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2015.01.31 (Sat)

真冬まっただ中

 1月31日、もう1月も終わり。それにしても寒い日が続く。今冬は暖冬だという長期予報は見事に外れ、連日、雨か霙か強風かで晴れた日がほとんどなく気が滅入ってくる。今日は雨が上がったと思ったら午後から雪が降り出した。寒いこと寒いこと。そこへ前から調子が悪かった風呂の給湯器が完全に潰れ、どうしようもなかったので、とうとう新しい給湯器に変えた。そして工事費込みで22万6000円。この出費は痛い。でも寒い時に風呂が沸かせないのではどうしようもない。なので新しく変えたのだが、これでも一番価格の低い給湯器だ。業者はさらに床暖房とかどうですかというが、そんな余計なものはいらない。バスタブに湯さえ入ればいいのだ。だからシンプルなものにしたのだが、便利になったものだ。風呂が沸く寸前になると「まもなく風呂が沸きます」と音声が奏でる。そして、まもなく「風呂が沸きました」だとさ。風呂の温度と、風呂の量の設定は以前の給湯器と一緒だが、さらに色々と便利なものが加わっている。前の潰れた給湯器は18年使っていたから、もう限界だったのだが、最初は便利になったものだと感心したものである。それ以前は水を入れてガスで沸かしていいたが、手で湯加減を調整していたものだ。それからしたら格段と進歩したものであると、その時は思ったものだが、今回、新しい給湯器に変えるとさらに進化していることを痛感する。
 それとテレビも新しく変えた。なんと今までブラウン管テレビを使っていたのだ。10年以上前に買ったテレビだが、潰れたというのでもない。でも画面にデジアナ変換の文字が絶えず表示したままで、2月16日正午に終了予定となっている。それ以降はテレビが観られなくなる。本来なら2、3年前のテレビ・デジタル化によりアナログ・テレビは観られなくなるはずだったのだが、我が家はJ-COMというケーブルテレビと繋がっている関係で今まで観れていたのである。それがいよいよ観れなくなるので、とうとう液晶のデジタル・テレビを買ったまでである。もとからして小生はテレビをあまり観ないので長持ちする。だから出費もかさむし本当はテレビも買い替えしたくなかったのだが、サービスが停止なら仕方がない。チューナーを付ければ観れないこともないが、どうせ古いテレビだ。買い換えるなら今だということで、とうとう買い換えた訳だが、それにしても今時、ブラウン管テレビを観ている人は珍しいだろう。もう骨董品になってきた。でも処分するのにも金がかかる。ふざけた話だがやむを得ないな。
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2015.01.25 (Sun)

映画『砂丘』を観る

『砂丘』1970年制作、アメリカ映画

監督 ミケランジェロ・アントニオーニ

出演 マーク・フレチェット
    ダリア・ハルプリン
    ロッド・テイラー
    ポール・フィックス
    ハリソン・フォード

【あらすじ】カリフォルニア・ロサンジェルスにある大学で学生集会が開かれている。学内は学生紛争の最中である。若者がキャンパスを占領し警官隊が武力で制圧しようとし銃撃戦になる。そんな中、1人の若者マークはピストルを持って学生が警官に射殺されるのを見て警官を撃とうとするが誰かが先に撃った。しかし、彼の姿がテレビで大写しになる。彼は大学を抜け出してセスナ機を奪いアリゾナの砂漠に向かって飛び立った。一方、若い女性ダリアは砂漠に住宅や別荘地を開発する不動産業者でアルバイトをしていた。それで彼女はアリゾナへ向かって50年代の車を走らせていたのだ。そこでマークとダリアが車と飛行機で鉢合わせする。砂漠の中の一本道、上空からマークは一台の女性の運転する車を見つけ車の屋根をスレスレに飛びからかう。すると車から降りてダリアは飛行機に向かって怒り叫ぶ。ところが繰り返し飛行機が低空で飛ぶのを見て親近感が湧き、着陸したセスナ機に車で近寄る。マークはダリアにガソリン代を払うから30マイルほど離れたザブリスキー・ポイントまで乗せていってくれないかと頼む。湖底が隆起した砂漠。周りには誰もいない。この大自然の中で2人は抱き合う。お互い初めて知り合うのにいきなりの関係になる。やがて2人は別れマークは飛行機でカリフォルニアに帰って行った。ダリアは車の運転中のラジオで聞いたニュースで薄々、彼が誰だかは知っていた。マークは撃とうとしたが誰かが先に撃ったと言い、ダリアもそれを信じていた。そして、ダリアはフェニックスの別荘に向かうがラジオでマークが警官隊に射殺されたとことを知る。

 この映画を観たのは確か高校の時で、大阪梅田にある北野劇場だったと思う。今はHEPナビオという商業施設が建っているが、当時は北野劇場と言う大きな映画館(本来は観劇を興行していた)があった。そこでアントニオーニ監督の『砂丘』を観たのだが、終わってから劇場を出ようとすると、横にいた20代のサラリーマンの声が耳に入った「こんな面白くない映画、初めて観た」。それを聞いて小生はおもわず苦笑いした覚えがあるが、確かによく判らない映画であった。でも感覚的には好きな映画であった。ただストーリー性だとか、濃厚な人間ドラマや、話の面白さを求める者には全く受け付けない映画であったであろう。監督が監督だしなと思いながら自分で納得するしかなかった。ミケランジェロ・アントニオーニが初めてアメリカで監督した作品である。ちょうどヒッピー文化が盛んだった時代(懐かしくもあるが)、世界中でスチューデント・パワーが炸裂もしていた。
 アントニオーニの映画は、それ以前の『赤い砂漠』『欲望』だとかも観ていたので、この『砂丘』を観てアントニオーニらしいなあと言った感想しかなかった。前作の『欲望』ももう一つよく判らない映画でもあった。ただ『欲望』の時はジェフ・ベックにジミー・ペイジが加わったヤードバーズが演奏しているところが見れる貴重な映画なので、よく覚えている。そして『赤い砂漠』ではモニカ・ヴィッティの何とも言えないアンニュイな気だるさに魅力を感じたものである。だからアントニオーニの映画に脚本がどうのだとか、ストーリーがだとか、筋書きを追い求めていたって面白はずがない。独特の映像美学というものがあるのかもしれないが、アントニオーニの世界観はよく判らない。ただ言えることは世の中の不条理にメスを鋭く入れる監督であるということ。この映画のラストになるが、ダリアが砂漠の岩山の上に建てられた別荘に着いて見た光景。そこではリゾートを楽しむ人、そこで行われる金儲けの商談、日頃の日常が平然と行われていた。それを見るにつけ、ダリアは全てをぶっ壊したくなった。彼女は妄想を広げる。別荘はものの見事に爆破され、その現実にある物質がゆらりゆらりと浮遊する。そしてピンク・フロイドの『51号の幻想』が流れ映画が終わる。いやはや、何とも不思議な映画ではあった。

『砂丘』トレイラー


ピンク・フロイド『51号の幻想』

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2015.01.24 (Sat)

やっと晴れた

 久しぶりの更新となる。昨日も一昨日も雨。というよりも毎日、どんよりとした重い雲が空を覆っていて、雨が降らなくても霙が降っていたりしぐれていたりして、今日は久しぶりに青空が見えたのではないだろうか。今冬は本当に雨が多く、正月にはいきなりのドカ雪で天候には全く恵まれない。冬と言うのは我が家の周辺に限っては、あまり雨が降らないイメージがあったのに、今冬は例年とは違う。いったいどうなっているのか分からないが、おかしな冬だ。それでもちょこちょこと出かけてはいるのだが、最近はパソコンの調子が悪く写真が掲載できなくなったので、ブログ更新の頻度も極端に落ちている。新しいパソコンに買い替えるしかないかなとは思っているが、どうもウインドウズの基本ソフトがまた新しくなると言うので、どうせ買い替えるのなら、それまで待ってから買った方がいいだろう。なので暫くはこのパソコンで押し通そうかと考えている。だから当分の間は写真掲載も出来ず、更新頻度も低いまま、忘れたころに更新するのかもしれない。
 それにしても月日のたつのは早いな。もう大寒に入ってしまった。まもなく如月だ。すると春の足音が聞こえてきそうである。でも、まだまだ寒いことにはかわりはないが、最近は加齢と共に寒いのも苦手になってきたから暖かいのは助かる。だが夏は大嫌いだから春のままでいいのだが春は短いしな・・・・・。冬と夏は長い気がするが春と秋は本当に短い。その逆がいいのに上手くいかないものだ。
EDIT  |  16:15  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.01.17 (Sat)

あれから20年

 1995年1月17日午前5時46分、まだ周囲は暗かった。突然のように激しい揺れが襲った。かつて経験したことのない揺れだった。何がどうなっているのか判らなかった。どれぐらいの時間揺れていただろうか。どんでもなく長い時間に感じた。揺れがどうにか治まってから急いでテレビのスイッチを入れた。情報を得るためである。しかし停電でテレビはつかなかった。30分ほどするとスイッチを入れっぱなしにしていたからかテレビの画面が突然ついた。やはり地震のことを報道していた。そこで入った情報は震源は淡路島北部。それ以外は皆目わからなかった。朝6時半になり出勤する為に最寄りの駅に向かったのだが、電車が停まっていた。それで会社の方に電話を入れたのだが繋がらない。どうしようもなかった。しかたなく帰宅してテレビを観ていたら、神戸の映像が映されていて唖然となった。高速道路が横倒しになっている。線路がクネクネと波打っている。高架の車庫が落ちている。民家が軒並み潰れている。これは大変なことになったと思った。昼ごろに電車が動き出し、どうにか出勤したが全員が出勤できたわけではない。夜になって帰宅し、阪神地方の被害が大きいということを知り、そこから阪神地区に住む知り合いに片っ端から電話をしようと試みるも一向に繋がらなかった。当時はまだ携帯電話が普及していなかったので家の固定電話から電話するのだが不通だった。
 テレビの報道はどの局も地震の報道ばかりで、その被害のすさまじさを伝えるが、友人や親類の安否は一向にわからない。あの年の1月17日と言うのは3連休明けの火曜日だった。こちらも連絡が一向につかないながら、日曜日になり数人の友人宅に直接向かおうと電車に乗った覚えがある。阪急電車は西宮北口までしか走っておらず、そこからは徒歩である。あたり一帯、酷い光景がそこには広がっていた。これが今、現実の姿なのだと認識すれど、とても受け止められるものでもなかった。民家は崩れ、マンションは1階が押しつぶされ電柱は倒れている。道路と言う道路は寸断され、しかたなく電車の走ってない線路の上を敷石を踏みながら歩いた。前を見ても後を見ても私と同様、水の入ったペットボトルや食料をつめたリュックを背負い、みんな黙々と歩いている。私も何キロ歩いたか覚えていない。とにかく電車もバスも走ってない。取り敢えず歩くしかなかった。芦屋に知り合いがいるので、その住所を頼って探しあてたが、知り合いは其処にはいなかった。家はひびが入っていた。ただ張り紙がしてあって、○○学校に避難しています。と書いてあった。こうして私は小学校に向かい、彼と出会ったことを思い出す。どうにか無事なようでなによりであったが、それ以外の知人、親類を捜さなければならない。でも徒歩では行くところは限られている。そこから私は神戸市東灘区の友人宅へ向かった。彼も近くの学校の体育館へ避難していたようだが会えなかった。結局、その日はそれぐらいにして帰宅した。もう1週間ほどしたころには、電話が繋がるようになったので、1人1人くまなく電話をしてものだが、相変わらず電話が繋がらない者もいた。後で判ったのだが、引っ越した者もいたようだ。でも知り合いは全員無事で何よりであったが、あの日のことは忘れられない。それまで当たり前だった光景が一瞬にして奪われる。なんとも恐ろしい話である。あれから20年、それを肝にして私は何事に対しても危機感を持って生きるようになったのだが・・・・・・・最近、あの当時の記憶が自分の中でも消えつつある。我々はもう20年かと思うだけが、被災者にはその20年がとてつもなく長く感じられたのでないだろうか。もう当時、生まれた子が大学生だから、だんだんと阪神淡路大震災の記憶が過去の物になっていきそうだ。だから、あれから20年という節目の日に、風化させないためにも思い出すように今日は綴ってみたまでである。
EDIT  |  16:28  |  時事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.01.11 (Sun)

ブラック・サバスのアルバム『パラノイド』を聴く



 ブラック・サバスを初めて聴いたのは何時ごろかな。もう40年以上前のことになる。このアルバム・タイトルにもなっている『パラノイド』をラジオで聴いたのだ。ちょうど姉と一緒で、小生は喧しいが独自のものを持っているなと感じたが、姉の方は一言「嫌い」と言ったことを思い出す。この頃から急速に姉は洋楽を聴かなくなっていった。どうもハード・ロックが嫌いでレッド・ツェッペリンも下らないと言ってたからしょうがないかな。つまり、このブラック・サバスこそ今のヘビー・メタルの源流になる音楽なのであろう。先々月、ステッペンウルフの記事のとき、元祖ヘビー・メタルバンドと書いたが、楽曲『Born To Be Wild』の中でヘビー・メタル・サンダーと言った歌詞が出てくるからヘビー・メタルの語源になった一因と言うだけで、実際が元祖と言うものでもない。しかし、このブラック・サバスにおいてはまさしくメタル・サウンドの元祖と言われている。ディープ・パープルもそうだし、レッド・ツェッペリンも重いサウンドなのだが、レッド・ツェッペリンはアコースティックな曲も多いし、ディープ・パープルもサウンド的には重いからヘビー・メタルの元祖と言ってもいいが、あまり採り上げる人はいない。ならば何故ブラック・サバスが最もヘビー・メタルの源流に近いかと言うのはおそらく詩の内容だろう。デビュー・アルバムからしてタイトルが邦題で『黒い安息日』だし彼等の音楽作りのコンセプトが人を怖がらせる音楽だということだから、悪魔だとか魔術師とかいったものを採り上げる。それで現在のメタルに繋がっているのかもしれない。もっとも何が元祖なんてどうでもいいことである。キンクスなんてのもそれらしき楽曲はあるし、ジミ・ヘンドリックスなんかも今でいうヘビー・メタルに近いサウンドだった。クリームもそうだし、ビートルズだって『ヘルター・スケルター』というとてつもなく喧しい曲がある。ホワイト・アルバムに入っているこの曲を聴いたとき、ポール・マッカートニーが壊れたのかと当時は思ったぐらいだ。どうもザ・フーのような曲ぐらいは俺たちにも作れるよというノリでポール・マッカートニーは作ったらしいが、この曲は今から考えてもビートルズらしくなかったな。
 さてブラック・サバスであるが、当アルバム『パラノイド』はブラック・サバスの2枚目のアルバムになる。母国イギリスでは1970年9月に出され、いきなりの全英でアルバム・セールス1位となる。アメリカや日本では翌年の1971年に発売されたのであるが、上述したようにシングル・カットされた『パラノイド』を聴いた時の印象は喧しい中にも独特のものがあると思った。だが小生、当時はプログレッシヴ・ロックが好きだったので、あまり興味が湧かなかった。もっともガチガチのハード・ロックが好きな連中はブラック・サバスに夢中になったかもしれないな。
 このアルバムは収録曲が8曲『War Pigs』『Paranoid』『Planet Caravan』『Iron Man』『Electric Funeral』『Hand Of Doon』『Rat Salad』『Fairies Weear Boots』これ等の曲は総じて重く悪魔的サウンドに聴こえなくもない。パラノイドとは偏執症者だとか誇大妄想者とか言った意味がある。これからして後のメタルに影響を及ぼしているではないか。メンバーはヴォーカルがオジー・オズボーン、トニー・アイオミ(ギター)、ギーザー・バトラー(ベース)、ビル・ワード(ドラムス)で、激しいサウンドが当時から売りだったが、とにかく後のメタルバンド最も多大な影響を与えたバンドとしてブラック・サバスは存在しているのである。この辺りはビートルズやレッド・ツェッペリンではないのだな。あくまでもメタル的要素の確立となるとブラック・サバスだったんだなと思う。実際メタルバンドのメガデス(現在は日本のテレビに出ているマーティン・フリードマンがかつて在籍していた)が『パラノイド』をカバーしていることを考えると日本人が思っている以上にブラック・サバスは海外での評価は高いのである。また当アルバムの幾つかの曲が後にカバーされていることを考えると当然ハード・ロック、メタルの名盤の一つに入るだろう。それは現在でもオジー・オズボーンがメタル界の巨匠と崇められていることでもわかるが、日本ではあまりメタルの人気が海外ほど高くはない。またメタルそのものは衰退しているとも言われる。小生はメタルのことは詳しくないのでその辺りどうなのか知る範囲ではないが・・・・。

『パラノイド』1970年の映像

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2015.01.10 (Sat)

トルストイの『戦争と平和』を読む

 この長編小説を初めて読んだのは高校の時だったかな。当時は随分と重い小説だなと感じたものだが、ロシア文学は今、読んでも重い。とにかく長くて登場人物も多い。それとロシア人特有の名前は覚えにくい等、なにかと読んでいても辛い小説であったといった印象は今でもある。その後に、何度か読みなおしたが、なかなか消化しきれないでいるというのが実のところである。
 時は1805年、ナポレオンに率いられているフランス軍とロシア軍との間に戦争が起こった。青年公爵アンドレイ・ボルコンスキーは領地・禿山に隠遁している父と妹マリヤに身重の妻を預け、クトゥーゾフ将軍の副官として戦地へ出発する。アンドレイの親友で、留学から帰って来たピエールは、モスクワ屈指の資産家ベズーホフ伯爵の私生児だったが、伯爵の死後、その遺言によって全財産を相続、。一躍、社交界の花形になった。それに目を付けた後見人クラーギン公爵は、美貌であるが品行に良くない噂があった令嬢エレンを嫁がせようと画策し見事に成功する。
 この年の11月アンドレイはアウステルリッツの戦いで敗れたロシア軍にあって、ただ1人、軍旗を手にして敵陣に突入し重傷を負うが、ふと気がついて頭上の青い悠久の空を眺め、その荘厳さに心を打たれる。そして、今までの自分の野心や名誉欲、偉大な人物と崇拝していたナポレオンなど、すべてがちっぽけな取るに足らないものに思えるのである。
 一方、ピエールは、結婚後もまもなく友人ドロホフと妻エレンとの間に妙な噂がたったので、名誉を守るための決闘を申し込み、相手を倒した後、妻と別居する。それ以来、彼は善悪や生死の問題に悩むが、フリー・メイソンの指導者と知り合い新しい信仰の生活に入る。
 故郷では戦死したものばかりと思われていたアンドレイがひょっこり禿山に戻ってきたが、その晩、妻リーザは男の子を生んで、そのまま息を引き取った。アンドレイは最早、自分の人生は終わったと考え、領地で一生を送る決意をする。
 1807年6月、ロシアとフランスは講和条約を結び、平和な生活が訪れる。1809年の春、アンドレイは貴族会の用事でロストフ伯爵を訪ね、生命力溢れる若い令嬢ナターシャに強く心をひかれる。その年の暮、2人は舞踏会で再会し、間もなく愛し合うようになり婚約するが、禿山の老公爵の強い反対で1年間の猶予をおくことに決め、アンドレイは外遊する。しかし若いナターシャは淋しさに耐えきれず、ピエールの妻エレンの兄アナトーリの誘惑に負けて、駈落ちの約束までしたため婚約は破談になる。
 1812年、再びフランスとの間に戦争がはじまり、アンドレイはボロジノの決戦で重傷を負う。ロシア軍は撤退しつづけ、ついにモスクワを明け渡すことになる。ロストフ家では家財を運ぶのに調達した馬車で負傷兵を輸送することに決めるが、ナターシャはその中に頻死のアンドレイを見い出し、自分の罪を詫びて必死に看病するが、その甲斐もなくアンドレイは死ぬ。
 ピエールはモスクワにとどまり、百姓姿に扮してナポレオン暗殺の樹を狙うがフランス軍の捕虜になる。妻エレンは戦火の中でも乱行を続け、堕胎薬の服用を誤って悶死する。戦争は結局ロシアの勝利に終わり、モスクワでナターシャと巡り合ったピエールは、彼女を深く愛していることを改めて思い知り結婚する。アンドレイの妹マリヤも、ナターシャの兄ニコライと結婚し、それぞれ幸福な家庭を作り上げていく。とまあ、以上のような話であるが、筋書きを書くだけでもこのようなことを書かないと説明できないほど、色々とある大河小説である。所謂、大河ロマンである。だからこれといって主人公を特定することは出来ないが、作品の中心になっているのは、ロストフ家の令嬢ナターシャでだろう。ナターシャは、この作品にトルストイが託した生命肯定の思想を体現する存在といっていい。彼女は天真爛漫で少しの作為もない、常に自然のままに行動する。伯爵家の令嬢として深窓に育ちながら、狩猟の後、貧しい地主である伯父さんの家で、民謡に合わせてたくみに踊る。全てのロシア人の心の中にあるものを、彼女は生まれながらに会得しているのである。
 隠遁生活を送っていた後、彼女と知り合ったアンドレイ公爵が、自分の人生はまだ終わった訳ではないと感じ、彼女を思い描いただけで、人生全体が新しい光に包まれてくるほど強い生への志向を持つようになったのも、彼女のあけっぴろげな魂の力によるものである。ナターシャは生粋のロシア女性であり、ロシア文学に描かれた女性像の中でも、もっとも生き生きした魅力的な1人であろう。

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2015.01.03 (Sat)

もう正月も終わりますが

 一昨日の元日、午後からドカ雪が降り、昨日の昼から晴れたと思ったら、昨日の晩からまたまた降雪で底冷えした。なんとも寒い正月である。毎年、正月の三ヶ日というのは穏やかな日が多いのに、今年の正月はどうなってしまったのか。まだ屋根の雪が残っている。それで正月の間はとうとう家から一歩も出なかった。こんなことも珍しいのだが、残雪で路面が滑って転びたくないしな。ところで正月の寒波で新幹線もベタ遅れ。正月の帰省で帰っていた人がUターンするというが、大雪で徐行運転。また名神高速道路でも通行規制がされたりするものだからサービスエリアで車の中に缶詰になった人もいるようで、正月からずいぶんと迷惑な話である。
 この正月の間、曜日を忘れていたのだが、どうも明日の4日は日曜日なんだな。だから今年は正月休みも長かったのだろうが、予期せぬ大雪でさんざんである。初詣もあのドカ雪ではゆっくりとしていられない。寒くて初詣どころでもなかっただろう。どちらにしろ小生は寝正月だから関係ないのだが、こりゃ正月明けは毎度のことだが、動くのが嫌になるな。いずれにせよ今年も始動開始。それと正月の間、食べ過ぎたからこれから頑張って減量に励むとするか。医者から痩せてくれと言われているのだが、正月ぐらいいかと思い、つい食べ過ぎてしまう。とりあえずは宵っ張りの朝寝坊の0週間を改善しなくては・・・・。ホント正月というのは現実とはかけ離れてしまうのだということに、何時も今頃気がつかされてしまう。でもいったん怠惰な生活お送ると、元に戻すのも大変である。でも困ったことに明日は日曜だし、あと一日はだらだらしそうである。
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2015.01.02 (Fri)

年の初めからドカ雪で

 1月2日、今日は青空が顔を出し陽射もある。したがって昨日積もった雪が溶けだし、2階の屋根に積もった雪が暖かくなって溶けだし塊となって落ちてくるので朝からドンドンと煩くてしょうがない。昨日の元日の午前中は強風で午後からは風がやんだと思ったら、気温が一気に冷えて雪が降り出した。すると空は真っ暗、どんどんと雪の勢いが強くなり暗くなる前に路面も民家の屋根も積雪で真っ白。元日で我が家の周辺が積雪なんて記憶にない。これは珍しい。いいたいどうなっているのだろう。
毎年、年末寒波や1月も半ばになると雪も降ることはあるが、例年、正月だけは穏やかな天候の日が多いというのに、今年に限っては異様な光景が拡がったということだ。
 しかし、今季の冬はあまり寒くならないという予報が出ていたのに今のところ見事に外れている。これからはどうなるかしらないが、雨が多く、強風が吹き荒れたり、そしてドカ雪。もう正月からどうにもならない。道路は雪が解け、シャーベット状態で歩けやしない。初詣に行く予定だった人も大変だな。どちらにしろ正月は出ていう気もない小生は晴耕雨読と決め込んでいるので、天候はあまり気にしないのだが、ちょっと雪が落ちてくる音だけは気になってしょうがない。大きな雪の塊がドカンと落ちる時の音でびっくりする時がある。正月ぐらい落ち着かせてくれよと言いたいのだが、天候だけはどうにもならない。でも正月からこれでは先が思いやられるな。
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