2011.04.30 (Sat)
キューズモール
このアベノ・マーケット・パーク・キューズモールという新しいショッピングゾーンは大阪の阿倍野に造られた。阿倍野といっても大阪以外の人には判りにくいと思うのでちょっと説明すると、大阪の繁華街は大雑把に言って大阪駅周辺の梅田地区(俗にキタという)と難波、心斎橋、道頓堀等が含まれる俗にいうミナミが2大繁華街である。それで阿倍野というのはキタ、ミナミよりも規模は小さいが、第3の繁華街といってもいいかもしれない。JRの天王寺駅があって、近鉄の阿部野橋駅(かつては部の文字が使われていた名残)と地下鉄御堂筋線と谷町線の天王寺駅、それに路面電車の阪堺線の終点があるから人の流れも多くそこそこ賑わっているところである。でもこれまで多くの若者はこの阿倍野を通り越してミナミかキタへ行く者が多く、繁華街としたら中途半端なところであった。しかし、この表通りにあった古い商店街を取り壊して再開発の一環としてこのほど、キューズモールのオープンにこぎつけたという訳である。
ところでJRと地下鉄の駅は天王寺なのに近鉄の駅は阿倍部野橋というのは何か理由があるのかと思われるだろうが大した理由はない。大阪にはよくあることで、JRが大阪駅なのに阪急、阪神、地下鉄が梅田駅(正確には梅田、東梅田、西梅田)というのと似たようなものである。でもJRの天王寺駅は天王寺区にあり、近鉄は阿倍野区にあるといわれれば納得するだろう。天王寺は聖徳太子が建立した四天王寺からきている地名であり、阿倍野は古代からこの地を領有していた豪族の阿部氏から来ているとも言われている(諸説あるが)。阿部氏というとこの一族から平安時代の有名な陰陽師・安部清明が出ているので馴染みがあると思われる。つまり安部清明の出身地でもあり、安部清明神社が実際にある。でもここの安部清明神社は知名度がなくあまり訪れる人はいない。でも京都の上京区にある清明神社は観光客でいっぱいである。なんという矛盾であろうか。京都の清明神社は安部清明の屋敷跡に建てられたのだけども、大阪の阿倍野区の安部清明神社は出身地に建てられている。この違いはなんだろう。まあ、どうでもいいが、ところでこの付近、その昔、大阪市に編入される前は大阪府東成郡天王寺村大字阿倍野と呼ばれたのであるから天王寺でも阿倍野でもどちらでもいいってことになるかなあ。
前置きが長くなったからキューズモールの話に戻るとしよう。このキューズモールは大阪府下最大級のショッピングモールで254店舗が出店したという。中でも目玉は渋谷109である。これまで109は日本各地に出店していたが、関西だけは出店していなかったらしい。それで今回が関西初出店となった。でも小生、渋谷ギャルなんて興味もないしあんなのが蔓延ったらウンザリするだけだけど。東急は阿倍野を渋谷化する気かなあ。この親会社である東急の10(とう)と9(きゅう)を捩ったファッション商業施設を109というらしいが、何故、関西に出店が遅れたかというと、関西は独自色が強いからだという。それに梅田や難波、心斎橋といったところは進出しても難しいと判断し、敢えて阿倍野に出店したという。それはこの地域、実に高校が多いのである。それにキタ、ミナミと違い、違った色を出せると考えたようだ。なるほど、東急も考えたな。でも大阪ギャルは一筋縄ではいかぬぞ。でも勝算はあるらしい。
それで中に入って見たのだが・・・・・・。ギャルには109が目当てらしいが、それ以外なら東急ハンズが出店している。東急はかなり力を入れているようだ。もっとも阿倍野は近鉄の本拠地だが・・・・。その他ではユニクロが国内最大級の売り場で勝負するとかで、さらにはSEGA、大阪市内初のイトーヨーカ堂、成城石井、クリスピー・クリーム・ドーナツ、キッチンキッチン、ABCクラフト、HMV、コムサスタイル、ZARA、MANGO、ムラサキスポーツ、BoConcept等、そこへライブホール、旅行代理店、野村証券、保険代理店、占い館、クリーニング店、携帯電話ショップ、不動産仲介、眼科、結婚式場紹介、整体、写真館、エステサロン、トレーニングスタジオ、そしてレストラン・ゾーン、食堂街、カフェ、呑み屋・・・・・まあ何でもあるということだが、所詮は10代~30代あたりの女性を呼ぶための施設にしか過ぎないと思った。要するにこういった商業ゾーンが各地に出来ても、我々のような年配の男性が行って面白いというものではない。結局は女性客を如何に引き込むかにかかっているということであって、おっさんが行くようなところではなかった。いくら新しいものがオープンしてもどこも似たり寄ったりで、もう二度と来ないかもしれないなあ。
あべの筋という道路に面しているキューズモール。歩道はまだ工事中であった。

エスカレーターで2階のメインアベニューに上がってみたら、このような雰囲気だった。

ここをまっすぐ行くと2階の入り口へ。

4階から下を見ると・・・。

キューズモールの向こうには高層マンションが聳えていた。

4階から2階を望む。

4階の屋外はガーデンエリアとレストラン街である。

店内のBGMにずっとジャズが流れていたのだが、なんと4人の女性が即興でトランペットを吹いていたのだった。

キューズモールとは道路を挟んだところに近鉄百貨店の阿倍野本店がある。ただいま本館は工事中で、2014年の完成には高さ300mという日本一高いビルに生まれ変わる。こうなると阿倍野界隈は今よりも賑わうだろう。

2011.04.29 (Fri)
ボブ・ディランのアルバム『追憶のハイウェイ61』を聴く

このアルバムが発売されたのは1965年8月30日だという。そんなに古いのかと改めて思った。何故ならあまりにも当時のヒットポップスとかけ離れているからである。あの頃、ビートルズの名曲『イエスタデイ』が出た。ビートルズは爆発的な人気を得て当時のポピュラー音楽の概念を変えていったが、現実的にいってこの『イエスタデイ』が出る前と出てから以降の評価は違ったものになっている。ただの人気あるビートポップス・グループから一躍ミュージシャン、アーティストの域に登って行った。同じ頃、一般受けしないが玄人には評価されていたフォーク・シンガーがボブ・ディランだったように思う。1965年より遡ること3年前、ボブ・ディランは『風に吹かれて』を出した。この曲はヒットした。ただしボブ・ディランが歌った『風に吹かれて』ではなくPPMがカバーした『風に吹かれて』がヒットしたのであった。それとともにボブ・ディランの名は有名になっていった。ギターとハーモニカで淡々と歌い上げる。しわがれ声で灰汁が強い歌い方をするので一般受けしないのだ。どちらかというとメロディよりも詩に訴えるものがあり、プロテストソング、トーキングブルースを得意としていて、ちょうど1960年代前半の公民権運動が盛り上がった時代背景も手伝って時代の代弁者としてブレークしたのである。
それが次第に時代の代弁者としてのボブ・ディランではなくなっていき、曲そのものも変化していくのであるが、アコースティックから徐々にエレキサウンドが入っていく。いわばフォークとロックの融合の様な形でボブ・ディランの新たなサウンドが確立しつつあったのが、この6枚目のアルバム『追憶のハイウェイ61』である。このアルバムは有名な楽曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』が冒頭に入っているということでボブ・ディランのアルバムの中ではよく売れた。ただし評価については当時あまり高い評価を受けていたような記憶はない。音作りが当時の流行りとは逸脱していて先鋭的だったからであろう。それが月日が経っていくごとに、このアルバム自体が評価を上げていき、2003年になって雑誌『ローリング・ストーン』が選出したオールタイム・ベストアルバム500の第4位にランクされている。
収録曲は9曲で『Like A Rolling Stone』『Tombstone Blues』『It Takes A Lot To Laugh,It Takes A Train To Cry(悲しみは果てしなく)』『From A Buick 6(ビュイック6型の想い出)』『Ballad Of A Thin Man(やせっぽちのバラッド)』『Queen Jane Approximatery』『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ61)』『Just Like Tom Thumb’s Blues(親指トムのブルースのように)』『Desolation Row(廃墟の街)』・・・・・
このアルバムが出た頃、私はまだ小学生だったので聴いたという記憶がない。ラジオもボブ・ディランの曲は滅多に流してなかったように思う。ただし姉が持っていた洋楽専門の雑誌で面白い髪型をしているシンガーがいるといった印象があり名前は覚えていた。が、ボブ・ディランの曲をラジオでも聴いたこともなかった。ラジオで流したこともあるだろうが覚えていたという印象がない。今聴いてもボブ・ディランの曲は印象に残らないかもしれない。それなら何故ボブ・ディランがここまで有名になったかというのは、『風に吹かれて』をPPMがカバーしてヒットしたように、当時、ボブ・ディランの曲を色々な人がカバーしていたからだ。『ミスター・タンブリンマン』『くよくよするな』『はげしい雨が降る』『悲しきベイブ』『イフ・ノットフォー・ユー』『いつまでも若く』等の曲は当時のヒットチャートを賑わしていた。ただし何れもボブ・ディランではなくカバー曲によってである。ボブ・ディランが歌うよりも他の歌手が歌う方がよりメロディアスだからで、本人が歌うと印象がガラっと変わるのであった。しかし、ビートルズのジョン・レノンがボブ・ディランに傾倒していると聞いて注目しないといけないなあと感じ、中学の頃、ボブ・ディランを真剣に聴くようになった覚えがあるが、なかなか馴染めなかったものだ。それは今でもそうなのであるが・・・・・・・。
ただし好き嫌いは別にして革新的アルバムであったことは確かであり、このアルバムが発売されてから以降、ロックの歌詞が認められるようになりポピュラー音楽そのものが3分間芸術なんていわれたものから大いに飛躍していったのだが、このアルバムの曲は当時のものとしては実に長い。冒頭の『ライク・ア・ローリン・ストーン』からして6分を超える曲だが、アルバム最後の『廃墟の街』に至っては実に11分に及ぶ。当時の常識を打ち破ったアルバムであり、その後のポピュラーミュージックの在り方を確実に変えた一枚であり、ボブ・ディラン自身がいうように重要でかつ革新的である。
『ライク・ア・ローリング・ストーン』を歌うボブ・ディラン(1995年)
2011.04.27 (Wed)
4月27日
夕方、さあ帰ろうかと外に出たら小雨が降っていた。小雨ぐらいならいいかと傘をさして何時ものようにJRの駅まで歩こうかとしていたら、雨が徐々に強くなってくるではないか。仕方なしにバスに乗る。強い雨の中を3㎞も歩いていられない。流石にバスは楽だ。濡れなくてすんだ。駅に到着して電車に乗り込む。すると京都駅を出てから土砂降りに変わってしまった。冗談じゃない。自宅の最寄り駅に到着。改札口を出て駅舎をp出ようとするが、物凄い雨でここから暫く出られず。駅舎の中は雨宿りする人が増えて来たが、この激しい雨では傘を差しても意味がない。小ぶりになるまで待機した。中には駅からタクシーで帰ろうとする人もいる。駅まで車で迎えに来る人もいる。でも10分ほどで雨の勢いが緩くなった。今だと思い自宅まで急ぐ。
JRの駅から自宅まで10分ほどなのだが、この間でも雨の中を歩くと足元がそこそこ濡れる。ようやく半分まで歩いたら、再び雨が激しくなってきた。もうどうすることも出来ない。あっという間に靴も靴下もズボンもびしょ濡れ。あーあー、自宅までもうちょっとなのに・・・・・。土砂降りの中を歩いて自宅に到着。すると先ほどまでの雨が突然止んだではないか。本当に天候にバカにされているようだ。明日はどうなるかしらないが、このところ雨ばかりである。今年の4月は前半はよく晴れたのに、この4、5日はよく雨が降っている。快晴の日がほとんどないというのも困ったものだ。せめて明後日からの黄金週間はよい天気が続くことを祈りたい。
2011.04.25 (Mon)
晴れ、雨、晴れ、雨、晴れ
朝の8時ごろは外は晴れていた。よし、準備完了で、さあ、出かけよという9時頃になって、なんやら外が急に暗くなってきた。それどころか先ほどまで晴れていたのが嘘のように、全体が灰色の雲で覆われ雨が降りだした。そこへ雷鳴が鳴る。風が強くなり、ちょっとした春の嵐の様相である。昨日も昼過ぎに突然、空が暗くなり雨が降り出したが、今日も似たような天候の移り変わりをした。これで出かけようと用意をしたのに、この天気ではちょと無理かなと思いあきらめかけた時、雨が止み、雲がどこかへ行き晴れだしたではないか。そして再び出かけようと用意をすると、また外が暗くなるという有様にとうとう出かけけるのを諦めた。
結局、その後も午後から再び、雷鳴が轟き再びの雨。その後はまたも晴れ間がのぞき、その後にまたまた雲行きがあやしくなってポツリポツリと小雨が・・・・。いずれにせよ出かけなくて良かった。でもこれだけ天候に翻弄される日も珍しい。そうも日本の北側の冷たい低気圧が南下したせいで、こういった不安定な天候になったのらしいがどうもこのところ雨が多く、天候が安定していない。これで4日連続で雨が降っていることになる。まあ、今日なんか大した用事があるのでもなかったが、人出の少ない平日に行った方が良いというところはあるものだ。それで行こうと考えていたのだが・・・・天は我を見放したか・・・・・・・。まあ、この後にゴールデンウィークが控えているからいいが、今日は出かけられず、1日、家の中で野暮なことをして暮らすという無駄な1日であった。でも天候ばかりはどうしよもないな。
2011.04.24 (Sun)
第71回皐月賞
昨日の雨が上がり馬場はどうにか良に回復したが、まだ水分を含んでいたらしい。そして1番人気がサダムパテックで、2番人気がナカヤマナイト、3番人気がベルシャザール、4番人気がオルフェーヴル、5番人気がトーセンラーであった。でもあまり各馬の実力に差があるのでもなく混戦と言われ続けスタートした。1コーナーよりの奥からのスタートで内枠有利と言われたいるが、ゲートが開くや馬場の真ん中からダッシュよくエイシンオスマンが飛び出した。外からかかり気味にベルシャザールも行く。バックストレートに入っったが、先頭はエイシンオスマン、2番手はベルシャザール、3番手ステラロッサ、4番手プレイ、5番手ダノンバラード。そのあとにビッグロマンス、カフナ、ダノンミノル、その内に人気のサダムパテック、それをマークスするようにナカヤマナイトが続いている。さらにフェイトフルウォー、オルフェーヴル、ロッカヴェラーノでトーセンラー、デボネア、リベルタス、オールアズワン、シンガリのポジションにノーザンリバーといった展開で3コーナーにかかろうかというところである。ハロンごとのラップは13.0---11.7---11.7---11.9---12.0で800m通過が48秒3、1000m通過が1分00秒3とややスローペース。でもこのあとさらにペースが落ちて4コーナーを回ろうとする。先頭のエイシンオスマンは5馬身リードするがここでペースを落とすので後続との差が一気に縮まり間もなく直線に入る。先頭はエイシノスマン、2番手にベルシャザールだが、ここでダノンバラードも先頭集団に加わってきた。あと400m、後続馬の鞭が一閃する。まだエイシンオスマンが粘っているが、いつの間にか馬場の真ん中からオルフェーヴルが先頭に出ようとしている。横一線からオルフェーブルが先頭に出ようとしている。あと200m、ここでオルフェーヴルが先頭に立った。オルフェーヴルが先頭。オルフェーヴルが先頭。サダムパテックが伸びて来た。サダムパッテクが2番手に上がる。しかし、オルフェーヴルが2馬身リード。サダムパッテクも伸びる。オルフェーヴルさらに差を広げる。オルフェーヴル、オルフェーヴル、オルフェーヴル3馬身リードしてゴールイン。
1着オルフェーヴル 2分00秒6、2着サダムパテック 3馬身、3着ダノンバラード 1馬身1/4、4着デボネア 3/4馬身、5着ナカヤマナイト 1/2馬身。
勝ったオルフェーヴルはドリームジャーニーの全弟ということを考えれば末脚が切れて当然という結果だが、今日の力強さを想像できただろうか。それほど今年の3歳牡馬は傑出した馬がいなかった。重賞ごとに勝ち馬が変わり、どの馬も決定的な安定感はない。しかし、今日のオルフェーヴルは強かった。ただ上り3Fが34秒2と馬場が幾分渋っていたことを割り引いても、このペースでこの上がりタイムは物足りない。もっともメンバー中、最速だったから目立ったのだが、今年の牡馬はレベルが低いのかもしれないなあ。今年の勝ち時計、2分00秒6というのは東京コースを考えれば遅い。最近の皐月賞はやや稍重だった昨年と、超スローペースだった3年前を除けばいずれも2分を切って決着している。今年は東京コースなのに2分を切れなかった。そういった意味では全体的に小粒で、その中でもオルフェーヴルが出色の末脚を発揮したということになる。でもこれが中山コースだったら違う結果になっていたかもしれないし、レースごとにこれからも勝ち馬が変わりそうな気もするが、ダービーは今回と同じ東京コースなのでオルフェーヴルには追い風が吹いたとだけ言っておくとする。
2011.04.23 (Sat)
せっかくの土曜日が雨だった
それが3年前から仕方なしにJRに毎日乗るようになった。それで滋賀の田舎に通っている。するとすっかり街中とは縁がなくなってしまった。それで今日、久しぶりに阪急に乗って大阪の梅田まで行ったという訳なのだが、あいにくの雨で行動範囲が限られてしまう。でも梅田は私の庭のようなところなので雨に濡れないように歩くコツも身についている。それでHEPナビオ(阪急系の商業ビル)の映画館の前を通って驚いた。今日から『阪急電車』という映画が全国に先駆けて先行上映されるという。この映画の原作は当ブログでも紹介したが(2008年2月24日のブログを参照)、はたしてこの映画、関西以外で人が入るのだろうかという懸念がある。京阪神以外の人だと阪急電車というのも馴染みがないだろうし、阪急の今津線という西宮北口~宝塚(たった7.7㎞)の間を走るローカル線の中で起こる話である。でも巧く話が組み立てられていて面白い内容の恋愛ストーリーであった。原作者の有川浩(女性である)という人は自衛隊オタクらしいが、このような小説も書くのだと認識させられたものだが、この映画、本日は初日ということで大入りだったようだ。もっとも滋賀県に行くと、ほとんどの人が阪急に乗ったこともないという。やはり京阪神を離れると同じ関西でもこのような状況なのだ。だから映画『阪急電車』はあまりヒットしないと思う。でも一度、関西に旅行に来る機会があるならば、速いだけのJRはやめて阪急か京阪で京都、大阪、神戸、宝塚を周遊することをおすすめする。それにJRは料金も高いしね。ところで今日はこんな話を書くつもりではなかったのだが・・・・・。
2011.04.22 (Fri)
4月22日
それはそうと東京電力の福島第一原子力発電所の事故後の処理は依然として困難を極めているが、とうとう今日から半径20㎞圏外の地域を1ヶ月内に域外へ避難を求めるよう計画避難を指示したようである。すでに半径20㎞以内は警戒区域となり、原則的にいって立ち入り禁止である。そこへ今回から半径20㎞~30㎞の範囲は計画的避難地域に指定し、1ヶ月以内に域外へ避難するよう求めたのである。この件により警戒区域から避難してきた人たちは原発の事故処理が簡単にいかないので、いつまで避難所生活を送らなけらばならないのだ。ことに警戒区域は許可なしに入ることができないので悲惨である。この警戒区域に家があった人は家に帰りたくても帰れないといったストレスに発展するだろう。とにかく原発問題は長期化の様相だが一向に進まない。そこへ今回の計画避難ときていては避難民は踏んだり蹴ったりである。いったい何時まで続くか判らない避難生活。もう限界に達していることは誰にでもわかる。それでいてそこへ今回の計画避難だが、もし原発の状況がいまよりも悪化した場合、屋内退避、とかも考えられだろう。自宅も何もかも捨て去って家があろうが帰れない。ああ、何とやりきれないことだろう。家があっても帰れない。故郷があっても入れない。なんと虚しいことか・・・・・。
2011.04.20 (Wed)
4月20日
それにしても今日は寒かった。4月も下旬になろうとしているのに息が白いほどの寒さである。まるで時間が1ヶ月以上、逆戻りしたような気温である。建屋の中は暖房を入れていたほどだ。でも摂氏14℃以上上がらなかった。それなら外だと何度ほどあったのだろう。とにかく寒かった。風も強く体感温度からいって10℃以下の感じである。これだと冬が再びやってきたようなものである。もうソメイヨシノの花は散ってしまいすっかり葉桜の状態なのに、この花冷えはなんだ。こちらは冬の身支度ではなくすっかり薄着になっているから、今日のような気温の低さだ非常に身体に堪える。でも、こんなことを言っているが、あともう少しで、すぐに気温が30℃近くなるのだろう。寒いのから一気に暑いのに転じるから着る服の選択も難しい。みんなは早く暖かくなれというが、その先は苛立つほど暑い暑い夏がやってくるではないか。そうなると小生の居場所が完全に無くなってしまう。兎にも角にも今は寒いと文句を言っているが、暑い暑いとだれ気味になるよりはましだろう。真夏になってしまうともう動く気も起らなくなる。だから小生は寒い寒いといいながらでも上着を着ていられる今の季節の方が夏よりもはるかにましである。でも5月に入ると当然、夏日の日もあるし、すっかりスタミナがなくなってしまう。それで今の季節、1年でも過ごしやすい時期なのに、今日のように冬のような寒い日があるかと思えば、突然のように夏日になるから困るのだ。そして寒いのから一足飛びに夏が来る。いい気候が短くなり、寒いか暑いかどちらかの日が多い。もう四季ではなく二季だ。ああ、本当に春らしい日が滅多にないというのには困ったものだ。秋にも言えるが秋らしい日も最近は減りつつある。昨今は夏の方が圧倒的に長く冬は短くなる傾向にある。これも地球温暖化?の影響かもしれないが、住みにくい地球に確実に向かっているのには閉口するしかない。せめえ夏さえなければ小生も生きる活力がもっと出てくるのだが、これだけ毎年、夏が長いとなあ・・・・・・・寿命も縮むよなあ。
2011.04.19 (Tue)
4月19日
2011.04.18 (Mon)
『CUP NEEDLE ごはん』を食べる

入れ物が大きいのに、ごはんは底の3cmだけ。

去年の8月に日清食品が近畿で先行発売していたはずの『CUP NEEDLE ごはん』だが、スーパーでも見かけたことがなかった。何故かというと発売してすぐに完売してしまい店頭でもなかなかお目にかかれなかったらしい。それでこの3月に全国発売されるようになってからようやくスーパーの店頭で見かけるようになった。そして買って食べてみたが・・・・・。
まず箱から中身を全て取り出し、箱を水平な場所において水を160ml入れる。そこへ具、味付けの素、ライスを入れてかき混ぜる。よくかき混ぜてから蓋を閉め電子レンジで加熱する(4分半~5分半)。出来上がったところへ仕上げ香味油を入れてかき混ぜれば完成。実に簡単。さて味の方はというと・・・・・ちょっと濃厚かな。小生にはちょっとくどい食べ物だ。カップヌードルのごはん版だから当然ではある。でも、これでおにぎり2個分に相当するというから、カロリーも高いのだろう。材料としてはライス、加工油脂、乳化剤、リン酸塩、具入り調味料(味付豚肉、味付卵、醤油、食塩、乳糖、味付えび、ねぎ、エビパウダー、香辛料、たん白加水分解物、ポークエキス、チキネキス、野菜エキス、調味料、加工でん粉、カラメル色素、乳化剤、重曹、増粘多糖類、香辛料抽出物、酸化防止剤、カロチノイド色素、スモークフレーバー、酸味料、香料)、オイル(植物油脂、香味油、香料)等である。
出始めだし物珍しさもあってよく売れているのだろう。カップヌードルのチキン味が好きな人にはいいかもしれない食べ物だが、カップヌードルが世に出た時ほどのインパクトはない。まあ、なんでもある時代だから驚かないのは当たり前だが、調理は簡単で沸騰したお湯さえあらば何処でも作れるから案外、人気がでるかも・・・・・・。しかし、此の歳になると脂っこい食べ物はあまり受け付けなくなったかな。でも食べ慣れると美味しく感じるのかもしれないが・・・・。
2011.04.17 (Sun)
マイラーズC
レースはシルポートが強引に逃げ、後続を5馬身ほど引き離すマイペースの展開。2番手をクレバートウショウがつけ、ダノンヨーヨーが4番手で、アパパネはちょうど中団の真ん中、9番手から10番手前後の位置。でもシルポートはしぶとく直線でも失速せずにまんまと逃げきってしまい、2着もクラバートウショウが残り、完全な行った行ったという結果に。
1着シルポート 1分32秒3、2着クレバートウショウ 1馬身3/4、3着ダノンヨーヨー アタマ、4着アパパネ 1馬身1/4、5着ショウワモダン ハナ。
7番人気のシルポートが逃げ切り、14番人気のクラバートウショウが2番手追走から残ってしまった。有力馬のダノンヨーヨーやアパパネ、スマイルジャックといったところが差してきたが届かず荒れたマイラーズCとなった。
さあ来週は皐月賞である。今年は中山コースではなく東京コースでの開催である。中山の2000mと東京の2000mでは性格の違ったレースとなるのでそのあたりが取捨選択の難しいとことである。はたしてどうなるのやら・・・。それでは今日は書くこともあまりないのでこのあたりで失礼。
2011.04.15 (Fri)
4月15日
そもそも明治時代に関東と関西で使用した発電機が違った関係からこのようになってしまったということだが、この東の50Hz、西の60Hzの境目はちょうど糸魚川富士川構造線と一致するという。すると新潟県、長野県、山梨県、静岡県では電気の周波数が県内で違うという現象がみられるのだ。また静岡県の富士宮市や富士市では同じ市の中でも周波数が違うというおかしなことになっているのだろう。それで中部電力の電気を東京電力が貰おうとすると3ヶ所しかない周波数変換所を通さなければならないらしい。ところがこれでは追いつかない。まあなんと不便なことであろうか。なにしろ一国で電気の周波数が異なっている国も珍しいだろう。すると今年の夏は大問題である。各家庭でエアコンをつけっぱなしにすると電力需要はひっ迫し、東京大停電という可能性もあるわけだ。物金が集まりすぎた弊害がいよいよ現実のものとなってきた。もし昨年と同様の酷暑になれば冗談ですまされないほど停電が一般的になってしまうかも、いったいどうなることやら・・・・・。
2011.04.13 (Wed)
4月13日
ところが今回は地震が齎した二次災害ともいうべき原発の問題がある。昨日、経済産業省原子力安全・保安院等で福島第一原子力発電所の事故について事故の深刻度を示す国際原子力事象評価尺度をの暫定評価をレベル5からレベル7に引き上げた。これは1986年のチェルノブイリ原発事故の時と並ぶ事故とされたのである。もっとも今回の事故はチェルノブイリの時の放射線物質の放出量の10分の1程度だというから、そこまで深刻になることでもないが、チェルノブイリの時は原子炉が爆発を起こして大量の放射線物質が一帯に放出されたのだが、今回は長い時間かかって放射線物質がジワジワと放出されている。今回の方が事故としては軽いのだが、何時まで放射線物質がバラまかれるのか見当もつかず、事故処理が長期化することも考慮されレベル7に引き上げされたのだという。計画的避難区域が新たに設定されたが、これも判りにくい。これまで半径20km、30㎞で定められていた避難指示区域、屋内退避区域をさらに強化した模様で、いったいみんな何処へ行けばいいのだろう。この先の見通しもつかず、家に帰れないどころか故郷を捨てなくてはならない状況に陥ってしまう。おそらくこの地域に原子力発電所を建設することを決定した時、おそらく地元民は大反対しただろう。大きな地震が来ても絶対に大丈夫と東京電力側は地元民に説明したと思える。それが今回の大地震で大きな揺れと巨大津波にやられこの有様である。それで避難させられている人々は怒りの矛先を何処に持っていいのやら。東電社長が謝罪していたが、あまり実感がこもっていなかったし誤って済む問題ではないだろう。それほど事は深刻なのに・・・・・・。それに東電側は今回の事故のことに関して、それは想定外の巨大地震だったからと言い逃れするようにかわしていたが、直接被害を被った地元民は想定外の一言で済まされればとても納得できないでいる。それこそ東電が費用を全額負担して、避難指示地域の人々の当分の間、仮に住むところの用意でもやるべきだ。でも無理か・・・今回の件で東電は大損害を被ったので会社そのものが倒産するのではとも言われている。いやはやますます先行き不透明でございます。
2011.04.11 (Mon)
東日本大震災から1ヶ月・・・
つまり東日本一帯で被害があったということである。このあたりが阪神淡路大震災と違っているところだろう。今回の大震災は青森県から神奈川県あたりまでの広範囲にわたって被害が確認されている。ことに今回は津波により被害が甚大で太平洋側の各港及び街が壊滅的被害を受けた。青森県では三沢、八戸の漁港が津波でやられ死者、不明者が出ているし、千葉県でも旭市では死者13人、不明2人。茨城県では北茨城、東海、水戸、大洗といったところで死者10数人。そこへ岩手、宮城、福島の3県が加わるととんでもない数字が叩き出される。
それもこれも想定外の大地震だったからという言葉で片付けられてしまいそうだが、確かにM9.0という日本の観測史上最大規模の地震が起こったにせよ、亡くなった人や家族や親類、知人を失った人、家が無くなった人、これらの被災者は怒りを何にぶつければいいのやら。相手が大自然とはいえやるせない気持ちであろう。それでも人は立ち上がり、この震災を教訓にさらに地震や津波に強い街を築くのだろうが、この広域震災からの復興はいったい何年かかることやら。そこへ今回は原発問題が加わって、かつて日本が経験したことのない事態にまで発展している。ところでこの震災から日本は立ち直れるのか。太平洋戦争でズタズタになった日本が、戦後初と言ってもいい国難に陥ってしまったが、これからのスタートは困難を極めそうだ。すでに経済も縮小しているといわれ、自粛ムードがそこへ追い打ちをかけているとも・・・・・・。でも日本国民は何をやればいいのか分からない。でも被害のまったくない西日本までが落ち込んでいてはいけない。せめて関西だけでも元気でいたいものだ。元気なところから活力を貰って明日の日本を再建したいものだが、東北地方の復興は今後何年かかるだろうか。簡単には事は運ばないだろうが勤勉な日本人のこと。必ず経済復興が出来るだろうと信じている。まさに頑張ろう日本だ。
2011.04.10 (Sun)
第71回桜花賞
綺麗なスタートから最内のフォーエバーマークがおしておして飛び出した。2番手にマルモセーラ、3番手カフェヒミコとサクラベル、そしてダンスファンタジア。そのあとにウッドシップ、デルマドゥルガー、ハブルバブル、エーシンハーバーと続きラテアート、スピードリッパー、フレンチカクタスがいて、ライステラス、1番人気のホエールキャプチャが外から行く。さらにマイネショコラーデ、その内からマルセリーナ、そのあとにメデタシ、シンガリからトレンドハンターというところで早くも3コーナーの奥深いところへ馬群がやってきた。フォーエバーマークが先頭で3馬身ほどリード。そのあとは一団である。スタートからのハロンラップは12.1---11.0---11.5---12.1---11.8で800m通過が46秒7、1000m通過が58秒5と平均よりやや速目のペースである。ここで馬群が固まってきたが4コーナーを各馬がゆったりと回る。ホエールキャプチャは外にふられるように大外を回るが、ここで直線に入る。先頭はフォーエバーマーク、2番手にウッドシップ。ホエールキャプチャは大外の後方。フォーエバーマーク先頭。フォーエバーマーク先頭。3馬身ほどまたリードを広げる。あと200mを切った。外からホエ-ルキャプチャが迫る。先頭はまだフォーエバーマーク。しかし、その間を割って一気にマルセリーナが抜けて来た。一気に伸びて先頭に立った。マルセリーナが先頭。ホエールキャプチャ伸びる伸びる。さらに外からトレンドハンター、内でフォーエバーマークが粘る。しかし、先頭はマルセリーナ、マルセリーナ、マルセリーナが1着でゴールイン。
1着マルセリーナ 1分33秒9、2着ホエ-ルキャプチャ 3/4馬身、3着トレンドハンター 3/4馬身、4着メデタシ 1馬身1/4、5着フォーエバーマーク 1馬身1/4。
勝ったマルセリーナも2着のホエールキャプチャも3着のトレンドハンターも後方で待機していた馬ばかり。結局は決め脚勝負になった。こうなるとジリ脚の馬では勝てない。ただホエ-ルキャプチャは大外を回りすぎた。それに比べるとマルセリーナはコースロスのないインコースを走り直線で前が開かず苦労したが、結局、うまく馬群を割って一瞬で前を抜き去った。この脚はまさに父ディープインパクト譲りだろう。ディープインパクトは初年度産駒からいきなりクラシックホースを出したことになる。また勝ったマルセリーナは故障して戦線離脱したレーヴディソールと同じ松田博資厩舎の馬。3着のトレンドハンターも同厩舎の馬。もしレーヴディソールが出ていたらどうなっていたか判らないが、なんと層の厚い厩舎だ。ブエナビスタも同厩舎の馬だが今年も松田博資厩舎から目を離せないかも・・・・。
2011.04.09 (Sat)
ああ疲れた
階段を上がってまた降りる。でもすぐに電車はこない。ここからは快速も各停に変わるぐらいだから本数も減るし乗降客も少なくなる。10分ほど待って米原行きの電屋がやってきたので乗り込む。ここでも車内は少ない。そして居眠りして揺れにまかせてうとうとすると何時もの駅に着いた。小雨が降っている。既に待機して発車時刻を待っているバスに乗り込む。ここでも乗客が少ない。土曜日というのは休みのところが多いのだと改めて実感。そして仕事だが、かいもくやる気が起こらない。急ぐ仕事でもないのに出勤させられて無駄な電気を使っている。節電、節電と日頃から煩く言うわりには土曜出勤させて効率の悪い仕事をやらせている。言ってることとやってることが何時も食い違う。本当におろかな会社だ。といってもしょうがないので1日、働いて退社する。疲れがたまっているのか何時もより歩くペースが遅い。でもバスに乗る気はない。もっとも土曜日の夕方なんてバスを待っていたら何時来るや全く分からない。それで駅まで歩いているのだが、小雨が降っていた暖かい朝と比べると、帰りは雨が上がって肌寒い。これだけ朝と夕方と気温差があると着る服に困るが、朝は異様に暖かかったので薄い上着を着てきたのだが、帰りは薄い上着だと寒いぐらいだ。そして帰りの電車を待つもすぐに来てくれた。車内は空いているし、クロスシートだしゆったり座って居眠りする。こうして今、パソコンの前にすわって書き込みをしているが、本当に今日の出勤は意味があったのだろうか・・・・・。それでいて今日は休日出勤扱いにならないというからまったくふざけた話である。
さてさて取り敢えずは疲れたので今日はも何の話題も提供できなかったが、このあたりで失礼して、もう寝ることにする。それではまた明日・・・。
2011.04.08 (Fri)
4月8日
桜の花もこの暖かさで一気に5分咲きから7分咲きまで開花してきた。そろそろ明日の土曜日あたりは満開になるところもあるみたいで、花見に出かけるのもいいだろう。でも残念ながら小生は明日も出勤だ。4月に入ってから土曜日は休んでない。余所の会社は震災の影響で少なからず仕事が減ったところも多いというのに、わが職場はどこ吹く風。忙しいことこの上ない。このご時世に何ともお目出度い会社だ。まあ、仕事がないよりはあった方がいいのに決まっているから働かせてばっかりと文句の一つでも言いたいが、ここは有り難いと思わないといけないかな。
ところで昨日の深夜、また宮城県沖で大きな余震があった。震度は最大で6強だというから、まさに東北地方は泣きっ面に蜂である。でもマグニチュード9.0というあれだけの巨大地震の余震だけに大きいし、余震の方も簡単には収まらない。まだ震度6程度の余震は起こる可能性がある。それにしても東北の方で避難している方も、余震の度に恐怖感が募るし生きた心地がしないだろう。それにまだ福島の原子力発電所の問題がなかなか解決しようもない。放射線物質は漏れっぱなしだし一向に収束に向かう気配なし。今後の成り行きが問題だが、ここから撤退させられた人々は長期間の避難を強いられそうだし体力が持つかどうか。まったく前代未聞の出来事だけに今後のことが皆目、浮かばない。それに廃炉が決定的な福島第一原子力発電所の発電量を補えるほどの発電所を持っておらず、この夏がもし酷暑になるとみんな熱中症でバタバタと倒れるんだろう。計画停電を真夏に実施したとしたら、それこそエアコンを使えない。部屋の温度はどんどん上がり、やがて知らぬ間に熱中症になっているといったパターン。今まで夏になると多くの人はエアコンのスイッチを入れて暑さから逃れていたのに、今年はそのような訳にはいかない。今から考えるといったいどんな夏になることやろ。ああ、考えただけでもおそろしい。
2011.04.06 (Wed)
ストラヴィンスキー・・・・・『春の祭典』を聴く

セルゲイ・ディアギレフというロシアのプロデュサーがいる。この人なしには20世紀の音楽はこれほど発展しなかったに違いいないといわれる。彼はバレエやオペラのプロデュサーであったが興行師でもあった。そこで彼の地位を利用して数多くのオペラやバレエを西欧に紹介し興行した。これにより多くの作曲家、バレエ・ダンサー、振付師、歌手が出世したことは言うまでもない。ミハイル・フォーキン、ムソルグスキー、レオン・バクスト、カルサヴィナ、ニジンスキー・・・・。なかでもバレエ界にとってはその貢献度は大きくディアギレフが組織するバレエ・ルッスにより新作バレエが上演されたのである。ラヴェル『ダフニスとクロエ』『ラ・ヴァルス』、ファリャ『三角帽子』、サティ『パラード』、プロコフィエフ『道化師』、ドビュッシー『遊戯』等、これらは何れもディアギレフによって世に出たようなものであり、作曲家の名もこのバレエの成功によって一躍名が知れるようになったことは言うまでもない。
さて、イゴール・ストラヴィンスキーであるが、彼こそディアギレフによって見出され育てられ有名になったといってもよいだろう。彼の出世作『火の鳥』がそもそもディアギレフの依嘱によって作曲されたバレエ音楽であり、その後、彼の作品がことごとくディアギレフによって世に出ているのである。こうして有名になったストラヴィンスキーであるが、1913年5月29日、パリのシャンゼリーゼ劇場でストラヴィンスキーの新作バレエ『春の祭典』の初演が行われることとなった。この日、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団がニジンスキーの振り付けで演じられるのである。さあ、客席が埋まり指揮のピエール・モントゥーがタクトを振った。その瞬間、一本のファゴットが、それまで誰も使はなかった高音域で神秘的なソロを吹き出すと客席が騒がしくなったという。演奏は進むが、嘲笑され始めますます騒ぎ出す。対して進歩派の叫びが拡がり、とうとう座布団が乱れ飛ぶ始末となったようである。奇怪なリズム、不気味な旋律、異様な咆哮、伝統的な音楽に対する徹底的な破壊行為は保守的な聴衆の激怒を買い、ストラヴィンスキーはイントロダクションの数小節を聴いただけで劇場を出て行ったという。もっとも初演の指揮をしたモントゥー自身が最初に曲のデッサンをストラヴィンスキーの弾くピアノで聴いたとき「スキャンダル以外の何ものでもない」と思ったというから、よほど当時の聴衆には耐えられなかったに違いない。
確かに今聴いてもそれまでのバレエ音楽とは違い変拍子を駆使して5管編成というオーケストレーションの常識を無視した新しいサウンドを生みだそうとしていたことは容易に理解できる。特に第2部の最後、『いけにえの踊り』で1小節ごとに拍子が変わるのである。16分の2、16分の3、8分の2、16分の2、16分の3、8分の2、16分の3、16分の5というようにめまぐるしく変わり奏者泣かせの曲とも言えるだろう。
演奏時間は35分ぐらいでさほど長い曲でもないが色々な試みが見られ面白い。確かに斬新である。20世紀初頭の人にはあまりにも型破りすぎて驚いたことは想像できる。でも過去の慣習を打破しないかぎりは新しい物が生まれないが芸術の破壊者というのは何時の時代でも絶えず批判の対象になるものである。
ストラヴィンスキー『春の祭典』の演奏・・・冒頭から約8分半
指揮 マイケル・ティルソン・トーマス
サンフランシスコ交響楽団
2011.04.04 (Mon)
4月4日
2011.04.03 (Sun)
産経大阪杯
スタートが切られた。ドリームジャーニーは例によって下がっていった。正面スタンド前を通過。キャプテントゥーレとトーホウアランが前に出た来たがキャプテントゥーレが先頭。2番手にトーホウアラン。ナニハトモアレが3番手、4番手にミッキードリームとリディル。オペラブラーボがいて、そのうしろにヒルノダムール、さらにダイワファルコン、タッチミーノット、イケドラゴン、ダークシャドウ、エイシンフラッシュ、ヒカルカザブエ、ドリームジャーニーという順で進み、そこからさらに4馬身あとからダノンシャンティがシンガリから行く。前の2頭がペースを上げていくがハロンラップは12.5---11.0---12.3---12.1---11.4で、800m通過が47秒9、1000m通過が59秒3という平均ペース。しかし、ここからペースが上がっていく。3コーナーから4コーナー。キャプテントゥーレが先頭でトーホウアランが2番手。この2頭が5馬身離して快調にとばす。ここで後続の各馬がそろそろ仕掛けに入る。しかしダノンシャンティはまだシンガリの位置。4コーナーを回りこれから直線に入る。先頭はキャプテントゥーレ、トーホウアラン2番手。キャプテントゥーレ先頭で2馬身以上リード。あと300m、キャプテントゥーレ先頭。ヒルノダムールが来た。ヒルノダムールが来た。あと200m、キャプテントゥーレ先頭、キャプテントゥーレ先頭。ヒルノダムール2番手に上がる。外からエイシンフラッシュ、ダークシャドウ、さらに後方からダノンシャンティ一団になってやってくる。ヒルノダムール来た。ヒルノダムールが先頭に立った。ヒルノダムール先頭。エイシンフラッシもダークシャドウも来る。ヒルノダムール先頭。ダークシャドウが2番手に上がる。ダークシャドウが急追、ダークシャドウが急追。ヒルノダムールかダークシャドウか。ヒルノダムールかダークシャドウか2頭が並んでゴールイン。
1着ヒルノダムール 1分57秒8、2着ダークシャドウ ハナ、3着エイシンフラッシュ クビ、4着ダノンシャンティ クビ、5着キャプテントゥーレ クビ。
いや驚いた。勝ったヒルノダムールは順当だが、2着のダークシャドウ。この馬は8番人気だ。それも前走でようやく1000万クラスを勝ちあがったばかりの馬。いくらいい脚をもっているといっても相手はダービー馬や皐月賞馬、有馬記念、NHKマイルを勝った錚々たるメンバーだ。そこに加わって最もいい末脚で大接戦の2着になだれこんだ。信じられない。これからは人気するだろうし一躍、注目すべき存在になってきた。これで天皇賞は少し面白くなってきたかな。
ところで来週の桜花賞だが、ここにきて絶対本命といわれたレーヴディソールの骨折によって、一気に混戦桜花賞となってしまった。馬券的には面白いが興味としては全く妙味のない桜花賞となりそうだ。これで今年の3歳クラシックレースは牡馬牝馬とも、史上最低クラスの争い(?)の様相となってしまった。まことに残念である。
2011.04.02 (Sat)
4月2日
取り敢えずは仕事を夕方までこなし、帰宅したのだが朝の暖かさとは違って風が強く寒いこと寒いこと。また寒の戻りか。もう4月だというのに、随分と冷える。でも桜の花もようやく蕾が開きかけるかどうかといったところまでやってきた。去年はすでに開花していたし、5分ぐらいまで咲いていたと思う。それに比べれば今年の桜の開花は遅いようだ。でもどこも自粛モードで派手な花見は控えるようにとのことである。つまり桜の木の下でゴザを敷いて大勢で酒を酌み交わしてどんちゃん騒ぎをするなということなのだろう。しかし、小生はそんなどんちゃん騒ぎに参加する気は到底ないし、桜の花はほのぼのと眺めているだけでいいのである。酒を飲んで酔っぱらうなんて桜の木に失礼だろう。要は連中は花見というちょっとした行事に便乗して酒を飲みたいだけだろう。だから花見なんて昔から参加したことはない。あの光景を見てみろ。どこもかしこも桜の木の下はシートを敷いて至る所で宴会だ。桜の根っこにシートを敷くものだから桜の木も悲鳴を上げているだろうし、それに綺麗だからといって花のついた枝を折る奴がいるから呆れてはててしまう。もうこんな奴は即刻、退場だ。こういった輩の野蛮な行為を見ると腹が立つから行かないのだ。でも今年はあまり騒がしく花見はできないらしいからいい。花見はおごそかにひっそりと咲いている桜を楽しむものだろう。もっと風流な心を持ってほしいと思う。酒を飲んで騒ぐばかりが花見ではない。もっとも今年は土曜出勤が嵩むので桜を見に行くこともないだろうが・・・・・。
2011.04.01 (Fri)
4月1日
もう先人たちの愚かな過ちを再び繰り返さないでもらいたい。もう高度成長期は終わったのだ。エコノミックアニマルも今は過去。バブル景気も遥か昔。そのあとは失われた10年、低成長期時代になり、アジア各国の追い上げにあい、そこへ老人大国となり就労人口が減る一方。後に残された若者は借金まみれの斜陽大国。そこへ未曾有の震災といつ収束するのか分からない原発問題。もういい加減、小生もこの国が厭になってきたが、生まれ育った国なので捨てる訳にもいかない。でも小生は既に人生のピークを過ぎている。あとは枯れていくのみだが、若者はこれからの人生だ。だから未来の日本を危惧しているのだが、なんでこんな愚かな国家になってしまったのか。政治も経済も期待できないし、まだ人の心は残っているからどうにかなるかなあとは思っているが、日本丸は舵取りを失ったかのように今後さまよい続けるかも知れない。はたしてこれから何処へ向かうのだろうか・・・・・。なんとも暗い4月1日である。