2015.03.14 (Sat)
トワイライトエクスプレス
トワイライトエクスプレスが一昨日の12日~13日にかけての運行を終え、およそ26年間の歴史に幕を閉じた。大阪~札幌間1500㎞を22時間かけて走る豪華寝台列車として運行され日本一長い距離をほぼ一日かけて日本海沿いを走るので悠久の旅が出来ると評判を呼び、そこに豪華さが加わってデビュー当時はチケットが瞬時で完売するので有名だった。何時か完全にリタイアしたら一度乗ってやるかと考えていたのだが・・・・・・その前に引退してしまった。それは北海道新幹線が開通すると言うので青函トンネルの電圧が変更されることと並行在来線が第三セクターへ移管されることとに加え、一番の大きな理由は車両の老朽化ということだろう。
しかし整備新幹線もいいけれど、時間に縛られずのんびりと旅情を味わいながらゆったりとした気分に浸れる長距離寝台車の方が遥かにいい。殊にトワイライトエクスプレスはそれまでの日本の寝台車にない個室の寝台車。最後尾は豪華なロイヤル・スイート。大きな個室で大阪駅で発車する前の僅かな時間は見学をさせてもらったものだ。確かに豪華でかつてのヨーロッパを走っていたオリエントエクスプレスを彷彿とさせるし、国鉄時代の簡易ベッドを並べたような寝台車とは一線を画す。
こういった列車に乗って北海道までのんびりと旅したいなあと思っていたのだがな。飛行機で北海道に慌ただしく行くのとは違い、許される時間があれば乗って見たかったというのが本音である。10代の頃、鈍行と連絡船をつないで北海道までいったことあるが、あのときは京都~大垣、大垣~東京、東京~上野、上野~黒磯、黒磯~仙台、仙台~青森、青森~函館、五稜郭~銚子口、銚子口~札幌と乗り継ぎ、間に大沼湖畔でテントを張って寝たが、札幌まで3泊して4日目にようやく到着した。着いたときは腰が痛くて身体がガタガタ。黒磯以北は古い客車で背もたれが板で直角。五稜郭~銚子口まで乗った時はまだ蒸気機関車のD-51が牽引していたという時代。昭和47年の夏だった。それを考えると僅か40余年で隔世の感がある。まもなく北海道まで新幹線が走ろうかと言う時代。あの当時はまだ東海道全線と山陽新幹線は岡山までしか開通していなかった。でも新幹線は忙しいビジネスマンには都合がいいので利用者が多いが、やはり優雅に旅行するなら寝台車か鈍行だろう。つまりそれだけ時間に余裕のある人しか出来ないということだ。そこにトワイライトエクスプレスになると豪華さが加わる。時間とお金がないと利用できるというものではない。だから熟年夫婦に利用者が多いのである。
皮肉にもトワイライトエクスプレス廃止と入れ替わって北陸新幹線が開通して北陸の人は大喜びだそうだが、あんなもの乗っても2時間かそこらで終わる。飛行機と一緒で如何に時間を短縮するかだけのために建設されたもの。そこに経済性とかが加味されて有効利用される。つまり経済効果を狙ってといったところだが、新幹線なんて一度乗るだけで十分だ。時間が許されるなら新幹線なんて小生は乗らない。ただ時間に追われているから利用するだけ。だから何時も感じるのは新幹線が開通するたびに、並行した在来線がお荷物扱いされてしまい隅に追いやられてしまうから残念だ。どうしても新幹線を利用せざるを得ない状況にしてしまうのだ。これだと点から点への移動だけになってしまい途中の記憶がなく味わいもない。また昔の列車は窓が開き停車ごとに駅弁が買えたものだが、今の列車は窓も開かない。完全冷暖房だから仕方がないが旅の情緒なんてものはない。単なる移動のための箱ものだ。だから豪華客船にもいえるがトワイライトエクスプレスのような時代に逆行した乗り物が人気になるのだろう。ついでにいうなら上野~札幌間を走っていた同様の豪華寝台列車北斗星もお役御免だという。寂しいねえ。しかし、こういった豪華寝台列車に一度は乗って旅をしてみたかった。
しかし整備新幹線もいいけれど、時間に縛られずのんびりと旅情を味わいながらゆったりとした気分に浸れる長距離寝台車の方が遥かにいい。殊にトワイライトエクスプレスはそれまでの日本の寝台車にない個室の寝台車。最後尾は豪華なロイヤル・スイート。大きな個室で大阪駅で発車する前の僅かな時間は見学をさせてもらったものだ。確かに豪華でかつてのヨーロッパを走っていたオリエントエクスプレスを彷彿とさせるし、国鉄時代の簡易ベッドを並べたような寝台車とは一線を画す。
こういった列車に乗って北海道までのんびりと旅したいなあと思っていたのだがな。飛行機で北海道に慌ただしく行くのとは違い、許される時間があれば乗って見たかったというのが本音である。10代の頃、鈍行と連絡船をつないで北海道までいったことあるが、あのときは京都~大垣、大垣~東京、東京~上野、上野~黒磯、黒磯~仙台、仙台~青森、青森~函館、五稜郭~銚子口、銚子口~札幌と乗り継ぎ、間に大沼湖畔でテントを張って寝たが、札幌まで3泊して4日目にようやく到着した。着いたときは腰が痛くて身体がガタガタ。黒磯以北は古い客車で背もたれが板で直角。五稜郭~銚子口まで乗った時はまだ蒸気機関車のD-51が牽引していたという時代。昭和47年の夏だった。それを考えると僅か40余年で隔世の感がある。まもなく北海道まで新幹線が走ろうかと言う時代。あの当時はまだ東海道全線と山陽新幹線は岡山までしか開通していなかった。でも新幹線は忙しいビジネスマンには都合がいいので利用者が多いが、やはり優雅に旅行するなら寝台車か鈍行だろう。つまりそれだけ時間に余裕のある人しか出来ないということだ。そこにトワイライトエクスプレスになると豪華さが加わる。時間とお金がないと利用できるというものではない。だから熟年夫婦に利用者が多いのである。
皮肉にもトワイライトエクスプレス廃止と入れ替わって北陸新幹線が開通して北陸の人は大喜びだそうだが、あんなもの乗っても2時間かそこらで終わる。飛行機と一緒で如何に時間を短縮するかだけのために建設されたもの。そこに経済性とかが加味されて有効利用される。つまり経済効果を狙ってといったところだが、新幹線なんて一度乗るだけで十分だ。時間が許されるなら新幹線なんて小生は乗らない。ただ時間に追われているから利用するだけ。だから何時も感じるのは新幹線が開通するたびに、並行した在来線がお荷物扱いされてしまい隅に追いやられてしまうから残念だ。どうしても新幹線を利用せざるを得ない状況にしてしまうのだ。これだと点から点への移動だけになってしまい途中の記憶がなく味わいもない。また昔の列車は窓が開き停車ごとに駅弁が買えたものだが、今の列車は窓も開かない。完全冷暖房だから仕方がないが旅の情緒なんてものはない。単なる移動のための箱ものだ。だから豪華客船にもいえるがトワイライトエクスプレスのような時代に逆行した乗り物が人気になるのだろう。ついでにいうなら上野~札幌間を走っていた同様の豪華寝台列車北斗星もお役御免だという。寂しいねえ。しかし、こういった豪華寝台列車に一度は乗って旅をしてみたかった。
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