2011.03.31 (Thu)
3月31日
関西では計画停電とかないのに何故と思ったら、電車の部品を造る工場が東北にあって部品の供給が追い付かないということらしいのだ。それでそのような処置をJR西日本がとるらしい。こういったことを聞くにつれ、東北地方だけの問題ではなく、その影響はやはり日本全国に及んでいるのだ。本当に頑張れ東北ではなく、頑張れ日本という状況になりつつある。ところで近畿でも震災の影響が及んでいるのか、工場などで急遽、操業中止を余儀なくされたところもあるしフル生産できなくなったところもある。それで朝の電車の混み方が以前とは違っているのかもしれない。何時もなら朝から座っていくことは滅多にないのに、この数日間、毎日、シートに腰掛けて通勤している。おかげで救われてはいるが、日本経済の行く末が心配になってきた。それに原発の放射線物質の汚染の問題も一向に好転しない。これは長引きそうだが、もしかして半年後には大変なことになってやしないだろうか。色々と考えることの多い今日この頃であるが、明日からの新年度、新たなスタートが始まる。心を入れ替えて明るく行きたいのだが、関東でも大方の大学は始業を1ヶ月遅らしたという明るい話題は何もない。そこへ、これから難題が山のように待ち受けてそうだ。それで暑い夏には・・・・・・・・電力不足から・・・・・。ああ、ぞっとする。
2011.03.29 (Tue)
映画『レイジング・ブル』を観る
監督 マーティン・スコセッシ
出演 ロバート・デ・ニーロ
キャシー・モリアーティ
ジョー・ペシ
フラング・ヴィンセント
ニコラス・コラサント
テレサ・サルダナ
【あらすじ】1964年、ニューヨークはバルビゾン・プラザ・シアターの楽屋で肥った中年男が映画『波止場』の台詞の一節を繰り返していた。この男はかつて世界ミドル級チャンピオンで怒れる牡牛(レイジング・ブル)と恐れられたジェイク・ラモッタである。話はさかのぼって1941年、彼は黒人ボクサーと闘いKO寸前まで相手を叩きのめしたのにも拘わらず判定負けをしてやけ酒を飲み妻に当たり散らす。妻は散々ジェイクの態度に嫌気がさしていた。そこへ金髪の若い女性ビッキーとジェイクは出会い結婚する。それからのジェイクは試合で連戦連勝、当時、無敵のボクサーだったシュガー・レイ・ロビンソンをも破ったのである。だが、それでも彼は世界タイトル・マッチをやらせてもらえなかった。そこでジェイクは裏の組織に八百長を強いられた。結局、負けて、その御礼として世界ミドル級タイトルに挑戦できるようになったのである。こうして1947年、念願の世界ミドル級タイトル・マッチに臨んだ。相手のチャンピオンはフランスのマルセル・セルダン。試合は激戦となったが、10回TKOでジェイク・ラモッタはとうとう世界ミドル級チャンピオンとなった。しかし、それと引き換えに妻ビッキーとマネージャーである弟ジョーイとの猜疑心から心が離れていくようになる。こうして3度目の防衛戦でジェイクは宿命のライバル、シュガー・レイ・ロビンソンと対決。ジェイクはロビンソンに敗れ引退する。引退したジェイクはフロリダでナイトクラブの経営を始めたが、やがて彼のところから妻が去り弟が去っていく・・・・・・・。
この映画は実在したボクサー、ジェイク・ラモッタの半生を描いた映画である。ほとんど全編白黒で、冒頭からマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲』が流れる中、ジェイク・ラモッタが1人黙々とシャドー・ボクシングをやっている。このあたり実に巧みな編集である。所謂、『ロッキー』のようなボクシング映画と対極をなす。けして成功物語ではなく、どちらかというと成功の陰で人生に挫折しかけた男の生きざまをコツコツ表現している。この映画を観ているとボクシングシーンに登場するロバート・デ・ニーロと引退してからのロバート・デ・ニーロが同じ人物かと思ってしまうほど外見が違っている。この映画のために本人は25kgも肥ったというが、この好演により彼はアカデミー主演男優賞を受賞した。ところで、この映画の中で主人公ジェイク・ラモッタが対戦するボクサーには、拳聖といわれ全階級通じても史上最高のボクサーと評されるシュガー・レイ・ロビンソンを始め、エディット・ピアフの恋人で飛行機事故で突然亡くなったマルセル・セルダンが登場する。
シュガー・レイ・ロビンソンはアマチュア時代85戦全勝(69KO)。1940年に19歳でプロデビュー。1965年、44歳で引退するまでの間、200戦175勝(109KO)19敗6引き分けを記録。世界ウエルター級タイトル獲得、その後に世界ミドル級タイトルを5度も獲得。プロデビューから40連勝した。アマ、プロ通じて初めて負けた相手がジェイク・ラモッタだったのである。そこからジェイク・ラモッタとは宿敵となり、通算で6度対戦。最後の対戦はロビンソンに打たれまくってもダウンをしなかった。だが一方的に打たれまくられるので『聖バレンタインデーの虐殺』と呼ばれた。
マルセル・セルダンは旧フランス領アルジェリア出身のボクサーでいわずとしれた歌姫エディット・ピアフの恋人だった。世界ミドル級タイトルを時のチャンピオン、トニー・ゼールから奪いフランスの英雄となる。だが、初防衛戦でジェイク・ラモッタと対戦。激しい試合となったが、左肩を脱臼したマルセル・セルダンが10回終了で棄権。ルールによりTKOでジェイク・ラモッタがタイトルを獲得した。マルセル・セルダンはラモッタがリターン・マッチを受けたのでタイトルを奪還するべく、試合の地ニューヨークに乗り込もうと搭乗したが、飛行機が墜落してしまった。この時、エディット・ピアフは公演でニューヨークにいて飛行場まで迎えに行く予定だったというが、訃報は親友のマレーネ・ディートリッヒから聞かされた。
最後になるがジェイク・ラモッタの戦歴は106戦83勝(30KO19)敗4引き分け。試合ぶりからRaging Bullと呼ばれたのである。ボクシングでの闘い方はまさにブルファイターで、史上もっともタフな選手と言われたのである。また、余談であるがかつてポール・ニューマンが主演したボクシング映画『傷だらけの栄光』の主人公ロッキー・グラジアノも実在した世界ミドル級チャンピオンで、彼は少年時代はジェイクラモッタの悪友であった。尚ジェイク・ラモッタは90歳になったが今も健在である。
映画『レイジング・ブル』トレイラー。
実際のジェイク・ラモッタとシュガー・レイ・ロビンソンの試合。
2011.03.27 (Sun)
第41回高松宮記念
それで快晴の阪神競馬場で第41回高松宮記念(G-Ⅰ・4歳以上、芝1200m、16頭)が行われた。1番人気はジョーカプチーノ、2番人気はダッシャーゴーゴー、3番人気キンシャサノキセキ、4番人気サンカルロ、5番人気レッドスパーダだったが。
横一線のスタートからヘッドライナーが行った。押して押して先頭に立った。内からレッドスパーダ、真ん中からダッシャーゴーゴーが続く。キンシャサノキセキがそのあとで、ジョーカプチーノ、ワンカラット、ウエスタンビーナス、ビービーガルダン、アーバニティ、サマーウインド、サンカルロ、エーシンフォワード、ショウナンアルバ、スプリングソング、シンボリグラン、サンダルフォンという順で早くも3コーナーにかかろうというところである。前のヘッドライナーとダッシャーゴーゴーが逃げる逃げる。ここから4コーナーにかかるが、ウエスタンビーナスが故障発生で一気に下がる。後続の何頭かに降りがあった模様。600のハロン棒を通過。先頭はヘッドライナーとダッシャーゴーゴーだが、この2頭が並ぶようにして直線コースに入る。阪神の内回りは直線が短いが、先頭はヘッドライナーとダッシャーゴーゴー。その直後にキンシャサノキセキ。ダッシャーゴーゴーが先頭に立った。ダッシャーゴーゴーが先頭、ダッシャーゴーゴーが先頭。キンシャサノキセキが2番手。キンシャッサノキセキが伸びる伸びる。あと200m、ダッシャーゴーゴーが粘る。キンサyサノキセキが伸びる。ダッッシャーゴーゴーが粘る。キンシャサノキセキガ並ぶ。キンシャサノキセキガ先頭。キンシャサノキセキが先頭に出た。後続からアーバニティ、サンカルロ、ビービーガルダンあたりが急襲してくる。しかし、キンシャサノキセキガ先頭。キンシャサノキセキが先頭でゴールイン。
1着キンシャサノキセキ 1分07秒9、2着サンカルロ 1馬身1/4、3着アーバニティ アタマ、4着ビービーガルダン クビ+アタマ、5着レッドスパーダ 1馬身1/2。
キンシャサノキセキはこのレース2連覇。短距離のG-Ⅰレースで2連覇とは珍しい。父は内国産のフジキセキなのにオーストラリア産という変わり種だが、もう8歳なのに半年遅産まれだけに馬がまだ若い。これだけ1200m~1400mでは安定しているのにマイルとなるとそうとも言えないのが不思議なところである。ところでこのレース1着から3着まで関東馬が独占した。短距離戦からマイルでは関東馬が強いのはこの数年の傾向だが、関西馬はいったいなにしてるのだろう。もっと危機感を持ってもらはないと困る。面白い現象ではあるが・・・・・。
2011.03.27 (Sun)
2011年ドバイワールドカップデー
まずドバイ・-マ・クラシック(G-Ⅰ・4歳以上、芝2410m、14頭)だが、このレースはメンバーがワールドカップに比べると手薄なので日本から参加のルーラーシップにチャンスがあると思っていた。ところがレースになるとルーラーシップはかかってしまい、行きたがってとうとつバックストレートに入ってからすぐに先頭に立った。いくらなんでもゴールまで長すぎる。直線に入ってやや後続を引き離すかに見えたがあと300mまでは先頭。ただ粘り切れず、そこから4頭、5頭に襲いかかられ結局は6着に終わる。
1着Rewilding 2分29秒01、2着Rdewood 3馬身1/4、3着Calvados Blues 1/4馬身、4着Laaheb 1馬身3/4、5着Chinchon 1/2馬身。
勝ったRewildingはこれで8戦4勝2着2回3着1回となる。昨年の英国ダービーで3着、英国セントレジャーが6着という成績でG-Ⅰレースは初の制覇になる。
続いてメインレースのドバイ・ワールド・カップ(G-Ⅰ・北半球4歳以上、南半球3歳以上、AW2000m、14頭)である。ワールド・カップは日本から女王ブエナビスタ、グランプリホースのヴィクトワールピサ、ダート王のトランセンドの3頭が出走。芝とダートの両方の王者が海外のドバイで激突するというのもオールウエザー・コースならではである。そこへ海外からはアイルランドのダービーを勝って、キング・ジョージⅥ&クィーン・エリザベスS2着のCape Blanco、Gio Ponti(マンノウォーS2連覇、アーリントン・ミリオン1着)、Twice Over(チャンピオンS2連覇、エクリプスS1着)といった強豪が出走。
レースは日本のダート馬トランセンドが先頭に立った。ヴィクトワールピサとブエナビスタはシンガリとシンガリから2頭目。ところがバックストレートに入ってからヴィクトワールピサが外を通って一気に進出。あっという間にトランセンドの外につける。ブエナビスタは相変わらず後方待機。3コーナーから4コーナーと順位にあまり変動がなくホームストレートに入る。ここから海外勢が急襲。でも内のトランセンド、その外のヴィキトワールピサの日本勢が頑張る。最後にはヴィウトワールピサがトランセンドを退けて1着でゴールイン。2着もトランセンドで日本勢のワンツー・フィニッシュとなった。残念ながら最有力だったブエナビスタは後方待機が裏目に出たのか直線で前が開かず、外に持ち出したが追い込みが不発で8着に沈んだ。この馬が着外に落ちたのは初めてのことである。
1着ヴィクトワールピサ 2分05秒94、2着トランセンド 1/2馬身、3着Monterosso 1/4馬身、4着Cape Blanco 1/4馬身、5着Gio Ponti 3/4馬身。
日本馬はこれまでシーマ・クラシックを勝つことはあったが、メインのドバイ・ワールド・カップを制するのは初めてであり快挙となった。ヴィクトワールピサの今後の活躍に期待することにしよう。
2011.03.26 (Sat)
エリザベス・テイラーが亡くなった
映画『クレオパトラ』で私はエリザベス・テイラーを知ることになるのだが、その後、私も成長して数々のエリザベス・テイラー出演の映画を観る機会が増えた。それで彼女が出演している映画をどれだけ観たかをざっと数えてみた。『名犬ラッシー』『緑園の天使』『若草物語』『花嫁の父』『陽のあたる場所』『雨の朝巴里に死す』『ジャイアンツ』『去年の夏 突然に』『バターフィールド8』『クレオパトラ』『予期せぬ出来事』『いそしぎ』『バ―ジニア・ウルフなんかこわくない』『夕なぎ』『ザッツ・エンタテインメント』『トスカニーニ 愛と情熱の日々』・・・・・観そこなった映画も多いが、エリザベス・テイラーの出た映画は少女時代から晩年も含めて全般的に観ている方だと思う。一般的にエリザベス・テイラーは美人女優と言われているが私もそれは認める。マリリン・モンローはセクシー、オードリー・ヘプバーンはキュートとするとまさにエリザベス・テイラーこそビューティフルということになるだろう。『若草物語』や『花嫁の父』に出ていた頃のリズはそれこそ絶世の美女だった。それが何時しか美人女優という代名詞がとれて演技派女優として知れ渡っていところが、ちょうど私がリズの映画をよく見ていた頃である。2度も夫となったリチャード・バートンと出た『いそしぎ』『バージニア・ウルフなんかこわくない』の頃であろうか。もうその頃というのは、エリザベス・テイラー自身も30代半ばにさしかかっておりかつての美貌ぶりだけが売り物の女優と違って演技派として通る大女優であった。『いそしぎ』(1965年)では女流画家役で宗教家の校長(実の夫だったリチャード・バートンが演じる)と不倫する映画であるが、主題曲『The Shadow of Your Smile』という甘美な曲と相成ってドロドロとした印象ではなかった。またリズが2度目のオスカーを受賞した『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)ではリチャード・バートンと夫婦役をやり、ここではそれまでのリズのイメージと打って変わって肥って登場。リチャード・バートンと役の中でののしり合う。
ただし演技派の女優として名を高めるようになってからはだんだんと映画の出演本数も減っていった。その一方で社会における慈善活動とかをやり始め、銀幕のスターとは違った一面を見せるようになるが、外見からして最早かつての美女だった面影は影を潜めていた。これは残念で仕方がないが、子役時代から映画に出続けて、美貌の女優として人気が出て、やがて8回の結婚と7回の離婚遍歴が有名になるほど私生活でも賑やかであった。ただその私生活における恋愛歴が芸の肥やしとばかりリズの女優としての地位を確立していったのだとしたら、リズの芸歴はただの美人女優で終わっていたのかもしれない。
2011年3月23日、ロザンジェルスで死去。享年79歳。死因はうっ血性心不全。ご冥福をお祈りします。
映画『花嫁の父』(1950年)トレイラー。
映画『クレオパトラ』(1963年)トレイラー。
映画『いそしぎ』(1966年)のシーン集スライド・・・The Shadow of Your Smileの歌にのって・・・
2011.03.23 (Wed)
3月23日
話は変わるが選抜高校野球が始まったらしいが、あまりに寒いので実感がない。今年は震災の直後なのでプロ野球の公式戦開幕を大きくずらしたりするらしいが、セ・リーグとパ・リーグでは開幕日が違っているようだ。パ・リーグには楽天東北ゴールデニーグルスが仙台をフランチャイズにしている関係からやむを得ないが、セ・リーグは開幕日を何時にするかで選手会とオーナー側との間で揉めているようである。そこへお上の方からお察しがあったようである。電気の使用量が膨大になる東京ドームでのゲームはやってほしくないようで、さらにナイトゲームも照明灯を使うので節電対策から問題になっているみたいである。すると全試合デーゲームでやるのかな。それはいくらなんでも無理がある。しかし、セとパがともに大幅に開幕時期を遅らせて年間試合数を減らせばどうにかこなせるのではと思うが、難題は山積されているようである。もっともプロ野球があろうがなかろうが小生にとってはどうでもいいことだが・・・・・・。
それにしては高校野球は強引に開催に踏み切ったようだが、プロ野球と違って教育の一環という大義名分があるからなのか・・・・。今年の春の大会は中止してもよかったのではとも考えるが、選手のことを考えると開催せざるを得なかったのかもしれない。それでもセレモニーを出来る限り地味にして細々と開催するらしい。ならばテレビ放送をやめればいいのだが、相変わらずNHKは試合を中継するだろう。もう高校野球の特別扱いはやめてほしい。高校生のスポーツは野球だけでなないし、どうせ中継するのならもっとマイナースポーツも取り上げてほしいと思う。もっとも視聴率をとれるかどうか疑わしいが、野球だけが何故、こんなに人気があるのか。これこそ日本人の特異性ではないだろうか。ということで多くを語るのはやめた。明日は帰りが遅くなるので更新は出来ないが、一応は報告ということで、なんだか支離滅裂な内容になってしまったが、今日はここらで失礼いたします。
2011.03.22 (Tue)
3月22日
ところで朝から曇っていたものの、正午ごろは外が明るくなって青空も顔を出していたのに、帰り間際に雨が降り出した。ああ、寝耳に水だ。帰る頃にはしっかりとした雨になり仕方なくバスで帰った。今日は待ち時間もなくうまくバスが来てくれて、交通停滞もあまりなくスムーズにバスが動いてくれたので、何時もより2本も早い電車に乗れたのだが・・・・・・。
小生の自宅のある最寄り駅に着くと雨が降った形跡もない。何だまた滋賀県だけが雨か。なんていうところだ。雪もよく降るが雨も多いところだ。京都からの電車の中、小生以外、どうりで誰も傘を持っていなかった筈だ。星が見えている夜空を見上げながら、濡れた傘を持って家路を歩いていたという莫迦らしさ・・・・。本当に厭になっちゃうよ。
2011.03.21 (Mon)
3月21日
さてと、今日は家から出ずにといっても近所のスーパーに買い物には行ったが、こんなところでも若干、品薄状態になっている。被災地優先に物資を回しているのなら納得するが、どうも買い占める者がいるらしい。どういうことだ。その昔、第一次オイルショックのあった1973年秋、トイレットペーパーを買い占める人が長蛇の列をなしたことがあるが、これはデマもいいところだった。今回もどこからかデマがとびかっているのかしらないが、すぶに反応する人がいる。みんなこんなものに騙されてはいけない。もっと冷静になって対応してもらいたい。日本は東北地方が壊滅したからって国全体が崩壊した訳でもないし、仮に関東が崩壊しても西日本が被害を被ってなかったらカバーできるほど国に力があるのだし、関西だけでもカナダ一国に相当する経済力を持っているのだ。落ち目になったといってもまだまだすてたものではない。もっと人を信じよう。あの被災地の人の我慢強さを学ぼうではないか。反対に勇気づけられそうだ。なので自分さえよければという考えは捨てようではないか。
ウダウダ書いたが、あまりこんなことは書きたくなかった。でもしょうがない・・・・。さあ、気持ちを入れ替えて明日からまた仕事に励むとするか。
2011.03.20 (Sun)
阪神大賞典
そういうことで今日は阪神で伝統の阪神大賞典(G-Ⅱ・4歳以上、芝3000m、13頭)が行われた。このレースは今時、珍しい長距離レース。このところ日本でも菊花賞や春の天皇賞は盛り上がりに欠けるので、このレースもどんなメンバーが揃うのかと見てみたら、やはりなあ小粒もいいところである。それで1番人気はコスモメドウ、2番人気はオウケンブルースリ、3番人気はナムラクレセント、4番人気はキタサンアミーゴ、5番人気はゲシュタルトだった。昨日から暖かく今日は昼から空が曇りだしレースは雨の中で行われることとなった。
スタートして予想通りコスモモラピュタが先頭に出る。2番手にナムラクレセント、3番手にコウsモメドウ、4番手ゲシュタルト、5番手ロールオブザダイス、6番手マカニビスティー。そのあとはメイショウドンタク、キタサンアミーゴ、シグナリオ、エクセルサス、トウカイトリック、モンテクリスエス、オウケンブルースリといった隊列でレースが淡々と進む。向こう流しから3コーナー、4コーナー回って1周目スタンド前を通過。1コーナー、2コーナーを回って再び向こう流しへ。前の3頭がそれぞれ4馬身から5馬身ほどの等間隔であるが、4番手以下はほぼ固まっている。1000m通過が1分01秒0、2000m通過が2分04秒6と中だるみのぺース。そろそろ3コーナー、このあたりで俄然ぺースが上がる。4コーナーでほぼ13頭が一団になって直線に入る。阪神の内回りコースは短いが・・・、先頭はコスモラピュタ、2番手にナムラクレセント、先頭コスモラピュタだが、あと200mほどあるが、ここでナムラクレセントがコスモラピュタをかわして先頭に出た。ナクラクレセントが出た。ナムラクレセント先頭。ナムラクレセント先頭。2番手争いだが内で粘るコスモラピュタとコスモメドウ、ゲシュタルト。大外から伸びてくるモンテクルスエス、さらにメイショウドンタク。しかし、ナムラクレセントが完全に抜けた。3馬身リード、2番手はコスモメドウか。先頭はナムラクレセント、ナムラクレセント1着でゴールイン。
1着ナムラクレセント 3分04秒4、2着コスモメドウ 3馬身1/2、3着モンテクリスエス 3/4馬身、4着コスモラピュタ クビ、5着メイショウドンタク ハナ。
このレースは前残りの展開だったが、その中で後方から差してきたモンテクリスエスが見ごたえがあった。でもメンバーがメンバーだけにけして褒められたものでもない。レースもあまり内容がない。それにしても天皇賞はそのようなメンバーになるのだろうか。ここにローズキングダム、ヴィクトワールピサ、ルーラーシップといったあたりが加わらないと、天皇賞はまさしく2流のG-1になり下がってしまいそうだ。
2011.03.19 (Sat)
義援金募金に思う
このような大災害の後には、必ず募金活動を装った詐欺グループが現れるからだ。だから迂闊に可哀想だ寄付をしてやろうとばかり安易に片っ端からお金を入れるものでもないということである。この募金活動を行っているグループがどういった人達なのか、後ろ盾は間違いないところなのか知ることも必要である。結局、このような詐欺が横行すると真面目に取り組んでいるグループまでが迷惑するのだ。それで小生は安易に募金箱にお金を入れたくないので、その前を通らずわざわざ遠回りしたりしているのだが、困ったことに、これだけ至る所でやっていると通らざるを得ない。それで10数人が募金箱を持って大声で叫んでいる前を、知らん顔をして通りすがることとなる。このときの後ろめたさは言葉にしにくいのである。募金活動を行っている人から見ると冷たい人だとか、ケチだなとか思われているかもしれない。実はこの空気が一番厭なのである。こちらも善意の心がないわけではない。しかし、これだけ至る所で募金活動を行われると、1度や2度ほど100円程度なら入れることもある。だが、それが数ヶ所に及ぶと、もういい加減にしてくれといいたくなる。
もっとも相手にとっては、こちらが別の募金箱にお金を入れてきたということは知らないから、入れてくれとばかり大声を張り上げるが、1日に何ヶ所も募金箱にお金を入れているほど小生は裕福ではない。知らぬ間に今度はこちらの懐も寂しくなる。募金をする人の中には1000円札を入れる人もいるが、小生は100円以上は入れる気がしない。でも、100円を20回募金すると2000円にもなる。たかが2000円という人もいれば、2000円のお金でも困っている人もいる。街を歩いている人の所持金も違うように、たとえ100円でも募金したくない人は大勢いるのだ。募金できるほど収入があればいいが、実際にはその日の生活も困っているような人もいる。だから街頭で募金活動を行われると、募金箱を見るのも嫌な人もいるのが事実である。定職がなく派遣労働者で、ようやく食いつないでいるが、気が弱くて大声で集団で募金を募られるとついついなけなしのお金を入れてしまって、その日は食事する金がなくなったという若者を知っているが、彼こそ募金して欲しいという気持ちになるだろう。
ところで小生は毎日、湖国のあるところまで毎日、通勤しているが、先週、夕方になると毎日、大学生が募金活動を繰り広げだした。それで最初の日はいくらか募金をさせてもらったが、翌日も、その次の日もとなると、ちょっと勘弁してくれといいたくなる。こちらもその日の必要経費を割り出して、無駄遣いしないように心がけているのに、こう毎日、義援金をとられると、人を助ける前にこちらが沈没してしまう。大げさなことをいうなといわれるかもしれないが、このような善意の押し売りのような街頭の募金活動はある意味で考えものである。
義援金はやりたいが、このような形ではなくもっと他の方法があると思うのだが・・・・・。街頭募金だと前を通るたびにお金を入れている人はいったい、どれだけお金に余裕があるのだろうか・・・・。こちらも募金したい志はあるが、これだけ毎日、至る所で募られると所持金も底をついてしまう。だからもう無視することにしているのだ。
2011.03.17 (Thu)
本当に大丈夫・・・・・・
今回、放射線物質が漏れたと言って原発から半径20km以内は避難。半径30km以内は自宅待避だという。でも原発周辺に住んでいる外国人は本国の基準に合わせて大方の人が半径80km内より外に避難している。つまりこれだけとっても日本の政府の対応の甘さが指摘されても仕方がない。噂の域でしかないが、中性子が原発の付近で確認されたとも聞く。ということはもしかして、原子炉内で臨界(核分裂反応の持続)を起こしているのではないだろうな・・・・・。こうなると最悪のシナリオが待っているが・・・・・・。実際にアメリカ科学国際安全保障研究所はIAEAの国際原子力事象評価尺度でレベル6、もしくは7に該当するとの見解を発表しているのだ。あのスリーマイル島のときでさえレベル5である。そして最悪の事故だったチェルノブイリのときはレベル7・・・・ということは、すでにアメリカでは今回の福島原発の事態を重く見ているのである。それでいて日本のテレビは今日、とうとう地震関連や原発の報道をあまりやらなくなった。ことに民放はドラマやバラエティ等のふつうの番組に戻し、もう原発の問題に触れないでいる。しかし、一刻の猶予も許されないはずなのだが・・・・・。東電はメンツがあるのか真実を何処まで吐いているか判らないし、政府レベルの発表も信憑性は疑わしい。
今、現在、はたして事態はどこまで進んでいるのやら・・・・・。ヘリコプターで上空から放水したとか、地上からは機動隊の放水車で原子炉に放水だとか言っているが、この程度では焼け石に水のような気もすらが、とにかく何でもいいから試みるつもりなのだろう・・・。巷ではやばいといって、東京から脱出している若者もいるが、これを安易な行動として小生はとても笑えない。事実、外資系の企業ではマネージャー・クラスが東京のオフィスから大阪のオフィスに移動しているところもある。平日の東京発の東海道新幹線で、昼間は乗車率100%になることは滅多にないというが、それがこの2、3日、西へ向かうのぞみはかなりの人が乗り込んでいるという。どの人も不安を感じて一時的にも原発から離れたいと思ったのかも知れない。
はたして原発の収拾は何処まで進んでいるのやら、頼むから突然、半径300Km以内の住民は避難してくださいなんていうなよ。こうなると大パニックになってしまう。それにしても不安は拭えないのだが・・・・・。
2011.03.13 (Sun)
地震から3日目
ところで、もうこれ以上、書いていても意味がないしこれで終わります。また暗い記事ばかり書きたくないので、明日から僅かな間ですがブログを自粛したいと思います。また復活はしますが、1週間先か、それ以上なるか判りません。趣味のブログのはずなのに趣味の記事は書けそうな雰囲気ではありません。それで、もう少し期を待ってから復活いたしますので、ご了承ください。
2011.03.12 (Sat)
東北地方太平洋沖地震②
既に死者・不明者1500人ほどになるといわれ、この先、救援が進むにつれこの数字は増していく。本当に言葉がない。ただ言えることは、今回の地震は規模の大きさもさることながら、被害の多くは巨大津波によるものだということ。ここが都市直下型地震だった阪神淡路大震災と異なっている。いわゆるプレート型地震で、それが近海の浅いところで起こったから未曾有の巨大津波が発生したことになる。それにしても日本の観測史上最大の地震と言われるマグニチュード8.8で、それが日本海溝沿いにその後も大きな地震が起こった。南北400kmにも及んでプレートの境界に破壊が起こったらしい。それも最初の午後2時46分の地震から、破壊が連動しとてつもない巨大地震になったようである。それで巨大津波が発生し、運悪くリアス式海岸の入り江に片っ端から大波が襲ったのだろう。映像だと陸前高田市が壊滅状態で、街が消えたといわれる。その昔、西暦79年、ベスビオ火山の噴火によって近くのポンペイの街が全滅したことがある。街が一瞬に壊滅したというとすぐにポンペイの事例を思い出すが、それが今現在、現実に起こってしまったというからこれはただ事ではないだろう。
また陸前高田以外にも、岩手県から宮城県、福島県、茨城県の太平洋側の街はどこも大津波ですさまじい被害を被っているではないか。そこへ今度は原子力発電所で放射能漏れした可能性が高いという。福島の原子力発電所で緊急事態宣言が発せられ、政府は福島第1原子力発電所からの避難範囲を半径10kmに、第2原子力発電所でも半径3㎞の住民に避難を指示したというではないか。前代未聞の原発危機といってもいいだろう。
ところで多くの住民が避難をしているが、ライフラインはズタズタでおそらく被害地域の人達は情報が何も入ってないだろう。我々のような被害に関係のない地域の者が地震全体の状況を把握しているのに、被災地の人が何の情報も齎されていないというのは皮肉である。今回は広い範囲にわたって被害甚大だから、おそらく復興には長い月日がかかるだろう。テレビや新聞で地震被害の物凄さばかりが取り上げられるが、残念がら我々は何も出来ないでいる。歯痒いといえば歯痒いが、大自然の猛威には人間の叡智なんて実に非力である。ただ1人でも多くの人が救助されることを祈るのみである。
2011.03.11 (Fri)
東北地方太平洋沖地震
するとこれは遠方で起こった地震だと直感した。そして、すぐに思い浮かぶのが東海地震、東南海地震、南海地震等である。だが、別の者がすぐに入った情報を提供してくれた。流石にモバイル端末だと情報が早い。震源は三陸沖で宮城県北部で震度6強だという。それを聞いて小生は絶句した。まさか宮城県だとは・・・・・・・・。我が職場のある滋賀県と震源地の宮城県の三陸沖とでは直線距離にして約700㎞ほども隔てている。それでいてはっきりと地震と判るほどの揺れをこちらでも記録したのだから、相当、大きい地震だろうと考えたのである。もっとも大正12年の関東大震災の時も神戸で震度3ほどの揺れがあったことは聞いているが・・・・・・。
仕事が終わり急いで帰宅した。帰宅するや否や日頃は滅多に見ないテレビを見た。こうなると何処のテレビ局も地震関連の番組ばかりである。それで改めていかにすさまじい地震であったかがよく判る。遠く離れた近畿でも軒並み震度3だから規模も大きかった。なんとマグニチュード8.8だというから驚嘆する。こんな数字は国内の地震で記録したことがない。阪神淡路大震災がM7.2で関東大震災がM7.9だったように思うが、とにかく恐ろしい揺れだったろう。
テレビを見ると東北から関東まで被害が大きく、その揺れの激しさに唖然とした。それと津波の物凄さに茫然となる、今現在、死者59人、不明55人。これから夜が明けて地震の全貌が明らかになっていくだろう。そして被害のすさまじさが映像を通して流される。ああ、恐ろしい。あまり見たくない映像だが、これが現実なのだ。取り敢えず亡くなられた方、被害にあわれた方、お悔やみ申し上げます。
2011.03.10 (Thu)
サラ・ヴォーンのポップスを聴く
サラ・ヴォーンというと幅広い声域と見事なヴィブラートと声量を誇り、ビリー・エクスタインとともにモダン・ジャズ・ヴォーカルの開祖ともいうべき大御所女性シンガーであることは言わなくともよいが、彼女の特徴としてはジャズ・ヴォーカルのみならずポップス界においても優れた歌い手であったということである。
サラ・ヴォーンは1924年ニュージャージーで生まれ18歳でアマチュア・コンテストで優勝というほど歌唱力には若い時から定評があった。そして、歌手でトランペッターのビリー・エクスタインに認められアール・ハインズ楽団に参加。ここからプロ歌手としての経歴が始まるのだが、1944年、ビリー・エクスタインのビッグ・バップ・バンドに加わってからメキメキと頭角を現すのであるが、ちょうどこのころ、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー等と共演。音楽的基礎を培ったのである。さらに同じ頃、同バンドで初のレコーディング。1947年には『イッツ・マジック』がヒットしエクスファイア、ビルボード両誌で人気投票1位に輝いたほどで、当時は技巧に走りすぎという批判もあったという。
こういった器用さもあって若い頃から、ジャズとポップスを歌いこなしていた。当然、このアルバムもポップスを歌って収録したものである。1950年代からジャズとポップスを歌いこなしていたサラ・ヴォーン。1960年代に入ってもその勢いはとどまることを知らず。このアルバムは1965年秋にニューヨークで収録されたものである。もっともジャズ・ヴォーカルというのは、この当時、危機感があった。1960年代中ごろから後半にかけてロック・ミュージックの台頭で、ジャズのスタンダードを歌っていたシンガーは働く場所が狭まって行った。それでヨーロッパに渡ったり引退していったりで、当時のジャズ・ヴォーカルの御三家だったエラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレエ、そしてサラ・ヴォーンも例外ではなかったのである。それでエラもカーメンもポップスを歌うようになったのであるが、もとからポップスを取り上げていたサラ・ヴォーンはお手の物だった。
そして、当アルバムなのであるが、収録曲は『イエスタデイ』『アイ・ノウ・ア・プレイス』『イフ・アイ・ルールド・ザ・ワールド』『メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ』『ヒー・タッチド・ミー』『ハビビ』『ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラヴ』『ラヴァーズ・コンチェルト』『リトル・ハンズ』『オン・ア・クリア・デイン・ア・クリア・デイ』『ファースト・シング・エヴリー・モーニング』『ワルツ・フォー・デビル』の12曲である。
ビートルズの『イエスタデイ』から始まって、ペトゥラ・クラークの曲、トニー・ベネットの曲、バート・バカラック作曲の『メイク・イット・イージー・オン・ユア・セルフ』『ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラヴ』、映画の主題歌『ハビビ』、ミュージカル・ナンバー、カントリー・ナンバー、ジャズ畑の曲と言えばビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』ぐらいである。
所謂、なんでもこなすサラ・ヴォーンの面目躍如というべきところである。何もジャズ・シンガーにこだわることもない。もしジャズ・シンガーにならなければオペラ歌手でもポピュラー・シンガーでもシャンソン歌手でも成功しただろうといわれているサラ・ヴォーンであるから聴きごたえがある。この中でサラが歌って最も有名になったのが『ラヴァーズ・コンチェルト』である。この曲はサンディ・リンザーとデニーランデル作詞・作曲によるものだが、メロディを聴いてもらえば判るように、基はバッハの有名なメヌエット(アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳~メヌエット ト長調 BWV.Anh.114)である。つまりバロックの曲である。最近、サラ・ヴォーンが歌っている『ラヴァーズ・コンチェルト』がテレビCМで流れていたからご存知の方もおられよう。この曲は実はサラ・ヴォーン以外にも歌っていてザ・トイズという黒人女性人3人組が歌って1965年2月ビルボードのヒットチャート2位まで躍進している。でも後年まで聴き継がれるのはサラ・ヴォーンの『ラヴァーズ・コンチェルト』であったことは言うまでもない。、
『ラヴァーズ・コンチェルト』を歌うサラ・ヴォーン(音声のみ)
『イエスタデイ』を歌うサラ・ヴォーン(音声のみ)
2011.03.09 (Wed)
3月9日
小生、昔から冬から春に向かう頃になると何時も体調の変調があって、この頃に身体がおかしくなる。腰痛になったり気管支炎になったり目が赤く充血したり、リンパ腺を腫らしたり、3月というのは毎日、気温の変化があって体調がおかしくなるのかもしれない。それで今日も寒かった。いや、気温はさほど上がってないが、強風が吹き荒れて身体が冷え切ってしまったのである。
朝から珍しく滋賀県も晴れていて放射冷却が効いていた。おかげで朝からカラカラ天気で寒さが身に染みた。今日は滋賀県の公立高校の入試があったみたいで中学生が大勢、電車に乗っていて賑やかなこと。何時もの駅で降りようとするが、扉の前を中学生数人が立っていたのでなかなか降りられずイライラしたが、中学生たちは電車に乗里慣れてないのか乗り降りももたもたしている。それで駅のプラットホームの改札口も混乱していたようだ。こちらはバス乗り場に急ぎたいのに、階段も横に拡がって上るからこちらは追い抜かせない。バス停に着いたものの出遅れたから、大勢の人が並んでいるではないか。そこへまた中学生がバス停にぞろぞろとやってきた。少年、少女たちはバスで入試会場の高校まで行くのかな。滋賀県と行くところは駅から離れたところに高校がある場合が多く、駅からはバスか自転車という通学パターンが大半を占めるのだ。中学生はとにかく賑やかだ。キャッキャッ叫んでいる。こちらは大勢の中学生が乗り込む前にバスに乗り、先に発車したのでホッとした。本当に朝から疲れます。
昼からは風がだんだんと強くなり、何時ものように職場から駅までテクテク歩くものの冷たい風に煽られすっかり全身が凍ってしまった。手も冷たいが顔も冷たい。鼻からは鼻水が滴り落ちる。相も変わらず強風の吹き抜けるプラットホームでなかなかやってこない電車を待つ。早く来ないかなあと思うが、特急や新快速の通過ばかり。まったく田舎の駅は厭だなあ。ようやく各駅電車が到着。乗り込むと暖かいのでホッとする。こうしてイライラの溜まる1日だったが、帰ってから血圧を測ったらやはり高かった。あまりイラつかないようにしたいのだが・・・。最近は酒も飲んでないのでストレスも解消できたないのかもしれない。本当にやめたいのは薬で、酒はやめたくないのだが持病があると難しいねえ・・・・・・。
2011.03.07 (Mon)
3月7日
2011.03.06 (Sun)
弥生賞
スタートしたがきれいなスタートではない。正面スタンド前を通過、何が行くか。アッパーイースト、プレイ、外からターゲットマシンだが、アッパーイースト先頭か、いや外から半馬身ほどターゲットマシンが出た。3番手プレイ、4番手ルーズベルト、5番手サダムパテック、6番手デボネア、そのあとにギュスターヴクライとオールアズワン、そしてトーセンマルス、ウインバリアシオンで最後方にショウナンマイティで向こう正面に。このあたりかオールアズワンがかかり気味に4番手まで上がっていく。早くも3コーナーにかかろうかというところ。スタートアkらのハロンラップは12.8---11.3---12.2---12.8---12.6で1000m通過が1分01秒7とスローペース。これだと末脚勝負になりそうだ。残り800mになりターゲットマシンガ先頭。半馬身差でアッパーイースト、3番手にプレイ、オールアズワンがいてそのあとにサダムパテックでこのあたりからぺースアップする。そして4コーナーを回って直線コースに入ろうとする。先頭は内からアッパーイ-スト、ターゲットマシン、そしてプレイ。インコースからデボネアも来る。アッパーイースト先頭、プレイが伸びる。あと200サダムパテック来たおおそとかれあ。、まだアッパーイースト先頭、内からデボネア、さらにプレイ。横一線だ。そこへ外からサダムパテックが来た。激しいデッドヒート、サダムパテック出た。サダムパテック僅かに出た。大外からショウナンマイティも突っ込んでくる。デボネア、プレイも頑張る。しかし勝ったのはサダムパテック。
1着サダムパテック 2分01秒0、2着プレイ 1/2馬身、3着デボネア ハナ、4着ショウナンマイティ クビ、5着アッパーイースト ハナ。
1番人気のサダムパテックが勝ったのでこの馬が、皐月賞へ半歩リードした形になったが、それでも展開次第で勝ち馬がコロコロ変わってしまう。つまり絶対的に抜けた牡馬がいないことないなる。まだスプリングS、毎日杯などの前哨戦が残っているので、これから先、見事な勝ち方をする馬が出てくるかもしれないが、現状では皐月賞は本命不在の大混戦で行われることは必至である。でもその方が面白いという人もいるが、強い牡馬が出て来ないと競馬を観ていても力が入らない。これだとダービーにレーヴディソールの出走があるかもしれないなあ?
2011.03.05 (Sat)
チューリップ賞
1番人気は当然レーヴディソール、2番人気はライステラス、3番人気はケイティージェム、4番人気はタガノラヴキセキ、5番人気はメーヴェであった。スタートするやハピシン、ライステラスのダッシュがいい。しかしハナを奪ったのはタガノラヴキセキであった。タガノラヴキセキが先頭に立ち、ハピシンとユースティティアも差がなく続く。そのあとにケイティージェム、フジチャンと続き、そのあとにメデタシ、ライステラス、メーヴェがいて、その2、3馬身あとに本命のレーヴディソールがいて、さらにビッグスマイル、ジョーアカリンで、さらに4、5馬身あとのシンガリにツカサリボンという展開でまもなく3コーナー。ハロンタイムは12.5---11.3---11.7---12.2---12.4。800m通過が47秒7、1000m通過が1分00秒1とややスロー。3コーナーから4コーナー、徐々に馬群が固まりつつある。先頭は依然としてタガノラヴキセキ、2番手にハピシンでこれから阪神の外回りコースの直線に入る。タガノラヴキセキ先頭、タガノラヴキセキ先頭。レーヴディソールは後方から4、5番手の外の位置。先頭はタガノラヴキセキ、2番手にライステラスが上がった。。そして外からレーヴディソールだが、まだ後方。だがここから進撃を開始。あと200m、ライステラスかタガノラヴキセキか。そして外から一気にレーヴディソールだ。レーヴディソール、レーヴディソール。ここでレーヴディソールがら楽に先頭に立った。レーヴディソール、レーヴディソール、1頭だけ脚色が違っている。2馬身、3馬身と差が開く。楽な手ごたえで鞭も入れない。楽々先頭でさらに引き離してゴールイン。
1着レーヴディソール 1分34秒5、2着ライステラス 4馬身、3着メデタシ クビ、4着タガノラヴキセキ ハナ、5着ビッグスマイル クビ。
レーヴディソールの独演会だった。直線入り口で外に持ち出して先行の各馬を纏めて差し切ってさらに差を広げて楽勝。まさに女ディープインパクト。これで桜花賞の勝ちっぷりしだいでは今年の3歳馬最強の声も出そうだ。まあ、それだけ牡馬にいいのがいないだけなのだが。実際にレーヴディソールが勝ったデイリー杯2歳Sで7着に敗退したグランプリボスが年末のG-Ⅰ朝日杯に勝っているぐらいだから、その実力は出色といえよう。今日のレースでただ1頭だけ上がり3F33秒6と図抜けた末脚を見せつけている。それにしても古馬もブエナビスタ、3歳もレーヴディソールとなると牡馬はしっかりしてくれよといいたい。
あと中山のオーシャンSは結果だけ載せるとする。
1着ダッシャーゴーゴー 1分07秒8、2着キンシャサノキセキ 3/4馬身、3着レッドスパーダ ハナ、4着セイコーライコウ クビ、5着ケイアイアストン 2馬身。
昨年10月に京都で行われたデイリー杯2歳Sの映像。
2011.03.03 (Thu)
3月3日
駅前からバスに乗って職場の最寄りのバス停で降りるが激しい雪が降っている。空は一面の鉛色。青空は何処にもない。家を出る時は気持ちよいほどの青空だったのに判らないものだ。この天気ですっかり滅入ってしまった。朝からこれだと帰りはまた積雪か・・・・・・と憂鬱になってきた。でも昼の段階で雪はやんでいたし、帰宅時には雲の切れ間から青空も見えていたのでホッとしたのである。
それにしても寒いところである。朝出るときにこの格好でいいかなと思っても、湖国では通用しない場合が多い。とにかく衣一枚は違うような気がする。薄手の外套着を着ていくと身体の震えが止まらない時がある。寒い上に風がとても強いから体感温度は半端じゃない。自宅近辺で2℃か3℃なら間違いなく職場の周辺では氷点下である。この氷点下の中を歩いて帰るのだが、駅に到着したころは身体が芯まで冷えている。早く電車がこないかなと思っても、こんなときに限って延着したりするから困ったものである。日常茶飯事に電車は遅れるし、それでいて本数は少ないから地元の人があまり電車に乗らないのもうなずける。地元の人は車通勤が多く、電車に乗っているのは京都や大阪らの通勤者が大半であり、あとは高校生に大学生である。それ以外はお歳寄りに子供である。なるほどとは思うが、これだと本数を増やす訳にもいかずこちらとしたら、この職場をやめない限りこの不便さに付き合っていかなくてはならない・・・・。あああ、大変だ。えらいところに職場が移ったものだ。今更ながらあきれ返っている。
2011.03.02 (Wed)
3月2日
そんな寒い日の今日、防災訓練なるものを行うから殊更、寒く感じた。よりによってこんな日を選ばなくてもいいが、前から決まっていたのでしょうがない。しかし、今日のような寒い日に外に出て30分も訓練をやらされると厭になる。暖かい室内から屋外に出るや底冷えする寒さであった。なにしろ雪も舞っていた。流石に湖国だ。北風が吹きさらすし、体感温度は相当なものである。こんな風をさえぎる物が何もない吹きさらしの屋外で長い間、訓練を行ったのですっかり身体が冷え切ってしまったではないか。拙者はただでさえ鼻水がよく出るのに、訓練の後はティッシュで鼻ばかりかんでいて鼻の下が赤くなってしまったではないか。かんでもかんでも出てくる。本当にロクでもない。
1年に1回は訓練を義務付けされているとはいえ、あまりにも外は寒かった。せめて5月とかに訓練を行えばいいのにと思いながら参加していたので、実際にはみんな真剣にやってなかったようだ。それにしても今日は冷えた。帰宅してからもすぐに石油ストーブに火を入れた。でも明日も明後日も引き続き寒いようだが、厚着になったり薄着になったり季節の変わり目というのは体調管理も難しいが着ていく服にも考えなくてはならない。我々の年齢になるとファッション性は無視して、快適に過ごせる服装かどうかがポイントになってしまう。厚着しすぎると暖かいが動きにくくて窮屈であり肩がこる。薄着になると動きやすいが、身体が寒さで耐えられない。だから今の季節は本当に難しい。それで毎朝テレビをつけて天気予報を見る癖がついてしまったのだ・・・・・。結局は天気予報を見てから身支度をするという情けない有様である。ところで誰か全天候型、スーツというのを発明してくれませんか。スーツ1枚で冬も夏も兼用・・・・・まあ夢のような話ではあるが、オシャレ度からいって話にならないので、永久に実現しないだろうが・・・・・・・。
2011.03.01 (Tue)
3月1日
そして今日から3月だが、またも朝から雨。昨日の朝が土砂降りで、夕方には晴れていたというのに、またも朝から雨。それも自宅を出る時は曇ってはいたが雨は降っていなかった。なのに滋賀県に入るとまたも小雨が降っている。まったくよく雨の降るところだ。雪だけではなかった。でも朝の気温は高くて寒くはなかったのだが・・・・・・。帰宅時には雨がすっかりあがっていて、気温がぐっと下がっていった模様である。帰りは一気に気温が下がり、朝は春の気温なのに、夕方からは冬の気温に逆戻りである。帰宅してから急いで石油ストーブを焚く。このところ暖かくて必要がなかったのに、久しぶりに石油ストーブのお世話になる。これだとまだまだ春は遠い。かといって小生はそれほど春を待っているのでもないが、歳をとってから肌の荒れが目立つようになり、手も足もガサガサである。若い頃のような脂分が身体から抜けてしまい踵がよく割れて痛いので、クリームをいつも擦りつけるのだがなかなかスベスベにならない。それほど乾燥肌でもないのに荒れるのは、やはり歳のせいだろう。寂しい限りだが仕方がない。これからはますます皺が増えていき、頭髪も白くなっていくのだろうか。色々と考えると季節は春に向かうのに、心の方はまったく枯れ気味である。せめて気持ちだけでも春でいたいのだが・・・・・・。
短いが今日はあまり書く気が起こらないので、ここらで失礼するとしよう。