2009.11.30 (Mon)
ブログの写真が・・・・・
今年も早いもので残り1ヶ月となってしまった。小学生の頃は、あんなに1年が長いと感じたというのに、最近の1年の経過の早さといったら目にも留まらずで、年々、月日の経過のスピードが増すような感覚がある。殊にこの10年はあっという間であったから、これから先、さらにスピードを増すように時間が経過していくのだろうな・・・・・。と感傷的になっているのでもないが、もう余命の方を考えなくてはならない歳にかかりつつあるので、このような思いにとりつかれるもでもあるが、やはり歳はとりたくないものである。
のっけからこんな湿っぽい話になったが、このブログも今後、何時まで続いていることやら、まもなく記事数が600に達しようとしている。でも過去の記事を読み直すことはほとんどなく、一体どんなことを書いたのやら全てを覚えているのでもないので、知らなかったが、どうも当ブログ上の掲載写真が消えていたり、別の写真に入れ替っていたりするらしい。読み直ししないのに何故、判ったかというと、写真がおかしくなっていると知らせてくれた方がおられて判明したもので・・・・これはどうなっているのかチンプンカンプン判らないが、FC2のシステム上のトラブルで起こるのかもしれないし、小生が自ら招いたミスで写真が消えたり入れ替ったりしたのかもしれない。でも、何処の記事の写真がおかしくなっているのか判らずじまいで、ここまで来たが、以前、FC2側のトラブルで掲載した写真が大量に消えたことがある。だから消えた写真は気にもせず、そのままにしてあるのだ。とにかく掲載した写真も数100はあるだろうから、いちいち確認していられない。それに小生は一度書いた記事を、ほとんど読み直すこともないから、おかしなことになっていても手直しを加えてなく、記事と一致しない写真が多数載っている可能性は多々あるだろう。それが、あまり多いと今さら手直しを加える気も起こらず、放ってある状態かもしれない。とにかく600近く記事があるとブログ上のあちらこちらで不具合が発生してもおかしくない。なにしろネット上に乗っかっている記事なので、突然のようにこのブログが消えてしまうかもしれないし、システム上のトラブルで写真が消えたり、おかしくなったりするのは日常の常であるだろうし、今後も記事と写真が合ってないということがこれまで以上に発生するかもしれないだろう。いや、既におかしな部分は数え切れないかもしれない。でも暫くの間は手付かずで、どんどんと先に進もうと思う。
もう過去のことはあまり振り返りたくないし、自分が書いた古い記事を読み直したくもないから、新しい記事を書き進めていく方が面白い。なので当ブログを読んでおられる方で、写真と記事が合致していないと思っても見逃してもらいたいと思う。まあ、何れ手直しを加えられる時間があれば修整しにはいくけども、どうしようもない場合には、おそらく掲載写真を消すことになるだろうと思われる。ということでご了承願います。
2009.11.29 (Sun)
第29回ジャパンC
でもロジユニヴァース以外そこそこのメンバーが出てきたようだ。またヨーロッパからは最強ではないけども、今年のキング・ジョージとブリダーズCターフを勝ち、昨年のセントレジャーを勝った一流馬のコンデュイットが出てきたので興味が沸いたのである。それで1番人気は何かと人気のある牝馬ウオッカ。2番人気は昨年の菊花賞馬オウケンブルースリ。3番人気は英国馬コンデュイット、4番人気は昨年の覇者スクリーンヒーロー、5番人気は3歳の有力馬リーチザクラウンだが圧倒的な人気馬はなく票は割れていた。
定刻3時20分過ぎいよいよスタートが切られた。エイシンデピュティが押して行くが、内からアサクサキングス、外からリーチザクラウンにあっさりかわされる。第2コーナーでリーチザクラウンが先頭に立って2馬身のリード。2番手に菊花賞馬アサクサキングス、3馬身あいて今年の宝塚記念に勝ったエイシンデピュティ。そのあとに早くもウオッカで内にネヴァブション、外にヤマニンキングリーが併走。さらにスクリーンヒーロー、米国馬マーシュサイド、インティライミ、英国馬シンティロと固まって追走。そのあとに3歳牝馬のレッドディザイア、米国馬ジャストアズウェルがいて、キング・ジョージの覇者コンデュイットと米国馬イナターパテイション、エアシェイディといったところが続き、オウケンブルースリとコスモバルクがいて、最後方が春の天皇賞馬マイネルキッツという順で向こう正面しさしかかる。ハロンタイムは12.7---10.5---12.0---12.0---11.8---12.0と1000mを59秒0で通過。前半の1200mは1分11秒2と馬場を考えれば平均よりやや速目でよどみのないペースになっている。
3コーナーの800のハロン棒を通過、順位に変動はなく各馬が徐々に押し上げてきて馬群がつまってきた。そして4コーナーから長い直線に入ろうというところである。先頭はリーチザクラウン、アサクサキングスとエイシンデピュティが2番手だが、ウオッカが4番手から5番手で何時でも抜け出せる態勢にいる。あと400m、リーチザクラウン先頭、ウオッカガ2番手に上がる。その後ろにコンデュイットがいる。スクリーンヒーローは伸びない。早くも連覇に赤信号か。大外からオウケンブルースリが追い出しに入ろうとする。ここでウオッカが先頭に立った。あと200m、ウオッカが先頭に立っている。ウオッカが先頭。外からオウケンブルースリが伸びる。オウケンブルースリが伸びる。あと100m、ウオッカが先頭だが、オウケンブルースリが追い上げる。懸命に追い上げる。完全にウオッカとオウケンブルースリの争いになった。逃げるウオッカ、追うオウケンブルースリ。レッドディザイアも来るが3番手で、ウオッカが粘る。オウケンブルースリが襲い掛かる。内のウオッカ、外のオウケンブルースリ、一完歩ごとに差が詰まるが2頭が並んだところが、ちょうどゴールだった。
1着ウオッカ 2分22秒4、2着オウケンブルースリ ハナ、3着レッドディザイア 1馬身1/2、4着Conduit 1馬身1/4、5着エアシェイディ 1馬身1/4.。
長い写真判定の結果ウオッカに凱歌があがった。でも先行馬の直後につけて早めに先頭に立ち、そのまま押し切った今日のウオッカは横綱相撲だった。オウケンブルースリは脚質的にもあのような競馬しか出来ず昨年のジャパンCのようなスローペースになるとなす術もないが、今日のようにペースが平均よりも速く上がりが速くならないと、やはり確実に突っ込んでくる。でも競馬としてはスローペースの競馬よりも、こちらの方が力の競馬となるので見応えがある。
当初、ウオッカが毎日王冠、天皇賞でカンパニーの後塵を拝し、ややケチがつきだしたように思えたが、テン乗りのルメールが上手くウオッカの良いところを引き出したのが今日の勝利に繋がったようだ。ただ有馬記念は、中山の馬場ということを考えると出てくる可能性は薄いような気がする。またオウケンブルースリも中山の馬場は明らかに向いていないから、今年の有馬記念もメンバーは揃わないのではと思っているのだが・・・・・・・。
2009.11.28 (Sat)
紅葉の光明寺に行く
この光明寺というのは、京都の乙訓地域では昔から紅葉の名所として知られていたが、地元の人しかあまり来なかったのに、最近は京都案内のガイドブックにまで紅葉の名所として紹介されているということを最近知ったばかりである。またテレビでもよく採り上げられるようになっていて、京都以外の人にも知れ渡っているということを知り驚いているのでもある。そのせいか、この光明寺も嵐山、東山、高雄といった紅葉の名所ほどではないが随分と人が多い。あーあ、とうとう京都の郊外の、我々の住んでいる近くの紅葉の名所まで、最近は観光客が群れをなしてやって来るのだなあ・・・・。まいった、まいった。これだと人がいない時間を見計らって写真を撮ろうと思うならば、寺が開いた時間の直後に行かないといい写真は撮れないなあ。まあ、何れにしてもコンパクト・デジタル・カメラでは限界があって、一眼レフほど見事な写真が撮れる訳でもないが、とにかく、ここの紅葉は一見の価値がある。とにかく京都でも屈指の紅葉の艶やかさを誇るが、私のデジカメでは、とても紅葉の全貌を写しきれるのでもないが、取り敢えず写真を何枚か撮ってみたのでご覧あれ。
※写真はクリックすると拡大します
赤い楓が落ち葉として石畳の上に舞い落ちて、やがて赤い絨毯のようになるのだが・・・・
紅葉と法然上人の像
京都の紅葉も今週がピークで来週は落ち葉が目立つだろうなあ。
2009.11.26 (Thu)
ブラームス・・・・・『交響曲第4番』を聴く
空がどんよりとして口からはく息が白くなり、落葉が目立つ季節になると何故かブラームスの交響曲が聴きたくなるという悪癖、悪習が私にはある。ブラームスの交響曲といったところで4曲しかないから、以前に1番を紹介したから何番がいいかなあと考えたところ、この季節に聴くとしたら3番か4番だろうと考え、結局、4番を紹介することにした。
この4番は交響曲はブラームスが試行錯誤を重ねて長年かかって完成した1番と違い書き始めから完成まで僅か1年の短期間で創作されたのである。1883年、ブラームスが50歳の時に交響曲3番を完成させ、その翌年の夏にミュルツシュラーに避暑に行き、そこで第1楽章と第2楽章が書かれ、1885年の夏になり第3楽章が完成していたという。つまりブラームスの陰鬱ともいえるような4番の渋い曲調は、意外にも明るい夏に大半が書かれていたというから判らないものである。
この頃のブラームスは押しも推されぬ音楽界の重鎮であり、それでいて孤独な寂しさから逃れる出来なくもあったといわれ、青年時代からの親友ヨアヒムとの友情も破錠をきたし、ブラームスのよき理解者だった指揮者のヘルマン・レヴィもヨアヒム側に立ちブラームスと絶交状態であった。さらにブラームスと親交のあった仲間たちも次々と故人となり、いわば音楽にも人間的にも孤独な影が全体を覆うような諦観を見せるようになっていた。ちょうど、この頃に書かれたというのが、この交響曲第4番ホ短調であり、あまりにも曲の出だしから内省的である。そういえば私が小学生の頃に観た映画『キューポラのある町』(1962年、吉永小百合主演)で、この交響曲第4番の冒頭がかかっていたのを思い出す。
ところでブラームスの交響曲は保守的だといわれる。斬新なことは一切せず、過去への追憶も自分を慰める手段の一つになるというから、過去の良い音楽を好み、それらに郷愁を抱いていたところがあるほどの作曲家である。したがってこの4番も保守的な手法で書かれており、すでにマーラーやブルックナーが登場していることを考えれば、あまりにも古臭いといわざるを得ない。殊に第4楽章はシャコンヌの手法を用いているし、全体的に対位法を愛用している。また曲全体がバロック風旋律で満ち溢れ管弦楽法そのものが200年も遡ったかのようだといわれるなど、同時代のチャイコフスキーやドヴォルザークの交響曲と対比してみても、その古臭さは一目瞭然である。それでいてしっかりと曲が出来上がっていて結果として陳腐なものにはならずに19世紀の数ある交響曲の中でも傑作の一つとされるのだから、ブラームスは優れた作曲家であったことは確かである。
第1楽章の頭から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの弦楽とフルート、クラリネット、ファゴットの木管が交互にむせび泣くようなメロデイが奏でられ、時には訴え、不安を提示したり反抗したり、慰めたり、曲全体が暗く、それでいて哀愁がある。スコアを見ると木管のパートはdolce(甘い、柔らかい、温和な、優しい)といった書き込みが目立つが、短調の曲でありながらそのような指示を出している。どちらかというと52小節まではallegro non troppo(適度に快活に)の表示にあるように、どちらかというと男性的な主題で展開される。それが53小節から女性的な表現に変わり、その対比が面白く、それでいてソナタ形式としては一般的とされ、古典的といわれるのはそのためなのだが、この曲を聴きだすと、そのような理屈は忘れてしまって、いきなり冒頭から吸い込まれるように聴き入ってしまうほどの陶酔感があり、私はブラームスの交響曲1番と並んでこの交響曲4番は好きな交響曲の一つでもある。
ブラームス 交響曲第4番 第1楽章の演奏
指揮 カルロス・クライバー
バイエルン国立管弦楽団
2009.11.24 (Tue)
キネマ旬報オールタイム・ベスト10
第1位 ゴッドファーザー
第2位 タクシー・ドライバー ウエスト・サイド物語
第4位 第三の男
第5位 勝手にしやがれ ワイルドバンチ
第7位 2001年宇宙の旅
第8位 ローマの休日 ブレードランナー
第10位 駅馬車 天井桟敷の人々 道 めまい アラビアのロレンス 暗殺者の森
地獄の黙示録 エル・スール グラン・トリノ
ううーん、『ゴッドファーザー』が1位か・・・・・・。まあ、優れた映画とは思うが、どちらかというと暑苦しくて私の嫌いな方の映画に属する。あのマーロン・ブランドのしわがれた声を聞いて、あまりのめり込めなかった。それにニーノ・ロータのベタなテーマ曲を聴いただけで嫌気がさして、この映画の上映当時、途中で映画館を出て行ったことを思い出すし、若い頃は嫌いな映画の筆頭であった。ただ、その後に何度か観て、ただマフィアの抗争だけを描いた映画ではなく、シチリア島から移民した一家の愛と結束、葛藤、悲哀・・・・実に奥深い内容のある映画であるとは思った。でも好きな映画には今でもなれないのである。だから、どちらかというと『タクシー・ドライバー』の方が映画としては好きかな。ジョディ・フォスターが幼い娼婦を演じ、ロバート・デ・ニーロがいい演技をしていたなあ・・・。でも、どちらにしても私が20歳前後に上映された映画で、よく覚えているが、観た当時、それほど衝撃を受けなかったけどなあ・・・・・・。受け取り方は人によって色々あるから、しょうがないが。選者もだいぶ若返ったのかもしれない。
全体的には私の好きな映画がいくつか入っていて、『キネマ旬報』もなかなか鋭い人に投票させたものである。でも『グラン・トリノ』なんて映画観たことがない。どうやら2008年の映画というから、最早、ここにランクインするというのはどのような映画なのか・・・・・・・。監督がクリント・イーストウッドだけに、クズ映画ではなさそうだが、最近の映画は、大概において期待を裏切られるからどうだろう。ただ『ゴッドファーザー』にしろ『地獄の黙示録』にしろコッポラの映画が2本も入っているというのは、よほど選者は粘着質な性格の人が多いのかなあ・・・・・とにかく2本ともくどい映画だけど・・・・・・・。
ところで私なら、この中から『ウエスト・サイド物語』『第三の男』『勝手にしやがれ』『ブレードランナー』『天井桟敷の人々』『道』『アラビアのロレンス』『エル・スール』を選ぶけども・・・・・。でも映画といっても、人それぞれに好き嫌いはあるし、物の価値観が違うように見解の相違もあるだろうし、年齢によっても見方は違ってくる。それに主観も違うから、100人いれば100通りのベスト10が見られるだろう。だから文化人だろうが批評家だろうが作家だろうが、このような人が決めたベスト10だからといって、絶対的なものでもないし、人それぞれのベスト10は各自で胸にしまっておけばいいと思うのである。だから、こんなものどうでもいいけど・・・・。でも一応、観ておくべき映画ではあるかもしれない。
ところで、日本映画の1位は予想通り小津安二郎の『東京物語』だったそうな。どうもこの静的映画、苦手だなあ。まだ2位の『七人の侍』(黒澤明監督)の方が好きだ。
2009.11.23 (Mon)
ソニー・ロリンズのアルバム『サキソフォン・コロッサス』を聴く
ジャズの名盤というといくつかあるだろうが、このソニー・ロリンズというサックス奏者が中心となって録音された『サキソフォン・コロッサス』も名盤中の名盤に入ると思う。収録曲は『セント・トーマス』『ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ』『ストロード・ロード』『モリタート』『ブルー・セヴン』の5曲だが、どの曲も出来が良くてモダン・ジャズの真髄がここに集約されているといっても過言ではない。このアルバムを初めて聴いたのは学生の頃だったと思う。当時の仲間に何故かジャズばかり聴いている奴がいて、彼の家へ遊びに言った時、ポータブルのプレイヤーで、このアルバムを聴いていたのでよく覚えている。中でも4曲目の『モリタート』でソニー・ロリンズが奏でるテナー・サックスに2人で聴き惚れていたものだ。メンバーはソニー・ロリンズ(テナー・サックス)、トミー・フラナガン(ピアノ)、ダグ・ワトキンス(ベース)、マックス・ローチ(ドラムス)である。あの頃、サックス奏者といえばジョン・コルトレーンばかりを聴いていたが、このアルバムを聴いてからソニー・ロリンズの存在を知ったというと笑われるかもしれないが、ある意味においては、それだけ衝撃の多いアルバムであったということになるだろう。
このアルバムはソニー・ロリンズが25歳の時、雲隠れすることで有名な彼が最初の雲隠れから姿を現して録音されたものである。1955年11月、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットの演奏を聴き、特にブラウンの演奏に魅了されて隠遁生活から抜け出し、そのクインテットに加わったという。そんな頃に『サキソフォン・コロナックス』(1956年6月22日録音)は吹き込まれ、ソニー・ロリンズ゙の即興演奏が冴え渡るのである。殊にドラムスのマックス・ローチとソニー・ロリンズの兼ね合いが素晴らしく何度聴いても飽きないアルバムである。
1曲目の『セント・トーマス』はマックス・ローチのドラムソロで始まってソニー・ロリンズのテナー・サックスが加わりお互いが軽快にアドリブで掛け合う。『ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ』はソニー・ロリンズの怪しげなテナー・サックスのむせび泣きから始まり、ドラムスとベースがスローながら一定のリズムを刻み、そこへテナー・サックスのアドリブ、トミー・フラナガンのピアノのアドリブが聴かれる。『ストロード・ロード』はアップテンポのリズミカルな曲であるが、4人の個性が微妙にぶつかり合い、これぞモダン・ジャズの魅力満載といったような曲である。4曲目の『モリタート』はロリンズのテナーから始まり何度となく同じフレーズが繰り返され、やがてアドリブへと展開して行く。さらに、そこからピアノ・ソロへと移り、ベースとドラムスのリズムに応えるように軽快な演奏が続き、再びテナー・サックスが加わり、その後にドラムスのマックス・ローチのアドリブが冴え渡り、ベースのダグ・ワトキンスと兼ねあいながら、最後に再びテナー・サックスが冒頭のフレーズを演奏して集結する。『ブルー・セヴン』はベース低音から始まり、ドラムスが加わり、テナーが軽く撫ぜるようにメロディーを奏でていく。曲全体としてはベースとドラムスの一定の拍子を刻み、ピアノとテナーが自由に演奏している感があるがドラムスのソロも秀抜で、各自の個性が生きている曲である。アルバム全体としてもバランスが取れていて、何度聴いてもモダン・ジャズのお手本のような演奏が詰め込まれているようで聴き飽きない。やはり名盤であることに偽りはない。
ところでソニー・ロリンズであるが、彼は1930年にニューヨークで生まれた。9歳でピアノを学びだし、11歳の時にアルト・サックスを吹き出し、高校に入ってからテナー・サックスに転向、そして19歳でプロとしてレコーディングをするなど若くして才能が認められていた。この頃にバド・パウエル、マイルス・デイヴィスと共演。さらにソニー・ロリンズが憧れていたチャーリー・パーカーとも共演するようになる。その後もジョン・コルトレーン、コールマン・ホーキンス等と共演。また1986年には『テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲』を作曲し、クラシックとジャズの融合を試みるなど絶えず新しいことに挑戦し続ける姿勢は立派であり、齢79歳のソニー・ロリンズは今でも現役である。
『セント・トーマス』の演奏でテナーを吹くソニー・ロリンズ。
ところで関西に【あきはみさきBAND】というスーパー女子高生ジャズ奏者がいることをご存知だろうか。2人が『セント・トーマス』を演奏していた映像を見つけたので、ついでにYou Tubeの映像から抜粋することにした。中島あきは(アルト・サックス)は和歌山の高校2年生。中道みさき(ドラムス)は大阪の高校1年生である。2人とも高校にはジャズバンドがないので、大人の奏者を加えてコンボのバンドを組み、演奏活動を繰り広げている。まだ荒削りなところもあるが、将来が楽しみな2人である。
2009.11.22 (Sun)
第26回マイル・チャンピオン・シップ
今年は秋の天皇賞で勝ち、中2週を経て京都にとんぼ返りして今度はマイル・チャンピオン・シップに出てきたカンパニーに注目が集まっていて、当然ながら1番人気である。でも8歳馬なのである。でも老いてますます元気というか、若い馬がだらしないだけというか、3歳、4歳のマイラーが手薄ということもあるが、ここにきてカンパニーは強くなった。2番人気はフランスから遠征してきたサプレザである。この馬は前走、ニューマーケットのマイル戦サン・チャリオットS(GⅠ)に勝って来た4歳牝馬だという。でも日本の馬場が合うかどうかというのが疑問だが・・・・・。3番人気は皐月賞馬のキャプテントゥーレ、4番人気はスマイルジャック、5番人気はザレマであった。
スタートが切られた。マルアkシェンクが例によって出遅れる。長い向こう流しの先行争いであるがキャプテントゥーレとマイネルファルケが行くが、マイネルファルケが先頭に出た。2番手にキャプテントゥーレ、3番手ヒカルオオゾラ、4番手ザレマ、そして内からイギリスから参加のエヴァーズリクエスト、外からサプレザとヨーロッパの2頭がザレマを挟むように行く。そしてストロングガルーダ、ライブコンサートと続き、インコースにカンパニーが悠然と構えている。さらにフィフスペトル、サンダルフォン、スマイルジャック、ファイングレイン、サンカルロ、アブソリュード、トレノジュビリー、スズカコーズウェイと一団が続き、最後方からマルカシェンクが続く展開である。スタートからのハロンラップは12.1---10.9---11.8---12.4---11.5と800m通過が47秒2、1000m通過が58秒7とあまり速くない。これはマイネルファルケがマイペースで逃げているが・・・・。3コーナーの坂を下りマイネルファルケ快調の逃げ、2馬身あいてキャプテントゥーレ、さらに2馬身差でヒカルオオゾラとエヴァーズリクエスト、カンパニーはインコースの7番手にいる。4コーナーで各馬が仕掛けに入りいよいよ直線コース。
先頭はマイネルファルケで3馬身のリード。2番手はキャプテントゥーレだが、マイネルファルケが逃げる逃げる。カンパニーはまだ5、6番手だが内の方から伸びてきた。あと200m、マイネルファルケ先頭。2番手にキャプテントゥーレ、ヒカルオオゾラが3番手。フランス牝馬のサプレザが外側から伸びてくる。カンパニーが内から馬群を割って一気に来た、一気に来た。あと100mもない。カンパニーがマイネルファルケに襲い掛かる。マイネルファルケが粘る粘る。しかし、カンパニーが出た。カンパニーが出た。カンパニーが先頭に立ってゴールイン。
1着カンパニー 1分33秒2、2着マイネルファルケ 1馬身1/4、3着Sahpresa クビ、4着アブソリュート 3/4、5着スマイルジャック クビ。
カンパニーが天皇賞に続いてGⅠを連勝した。それも8歳になってからである。遅咲きもいいところであるが、このレースで引退だという。ご苦労さん。それにしても人気薄のマイネルファルケにはびっくりさせられた。もしや2週続いての無印馬の逃げ切りかと一瞬、頭をよぎったがカンパニーは強かった。ところで、カンパニーは父がミラクルアドマイヤという無名馬ということに着眼してもらいたいと思う。
ミラクルアドマイヤはアドマイヤと名がついていることから、カンパニーのオーナーの近藤英子さんのご主人の持ち馬であったということは判ると思うが、成績が振るわず3戦1勝で引退した。だが良血馬ということで種牡馬となったのだが、その子供がカンパニーを産んだことは種牡馬としては成功したといえよう。
ミラクルアドマイヤは父が凱旋門賞馬トニービンで、母がバレークイーンである。バレークイーンはオークス、ヨークシャー・オークス、セントレジャーを勝った名牝サンプリンセスを母に持ち、名種牡馬サドラーズウェルズを父に持つという超良血であった。そのバレークイーンが日本に輸入され、生んだ子供達がフサイチコンコルド(ダービー)、グレースアドマイヤ、ボーンキング、アンライバルド(皐月賞)であったことは言うまでもなく、これらの兄弟としてミラクルアドマイヤがいた訳である。こうしてミラクルアドマイヤは種牡馬になりカンパニーを出したのである。またミラクルアドマイヤの姉グレースアドマイヤが繁殖に上がり、生んだ子供がリンカーン、ヴィクトリー(皐月賞)であることを考えると、このバレークイーン一族も名牝系を既に形成しつつあるといえるだろう。
2009.11.21 (Sat)
南禅寺に行ってみたが
よく利用するJRの駅の案内版に京都市周辺の紅葉の名所の紅葉の進み具合が掲示されていて、奥地の大原や山間の鞍馬、高雄といったところは見頃であるというのは納得がいく。でも京都市街地周辺の紅葉の名所まで見頃を迎えているなんていう表示がしてあるので、どうも疑わしいが騙されたと思って南禅寺を今日の午前中に訪れてみたのであるが。
何故、南禅寺かというのは名所でありながら、交通の便がよくあまり歩かなくていいからである。つまりズボラな小生にはピッタリの場所であるといってもいい。それによく行くので、紅葉の進み具合が
よく判るからである。
京都の地下鉄は何時になく人が多い。これは11月になるといつもの事で、マップを拡げた人が大勢乗っていて何処へ行くか思案中の様子である。各駅ごとに観光ガイドブックに記載されてある最寄の名所を確認しているようだ。それにしても車内は混んでいる。京都の地下鉄東西線なんて乗車率が低く赤字運営だというのに、11月の土曜日にもなると日頃の何倍もの人が利用する。ほとんど春と秋の観光シーズンだけで儲けの大半を稼いでいるのではないかと思えるのである。
そうこうするうちに東山駅に到着した。でも余り降りる人はあまりいない。すると何処でみんな降りるのかと思ったら、次の蹴上駅でドッと人が降りた。何てこった。小生が降りようとしている駅なのに・・・・・・・考えることはどの人も同じか。地上に上がるエスカレーターが瞬く間に数珠繋ぎになった。そして、エスカレーターに足をかけようとしたら・・・・・・何?エスカレーターの左側にみんな立っているではないか。どうやら京都も東京化しているのだろうか? 関西というよりも大阪、神戸はエスカレーターの右側に立つのが一般的なのに、京都は東京のように左に立つのか・・・・・いや、そんなことはない。阪急の烏丸駅や河原町駅ではみんな右側に立っている。でも日頃から不思議に思っていたのだが、京都駅のエスカレーターは左側に立つ人が多い。最も新幹線から降りた人が、そのまま左側に立っているから納得がいくが、最近、通勤するようになった滋賀県では左側に立つ人が多いようなので驚いている。滋賀県辺りになると大阪の影響をあまり受けていないということが判るが、考えてみると東京文化に靡いているということになる。日本のスタンダードは東京の真似をすることなのだと考えている人が多くて困っているのだが(地方に行けば行くほど)、エスカレーターの国際スタンダードは大阪のように右側に立つ方式なのにと言っても通用しない。それによって全国から京都に来る観光客はほとんどが東京方式の左側に立つ。ここは関西なのに・・・・変だな・・・・。
ま、愚痴はこの辺にして、蹴上の駅から南禅寺に向ったが、例によって人だらけ・・・・・・。これは予想通りであるが、紅葉の方はというと見頃どころか、まだまだというところ。見事に情報に騙された。一部、葉が紅葉している木もあるが、絶対数からいって数が少ない。最も、来週が紅葉の見頃になるのかというと、こればかりは判らない。最近の紅葉は赤く染まらないうちに落葉するケースが目立っているので、行ってみないと判らない。でも南禅寺はこの程度だが、京都周辺で見頃を迎えているところはあるはずである。残念ながら、身体は一つしかないので、あちらこちら行けないから、とりあえず写真を撮ってきたのでご覧あれ。ただし紅葉はショボイですよ。
臨済宗南禅寺派の大本山・南禅寺は1291年の創建というから古い。亀山法皇が無関普門禅を開山に迎えて開創された大寺院であり、日本の全ての禅寺の中で最も格式が高いとされるのである。南禅寺の境内は広く、観光バスが何台も駐車していて、そこから大勢の人が吐き出されるのである。
この三門は、京都の三大門といってもいいほど大きい。歌舞伎『楼門五三桐』の中で石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」という台詞をいうので有名な門だが、あの話は全くの出鱈目。何故なら、この三門は1628年に建てられた門だからである。1628年というと石川五右衛門はとっくにこの世にはおりません。だから後世の人の作り話ということになる。石川五右衛門の話で有名な門だけに、門の上に大勢の人が上がっている。
三門と楓だが・・・・・・赤味がまだ足りない模様。
南禅寺名物の琵琶湖疏水水路閣。ドラマの撮影で有名になり、今ではこの水路閣を目当てに南禅寺を訪れる人も多いという。ローマ帝国の水道橋の小型版といった感じかな。
結局、見頃というのはガセネタであった。というと語弊があるか。この程度でも紅葉が見頃ととる人もいるから、人それぞれだが、30年前に見た見事な紅葉の記憶が未だに小生の意識の中にあるだけに、最近の紅葉はどうも艶やかさに欠けている気がする。でも、本番はこれからだと思う。
2009.11.19 (Thu)
濃厚接触者だとさ
まあ、ここまでは許せる範囲だが、小生も含めてとうとう濃厚接触者だといわれ、強制ではないがマスクを着用、手洗い励行、うがい励行しろと言い出すし、なんだかんだと煩いやら鬱陶しいやら、まるで我々まで雑菌あつかいである。そもそも小生は事務所に常駐していないというのに、何を言い出すやら・・・・・。また、その女性とも日頃から会話を交わしたこともないというのに、臭いものには蓋をせよ、疑わしきは罰せよといったやり方が気に入らない。
新型インフルエンザでなくても季節性インフルエンザというので、毎年、どこかで感染者が出ていても、知らんふりしているというのに、新型インフルエンザだけは過剰反応するものだから、何だか滑稽である。日頃、トイレに行っても手を洗わない奴がいるのに、こんな時だけ手洗いを強制的にやらせようとするのか・・・・・。多分、日頃から手洗いをしない者に手洗いをやらせても意味が無い。どうせ職場を離れれば手を洗わないのに決まっている。だから事務所内を付け焼刃で消毒しても同じこと。不衛生な輩が一人でもいれば、どこからかウイルスを持ってくるだろうし、二次感染もありうるだろう。だからどうすればいいかというと、本人の自己判断に任せればいいのだ。感染する奴は感染するだろうし、しない奴はしない。感染したくなければ、上から命令しなくたって手洗い、うがい、マスク着用を自ら徹底するだろうし、無頓着な奴は感染しても本人が悪いのであって、誰にも文句がいえないだろう。要はいい歳した大人に、ああしろ、こうしろと命令するほうがおかしいのである。こんなものは飽く迄も自己責任に任せるべきであると思うのだが・・・・・・・・・・。本当におかしなことをいってくる職場である。開いた口が塞がらないとはこのことだ。
2009.11.18 (Wed)
古い映画『キング・コング』を観る
監督 メリアン・C・クーパー
アーネスト・B・シュードサック
出演 フェイ・レイ
ロバート・アームストロング
ブルース・キャボット
フランク・ライチャー
サム・ハーディ
ノーブル・ジョンソン
【あらすじ】世界大恐慌直後のアメリカ。不況下にありながらも野心家の映画監督は、未知なる島の伝説を聞いてから、南海の秘境のその島で映画を撮ることにした。そこで主演女優、脚本家等を連れて髑髏島に到着する。だが、その島には原住民が神と崇める巨大動物キング・コングがいた。キング・コングは主演女優をさらってジャングルの奥深く逃げていってしまった。やがてキング・コングを捕らえた人間達は見世物にすべきと、ニューヨークにつれて帰るが・・・・・・・。
今さら説明の必要もない元祖怪獣映画である。それで製作されたのが1933年というから驚嘆する。まだ無声映画からトーキーになって3年ほどのことである。あたかも世界大恐慌から立ち直れていないアメリカで、このような映画が作られたということに意味合いがありそうだが、映画『キング・コング』は大ヒットした。所謂、ゲテモノ映画なのであるが、この映画のヒットにより製作したRKOは一気に経営が安定したというから判らないものである。しかし、この映画は後の映画人に多大な影響を与えレイ・ハリーハウゼンや日本の円谷英二が特撮に目覚めたという。
この映画は40㎝ほどの人形のキング・コングを1コマずつ撮影するという面倒くささで、日本のゴジラが人間が中に入って撮影したというのとは違っている。そのせいか動きはどこかギクシャクしているが、当時の人にとっては本物のように見えたという。この映画が封切りされ映画館で観た人の何人かは本当にキング・コングがいるのだと思って、制作会社のRKOに確認の電話をかけたという。
キング・コングはニューヨークに連れてこられ、やがて完成して間もないエンパイア・ステート・ビルに上る。この文明社会の象徴のビルと未開の怪物とのアンバランスが面白く、飛行機(複葉機というの興味深い)によって落下するが、当時の世情不安と相成ってどこか虚しい結末であった。でも、この映画を製作総指揮したデビッド・O・セルズニックは『キング・コング』がこれほどヒットすると思っていたのだろうか。作品に口出しすることで有名なセルズニックだが、彼がプロデュースする作品はヒットすることが多かった。そんな敏腕プロデューサーの最初のヒット作が、この『キング・コング』なのである。これで大儲けしたセルズニックはRKOから独立し、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立し、その後、彼がプロデュースした作品から『風と共に去りぬ』『レベッカ』『白昼の決闘』『第三の男』『終着駅』等が生れることになる。
何れにせよこの『キング・コング』がその後、2度に亘ってリメイク版が製作されたということは、この作品が映画史上に残る名作だという言っているようなものだろう。また日本の東宝が1962年に『キング・コング対ゴジラ』を製作したのも、元祖怪獣に敬意を表したものなのかもしれない。もっとも『キング・コング対ゴジラ』を当時、映画館で観た小学生の小生は、キング・コングがアメリカ生まれの怪獣だなんて、その時は微塵も思わなかったが・・・・・・・。
映画『キング・コング』トレイラー
2009.11.16 (Mon)
冬支度
小生はエアコンの冷風は嫌いではないが、温風は苦手なのである。だから冷暖房両用のエアコンでも冬は使ったことがない。とにかくエアコンから暖かい風が頭に吹き付けてくるだけで気分が悪くなる。そもそも頭寒足熱といって頭というものは絶えず冷やしておくものだろう。だから温めるのは膝より下だけでいいのである。それがエアコンときたら部屋中、暖かくなるから困ったものだ。部屋の温度が急激に上がり、頭までが熱せられる感じがして、それでいて下半身がどことなく冷えるから、あまりエアコンは使いたくないのだ。だから毎年、冬になると石油ストーブで少々、室内を暖めるぐらいで、あとは櫓炬燵に足を突っ込み、それでも物足りないと、身体の半分ぐらいを突っ込み、炬燵に被せてある布団を頸まで持ってくる。そうするといい気持ちで、何時の間にかコックリと寝てしまっていることがある。こんな調子で、深夜、テレビを観ながら櫓炬燵に身体を突っ込んで冷酒を飲んでいたものの、気がついたら朝だったということが昔はあったものだ。
若いときは体力があったので、よく、櫓炬燵の中で寝ていたものである。今だと同じことをするとすぐに風邪をひいてしまいそうなので、寝るときはきちんと布団をしいて寝ることにしている。そういえば、とうとう毛布も出してしまったし、冬に被る厚めの布団も押入れから引っ張り出してきた。これで毛布を被り、厚めの布団を被れば、少々、寒くても心地よくなる。そして眠気に誘われて深い睡眠につくといいたいが、小生は不眠症なのであまり寝られない。若い頃はよく寝られたものだが、最近は床についてもなかなか寝付けなく、2時間ぐらいは平気で起きていることがある。困ったものだが、一度、眠りに落ちてもそのまま朝まで直行ということはなく、必ず真夜中に目を覚ますのである。こんな調子で10数年、すっかり寝られないようになってしまったのである。一日の平均睡眠時間は4時間ぐらいだろうか。でも、それでいて日常の生活に支障がない。眠りが深いのかどうか判らないが、睡眠時間は普通の人より短いと思う。ただ、その反動があるのかどうかしらないが、昼間に睡魔が襲ってくる。本当に困ったものであるが、だから休みの日は必ず昼寝をすることにしている。職場でも昼食を摂ったあとは15分程度の昼寝はかかさない。たった15分と思われるかもしれないが、これがけっこう気持ちがいいのである。
何故、日本にはシェスタの習慣がないのか不思議な気がするが、一度、スペインなりを訪れてみるといいだろう。ああいうシェスタの習慣がある国は、日本のようにギスギスしていない。日本人は睡眠時間を削ってまで働いているようだが、朝の電車でシートに座っている人を見渡すと大半が眠っている。やっぱりなあ。みんな朝早く起きるのが嫌なのだ。国民性とはいえ働き蜂の戦士達は哀れなものである。これからは日が昇るのが遅くなり、日が暮れるのが早くなる。朝は暗いうちから家を出て退社するときには既に真っ暗。ああ、悲しい勤め人の性・・・・・・・。冬は布団の中が気持ちいいので、朝になっても布団から出たくなくなり、仕事をさぼってやろうかと思ったりすることも度々ある。つまり、冬が近付くにつれ、これからが勤め人にとって本当に辛い季節なのである。冬支度をしていると、ふと、切なくなりため息が出てしまう今日この頃である。
2009.11.15 (Sun)
第34回エリザベス女王杯
さて、秋のGⅠシリーズ、今日は京都競馬場でエリザベス女王杯(GⅠ・3歳以上、芝2200m、18頭)が行なわれた。先月の秋華賞でレッドディザイアとの接戦で2着かと思ったら3着に降着させられたブエナビスタが圧倒的1番人気で、2番人気にブロードストリート、3番人気がフランスから参戦したアガ・カーン一族の馬シャラナヤ、4番人気が昨年の覇者リトルアマポーラ、5番人気が古豪カワカミプリンセスであった。過去、波乱に終わったことが何度かあり、調子の持続が難しい牝馬のレース、果たして結果は如何に・・・・・・・。
スタートが切られた。馬場の中央からクィーンスプマンテ、外からテイエムプリキュアの2頭が行く。これは予想されたとおりである。前走の京都大賞典、この2頭が前に行って共に潰れた2頭である。でも、今度はクィーンスプマンテが先に行った。2馬身あとからテイエムプリキュアが追走。3番手は大きく離れてリトルアマポーラ、4番手チェレブリタ、そのあと芦毛のブラボーデイジー、その内にジェルミナル、そしてアガ・カーンの服色はシャラナヤ。さらにニシノブルームーン、そのあとに白い馬メイショウベルーガ、外にレインダンス、そのあとにピエナビーナス、サンレイジャスパー、人気のブロードストリート、古豪カワカミプリンセスがいて、大本命ブエナビスタがいて、後方集団はウェディングフジjコ、ムードインディゴ、最後方にミクロコスモスといったところだが、前の2頭が後方を大きく引き離している。ハロンラップは12.5---11.3---12.2---12.3---12.2---12.2と1000m通過が1分00秒5、1200m通過が1分12秒7と平均よりはスローペースだが、後方が暢気に構えすぎる。3コーナーでさらに、前の2頭と後方の差が開き、その差は30馬身。後方ではカワカミプリンセスとブエナビスタが動く。早くも前の2頭は直線に入る。後方との差は、まだ15馬身以上ある。どうしようもない展開にはまってしまった。これは波乱か・・・・・。
あと300m、クィーンスプマンテ先頭、テイエムプリキュアが2番手。後方集団の各馬が追い上げるがもう手遅れだ。あと200m、クィーンスプマンテ先頭、テイエムプリキュアが2番手、この2頭で決まりか・・・・。ブエナビスタが3番手に上がるが、まだ10馬身ぐらいある。凄い脚で前の2頭を追う。先頭はクィーンスプマンテ、2馬身差でテイエムプリキュア。ブエナビスタ一気に迫る。一気に迫る。ようやくテイエムプリキュアに肉薄したところがゴールだった。
1着クィーンスプマンテ 2分13秒6、2着テイエムプリキュア 1馬身1/2、3着ブエナビスタ クビ、4着シャラナヤ 3馬身1/2、5着メイショウベルーガ 1/2.。
何とも言葉のない結果になってしまった。競馬だから何が起こるか判らないものの唖然とした。時々、大逃げを打った馬がそのまま逃げ切ることはよくある。天皇賞ではプリテイキャスト、イングランディーレが逃げ切ったし、パッシングゴールもあわや逃げ切りを演じたことがある。またシンザンが3冠を獲得した菊花賞でカネケヤキとサンダイアルの2頭が大逃げを打ち、日本短波放送のアナウンサーが「シンザンの3冠はありません」と実況したこともある。とにかく大逃げされたときの後続馬は、首に鈴を付けに行く事ができず、雁字搦めになるという。しょうがないといえばしょうがないが、今日のレースは向こう正面よりも3コーナーでさらに差が開いているから問題なのである。つまり勝負どころで各馬が動かなかったというのが大波乱の要因なのだろう。
勝ったクィーンスプマンテは上がり3Fが36秒8もかかっているが、最後の200mは11秒8と、さほどバテていない。それでも上がり32秒9で追い込んできたブエナビスタが届かなかったのであるから、前の2頭はよほど4コーナーで楽をしていたということになる。まあ、今さら言ってもはじまらないが、誰かが捉まえに行ってくれるとお互い騎手同士が思い込んでいる間に術中にはまってしまったというだけでは、何か納得がいかないというのが観ている者の正直な感想である。
2009.11.14 (Sat)
もうそろそろ紅葉が・・・・・・・
とは言っても、11月になると京都の繁華街へ次第と足が向いてしまう。でも日頃は乗らない阪急電車で行くことになる。私の家からだとJRよりも阪急の駅の方が近くにあるのだが、あいにく滋賀県に通うにはJRに乗らざるを得ないので毎日、JRの駅まで歩いているのだが、休日ともなるとJRに乗ることはほとんどない。運賃も阪急の方が安いし、京都の中心部に行くにはどうしても阪急の方が都合が良い。もっとも京都駅まで行くにはICOCAカードが使えるので無料なのだが、態々、運賃を払って阪急で行くという有様である。以前、大阪に通勤していた頃は、毎日、乗っている電車だったのであまり意識したことはなかったが、やはり阪急電車は落ち着く。車内は広告が少なく殊にケバケバしい週刊誌の広告は一切貼らないという。このところJRに乗りなれてしまったので、週刊誌広告が気にならなくなったが、あれが目に入る入らないだけでずいぶんと違ってくる。それに内装が木目調でシックである。たまに乗ると阪急の良さを再認識してしまう。・・・・ところで何の話だったのか・・・・・ええ、京都の街を歩いていて、感じたことであるが、流石に11月である。修学旅行生が目立つし、観光客が異様に多い。京都には年間5000万人の観光客が来るというが11月が最も多い。気候も良いし紅葉が進むと錦秋の京都となる。
街には京都と書かれた観光ガイドブックや観光マップを持った人で溢れている。四条通、河原町通、新京極、錦市場・・・・人、人、人だらけである。今年の紅葉は早いという。近年にしては珍しく、もうそろそろ色付きはじめところがあるという。大原だとか貴船とか・・・・・高雄の神護寺などはかなり紅葉が進んでいるという。来週辺りは見頃となっているのだろうか。このところ京都周辺の寺社にはとんとご無沙汰である。でも市街地周辺の木々は、まだ青々としているから平地では、例年通り12月上旬まで紅葉が見られるとは思うが・・・・・何処に行っても京都の名所は人混みだらけになるので、あまり行きたくはないのだが・・・・・・。
やっぱり、この車内は落ち着くなあ。阪急京都線・河原町行き・普通電車内。
2009.11.12 (Thu)
バグった
とにかく使い倒しまくったパソコンなので最近は何かと調子が悪く、動作が鈍いのは何時ものことだがフリーズが頻繁に起こるし、パソコンを立ち上げるときでもモニターの画面が映らなかったり、もうガタガタである。でもこんなパソコンでも重宝しているので、使わないわけにはいかない。まあ、ウインドウズ7搭載のパソコンが出回りだしたから、年明けにでも買おうかなとは考えているのだが、とにかく最近、買うものが多くて困っている。携帯電話もそろそろ新機種に代えなくてはならないし、それにコンポも欲しい。前に使っていたコンポが潰れて数年になる。それなら何で音楽を聴いているのだと問われそうだが・・・・実は、スピーカーのない持ち運び用の小さいポータブルCDプレーヤーで音楽を聴いているのである(笑われそうだな)。小さなプレーヤーにヘッドフォーンを繫いで音楽を聴いているというお粗末さ。もっとも高級コンポ等にはひとつも興味が無いけども・・・・・。そんなものに何100万円も出して音楽を聴くよりは、その金があればCDソフトを買う方を選ぶから、何でもいいから音さえ鳴ればそれでいいのである。そりゃ、いい音質で聴くにこしたことはないが、それよりも小生は一枚でも余分に音楽ソフトを買うことに精力がいく。音キチとしてはありとあらゆる名曲、名演奏を聴いてみたい。でも高級コンポに懲りだしたらキリがないだろう。だjからソフトを買う方を選択する。
携帯電話にコンポに、そしてデジタル・カメラも欲しいし・・・・・。デジタル・カメラを今現在、2台持っていいるが新たに3台目を買おうと考えているので、新しいパソコンをすぐに買えるというのでもなく、何かとお金がいるから困っている。もっとも車に乗らない主義だから、車を乗りまくる人に比べるとさほどお金は出て行かないとは思うが、それでも出費は嵩むものである。
・・・・・何だか、どうでもいい内容の記事になってしまったが、またパソコンがバグらない間に、このあたりで失礼するとしよう。
2009.11.11 (Wed)
レトルト『銀座カリー』を食べる
このレトルト・カレーを食べるのも3回目になる。今回は明治製菓が出している『銀座カリー』中辛である。ところで何故、銀座という名前がついているのかと思ったら、昭和初期に発売された憧れの味、キンケイ「ギンザカレー」の味を再現したものだという。キンケイ「ギンザカレー」と言われてもどんなカレーなのか良く判らないが、当時としては憧れのカレーだったのかな・・・・・・。
最も銀座という名前は東京を代表する繁華街の代名詞のように言われ続け、全国各地に○○銀座と名前を捩った商店街が存在するぐらいだから、銀座カレーなんていう名前だと憧れの味ということになるかもしれない。でも今時、銀座といってどれだけの存在感があるのだろうか。どちらかというと修学旅行で東京に訪れる中高生は、銀座よりも渋谷、原宿、お台場に行くだろうし、銀座のステータスとしての位置は昭和の初期よりもずいぶんと下がっているような気がする。でも大人は銀座というと高級な繁華街のイメージがあって、銀座○○と命名するだけで売り上げも違ってくるのかもしれない。でも銀座が東京の固有名詞だと思い込んでいる人には、そうかもしれないが銀座誕生の歴史を知っている人には、銀座=東京というのにはやや抵抗がある。でも明治時代以降、日本の繁華街の象徴として発展したので、やむを得ないところもあるだろう。それでこの「銀座カリー」を早速、食べてみた。そして思ったこと。懐かしい味がする。
つまり今風の味付けではなく、古い時代のカレーの風味なのである。野菜を形がなくなるまで煮込んだ芳醇なソースと、柔らかな薄切りビーフがご飯に絡み、洋食屋が高級な食品として尊重された時代の代表的カレーの味というのはこのようなものだったのかという気がする。原材料としては牛肉、玉葱、小麦粉、動物油脂、砂糖、カレー粉、食塩、香辛料、ビーフエキス、酵母エキス、バター、野菜エキス、粉末しょうゆ、たんぱく加工水分解物、脱脂分乳、乳糖、オニオンエキスパウダー、ワイン、調味料、キャラメル色素、香料、それに玉葱、りんご、香味油、にんにくをで作ったソテーオニオンがベースになり、高級感を生み出しているのかもしれない。
それで「銀座カリー」を食べて、昭和初期のモガ、モボの気持ちになり、エノケンの~俺は村中で1番モボだといわれた男~と唄いたくなったかと言うと、そうでもない。最も今時、エノケンだのモボだのモガだのといって判る人などいるのだろうか。おそらくかなり年配の人だろう。
2009.11.09 (Mon)
第26回ブリダーズC
今年のブリダーズCは2日間で14レースも行なわれ、アメリカでは珍しい14f(約2800m)もの長いダート戦が設けられ、色々と趣向を凝らしているようである。でも人々が最も注目するのはクラシックであり、次にターフであろうか。それでその2レースの結果と詳細を少なからず書いておこう思う。
まずブリダーズCターフ(GⅠ・3歳以上、芝12F、7頭)は、得意の大逃げに打って出たクレメント・L・ハーシュターフ・メモリアルチャンピオンシップ(G1)の勝ち馬 Presious Passion に対し、最後方で構えた人気の Conduit が、直線粘る Presious Passion を半馬身差捻じ伏せて優勝。昨年に続く連覇を達成した。3着にヨークシャーオークスの勝ち馬 Dar Re Mi が入り、サンクルー大賞の勝ち馬 Spanish Moon は4着に終わっている。Conduit は通算14戦7勝でGⅠ4勝目。来年から日本のビッグレッドファームで種牡馬入りする。そしてジャパンCにも参戦する予定である。
1着Conduit 2分23秒75、2着Presious Passion 1馬身1/4、3着Dar Re Mi 1馬身1/4、4着Spanish Moon 1馬身1/4、5着Red Rocks 1馬身1/4.。
次にメインレースであるブリダーズCクラシック(GⅠ・3歳以上、ダート10F、12頭)であるが、最後方に待機した人気の Zenyatta が、直線大外から追い込んで、先に抜け出していた芝路線の帝王 Gio Ponti を1馬身差差し切って快勝。デビューからの連勝記録を14に伸ばすと共に、史上初となる牝馬のブリーダーズCクラシック制覇という快挙を達成した。3着にチャンピオンSの勝ち馬 Twice Over が入り、ベルモントSの勝ち馬 Summer Bird は4着、ケンタッキー・ダービー馬 Mine That Bird は9着、中間脚部不安が出ていたクイーン・エリザベスⅡ2世Sの勝ち馬 Rip Van Winkle は10着に終わっている。また、フロリダ・ダービーの勝ち馬 Quality Road は、ゲート内で暴れて発症除外になっています。Zenyatta は通算14戦14勝でGⅠ8勝目。この勝利で、名実共に歴史的名牝 Personal Ensign を完全に越えた Zenyattaである。それにしても、1着が牝馬、2着が芝路線の王者、3着が欧州馬っとは・・・・・、今年の北米牡馬ダート/オールウェザー路線の不作っぷりを象徴するかのような結果となった。
1着Zenyatta 2分00秒62、2着Gio Ponti 1馬身、3着Twice Over 1馬身1/4、4着Summer Bird 3/4、5着Colonel John 1馬身1/2.。
2009.11.08 (Sun)
アルゼンチン共和国杯、ファンタジーS
東京ではアルゼンチン共和国杯(GⅡ・3歳以上、芝2500m、18頭)が行なわれた。1番人気はジャyガーメイル、2番人気はスマートギア、3番人気はトウショウウェイヴであったが、何と11番人気のミヤビランベリがマイペースで逃げ切ってしまった。2着も2番手のまま粘りこんだアーネストリーということで、人気のジャガーメイルは後ろから4番手の位置を進んだが、5着入線がやっとで、2番人気のスマートギアは後方のまま12着。結果は馬券的に荒れてしまった。
1着ミヤビランベリ 2分30秒9、2着アーネストリー 1馬身、3着ヒカルカザブエ 1馬身1/2、4着サンライズマックス ハナ、5着ジャガーメイル クビ。
京都では2歳牝馬の重賞、ファンタジーS(JpnⅢ・2歳牝馬、芝1400m、16頭)が行なわれ、ラナンキュラス、ステラリード、グレナディーンが上位人気であった。だが、レースは第4コーナーでシンガリにいた8番人気のタガノエリザベートが追い込んで勝った。2着も7番手から差して来た5番人気のベストクルーズが入りこちらも荒れたが、2歳牝馬の勢力分布なんて常に安定してないから、これからも難解なレースが続くのではないかと思うが、タガノエリザベートは上がり33秒5とかで、2歳牝馬にしてはいい末脚を持っている。でも展開に注文がつきそうだなあ・・・。
1着タガノエリザベート 1分21秒2、2着ベストクルーズ 3/4、3着グレナディーン 1馬身1/2、4着ラナンキュラス 3/4、5着ユメノキラメキ クビ。
それでは本日はこのあたりで失礼いたします。
2009.11.07 (Sat)
中高生ビッグバンド
日頃はビッグバンド・ジャズはほとんど聴かないのだが、発展途上の中高生がジャズを演奏するとなると、少しながら興味が湧く。それに中高生にとってはビッグバンドというのはもってこいなのだろう。即興演奏の多いジャズにおいて、ビッグバンドは基本的に、あまり演奏スタイルを崩さないからだ。それに彼らが少人数のコンボで演奏をすると、アドリブなどこなせるのかといった懸念がある。そもそもモダン・ジャズでは、真髄は楽譜どおりに演奏するのではなく、アドリブにあることはいうまでもないが、これも古き時代のビッグバンドに限ると話は違ってくる。もともとジャズというのは黒人が盛んに始めた音楽であるが、やがて白人にまで手が伸び商業音楽として発展していく過程の中で、ビッグバンドというのはジャズの発展に欠かせないものである。またビッグバンド全盛期に、ダンス音楽として、伴奏音楽として演奏されることが多かったのであるが、やがて聴かせる音楽としてジャズが市民権を得るようになる。でもビッグバンドというのは大人数で演奏するからどうしても個々のプレイヤーの個性が抑えられる。それが少人数のコンボになってくると、演奏の自由度が高くなり、アドリブが中心になってくる。だから中高生は出来る限り、楽譜に忠実なビッグバンドを演奏することの方が大切なのかもしれない。また中高生がクァルテット、クインテットで演奏をやれといっても、おそらくアドリブの表現力を備えているかどうかという疑問符がつく。・・・・ということで、中高生のビッグバンドを聴いて回ったのだが、疲れたなあ・・・・・・・。
それでは写真をどうぞ。
淡路島にあるY学園の中高混成バンド。部員が減ったのかな、中学生と高校生が一緒になって演奏していた。なかなか元気がある。ラテンナンバーが得意のようだ。
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こちらは西宮にあるG中学校。初々しいというか、演奏も瑞々しい。音もきっちり出ていたし、バランスも良い。。
こちらは資産家が多く住む芦屋の山の手にあるK高校。関西では有名なお坊ちゃん学校。彼らは中高一貫教育で、大学までエスカレーターで上がれ、クラブ活動も活発だという。したがって中学のときからジャズに親しんでいるせいか、すっかりジャズサウンドが身体に染み付いているようだ。ずいぶんと大人びた演奏をするし、超絶技巧の演奏をこなす者も何人かいて、日本ナンバー1の高校生ジャズバンドとの呼び声が高くプロ奏者になった者もOBにはいる。でも野朗ばかりで図的にはむさくるしい(失礼)。
こちらは元祖スイングガールズのT高校。でも残念ながらとうとう男生徒が加わってしまったので、妙味がなくなった。ドラムスが男子に代わり、これからサウンドも変わっていくのだろうか・・・。もともと豊富な練習量? で育まれたアンサンブルが見応えがあって、またパフォーマンスを演奏時に取り入れたりして、見学者を喜ばせる術を知っている。またここはオッサンの常連ファンが多いのか、ムービーカメラで撮り続けている者が何人もいる。
場所は南京町。大阪のK大学H高校。もともと男子校。共学になって2年目で部長が女生徒に変わったらしく、バンドの大半は今や女生徒。でも男生徒ばかりの頃の5、6年前の方が上手かったという人は多い。レパートリーは幅が広く、スタンダードからラテン、ファンク、R&B、ロックまで演奏する。でも進学校化してしまい授業時間が長く全体練習が少ないのかも? アンサンブルが時々、乱れる。でも個々には素晴らしいプレイヤーが何人かいる。スモールコンボをやらせてみると面白いかもしれない。
TM高校。派手な赤いブレザーで面食らった。この学校はジャズバンドではなく、吹奏楽部が時々、ジャズを演奏するらしい。したがってクラリネットが何人もいたり、フルートもいたり、人数も多く、編成は明らかに吹奏楽そのものである。チック・コリアの曲を演奏していたが、あまりジャズっぽくはなかった。でも新鮮な演奏であった。
また、この催しは明日もあるのだが、2日連続で神戸まで足を運ぶのは辛い。でもたまには若人の荒削りで元気なジャズを聴くのもいいものである。
2009.11.05 (Thu)
ディープ・パープルのアルバム『マシン・ヘッド』を聴く
ディープ・パープルというハードロック・グループがある。今でも現役だというが、結成は1968年だから41年も前になるから古いバンドである。日本では何故か格別に人気があって、なにしろ1972年8月に来日した時(15日、16日、大阪厚生年金会館。17日、日本武道館)のライヴ盤が日本限定で発売されたぐらいだから、如何に日本での人気が特化していたかということになる。そのおかげで、そのアルバムの中からシングルカットされた『スモーク・オン・ザ・ウォーター』がアメリカでヒットし、ようやくアメリカでも注目されたバンドなのである。ならば日本でどうしてそんなに人気があるかというと、実に判り易いハードロックを演奏していたからである。あの頃、日本はやたらとハードロックが受けたのである。でもディープ・パープルは結成当初、ハードロックばかりを演奏するバンドではなかったのだ。
結成当初のメンバーはジョン・ロード(キーボード)、リッチー・ブラックモア(ギター)、イアン・ペイス(ドラムス)、ニック・シンパー(ベース)、ロッド・エヴァンス(ヴォーカル)で、ライヴでにおいてはジャズやクラシックの要素を含んだ即興演奏をこなすなど、どちらかというとイギリスのバンドらしいプログレッシブ的な音楽を好んで演奏していたのだが、アルバム3枚を出したものの大ヒットは出せなかった。つまり大衆性がなかったということになり、独自の音楽性を構築していただけであった。
それが1969年にバンド内で対立がありメンバーが入れ替ることになる。こうしてジョン・ロード、リッチー・ブラックモア、イアン・ペイスに加えて、ロジャー・グローヴァー(ベース)、イアン・ギラン(ヴォーカル)が参加。この時期、レッド・ツェッペリンに象徴されるようなハードなサウンドをするべきだとリッチー・グラックモアが訴えると、ジョン・ロードは今までのような幻想的なサウンドで進めるべきだと意見が対立。その結果、一度だけハードロック路線を志向したアルバムを作ろうとリッチー・ブラックモアの意見が通り、その結果『ブラック・ナイト』がイギリスと日本でヒットしたのである。だから日本ではディープ・パープルはハードロックといったイメージが強いのだと思う。でもアメリカで火がついたのは、先ほど述べたように『ライブ・イン・ジャパン』のアルバムが出てからのことである。
さて、当アルバム『マシン・ヘッド』は1971年12月、スイスでアルバム『マシン・ヘッド』が録音された。収録曲は『Highway Star』『Maybe I’m a leo』『Pictures of home』『Never before』『Smoke on the water』『Lazy』『Space Truckin’』の7曲である。この中にはお馴染みの曲がいくつか含まれていて、1972年の春、このアルバムが発売されることになるが、当然のようにベストセラー・アルバムとなる。
こうして『ハイウェイ・スター』や『スモーク・オン・ザ・ウォーター』等は今でも、ハードロックの傑作曲として必ず名前が挙げられるようになるが、ディープ・パープルは必ずしもハード・ロックばかりを追求していた訳ではないということを知って欲しかったのである。
その後、ディープ・パープルは例によって、何度かメンバーの入れ替えがあり、解散、再結成と何かと忙しく、その度に音楽性も微妙の変遷しているようだが、やはり最もディープ・パープルが輝いていた時期というのが、当アルバムを生み出した1969年~1973年の第2期のメンバーの頃であろう。
『Highway Star』を演奏するDeep Purple(1972年)
『Smoke on the water』の演奏(1973年)。イントロが余りにも有名な曲である。
2009.11.03 (Tue)
モーツァルトの40番を聴く
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団(1959年1月録音)
神童、神の子、天才と謳われるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは数多くの交響曲を作曲した。が、最も重要な交響曲は最後を飾る三大交響曲と言われる。即ち明るい楽しさに満ちた39番、暗い叙情をたたえた40番、壮麗な41番『ジュピター』の3曲である。この三つの曲は形式美の極致とされ、何れもロマンティックな影がほのかに感じられるのである。それが、この傑作3曲をモーツァルトは僅か1ヶ月半の間に作曲したとされ、度々、作曲家達の間でも驚愕すべき事実だとして、論議の対称にしばしば挙がる事がある。そんな中でも40番はモーツァルトの数少ない短調の交響曲として人気があり、絶対音楽における古今東西最高の傑作の一つとされ、悲劇的、情熱的、病的陰鬱、戦慄的、様々な評があり、カール・シューリヒトのように「経験されたある種の出来事の反映」という人もいる。
この40番は1788年7月25日に完成されたが、古典派とされるモーツァルトにおいてロマン派的な影が見えると先ほど述べたが、1790年というと文学の世界ではロマン派が出始めているから、少なくとも、この時代に作曲された40番の持つ曲想が、情熱や憂鬱の情緒と無関係であるはずがない。しかしながらロマン派のように心の動揺を曲の中へ内包するのではなく、感情を抑制し昇華して音の秩序に高める古典派の作曲家なのである。このようにモーツァルトとハイドンといった時代の人は、形式美の美しさが円熟期にあり、この時代にあってこそ交響曲そのものの完成を見るのである。そして、その後のロマン派の誕生を待つことになるのだが、モーツァルトの交響曲は一見シンプルでいて、音符一つが半音ずれただけで曲そのものが、崩れていくのではないかと思わせるほどの完璧さで迫ってくるのである。
全4楽章で30分ほどの曲であり、編成もロマン派以降の大曲に比べると小さく、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの弦楽器に、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンだけという小編成である。ベートーヴェンの交響曲に見られるようなトロンボーンやトランペットといった金管群の咆哮も見られない。したがって上品な可愛らしい交響曲といってもいいだろう。ただ、それでいて第1楽章299小節、第2楽章123小節、第3楽章84小節、第4楽章308小節もあって18世紀末期の交響曲としては長大な交響曲なのだ。それでいて、この40番を聴く度に私は新たな発見があるほど、魅力的な交響曲なのであるが、何度も言うように僅かな期間で素早く作られたという話を聞くごとに驚かされる。
ある著名な作曲家が言うには・・・・・作曲というものに普通どのくらい時間を要するかは、その曲の内容なり形式の違いで千変万化であるが、少なくとも考えるという時間を除いて、あのオタマジャクシをポチポチ書くのに必要な物理的時間は、今もモーツァルトの時代も違いはあるまい。だからもし、時間が与えられ、モーツァルトがこの1ヶ月半の間に書いた三大交響曲をはじめとする全作品を写せとといわれたら、毎日この仕事に没頭したとしても丁寧にペン書きしていたら、おそらく1ヶ月近くはかかるだろうと思う。・・・・・・・・おそらく某作曲家がいうのは本音だと思う。モーツァルトは1788年の6月26日に39番を完成させ、7月25日にこの40番、そして8月10日に『ジュピター』を完成。また、同時期には並行してオペラや協奏曲、器楽曲等も完成させているのである。まさに神業としかいえないことを平然とやってのけ、それでいて駄作どころか、その何れもが音楽史に残る傑作ばかりというから、モーツァルトを天才といった常套句に当て嵌めてみてもいいのだろうかと言葉にも困るほどである。
この時期のモーツァルトは極度に経済状態が悪く、借金までしてやっと暮らしていたから、金に困って多作したことも事実のようであるが、この生活的苦悩の中にあって、このような豊な音楽を連作したということは凡庸な作曲家では到底出来ない芸当である。だから映画『アマデウス』でサリエリが凡庸な作曲家として描かれたことはフィクションとしてはありうるのだろう。でも地球上の古今東西の作曲家で、モーツァルトの右に出る者がいるかどうかを考えれば、サリエリが凡庸といわれるのは可哀想だと思える。それがモーツァルトと同時代を生きた人の定めなのかもしれない。
40番の演奏。指揮トレヴァー・ピノック ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
第1楽章、頭から約140小節あたりまで・・・・
2009.11.02 (Mon)
木枯らしが吹いた
確かに今日はおかしな天候だった。朝は比較的、平静で気温も高かったというのに、正午前からおかしな雲行きになり、湖西の方の比良山系が黒くて暑い雲に覆われ、重苦しい冬の空のような雰囲気であったし強風が吹いていた。午後は午後で突然の雨。帰宅時になると、すっかり空気が冷たく感じられ、冬近しを思わせた。
どうやら近畿地方では木枯らし1号が吹いた模様である。西高東低という典型的な冬型の気圧配置になり、北からの風速8m以上の風が吹くと近畿では木枯らし1合と呼ぶのだが、東京の木枯らしは必ずしも北からではなく、西北西から吹いたりするらしい。ただ11月2日で木枯らしが吹き出すというのは、ちょっと時期的に早いような気がする。昨年と比較するからかもしれないが、昨年、近畿では11月18日に木枯らし1号が吹いている。そういった比較から見ると、今年は昨年よりも早く冬が来るのかもしれないが、これも判らない。昨年は異常なほどの暖冬で、滋賀県南部の大津や草津あたりは積雪がほとんど見られなかった。やはり、これはどのように考えてもおかしい。近畿の豪雪地帯の滋賀県でこれだから(湖北や湖西は雪景色の日も多かったが)、京都市内も積雪が皆目、見られなかった。
そのような暖冬であった昨年と比較すると、木枯らしが2週間以上も早く吹いた近畿においては、昨年よりも寒い冬になるのかなといった予報もなりたつが、これも当てにならない。まあ、気象庁が発表する長期予報もあまり当らないから、気にしたこともないが、間違いなく今度の冬は昨年から今年にかけての冬よりは、寒いような予感がする。・・・・・それで昨年、積雪の中を出勤し雪上を歩かなければならないからと覚悟を決め、スノーシューズを買ったのに一度も出番がなかった。でも今度の冬は、スノーシューズを履かずにはいられないのではないかと思っている次第である。その時こそ、湖国の冬の厳しさを思い知らされることになるのだろう。
2009.11.01 (Sun)
第140回天皇賞
第140回天皇賞(GⅠ・3歳以上、芝2000m、18頭)であるが、メンバーだけは揃ったようだ。昨年の覇者ウオッカ、ジャパンCウイナーのスクリーンヒーロー、グランプリホースのマツリダゴッホ、皐月賞馬キャプテントゥーレ、菊花賞馬アサクサキングスとオウケンブルースリ、GⅠホースがずらりと揃っている。でも2000mという距離が向いてない馬も多く、結局は1番人気が女傑ウオッカで、2番人気が実力をつけたシンゲン、3番人気がオウケンブルースリ、4番人気がドリームジャーニー、5番人気が8歳馬カンパニーという。メンバー的には多士済々、でもウオッカは前走で逃げてつかまっているし、今回はどのような位置でレースをするのか、色々と予想の難しい天皇賞ではあった。
ゲートが開きスタートが切られる。東京の2000mはカーブしながらスタートダッシュしなければならず、外枠は不利と昔から言われているが・・・・・・・。インコースからスクリーンヒーロー、真ん中からキャプテントゥーレ、外からエイシンデピュティが行く。ウオッカは中団より後方で行くようだ。先頭をエイシンデピュティが先頭を奪った。2馬身リード、2番手キャプテントゥーレ、3番手スクリーンヒーロー、その外にマツリダゴッホ。そのあとにコスモバルク、4馬身あいてヤマニンキングリー、サクラメガワンダー、内からアドマイヤフジ、そのあとにシンゲン、その外からホッコーパドゥシャ、さらにカンパニーがいて、オウケンブルースリ、エアシェイディと続き、ようやくウオッカが追走。そのあとはドリームジャーニー、スマイルジャック、後方2頭はアサクサキングス、サクラオリオンである。ハロンタイムは13.0---11.2---11.4---12.0---12.2と1000mを59秒8で通過。GⅠの2000mのレースにしてはスローといってもいいだろう。これだと上がりの速い競馬になるから、後方にいると届かないのだが・・・・。
3コーナーから馬群がつまりペースが上がってきた。ウオッカはインコースにいる。いよいよ直線コース。先頭はエイシンデピュティ、2番手にマツリダゴッホ、キャプテントゥーレ3番手。坂を上ってスクリーンヒーローが先頭に出る。カンパニーも来る。ウオッカも上がってきたが、ちょっと前が塞がった。あと200m、スクリーンヒーローとカンパニーの争いか・・・・。外のカンパニーの方が伸びがいい。スクリーンヒーローはジリ脚だ。カンパニーが出た。ウオッカもようやくやって来た。凄い脚で一気に3番手に上がる。先頭はカンパニー、2番手スクリーンヒーロー、ウオッカが内に切れ込んだ。カンパニーは1馬身抜け出した。2番手にスクリーンヒーロー、ウオッカが来た、ウオッカが来た。カンパニー先頭だが、2番手はスクリーンヒーロー、ウオッカの争い。スクリーンヒーローにウオッカが迫る。でもカンパニーは快勝。
1着カンパニー 1分57秒2、2着スクリーンヒーロー 1馬身3/4、3着ウオッカ、4着オウケンブルースリ 3馬身、5着シンゲン ハナ。
何と勝ったカンパニーは8歳馬。でも20世紀風にいうと9歳馬である。こんな老齢馬がGⅠを勝つなんて30年前では考えられないが、最近は7歳以上の馬でも侮れないから調教技術も進んだのだろう。昔なら5歳馬最強説(現4歳馬)というのがあったが、このところの競馬界では関係がないようだ。それにしてもカンパニーはマイルから1800mの馬とばかり思っていたが今日は強かった。早めに好位置に上がり最後の600mを32秒9で突っ走った。これだとジリ脚のスクリーンヒーローだとおいていかれるし、末脚の鋭いウオッカでも届かない。ウオッカも32秒9の上がり時計で伸びてきたが、道中の位置取りが後ろ過ぎた。あれだと今日のレースでは届かない。でもウオッカらしいところは垣間見れただろう。シンゲンもどうにか5着には来たが、今日は相手が強かったと言うことになるのだろうか。
これで11月末のジャパンCが面白くなった。カンパニーは出ないだろうが、スクリーンヒーロー、ウオッカ、オウケンブルースリに加えてダービー馬のロジユニヴァースが加わる筈である。天皇賞よりもそちらの方に興味がいく。