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2013.02.24 (Sun)

疲労困憊

 またまた更新できなったというよりも、仕事の量がだんだんと増えてきて毎日の深夜帰りでは、帰って寝るだけの生活を強いられる。今日は疲労困憊で朝から寝ているだけ。土曜日も当然、出勤で残業なので、日曜日に身体を休めておかないといけないのだが・・・・・・もう最近は疲れが抜けずに鉛が入っているのかと思えるほど身体が重い。でも休むわけにはいかないのが辛いところで、これで身体が持つのかな。とにかくあと3月も急がしさは続くから、当分の間、ブログ放置になるかもしれない。

 
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2013.02.17 (Sun)

第30回フェブラリーS

 このところ猛烈に仕事が忙しく昨日の土曜日も含めて連日の残業で皆目パソコンを開けないでいる。そして一週間ぶりにブログを更新することになるが競馬の記事である。最近は何処も出かけられなくて話題もないし仕方がない。

 それにしても寒い。昨日は朝が氷点下で今朝も氷点下の気温。昨日は朝から雪が降っていたし、仕事から帰宅の際には吹雪の中を歩いて帰るという惨めさであった。流石に滋賀県だ。こんなとき栗東トレーニングセンターの調教場はどうなっているのか心配になってくるが、今に始まった事ではないから関係者も手慣れたものかな。

 さあ、今年最初の競馬記事は今日、東京競馬場で行われた第30回フェブラリーS(G-Ⅰ・4歳以上、ダート1600m、16頭)である。今年最初のG-Ⅰレースでもあるが、こんな厳寒な季節にG-Ⅰなんて施行しなくてもいいと思うが、JRAも冬場の売り上げを上げるのに必至で馬の安全は二の次なんだな・・・・。まあしょうがないか。それでダートのG-Ⅰレース、1番人気が何と昨年のNHKマイルを制したカランブラックヒルでダート初挑戦である。2番人気が関東期待のイジゲン、3番人気がグレープブランデー、4番人気が昨年の覇者テスタマッタ、5番人気がシルクフォーチュンで、さあ、レースが始まった。

 またもスタートに出遅れたのがイジゲン。その間に先行争い。タイセイレジェンドとエスポワールシチーが行くがタイセイレジェンドが先頭に立った。2番手にエスポワールシチー、3番手早くもカレンブラックヒル、ガルボが4番手、そのあとにマルカフリート、ガンジス、やや開いてグレープブランデー、ナムラタイタン、ヤマニンキングリーで、さらにワンダーアキュート、ダノンカモン、イジゲン、エーシウェブマン、テスタマッタ、セイクリムズン、シルクフォーチュンといった隊列で早くも3コーナーから4コーナーにかかろうというところであるが、1番人気のカレンブラックヒルが外をついて先団に上がってきた。ここで4コーナーを回って直線に入る。先頭はタシエイレジェンド、2番手にエスポワールシチー。あと400m、先頭タイセイレジェンド、2番手エスポワールシチー。タイセイレジェンド先頭、エスポワールシチーが並びかけようとする。カレンブラックヒルは外側だがあまり伸び脚がない。芝では適性がないか・・・・。あと300m、ここでエスポワールシチー、エスポワールシチー、が抜け出した。エスポワールシチーが先頭に躍り出た。内からセイクリムズン、後ろからワンダーアキュート、グレープブランデーが伸びてくる。イジゲンは伸びない。あと200m、完全にエスポワールシチーが先頭だが、グレープブランデーが伸びた伸びた。エスポワールシチーに迫ってかわしたかわした。グレープブランデーが先頭に出た。グレープブランデーが先頭に出た。2番手にエスポワールシチー、3番手にワンダーアキュートが上がったか。先頭はグレープブランデーでゴールイン。

 1着グレープブランデー 1分35秒1、2着エスポワールシチー 3/4馬身、3着ワンダーアキュート クビ、4着セイクリムズン 3/4馬身、5着シルクフォーチュン クビ。

 勝ったのは5歳馬のグレープブランデー。3歳時に大井競馬場で行われたG-Ⅰ重賞ジャパン・ダート・ダービー(2000m)に勝っている素質馬だったが、その後に骨折してしまい復帰後は精彩を欠いたが、今日、久々に勝ち名乗りを上げた。またジョッキーが昨年度、JRAの全国リーディングジョッキーに輝いた浜中俊騎手で、騎手も馬も今後に期待が持てる。尚、芝でのG-Ⅰホースのカレンブラックヒルの挑戦に注目が集まったが、仕掛けどころで後退して15着に惨敗。ダートの壁は厚かったということになるのか。以上。
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2013.02.11 (Mon)

フィンランドのくらしとデザイン展に行く

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 青森、宇都宮、静岡、長崎と巡回中だった『フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活展』が最終の巡回展になる神戸で今、開催中なので行ってきた。会場は岩屋にある兵庫県立美術館。もともと王子公園の側にあったが10年前に浜側に引っ越してきた美術館である。それで旧兵庫県立美術館は現在別館及び横尾忠則美術館となっている。
ところでこの新しい美術館であるが如何にも安藤忠雄設計らしいコンクリートむき出しの建物である。この新美術館に来るのは3度目ぐらいかな。旧館も何度か行ったことがあるがあちらは阪急の西灘駅(現王子公園駅)から近かったが、新館は阪神電車の岩屋駅が最寄り駅。矢鱈と駅の多い阪神電車なので梅田からだと時間がかかる。御影で特急から普通に乗り換えるが駅の間隔が短すぎる。昔の市電並みだ。やっと着いた。駅から如何にもニュータウンらしき街並みを浜に向かって歩くこと10分で到着。大きな美術館だ。

 フィンランドのくらしとデザイン展だけに美術だけでなくフィンランドの国そのものを紹介するような展覧会である。美術、工芸品、家具、繊維、インテリア、日本でファンの多い北欧デザイン。なかでもフィンランドデザインは独自の人気を地位を得ている。そんなフィンランドの魅力を紹介するような展示となっている。まずは歴史から始まってフィンランドの風土、気候を紹介。フィンランドのデザインの源流を19世紀までさかのぼりアルヴァ・アアルト、カイ・フランク、マリメッコ等の製品デザインを通して20世紀に黄金時代を迎えたフィンランドのモダンデザインを紹介。さらに今世紀に入ってからの動きも伝え出展数は350点に及ぶ。

 そして目玉の展示の一つであるが、フィンランド人のトーヴェ・ヤンソン女史が描いたムーミンの世界。ムーミンというと今から40年ほど前に盛んにテレビでアニメが放映されたので有名になったのだが、それ以降も何度かアニメ化され映画も上映され誰でも知っているキャラクターだが本来はトーヴェ・ヤンソンが描いた小説の中の架空の生物。

 トーヴェ・ヤンソンは画家でもありムーミンの原型はムーミンシリーズの小説を書く以前からたびたび描かれていて、ムーミンが小説に初めて登場するのが1945年。『小さなトロールと大きな洪水』にムーミントロールとして登場。作品は童話のようなファンタジー小説のような架空の世界の話。ただし内容は難しいが。こうしてムーミンシリーズが始まるのである。その後にはコミックにも登場して語学が堪能な弟のラルスが翻訳してイギリスで紹介。人気は世界へ広まっていくのである。そしてその後にアニメーション化されることとなる。日本では岸田今日子の声が特徴的で人気シリーズとなった。ところでムーミントロールって何だということなのだが一見カバのようでもある。トーヴェ・ヤンソンによると妖精の生き物ということである。作画が展示されていて幾つか拝見したが、体表には毛が生えていて直立歩行する。ムーミント言うのは種族名であり、ムーミンと言う主人公を指す場合はムーミントロールなのだそうだ。この生物はトーヴェ・ヤンソンが少女の時代、すぐ下の弟ペル・ヤンソンとの口喧嘩に負け、悔しくてトイレの壁にとても醜い生き物として描いた絵が原型らしい。それで伯父の家へ下宿して学校へ通っていた時代に、夜に勉強中、冷蔵庫からおやつを失敬して叔父に見つかり「つまみ食いをやると裏にいるムーミントロールというお化けが頸筋に冷たい息を吹きかけにくるぞ」と脅され、そこからムーミントロールという名になったという。

 こうして我々は日本でアニメが放映されてからムーミンを知ることとなった。だが、同時にフェンランドと言う北欧の小国をよく知るきっかけとなったことはいうまでもない。国土の70%が森林で蔽われたスオミの国(正式名称はスオミ共和国)。北緯60度~70度にわたり南北に長い国で3分の1が何と北極圏に位置する。スオミとは湖、池を意味するスオから来ているとされ森林以外では国土の10%が湖、沼、池、川である。面積は日本よりやや小さいが人口は500万強と少ない。これより人口の多い県は日本では幾つもあり自然条件が厳しいことをある意味では伝えている。歴史上においてもスウェーデンに650年間、帝政ロシアに100年間支配され続け、その後も国境線を破られ国が消滅したこともある。でも民族愛を失うことなく独立を勝ち取った小国フィンランド。でもこんな小国であるが、教育水準が非常に高く、キシリトール、ノキア、サウナ、ログハウスの国、サンタクロース発祥の地、そしてムーミン・・・・・なにかと国の規模を考えれば凄いと言わざるを得ない。それにフィンランドは関西の人にとっては遠い外国とは思えない。ここの人のファミリーネームというとコッコネン、タッカネン、ムストネン、サルミネン、ニッカネン、アホネン、ヒュンニネン、サロネン、コーレマイネン、リストネン、ハッキネン、バタネン、ライコネン、ヒルボネン・・・・同様に関西では話し言葉で語尾にねんを付けるしね。あほやねん。好きやねん。あかんねん。しんどいねん。おいしいねん。遅いねん。違うねん。下らないオチで終わり・・・・・・・・。

EDIT  |  13:18  |  美術  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2013.02.10 (Sun)

大昔を思い出した

 またまた寒気団が居座って寒さが復活し昨日は雪積もる湖国へ土曜日にもかかわらず出勤してきたが(おまけに残業)、これから当分の間は土曜出勤が続くし毎日残業とかで猛烈に仕事量が増える。もう年齢も年齢だしのんびりしたいのだが職場の方がそうはさせてくれないな。したがって今日は用事を済ませに外出してきた。いつもなら日曜日は骨休みとばかり家でゆっくりすることが多いのだが仕方なく朝から出て行った。それで感じたことであるが何処に行っても日曜日は人出が多いという実態に驚かされる。土曜日も人出は多いが日曜日はさらに人出が多い。それは当然かもしれないが、最近は日曜日にあまり外出しなくなったので、この人の多さにはちょっと驚く。電車がまず混んでいる。朝から人の数が半端ではない。家族連れが多いから余計に多いと思うのかもしれないが、何時もなら空いている午前中でも電車が混んでいてちょっと参る。ところで今日はことに制服姿の中学生が目立っていた。制服姿というと高校生もいて日頃は見慣れているが、やはり中学生は幼いし男の子は身長も低い。それに皆、名札を付けていて白い運動靴を穿いている。高校生は黒いローファーをほとんどの生徒が穿いているので明らかに違っている。ところで何でこんなに制服姿の中学生が多いのかと思ったら、どうやら私立の高校入試の面接が今日の日曜日に行われたらしい。昨日が筆記試験で今日が面接日だとかで皆、指定された時間に学校へ向かうため電車に乗っていたのである。

 関西では私立高校の試験が学校ごとではなく一斉に行われることが多く、京阪神は昨日と今日で、この日は2日目に当たっていた。それで滋賀県や奈良県、和歌山県は別の日に行われるとか・・・・。

 そういえば我々のころと違って、今は私立校に対する期待度が上がっているので気合の入れ方も違うだろう。昔は公立校神話というものがあって、大阪ほどではないが京都でも出来ることなら公立高校に行くのが妥当とされていて、私立校は公立高校の併願先で公立落ちの生徒が行くという雰囲気だった。実際に我々の当時は公立高校が今よりもはるかに少なくて入りたくても今よりも入りにくかった。それが40年間で時代がすっかり変わってしまって私立校の台頭で必ずしも公立高校に入ろうといった強い意識はなくなったようだ。さらに付け加えるならば私立校は中高一貫化するところが多く、進学校化が進み公立校とは違ったカリキュラムでどんどん進学実績を伸ばしているのである。それに対し公立校は1970年あたりから比べると数が圧倒的に増え、全体的な進学率が上がったものの弊害として学校別のランク付けが進んでしまったのである。それで上位校の公立はいいが下位校だと勉強意欲のない子が多数入学するようになり二極化の様相を呈するようになってしまった。特に大阪は公立高校の上位校と下位校の学力差が酷い。それで下位校の中には定員割れするところも出てきてしまったのである。そして今では公立高校を増やし過ぎた弊害からか、高校同士を統合させ減らしにかかっている。そういった状況を踏まえて、それなら金はかかるがしっかり面倒を見てくれる私立高校に子供を入れようとする親が増えたのも納得できる。だから私立校の専願率も増え、私立校の入学試験は一世一代の大勝負と考えている生徒も少なくはないだろう。それで皆、真剣な顔で臨んでいたようだ。

 それで小生は40年以上前の私立校の入試を思い出したまでである。でもどうせ公立が本番だからと言って、当時はあまり真剣味がなかったかな・・・・。私立なんて落ちないと思っていたし、落ちたらよほどどうにかしているとも思っていた。それほど今とは時代が違っている。当時は全員が高校に行く時代ではなかったし、高校に落ちてもまだ許された。でも今は高校の入試に落ちるわけには行かなくなったのだな。難しい時代になったものだ。当然、その先には大学を見据えているから高校に行かなければならないのだろう。たとえ大学を出ても仕事があるとはいえなくとも選択肢は多い方がいい。だから出来る限り高学歴でありたいと親も本人も願うのだろう。それで思わず皆、頑張れ! と心の中で叫んでいた。

 ところで小生も40年以上前はあんなに初々しくて幼い外見のだったのかな。と、そのように感じるのは如何に自分自身が腹黒くなり駆け引きを覚え、上手く立ち回る術を会得し、知らぬ間に老いたという証拠でもあるということか。何だか寂しいものがあるなあ。棺桶が昔は全く見えなかったが、最近はチラリホラリしだしたからな・・・・・・。
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2013.02.08 (Fri)

今冬で一番寒い日・・・・・・?

 今冬は最近珍しく寒い冬なのであるが、今日の寒さは強烈だった。ただしいつもと少し違っていた。何故なら大阪で雪が降り薄化粧だったのに、京都は降っていたものの大したことはなく薄化粧とはいかず、滋賀県の職場のある最寄り駅では雪がチラホラ、でも晴れ間も覗いていた。ただし強烈な寒さである。最高気温は2℃か3℃。風も強く体感温度はまさに氷点下。実際に路面は凍っていたし耳が引きちぎられそうな冷たい風が吹きすさぶ。しかしこんな寒い日なのに、朝は電車が遅れていて10分ほど余計に駅で待たされた。こちらは電車が到着する5分前に駅へ着くように家を出るのだが、着くなり5分たっても電車が一向にやってこない。すでに暖房の入った待合室は人でいっぱい。これようやく何時来るか判らない電車を待つしかない。身体の芯まで冷えてくる。すると駅構内にアナウンスが流れた。どうやら西明石駅で安全確認を行ったということで後続の電車が全て遅れてしまったとのこと。どうにか10分遅れで電車が来たが冷え切った身体はどうしよもない。あまり暖房が利いてないから身体が温まるまで時間がかかる。でも温まった頃に最寄り駅に到着。とにかく電車の中も寒かった。

 帰りは帰りでまたまた電車が遅れていた。今度は雪のせいだ。帰りの電車は湖北からやってくるので窓や屋根に雪がこびりついている。これは一見して吹雪の中を突っ走ってきたなということが分かる。それで電車内に乗り込むと床が濡れているではないか。靴底に雪を付着させて乗り込んだ人が多いのだろう。何時ものことだが強烈な寒波が来ると帰りの電車は何時も遅れるので慣れてはいるが、滋賀県というところは県の北半分は雪国ということを再認識させられる。そこへ猛烈な風が加わって余計に寒く感じるのだ。それでどうにか今週も無事終わったといいたいのだが、あいにくこれから本格的に仕事が忙しくなりそうだ。そして明日の土曜日も出勤であるし、この2月は毎日残業で日曜日しか休めなさそうである。なんだかゾッとするがこの2月にこれだけ忙しい職場というのはいったいどうなっているのだろうか。もう残業もしたくないし、土曜日も出勤したくないのに、考えとは違う方向に向かって行くしかなく、スズメの涙ほどの賃金で働かされる毎日なのだ。まあ愚痴をいってもしょうがないが、またまたブログ更新が出来なくなるな。最近はただでさえ更新率が低いのに、仕事ばかりが増えると遠距離通勤者はただ寝に家へ帰るだけとなる。したがってパソコンも立ち上げることもできなくなりそうだ。トホホ・・・・。

 取り敢えずはこの報告だけでもしておくことにする。来週からはおそらく毎日深夜帰りとなるのかな。寒風吹きすさぶ中、また深夜帰りの毎日で、安サラリーの勤め人は虐められこき使われ耐えて耐えてただ働くのみなのである。ああ早く拘束から抜け出したいものなのだが、現実の壁は高くまたまた長いものには巻かれるしかないのである。


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2013.02.03 (Sun)

2月3日といえば

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 2月3日と言えば・・・・一般的に節分である。つまり節分とは季節の始まりの前日のことを指すのであって、年に4回あることになる。つまり立春、立夏、立秋、立冬の前の日のことである。なので2月3日は立春の前日と言うことなのだが、現在ではこの立春にあたる2月3日だけを節分として行事をおこなっているだけのようだ。でも2月3日が節分と言うけれどもこれもけして決まっているわけでもない。いづれ暦の上から計算上、ズレて来るので節分は2025年以降2月2日になるという。まあ、こんなことはあまりたいした意味はない。今日は節分の行事の話をするつもりなのである。

 節分とは季節の変わり目の前日を指すと書いたが、季節の変わり目には邪気が生じると大昔は考えれれていて、それを追い払うための悪霊払いの行事が行われるようになったとされる。所謂それが豆撒きである。福は内、鬼は外と声を出して豆を撒く。そして年齢の数だけ豆を食べる。地方によっては鰯の頭をさした柊などで邪気除けを行う場合もある。ところでこの全国で節分に行われていた豆撒きの習慣であるが、これは諸説あるが室町時代から行われていたともいわれる。これが現代まで伝承されてきたものであるが、最近はちょっと事情が異なってきて、恵方巻なんていうものが幅をきかしてきた。

 巻き寿司の太巻き(7種類の具を使う)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべ丸かぶりする習わしである。こんな習慣、10年ほど前まではほとんど全国的に行われていなかった。そもそもこれは大阪に伝わる習慣なのだが、何故にこんなに急激に広まったのか・・・・・。本来、大阪では昔からこのような巻き寿司丸かじりの習慣があったらしいが、小生はそんな習慣はまったく知らなかった。小生が大学生の頃、大阪から通っている友人から最初に聞いたとき驚いたものだが、京都では節分にそのような行事はなかったのだ。要するに大阪だけの行事であったということだろう。それが何時の間に全国的な行事に広がってしまったのか・・・・。

 これも諸説あるが要約してみると、どうやらこの行事はコンビニエンスストアが拡げていったと見ていいだろう。1970年代初期には大阪海苔問屋協同組合がポスターを作成して太巻き寿司の販売促進キャンペーンを行ったと言うが小生は記憶にない。1970年代後半には、やはり海苔問屋が道頓堀で巻き寿司の早食い競争を販売促進のために行ったとされるが、このキャンペーンも小生には記憶がない。

 それが1980年代に入り大阪や兵庫のコンビニで1月の後半から2月の頭にかけて巻き寿司の販売を行った。これがどうやら節分の恵方巻の販売促進キャンペーンの始まりのようである。それが徐々に販促の範囲を広げていき、じわじわと恵方巻を行う地域が関西から次第に広がっていき、平成元年にセブンイレブンが広島で恵方巻の巻き寿司を大々的に売り出したとされる。やがてセブンイレブンは20世紀末には全国展開することとなり、恵方巻の知名度が一気に上がったとされる。今では全国的に広まりテレビの全国ネットで盛んに恵方巻のことを採り上げるようになったが、小生は何か違和感を覚えるのだが。

 つまり海苔業者、スーパー、コンビニ、これらの業界の商売に巧く乗せられ一般消費者が見事レールを突っ走ったということである。本来は大阪で行われていた行事とはいえ、まんまと巻きこまれたとしか言いようがない。これはバレンタインデーのチョコレートと同じで、消費者心理を巧く操ったという意味では皆さん見事に騙されました。商魂逞しいその手の業者は消費者を渦中に入れ、すっかり行事と言うよりイベント化させ儲けを謳歌したことだろう。こうでもしなけらば日頃、海苔なんてそんなに需要があるものではない。寿司屋にいっても握りは食べても海苔巻はあまり食べないだろうし、この日があることで海苔の消費量が上がったとしたら、それは業者としては成功だったのではないだろうか。これで気勢が上がったのかどうかしらないが、最近では節分が年に4回あることに着目し一部の店舗が、5月に春の恵方巻、8月に夏の恵方巻、11月に秋の恵方巻を行うところが出てきた。まさにこれなんか便乗もいいところで、これらが流行るともうお笑いとしか言いようがない。また巷では、これも便乗で巻き寿司にあやかってロールケーキの恵方仕様もあちらこちらで現れ出すし、洋菓子や和菓子業者も便乗して恵方巻に似た菓子を販売している。もうこうなると何でもアリということだが、今日は見事に巻き込まれて夕飯時には恵方巻を皆さんかぶりつくのだろうな・・・・。
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2013.02.02 (Sat)

12分の1経過

 1年365日というけれど今年に入って早くも12分の1が経過してしまった。まあ1月が終わってしまったということなのだが相変わらず平平凡凡の毎日で、これといって何事もなく経過してしまったということだが、有りがたいと思わないとバチがあたるだろう。もう何十年も勤め人をやっているとマンネリに浸りすぎて、ただ同じことを繰り返す毎日なのだが、その平凡こそが平穏無事な証拠である。人生、谷あり山ありもそれはそれでスリルはあるが、これだと精神的に参ってしまう。なので緩い坂や下り坂があっても平均して変動のない毎日を送る方が結果としてリスクが少なくて良いのかもしれない。よく波瀾万丈なんていうが、こういった一生を送る人は人生の終焉を迎えるときどのように思うのだろうか。結局、その人の人生というのは人生半ばで判断出来るものではないし、良かった悪かったといえるようになるのは一生をまさしく終えようとするときに振り返るものではないだろうか。だからといって、人の考え方がも千差万別。とある人の一生が別の人から見るとまったくつまらない人生かもしれないし、だからといって当の本人は良い一生を過ごせたと言えるかもしれない。ようするに人それぞれ考え方一つなんだろう。毎日がつまらないつまらないと思って過ごすと結局、後悔だけが残るのではないかと思う。たとえつまらないと思える平凡な毎日でも、楽しいと思えるような考えを持つことは必要かもしれない。たとえ極貧のどん底でも極貧を楽しめるような大きな心を持てるような人間になってみたいものである・・・・・・。といいたいが、実際のところ現実はそんなに甘くはないのだな。金があってこその人生だなんていいたくはないが、金は天下の回りもの。極貧だとその日だけの生活に追われてしまって、長期的な見通しが全くたたない。したがって生活が経済的に安定してこそ平平凡凡な生活が送れるのであって、其の点においては小生も世間に感謝しなくていけないかな。とはいえ、今週の土曜日こそ休日であったが、来週からは土曜日出勤が当分続くし、そこへ連日の残業が加わる。こうなると疲労が蓄積し、このような考えが吹っ飛んでしまうのだ。まあ人間なんて欲張りでないものねだりはつきものだが、仕事がないと収入がなく困るものだが、仕事が有りすぎると今度は休みが欲しいと思うようになる。結局、これの繰り返しなんだな。それでブログ更新出来るのも今の間だけかもしれない。来週からは仕事に追われて、また深夜帰りの土曜出勤の連続。その時にどのような心理状態になっているか更新しにくるつもりではあるが、はたして暇があるだろうか・・・・・・・・・・・。
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