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2008.10.29 (Wed)

更新が進まない

 このところ全くといっていいほど更新が出来ない。書こうと思うような記事は山ほどあるのだが、残念ながらパソコンの方が調子が悪く、一向に更新が出来ないでいる。こんな調子だといよいよブログの方も閉鎖せざるを得ないかもしれない。でも出来る限り更新に向けて努力は試みるつもりではいるので、当ブログを当分の間、見捨てないで見守ってください。
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2008.10.26 (Sun)

第25回ブリダーズCクラシック

 現地時間の25日、アメリカ競馬の祭典第25回ブリダーズC(GⅠ8レースを2日で開催)が行なわれたが、その中で最大のレースであるクラシックに日本からカジノドライヴが参加したので、その結果を報告することにする。

 今年は西海岸のサンタアニタで開催のブリダーズCであるが、史上初のオールウェザー・コース(全天候型馬場)での開催となった。これまでのダートコースと違って、必ずしもアメリカ馬が優位とは言えなくなったので、カジノドライヴの参加も面白いだろうと思ったが、今年は出走馬が強力すぎた。まずアメリカの現役で最強馬といわれているカーリン(Curlin)がいるし、ヨーロッパから参加のキング・ジョージの覇者デュークオブマーマレード(Duke of Marmalade)、英愛の2つの2000ギニーを制覇したヘンリーザナヴィゲーター(Henrythenavigator)、そしてクイーン・エリザベスⅡ(アスコット、GⅠ・3歳以上、マイル)でヘンリーザナヴィゲーターを破ったレイヴンズパス(Reven's Pass)といった強豪が顔を揃えたのである。でもカジノドライヴは4番人気に支持されレースに注目したが・・・・・・・。

 12頭が出走してオールウェザー・コースに飛び出し何と日本のカジノドライヴが先頭に立ったのである。小回りのサンタアニタ競馬場で巧くインコースをついて先頭に立った。でも外から人気薄のフェアバンクスにつつかれ単騎で逃げているのではない。スタートから2Fごとのラップが23.77---23.83---24.04と6F(約1200m)通過が1分11秒64と平均ペースである。8F通過も1分35秒48とまずまず。そして4コーナーにかかるが、ここでカジノドライヴは後退をはじめた。肝心なところで後退か・・・・・・。そして直線コースに入るがカジノドライヴは完全に失速した。結局、あと1Fあたりから外をついてデットーリ騎乗のレイヴンズパスが一気に伸びて快勝。

 1着 Reven's Pass 1分59秒27、2着 Henrythenavigator 1馬身3/4、3着 Tiago 3/4、4着 Curlin クビ、5着 Go Between 1馬身3/4.。

 デュークオブマーマレードは9着。カジノドライヴは最下位の12着に沈んだ・・・・残念。でも勝った馬にしろ2着馬にしろマイルに実績のある馬同士で決まったということは、如何にアメリカの馬場は平坦でスピードのある馬が有利に働いているかという証明でもある。

 なおレイヴンズパスは通算12戦6勝2着4回3着1回という成績。イギリスの調教馬で父はElusive Qualityt(Mr.Prospector系)、母Ascutney(父Lord at War)という血統。母の父にあたるロードアットウォーは、父の父が何と20世紀最強のマイラーと呼び声の高いブリガディアジェラードというのも興味深い。種牡馬として失敗に終わったBrigadier Gerard(18戦17勝2着1回)の血が生きていたというのはやや大袈裟ではあるが、レイヴンズパスはマイラーの血脈が何代にも重なっていることは確かなようだ。

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2008.10.25 (Sat)

京阪中之島線

 この前の日曜日(10月19日)に京阪電鉄中之島線が開通した。そこで鉄道マニアでもある小生はさっそく開通した天満橋~中之島間を乗ってきた。それで京阪電鉄というのは、関西以外の人には判りにくいと思うので、簡単な説明をしておくとする。

 関西には近鉄、阪急、阪神、南海、京阪という大手私鉄があるが、京阪というのは名前のとおり大阪と京都間を走っている私鉄である。でも大阪と京都間というと阪急も同様に路線がある。でも淀川水系の右岸を走っている阪急に対して、京阪は淀川水系の左岸を走っているので競合することは無い。それに落ち着いた色合いと上品な雰囲気な阪急に対して、派手な色合いと庶民の町・北河内を貫く京阪とでは会社に対するイメージも違っている。でも目新しいことを何かとやってしまうのが京阪で、時々、この電車に乗ると面白い発見があるのでユニークな鉄道会社という印象を小生は持っている。

 たとえば昭和29年に本放送が始まって間もないテレビを設置した電車を走らせたり、昭和39年に日本で初の駅冷房(地下の淀屋橋駅)に踏み切ったり、5ドア車両を走らせて見たり、とにかくアイデアに富んでいる。こんな調子で京阪が色んなことを試みるので、他の関西の私鉄も負けじとアイデアを働かせ、お互い切磋琢磨して発展し、それで今日の関西の私鉄を築き上げてきたのである。

 一般的に京阪というのは大阪の淀屋橋から京都の出町柳の間を走っている路線であるが、この前に開通した路線というのは、大阪の天満橋から数えて、なにわ橋、大江橋、渡辺橋、中之島という4駅間、たった2.9kmである。だから小生にとっては今後とも乗ることも無いだろうし、開通したところで何の恩恵も受けないが、京阪沿線の人にとっては中之島西部地区への乗り入れは歓迎すべきことかもしれない。でも何故、この路線を京阪が開通させたかという本当の意味は、おそらく将来的に、西九条までの延伸と、その後のUSJのある桜島、さらには舞洲、夢洲への延伸を視野に入れているということだろう。来年には阪神と近鉄が総合乗り入れして奈良~神戸間の直通電車が走ることになりそうなので、京阪も何れ大阪西部への路線延長を考えているものと思われるからである。しかし、どちらにしても、その頃には小生は、この世にはいないとは思うが・・・・・。

 さてさて、京阪電車というと特急がマンダリン・オレンジとカーマイン・レッドのツートンカラーで、一般車両がライトグリーンとダークグリーンのツートンカラーであったが、今回の新線開通にあわして、徐々に新しいカラーに塗り替えていくという。だから今回の中之島線開通で京阪のカラーも変っていきそうである。

 中之島駅は玉江橋付近にある。この写真は堂島川に架かる玉江橋と、福島、堂島付近を望んだ風景である。
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 中之島駅にはリーガ・ロイヤル・ホテルと大阪国際会議場が隣接している。
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 中之島駅への入り口。木材を多めに使用していてなかなかシックである。
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 地下駅への階段。
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 京阪の6000番型車両。ライトグリーンとダークグリーンのツートンカラーというと京阪のトレードマークだが、何れ塗り替えられる運命にあるようだ。
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 新型の3000番型車両。エレガントブルー、スマートシルバー、アーバンホワイトに塗られているが、徐々にこの配色が一般化するのだろう。
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 京阪の5000番型車両。この車両は日本最初に登場した5ドア車両である。
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 通勤時のラッシュ用ドアである。昼間は扉が開かずシートが倒されている。
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 5000番型車両の内部。平常時は3ドアである。それでは、この電車に乗って出発~
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 疾走する京阪電車。見納めのツートンカラーで走っています。

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2008.10.21 (Tue)

桂川駅

 先週の土曜日にJR東海道線(京都線)の西大路~向日町間に桂川駅が開業した。所在地は京都市南区久世で、西大路駅からだと2.8km、向日町駅からだと1.1kmのところに設置された。しかし、何故、こんな何も無い場所に新駅が設けられたかというのは、この駅の西側600mのところに阪急・洛西口駅があり、また当駅の西南には、かつてキリンビールの京都工場があった。それでキリンビール工場は数年前に立ち退いて、現在は広大な空き地になっているが、何れ複合商業施設と高層マンションが建つことになっていて、乗客の需要が見込めるということで建設されることになったようだ。

 最近は私鉄もJRも駅数を増やし、より乗客を増やそうという考えかもしれないが、私なんか一言言わせて貰うとするならば、駅を増やすのは良いけども、通勤時間がより長くなるのは御免被る。それに停車駅が増えただけ電車がより混むので願い下げである。だから停車駅を増やすのは、何も良いことばかりではなく、この駅を利用する乗客以外にとってはいい迷惑でもある。でも日本の人口が今後、あまり増えないということは、こうでもしないと将来、乗客増が見込めないということなのであろう。とはいうもののこの駅の西側にある阪急・洛西駅も何年か前に設けられた駅で、この付近の住民は大いに喜んだことだろう。

 ところで昔、このあたりは久世郡といわれ京都市ではなかった。久世郡は京都市の南部に隣接する一帯の地域で、宇治町、小倉村、大久保村、淀村、寺田村、富野荘村、その他からなり、昭和の時代になって、人口増から宇治町は宇治市、その後に小倉村や大久保村は宇治市に編入、寺田村や富野荘村は城陽市、淀村は京都市伏見区とかに編入され、現在において久世という地名が見られるのは、この付近だけとなってしまった。かつて『竹田の子守唄』に唄われた久世というのは、この周辺のことをいうのだろう。とにかく今でも京都の田舎といった雰囲気のある地域であるが、駅の新設により何れこの周辺も都市化が進んでしまうのだろう。新駅が出来ると駅前に商業施設が建ち、急速に街は発展する。それが時代の流れというものである。

 真新しい桂川駅の駅舎。
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 ホームが一つの島型の橋上駅で、普通電車しか停まらない。
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 ちょうど西明石行き207系の普通電車が到着したところである。
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EDIT  |  21:06  |  鉄道  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.10.19 (Sun)

ブログ更新が・・・・・

 先日、ブログの更新を行なおうと思い、キーボードで記事を打ち込んでいたら、突然のようにカナ文字に変換できないようになり、アルファベットの羅列が画面に並んでしまうという事態に陥り、やむを得ずブログ更新を中断することになりました。それで今現在は、どうにかこのように書き込んでいますが、やはり突然のようにおかしくなります。そろそろパソコンも寿命か・・・・・・・というほど年数は経っていないのですが、とにかく使用頻度といい使用時間といい使い方が荒いので、他人の家のパソコンよりも傷み具合が激しいことは確かです。それにキーボードの基盤が傷んでいる可能性もあるでしょう。ということで暫くの間は、不定期更新することになると思います。また何れパソコンを買い換えようとは考えていますが、なかなか踏ん切りがつかず、それも先送りになっています。

 ・・・・・・・・以上の理由により、これからは何時、更新するか判りませんのであしからず・・・・・・。
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2008.10.14 (Tue)

ブログを突然、中断いたします

 申し訳ありませんが、パソコンが突然おかしくなりましたので、当分の間ブログを中断いたします。
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2008.10.12 (Sun)

毎日王冠、京都大賞典

 清々しい秋らしい日曜日、天皇賞やマイル・チャンピオンを目指す古馬の有力どころが一斉に出てきて、東西で重賞が行なわれた。

 まず東京の毎日王冠(GⅡ・3歳以上、芝1800m、16頭)であるが、牝馬のダービー馬ウオッカが秋初戦を迎える。人気も単勝支持率50%以上と断然の1番人気である。2番人気のスーパーホーネットは単勝でも10倍以上ついているので、ウオッカが如何に人気しているかが窺える。でも秋初戦、何があるか判らない。

 ゲートが開いた。何が行くか、オッとウオッカが行った。脚質転換か?それとも行ってしまったのか・・・・・。何と大胆な武豊・・・・・。2番手にフィールドベアー、3番手にアドマイヤフジ、4番手トーセンキャプテン、5番手にスーパーホーネット、この馬にしても何時もよりは前に位置している。その後がチョウサンでサクラメガワンダー、ドリームパスポート、カンパニー、キャプテンベガ、サンライズマックス、オースミグラスワン、リキッドノーツ、ハイアーゲーム、エリモハリアー、アグネストレジャーと縦に長い展開となっている。でもウオッカはスタートから12.7---11.5---11.6---11.9---11.6で、1000m通過が59秒3と無理をしていない。武豊は馬が行くのに任せているような、そんな気がする。

 いよいよ4コーナーであるがウオッカは順調。そして直線に入る。東京の長い直線コース、これを逃げ切れるのだろうか・・・・・。あと400m、ウオッカがまだ先頭、依然として先頭である。手綱はまだ持ったままである。あと200m、武豊が懸命に手綱を押す。2番手にはアドマイヤフジとスーパーホーッ、トだがスーパーホーネットの伸びがいい。懸命に逃げるウオッカ、スーパーホーネットが伸びてくる。粘るウオッカ、追うスーパーホーネット、スーパーホーネット伸びる。3番手以下は離れた。ウオッカが粘る。スーパーホーネットが迫る。並んだか、捉えたか・・・・・・。

 1着スーパーホーネット 1分44秒6、2着ウオッカ アタマ、3着アドマイヤフジ 2馬身、4着サクラメガワンダー 3/4、5着カンパニー アタマ。

 ウオッカには厳しいレースとなったが、それでいて上がりを33秒8でまとめている。だがスーパーホーネットは上がり33秒3で差し切った。はたしてあと200m距離が延長される秋の天皇賞はどうなるだろうか。

 一方、京都では京都大賞典(GⅡ・3歳以上、芝2400m、10頭)が行なわれた。こちらでは1番人気がアルナスライン、2番人気が天皇賞馬アドマイヤジュピタ、3番人気がポップロック、4番人気がトーホウアランの順であった。

 スタートが切られ互いに牽制しながら、マンハッタンスカイが押し出されるように先頭に立つ。2番手にポップロック、3番手にテキサスイーグル、4番手に外からマキハタサイボーグ、5番手にアイポッパー、その後にトーホウアランとアドマイヤジュピタがいて、さらにメイショウカチドキにアルナスライン、アドマイヤモナークが続く。各馬スローペースで向こう正面の中間地点。1000m通過が1分01秒8、1200m通過が1分14秒9と遅い。この絶好の馬場でこのペースは遅すぎる。淡々として3コーナーの坂を上がって下り、徐々に各馬が仕掛けのタイミングを計っている。馬群が固まってきて、いよいよ直線コースに入ろうとする。先頭はマンハッタンスカイ、その外にポップロック、内にアイポッパー、さらに外からアドマイヤモナークの脚色がいい。あと200m、先頭はマンハッタンスカイにアイポッパー、だがの間を縫うようにトーホウアランが出てくる。あと100m、外からアドマイヤモナークが来る。アイポッパーが粘る。メイショウカチドキが頑張っている。だが僅かにトーホウアランが抜け出してゴールイン。

 1着トーホウアラン 2分26秒9、2着アドマイヤモナーク 1/2、3着アイポッパー アタマ、4着メイショウカチドキ クビ、5着アルナスライン 1/2.。

 アドマイヤジュピタはさっぱりいいところがなく9着に終わってしまった。
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2008.10.11 (Sat)

平等院へ行く

 今年は秋の訪れが早いのかと思ったら、案の定、暑さがぶり返し、昨日と一昨日は夏日を記録して、また夏服の出立に戻ってしまった。そして、昨日の夜半から雨が降り出し、またいくらかは涼しくなった模様であるが、それでいても平年よりは暖かい。まだまだ上着など必要ない暖かさであるが、今日から三連休という事情もあって、京都駅は朝から人でごった返していた。これから本格的な観光シーズンに突入しようとするが、京都へ来る観光客は11月が1番多いのだそうだ。それは紅葉シーズンというのもあるが、気候的にも1番良いからなのである。とにかく京都が最も栄える季節は11月ということになる。だから最近の10月というのは、まだ暑くて本格的な観光シーズンとはいいがたいが、それでも人は多い。

 今朝、私はJR京都駅から奈良線に乗り宇治に向かった。宇治というのは京都市の南隣で、宇治川を越えると直ぐに宇治駅に到着する。宇治というと宇治茶が有名であるが、それ以外だと全国的には平等院が知れ渡っているのだろうか。でも平等院と言っても関西の人は知っているだろうが、全国的にどの程度の認知度だろうか・・・・・。だが10円玉の裏面に描かれてある建物だといえば、誰でも知っているだろう。つまり平等院とは鳳凰堂で知れ渡っている寺院だからである。

 そんな秋の始まりの日に、私は宇治の平等院へ行ってきた。たいした目的もあったというのでもないが、久しぶりに訪れてみた。JR宇治駅で降りて、そこから徒歩で10分かもかからない。以前なら宇治へ来るのも京阪か近鉄と言った私鉄を使うことの方が多かったのだが、今はJRの定期を持っている関係で、どうしてもJRに乗ってしまう。でも京都駅までは良いが、そこからだと奈良線というローカル線に乗り換えるので、電車の編成も本数も、幹線とは比較にならないほどお寒い限りである。103系なんていう昭和30年代の車両をまだ使っているし、僅か4両編成でなかなか発車しない。これなら近鉄で行ったほうが良かったかなあと後悔する。こんなところ一つとっても、やはり京阪神は私鉄王国だと痛感する。どうもJRは幹線以外だと、今でも私鉄に対して分が悪い。京都駅始発だというのに、部分的に単線区間のある奈良線だから電車がピストン運転できない。したがって駅の待避線で上り電車や快速の通過待ちをしたりで、とにかく遅い。でも何だかんだといいながらも20分かけて、ようやくJRの宇治駅に到着。

 駅前から南東の方角に向って歩く。京都市内の清水寺界隈や嵐山界隈、金閣寺界隈に比較すると人出は少ないが、それでもゾロゾロと観光客が連なって歩いている。そして、小学校の時に来て以来の鳳凰堂ご対面となった。

 平等院というのはそもそも、『源氏物語』の光源氏のモデルとなった源融が営んだ別荘である。それを1052年関白藤原頼通が寺院に改め、平等院と定めたのが始まりとされ、ご本尊の阿弥陀如来を安置する意味で、鳳凰堂の名で知られているお堂が翌年の1053年に建立されたということである。現在は浄土宗の浄土院、天台宗系の最勝院が共同で管理している。

 さて、平等院の境内に入るや、鳳凰堂が池の辺に浮かんでいるように姿を現す。
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 極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は、中堂。左右の翼廊、尾廊からなる、他に例を見ない建物である。池の側から写真を撮るが、建物全体が入らない。
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 仕方なく鳳凰堂の全体が写せるところまで後退するが、そうすると大勢の人が写真に写ってしまいどうすることも出来ない。でも確かに10円玉の裏だ・・・・・。
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 右の翼廊を大写しする。
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 鳳凰堂の名前の由来にもなっている中堂の屋根上に屹立している鳳凰。でもこの鳳凰は複製で、本物は別途に保管されている。
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 鳳凰堂をもっと横から見ると・・・・・。
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2008.10.09 (Thu)

チャーリー・パーカーを聴く・・・・・『ナウズ・ザ・タイム』

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 チャーリー・パーカーというとアルト・サックス奏者で、絶対音感の持ち主という以外に何を連想するだろうか・・・・・。1920年生まれで1955年に亡くなっているから、僅か34年の生涯ということになる。だが、その短い生涯の中で、ジャズの一時代を築いた巨人として語られることが多い。

 数あるジャズの巨人の中で、ジャズの自由度を広げたのはチャーリー・パーカーだといわれる。1940年代初頭からモダン・ジャズの原型となるビバップ・スタイルの創成にディジー・ガレスビーと共に携わり、モダン・ジャズの父と言われ、おそらくチャーリー・パーカーが示した方法論がなければ、その後のジャズの展開も限られたものとなっていたといわれるし、ジャズそのものもダンス音楽かアメリカの一時代の流行音楽、民族音楽の域を出てないとも考えられている。アルト・サックス奏者としては40年代中頃にジェイ・マクシャン楽団から育ち、ニューヨークのハーレムでビバップを創造し、モダン・アルト・サックス・スタイルの確立をし、その後のアルト・サックス奏者はほとんどがチャーリー・パーカーの影響を受けている。このように考えると、チャーリー・パーカーがジャズ界に残した業績は半端じゃない・・・・・。

 チャーリー・パーカーは1920年8月29日、カンザスシティーで生まれている。父はしがない歌手兼ダンサーだったが、或る日、突然に母子を残して家を出てしまう。母親はそんな父親のような人間にならないようにとチャーリーには良い教育を受けさせようとした。それでチャーリーは地元のリンカーン高校に通い、そこでマーチングバンドに入りバリトン・サックスを吹いていた。だがアルト・サックスと出会い、早速、仲間とダンス・バンドを結成するにいたる。

 またこのカンザスシティーという町は中西部の田舎町であるが、当時のアメリカでも有数のジャズの盛んな町で、チャーリー・パーカーは年齢を誤魔化してジャズ・クラブに潜り込み、ジャズに傾倒していったのである。彼は早熟で15歳にはプロデビューしている。その後、5年間の研鑽を積み、ニューヨークで成功するのであるが、彼の凄さは演奏テクニックも音楽理論も全て独学で磨いたという点にある。ヒット曲のコード進行を使い別のフレーズとハーモニー展開を即座に考えていくというビバップ
のアイデアも彼が体系化したもので、如何にも早熟の天才らしい呑み込みの早さである。またこれだけではなく、若き日のジャズ・トランペッターの巨人マイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用したのもチャーリー・パーカーであった。彼は先見の明というか、目利きがきくのである。しかし、残念なことに若い頃から麻薬とアルコールに耽溺し、心身の健康を煩い、何度も精神病院に入院するなど、破滅的生涯を送り衰弱による心不全で、34歳という若さで亡くなってしまった。だからチャーリー・パーカというのは実働20年で、ジャズ100年間の歴史に匹敵する業績を残したジャズ界の巨人とも言われている。

 上の写真はチャーリー・パーカーが精神的に不安定な時期にもかかわらず好演奏だとされているアルバム『ナウズ・ザ・タイム』である。録音は1952年12月30日と1953年7月30日と2回に分かれている。この時のメンバーがハンク・ジョーンズ、テディ・コティック、マックス・ローチ、アル・ヘイグ。パーシー・スミスである。

チャーリー・パーカーとディジー・ガレスビーの共演 


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2008.10.08 (Wed)

ノーベル賞受賞者が4人

 昨日、日本人の科学者3人がノーベル物理学賞受賞の栄誉に輝いたと思った今日、また新たに下村脩・ボストン大学名誉教授にノーベル化学賞が授与されることが発表された。

 これで同じ年に、4人のノーベル賞受賞者を日本人が受賞することになったが、何と言っていいのだろうか快挙というべきであろうか、とにかく素晴らしいとしかいいようがない。こんなニュースを聞くと、近年、斜陽の一途を辿っているように感じた日本人の知力、能力、技術力、まだまだ誇ってもいいと意を強くした。

 今回ノーベル物理学賞に輝いた南部陽一郎さん、益川敏英さん、小林誠さん、そしてノーベル化学賞に輝いた下村脩さん、まことにおめでとうございます。そういえば私が子供の頃、学校で成績の良い子がいると、「末は博士か大臣か」と大人たちが、よく囃し立てていたことを思い出すが、天才・秀才といわれる子供達に対しては、最高の褒め言葉だったように思う。つまり出世する、偉くなるといった職業として大臣や博士を持ち出しているのだが、現在の糞大臣達はひとつも偉いとは思わないが、博士というのは今でも私は偉い存在だと思う。何故なら、誰も判らない未知の領域に飛び込んで、新たな発見、発明に挑んでいるから、それはそれでたいへん素晴らしいことだと考えるからである。

 そのような研究というのは労力と時間を要し、またそれが必ずしも報われるとは限らない。ただ日頃の研鑽と努力の繰り返しである。まさに1%のインスピレーションに99%のパースピレーションであろう。とにかく私のような凡人から見ると、遥か雲の上の人である。あんな才能の欠片でも持ち合わせていればいいなあと思いながら、なんやら「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れ・・・・・・」「クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見」といった受賞理由の意味を聞いてもさっぱり何のことか判らない。

 これで日本人のノーベル賞受賞者が計16人になったが、アメリカの約300人、イギリスの約100人、ドイツ80人、フランスの約50人と比較するとずいぶんと少ないように思う。でもノーベル賞というのは、そもそも白人しか受賞対象に考えてなかったようなところがあって、東洋人はほとんど貰えない。日本の16人なんて数字は、アジアでは断トツに多いはずだ。確かその次がインドの4人だったように思う。思えばその昔、北里柴三郎がノーベル医学賞の候補に上がり、エントリーされたことがあるらしいが、結局、共同研究者のエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞しているのに、北里は貰えなかった。選から漏れた理由は判らないが、その後、彼は黄色人種であるかという理由だけで選ばれなかったようなことを物の本で読んだときは、怒りがこみ上げてきたものだ。つまりノーベル賞といっても、受賞者に対して人種差別を秘密裏に行なっていたのである。戦後はそのように馬鹿げた差別を撤廃したらしいが、ノーベル賞受賞はやはり欧米人に有利なように思える。何故ならほとんどの発見や発明も、論文を英語で書かないといけないし、小説家にしても書いた小説が英語やフランス語に翻訳されていて、向こうの人に読まれ、なお評価されなくてはいけないからである。そういった意味で、なにかとアジア人には逆風が吹いているノーベル賞である。それでいて一挙に4人も受賞なんて、日本人にとっては久々、溜飲の下がる出来事であったように思う。

 ところで日本人で最初にノーベル賞を貰った人は湯川秀樹である。それは1949年というから戦後間もない頃のことである。中間子理論を発表した人として我々は教わっているが、それから16年後の1965年のことだった。朝永振一郎がノーベル物理学賞を授与した。その時、私は小学生だったのでよく覚えているが、とにかく大騒ぎだった。この時はくりこみ理論の手法を発明したというのが受賞理由であったが、理系に弱い小生なんかは何のことかさっぱり判らない・・・・・・。それで、その後に私は中学校に進んだのであるが、その時の学級担任が京都の洛北高校出身で、よく湯川秀樹、朝永振一郎の話をしていたのを思い出す。それで「みんなも偉くなれ」と盛んに言っていた。こちらとしては大きなお世話であるが、その担任の教師は、洛北高校(旧制・京都府立一中)の先輩に偉大なるノーベル賞受賞者が2人いるということを自慢したかっただけなのかもしれないが・・・・・・。湯川、朝永両名は確かに京都府立第一中学校の同期だったらしい。でもデモシカ先生にそんなこと言われたくないと私は不愉快だった覚えがある・・・・・・・。

 それからまもなく、今度はノーベル文学賞を川端康成が受賞した。これで日本人のノーベル賞受賞者は3人となったが、中学生だった私は川端康成の本を当時、一冊も読んだことが無かった。すると、また例の洛北高校出身の教師が、今度は「川端康成さんは大阪の茨木中学出身だから、みんなも頑張るように・・・・・」だとさ。

 川端康成は旧制の茨木中学校、現在の大阪府立茨木高校出身である。私は京都の洛西地域の中学校だったので、大阪の茨木高校も大阪に向う電車からよく見えていたので知ってはいたが、川端康成の出身校だとまでは知らなかった。

 でも茨木高校は、今でも秀才の集まる高校として付近では知られているが、ノーベル物理学賞を2人も出した京都の洛北高校は今でも秀才や天才が集まる高校かどうかは知らない。とにかく京都市街の北部にある高校なので、京都の大阪寄りに住む私は、その周辺に近付くことさえないのでよく知らない。何れにせよ昭和20年代、30年代は京都で1番の名門校だったとは聞いている・・・・・・。でも私は、人が何処の学校を出ようが、出まいが、学歴がどうのこうのというよりも、人物本位で判断する性質なので、そんな事どうでもいいが・・・・・・・・・。それに出身校で、その人の人間性から能力まで全てを判断してしまう愚かな考えの人がこの世には多すぎると思うから、私は人の学歴を敢えて聞かないことにしているのだが・・・・・・・・・。人は人物を見ないで、その人の肩書きや略歴だけを見て、その人の先入観を働かせすぎているとしか思えないが・・・・・。
EDIT  |  20:56  |  時事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.10.06 (Mon)

第87回凱旋門賞

 昨日の深夜、第87回凱旋門賞(GⅠ・3歳以上、2400m、16頭)が行なわれた。結果はほとんどの人が知っておられるだろうが、1日遅れで凱旋門賞の記事を書くことにする。

 今年は英国ダービー馬ニューアプローチの姿こそなかったが、まずまずの好メンバーで、中でも仏1000ギニー、仏オークス、ヴェルメイユ賞と牝馬のビッグレースを総なめにしているザルカヴァが1番人気で、2番人気に古馬のデュークオブマーマレード、3番人気ソルジャーオブフォーチュン、4番人気が仏ダービー馬ヴィジョンテダだった。日本から参加のメイショウサムソンは8番人気に支持されていたが、日本人としてはもっと人気になるはずなのにと文句を言いたい人もいらっしゃるだろうが、まあこのぐらいが妥当なところであろう。

 各馬がパドックから出て、スタート地点に向うやすぐにゲートイン。日本でお馴染みのファンファーレもなく静かにスタート。ロンシャンの2400mは京都で言うところの1800mスタート地点と思えばいい。とにかくバックストレートが長い。それに日本のどの競馬場よりも大きいしコースの幅も広い。先頭はレッドロックキャニオンで、この馬はエイダイ・オブライエン陣営が送り出したペースメーカーである。ヨーロッパのレースではよくあることだ。2番手は3馬身から4馬身離れてスキアパレリ、インコースにイッツジーノにザンベジサンとブルーブレジル、その後に外からピンクの勝負服ソルジャーオブフォーチュン、その後にデュークオブマーマレード、さらにユームザインがいて、社台の勝負服はシーマドトリオンフ、そしてヴィジョンデタがいて、注目の牝馬ザルカヴァはインコースの後方から5番手、メイショウサムソンはインコースで、後方から3番手。これは後ろ過ぎないだろうか・・・・・・。ジリ脚のメイショウサムソンでは、ここから差せない。どうも武豊は凱旋門賞だと余所行きの騎乗が目立つか、一昨年のディープインパクトは前過ぎたし、今回は後ろ過ぎる。私はこの時点でメイショウは5着にも残れないと思った。

 スローペースから徐々にペースが上がり、フォルスストレートからいよいよ533mの直線コースに入る。16頭が固まった固まった。日本のように馬群がバラけない。先頭はスキアパレリかソルジャーオブフォーチュンか。メイショウサムソンはインコースに包まれたか・・・・・そのすぐ前にザルカヴァがいる。あと300m、ここでソルジャーオブフォーチュンか、デュークオブマーマレードも来る。激しい競り合いだ。メイショウはインコース、まだ出てこれない。あと200m。ここでインコースから開いたところを縫ってザルカヴァは外に持ち出したが、メイショウは一瞬の脚がなく、インコースから抜けられない。あと100m、ヴィジョンデタも伸びる。イッツジーノも伸びる。しかし、それらを置き去りにするようにザルカヴァが一気に伸びる。やはりこの牝馬は只者ではない。かつてのアレフランスを彷彿とさせる。一気にザルカヴァが先頭に出た。1馬身、2馬身抜ける。2着争いは激しい。ソルジャーオブフォーチュンとイッツジーノ、そこへユームザインが襲い掛かる。緑の勝負服、これはアガ・カーン一族の勝負服だ。ザルカヴァが堂々1着。

 1着ザルカヴァ 2分28秒80、2着ユームザイン 2馬身、3着ソルジャーオブフォーチュン 1/2、3着イッツジーノ 同着、5着ヴィジョンデタ 1馬身。わがメイショウサムソンは伸びきれずに10着であった。でも勝ち馬との着差は6馬身余りほどで、それほどの大負けではない。その昔、スピードシンボリ、メジロムサシ、シリウスシンボリといったところが勝ち馬から決定的な大差をつけられて惨敗した頃とは違う。半年振りの競馬で、それも海外、初コース、こういった条件を考えれば、そんなに悲観する結果ではない。ただ何故、ぶっつけ本番で臨んだのか・・・・・。いきなりのぶっけよりもステップレースを幾つか使って、凱旋門賞に向うほうが良かったのではないだろうか・・・・・。ディープインパクトしかりで、ロンシャンの馬場は日本とは違う。エルコンドルパサーのように3走ぐらいを現地で経験させて、それから本番に備える方が最善の策とは思うが、エルコンドルパサーは外国産馬だったので、あのような滞在競馬という方法をとったのだろう。でも国内のGⅠも視野に入れつつ、海外の大レースに遠征となると、リスクも背負うし長期滞在は難しいのかもしれない。でも、せめてメイショウサムソンは現地で1つぐらいレースに出るべきであったと思う。今後、日本から凱旋門賞に挑戦する馬が出てくるだろうが、いきなりのぶっつけではまず勝てない。いや、何れ日本の馬がもっと強くなれば、ぶっつけで勝てるような時が来るかもしれないが、現況ではまだまだ無理だ。

 それだけ凱旋門賞というのは、ヨーロッパのホースマンにとっては特別なレースなのである。だからアメリカの馬もオセアニアの馬もしかりで、凱旋門賞に挑戦しても勝った馬などいないのである。今後、日本の馬が凱旋門賞に挑戦するときは、日本に帰らないつもりでいるぐらいの覚悟じゃないと、勝てないように思う。・・・・・・しかし、勝ったザルカヴァは強かった。最近の牝馬では文句なしの最強馬だろう。ただ古馬になっても、あの成績が維持できるかは疑問である。それに日本のジャパンCに出たとして、勝てるかどうかも疑問符がつく。確かに切れ味はあるが、日本での馬場で走るとなると、また別問題である。それが国際レースというものなのである。だから凱旋門賞馬がジャパンCに1度も勝ったことがないというのも頷けるのである。それで結論として、ザルカヴァが今年のジャパンCに出てくれたら盛り上がるだろうけどなあ・・・・・・・・・。


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2008.10.05 (Sun)

第42回スプリンターズS

 秋のGⅠレースの第1弾スプリンターズSが中山競馬場で行なわれた。今日は深夜の凱旋門賞があるので、そちらの方が興味が沸くが、電撃の6ハロン戦も無視できない。

 第42回スプリンターズS(GⅠ・3歳以上、芝1200m、16頭)に16頭が出走してきたが、1番人気は4連勝中の4歳牝馬の上り馬スリープレスナイト。2番人気がキンシャサノキセキ、3番人気が高松宮記念の覇者ファイングレイン、4番人気が古豪スズカフェニックスであった。

 曇天の中、スタートが切られた。スリープレスナイトの好スタートが目立ったが、内から懸命にウエスタンビーナスがハナを奪う。2馬身あとにビービーガルダン、その後にエムオーウイナー、タニノマティーニ、その外に人気のスリープレスナイト。さらに内から3歳馬アポロドルチェ、ファイングレインと続き、キンシャサノキセキが外から追走して、シンボリグラン、プレミアムボックス、ジョリーダンスが固まって中団をキープ。サラニスピニングマアール、スズカフェニックス、カノヤザクラ、トウショウカレッジ、タマモホットプレイといった展開である。各馬早くも3コーナーにかかろうとしている。先頭はウエスタンビーナスで2番手にビービーガルダンとアポロドルチェで、4コーナーをカーブして直線に入る。

 ウエスタンビーナス先頭、アポロトルチェ、ビービーガルダンが追う。そして、外からスリプレスナイトとキンシャサノキセキが先行馬に迫ってくる。200のハロン棒を通過してスリープレスナイトが一気に迫ってきた。あと150mを切った辺りでスリープレスナイトが先頭に立った。それをキンシャサノキセキが追う。内からビービーガルダンが懸命に粘る。さらにスズカフェニツクスが後方から伸びてくる。でもスリープレスナイトは抜けている。スリープレスナイトが5連勝を達成。

 1着スリープレスナイト 1分08秒0、2着キンシャサノキセキ 1馬身1/4、3着ビーヒーガルダン クビ、4着スズカフェニックス 1/2、5着アポロドルチェ アタマ。

 人気のカノヤザクラは7着、ファイングレインは10着だった。

 ところで今日のロンシャン競馬場は寒いらしい。雨が降りそうだというから、馬場が渋るのだろうか。ロンシャンは土壌が柔らかく、一雨降るととんでもないほど時計がかかる馬場になる。2400mで2分38秒、39秒なんて日本では考えられないような遅い勝ち時計の勝負になる。是非とも速い馬場でレースをやってほしいが、天候のことだけは誰も判らない・・・・・。
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2008.10.05 (Sun)

サイヤーライン(父系)から見た凱旋門賞

 いよいよ今日の深夜、フランスはパリのブーローニュの森の中にあるロンシャン競馬場でヨーロッパ競馬の総決算、凱旋門賞が行なわれる。そして、その中に今年は日本からメイショウサムソンが出走するので、大いに注目されるところである。それで本日は、久しぶりに過去10年間の凱旋門賞1、2着馬のサイヤーラインを調べて、その傾向というものを述べて見たいと思う。それではまず、過去10年間の1、2着馬とそのサイヤーラインを記すとする。

● Sagamix---Linamix---Mendez---Bellypha---Lyphard---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Leggera---Sadler's Wells---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Montjeu---Sadler's Wells---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●エルコンドルパサー---Kingmambo---Mr.Prospecter---Raise a Native(レイズアネイティヴ系)
●Sinndar---Grand Lodge---Chief's Crown---Danzig---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Egyptband---Dixieland Band---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Sakhee---Bahri---Riverman---Nasrullah(ナスルーラ系)
●Aquarelliste---Denehill---Zanzig---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Marienbard---Caerleon---Nijinsky---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Sulamani---Hernando---Niniski---Nijinsky---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Dalakhani---Darshaan---Shirley Heights---Mill Reef---Never Bend---Nasrulllah(ナスルーラ系)
●Mubtaker---Silver Hawk---Roberto---Hail to Reason(ヘイルトゥリーズン系)
●Bago---Nashwan---Blushing Broom---Red God---Nasrullah(ナスルーラ系)
●Cherry Mix---Linamix---Mendez---Bellypha---Lyphard---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Harricane Run---Montjeu---Sadler's Wells---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Westerner---Danehill---Danzig---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Rail Link---Dansli---Danehill---Danzig---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Pride---Pentre Celebre---Nureyev---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Dylan Thomas---Danehill---Danzig---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)
●Youmzain---Sinndar---Grand Lodge---Chief's Crown---Danzig---Northern Dancer(ノーザンダンサー系)

 過去10年間の1、2着馬のサイヤーラインを羅列してみたところ、ノーザンダンサー系が15頭。ナスルーラ系が3頭。あとはレイズアネイティヴ系が1頭。ヘイルトゥリーズン系が1頭。

 この結果を見ると、凱旋門賞はノーザンダンサー系が圧倒的に強いということが判る。このあたりはミスタープロスペクター系の強いアメリカやヘイルトゥリーズン系の強い日本と違って、力とスタミナのいるヨーロッパの傾向が顕著に現れていると思う。でもノーザンダンサー系と言っても、ノーザンダンサーそのものが40年以上前の種牡馬なので、その系統も枝分かれしてしまっているが、凱旋門賞はその中でもリファール系、サドラーズウェルズ系、ダンチヒ系、ニジンスキー系、ヌレイエフ系とディキシーランドバンド系に分かれている。それでその内訳はリファール系が2頭、サドラーズウェルズ系が3頭、ダンチヒ系が6頭、ニジンスキー系が2頭、ヌレイエフ系1頭、ディキシーランドバンド系1頭ということになり、数の上ではダンチヒ系が強いという傾向が出ている。

 さて、今年の凱旋門賞は16頭という頭数もさることながら、メンバーも揃っている。たとえば6戦全勝の3歳牝馬ザルカヴァ(Zarkava)なんかは、前走のヴェルメイユ賞でシンガリの位置から直線だけで追い込んで勝った。最近でこそ凱旋門賞はあまり牝馬は勝たなくなったが、1970年代から1980年代初頭にかけては、サンサン、アレフランス、イヴァンジカ、スリートロイカズ、デトロワ、ゴールドリヴァー、アキーダ、オールアロング等の牝馬が凱旋門賞を勝ちまくった。だから牝馬だといっても侮れない存在である。

 ヴィジョンデタ(Vision d'Eta)は6戦全勝である。こちらは牡馬の3歳馬で、フランス・ダービー 馬である。そして古馬の代表はデュークオブマーマレード(Duke kf Marmalade)だろうか。目下のところガネー賞から始まってGⅠ5連勝中で、もし凱旋門賞に勝つとミルリーフが1971年から72年にかけて記録したGⅠ6連勝に並ぶこととなる。

 それ以外の有力馬を見ると、まずソルジャーオブフォーチュン(Soldier of Fortune)がいる。昨年のアイルランド・ダービー馬で通算11戦5勝。

 ユームザイン(Youmzain)は昨年のキング・ジョージ、凱旋門賞と共に2着馬で、コロネーションCに勝っている。

 ザンベジサン(Zambezi Sun)は、昨年のパリ大賞典の勝ち馬で、昨年の凱旋門賞は7着。

 スキアパレリ(Schiaparelli)は、ドイチェラント賞、エウロパ賞、ジッョキークラブ大賞といったマイナーGⅠを勝っているドイツ系の色濃い血統馬。

 ペイパルバル(Papal Bull)は、昨年のジャパンCに出てきたが7着。でも今年のキング・ジョージⅥ&クイーン・エリザベスSで、デュークオブママレードと接戦の2着。この馬も力をつけている。

 シーマドトリオンフ(Cima de Triomphe)は、今年のイタリア・ダービー馬。パリ大賞典は7着だった。

 そこで我がメイショウサムソンであるが、今年の凱旋門賞は最近では1番メンバーが揃った。この中で勝つのは至難の業であろう。でも参加しないよりは、参加したほうが日本の競馬の今後にとってもいいだろう。ただ一度、現地競馬を叩いてくれてればというのはある。それはディープインパクトの時でも感じたが、日本の馬場との違いは想像以上だろうと予想される。まあ、無事に完走してくれと言いたい。

 最後に有力出走馬のサイヤーラインを探ってみるとする。

 ザルカヴァは父がZamindarで、Gone West---Mr.Prospector---Raise a Nativeと遡れる。
 ヴィジョンデタはChichicastenango---Smadoun---Kaldoun---Caro---Fortino---Grey Sovereignという珍しいサイヤーラインを持っている。

 スキアパレリは、Monsun---Koniggtuhl---Dchigis Khan---Tamerlane---Persian Galf---Bahram---Blandfordという今どきの競馬主流国では見当たらないサイヤーラインで、ブランドフォード系なんていうと日本ではコダマを思い出させるほど古典的なサイヤーラインである。

 ところで日本のメイショウサムソンは父がオペラハウスでその父がサドラーズウェルズ。母の父がダンシングブレーヴと凱旋門賞ゆかりの血統である。だからメイショウサムソンが期待できるというのは、この血統的なバックボーンだけということになる。でもデュークオブマーマレード(父デンヒル、その父ダンチヒ)、ソルジャーオブフォーチュン(父ガリレオ、その父サドラーズウェルズ)、ユームザイン(父シンダー、その父グランドロッジ・・・・ダンチヒ系)、ザンベジサン(父ダンシリ、その父デンヒル、その父ダンチヒ)、ペイパルバル(父モンジュー、その父サドラーズウェルズ)、シーマドトリオンフ(父ガリレオ、その父サドラーズウェルズ)とノーザンダンサー系のライバルが多すぎる。つまりメイショウサムソンには厳しい戦いが待ち受けているということだ。

 スタートは今日の深夜。ただし地上波の生中継はされないようで、関西テレビが2時間遅れで録画中継する模様。もし生中継を観たければグリーンチャンネルをどうぞ・・・・・・はたして結果は如何に・・・・・。

Arc Winners Best 10


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2008.10.03 (Fri)

名馬リボーのお話

 今週の日曜日、凱旋門賞が行なわれ、そのレースに日本のメイショウサムソンも出走する。一昨年はディープインパクトの出走で、NHKがテレビ生中継を敢行した事で、競馬ファン以外の方にも知れ渡ったレースであるが、1920年に第1回が開催されて以来、数々の名馬を生んできた凱旋門賞である。おそらく今週の凱旋門賞もどのようなレースになるのか注目されるところであるが、過去の凱旋門賞馬の名前を見ると、それこそヨーロッパの名馬の歴史である。最近だとハリケーンランやエルコンドルパサーを破ったモンジューなんていうのも日本人には馴染み深いが、おそらく日本の競馬ファンで1番印象に残っている馬というとダンシングブレーヴかパントレセレブルではないだろうか。もっとも私の世代では、ヴェイグリーノーブルだとかミルリーフだとかアレフランス、アレッジド、スリートロイカズといった馬の方が印象深いが・・・・・・。でも私が凱旋門賞に勝った歴代の馬の中で、最高の名馬は何だろうかと問われると、間違いなくリボーの名前を挙げるだろう。それで今日はリボーという馬のお話をしようと思うのである。

 まずそれではリボーを生産したフェデリコ・テシオの話から・・・・・・。フェデリコ・テシオは1869年に生まれたイタリアの馬産家である。1898年、そのテシオがイタリア北部マッジョーレ湖の近くにドルメロ牧場を開く。イタリアというとヨーロッパの中では競馬後進国である。生産頭数も少なく馬の実力もイギリス、フランス、アイルランドと比べると2流である。そんなイタリアでフェデリコ・テシオはサラブレッドの生産を始めたのである。だが、すぐに実績を上げ、イタリア全土で生産頭数300頭という時代にドルメロ牧場生産の各馬がイタリアの競馬場を暴れまくった。代表的な馬だけを羅列すると、スコパス(ミラノ大賞典)、デレアナ(伊1000ギニー、伊2000ギニー)、アペレ(伊ダービー)、カヴァリエレダルピノ(ミラノ大賞典)、ベリーニ(伊ダービー、伊セントレジャー)、ニッコロデラルカ(伊3冠)、ドナテロ(伊ダービー)、テネラニ(伊ダービー、伊セントレジャー)、ドーミエ(伊ダービー、伊セントレジャー)、トゥルーズロートレック(ミラノ大賞典)、トレヴィサナ(伊セントレジャー)、ボッティチェリ(伊3冠)・・・・・とテシオガ亡くなる1954年の春までにイタリアの大レースを総なめにしている。でも敢えて書かなかったが、最も有名なドルメロ牧場の生産馬といえばネアルコ(Nearco)であろう。このネアルコは、1935年に生まれ、2歳時にはイタリアで走り7戦7勝。翌年の3歳時にはイタリア2000ギニーとイタリア・ダービーを勝ち、ミラノ大賞典も勝ち、フランスのロンシャンへ遠征し、当時のフランス最高のレースであるパリ大賞典(3000m)に出走。同年のイギリス・ダービー馬ボアルセル、フランス・ダービー馬シラを相手に、問題にせず快勝して、ヨーロッパ最強を印象付けた。通算成績は14戦14勝。その後、ネアルコは種牡馬として大成功。20世紀の偉大なる種牡馬の1頭となる。

 さて、ここまで書いてきて、いよいよ本編の主人公リボー(Ribot)の登場となるが、リボーが生まれたのは1952年である。つまりリボーがデビューする年の春にフェデリコ・テシオは亡くなっている。だからリボーの活躍を見ずしてテシオはこの世を去っているのである。ところでリボーとはフランスのあまり有名でない画家の名前からとられた名前で、テシオは自ら絵を描き美術愛好家でもあり、彼の生産した馬はほとんどが芸術家の名前をつけられている。

 そんなリボーであるが父のテネラニ、母のロマネラ共にテシオ生産の馬であり、ドロメロ牧場ゆかりの血統といえそうだ。それで1952年に生まれたリボーであるが、残念ながら生まれつき小さい馬でクラシック登録もされず、イタリアのクラシック・レースには出れなかった。テシオはおそらく期待もしてなかったのだろう。でも成長してからは体高162.6、胸囲188.0と立派な体格でデビューから白星街道を突っ走った。2歳時はイタリアで走り3戦3勝。3歳になりクラシックに出走出来ないリボーは、エマヌエレ・フィリベルト賞を含めデビューから7戦7勝。そしていよいよ、フランスのロンシャンで行なわれる凱旋門賞に駒を進めた。リボーは好位につけ、直線コースに入りラストスパート。見事ボープリンス以下に3馬身をつける快勝で通算成績を8戦8勝とした。さらに3歳時、ジョッキー・クラブ大賞を一走りして楽勝。通算で9戦9勝とした。
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2008.10.01 (Wed)

松下がパナソニックに変ったが・・・・・・・・・・

 本日、2008年10月1日から松下電器産業株式会社がパナソニック株式会社という名称に変りましたとさ・・・・・。この名称の変更は今年の正月明けに発表されていたので、驚くことでもないが、その影響か、パナソニック株式会社の本社や工場のあるところでは色々とあるようだ。

 まず本社のある大阪府門真市。ここは松下電器時代からの企業城下町で、松下電器がこの町にやって来てから人口が増えだしたところである。でも愛知県の豊田市のように名前までは松下市には変わらなかった。しかし、この門真市を貫くように走っている京阪電車の門真市駅から次の西三荘駅にかけて見られる風景は、まさに松下電器の工場群であった。いったいこの付近の松下村で、どれだけの従業員がいるのかと思うぐらいで、町に与える影響力は強大なものであったと思う。

 それが今回、パナソニックという社名に変り、会社の北側に沿っている国道1号線のバス停が、松下本社前という名称なのだが、これもパナソニック本社前に変えられるという。またパナソニックの工場のある守口市や茨木市では、その町名が松下町だという。でもここらの町名は、バス停が松下前からパナソニック前と変更されるような簡単な訳にはいかないらしい。とにかく町名変更となると、今度はお役所が絡んでくるので、なかなか事が運ばないという。だから当分の間は松下町で通すという。

 ところで松下電器がパナソニックという名前に変更されるのは、海外でのブランド名がほぼパナソニックで統一されているからであって、松下という名前では国際的に弱いとされていたからであるが、よくぞ創業者一家の名前を社名から除外したものだ。これも時代の流れに逆らえないというのだろうか。まあ、松下といえども例外ではなかったといえそうだ。そういえば日本の企業は、多くのところが名前を変更した。

 おそらく現在の社名でお馴染みな企業も、以前とは社名が異なっていたというところは随分とある。ざっと挙げるだけでも・・・・・・東芝(東京芝浦電気)、カネボウ(鐘淵紡績)、ユニチカ(大日本紡績)、サントリー(壽屋)、三越(三井越後屋)、日活(日本活動写真)、帝人(帝国人造絹糸)、京セラ(京都セラミック)、大映(大日本映画製作)、東宝(東京宝塚)、オムロン(立石電機)、小田急(小田原急行鉄道)、阪急(京阪神急行電鉄)、ニコン(日本光学工業)、コニカ(小西六写真工業)、シャープ(早川電機工業)、ダイハツ(大阪発動機製造)、ケンウッド(トリオ)、パイオニア(福音電機)、デノン(日本電気音響)、オンキヨー(大阪電気音響社)、ヤマハ(日本楽器製造)・・・・・・・・・・・・・・・数え上げれはきりがない。とにかく時代の流れに乗って、社名も変えなくてはならないのか・・・・・。今の世の中、漢字が羅列されてある古臭い名前では、一般受けしないようである。だからブランド名が社名になったところも多数あって、その他では社名の略称をそのまま社名になったところもある。

 しかし、社名が変ったところで、こちらとしては馴染むまでに時間がかかる。昔の企業名だと、社名から何をやっている会社か想像が出来たものなのだが、最近の企業名は、外来語を社名に持ってきたりするので、初めて聞いた限りでは何の会社なのか皆目、判らない。

 まあ松下ぐらい大きくなれば、パナソニックに社名が変更なったぐらいでは、消費者への影響は無いだろうが、長年、親しんで聞きなれた名前が完全に変ってしまい、暫くは戸惑いそうである。それにこんなことを言ってしまうと失礼だが、『真似した電器』なんて皮肉が言えなくなってしまうではないか(本当に失礼!)・・・・・私なんか、未だにJRを国鉄と言ってしまうことがあるので、死ぬまで松下と言ってしまいそうだ。
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