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2015.07.19 (Sun)

芥川龍之介の『トロッコ』を読む

 何をいまさら短編の『トロッコ』を読むなんてタイトルでブログを書こうと思ったのかと思われる向きもあるだろう。文庫本にして僅かに8頁。実に短い小説である。もっとも芥川龍之介の小説と言うのにあまり長いのはないが。ところで、この国民的作家の短編小説『トロッコ』なんて小学生の読書感想文で課題にあがったりするぐらいだが、この短編小説を何故採り上げたかというと今、話題の人である又吉直樹が文学に嵌った最初の小説だということで採り上げてみた。
 又吉直樹がこのほど芸人として初の芥川賞を受賞した。それも処女小説『火花』でいきなり受賞したのである。これには驚いたが素直に拍手を送りたい。そもそも私が又吉直樹の存在を強く意識したのは何年か前のNHKのテレビを観てからである。それは『仕事ハッケン伝』というドキュメンタリー番組で、今と違う仕事についていたらどんな人生を送っていただろうというコンセプトのもとに著名人が一企業に一週間入社し、特別待遇もなく一社員として体験を積むという番組であった。たまたまその時、小生はその番組を観ていて、その時の印象がとても強かったので、又吉直樹の名前を意識したのである。それは大手コンビニエンス・ストアで新商品のパスタ(弁当)を二つ売り出すためにキャッチコピーを考えるというものだった。彼は広告販促企画部に配属され、ミーティングにも参加し新しい商品を売り出すために苦心した挙句、プレゼンテーションで結果を残し見事、そのキャッチコピーで商品が店頭に並んだのである。確か「末っ娘が生まれました。かわいがってください」(双子です)というものだった。これは社員にも好評で、上司にもお墨付きをもらい見事に溶け込んでいた。
 その時の印象で、この男、なかなか文案を考える才能があるなと思って注目していたのである。それまでも顔は知っていたが、なんか長い髪にあまり喋らない地味な芸人ぐらいにしか感じ取っていなかったのだが、これから印象が変わったというか、書店で彼が書いたという本を見つけた。それが『カキフライが無かったら来なかった』(せきしろとの共著)という自由律俳句と散文で構成されている書物だった。思わず手にとって立ち読みした。すると何時の間にか引き込まれていて、なかなか秀逸でこなれた文体を書くなと驚いたものである。すると今年の1月に、その又吉が純文学の雑誌『文学界』に小説を書き、それがいきなり増刷。単行本にもなりベストセラー。そしてそして芥川賞受賞。あれよあれよと何時の間にやら文壇に登場してしまった。その又吉直樹が中学校の教科書で『トロッコ』を読んでから文学と言うのは面白いと思い本を読むようになったという。彼は太宰治の大ファンで、かつて住んでいたところが、その昔・太宰治が住んでいたところだったと著書に書いているが、どうやら類は友を呼ぶで縁があったのだろう。ただ『人間失格』を読んで実に面白い小説だと思い、毎年正月には読むという。やっぱり感性が小生とは違うということか。これぐらいの繊細さがないと小説は書けないということかな。やっぱり小生のような凡人には判りかねます。
 ところで『トロッコ』の何処が面白いと又吉少年が感じたのかと言うと『トロッコ』を読んで救われたという。読んだときに「めっちゃわかる」と感じたらしい。文学で感じた初めてのあるあるというか、自分しかわかりえないと思っていた感情を自分以外の他者が描いてくれていることへの感動があったというのだ。
 『トロッコ』と言う小説は実に短い。良平が8歳の時、小田原~熱海間を走る軽便鉄道の敷設工事が始まり、良平は工事をしている土工がトロッコで土を運搬するのをたびたび見ていた。土工は土を載せて線路を下っていき平地に来ると土を捨て、今度は線路を押して登っていく。それを見て良平は自分も土工になりたいと思った。
 2月のある日、良平は6歳の弟と弟と同じ年の少年と遊んでいて、土工がいないのを見計らって3人でトロッコを押してみた。押して登りトロッコに乗って線路を下って遊んでいると土工に見つかり怒鳴られてしまう。それ以来、良平はトロッコに触ることを避けていたが、10日ほど経つと、2人の若い男がトロッコを押していた。良平は「おじさん押してやろうか」というと「おお押してくよう」というので良平は嬉しくなって一緒に押した。
一緒になして押しているのが楽しかった。5、6町押すと下りになる。良平は土工と一緒にトロッコに乗った。風を切ってトロッコが下っていく。トロッコが平地で停まるとまた押すという繰り返し。
 やがて雑木林を抜け海が見えるようになる。何時の間にか家から遠いところまで来てしまったことに気が付き、トロッコを押していても楽しくなくなってくる。次第と土工がもう帰ってくれればいいのにと思うようになる。さらに進むと一軒の茶店があった。土工はそこでお茶を飲み良平はイライラする。茶店から出てきた土工が駄菓子をくれたが、良平はあまり喜ぶことが出来なかった。さらにトロッコを押しすすむと、また茶店に出くわす。土工はまた茶店に入る。すでに日暮れにかかっていた。良平は帰ることばかり考えていた。
茶店から出てきた土工は良平に向かって俺たちはトロッコを押して行った先で停まるから「われはもう帰んな」と言われ良平はたった一人で帰っていく。泣きそうになるが泣いている場合ではないので、線路の上を走り出した。途中、貰った駄菓子まで捨てて良平は走った。行きと帰りでは風景が異なるため不安を感じないではいられない。良平は汗で濡れた着物が気になって羽織まで脱ぎ捨ててしまう。日が落ちいよいよ暗くなっていく。良平は焦って来る。次第に「命さえ助かれば」と思い、すべりながら躓きながらも走り続ける。やがて村はずれの見覚えのある工事現場が見えてきたときには泣きたくなったが泣かずに走った。村に帰ってきて良平を見た村人が「どうした」と声をかけたが良平は返事をせずに自宅へ急いだ。そして自宅に到着するなり良平は大声で泣き出す。泣き声を聞いて両親
がやってくる、さらに近所の人もやってくる。みんな、なんで泣いているのか聞くが良平はただ泣き続ける。
 時が過ぎ、26歳の良平は妻子と東京にやって来た。現在は雑誌社で校正の仕事をしている。今でもあの時のことを思い出すことがある。思いだすのには理由がある筈だが理由はない。ただ塵労に疲れた彼の前には今でもやはり、その時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すじ断続している。
 以上が『トロッコ』のあらすじであるが、僅かこれだけの話である。短編小説というのは盛り上がる前に終わってしまうといった難しさがあり、この短い間、小説の中に色々な思いを凝縮しなくてはならないので、長編よりも難しい部分がある。だから小生は短編が苦手なのだが、又吉少年は中学で、この『トロッコ』の各所に面白さ、興味深さを汲み取っている。やはり才能ある人は捉えどころが違う。
 結局何だろう。少年の時に感じていたものが、大人になって感じなくなった。小生なんか屈折していて皮肉ばかりいっていた少年だったので、又吉少年のような鋭い繊細な感性は持ち合わせない。謂わば彼の敏感なレーダーが感じ取った微小な空気を小生は感じないのである。大長編で感動することはあったが、こういったごく短い短編でその面白さを体現出来ない小生にとっては、小説家に到底なり得ない感性しか持ち合わせてないと思った。それ故に又吉直樹が芥川賞を受賞したというのは偶然ではなく、彼が小説を書く上で既に持ち合わせていたものがこのほど具現化されただけに過ぎないのだといっていいだろう。いや才能を持った人は何処に埋もれているかわからないものである。ところで小生が『火花』を当然、読んだろうと思うだろうが、まだ読んでないのだ。小生はへそ曲がりであって、ブームの中には巻きこまれたくない。いずれブームが去って静かになってから密かに読もうと思っている。あしからず。

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2015.04.25 (Sat)

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読む

 この小説は僅か3日間の話であるが当時から多くの人に支持されたのか大ベストセラーとなり発表されてから60年以上で6000万部売れたという。
 16歳の主人公ホールデン・コルフィールドはクリスマス近くのある日、成績不振で三度目の高校を除籍させられることとなり自宅のニューヨークに戻ろうとするが、両親に合わせる顔がなくインチキで汚い世界に絶望しながらも、なお人恋しい気持ちら、他社との触れ合いを求めて、三日二晩を彷徨うこととなる。
 名門私立の学校教育にホールディングが嗅ぎとり盛んに反発する現代社会の虚偽、虚飾、無神経、弱肉強食、卑俗などは彼を不適応者としてはじき出した元凶でもある。放浪中、彼が孤独のあまり近づいてゆく人間たちも、結局は金が目当ての売春婦やポン引き、有名人にのぼせるオフィスガール、本質を見抜けない女友達、信頼しきれない教師といった人物ばかりで孤独感、厭世観をつのらせる。それでも修道尼、子供、凍りついた池のアヒルなど無力なものへの愛情は忘れてはいない。無垢な世界に対する愛情が夢想させたものは人間不信の原因としての言葉の放棄であった。かくして家出を決行し、遠い地で誰とも口をきかずに暮らそうと決意するのだが、幼い妹フィービーの愛情に救いを見い出し思いとどまる。
 この小説の描写は強烈で発表当時は発禁処分を受けたりして何かと話題になったと言われていて、主人公がニューヨークを放浪して帰宅したのち幾日か経過して君に語りかけるのだが、それが口語体でより攻撃的であった。殊に酒、煙草、セックス、売春の表現等が盛んに出てくるので当時の道徳感からいって受け入れられなかったのは当然としても、一方で欺瞞に満ちた大人へ反抗する主人公に共感する若者も多く、それは今でも共通するものである。こういった内容で、それ故に体制側も規制することもあり、病めるアメリカの一部分を象徴していて、ジョン・レノンを暗殺したマーク・チャップマンやレーガン大統領を狙撃したジョン・ヒクリーも愛読していたなど、何かと話題になる小説であった。
ところで主人公ホールデンは頭髪の半分は白髪であるというユーモラスな描写は、そのまま見事な象徴となっている。子供から大人への不安定な季節にさしかかった感性は多分に自己矛盾を孕んでいるからだろう。ヘビースモーカーで年齢をごまかして酒を飲むという大人のポーズと、雑誌を買いに行くのにオペラに行く途中なんだと体裁を作ったり、軽蔑しているはずの映画の主人公気どりを演じてみたり、裕福な弁護士を父に持った都会育ちのエリート意識がついちらついていたりする幼さも併せ持っている。これらと真実なもの純粋無垢なものへの強い希求、虚偽への憎しみが共存している点に、ホールデンの魅力がある。この一風変わった題名はスコットランド民謡『ライ麦畑で会うならば』を一部入れ換えたもので、ライ麦畑で遊びに夢中なあまり断崖から転落しそうな子供たちのつかまえ役なりたいというホールデンの救い主たらんとする夢の表明である。誰しもある少年時における体制への欺瞞。言ってみればホールデンは代弁者のようなものである。
EDIT  |  16:43  |   |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2015.03.21 (Sat)

フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』を読む

 ニック・キャラウェイは大学卒業後に戦争に従軍し休戦ののち故郷へ帰って来た。そこで待ち受けていたのは否応もない孤独感。1920年代の狂乱の時代。ニックは証券会社で働くという口実をたてニューヨークへやってきて郊外に小さな家を借りるが、その隣が豪華な大邸宅で、これがジェイ・ギャツビーの住まいだった。ギャツビーは毎夜、豪華なパーティーを繰り広げていた。そんな或る日、ニックはギャツビーのパーティーに招かれる。ここでニックはパーティーに参加している多くの人がギャツビーに対して何も知らないし良くない噂ばかりを聞くのであったが、やがてニックはギャツビーの秘密を知ることとなる。ギャツビーは貧しい少尉の頃、ディジーと言う女性と愛しあっていた。それが、ギャツビーが第一次世界大戦でヨーロッパに出征している間に、ディジーはトムと言う大金持ちと結婚したのであった。ギャツビーは短絡的な男で金がディジーの心をとらえたものと思い、あらゆる手段で金持ちになり、わざわざディジーの屋敷と入り江を挟んで向かい合っているところに大邸宅を買い取り、このように毎晩パーティーを開いて、何とか関心をひき、愛を取り返そうと努めていたので、当然のように独身だった。
 たまたまニックのまた従姉妹だった隣人のとりなしでギャツビーはディジーと再会する。単純なギャツビーは彼女に会うと、彼女の愛を取り戻したものと信じ切ってしまう。だが、或る夏の日、皆とニューヨークに出かけ、その帰り道にディジーが運転するギャツビーの車はトムの情夫をひき逃げし、ギャツビーがひき逃げしたものと思いこんだ情夫の夫はギャツビーを射殺してしまう。そしてギャツビーの葬式に姿も見せなかったディジーは夫と旅行に出かけてしまう。まさにギャツビーの愛は実にはかないものだった。 やがてニックはこうした東部の現実に嫌気をさい、中西部の故郷に帰っていく。
 ジェイ・ギャツビーこそ、もっともアメリカ人らしい人物と言えるかもしれない。貧乏でせっせと働きアメリカン・ドリームを現実化させるが、ロマンティックで、ナイーヴでお人好し。かつての恋人が自分を捨てて他の男と結婚してしまったのに、それはただ富が彼女を盲目にさせたにすぎない。彼女の自分への愛は今も変わらないものと勝手に決め込んでいる。ニックが彼女にあまり多くを求めてはいけないし、過去は繰り返せないと言っても、ギャツビーは聞く耳を持たない。結局はディジーに見捨てられる。
 この小説のストーリーは日本で言うと『金色夜叉』という明治時代の古い文学がすぐに思い出される。尾崎紅葉の『金色夜叉』は学生の間寛一の許嫁である鴫沢宮が、結婚を間近にして富豪の富山唯継のところへ嫁ぎ、激怒した寛一が熱海の海岸で宮に問い詰めるも本心を明かさないため宮を蹴り飛ばす。やがて寛一は復讐鬼と化し冷酷な高利貸しとなるものの宮もけして幸せではなかったという展開であった。
 日米の話の展開の違いはあれど、その根底にあるのは同じようなもの。ただ言えることは恋愛の縺れというものは洋の東西に関わらず男がロマンティストであるのに女は何時も現実的であること。大概、このように描かれている。つまり男は別れた女性に未練を持っていても、女性の場合はあっさりと忘れるということか。これは普遍的なことなのかもしれないが、この21世紀になってますます、その傾向は強くなりつつあるようだ。だから小生は女性恐怖症なのかな???
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2015.02.11 (Wed)

プルースト『失われた時を求めて』を読む

 フランスのマルセル・プルーストが書いた『失われた時を求めて』という未完の小説がある。この小説も長編も長編、大河小説である。これも大学生の頃に読んだかな。兎に角長い。小説を読み慣れてないと途中で挫折するのではないかな。それ故に20世紀の小説に一大転回を記した大巨編として知られている。
  一杯の紅茶に浸して口に含んだプチット・マドレーヌが話者の私に喚起する少年時代の回想からこの話は始まる。少年が毎年休暇を過ごす田舎町コンブレーには二つの散歩道がある。一つはブルジョワ、スワンの別荘に向かう道であり、そこには娘のジルベルトがいる。もう一つは中世以来の名門、ゲルマント公爵夫人の城館に向かう道である。それらは少年の私の心の中に住む二つの情景の方向であるが、小説はこの二つの世界が世紀末から第一次世界大戦直後までの時代を背景に互いに交錯し融合していく様を軸にして展開して行くのである。
 話者はパリで再会したジルベルトとの淡い初恋に破れた後、祖母とノルマンディ海岸のバルベックへ出かけ、浜辺で知り合った花咲く乙女たちの一人アルベールチーヌに心ひかれる。社交人の集まるこの避暑地では、またゲルマンと一族のサン=ルーやシャルリュスの知己を得る。が、パリに帰ると、彼等に導かれて憧れのサン・ジェルマン街の貴族社会に少しずつ入り込んでゆき、またシャルリュスを中心とした奇怪なソドムの町も垣間見る。一方、話者はバルベック以来のアルベルチーヌとの交わりが深まるにつれて、彼女がゴモラの女ではないかという疑惑をつのらせ、嫉妬のあまり彼女を自分の家に閉じ込めて真相を知ろうとするが、やがてアルベルチーヌの出奔と死によって、この地獄的な同棲生活も終結する。
 人生への夢も作家への希望も失って索漠たる気持ちで二度目の転地療養からパリに帰って来た話者は、招かれてゲルマント大公邸のマチネに赴く途中、邸内の中庭の不揃いな敷石につまずく。すると突然、言い知れぬ幸福感が全身を浸しサン・マルコ寺院の洗礼場の敷石の感覚と共に、ヴェネチアの町が蘇る。それはマドレーヌ体験と同じ無意志的記憶の現れである。話者はこれら過去と現在とに共通の超時間的な印象こそが存在の本質を開示し、そして、此の奇跡だけが『失われた時』を見い出させる力を持っていることを理解する。
 サロンで会った旧知の人々はみな驚くばかり年老いてる。死んだサン=ルーとジルベルトの間にできた娘が目の前に現れた時、彼はこの少女の中に、彼の少年時代の憧れであった二つの方向が一つに結びあわされているのを見る。かくして彼は時の破懐を越えた永劫不壊の世界の存在を知り、いよいよ念願の書物に着手しようと決意する。

 大河小説を簡単に纏めるというのは難しいが要約すると以上のような内容になるかな。バルザックやスタンダールの小説とかに比べると、この『失われた時を求めて』は少し変わった小説である。この小説には『幻滅』『パルムの僧院』のような情熱的行動によって、ストーリーを展開させていく人物は一人もいないからだ。ゲルマント公爵夫人、シャルリュス、ブロックなどのように忘れがたい印象を残す人物の存在するが、彼等にしても行動によって性格を示すのではなく、謂わば、印象派の絵画のように様々な時間と空間の中で少しずつ点描されながら次第に複雑な全体を現してゆくのである。主人公も作品の中では活きるというよりも観察することを旨としており、心に映ずる自然界の官能的な美しさや社交界の微細で醜悪な人間模様な精巧なレンズのように写し撮ったり、おのれの内面に寄せては返す感情と感覚の起伏をじっと味わい尽くしたりすることを主要な任務とする一種の虚点、言葉の性格な意味での反=主人公である。
 この小説の眼目は現実界で起こるような様々な事件をそのまま描出するのではなく、主人公という観察器械を通して体験された言葉で言い表すことのできない困難な感覚や心理を異常に息の長い喚起的な文体を用いて明るみに引き出すことにあるのかもしれない。


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2015.01.10 (Sat)

トルストイの『戦争と平和』を読む

 この長編小説を初めて読んだのは高校の時だったかな。当時は随分と重い小説だなと感じたものだが、ロシア文学は今、読んでも重い。とにかく長くて登場人物も多い。それとロシア人特有の名前は覚えにくい等、なにかと読んでいても辛い小説であったといった印象は今でもある。その後に、何度か読みなおしたが、なかなか消化しきれないでいるというのが実のところである。
 時は1805年、ナポレオンに率いられているフランス軍とロシア軍との間に戦争が起こった。青年公爵アンドレイ・ボルコンスキーは領地・禿山に隠遁している父と妹マリヤに身重の妻を預け、クトゥーゾフ将軍の副官として戦地へ出発する。アンドレイの親友で、留学から帰って来たピエールは、モスクワ屈指の資産家ベズーホフ伯爵の私生児だったが、伯爵の死後、その遺言によって全財産を相続、。一躍、社交界の花形になった。それに目を付けた後見人クラーギン公爵は、美貌であるが品行に良くない噂があった令嬢エレンを嫁がせようと画策し見事に成功する。
 この年の11月アンドレイはアウステルリッツの戦いで敗れたロシア軍にあって、ただ1人、軍旗を手にして敵陣に突入し重傷を負うが、ふと気がついて頭上の青い悠久の空を眺め、その荘厳さに心を打たれる。そして、今までの自分の野心や名誉欲、偉大な人物と崇拝していたナポレオンなど、すべてがちっぽけな取るに足らないものに思えるのである。
 一方、ピエールは、結婚後もまもなく友人ドロホフと妻エレンとの間に妙な噂がたったので、名誉を守るための決闘を申し込み、相手を倒した後、妻と別居する。それ以来、彼は善悪や生死の問題に悩むが、フリー・メイソンの指導者と知り合い新しい信仰の生活に入る。
 故郷では戦死したものばかりと思われていたアンドレイがひょっこり禿山に戻ってきたが、その晩、妻リーザは男の子を生んで、そのまま息を引き取った。アンドレイは最早、自分の人生は終わったと考え、領地で一生を送る決意をする。
 1807年6月、ロシアとフランスは講和条約を結び、平和な生活が訪れる。1809年の春、アンドレイは貴族会の用事でロストフ伯爵を訪ね、生命力溢れる若い令嬢ナターシャに強く心をひかれる。その年の暮、2人は舞踏会で再会し、間もなく愛し合うようになり婚約するが、禿山の老公爵の強い反対で1年間の猶予をおくことに決め、アンドレイは外遊する。しかし若いナターシャは淋しさに耐えきれず、ピエールの妻エレンの兄アナトーリの誘惑に負けて、駈落ちの約束までしたため婚約は破談になる。
 1812年、再びフランスとの間に戦争がはじまり、アンドレイはボロジノの決戦で重傷を負う。ロシア軍は撤退しつづけ、ついにモスクワを明け渡すことになる。ロストフ家では家財を運ぶのに調達した馬車で負傷兵を輸送することに決めるが、ナターシャはその中に頻死のアンドレイを見い出し、自分の罪を詫びて必死に看病するが、その甲斐もなくアンドレイは死ぬ。
 ピエールはモスクワにとどまり、百姓姿に扮してナポレオン暗殺の樹を狙うがフランス軍の捕虜になる。妻エレンは戦火の中でも乱行を続け、堕胎薬の服用を誤って悶死する。戦争は結局ロシアの勝利に終わり、モスクワでナターシャと巡り合ったピエールは、彼女を深く愛していることを改めて思い知り結婚する。アンドレイの妹マリヤも、ナターシャの兄ニコライと結婚し、それぞれ幸福な家庭を作り上げていく。とまあ、以上のような話であるが、筋書きを書くだけでもこのようなことを書かないと説明できないほど、色々とある大河小説である。所謂、大河ロマンである。だからこれといって主人公を特定することは出来ないが、作品の中心になっているのは、ロストフ家の令嬢ナターシャでだろう。ナターシャは、この作品にトルストイが託した生命肯定の思想を体現する存在といっていい。彼女は天真爛漫で少しの作為もない、常に自然のままに行動する。伯爵家の令嬢として深窓に育ちながら、狩猟の後、貧しい地主である伯父さんの家で、民謡に合わせてたくみに踊る。全てのロシア人の心の中にあるものを、彼女は生まれながらに会得しているのである。
 隠遁生活を送っていた後、彼女と知り合ったアンドレイ公爵が、自分の人生はまだ終わった訳ではないと感じ、彼女を思い描いただけで、人生全体が新しい光に包まれてくるほど強い生への志向を持つようになったのも、彼女のあけっぴろげな魂の力によるものである。ナターシャは生粋のロシア女性であり、ロシア文学に描かれた女性像の中でも、もっとも生き生きした魅力的な1人であろう。

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2014.02.22 (Sat)

本が邪魔



 昔から本は読んできたといってもけして文学青年ではなかった。中学の頃まではマンガしか読まなかったし学校の夏休みになると読書感想文というものを出さなくてはならなかったが、これが大嫌いであった。とにかく小説の一冊もほとんど読まなかった。それが高校あたりから少しずつ読むようになり、大学に進んだあたりから本を立て続けに読むようになっただろうか。それからというものはジャンルに拘らず乱読である。最初はエッセイから読みだしたのかな。それから純文学、ミステリー、小説の合間に歴史書、面白くもない大学の経済学関係の書物、科学書、哲学書・・・・・20歳前後が本を一番読んだかもしれない。それが社会に出ると読書ペースが一気に落ちて週一冊のペースに落ち着いてしまった。その原因は社会に出ると時間的制約が大きくなったということである。だから学生の間に出来る限りの本を読んでおくということだ。社会人になると本当に仕事に追われゆっくりと本を読んでいる時間がない。それにストレスもたまるしなかなか物事に集中できない。本を読んでいても仕事のことが気になって文字を目で追っているだけのとこもあって、学生のころに読んだ本の内容は覚えているのに、社会人になってから読んだ書物の内容はお粗末ながらあまり覚えていない。困ったものだがそういうものなのだ。だから知識は何でも吸収力のある若い時に出来る限り詰め込んでおいた方が良いのだ。これは歳をとってから判ることなので、若い時はそんなことを考えないだろうが・・・・。
 ところで本を最近、読まなくなった。読んでいることは読んでいるのだが目が悪くなったからだろうが老眼鏡がないと読み辛いからだ。外出しても本を持って電車の中で読むようにしているのだが、本を持って出たのはいいが老眼鏡を忘れたりするので結局、読めなかったりする。小生、若い頃は目が良かったので眼鏡など必要ないと思っていたのだが、40代後半あたりから次第と文字が読みにくくなり急激に読書ペースが落ちたことを痛感する。それで何の話だってことになるのだが、こんなに本を読まなくなっても増えるのが本だということをいいたかったのだ。知らぬ間に本は段々と増えていく。今、狭い自室(寝床と書斎兼用)に本が増えすぎて本が書架からはみだしているのだ。CDも多いのだが、これ等は別室に置いているが、本は寝転がって読んだりするので寝床の横に置いていたりするが、増殖して部屋を侵食中である。しかし、増えるものだな。10年以上前に本があまり増えすぎて500冊ほど処分したのだが・・・・。それからまた増えて自室の書架(箪笥の高さのが2つある)から溢れ、仕方なく階段の脇に置いていたが階段が狭くなるので、この分は5年ほど前に処分した。それで階段には置けないので自室に置くこととなる。すると段々と部屋が狭くなっていくのである。それでまた処分を考えないといけないのだが、二束三文の文庫本なんて古本屋に持って行っても喜んでなかなか受け取ってくれない。それに大量の本を纏めて処分できないでいる。仕方なしに自室の床に置いているのである。それとまた捨てきれない本もあるのだ。昔、友人のライトバンに積んでもらって大量に処分したが、あとで後悔したことがあった。その時は処分したが、今は絶版になって今は手に入らない書物もあったからだ。本を読まない人からしてみたらなんでだと思うだろうが、本と言うもんは簡単に捨てきれないものだ。でも段々と本が邪魔になってきた。どうにかしないといけないのだが。
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