2008.01.14 (Mon)
夏目漱石を読む・・・・・『こころ』

かれこれ30年ほど前になるだろうか。当時の大学生に最も感銘を受けた小説は何かとアンケートをとったところ、夏目漱石の『こころ』と答えた人が一番多かったという。今は時代が変わってしまったので、このような小説に心が動かされるのかどうか解りかねるが、とにかく昔の若者に支持された小説であることは確かだ。
物語は鎌倉の海岸で始まる。主人公である私は、鎌倉の海岸で先生に出会った。先生は超然としていて、何処か取っ付き難かった。私はそんな先生に興味を持ち次第と先生の家に足繁く通うようになる。先生には学があり美しい妻がいて、一見何不自由なさそうではあるが、社会的には何もしていないという不思議なところがあった。そして、月に1回、雑司ヶ谷の墓地を訪れるという奇妙な習慣を持っていた。先生には誰にもいえない暗い過去があるようで、私は先生の心が知りたいが、先生はなかなか内面を見せようとしなかった。でも次第と私と先生は親しくなっていくのである。
そして、そんな或る日、私は母から父の具合が悪いと言う手紙を受け取り急遽、故郷へ帰らなくてはならなくなった。でも帰ってみると父の病状はさほど悪くは無かった。東京に戻って私は論文を書き上げるのに奔走していたが、この間、先生と私の親密度は増し、先生は私に財産があるのなら貰っておいた方がいいとか、田舎者について、親類について色々と語るのであった。
やがて私は大学を卒業し、再び故郷へ帰る。気になる父の病状はあまり変わっていなかったが、私が東京に戻ろうとする直前に、またも父は倒れたのである。そんな矢先に先生から分厚い手紙を貰う。手紙には延々と先生の心の核心を解くような内容が綴られていたのである。
以上が、この小説の大方のあらすじなのであるが、ここから以降は、長い長い手紙の文章が小説の最後まで載せられているだけで、あらすじといったものはない。ただ、この手紙に、それまでの先生の人に見せなかった闇の部分が、全てあからさまにされているのであり、小説の謎が徐々に明白となっていくのである。
この小説の実に半分を先生の手紙が占める。そこには先生が何故、厭世的な生活を送り超然とした生き方をしているのか、全ての謎解きがあった。先生は富裕な家の孤児だった。ところが先生に相続権のある財産を叔父が横領したという事実に気がつき、自分の孤独を知るのである。その当時、大学生だった先生は叔父一家と義絶し、自分に渡された財産を処分して金に換え、二度と戻らぬ決心で故郷を後にして東京へ居を構えるのである。さらに先生は、その後に未亡人と美しいお嬢さんがいる自分の下宿先に困窮している親友のKを同居させるのである。Kは先生に似た不幸な家庭に育った青年であり、究極の堅物であったが故に思い込みも激しかった。また、そんなKを先生は尊敬しているのでもある。それが、突然、先生はKからお嬢さんに恋していると告白を受ける。先生は堅物一辺倒のKに、そんな恋愛感情まで持ち出されるとは思ってもいなかった。また、先生も当然のようにお嬢さんに恋心を抱いていた。しかし、先生はKに忠実であるならば、その恋もKに譲らなければならなかったであろうが、先生は自分の感情の赴くままKを裏切るように、未亡人に先生とお嬢さんの結婚の許しを得るのだった。すると、まもなくKは、その事実を知りナイフで頚動脈を切って自殺してしまうのであった。
先生は暫くして大学を卒業し、お嬢さんと結婚するのである。これだと何不自由なく暮らす夫婦であろうが、先生には、この時から絶えず暗い影がついてくるようになる。雑司ヶ谷に月1回訪れる墓地は友人Kの墓地だったのである。Kの自殺以来、先生はKのことが頭から離れなくなり、余生のような生き方を強いられてきたという。そして、明治天皇崩御があり、明治の精神が明治で終わるかのように、後に生き残ったものは時代遅れだと先生は思ったのか、乃木大将の自決を知らされた後に、先生も自殺を決意するのである。
この小説の最後のところで、「もう何もする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」と書かれてある。先生は妻にも何も言わず、己の過去に対して持つ記憶を出来る限り純白にしておきたかったのか、何も言わず自殺したのである。
如何でしょうか・・・・・。かつて私は、この小説を読んだ時は非常に窮屈な心境に陥りました。明治の世とはこのようなものだったのか・・・。今時、友人との三角関係で友人を裏切ったからといって、友人の自殺に伴って自身のエゴイズムに悩み続け、自らも自殺をするといった人はいるのでしょうか。私は『こころ』を読んだ直後、その感受性に私は感銘を受けたのですが、言い換えれば自分の生きている時代とのギャップを感じ、明治の人の生き様というものにも憧れたものです。結局、先生というのは、エゴイズムの叔父に騙された結果、自らエゴイズムになり通したがためKを裏切った形となり、それが結果的には、その良心の呵責から永久に抜け切れなかった。・・・・・結局、小説の到達点はそのあたりになるのだろうか・・・。
*Comment
uncleyie |
2008.01.20(日) 19:55 | URL |
【コメント編集】
Uncleyieさん、こんにちは。
夏目漱石と言えば、旧1000円札ので肖像画でも知られた、森鴎外と並ぶ明治時代の文豪です。
昨日行われたセンター試験にも、彼の作品『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』から出題されていました。
ネット上では、読書感想文の課題だったという書き込みもよく見かけました。
今も若者に読んでほしい作家なのでしょう。
夏目さんだけでなく、明治時代の小説に家は、三角関係がよく登場します。結末の付け方や心理描写に作家の個性が出て、色々と読んで見るのも楽しめそうです。
こうしてみると、三角関係は小説の普遍的なテーマの一つなのかもしれません。
夏目漱石と言えば、旧1000円札ので肖像画でも知られた、森鴎外と並ぶ明治時代の文豪です。
昨日行われたセンター試験にも、彼の作品『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』から出題されていました。
ネット上では、読書感想文の課題だったという書き込みもよく見かけました。
今も若者に読んでほしい作家なのでしょう。
夏目さんだけでなく、明治時代の小説に家は、三角関係がよく登場します。結末の付け方や心理描写に作家の個性が出て、色々と読んで見るのも楽しめそうです。
こうしてみると、三角関係は小説の普遍的なテーマの一つなのかもしれません。
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2008.01.20(日) 18:59 | URL |
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まあ、夏目漱石は日本人のアイドル作家と言ってもいいでしょう。好き嫌いはありますが、大勢の人は好きな作家だといいます。ただ、恋愛関係の描きかたがもう一つ突っ込めないというか、うわべだけ諂うようなところがあり、もう一つのめり込めないのです。だから、皆か言うように『こころ』は、私にとっては、さほどいい小説だとも思いません。私にとっては当たり前すぎて面白くないですが『猫』が一番好きです。やはり男女の間の情念を書かせれば、漱石よりも芥川よりも谷崎潤一郎が№1でしょう。
要するに漱石や龍之介は、されほどスケベでもなかったのでしょう。その点では、谷崎潤一郎は女好きといつてもいいかもしれません。