2008.01.23 (Wed)
ザ・モンキーズのアルバムを聴く『小鳥と蜂とモンキーズ』
アルバム『小鳥と蜂とモンキーズ』

1960年代の後半、実働5年に満たないグループが存在した。その名をザ・モンキーズという。
話は1965年に遡るが、アメリカテレビ業界にバート・シュナイダー、ホブ・ラフェルソンという敏腕の若手プロデューサーがいた。彼等は映画『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』を観て、アメリカでも似たようなグループを作れないだろうかと考えた。そこで、企画されたのがオーディションである。一般公募というかたちがとられ、1965年9月に雑誌を通して広告を掲載した。内容は・・・・・新しいテレビ・シリーズの役者として、ロックやフォークの演奏が出来る17歳から21歳までの、個性的な4人のキャラクターを求む・・・・・というものだった。
このオーディションには437人が応募し、結果、デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、マイク・ネスミスの4人が選ばれ、彼等はショーマンとしての訓練を受けた。そして、ついに1966年9月、彼等をアイドル・グループとして育て上げるべくテレビ音楽ショー『ザ・モンキーズ・ショー』をスタートさせ、同時に彼らのデビュー・シングル『恋の終列車(Last Train to Clarksville)』も発売された。結局、この企画は大成功し、テレビは高視聴率、シングルは大ヒットとなった。こうして生まれたのがザ・モンキーズということになる。この頃、日本でもアメリカから遅れて、『ザ・モンキーズ・ショー』がテレビで放映され、また『恋の終列車』も大ヒットした。でも、私が記憶するところの当時の感覚としては、作られた急造のグループという範疇にあり、所詮はビートルズの亜流という認識でしかなかった。でも当時のヒットメーカーに曲を依頼しただけあって、彼等にはお手頃のよい曲が提供され、企画はまんまと成功したのである。
ところで私は、最近、彼らの曲の一曲を鼻歌でを奏でることが頻繁にある。それがザ・モンキーズの5枚目のアルバム『小鳥と蜂とモンキーズ』の中に入っている曲『デイドリーム・ビリーバー』である。この曲は1968年4月に発売されたが、メロディが判りやすく、一度聴いただけで印象に残る曲なのですぐにヒットした。フォーク・グループのキングストン・トリオにいたジョン・スチュワートが書いた曲であり、アメリカでは4週連続1位を記録し、日本でも大ヒットした。そして、モンキーズの代表曲の一つとなり、後年、日本のグループがカバーしたことでも有名になるのであるが、私がよく口ずさむ曲の一つでもある。
私が口ずさむ曲というのは、1960年代のポップスが多いのであるが、やはりメロディアスなバラードが中心となる。その幾つかを挙げるとビートルズ『アンド・アイ・ラヴ・ハー』『ガール』『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』『アイ・フィール・ファイン』『オール・マイ・ラヴィング』、ローリング・ストーンズ『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』『ルビー・チューズデイ』『レディ・ジェーン』、ハーマンズ・ハーミッツ『見つめ合う恋』、タートルズ『ハッピー・トゥゲザー』、シーカーズ『ジョージ・ガール』、ペトラ・クラーク『ダウンタウン』・・・・主なところはこのあたりの曲なのであるが、モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』も思わず歌ってしまう曲である。とにかく歌い易いから知らぬ間に、歌詞がメロディにのって軽やかに出てしまう・・・。
Oh I could hide neath the wings of the bluebird as she sings
The six o'clock alarm would never ring
But once it rings, and I rise, wipe the sleep out of my eyes
The shavin' razor's cold and it stings
Cheer up sleepy Jean, oh what can it mean
To a daydream believer and a home coming queen
You once though of me as a white kight on a steed
Now you know how happy I can be
And our good times start and end
without dollar one to spend
But how much baby do we really need
ザ・モンキーズは1970年6月に解散した。それはビートルズ解散宣言から2ヶ月後のことだった。アメリカのビートルズを目指して意図的に作られたグループ『ザ・モンキーズ』だったが、ビートルズの解散と共に消えていってしまった。結局は何だったのかということになるが、曲は何時まで残り、私は今でも口ずさむ・・・・。これだけでも、この企画は成功したのだといえないだろうか・・・・。
『デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)』を歌うザ・モンキーズ。

1960年代の後半、実働5年に満たないグループが存在した。その名をザ・モンキーズという。
話は1965年に遡るが、アメリカテレビ業界にバート・シュナイダー、ホブ・ラフェルソンという敏腕の若手プロデューサーがいた。彼等は映画『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』を観て、アメリカでも似たようなグループを作れないだろうかと考えた。そこで、企画されたのがオーディションである。一般公募というかたちがとられ、1965年9月に雑誌を通して広告を掲載した。内容は・・・・・新しいテレビ・シリーズの役者として、ロックやフォークの演奏が出来る17歳から21歳までの、個性的な4人のキャラクターを求む・・・・・というものだった。
このオーディションには437人が応募し、結果、デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、マイク・ネスミスの4人が選ばれ、彼等はショーマンとしての訓練を受けた。そして、ついに1966年9月、彼等をアイドル・グループとして育て上げるべくテレビ音楽ショー『ザ・モンキーズ・ショー』をスタートさせ、同時に彼らのデビュー・シングル『恋の終列車(Last Train to Clarksville)』も発売された。結局、この企画は大成功し、テレビは高視聴率、シングルは大ヒットとなった。こうして生まれたのがザ・モンキーズということになる。この頃、日本でもアメリカから遅れて、『ザ・モンキーズ・ショー』がテレビで放映され、また『恋の終列車』も大ヒットした。でも、私が記憶するところの当時の感覚としては、作られた急造のグループという範疇にあり、所詮はビートルズの亜流という認識でしかなかった。でも当時のヒットメーカーに曲を依頼しただけあって、彼等にはお手頃のよい曲が提供され、企画はまんまと成功したのである。
ところで私は、最近、彼らの曲の一曲を鼻歌でを奏でることが頻繁にある。それがザ・モンキーズの5枚目のアルバム『小鳥と蜂とモンキーズ』の中に入っている曲『デイドリーム・ビリーバー』である。この曲は1968年4月に発売されたが、メロディが判りやすく、一度聴いただけで印象に残る曲なのですぐにヒットした。フォーク・グループのキングストン・トリオにいたジョン・スチュワートが書いた曲であり、アメリカでは4週連続1位を記録し、日本でも大ヒットした。そして、モンキーズの代表曲の一つとなり、後年、日本のグループがカバーしたことでも有名になるのであるが、私がよく口ずさむ曲の一つでもある。
私が口ずさむ曲というのは、1960年代のポップスが多いのであるが、やはりメロディアスなバラードが中心となる。その幾つかを挙げるとビートルズ『アンド・アイ・ラヴ・ハー』『ガール』『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』『アイ・フィール・ファイン』『オール・マイ・ラヴィング』、ローリング・ストーンズ『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』『ルビー・チューズデイ』『レディ・ジェーン』、ハーマンズ・ハーミッツ『見つめ合う恋』、タートルズ『ハッピー・トゥゲザー』、シーカーズ『ジョージ・ガール』、ペトラ・クラーク『ダウンタウン』・・・・主なところはこのあたりの曲なのであるが、モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』も思わず歌ってしまう曲である。とにかく歌い易いから知らぬ間に、歌詞がメロディにのって軽やかに出てしまう・・・。
Oh I could hide neath the wings of the bluebird as she sings
The six o'clock alarm would never ring
But once it rings, and I rise, wipe the sleep out of my eyes
The shavin' razor's cold and it stings
Cheer up sleepy Jean, oh what can it mean
To a daydream believer and a home coming queen
You once though of me as a white kight on a steed
Now you know how happy I can be
And our good times start and end
without dollar one to spend
But how much baby do we really need
ザ・モンキーズは1970年6月に解散した。それはビートルズ解散宣言から2ヶ月後のことだった。アメリカのビートルズを目指して意図的に作られたグループ『ザ・モンキーズ』だったが、ビートルズの解散と共に消えていってしまった。結局は何だったのかということになるが、曲は何時まで残り、私は今でも口ずさむ・・・・。これだけでも、この企画は成功したのだといえないだろうか・・・・。
『デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)』を歌うザ・モンキーズ。
*Comment
uncleyie |
2008.01.27(日) 09:38 | URL |
【コメント編集】
Uncleyieさん、こんばんは。
モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』は、中学生くらいの頃にラジオで聞いて知りました。
モンキーズの曲は、『モンキーズのテーマ』とこの曲しか知りません。
ご指摘のとおり、60年代後半曲は、イギリスのグループが隆盛を極めていました。他にも、アニマルズ、サーチャーズ、ゾンビーズ、ホリーズ、マンフレッドマン、ドノヴァン、デイブ・クラーク・ファイブなど(もうこの辺で止めます)数多くのバンドが登場して、名曲や駄作を発表していました。
アメリカにも、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ビーチボーイズなどが居ましたが、彼らはアイドルではなく、モンキーズが企画された下地となりました。
一方日本には、エレキブームに続いてグループサウンズが登場し、洋楽に日本語の歌詞を付けて演奏していました。
『モンキーズのテーマ』は、タイガーズが『タイガーズのテーマ』として歌い、後に『タイマースのテーマ』としてまた、別のグループが歌っていました。
タイマースは、忌野清志郎さんの訳詞で『デイドリーム・ビリーバー』も歌い、カッブラーメンのCMとして使われていました。
失恋の曲ですが、前向きな歌詞です。イントロ、間奏ギターやピアノのフレーズ、ハーモニー、アンサンブル。どれも素晴らしく、ついまた聞きたくなる名曲です。モンキーズの評価は様々ですが、この作品までは否定できないでしょう。
モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』は、中学生くらいの頃にラジオで聞いて知りました。
モンキーズの曲は、『モンキーズのテーマ』とこの曲しか知りません。
ご指摘のとおり、60年代後半曲は、イギリスのグループが隆盛を極めていました。他にも、アニマルズ、サーチャーズ、ゾンビーズ、ホリーズ、マンフレッドマン、ドノヴァン、デイブ・クラーク・ファイブなど(もうこの辺で止めます)数多くのバンドが登場して、名曲や駄作を発表していました。
アメリカにも、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ビーチボーイズなどが居ましたが、彼らはアイドルではなく、モンキーズが企画された下地となりました。
一方日本には、エレキブームに続いてグループサウンズが登場し、洋楽に日本語の歌詞を付けて演奏していました。
『モンキーズのテーマ』は、タイガーズが『タイガーズのテーマ』として歌い、後に『タイマースのテーマ』としてまた、別のグループが歌っていました。
タイマースは、忌野清志郎さんの訳詞で『デイドリーム・ビリーバー』も歌い、カッブラーメンのCMとして使われていました。
失恋の曲ですが、前向きな歌詞です。イントロ、間奏ギターやピアノのフレーズ、ハーモニー、アンサンブル。どれも素晴らしく、ついまた聞きたくなる名曲です。モンキーズの評価は様々ですが、この作品までは否定できないでしょう。
JACK |
2008.01.26(土) 21:45 | URL |
【コメント編集】
naoさん、初めまして。
『見つめ合う恋(THere's Kind of Hush)』のオリジナルはハーマンズ・ハーミッツです。ハーマンズ・ハーミッツはイギリスの5人組みで、ビートルズに続いてアメリカで人気者になったグループです。『見つめ合う恋』は1967年のヒット曲です。カーペンターズは1976年にカバーしています。それ以外だと、カーペンターズはビートルズの『ヘルプ』『涙の乗車券』、マーヴェレッツの『プリーズ・ミスター・ポストマン』、ルビー&ザ・ロマンティックスの『ハーティング・イーチ・アザー』、ラリー・メレディスの『ふたりの誓い』等をカバーしています。
『見つめ合う恋(THere's Kind of Hush)』のオリジナルはハーマンズ・ハーミッツです。ハーマンズ・ハーミッツはイギリスの5人組みで、ビートルズに続いてアメリカで人気者になったグループです。『見つめ合う恋』は1967年のヒット曲です。カーペンターズは1976年にカバーしています。それ以外だと、カーペンターズはビートルズの『ヘルプ』『涙の乗車券』、マーヴェレッツの『プリーズ・ミスター・ポストマン』、ルビー&ザ・ロマンティックスの『ハーティング・イーチ・アザー』、ラリー・メレディスの『ふたりの誓い』等をカバーしています。
はじめましてm(__)m
質問です
見つめあう恋ってカーペンターズじゃないのですか
質問です
見つめあう恋ってカーペンターズじゃないのですか
nao |
2008.01.25(金) 18:30 | URL |
【コメント編集】
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若いのによく知ってますね。アーティスト名を聞いて懐かしく感じます。
サーチャーズという地味なグループもありました。『ラブ・ポーション№9』が代表曲でしたかね。アニマルズは『孤独の叫び』『悲しき願い』『朝日のあたる家』私の得意な曲でした。ゾンビーズは『ふたりのシーズン』、ホリーズは『バス・ストップ』、いずれも歌いやすい曲です。マンフレッド・マンは『ドゥ・ワー・ディ・ディ』でしょうか。ドノヴァンは『メロー・イエロー』、デイヴ・クラーク・ファイブというと『ビコーズ』が好きでした。ドアーズは『ハートに火をつけて』、ジェファーソン・エアプレインというとグレイス・スリック。私は彼女のファンでもありました。『あなただけを(Somebody to Love)』はよく歌いました。ビーチ・ボーイズは『グッド・ヴァイブレーション』が好きでした。それからモンキーズですが、デビュー曲の『恋の終列車(Last Train to Clarksville)』も私は好きな曲でした。日本のGSについては、いずれ記事にしようと思います。