2011.08.18 (Thu)
佐川美術館にセガンティーニを観に行く

そろそろブログを再開しましょうか・・・・といっても、以前のように頻繁に更新しません。気が向いたときに趣味関係の記事を更新するだけです。常日頃の愚痴を書いてもしょうがないことなので・・・・。それで復活記事の最初として、此の盆休みの間に、セガンティーニの絵を観に行ってきたので、それを記事にしてみることにいたします。
ジョヴァンニ・セガンティーニは名前から察せられるようにイタリア出身の画家である。でも一般的にスイスの画家のように思われている。アルプスの風景を題材とした作品が多いからであろう。彼は1858年1月にオーストリアのアルコで生まれた。と言ってもアルコは現在では北イタリアにあり、18世紀中ごろはオーストリア領だったのである。その後、イタリアが統一されるのだが、当然アルコは以前からイタリア語圏の街だったのである。
セガンティーニはアルコから近い大都市ミラノで絵師の助手および門弟となって絵を描き始める。ブレラ美術学校時代には肖像画や小道具などを描いていた。技法も古典的で配色も暗い。後の彼の絵とは趣がずいぶんと違っている。それが従来の画法に我慢が出来ず、自由な画法で創作を行ったので、教授たちから目の敵にされ、やがて退学になる。
ブレラ美術学校を飛び出したセガンティーニは、やがてアルプスに魅せられミラノからアルプス近くのコモ湖畔の町にアトリエを構え、この時代にミレーの影響を受けたのか、農民や農村の風景を多数描いている。このころに結婚したセガンティーニは、移住しスイス国内に入り年を追うごとに徐々に高地へと住まいを移していく。こうしてアルプスの風景を後年に多数残すことになるのだが、同時に画風も変化していき、ディヴィジョニスム(分割主義)といった技法を確立するのである。それは澄んだ空気の中で明瞭に見える風景を描くためにたどり着いた技法で、色を混ぜあわせず三原色とその補色から成る純色で、細い線を並べたように塗り重ねることで濁りのない澄んだ光を描くといったようなものである。これまでの画法は絵筆で面を塗ることを要求されてきたが、セガンティーニは絵筆で線を細かく描いている。点描に近いがタッチはより鮮明である。
また、セガンティーニはこのころに起こった象徴主義にも感化され、観たものを忠実に描くのではなく、魂の感じるままに作品を仕上げている。晩年は母性、生、死といった人間の根幹にあたるテーマに取り組むようになり、一般的にアルプスの風景画家と言った一面だけでは言い尽くせない幅広い作品を後世に多数残している。しかし、残念ながらセガンティーニは病に倒れ僅か41歳で亡くなっている。尚、このセガンティーニ展は国内33年ぶりとなるらしい。でも33年前は日本ではさほど有名な画家ではなった(展覧会を開催していたのは知ってはいたが・・・)。
ところで今回行った佐川美術館は初めて訪れた美術館だった。京都に本社のある大手の運送会社佐川急便が創立40周年を記念して開館した美術館である。場所は滋賀県守山市。ただしJR東海道線の守山駅から路線バスで30分かかる。とにかく遠い。交通の便は不便である。バスの便も頻繁にあるわけではない。毎日、滋賀県に通勤しているので守山の駅も知ってはいるが、この街のことはさっぱり判らない。バスに揺られて着いた先は琵琶湖の畔。すぐ近くにゴルフ場と琵琶湖大橋がある。ロケーションは流石によく、都市部にある美術館だと周辺に建築物が多く敷地も狭く周辺は騒がしいが、この佐川美術館は都市部の美術館にない利点が全て備わっている。周辺が静か、土地が広い、空気がいい。ここに1998年広大な美術館が建てられた。
大きな2棟の展示館。これらは切妻屋根で2棟は廊下で繋がっていて、展示館は大きな水庭(コンクリートの人工池)に囲まれていて、水の上に浮かぶ美術館と言った設定らしい。この美術館は、このデザインが高く評価されグッドデザイン賞、JCD賞、中部建築賞、照明普及賞、優秀照明施設賞、国際照明デザイナーズ協会照明デザイン賞等、建築学会やその他の部門で多くの賞を受賞しているのである。
尚、この美術館には常設展示としては平山郁夫、佐藤忠良、樂吉左衛門茶室がある。交通の便は悪いが都会の美術館では味わえない心地よさがある。
佐川美術館






館内の廊下から撮る。水庭の向こうに樂吉左衛門館の屋根が見える。

館内の廊下から水庭の地下を通って樂吉左衛門茶室に行くことができる。

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