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2007.09.28 (Fri)

エディット・ピアフを聴く

 エディット・ピアフの名を知る人も少なくなった。亡くなって40年以上も経過しているから当然ではある。私が『愛の讃歌』という曲を知ってからでもかれこれ35年は経っているのだから、今時、エディット・ピアフの生涯が映画化されても、この人誰? という若者は多いだろう。

 かつてのシャンソンの女王といえば言いのだろうか。私が若い頃、シャンソンをよく聴くなんて言うと、仲間から怪訝な顔をされたものである。シャンソンはオジン臭い、女々しい、パンチが無い、歌謡曲と変わらんとロック好きの仲間に盛んに馬鹿にされたものである。でも私はロックも聴いていたし、シャンソンも同様に聴いていたものである。けしてオジン臭いことも、女々しいことも無い筈だが、ロックしか聴かない奴にはシャンソンの良さは解らない。いや、解らなくて結構という思いであった。

 ところでシャンソンというのは何だろうか? シャンソンというのはフランス語で歌のことである。だからフランス語で歌う歌はシャンソンということになるが、現在では1970年以前のフランス語の商業音楽ということになるのだろう。しかし、シルビー・バルタンやフランス・ギャル等の歌はシャンソンとは呼ばないから、シャンソンの定義は難しい。それならどんなのがシャンソンといえるのかというと、ダミア、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、シャルル・アズナヴール、シャルル・トレネ、コラ・ヴォーケール・・・この辺りの歌をシャンソンと呼ぶそうである。私が少年の頃はサルヴァトール・アダモの全盛時代だったが、アダモなんかもシャンソンの部類に入るかもしれない。

 さてエディット・ピアフであるが、この人の伝記映画がまもなく上映されるという。この人の人生は波乱そのものであった。1915年にパリで生まれるが、3歳から7歳まで目が見えなかったというし、15歳で家を飛び出し16歳で出産(赤ん坊は2年後骨膜縁で死去)。20歳でナイトクラブのオーナーに見出され歌うようになる。でもまもなくオーナーは殺害され、エディット・ピアフも共犯者として告発されるが無罪。

 第二次世界大戦中、ピアフは『ばら色の人生』を発表。この曲により大成功を収め、人気者となる。戦後まもなく大女優マレーネ・ディートリッヒと交友関係を結び、生涯を通じての親友となる。またこの頃、シャルル・アズナヴール、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコーを見出す。

 エディット・ピアフは戦後まもなく、一人のプロ・ボクサーと大恋愛をしている。彼の名はマルセル・セルダンという。古いボクシング通の人なら知っている名前かもしれない。マルセル・セルダンは元世界ミドル級チャンピオンなのである。1948年9月にマルセルは世界ミドル級チャンピオンのトニー・ゼールに挑戦した。名チャンピオンのトニー・ゼールであるが、過去ロッキー・グラジアノ(注①)と3度にわたる死闘で疲弊していたのか12Rでマルセル・セルダンに倒される。こうしてマルセル・セルダンは世界ミドル級チャンピオンとなる。しかし、翌年の1949年6月、今度は挑戦者ジェイク・ラモッタ(注②)との初防衛戦で10RにTKО負けを喫す。この頃、エディット・ピアフとマルセル・セルダンは大恋愛の末、ピアフは一つの曲を残す。それが『愛の讃歌』であった。

 1949年10月27日のことである。ジェイク・ラモッタとのリターン・マッチに臨むためニューヨーク行きの飛行機に乗ったマルセル・セルダンであったが、その飛行機が北大西洋で墜落してしまう。マルセルを失ったエディット・ピアフはショックから暫くは立ち直れなかったという。

 その後、ピアフは1951年に交通事故に遭い、さらにはモルヒネ中毒に苦しんでいる。1952年には歌手のジャック・パルと結婚、1956年に離婚。1962年には元ヘアードレッサーで、歌手、俳優に転身したテオファニス・ランボウカスと結婚。しかし、翌年の1963年10月10日、エディット・ピアフは癌で帰らぬ人となった。享年47歳。

 ところでエディット・ピアフというと『愛の讃歌』であるが、日本では越路吹雪が歌って有名になった。その時の岩谷時子訳の歌詞は確かこうだった。

 ♪あたなの燃える手で あたしを抱きしめて ただ二人だけで 生きていきたいの
  ただ命の限り あたしは愛したい 命の限りに あなたを愛したい
  頬と頬よせて 燃える口付けを かわす喜び あなたと二人で 暮らせるものなら
  何にもいらない・・・・・・

 何かこの歌詞だと、訳といえるものではない。これだと完全に岩谷時子作詞と言わなければならない。原詩の訳だと、『愛の讃歌』はだいぶイメージと違う歌になってしまうからである。

 ♪青空だって私達の空に落ちてくるかもしれないわ
  地獄だってひっくり返るかもしれないわ でも大したことないの あなたが愛してくれるなら
  世の中のことなんかどうでもいい 恋が私を毎朝満たしてくれるなら
  私の体があなたの手でふるえるときには 重要な問題なんかどうでもいいわ
  あなたが愛してくれるなら
  世界の崖まで行くわ 金髪に染めてもいいわ あなたがそういうのなら
  お月様だってとりに行きますわ 宝物だって盗みに行きますわ
  あなたが欲しいというのなら 自分の国を捨ててもいいわ
  友達を見捨ててもいいわ あなたがそうしてほしければ
  人があたしを笑っても平気 なんだってしてあげます あなたがそういうのなら

 原詩を見ると『愛の讃歌』というのは、ロマンティックな歌でもなく、激しい盲目の恋に突っ走っている女の歌だということが解る。では、こんなエディット・ピアフが歌っている『ばら色の人生』『愛の讃歌』の2曲をYou Tubeのサイトから抜粋しましたので、ご覧ください。





 注① ロッキー・グラジアノの伝記映画『傷だらけの栄光』(1956年)、ポール・ニューマン主演。
 注② ジェイク・ラモッタの伝記映画『レイジング・ブル』(1980年)、ロバート・デ・ニーロ主演。

 どちらもボクシング映画の名作です。

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2007/10/20(土) 18:40:53 | 人気 ドラマ 映画 最新情報!!
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