2013.08.11 (Sun)
村上春樹『ノルウェイの森』を読む

この小説も入院中に読み直してみた。入院中にいったい何冊の本を読んだのかと問われそうだがいちいち数えてないので判らない。20冊以上は読んだだろう。この村上春樹『ノルウェイの森』もそうだ。この『ノルウェイの森』は単行本で刊行された時に一度読んだものだが、それから20年以上経過している。その間、一度も読みなおしたことがない。正直言って何処が良いのか面白いのかよく判らない小説。感覚的すぎて苦手と言えば苦手な小説でハードカバーの単行本で刊行された当初、読んだだけでその後は一度も読んでない。ただ時代背景的に、同調できる部分があったんで懐かしいなあと思い、再び読んでみたという訳だ。
ところで当時、題名の『ノルウェイの森』いうのが気になって書店の入口で堆く積まれていたのを手に取るや、内容も確認せずに買った覚えがある。『ノルウェイの森』とは当然ビートルズの有名な楽曲だ。なので内容も確認せず買って読もうと思い赤と濃緑の装幀の2冊の本を纏めて買って読んだかな。でも内容をあまり記憶してない。印象に残らなかったいうのもあるが、題名の『ノルウェイの森』と小説の内容とは何の関係もなかったということ、結局はビートルズの楽曲と同じ題名ということで買ってしまったのかな・・・・。 それ以前は村上春樹と言う人の本はエッセイ以外は読んだことがなかった。が、この小説からきっかけに村上春樹の著書を、その後に頻繁に読むようになったから判らないものだ。
ところでこの小説の内容だが、タイトルにひかれて買ったものの小説の舞台がノルウェイでもなく、ましてやビートルズの『ノルウェイの森』とはほとんど関係がない。ただ物語の始まりで37歳の主人公がハンブルク空港に到着寸前に機内のスピーカーからオーケストラが奏でる『ノルウェイの森』を聴き、主人公の僕は遠い昔を思い出し混乱するのであった。それは色々あり過ぎた若い頃の思い。自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くの物のことを考え、失われた時間、死にあるいは去って行った人々、もう戻ること
ない想い。これらが錯綜し当時の記憶が蘇ってくる。
1969年秋、主人公は草原で直子と2人で歩いていたことを思い出す。18年も前のことだ。ただ恋人でもなかった。直子と言うのは神戸で過ごしていた高校時代に親友だったキズキの恋人だったのだ。しかし、キズキは高校3年の5月、突然のように自殺してしまった。僕は1968年春、東京の私立大に入学した。直子も東京の武蔵野にある小さな大学に入学し、その年の秋に偶然、東京で直子と再会する。それ以来、僕と直子は時々、会うようになる。そして直子の20歳の誕生日に彼女と寝ることとなるが、意外にも直子はそれまで処女であったという。ところが直子はそれからまもなく東京を去り、京都の山間部にある診療所に入ることとなる。その一方で僕は緑という同じ大学の女性と知り合うこととなる。緑は直子とはまったく違った活発で明るい性格の女性だった。緑の実家は東京の下町で小さな本屋を営んでいたが、母は他界し父も脳腫瘍で入院していて余命も限られていた。緑はよく大学を欠席しているときは病院で父の看病に行っていた。そうこうしている間に緑の父親は亡くなる。
時は1970年に入っていた。僕は玲子という直子と同じ病院にいる年配の女性から手紙をもらう。手紙にはその後の直子の精神的状況が主に書かれていた。直子は手紙を書くつもりでいたがなかなか書けず、代筆の形で玲子が書いたものだった。それから間もなくして緑からの手紙が届く。内容は大学の中庭で待ち合わせて昼食を一緒に食べようというものだった。しばらく僕は緑と会ってなかったのである。ところが緑と会うや僕がコーラを買いにいっている間に置き手紙を残していく。緑は髪型が変わっているのに気がついてなかったから、もう会わないでくれという。さらに玲子から手紙が来た。直子は家族と専門医との話し合いの結果、一度、別の病院に移り集中的な治療を受けここに戻るといいのではないかという合意に達したと書いてあった。
僕は1970年の春、たくさんの手紙を書く。直子には週一回、玲子にも緑にも書いた。6月の半ば、2ヶ月ぶりに緑が話しかけてきた。緑はワタナベ君(僕)と会えなかった2ヶ月がとても淋しかったし、彼と別れたと言った。そして、あなたが好きになったと告白する。数日後、玲子から手紙が来た。良い知らせで直子が快方に向かっているという。近いうちにこの病院に戻って来るかもしれないということ。手紙の内容は僕のことと緑との関係にまで触れてあった。そして直子との関係も・・・・・。
8月直子は自殺した。葬儀が終わって僕は1人旅に出る。鄙びた田舎町を1ヶ月渡り歩く。時は既に秋であった。こうして東京のアパートに戻り、気持ちの整理をしていたら、ギターケースを持った玲子が僕のアパートに現れた。玲子は若い時はプロのピアニストを目指し音大で学んでいた経験を持つ。2人は直子のことをも含め話を展開する。これから玲子は北海道に行くといい、僅かの間だが僕のアパートに泊ることとなり、玲子は会話の間にギターを弾き続けるのだった。僕と直子の想い出の曲ヘンリー・マンシーニ『ディア・ハート』から始まって、『ノルウェイの森』『イエスタデイ』『ミシェル』『サムシング』『ヒア・カムズ・ザ・サン』『フール・オン・ザ・ヒル』とビートルズ・ナンバーが続く。さらに『ペニー・レイン』『ブラック・バード』『ジュリア』『64になったら』『ノーホエア・マン』『アンド・アイ・ラヴ・ハー』『ヘイ・ジュード』、ドリフターズの『アップ・オン・ザ・ルーフ』、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』、ドビュッシーの『月の光』、、そこからバート・バカラックの『クロス・トゥ・ユー』『雨に濡れても』『ウォーク・オン・バイ』『ウェディングベル・ブルース』、さらにボサノヴァを10曲ほど弾き、ロジャース=ハートやガーシュウィンの曲を弾き、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ、キャロル・キング、ビーチ・ボーイズ、スティービー・ワンダー、『上を向いて歩こう』『ブルー・ベルベット』『グリーン・フィールズ』等、48曲。49曲目がビートルズの『エリナー・リグビー』そして50曲目に再び『ノルウェイの森』を弾いた。夜も更け、僕は玲子と性交渉を持った。こうして日が明け、玲子は旭川へ旅立っていき、その後で僕は緑に電話をかけ、僕には君が必要だと言った。
以上が村上春樹の『ノルウェイの森』のおおよその筋書きである。なんだか何処に小説の主題があるのか分からない。実に感覚的な小説と言えばそれまでだが、そこには誰しも青春時代に持つ限りない喪失感、挫折感とさらに心の震えと感動、そして再生、色々な観念が内包されている小説であると思える。人間が大人になる直前の多感な時の1ページ、幾つもの壁があり精神的に成長していく過程で僕は色々と体験していくが、キズキの自殺、直子の自殺、それと多くは語られていないが永沢の恋人ハツエの死、緑の父の死と、周囲で起こりうるこのような事象があまりにも大きすぎる。この中で作者はキズキや直子の自殺が何に起因するのか敢えて言及されてないが大凡の見当はつく。小説の内容からして恋愛関係なのかそれとも社会への大いなる不安なのか、それはどうでもいい。ただ学生運動が最も活発で会った1968年~1970年、何かが起こりそうだ何かが変わって行きそうだという世情への不安があったことは確かだ。これは恋愛小説だとされる意見が支配的だが、小生はそのような捉え方はしていない。矢鱈と街に出て女生と知り合って性交渉を持つなど、ある意味、やり場のない不安のようなものが先立っているのか。それとも捌け口としてであろうか。作者はそれにもあまり言及していないが、直子の20歳の誕生日に性交渉を持ったこと、または積極的に性の話をする緑。恋愛小説と言えばそうであるかもしれないが、時代は若者文化が最も華開いた時期でもあり、学生運動がピークを迎えていた時期でもある。ちょうど1968年~1970年といえばヒッピーやフーテンなどが世に蔓延った。ちょうど小生もその時代のことはよく覚えているが、ある意味、この僕のような生活を送った若者が非常に多かったと思う。それで、今とは違う若者文化が栄えていたあの頃を思い出さずにはいられなかった。
この小説に出てくる多くの音楽がそれを表現しているが、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン等・・・。所謂、団塊の世代へ捧げる村上春樹の記念碑的な小説のように感じたのである。何故なら、作者の他の作品とは随分と違っているからである。この作品を改めて読み直してみて村上春樹にしてはえらい現実的な話だなと思ったからであるが・・・。
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