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2014.02.23 (Sun)

卒業シーズンのようで

 今の季節は高校の卒業シーズンなのかな。3月だと思っていたが私立の高校は2月下旬に卒業式を行うところが多いようだ。昨日なんかは電車に乗っていると紙袋に荷物を詰め込んで花束などを持った高校生が大勢乗り込んできた。なんだか観ていて清々しくなる。
そういえば小生が高校を卒業したのは今からおよそ40年ほど前。遥か大昔になってしまった。あの頃の仲間は今、どうしてるのかな。我々の年齢になると、既に故人になり黄泉の国に去った者もいるだろう。また当時のクラスメイトと街角の何処かですれ違っているかもしれない。でも40年もなると外見がすっかり変わってしまい、たとえすれ違っていても気がつかないだろう。何ともさびしい話ではあるが時間の持つ意味は大きい。みんな、それぞれの人生を歩みそれぞれの責任を背負って生きていくと外見も風貌も大きく様変わりする。もっとも小生は比較的にあまり変わってないといわれる。まあ、それなりに老けたことは老けて、体重も増えたが、白髪は混じっているもののどこも禿げてないし体型的にも肥っているというのんでもない。若い時は痩身だといわれていたから、今がちょどいいのかもしれない。でも若い時ほど動けなくなった。まあ、これもやむを得ない。しかし、今思えば高校生活なんて面白くもなんともなかったな。無味乾燥というか小生にとっては通過点でしかなかった。人によっては青春何てあったかもしれないが、ただ勉学を強いられた想い出しかない。もっとも中学の時はそれ以上につまらなかったけど・・・・・。
 結局、大学に入ってから好き放題、やり放題で小生も堕落してしまった。やっぱり人間と言うものは締め付けると必ず何処かで反動が出るものだ。今思うと高校時代、もっと心にゆとりを持っていればよかったかなとは思う。でも当時はあれで精いっぱいだったのだな。将来が不安で不安でしょうがなくて、ただ焦っていた。今となっては懐かしい想い出である。もっとも社会の第一線から退くという年齢になり過去の半生をふと振り返ってみて、かように思うようになったのだが。以前ではこのような感慨に耽たことはとんどないのだが、この歳になると不思議と10代の頃が懐かしく想う。やはり若いというのは素晴らしい。卒業した高校生を観ていて俺にもあんな時代があったのかなと振り返っていたら、なんだか空しくなってくるのであった。つまり青い春というのは若さの特権なのだということ。小生の年齢になると、もう何をしてもときめかない。ああ・・・・・・侘びしいねえ。
 
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2014.02.22 (Sat)

本が邪魔



 昔から本は読んできたといってもけして文学青年ではなかった。中学の頃まではマンガしか読まなかったし学校の夏休みになると読書感想文というものを出さなくてはならなかったが、これが大嫌いであった。とにかく小説の一冊もほとんど読まなかった。それが高校あたりから少しずつ読むようになり、大学に進んだあたりから本を立て続けに読むようになっただろうか。それからというものはジャンルに拘らず乱読である。最初はエッセイから読みだしたのかな。それから純文学、ミステリー、小説の合間に歴史書、面白くもない大学の経済学関係の書物、科学書、哲学書・・・・・20歳前後が本を一番読んだかもしれない。それが社会に出ると読書ペースが一気に落ちて週一冊のペースに落ち着いてしまった。その原因は社会に出ると時間的制約が大きくなったということである。だから学生の間に出来る限りの本を読んでおくということだ。社会人になると本当に仕事に追われゆっくりと本を読んでいる時間がない。それにストレスもたまるしなかなか物事に集中できない。本を読んでいても仕事のことが気になって文字を目で追っているだけのとこもあって、学生のころに読んだ本の内容は覚えているのに、社会人になってから読んだ書物の内容はお粗末ながらあまり覚えていない。困ったものだがそういうものなのだ。だから知識は何でも吸収力のある若い時に出来る限り詰め込んでおいた方が良いのだ。これは歳をとってから判ることなので、若い時はそんなことを考えないだろうが・・・・。
 ところで本を最近、読まなくなった。読んでいることは読んでいるのだが目が悪くなったからだろうが老眼鏡がないと読み辛いからだ。外出しても本を持って電車の中で読むようにしているのだが、本を持って出たのはいいが老眼鏡を忘れたりするので結局、読めなかったりする。小生、若い頃は目が良かったので眼鏡など必要ないと思っていたのだが、40代後半あたりから次第と文字が読みにくくなり急激に読書ペースが落ちたことを痛感する。それで何の話だってことになるのだが、こんなに本を読まなくなっても増えるのが本だということをいいたかったのだ。知らぬ間に本は段々と増えていく。今、狭い自室(寝床と書斎兼用)に本が増えすぎて本が書架からはみだしているのだ。CDも多いのだが、これ等は別室に置いているが、本は寝転がって読んだりするので寝床の横に置いていたりするが、増殖して部屋を侵食中である。しかし、増えるものだな。10年以上前に本があまり増えすぎて500冊ほど処分したのだが・・・・。それからまた増えて自室の書架(箪笥の高さのが2つある)から溢れ、仕方なく階段の脇に置いていたが階段が狭くなるので、この分は5年ほど前に処分した。それで階段には置けないので自室に置くこととなる。すると段々と部屋が狭くなっていくのである。それでまた処分を考えないといけないのだが、二束三文の文庫本なんて古本屋に持って行っても喜んでなかなか受け取ってくれない。それに大量の本を纏めて処分できないでいる。仕方なしに自室の床に置いているのである。それとまた捨てきれない本もあるのだ。昔、友人のライトバンに積んでもらって大量に処分したが、あとで後悔したことがあった。その時は処分したが、今は絶版になって今は手に入らない書物もあったからだ。本を読まない人からしてみたらなんでだと思うだろうが、本と言うもんは簡単に捨てきれないものだ。でも段々と本が邪魔になってきた。どうにかしないといけないのだが。
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2014.02.16 (Sun)

ディジー・ガレスピーのアルバム『グルーヴィン・ハイ』を聴く



 このアルバムは録音が1945年2月から1946年11月に及び、その中から13曲が収録されている。なので当然のようにモノラル録音でSP時代であるからどの曲もほぼ3分半以内と言う短さである。つまり現在のように長時間の録音が出来なかったというよりも、1枚のレコード盤に収めてしまうには長い曲が入れられなかったという制約があったのだろう。だから実際のライヴと違っていざレコード盤に収録となると1曲の長さも3分程度に短縮していたのだろう。それがクラシック音楽となると、演奏の途切れがなく一つの楽章でも長いのが多いので、交響曲1曲が何枚かのSP盤に分割して収録されていて、曲の途中でレコード盤を変えなくてはならいという不都合があった。曲の途中で盤を変えるなんて、今のデジタルで育った人には判らない苦労だろうな。考えてみると今のCDとは大違いである。その後に誕生したLP盤時代でもベートーヴェンの第9なんか、2枚組でも第3楽章の途中で切られていたりして不愉快だったものだ。そういった意味においてはデジタル時代になり便利にはなったし、音楽がより日常的になったということかもしれない。なにしろ戦後間もい頃は蓄音器すら各家庭になかっただろう。なので実際に音楽を聴くとなると生演奏でしか接することが出来なかった。あとはラジオか映画ということで、そういった時代だから『リンゴの唄』が長い間、巷ですたれずに流行ったのだろう。
 そういった第2次世界大戦後、間もない頃にこのアルバムは録音されていると言っても、寄せ集め的な物であるが・・・・・・。全13曲で『ブルーン・ブギー』『グルーヴィン・ハイ』『ディジー・アトモスフィア』『オール・ザ・シングス・ユー・アー』『ホット・ハウス』『ソルト・ピーナッツ』『ウー・バップ・シュバム』『ザッツ・アール・ブラザー』『シングス・トゥ・カム』『ワン・ベース・ヒット・パート2』『レイズ・アイディア』『アワ・ディライト』『エマソン』以上である。
 曲の大半はディジー・ガレスピーによって書かれたもので、現在でもよく演奏される曲が多いのが判る。この頃はスウィング・ジャズからちょうどビ・バップにジャズそのものが変わる変革期であって、その中心にチャーリー・パーカーやバド・パウエルとともに当然ディジー・ガレスピーがいた。それでジャズ演奏もビッグ・バンドからコンボ主体の演奏に移行しつつあったのだが、このアルバムはコンボ演奏もあり、ビッグ・バンドの演奏もある。ディジー・ガレスピーは当時アドリブのソロをフューチャーした時代になていたもののコンボ演奏もしつつ、一方ではビ・バップらしき要素を加味してこの当時はビッグ・バンドでの演奏活動をしているのである。だから収録に参加したメンバーを見ても判るが、チャーリー・パーカー(as)、デクスター・ゴードン(ts)、ミルト・ジャクソン(vib)、ケニー・クラーク(ds)、レイ・ブラウン(b)、アル・ヘイグ(pf)といったジャズの巨人が加わっている。こういったメンバーを得てスウィング・ジャズ時代になかった方法で訴えてくる。これこそ以前のジャズとは違って新しい時代を予感させる演奏である。
 したがってスウィング・ジャズ時代にあったような演奏スタイルから脱皮し、よりソロが強調されるようになり、その後のモダン・ジャズに至る過程の中で、ビ・バップの初期とはこういうものであったというような演奏が、このアルバムには残されている。ビ・バップというものが生まれるにおいてチャーリー・パーカーがいてディジー・ガレスピーの両者が参加しているというだけでこのアルバムの価値はある。ディジー・ガレスピーは圧倒的な演奏スピードとハイノートと呼ばれる高音を奏でることで有名だが、当アルバムでは幾分、それは抑えているかなと言った印象は受けるものの、チャーリー・パーカーやミルト・ジャクソンのソロを活かしつつ、ガレスピー自身もやるべきことはきっちり仕事しているというような感じが受けるアルバムである。少なくとも後年、マイルス・デイヴィスやジョン・ゴルトレーンが登場するまでは、こういった感じのビ・バップがモダン・ジャズと言われていたのだろう。


Groovin' High の演奏。相変わらず上に曲がったトランペットをディジー・ガレスピーは吹いている。

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2014.02.15 (Sat)

昨日は大雪、今日はどんよりと・・・・



 昨日は夜中から降り出した雪が日中もやまずに降り続き、電車が運行休止及び軒並み大幅に延着。道路は雪が溶けてシャーベット状になり、その上に新たな雪が降り注ぐので路面はグチャグチャ。とても歩けたものではない。靴が水分を吸収するので、靴下まで濡れるしそれでいてなかなか雪がやまないから傘をささずにはいられない。それにどうしようもなく寒い。最高気温で3℃ほどだから日中はほとんど0度か氷点下。まったくお手上げの1日だった。でも京都では昔ほど雪が降らなくなったといっても雪は降ることは降るし積雪もある。だが大阪ではあまり積雪はないというのに、昨日はかなりの積雪があったようで、そして奈良に至っては記録的な積雪で、JRの京都~奈良間は完全に電車が停まっていた。電車が停まるというのはどれほど雪が積もっていたのだ。滋賀県ではあるまいし、奈良県でそういった事態に陥るのは実に珍しい。言えることは今年に限っては、とにかく寒い冬ということだ。2月の中旬になると最近は暖かい日が、続く時があるものだが、今年においては2月の頭こそ暖かかったが、それ以降は平年よりも低い気温が続いている。なのに今、オリンピックが行われているロシアのソチは異様に暖かくて雪が不足しているという。何て事か・・・。つまり日本とアメリカが厳しい寒さにさらされているかと思えばヨーロッパは比較的に暖かい冬だという。これは偏西風が蛇行しているかららしいのだが一体どうなっているのやら。
 今日は雪こそ降っていないものの、小雨が降ったりして相変わらず寒い1日。そして鬱陶しい空。時折、日が射したりするのだが、厚い雲がすぐに覆い尽くすのでどんよりして薄暗い。こんな空では気分も塞ぎがちになる。それで気温も低いので昨日の雪も未だに溶けず残っているし氷っていたりもする。そろそろ青空を拝みたくなってくるがのだがな・・・・。今も屋根から雪が落ちる音がするし山には残雪がところどころに見える。もう、ここまで寒い日が続くとちょっとポカポカした太陽にあたりたくるなけども、関東の方は関西以上に雪の影響があったようで、先週に続いて交通機関がズタズタという。もうどうにもならないな。まあ、記録的な大雪とかで、こんな年こそ春が待ち遠しく感じるのだが・・・・・・・。でも何時までこの寒さは続くのやら・・・・。
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2014.02.11 (Tue)

2月11日とは・・・

 今日は祝日でお休みだったのだが、何の日だったのかなと考えてみると建国記念日だったとあとで気がついた。最近は月曜日が休みになることが多く飛び石は珍しいので、こんな火曜日に祝日があるとはて? 何の日だったかなと考えてしまう。それで建国記念の日だったと思いだすに至るのだ。道理で街に出ると右翼の街宣カーがうるさいと思った。
 小生はナショナリズムが大嫌いだから国を守ろうとか、有事立法だとか集団的自衛権行使がだとかの話にはあまり興味はない。だから小さなナショナリズムが鼓舞されるソチ・オリンピックもさっぱり観る気もしない。そもそも国なんていうものが存在し、国境線や民族主義や宗教や経済の問題があって対立し戦争が過去に起こっていて、その原因がそのあたりにあることは周知の事実である。これこそ人類の黒歴史と言ってもいい。誰もここから抜け出せないでいる。どれだけ科学が発達しようと色々な哲学が生まれようと、人類は愚行の繰り返しばかりで一向に賢くならない。核武装ばかりやって中立を保つという考えがそもそも間違ってないかな・・・・。全世界が平和でというのは夢物語ではあるが、武力を武力で制すなんて考えかたは昔から一つも進んでないうように思える。結局、戦になって勝った方が正しいなんて言う論議も辟易する。全世界、軍隊を持たない世界なんて有り得ないが、これこそ非武装中立というものなのだがな・・・。まあ、国自体そのものが狂っているというところもあって、その隣国では軍隊も持つしかないというのが現実でどうしようもないのだが・・・・。
 ところで建国の日だが、これは小生が中学に入った頃に制定された祝日だ。戦前には紀元節というのがあって、昭和15年が紀元2600年にあたるらしい。それでいうと今年は紀元2674年ということになる。それは初代の天皇である神武天皇が即位したのが今から2674年前と言うことになる。『日本書紀』にそのように書いてあるだけの話で根拠なんて何もない。『日本書紀』そのものが奈良時代初期の720年あたりに成立したというが誰が書いたのかな。つまり神話の世界であって、今から2674年前に神武天皇が即位したっていうのは後年になってからの作り話の域は出ないだろう。だから建国の日といっても真実味がないのである。でも奈良の橿原神宮は神武天皇を祀っているが・・・・。
 日本と言う国の歴史は中国の古い歴史書に出てくるが、それによると倭国と言われ、まだ日本と言い方は存在していない。それも西暦でいうと2世紀ごろだろう。だから神武天皇のような紀元前660年に即位なていう話はあり得ない。その頃の日本列島に国と言うような形式のものが存在していたかも疑わしく、おそらく集落というものが各地域に存在した程度だろう。しかし、日本は国自体が古く、建国を何時と言うとこれも判らない。それで強引に紀元節と言うものを作り『日本書紀』から引用したにすぎないのかな。
 今、現在では多くの国が建国の日だとか独立記念日だとかを制定している。第2次世界大戦後にアジア、アフリカを始めとして多くの国が独立し、それぞれ独立記念日を制定している。だからこれは近年のことなので明確であるが、日本のように歴史的にも古く、それでいて侵略された歴史もほとんどない国で建国の日を無理に制定するほどのことでもないと思うのだが。でも街宣カーは・・・・我が国は○○の脅威から守るためには・・・・天皇陛下様をお守りするために・・・・・・国力を強め他国からの進撃を抑え、国境線も確保せねばならない。
とかなんとか色々叫び続けている。・・・・ああ、煩くてしょうがない。もっともらしいことも言ってはいるが、付き合いきれないなあ・・・・・。

EDIT  |  17:56  |  時事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2014.02.08 (Sat)

雪のち雨

 昨日の天気予報では寒波をもたらす低気圧が日本列島を通過するので、各地が軒並み大雪に見舞われるといっていたのであるが、京都南部は大したことはなかった。深夜に雪が降っていて冷え込むなあと思って朝起きたら薄っすらと屋根の上に雪が積もっていたものの、既に雪は上がりシトシトと雨に変わっていた。小生は3日ほど前の寒い日に風邪をひいてしまい発熱したのでこの数日寝こんでいて、今日、久しぶりに出かけたのだが、冷たい雨が降って陰鬱な気分であった。本当に冬の冷たい雨は気が滅入る。でも雪は予想とは違い明るくなってからはほとんど降らなかった。しかし関東では大雪だったらしい。どの程度降ったのか知らないが、交通機関も混乱したのだろう。新幹線も大雪で大幅に遅れていたようだ。今回の低気圧は日本海側だけではなく太平洋側にも雪を降らせたのかな。それにしてもこういった日頃、積雪のないところでは、1月よりも2月の上旬に積雪するほど雪が降る場合が多く、今年も例年通りということである。まあ、なごり雪なんていって3月でも積雪することがあるが、とにかく今が、1年で1番雪が降る時期なのだろう。でも京都周辺に関しては最近はあまり雪が降らなくなった。小生の子供のころの方がよく雪が降ったものだ。それで小学生の頃は校庭に雪が積もると決まって雪合戦。雪だるまを作る者もいる。ただし京都市内周辺では夜中に降って積雪しても、午前中に雪がやみ太陽が射す。すると雪が溶けだすから雪だるまも土交じりの泥だるまのような色となる。こればかりは雪国のような訳にはいかないものである。でも雪が降って喜んでいると言うのはいかにも雪が降らない地域の子供だけであって、豪雪地域のの子供なんていuのは雪そのものにはウンザリしているだろう。何時でもスキーができるとか、スノーボードができるとかいったぐらいが利点と言えば利点だが、それが毎年、繰り返されるとどんなものだろう。もう雪も見たくないということになるかもしれない。どっちにしろ小生のような年齢になると、もう雪が降るのも鬱陶しいし、積雪なんて真っ平ごめん。とにかく悪天候だけは避けたいものである。まあ、今日は雪が降った後で雨に変わったから雪がすぐに溶けてしまったが、あの調子で雪が降る続いていたら明らかに関東と同じく積雪していただろう。そうなると道路も凍りついて歩くと滑るし、靴はビショビショに濡れるは、歩きにくいはで、とても歓迎できるものではない。でも今年は寒気団がまだ何回か日本列島を通過するとかで、3月末まで寒いというから油断も出来ない。でも取り敢えず、今日は土曜日で良かったかな。これが平日だったら、もっと混乱を招いていたかもしれない。
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2014.02.03 (Mon)

ネギトロ巻、ツナサラダ巻、和風巻



 今日は2月3日、つまり節分である。しかし、早いなあ。この前、明けましておめでとうと言っていたのに、もう1ヶ月経ってしまった。小生の人生もとっくに折り返してしまい、残りの人生をいかに有意義に過ごすかという年齢に達してしまった。ああ、老いたくないなとはいうものの、人間誰でも歳をとるので、こればかりはしょうがない。昨年は人生で初めて入院生活を経験させられたから、これからは出来る限り健康に気をつけて他人に迷惑をかけないようにと思い生きているのだが、なかなか口で言うようにできないからな。取り敢えず半年に1回か1年に1回はMRIと動脈硬化の検査を受けて運動も欠かさないようにと主治医に言われている。それと飲酒もほどほどに・・・・。ということで最近は、ほとんど飲酒してなくて、ビールを週に500ml缶を一本程度飲むだけである。もっとも若い時は深酒などをして不健康な生活をしていたからなあ。今になって皺寄せが来たのかもしれない。まあ、これからは精進して出来る限り90歳(生きているかな?)になっても自活できるようにというのが現在の目標である。
 ところで今日は節分であったからか、夕方にスーパーに寄ったら節分用の巻きずしが堆く売り場に盛られていた。それで買ったのだが・・・・・。なんか最近は恵方巻といって節分に巻きずしを丸かじり食べるのが全国的な習慣になりつつあるのかな。小生は節分と言うと豆撒きしか知らないが、何時の間にかこういった大阪の一部だけで行われていた習慣が広まってしまったようだ。大阪の隣の京都で育った小生も知らないぐらいだから、全国的に広まったのも最近のことだろう。それで大阪の人間に聞くと、そういった習慣を知っている人もいるが知らなかった人もいた。だとすると恵方巻きと言うのは極、狭い範囲で行われていた慣習だということが判る。それが瞬く間に僅か30年、40年の間に広まったということか。それでスーパーで晩飯に都合が良いと思い買ったのは良いが、細巻きしか売ってなかった。本来、恵方巻きは太巻きを食べるということの筈なのに、段々と間違って解釈されてそこから発展していったのかもしれない。それで今は便乗商法でロールケーキも売っている。同じ巻いた食べ物だからということになるが、これはちょっと意味合いが違うだろう。もう売れれば何でもいいのか。いやいや、何処の業者も商魂逞しい。もっとも日本のことを絶えず監視して何でもパクっている何処やらの国は、この巻き寿司の起源も我が国だと言っているらしい。それが真実なら彼の国ではキムチ巻があるのかも? 
 当然、倭国ではというより近辺のスーパーではキムチ巻は売ってなかったのだが・・・・。まあ、たとえキムチ巻があっても唐辛子が効きすぎてちょっと寿司としてはどうかなと思う。でも、倭国の何処かで売ってそうだな。
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2014.02.01 (Sat)

新型万能細胞とやら・・・・

 先日、朝刊の一面に新型万能細胞炸裂という見出しで大きく報道されていたので、そのことに関してちょっとだけ記事にしてみることにする。
 このほど理化学研究所発生・再生科学研究センターとアメリカのハーバード大学等の国際研究グループがマウスの体細胞に強い刺激を与え、iPS細胞(人工多能性幹細胞)のように様々な組織、臓器に変化できる万能細胞へと初期化させる手法を発見したと発表した。それは遺伝子を導入して炸裂するiPS細胞よりも簡単な方法で効率的に作製できたという。さらに今後、この研究グループは今後、人の細胞を使った万能細胞の炸裂を目指すらしい。そしてイギリス科学誌ネイチャーに論文がこのほど掲載されることになった。
 研究グループはこのような初期化する現象を「刺激によって引き起こされた多能性の獲得」Stimulus-triggered Acquisition of Pluripotencyの頭文字をとってSTAPと名付けた模様。動物細胞が自ら初期化することがないという生物学の常識を覆す画期的な手法で作製された細胞をSTAP細胞とした。
 このSTAO細胞と言うのはES細胞、iPS細胞に続く万能細胞とされ、ES細胞はアメリカで脊髄損傷患者へ臨床研究が始まっていて、既に本格的に臨床応用が進んでいるようだ。が、ES細胞は生命の萌芽で受精卵を壊して作るので、生命論理上の問題が生じ、日本では強い利用強制がある。そこでノーベル賞に輝いた山中伸弥京大教授らが作製したiPS細胞の登場となる。
 こちらは皮膚などの細胞から作ることができて、目的の細胞に変化させて移植することも可能なので、今年中に目の難病患者への臨床研究が予定されている。ただし遺伝子を細胞の核に入れて初期化を促すため、他の正常な遺伝子を傷つけてしまい癌化する可能性もある。ところが今回発見されたSTAP細胞は細胞を頻死状態に追い込むという単純な方法で初期化するので、炸裂した細胞も癌化の可能性が低いという。
 そもそも今回の発見は、同センターの小保方晴子研究ユニット・リーダーらが発表したものだが、マウスの脾増臓から採取したリンパ球を弱酸性溶液に30分間漬けて死滅寸前の状態にして、生き残ったリンパ球に特殊な蛋白質を加えて培養すると2~3日で多能性を持ったSTAP細胞に変化したという。初期化される細胞の割合も30%以上で、iPS細胞よりも高かったらしい。弱酸性の溶液以外にも細いガラス管の中にも細胞を通すなどの物理的刺激や細胞膜に穴を開ける毒素でも初期化を引き起こすことを確認し、さらに筋肉や神経などの細胞でも初期化が起きたという。そしてSTAP細胞をマウスの胚に入れて仮親の子宮に着床させたところ、全身にこの細胞が交ざった子が生まれ、あらゆる組織に変わる万能性が証明されたとのこと。
 STAP細胞は胎盤になることも分かり、ES細胞、iPS細胞では胎盤に変化できないことが知られていることからSTAP細胞はより万能性が高いという。そして何れ医療や新薬開発等の応用が期待されるが、小保方リーダーは「限定的な状況で起きたことで、まだまだ謎は多い」という。
 さてさて、これだけ書いたところで化学、物理、生理学関係が苦手な小生にはなんのことやらちんぷんかんぷん判らないが大変な発見なのだろう。ノーベル賞級の快挙とまでいわれている。しかし驚いたことにこの小保方晴子という女史はまだ弱冠30歳だという。何という若さだ。まさに最近の女性は逞しい。若い男性よりも若い女性の方が逞しいかも・・・・・・・・。それも一度、一昨年4月、世界的に権威ある科学誌ネイチャーに論文を投稿したが細胞生物学のの歴史を愚弄しているとして却下されている。それでもめげずに粘り強く解析を続け、再投稿してこのほど掲載されることとなった。
 ところで彼女の所属している研究所のスタッフは5人全員が女性だというから驚き。このような研究は女性に不向きとこれまで思われていたが、これからはどんどんこのような女性が出てくるのかもしれないな。まさにリケジョ恐るべきである。最近はテツジョだとかレキジョとか男性を押しのけて目立つ若い女性がいるが、時代はすっかりへ変わっていったのかも・・・・。そのうちに女性総理大臣が出てくるかもしれないな。
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