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2012.07.29 (Sun)

オリンピックって何だ?

 ロンドン・オリンピックが始まった。テレビはどこもこればかり。前回の北京オリンピックはあまりにも国威発揚が露骨過ぎて小生はほとんどテレビ中継を観なかった。それで今回オリンピックの故郷と言ってもいいイギリスで行われることに何かがあると思い朝早くから開会式を観ていたのだが、あまりにもイベント化された巨大ページェントにやや食傷気味になってしまった。

 本来は選手が主にならなけらばならないのに、選手入場がなかなか始まらない。これでは待っている選手も草臥れそうである。それと開会式の姿も以前とはすっかり変わってしまったなという思いを強くした。何時の頃からかオリンピックの開会式がショー化され、段々と派手になってきている。おそらく1984年のロサンジェルス・オリンピック辺りからであろうが、この当時はまだ開会式は明るい昼間にやっていた。それが1992年のバルセロナ・オリンピックから夜に開会式を行うようになり、より一層派手になりショウ化されたように思う。ことに炎を使った演出に聴衆を酔わす作用がある故、より派手になってきたのではないだろうか。かつては昼間の開会式で、選手入場がメインであり、各国の選手が整然と並んで行進する姿がオリンピックであるという認識があった。それが夜の開会式になり、選手が整然と行進することはなくなった。各国とも一応は並んでいるが、一糸乱れずとはほど遠く、バラバラの隊列でそれも各自カメラを持って撮影している選手が実に多い。ここらあたり全く昔とは変わってしまった。

 なんだか一見だらけたように見えるが選手は楽しんでいるようで、かつての国家を支えている国を代表していると言った趣とは異なっていて実にフレンドリーに思える。これはかつて近代オリンピックの理念を掲げたクーベルタンの意志と通じるものがあり微笑ましく思える。近代オリンピックの父ともいえるクーベルタンは「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」と言った。スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍等、様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神を持って理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献するというものである。

 そもそもフランス人であるピエール・ド・クーベルタンは、若き日の頃のフランスは普仏戦争の敗戦を引きずり重苦しい沈滞ムードが蔓延っていたという。この状況を打開するには教育改革しかないと考え、その道での先進国イギリスへ視察に出かけたのである。目的はイギリスのパブリックスクールを見るためである。フランスと違って当時イギリスの学生は、積極的に紳士的にスポーツに取り組んでいた。このことに感銘を受けたクーベルタンは「服従を旨として知識を詰め込むことに偏っていたフランスの教育では、このような青少年は育たない。即刻スポーツを取り入れた教育改革を推進する必要がある」と確信に至るのである。さらに新興国であるアメリカにも行き受けた刺激も強烈であった。アメリカではヨーロッパのように階級、伝統、慣習に縛られてなく古代ギリシャの都市国家の自由さに似ていると感じたのである。そこでスポーツを通じて教育改革を推し進める上で、より国際的競技会の構想が膨らんでくるのであった。世界各地を視察し、海外からの選手の招聘、交流試合等に携わることで、スポーツが果たしうるもう一つの役割である国際交流、平和が見えてきたということである。こうして古代オリンピックに倣い4年に1回、各国の選手が1か所に集結し、平和の祭典であるスポーツ競技大会を開く。即ち近代オリンピックが1896年にアテネで開催されることとなったのである。

 ここで考えられるのは今から100年以上前に近代オリンピックが始まっているということである。つまり、まだ人類の歴史に飛行機が存在しなかったという現実につきあたる。こんな時代にクーベルタンは国際的なスポーツ競技大会の開催を開いたことに意義があったのだと思う。これにより平和の意味がより助長されるのだ。おそらく当時はそれこそ船や鉄道での移動となるので、オリンピックの開催地まで何週間もかかっただろう。それでも開催する意義があったのだと思う。それに世界中から選手が集まってスポーツ競技大会を開くことなど初めてのことだっただろう。この状況そのものが偉大で在り行う価値があったものだと思う。

 さて、それから100年以上経過し21世紀の現在であるが、大陸間の移動も簡単になった。国際交流も容易になった。そして、ありとあらゆるスポーツの大会が世界中で年から年中開かれるようになり、各競技それぞれのプロが闊歩する時代である。今やオリンピック以外にも各競技に世界選手権、ワールドカップ、ワールドグランプリといった名の大会が存在する。オリンピックが唯一の世界大会でもなくなっている。何も今更、世界中の人が集って平和の祭典の中で国際交流をといったところで絵空事でしかない。それにメダル至上主義になり、参加までの過程が大事といって美化しても無意味である。そこで思うのだが、現代においてオリンピックが必要なのかどうかという問題を考えた場合、はたしてどうだろうか。

 正直なところ小生はもうオリンピックなんていらないと考える。もう本来のオリンピックの果たす意味は20世紀で終わっているような気がするのである。でもオリンピックは今も開催され続けている。それもより巨大になりイベント化され、よりショウ的要素を含め、金のかかるイベントとして、また儲かるイベントとしてまかり通るようになった。要は本来の目的から逸脱し、都市や国の発展、且つ潤うイベントとしてオリンピックは利用されるようになってしまったのである。それで現在はオリンピックの開催を立候補する都市が溢れてしまい、開催の招致にも大金が動く時代である。その招致には裏話があり駆け引きがある。結局は平和の祭典、国際交流の場だといっても本末転倒の巨大イベントでしかなくなってしまった。

 ただ中継すれば誰もが観てしまうし人を熱くする。オリンピックが嫌いだと言っておきながら、悔しいが知らぬ間にテレビ画面にくぎ付けになっている。それがオリンピックと言うものかもしれない。ただ小生はスポーツ中継はもとから好きだったのだが、だんだんと関心がなくなってきたというのもあるが・・・・・・・。
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2012.07.28 (Sat)

猛暑 酷暑

 このところの暑さはちょっと異様だ。土用の丑の日もすぎたし暑いのは当然としても、ちょっと暑すぎやしないか。32℃、33℃なんてものではない。このところ毎日が35℃以上の猛暑日ばかりでもうへとへとである。歩いていると背中から腰から汗で濡れているのが自覚出来るが、頭の上から水を被ったかのように髪の毛まで濡れてくる。もうハンカチでは間に合わないので、片手にタオルを持って汗を拭きながら歩いている始末。でもタオルもやがてべとべとになる。シャツはびっしょりだし身体も汗まみれで気持ちが悪い。

 これだけ暑いと省電だなんていってられない。もうエアコン全開である。でも室内が冷えない。とにかく外が暑すぎるので、エアコンを入れてもなかなか涼しくならない。真夜中になっても熱帯夜だから、エアコンなしでは寝れないのだがエアコンを入れっぱなしにすると朝に喉が痛くなる。それで仕方なくエアコンを切って窓という窓を全開にして寝るが、暑くて暑くて寝れやしない。寝ていても汗をかくからどうすればいいのか・・・・。先ほどテレビでオリンピック開催中のイギリスのコベントリー(サッカー会場)の気温が14℃といっていた。なんという涼しさで羨ましい。それに比べると日本は湿気を含んだ猛烈な暑さ。これだから夏は参ってしまうのだ。

 これだけ暑いので近所の人が熱中症になって救急車で運ばれていったではないか。もっとも老人だからというのもあるが、困ったことに老人はエアコンがあってもエアコンをつけずに我慢しているという。それだと自殺行為だな。古い人は「昔はクーラーなんてなかった」といって、エアコンをつけない人が多いという。でも50年前の夏よりも明らかに暑くなっているのである。そのことをお忘れなく。小生が子供のころは道路が舗装されてなくて土の道路だった。そして庭もあってうち水をすれば外の気温が下がったものであり、エアコンがなくても暮せたのである。それどころか蚊帳をつってその中で寝たものだが、びっしょり寝汗をかくことはあまりなかったように思う。それが今は道路はアスファルトで、家と家が接近していて風通しが悪くなっている。そこへ各家庭のエアコンの室外機から噴出される熱気や、排ガス、そこへ地球温暖化が加わって猛烈な暑さとなっている。50年前は35℃超えというのは一夏でも数えるほどだったのに、最近の夏は連日のように35℃超え。これではエアコンなしでは生活できない。省電だなんて言ってられない。省電よりも自分の身を守る方が先決だ。

 でもエアコンを全開にしてもあまり冷えないし困ったものだ。水枕に氷を入れて寝るのだが、それでも寝苦しい。こうなりゃ、氷柱を寝床の周囲に立てて寝るしかないかな。これだと笑い話になってしまいそうだ。それにしても今年はまだ8月にならないのに猛烈な暑さである。この先、夏は長いが・・・・・対処法も見つからずただただ溜息をつくしかない毎日である。

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2012.07.22 (Sun)

第62回キング・ジョージⅥ世&クイーン・エリザベスS

 7月21日(現地時間)にヨーロッパ競馬前半の大レースである第62回キング・ジョージⅥ世&クイーン・エリザベスS(G-Ⅰ・3歳、12F、10頭)が、ロンドンの西方にあるアスコット競馬場で行われた。

 今年は今年の日本ダービー馬ディープブリランテが急遽出走することとなり、2週間前にイギリス入りして調整を行ってきて、いよいよ出走となった。今年は残念ながら2000ギニー、ダービー、愛ダービーと勝ち続けているCamelotが出てこずメンバー的に面白くなくなったが、それでも昨年の覇者Nathariel、昨年の凱旋門賞馬Danedream、昨年の仏ダービー馬Reliable Man、昨年のメルボルンCと香港ヴァーズを勝ったDunaden等が顔をそろえ興味深い一戦となった。人気はSea Moonが1番人気でNatharielが2番人気、St.Nicholas Abbeyが3番人気、結局ディープブリランテは6番人気だった。

 レースの方はおそらくペースメーカーとしての出走と思えるRobin Hoodが逃げて、それをDunadenが2番手につける展開。ディープブリランテは6番手の外側につける、その内にはDanedream。淡々とレースは進み3角形の形をしているアスコット競馬場の最後のコーナーを回る直前にRobin Hoodは大きく後退。そして直線に入る。あと2ファロンの標識あたりから残りの9頭が仕掛けに入るが日本のディープブリランテだけが取り残されにかかる。早くも脱落か・・・・・。ここから各馬スパート。追い比べだが、最後の1ファロン、ここでディープブリランテは9番手。Nathanielの伸びがいい。ところが外から伸びてきた凱旋門賞馬Danedreamが馬体を合わせにかかる。ここから2頭の競り合いに入り、最後はクビの上げ下げ。2頭が並んでゴールイン。

 1着Danedream 2分31秒62、2着Nathariel ハナ、3着St. NIcholas Abbey 1馬身1/2、4着Reliable Man アタマ、5着Sea Moon 1/2馬身。

 残念ながらディープブリランテは8着といいところがなかった。それも7着から10馬身も離される惨敗。着差以上に力の差を見せつけられた格好となった。見せ場もほとんどなく最近の日本馬では最も悪い結果となった。おそらく斤量的に有利だということで参加したのだろうが(ディープブリランテは121ポンド、古馬は133ポンド、牝馬は3ポンドマイナス)勝負にならなかった。思えば6年前のハーツクライの健闘が嘘のように思える。適性がどうのこうのといえるかもしれないが、ちょっと負け方が酷過ぎる。もうちょうっと僅差で入線してほしかった。これではまだ国際的に見て弱かった1980年代のシリウスシンボリが出走した時とあまり変わらない。

 ただ勝ったDanedreamにしても日本で行われたジャパンCでは6着といいところがなかったので、西洋から東洋、あるいはその逆の遠征競馬となると実力をフルに発揮ということは難しいのかもしれない。ただディープブリランテはヨーロッパの競馬に向いてないのかもしれない?



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2012.07.21 (Sat)

当たらない天気予報

 先々週あたりは梅雨明けが今週あたりになるのではないかといわれていたが、先週は全く雨が降らずにカンカン照りの毎日で猛暑日を連日記録。梅雨はどこに行ったのかと思ったら、突然の梅雨明け宣言。なんだこりゃ。例年よりも梅雨明けが早くなったと言っていた。そのせいでいきなりうだるような暑さがやってきてしまい、暑さに参ってしまった。夜は当然の熱帯夜。室内がこれだけ暑いと節電なんて悠長なことをいってられない。とにかく部屋がサウナ風呂のような蒸し暑さだから汗がタラタラ噴出してくる。こうなると熱中症にならないかと気になってくる。なので節電を気にする前に当然のようにエアコンを入れる。健康が第一で背に腹は代えられない。節電どころの騒ぎじゃない。エアコンを入れて涼をとるしかない。でも深夜、床に就くとエアコンを切って窓を全開にして寝るのだがが暑くて暑くてどうしようもない。風が一つも吹かないのだ。寝ていて汗をかくのだからどうしたらいいのか。

 よく朝までエアコンを入れっぱなしにして寝るという人がいるが、それをすると小生は朝方に喉が痛くなるのである。それでエアコンのタイマーを入れて寝ることにしているが、本来から寝つきが悪く眠りも浅いから朝までに何度も目が覚める性質。そこへこの暑さが加わるとさっぱり眠れない。それでエアコンのタイマーを2時間で切れるようにして寝るのだが、困ったことに皆目、寝付けない。何度も寝がえりを打つ。それでいつの間にか2時間が経ちエアコンのタイマーが切れる。するとモワーを暑さが忍び寄ってきて、また汗をかく。こんな調子だから寝不足気味で何時も眠たいし身体もだるい。ただでさえ暑いのでバテるのに、そこへ寝不足が加わるから体調も悪い。でもこの嫌いな夏が始まったばかり。これから2ヶ月は暑いかと思ったら憂鬱になってくる。

 でも今日は突然、昼間に雨が降った。たまに天気予報も当たるのだ。でも1週間予報というのをよく気象台はやるが、これはほとんど当たらないからやめた方がいいと思う。来週の○曜日が雨だとか言っていても、その前日になるとほとんど快晴に天気予報が変わっていることが多い。明日明後日の予報でも当たらに時が多いのに、1週間先の天気予報までいらないと思うのだが、これは旅行や出張する人のための予報なのかな。でも1週間先の予報を一応たててみても、結局、その当日に外れればあまり意味がない。なので当たらない週間天気予報なんて見る気にもならない。せいぜい当たるのは台風が何時頃接近しますということぐらいで、それ以外の予報はあまり期待していない。。ただ夏は快晴の予報が外れて雨が降ってくれると小生は大気を冷やしてくれるので有り難いと思い、このときだけは天気予報が外れても文句は言わないのだ。
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2012.07.15 (Sun)

大津の中学生自殺事件について書いてみる・・・・・・

 先週あたりから毎日、新聞、テレビが採り上げ何かと賑やかである大津市内で起こったいじめを苦にした中学生自殺事件について少し書いてみることにする。

 ところで小生が何故、この件について書こうと思ったまでの経緯についてなのだが、こういったいじめを苦にした自殺は過去に数えきれないほどあった。またかと思った程度である。なので新聞で報道され出した当初は全く書くつもりもなかった。しかし小生、事件のあった滋賀県へ毎日、通勤していることにより少なからず情報が入る。何しろ周囲は滋賀県人ばかり。黙っていても情報はいやがうえにも入ってくる。当然のように新聞で報道されないことも耳に入って来る。ただしどこまでが真実かは判り兼ねるが、確証を得た情報も多い。それで聞けば聞くほど今回の自殺事件は根が深く陰湿で且つ悪質であることが判明してきたのだ。それで、これは看過できない事件だなと思う以前に、憤りを感じるに至り小生が判っている範囲で少し書いてみることにしたまでである。尚、人物名は敢えて伏せるが、学校名は実名を公表することにした。それは今回の学校の対応が余りにも悪いことと、教育委員会、大津市警察署を含めた一連の隠匿行為に腹立たしさを覚えたので学校名を公表する。もっとも多くの人は学校名を知っているだろうが・・・・・・。

 今回の事件は大津市役所に近い大津市立皇子山中学校で起こった。この中学校の近くには近江神宮や三井寺もあり、歴史的にいっても由緒あるところである。中学校のすぐ近くには皇子山運動公園があり、皇子山球場とびわ湖毎日マラソンでお馴染みの皇子山競技場がある。琵琶湖も近く京都市内へも10分で行ける便利で且つ、風光明美なところにある中学校である。

 それで自殺事件は新聞での報道の通り昨年の秋に起こっている。それが何故、今頃、新聞で大きく報道され出したのかだが・・・・・・・。昨年の10月11日朝、皇子山中学2年生の男子生徒が自宅マンションから飛び降り自殺した。これにより学校側は、この件についてアンケートを行ったという。さらに大津市教育委員会は11月2日に記者会見を行い、死亡した生徒が同級生に殴られていたり成績表を破られていた等の事実を認め、いじめと判断できるとする見解を示すに至る。しかしながらこの時の公表は一部の報道(主に地元の地方紙)にとどまっていた。

 年が明け、今年の1月に新しく市長になった越直美女史は、3月13日、大津市内で一斉に行われる市立中学校での卒業式において、当初、別の中学校で挨拶予定だったのを急虚変更して皇子山中学校で挨拶する。内容は自身の生徒時代のいじめ体験を明かしながら全力でいじめのない社会に取り組むと述べるに至る。その少し前の2月24日、死亡した少年の遺族はいじめていたとされる加害生徒3人とその保護者、大津市を相手取り大津地裁に民事提訴する。息子を失った遺族の心の痛手は大きく真実を知りたいがために行った行為ともいえる。それまで学校も教育委員会も隠し通していたから、遺族も自殺して亡くなりましただけでは腑に落ちなかったのだろう。こうして5月22日、民事訴訟の第1回口頭弁論が行われ、加害者はいじめを全面否定し、大津市側も自殺との因果関係は不明とした。また訴訟の際、大津市が遺族に対し、いじめの日時や場所を原告が特定しろと無理筋の主張を行っていたことが7月になって報道される。さらに徐々に出てくる不手際が発覚。殊に死亡した生徒への悪質ないじめがあったという同級生の証言が複数ありながら、学校、市の教育委員会が公表していなかったことが判り、遂に今月の4日、新聞各紙に堂々と報道されることとなり、これ以降、事件性が増してきてテレビでも大きく採り上げれれるようになったということである。

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2012.07.14 (Sat)

第94回高校野球の大阪府予選を観戦

 このところ全く更新できないでいる。平日は仕事で疲れているのでついついブログ更新も滞りがちだが、そこへ暑さが加わったから尚更書く気も起らなくなってきた。とにかく蒸し暑い。雨が九州ばかり降りすぎるので大被害をもたらしているようで、こういった地域集中型の降り方は降るところと降らないところと色分けされ極端に偏るみたいだ。降りすぎて洪水になっているところがあるかと思えば、そのお周辺ではさっぱり降らなくて蒸し暑い大気だけを持ってくる。それが京都・大阪周辺かもしれない。降る降るといっておきながら今日は雨がほとんど降らなかった。なので蒸し暑さが助長されたようになり、ベトベトとした湿気で肌着がビショビショ。全く不快感だけを運んでくる。困ったものだが自然には何も逆らえない。したがって今日もムシムシとした気持ちの悪い一日であった。でも雨が降らなかったおかげで高校野球の予選も見ることが出来てよかったのではないかな。

 このところ土曜日になると雨が降っていたので、今日も雨が降るだろうと覚悟をしていたが、意外にも降らなかった。だから高校野球の大阪府予選を見に行けたのであるが、夏になると雨が降ると涼しくなるので雨降りでもいいかなと考えたりもするから複雑な心境でもあった。それで今日は朝から雨がが降らなかったということで高校野球の予選を観に行ってやろうと思いついたのである。それにちょうど今日は選抜大会で優勝した大阪桐蔭高校が試合をするので会場の豊中ローズ球場まで足を運んだのである。

 身長が197㎝もあり、なにわのダルビッシュと言われる藤浪投手(ダルビッシュ自身も大阪出身だから、この形容はおかしいと思うのだが)。最速で150㎞を超える快速球に加えいくつかの変化球を持つうえ、あの長身から角度のいある球を投げられるとバッターもさぞや打ちにくいだろうと思える。それで大阪桐蔭初登場の今日の相手は千里高校。大阪府立の進学校である。偏差値も70前後ある。おそらく勉強中心の生徒が多い学校だろうと予想がつく。なので練習量が少なく短時間で効率の良い練習を行っているだろう。それに賢い野球をするのでは・・・・。大阪桐蔭といえども容易い相手ではないはずである。でも普通に考えて5回コールドで大阪桐蔭が勝つだろうと多くの人が思っていたかもしれない。でも試合前のシートのノックを見ていたら守備がいい。あとは投手力とバッティングだろう。それで試合が始まったのだが・・・・・。

 先行は千里高校。ワンアウトからいきなりセンターの左を襲うヒットを藤浪から放つ。やはりやるではないか。しかし後続が三振に打ち取られ無得点。その裏、大阪桐蔭は四球でランナーを貯めたものの次打者が内野ゴロ。ところが千里の内野手がセカンドへ悪送球。労せずして大阪桐蔭が先取点。その後、3回裏に3点を追加。これで5対0。5回裏にも1点を追加で6対0。しかしコールドにはならなかった。意外にも千里の3人の投手が頑張った。3人とも球速はないが、丁寧なピッチングで、満塁のピンチが2回もありながら、大量点を取られなかったのはバックの守備が良かったからだ。1回にいきなりエラーで先取点を与えたが、その後は見事な守備で持ちこたえた。特に外野手の守備が良く、一度バックホームでランナーを刺している。これが得点になっていたらコールド負けとなっていただろう。とにかく強打の桐蔭から長打を、あまり打たれなかったのが善戦に繋がったのだ。6対0で善戦とは失礼かも知れないが、滅多打ちを喰らったという印象もなく、何時の間にか負けていたという試合だった。ただ藤浪投手の球は速く5回を投げ3安打無失点、10三振を奪い、残りを澤田投手に任せてマウンドを降りた。大阪桐蔭はランナーを貯めても決定打が少なく課題を残した形となった。それと軟投派のピッチャーに弱いのではと思えた。今後、相手が強くなっていくが、今日のような試合をしていると足元を掬われかねない。よりステップアップが必要になるだろう。しかし、高校野球は面白い・・・・というよりも甲子園の本大会よりも予選の方が面白い。大阪桐蔭のような私学の強豪もあれば、部員の確保で精いっぱいのところもあり、それらが一堂に介して対戦するのだから、大差の試合も多い。しかし、これが学校の部活動の原点ではないのか。かつての高校野球、いや中等野球時代はこのようなものだったのかもしらない。それがいつの間にか野球だけを売りにする学校が全国に蔓延り強化する。そういった学校しか甲子園に出られなくなってきた。困ったものだが現実だ。今の甲子園大会はプロ顔負けのプレーの連続で見応えはあるが何か物足りない。それは高校野球の原点を忘れてしまったからだとはいわないが、予選を見るとプレーはお粗末でも見ていて清々しさが残る。だから予選こそが高校野球本来の姿であると思えるのだ。


 試合前のスターティングオーダー発表
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 大阪桐蔭の先発は大黒柱・藤浪君
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 試合も中盤。いつの間にか小さなスタンドは人で埋まっていた。まだ予選1回戦なのに・・・大阪桐蔭をみんな見に来たのかな?
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 試合終了。礼! 両チームとも御苦労さん。
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 9回までいって6対0。善戦といえるだろう。
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2012.07.08 (Sun)

マイルス・デイヴィスのアルバム『マイルストーンズ』を聴く

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 モダン・ジャズの最初はチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーがやりだしたビ・バップだと一般的に言われているが、それらをさらに発展させ、クール・ジャズを生みだしたのがマイルス・デイヴィスだと言われる。そもそもチャーリー・パーカーのバンドのサイドマンでもあったマイルス・デイヴィスである。ビ・バップそれまでのスウィング・ジャズに比べると即興的要素が強いので、よほど才能ある奏者でしか優れた演奏を続けることは難しかった。そういた問題点に気付きアレンジの要素も加えた新しい9人編成のグループを結成する。マイルス・デイヴィスの9重奏団の奏でる音はビ・バップに比べるとクールに聴こえるのでクール・ジャズとも言われた。クール・ジャズはマイルス・デイヴィスから始まったものとされるが、後には白人が主に好んだ。さて、このアルバム『マイルストーンズ』だが、クール・ジャズの誕生から早9年。この頃のマイルス・デイヴィスは何を模索していたのだろうか・・・。クールが鳴りを潜めたというよりもモード・ジャズがこのアルバムからだと言われる。このアルバムが出た1958年はクインテットやシクステットを組んでいた頃だろうか。メンバーもマイルス以外だとジョン・コルトレーン(ts)、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリップ・ジョー・ジョーンズ(dr)、キャノンボール・アダレイ(as)で、その後に名声を確立した連中がなを連ねる。お互いまだ若く活きのいいサウンドが奏でられる。収録されている1曲目の”Dr. Jackle”からして熱い。速いテンポの曲で小刻みなリズムを刻む。2曲目”Sid’s Ahead”は一転して緩いテンポの曲だが、面白いことにピアノを弾いているのが何とマイルス・デイヴィス。それだけに聴きもの一曲である。何故にマイルス・デイヴィスがピアノを弾く羽目になったのか・・・・。実はポール・チェンバースが遅刻をしたからである。結局、この後にポール・チェンバースはマイルス・デイヴィスの下から去る運命に。3曲目は”Two Bass Hit”は軽快なテンポと軽いタッチでノリがいい。

 このアルバムでの聴きどころはやはりタイトル曲の”Milestones”だろう。4曲目に入っているので違和感があるだろうが、5分余りの曲で長くはないのだが、小気味いいサックスのリズムからマイルスの軽快なトランペットが優雅に堂々と奏でられる。そして目立ちはしないがポール・チェンバースのウォーキング・ベースがズンズンと実に心地よく響く。そして当時、珍しかったフェイドアウトでこの曲は終わる。このあたり1950年代の録音とは思えないほどだ。尚、5曲目の”Bill Boy”はガーランド・トリオの演奏なので割愛する。6曲目は”Straigt,No Chaser”はセロニアス・モンクの曲であるがマイルス・デイヴィスを中心に迫力でもってぐんぐんと迫ってくる。サックスもピアノもいい。やはりマイルス・デイヴィスがいいから全体的に演奏も引き締まる。緊張感の中にも自由度があって実にいい。

 先ほど、この頃のマイルス・デイヴィスは何を模索していたのかと書いたが、マイルスはギル・エヴァンスと協力してスペイン音楽を手掛かりにアドリブの自由化目指した音列によりモード・ジャズを創造したのであった。こうして50年代末から60年代にかけてモード(音列)ジャズの先導者としてジャズ界を牽引することになるのだが、その後、ロックの台頭によりジャズも変わることとなるが、そういった時代にあってもマイルス・デイヴィスはエレキサウンドやロック・ビートを取り入れるなど常に時代とマッチしているトランペッターでもあった。なので当然、スウィングからビ・バップ、ハード・バップを時代が進む中にあって時代の寵児でありつづけたことは特筆すべきことである。


 マイルス・デイヴィスの演奏する『マイルストーンズ』(動画はなし)


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2012.07.05 (Thu)

ヒッグス粒子発見・・・・・

 今朝の新聞の見出しは何処も「ヒッグス粒子」発見だった。しかし一般的にいってヒッグス粒子といわれたところで何のことだ?・・・となる。量子力学の知識もないとさっぱり見当がつかない。しかし、ノーベル賞確実と言われる発見なのだからこれは人類にとって偉業なのだろう。

 小生は理系の頭脳を持ちあわせてないので皆目、理解に苦しむが、人類の有史以来、様々な物資を解明してきた中で、物資を構成する基本的な単位がある。それらの単位において、それ以上分割できない最小単位と言われるのが素粒子だといわれている。その素粒子が発見せるのは1897年のこと。それが発展して1911年に原子は電子と中心部にある原子核で構成されていることが解明された。そして電子と原子核を作る陽子、中性子の三つが素粒子と考えられていて、1964年になるとさらに研究が進み、陽子と中性子がさらに基本的な粒子のクォークからなると理論が提唱された。そこでヒッグス粒子の存在を提唱することになるのだが、長い間、その存在を確認できないでいたらしい。それが今回、欧州合同原子核研究機関がヒッグス粒子とみられる新粒子を発見したと発表。

 まあ、大変なことなのだろうが、如何せんこういった分野の知識に乏しい者にとっては何のことやら漠然としていてさっぱり判らない。とはいえ、新しい物理学が幕を開けたという。さらに次の理論に進むだろうし、今後の展開次第でこの分野が大きく飛躍することにもなる。しかし・・・・・・人類史上に残る大きな成果であるとはいえ、我々にとっては、この発見で我々の生活に影響があるのかと考えたら何ら影響はないだろう。でも人類の頭脳の可能性を考えた場合、限界はないのだと思うに至り、小生も50の手習いではないけれども、加齢に負けず今後も精進するべきであるという思いに至ったのである。

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2012.07.01 (Sun)

第147回アイリッシュ・ダービー

 昨日は午後から鬱陶しい天気になって、その後に雨が降っていたが、今日は一日中雨が降っている。したがって昨日とは一転して涼しいが湿気があってややベトベトした日である。もう国内の競馬はいよいよローカル競馬に入っのでこれといって特筆すべき競馬はないから、現地時間6月30日にアイルランドのカラ競馬場で行われた第147回アイリッシュ・ダービーを記事にした。

 今年のヨーロッパ競馬の3歳クラシック戦線は、今のところ英国ダービーまで4戦無敗で勝ち続けているCamelotが話題になっている。英国2000ギニーと英国ダービーのクラシック二冠を制したからである。それもダービーは5馬身差の圧勝だった。そして、今度はアイリッシュ・ダービー(G-Ⅰ・3歳、12f、5頭)に出走してきたのである。出走頭数はたったの5頭。人気もCamelotが断然の1番人気。

 レースは4番手待機のCamelotが長い直線の手前で3番手に上がり、前の馬を捉えると最後方に位置していた2番人気のBorn to Seaが追いすがってきた。しかし、追撃を問題なく降り切りCamelotが勝った。英国ダービーの時のような圧勝劇でなく物足りなかったが、これで5戦5勝となり今後も大いに注目されることとなった。次走はキング・ジョージに行くのかな?

 1着Camelot 2分43秒96、2着Born to Sea 2馬身、3着Light Heavy 9馬身、4着Akeed Mofeed 7馬身1/2、5着Astrology 33馬身。

 血統は父Montjeu、母Tarfah(母の父Kingmambo)と日本人にはなじみの血統。調教師はエイダイ・オブライエンである。



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