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2016.09.25 (Sun)

相撲の話題

 最近は相撲なんてほとんど観ないし興味も無い。最もプロ野球もサッカーも同様に観なくなってしまったのだが、今回は少し相撲のことでも書いてみるとする。それというのも大関の豪栄道が秋場所で優勝したからである。そもそも最近の大相撲はモンゴル勢にすっかり席巻され日本勢が優勝することすら珍しい。横綱3人は全てモンゴル人だし日本人横綱は若乃花から出てない。この先、日本人横綱が出るのは何時のことやらとも囁かれる始末である。つまり日本人の意識が変わったのか、相撲界にそれだけ日本人の人材が集まらなくなったのか理由はよく判らないが、日本人力士が弱くなったのは確かだ。理由の一つは子供の少子化が上げられるだろうが、それ以前にあの相撲界独自のシステムに最近の子供はついて行けなくなったのかもしれない。その点、モンゴルを始め外国人は後がないという覚悟で相撲界に入ってきている。つまりハングリー精神が違うのだ。日本は豊かになった分、相撲に弱くなったといえるかもしれない。また運動神経のいい子は野球やサッカーに流れやすくなったというのもあるが、スポーツの多様化というのもあり、少子化の中で体格、体力に優れた人材を相撲界に集めるのも難しくなったというのはあるだろう。それで日本人力士・豪栄道が優勝した。
 ただ豪栄道が優勝したから記事にしたというのでもなく、何故、今回記事にしたかというのは大阪出身力士の優勝が実に86年ぶりと言うから記事にしたのである。そもそも大阪人が相撲ってイメージが浮かばない。昔から商人が多い町でおしゃべりは得意だが、きつく辛くて忍耐のいる相撲に適応力が無いといったイメージが先行しているからだろう。でも野球界には多くの人材を輩出している大阪府。けして運動神経が鈍いというのでもない。ただ相撲というと少し違ってくる。それはけして大阪が相撲不毛の地というのでもないが、育つ過程で繋がっていかないのである。つまり現在、大阪で相撲部のある高校がほとんどないっていう現状。野球部やサッカー部、ラグビー部のある高校は大阪に数多い。でも相撲部のある高校がほとんどない(2、3校あったんだが)。今回、優勝した豪栄道は大阪の寝屋川出身だが、高校は埼玉の高校。相撲を求めて留学したのである。強豪校が多すぎて甲子園に出られないから甲子園に出やすい県へ野球留学する大阪の野球少年が多いのとは逆のパターンである。だから相撲が強くても高校で相撲部がないところが多く、中学で相撲をやめてしまう子が多い。従って大阪出身の相撲力士自体が少ないというのが今の姿だったようだ。
 さて話は戻るが、大阪出身力士の優勝が86年振り。では86年前は誰が優勝したかというと1930年の山錦であって、このときは平幕優勝だった。何とそれ以来のことで、如何に大阪と相撲が結びつかないかという一因になっていた。相撲はどうも北海道、東北、四国、九州が強いイメージがあるし、東京だって栃錦が出ているし、若貴兄弟もそうだ。最も東京は両国があるから相撲人気もある。でも大正時代までは大阪相撲(タニマチという語源は大阪相撲から来ている)という興業があって、実際に国技館が大阪にもあったから相撲人気があったのだが、昭和になり東京相撲に統一され大阪相撲という協会はなくなってしまい相撲と大阪の縁は段々と薄くなってしまったような気がする。それ以降、相撲取りになる人材も他のスポーツへと流れていくのかもしれない。
 でも人口が多い大阪府だから豪栄道みたいな力士が出現したのかもしれない。豪栄道は大関だが、大阪出身の大関というと前の山以来である。大阪出身の横綱は大正時代の大錦がいる。本来、相撲の弱い土地柄ではないのだ。近年、相撲取りになる者がいないと言うだけの話である。それに比べると京都こそ相撲に似つかわしくない土地柄だ。幕内に上がってきた力士なんて大文字、大碇ぐらいしか小生は知らない。優勝力士となると大阪相撲時代の桂川が1921年に優勝してから途絶えている。京都府は京都市周辺以外はほとんど田舎といってもいいぐらいで、刺激的な娯楽もなく相撲を取る下地がぐらいありそうだが大阪と違って人口が少なく人材も少なく、土性骨がないというか、公家の伝統が未だに生き続けている。優雅な振る舞いは行っても、褌一丁で取り組む相撲こそ不釣り合いだと思っているのかもしれない。
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2016.09.19 (Mon)

ブルックナーの交響曲第8番を聴く


左 ショルティ指揮 シカゴ交響楽団(ノヴァーク版)
右 朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(ハース版)


 ブルックナーの交響曲は長い。どの交響曲も全て長い。それは彼が交響曲作曲に生涯をかけた作曲家だったからである。ブルックナーは1824年オーストリアのリンツに近いフェルデンという小さな街で生まれた。オルガン奏者を父に持ちその影響から10歳で教会のオルガン奏者として弾いていたほどの腕前だった。さらに11歳からはオルガン奏者のバプティスト・ヴァイスの下で本格的に音楽教育を受け、12歳からはザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊へ入る。16歳になると教員養成所に入り、その後に村の補助教員として働きく傍らオルガン演奏も行っていた。謂わば地味な田舎の音楽家の域を出なかったのである。それがやがてワーグナーに傾倒し、さらにベートーヴェンの第9を聴く機会を得て交響曲の作曲に目覚めたのだろう。19歳で早くも最初の交響曲ヘ短調を作曲している。3年後には交響曲1番。25歳で交響曲0番を作曲。さらにう3年後に交響曲2番。その翌年の1873年、尊敬するワーグナーと会見する機会を得て交響曲3番を作曲。この交響曲に『ワーグナー』という標題を付け献呈している。その後も交響曲4番、交響曲5番と創作活動が続き、1876年には第1回のバイロイト音楽祭に出席。ここで『ニーベルングの指輪』の初演を聴く。これがきっかけとなったのか、ブルックナーはこれまで作曲した交響曲の全てを改訂することとなる。これがブルックナーの改訂版が幾通りも出始める出発点となった。とにかく長い曲ばかりというのはワーグナーの影響か。そして交響曲作曲に生涯をかけたというのはベートーヴェンの第9の影響であろう。ただし当時の慣習から相手にされることはほとんど無かった。ことにワーグナーと相反したブラームスからはブルックナーの作品は酷評されていたぐらいだ。でも、この頃、若きグスタフ・マーラーがウィーン大学でブルックナーの聴講を受けに訪れている。つまりマーラーの交響曲が長いのもブルックナーの影響があることは確かなようである。ただブルックナーは演奏会では客入りが悪く、演奏途中で出ていく人も多かったという。それが自信喪失になり、改訂した作品をさらに改訂するという有様。いったいブルックナーの作品は幾つ改訂版があるのだろうと思ってしまう。それでも徐々に名声を得るようになり、1884年というから60歳の時に壮大な交響曲第8番の作曲にかかる。3年後の1887年にいったん完成を見る。ところが尊敬していた指揮者ヘルマン・レーヴェに見て貰うと酷評され、落胆したブルックナーはまたこの作品を改訂する。さらには彼の過去の作品までを改訂するようになる。こうして1892年交響曲第8番の初演が行われようやく成功の恩恵に授かるのである。でもこれも原典版ではない。大きく分けるとハース版とノヴァーク版があるが、弟子が書いた物まであり、さらに後に楽譜が見つかり色々な版があることが判るのだから今日、ブルックナーの交響曲と言ってもどの版で演奏されているのかよく判らないのである。交響曲8番の初演が成功して、ようやく音楽仲間からも認められるようになったものの、すでにブルックナーは67歳。これから4年後の1896年にブルックナーは生涯を終えている。まあ何とも地味で恵まれない作曲家であったことか。この時、交響曲第9番は作曲途中で未完のまま残されていた。
 さてここで交響曲8番の話に入るが、この曲は気宇壮大な大宇宙を連想させる曲である。ことに第4楽章。冒頭から満天の夜空いっぱいに広がる銀河の世界を想像してしまう曲調である。けしてマーラーのようにオケストレーションが巧みな作曲家ではない。ユニゾンが多いし、突然のごとく曲の途中に間が出来たり、ブルックナーの霧と言われるモヤモヤとした中から徐々に現れる律動的な轟き。ブルックナー的と言えばブルックナー的であるが、他の作曲家にはない独特の世界観があることは確かだ。でも最初、ブルックナーを聴いた時であるが、実に退屈でだらだらと長くて下らないと感じたものだ。そこから小生は長い間、ブルックナーを聴かなかった。交響曲のお化けのようなものだと感じていた。それが何時だったろうか。ラジオのFMでブルックナーの8番を聴いた。寒い日の夜だった。部屋の明かりを消し窓を開け、冬空に広がるオリオン座を見ながら聴いていると身体の中を戦慄が走るかの如く、ブルックナーの8番に填ってしまった。それは突然やってきたというべきか。あの美しくもなく軽快でもなく爽やかでもなく、ただ重苦しく似たようなメロディの繰り返し、怠い管楽器と打楽器の咆哮。退屈だった曲が退屈に聴こえなくなった瞬間であった。これ以来ブルックナーを頻繁に聴くようになっていた。不思議なものである。教会のオルガン奏者であったブルックナーの音楽は荘厳な大伽藍で演奏されるオルガンの響きにも似ている。それは、どこか宗教的であり、敬虔なカトリック信者が信奉するような響きに近いかもしれない。それがブルックナーの交響曲であろうか。1時間を超える演奏時間が多いブルックナーの交響曲の中で8番は速い演奏でも75分ぐらい、ゆったりとした演奏になると85分だとか90分ぐらいかかることもある大曲である。指揮者によって違うだろうが、ブルックナーを聴いて感じるのは、宇野功芳が言うようにまさに宇宙の鳴動、魂の沈思と表現すべき楽曲である。だから小生はBGMとして聴く音楽ではなく真摯に向き合って聴くべき音楽だと考えている。しかし、初めて聴く人には耐えがたい退屈な音楽。それがブルックナーであろう

チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルの演奏(ノヴァーク版) 1990年サントリー・ホール

EDIT  |  11:35  |  音楽(クラシック)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.09.18 (Sun)

ああ蒸し暑い

 今は何時以来か判らないぐらい久しぶりの雨が降っていて、暑さは幾分和らいだが、この一週間の暑さはちょっと耐えがたかった。もう9月の中旬。このところ昼間も連日30℃超えていて、陽射しも強かった。一時は涼しくなったのだが、その後、さっぱり雨が降らなくなりこのところは夏のような暑さであり、夜の湿気が高く蒸し暑くて蒸し暑くて寝られやしない。これはどうも次から次へとやっている台風の影響によるものなのだろうが、新たに台風16号が接近しつつあり蒸し暑い日が続いている。昨日は32℃を超えていて8月の気温に逆戻り。夜も窓を開けても涼しい風が入ってこず湿気だけがある。まだ夜でもエアコンなしという訳にもいかないほど暑い。
 しかし、よく台風がこれだけ連続してやってくるものだ。立て続けに発生してはこちらへ向かってくる。今年前半は台風の発生がないというのに、7月からあっという間に16号。上陸も多い。来週に入り台風が上陸の可能性が出てきて、湿った暖かい空気を持ってくるから暑くて暑くて参っている。どうも今年はラニーニョ現象が顕著で、フィリピン付近の海温が高く、日本近海付近まで平年異常に海水温が高く、台風が通過しても海温が下がらないという。それは深海まで海水温が高いからと言うことらしい。台風が通過すると海中まで掻き回され海水温が下がるのに、今年は海面から深いところまで海水温が高いから、ちょっとやそっとでは海水温が下がらない。だから台風がどんどん発生して成長する。その結果、生暖かい空気が日本へ運ばれる。そして暑い日が続く。この連鎖である。9月に入れば少しは凌げるかなと思っていたが、とんでもない。やはり10月にならないと秋らしくはならないようだ。
EDIT  |  08:56  |  競馬(海外レース)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.09.09 (Fri)

ゴジラVS君の名は

 何かおかしなタイトルだが、今、上映している2つの映画のタイトルである。『君の名は』は新海誠監督のアニメーション映画で大ヒットしているという。一方『シン・ゴジラ』は庵野秀明総監督、樋口真嗣特技監督による全編CGによる映画化である。『君の名は』は東京に住む男子高校生と田舎に住む女子高生がお互いが入れ替わった夢を見る。そこからお互いが現実で模索するようになるといった話らしいが、何故か若い女性を中心に興行成績が伸びているという。『シン・ゴジラ』はそれに次いでのヒット作ということだが、お馴染みのゴジラシリーズの頭にシンって付いているので何のことやらと思ったのだが・・・・・。シン・ゴジラであって新ゴジラでもないんだな。またニュー・ゴジラっていうタイトルでもないらしい。どういう意味があるのかと調べたら、新でも心でも真でもいいらしい。まったく過去のゴジラとは違うと言った意味なのだろうか。小生としては今更、ゴジラでもないけど、種の切れた映画界はヒット作が欲しいのだろう。東宝のドル箱シリーズをまた復活してしまった。何年振りの国内ゴジラか知らないが、もう終ったと思ったら、またゴジラが復活という。だから観に行きたいとも思わないが、今回は奇しくも『君の名は』という映画と被ったと言うことで、記事にしてみたまでである。
 今夏、邦画界でヒットした映画の1位2位が『君の名は』と『シン・ゴジラ』であって、またも興行成績でゴジラは君の名はに負けたという。そもそも『君の名は』という同名の映画が62年前に上映された。また同じ年に初代『ゴジラ』が上映された。そのときは全く比べものにならないほど『君の名は』の方が人が入っていて、『ゴジラ』は当時、キワモノの映画。つまりゲテモノ映画。所謂、子供だましの映画の扱いだったと言うことである。今日の人気を得るのは、その後のシリーズ化によるもので、子供の時にゴジラを観て育った人が大人になっても見続けたというところから人気を得ているのである。
 ところで62年前の昭和29年に上映された『君の名は』は、菊田一夫脚本によるラジオドラマで大ヒットしたものが映画化されたのである。当時、まだテレビ放送が始まる前で、ラジオがメディアの中心だったときにドラマとして放送され、これが女性に人気を博し当時、放送中は風呂屋や銭湯が空っぽになったといわれている。それが、映画化され岸惠子と佐田啓二が主演した。この映画は三部作で昭和28年から29年にかけて上映され、いずれもヒットした。つまり『ゴジラ』は62年前も今回も興行成績で『君の名は』に負けたと言うから面白い現象である。
 とはいっても『君の名は』は前回も今回もタイトル同じであっても何の関係もない映画である。ただ言えることは62前も今回も若い女性に人気を得た映画であると言うことだけである。今回の『君の名は』はアニメであっても若い女性に人気が出て動員に繋がった。最近、日本のアニメはスタジオ・ジブリ以外は人が入らなかったものの、ストーリーが面白いのと作画からして興味を惹き付けるところがあったのであろう。一方、昔の『君の名は』は所謂、メロドラマ。当時、戦後の荒廃からようやく復興し始めた頃の話である。国策映画か戦争映画ばかり観せられていた少女達が、成長して後宮春樹と氏家真知子の繰り広げる恋愛ドラマに新鮮みを感じたのか、それとも自分をダブらせたのか判らないが大ヒットした。この映画で岸惠子演じる氏家真知子が頭に巻くストールを真知子巻きとして大流行したいうから、当時、どれだけ流行った映画か想像できる。この映画は小生が生まれた頃の映画で、つまり小生の母親世代がよく観たのだろう。そういえば小生の同世代の女子に真知子という名の子が多かったというのも頷ける。
 ところで前回に続いてゴジラが君の名はに負けたというのは、奇しくも因縁か、偶然の一致か、面白い現象である。ただ前回の『君の名は』は松竹作品で、今回の『君の名は』はゴジラと同じく東宝作品である。ただ新海誠が昔の大ヒット作と同名のタイトルにしたのは何故だろうか。今の人は昔にも『君の名は』という映画があったことは知らないだろうが、80歳以上の老人だと、『君の名は』というと必ず佐田啓二、岸惠子という。それほど大ヒットした映画だったのだ。そりゃ恋愛ドラマにゴジラは勝てないわな。

EDIT  |  21:57  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2016.09.04 (Sun)

蒸し暑くて・・・・・

 8月末少しばかり凌げるようだったのに、また暑さがぶり返してきた。これは予測できたことではあるが、今回は台風の影響がどうもあるようだ。今年は6月まで台風の発生が1つもなかった。それが7月以降で12も発生している。それもおかしな進路を通り、先日はt史上初の東北上陸となり被害をもたらした。それも北海道には立て続けに台風が通過という前代未聞の惨状。いったしどうなっているのやら。
 どうも高気圧の張り出し方が例年とは違っているからのようだが。ここにきて高気圧が西にせり出し暑いのなんのって・・・・。そこへ突然に沖縄近海で台風12号が発生。ノロノロと近づいている。この台風が例によって暑い空気を持ってくるので、昼間も暑いが夜も暑い。再び熱帯夜が続いて、またまた寝苦しい夜の毎日。現在、台風は九州の枕崎西の海上を北上中と言うことで、湿った空気を運んでくるから気温は33℃ほどあって湿度も60%を超えている。これだから蒸し暑いのである。もう9月の4日になるが、日中はまだまだ暑くても夜ぐらいは涼しくならないといけない頃だが、そのせいで夜も蒸し暑い。したがって未だに夏が続いているという状態である。早く台風が過ぎ去ってくれないと湿った空気は残るのだが、どうも偏西風に乗るまではノロノロと進みそうで、こちらはもう暑さにうんざりしているのに、天候の方はこちらの言うことを聞いてくれない。でもこの調子だと、1つ台風が去っても直ぐに新たな台風が発生して、また接近ということになるのかもしれず、9月もあまり好きな月ではない。

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