういうことなのだ。おそらく仕事がつまらないからだろう。こんなことを言ってはいけないのだが、楽しくない面白くない辛い時間といえるかもしれない。なにしろ拘束時間というのはあれをやるな、これをやるなの連続で、好き勝手なことはできないからでろう。つまり職場に全てを捧げている身であろうから楽しくないのだろう。それで仕事が終わり解放されると肩の荷がおりるというか自由になる。すると時間の経過が突然のように早くなる。困ったものだ。本当は仕事が楽しくならないといけないのだが・・・・。

 それにしても今週は寒い。湖国は今年、初出勤の日から雪化粧で焦ったがとにかく寒い。国境の長いトンネルを抜ければそこは雪国だったというのは川端康成の『雪国』だが、山城の国から近江の国へ抜ける逢坂山トンネルを抜けると新年早々、銀世界というのには参った。またこんなところで毎日、働かなくてはいけないのかと思うと、ちょっと憂鬱になるな。まだ今週は電車が空いているからいいけども、来週からは高校生が新学期に入るので大勢、電車に乗ってくる。とにかく電車の中は社会人よりも高校生、大学生の方が多いというから面白いところだ。

 さて、明日明後日連休だ。9日は何の祝日か、すぐに出てこないというのは困ったな。ああ、成人の日か。取り敢えずリフレッシュして来週から気合いを入れなおして頑張るか・・・・。それでは、また。

 
EDIT  |  19:54  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2012.01.03 (Tue)

ソニー・クラークのアルバム『クール・ストラッティン』を聴く

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 ソニー・クラークの代表的アルバム『クール・ストラッティン』を初めて聴いたのは学生の頃だったろうか。当時から私の周囲にジャズを聴く人は少なかったが、1人だけジャズをよく聴いている友人がいた。今でこそ消息不明で会うこともないが、彼は当時、ジャズのアルバムを大量(中古が多かった)に持っていた。そんな大量のジャズのアルバムの中で最も印象的だったのが、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』だった。印象的というのは音楽ではなく、ジャケット・アルバムである。おそらくニューヨークの街だろう。如何にも1950年代を現すかのようなスカート丈の女性がハイヒールを履いて歩いているだけの写真のジャケットなのだが、膝が隠れたタイトスカートから見える足元が魅力的でソニー・クラークの名前と共にこのアルバム・ジャケットが必ず瞼の奥について離れない。それで演奏はというと、これまたモダン・ジャズの真髄である要素が鏤められていて見事だった。でも彼がいうには日本では評価されるが本国アメリカではソニー・クラークはあまり高く評価されないピアニストだといって、彼はアルバムを聴かせてくれたのはいいが「つまらんだろう」と吐き捨てるように言った。しかし、私のこのアルバムの印象はジャケットの写真と同様に見事な演奏だと思った。何故アメリカよりも日本で人気のあるピアニストなのかよく判らないが、彼の弾くピアノは地味ながらもどこか日本人が好む哀愁のある色調に包まれているからだろうか。これといって目立っているピアニストではないが、侮れない要素がそこかしこに含まれている。

 冒頭の曲『Cool Struttin』から魅力が満開で、ジャッキー・マクリーンのアルト・サックス、アート・ファーマーのトランペット、この金管2人の掛け合いが見事であり、、そこへポール・チェンバースのベースとフィリー・ジョー・ジョーンズのドラムスが時には正確に、時には小刻みにリズムを刻んでいて、ソニー・クラークのピアノが実にふくよかで魅力満載の演奏である。2曲目の『Bule Minor』アルト・サックス、トランペットが互いに交錯するように醸し出す音色が絶妙で、ここではソニー・クラークが脇役に徹してはいるが時折、彼の判りやすいソロが顔を出し、温もりのあるタッチでこの曲を引き締めている。

 アルバムの最初の2曲を聴いただけで人気のあるアルバムであることは判るが、残りの4曲『Sippin’ At Belles』『Deep Night』『Royal Flush』『Loves』も、それぞれに味わいがあっていい。アルバム全体を通してハード・バップの色が濃くモダン・ジャズ全盛期の黄金時代が偲ばれる1枚である。

 ところでソニー・クラークであるが、彼は1931年にペンシルベニア生まれている。4歳でピアノを習い始め、ピート・ジョンソンのピアノ演奏が好きで6歳のときにラジオの番組でブギ・ウギを披露したという。14歳の頃にはデューク・エリントン、カウント・ベイシーの演奏を聴いてジャズの世界に興味を持ち、高校時代にはヴィブラフォン、ベースも演奏した。彼は母子家庭だったため20歳で母が他界したので、既にピアニストだった兄と共にロサンゼルスの叔母のもとに身を寄せることとなる。ちょうどこのころ、彼は運がよくジャズ・シーンが西海岸に移りつつある時代でウエスト・コースト・ジャズが活況であった。この時代にソニー・クラークはワーデル・グレイ(テナー・サックス)、アート・ペッパー(アルト・サックス)、シェリー・マン(ドラムス)、バーニー・ケッセル(ギター)といったミュージシャンと共演したことが肥しとなる。

 1953年にベースのオスカー・ペティフォードのトリオに参加。翌年サンフランシスコに移りジャズUSAの一員としてヨーロッパへ演奏旅行に行く。56年ロスに戻り、ハワード・ラムゼー(ベース)のバンドでピアノを弾くが、白人中心のウエスト・コースト・ジャズに合わずソニー・クラークは抜けて1957年ニューヨークに移る。そして、この時代にサム・ジョーンズ(ベース)、アート・テイラー(ドラムス)とトリオを組む。そして1958年、当アルバムである『クール・ストラッティン』を録音。ブルーノート・レーベルの代表的名盤の多くの録音に参加。まさに1950年代後半にソニー・クラークは輝いていた。しかし、1962年、脚気、心臓病をといった病気を患い一度退院するが、麻薬のやり過ぎで心臓発作を起こし1963年早々に死去。まだ31歳の若さだった。まだこれからという年齢で逝ってしまったからアメリカでの評価は高くなかったが、日本では人気があったから何れアメリカでも長生きさえすれば、後に評価されたかもしれないゆえに誠に残念なピアニストである。

『クール・ストラッティン』の演奏(音声のみ)

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2012.01.02 (Mon)

ヴェルディの歌劇『イル・トロヴァトーレ』を観る

 歌劇『イル・トロヴァトーレ』DVD
 ピエロ・カップチョリ、ライナ・カバイヴァンスカ、フィオレンツァ・コソット、プラシド・ドミンゴ
 指揮 ヘルベルト・フォン・カラヤン
 ウィーン国立歌劇場合唱団&管弦楽団(1978年収録) 
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 年が改まって2日目になる。日頃、時間に追われていて暇がなく、早くゆったりとした時間が欲しいと思っていてやっと正月になった。待ち焦がれた正月だけに何もしなくてもいいが、いざ正月になったらなったで夜更かしをしてしまう、せっかく時間が余計にあるのに、ただ寝て過ごしてしまうと勿体ない。テレビはくだらないから観ないが、読書をしようにも老眼が進んでしまい眼が疲れやすいから長時間は読めない。でも、どうせならこの悠久の時間を無駄に過ごしたくないと思い立ち買ってはいたが日頃、忙しくてゆっくりと観ることのできない歌劇のDVDでも観ることにした。それで今回、観たのがヴェルディの歌劇『イル・トロヴァトーレ』である。

 一般的にイタリアのオペラと言うと恋愛劇が主である。ストーリーも単純なものが多くけして話が込み入ってない。しかし、この『イル・トロヴァトーレ』は数多くのイタリア・オペラの中でも話が込み入っていて私としては気に入っている。ベースは三角関係になるのだが、そこへ復讐劇が加わるという代物である。舞台は15世紀初頭ののスペイン・アルゴン地方。彼の地の貴族ルーナ伯爵の家臣フェルナンドが先代の伯爵の惨い所業を語る。彼には2人の息子がいたが、その赤子の弟の方は身体が弱く、それはジプシーに呪いをかけられたからだと思い込んでいた。こうして伯爵はジプシーの老女を捕えて火あぶりの刑にした。すると老女の娘は恨んで赤子を誘拐。間もなく火刑場の燃えさしの中から子供の骨が見つかったのである。

 宮殿では女官のレオノーラが吟遊詩人(トロヴァトーレ)に恋をしたと侍女に語っていた。一方ルーナ伯爵もレオノーラに恋焦がれていてレオノーラに接近していった。その時、吟遊詩人の歌声が聞こえレオノーラが慌てて姿を見るために庭に出たきた。こうして吟遊詩人とルーナ伯爵が鉢合わせし吟遊死詩人の名がマンリーコだということを知り、ついでにレオノーラはマンリーコを愛していることを知る。憤慨したルーナ伯爵は剣を抜きマンリーコも剣を抜く。いわばこの歌劇も恋仇同士が1人の女性を奪い合う三角関係の恋愛劇なのだが、そこへ復讐に燃えるジプシー女が絡んでくるから話はややこしい。ジプシー女アズチェーナは母が火刑にされたことを恨み伯爵の赤子を奪い火に投げ込んだつもりが、実は自分の息子を投げ込んでしまったと激白する・・・・・。

 こうして話が複雑に入り組んでいくのだが、オペラなんて言うのはそもそも話は単純でも、結局はオーケストラの演奏をバックにした出演者の歌唱力で退屈を補っているものである。とはいうものの初めてオペラを観た人はつまらないと感じるかも知れない。それにオペラというのは時代背景が古く、現代では考えられないような事象が話の中に起こりうるので理解しがたいところもある。でもヴェルディのオペラというのは比較的に良質のものが多くイタリア・オペラ最大の巨匠と言えるだけある。

 『イル・トロヴァトーレ』全4幕で1853年1月9日にローマで初演されている。原典はスペインの劇作家グティエレスによって書かれた舞台劇だという。本来は中世の騎士物語、男女の恋愛、ジプシー女の呪いといったテーマが幾重にも含まれている舞台劇でヴェルディがオペラ化に踏み切ったのは当然かもしれない。それで、当作品を作曲するにあたり台本家のサルヴァドーレ・カンマラーノと手紙のやり取りを何10通にもわたって行ったとされ、初演前にカンマラーノが亡くなったため急遽、レオーネ・エマヌエーレ・バルダーレが字句の調整を行い、初演予定だったナポリからローマに変更されたという経緯がある。書簡によるとヴェルディ自身は歌劇の内容そのものが「美しく、想像力を刺激し、力強い場面に満ちていると思う」とし、意外にもジプシー女を主人公とみなしているらしく、母親像を描くことが少ないヴェルディにしては珍しい作品となっている。また音楽においても色々と工夫が見られ、4人の主要登場人物がそれぞれソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトンとそれぞれに別れ、二重唱、三重唱、合唱など見せ場が多く、ことにレオノーラのアリア『恋はバラ色の翼に乗って』、アズチェーナのアリア『炎は燃えて』、ルーナ伯爵のアリア『君は微笑み』等、聴かせどころ満載のオペラなのであるが、この『イル・トロヴァトーレ』ではマンリーコのアリア『見よ、恐ろしい炎を』が最大の注目である。とにかくテノールの最高音ともいえるハイCを出さないといけないので、歌手は緊張するという。とにかく歌劇の中でも歌唱力を試される作品としては格別面白いといっていいだろう。


 第2幕『鍛冶屋の合唱(アンヴィル・コーラス)』

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2012.01.01 (Sun)

おせち料理

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 一昨日の30日に姉から宅配便が届いたので開けてみたらおせち料理が入っていた。何でかなと思ったら姉は数年前から、おせち料理を自分で作らずに料理屋から取り寄せているという。もう子供が大きくなり家を出て行ったので夫婦だけとなってしまったから量よりも質に拘ったのだろう。それで小生も家で作らずに取り寄せればいいというから、「それは贅沢だ」というと、「最近は庶民的で高価でないおせち料理もあるので取り寄せれば」と言うので「一度、料理屋のおせちを食べてみるか」ということになり、姉に任せていたら祇園の割烹料亭『岩元』から三段重ねのおせち料理が届いたという訳である。

 岩元というと祇園の花見小路を少し東に入ったところにある料亭だったと思うが、姉は何度か食べに行ったことがあるという。流石に京都どっぷり60云年。京都に住んでいても若い時は転々としていて京都から離れてしまい、ましてや京都で働いた経験のない小生とは違う。敷居の高い祇園や先斗町の店も何軒か知っているというから羨ましい限りだ。

 それで三段重ねの重箱を開けてみたら如何にも京都のおせちらしく見た目が鮮やかで食べるのがもったいなくなってきた。おしながきを読んでいると栗金団、田作り、白花豆、紅白祝袋、鶏串利休、笹麩茶巾、烏賊黄金、金柑甘露煮、手毬餅、金箔黒豆、さごしの昆布、祝い海老、梅かんざし、黄金松前、赤にし貝真砂和え、松前漬、若鶏八幡巻、たたき牛蒡、青梅甘露煮、紅鮭白醤油焼、寿高野豆腐、豚角煮、烏賊松笠白焼、梅松葉、紅鮭昆布巻、伊達巻、さつま金時、こんにゃく旨煮、魚の子旨煮、いくら醤油漬、紅白生酢、こはだ粟漬、蛸小倉煮、村雨玉子、鰹くるみ、数の子鼈甲漬、若桃甘露煮、梅麩、紅白祝結び・・・・・・・何とも贅沢なといいたいが、姉に電話するとそんな高価なおせちではないという。何! 日ごろ何を食べているのだ・・・・・。

 まあ、貧乏人の小生からしたらあまり高価なおせちを取り寄せてもらっても困るが、それよりも食べるのがもったいない、日本料理のプロが作ったおせち料理だから凝っているだろうが、正月ぐらいは少しばかり贅沢をしてもいいかなと思った次第である。
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