2016.09.19 (Mon)
ブルックナーの交響曲第8番を聴く
左 ショルティ指揮 シカゴ交響楽団(ノヴァーク版)
右 朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(ハース版)
ブルックナーの交響曲は長い。どの交響曲も全て長い。それは彼が交響曲作曲に生涯をかけた作曲家だったからである。ブルックナーは1824年オーストリアのリンツに近いフェルデンという小さな街で生まれた。オルガン奏者を父に持ちその影響から10歳で教会のオルガン奏者として弾いていたほどの腕前だった。さらに11歳からはオルガン奏者のバプティスト・ヴァイスの下で本格的に音楽教育を受け、12歳からはザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊へ入る。16歳になると教員養成所に入り、その後に村の補助教員として働きく傍らオルガン演奏も行っていた。謂わば地味な田舎の音楽家の域を出なかったのである。それがやがてワーグナーに傾倒し、さらにベートーヴェンの第9を聴く機会を得て交響曲の作曲に目覚めたのだろう。19歳で早くも最初の交響曲ヘ短調を作曲している。3年後には交響曲1番。25歳で交響曲0番を作曲。さらにう3年後に交響曲2番。その翌年の1873年、尊敬するワーグナーと会見する機会を得て交響曲3番を作曲。この交響曲に『ワーグナー』という標題を付け献呈している。その後も交響曲4番、交響曲5番と創作活動が続き、1876年には第1回のバイロイト音楽祭に出席。ここで『ニーベルングの指輪』の初演を聴く。これがきっかけとなったのか、ブルックナーはこれまで作曲した交響曲の全てを改訂することとなる。これがブルックナーの改訂版が幾通りも出始める出発点となった。とにかく長い曲ばかりというのはワーグナーの影響か。そして交響曲作曲に生涯をかけたというのはベートーヴェンの第9の影響であろう。ただし当時の慣習から相手にされることはほとんど無かった。ことにワーグナーと相反したブラームスからはブルックナーの作品は酷評されていたぐらいだ。でも、この頃、若きグスタフ・マーラーがウィーン大学でブルックナーの聴講を受けに訪れている。つまりマーラーの交響曲が長いのもブルックナーの影響があることは確かなようである。ただブルックナーは演奏会では客入りが悪く、演奏途中で出ていく人も多かったという。それが自信喪失になり、改訂した作品をさらに改訂するという有様。いったいブルックナーの作品は幾つ改訂版があるのだろうと思ってしまう。それでも徐々に名声を得るようになり、1884年というから60歳の時に壮大な交響曲第8番の作曲にかかる。3年後の1887年にいったん完成を見る。ところが尊敬していた指揮者ヘルマン・レーヴェに見て貰うと酷評され、落胆したブルックナーはまたこの作品を改訂する。さらには彼の過去の作品までを改訂するようになる。こうして1892年交響曲第8番の初演が行われようやく成功の恩恵に授かるのである。でもこれも原典版ではない。大きく分けるとハース版とノヴァーク版があるが、弟子が書いた物まであり、さらに後に楽譜が見つかり色々な版があることが判るのだから今日、ブルックナーの交響曲と言ってもどの版で演奏されているのかよく判らないのである。交響曲8番の初演が成功して、ようやく音楽仲間からも認められるようになったものの、すでにブルックナーは67歳。これから4年後の1896年にブルックナーは生涯を終えている。まあ何とも地味で恵まれない作曲家であったことか。この時、交響曲第9番は作曲途中で未完のまま残されていた。
さてここで交響曲8番の話に入るが、この曲は気宇壮大な大宇宙を連想させる曲である。ことに第4楽章。冒頭から満天の夜空いっぱいに広がる銀河の世界を想像してしまう曲調である。けしてマーラーのようにオケストレーションが巧みな作曲家ではない。ユニゾンが多いし、突然のごとく曲の途中に間が出来たり、ブルックナーの霧と言われるモヤモヤとした中から徐々に現れる律動的な轟き。ブルックナー的と言えばブルックナー的であるが、他の作曲家にはない独特の世界観があることは確かだ。でも最初、ブルックナーを聴いた時であるが、実に退屈でだらだらと長くて下らないと感じたものだ。そこから小生は長い間、ブルックナーを聴かなかった。交響曲のお化けのようなものだと感じていた。それが何時だったろうか。ラジオのFMでブルックナーの8番を聴いた。寒い日の夜だった。部屋の明かりを消し窓を開け、冬空に広がるオリオン座を見ながら聴いていると身体の中を戦慄が走るかの如く、ブルックナーの8番に填ってしまった。それは突然やってきたというべきか。あの美しくもなく軽快でもなく爽やかでもなく、ただ重苦しく似たようなメロディの繰り返し、怠い管楽器と打楽器の咆哮。退屈だった曲が退屈に聴こえなくなった瞬間であった。これ以来ブルックナーを頻繁に聴くようになっていた。不思議なものである。教会のオルガン奏者であったブルックナーの音楽は荘厳な大伽藍で演奏されるオルガンの響きにも似ている。それは、どこか宗教的であり、敬虔なカトリック信者が信奉するような響きに近いかもしれない。それがブルックナーの交響曲であろうか。1時間を超える演奏時間が多いブルックナーの交響曲の中で8番は速い演奏でも75分ぐらい、ゆったりとした演奏になると85分だとか90分ぐらいかかることもある大曲である。指揮者によって違うだろうが、ブルックナーを聴いて感じるのは、宇野功芳が言うようにまさに宇宙の鳴動、魂の沈思と表現すべき楽曲である。だから小生はBGMとして聴く音楽ではなく真摯に向き合って聴くべき音楽だと考えている。しかし、初めて聴く人には耐えがたい退屈な音楽。それがブルックナーであろう
チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルの演奏(ノヴァーク版) 1990年サントリー・ホール
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